ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

香道

索引 香道

香道(こうどう)とは、沈水香木と言われる東南アジアでのみ産出される天然香木の香りを鑑賞する芸道である。近年、文化の復興目覚ましい中国や台湾、韓国などで「中国香道」「台湾香道」「韓国香道」などと「香道」という文言を使用しているが、「香道」自体は日本独自の芸道である。香道は禅の精神を大事にし、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界であり、上達するにつれ古典文学や書道の素養も求められる。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにある。 香道においては香を「聞く」と表現するのが正式であり、「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。香木の香りを聞き、鑑賞する聞香(もんこう)と、香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素である。香木は生き物、その一つ一つに魂が宿ると考え、この稀少な天然香木を敬い大切に扱う。大自然の恵み、地球に感謝し、そして彼らが語りかけてくる事を聞き取らなければならないと考えるのである。.

83 関係: ばさら古今和歌集名古屋城堂上家大臣家天正太上天皇室町時代宮帯出版社宮本義己宗家安土桃山時代尾張徳川家中国三道三条西実隆三条西家一休宗純平安朝香道平安時代平成幽玄幕末享保仏教建部隆勝御家流徳川家康徳川和子後西天皇志野流地下人北宋パトロン味覚インドウマ公卿禁門の変線香炭団町人聞香札華道菅原道真香の図香炉香道御家流桂雪会香道翠風流...香木鳥羽天皇足利義政黄庭堅茶道長老雲母柳原家推古天皇梅枝武士江戸時代沈香泉涌寺淡路島源平盛衰記源氏物語朱印船昭和浅草寺日本書紀愛知県1443年1523年1571年1584年1606年1963年2005年2016年2017年595年 インデックスを展開 (33 もっと) »

ばさら

ばさらとは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。.

新しい!!: 香道とばさら · 続きを見る »

古今和歌集

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。.

新しい!!: 香道と古今和歌集 · 続きを見る »

名古屋城

名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった日本の城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。.

新しい!!: 香道と名古屋城 · 続きを見る »

堂上家

堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家の家格の一つ。御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。同時に上級貴族とも呼ばれる。 中級貴族である地下の官人を除く公家を指す。江戸時代末期には137家があった。.

新しい!!: 香道と堂上家 · 続きを見る »

大臣家

大臣家(だいじんけ)とは、公家の家格のひとつで、摂家、清華家に次ぐ家格。 大臣家は元は清華家の庶流から生まれた家であり、清華家に準じて昇進(ただし、摂家・清華家が任じられない参議を経て中納言となる)して、大臣に欠員が出た場合、大納言から近衛大将を経ずに直接内大臣に昇進する家柄である(清華家とは異なり近衛大将を兼ねることはできない)。極官は太政大臣(ただし、江戸時代の太政大臣は摂政・関白経験者に限られた)であるが、希に右大臣に昇進した例(三条西実条・中院通躬)がある程度で、現実には大臣家から内大臣を超えて昇進した事例は少ない。准大臣以上に昇進したのは中院家(通方から通富まで25代)で10人18代通躬が右大臣、2代通成、4代通重、5代通顕、10代通秀、13代通為、15代通村、17代通茂が内大臣、3代通頼、9代通淳が准大臣、正親町三条家(公氏から公勝まで29代)で8人5代公秀、6代実継、7代公豊、10代実雅、12代実望、13代公兄が内大臣、9代公雅に贈内大臣、15代公仲に贈准大臣、三条西家(公時から公允まで17代)で6人5代公条、8代実条が右大臣、3代公保、4代実隆、6代実枝、7代公国が内大臣と、大臣輩出率は高いとは言えない。維新後は伯爵となったが、嵯峨家(正親町三条家)はのちに侯爵となった。 大臣家は、以下の3家。.

新しい!!: 香道と大臣家 · 続きを見る »

天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

新しい!!: 香道と天正 · 続きを見る »

太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

新しい!!: 香道と太上天皇 · 続きを見る »

室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

新しい!!: 香道と室町時代 · 続きを見る »

宮帯出版社

株式会社宮帯出版社(みやおびしゅっぱんしゃ)は京都府京都市上京区にある出版社。主に歴史、茶道、美術、刀剣・甲冑書を発行している。.

