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曼殊院

索引 曼殊院

不動明王像(黄不動)(国宝) 曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。.

136 関係: 叡山電鉄叡山電鉄叡山本線古今和歌集右京区吉川弘文館塚本善隆大覚寺統天台宗天台座主天仁天暦妙法院宸翰安慧 (天台宗)寺院寛弘小堀政一山城国山号山本家左京区上京区中村昌生七宝焼き三千院一条天皇平安時代平凡社庫裏京都市京都市営バス京都バス京都国立博物館康暦井上靖仏教延暦伏見天皇伏見宮貞常親王御物後宇多天皇後土御門天皇後醍醐天皇後水尾天皇従五位従六位忠尋修学院駅北野天満宮園城寺...ヒガンバナ別当和歌円仁八条宮智仁親王六波羅探題元弘の乱光厳天皇勧学会国史大辞典 (昭和時代)国宝国宝保存法国立歴史民俗博物館皇族竹村俊則猶子相国寺花園天皇華道菅原道真菅原氏青蓮院観応観応の擾乱香道角川書店高野切護摩貴族趣味足利義満鹿苑寺黄不動近畿三十六不動尊霊場茶室茶道阿弥陀如来間取り門跡葛野郡野口武彦重要文化財良尚入道親王雪舟雪村造園連子窓枯山水東京国立博物館東海旅客鉄道桂宮桂離宮正安毘沙門堂比叡山池坊専好法親王洞院家洞院公賢洛中淡交社持明院統朝日新聞社最澄明応明暦文化財文化財保護法旧高旧領取調帳愛宕郡教養慶滋保胤慈運法親王書道曼殊院道曼殊院本古今和歌集1004年11世紀12世紀1301年1350年1495年1656年2006年947年957年 インデックスを展開 (86 もっと) »

叡山電鉄

叡山電鉄株式会社(えいざんでんてつ、)は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬・鞍馬への路線を運営する鉄道会社。通称「叡山電車」。略称は「叡電」(えいでん)。本社は京都市左京区山端壱町田町8番地の80(修学院駅に隣接)、本店は京都市左京区山端壱町田町14番地の1。 1985年に京福電気鉄道(京福)の完全子会社として設立されたが、1991年11月に京阪電気鉄道(京阪、現・京阪ホールディングス)が筆頭株主となったのち、2002年3月からは同社の完全子会社となっている(後述)。 全国登山鉄道‰会に加盟している。.

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叡山電鉄叡山本線

叡山本線(えいざんほんせん)は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬比叡山口駅までを結ぶ叡山電鉄の鉄道路線である。.

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古今和歌集

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。.

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右京区

右京区(うきょうく)は、京都市を構成する11区のひとつ。市内西北部に位置し、旧京北町合併後は京都市の区の中では最大の面積である(それまでは左京区が最大だった)。 区南部は古くは都の皇族や公家の別荘が点在していたが、現在は主として住宅地になっている。 区西部や北部は山間地である。かつては山国郷(京北山国・黒田地区)の木材が桂川を下り、下流の嵯峨・梅津などで陸揚げされて京都に運ばれた。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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塚本善隆

塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1980年1月30日)は、浄土宗僧侶、仏教史学者。中国仏教研究の第一人者。.

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大覚寺統

大覚寺統(だいかくじとう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた皇室の系統で、持明院統と対立していた。名の由来は、第88代後嵯峨天皇の子である第90代亀山天皇の子孫である、亀山天皇の子である後宇多天皇が京都の外れの嵯峨にあった大覚寺の再興に尽力したこと、及び、出家後は大覚寺に住んで院政を行ったことによる。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天台座主

天台座主(てんだいざす)は、日本の天台宗の総本山である比叡山延暦寺の貫主(住職)で、天台宗の諸末寺を総監する役職。「山の座主」とも呼ばれた。ただし、比叡山に居住することは少なく、重要な修法、儀式の時のみ入山する座主が多かった。.

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天仁

天仁(てんにん)は、日本の元号の一つ。嘉承の後、天永の前。1108年から1109年までの期間を指す。この時代の天皇は鳥羽天皇。.

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天暦

天暦(てんりゃく)は、日本の元号の一つ。天慶の後、天徳の前。947年から957年までの期間を指す。この時代の天皇は村上天皇。.

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妙法院

妙法院(みょうほういん)は、京都市東山区妙法院前側町にある天台宗の寺院。山号を南叡山と称する。本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝える。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られる。近世には方広寺(大仏)や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、三十三間堂は近代以降も引き続き妙法院所管の仏堂となっている。.

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宸翰

嵯峨天皇宸翰 光定戒牒(延暦寺) 後宇多天皇宸翰御手印遺告(大覚寺) 高倉天皇宸翰消息(仁和寺) 後嵯峨天皇宸翰消息(仁和寺) 宸翰(しんかん)は、天皇自筆の文書のこと。宸筆(しんぴつ)、親翰(しんかん)ともいう。鎌倉時代以降、室町時代までの宸翰を特に宸翰様と呼ぶ。中世以前の天皇の真跡で現存するものは数が少なく、国宝や重要文化財に指定されているものが多い。.

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安慧 (天台宗)

安慧(あんえ、延暦13年(794年) - 貞観10年4月3日(868年5月2日))は、平安時代前期の天台宗の僧。俗姓は大狛氏。河内国大県郡の出身。 下野国小野寺の広智(こうち)に師事して出家、ついで比叡山に登って最澄・円仁について顕教・密教を学んだ。遮那業学生(密教専攻の学僧)として得度し、規定により12年篭山修行を行った。その後、844年(承和11年)出羽国の講師に任じられ、その地の法相宗徒の多くを天台宗に改宗させたという。848年(承和13年)延暦寺定心院十禅師に任じられ、内供奉十禅師を経て、864年(貞観6年)天台座主に就任した。 Category:平安時代の僧 Category:天台座主 Category:河内国の人物 Category:794年生 Category:868年没.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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寛弘

寛弘(かんこう)は、日本の元号の一つ。長保の後、長和の前。1004年から1011年までの期間を指す。この時代の天皇は一条天皇、三条天皇。.

