ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

講談

索引 講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

135 関係: くしゃみ講釈くらわんか舟古池真由美壺坂霊験記大岡忠相大島伯鶴大道芸天保六花撰天野屋利兵衛太平記太閤記奴の小万宝井琴調宝井琴柳宝井琴柑宝井琴桜宝井琴星宝井馬琴宝永宮本武蔵安倍晴明寄席小金井芦州山野一郎川中島の戦い左甚五郎上方落語上方講談協会不動坊一休宗純一立斎文車一龍斎貞友一龍斎貞山一龍斎貞丈一龍斎貞花一龍斎貞鏡一龍斎貞水一龍斎春水伊藤痴遊張扇御伽衆忠臣蔵ヒラキ (芸能)国定忠治四谷怪談玉田玉秀斎神田あおい神田すみれ神田山吹神田山緑...神田山陽神田山陽 (3代目)神田京子神田伯山神田伯龍神田ろ山神田紫神田紅神田香織神田茜神田陽司神田松之丞神田松鯉神田愛山立川文庫第二次世界大戦笹川繁蔵細川風谷真景累ヶ淵田辺南鶴田辺南龍田辺一鶴田辺一邑田辺凌鶴田辺鶴遊牡丹灯籠芸能菅良助落語協会落語芸術協会西行馬場文耕講談社軍記物軽業講釈赤埴重賢邑井貞吉邑井操鉢木良弁連合国軍最高司令官総司令部松林伯圓桜花昇ぼる桃川如燕桃川若燕梅雨小袖昔八丈樟紀流花見幕張正流斎南窓歌舞伎水谷ミミ水戸黄門永谷商事江戸時代深井志道軒清水次郎長漫談漫才服部伸木馬亭木村重成本牧亭戦国時代 (日本)明治浪曲文楽文政日向ひまわり日本伝統芸能旭堂南左衛門旭堂南華旭堂南青旭堂南鱗旭堂南鷹旭堂南陵旭堂南湖旭堂南春旭堂南海旭堂小南陵旭堂小南陵 (5代目)旭堂左南陵悟道軒圓玉教導職拍子木曽呂利新左衛門1965年 インデックスを展開 (85 もっと) »

くしゃみ講釈

くしゃみ講釈(くしゃみこうしゃく)は、落語の演目の一つ。 もとは上方落語の演目で、上方では伝統的にはくっしゃみ講釈(くっしゃみこうしゃく)と発音し、また表記する。.

新しい!!: 講談とくしゃみ講釈 · 続きを見る »

くらわんか舟

くらわんか舟(-ふね)とは江戸時代、淀川を往来する大型船に対して飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のこと。貸食船(煮売船・にうりぶね)とも呼ばれ、公式には茶船と呼ばれていたが、くらわんか舟・食らわんか舟という俗称が定着した。.

新しい!!: 講談とくらわんか舟 · 続きを見る »

古池真由美

古池 真由美 (こいけ まゆみ、1973年8月21日 - )は、名古屋を中心として活動するタレント・講談師。愛知県名古屋市出身。.

新しい!!: 講談と古池真由美 · 続きを見る »

壺坂霊験記

『壺坂霊験記』(つぼさかれいげんき)は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物、一段。歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなり、人気を集めた。『壺坂観音霊験記』『壺坂』とも言う(「阪」を使う場合も)。.

新しい!!: 講談と壺坂霊験記 · 続きを見る »

大岡忠相

大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。.

新しい!!: 講談と大岡忠相 · 続きを見る »

大島伯鶴

大島 伯鶴(おおしま はっかく)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と大島伯鶴 · 続きを見る »

大道芸

大道芸の様子(ジャグリング) 大道芸(だいどうげい)は、路上や街頭、または仮設の掛け小屋(ヒラキ_(芸能)も参照のこと)などで行われるさまざまな芸能の総称。路上パフォーマンス(ろじょうパフォーマンス)、またはストリートパフォーマンスとも呼ばれる。路上での演奏ライブ、ストリートライブとは異なるが、一般的な総称としてストリートパフォーマンスと呼ばれることもある。一般的には、路上において不特定多数の観客に対して芸を演じ、投げ銭を取ることで生計を立てる芸を指すが、現代の日本では例外で投げ銭システムを取らず、主催者などから出演料をもらい、イベント等で芸を披露する場合が多い。 また、交通費をもらい、投げ銭を取るケースもある。.

新しい!!: 講談と大道芸 · 続きを見る »

天保六花撰

天保六花撰(てんぽうろっかせん)は、二代目松林伯圓の創作による講談。また、これらの話に登場する六人の男女の総称でもある。後にフシ付け(浪曲化)され、木村重友、初代友衛、若衛と続く得意演題で、お家芸となっている。 この講談をもとに河竹黙阿弥が歌舞伎化した演目に『天衣紛上野初花』(くもに まごう うえのの はつはな、通称『河内山と直侍』または『河内山』)がある。そのうち直侍と三千歳とのからみ部分のみを上演する際には、これを『雪暮夜入谷畦道』(ゆきの ゆうべ いりやの あぜみち、通称『三千歳と直侍』または『直侍』)と呼んでいる。.

新しい!!: 講談と天保六花撰 · 続きを見る »

天野屋利兵衛

八文字利兵衛の墓所、京都市下京区寺町通四条下ル 天野屋利兵衛 (あまのやりへえ、寛文元年(1661年) - 享保18年8月6日(1733年9月13日))は、江戸時代の商人。名は直之(なおゆき)。.

新しい!!: 講談と天野屋利兵衛 · 続きを見る »

太平記

『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。今川家本、古活字本、西源院本などの諸種がある。「太平」とは平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。 第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。.

新しい!!: 講談と太平記 · 続きを見る »

太閤記

『太閤記』(たいこうき)は、広義には太閤・豊臣秀吉の生涯を綴った伝記の総称。.