新しい!!: 香道と宮帯出版社 · 続きを見る »

宮本義己

宮本 義己(みやもと よしみ、1947年 - )は、日本の日本史学者。 茨城県生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程満期退学。帝京大学講師、鳩山町史編集委員会専門調査員を経て、國學院大學文学部・芝浦工業大学システム工学部講師。日本中世・近世史を専攻するかたわら、独自の日本医道史の研究を進め、学会誌に多くの論文を発表している。.

新しい!!: 香道と宮本義己 · 続きを見る »

宗家

宗家(そうけ)は、ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。 日本ではこれから転じて、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号として用いられる。もとは能楽のシテ方観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったものである。宗家位、宗家号とも。流派の経営、普及活動及び一門の統率、門下生の教育を旨とする。流派により宗家自ら師範となる場合、弟子に門下生の指導を委ねる場合とがある。.

新しい!!: 香道と宗家 · 続きを見る »

安土桃山時代

安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.

新しい!!: 香道と安土桃山時代 · 続きを見る »

尾張徳川家

尾張徳川家(おわりとくがわけ)は、徳川氏の支系徳川御三家の一つで、尾張藩主の家系。尾張中納言家、単に尾張家、尾州家とも言う。御三家の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。.

新しい!!: 香道と尾張徳川家 · 続きを見る »

中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

新しい!!: 香道と中国 · 続きを見る »

三道

三道(さんどう)とは、仏教において有学道、無学道の過程を表した言葉。日本においては伝統芸能や武道などを三つ併せた総称。.

新しい!!: 香道と三道 · 続きを見る »

三条西実隆

三条西 実隆(さんじょうにし さねたか)は、室町時代後期から戦国時代の公家。内大臣・三条西公保の次男。.

新しい!!: 香道と三条西実隆 · 続きを見る »

三条西家

三条西家(さんじょうにし け)は、藤原北家 閑院流 嫡流・転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家で、大臣家の家格を持つ公家。西三条家(にしさんじょう け)ともいう。正親町三条家の分家でありながら家格は本家のそれをしのぎ、三大臣家の中でも別格とみなされていたばかりか、室町時代から江戸時代初期にかけて右大臣をたびたび出したため、その家格は清華家とほぼ同格とみなされていた。閑院家嫡流の転法輪三条家にもたびたび養子を出したため、戦国時代以後の転法輪三条家の直接の血統は三条西家のものとなっている。江戸時代の家禄は502石。 維新までは三条西と西三条の双方を比較的自由に使っており、明治になって17代公允が伯爵に授爵されたのを機にこれを西三条に一本化したが、しばらくしてこれを三条西に替えている。通字は「公」「実」「季」。分家に押小路家・武者小路家・高松家がある。.

新しい!!: 香道と三条西家 · 続きを見る »

一休宗純

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。.

新しい!!: 香道と一休宗純 · 続きを見る »

平安朝香道

平安朝香道(へいあんちょうこうどう)は、平安朝楽舎の長谷川景光が2005年(平成17年)に創設した香道の流派である。博物館とのコラボ企画などを実施した。.

新しい!!: 香道と平安朝香道 · 続きを見る »

平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

新しい!!: 香道と平安時代 · 続きを見る »

平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

新しい!!: 香道と平成 · 続きを見る »

幽玄

幽玄(ゆうげん)とは、文芸・絵画・芸能・建築等、諸々の芸術領域における日本文化の基層となる理念の一つ。 本来は仏教や老荘思想など、中国思想の分野で用いられる漢語であったが、平安時代後期から鎌倉時代前期の代表的歌人であり、千載和歌集を撰集した藤原俊成により、和歌を批評する用語として多く用いられて以来、歌論の中心となる用語となった。同じ歌道の理念である有心(うしん)とともに並び用いられることが多いが、本来は別の意味の言葉である。 その後、能楽・禅・連歌・茶道・俳諧など、中世・近世以来の日本の芸術文化に影響を与え続け、今日では一般的用語としても用いられるに至っている。.

新しい!!: 香道と幽玄 · 続きを見る »

幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

新しい!!: 香道と幕末 · 続きを見る »

享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

新しい!!: 香道と享保 · 続きを見る »

仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

新しい!!: 香道と仏教 · 続きを見る »

建部隆勝

建部 隆勝(たけべ たかかつ、生没年不詳)は、16世紀の香道家、留守斎と号した。織田信長の近臣、近江国の人物。.