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小堀政一

小堀 政一(こぼり まさかず)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。備中松山藩第2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。遠州流(小堀遠州流)茶道の祖。一般には小堀 遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の遠江守の唐名に由来する通称で後年の名乗り。幼名は作助、元服後は、正一、政一と改める。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。.

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山城国

山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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山号

山号(さんごう)は、仏教の寺院に付ける称号。 寺院によっては付けていない所もあり、付けている場合についても、その寺院が所在する山の名称を付けている場合と、医王山や鶴林山のように、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合がある。それについては、以下の様々な理由によるものとされる。「号」も参照。.

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山本家

山本家(やまもとけ)は、藤原北家閑院流阿野支流、西園寺家庶流の公家。江戸時代前期の権大納言阿野実顕の末男・参議山本勝忠を祖とする。家格は羽林家。江戸時代の石高は175石。明治維新後は実庸が子爵に叙せられ、貴族院議員を務めた。 幕末、山本公弘の二男・真弘(操)は、岩倉具視の腹心となり、王政復古の大号令の詔勅を作成したり、錦旗を考案したりする等活躍、30石を賜り堂上家となる。操の嗣子(実政の二男)、真幸には男爵の爵位が授けられ華族に列した。.

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左京区

左京区(さきょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。.

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上京区

沂高校 京都市歴史資料館 京極小学校、左手に二宮金次郎の像が現存している 上京区(かみぎょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。市の中心部に位置し、かつての京都の北側に該当する。東側には鴨川が流れる。京都府庁もこの区に置かれている。.

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中村昌生

中村 昌生(なかむら まさお、1927年 京都新聞 2013年03月24日掲載8月2日『現代日本人名録2002』3巻p1235 2000年11月 - )は、愛知県出身の日本の建築家、建築学者(日本建築史)。京都工芸繊維大学名誉教授、福井工業大学名誉教授 2009/01/21。京都伝統建築技術協会を設立、理事長を務める。専攻は日本建築。工学博士。桂離宮修理事業をはじめとして伝統建築の保存に貢献した。.

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七宝焼き

安藤重兵衛率いる安藤七宝作。1910年ごろ 七宝焼き(しっぽうやき、enamel)とは、金属工芸の一種で伝統工芸技法のひとつ。金属を素地にした焼物ともいえる。金、銀、銅、鉄、青銅などの金属素地に、釉薬(ゆうやく)を摂氏800度前後の高温で焼成することによって、融けた釉薬によるガラス様あるいはエナメル様の美しい彩色を施す。日本語の七宝焼の名称の由来には、宝石を材料にして作られるためという説と、桃山時代前後に法華経の七宝ほどに美しい焼き物であるとしてつけられたという説がある。英語圏ではenamelと呼称されるが、有線七宝については「区切りをつける」という意味のフランス語由来のCloisonnéが用いられている。鉄に釉薬を施したものを日本国内では主に琺瑯(ほうろう)と呼び、中国では琺瑯(ほうろう/読み:ファーラン)という。 紀元前のエジプトを起源とされ中近東2006年6月に行われた早稲田大学の宇田教授らによるツタンカーメンの黄金の仮面の調査によれば、髭の部分の灰緑色の物質は長石や珪酸ナトリウムを主成分とする人工ガラスであり、七宝の釉薬に似た材料が用いられていたことが証明されている。(雑誌「金属」Vol.77 No.9〜12)で技法が生まれ、シルクロードを通って、中国に伝わり、さらに日本にも伝わったというのが通説である。日本においては明治時代の一時期に爆発的に技術が発展し欧米に盛んに輸出された。特に京都の並河靖之、東京の濤川惣助、尾張の七宝家らの作品が非常に高い評価を得て高額で取引されたが、社会情勢の変化により急速にその技術は失われた。ブローチやペンダントなどの比較的小さな装身具から巨大な壺まで、さまざまな作品が作られる。大きなものには専用の窯が必要になるが、小さなものなら家庭用の電気炉や、電子レンジを用いたマイクロウェーブキルンでも作成できるため、現在では趣味として楽しむ人も多い。七宝焼きの釉薬は二酸化ケイ素を主成分とする鉱物資源から製作されたフリットを砂状、粉末状にしたものを使用することが多い。砂状、微粉末にした釉薬は、水と糊(フノリなど)を合わせて、または、ペースト状にしたものを使うことが多い。.

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三千院

三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄である。 京都市街の北東に位置する山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられている。.

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一条天皇

一条天皇(いちじょう てんのう、天元3年6月1日(980年7月15日) - 寛弘8年6月22日(1011年7月25日))は、平安時代中期の第66代天皇(在位:寛和2年6月23日(986年8月1日) - 寛弘8年6月13日(1011年7月16日))。諱は懐仁(やすひと)。 円融天皇の第1皇子。母は藤原兼家の娘、詮子。兄弟姉妹はない。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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庫裏

庫裏(くり)とは、仏教寺院における伽藍のひとつ。庫裡とも書く。裡は裏の俗字であり、どちらも“うち”や“なか”を意味する。また庫院ともいう。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京都市営バス

京都市営バス(きょうとしえいバス、英: Kyoto City Bus)は、京都市交通局が運営する路線バスである。地元では単に市バス(しバス)と呼ばれることが多い。 市内交通の主要な位置をしめる。京都市内を中心に走っているが、一部長岡京市と向日市にも停留所がある。 なお、京都府内には京都交通、京阪京都交通・京都バス・京都京阪バスという京都の冠がついた民間バス会社が存在するが、これらはいずれも京都市営バスとは別事業体である。うち前者は日本交通の、後者3社は京阪ホールディングスのグループ会社である。 2005年に京都市に編入された旧・京北町の京北町営バスは、編入後は市営バスとしてではなく、きょうと京北ふるさと公社による「京北ふるさとバス」として引き続き運行されている。.

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京都バス

本社事務所、嵐山営業所 京都バス株式会社(きょうとバス)は、京都府京都市右京区に本社を置く路線バス事業者である。.

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京都国立博物館

京都国立博物館(きょうとこくりつはくぶつかん)は、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館。1897年(明治30年)5月に開館した。2018年時点の館長は佐々木丞平。 主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究、普及活動を行っている。平常展示のほかに特別展が1年に2~4回行われている。.

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康暦

康暦(こうりゃく)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。永和の後、永徳の前。1379年から1380年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後円融天皇。南朝方が長慶天皇。室町幕府将軍は足利義満。.

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井上靖

井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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延暦

延暦(えんりゃく、正字体:延曆)は、日本の元号の一つ。昭和、明治、応永、平成に次いで、歴代で5番目に長い元号である。天応の後、大同の前。782年から806年までの期間を指す。この時代の天皇は桓武天皇。 1418年(応永25年)までの600年以上にわたって、最も長い日本の元号であった。その後1892年(明治25年)まで、日本で2番目に長い元号であった。1950年(昭和25年)までは3番目、2013年(平成25年)までは4番目に長い日本の元号であり、2014年(平成26年)以降は歴代で5番目に長い元号となっている。.

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伏見天皇

伏見天皇(ふしみてんのう、文永2年4月23日(1265年5月10日) - 文保元年9月3日(1317年10月8日))は日本の第92代天皇(在位:弘安10年10月21日(1287年11月27日) - 永仁6年7月22日(1298年8月30日))。諱は熈仁(ひろひと)。書道の伏見院流の祖、京極派の有力歌人としても知られる。 後深草天皇の第二皇子。母は、左大臣洞院実雄の娘、愔子(玄輝門院)。.

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伏見宮貞常親王

伏見宮貞常親王(ふしみのみや さだつねしんのう)は、室町時代の皇族。二品式部卿。世襲親王家、伏見宮第4代当主。.

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御物

御物(ぎょぶつ、古典では ごもつ、おもの とも)は、日本の皇室の私有品になっている絵画、書跡、刀剣などである。 「御物」の用例としては、室町幕府8代将軍足利義政の所蔵品を指して東山御物(ひがしやまごもつ)、徳川家伝来の名物茶道具を指して柳営御物(りゅうえいごもつ)などと言う場合があるが、単に「御物」と言えば皇室の私有物を指し、「ぎょぶつ」と読むのが通例である。.

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後宇多天皇

後宇多天皇(ごうだてんのう、文永4年12月1日(1267年12月17日) - 元亨4年6月25日(1324年7月16日)は、鎌倉時代の第91代天皇(在位:文永11年1月26日(1274年3月6日) - 弘安10年10月21日(1287年11月27日 ))。諱は世仁(よひと)。.

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後土御門天皇

後土御門天皇(ごつちみかどてんのう、嘉吉2年5月25日(1442年7月3日) - 明応9年9月28日(1500年10月21日))は、室町時代の第103代天皇(在位寛正5年7月19日(1464年8月21日) - 明応9年9月28日(1500年10月21日))。諱は成仁(ふさひと)。.

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後醍醐天皇

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.

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後水尾天皇

後水尾天皇(ごみずのおてんのう、文禄5年6月4日(1596年6月29日) - 延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日) - 寛永6年11月8日(1629年12月22日))。諱は政仁(ことひと)。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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従六位

従六位(じゅろくい)は、日本の位階における位の一つ。正六位の下、正七位の上。.

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忠尋

忠尋(ちゅうじん、治暦元年(1065年) - 保延4年10月14日(1138年11月18日))は、平安時代後期の天台宗の僧。父は源頼平の子の土佐守檜坂忠季、兄弟は貞頼とする。大谷座主とも称される。佐渡国出身。.

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修学院駅

修学院駅(しゅうがくいんえき)は、京都府京都市左京区山端壱町田町にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅ナンバリングはE05。.

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北野天満宮

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。 通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。.

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園城寺

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。 なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。.

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ヒガンバナ

ヒガンバナ(彼岸花、学名: )は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。.

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別当

別当(べっとう)は、本来、律令制において本官を持つ者が他の官司の職務全体を統括・監督する地位に就いた時に補任される地位。後に官司の長官一般を指すようになり、このことから転じて、以下のような複数の意味を持つ。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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円仁

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。.

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八条宮智仁親王

八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての皇族・歌人。八条宮(桂宮)家の初代。正親町天皇の孫にして、誠仁親王の第六皇子。母は勧修寺晴右の女・新上東門院(藤原晴子)。同母兄に後陽成天皇・興意法親王らがいる。幼称は六宮・胡佐麿(古佐麿)・員丸、通称は幸丸・友輔。一般には八条の皇子と呼ばれた。.

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六波羅探題

六波羅探題(ろくはらたんだい)は、鎌倉幕府の職名の一つ。承久3年(1221年)の承久の乱ののち、幕府がそれまでの京都守護を改組し京都六波羅の北と南に設置した出先機関。探題と呼ばれた初見が鎌倉末期であり、それまでは単に六波羅と呼ばれていた。.

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元弘の乱

元弘の乱(げんこうのらん)は、元弘元年(1331年)に起きた、後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府倒幕運動である。元弘3年/正慶2年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡に至るまでの一連の戦乱を含めることも多い。以下では1331年から1333年までの戦乱について述べる。元弘の変(げんこうのへん)とも呼ばれる。.

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光厳天皇

光厳天皇(こうごんてんのう 正和2年7月9日(1313年8月1日) - 正平19年7月7日(1364年8月5日))は、鎌倉時代末期の持明院統の天皇(在位:元弘元年9月20日(1331年10月22日) - 元弘3年5月25日(1333年7月7日))。諱を量仁(かずひと)という。 後醍醐天皇の失脚を受けて皇位に就いたが、鎌倉幕府の滅亡により復権した後醍醐が自身の廃位と光厳の即位を否定したため、歴代天皇125代の内には含まれず、北朝初代として扱われている。ただし、実際には弟の光明天皇が北朝最初の天皇であり、次の崇光天皇と合わせた2代15年の間、光厳上皇は治天(皇室の長)の座にあって院政を行った。.

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勧学会

勧学会(かんがくえ)とは、平安時代中期・後期に大学寮紀伝道の学生(文章生)と比叡山延暦寺の僧侶が、3月15日あるいは9月15日に比叡山西麓あるいは平安京内外の寺院に集まって『法華経』をテーマとして講義・念仏・作詩を行った法会。.

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国史大辞典 (昭和時代)

國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.

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国宝

建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.

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国宝保存法

国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)は、日本の文化財保護に関する、廃止された法律。1929年(昭和4年)7月1日施行。古社寺保存法 (こしゃじほぞんほう、明治30年6月10日法律第49号)を引き継いで制定され、 1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行に伴い廃止された。 条文は25条で、関係省庁は大蔵省、文部省。.

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国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん)は、千葉県佐倉市城内町にある、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営する博物館。日本の考古学、歴史、民俗について総合的に研究・展示する博物館である。通称、歴博(れきはく)。佐倉城趾の一角にある。 法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項並びに第5条である。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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竹村俊則

竹村 俊則(たけむら としのり、1915年2月7日 - 1999年6月7日)は、日本の著述家、および京都の郷土史研究家。京都市出身。『新撰京都名所圖會』全7巻、『昭和京都名所図会』全7巻を著したほか、京都にまつわる著書を多数発表する。京都市立商業実修学校卒。.

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猶子

子(ゆうし)とは、兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶ制度。漢文訓読では「なほ子のごとし」(訳:あたかも実子のようである)という意味。 中国における本義は兄弟の子の意味。養子との違いは、家督や財産などの相続を必ずしも目的の第一義とはせず、実力や「徳」に優れた仮親の権勢を借りたり、一家・同族内の結束を強化するために行われた。具体的には、官位などの昇進上の便宜、婚姻上の便宜、他の氏族との関係強化が図られる場合に組まれるようである。そのため、子供の姓は変わらない場合があったり、単なる後見人としての関係であるなど、養子縁組と比べて単純かつ緩やかで擬制的な側面が大きい。 ただし、相続に関しての実際は明確な区別はなく、猶子であっても相続がなされる場合も多い。ときに両者をまったく同義で使用している場合がある。.

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相国寺

法堂(側面) 相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺。京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。山号を萬年山(万年山)と称し、正式名称を萬年山相國承天禅寺(万年山相国承天禅寺、まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)という。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。 足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。.

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花園天皇

花園天皇(はなぞのてんのう、永仁5年7月25日(1297年8月14日) - 正平3年11月11日(1348年12月2日))は鎌倉時代の第95代天皇(在位:延慶元年11月16日(1308年12月28日)- 文保2年2月26日(1318年3月29日))。諱は富仁(とみひと)。 伏見天皇の第四皇子。母は、左大臣洞院実雄の娘、顕親門院・洞院季子。鎌倉時代の二つの皇統のうち持明院統に属する。.

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華道

華道古典生花 上旬の月 月光筒 華道の伝統的様式 華道(かどう)は、植物のみや、植物を主にその他様々な材料を組み合わせて構成し、鑑賞する芸術である。「花道」とも表記し、またいけばな(生け花、活花、挿花)とも呼ばれる。 ただし華道という呼称は「いけばな」よりも求道的意味合いが強調されている。華道にはさまざまな流派があり、様式・技法は各流派によって異なる。 華道は日本発祥の芸術ではあるが、現代では国際的に拡がってきている。欧米のフラワーデザインは、3次元のどこから見ても統一したフォルムが感じられるように生けるとされる。華道の場合、鑑賞する見る方向を正面と定めている流派も多くあるが、3次元の空間を2次元で最大限に表す流派もある。また華道は色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の形状、葉や苔となどすべてを花材とし鑑賞する点でも、海外のアレンジの概念とは一線を画している。.

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菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

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菅原氏

菅原氏(すがわらうじ)は、「菅原」を氏の名とする氏族。.

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青蓮院

宸殿前庭、右近の橘、左近の桜 青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。山号はなし。開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。現在の門主(住職)は、旧伯爵東伏見家出身の東伏見慈晃。.

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観応

観応(かんのう、かんおう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方が使用した。貞和の後、文和の前。1350年から1352年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が崇光天皇・後光厳天皇。南朝方が後村上天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。正平一統による4か月間の中断を経たのち復活している。.

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観応の擾乱

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代の1349年から1352年にかけて続いた抗争で、観応年間に頂点に達した足利政権(室町幕府)の内紛。実態は足利政権だけにとどまらず、対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家どうしの確執なども背景とする。 この擾乱の中で一時的に生じた南北朝の統一である正平一統についても併せて解説する。.

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香道

香道(こうどう)とは、沈水香木と言われる東南アジアでのみ産出される天然香木の香りを鑑賞する芸道である。近年、文化の復興目覚ましい中国や台湾、韓国などで「中国香道」「台湾香道」「韓国香道」などと「香道」という文言を使用しているが、「香道」自体は日本独自の芸道である。香道は禅の精神を大事にし、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界であり、上達するにつれ古典文学や書道の素養も求められる。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにある。 香道においては香を「聞く」と表現するのが正式であり、「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。香木の香りを聞き、鑑賞する聞香(もんこう)と、香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素である。香木は生き物、その一つ一つに魂が宿ると考え、この稀少な天然香木を敬い大切に扱う。大自然の恵み、地球に感謝し、そして彼らが語りかけてくる事を聞き取らなければならないと考えるのである。.

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角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

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高野切

野切(こうやぎれ)は、『古今和歌集』の現存する最古の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史、日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である。.

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護摩

総本山金峯山寺修験本宗「普来山正覚院」 兵庫県三木市の伽耶院で山伏により毎年10月第2月曜日に行われる採燈大護摩供 護摩(ごま)とは、「供物」「供物をささげること」「犠牲」「いけにえ」を意味するサンスクリットのホーマ()を音訳して書き写した語である。.

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貴族

貴族(きぞく)とは、特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団を指す。 その社会的特権はしばしば強大であるが、同時に国や地域により異なり、同じ国・地域であっても時代によって変遷する。また貴族階級は伝統的な概念ではあるものの、時に新たな人員を迎え入れ、常に人員は更新され続けている。 貴族階級は多くの場合は君主制の下に維持され、称号の付与や特権の保証なども君主によって行われる。一般的に、貴族などという特権階級を認めてしまうということは反民主主義とされている。フランスでは、貴族階級をものともしないヴォルテールの姿勢がフランス的民主主義の基礎となり、フランス革命でそうした考え方は公認のもの、正統なものとなり、ここに民主主義が実現したとされている。しかし共和制など君主の存在を持たない制度においても貴族制度が存在した場合もある。 西洋では特に青い血という言葉が貴族の血筋を意味する慣用句として用いることがある。ただし、これはあくまでもスペイン語由来のものであるため限定的ではある。日本の場合、貴族の起源について穀物の貯蔵が貴族制度の遠因となったと考える論者もある。.

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趣味

趣味(しゅみ)は、以下の2つの意味を持つ。.

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足利義満

足利 義満(あしかが よしみつ)とは、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。 南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。.

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鹿苑寺

足利義満 鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である。 寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建された。平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。.

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黄不動

不動(きふどう)は、滋賀県大津市の園城寺(通称:三井寺)に秘仏として伝わる、全身が黄色の不動明王立像の仏画である。平安時代初期の9世紀の作で、国宝に指定されている。円珍が感得した像を描いたものとされる。三不動の一であり、別名、金色不動明王。公開されていない。 京都・曼殊院等に伝わる多くの模写像は磐座上に立つが、本像は円珍が実際に感得した際のさまを表現しているため、虚空上に立つ姿を本紙いっぱいに描いている。また、背景も虚空の状景を表すため、何も描かれていない。不動明王を単独で描いた仏画としては現存最古の遺品である。天台宗寺門派最高の厳儀とされる伝法灌頂の受者しか拝することが許されない秘仏とされる。印刷物などへの掲載も厳しく制限されている。 円珍は、比叡山や渡唐上でこの黄不動に再三感得し、身の危険を救われたとされると種々の伝承に伝わるが、その根幹になったのは、円珍が没して11年後の延喜2年(902年)、文章博士・三善清行が撰述した『天台宗延暦寺座主円珍和尚伝』にある一文である。承和5年(838年)冬の昼、石龕で座禅をしていた円珍の目の前に忽然と金人が現れ、自分の姿を描いて懇ろに帰仰するよう勧めた(「帰依するならば汝を守護する」)。円珍が何者かと問うと、自分は金色不動明王で、和尚を愛するがゆえに常にその身を守っている答えた。その姿は「魁偉奇妙、威光熾盛」で手に刀剣をとり、足は虚空を踏んでいた。円珍はこの体験が印象に残ったので、その姿を画工に銘じて写させたという。この伝承通り承和5年(838年)頃の制作と見られていたが、同じ図様は空海が請来した図像に既に見られ、細部は円珍請来本の中で初めて見られることから、円珍が帰朝した後描かれたとする説が有力である。 本像はその聖性や神秘性から、後世しばしば模作された。現在、絵画作品がおよそ20件、彫刻は6件ほど知られている。.

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近畿三十六不動尊霊場

近畿三十六不動尊霊場(きんきさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、大阪府・兵庫県・京都府・和歌山県・滋賀県・奈良県にある不動尊(不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場。霊場の選定にあたっては、宗派に囚われず、一般の人々からの立場からの意見を取り入れて、1979年(昭和54年)に古寺顕彰会が中心となり選定した。日本で最初の不動尊霊場である。 三十六の数の由来は、不動明王の眷属が三十六童子であることによる。また、人間の煩悩三十六支を表し、三十六ヶ寺を巡拝することによって煩悩を消除する意味も含まれている。 河内長野市助役を務めた下休場由晴が手がけた新設巡礼地のひとつで、下休場由晴が同様に手がけた西国薬師四十九霊場(1989年)・西国愛染十七霊場(1993年)・役行者霊蹟札所(2001年)なとど同様に、事務局は河内長野市の同一事務所内にある。.

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茶室

織田有楽好み。壁には連子窓(中央)と下地窓(右)を開ける。左の土間庇の下、右手に躙り口があるが、写真ではみえない。 天然図画亭の点前座。客座との間には中柱を立てる。客座と点前座の間を結界で仕切るのは珍しい。 金森宗和好み。三畳の開放的な茶室。 片桐石州好み。二畳台目。点前座の奥に床を設ける「亭主床」という珍しい形式。 細川三斎好み。点前座から客座を望む。天井は平天井と掛込天井(化粧屋根裏)を組み合わせる。 茶室(ちゃしつ)は、日本式の茶道において、茶事の主催者(主人、亭主)が客を招き、茶を出してもてなすために造られる施設である。「茶席」「囲い」あるいは「数寄屋」と呼ぶこともある。大別して草庵風のものと書院風のものがあるが、一般的には草庵風のものを指す場合が多い。独立した建物として造られる場合と、書院などの建物内に造り込まれる場合がある。いずれの場合も露地と称する庭園を伴うのが一般的であったが、現代ではホテルや公会堂、商業ビルの一角などに造られることもある。禅宗の「方丈(一丈四方の意)」から出た四畳半を標準として、それより狭いものを小間の茶室、広いものを広間の茶室という。室町末期から桃山期にかけて発展・完成したが、日本の建築の中でも特殊な位置を占める。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

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間取り

間取り(まどり)は、完成した建築物の内部における部屋や区画の配置、ないし、建築物の設計段階において、その建築物内部の部屋や区画の配置を計画する行為をいう。後者の場合は「平面計画」「ゾーニング」とも呼ぶ。本項では、日本における一般的な住宅の例を中心に述べる。.

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門跡

跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。 浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書き、いずれも親鸞の子孫の大谷家から出ている。.

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葛野郡

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野口武彦

野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - )は、東京出身の文芸評論家、国文学者、神戸大学名誉教授。.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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良尚入道親王

良尚入道親王(りょうしょうにゅうどうしんのう、元和8年12月16日(1623年1月16日)- 元禄6年7月5日(1693年8月6日))は、江戸時代前期の京都曼殊院の門跡。父は八条宮智仁親王。母は丹後国宮津藩主京極高知の娘常照院。幼称は二宮。俗名は勝行・寛恒。 曼殊院宮の付弟(ふてい)となり、1632年(寛永9年)後水尾天皇の猶子となった。1634年(寛永11年)8月に親王宣下を受け、9月に曼殊院で得度している。1646年(正保3年)3月には天台座主に任じられ、1656年(明暦2年)現在の京都御所近くにあった曼殊院を洛北一乗寺村へ移転し、伽藍を整備している。1681年(天和元年)には曼殊院の門主に任ぜられて竹之内門跡と称された。1687年(貞享4年)4月に曼殊院を退院して天松院と号した。 絵画を狩野探幽・尚信兄弟に学び、池坊華道を納めて古典に通じるなど文化人としても知られた。.

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雪舟

雪舟自画像(模本) 重要文化財 藤田美術館雪舟(せっしゅう、応永27年(1420年) - 永正3年8月8日(諸説あり)(1506年))は、室町時代に活躍した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱は「等楊(とうよう)」と称した。 備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。 現存する作品の大部分は中国風の水墨山水画であるが、肖像画の作例もあり、花鳥画もよくしたと伝える。宋・元の古典や明代の浙派の画風を吸収しつつ、各地を旅して写生に努め、中国画の直模から脱した日本独自の水墨画風を確立した点での功績が大きい。後の日本画壇へ与えた影響は大きい。 現存する作品のうち6点が国宝に指定されており、日本の絵画史において別格の高評価を受けているといえる。このほか、花鳥図屏風など「伝雪舟筆」とされる作品は多く、真筆であるか否か、専門家の間でも意見の分かれる作品も多い。代表作は、「四季山水図(山水長巻)」「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」「慧可断臂図」など。弟子に周徳、等悦、秋月、宗淵、等春らがいる。.

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雪村

雪村(せっそん、永正元年(1504年)? - 天正17年(1589年)頃)は、室町時代後期・戦国時代の水墨画家、僧侶。雪村周継とも称す。.

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造園

造園(ぞうえん、造苑, Landscape architecture)とは、庭園などの空間を造ることである。「造苑」とも表記され、韓国では「造景」としている。私的な空間である庭園や公共的な空間である公園などの緑地/緑空間を土木的な基盤整備し、意匠を植物や水などの自然素材、石等の鉱物資源などによって造ることである。 テーマパークなどの施設から、集落や都市の環境改善、自然風景地などにいたるさまざまな空間を対象に、計画、デザイン、施工、管理にまたがる技術の体系であり、造園そのものは古代から多くの文明で行われてきたが、職能の分化が明確になる近代では、建築、土木や都市計画などとともに環境づくり、環境デザインの主要分野のひとつを成す。また農学分野の中でも美的側面を重要視する専門領域である。最近では専門領域の区別はあいまいになり、分野間のコラボレーションや役割の入れ替わりなどが起こっている。特に景観の保全や整備に関する研究、計画、デザインなどはどの分野でも行われている。.

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連子窓

連子窓(れんじまど)は、断面方形又は菱形の細長い木材(連子子)を縦又は横に連ねた連子を嵌め込んだ窓である。採光、通風、防犯を目的とする 建築用語集。 寺院や神社で用いられることが多く、日本では法隆寺、薬師寺、春日大社、大極殿の回廊等に見られる。 茶室では竹格子を嵌めた窓を連子窓と呼ぶ。.

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枯山水

龍安寺 方丈庭園(石庭) 龍吟庵 東庭(赤砂の枯山水) 枯山水(かれさんすい、かれせんずい)とは日本庭園や日本画の様式・風のひとつである。仮山水(かさんすい)、故山水(ふるさんすい)、乾泉水(あらせんすい)、涸山水(かれさんすい)ともいう。.

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東京国立博物館

東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)は、日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館である。館長は銭谷真美。 1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館である。東京都台東区の上野恩賜公園内にある。本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。2017年3月31日時点で、国宝88件、重要文化財636件を含む収蔵品の総数は117,190件(2017年11月時点では国宝89件、重文640件)。これとは別に、国宝55件、重要文化財258件を含む総数3,075件の寄託品を収蔵している。2017年度の陳列総件数は約7,200件。2016年度の来館者数は約191万人である。.

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東海旅客鉄道

東海旅客鉄道株式会社(とうかいりょかくてつどう、)社名ロゴの「鉄」の字は金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という「鉃」の文字を使い、『東海旅客鉃道株式会社』と表記しているが、登記上の正式な社名では常用漢字の「鉄」である(JR四国以外の各社も同じ)。 は、1987年(昭和62年)に日本国有鉄道(国鉄)新幹線総局・静岡局・名古屋局から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つ。 東海道新幹線を軸として東海地方を中心とした地域に鉄道路線網を有する。本社は愛知県名古屋市と東京都港区。通称はJR東海(ジェイアールとうかい)、英語略称はJR Central。乗車券などには「海」の略号が使われることもある「東」はJR東日本となっているため。ため、「JR海」(ジェイアールかい、ジェイアールうみ)と呼ばれることもある。コーポレートカラーはオレンジ色。東証・名証一部上場企業。日経225(日経平均株価)およびTOPIX Core30の構成銘柄の一社。.

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桂宮

桂宮(かつらのみや)は、四世襲親王家の一。および桂宮家の宮号。安土桃山時代に創設され、明治時代に断絶した。主な所領が平安京近郊の桂周辺にあった。石高3000石余は宮家中最大。八条宮→常磐井宮→京極宮の流れをくむ。.

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桂離宮

桂離宮(かつらりきゅう)は、京都市西京区桂にある皇室関連施設。江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。総面積は付属地を含め約6万9千平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)に宮内省所管となってからで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を今に伝えている。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされる。また、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。庭園には茶屋が配されている。現在は宮内庁京都事務所により管理されている。創建以来火災に遭うこともなく、ほぼ完全に創建当時の姿を今日に伝えてる。昭和39年(1964年)に農地7千平方メートルを買い上げ景観保持の備えにも万全を期している。.

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正安

正安(しょうあん)は、日本の元号の一つ。永仁の後、乾元の前。1299年から1301年までの期間を指す。この時代の天皇は後伏見天皇、後二条天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、執権は北条貞時、北条師時。.

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毘沙門堂

毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、山科毘沙門堂、毘沙門堂門跡とも呼ばれる。.

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比叡山

比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる場合も有る。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。.

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池坊専好

三十二世(二世)池坊専好の立花、六角堂、京都市中京区 池坊 専好(いけのぼう せんこう)は、華道の流派池坊の家元およびその継承予定者が名乗る名跡。安土桃山時代から現代にかけて4人がこの名を名乗った。;池坊専好(初代)(天文5年(1536年)? - 元和7年6月24日(1621年8月11日);池坊専好(二代)(天正3年(1575年)? - 万治元年11月7日(1658年12月1日);池坊専好(三代)(延宝8年(1680年) - 享保19年5月12日(1734年6月13日);池坊専好(四代)(昭和40年(1965年)9月20日 - ).

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法親王

法親王(ほうしんのう、ほっしんのう)とは、日本の男子皇族が出家して僧籍に入った後に親王宣下を受けた場合の身位・称号。 これに対して、すでに親王宣下を受けている親王が出家(入道)した場合は入道親王と呼んで区別した。.

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洞院家

洞院家(とういんけ)は、清華家の家格を有する公家。藤原北家閑院流・西園寺家庶流。西園寺公経の男実雄を家祖とし、鎌倉時代から室町時代にかけて存続した。 分家に羽林家の家格を有し、明治時代に華族に列した小倉家・正親町家がある。.

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洞院公賢

洞院 公賢(とういん きんかた、正応4年8月(1291年) - 延文5年/正平15年4月6日(1360年4月21日))は、南北朝時代の公家。正式な名乗りは藤原公賢。父は左大臣洞院実泰。母は実泰の叔父にあたる小倉公雄の娘・季子。洞院家は藤原氏北家閑院流西園寺家の庶流。通称は中園相国。出家して空元。また遍昭光院とも称された。.

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洛中

#中国、洛陽城の京域内のこと。.

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淡交社

淡交ビルヂング(京都市北区) 淡交社(たんこうしゃ)は、京都府京都市北区にある出版社。主に茶道関係、京都関係の書籍を出版している。.

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持明院統

持明院統(じみょういんとう)とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた日本の皇室の系統で、第88代後嵯峨天皇の子である第89代後深草天皇の子孫である。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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最澄

最澄像(能福寺) 哭澄上人詩(嵯峨天皇宸翰)(部分) 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。 先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。.

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明応

明応(めいおう)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義材、足利義澄。.

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明暦

明暦(めいれき)は日本の元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1658年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.

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文化財

文化財(ぶんかざい)は、.

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文化財保護法

文化財保護法(ぶんかざいほごほう、昭和25年5月30日法律第214号)は、文化財の保存・活用と、国民の文化的向上を目的とする、日本の法律である。 有形、無形の文化財を分類。その重要性を考慮して、国の場合は文部科学大臣または文化庁長官、都道府県の場合は都道府県知事、市町村の場合は市町村長による指定、選択、選定、認定あるいは登録により、文化財の保護のための経費の一部を公費で負担することができる。.

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旧高旧領取調帳

旧高旧領取調帳(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)とは、明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳である。.

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愛宕郡

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教養

教養(きょうよう)とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。.

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慶滋保胤

慶滋 保胤(よししげ の やすたね、承平3年(933年)以後長保4年10月21日(1002年11月27日)は、平安時代中期の文人・儒学者。字は茂能。唐名は定潭。法名は寂心。父は陰陽家の丹波権介・賀茂忠行であるが、家学であった陰陽道を捨てて紀伝道を志し、姓の賀茂を読み替えて慶滋とした。子に忠順がいる。官位は従五位下・大内記。.

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慈運法親王

慈運法親王(じうんほっしんのう、文正元年(1466年) - 天文6年6月29日(1537年8月4日))は、戦国時代の法親王。父は伏見宮貞成親王の子伏見宮貞常親王。後土御門天皇の猶子となる。法名は初め良源と称し、のち慈運と改めた。二品僧正とも称される。 曼殊院に入り、1495年(明応4年)門跡となり、北野社別当に任じられた。1530年(享禄3年)に二品に叙せられ、1533年(天文2年)には法住寺座主を兼任し、大僧正に任じられた。和歌や連歌に秀でていた。 Category:日本の親王 Category:室町・安土桃山時代の男性皇族 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:天台宗の僧 Category:1466年生 Category:1537年没.

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書道

京都・東寺蔵 『蘭亭序』(部分)王羲之 書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。 本項では主に中国語圏及び日本語圏の書道について述べる。その他の文字・地域における書道は他の文字による書道を参照。.

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曼殊院道

曼殊院道(まんしゅいんみち)は京都市左京区の東西の通りの一つで、川端通から東へ曼殊院門前に至る。.

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曼殊院本古今和歌集

曼殊院本古今和歌集(まんしゅいんぼんこきんわかしゅう)は、京都市左京区の曼殊院に伝来した『古今和歌集』の古写本。巻第十七のみの残巻である。巻子本。書写は11世紀と推定される。伝称筆者は藤原行成。平安古筆の代表的遺品の一つである。国宝。曼殊院蔵、京都国立博物館に寄託。.

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1004年

記載なし。

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11世紀

トスカーナ女伯マティルデ(右)とクリュニー修道院長(左)。 ウィリアム1世になる。 マーストリヒト大聖堂宝物室の写本外装。聖遺物崇敬の高まりとともにモザン美術と呼ばれるマース川流域の低地地方で生み出された金銀やエナメルの細工も巧緻なものとなった。この11世紀に造られた写本外装は現在はルーヴル美術館にある。 藤原道長。御堂関白とも通称された道長の時代に摂関政治は頂点に達した。画像は『紫式部日記』藤田家本第5段から1008年の一条天皇の土御門邸行幸に備え、新造の竜頭鷁首の船を検分する道長。 紫式部と『源氏物語』。かな文字の発達は日本独特の女流文学の発展を促した。画像は12世紀初頭に描かれた『源氏物語絵巻』「竹河」(徳川美術館蔵)。 宇治の平等院鳳凰堂。末法思想の高まりとともに阿弥陀仏の極楽浄土に往生すること(浄土思想)が求められた。平等院は関白藤原頼通によって建てられたもので、中心の鳳凰堂には仏師定朝の手による阿弥陀仏が安置されている。 遼の応県木塔。山西省応県の仏宮寺釈迦塔のことで章聖皇太后の弟蕭孝穆により建立された中国最古の木造の塔とされる。 仁宗の時期までに北宋は国制を整え、遼や西夏とは和平関係を結び、安定期を現出した。画像は仁宗の皇后曹氏(慈聖光献曹皇后)の肖像(台湾故宮博物院蔵)。 北宋の宰相・王安石。慢性的な財政難を克服するため神宗皇帝の熙寧年間に大改革を行った王安石だったが、司馬光らとの党争を惹起し、国内を混乱させることともなった。 山水画の大成。唐末五代から著しい進展を見せた山水画は北宋の李成・范寛・郭熙らの名手により高い技術と深い精神性を得ることになった。画像は台北国立故宮博物院蔵の郭熙の「早春図」。 敦煌楡林窟第3窟壁画「文殊菩薩」。仏教信仰に熱心だった西夏支配の敦煌では最後の繁栄の時代を迎えていた。 チャンパ王国の発展。11世紀初頭にヴィジャヤに遷都した王国はこの地に独特の文化を花開かせた。画像はビンディン省タイソン県にあるズオン・ロン塔で「象牙の塔」の名でも知られている。 カジュラーホーのパールシュバナータ寺院の塔(シカラ)。チャンデーラ朝のダンガ王と続く歴代の王によって建立された。 マフムードの宮廷。 『シャー・ナーメ(王書)』。11世紀初めにフェルドウスィーによってまとめられた長大なペルシア民族叙事詩。画像はサファヴィー朝時代の『シャー・ナーメ』の写本。 イブン・スィーナー。『医学典範』を著した博学な医師であると同時に東方イスラム世界を代表する哲学者としても多くの仕事を残した。 「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のあるガズヴィーンはイランのカスピ海南岸の街で、近郊には「暗殺教団」ニザール派のアラムート要塞もある。 商業都市フスタート。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られたラスター彩陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である(メリーランド州ボルチモアのウォルターズ美術館蔵)。 Astrolabio de al-Sahlî」(スペイン国立考古学博物館蔵)。 コンスタンティノス9世の肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生している。 アレクシオス1世の戦略。混迷の帝国にあって軍事貴族から身を起こし、帝位に就いたのがアレクシオス1世である。ノルマン人やクマン人といった外敵を互いに競わせ、或いは懐柔する巧みな外交手腕を駆使したことで有名である。しかしセルジューク族を排除するため西欧諸国から援軍を募ろうとして大きな誤算を生むのである。 エルサレム攻囲戦の細密画。 トゥーラ・シココティトラン。10世紀から11世紀に栄えたメキシコの後古典期の遺跡で、伝承ではトルテカ帝国の都だとされている。 11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最初の世紀である。.

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12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

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1301年

記載なし。

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1350年

記載なし。

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1495年

記載なし。

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1656年

記載なし。

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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947年

記載なし。

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957年

記載なし。

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