新しい!!: 講談と太閤記 · 続きを見る »

奴の小万

奴の小万(やっこのこまん、生没年不詳)は、なにわの女侠客。大阪長堀の豪商である三好家のむすめ、お雪。 婿取り娘であったが、望みあって20歳のとき長局(ながつぼね)に奉公する女祐筆となったが、父の死去にあって禁中を去って遺産を相続し、お亀およびお岩という召使いをおいて女伊達となり、その侠気をもって知られた。のち尼となり正慶と号して、関白秀次二百年忌大追善を天王寺でいとなみ、おりからのにわか雨に雨傘5000本をあつめて参詣人を濡らさせなかった。その居を月江庵と称し、生前にここの門頭に棺桶を掛け、人を集めて宴を催し、また遺産金を京都大仏に喜捨し、徳川家をはばかることなく豊太閤の冥福を修すると触れるなど、その奇行で世間を大いに驚かせた。.

新しい!!: 講談と奴の小万 · 続きを見る »

宝井琴調

宝井 琴調(たからい きんちょう)は、講談師の名跡。寶井 琴調とも表記。当代は4代目である。本項にて詳述する。.

新しい!!: 講談と宝井琴調 · 続きを見る »

宝井琴柳

宝井 琴柳(たからい きんりゅう、1951年2月4日 - )は日本の講談師。出囃子は「片しゃぎり」、紋は「丸に角立井筒」。.

新しい!!: 講談と宝井琴柳 · 続きを見る »

宝井琴柑

宝井 琴柑(たからい きんかん、10月21日 - )は、女流講談師。講談協会に所属。 中学生の頃より宝井講談修羅場塾で講談に触れ、大学卒業後、社会人を経て宝井琴星門下へ。 古典講談から新作講談まで、幅広いネタを読みこなす。.

新しい!!: 講談と宝井琴柑 · 続きを見る »

宝井琴桜

宝井 琴桜(たからい きんおう)は、講釈師の名跡。琴櫻とも表記。.

新しい!!: 講談と宝井琴桜 · 続きを見る »

宝井琴星

宝井 琴星(たからい きんせい、1947年10月28日 - )は、講談師。本名は内藤鉄止、B型。講談協会に所属、講談協会理事兼事務局長。 東海大学を卒業後、設計事務所に入社したが、1973年 宝井馬琴に入門。 古典だけではなく多数の新作も発表し、その新作も時代ものから現代社会の世相を反映したものまで幅広い。 20年前から宝井講談修羅場塾を引き継ぎ、塾長として指導を行なっている。.

新しい!!: 講談と宝井琴星 · 続きを見る »

宝井馬琴

宝井 馬琴(たからい ばきん)は、講談師の名跡。寶井 馬琴とも表記。初代から六代目まで存在する。三代目までは東流斎。.

新しい!!: 講談と宝井馬琴 · 続きを見る »

宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

新しい!!: 講談と宝永 · 続きを見る »

宮本武蔵

宮本 武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代初期の剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が後世、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっている。著書『五輪書』は外国語にも翻訳され出版されている。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など水墨画・鞍・木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。.

新しい!!: 講談と宮本武蔵 · 続きを見る »

安倍晴明

安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら、延喜21年1月11日〈921年2月21日〉 - 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)は、平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むのは有職読みであり、本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。官位は従四位下・播磨守。.

新しい!!: 講談と安倍晴明 · 続きを見る »

寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

新しい!!: 講談と寄席 · 続きを見る »

小金井芦州

小金井 芦州(こがねい ろしゅう)は、講釈師の名跡。旧字体を小金井蘆州。.

新しい!!: 講談と小金井芦州 · 続きを見る »

山野一郎

山野 一郎(やまの いちろう、1899年12月15日 - 1958年12月18日)は、日本の活動写真弁士、漫談家、俳優。本名は山内幸一。 弟の山地幸雄(本名:山内倉司)も活動写真弁士である。 1919年、三浦さくと結婚。第1子は夭逝したが、第2子・山内明は俳優、第3子・山内久は脚本家、第4子・山内正は作曲家、また、第5子山内幸子は作曲家小杉太一郎(俳優小杉勇の長男)の妻となった。タレント・エッセイストの山内美郷は孫(明の長女)。.

新しい!!: 講談と山野一郎 · 続きを見る »

川中島の戦い

川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる。.

新しい!!: 講談と川中島の戦い · 続きを見る »

左甚五郎

名誉右に敵なし左甚五郎(中央が左甚五郎。歌川国芳・画、江戸時代) 左 甚五郎(ひだり じんごろう、ひだの じんごろう)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。落語や講談、松竹新喜劇で有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。 日光東照宮の眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。しかし、その製作年間は安土桃山時代 - 江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであるので、左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。.

新しい!!: 講談と左甚五郎 · 続きを見る »

上方落語

上方落語(かみがたらくご)とは、大阪・京都を中心とする地域で主に演じられる落語。.

新しい!!: 講談と上方落語 · 続きを見る »

上方講談協会

上方講談師協会(かみがたこうだんきょうかい)は、近畿を中心に活動する講談師が組織する団体。上方講談を中心とする寄席芸能の普及向上、継承・保持を図り、日本の文化の発展に寄与することを目的としている。現会長は旭堂南左衛門。.

新しい!!: 講談と上方講談協会 · 続きを見る »

不動坊

不動坊(ふどうぼう)は古典落語の演目の一つ。不動坊火焔(ふどうぼう かえん)とも。.

新しい!!: 講談と不動坊 · 続きを見る »

一休宗純

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。.

