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上方落語

索引 上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

336 関係: お笑いタレントたちぎれちりとてちん (テレビドラマ)なんばグランド花月なんば花月まめだまんじゅうこわいけんげしゃ茶屋こぶ弁慶いらちの愛宕詣りうめだ花月うんつく酒かつら枝代かぼちゃ屋千日劇場千日前反魂香 (落語)名跡吉本興業堀之内堀江 (大阪市)大山詣り大工調べ大丸屋騒動大阪大空襲大阪天満宮大阪府大阪府立上方演芸資料館大阪弁大阪放送大正天保天王寺天満天神繁昌亭太平洋戦争子ほめ宿屋の富宿屋仇安永 (元号)寝床富貴 (寄席)寄席寛政小佐田定雄小言幸兵衛山王 (大阪市)岡山県岩波書店島之内寄席上本町...上方上方噺家上方落語協会上方落語をきく会不動坊中央区 (大阪市)七度狐三十石三升紋三郎三友派三田純市三遊亭圓生 (6代目)三遊亭金馬 (3代目)三軒長屋三枚起請下座音楽一心寺シアター倶楽京言葉京都京都市京都府京都花月劇場京洛劇場人情噺二番煎じ (落語)二階ぞめき五人廻し仏教代書伊勢参宮神乃賑伊勢神宮彦八まつり心中恋電脳心斎橋心斎橋筋2丁目劇場土橋萬歳地獄八景亡者戯北新地ミナミマウス (コンピュータ)マスメディアヨシモト∞ホール大阪トップホットシアター喜六と清八わらわし隊イオン京橋店エフエム大阪キタケーエープロダクションゴルフ夜明け前よしもとクリエイティブ・エージェンシーよしもと浅草花月らくだ (落語)唐茄子屋政談冬の遊び内海英華出囃子 (落語)出版文化社八五郎坊主六人の会兵庫駅兵庫船国立演芸場国立文楽劇場王子の狐立川三光立川雲水立川文都立花家千橘 (4代目)笠碁笑福亭小つる笑福亭仁鶴 (3代目)笑福亭福笑笑福亭笑瓶笑福亭鶴光笑福亭鶴笑笑福亭鶴瓶笑福亭枝鶴笑福亭枝鶴 (6代目)笑福亭松之助笑福亭松鶴 (5代目)笑福亭松鶴 (6代目)笑福亭松鶴 (7代目)算段の平兵衛米朝一門米朝事務所紅梅亭紀州弁紀州飛脚締め込み (落語)真景累ヶ淵猫の災難煮売屋牡丹灯籠牛ほめ百年目芝浜花花寄席花菱アチャコ花月亭九里丸芸能事務所道頓堀道頓堀角座菊江の仏壇落ち落語落語協会落語家一覧落語立川流落語芸術協会青菜 (落語)西成区記録作成等の措置を講ずべき無形文化財読売新聞高尾高砂や講談貧乏花見鴻池の犬軽口軽業黄金餅近畿地方近畿方言近日息子露の五郎兵衛一門関山和夫金刀比羅宮金沢亭酢豆腐色物集英社通天閣劇場TENGEKI連続テレビ小説TORII HALL柳家小さん (3代目)柳家三亀松柳家金語楼林家とみ林家小染 (5代目)林家染丸 (4代目)林家染丸一門林家染三林家染語楼林家染語楼 (3代目)林家染語楼 (4代目)林家正三林正之助東宝東山区松富久亭松竹松屋町松島遊廓松竹芸能松鶴一門桂ざこば (2代目)桂ざこば (初代)桂あやめ (3代目)桂南天桂南天 (2代目)桂右之助桂吉弥桂吉朝桂塩鯛桂塩鯛 (4代目)桂小春団治桂小春団治 (3代目)桂小文治 (2代目)桂三度桂三木助 (2代目)桂喜丸桂福團治桂米之助 (3代目)桂米團治 (4代目)桂米團治 (5代目)桂米紫桂米朝 (3代目)桂米朝集成桂鯛蔵桂枝雀 (2代目)桂歌之助 (2代目)桂歌之助 (3代目)桂派桂春団治 (2代目)桂春団治 (3代目)桂春団治 (初代)桂春蝶 (2代目)桂春蝶 (3代目)桂春駒桂文太桂文左衛門桂文三桂文三 (3代目)桂文三 (5代目)桂文珍桂文紅桂文紅 (4代目)桂文蝶桂文枝桂文枝 (5代目)桂文枝 (6代目)桂文楽 (8代目)桂文治 (7代目)桂文治 (初代)桂文我 (3代目)桂文我 (4代目)横山エンタツ橘ノ圓 (初代)橘ノ圓都毎日放送永谷商事江戸荒物江戸言葉江戸時代池田の猪買い河出書房新社法善寺深川江戸資料館漫才朝日新聞社朝日放送月亭可朝月亭太遊月亭方正月亭文都月亭文都 (2代目)月亭文都 (7代目)有馬小便戎橋松竹戸田学明治明治維新春団治一門昭和浄瑠璃新世界 (大阪)新京極通新作落語新花月新開地文七元結文化 (元号)文藝春秋文枝一門日本経済新聞日本放送協会旭堂南陵扇子手拭拍子木景清 (落語)時そば時うどん1080分落語会11月13日1932年1947年1951年1957年1959年1962年1966年1971年1972年1974年1975年1979年1984年1986年1987年1993年1996年1999年2000年2003年2004年2005年2006年2008年2009年2011年2月6月7日7月1日9月15日9月1日 インデックスを展開 (286 もっと) »

お笑いタレント

お笑いタレント(おわらいタレント)は、主にテレビ番組において面白い言葉の表現や、体や顔の表情の面白い動きなどで視聴者や観客を笑わせる役割を担うタレントの総称。お笑い芸人(おわらいげいにん)とも呼ばれる。「お笑いタレント」と呼ばれる人物は、おおむねコメディアン、落語家・漫才師/漫談師・コント俳優・声帯/形態模写芸人・マジシャン・コミックバンドメンバー、歌手などの芸域のどれかに属する。 バラエティ番組におけるお笑いタレントは、司会者やそのアシスタント、レポーター、クイズの解答者などの立場で出演し、あからさまな嘘をついたり、意図的に非常識な態度や発言や行動をしてみせたり、意味のわからない態度や発言や行動をしてみせたりすることで、笑いを誘発する。これにより視聴者に対し、番組進行のテンポ的起伏、番組で扱う事物への客観性、番組内容への感情移入のしやすさなどを提供する。 なお、この分野に造詣の深い作家・小林信彦は、著書「喜劇人に花束を」他において、「お笑い」という言葉は「お笑い草」などと同様に侮蔑のニュアンスを含む、当事者が卑下して使うものであり、第三者が用いるのは非礼にあたるという見解を示しているが、このスタンスは現在のところ大きな広がりに至っていない。.

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たちぎれ

たちぎれ もしくは たちきれ は、古典落語の演目の一つ。立ち切れと漢字で表記されることもあるほか、たちきり、たちぎれ線香(たちぎれせんこう)とも。 もとは上方落語であるが、現在は東京でも広く演じられる。元々人情噺の少ない上方落語発祥の噺としては、東京に定着した数少ない噺の一つである。.

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ちりとてちん (テレビドラマ)

『ちりとてちん』は、2007年10月1日から2008年3月29日まで放送されていたNHK連続テレビ小説。NHK大阪放送局制作で、シリーズ通算77作目、大阪制作の作品では通算31作目。全151回。 脚本は藤本有紀、音楽・佐橋俊彦。舞台は福井県及び大阪府で、ヒロイン役はオーディションにより2007年3月14日に貫地谷しほりに決まった(1864人が応募)。.

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なんばグランド花月

なんばグランド花月(なんばグランドかげつ)は、大阪府大阪市中央区にある、よしもとクリエイティブ・エージェンシーが運営するお笑い・喜劇専門の劇場(2007年9月までは吉本興業の直営だった)。通称はNGK(エヌジーケー)。キャッチコピーは「笑いの殿堂」。.

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なんば花月

なんば花月(なんばかげつ)は、かつて大阪府大阪市に存在した吉本興業の演芸専用劇場。.

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まめだ

まめだ は、上方落語の演目のひとつ。.

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まんじゅうこわい

まんじゅうこわいは、古典落語の演目の一つ。.

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けんげしゃ茶屋

けんげしゃ茶屋(けんげしゃちゃや/けんげしゃぢゃや)は、上方落語の演目のひとつ。.

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こぶ弁慶

『こぶ弁慶』(こぶべんけい)は上方落語の演目の一つ。『大津の宿瘤弁慶』とも。作者は近世末期の初代笑福亭吾竹前田勇『改訂増補 上方落語の歴史』杉本書店、1966年、pp.136 - 137。 道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。主な演者として、5代目 桂文枝などがいる。.

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いらちの愛宕詣り

いらちの愛宕詣り(いらちのあたごまいり)は上方落語の演目の一つ。東京に移植されて『堀の内』の題で演じられる。「いらち」とは大阪弁で「あわて者」「せっかちな者」の意味。 笑福亭一門のお家芸の一つで、古くは4代目笑福亭松鶴が得意とした。SPレコードも残されている。.

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うめだ花月

うめだ花月(うめだかげつ)は、大阪府大阪市北区曾根崎の扇町通に面する複合ビル「スイング梅田ビル」地階にあった演芸場。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)直営。2008年(平成20年)10月31日閉館。.

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うんつく酒

『うんつく酒』(うんつくざけ)は上方落語の演目の一つ。原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・「鳥の町」の一遍である『金物見世』。 道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。主な演者として、橘ノ円都、6代目笑福亭松鶴等がいる。.

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かつら枝代

かつら 枝代(かつら しよ、1946年(昭和21年) - )は、和歌山県日高郡出身の落語三味線囃子方。本名は前田(旧姓・前山)志代子。2代目桂枝雀の夫人。愛称は「しよちゃん」。 1965年(昭和40年)に女性浪曲漫才トリオ「ジョウサンズ」に日吉川良子の名で脱退した日吉川スミ子の穴埋めとして参加。アコーディオンを担当する。1970年(昭和45年)10月に2代目桂枝雀(当時:桂小米)と結婚し「ジョウサンズ」を1971年(昭和46年)8月に脱退。家庭に入ってから、寄席三味線の池中スエに寄席三味線を習う、スエ師没後は桑原ふみ子に師事、夫・枝雀の連れ下座としてお囃子に専念する。 枝雀死後も米朝一門の立三味線としてお囃子中心に活動したが、2000年(平成12年)7月8日の桂米團治独演会を最後に、第一線を退いた。 Category:三味線奏者 Category:落語 Category:和歌山県出身の人物 Category:1946年生 Category:存命人物.

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かぼちゃ屋

かぼちゃ屋(かぼちゃや)は古典落語の演目の一つ。別題は「唐茄子屋」。原話は、安楽庵策伝が元和2年に出版した『醒睡笑』第五巻の「人はそだち」。 元々は「みかん屋」という上方落語の演目で、大正初年に4代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。主な演者として、5代目柳家小さんや7代目立川談志などがいる。 上方では「みかん屋」の題で2代目桂ざこば一門が多く演じる。ざこばは6代目笑福亭松鶴から直接教わった。.

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千日劇場

千日劇場(せんにちげきじょう)は、大阪府大阪市南区(現在の中央区)の千日前交差点南西角に位置した、千日デパートの6階にあった劇場。千土地興行(のちの日本ドリーム観光)経営。.

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千日前

千日前(せんにちまえ)は、大阪府大阪市中央区の地域名および町名。 道頓堀の南東に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街になっている。西隣の難波にある法善寺と竹林寺(現在は天王寺区に移転)で千日念仏が唱えられていたことから、両寺(特に法善寺)が千日寺と呼ばれ、その門前であることに由来する。.

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反魂香 (落語)

反魂香(はんごんこう)は、古典落語の演目のひとつ。同演題では、主に東京で広く演じられる。 この項目では、同演目の元となった上方落語の高尾(たかお)についても記述する。.

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名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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吉本興業

吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、)は、大阪府大阪市中央区(登記上の本店)と東京都新宿区に本社 を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称「吉本」、「よしもと」。 1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。現在の東京証券取引所で上場廃止され、その後TOBで非上場化され、在京・在阪の主要民放局などが主要株主となっている。 日本経済団体連合会と日本商品化権協会加盟。.

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堀之内

堀之内(ほりのうち)は中世日本における武士・在地領主の館(たち・たて)を指す歴史用語。土居(どい)ともいう。館の周囲には通常、堀や盛り土による垣がめぐらされていたため、堀之内・土居などと呼ばれた。地名としての堀之内は、中世期のこの堀之内に由来している。(後述#地名および堀之内駅を参照のこと。).

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堀江 (大阪市)

堀江(ほりえ)は、大阪府大阪市西区南東部の地域名称。一般的に北堀江1~4丁目と南堀江1~4丁目を指す。郵便番号は北堀江が550-0014、南堀江が550-0015。.

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大山詣り

大山詣り(おおやままいり)は古典落語の演目。原話は、狂言の演目の一つである「六人僧」。 主な演者は、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、八代目春風亭柳枝、三代目古今亭志ん朝など。.

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大工調べ

大工調べ(だいくしらべ)は落語の演目。言葉の行き違いが原因で起こった騒動を描く。.

