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林家染丸一門

索引 林家染丸一門

林家染丸一門(はやしやそめまるいちもん)は、4代目林家染丸を師と仰ぐ落語家(上方)の一派。紋は「ぬの字うさぎ」。 東京の林家正蔵などの林家や、元来の上方林家(林家正三、林家正楽)とは別の系統にあたる。これは、現在の上方林家が、4代目笑福亭松鶴襲名争いに敗れた4代目笑福亭松喬が2代目林家染丸を襲名し興したものであるため。したがって上方林家は笑福亭の傍流とされる。元来の系統はその後6代目林家正楽で途絶えた。.

59 関係: 古今亭志ん生 (3代目)吉本興業山田薫岡八朗上岡龍太郎上方噺家上方落語上方落語協会オール阪神・巨人タレントよしもとクリエイティブ・エージェンシー笑福亭仁勇笑福亭松喬笑福亭松鶴米朝一門落語家落語家一覧蝶花楼馬楽露の五郎兵衛一門露の新治柳家小三治柳派林家そめすけ林家うさぎ林家卯三郎林家小染 (4代目)林家小染 (5代目)林家市楼林家彦六林家和女林家竹丸林家笑丸林家花丸林家菊丸 (3代目)林家染太林家染左林家染丸林家染丸 (4代目)林家染之助林家染二林家染八林家染語楼 (3代目)林家染語楼 (4代目)林家染雀林家正三林家正蔵林家正楽松鶴一門桂あやめ (3代目)桂米朝 (3代目)...桂枝光桂文枝 (5代目)橘家圓三橘ノ圓都漫談漫才月亭可朝春団治一門文枝一門 インデックスを展開 (9 もっと) »

古今亭志ん生 (3代目)

3代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、文久3年9月5日(1863年10月17日) - 大正7年(1918年)5月10日)は、明治・大正期に活躍した東京の落語家。本名、小瀬 岩松(後に和田と改姓)。通称「軍鶏の志ん生」(※なぜ軍鶏と呼ばれたかは説が諸説あり、当時新橋にあった「今松」という軍鶏を食べる専門店があってその今松からという説と、名前の岩松が似ていたからという説が知られている、他にも顔が軍鶏に似ていたなど)。 前身は大工であったといい、4代目立川談志の門下で4代目立川談笑を名乗って流しの声色師をしていた、1882年ころに2代目古今亭今輔の門で今三郎、今松となりやがて屋号を変えて1888年12月に初代むかし家今松、1896年5月に真打で5代目雷門助六を襲名。 1910年12月に3代目古今亭志ん生を襲名したが大正に入り病気がちになり心機一転1913年6月初代古今亭雷門と改名し、翌年1月に3代目古今庵志ん生、また翌年6月に古今庵雷門に戻し1917年8月にはまた新たに発足した睦会に所属し3代目の志ん生にと改名、この間に持病のぜんそくで休演が増え人気が下火になり改名を繰り返したとされる。一時小石川で「初音亭」という名の寄席を経営していた。 7代目市川團蔵の声色が売りであった。 墓所は新宿区法身寺。 SPレコードは歌舞伎の声色中心に残されている。 弟子に、雷門のち横目家助平(利倉常次郎)、4代目古今亭志ん生、4代目古今亭志ん馬、4代目五明楼玉輔、6代目雷門助六、雷門のち春雨家雷蔵、上方に移住した古今亭のち三遊亭志ん蔵など。 実の娘は常盤津文字喜代と言い、後に上方に出向き3代目笑福亭福松の門下になり文の家たよりと改名、その後同じ一門の文の家恋しくと結婚末、相方となり漫才師になった。.

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吉本興業

吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、)は、大阪府大阪市中央区(登記上の本店)と東京都新宿区に本社 を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称「吉本」、「よしもと」。 1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。現在の東京証券取引所で上場廃止され、その後TOBで非上場化され、在京・在阪の主要民放局などが主要株主となっている。 日本経済団体連合会と日本商品化権協会加盟。.

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山田薫

山田 薫(やまだ かおる、1853年5月24日(嘉永6年4月17日) - 1925年(大正14年)8月17日)は、日本の薬学者。正四位勲三等221頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月13日閲覧。。薬学博士。宮内省侍医療薬剤師長。日本薬学会名誉会員。薬剤師試験委員。族籍は福井県士族や34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月13日閲覧。や33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月4日閲覧。。.

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岡八朗

岡 八朗(おか はちろう、本名・市岡 輝夫〔いちおか てるお〕、1938年(昭和13年)4月16日 - 2005年(平成17年)7月26日)は、喜劇俳優。2003年(平成15年)4月16日以前の芸名は「岡 八郎」。兵庫県尼崎市出身。長女はゴスペル歌手の市岡裕子。 盟友の花紀京と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築いて長きに渡って君臨した。.

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上岡龍太郎

上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年3月20日午前7時31分 - )は、日本の元漫才師、タレント、司会者である。本名:小林 龍太郎。旧芸名、横山 パンチ、伊井 パンチ。他、講談師旭堂 南蛇(なんじゃ)として高座に出演。また、落語立川流の門下でもあり、高座名・立川右太衛門を持つ。上岡劇団座長。二人兄妹の長男。血液型はAB型。 京都府京都市左京区黒谷町出身。2000年に芸能界を引退。長男は映画監督の小林聖太郎。ミキ (お笑いコンビ)は甥(実妹の長男・二男).

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上方噺家

上方噺家(かみがたはなしか)とは、上方落語の噺家(落語家)のこと。一般的には「上方落語家」「上方落語の噺家(落語家)」などと称する。 現存する亭号は、桂、笑福亭、林家、月亭、橘家、立花家、露(の)、森乃、(明石家)である。かつては立川、三遊亭もあったが、前者は明治期に、後者は太平洋戦争後に断絶している。 現在では上方落語協会などを設立している。.

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上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

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上方落語協会

公益社団法人上方落語協会(かみがたらくごきょうかい)は、近畿を中心に活動する落語家などが組織する公益法人。上方落語を中心とする寄席芸能の普及向上、継承・保持を図り、日本の文化の発展に寄与することを目的としている。現会長(7代)は笑福亭仁智。.

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オール阪神・巨人

ール阪神・巨人(オールはんしん・きょじん)は、日本の漫才コンビ。吉本興業大阪本社所属。 1975年4月にコンビ結成。コンビ名は毎日放送の公開バラエティ番組『ヤングおー!おー!』内で桂三枝(現・六代桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されたものである。.

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タレント

タレントとは、 に由来する語句であり、日本においては、テレビやラジオなどのメディアおよび各種イベントに出演し出演料を得ることを収入源としている人(本業としている人だけでなく、副業や一種のアルバイトとしている人なども含めて)の一般的呼称である。.

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よしもとクリエイティブ・エージェンシー

株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーは、大阪市中央区・東京都新宿区に本社(登記上の本店は大阪)を置く吉本興業グループの芸能プロダクション・プロモーター・テレビ番組制作プロダクションである。.

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笑福亭仁勇

笑福亭 仁勇(しょうふくてい にゆう、1958年9月4日 - 2017年12月16日)は大阪市出身の落語家。本名は山澤 健二(やまざわ けんじ)。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。上方落語協会会員。.

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笑福亭松喬

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 笑福亭 松喬(しょうふくてい しょきょう)は上方落語の名跡。2017年に6代目門下の笑福亭三喬が7代目を襲名した。.

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笑福亭松鶴

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく)は、上方落語の名跡。1996年に7代目が松葉へ追贈されて以来、空位となっている。笑福亭一門の止め名。 なお、大阪弁では長音を省略する場合があり、「松鶴」を「しょかく」と読むのは一種の読み癖である(「鶴光」を「つるこ」、「鶴瓶」を「つるべ」などと読むのも同じ)。そのため、古い史料等には「しょうかく」と記されているものもある。なお、4代目吹き込みのSPレコードでは、自らを「しょかく」と名乗っている。歌舞伎の名跡では、尾上松鶴は「しょうかく」と読む。 なお、代々(墓として残されているのは3代目以降)の墓所は大阪市天王寺区四天王寺2丁目の壽法寺(別名・紅葉寺)にある。毎年6代目の命日9月5日には松鶴一門が所属事務所の枠を超え集まり歴代の松鶴を偲ぶ法事が行なわれる。.

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米朝一門

結三柏は、桂米朝一門の定紋である。 米朝一門(べいちょういちもん)は、上方落語の復興に尽力してきた上方噺家・3代目桂米朝を師と仰ぐ落語家の一派。.

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落語家

落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。 落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。.

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落語家一覧

落語家一覧は、落語家の五十音順一覧である。†印は空き名跡。.

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蝶花楼馬楽

蝶花楼 馬楽(ちょうかろう ばらく)は落語家の名跡。旧字体は蝶花樓馬樂。当代は7代目。 名の由来は唐の八仙のひとり張果老の「瓢箪から馬を出す」の一節から。.

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露の五郎兵衛一門

露の五郎兵衛一門(つゆのごろべえいちもん)は、2代目露の五郎兵衛を頂点とする落語家の一派。一門会「露の会」を開催している。.

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露の新治

露の新治(つゆのしんじ、1951年1月8日- )は、大阪府大阪市生野区生まれの落語家。本名は前川 弘行。出囃子は『金比羅』。.

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柳家小三治

柳家 小三治(やなぎや こさんじ)は落語家の名跡である。当代は10代目。 この名跡は中堅どころの位置付けであるが、「柳家(柳派)の出世名」といわれる。初代・5代目・9代目小三治が柳派の総帥・留め名である「柳家小さん」を襲名した一つ前の名となるからである。.

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柳派

柳派(やなぎは)は、江戸(東京)落語の一派のことである。.

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林家そめすけ

林家 そめすけ(はやしや-、1966年(昭和41年)11月24日 - )は、大阪府大阪市出身の落語家、ものまねタレント。本名は林 将記。堺市立工業高等学校機械科卒業。上方落語協会会員。.

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林家うさぎ

林家 うさぎ(はやしや うさぎ)は、上方落語の名跡。廃業した者も含めると3、4人程度確認が出来る。.

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林家卯三郎

林家 卯三郎(はやしや うさぶろう、1970年2月2日 - )は、上方落語の落語家。本名は小川 祐之介(おがわ ゆうのすけ)。岐阜県羽島郡笠松町出身。酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業。1995年獣医師免許取得。 出囃子は『兎々』。紋は、うさぎ(ぬの字うさぎ)。大自然いっぱいの北海道で落研に入り落語に目覚め、乳牛を相手に落語の練習に励む。.

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林家小染 (4代目)

4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 - 1984年1月31日)は、大阪府大阪市出身の上方噺家。本名: 山田 昇(やまだ のぼる)。出囃子は『たぬき』。.

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林家小染 (5代目)

林家 小染(はやしや こそめ、1963年2月21日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の落語家。本名は上村 政二(かみむら せいじ)。寄席囃子三味線奏者の入谷和女は元妻。林家染八は和女との実子に当たる。出囃子は『たぬき』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。.

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林家市楼

林家 市楼(はやしや いちろう、本名:鹿田 圭人、1980年4月13日 - )は上方の落語家。実父は4代目染語楼、祖父は3代目という落語家一家。上方落語協会会員。.

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林家彦六

林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家。東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目。俗に「彦六の正蔵」。 出囃子は『菖蒲浴衣(あやめ浴衣)』。噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」と呼ばれた。妻は岡本マキ。息子は日本舞踊家花柳衛彦。芝居噺や怪談噺を得意とし、「林家正蔵」の名を更に高めた。.

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林家和女

入谷 和女(いりたに かずめ、1961年(昭和36年)4月21日 - )は、神戸市兵庫区出身の落語囃子方。本名は上村和女。上方落語協会所属。 夫は落語家の林家小染。息子は林家染八。桂あやめは実妹にあたる。 主な活動では夫の出演する落語会のほかに週1回土曜日にヨシモト∞ホール大阪で行なわれる「花花寄席」の下座を担当。 2013年に芸名の姓を「林家」から「入谷」に改名。協会ホームページにおける本名表記も「入谷和女」となっており、小染との離婚が考えられるが、双方および家族(あやめ、染八)は詳細を明らかにしていない。.

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林家竹丸

林家 竹丸(はやしや たけまる、1965年(昭和40年)8月1日 - )は、日本の落語家。上方落語協会会員。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。本名は前田仁(まえだ ひとし)。.

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林家笑丸

林家 笑丸(はやしや えみまる、1974年(昭和49年)2月15日 - )は、大阪府交野市出身の落語家であり漫談家。本名は松崎 勝彦(まつざき かつひこ)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。.

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林家花丸

林家 花丸(はやしや はなまる)は、上方落語の名跡。当代は特に代数を名乗っていないが、過去には2、3名の存在が確認できる。 なお、他に「花丸」の名跡では桂花丸があり、上方では初代桂花團治や3代目笑福亭枝鶴が名乗った。東京では3代目桂枝太郎(桂歌丸門下)が二つ目時代に名乗っていた。.

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林家菊丸 (3代目)

3代目 林家 菊丸(さんだいめ はやしや きくまる、1974年7月16日 - )は、三重県四日市市出身の落語家。本名は池山 博一(いけやま ひろかず)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。前名は林家 染弥(はやしや そめや)。.

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林家染太

林家 染太(はやしや そめた、1975年(昭和50年)10月5日 - )は、愛媛県松山市出身の落語家である。本名は荻山 志行(おぎやま しこう)。出囃子は『野球拳』。上方落語協会会員。.

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林家染左

林家 染左(はやしや そめざ、1971年(昭和46年)10月5日 - )は、兵庫県宝塚市出身の落語家。4代目林家染丸を師匠に持つ。所属はフリー。本名は中川望。 兄は芸能史研究家の中川桂。.

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林家染丸

林家染丸(はやしや そめまる)は、上方落語の名跡。現在は上方林家の事実上の止め名。当代は4代目。初代・2代目と卯年の生まれであったため、代々うさぎ(ぬの字うさぎ)を定紋としている。 なお、3代目桂文三が2代目染丸を名乗っていた時期があったが、短期間であったため、現在は代数に数えられていない。.

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林家染丸 (4代目)

4代目林家 染丸(はやしや そめまる、1949年(昭和24年)10月10日 - )は、大阪市西成区天下茶屋出身の落語家。本名は木村 行志(きむら こうし)。出囃子は『正札付』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会相談役。.

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林家染之助

林家 染之助(はやしや そめのすけ)は、上方落語の名。現在は空き名跡となっている。 過去に名乗った人物が5人、存在する。.

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林家染二

林家 染二(はやしや そめじ)は、上方落語の名跡。当代は3代目。.

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林家染八

林家 染八(はやしや そめはち)は、上方落語の名跡。当代は3代目だが、特に代数を名乗っているわけではない。.

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林家染語楼 (3代目)

3代目 林家 染語楼(3だいめ はやしや そめごろう、1918年(大正7年)7月5日 - 1975年(昭和50年)1月18日)は、上方噺家。本名: 鹿田吉彦。出囃子は『野球拳』または『鞍馬』。 大阪市阿倍野区に、時計商の子として生まれる。1937年(昭和12年)4月、2代目林家染丸に入門、3代目林家小染を名乗る。翌年の1938年(昭和13年)に大阪市東区内本町松竹席で初舞台。3代目林家染丸は兄弟子である。 子供の頃は初代桂春團治の物真似で周囲の大人を笑わせていたという。実家の家業を手伝いながら修業を続けた。戦中戦後の上方落語はどん底の状態にあり、ほとんどの落語家たちは落語一本で食べていける状態ではなく、他の仕事を兼ねていたのである。例えば、先輩の4代目桂米團治は代書屋。4代目桂文枝は舞踊の師匠。戦後入門した3代目桂米之助は大阪市交通局に勤めていた。自身は家業を勤めていたが戦争直前に廃業、戦時中は消防署に勤務していた。その後戦後直後は鉄工所を経営していた。 2足のわらじでどうにか落語を続けていたが、1950年(昭和25年)から新作落語を演じるようになる。宝塚落語会の発足と共に入会し芸能活動一本にしぼり、1955年(昭和30年)7月から一・一(かずのはじめ(時にかずはじめ)、あだ名はピンピンさん)と改名、桂春坊(のちの2代目露の五郎兵衛)・桂我太呂(のちの3代目桂文我)・旭堂小南陵(のちの3代目旭堂南陵)らと参加。司会漫談を行う。 上方落語協会には設立から2年後の1959年(昭和34年)4月4日付で桂春坊らともに加入。同年には三越で新作のみのリサイタル独演会開催。1962年(昭和37年)には新作のみの独演会を三越で開催。1962年(昭和37年)4月、3代目林家染語楼を襲名。以後は上方落語界の中堅として活躍した。 持ちネタは、自作自演の新作がほとんどで、明快な口調でどこか近代的なセンスも感じられた。野球のユニフォームを着て演じる爆笑ものの「食堂野球」、戦争で生き別れた恋人の再会物語に大阪市営地下鉄御堂筋線の駅名を織り込んだ小粋な「地下鉄」、戦後の街角風景をスケッチした「青空散髪」、大阪名物をテーマにした機知に富んだ「お好み焼」、ナンセンスな「市民税」のほか、漫才の松鶴家光晴・浮世亭夢若のネタの落語化「社長の計算」などがある。本名の名字をもじった「シカタタカシ」のペンネームで60あまりの新作を書き残している。古典落語でも「口合根問」「煮売屋」などの珍しいネタも得意とした。一・一時代は司会や漫談等もこなした。 実子は4代目林家染語楼で、父譲りの作品を継承したが、2005年に死去した。孫が林家市楼。弟子には林家健坊(廃業)がいる。 Category:落語家 Category:大阪市出身の人物 Category:1918年生 Category:1975年没.

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林家染語楼 (4代目)

4代目林家染語楼(はやしや そめごろう、1950年5月19日 - 2005年3月29日)は上方の落語家。3代目の次男で林家市楼は実の息子。上方落語協会理事も務めた。本名:鹿田佳歩。出囃子は『鞍馬』。。 愛称は前名から市染に因み「市ちゃん」。.

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林家染雀

林家 染雀(はやしや そめじゃく)は、落語家・色物の名。 過去に染雀を名乗った人物が数名確認できる。 林家 染雀(先代?) - 3代目桂文都の門下で都鶴から2代目林家染丸門下で染雀。後にへたり(お囃子の下座)になる。 ---- 林家 染雀(はやしや そめじゃく、1967年(昭和42年)8月8日 - )は、大阪府八尾市出身の落語家。本名は東 精一。大阪大学文学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。 叔母はオペラ歌手の東敦子。.

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林家正三

林家 正三(はやしや しょうざ)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。なお、4代目は同時期に2人存在した。.

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林家正蔵

林家 正蔵(はやしや しょうぞう、旧字体は林家正藏)は、江戸・東京の落語家の名跡。当代は9代目。 1811年(文化8年)初代から4代目までは林屋正藏、1888年(明治21年)5代目から林家正蔵となった。江戸(東京)・林家の留め名(止め名)。.

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林家正楽

林家 正楽(はやしや しょうらく)は落語家の名跡。林家正楽の名跡は、江戸落語、上方落語にそれぞれある。尚寄席の神楽に柳貴家正楽名跡が存在する。.

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松鶴一門

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 松鶴一門(しょかくいちもん)とは、上方落語の復興に尽力し、昭和の「上方落語の四天王」の1人である6代目笑福亭松鶴を師と仰ぐ落語家の一派のことである。.

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桂あやめ (3代目)

3代目 桂 あやめ(3だいめ かつら あやめ、本名:入谷 ゆか(いりたに ゆか)、1964年1月31日(戸籍上は2月1日) - )は、兵庫県神戸市兵庫区出身の女性落語家。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会、上方落語協会茶道部「楽茶会」会員。出囃子は「菖蒲浴衣」。夙川学院高校中退。 寄席囃子三味線方の林家和女は実姉、5代目林家小染は義兄。当代林家染八は甥。.

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桂米朝 (3代目)

3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所。尼崎市に住んだ。.

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桂枝光

桂 枝光(かつら しこう)は、上方落語の名跡。当代は2代目。.

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桂文枝 (5代目)

5代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方噺家(上方の落語家)。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。.

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橘家圓三

橘家 圓三(たちばなや えんざ)は、落語の名。「橘家」の亭号は元来、東京の三遊亭の傍流であるが、当代は上方の落語家。.

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橘ノ圓都

橘ノ 圓都(たちばなの えんと、1883年3月3日 - 1972年8月20日)は、神戸出身の落語家。本名:池田豊次郎。享年89。出囃子は『薮入り』。.

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漫談

漫談(まんだん)とは、初代大辻司郎が命名したとされる、大正ごろに創設された演芸である。元来は音声付き映画(トーキー)が主流となったため失業した無声映画(活動写真)の活動弁士が、巧みな話術を生かして寄席の高座等に出演したのを発端とする。.

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漫才

漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。近畿圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。.

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月亭可朝

初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年3月10日 - 2018年3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)、兵庫県西宮市在住の落語家・漫談家。本名は鈴木 傑(すずき まさる)。通称「カチョヤン」。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 所属事務所は変遷をたどった。デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーとなる。.

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春団治一門

春団治一門(はるだんじいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、3代目桂春団治を頂点とする落語家の一派。2000年より毎年4月29日には、春団治三代の碑がある池田市で「春団治まつり」を開催している。一門の多くは松竹芸能に所属するが、他の芸能事務所に所属する者やフリーで活動している者もいる。名前については「團」の字を用いる場合もあるが、ここでは「団」に統一した。.

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文枝一門

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 文枝一門(ぶんしいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、5代目桂文枝を頂点とする落語家の一派。主によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属するが、文福のように個人事務所を設立している者(2010年よしもと復帰)や、松竹芸能に所属する者(文鹿が在籍していたが2014年退社)もいる。 5代目文枝は生前に桂派の由緒ある名跡(文枝、小文枝、文吾、小文吾、文左衛門、花橘など)を預かっているとされる。2012年7月16日には筆頭弟子の三枝が「六代 桂文枝」を襲名した。.

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