新しい!!: 講談と一休宗純 · 続きを見る »

一立斎文車

一立斎 文車(いちりゅうさい ぶんしゃ)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と一立斎文車 · 続きを見る »

一龍斎貞友

一龍斎 貞友(いちりゅうさい ていゆう、6月20日 - )は、日本の女性講談師、声優、ナレーターである。師匠は、講談師で人間国宝の6代目一龍斎貞水。大阪府出身。旧芸名:鈴木 三枝(すずき みえ、1981年 - 1985年)、鈴木 みえ(読みは前の芸名と同じ、1985年 - 1998年)。以前はぷろだくしょんバオバブに所属していた。フリー。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞友 · 続きを見る »

一龍斎貞山

一龍斎 貞山(いちりゅうさい ていざん)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞山 · 続きを見る »

一龍斎貞丈

一龍斎 貞丈(いちりゅうさい ていじょう)は、講釈師の名跡。元は昇龍斎貞丈といった。5代目以降一龍斎貞丈。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞丈 · 続きを見る »

一龍斎貞花

一龍斎 貞花(いちりゅうさい ていか)は、講釈師の名跡。当代は5代目。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞花 · 続きを見る »

一龍斎貞鏡

一龍斎 貞鏡(いちりゅうさい ていきょう)は、日本の講談師(講釈師)の名跡。5代目までは双龍斎 貞鏡(そうりゅうさい ていきょう)を名乗った。当代は7代目。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞鏡 · 続きを見る »

一龍斎貞水

一龍斎 貞水(いちりゅうさい ていすい)は、日本の講談師(講釈師)の名跡。4代目までは真龍斎 貞水(しんりゅうさい ていすい)で、4代目は後に早川 貞水(はやかわ ていすい)と名乗った。.

新しい!!: 講談と一龍斎貞水 · 続きを見る »

一龍斎春水

一龍斎 春水(いちりゅうさい はるみ、本名: 大久保 洋子(おおくぼ ようこ)、1952年7月10日 - )は、日本の女性声優、講談師。アクセント所属。北海道小樽市生まれ、神奈川県藤沢市出身。神奈川県立鎌倉高等学校卒業。デビューから2011年末まで、講談以外では麻上 洋子(あさがみ ようこ)の名前で活動していた。 1992年、講談師の一龍斎貞水に入門し、春水(はるみ)の号を受ける。1996年に二ツ目に、2004年真打ちに昇進した。.

新しい!!: 講談と一龍斎春水 · 続きを見る »

伊藤痴遊

伊藤 痴遊(いとう ちゆう)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と伊藤痴遊 · 続きを見る »

張扇

張扇(はり-おうぎ、はり-せん)は能楽や講談、落語(上方落語)においてものをたたいて音を立てるためにつくられた専用の扇子のことをいう。能楽では「はりおうぎ」、講談では「はりせん」ということが多い。 古く雅楽において笏によって拍子をとる笏拍子なる役掌が見られ、古浄瑠璃にも同様の扇拍子と呼ばれるものがあったことを見てもわかるように、拍子楽器として近世以前の日本でもっとも広くかつ簡便に用いられたのは、手に持つ道具によって手のひらを打つことであった。近世以降、鼓を中心とする打楽器の飛躍的な発達と流布によって扇拍子は徐々に下火になっていったが、その簡便さから専用の張扇によって扇拍子の残った例も少なくない。 能楽では、アシライと称して、稽古や申合せの際に、小鼓・大鼓・太鼓を扇拍子で間に合わせることがある。これはあくまで略式の演奏であるとされるが、特に大鼓のように道具の準備に時間のかかる楽器においてはすぐれた代替法として用いられており、音色よりも間を尊重する能楽の楽器にあっては当を得た奏法であるといえる。それぞれ専門の職掌の者が行うほかに、謡の稽古の際に師匠がアシライをすることもある。なお、張扇を用いることはないが、舞台上で鼓が破れた場合には扇拍子でアシライを打つのが正規の代替法であり、江戸期までは素謡の席で地頭が扇拍子をとって地を統率することもあった。 講談では釈台を張扇で叩いて、場面転換の合図にしたり、山場で調子を出したりするときに用いる。上方落語における用法もだいたいはこれに準じているといえる。史実を無視した荒唐無稽な作り話を「張扇の音と一緒に叩き出した」「張扇の音がする」などというのは、このため。.

新しい!!: 講談と張扇 · 続きを見る »

御伽衆

御伽衆(おとぎしゅう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて大名家に存在した職掌である。.

新しい!!: 講談と御伽衆 · 続きを見る »

忠臣蔵

仮名手本忠臣蔵 夜討人数ノ内 堀辺弥津兵衛 堀辺弥次兵衛肖像」 歌川国貞画。 忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は、 人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつで、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇・映画の分野で、江戸時代元禄期に起きた赤穂事件を基にした創作作品。 なお、脚色された創作であるため、史実としての赤穂事件とは異なる部分もある(赤穂事件参照)。.

新しい!!: 講談と忠臣蔵 · 続きを見る »

ヒラキ (芸能)

演芸用語におけるヒラキ(または開き)とは、江戸期から明治20年代にかけて存在した、大道芸の仮設小屋のこと(現在の屋台に近い)。また、その興行形態を指す。寄席の前形態として、各演芸の歴史に現れてくる。.

新しい!!: 講談とヒラキ (芸能) · 続きを見る »

国定忠治

国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化7年(1810年) - 嘉永3年12月21日(1851年1月22日))は、江戸時代後期の侠客である。「国定」は生地である上野国(上州)佐位郡国定村に由来し、本名は長岡忠次郎。 後に博徒となって上州から信州一帯で活動し、「盗区」として一帯を実質支配する。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として、講談・浪曲や映画、新国劇、大衆演劇などの演劇の題材となる。「赤城の山も今宵限りか」の名文句は有名である。 群馬県伊勢崎市国定町の金城山養寿寺と群馬県伊勢崎市曲輪町の善應寺に墓がある。 現在まで残っている彼の肖像画は、足利の画家である田崎草雲の手によるもの。茶店で一度すれ違っただけだが、そのときの印象を絵に残したとされる。.

新しい!!: 講談と国定忠治 · 続きを見る »

四谷怪談

『四ツ谷怪談』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。.

新しい!!: 講談と四谷怪談 · 続きを見る »

玉田玉秀斎

玉田 玉秀斎(たまだ ぎょくしゅうさい)は、講談の名跡。玉田永教の神道講釈の流れをくむ玉田派の名跡。当代は四代目。.

新しい!!: 講談と玉田玉秀斎 · 続きを見る »

神田あおい

あおい(かんだ あおい、3月9日 - )は、女性の講談師。講談協会に所属する。若手女性講談師5人が所属団体の枠を超えたユニット「講談女伊達」のメンバーの一人としても参加。岩槻人形大使、ねぎわい親善大使としても活躍。2009年10月、新作講談「波の伊八」を完成させる。.

新しい!!: 講談と神田あおい · 続きを見る »

神田すみれ

すみれ(かんだ すみれ、本名男庭智子 月23日 - )は、日本の女流講談師。.

新しい!!: 講談と神田すみれ · 続きを見る »

神田山吹

山吹(かんだ やまぶき、本名:伊藤 里絵(いとう りえ))は、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の講談師。さいたま市在住。1月25日生まれ。.

新しい!!: 講談と神田山吹 · 続きを見る »

神田山緑

山緑(かんだ さんりょく、1976年8月28日 - )は講談師。東京都出身。 敬愛大学卒業後、トヨタ自動車にて営業マンとして新人賞を受賞。退社後、健康食品会社を立ち上げ同社代表取締役になる。日本話し方センター副所長の山越幸に師事。 神田すみれの講談教室から講談師になる。.

新しい!!: 講談と神田山緑 · 続きを見る »

神田山陽

山陽(かんだ さんよう)は、講談師の名跡。当代は3代目。.

新しい!!: 講談と神田山陽 · 続きを見る »

神田山陽 (3代目)

3代目 神田 山陽(かんだ さんよう、本名:稲荷 啓之(いなり ひろゆき)、1966年1月14日 - )は、日本の講談師。北海道網走郡女満別町(現大空町)出身。落語芸術協会会員。.

新しい!!: 講談と神田山陽 (3代目) · 続きを見る »

神田京子

京子(かんだ きょうこ、本名:桑原 尚子(くわはら なおこ)、1977年3月29日 - )は、女性講談師。落語芸術協会所属の真打。夫は詩人・パフォーマーの桑原滝弥。.

新しい!!: 講談と神田京子 · 続きを見る »

神田伯山

伯山(かんだ はくざん)は、講釈師の名跡。大立者・3代目が特に有名。 先代(5代目)の死後は空き名跡となっており、以後30年以上後継者が現れていない。 4代目は当初、5代目(岡田秀章)があえて飛ばして襲名したが、のちに自らが4代目を自称した。なぜ飛ばしたかも後記参照。.

新しい!!: 講談と神田伯山 · 続きを見る »

神田伯龍

伯龍(かんだ はくりゅう)は、講釈師の名跡。元々は東京から出た名跡だが、一時期大阪に渡っていた。神田派の開祖。神田伯龍が正しいのだが、漢字制限等により、伯竜とする史料もある。本名が戸塚岩太郎以前の伯龍は複雑で代数も史料・書籍によって異なる。.

新しい!!: 講談と神田伯龍 · 続きを見る »

神田ろ山

ろ山(かんだ ろざん)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と神田ろ山 · 続きを見る »

神田紫

紫(かんだ むらさき、1951年11月30日 - )は、女性の講談師。日本講談協会会長。兵庫県神戸市出身。桜美林短期大学卒業。 元々は舞台女優を志して、文学座と劇団芸能座(小沢昭一主宰)で活動していたが、講談師に転向し、二代目神田山陽に弟子入り。1989年11月に真打昇進。女流講談師として各地で「パープルエクスタシー」シリーズと題した講談と一人芝居をミックスした新感覚の公演を行う傍ら、引き続き舞台女優としても活動中。現在、日本講談協会会長。落語芸術協会にも所属。.

新しい!!: 講談と神田紫 · 続きを見る »

神田紅

紅(かんだ くれない、1952年4月20日 - )は日本の講談師、エッセイスト。福岡県福岡市生まれ。サイバー大学客員教授。本名、戸井田和子。.

新しい!!: 講談と神田紅 · 続きを見る »

神田香織

香織(かんだ かおり、1954年12月4日 - )は、女性の講談師。本名は武谷(旧姓:江尻)光子。磐城女子高校卒業。講談協会所属。.

新しい!!: 講談と神田香織 · 続きを見る »

神田茜

茜(かんだ あかね、1965年7月28日-)は講談師、小説家。北海道帯広市出身。師の2代目神田山陽の死後、落語協会に入会した。本名:安田(旧姓・鈴木)明美。出囃子は『もしもかめよ』。 結婚前は、非常に鋭いセンスを持った新作講談で人気を博した。結婚後、高座の仕事はセーブしているが、反面、小説や、新聞のコラムなどの執筆活動を活発に行っている。日本講談協会理事。.

新しい!!: 講談と神田茜 · 続きを見る »

神田陽司

陽司(かんだ ようじ、1962年8月25日 - 2016年2月18日 )は日本の講談師。兵庫県尼崎市生まれ。本名・吉田祐二(よしだ ゆうじ)。.

新しい!!: 講談と神田陽司 · 続きを見る »

神田松之丞

松之丞(かんだ まつのじょう、本名:古舘 克彦(ふるたち かつひこ)、1983年6月4日 - )は、日本の講談師。日本講談協会および落語芸術協会所属。2017年時点で二ツ目でありながら、独演会では定員数百人の会場を満員にするなど、新進気鋭の講談師として注目を浴びている。.

新しい!!: 講談と神田松之丞 · 続きを見る »

神田松鯉

松鯉(かんだ しょうり)は、講釈師の名跡。初代が「神田祭」に掛け、晩年に名乗った隠居名がはじまりである。当代は3代目。.

新しい!!: 講談と神田松鯉 · 続きを見る »

神田愛山

愛山(かんだ あいざん)は、講釈師の名跡。当代は二代目。.

新しい!!: 講談と神田愛山 · 続きを見る »

立川文庫

立川文庫(たつかわぶんこ)は、立川文明堂(大阪市東区博労町、後に南区安堂寺橋通へ移転)が1911年(明治44年)から1924年(大正13年)にかけて196篇を刊行した、「書き講談」による文庫本シリーズ 「大衆の広場へ」『大衆文芸の地図』。当時の小学生から商店員らに爆発的なブームを呼んだ。『真田幸村』、『猿飛佐助』、『霧隠才蔵』等で知られる。読みは「たちかわぶんこ」ではなく「たつかわぶんこ」である''立川文庫''、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年7月23日閲覧。''立川文庫''、百科事典マイペディア、コトバンク、2012年7月23日閲覧。''立川文庫''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年7月23日閲覧。''立川文庫''、大辞林 第三版、コトバンク、2012年7月23日閲覧。。.

新しい!!: 講談と立川文庫 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 講談と第二次世界大戦 · 続きを見る »

笹川繁蔵

笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう、幼名:福松、本名:岩瀬繁蔵。文化7年(1810年) - 弘化4年7月4日(1847年8月14日))は江戸時代の侠客で、千賀ノ浦部屋に籍を置いた角力(力士)。講談で知られる『天保水滸伝』の同名の作中人物のモデル。.

新しい!!: 講談と笹川繁蔵 · 続きを見る »

細川風谷

細川 風谷(ほそかわ ふうこく、1867年 - 1919年8月18日、本名:細川源太郎)は日本の実業家、講談師。父は統計院幹事を務めた細川広世。.

新しい!!: 講談と細川風谷 · 続きを見る »

真景累ヶ淵

『真景累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)は、明治期の落語家・三遊亭圓朝によって創作された落語(怪談噺)。 江戸時代に流布した「累ヶ淵」の説話を下敷きにした作品である。圓朝の代表作の一つとされ、古典的評価を得ている。.

新しい!!: 講談と真景累ヶ淵 · 続きを見る »

田辺南鶴

辺 南鶴(たなべ なんかく)は、講釈師の名跡。田辺派の祖。柴田久弥は十二代目と称したが実際過去に何人いたか不明。.

新しい!!: 講談と田辺南鶴 · 続きを見る »

田辺南龍

辺 南龍(たなべ なんりゅう)は、講釈師の名跡。簡略して田辺南竜の字を用いる時がある。.

新しい!!: 講談と田辺南龍 · 続きを見る »

田辺一鶴

辺 一鶴(たなべ いっかく 1929年(昭和4年)2月9日 - 2009年(平成21年)12月22日)は、講談協会所属の講談師、同協会常任理事、監事。東京都出身。本名は佐久間秀雄。.

新しい!!: 講談と田辺一鶴 · 続きを見る »

田辺一邑

辺 一邑(たなべ いちゆう 1961年3月24日 - )は、講談協会所属の講談師。 古典講談をはじめ新作講談・童話・文学作品など、口演レパートリーは多数多彩。故郷浜松を中心に各地の偉人を次世代に語り継ぐシリーズなど、オリジナル講談の自作と口演も意欲的に手掛けている。.

新しい!!: 講談と田辺一邑 · 続きを見る »

田辺凌鶴

辺 凌鶴(たなべ りょうかく 1967年8月16日 - )は、講談協会所属の講談師。2012年9月に真打昇進。東京都出身。本名は喜多村 充伸。.

新しい!!: 講談と田辺凌鶴 · 続きを見る »

田辺鶴遊

辺 鶴遊(たなべ かくゆう、1978年11月17日 - )は、名古屋市生まれ、静岡市駿河区育ちの講談師である。本名は 山村健一。小拍子と張り扇の二種の使い手である特徴がある。.

新しい!!: 講談と田辺鶴遊 · 続きを見る »

牡丹灯籠

『ほたむとうろう』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 牡丹灯籠(ぼたん どうろう)、怪談牡丹灯籠は、明治の三遊亭圓朝25歳の時の作品。落語の怪談噺。 江戸時代末期の1861~1864年頃、浅井了意による怪奇物語集『御伽婢子』、深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て創作された。速記本が1884年(明治17年)に刊行されている。 このうち『御伽婢子』(寛文6年、西暦1666年刊)は、中国明代の怪奇小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』を翻案したもので、若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話だった。 圓朝はこの幽霊話に、仇討や殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げた。 圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の大真打が得意とした。 明治25年(1892年)7月には、三代目河竹新七により『怪異談牡丹灯籠』(かいだん ぼたん どうろう)として歌舞伎化され、五代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況だった。 以後、演劇や映画にも広く脚色され、特に二葉亭四迷は圓朝の速記本から言文一致体を編み出すなど、その後の芸能・文学面に多大な影響を与えた。.

新しい!!: 講談と牡丹灯籠 · 続きを見る »

芸能

芸能(げいのう)とは、芸術の諸ジャンルのうち人間の身体をもって表現する技法のことである『大百科事典 4』、1202頁。。職業として芸能に携わる者を芸能人と呼ぶ。 また、日本に古くからあった芸術と技能は特に日本伝統芸能を参照。.

新しい!!: 講談と芸能 · 続きを見る »

菅良助

菅 良助(かん りょうすけ)は、落語、講談の名跡。現在は空き名跡となっている。 初代に関しては菅良助と乾坤坊良斎の名を掛け合わせた菅良斎とも言ったりする。.

新しい!!: 講談と菅良助 · 続きを見る »

落語協会

一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2014年6月から四代目柳亭市馬が会長を務める。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員。.

新しい!!: 講談と落語協会 · 続きを見る »

落語芸術協会

公益社団法人落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会の名称であった。現在は桂歌丸が会長を務める。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。春風亭柳昇や桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して永年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、米丸の弟子の桂歌丸が会長を務めるなど古典落語の名人も多く所属している。.

新しい!!: 講談と落語芸術協会 · 続きを見る »

西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

新しい!!: 講談と西行 · 続きを見る »

馬場文耕

場 文耕(ばば ぶんこう、享保3年(1718年) - 宝暦8年12月29日(1759年1月27日))は、江戸時代中期の講釈師。本姓を中井、通称を左馬次・文右衛門と称したとされる。没日を25日とする異説もある。 世話物講談の分野を開き、「近世講談の祖」とも評価されるが、その作品を理由として処刑された近世日本の言論弾圧の犠牲者としても知られている。.

新しい!!: 講談と馬場文耕 · 続きを見る »

講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

新しい!!: 講談と講談社 · 続きを見る »

軍記物

# 中世末期から近世初期にかけて、戦国武将や大名家の武勲・武功について記述した書物。本項で解説する。.

新しい!!: 講談と軍記物 · 続きを見る »

軽業講釈

『軽業講釈』(かるわざ講釈)は上方落語の演目の一つ。原話は不明。道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。 主な演者として、3代目 桂米朝、5代目 桂文枝等がいる。.

新しい!!: 講談と軽業講釈 · 続きを見る »

赤埴重賢

『義士四十七図 赤垣源蔵重賢』(尾形月耕図) 赤埴 重賢(あかばね/あかはに しげかた、寛文9年(1669年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は源蔵(げんぞう)。後年語られる「忠臣蔵」の物語の中では「赤垣源蔵」(あかがき げんぞう)の名でも呼ばれる。.

新しい!!: 講談と赤埴重賢 · 続きを見る »

邑井貞吉

邑井 貞吉(むらい ていきち)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と邑井貞吉 · 続きを見る »

邑井操

邑井操(むらい みさお、1912年2月1日-1996年6月17日)は、日本の講談師、評論家。.

新しい!!: 講談と邑井操 · 続きを見る »

鉢木

鉢木(はちのき)は、能の一曲。観阿弥・世阿弥作ともいわれるが不詳。.

新しい!!: 講談と鉢木 · 続きを見る »

良弁

良弁(ろうべん、りょうべん, p.969 「良辨(りゃうべん)」の項、持統天皇3年(689年) - 宝亀4年閏11月24日(774年1月10日))は、奈良時代の華厳宗の僧。東大寺の開山。通称を金鐘行者といった。.

新しい!!: 講談と良弁 · 続きを見る »

連合国軍最高司令官総司令部

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)とは、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部、連合国最高司令官総司令部とも。職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人が多数で、他にイギリス軍人やオーストラリア軍人らで構成されていた。 極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官 Supreme Commander for the Allied Powers; SCAP)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQや進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。結果として、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本の移動はSCAP の許可によってのみ行われた。.

新しい!!: 講談と連合国軍最高司令官総司令部 · 続きを見る »

松林伯圓

松林 伯圓(しょうりん はくえん、新字体:伯円、また「松林」は「まつばやし」とも)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と松林伯圓 · 続きを見る »

桜花昇ぼる

桜花 昇ぼる(おうか のぼる、9月23日 - )は、日本の女優、講談師。旧芸名、桜花 昇(読み方は同じ)。別名、旭堂 南桜。 奈良県斑鳩町出身。出身校は相愛高等学校。OSK日本歌劇団の元男役トップスター。四代目旭堂南陵門下の講談師・旭堂南桜の芸名を持つ。A型。.

新しい!!: 講談と桜花昇ぼる · 続きを見る »

桃川如燕

桃川 如燕(ももかわ じょえん)は、講釈師の名跡。3代目が1957年に5代目神田伯山を襲名して以降、空き名跡になっている。 桃川派の祖であるが、現在桃川の号を名乗る講談師はおらず、演芸界では2代目如燕の親族である紙切りの桃川忠がいる。.

新しい!!: 講談と桃川如燕 · 続きを見る »

桃川若燕

桃川 若燕(ももかわ じゃくえん)は、講釈師の名跡。.

新しい!!: 講談と桃川若燕 · 続きを見る »

梅雨小袖昔八丈

五代目尾上菊五郎の髪結新三。 『梅雨小袖昔八丈』(つゆこそでむかしはちじょう)とは、歌舞伎の演目のひとつ。全四幕。明治6年(1873年)6月、東京中村座にて初演。二代目河竹新七(河竹黙阿弥)の作。通称『髪結新三』(かみゆいしんざ)。.

新しい!!: 講談と梅雨小袖昔八丈 · 続きを見る »

樟紀流花見幕張

『樟紀流花見幕張』(くすのきりゅう はなみの まくはり)は、は歌舞伎の演目。通称に「慶安太平記」(けいあん たいへいき)、「丸橋忠弥」(まるばし ちゅうや)。二代目河竹新七作、全六幕。明治3年3月(1870年4月)東京守田座で初演。.

新しい!!: 講談と樟紀流花見幕張 · 続きを見る »

正流斎南窓

正流斎 南窓(しょうりゅうさい なんそう)は、講談(講釈師)の名跡。田辺南鶴を祖とする田辺派の流れを組む柴田派の祖の名前。.

新しい!!: 講談と正流斎南窓 · 続きを見る »

歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

新しい!!: 講談と歌舞伎 · 続きを見る »

水谷ミミ

水谷 ミミ(みずたに みみ、本名:水谷美和子 1949年1月22日午前4時23分 - )は、名古屋・関西を中心に活躍する日本のタレント・ディスクジョッキー。血液型はAB型。二人姉弟の長女。水谷風鱗の名で講談師としても活躍。 名古屋弁と強烈なキャラクターで人気がある。.

新しい!!: 講談と水谷ミミ · 続きを見る »

水戸黄門

水戸黄門(みとこうもん)とは、権中納言である江戸時代の水戸藩主・徳川光圀の別称かつ、徳川光圀が隠居して日本各地を漫遊して行なった世直しを描いた創作物語の名称。かつては専ら『水戸黄門漫遊記』(みとこうもんまんゆうき)と呼ばれていた。 講談・歌舞伎・演劇・小説・映画・テレビドラマ・漫画・アニメ等において描かれている。.

新しい!!: 講談と水戸黄門 · 続きを見る »

永谷商事

永谷商事株式会社(ながたにしょうじ)は、東京都武蔵野市に本社を置く不動産会社である。 1945年(昭和20年)に上野駅前で開業した手荷物預り所を経て、1959年(昭和34年)に株式会社として設立された。不動産の賃貸・仲介・管理などの業務のほか、日本の伝統芸能である、落語・講談・浪曲・新内・義太夫などの公演の場である演芸場である永谷ホールを運営する。.

新しい!!: 講談と永谷商事 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 講談と江戸時代 · 続きを見る »

深井志道軒

深井 志道軒(ふかい しどうけん、延宝8年(1680年)? - 明和2年3月7日(1765年4月26日))は、江戸時代中期の講釈師。通称は新蔵。名は栄山、号を一無堂とも名乗る。.

新しい!!: 講談と深井志道軒 · 続きを見る »

清水次郎長

清水 次郎長(しみずの じろちょう、文政3年1月1日(1820年2月14日) - 明治26年(1893年)6月12日)は、幕末・明治の侠客、博徒。本名、山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)。 次郎長伯山と異名をとった三代目神田伯山の講談から広まり、広沢虎造の浪曲(ラジオ放送、レコード)、その映画化で「海道一の親分」として取り上げられ人気を博する。虚像の部分は→清水次郎長伝の項。 大政、小政、森の石松など、「清水二十八人衆」という屈強な子分がいたとされる。.

新しい!!: 講談と清水次郎長 · 続きを見る »

漫談

漫談(まんだん)とは、初代大辻司郎が命名したとされる、大正ごろに創設された演芸である。元来は音声付き映画(トーキー)が主流となったため失業した無声映画(活動写真)の活動弁士が、巧みな話術を生かして寄席の高座等に出演したのを発端とする。.

新しい!!: 講談と漫談 · 続きを見る »

漫才

漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。近畿圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。.

新しい!!: 講談と漫才 · 続きを見る »

服部伸

服部 伸(はっとり しん、本名:服部 辰次郎(はっとり たつじろう)、1880年6月2日 - 1974年12月4日)は、講談師である。東京浅草生まれ。 初めは浪曲師として啖呵で人気を博したが、後に節の声が出なくなり、会話に優れた芸(浪曲でいう「啖呵」)を生かして講談師に転じた。90歳を過ぎても高座にあがり続けた。その実直な人柄で愛され、多くの浪曲史に貴重な証言を残している。浪曲時代の得意演目には「は組小町」「関の弥太ッぺ」「一本刀土俵入」「大石東下り」がある。.

新しい!!: 講談と服部伸 · 続きを見る »

木馬亭

木馬亭(もくばてい)は、東京都台東区浅草2丁目7番5号に存在する浪曲の寄席である。毎月1~7日まで浪曲の定席公演が行われる。.

新しい!!: 講談と木馬亭 · 続きを見る »

木村重成

木村 重成(きむら しげなり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。知行3千石。.

新しい!!: 講談と木村重成 · 続きを見る »

本牧亭

本牧亭(ほんもくてい)は、東京都台東区上野にあった講談専門の寄席。2011年9月24日閉場。.

新しい!!: 講談と本牧亭 · 続きを見る »

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

新しい!!: 講談と戦国時代 (日本) · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 講談と明治 · 続きを見る »

浪曲

浪曲(ろうきょく)は、明治時代初期から始まった演芸で「浪花節」(なにわぶし)とも言う。三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語をすすめる語り芸。一つ30分ほどである。戦後の隆盛後、落語、講談、浪花節と並び称された3演芸のうち、急速に衰えた。 .

新しい!!: 講談と浪曲 · 続きを見る »

文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

新しい!!: 講談と文楽 · 続きを見る »

文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

新しい!!: 講談と文政 · 続きを見る »

日向ひまわり

日向ひまわり(ひゅうが・ひまわり、1975年2月12日 - )は、日本の講談師。落語芸術協会所属。本名は鵜久森真弓(うぐもり・まゆみ)。.

新しい!!: 講談と日向ひまわり · 続きを見る »

日本伝統芸能

日本伝統芸能(にほんでんとうげいのう)は、日本に古くからあった芸術と技能の汎称。特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事化したものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された、有形無形のものを言う。詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。.

新しい!!: 講談と日本伝統芸能 · 続きを見る »

旭堂南左衛門

旭堂 南左衛門(きょくどう なんざえもん 1954年7月14日 - )兵庫県三田市出身の講談師。本名,西野安彦。現在,上方講談協会会長。 兵庫県立篠山鳳鳴高等学校、近畿大学商経学部卒業。弟子に旭堂南青、旭堂南舟、旭堂南斗、旭堂南鷹、旭堂左京、旭堂左近、旭堂左楽、以下名古屋支部(旭堂左文字、旭堂左門、旭堂左山、旭堂左助、旭堂左生、旭堂さつき)、がいる。桂吉朝や桂文之助など上方落語の噺家とも交流があり,一緒に勉強会を行っていたほか,関西の数々の小劇場劇団の舞台にも出演した。また、阪本順治監督の映画「ビリケン」にも出演。 2000年、日本テレマン協会主催の「ヘンデル・オラトリオ本邦初演シリーズ」に内容解説の講談師 として出演する。それ以後、各地の歴史をテーマに創作した講談と音楽のコラボレーション=「音楽絵巻」と題し、作家・中野順哉との二人三脚で「上方講談」の創作活動を積極的 に展開中。.

新しい!!: 講談と旭堂南左衛門 · 続きを見る »

旭堂南華

旭堂 南華(きょくどう なんか、1963年1月31日 - )大阪府貝塚市出身の講談師。本名、西野通子。一児の母である。 所属なみはや講談協会。 高座に上がると、まず自分で小さく拍手するのを定番としている。 現在、各地での講談席や天満天神繁昌亭への出演などの活動をしている。.

新しい!!: 講談と旭堂南華 · 続きを見る »

旭堂南青

旭堂 南青(きょくどう なんせい、1980年6月4日 - )上方講談協会所属の講談師。大阪府立東住吉高等学校、近畿大学文芸学部出身。.

新しい!!: 講談と旭堂南青 · 続きを見る »

旭堂南鱗

旭堂 南鱗(きょくどう なんりん)は、上方講談の名跡。幕末からある名前で初代は旭堂南麟と表記し旭堂の開祖。当代は特に代数は振っていない。.

新しい!!: 講談と旭堂南鱗 · 続きを見る »

旭堂南鷹

旭堂 南鷹(きょくどう なんおう、本名・吉松 洋一郎(よしまつ よういちろう)、1973年6月13日 - )は大阪府出身の講談師である。旧芸名に旭堂 南太平洋(きょくどう みなみたいへいよう)、太平洋(たいへいよう)。.

新しい!!: 講談と旭堂南鷹 · 続きを見る »

旭堂南陵

旭堂 南陵(きょくどう なんりょう)は、上方講談(講釈師)の大名跡。旭堂一門の留め名。本来は「あさひどう」と読ませていたが江戸と区別させる為「きょくどう」となった。 特に2代目が著名で上方講談の復興に尽力し活躍、業績から「大南陵」と呼ばれ次代の3代目は「小南陵」と呼ばれる。.

新しい!!: 講談と旭堂南陵 · 続きを見る »

旭堂南湖

旭堂 南湖(きょくどう なんこ、1973年8月 - )は、日本の講談師。なみはや講談協会所属。 滋賀県甲賀郡甲南町(現在の甲賀市)出身の兵庫県宝塚市生まれ。大阪芸術大学大学院修了。.

新しい!!: 講談と旭堂南湖 · 続きを見る »

旭堂南春

旭堂 南春(きょくどう なんしゅん、1978年6月3日 - )はアメリカ合衆国出身の講談師。上方では初の外国人女性講談師上方落語ではカナダ人の桂三輝や英国人のダイアン吉日がいる。。本名キャロル・アン・ローズ。日本名楼杜 春子(ローズ はるこ)米国人講談師 英語で一席 旭堂南春さん=大阪.『読売新聞(大阪)』.2015年02月08日付朝刊、29面。春子・ローズ米国から来た講談師 旭堂南春デビュー 上方初.『読売新聞(大阪)』.2013年11月26日付夕刊、13面大坂の陣400年 伝統芸復活 未来へGO! チャンバラ 合戦をモチーフ 歴史も学べる.『毎日新聞(大阪)』.2014年01月01日付朝刊、28面、ハルコ・ローズ米国人「歴女」、講談師に 旭堂南春さん、22日初舞台 【大阪】.『朝日新聞』.2013年11月19日付夕刊、2面とも表記される。.

新しい!!: 講談と旭堂南春 · 続きを見る »

旭堂南海

旭堂 南海(きょくどう なんかい、1964年4月20日 - )は、上方講談師。兵庫県加古川市出身。本名は内海浩明。 大阪大学文学部で国文学を専攻。大衆芸能に興味を持ち、落語、浪曲、最後に講談にたどりつく。在学中に出会った、3代目旭堂南陵に1989年に入門。現在、なみはや講談協会会員。.

新しい!!: 講談と旭堂南海 · 続きを見る »

旭堂小南陵

旭堂小南陵(きょくどう こなんりょう)は、上方講談講釈師の名跡。旭堂南陵の前名。.

新しい!!: 講談と旭堂小南陵 · 続きを見る »

旭堂小南陵 (5代目)

五代目旭堂 小南陵(きょくどう こなんりょう、本名:陀保 二三佳(だほ ふみか)、1975年9月20日 - )は大阪府八尾市出身の女性講談師。前名は旭堂 小二三(きょくどう こふみ)。宮崎県都城市特派大使。未婚。.

新しい!!: 講談と旭堂小南陵 (5代目) · 続きを見る »

旭堂左南陵

旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう)は、上方講談の名。幕末からある名前。当代は特に代数は振っていない。 ---- 旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう 1949年 - )大分県南海部郡(現・佐伯市)出身の講談師。本名、久保康利。 大分県立佐伯鶴城高等学校卒業後、東京でサラリーマンを1年間勤め、その後大阪で浪曲の岡本梅寿軒の門下になる。後音楽ショウ「あひる艦隊」に岡本浩の名で参加し1969年に初舞台。1972年に3代目旭堂南陵の門下で南京から南鏡と改名。一時東京の6代目一龍斎貞水の預かり弟子で講談組合に所属。1980年夏に真打昇進し左南陵(ひだりなんりょう)を襲名。1996年に名古屋に移住した後、大須演芸場を拠点として活躍を開始。2007年に読みを(さなんりょう)と改名。現在は名古屋中心に大阪でも口演している。.

新しい!!: 講談と旭堂左南陵 · 続きを見る »

悟道軒圓玉

悟道軒 圓玉(ごどうけん えんぎょく)は、講釈師の名跡。新字体は悟道軒円玉。.

新しい!!: 講談と悟道軒圓玉 · 続きを見る »

教導職

教導職(きょうどうしょく)とは、明治初期の宗教政策で大教宣布(神道国教化)運動のために設置された宗教官吏である。明治5年(1872年)から明治17年(1884年)まで存続した。大教宣布運動は困難を極め、政府が政教分離の方針を取ったために廃止された。教導職は半官半民の任命制であり、神官・神職、僧侶などの宗教家を始め、落語家や歌人、俳人なども教導職に任命された。.

新しい!!: 講談と教導職 · 続きを見る »

拍子木

拍子木(ひょうしぎ)とは、「拍子」を取るための木の音具。柝(き)。『和漢三才図会』には、「俗にいう拍子木(と表記する)」と記され、近世期では、「柝」と記して、「ひょうしぎ」と読ませている。に持って打ち合わせると、カン、カンと高い澄んだ音が出る。日本では古来様々な用途に用いられてきた。 紫檀、黒檀、花梨、樫など堅い木材を細長い四角の棒状に切り、2本1組にして紐で男結びにしてつなぐ。紐は長めで、使わないときは自分の首にかけてぶら下げておくことができる。 紐を結ばない「かまぼこ型拍子木」もある。2本組であることが基本で、数え方の単位は「組」「対」である。.

新しい!!: 講談と拍子木 · 続きを見る »

曽呂利新左衛門

曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)は、落語家の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。.

新しい!!: 講談と曽呂利新左衛門 · 続きを見る »

1965年

記載なし。

新しい!!: 講談と1965年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

講談師講釈講釈師軍書読み軍談

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »