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新花月

索引 新花月

新花月(しんかげつ)は、かつて大阪府大阪市浪速区の歓楽街「新世界」のジャンジャン町(南陽通り商店街)にあった劇場。主に松竹芸能系の若手の登竜門的な存在の場であったが、吉本興業など他のプロダクションに現在所属するベテラン芸人の中にも、初舞台を踏んだ者は少なくない。.

129 関係: 劇場ちゃっきり娘はな寛太・いま寛大あひる艦隊かしまし娘千歳家今次・今若南喜代子吾妻ひな子吉本興業夢乃タンゴ・園ひとみ夢路いとし夢路いとし・喜味こいし大阪市大阪府太平サブロー・シロー宮史郎宮川左近ショー寄席上方柳次・柳太中田ダイマル・ラケット三人奴三音英次三遊亭小円・木村栄子三遊亭柳枝平和ラッパ・日佐丸平和勝次とダークホース幸助・福助京山幸枝若京唄子五條家菊二・松枝今宮エビス佐賀家喜昇・旭芳子北京一ミスワカサ・島ひろしマジカルたけしレツゴー三匹トニー谷プロダクションテント (漫談家)フラワーショウファミリートリオ喜味こいしキクタショウクエッション・ボーイズジャンジャン横丁ジョウサンズスカタンボーイズゼンジー中村ゼンジー北京ゼンジー・一億...ソフトショウタイヘイトリオサムライトリオサウンドコピーもろ多玉枝・広多成三郎やなぎ浩二内海カッパ勝忠男国分健二B1角座神戸松竹座祝々亭舶伝秋山右楽・左楽秋田Aスケ・Bスケ秋田一号・二号立山センター・オーバー笑福亭松鶴 (6代目)真山一郎登龍門芦乃家雁玉花菱〆吉・花柳貞奴花月亭九里丸芸人道頓堀角座荒川キヨシ・小唄志津子荒川歌江青芝フック・キック青芝金太・紋太西川のりお西川ヒノデ・サクラ香島ラッキー・御園セブン鳳啓助露の五郎兵衛一門都家文雄船仁のるか・喜和そるか酒井くにお・とおる若井はんじ・けんじ若井ぼん・はやと若井小づえ・みどり若葉トリオ通天閣劇場TENGEKI暁伸・ミスハワイ林田十郎林正之助東五九童・松葉蝶子松竹松竹座松竹芸能松鶴一門松葉家奴・松葉家喜久奴桜川末子・松鶴家千代八桂米朝 (3代目)桂春団治 (3代目)桂春輔桂文紅 (4代目)桂文我 (3代目)横山たかし・ひろし横山ホットブラザーズ正司敏江・玲児歓楽街漫談戎橋松竹春やすこ・けいこ春団治一門浪速区浮世亭夢丸浮世亭三吾・美ユル浮世亭歌楽・ミナミサザエ海原お浜・小浜新世界 (大阪)日本ドリーム観光旭堂南陵1954年1957年1958年1968年1981年1987年1988年 インデックスを展開 (79 もっと) »

劇場

プロセニアム・シアター(宝塚大劇場) 劇場(げきじょう)とは、演劇や歌舞伎、舞踊、オペラ、バレエ、コンサートなどを観客に見せるための施設。 オペラを上演するための劇場は歌劇場、日本の能楽では能舞台と称することが多い。また主に中小の劇団が公演を行う小規模な劇場を特に芝居小屋(しばいごや)と呼ぶことがあり、大きな劇場であっても演劇関係者は業界用語としてこれを「小屋」と呼ぶことがある。近年では、演劇が倉庫で上演されたり、小さなコンサートや大道芸が路上で行われたりすることもあるが、これらの場所は演出空間ではあっても劇場とは呼ばない。 演劇は日本では芝居と呼ばれ、古くから庶民の娯楽であり、各地に数多くの小規模な劇場が建設された。これらの劇場は各地域の芸能ばかりではなく、「ドサ回り」と呼ばれる地方を巡回して劇を行う旅芸人が、劇を行う場でもあった。後にこれらの劇場の多くは映画を上映する設備を備えるようになり、地方巡業の演芸者が減少するにつれて映画館へと役割を変えていった。このため、演劇を上演しない映画館であっても「劇場」と名付けられているものが多く残っている。。 現代においても、映画館を指して「劇場」と表現する場合は多い。テレビドラマやテレビアニメ等の映画化作品を「劇場版」と銘打つ、映画を放送するテレビ番組のタイトルに「…洋画(/邦画/映画)劇場」などと名付ける、といった例も挙げられる。.

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ちゃっきり娘

ちゃっきり娘(ちゃっきりむすめ)は、日本の漫才トリオ。1964年に結成し新花月で初舞台。.

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はな寛太・いま寛大

はな寛太・いま寛大(はな かんた・いま かんだい)は、漫才コンビである。所属事務所は松竹芸能。.

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あひる艦隊

あひる艦隊(あひるかんたい)は、コミックバンド・音楽ショウ。 1940年(昭和15)に木下華声が新興演芸に移った際に中心になって結成され、「あきれたぼういず」等のボーイズと肩を並べていた。戦後にメンバーが一新され再編成された。1959年(昭和34)には森井良太郎と山名偉三郎が分裂し、同時期に2つの「あひる艦隊」が存在することになる。 吉本系は1980年代、松竹系も1970年代には解散したが、後に大谷実がフリーで復活しつくみと喜多川と3人でやったが、最後は大谷とつくみの2人だけであった。.

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かしまし娘

かしまし娘(かしましむすめ)は、元松竹芸能所属の姉妹音曲漫才トリオ。.

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千歳家今次・今若

千歳家今次・今若(ちとせや いまじ・いまわか)は、昭和期に活躍した兄弟の漫才師。 コンビ結成時期は不明。弟の今若のほうが先に千歳家今男の門下になって1931年に千日前愛進館で千歳家歳男とコンビで初舞台をしている。この頃は歳男が柔道着、今若がボクサー姿の「柔拳漫才」をトリネタにする。ほかにもテーブルとテーブル掛けを用いて演じる「サイレンと浪曲」という浪曲の節真似を交互にするネタがあった。兄の今次は1939年に千日前三友俱楽部で今若とコンビ初舞台をしている。 徹底した駄洒落・ギャグを取り入れたしゃべくり漫才をやった。.

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南喜代子

南喜代子(みなみ きよこ、1920年3月28日 - 没年不詳)は、昭和期に活躍した漫才師、吉本新喜劇の女優。本名:山本正子。 大阪府南河内郡河南町の生まれ、三遊亭柳枝と結婚して相方となり柳枝劇団に入団。1945年に新開地劇場で初舞台。その後離婚し、1965年よりミナミサザエや、笹山タンバ(後の2代目内海突破)等と相次いでコンビを変える。その後は吉本新喜劇に入団し老け役で端役ながら活躍。やめよッカナ?以降も回数は少ないものの時折出ていたがまもなく引退。.

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吾妻ひな子

吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 1980年3月8日)は、上方の漫才師、漫談家。かつての女道楽を「おんな放談」という形にアレンジし、一世を風靡した。本名、杉森(旧姓・米沢)芙美子。鳥取県鳥取市出身。.

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吉本興業

吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、)は、大阪府大阪市中央区(登記上の本店)と東京都新宿区に本社 を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称「吉本」、「よしもと」。 1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。現在の東京証券取引所で上場廃止され、その後TOBで非上場化され、在京・在阪の主要民放局などが主要株主となっている。 日本経済団体連合会と日本商品化権協会加盟。.

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夢乃タンゴ・園ひとみ

夢乃タンゴ・園ひとみ(ゆめのたんご・そのひとみ)は、昭和期から平成期に活躍した、松竹芸能所属の男女漫才コンビ。1974年(昭和49年)結成、2008年(平成20年)タンゴの病没により消滅。.

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夢路いとし

夢路 いとし(ゆめじ いとし、1925年3月27日 - 2003年9月25日)は、実弟である相方・喜味こいしとのしゃべくり漫才コンビ夢路いとし・喜味こいしで上方演芸界にその名を知られる漫才師である。本名、篠原 博信(しのはら ひろのぶ)。.

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夢路いとし・喜味こいし

夢路 いとし・喜味 こいし(ゆめじ いとし・きみ こいし)は、1937年から2003年までの間活動した、夢路いとしと喜味こいしの兄弟による日本の漫才コンビ。1937年に少年漫才コンビとして活動を開始、2003年9月に兄の夢路いとしが死去するまで活動を続けた。1999年、大阪市が指定無形文化財に指定。「上方漫才の宝」と呼ばれる。.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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大阪府

大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.

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太平サブロー・シロー

太平サブロー・シロー (たいへいサブロー・シロー)は、太平サブローと太平シローによるお笑いコンビ。タイヘイ一門、レツゴー三匹門下。愛称は「サブシロ」。.

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宮史郎

宮 史郎(みや しろう、1943年(昭和18年)1月17日 - 2012年(平成24年)11月19日)は、日本の演歌歌手。最終的な所属事務所は宮プロジェクト。.

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宮川左近ショー

宮川左近ショー(みやがわさこんしょー)は、昭和期に活躍した松竹芸能所属の浪曲漫才トリオ。出囃子は『吉良の仁吉』。.

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寄席

寄席(よせ)とは、日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋である。.

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上方柳次・柳太

上方 柳次・柳太(かみがた りゅうじ・りゅうた)は、日本の昭和時代に活動した漫才コンビ。同時期にデビューした「はんけん」こと若井はんじ・けんじに対し、「柳柳」の略称で呼ばれて人気を博した。.

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中田ダイマル・ラケット

中田ダイマル・ラケット(なかたダイマル・ラケット)は、大阪を中心に活躍した漫才コンビである。出囃子『拳の三味線』。 戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビ。「爆笑王」の異名をとった。愛称は「ダイラケ」。.

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三人奴

三人奴」(さんにんやっこ)は、三味線漫才トリオ(音曲漫才)。三人奴というトリオ名は、同じ「奴」という字が付くという事で何かと比較された松葉家奴・松葉家喜久奴と区別するために付けられた名前。人気が出て定着するまではめくり等では「塚本やっこ・市松笑顔・市松笑美子」と書かれた。.

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三音英次

三音 英次(みつね えいじ、1939年 - 2003年 朝日新聞Digital)は、昭和40年代に活躍した歌手、芸人。本名は泰英二。「三音英二」の表記も見られる。.

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三遊亭小円・木村栄子

三遊亭小円・木村栄子(さんゆうてい こえん・きむら えいこ)は、昭和期に活躍した夫婦漫才のコンビ。.

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三遊亭柳枝

三遊亭 柳枝(さんゆうてい りゅうし、1903年12月 - 1961年5月19日)は大正・昭和期の漫才師、喜劇俳優、漫談家。本名は山本 卯三郎。 大阪の生まれ、瀬戸内海の汽船のボーイを経て、15、16歳頃に天狗連(セミプロ)の二代目三笑亭柳枝(俗に「提灯屋の柳枝」といわれる人物)に入門して噺家になり、三笑亭柳歌を名乗る。後に勝手に「三笑亭柳枝」の名の入った後ろ幕を持ち出し勝手に「三笑亭柳枝」を名乗り独演会を開いた事で破門される。 その後、師匠の配慮で三遊亭円子(圓子)門下(預かり弟子のような形)で復帰し三笑亭青柳と改名、後に元師匠が三笑亭柳枝が柳花に柳枝を譲ったので改めて三遊亭柳枝となった、師匠が落語の亭号である「三遊亭」を許可なく名乗っていた為、東西の落語家らから毛嫌いを受けたとされる。 漫才師になってからは、最初の妻の花柳一駒、文の家久月、不二乃道風(後の富士乃章介)、ミヤコ蝶々など、相方を何度も替えた。20歳を過ぎた大正の末からは一座の座長で全国を巡業、ミヤコ蝶々とは不倫の末に1944年に再婚。彼女の最初の夫となったが、新婚当時すでに元妻以外に3人の女性がおり、1947年に離婚。その後相方の南喜代子との結婚もあった。 戦中は疎開し、戦後は大阪で「柳枝劇団」を旗揚げした。ただし、劇団とは名乗っていたが、漫才や落語、漫談等も行なった。柳枝劇団は1956年に解散し「松竹爆笑劇」と名前を変え角座で演じ、現在においての吉本新喜劇等の基礎となっている。 十八番は「大菩薩峠」の机竜之助の居合抜き。 また、柳枝は映画界でも喜劇役者として活躍し、東映作品の「花かご道中」(1961年)では美空ひばりや丘さとみ等と競演している。.

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平和ラッパ・日佐丸

平和ラッパ・日佐丸は戦前から戦後にかけて活躍した漫才コンビ。 特に2代目ラッパのアホぶりは大村崑、藤山寛美と共に「大阪三大アホ」と呼ばれるほど人気を博した。 戦前は吉本の主要の漫才寄席に上がり、戦後は千日劇場、新世界新花月、角座、神戸松竹座、最後は吉本の花月の舞台に上がった。.

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平和勝次とダークホース

平和勝次とダークホース(へいわかつじとダークホース)は、日本のコミックバンド。初舞台は吉本興業大阪のうめだ花月。ムード歌謡コーラスグループに分類される場合もある。.

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幸助・福助

幸助・福助(こうすけ・ふくすけ、1982年 - )は、和光プロダクションおよび関西演芸協会・漫才協会に所属する、タイヘイ一門の漫才コンビ。 レツゴー三匹門下で、移籍目的で形式的に破門された太平サブロー・シローの弟弟子に当る。.

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京山幸枝若

京山 幸枝若(きょうやま こうしわか)は、浪曲の名跡。.

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京唄子

京 唄子(きょう うたこ、1927年7月12日 - 2017年4月6日)は、日本の女優・漫才師である。本名:鵜島ウタ子(うじま・うたこ)。京都府京都市上京区西陣出身。所属事務所はさち子プロ。.

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五條家菊二・松枝

五條家菊二・松枝(ごじょうやきくじ・まつえ)は、昭和期に活躍した夫婦の音曲漫才コンビ。 五条家菊二・松枝と書かれている資料もある。.

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今宮エビス

今宮エビス(いまみや えびす、1942年1月10日 - 2008年1月27日)は、お笑い芸人、漫才師。京都府京都市嵯峨野出身。本名は土屋 嘉生(つちや よしお)。芸名は吉田留三郎が命名。.

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佐賀家喜昇・旭芳子

佐賀家喜昇・旭芳子(さがのやきしょう・あさひよしこ)は昭和期に活躍した夫婦の漫才コンビ。戦前、戦中は端席、戦後はトップホットシアター、新世界新花月の劇場に出た。 芳子が椅子に腰掛け三味線を演奏、喜昇が立って新磯節や八木節の民謡を唄う。一節終わり客から喝采を浴びると調子に乗り延長するので席亭を困らせた。最長1時間20分演じたと事もある。「おとろしや漫才」の異名をとった。 珍芸で蝿取りや乞食。猿(エテ公)の物真似は彼が唯一の芸で至芸である。 乞食の物真似では流行歌「満州娘」の替え歌で「御嫁に行きます天王寺。喜イやん待ってて頂戴ね。」に合わせて細身で小柄の喜昇が珍妙な踊りを演じ、あわせて、色白美人の芳子が「投げ銭、おくんなはれ」と言って客席からおひねりが客から投げ込まれる。新世界新花月では「おい!! キー公(喜昇のあだ名)!! おもんないねん。帰れ!!」等の野次が飛んでくると欠かさず喜昇は「誰がキー公や アホんだら!!」と客いじりをよくしていた。この二つの芸はあまりにも下品だったので角座やラジオ・テレビで披露される事はなかった。新花月をホームグラウンドとし人気を博した。 しかし、注目すべきは、NHKの脚本家だった長沖一を昭和10年当時、既に売れっ子になっていた横山エンタツが、「ほんまもんの漫才、見せたげまっさ・・・・わたしら、この漫才には勝てまへん」と連れて行ったのは、この乞食漫才の喜昇の出ている天満の小屋であり、場末の小屋だった。喜昇の舞台を見に来たのは、芸を知っている芸人や関係者、東京から来た大衆芸能好きな見豪奢、京都大学の教授達もだった。 また、放送に乗せられなかったのは、喜昇は自分の芸に時間の規制を設けられるのを嫌ったらしいこともある。晩年、桂米朝が司会をした朝日放送のテレビ番組の『和朗亭』に喜昇を招き出演させたことがある。尚1975年放送のNHKの「新日本紀行 浪華芸人横丁」でも初めてテレビ出演した時の取材の模様が残されている。 「蝿取り」は、立花家扇遊、高砂家ちび助なども行っていた。.

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北京一

北京一・京二(きた きょういち・きょうじ)は、北京一と北京二の2人からなる日本のお笑いコンビ。和光プロダクション所属。.

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ミスワカサ・島ひろし

ミスワカサ・島ひろし(みすわかさ・しまひろし)は、戦中から戦後期にかけて活躍した漫才師である。大阪でボーイズ芸の舞台に立っていたひろしを見たワカサが一目惚れしコンビを結成。1941年、新芸演劇部の所属として、輝子・ひろしでデビュー。1951年に宝塚新芸座入り。 1954年に『漫才学校』の出演を皮切りに『上方演芸会』などのラジオの演芸番組に出演し知名度を得る。1974年1月の中席の角座がコンビとしての最後の舞台となった。 2007年第12回上方演芸の殿堂入り。.

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マジカルたけし

マジカル たけし(1944年2月20日 - 1991年3月19日 コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ、2010年))は、日本の奇術師。 本名:前田 武司(まえだ たけし)井澤壽治『上方大入袋 名人の心と芸』1988年、東方出版 pp.178-181。落語家の2代目桂枝雀の実弟。.

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レツゴー三匹

レツゴー三匹(レツゴーさんびき)は、日本の漫才トリオ。 昭和後期から平成初期に活動し、それ以降は永らく休止状態にある。トリオとしての所属事務所は和光プロダクションをへて、松竹芸能。のちにじゅんのみオフィスのいりに所属した。 タイヘイ一門の総領格。「レッツゴー三匹」は誤記(由来は後述)。.

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トニー谷

トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 リズムに乗りそろばんを楽器のようにかき鳴らす珍芸が売りで、妙な英単語を混ぜたしゃべりは「トニングリッシュ」と称された。短めのオールバックにコールマン髭、吊りあがったフォックスめがねがトレードマーク。.

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プロダクション

プロダクション (production)とは、生産すること、あるいは生産されたもののことである。派生して以下の意味になる。.

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テント (漫談家)

テント(1951年5月16日 - 2016年9月27日)は、日本の漫談家、タレント。本名:三浦 得生(みうら とくお)。 吉本興業所属。放送メディアにめったに出演しない姿勢から、未確認生物になぞらえ、「お笑い界のツチノコ」または「ツチノコ芸人」と評されたほか、先鋭的な芸風から、師匠の上岡龍太郎に「出てくるのが10年早かった」と言わしめたり、「21世紀型芸人」と形容されたりした。.

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フラワーショウ

フラワーショウ(ふらわーしょう、1961年10月 - 2006年)は、松竹芸能に所属していた浪曲漫才トリオ。テーマ曲は「道頓堀行進曲」「〽 ようこそ~ 皆さま~ ご機嫌宜しゅう~。 歌って~ 笑って~ フラワーショウ~。 どうぞ~ 宜しく~ 願います~。」。.

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ファミリートリオ

ファミリートリオは、昭和期に活躍した松竹芸能所属の音曲漫才(音楽ショウ)。 当初は「勝浦きよし・小夜子」で夫婦漫才としてスタート、その後実の娘を迎えて3人で「ファミリートリオ」として本格スタートをした。 晩年「勝浦きよし・さよこ」として浪花座に出演した。きよしは晩年体調も思わしくなく椅子に腰掛けて舞台を勤めた。またSTUDIO210の通天閣歌謡劇場に出場するときは漫才はせず娘の千恵美を中心とした「千恵美ショウ」と称して歌謡ショウを行っていた。 3人では長唄、三味線、ギター、舞踊を巧みに用いた歌謡音曲漫才をやった。2005年のきよしの死去に伴い消滅。その後娘が本名の大海千恵美で関西演芸協会に所属、ひとりで歌謡ショウで通天閣歌謡劇場に出演していた。.

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喜味こいし

喜味 こいし(きみ こいし、1927年11月5日 - 2011年1月23日)は、日本の漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ夢路いとし・喜味こいし(いとし・こいし)」のツッコミとして活躍した。本名、篠原 勲(しのはら いさお)。 埼玉県川越市生まれ。.

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キクタショウ

タショウ(きくたしょう)は、日本の浪曲漫才。 メンバーは当初は大蔵雲門下で浪曲師をしていたがタイヘイトリオ、宮川左近ショー、ジョウサンズ等の浪曲漫才トリオの結成ブームにあやかり1963年頃に結成された。メンバー編成は当初は3人だったが4人なりその後もメンバーの離合集散を繰り返し昭和40年代中ごろまで活動した。「ロマンスキクタショウ」と称した事もあった。.

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クエッション・ボーイズ

ッション・ボーイズは、コミックバンド・音楽ショウ(ボーイズ)。.

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ジャンジャン横丁

ャンジャン横丁(北口から) ジャンジャン横丁(ジャンジャンよこちょう)は、大阪市浪速区恵美須東3丁目東部を南北に貫く商店街。「ジャンジャン町」ともいう。新世界の南東部に位置しており、全長約180m。アーケードはあるが、横幅は2.5mほどと非常に狭い。それが却って活気を醸し出している。 「ジャンジャン横丁」は通称で、正式名称は「南陽通商店街」である。.

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ジョウサンズ

ョウサンズは、女性浪曲漫才トリオ。1962年(昭和37年)3月結成し新世界の新花月で初舞台、人気浪曲師の秋水嬢を中心に据えた、若手女性版の宮川左近ショー的な構成だった。活動は1975年(昭和50年)に一度解散した第1期と後に再結成された第2期に大分される。第2期は1995年(平成7年)11月に解散。 テーマ曲は「〽 さぁさぁ 出ました わたしらトリオ 歌って 笑って 朗らかに ト~リオ~ ト~リオ~ ジョウサ~ンーズ!!」。 ジョーサンズと表記される事もある。 トリオ名の由来は三人の嬢という意味でジョウ(嬢)サン(三)ズ。.

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スカタンボーイズ

タンボーイズ(すかたんぼーいず)は、コミックバンド・音楽ショウ。 1961年11月に宮貫一、望月凡太、駒タロー(後の2代目広沢駒蔵)の3人でグループを結成。メンバーは離合集散を繰り返したが1971年頃まで活動をし「バイオレッツ」とグループ名を改称した。その後主要メンバーは平和勝次とダークホースの結成に参加。 初期はコント色が強かったが後期はグループ・サウンズの音楽色が強くなった。.

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ゼンジー中村

ンジー中村(ゼンジー なかむら、本名、中村則文、1929年 – 1978年7月21日)は、和歌山県出身の手品師である。和歌山大学卒業。 ゼンジー北京の師匠として知られる。 石田天海、2代目松旭斎天勝の両師匠に師事。1961年に神戸松竹座で初舞台。その後松竹座、角座など松竹系の劇場で活躍。のちに弟子等を従えて「魔法のグループ」を結成。肺結核で死去。 芸は弟子の北京とは違いしゃべくりのない大ネタを得意とした。.

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ゼンジー北京

ンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年1月3日 – )は、広島県出身のタレント、手品師である。和光プロダクション所属。.

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ゼンジー・一億

ンジー・一億(ぜんじー・いちおく)は、奇術師の名跡。当代は3代目に当たる。.

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ソフトショウ

フトショウ(ソフトしょう)は、昭和期に活躍した松竹芸能所属の音頭ショウ。 大和音頭、浪曲、漫才などの要素を取り入れた節回しで新世界新花月、神戸松竹座、角座で活躍。 1961年頃トリオ結成。当初は佳津枝、貞子、絹代でスタート、その後はメンバーの離合集散を経て1978年6月トリオを解消。最後のメンバーは佳津枝、貞子、佳子。.

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タイヘイトリオ

タイヘイトリオ(たいへいとりお)は、日本の浪曲漫才トリオである。浪漫ショウの名で広く知られた。.

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サムライトリオ

ムライトリオはかつて活動していたお笑いグループ。松竹芸能所属。.

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サウンドコピー

ウンドコピーは、物真似を交えた漫才コンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。前身は「トリオ・ザ・ミミック」、「ザ・ミミック」。ネタの数はジャンル問わず多岐にわたり300を超える。 かつては柳家金語楼や横山エンタツ・花菱アチャコ、桂三枝(現・六代桂文枝)などの吉本に縁の芸人の物真似を多くやっていたが、2000年代あたりは環境問題や動物の絶滅危惧に関するネタを多く披露しており、自費出版CD「みんなのちきゅう」も環境問題を訴える内容になっている。 久保田進の急逝に伴い現在は上純一のソロユニットとなっており、NGKや営業、天満天神繁昌亭など舞台を中心に活動している。.

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もろ多玉枝・広多成三郎

もろ多玉枝・広多成三郎(もろたたまえ・ひろたなりさぶろう)は戦前、戦後にかけて活躍した漫才コンビ。1929年からすでに「荒川玉枝・成三郎」として吉本興業部の連名に名を連ね、戦中はわらわし隊なる慰問団に参加し中支那班の一員で派遣。戦後は戎橋松竹に始まり、最晩年は吉本興業の劇場に出ていた。 「馬漫才」称する漫才が有名ですべてのボケ、ツッコミ、ギャグ、落ちまでが馬の話に帰結するという漫才を行なった。 もろ多玉枝没後は妻の小唄志津子(広多シズエの名で)とコンビを組み「馬漫才」に変わる「牛漫才」を行なった。 「澤田隆治が選んだ 爆笑!漫才傑作集(5)」に音源が収録されており芸を偲ぶ事ができる。弟子には古川一郎・二三子(のらくろショウ)がいる。 コンビ名は「貰た、拾た」からきている。なおこの名前は花月亭九里丸が姓名判断に凝っているときにつけた。.

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やなぎ浩二

やなぎ 浩二(やなぎ こうじ、1942年4月26日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本興業大阪本社所属。吉本新喜劇の座員として知られる。 本名は海徳 浩(かいとく ひろし)。愛称は「マンちゃん」(旧芸名に由来。後述)。血液型はA型。.

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内海カッパ

内海カッパ(うつみ カッパ、1941年9月14日 - 2008年8月27日)は、日本のお笑い芸人。本名、神田 常巌。鹿児島県奄美大島出身。.

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勝忠男

勝 忠男(かつ ただお、1926年 - 2006年7月17日)は、大阪市を本拠とする芸能事務所大手の松竹芸能創業者の一人で元会長・社長。興行師・芸能プロモーター。大阪府出身。.

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国分健二

国分健二(こくぶ けんじ、本名:国分謙治。1949年10月5日 - )は大阪府大阪市出身の漫談家。落語芸術協会所属。 出囃子は浪花小唄から現在は高校三年生に変更されている。初舞台は1970年12月の浮世亭ケンボー・ヒロボーでデビュー.

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B1角座

B1角座(ビーワンかどざ)とは、2004年から2008年まで、松竹芸能が演芸場そのものを保有し自主興行を行った、日本の演芸場のひとつ。.

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神戸松竹座

戸松竹座(こうべしょうちくざ)は、神戸市兵庫区新開地(住居表示は福原町)にあった劇場。映画館。演芸場。松竹直営。.

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祝々亭舶伝

祝々亭 舶伝(しゅくしゅくてい はくでん、1936年(昭和11年)2月27日 - 2008年(平成20年)5月?)は、大阪府大阪市出身の落語家。本名は岡本 憲二郎。春輔時代には新世界新花月によく出演したため、初代春輔が「神戸の春團治」と呼ばれたのに対し「新世界の春團治」と呼ばれた。弟子には大介(桂大輔)、弥介(桂弥輔)がいたが、いずれも廃業。.

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秋山右楽・左楽

秋山右楽・左楽(あきやま うらく・さらく)は戦前から戦後にかけて活躍した漫才コンビ。 戦中は新興演芸。戦後は吉本の主要劇場で活躍。.

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秋田Aスケ・Bスケ

秋田Aスケ・Bスケ(あきたえーすけ・びーすけ)は、戦中〜戦後に活躍した、日本の漫才のコンビ。結成当時は吉本興業、その後、大滝エージェンシー→株式会社パルティール所属。 二人は従兄弟の関係だという。.

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秋田一号・二号

秋田一号・二号(あきたいちごう・にごう)は、昭和期の漫才師。新世界にあった新花月をホームグラウンドにしていた。1970年代末頃に活動を休止。 新花月が活動拠点であった為か将棋を漫才のネタに取り入れ期待も大きかったが新花月のガラの悪い厳しい客に受けず活動を休止。 ほとんど活躍しなかった為映像、音源が残されていないが1977年4月11日にNHKで放送された新日本紀行「王将・うまれ浪花の 〜阪田三吉と新世界〜」の中で新花月の舞台の映像と2人がうどんを食事しているシーンが残されている。新日本紀行ふたたびでも放送済み。.

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立山センター・オーバー

立山センター・オーバー(たてやま - )は、ケーエープロダクション所属、身長差23cmの凸凹漫才コンビ。1981年10月結成。.

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笑福亭松鶴 (6代目)

6代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1918年8月17日 - 1986年9月5日)は、落語家。大阪府大阪市出身。生前は上方落語協会会長。本名は竹内 日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」。父は同じく落語家5代目笑福亭松鶴。母は落語家6代目林家正楽の養女。息子は同じく落語家5代目笑福亭枝鶴(後に廃業)。甥は笑福亭小つるを名乗って松鶴と共に若い頃修行していたこともある和多田勝。.

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真山一郎

真山 一郎(まやま いちろう)は、浪曲の名跡。当代は2代目。.

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登龍門

登龍門(とうりゅうもん)とは、成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ。 特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。 「膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす」。 この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺は宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった(党錮の禁を参照)。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「竜門に登った」と形容したという。 なお「竜門」とは夏朝の皇帝・禹がその治水事業において山西省の黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことである。.

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芦乃家雁玉

芦乃家 雁玉(あしのや がんぎょく、1894年1月20日 - 1960年12月30日)は、漫才師。本名: 三井 寒三郎。大阪難波新地の生まれ。享年66。愛称は風貌から「タコ壺」、または「雁さん」。 「雁玉」「雁」という字は尊敬する歌舞伎役者の二代目實川延若の替紋の五つ雁金に由来。.

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花菱〆吉・花柳貞奴

花菱〆吉・花柳貞奴(はなびししめきち・はなやぎさだやっこ)は昭和期に活躍した女流漫才コンビ。 当時では珍しい女同士のしゃべくり漫才コンビ。一時海原お浜・小浜と2枚看板で競い合い売り出そうとしたがお浜・小浜ほど売れることはなかった。 花菱〆吉は体重90kgを超える巨体で、花柳貞奴は飄々とした細身の体。こので大小のコントラストで互いに容姿をけなしあったりしたネタなども行った。〆吉がふらっと倒れ重い体をゆっくり起こすギャグがあった。1939年4月、新興キネマ演芸部に所属の芸人で〆吉は花菱〆吉・〆太、貞奴は花柳貞奴・愛子という別々のコンビだったがコンビ別れののちに2人で組む。主な活動の場は地方、戦後は千日劇場だった。〆吉は体が大きいのが災いし、バス乗車中の事故で負傷したため1972年〜1973年ごろにコンビを解消。同時に2人とも引退し、貞奴は京都の大徳寺の近所で隠居生活を送った。 2人の芸風は後の今いくよ・くるよに通じるところがある。.

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花月亭九里丸

花月亭 九里丸(かげつてい くりまる、明治24年(1891年)10月10日 - 昭和37年(1962年)1月7日)は、大阪市南区西賑町出身の漫談家。本名は渡辺 力蔵。 父は、大阪で初めて楽隊を使ったチンドンマンの丹波屋九里丸(栗丸)。「ドンガラガッチャの九里丸」として人気者だった。花月亭九里丸も少年時代、父に付き従って九州や四国まで従業に参加。後に漫談で生かされるアイデアの多くは、チンドンを通して育まれた。 大正5年(1916年)1月に三升小紋(後の2代目三升紋弥)に入門。三升小鍋を名乗る。 その折に「大八会」に加入し後に「浪花落語反対派」所属。大正10年(1921年)に父が死去し九里丸の襲名の話が起き、大正11年(1922年)11月に吉本興業に買収されてから吉本泰三に花月亭九里丸を名乗らされる。大辻司郎に師事し「漫談創始」に呼応して大阪最初の漫談家となる。「金色夜叉」を全編大阪弁でやったり、特大しゃもじを手にして演奏する「滑稽琵琶」を考案し、笑いを振りまいた。 昭和9年頃(1934年ころ)に明朗塾を開いて後進の指導に力を入れた。また「西条ちかし」のペンネームで後進に新作漫才を書いている。 昭和31年(1956年)、初代桂春団治のエピソードをまとめた「すかたん名物男」を著書。昭和35年(1960年)、寄席のルール、しきたり、用語をまとめた「寄席楽屋事典」を著書。昭和36年(1961年)、芸人の経歴、師弟関係をまとめた系図本「笑根系図」を著書。同年9月7日、体調不良により引退興行を行う。墓所は京都府宇治市靖國寺。戒名は「芸咲院漫譚栗苑居士」。 芸は当初は落語をやっていたが舌足らずで口跡だったため落語家向きではなかった、そのため漫談や百面相をやっていた。その芸風はSPレコードが残されており芸をしのぶことができる。そのため、あだ名は「ひき臼」と呼ばれた、意味は「頭回って、下(舌)回らん」である(「古今東西落語家事典」より)。 弟子にクリカワ・クリスケ、九里夫・みどり、西条凡児らがいた。現在「九里丸」の名跡は吉本に考慮して漫談家が「河内亭九里丸」の名で名乗っている。.

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芸人

記載なし。

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道頓堀角座

道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)は、.

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荒川キヨシ・小唄志津子

荒川キヨシ・小唄志津子(あらかわきよし・こうたしずこ)は、大正・昭和期に活躍した日本の漫才師。 キヨシの長身で細身の体、志津子の巨体のコントラストが受けた。漫才という形を取っているがほとんどがキヨシの一人舞台でセンターマイクの中央に立ち志津子が横で椅子に腰掛け三味線を弾いて伴奏する程度。 名前の通り主に小唄・都々逸、キヨシの阿呆陀羅経に最後は小さな木魚を取り出し叩く音曲漫才で、戦後、桜川末子・松鶴家千代八や桜津多子・桜山梅夫、浪花家市松・芳子、五條家菊二・松枝等と共に数少ない音曲漫才として角座などで人気になった。晩年は浪花座、名古屋の大須演芸場に出演した。 キヨシの愛用の木魚は喜味こいしが死後譲り受けている。現在は大阪府立上方演芸資料館に寄贈されている。キヨシは何故か舞台で必ずポーチを携えていた。中には貴重品が入っていたようである。.

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荒川歌江

荒川歌江(あらかわ うたえ、本名・猪妻ウタエ、1903年 - 1971年9月1日)は大正・昭和期の漫才師。 大阪の生まれ、荒川芳丸の門下。同じ門下には夢路いとし・喜味こいし、人生幸朗等がいる。 同門で夫の荒川助八や砂川拾次、松葉家奴、浮世亭出羽助等と数々とコンビを変え。1960年より都家文雄とコンビを組むやいきなり文雄の「ぼやき漫才」で一世風靡をする。 文雄は一切歌江にネタの稽古をさせずぶっつけ本番で舞台に上がりとどまることを知らない文雄のぼやきを止めるのに苦労したという。かしまし娘の正司歌江とは下の名前が一緒で角座などの劇場で仕事依頼等で電話があった場合苦労した。 1966年、大阪府民劇場賞受賞。第8回上方演芸の殿堂入り。.

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青芝フック・キック

青芝フック・キック(あおしばフック・キック)は、昭和時代後期から平成時代初期まで活躍した漫才のコンビ。 和光プロダクションに所属し、道頓堀角座を中心に活躍した。 1968年、フックがかつて参加し、一世を風靡した漫画トリオが解散、新しい相方を求めたフックは出身高校の4年後輩のキックとコンビ結成。フックの軽妙なしゃべくり、練りこんだキックとのテンポ良い掛け合いを売りにした知性派漫才を売りにした正統漫才。非常に玄人受けするもので、作家・小林信彦の著作でも絶賛を受けている。 社会風刺の行なう「ニュース寄席」というイベントを定期的に行なった。 1996年頃にキックが体調を崩したことでコンビを解散。 のちにフックは関西演芸協会に所属しピン芸人として活躍している。.

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青芝金太・紋太

青芝金太・紋太(あおしばきんた・もんた)は、昭和後期に活躍した日本の漫才師。元和光プロダクション所属。.

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西川のりお

西川 のりお(にしかわ のりお、1951年5月12日 - )は、日本の漫才師である。本名、北村 紀夫(きたむら のりお)。 よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。茨城県坂東市のねぎ大使でもある。愛称は「のりやん」。 奈良県吉野郡川上村生まれの大阪市都島区育ち。.

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西川ヒノデ・サクラ

西川ヒノデ・サクラは、昭和期に活躍した漫才コンビ・音楽ショウ・コミックショウ。活動が長期に亙り、時代によって参加人員やグループ名称が大きく変動している。 1941年4月に西川ヒノデが、初代西川サクラと組んだ『ヒノデ・サクラショウ』が最初で、バイオリンを使った時事漫才や音楽ショウで大いに売れた。当初は吉本興業所属でのちに新興キネマ新興演芸部に所属。戦後永らく千土地興行所属だったが、後吉本に移り旧うめだ花月にも出演した。後にグループは理由は不明だが自然消滅、末期は新世界新花月にヒノデが一人で出ていた。一説にはヒノデの妻が新世界で美容院をやっていてそちらが儲かった為ともいわれる。代々サクラに関しては不明な点が多い。.

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香島ラッキー・御園セブン

香島ラッキー・御園セブン(かしまラッキー・みそのセブン)は、日本の漫才コンビである。1930年(1929年とも)頃コンビ結成。.

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鳳啓助

鳳 啓助(おおとり けいすけ、本名:小田 啓三、1923年3月16日 - 1994年8月8日)は、日本の俳優・漫才師。大阪府大阪市出身。.

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露の五郎兵衛一門

露の五郎兵衛一門(つゆのごろべえいちもん)は、2代目露の五郎兵衛を頂点とする落語家の一派。一門会「露の会」を開催している。.

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都家文雄

都家 文雄(みやこや ふみお、1893年3月1日 - 1971年5月4日 コトバンク - 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)および日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ、2010年)より引用)は大正・昭和期の漫才師。本名・苗村 正次。 世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」の創始者澤田隆治『上方芸能列伝』文春文庫、1996年 ISBN 4-16-738803-0。漫才コンビ「都家文雄・静代」および、「都家文雄・荒川歌江」での活動が最も知られる。それぞれのコンビにおける立ち位置は向かって左。.

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船仁のるか・喜和そるか

船仁のるか・喜和そるか(ふねにのるか・きわそるか)は、昭和期に活躍した、漫才コンビ。.

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酒井くにお・とおる

酒井くにお・とおる(さかいくにお・とおる)は、松竹芸能所属の兄弟漫才コンビ。.

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若井はんじ・けんじ

若井 はんじ・けんじ(わかい はんじ・けんじ)は、日本の兄弟漫才コンビ。昭和時代の高度経済成長期に活動した。略称は「はんけん」。同世代の「柳柳」こと上方柳次・柳太としのぎを削った。.

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若井ぼん・はやと

若井ぼん・はやと(わかいぼん・はやと)は、昭和期に活躍した漫才コンビ(若井はんじ・けんじ門下)。若井ぼん(わかいぼん、本名:阿部龍弥、1944年9月27日 - )と若井はやと(わかいはやと、本名:中川秀明、1944年8月14日 - 2008年12月8日)の二人組である。元松竹芸能所属。 若手の頃、横山やすし・西川きよしのライバル的存在であった。解散後、若井ぼんはレゲエ歌手としても活動した。.

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若井小づえ・みどり

若井小づえ・みどりは、元女流漫才コンビ。吉本興業大阪本部所属。師匠は若井はんじ・けんじ。活動期間は1965年~1991年。.

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若葉トリオ

若葉トリオ(わかばとりお)は、主に昭和期に活躍した松竹芸能所属の音頭ショウ。 河内音頭、浪曲、歌謡曲、漫才なんでもありのショウとして1962年12月にトリオ結成。翌年から本格スタートし新世界新花月を皮切りに、神戸松竹座・あべのアポロホール・角座等の松竹主要劇場で活躍。 結成当初のメンバーはみゆき・しげみ・わたるで、多少メンバーの入れ替えを経て最後はみゆき・しげみ・ゆきおとなった。1980年代中期まで活躍。 しげみの色白・小柄でふっくらとした顔で「白豚」、ゆきおの色黒・小柄でふっくらとした顔で「黒豚」と、貶し合う掴みネタで笑いを取った。 1990年代以降、みゆき・しげみの2人が残り、若葉ショウ名義で2001年ごろまで活動した。.

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通天閣劇場TENGEKI

通天閣劇場TENGEKI(つうてんかくげきじょうてんげき)は、大阪市浪速区の新世界にあった通天閣観光の地下劇場「STUDIO210」にて、2008年7月5日から2013年6月29日まで行っていた松竹芸能の演芸興行の名称。通称はTENGEKI(てんげき)。 2009年7月5日は1周年を記念して入場料1円キャンペーンを実施した。.

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暁伸・ミスハワイ

暁伸・ミスハワイ(あかつきしん・ミスハワイ)は、『浪漫リズム』で知られた夫婦の浪曲漫才コンビ。2009年、第13回上方演芸の殿堂入り。.

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林田十郎

林田 十郎(はやしだ じゅうろう、1900年6月11日『なにわ難波のかやくめし』(成瀬國晴、東方出版) - 1967年3月24日)は、漫才師。本名は吉田留吉。兵庫県神戸市の生まれ。愛称はすらっとした細身の体だったため「サイラ」(さんまの別名。)、または「十さん」。.

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林正之助

林 正之助(はやし しょうのすけ、1899年1月23日 - 1991年4月24日)は、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。.

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東五九童・松葉蝶子

東五九童・松葉蝶子(あずまごくどう・まつばちょうこ)は、昭和期に活躍した、日本の漫才(夫婦漫才)のコ ンビ。.

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松竹

松竹株式会社(しょうちく)は、日本の映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける会社。歌舞伎の興行については現在ほぼ独占的に手がけている。創業は1895年で設立は1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。.

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松竹座

松竹座(しょうちくざ)は演劇・映画の制作・配給・興行を手掛ける会社である松竹株式会社の経営する劇場、映画館。全国各地に存在したが、現在は演劇興行を行う大阪市中央区道頓堀に所在する大阪松竹座のみ。.

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松竹芸能

松竹芸能株式会社(しょうちくげいのう)は、大阪府大阪市中央区道頓堀に本社を置く芸能事務所。松竹の連結子会社である。吉本興業と並び、上方演芸界の二大プロダクションのひとつ。.

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松鶴一門

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 松鶴一門(しょかくいちもん)とは、上方落語の復興に尽力し、昭和の「上方落語の四天王」の1人である6代目笑福亭松鶴を師と仰ぐ落語家の一派のことである。.

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松葉家奴・松葉家喜久奴

松葉家奴・喜久奴 松葉家奴・松葉家喜久奴(まつばや やっこ・まつばや きくやっこ)は戦前から戦後にかけて活躍した漫才コンビ。 戦後は戎橋松竹を中心に活躍。その後松竹芸能の主要劇場を経て奴は吉本興業の主要劇場に出演した。 第四回上方演芸の殿堂入りを果たしている。.

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桜川末子・松鶴家千代八

桜川末子・松鶴家千代八(さくらがわすえこ・しょかくやちよはち)は、昭和期に活躍した音曲漫才コンビ(1954年~ 1974年)。 恰幅の良い末子が男勝りの気っ風と節回しで聞かせる江州音頭と、痩躯の千代八が甲高い声で細棹を弾き語る座敷唄の数々、締めには定番の数え歌でウケを取った。十八番に野球の数え歌がある。 1954年にベテラン同士で結成。高齢を理由に1974年10月に新世界新花月にて引退興行するまで、上方芸界の大看板に20年間君臨し続けた。尚テレビなどで古典万歳の三曲万歳が披露されるとよく出演していた。.

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桂米朝 (3代目)

3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所。尼崎市に住んだ。.

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桂春団治 (3代目)

花菱は、桂春団治一門の定紋である。ただし春団治はそれに三重の菱形で囲った「菱三升に花菱」の紋を使用。 三代目 桂 春団治(さんだいめ かつら はるだんじ、1930年3月25日 - 2016年1月9日)は、落語家。本名:河合 一(かわい はじめ)。大阪府大阪市出身。旧字体を春團治。所属事務所は松竹芸能に所属していた。上方落語協会会員(相談役、第3代会長)。出囃子は『野崎』。.

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桂春輔

桂 春輔(かつら はるすけ)は、上方落語の名跡。桂春團治の系統。現在は空き名跡となっている。.

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桂文紅 (4代目)

4代目 桂 文紅(4だいめ かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、大阪の落語家。出囃子は『お兼晒し』。大阪府生まれ。寝屋川高等学校、立命館大学文学部出身。本名:奥村 壽賀男(おくむら すがお)。。上方落語の世界初の大学卒業の噺家。.

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桂文我 (3代目)

3代目桂 文我(かつら ぶんが、1933年(昭和8年)7月5日 - 1992年(平成4年)8月16日)は、戦後の上方落語家。本名は石木 正一。出囃子は「せり」。.

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横山たかし・ひろし

横山たかし・ひろし(よこやまたかし・ひろし)は松竹芸能所属の漫才コンビ。横山やすしの弟子で、共に明蝶学院の出身。1968年にコンビ結成。同年に新世界新花月で初舞台。ホラ吹き漫才の第一人者。.

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横山ホットブラザーズ

横山ホットブラザーズ(よこやまホットブラザーズ)は、ケーエープロダクション所属(2011年より吉本興業と業務提携)の日本の音楽ショウグループ。元松竹芸能所属。「しゃべくり漫才」→「シチュエーションコント」が主流を占める中で、楽器を用いた音曲漫才・ボーイズ物の伝統を守る、数少ないグループの一つ。 結成は戦前に遡り、戦後は戎橋松竹、トップホットシアター、道頓堀角座等をホームグラウンドに、キャバレー廻り等もした。現在も定席やテレビ・ラジオ出演の他に、営業も数多くこなす。.

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正司敏江・玲児

正司敏江・玲児(しょうじ としえ・れいじ)は、元夫婦による漫才コンビであった。松竹芸能所属.

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歓楽街

歓楽街(かんらくがい)とは、飲食店や映画館などのレジャー施設が多数集まっている地区のことである。盛り場、ネオン街とも称される。 すすきの(札幌) 歌舞伎町(東京) 中洲(福岡) 都市部においては、昼間も活気があるイメージの「繁華街」という言葉に対し、夜間に営業されるスナックやバー、クラブなど、酒類の提供を主とする飲食店や、場所によっては性風俗産業(風俗街)なども集まる夜の街を強調する意図をもって言い表すことが多い。 夜間営業の店が多いため、電飾を多用した派手で目立つ看板が多いのがひとつの特徴である。また、表向きは合法的な営業を装い、実際には非合法な行為が行われる店も少なくない。 また、旅行者が訪れる温泉街や宿場町などには、都市部ほど派手ではなく数も少ないが、歓楽街と称される一帯が付随していることが多い。業種の構成そのものは都市部とさほど違いはないが、外観は大きく違う。.

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漫談

漫談(まんだん)とは、初代大辻司郎が命名したとされる、大正ごろに創設された演芸である。元来は音声付き映画(トーキー)が主流となったため失業した無声映画(活動写真)の活動弁士が、巧みな話術を生かして寄席の高座等に出演したのを発端とする。.

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戎橋松竹

戎橋松竹(えびすばししょうちく)は、かつて大阪市中央区(旧・南区)に存在した演芸場。千日土地建物(のち千土地興行をへて日本ドリーム観光)経営。終戦直後における大阪唯一の寄席として知られた。通称・戎松(えびしょう、えびまつ).

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春やすこ・けいこ

春やすこ・けいこ(はるやすこ けいこ)は、漫才ブーム時代に活躍したアイドル女性漫才コンビ。所属事務所は松竹芸能。 「春やす子・けい子」と表記されていた時期もある。.

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春団治一門

春団治一門(はるだんじいちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、3代目桂春団治を頂点とする落語家の一派。2000年より毎年4月29日には、春団治三代の碑がある池田市で「春団治まつり」を開催している。一門の多くは松竹芸能に所属するが、他の芸能事務所に所属する者やフリーで活動している者もいる。名前については「團」の字を用いる場合もあるが、ここでは「団」に統一した。.

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浪速区

浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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浮世亭夢丸

浮世亭夢丸(うきよてい ゆめまる、1896年 - 1978年4月3日)は、昭和期の漫才師。本名は北村誠一。 実の弟は浮世亭歌楽で砂川捨丸門下。 芸名の由来は師・捨丸は音頭取り系漫才師であったが自身主に浪花節の節真似を売りにしていたために捨丸から「音頭やらんのやったら、砂川返せ」と言われ同じ浪花節の節真似を売りにした浮世亭雲心坊から浮世亭を拝借し「夢が浮き世か、浮き世が夢か」から「浮世亭夢丸」を名乗り浮世亭派(または浮世派)家元と称した。.

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浮世亭三吾・美ユル

三吾・美ユル(さんご・みゆる)は、松竹芸能所属の親子漫才コンビ。1994年1月道頓堀浪花座で初舞台。コンビ名は、浮世亭三吾・さやかみゆる→浮世亭三吾・美ゆる(2005年頃~)→浮世亭三吾・美ユル(2008年頃~)→三吾・美ユル〔亭号なし〕(2011年頃~)と変遷している。.

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浮世亭歌楽・ミナミサザエ

浮世亭歌楽・ミナミサザエ(うきよていからく・みなみさざえ)は、昭和期に活躍した日本の漫才師。 また民間放送黎明期の朝日放送に松鶴家光晴・浮世亭夢若・中田ダイマル・ラケットらとともに専属となり1954年には「ホンダ・ドリーム・クイズ」「漫才教室」などで活躍。 歌楽は戦後、仁輪加出身あってかいくつかの映画にも出演。.

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海原お浜・小浜

海原お浜・小浜(うなばらおはま・こはま)は、上方の女流漫才師である。戦後は角座などの松竹系の劇場やトップホットシアター等に出演。.

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新世界 (大阪)

新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。.

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日本ドリーム観光

日本ドリーム観光(にっぽんドリームかんこう) は、かつて存在したレジャー・エンターテイメントの総合観光企業。大阪証券取引所1部に上場していた。「昭和の興行師」こと松尾國三が経営にあたった。松尾の死後、経営権争奪戦が起こり、結局1993年に中内功率いるダイエーに吸収合併された。.

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旭堂南陵

旭堂 南陵(きょくどう なんりょう)は、上方講談(講釈師)の大名跡。旭堂一門の留め名。本来は「あさひどう」と読ませていたが江戸と区別させる為「きょくどう」となった。 特に2代目が著名で上方講談の復興に尽力し活躍、業績から「大南陵」と呼ばれ次代の3代目は「小南陵」と呼ばれる。.

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1954年

記載なし。

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1957年

記載なし。

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1958年

記載なし。

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1968年

記載なし。

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1981年

この項目では、国際的な視点に基づいた1981年について記載する。.

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1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

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1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

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