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大丸屋騒動

大丸屋騒動(だいまるやそうどう)は上方落語の演目の一つである。安永年間に実際に京で起こった事件がモデルで、講釈ネタを落語化したものである。上方落語には珍しい人情噺(厳密にはサゲがあるので、狭義の人情噺ではなく落とし噺だが)で、前半部の宗三郎と番頭の軽妙なやりとり、富永町で悲劇へたたみかける演出、後半部の芝居噺風の演出などかなり手が込んでいる。サゲは地口落ち。 妖刀村正、愛想尽かし、狂乱した宗三郎が祇園二軒茶屋の踊りの輪に乱入する場面など、歌舞伎の『縮屋新助』『伊勢音頭恋寝刃(油屋騒動)』のパロディが見られる。はめものとの呼吸に注意を払い、歌舞伎や京の風景・風俗に精通しなければならないなど、高度な技術を要する。 太平洋戦争前は先斗町で生まれ育った初代桂枝太郎の十八番として知られていた。戦後は長く演者がいなかったが、1970年代に入ると初代森乃福郎や2代目露の五郎兵衛が相次いで高座にかけ、5代目桂文枝、3代目桂米朝も得意とした。文枝は1990年の口演で芸術祭賞を受賞している。.

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大阪大空襲

大阪大空襲(おおさかだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が繰り返し行った、大阪市を中心とする地域への戦略爆撃ないし無差別爆撃の総称である。 1945年3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけて最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。.

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大阪天満宮

本社 楼門 大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区天神橋に鎮座する神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。 毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。.

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大阪府

大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.

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大阪府立上方演芸資料館

大阪府立上方演芸資料館(おおさかふりつかみがたえんげいしりょうかん、通称:ワッハ上方)は、大阪市中央区難波千日前にある、上方演芸に関する資料の収集保存施設。1996年開館。.

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大阪弁

大阪弁(おおさかべん)は、大阪で話される日本語の方言で、近畿方言(上方言葉または上方語)の一種である。定義は以下の通り。.

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大阪放送

大阪放送株式会社(おおさかほうそう)は、近畿広域圏を放送対象地域として中波放送(AM放送)をする特定地上基幹放送事業者である。 愛称はラジオ大阪(ラジオおおさか)、略称はOBC(オービーシー)で、ラジオ欄などではこちらが、主に使われている。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天王寺

あべのハルカス あべのキューズモール 四天王寺 天王寺(てんのうじ)は、大阪府大阪市天王寺区南部と阿倍野区北部の地域名称。.

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天満天神繁昌亭

天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)は、大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。上方落語唯一の寄席で、落語を中心に、漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われている。通称「繁昌亭」。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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子ほめ

子ほめ(こほめ)は古典落語の演目の一つ。別題は『赤子褒め』。 原話は寛永五年、安楽庵策伝著の『醒睡笑』・巻一中の『鈍副子第十一話』。元々は上方落語の演目で、3代目三遊亭圓馬によって東京落語に持ち込まれた。 いわゆる前座噺に数えられるが、上方では3代目桂春團治、東京では8代目春風亭柳枝の十八番としても知られる。.

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宿屋の富

宿屋の富(やどやのとみ)は古典落語の演目の一つ。上方落語では『高津の富(こうづのとみ)』と呼ぶ。 上方発祥の演目で、3代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。 そのナンセンスさ故か演者は多く、ざっと挙げるだけでも東京の4代目柳家小さんや5代目古今亭志ん生、上方の6代目笑福亭松鶴や5代目桂文枝など堂々たる大看板が手がけている。 また松竹新喜劇でも「大当たり 高津の富くじ」として劇化された。.

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宿屋仇

宿屋仇(やどやがたき)は上方落語の演目の一つ。「日本橋宿屋仇」とも言う。東京では「宿屋の仇討」との演目名で演じられ、かつては「甲子待(こうしんまち)」としても演じられた。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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寝床

寝床(ねどこ)は落語の演目の一つ。原話は、安永4年(1775年)に出版された笑話本「和漢咄会」の一遍である『日待』。 元々は『寝床浄瑠璃』という上方落語の演目で、明治中期に東京へ移入された。 主な演者には、8代目桂文楽や5代目古今亭志ん生、3代目古今亭志ん朝、2代目古今亭圓菊、6代目三遊亭圓生、8代目橘家圓蔵などがいる。.

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富貴 (寄席)

富貴(ふうき)は、かつて存在した上方落語の寄席。昭和初期から30年代にかけて京都市新京極に、明治から大正にかけて大阪市上本町に同じ名の寄席が存在したが、両者は互いに無関係である。.

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寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

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寛政

寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.

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小佐田定雄

小佐田 定雄(おさだ さだお、1952年2月26日 - )は、日本の演芸研究家、演芸作家、落語作家、狂言作家。関西演芸作家協会会員。本名、中平定雄。大阪府大阪市生まれ。1974年に関西学院大学法学部卒業。妻は、弟子のくまざわあかね。.

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小言幸兵衛

小言幸兵衛(こごとこうべえ)は古典落語の演目の一つ。 原話は、正徳2年(1712年)に出版された笑話本・「新話笑眉」の一遍である『こまったあいさつ』。元々は、『借家借り』という上方落語の演目。 主な演者に6代目三遊亭圓生や9代目桂文治、10代目柳家小三治などがある。.

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山王 (大阪市)

山王(さんのう)は、大阪府大阪市西成区の町名。1 - 3丁目がある。2010年10月1日現在の人口は4,597人。郵便番号557-0001。.

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岡山県

岡山県(おかやまけん)は、日本の都道府県のひとつ。中国地方南東部に位置し、瀬戸内海に面する県。県庁所在地は岡山市である。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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島之内寄席

島之内寄席(しまのうちよせ)は、上方落語協会主催で1972年2月21日から続く、上方落語の定席寄席・落語興行。.

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上本町

上本町(うえほんまち)は、大阪府大阪市天王寺区の町名。1丁目~9丁目がある。 上町台地の最高所を走る上町筋に沿って、北は長堀通(上本町1交差点)から南は勝山通(五條宮前交差点)まで南北に細長い。千日前通(上本町6交差点)以北は、上町筋の東側が上本町(1丁目~5丁目)、西側が中央区上本町西(1丁目~5丁目)、以南は両側とも上本町(6丁目~9丁目)となっている。.

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上方

上方(かみがた・かみかた)は、江戸時代に京都や大阪を初めとする畿内を呼んだ名称である。広義では、畿内を初めとする近畿地方一帯を指す語としても使われる。.

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上方噺家

上方噺家(かみがたはなしか)とは、上方落語の噺家(落語家)のこと。一般的には「上方落語家」「上方落語の噺家(落語家)」などと称する。 現存する亭号は、桂、笑福亭、林家、月亭、橘家、立花家、露(の)、森乃、(明石家)である。かつては立川、三遊亭もあったが、前者は明治期に、後者は太平洋戦争後に断絶している。 現在では上方落語協会などを設立している。.

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上方落語協会

公益社団法人上方落語協会(かみがたらくごきょうかい)は、近畿を中心に活動する落語家などが組織する公益法人。上方落語を中心とする寄席芸能の普及向上、継承・保持を図り、日本の文化の発展に寄与することを目的としている。現会長(7代)は笑福亭仁智。.

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上方落語をきく会

上方落語をきく会(かみがたらくごをきくかい)は、1955年から年に数回大阪で開かれている朝日放送ラジオ主催の落語会。現在の上方落語では最古の落語会で、公演の模様を同局で放送することがある。 なお、北御堂で開催されていた同名の落語会(季刊「上方芸能」の前身の機関紙を発行)はこの会とは無関係である。また、ABCの会は北御堂の会と区別するため、一時期「ABC上方落語をきく会」と称していた事がある。.

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不動坊

不動坊(ふどうぼう)は古典落語の演目の一つ。不動坊火焔(ふどうぼう かえん)とも。.

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中央区 (大阪市)

OBPの景色 難波宮 大阪城付近 道頓堀 中央区(ちゅうおうく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。大阪府の府庁所在地。.

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七度狐

『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)は上方落語の演目の一つ。原話は、寛政10年(1798年)に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。 主な演者として、5代目笑福亭松鶴、2代目桂小文治、3代目桂米朝や2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴、桂文珍などがいる。.

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三十石

『三十石』(さんじっこく)または『三十石夢乃通路』(さんじっこくゆめのかよいじ)は、京と大坂を結ぶ三十石舟の船上をおもな舞台とする上方落語の演目の一つ。本来は旅噺「東の旅」の一部であり、伊勢参りの最終部、京から大坂の帰路の部分を描く。現在は独立して演じられることが多い。 大阪では明治初期の初代桂文枝が前座噺を大ネタにまで仕上げた。その後、2代目桂小文枝、5代目笑福亭松鶴が得意とし、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、2代目桂枝雀なども得意とした。東京では明治期に4代目橘家圓喬が上方から東京に移した。6代目三遊亭圓生が子供の頃に聴いた圓喬は、舟歌は歌っていなかったという。その後5代目三遊亭圓生が得意とし、6代目三遊亭圓生に受け継がれた。6代目圓生はこの話をより良く仕上げるために、5代目松鶴に教えを請うたという。また6代目圓生は舟歌の件りでいいノドを聴かせていたが、この舟歌の部分も5代目松鶴の教えによる部分が大きいという。 江戸落語では近代に入り、東京・京都間の汽車旅に替えて演じられる。 主人公二人が京からの帰途、伏見街道を下り、寺田屋の浜から夜舟に乗り、大坂へ帰るまでを描く。 前半は宿の描写、船が出る時のにぎわい、美人が乗ると思い込んだ好色な男の妄想、旅の道中に出会ういろいろなものに触れての軽妙な会話、船頭の物まね、などが続く。 後半では船中で五十両の金が盗まれる騒動が起きるが、船頭の機転で盗んだ男がつかまり、噺はめでたく結ばれる。.

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三升紋三郎

三升 紋三郎(みます もんざぶろう)は、落語家の名跡。.

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三友派

三友派(さんゆうは)とは、上方落語の諸派。歴史上以下の2つが存在する。.

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三田純市

三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。.

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三遊亭圓生 (6代目)

6代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年〈明治33年〉9月3日 - 1979年〈昭和54年〉9月3日)は、大阪市西区出身で東京の落語家、舞台俳優。本名、山﨑 松尾(「﨑」は右上が「大」ではなく「立」)。東京の新宿に長年住み、当時の地名から「柏木(の師匠)」とも呼ばれた。昭和の落語界を代表する名人の一人と称される。出囃子は『つくま祭』、のち『正札付』。 5代目三遊亭圓生は継父、5代目三遊亭圓窓は義理の叔父にあたる。また、橘家圓晃(本名:柴田啓三郎)は異父弟。.

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三遊亭金馬 (3代目)

3代目三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年10月25日 - 1964年11月8日)は東京府東京市本所(現・東京都墨田区本所)生まれの日本の落語家。家業は洋傘屋であった。大正・昭和時代に活躍した名人の一人。本名は加藤 専太郎(かとう・せんたろう)関山(2004)。出囃子は「本調子カッコ」。 初代三遊亭圓歌の門下だが、名人と呼ばれた初代柳家小せんや、橋本川柳(後の3代目三遊亭圓馬)にも多くを学んだ。読書家で博学。持ちネタの幅が広く、発音や人物の描き別けが明瞭で、だれにでもわかりやすい落語に定評がある。 当初は落語協会に所属、のちに東宝に所属したが、実質的にフリーであった。.

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三軒長屋

三軒長屋(さんげんながや)は落語の演目の一つ。原話は中国の明代に書かれた笑話本、『笑府』第六巻・殊稟部の【好静】。 主な演者として、東京の4代目橘家圓喬 、5代目古今亭志ん生や6代目三遊亭圓生などがいる。.

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三枚起請

三枚起請(さんまいきしょう)は古典落語の演目の一つ。 もとは上方落語で、難波新地のお茶屋を舞台にした噺であったものを、初代三遊亭圓右が吉原遊廓に変えて東京に持ち込んだ。 東京における主な演者には5代目古今亭志ん生や3代目古今亭志ん朝、柳家さん喬などがいる。.

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下座音楽

下座音楽(げざおんがく)とは、歌舞伎の演出において、基本的に舞台下手の黒御簾の中で演奏される効果音楽である。「陰囃子」「黒御簾音楽」(略して「陰」「黒御簾」)とも呼ばれるが、陰囃子は狭義には出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴り物を意味することが多い。幕開き、幕切れ、人物の出入り、対話中または仕種の伴奏をつとめる。.

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一心寺シアター倶楽

一心寺シアター倶楽(いっしんじしあたーくら)は、大阪、天王寺にある多目的劇場。.

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京言葉

出町商店街にて。 京言葉(きょうことば、京ことばとも表記)とは、京都で用いられる日本語の方言である。京都弁(きょうとべん)、古くは京談(きょうだん)とも。近畿方言の一種であり、大阪弁とともに上方言葉の中核をなす。広義には旧山城国の方言を指す。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京都府

京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.

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京都花月劇場

京都花月劇場(きょうとかげつげきじょう)は、かつて存在した日本の劇場、映画館、演芸場である。吉本興業が経営し、京都市中京区の新京極に所在した。閉館後解体され、現在は同社が経営する商業ビル「パッサージオ」が立地している。.

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京洛劇場

京洛劇場(きょうらくげきじょう)は、かつて存在した日本の演芸場である。時期によっては、映画館でもあった。京都市中京区新京極通三条下ル東入ル松ヶ枝町に千土地興行(かつての千日土地建物、のちの日本ドリーム観光)が経営した。.

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人情噺

人情噺(にんじょうばなし)とは、落語の演目の中のひとつのカテゴリである。一般には親子や夫婦など人間の情愛を描いた噺を指しており、「大ネタ」と呼ばれる長い噺が多い『CD付 落語入門』(2008)p.17。人情噺を最初に演じたのは朝寝房夢羅久だといわれている。.

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二番煎じ (落語)

二番煎じ(にばんせんじ)は、古典落語の演目の1つ。.

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二階ぞめき

二階ぞめき(にかいぞめき)は、古典落語の演目の一つ。原話は、滝亭鯉丈が延享4年(1747年)に出版された笑話本「軽口花咲顔」の一遍である「二階の遊興」。.

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五人廻し

五人廻し(ごにんまわし)は落語の演目の一つ。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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代書

代書(だいしょ)は、落語の演目のひとつ。代書屋(だいしょや)とも呼ばれる。もとは上方落語であるが、現在は東京落語でも広く演じられる。新作落語の中では古典に近い存在となっている。.

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伊勢参宮神乃賑

『伊勢参宮神乃賑』(いせさんぐうかみのにぎわい)、通称『東の旅』(ひがしのたび)は、喜六と清八による伊勢参りの道中を描いた一連の上方落語である。『伊勢参宮神之賑』の表記もある。 大坂から奈良を通って伊勢へ(『発端』-『奈良名所』-『野辺』-『煮売屋』-『七度狐』-『うんつく酒』-『常太夫義太夫』-『鯉津栄之助』-『三人旅浮之尼買』)、伊勢神宮にお参りをし(『間の山お杉お玉』『宮巡り』)、近江・京都を廻って大坂に戻ってくるまでの道中(『軽石屁』-『これこれ博打』-『高宮川天狗酒盛』-『矢橋船』-『宿屋町』-『こぶ弁慶』-『走り餅』-『京名所』-『三十石夢乃通路』)が、多くの演目によって構成されている。『野辺』から『法会』-『もぎどり』-『軽業』-『軽業講釈』と続ける道程もある。 ほとんどの演目は喜六と清八の二人が主人公であるが、『軽業講釈』『こぶ弁慶』『地獄八景亡者戯』(登場する軽業師が『軽業』と同一人物とすれば)などは主人公が異なり、『東の旅』に接続された「外伝」とも位置づけられる噺である。 この『伊勢参宮神乃賑』(東の旅)や『兵庫船』(西の旅)などの旅ネタと呼ばれる一連の道中噺は、元々基礎訓練のための前座噺で、前座が張扇と小拍子を用いて賑やかにしゃべる。3代目桂米朝一門では入門するとまずこの『東の旅』より『発端』を習い覚える。.

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伊勢神宮

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。 二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。.

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彦八まつり

彦八まつり(ひこはちまつり)とは、上方落語協会が年に一度、9月の第1土曜日と日曜日に、大阪府大阪市天王寺区の生國魂神社で開催する、ファン感謝イベント。江戸落語の「圓朝まつり」は、落語家が身内で行っていた圓朝忌を、彦八まつりを参考にして一般開放したものである。.

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心中恋電脳

「心中恋電脳(しんじゅうこいバーチャル)」は、桂文珍の創作落語の一つである。小拍子を「パソコンのマウス」に見立てるという、独特な表現で演じられる。.

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心斎橋

1930年代の心斎橋筋 心斎橋(しんさいばし)は、大阪府大阪市中央区心斎橋筋周辺の繁華街。または、かつて存在した長堀川に架かっていた橋。.

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心斎橋筋2丁目劇場

心斎橋筋2丁目劇場(しんさいばしすじにちょうめげきじょう)は、1986年5月10日にオープンした吉本興業が運営していた劇場。1999年3月31日に閉館した。 所在地は大阪府大阪市中央区心斎橋筋2丁目。ダウンタウン、今田耕司、千原兄弟、ナインティナイン、雨上がり決死隊などを輩出した。.

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土橋萬歳

土橋万歳(どばしまんざい)は、上方落語の演目の一つ。元ネタは、上方歌舞伎の『夏祭浪花鑑』の七段目、長町裏の場。 主な演者には、3代目 桂米朝などがいる。.

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地獄八景亡者戯

『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、上方落語の演目の一つである。『八景』は「はっけい」ではなく、「ばっけい」と読まれる。江戸落語では『地獄めぐり(地獄巡り)』と呼ばれる。.

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北新地

北新地(きたしんち)は、大阪府大阪市北区の歓楽街。 また、本項目では北区の町名である曽根崎新地についても述べる。現行行政地名は曾根崎新地一丁目から二丁目まで。2010年10月1日現在の人口は219人、世帯数は280世帯。郵便番号は530-0002。.

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ミナミ

ミナミは、大阪府大阪市中央区と浪速区にまたがる繁華街の総称。.

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マウス (コンピュータ)

2ボタン型・ボール式マウス マウスボール マウス(mouse)とはポインティングデバイスの一種類である。.

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マスメディア

マスメディア (mass media) あるいは大衆媒体(たいしゅうばいたい)とは、マスコミュニケーションの媒体のことである広辞苑第七版「マス・メディア」。.

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ヨシモト∞ホール大阪

ヨシモト∞ホール大阪(ヨシモトむげんだいホールおおさか)は、かつてあった劇場。なんばグランド花月内にある「NGKホール」を改装してできた。 設備自体は基本的にテレビスタジオであったが、用途に合わせて舞台・客席を組んでいた。収録を行ったテレビ番組『ヨシモト∞』に合わせてこの名称に。テレビ番組の収録のほか、M-1グランプリの予選会場としても使用されていたほか、落語会「花花寄席」を毎週土曜日に開催していた。(2010年4月から「よしもと花形寄席」に改名し、リニューアル) 2011年9月30日をもって事実上閉館。。2012年にNGKがリニューアルされた際、跡地が土産物売り場となった為、ヨシモト∞ホール大阪は完全に消滅した。(看板のみしばらくの間残っていたが、後に撤去された).

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トップホットシアター

トップホットシアターは、大阪府大阪市北区梅田の東宝OSMビル(場所はHEP NAVIOの隣)内にあった演芸場。阪急阪神東宝グループのコマ・スタジアム経営。『コマ・モダン寄席』の看板を掲げていた。.

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喜六と清八

喜六と清八(きろく と せいはち)は、上方落語に頻繁に登場する架空の人物。江戸落語には登場しない、上方落語独自の登場人物である『落語登場人物辞典』 57頁。。.

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わらわし隊

わらわし隊は、吉本興業(吉本興業部)が朝日新聞社と共同で、日中戦争勃発後中国大陸に派遣された兵士を慰問するために結成した演芸派遣団、慰問団。当時の帝国陸軍・海軍の戦闘機部隊の愛称であった「荒鷲隊(あらわしたい)」をもじって「わらわし隊」と名づけられた。陸軍恤兵部が派遣の担当を行い大規模な慰問団として華々しく宣伝された。.

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イオン京橋店

イオン京橋店(イオンきょうばしてん)とは、大阪府大阪市都島区片町二丁目にあるイオンリテール株式会社が運営する大型商業施設(ショッピングセンター)である。 ダイエー時代の店番号は0235。ネットスーパー取扱店舗。.

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エフエム大阪

株式会社エフエム大阪(エフエムおおさか、FM OSAKA Co., Ltd.)は、大阪府を放送対象地域としてFM(周波数変調)による超短波放送(ラジオ放送)を行う特定地上基幹放送事業者である。 略称はfmoである(かつては公式略称としてFMOが使用されていた時期もあった)。通常表記はFM大阪、もしくはFM OSAKA(2008年3月までの表記はfm osaka)、FO(エフオー)。2017年4月1日からFM OH!851(エフエム オー!ハチゴーイチ)がステーションネームとして制定された(番組内やホームページなどでも一貫してこの名称を使用しているが、一般的には周波数の箇所を省略した「FM OH!」とだけ紹介されることが多い。ただし、不定期で日曜深夜から月曜未明の放送休止前後に行われる、放送開始・終了のアナウンスでは呼出名称の「エフエムおおさか」がアナウンスされている。TOKYO FMでいう"エフエムとうきょう"と同じような扱い)。コールサインはJOBU-FM。.

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キタ

層ビルが立ち並ぶ梅田の風景 JR大阪駅 キタは、大阪府大阪市北区の一地区を指し示す呼称である。.

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ケーエープロダクション

ーエープロダクション株式会社(KA Production)は、大阪市阿倍野区に本社を持つ芸能事務所。.

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ゴルフ夜明け前

『ゴルフ夜明け前』(ゴルフよあけまえ)は、桂三枝(現・六代桂文枝)作の創作落語。 1983年に文化庁芸術祭大賞を受賞した。1987年12月5日には、東宝より映画化もされた。 2010年には、これをアレンジした『野球の夜明け』が発表されている。.

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よしもとクリエイティブ・エージェンシー

株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーは、大阪市中央区・東京都新宿区に本社(登記上の本店は大阪)を置く吉本興業グループの芸能プロダクション・プロモーター・テレビ番組制作プロダクションである。.

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よしもと浅草花月

よしもと浅草花月( - あさくさかげつ)は、かつて吉本興業が運営していた演芸興行。東京都台東区浅草の雷5656会館5階・トキワホールにて月数回定期的に開催された。開催時期は2006年11月4日~2015年7月26日。.

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らくだ (落語)

『らくだ』は、古典落語の演目。上方落語の演目の1つである。人物の出入りが多い上に、酔っ払いの芝居が入るなど演者にとって難解な話で、よく「真打の大ネタ」と称される。題名は、主人公のあだ名を表すが(上方では「らくだの卯之助」、東京では「らくだの馬」)、登場した時には既に死人であるという、他に例のない話である。.

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唐茄子屋政談

唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)は落語の演目。唐茄子屋(とうなすや)とも。 上方落語における南京屋政談(なんきんやせんだん)、南京政談(なんきんせいだん)もこの項目で説明する。.

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冬の遊び

冬の遊び(ふゆのあそび)は上方落語の演目の一つ。長らく途絶えていたが三代目桂米朝により復活した。.

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内海英華

内海 英華(うつみ えいか、1960年6月17日 - )は、大阪府大阪市出身の上方寄席囃子三味線奏者、女道楽師。本名、田中 愛子(たなか あいこ)。上方落語協会会員。松竹芸能所属。現代における上方寄席囃子三味線の第一人者である。独身。初芝高等学校(現・初芝立命館中学校・高等学校)卒業。.

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出囃子 (落語)

落語における出囃子(でばやし)は、落語家が高座に上がる際にかかる音楽であり、寄席囃子のひとつである。寄席や落語会では、落語家に限らず、芸人が登場する際の音楽全てを指すことがある。.

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出版文化社

株式会社出版文化社(しゅっぱんぶんかしゃ、英語表記:ShuppanBunkaSha Corporation)はビジネス書を中心とした出版社。本社は大阪市中央区久太郎町、東京本部は東京都千代田区神田神保町にある。.

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八五郎坊主

八五郎坊主(はちごろうぼうず)は上方落語の演目名である。.

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六人の会

六人の会(ろくにんのかい)は、落語界の衰退を憂いた以下の落語家六人が、所属の流派、落語団体を超えて結成した落語家の会。2003年3月に結成した「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(5)」 『毎日新聞』 2009年10月27日、13版、9面。。.

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兵庫駅

兵庫駅(ひょうごえき)は、兵庫県神戸市兵庫区駅南通五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。.

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兵庫船

兵庫船(ひょうごふね)は古典落語の演目のひとつ。兵庫渡海鱶魅入(ひょうごとかいふかのみいれ)とも。もとは上方落語における長編『西の旅』の一部であるが、桑名船(くわなぶね)の演題で東京でも演じられる。 冒頭のシーンが共通した東京落語の演目・鮫講釈(さめこうしゃく)あるいは五目講釈(ごもくこうしゃく)についても、この項で記述する。.

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国立演芸場

国立演芸場(こくりつえんげいじょう、英語:National Engei Hall)は、東京都千代田区隼町の国立劇場の一部として1979年(昭和54年)に開場した国立の演芸場。独立行政法人日本芸術文化振興会が運営している。.

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国立文楽劇場

国立文楽劇場(こくりつぶんらくげきじょう、National Bunraku Theatre)は、大阪府大阪市中央区にある劇場。4番目の国立劇場として1984年に開館、大小2つの劇場と展示室などからなる。大ホールではユネスコ無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されている人形浄瑠璃・文楽の公演を中心に演劇や舞踊などが行われる。小ホールでは奇数月に落語・漫才・浪曲などの興行「上方演芸特選会」が開かれ、東京の国立劇場における国立演芸場的役割も担う。独立行政法人日本芸術文化振興会による運営。.

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王子の狐

王子の狐(おうじのきつね)は、落語の噺の一つ。初代三遊亭圓右が上方噺の高倉狐を東京に写したもの。 人を化かすと言われる狐がかえって人に化かされる顛末を描く。結末は一種の考え落ちでもあろう。 主な演者に8代目春風亭柳枝、10代目金原亭馬生、7代目立川談志などがいる。.

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立川三光

立川 三光(たてかわ さんこう)は、上方落語の名跡。作家の香川登志緒によると江戸(東京)の立川一派と混乱を避けるため「たちかわ」と呼んでいたという(立川文庫がその例)。なお、落語家の享号は先祖を辿るとみな同じで「親戚」関係にあることが多いが、江戸の立川と上方の立川は親戚関係はないらしく、上方を「たちかわ」と読んだのは単なる区別のためだけではないと思われる(香川登志緒と思われる人物が広報誌で同様の発言している)。 上方立川一派は、幕末から明治期にかけて隆盛を誇ったが、その後衰微したため、現存する記録、史料は極めて少ない。『落語系圖』には3代目まで記載されているが代々疑問点が多く安政頃と思われる見立番付には立川三玉齋と三光この頃に初代は三玉齋と改名したと推測される、故に幕末にはすでに代替している可能性もある。 尚『落語系圖』立川流祖について詳しく伝えておりそれによれば、立川伴五郎いう役者の子に三五郎という人物があり、この人が立川の家元で芝居噺の名人であったという。「四谷怪談」など幽霊物の元祖といわれ、道具入りの芝居噺として、角座・中座でも興行したというが、歌舞伎の資料の面からしても非常に疑問点が多い。.

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立川雲水

立川 雲水(たてかわ うんすい、本名=矢野 究、1970年3月31日 - )は落語家。大阪府八尾市生まれ、兵庫県神戸市出身。兵庫県立北須磨高校卒業。落語立川流理事。出囃子は『伊勢津』。立川流ではあるが上方落語を演ずる。.

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立川文都

6代目立川 文都(たてかわ ぶんと、本名=国府 秀剛(こくぶ ひでつよ)、1960年1月31日 - 2009年10月29日)は落語家。大阪府大阪市出身。大阪学院大学外国語学部卒業。落語立川流所属。出囃子は『せり』。.

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立花家千橘 (4代目)

4代目 立花家 千橘(4だいめ たちばなや せんきつ、1946年2月3日 - )は、樺太生まれの高知県(名古屋市在住経験も在る)育ちの落語家。本名は田井 利孝。立花オフィス(一時師匠の事務所であった露の五郎兵衛事務所所属)所属、上方落語協会顧問。.

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笠碁

碁(かさご)は、古典落語の演題の一つ。 上方落語であったが、東京に移植された。 囲碁をテーマにした人情噺で、原話は、初代露の五郎兵衛『軽口露がはなし』巻五の「この碁は手みせ禁」。 名人といわれた3代目柳家小さんが大阪から持ち帰ったネタで、現在所演されているものは殆ど3代目の型をマネたものといわれる。.

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笑福亭小つる

笑福亭一門の定紋である。 笑福亭 小つる(しょうふくてい こつる)は、上方落語の名跡。現在は空名跡となっている。 6代目笑福亭枝鶴(2010年10月襲名)の前名。それ以前に、「小鶴」等の表記を含め「笑福亭小つる」の存在が確認されている。 イラストレーター・エッセイストの和多田勝(6代目松鶴の甥)の少年時代の芸名である。 category:落語の名跡.

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笑福亭仁鶴 (3代目)

3代目笑福亭 仁鶴(しょうふくてい にかく、1937年〈昭和12年〉1月28日 - )は、日本の上方落語を演じる落語家である。本名、岡本 武士(おかもと たけし) コトバンク - 典拠は『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 コトバンク - 典拠は講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『タレントデータバンク』。 出囃子は「猩々くずし」または「だんじり」。深夜ラジオ番組の出演で当時の若者層から絶大な人気を博し、番組中に発した「どんなんかな~」が当たりギャグとなった読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.268-273「仁鶴時代の幕開け」。 所属事務所は吉本興業→よしもとクリエイティブ・エージェンシー(1964年 - )。上方落語協会会員、吉本興業特別顧問。身長165cm、体重58kg。血液型はO型。妻は吉本新喜劇に在籍した永隆子。大阪府豊中市在住。.

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笑福亭福笑

笑福亭 福笑(しょうふくてい ふくしょう)は、上方落語の回文の要素を用いた名。過去に「福笑」を名乗った落語家が存在する。.

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笑福亭笑瓶

笑福亭 笑瓶(しょうふくてい しょうへい、1956年11月7日 - )は、落語家・お笑いタレント。所属事務所は太田プロダクション。上方落語協会会員。 大阪府出身。興國高等学校、大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業。本名は渡士 洋(とし ひろし)。左利き。.

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笑福亭鶴光

笑福亭 鶴光(しょうふくてい つるこ)は、上方落語の名跡。当代は2代目。.

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笑福亭鶴笑

笑福亭 鶴笑(しょうふくてい かくしょう、1960年5月2日 - )は、兵庫県朝来郡山東町(現在の朝来市)出身の上方の落語家(上方噺家)。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。本名・金田 久和(かねだ ひさかず)。出囃子『ハリスの旋風』。.

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笑福亭鶴瓶

笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ)は、上方落語の名跡。.

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笑福亭枝鶴

笑福亭 枝鶴(しょうふくてい しかく)は、上方落語の名跡。笑福亭の出世名である。 1899年、4代目笑福亭松鶴が萬歳を名乗っていた頃、師匠・3代目松鶴が講談に転じたため、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)の門下に移り、両師の名から一字ずつ取り、桂枝鶴と名乗ったのが由来。後に笑福亭枝鶴となる。 5代目枝鶴が1987年に廃業した後は空き名跡となっていたが、2008年7月12日にかつて5代目枝鶴の弟子(5代目枝鶴廃業後は6代目松鶴弟子に転じる)であった笑福亭小つるが6代目枝鶴を襲名することが決定、2010年10月22日に襲名した。 。.

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笑福亭枝鶴 (6代目)

6代目笑福亭 枝鶴(しょうふくてい しかく、1957年6月26日 - )は、大阪市福島区出身の落語家。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員。本名は松高 良和(まつたか よしかず)。出囃子『だんじり』。前名は笑福亭 小つる(しょうふくてい こつる)。.

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笑福亭松之助

笑福亭 松之助(しょうふくてい まつのすけ)は落語の名跡。当代は2代目。.

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笑福亭松鶴 (5代目)

5代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1884年9月5日 - 1950年7月22日)は、上方噺家。大阪市出身。本名は竹内梅之助(たけうち うめのすけ)。妻は6代目林家正楽の娘。次男は6代目笑福亭松鶴。.

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笑福亭松鶴 (6代目)

6代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1918年8月17日 - 1986年9月5日)は、落語家。大阪府大阪市出身。生前は上方落語協会会長。本名は竹内 日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」。父は同じく落語家5代目笑福亭松鶴。母は落語家6代目林家正楽の養女。息子は同じく落語家5代目笑福亭枝鶴(後に廃業)。甥は笑福亭小つるを名乗って松鶴と共に若い頃修行していたこともある和多田勝。.

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笑福亭松鶴 (7代目)

7代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2月19日 - 1996年9月22日)は、日本の落語家。出囃子『独楽』。 前名は笑福亭 松葉(しょうふくてい まつば)。死後、7代目を追贈された。本名は倉本 雅生。享年44。.

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算段の平兵衛

算段の平兵衛(さんだんのへいべえ)は、上方落語の演目のひとつ。.

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米朝一門

結三柏は、桂米朝一門の定紋である。 米朝一門(べいちょういちもん)は、上方落語の復興に尽力してきた上方噺家・3代目桂米朝を師と仰ぐ落語家の一派。.

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米朝事務所

株式会社米朝事務所(べいちょうじむしょ)は、人間国宝の桂米朝や、桂ざこば、桂南光、桂米團治など米朝一門の大多数の落語家が所属する、落語芸能事務所。.

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紅梅亭

紅梅亭(こうばいてい)は、明治から大正時代にかけて大阪市ミナミ法善寺北側にあった寄席。前名「今嘉の席」(いまがのせき)。 初代桂文枝の死をきっかけに起こった二代目襲名問題で初代桂文三(後に2代目文枝から桂文左衛門を名乗った。)に敗れた桂文都は、「2代目月亭文都」と名乗り、当時の笑福亭一門、初代桂文團治一門とともに「浪花三友派」を結成したが、この時、三友派が本拠の定席としたのが今嘉の席であった。 1894年、資産家・原田ムメに買収され、東京の「白梅亭」に対抗して屋号を「紅梅亭」とした。 その後、法善寺南側の「金沢亭」の人気に押され、1918年には、その金沢亭を買収した吉本興業創始者の吉本泰三(吉本吉兵衛)・せい夫妻によって買収され、「西花月亭」と改称したが、その後閉館した。 6代目笑福亭松鶴によると、席亭の原田氏を2代目林家染丸、2代目桂圓枝、初代橘家蔵之助、3代目三遊亭圓馬の四人が連日南地のお茶屋に連れ出して散財させた。それが吉本興業への買収の原因であり、戦後期の上方落語衰退の一因であると述べている。 現在よみうりテレビ(近畿ローカル)で放送されている演芸バラエティ番組「平成紅梅亭」のタイトルは、この紅梅亭に由来する。番組のセットも当時の紅梅亭の雰囲気をそのまま生かしている。 Category:演芸場 Category:大阪府の文化.

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紀州弁

紀州弁(きしゅうべん)は、旧紀伊国(紀州)、すなわち和歌山県と三重県南部で話される日本語の方言である。和歌山県内では和歌山弁(わかやまべん)とも呼ばれる。近畿方言の一つ。.

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紀州飛脚

『紀州飛脚』(きしゅうびきゃく)は上方落語の演目の一つ。艶笑噺の代表的な演目である。.

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締め込み (落語)

締め込み(しめこみ)は、古典落語の演目のひとつ。同演題では、東京落語で広く演じられる。この項では、上方落語の盗人の仲裁(ぬすとのちゅうさい)についても記述する。.

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真景累ヶ淵

『真景累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)は、明治期の落語家・三遊亭圓朝によって創作された落語(怪談噺)。 江戸時代に流布した「累ヶ淵」の説話を下敷きにした作品である。圓朝の代表作の一つとされ、古典的評価を得ている。.

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猫の災難

猫の災難(ねこのさいなん)は古典落語の演目の一つ。原話は、安永6年(1777年)に出版された笑話本・「新落噺初鰹」の一遍である『初鰹』。 元々は上方落語の演目で、3代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。主な演者として、4代目柳家小さんや3代目三遊亭金馬、現代では10代目柳家小三治、3代目柳家権太楼などがいる。.

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煮売屋

売屋(にうりや)とは、江戸時代の日本に存在した煮魚・煮豆・煮染など、すぐに食べられる形に調理した惣菜を販売する商売のこと。菜屋(さいや)とも。 行商による振売りと店舗や屋台を構える者があり、後者の中には茶屋を兼業して商品を提供することが可能であった煮売茶屋(にうりちゃや)と呼ばれる形態もあった。 夕食のおかずとして煮売屋の惣菜を求める需要が高かった反面、夜間の煮売りは火災を惹き起こす危険性があった。このため、江戸では防火の観点から煮売屋の夜間営業を禁じる命令が寛文元年(1661年)から寛政11年(1799年)まで度々出されている。.

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牡丹灯籠

『ほたむとうろう』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 牡丹灯籠(ぼたん どうろう)、怪談牡丹灯籠は、明治の三遊亭圓朝25歳の時の作品。落語の怪談噺。 江戸時代末期の1861~1864年頃、浅井了意による怪奇物語集『御伽婢子』、深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て創作された。速記本が1884年(明治17年)に刊行されている。 このうち『御伽婢子』(寛文6年、西暦1666年刊)は、中国明代の怪奇小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』を翻案したもので、若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話だった。 圓朝はこの幽霊話に、仇討や殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げた。 圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の大真打が得意とした。 明治25年(1892年)7月には、三代目河竹新七により『怪異談牡丹灯籠』(かいだん ぼたん どうろう)として歌舞伎化され、五代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況だった。 以後、演劇や映画にも広く脚色され、特に二葉亭四迷は圓朝の速記本から言文一致体を編み出すなど、その後の芸能・文学面に多大な影響を与えた。.

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牛ほめ

牛ほめ(うしほめ)は落語の演目の一つ。原話は、貞享4年(1687年)に出版された笑話本・『はなし大全』の一遍である「火除けの札」。 元々は「池田の牛ほめ」という上方落語の演目で、主な演者に5代目春風亭柳昇や4代目春風亭柳好、春風亭一朝、上方の4代目桂文我などがいる。 別名「普請ほめ」。.

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百年目

『百年目』(ひゃくねんめ)は、落語の演目。元々は上方落語の演目で、のちに東京に移植された。一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという。3代目桂米朝、2代目桂小文治、2代目桂小南、6代目三遊亭圓生ら大看板が得意とした。.

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芝浜

『芝浜』(芝濱、しばはま)は古典落語の演目の一つ。三遊亭圓朝の作とされるが不確か。3代目桂三木助の改作が有名。三木助による名演以降、夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として知られるようになった。大晦日に演じられることが多い。また、5代目三遊亭圓楽が生前最後に演じた演目でも知られる。 演目名となった芝浜とは、もともと江戸時代の入間川(現在は全国で2番めに短い国道130号線)を挟んだ東海道の芝橋(現在は芝四丁目交差点)から薩摩藩邸までの間にあった海岸の網干場だったところで、現在の港区芝4丁目の第一京浜の南側にあたる(後述を参照)。.

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花花寄席

花花寄席(はなはなよせ)は、「なんばグランド花月」内「ヨシモト∞ホール大阪」で行なわれる落語会。.

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花菱アチャコ

花菱アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年7月10日 - 1974年7月25日)は、大正・昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木 徳郎。福井県勝山市出身。.

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花月亭九里丸

花月亭 九里丸(かげつてい くりまる、明治24年(1891年)10月10日 - 昭和37年(1962年)1月7日)は、大阪市南区西賑町出身の漫談家。本名は渡辺 力蔵。 父は、大阪で初めて楽隊を使ったチンドンマンの丹波屋九里丸(栗丸)。「ドンガラガッチャの九里丸」として人気者だった。花月亭九里丸も少年時代、父に付き従って九州や四国まで従業に参加。後に漫談で生かされるアイデアの多くは、チンドンを通して育まれた。 大正5年(1916年)1月に三升小紋(後の2代目三升紋弥)に入門。三升小鍋を名乗る。 その折に「大八会」に加入し後に「浪花落語反対派」所属。大正10年(1921年)に父が死去し九里丸の襲名の話が起き、大正11年(1922年)11月に吉本興業に買収されてから吉本泰三に花月亭九里丸を名乗らされる。大辻司郎に師事し「漫談創始」に呼応して大阪最初の漫談家となる。「金色夜叉」を全編大阪弁でやったり、特大しゃもじを手にして演奏する「滑稽琵琶」を考案し、笑いを振りまいた。 昭和9年頃(1934年ころ)に明朗塾を開いて後進の指導に力を入れた。また「西条ちかし」のペンネームで後進に新作漫才を書いている。 昭和31年(1956年)、初代桂春団治のエピソードをまとめた「すかたん名物男」を著書。昭和35年(1960年)、寄席のルール、しきたり、用語をまとめた「寄席楽屋事典」を著書。昭和36年(1961年)、芸人の経歴、師弟関係をまとめた系図本「笑根系図」を著書。同年9月7日、体調不良により引退興行を行う。墓所は京都府宇治市靖國寺。戒名は「芸咲院漫譚栗苑居士」。 芸は当初は落語をやっていたが舌足らずで口跡だったため落語家向きではなかった、そのため漫談や百面相をやっていた。その芸風はSPレコードが残されており芸をしのぶことができる。そのため、あだ名は「ひき臼」と呼ばれた、意味は「頭回って、下(舌)回らん」である(「古今東西落語家事典」より)。 弟子にクリカワ・クリスケ、九里夫・みどり、西条凡児らがいた。現在「九里丸」の名跡は吉本に考慮して漫談家が「河内亭九里丸」の名で名乗っている。.

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芸能事務所

芸能事務所(げいのうじむしょ)は、芸能人が芸能活動を円滑に進めるための支援を受け持つ企業。タレント事務所や芸能プロダクションとも呼ばれる。.

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道頓堀

道頓堀(どうとんぼり)は、大阪府大阪市中央区の繁華街および町名。または、同所の北を流れる道頓堀川の略称。 一部で「とんぼり」と略称される事もあるが定着しておらず、地元では略さずに「どうとんぼり」と表現している。(なお、かつては「どとんぼり」、「どとんほり」と呼ばれていたとする出典もある。).

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道頓堀角座

道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)は、.

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菊江の仏壇

菊江の仏壇(きくえのぶつだん)または菊江仏壇(きくえぶつだん)は古典落語の演目の一つ。原話は文化5年(1808年)に刊行された『浪花みやげ』の中の一遍である『幽霊』。別名「菊江佛壇」「菊江の佛壇」。 元々は上方落語の演目で、主な演者としては、5代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝や3代目桂米朝がいる。 江戸落語には明治初頭に移植され、初代三遊亭圓右や10代目金原亭馬生が『白ざつま』の題で演じている。東京で上方落語を高座にかけていた2代目桂小文治、2代目三遊亭百生、2代目桂小南らは『菊江仏壇』または『菊江の仏壇』で演じていた。現役では、桂歌丸が『菊江の仏壇』、柳家さん喬が『白ざつま』で手掛けている。妻を亡くした若旦那が豪遊するという、描写が賛否を分けることもあり、近年は殆ど寄席や落語会で演じられることはないという。.

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落ち

落ち(おち)とは、笑い話など物語の結末のこと。多くの場合おかしみのある部分だが怪談などの結末も指すため一概には言えない。下げ(さげ)とも言う。 演者が下げると客が落ちるという関係にあり、厳密には下げには演者の技量も含まれる。.

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落語

落語の口演 落語(らくご)は、江戸時代の日本で成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があり、「落としばなし」略して「はなし」ともいう。「はなし」は「話」または「噺」とも表記する。 都市に人口が集積することによって市民・大衆のための芸能として成立した。成立当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする落語家によって演じられることが多い。 能楽や歌舞伎など他の芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りのみで物語を進め、また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能である。.

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落語協会

一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2014年6月から四代目柳亭市馬が会長を務める。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員。.

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落語家一覧

落語家一覧は、落語家の五十音順一覧である。†印は空き名跡。.

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落語立川流

丸に左三蓋松は、立川流の定紋である 落語立川流(らくご たてかわりゅう)は、東京における落語家の団体の1つである。7代目立川談志とその一門により創設された。.

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落語芸術協会

公益社団法人落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会の名称であった。現在は桂歌丸が会長を務める。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。春風亭柳昇や桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して永年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、米丸の弟子の桂歌丸が会長を務めるなど古典落語の名人も多く所属している。.

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青菜 (落語)

青菜(あおな)は、古典落語の演目の一つ。.

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西成区

天下茶屋駅 西成区(にしなりく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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記録作成等の措置を講ずべき無形文化財

記録作成等の措置を講ずべき無形文化財(きろくさくせいとうのそちをこうずべきむけいぶんかざい)とは、重要無形文化財以外の無形文化財のうち、記録・保存・公開に関する経費の一部に公費による補助を充てることができるもの。文化庁長官によって選択される。選択無形文化財(せんたくむけいぶんかざい)ともいう。.

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読売新聞

読売新聞東京本社(千代田区大手町) 読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず) 2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座) 読売新聞中部支社新社屋 読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋 読売新聞大阪本社 読売新聞西部本社 読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社および株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。 題号は、江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。.

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高尾

尾(たかお、こうの).

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高砂や

や(たかさごや)は、落語の演目のひとつ。 かつては8代目春風亭柳枝や6代目春風亭柳橋などが演じ、現在は10代目柳家小三治が十八番にしている。.

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講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

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貧乏花見

貧乏花見(びんぼうはなみ)は、落語の演目。元々は上方落語の演目の一つである。江戸落語では「長屋の花見」。 上方では、初代桂春團治、5代目笑福亭松鶴、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴。東京では、3代目蝶花楼馬楽、4代目柳家小さん、5代目柳家小さん、林家彦六、10代目柳家小三治の得意な演目である。.

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鴻池の犬

鴻池の犬(こうのいけのいぬ)は上方落語の演目の一つ。.

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軽口

*上方落語の古い別称。.

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軽業

軽業(かるわざ).

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黄金餅

金餅(こがねもち)は、古典落語の演目のひとつ。主に東京で広く演じられる。.

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近畿地方

近畿地方の地形図 近畿地方(きんきちほう)は、本州中西部に位置する日本の地域である。かつての畿内とその周辺地域から構成される。難波宮、平城宮、平安宮、以降東京遷都までの王城の地で、現在は関東地方に次ぐ日本第二の都市圏・経済圏であり、西日本の中核である。 近畿地方の範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・三重県・滋賀県・和歌山県の2府5県(7府県)を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.408 ISBN 4-09-523101-7。構成府県については範囲節も参照。.

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近畿方言

近畿方言(きんきほうげん)は、主に近畿地方で用いられる日本語の方言の総称である。西日本方言に属する。上代から近世中期までの中央語である畿内語・近世上方語の系統を汲む方言で、現在も東京方言や首都圏方言に次ぐ認知度と影響力を持つ(#歴史参照)。 関西弁(かんさいべん)とも呼ばれるが、「関西弁」と「近畿方言」では指すものが必ずしも一致せず、例えば漠然と西日本全域の方言を包括して「関西弁」と呼ぶこともある『国語学大辞典』東京堂出版、1995年、国語学会編、188頁。。.

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近日息子

近日息子(きんじつむすこ)は上方落語の演目の一つである。.

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露の五郎兵衛一門

露の五郎兵衛一門(つゆのごろべえいちもん)は、2代目露の五郎兵衛を頂点とする落語家の一派。一門会「露の会」を開催している。.

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関山和夫

関山 和夫(せきやま かずお、1929年10月8日 -2013年5月9日)は、日本の民俗学者、話芸研究者、佛教大学名誉教授、元京都西山短期大学学長。.

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金刀比羅宮

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社である。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。.

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金沢亭

金沢亭(かなざわてい)は、明治時代から太平洋戦争末期にかけて大阪市ミナミ法善寺南側にあった寄席。のちに「南地花月」と改称した。旧字表記では「金澤亭」。 2代目桂文枝襲名問題で一門が分裂すると、文枝の名跡を継いだ桂文三は一門を率いて「桂派」を結成。この金沢亭を拠点とし、浪花三友派の定席だった紅梅亭と覇を競った。 大正のはじめ頃、吉本興業創始者の吉本泰三・せい夫妻によって買収。屋号は「蓬莱館」から1915年に「南地花月」と改め、落語だけでなく漫才や奇術等色物を多くかけるようになった。 太平洋戦争が激化する中、1944年に建物疎開の指定を受け、閉鎖された。 なお、「札幌繁栄図録」によれば、1892年頃の札幌市に同名の寄席が存在した。 Category:演芸場 Category:落語.

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酢豆腐

酢豆腐(すどうふ)は、落語の演目。ここでは、派生した「あくぬけ」、上方落語の「ちりとてちん」についても記述する。 原話は、江戸時代中期の1763年(宝暦13年)に発行された『軽口太平楽』の一編である「酢豆腐」。これを、明治時代になって初代柳家小せんが落語として完成させた。8代目桂文楽が十八番にした。さらに、3代目柳家小さんの門下生だった初代柳家小はんが改作した物が、後述する「ちりとてちん」で、これは後に大阪へ「輸入」され、初代桂春団治が得意とした。この「ちりとてちん」は後にもう一度東京へ「逆輸入」され、桂文朝等が使っていたのをはじめ、現在では、柳家さん喬や柳家花緑らも演じており、東京の寄席でもなじみのある噺となっている。.

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色物

色物(いろもの、いろもん).

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集英社

株式会社集英社(しゅうえいしゃ)は、日本の総合出版社。『週刊少年ジャンプ』『週刊プレイボーイ』『non-no』『すばる』 『Myojo』などの雑誌を発行している。社名は「英知が集う」の意味。.

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通天閣劇場TENGEKI

通天閣劇場TENGEKI(つうてんかくげきじょうてんげき)は、大阪市浪速区の新世界にあった通天閣観光の地下劇場「STUDIO210」にて、2008年7月5日から2013年6月29日まで行っていた松竹芸能の演芸興行の名称。通称はTENGEKI(てんげき)。 2009年7月5日は1周年を記念して入場料1円キャンペーンを実施した。.

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連続テレビ小説

『連続テレビ小説』(れんぞくテレビしょうせつ)は、1961年(昭和36年)から放送されているNHKのテレビドラマシリーズ(帯ドラマ形式の連続ドラマ)。通称は朝ドラ(あさドラ)。.

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TORII HALL

TORII HALL(トリイホール)とは、株式会社鳥居ビルが運営している大阪市中央区千日前にある上方ビルの4階にある劇場。1991年に設立。収容100名ほどの小劇場で、落語、講談、演劇、音楽ができるフリースペースである。.

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柳家小さん (3代目)

3代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1857年9月20日 - 1930年11月29日)は落語家。本名は豊島銀之助。生家は一橋家家臣の家である。.

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柳家三亀松

初代柳家 三亀松(しょだい やなぎや みきまつ、1901年9月1日 - 1968年1月20日)は都々逸、三味線漫談家、粋談。本名・伊藤亀太郎(いとう かめたろう)。出囃子は『佃』。1962年設立の東京演芸協会会長。当時住んでいた住所から「池之端の師匠」と呼ばれた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。弟の隆啓は映画俳優だったが若くして戦争で亡くなっている。.

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柳家金語楼

初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。旧字体による芸名表記は柳家金語樓。.

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林家とみ

林家 とみ(はやしや とみ、1883年(明治16年)11月26日 - 1970年(昭和45年)4月1日は、三味線奏者。本名は岡本 トミ(おかもと とみ、旧姓:岩崎)。上方落語でお囃子(下座)として活躍した。愛称は「おとみさん」「おはやしのおとみさん」「おとみはん」等。夫は落語家の2代目林家染丸。 大阪都島の生まれ、9人兄弟で男4人、女5人の八番目。兄弟は皆学校に通っていたが学校嫌いで、何とか勉強させようと友人に三味線の師匠がいたので稽古を始める。寄席に人手が足りないということで26歳で寄席の下座として「井戸の辻席」に出勤。師匠は3代目桂文團治の妻のまさ。大阪中の寄席の下座を勤め上げた。 1914年に2代目染丸と結婚し「林家とみ」を名乗る。新町の瓢亭、和泉町(現在の和泉市)の此花館、法善寺の紅梅亭、堀江の賑江亭、北の花月、松島花月などを掛け持ち戦後は四ツ橋文楽座、戎橋松竹、歌舞伎座地下劇場、最後は千日劇場で勤めた。 明治末から大正・戦前の上方落語の全盛期を知る寄席囃子の第一人者。太平洋戦争前後から衰退の危機にあった上方落語の楽屋での中心人物であった。特に芸事には厳しく、戎橋松竹や千日劇場では、内弟子段階の落語家や漫才師に対して厳しく接していた。門下生も多く育て、現在上方に受け継がれているお囃子や上方林家のはめものや音曲噺はほとんどがとみの残していった物である。一方で無類の酒好きとしても知られた。1967年3月の千日劇場閉館と共に事実上引退。1969年8月9日大阪三越劇場での「三越落語会」において引退披露興行が行なわれた。 1970年(昭和45年)4月1日、早朝7時30分に住吉区帝塚山の自宅で老衰で死去。 1962年(昭和37年)3月、大衆演芸としての初の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財選択。1969年4月勲七等宝冠章を受章。2004年(平成16年)に第8回上方演芸の殿堂入り。 2002年(平成14年)「三十三回忌を偲んで」追善寄席下座がワッハ上方演芸ホールで開催され、現在の上方林家一門、上方お囃子が総出演した 音源としては、朝日放送に多数残されていた出囃子やはめものの録音が1957年にレコード化された。これは2008年に「上方落語寄席囃子集」としてCDで復刻されている。 1969年(昭和44年)6月、NHKでの放送の田辺聖子原作の「極楽夫婦」のモデル、また2008年(平成20年)6月には「中村美律子特別公演中条きよし特別出演出ばやし一代」では中村美津子がとみ役を演じた。.

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林家小染 (5代目)

林家 小染(はやしや こそめ、1963年2月21日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の落語家。本名は上村 政二(かみむら せいじ)。寄席囃子三味線奏者の入谷和女は元妻。林家染八は和女との実子に当たる。出囃子は『たぬき』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。.

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林家染丸 (4代目)

4代目林家 染丸(はやしや そめまる、1949年(昭和24年)10月10日 - )は、大阪市西成区天下茶屋出身の落語家。本名は木村 行志(きむら こうし)。出囃子は『正札付』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会相談役。.

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林家染丸一門

林家染丸一門(はやしやそめまるいちもん)は、4代目林家染丸を師と仰ぐ落語家(上方)の一派。紋は「ぬの字うさぎ」。 東京の林家正蔵などの林家や、元来の上方林家(林家正三、林家正楽)とは別の系統にあたる。これは、現在の上方林家が、4代目笑福亭松鶴襲名争いに敗れた4代目笑福亭松喬が2代目林家染丸を襲名し興したものであるため。したがって上方林家は笑福亭の傍流とされる。元来の系統はその後6代目林家正楽で途絶えた。.

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林家染三

林家 染三(はやしや そめざ 下記の3代目のみ そめぞう)は上方落語の名跡。幕末から存在する古い名跡。本名・秋山三郎の染三を3代目とする説が有力。.

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林家染語楼

林家 染語楼(はやしや そめごろう)は、上方落語の名跡。4代目の死後は空き名跡となっている。なお、初代は林家染五郎であるが、便宜上、この項に含める。旧字体は「林家染語樓」と表記。.

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林家染語楼 (3代目)

3代目 林家 染語楼(3だいめ はやしや そめごろう、1918年(大正7年)7月5日 - 1975年(昭和50年)1月18日)は、上方噺家。本名: 鹿田吉彦。出囃子は『野球拳』または『鞍馬』。 大阪市阿倍野区に、時計商の子として生まれる。1937年(昭和12年)4月、2代目林家染丸に入門、3代目林家小染を名乗る。翌年の1938年(昭和13年)に大阪市東区内本町松竹席で初舞台。3代目林家染丸は兄弟子である。 子供の頃は初代桂春團治の物真似で周囲の大人を笑わせていたという。実家の家業を手伝いながら修業を続けた。戦中戦後の上方落語はどん底の状態にあり、ほとんどの落語家たちは落語一本で食べていける状態ではなく、他の仕事を兼ねていたのである。例えば、先輩の4代目桂米團治は代書屋。4代目桂文枝は舞踊の師匠。戦後入門した3代目桂米之助は大阪市交通局に勤めていた。自身は家業を勤めていたが戦争直前に廃業、戦時中は消防署に勤務していた。その後戦後直後は鉄工所を経営していた。 2足のわらじでどうにか落語を続けていたが、1950年(昭和25年)から新作落語を演じるようになる。宝塚落語会の発足と共に入会し芸能活動一本にしぼり、1955年(昭和30年)7月から一・一(かずのはじめ(時にかずはじめ)、あだ名はピンピンさん)と改名、桂春坊(のちの2代目露の五郎兵衛)・桂我太呂(のちの3代目桂文我)・旭堂小南陵(のちの3代目旭堂南陵)らと参加。司会漫談を行う。 上方落語協会には設立から2年後の1959年(昭和34年)4月4日付で桂春坊らともに加入。同年には三越で新作のみのリサイタル独演会開催。1962年(昭和37年)には新作のみの独演会を三越で開催。1962年(昭和37年)4月、3代目林家染語楼を襲名。以後は上方落語界の中堅として活躍した。 持ちネタは、自作自演の新作がほとんどで、明快な口調でどこか近代的なセンスも感じられた。野球のユニフォームを着て演じる爆笑ものの「食堂野球」、戦争で生き別れた恋人の再会物語に大阪市営地下鉄御堂筋線の駅名を織り込んだ小粋な「地下鉄」、戦後の街角風景をスケッチした「青空散髪」、大阪名物をテーマにした機知に富んだ「お好み焼」、ナンセンスな「市民税」のほか、漫才の松鶴家光晴・浮世亭夢若のネタの落語化「社長の計算」などがある。本名の名字をもじった「シカタタカシ」のペンネームで60あまりの新作を書き残している。古典落語でも「口合根問」「煮売屋」などの珍しいネタも得意とした。一・一時代は司会や漫談等もこなした。 実子は4代目林家染語楼で、父譲りの作品を継承したが、2005年に死去した。孫が林家市楼。弟子には林家健坊(廃業)がいる。 Category:落語家 Category:大阪市出身の人物 Category:1918年生 Category:1975年没.

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林家染語楼 (4代目)

4代目林家染語楼(はやしや そめごろう、1950年5月19日 - 2005年3月29日)は上方の落語家。3代目の次男で林家市楼は実の息子。上方落語協会理事も務めた。本名:鹿田佳歩。出囃子は『鞍馬』。。 愛称は前名から市染に因み「市ちゃん」。.

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林家正三

林家 正三(はやしや しょうざ)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。なお、4代目は同時期に2人存在した。.

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林正之助

林 正之助(はやし しょうのすけ、1899年1月23日 - 1991年4月24日)は、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。.

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東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

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東山区

東山区(ひがしやまく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。 区内には祇園や三条京阪周辺などの繁華街がある。鴨川左岸の平野部は早くから市街化されているが、東山の西麓には大規模な寺社が林立する。景観条例等の規制が比較的厳しいこともあって、他の区で見られるような山間部の住宅開発は行われておらず、人口は11区中最も少ない。なお、当区の65歳以上の高齢者比率は11区中最も高く、全国の政令指定都市の行政区の中でも6番目に高い。.

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松富久亭松竹

松富久亭(笑福亭) 松竹(しょうふくてい しょちく)は、上方落語の名跡。笑福亭一門の祖である。4代目の死後は、空き名跡となっている。 現在の所、初代松竹の生没年・詳細等は一切残されておらず、実在についても不明。しかし、安政年間(1854年~1860年)には、門下に初代笑福亭吾竹、初代笑福亭松鶴が登場する。共に亭号を「松富久亭」から「笑福亭」に改めた。2代目以降は笑福亭松竹となるが、便宜上、この項で一括して扱う。 大阪では「学校」を「がっこ」と読むなど母音を省略するのが一般的で、この松竹も「しょうちく」ではなく「しょちく」と読むのが正式な読み方である。.

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松屋町

松屋町(まつやまち、まっちゃまち)とは、大阪市中央区の町名。2005年10月1日現在の人口は967人。郵便番号は542-0067。.

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松島遊廓

松島遊廓(まつしまゆうかく)は、かつて大阪府大阪市西区にあった遊廓、赤線。松島新地とも呼ばれる。現在もちょんの間が存在する。.

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松竹芸能

松竹芸能株式会社(しょうちくげいのう)は、大阪府大阪市中央区道頓堀に本社を置く芸能事務所。松竹の連結子会社である。吉本興業と並び、上方演芸界の二大プロダクションのひとつ。.

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松鶴一門

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 松鶴一門(しょかくいちもん)とは、上方落語の復興に尽力し、昭和の「上方落語の四天王」の1人である6代目笑福亭松鶴を師と仰ぐ落語家の一派のことである。.

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桂ざこば (2代目)

2代目 桂 ざこば(にだいめ かつら ざこば、1947年9月21日 - )は、上方の落語家、タレント。本名、関口 弘(せきぐち ひろむ)。血液型はO型。2人姉弟の長男(姉1人)。 大阪府大阪市西成区出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(相談役)。前名は桂 朝丸(かつら ちょうまる)。出囃子は「御船」(ぎょせん)。愛称は「ざこびっち」。桂雀々とは夫人同士が姉妹であるため義兄弟の間柄。甥(ざこばの妻の弟の子)にJAY'ED。.

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桂ざこば (初代)

桂ざこば(かつら ざこば、1866年4月25日 - 1938年9月19日)は、日本の落語家。本名: 小倉 幸次郎(おぐら こうじろう、『上方はなし』には小倉省三とある、旧姓は楠原とも)。初代桂春団治に影響を与えた。.

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桂あやめ (3代目)

3代目 桂 あやめ(3だいめ かつら あやめ、本名:入谷 ゆか(いりたに ゆか)、1964年1月31日(戸籍上は2月1日) - )は、兵庫県神戸市兵庫区出身の女性落語家。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会、上方落語協会茶道部「楽茶会」会員。出囃子は「菖蒲浴衣」。夙川学院高校中退。 寄席囃子三味線方の林家和女は実姉、5代目林家小染は義兄。当代林家染八は甥。.

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桂南天

桂 南天(かつら なんてん)は、上方落語の名跡。.

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桂南天 (2代目)

2代目桂 南天(かつら なんてん、1967年12月27日 - )は大阪府枚方市出身、四條畷市在住の落語家。本名は尾崎 裕一(おざき ゆういち)で、旧芸名は桂 こごろう。所属事務所は米朝事務所で、出囃子は「復興節」。.

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桂右之助

桂 右之助(かつら うのすけ、1903年 - 1971年3月6日)は、上方噺家(上方の落語家)。本名は鹿島卯之助。 大阪・豊中生まれ。当初、職を持ちながら寄席に通い、下足番に頼み込んで落語家になったが、どこの門下にも属さなかった。そのため、席亭の計らいで右之助(本名の鹿島卯之助にちなんで)の名をもらった。あまり目立った活躍はなかったが、2代目桂花團治に稽古を付けてもらい、下座として重宝された。晩年、吉本の劇場でヘタリをやったり、京都の落語会や特別な会に出演する一方、橘ノ圓都、3代目笑福亭福松、4代目桂文團治、初代桂南天らと同様、精力的に3代目桂米朝、3代目桂春団治ら若手を指導し、古典落語の継承に努めた。よくやっていたネタは「厄払い」「始末の極意」「みかんや」等があった。喘息のため、故郷の豊中で死去した。 NHKに出演する際は、桂藤松を名乗っていた時期もある。 なお、桂米朝は、粗筋しか分からなかった「骨釣り」「矢橋船」等の噺を右之助に聴き取り、今聴くようなきちんとした内容に仕立て直した。 非常に几帳面で、楽屋でも着物、雑巾、鳴り物の道具などがきっちりテーブル台に揃っていないと気になったという。漫才の西都ハロー・ジローのハローの義手まできっちり揃えていたというエピソードがある。.

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桂吉弥

桂 吉弥(かつら きちや、1971年2月25日 - )は、大阪府茨木市出身の落語家、俳優。上方落語協会会員で、所属事務所は米朝事務所。『真室川音頭』を高座の出囃子に用いる縁で、山形県真室川町の観光親善大使「まむろがわ大使」を務めている。また、妻の出身地に当たる島根県安来市から、「安来市ふるさと大使」を委嘱されている。 2人の子どもを持つ既婚者で、現在の本名は富谷 竜作(とみや りゅうさく)。旧姓は新保(しんぼ)だったが、結婚を機に富谷姓を名乗っている。現在は、兵庫県尼崎市に在住。.

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桂吉朝

桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2005年11月8日)は、大阪府堺市出身の落語家。本名は上田 浩久(うえだ ひろひさ)。出囃子は、『外記猿』。.

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桂塩鯛

桂 塩鯛(かつら しおだい)は、上方落語の名跡。本来の旧字体の表記は「鹽鯛」。現在は4代目。.

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桂塩鯛 (4代目)

4代目桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - )は落語家。京都府京都市生まれ。本名は山下 眞史(やました ただし)。所属事務所は米朝事務所。上方落語協会理事。2代目桂ざこば一門の筆頭弟子である。前名は桂都丸(かつら とまる)。京都出身であることと、ざこばの当時の名である朝丸からと名付けられた。出囃子は「鯛や鯛」(都丸時代は「猫じゃ猫じゃ」)。既婚。茨木市在住。.

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桂小春団治

桂 小春団治(かつら こはるだんじ)は、上方落語の名跡。本来の表記は「小春團治」である。当代は3代目。.

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桂小春団治 (3代目)

3代目桂 小春団治(かつら こはるだんじ、1958年2月15日 - )は大阪府大阪市生まれ(小学校2年生時に同府門真市に転居)の落語家。本名は三島 広幸(みしま ひろゆき)。Facebookは本名で活動。妻はラジオDJの横山由美子。上方落語協会会員。所属事務所は松竹芸能。 大阪市立高等学校卒業。立命館大学中退。出囃子は『小春團治囃子』。.

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桂小文治 (2代目)

2代目(一説には初代)桂 小文治(かつら こぶんじ、1893年(明治26年)3月28日 - 1967年(昭和42年)11月28日は、大正・昭和期に活躍した落語家。本名は稲田 裕次郎。出囃子は『野崎』。.

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桂三度

桂 三度(かつら さんど、本名:渡邊 鐘(わたなべ あつむ)、1969年8月27日 - )は、日本の落語家、お笑いタレント、放送作家。滋賀県高島郡安曇川町(高島市)出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。NSC大阪校10期生。 1991年より漫才コンビ、ジャリズムのボケ担当・渡辺 あつむ(わたなべ あつむ)として活動し、1998年のジャリズム解散以降は主に放送作家として活動。2004年のジャリズム再結成以降漫才師として復帰し、並行して「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになります」とするピン芸ネタを中心とした活動を世界のナベアツ(せかいのナベアツ)名義でも行う。2011年に再びジャリズムを解散させ、落語家に転身し現高座名に改名。上方落語協会会員。.

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桂三木助 (2代目)

2代目 桂 三木助(2だいめ かつら みきすけ、1884年11月27日 - 1943年12月1日)は、大阪の落語家。本名: 松尾 福松。享年59。.

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桂喜丸

桂 喜丸(かつら きまる、1956年7月19日 - 2004年4月14日)は上方噺家。兵庫県加西郡泉町(現・加西市)出身。本名は酒井 公弘(さかい きみひろ)。法政大学工学部建築学科卒。.

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桂福團治

桂 福團治(かつら ふくだんじ)は上方落語の名跡。当代は4代目。なお、初代笑福亭福松系統の笑福亭福團治とは別の名跡。.

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桂米之助 (3代目)

3代目 桂 米之助(3だいめ かつら よねのすけ、1928年11月8日 - 1999年3月5日)は、上方噺家。大阪府大阪市出身。本名は矢倉 悦夫。出囃子は「おそづけ」。.

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桂米團治 (4代目)

4代目 桂 米團治(4だいめ かつら よねだんじ、1896年9月3日 - 1951年10月23日)は、落語家(上方噺家)。本名は中濱 賢三(なかはま けんぞう)。出囃子は『羯鼓』。.

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桂米團治 (5代目)

5代目桂 米團治(かつら よねだんじ、1958年12月20日 - )は、落語家。大阪府大阪市中央区出身。本名は中川 明(なかがわ あきら)。実父は落語家で人間国宝の3代目桂米朝。米朝事務所代表取締役社長。上方落語協会会員。出囃子は「三下り羯鼓」。前名は3代目桂小米朝。.

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桂米紫

桂 米紫(かつら べいし)は上方落語の名跡。.

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桂米朝 (3代目)

3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所。尼崎市に住んだ。.

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桂米朝集成

『桂米朝集成』(かつらべいちょう・しゅうせい)は、落語家・三代目桂米朝の著書。(その他編著者:豊田善敬,戸田学)岩波書店・2004年-2005年出版。 人間国宝である落語家の米朝は上方演芸研究家としても著名で、この書籍は上方落語、上方文化のこれまでの研究成果を紹介したほか、米朝自らの芸歴、米朝の友人との座談会・対談・エッセーなどを全4巻にまとめて執筆した豪華本である。.

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桂鯛蔵

桂 鯛蔵(かつら たいぞう)は、上方落語の名跡。本来の旧字体の表記は「鯛藏」。「鯛蔵」の鯛は、初代桂文團治のあだ名「塩鯛」から。 2010年8月に桂都丸門下の桂さん都が2代目「鯛蔵」として襲名。ちなみに師匠都丸は4代目桂塩鯛を襲名した。さん都は2代目として襲名したが、初代文團治門下の他に、明治元年の稲荷桂派の看板にも同一人物か不明の「鯛蔵」の名があるため、過去に何代続いたか不明。米朝事務所のHPにも当代の代数は記載されていない。.

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桂枝雀 (2代目)

2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。長男は桂りょうば。 師匠米朝と並び、上方落語界を代表する人気噺家となったが、1999年3月に自殺を図り、意識が回復することなく4月19日に心不全のため死去した。。他、同世代の噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称されている。.

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桂歌之助 (2代目)

2代目 桂 歌之助(かつら うたのすけ、1946年7月30日 - 2002年1月2日)は岡山県岡山市出身の落語家。本名は北村 和喜(きたむら かずよし)。出囃子は『たぬき』または『八島官女』。.

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桂歌之助 (3代目)

3代目 桂 歌之助(3だいめ かつら うたのすけ、1971年3月13日 - )は、大阪府高槻市出身の落語家。本名は横田 純一郎(よこた じゅんいちろう)。 千葉大学工学部卒業後、1997年3月に2代目桂歌之助に入門し、歌々志(かかし)を名乗る。同年5月の「歌之助百噺」にて初舞台。師匠・歌之助は2002年に没したため、唯一の弟子となった。米朝事務所所属。上方落語協会会員。.

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桂派

桂派(かつらは)とは、明治から昭和初期まで存在した上方落語の諸派。.

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桂春団治 (2代目)

2代目 桂 春団治(2だいめ かつら はるだんじ、1894年8月5日 - 1953年2月25日)は、落語家(上方噺家)。本名: 河合 浅次郎。出囃子は「野崎」。名は、旧字体で「春團治」とも表記する。.

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桂春団治 (3代目)

花菱は、桂春団治一門の定紋である。ただし春団治はそれに三重の菱形で囲った「菱三升に花菱」の紋を使用。 三代目 桂 春団治(さんだいめ かつら はるだんじ、1930年3月25日 - 2016年1月9日)は、落語家。本名:河合 一(かわい はじめ)。大阪府大阪市出身。旧字体を春團治。所属事務所は松竹芸能に所属していた。上方落語協会会員(相談役、第3代会長)。出囃子は『野崎』。.

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桂春団治 (初代)

初代 桂 春団治(しょだい かつら はるだんじ、1878年8月4日 - 1934年10月6日)は、上方落語の落語家。 従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作をはかり、天才的かつ巧みな話術で、爆笑王として人気を集め、戦前の上方落語界のスーパースター的存在となった。当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだ。「奇行」とも評された奔放な私生活がのちに伝説化し、脚色が加えられ、小説、演劇、歌謡曲などの題材となった(後述)。 本名は皮田 藤吉(かわだ とうきち)。最後の妻・岩井志う(いわい じゅう)との結婚では春団治が婿入りという形をとったため、以後、本名は岩井 藤吉(いわい とうきち)と変わった。.

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桂春蝶 (2代目)

2代目桂 春蝶(かつら しゅんちょう、1941年〈昭和16年〉10月5日 - 1993年〈平成5年〉1月4日)は、大阪府大阪市出身の落語家。本名、濱田 憲彦(はまだ のりひこ)。出囃子は『月の巻』。.

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桂春蝶 (3代目)

3代目桂 春蝶(かつら しゅんちょう、1975年1月14日 - )は、上方の落語家。前名は桂 春菜(かつら はるな)。.

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桂春駒

桂 春駒(かつら はるこま)は、落語家・色物の名跡。当代は3代目か4代目であると推測される。.

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桂文太

桂 文太(かつら ぶんた)は落語家の名前。.

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桂文左衛門

桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 1916年5月16日)は、紀州粉河(現在の和歌山県紀の川市)生まれの上方噺家。本名: 渡辺儀助。享年72。.

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桂文三

桂 文三(かつら ぶんざ)は、上方落語の名跡。本名跡は約90年絶えていたが、桂つく枝が2009年5月16日に五代目を襲名した。.

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桂文三 (3代目)

3代目 桂 文三(3だいめ かつら ぶんざ、1858年 - 1917年7月16日)は落語家(上方噺家)。俗に「赤俥の文三」「盲目の文三」。本名: 高田留吉。享年57。 船場安土町丼池の上番匠の子。早くに父を亡くし、放蕩生活を送る。年少時から芸事に通じ、最初は芝居の唄歌いになるつもりだった。3代目桂文吾門下で吾市、のち2代目桂文昇門下で當昇。その後、2代目林家木鶴の持ち席の天満亀の池の木鶴席の前叩きに出るのを師匠に反対され、「昇」の字を返上し當笑を名乗り、京都幾代席に出勤していた。1886年(明治19年)4月ころから9月まで2代目林家染丸を名乗り、京都で活躍していた(なお、この染丸は代数に入れず)。 同年に初代桂文團治の誘いで帰阪するが、ほどなくして文團治がコレラに罹患して没したので、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)門下で初代桂扇枝となり、法善寺東の席(後の金澤亭)に出る。それまでは美声を活かした音曲噺を得意にしていたが、喉を痛め断念。「松づくし」という踊りで人気を集め、成功する。これは、碁盤の上に山桐一本歯の下駄をはき、両手両足、果ては顔にまで、松模様の金泥の扇子を広げる技巧的な踊りである。またはじめたころはバランスがなかなか上手くいかず、下駄屋出身2代目桂梅枝(「オッペケペーの梅枝」)が特製の山桐一本歯の下駄を製作し踊ったところ上手くいき十八番にした。 人気者となった扇枝は、1894年7月(明治27年)、師・文枝の前名である3代目桂文三を襲名。赤い人力車を乗り回し、金の鎖や指輪を見せびらかしては、派手な衣装の影から刺青をちらつかせたりする文三の振る舞いは、大阪の名物でもあった。赤い人力車は、後に初代桂春團治のエピソードに付会されたことでも知られている。 1908年(明治41年)、師と衝突して桂派を除名され、再び京都に移る。翌年、桂派に復帰するも長続きせず、1910年(明治43年)8月、三友派に移籍するなど、落ち着きがなかった。 1914年(大正3年)ころには脊髄癆を病み、両眼失明の憂き目に遭う。晩年には法善寺紅梅亭席主・原田政吉の自宅へ引き取られ、世話を受けていた。1917年(大正6年)、師の一周忌法要を施主として勤め、遺言により2代目桂文左衛門を襲名予定であった、また文三回と称して得意ネタを一席ずつ演じネタが尽きたら引退し売り上げを余生の資金するという独演会を計画したが、その矢先に心臓病で死亡した。 桂派の真打として一世を風靡したが、晩年は悲惨で、失明のため板付き(高座に座り通しで、幕の開閉によって一席を開始・終了すること)であった。堺の天神席に出演の際、高座で一席やりだしたが、それまでは薄い入りながらもいた客が、文三の高座の時には皆帰ってしまって、客席には誰もいない。囃子場にいた前座の桂團寿(後の橘ノ圓都)が「お師匠はん、お客さん一人も居やはらしまへんで」と、見かねて声を掛けると、「え、一人も居やはらへんのか」と絶句して、実に悲しそうな表情をしたと言う、つらいエピソードが残されている。だが、失明後の時期の方が芸のあくが抜けて、名人と評されたのは皮肉であった。その上手さについては、当時人気実力一番の初代春團治が、「師匠の後の高座には俺の無茶な芸では、素面ではよう出られへん。」と酒を飲んで出たというエピソードが残されている。 ネタの多くは病気がちの2代目桂文三を車夫をしながら覚えたという。 新作も物にし、今もしばしば演じられる『ぜんざい公社』の原型は、この3代目文三の作である。その他にも『百年目』『植木屋娘』等を得意とした。 墓所は大阪四天王寺(壽法寺)。 弟子には、実子でもある4代目桂文三のほか、初代桂ざこば、5代目桂小文吾、2代目桂扇枝、3代目桂扇枝、桂團丸、桂三五郎、桂文雀、桂次郎坊、4代目三遊亭圓馬、4代目古今亭今輔らがいる。.

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桂文三 (5代目)

5代目桂 文三(かつら ぶんざ、1967年7月25日 - )は、大阪府柏原市出身の落語家。本名は三宅 胤清(みやけ たねきよ)。前名は「桂つく枝(つくし)」。出囃子は「助六上がり」(つく枝時代は「春藤」)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属、上方落語協会会員。.

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桂文珍

桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年12月10日 - )は、日本の落語家、タレント。本名、西田 勤。 兵庫県多紀郡篠山町(現:篠山市)福井出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。大芋小学校、東雲中学校(現:篠山東中学校)、篠山鳳鳴高校を経て、大阪産業大学卒朝日新聞 2015年10月7日付掲載「わたしの半生 落語家・桂文珍:3 66歳」。5代目桂文枝の弟子で出囃子は『円馬ばやし』。「桂珍幻彩」の名で高座に上がることもある。.

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桂文紅

桂 文紅(かつら ぶんこう)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。.

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桂文紅 (4代目)

4代目 桂 文紅(4だいめ かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、大阪の落語家。出囃子は『お兼晒し』。大阪府生まれ。寝屋川高等学校、立命館大学文学部出身。本名:奥村 壽賀男(おくむら すがお)。。上方落語の世界初の大学卒業の噺家。.

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桂文蝶

桂 文蝶(かつら ぶんちょう)は、落語家の名。.

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桂文枝

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 桂 文枝(かつら ぶんし)は、上方落語の名跡。現在は6代目。桂文治の名跡が東京に移ってからは、事実上、上方桂一門の止め名となっている。 なお「文枝」の名跡は、元は初代文枝の師匠であった上方4代目桂文治の前名であるが、現在は代数に数えられていない。 文枝代々の紋は、漢字の「文」をあしらった(4つの「文」を丸くつなげた)文枝紋である。.

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桂文枝 (5代目)

5代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方噺家(上方の落語家)。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。.

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桂文枝 (6代目)

六代 桂 文枝(ろくだい かつら ぶんし、1943年7月16日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会前会長(第6代)。上方落語の名跡『桂文枝』の当代。 吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。師匠は桂小文枝(後の5代目桂文枝)。一般的に上方落語の世界では、単に「六代目」と言えば専ら6代目笑福亭松鶴を指すため「六代 桂 文枝」としている。現在、同一司会者によるトーク番組の最長放送世界記録保持者として、記録更新中である。.

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桂文楽 (8代目)

8代目桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の5代目古今亭志ん生と併び称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。 演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。.

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桂文治 (7代目)

7代目 桂 文治(7だいめ かつら ぶんじ、嘉永元年4月15日(1848年5月17日) - 昭和3年(1928年)9月18日)は、大阪の落語家。.

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桂文治 (初代)

初代 桂 文治(かつら ぶんじ、安永2年(1773年)(逆算)- 文化12年11月29日(1815年12月29日))は落語家。本名伊丹屋惣兵衛(宗兵衛とも)。息子は同じく落語家2代目桂文治。.

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桂文我 (3代目)

3代目桂 文我(かつら ぶんが、1933年(昭和8年)7月5日 - 1992年(平成4年)8月16日)は、戦後の上方落語家。本名は石木 正一。出囃子は「せり」。.

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桂文我 (4代目)

4代目桂文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東 幸浩(おおひがし ゆきひろ)。出囃子は「せり」。.

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横山エンタツ

横山 エンタツ(よこやま エンタツ, 1896年(明治29年)4月22日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見(いしだ まさみ)。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、「万才」に代わり「しゃべくり漫才」を発明し今につながる漫才ブームを作った。また、エンタツは現在の(全国的に流布した)漫才スタイルの元祖でもあった。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。.

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橘ノ圓 (初代)

初代橘ノ 圓(たちばなの まどか、1868年 - 1935年6月29日)は、落語家。本名、五十嵐銀次郎。兄は2代目三遊亭圓馬。.

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橘ノ圓都

橘ノ 圓都(たちばなの えんと、1883年3月3日 - 1972年8月20日)は、神戸出身の落語家。本名:池田豊次郎。享年89。出囃子は『薮入り』。.

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毎日放送

株式会社毎日放送(まいにちほうそう、Mainichi Broadcasting System, Inc.、略称: MBS)は、近畿広域圏を放送対象地域とする特定地上基幹放送事業者である。 大阪府内では唯一の同一法人による中波放送(AMラジオ放送)とテレビジョン放送の兼営局で、ラジオ放送はJRNおよびNRNとのクロスネット局、テレビ放送はJNN系列の準キー局である。 2017年4月1日、旧法人の株式会社毎日放送が認定放送持株会社に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」(エムビーエスメディアホールディングス)に変更、放送事業などの現業全般は会社分割により設立された新法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。本項では会社としての毎日放送について説明する。 ラジオ放送についてはMBSラジオを、テレビ放送についてはMBSテレビを参照。.

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永谷商事

永谷商事株式会社(ながたにしょうじ)は、東京都武蔵野市に本社を置く不動産会社である。 1945年(昭和20年)に上野駅前で開業した手荷物預り所を経て、1959年(昭和34年)に株式会社として設立された。不動産の賃貸・仲介・管理などの業務のほか、日本の伝統芸能である、落語・講談・浪曲・新内・義太夫などの公演の場である演芸場である永谷ホールを運営する。.

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江戸荒物

江戸荒物(えどあらもの)は、上方落語の演目の一つ。.

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江戸言葉

江戸言葉(えどことば)または江戸弁(えどべん)とは、東京都中心部(かつての江戸)で使われていた日本語の方言である。江戸なまりや江戸語などとも呼ばれるほか、下町言葉(したまちことば)と呼ばれることもある。西関東方言に分類され、山の手言葉等と共に東京方言を構成する。 話芸や文芸でも使用され、時代劇や江戸落語などでよく聴かれるのは江戸っ子の「べらんめえ調(べらんめえ口調)」である。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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池田の猪買い

池田の猪買い(いけだのししかい)は上方落語の演目で、北の旅噺の一つ。 初代露の五郎兵衛作「露休置土産 巻四」(1707)の「野猪の蘇生」が原話。初代桂春團治、二代目三遊亭百生、三代目桂米朝、二代目桂枝雀、二代目桂ざこば、三代目笑福亭仁鶴、桂文珍など多くの演者がいる。.

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河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.

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法善寺

---- 法善寺(ほうぜんじ)は、大阪府大阪市中央区難波にある浄土宗の寺院。.

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深川江戸資料館

深川江戸資料館(ふかがわえどしりょうかん)は、江東区立の江戸時代に関する資料等を収集、保存及び展示している資料館。公益財団法人江東区文化コミュニティ財団が指定管理者として、管理・運営している。.

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漫才

漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。近畿圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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朝日放送

朝日放送(あさひほうそう).

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月亭可朝

初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年3月10日 - 2018年3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)、兵庫県西宮市在住の落語家・漫談家。本名は鈴木 傑(すずき まさる)。通称「カチョヤン」。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 所属事務所は変遷をたどった。デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーとなる。.

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月亭太遊

月亭 太遊(つきてい たいゆう、1984年4月21日 - )は、大分県竹田市出身の落語家、お笑い芸人。血液型はA型。本名は後藤 征平 (ごとう しょうへい)。.

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月亭方正

月亭 方正(つきてい ほうせい、1968年2月15日 - )は、日本の落語家、お笑いタレント。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。NSC6期生。本名および旧芸名は山崎 邦正(やまさき ほうせい)。 兵庫県西宮市出身で大阪府箕面市在住(サンケイスポーツ 2012年8月21日11:22配信 2013年1月1日閲覧)。既婚であり、息子が1人と娘が2人いる。兵庫県立西宮南高等学校、立正大学心理学部卒業。 同大学院心理学研究科修士課程中退。 2013年1月より芸名を本名「山崎 邦正」から、高座名「月亭 方正」に改名。上方落語協会会員。出囃子は「ヤマザキ一番」。.

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月亭文都

月亭文都(つきてい ぶんと)は、上方落語家の名跡。過去にこの名を名乗った人物は2名存在する。 1.

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月亭文都 (2代目)

2代目 月亭 文都(にだいめ つきてい ぶんと、1843年 - 1900年4月25日)は、日本の落語家(上方噺家)。本名: 岡田龜吉。出囃子は『玉川くずし』。.

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月亭文都 (7代目)

7代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 - )は上方噺家。出囃子は「おかめ」(替えは「楠公」)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型はB型。本名は宮田 健司(みやた けんじ)。月亭文都の当代である。初名は「月亭八天」。.

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有馬小便

有馬小便(ありましょんべん)は、上方落語の演目の一つ。原話は、米沢彦八が元禄16年(1703年)に出版した「軽口御前男」の第四巻・「有馬の身すぎ」。.

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戎橋松竹

戎橋松竹(えびすばししょうちく)は、かつて大阪市中央区(旧・南区)に存在した演芸場。千日土地建物(のち千土地興行をへて日本ドリーム観光)経営。終戦直後における大阪唯一の寄席として知られた。通称・戎松(えびしょう、えびまつ).

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戸田学

戸田 学(とだ まなぶ、1963年(岩波書店ウェブサイト。「著者紹介」欄を参照) - )は、大阪府堺市生まれの作家・映画評論家。 落語、演芸、映画への造詣が深く、特に渥美清や黒澤明等の映画に精通している。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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春団治一門

春団治一門(はるだんじいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、3代目桂春団治を頂点とする落語家の一派。2000年より毎年4月29日には、春団治三代の碑がある池田市で「春団治まつり」を開催している。一門の多くは松竹芸能に所属するが、他の芸能事務所に所属する者やフリーで活動している者もいる。名前については「團」の字を用いる場合もあるが、ここでは「団」に統一した。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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浄瑠璃

浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫がを語る音曲・劇場音楽である。 詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめてと呼ぶ。 江戸時代初期以降、個々の太夫の口演が「――節」と呼ばれるようになり、その後流派として成立して、現在は義太夫節義太夫節は浄瑠璃の一流派であるが、上方では義太夫節以外の一中節・豊後節・宮薗節などが早くに廃れたため、「浄瑠璃」がもっぱら義太夫節を意味する場合がある。・河東節・一中節・常磐津節・富本節・清元節・新内節・宮薗節(薗八節)の8流派が存在する。 単独で素浄瑠璃として演じられるほか、流派によっては人形劇である人形浄瑠璃として(文楽など)、歌舞伎音楽として、日本舞踊の伴奏として演じられる(流派ごとの上演形態については後述)。 はリンク切れ)、義太夫節に特有の事項なので、当記事ではなく、記事「義太夫節#演出面から見た人形浄瑠璃と丸本歌舞伎」 での言及が妥当であろう -->.

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新世界 (大阪)

新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。.

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新京極通

新京極通、京都市中京区。 新京極通(しんきょうごくどおり)は、京都市中京区の南北の通りの一つ。三条通から四条通までの比較的短い通りである。.

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新作落語

新作落語(しんさくらくご)、創作落語(そうさくらくご)は、日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。 明治期における三遊亭圓朝による「牡丹灯篭」「真景累ヶ淵」やオペラを翻案した「死神」、後に上方に伝わって昭和戦後期に「ぜんざい公社」となる「御膳しるこ」などをその嚆矢とすることができる。.

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新花月

新花月(しんかげつ)は、かつて大阪府大阪市浪速区の歓楽街「新世界」のジャンジャン町(南陽通り商店街)にあった劇場。主に松竹芸能系の若手の登竜門的な存在の場であったが、吉本興業など他のプロダクションに現在所属するベテラン芸人の中にも、初舞台を踏んだ者は少なくない。.

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新開地

新開地(しんかいち)は、兵庫県神戸市兵庫区南部の地名。旧湊東区・兵庫区との区境の役割をはたす。戦前から昭和30年代半ばにおいて神戸の中心的市街地であった。古くからのオフィス街、歓楽街であり、現在は三宮に業務機能が集中しているものの、現在もなおオフィスや店舗の多い地域である。 BIG MAN(ゲート).

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文七元結

文七元結(ぶんしち もっとい)は、三遊亭圓朝の創作で、落語のうち、人情噺のひとつ。登場人物が多く、長い演目であり、情の中におかし味を持たせなくてはならないという理由から、難しい一題とされ、逆に、これができれば一人前ともいわれる。『人情噺文七元結』(にんじょうばなし ぶんしち もっとい)として歌舞伎でも演じられる。 成り立ちは、幕末から明治初期にかけての江戸。薩摩・長州の田舎侍が我が物顔で江戸を闊歩していることが気に食わず、江戸っ子の心意気を誇張して魅せるために作ったとされる。江戸っ子気質が行き過ぎて描写されるのはこのためである。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう、Bungeishunju Ltd.)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。.

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文枝一門

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 文枝一門(ぶんしいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、5代目桂文枝を頂点とする落語家の一派。主によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属するが、文福のように個人事務所を設立している者(2010年よしもと復帰)や、松竹芸能に所属する者(文鹿が在籍していたが2014年退社)もいる。 5代目文枝は生前に桂派の由緒ある名跡(文枝、小文枝、文吾、小文吾、文左衛門、花橘など)を預かっているとされる。2012年7月16日には筆頭弟子の三枝が「六代 桂文枝」を襲名した。.

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日本経済新聞

日本経済新聞(にほんけいざいしんぶん、題字:日本經濟新聞、The Nikkei)は、日本経済新聞社の発行する新聞(経済紙)であり、広義の全国紙の一つ。略称は日経(にっけい)、または日経新聞(にっけいしんぶん)。日本ABC協会調べによると販売部数は2017年10月で朝刊約260万部、夕刊約127万部である。最大印刷ページ数は48ページである。.

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日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

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旭堂南陵

旭堂 南陵(きょくどう なんりょう)は、上方講談(講釈師)の大名跡。旭堂一門の留め名。本来は「あさひどう」と読ませていたが江戸と区別させる為「きょくどう」となった。 特に2代目が著名で上方講談の復興に尽力し活躍、業績から「大南陵」と呼ばれ次代の3代目は「小南陵」と呼ばれる。.

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扇子

沈折(しずめおり)の白扇。白扇は古くは贈答の品として使われた。 扇子(せんす)とは、あおいで風を起こす道具のひとつ。また儀礼、芸能で用いられる。ただし古くは扇(おうぎ)と呼ぶのが普通であった。「おうぎ」という言葉は古くは「あふぐ」(扇ぐ)の派生形の「阿布岐(あふぎ)」と呼ばれたが、日本語の変化により関連がわかりにくくなった。.

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手拭

手拭(てぬぐい)は、汗や顔や手を洗った後の水を拭ったり、入浴時に体を洗ったりするための木綿の平織りの布である。その他、寒暑除けや塵除けなどの目的や、祭礼においての装身具として頭にかぶるものである。 鎖手拭(くさりてぬぐい)については鎖帷子を参照。置手拭兜(おきてぬぐいかぶと)については兜を参照。.

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拍子木

拍子木(ひょうしぎ)とは、「拍子」を取るための木の音具。柝(き)。『和漢三才図会』には、「俗にいう拍子木(と表記する)」と記され、近世期では、「柝」と記して、「ひょうしぎ」と読ませている。に持って打ち合わせると、カン、カンと高い澄んだ音が出る。日本では古来様々な用途に用いられてきた。 紫檀、黒檀、花梨、樫など堅い木材を細長い四角の棒状に切り、2本1組にして紐で男結びにしてつなぐ。紐は長めで、使わないときは自分の首にかけてぶら下げておくことができる。 紐を結ばない「かまぼこ型拍子木」もある。2本組であることが基本で、数え方の単位は「組」「対」である。.

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景清 (落語)

『景清』(かげきよ)は、古典落語で上方落語の演目の一つ。この作品は笑福亭吾竹の作といわれて、後世に改作などを繰り返し現在の形になったとされる。3代目三遊亭圓馬によって江戸落語にも伝えられた。.

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時そば

『時そば』(ときそば)は、古典落語の演目の一つ。『刻そば』とも。 内容は蕎麦の屋台で起こる滑稽話であり、数多い古典落語の中でも、一般的に広く知られた演目の一つである。「時そば」と書かれることが多いが「時蕎麦」と書かれることもある。 1726年(享保11年)の笑話本「軽口初笑」の「他人は喰より」が元となっている。これは、主人公が中間であり、そばきりの価格は6文であった。.

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時うどん

時うどん(ときうどん)は古典落語の演目。 享保11年(1726年)の笑話本『軽口初笑』の「他人は喰うより」が元となっている。江戸落語の「時そば」類似の滑稽噺であり、サゲも「時そば」と同じである。.

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1080分落語会

1080分落語会(せんはちじゅっぷんらくごかい)は、1971年11月11日午前7時から、翌日の11月12日午前1時にかけて開催された#読売大阪文化部1999#環1985上方落語界におけるホール落語の単発イベントおよび、同名の特別番組。 朝日放送主催、上方落語協会後援、不二食品協賛。会場はABCホール(2代目)。 タイトル通り1080分(18時間)という異例の長時間で行われたイベントであり、観客が多数詰めかけ、上方落語ブームのきっかけとなった。また、主催の朝日放送により全席がラジオ放送で生中継のうえ、放送音声が録音され再放送用アーカイブとなったほか、その一部が3枚組LPレコードとして発売された(後述)。.

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11月13日

11月13日(じゅういちがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から317日目(閏年では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。.

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1932年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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1951年

記載なし。

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1957年

記載なし。

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1959年

記載なし。

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1962年

記載なし。

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1966年

記載なし。

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1971年

記載なし。

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1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

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1974年

記載なし。

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1975年

記載なし。

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1979年

記載なし。

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1984年

この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。.

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1986年

この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.

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1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

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1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

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1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。.

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

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2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

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2004年

この項目では、国際的な視点に基づいた2004年について記載する。.

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2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

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2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

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2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

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2月

2月(にがつ)はグレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日、閏年では29日となる。 他の月の日数が30または31日なのに対して、 英語の呼び名である February はローマ神話のフェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。.

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6月7日

6月7日(ろくがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から158日目(閏年では159日目)にあたり、年末まであと207日ある。誕生花はイワカガミ、カルセオラリア。.

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7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

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9月15日

9月15日(くがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から258日目(閏年では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。.

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9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.

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