新しい!!: 香道と建部隆勝 · 続きを見る »

御家流

御家流(おいえりゅう)とは、身分の高い家において伝承される流儀、あるいは藩における公式の流儀のこと。したがって、本来は家や藩によって異なる流儀を指すことになるが、芸道では単に御家流と言った場合に特定の流儀を指すことがある。.

新しい!!: 香道と御家流 · 続きを見る »

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

新しい!!: 香道と徳川家康 · 続きを見る »

徳川和子

徳川 和子(とくがわ まさこ・かずこ、慶長12年10月4日(1607年11月23日) - 延宝6年6月15日(1678年8月2日))は、江戸時代前期の女性。徳川秀忠の娘(五女)で、徳川家康の内孫。後水尾天皇の中宮。明正天皇の生母。また女院として東福門院(とうふくもんいん)。.

新しい!!: 香道と徳川和子 · 続きを見る »

後西天皇

後西天皇(ごさいてんのう、寛永14年11月16日(1638年1月1日) - 貞享2年2月22日(1685年3月26日)は、江戸時代の第111代天皇(在位:承応3年11月28日(1655年1月5日) - 寛文3年1月26日(1663年3月5日))。幼名を秀宮、諱を良仁(ながひと)という。花町宮。花町殿。.

新しい!!: 香道と後西天皇 · 続きを見る »

志野流

志野流(しのりゅう)は香道および茶道流派の一つ。1988年(昭和63年)7月13日に「志野流香道」として名古屋市の無形文化財に指定されている。.

新しい!!: 香道と志野流 · 続きを見る »

地下人

地下(じげ)、地下人(じげにん/じげびと)は、日本における官人の身分の一つである。また、中世以降、官位を持たない名主、庶民などを地下人とも言った。.

新しい!!: 香道と地下人 · 続きを見る »

北宋

北宋(ほくそう、拼音:Bĕisòng、960年 - 1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋で解説することにする。.

新しい!!: 香道と北宋 · 続きを見る »

パトロン

パトロン(patron)とは、後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。現代でのパトロンは、必ずしも金銭援助に限るわけではなく、パトロンの人脈や影響力によって貢献するケースもある。後援、支援、賛助、奨励の行為そのものは、パトロネージュ(パトロネージ/パトロネッジ/パトロネジ/パトロナージュ)(patronage、patronage)と呼ぶ。 美術史や音楽史においてのパトロネージュは、王や教皇、資産家が、音楽家、画家や彫刻家等に与えた支援を指す。また、教会聖職禄授与権、得意客が店に与えるひいきや愛顧、また守護聖人を指すこともある。.

新しい!!: 香道とパトロン · 続きを見る »

味覚

味覚(みかく)は、動物の五感の一つであり、食する物質に応じて認識される感覚である。生理学的には、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本味に位置づけられる。基本味の受容器はヒトの場合おもに舌にある。基本味が他の要素(嗅覚、視覚、記憶など)で拡張された知覚心理学的な感覚としての味は、風味(ふうみ)と呼ばれることが多い。また、認識の過程を味わう(あじわう)と言う。.

新しい!!: 香道と味覚 · 続きを見る »

インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

新しい!!: 香道とインド · 続きを見る »

ウマ

ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目)のウマ科に属する動物の総称である。現生は、いずれもウマ科に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。狭義の「ウマ」は、このうち特に種としてのウマつまり学名で「Equus caballus」) と呼ばれるもののみを指す。 社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある。北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたターパンが家畜化したという説もある。 古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられるほか、食用にもされ、日本では馬肉を「桜肉(さくらにく)」と称する。軍用もいる。 競走用のサラブレッドは、最高87km/hを出すことができる。 学名は「Equus caballus(エクゥウス・カバッルス)」。「equus」も「caballus」ともにラテン語で「馬」の意。.

新しい!!: 香道とウマ · 続きを見る »

公卿

公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.

新しい!!: 香道と公卿 · 続きを見る »

禁門の変

蛤御門の門柱に残る弾痕(2005年10月) 禁門の変(きんもんのへん)は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力衝突事件。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)、元治の変(げんじのへん)とも呼ばれる。.

新しい!!: 香道と禁門の変 · 続きを見る »

線香

仏壇の前の線香 本堂前の爐 線香(せんこう) は、好まれる香りを出す材料を細かくして練り合わせ細い棒状や渦巻き状に成型して乾燥させた香(こう)である。直接火をつけ燻蒸と呼ばれる燃焼方法で芳香のある煙を出す。.

新しい!!: 香道と線香 · 続きを見る »

炭団

江戸時代後期の七輪(右)。左は漁師が多用した携帯コンロ。展示物内の燃料は炭団を模したものと思われる。江戸期の下町庶民は木炭よりも安価な炭団を常用した。(http://www.kcf.or.jp/fukagawa/ 深川江戸資料館) 炭団(たどん)は、炭(木炭、竹炭、石炭)の粉末をフノリなどの結着剤と混ぜ団子状に整形し乾燥した燃料。冬の季語。広辞苑第5.

新しい!!: 香道と炭団 · 続きを見る »

町人

人(ちょうにん、まちにん)は、江戸時代に都市に居住していた職人、商人の総称である。.

新しい!!: 香道と町人 · 続きを見る »

聞香札

聞香札(もんこうふだ)は、香道において使用する札のこと。 香道では香の香りを嗅ぐことを「聞く」、聞香と表現する。嗅ぐのとは異なり、心の中でその香りをゆっくり味わうという意味がこめられる。掌の中に抱えた香炉からの香木の香りを楽しむわけであるが、これには香をたいて、種類を当て鑑賞するという遊びがともなうことがあった。 明治期の百科事典である『古事類苑』「遊戯考」に、.

新しい!!: 香道と聞香札 · 続きを見る »

華道

華道古典生花 上旬の月 月光筒 華道の伝統的様式 華道(かどう)は、植物のみや、植物を主にその他様々な材料を組み合わせて構成し、鑑賞する芸術である。「花道」とも表記し、またいけばな(生け花、活花、挿花)とも呼ばれる。 ただし華道という呼称は「いけばな」よりも求道的意味合いが強調されている。華道にはさまざまな流派があり、様式・技法は各流派によって異なる。 華道は日本発祥の芸術ではあるが、現代では国際的に拡がってきている。欧米のフラワーデザインは、3次元のどこから見ても統一したフォルムが感じられるように生けるとされる。華道の場合、鑑賞する見る方向を正面と定めている流派も多くあるが、3次元の空間を2次元で最大限に表す流派もある。また華道は色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の形状、葉や苔となどすべてを花材とし鑑賞する点でも、海外のアレンジの概念とは一線を画している。.

新しい!!: 香道と華道 · 続きを見る »

菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

新しい!!: 香道と菅原道真 · 続きを見る »

ーン型 香(こう、incense)とは、本来、伽羅、沈香、白檀などの天然香木の香りをさす。そこから線香、焼香、抹香、塗香等の香り、またこれらの総称として用いられる。お香、御香ともいう。.

新しい!!: 香道と香 · 続きを見る »

香の図

香の図(こうのず)は、香道の中で、ある種の組香(くみこう)、もしくは芸術品の紋様として利用される縦線と横線からなる図柄である。 主として、源氏香(げんじこう)・系図香(けいずこう)・三種香(さんしゅこう)という組香に用いられる。.

新しい!!: 香道と香の図 · 続きを見る »

香炉

香炉(こうろ)とは、固体状の香料を加熱し、香気成分を発散させる目的で用いる器である。日本の仏具において灯明(燭台)・花瓶(花立て)とともに三具足(五具足)のひとつとされる。数える単位は蓋のある容器を数える合(ごう)、もしくは据えて使うものを数える基(き)。同様の目的に使われる、器と呼べる形状を持たないもの、すなわち香立て(こうたて)も、ここで取り上げる。.

新しい!!: 香道と香炉 · 続きを見る »

香道御家流桂雪会

香道御家流桂雪会(こうどうおいえりゅうけいせつかい)は香道流派の一つ。.

新しい!!: 香道と香道御家流桂雪会 · 続きを見る »

香道翠風流

香道翠風流(こうどうすいふうりゅう)は、香道(こうどう)流派の一つ。 2012年現在の家元は翠山。.

新しい!!: 香道と香道翠風流 · 続きを見る »

香木

香木(こうぼく)は、心地よい芳香を持つ木材のこと。沈香と白檀が有名である。 薄片に削ったものを加熱して芳香を楽しむのに用いられる。香木の芳香のことを「香」という。白檀は熱することなく香るため、それ以外にも仏像などの彫刻や扇子や数珠などの材料として用いられる。 ただし、香木のにおい成分を含んだオイルに木のかけらを漬け込み、「天然の伽羅」と称して高額をつけ、商品知識のない消費者に対して暴利で販売をしていることがある。一部の業者でこうした偽物を販売しているため、注意を要する。.

新しい!!: 香道と香木 · 続きを見る »

鳥羽天皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。.

新しい!!: 香道と鳥羽天皇 · 続きを見る »

足利義政

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。.

新しい!!: 香道と足利義政 · 続きを見る »

黄庭堅

庭堅・『晩笑堂竹荘畫傳』より 黄 庭堅(こう ていけん、慶暦5年(1045年) - 崇寧4年9月30日(1105年11月8日))は、中国北宋時代の書家、詩人、文学者である。洪州分寧県(現在の江西省修水県)の人。 字は魯直(ろちょく)、号は山谷道人(さんこくどうじん)、涪翁(ふうおう)などがある。黄山谷と呼ばれることが多い。宋代の詩人においては蘇軾・陸游と並び称され、書家としては蘇軾、米芾、蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇軾と名声を等しくして蘇黄と呼ばれた。子孫に清代の詩人、黄景仁がいる。.

新しい!!: 香道と黄庭堅 · 続きを見る »

茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

新しい!!: 香道と茶道 · 続きを見る »

能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことである。 能(翁奉納 春日神社 (篠山市)).

新しい!!: 香道と能 · 続きを見る »

長老

長老(ちょうろう).

新しい!!: 香道と長老 · 続きを見る »

雲母

雲母 雲母(うんも)は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。きらら、きらとも呼ばれる。特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる事も多い。英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来とする。.

新しい!!: 香道と雲母 · 続きを見る »

柳原家

柳原家(やなぎわらけ、やなぎはらの読みは慣例)は、名家の家格を有する公家。京都十三名家。藤原北家の日野家の分流。家業は文筆。江戸時代の家禄は202石。家紋は鶴丸。明治維新後は伯爵に叙される。.

新しい!!: 香道と柳原家 · 続きを見る »

推古天皇

推古天皇(すいこてんのう、欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)『古事記』では戊子年3月15日)は、第33代天皇(在位:崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)36年、『古事記』では37年)。(神功皇后を含まない)歴代天皇の中では最初の女帝(女性天皇)であるベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎(翻訳)、78頁。(第2章『女性統治者の出現』、5『最初の「天皇」は女性だった』、『日本で最初の「天皇」』)、また、女性君主は当時の東アジアではまだみられなかった。諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。炊屋姫尊とも称される。『古事記』ではこの天皇までを記している。 天皇号を初めて用いた日本の君主という説もあるが、1998年の飛鳥池工房遺跡での天皇の文字を記した木簡が発見された以後は、天武天皇が最初の天皇号使用者との説が有力となっている。また、容姿端麗であった。.

新しい!!: 香道と推古天皇 · 続きを見る »

梅枝

梅枝」(うめがえ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第32帖。巻名は宴の席で弁少将(内大臣の次男、後の紅梅大納言)が歌った催馬楽に因む。.

新しい!!: 香道と梅枝 · 続きを見る »

武士

武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については大伴氏や物部氏の名に求めるなど諸説がある。 同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などさらには、「影武者」のように、本義のほかに一般用語としても使われるようになった語もある。)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士とは言え、呼ぶことが間違いというわけではない。はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする「女武士」や「姫武士」などという呼称は見られない。。 武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめ、古代を終焉させたとする理解が通常されている。旧来の政権を傀儡として維持したまま自らが実質的に主導する中世社会を構築した後は、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が参画する近代政府(明治政府)であった。.

新しい!!: 香道と武士 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 香道と江戸時代 · 続きを見る »

沈香

沈香(じんこう)は、代表的な香木の一つ。 東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha)の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。原木は、比重が0.4と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道において、組香での利用に適している。 沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。その中で特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれ、非常に貴重なものとして乱獲された事から、現在では、 沈香と伽羅を産するほぼすべての沈香属(ジンチョウゲ科ジンコウ属)及び(ジンチョウゲ科ゴニスティル属)全種はワシントン条約の希少品目第二種に指定されている。 「沈香」には上記のような現象により、自然に樹脂化発生した、天然沈香と、植樹された沈香樹を故意にドリルなどで、穴をあけたり、化学薬品を投入して、人工的に樹脂化したものを採集した、栽培沈香が存在する。 当然ながら、品質は前者が格段に優れている。稀に上記の製造過程から来たと思われる薬品臭の付いてしまっているものや、低品質な天然沈香に匹敵する栽培沈香も存在する。しかし、伽羅は現在のところ栽培に成功していない。 また栽培沈香は人工的に作ったものとして人工沈香ともよばれる。 栽培沈香は天然沈香資源の乱獲により、原産国でも一般的になりつつあり、国内でも安価な香の原材料として相当数が流通している、なお、香木のにおい成分を含んだオイルに木のかけらを漬け込んだものや、沈香樹の沈香になっていない部分を着色した工芸品は、そもそも沈香とは呼べず、香木でもない。したがって栽培沈香でもない。 「沈香」はサンスクリット語(梵語)でaguru(アグル)またはagaru(アガル)と言う。油分が多く色の濃いものをkālāguru(カーラーグル)、つまり「黒沈香」と呼び、これが「伽羅」の語源とされる。伽南香、奇南香の別名でも呼ばれる。沈香の分類に関しては香道の記事に詳しい。 また、シャム沈香とは、インドシナ半島産の沈香を指し、香りの甘みが特徴である。タニ沈香は、インドネシア産の沈香を指し、香りの苦みが特徴。 強壮、鎮静などの効果のある生薬でもあり、奇応丸などに配合されている。 ラテン語では古来aloeの名で呼ばれ、英語にもaloeswoodの別名がある。このことからアロエ(aloe)が香木であるという誤解も生まれた。勿論、沈香とアロエはまったくの別物である。 中東ではoud (عود) と呼ばれ、自宅で焚いて香りを楽しむ文化がある。.

新しい!!: 香道と沈香 · 続きを見る »

泉涌寺

泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。 平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。真言宗十八本山8番札所。洛陽三十三所観音霊場20番札所。京都十三仏霊場6番札所。泉山七福神巡り番外(楊貴妃観音)札所。.

新しい!!: 香道と泉涌寺 · 続きを見る »

淡路島

淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置し、瀬戸内海では最大の島で、人口は離島の中では最も多い。令制国の淡路国の主要国域を占める。近畿地方の兵庫県に属し、現在は北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市で区分される。.

新しい!!: 香道と淡路島 · 続きを見る »

源平盛衰記

『源平盛衰記』(げんぺいせいすいき/げんぺいじょうすいき)は、軍記物語の『平家物語』の異本のひとつ。48巻。著者不明。読み本系統に分類される。(詳しくは『平家物語』を参照).

新しい!!: 香道と源平盛衰記 · 続きを見る »

源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

新しい!!: 香道と源氏物語 · 続きを見る »

朱印船

朱印船(しゅいんせん)は、16世紀末から17世紀初頭にかけて日本の支配者の朱印状(海外渡航許可証)を得て、海外交易を行った船を言う。朱印状を携帯する日本船は、当時日本と外交関係があったポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。 朱印船(荒木船).

新しい!!: 香道と朱印船 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: 香道と昭和 · 続きを見る »

浅草寺

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある、東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。.

新しい!!: 香道と浅草寺 · 続きを見る »

日本書紀

日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.

新しい!!: 香道と日本書紀 · 続きを見る »

愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

新しい!!: 香道と愛知県 · 続きを見る »

1443年

記載なし。

新しい!!: 香道と1443年 · 続きを見る »

1523年

記載なし。

新しい!!: 香道と1523年 · 続きを見る »

1571年

記載なし。

新しい!!: 香道と1571年 · 続きを見る »

1584年

記載なし。

新しい!!: 香道と1584年 · 続きを見る »

1606年

記載なし。

新しい!!: 香道と1606年 · 続きを見る »

1963年

記載なし。

新しい!!: 香道と1963年 · 続きを見る »

2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

新しい!!: 香道と2005年 · 続きを見る »

2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

新しい!!: 香道と2016年 · 続きを見る »

2017年

この項目では国際的な視点に基づいた2017年について記載する。.

新しい!!: 香道と2017年 · 続きを見る »

595年

記載なし。

新しい!!: 香道と595年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »