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茶室

索引 茶室

織田有楽好み。壁には連子窓(中央)と下地窓(右)を開ける。左の土間庇の下、右手に躙り口があるが、写真ではみえない。 天然図画亭の点前座。客座との間には中柱を立てる。客座と点前座の間を結界で仕切るのは珍しい。 金森宗和好み。三畳の開放的な茶室。 片桐石州好み。二畳台目。点前座の奥に床を設ける「亭主床」という珍しい形式。 細川三斎好み。点前座から客座を望む。天井は平天井と掛込天井(化粧屋根裏)を組み合わせる。 茶室(ちゃしつ)は、日本式の茶道において、茶事の主催者(主人、亭主)が客を招き、茶を出してもてなすために造られる施設である。「茶席」「囲い」あるいは「数寄屋」と呼ぶこともある。大別して草庵風のものと書院風のものがあるが、一般的には草庵風のものを指す場合が多い。独立した建物として造られる場合と、書院などの建物内に造り込まれる場合がある。いずれの場合も露地と称する庭園を伴うのが一般的であったが、現代ではホテルや公会堂、商業ビルの一角などに造られることもある。禅宗の「方丈(一丈四方の意)」から出た四畳半を標準として、それより狭いものを小間の茶室、広いものを広間の茶室という。室町末期から桃山期にかけて発展・完成したが、日本の建築の中でも特殊な位置を占める。.

83 関係: たつの市千利休南浦文之南方録古田重然名古屋鉄道名物 (茶道具)吉岡徳仁堺市塩見縄手大坂城大山崎町大仙公園大徳寺大磯町大阪府如庵妙喜庵孝明天皇孤篷庵宗長小堀政一山上宗二島根県中村昌生三井家京都市今井宗久仁和寺仰木魯堂建仁寺会所 (中世)住宅わび茶八幡市兵庫県犬山市細川忠興紅茶織田長益結界片桐貞昌聚光院聚遠亭菅田庵表千家風炉裏千家西芳寺高台寺...鳥居引拙足利義政蹲踞黄金の茶室龍光院 (京都市北区)龍野公園露地茶人人物一覧茶器茶道藪内流金地院金森重近長福寺長次郎連子窓連歌MOA美術館松平治郷松花堂松江市村田珠光棗 (茶器)武野紹鴎武者小路千家明々庵方丈施設愛知県懐石数寄屋造り慈照寺書院造 インデックスを展開 (33 もっと) »

たつの市

たつの市(たつのし)は、兵庫県の南西(西播磨県民局)に位置する市である。龍野市に旧揖保郡3町が合併。.

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千利休

千利休(せん の りきゅう、せん りきゅう、大永2年(1522年) - 天正19年2月28日(1591年4月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えた。子孫は茶道の三千家として続いている。天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあり、秀吉が旧主・織田信長から継承した「御茶湯御政道」のなかで多くの大名にも影響力をもった。しかしやがて秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれた。切腹を命ぜらるに至った真相については諸説あって定まっていない。.

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南浦文之

南浦文之(なんぽぶんし、弘治元年(1555年) - 元和6年9月30日(1620年10月25日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。 俗姓は湯浅氏。別名文之玄昌(ぶんしげんしょう)。別号雲興軒・時習斎。.

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南方録

『南方録』(なんぽうろく)は、博多の立花家に千利休の秘伝書として伝わった古伝書。ただし、同時代を著した書籍としては内容や用語等に矛盾点が多数指摘され、現在、研究者の間では元禄時代に成立した偽書として認知されている。かつては、「わび茶」の概念の形成に大きな影響を与えたと考えられてきたが、現在では実際の成立年代である、江戸期の茶道における利休回帰を裏付ける資料として捉えられている。.

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古田重然

織部作と伝わる南宗寺庭園(国の名勝) 古田 重然(ふるた しげなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。.

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名古屋鉄道

名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英称:Nagoya Railroad Co.,Ltd.)は、愛知県・岐阜県を基盤とする大手私鉄である。通称、名鉄(めいてつ、英称:Meitetsu)。民営鉄道としては日本で3番目の歴史を持つ老舗企業である。本社は愛知県名古屋市中村区名駅1丁目2番4号、近鉄名古屋駅に隣接する名鉄名古屋駅上に設けた名鉄バスターミナルビル(名鉄百貨店本店メンズ館ビル)内に置いている。.

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名物 (茶道具)

名物(めいぶつ)とは、茶道具においては格付けの一種類と捉えることが出来る。.

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吉岡徳仁

吉岡 徳仁(よしおか とくじん、1967年1月20日)は、日本のデザイナーである。 デザイン、建築、現代美術の領域において活動し、詩的かつ実験的な作品は、国際的に高く評価されている。 国際的なアワードを多数受賞し、作品はニューヨーク近代美術館(アメリカ)やポンピドゥー・センター (フランス)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(イギリス)など、世界の主要美術館に永久所蔵されている。 アメリカNewsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれている。.

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堺市

堺市(さかいし)は大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。 大阪府による地域区分では泉北地域とされるが、市制施行時の堺市域や南河内郡の旧郡域など歴史的に泉北郡ではなかった地域が多く含まれており、他の泉北地域3市1町とは区別されることもある。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、人口は2015年4月時点で山梨県・佐賀県・福井県・徳島県・高知県・島根県・鳥取県を上回る。一方、居住人口に比べて昼間人口の割合が低く、大阪市の衛星都市としての特徴も併せ持っている。.

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塩見縄手

塩見縄手 塩見縄手(しおみなわて)は、島根県松江市の通りである。松江市伝統美観指定地区。.

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大坂城

大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在する。別称は錦城(きんじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。.

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大山崎町

天王山からの景色、大阪方面 宝寺、殉国十七烈士墓 宝寺、羽柴秀吉出世石 大山崎瓦窯跡 農作業用モノレール、天王山ハイキング道 大山崎町(おおやまざきちょう)は、京都府乙訓郡の町。大阪府三島郡島本町との府境に位置する。京都府下で最も面積の小さい町である。旧山城国乙訓郡。河の南という意味で「河陽(かや、かよう)」の別名がある。.

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大仙公園

大仙公園(だいせんこうえん)は、大阪府堺市堺区にある都市公園(総合公園)である。.

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大徳寺

大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。.

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大磯町

大磯町(おおいそまち)は、神奈川県の南部に位置する町。神奈川県庁の定める区分では湘南地域に属する。.

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大阪府

大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.

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如庵

茶室如庵 如庵(じょあん)は、愛知県犬山市の有楽苑にある茶室である。昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって現在地に移築された。国宝指定は昭和26年(1951年)。この如庵という名称は、一説によれば庵主織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたという。なお、有楽斎はこれより前に如庵の名を持つ茶室を大坂天満屋敷にも好んで(造って)おり、同じ有楽苑内に「元庵」の名で復元されている。.

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妙喜庵

妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院。山号は豊興山。妙喜禅庵とも称する。江戸時代一時地蔵寺の塔頭であったが、現在は臨済宗東福寺派に属する。 室町時代の明応年間(1492年 - 1501年)の開創。開山は東福寺開創聖一国師法嗣・春嶽士芳。国宝の茶室「待庵(たいあん)」があることで知られる。連歌師の山崎宗鑑の屋敷(對月庵)を宗鑑退去(大永3年(1524年)ごろ)後寺庵に改めたとの伝えもあるが、春嶽は永正6年(1510年)にすでに没している。また、大山崎集落の大阪府側(島本町山崎)には宗鑑旧居跡(宗鑑井戸)の伝えもある。これらのことから「妙喜庵.

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孝明天皇

孝明天皇(こうめいてんのう、天保2年6月14日(1831年7月22日) - 慶応2年12月25日(1867年1月30日))は、第121代天皇(在位:弘化3年2月13日(1846年3月10日)‐ 慶応2年12月25日(1867年1月30日))。諱は統仁(おさひと)。仁孝天皇の皇子、明治天皇の父。.

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孤篷庵

孤篷庵(こほうあん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。他の塔頭群とは離れた、大徳寺境域の西端に位置する。庵号の「孤篷」は「一艘の苫舟」の意で、小堀政一(遠州)が師事した春屋宗園から授かった号である。非公開だが、数年に1回は10日間程度の特別公開がある。.

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宗長

宗長(そうちょう、1448年(文安5年) - 1532年4月11日(天文元年3月6日))は室町時代後期の連歌師である。号は柴屋軒。駿河国島田(現在の静岡県島田市)の出身。鍛冶職五条義助の子として生まれた。.

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小堀政一

小堀 政一(こぼり まさかず)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。備中松山藩第2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。遠州流(小堀遠州流)茶道の祖。一般には小堀 遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の遠江守の唐名に由来する通称で後年の名乗り。幼名は作助、元服後は、正一、政一と改める。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。.

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山上宗二

山上 宗二(やまのうえ そうじ、天文13年(1544年) - 天正18年4月11日(1590年5月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商(町衆)、茶人。なお忌日は2月27日(新暦になおすと4月1日)という説もある。屋号は薩摩、号は瓢庵。本姓は石川氏。子は山上道七。.

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島根県

島根県(しまねけん)は、日本の中国地方の日本海側である山陰地方の西部をなす県。県庁所在地は松江市。離島の隠岐島、竹島なども島根県の領域に含まれる。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国であり、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方の3つの地域に区分されることが多い。全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。.

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中村昌生

中村 昌生(なかむら まさお、1927年 京都新聞 2013年03月24日掲載8月2日『現代日本人名録2002』3巻p1235 2000年11月 - )は、愛知県出身の日本の建築家、建築学者(日本建築史)。京都工芸繊維大学名誉教授、福井工業大学名誉教授 2009/01/21。京都伝統建築技術協会を設立、理事長を務める。専攻は日本建築。工学博士。桂離宮修理事業をはじめとして伝統建築の保存に貢献した。.

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三井家

三井家(みついけ)は、日本の氏族。江戸時代の豪商であり、三井財閥の当主の一族。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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今井宗久

今井 宗久(いまい そうきゅう、永正17年(1520年) - 文禄2年8月5日(1593年8月31日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人、茶人。今井出羽守宗慶の三男の氏高の子。今井宗薫の父。名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。薙髪の後に宗久と名乗った。千利休・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。.

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仁和寺

双ヶ岡より仁和寺を望む 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の仏教寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。.

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仰木魯堂

仰木魯堂(おうぎ ろどう、文久3年(1863年) - 昭和16年(1941年)9月20日)は大正、昭和初期の茶人、建築家。本名は敬一郎。数寄屋建築で知られる。弟に木工家仰木政斎がいる。.

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建仁寺

建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。 京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、しばしば日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。.

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会所 (中世)

会所(かいしょ)とは、文字通り解釈すれば、なんらかの会、催し物、寄合・会合が行われるところであるが、日本の中世期に発展して、ある特定の区画、さらには独立した建物が「会所」と名づけられることもあった。特に、会所が最も発達した室町時代については、節を設けて詳しく解説する。また、江戸時代における会所については会所 (近世)を参照のこと。.

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住宅

住宅(じゅうたく)は、人の居住を用途とする建築物。「住居」とも言う。生活範囲となる環境を含める場合もある。 ひとつの敷地に一世帯が居住する「一戸建(て)」(戸建(て)、個人住宅とも言う。建築基準法においては専用住宅)と、複数世帯が居住する「集合住宅」(建築基準法においては共同住宅)とに大別される。また、自己が所有し居住する持ち家と、他人が所有する住宅を借りて居住する貸家(貸間)・賃貸住宅に分けることもできる。 その形には、社会の変化に応じて流行もあり、和風住宅、洋風、欧風住宅といった呼び名があり、また、高齢者の在宅ケアなどのための同居する人が増えるようになり、二世帯、三世帯住宅や、高齢者住宅、バリアフリー住宅といった呼称も出てきた。.

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わび茶

わび茶(わびちゃ、侘茶、侘び茶)は、狭義には茶の湯の一様式。書院における豪華な茶の湯に対し、村田珠光以後、安土桃山時代に流行し、千利休が完成させた茶の湯で、簡素簡略の境地すなわち「わび」の精神を重んじたもの。また広義には、千利休系統の茶道全体を指す。.

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八幡市

八幡市(やわたし)は、京都府の南部に位置する人口約7万人の市である。市名は市内に鎮座する日本三大八幡宮の一社、石清水八幡宮に由来する。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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犬山市

山市(いぬやまし)は、愛知県北西部の市。「尾張の小京都」と称される歴史のある都市である。.

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細川忠興

九曜紋 細川 忠興(ほそかわ ただおき)/長岡 忠興(ながおか ただおき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前小倉藩の初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。室町幕府将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。 足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人(細川三斎(さんさい))としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。.

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紅茶

一杯の紅茶 紅茶(こうちゃ)とは、摘み取った茶の葉と芽を萎凋(乾燥)させ、もみ込んで完全発酵させ、乾燥させた茶葉。もしくはそれをポットに入れ、沸騰した湯をその上に注いで抽出した飲料のこと。なお、ここでいう発酵とは微生物による発酵ではなく、茶の葉に最初から含まれている酸化酵素による酸化発酵である。 ヨーロッパで多く飲用される。世界で最も頻繁に紅茶を飲むと言われるイギリスでは、朝昼晩の食事だけでなく、起床時、午前午後の休憩にもお茶を楽しむ。このため、茶器、洋菓子なども発達し、洗練された。なお、紅茶の文化は18世紀にアイルランドに伝わり、2008年時点で国民一人当たりの消費量ではアイルランドがイギリスを抜いて世界一となっている。 日本語の紅茶の語源はその抽出液の水色(すいしょく)から、また、英語の black tea はその茶葉の色に由来する。茶および tea の語源は茶の項参照。.

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織田長益

織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。長益系織田家嫡流初代。 織田信秀の十一男で、有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、有楽斎と称される。 千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられる。後には自ら茶道有楽流を創始した。また、京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定されている。.

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結界

結界(けっかい)とは、仏教において、サンガ(saṃgha, 僧伽(そうぎゃ)四人以上の比丘(びく)または比丘尼(びくに)により構成される出家者の集団)がひとつの「現前(げんぜん)サンガ」(sammukhībhūta-saṃgha)理念の上で全世界のあらゆる比丘・比丘尼によって形成される「四方(しほう)サンガ」(cātuddisasaṃgha)に対し、特定の拠点において、四人以上の比丘(または比丘尼)をメンバーとして活動する個々のサンガを指す。の空間領域(sīmā.

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片桐貞昌

片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代前期の大名、茶人。大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として片桐石州(かたぎり せきしゅう)の名で知られる。.

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聚光院

聚光院(じゅこういん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺の塔頭のひとつ。聚光院という院号は三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」から採られたものである。寺内は通常は公開されていない。.

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聚遠亭

聚遠亭 聚遠亭(しゅうえんてい)は龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡にある歴史的建造物および庭園。兵庫県たつの市の鶏籠山西麓に広がる龍野公園内に位置する。紅葉の名所として名高い。.

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菅田庵

菅田庵(かんでんあん)は、島根県松江市の旧松江藩家老有沢家の山荘にある松平不昧治郷ゆかりの茶室。国の史跡および名勝。また山荘内の菅田庵及び向月亭、御風呂屋は国の重要文化財の指定を受けている。.

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表千家

表千家(おもてせんけ)は、茶道流派の一つ。千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家であり、宗家は京都市上京区小川通寺之内通上るにある。 表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)の号の由来は「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理している。 現在の家元は、千利休から数えて、14代目の而妙斎(じみょうさい)千宗左(せんそうさ)家元である。代々の家元は紀州藩主である紀州徳川家(御三家)の茶頭として格式を誇り、紀州徳川家と強いつながりがあった三井家とも縁があった。(後述) 本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、今日庵が表通りの不審菴の裏にあることに由来する。.

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風炉

炉(ふうろ、ふろ).

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裏千家

裏千家(うらせんけ)は、茶道流派の一つ。「裏千家」の語は、家元とその家族らで構成される宗家を指すことも、「一般財団法人今日庵」などの法人組織を指すことも、弟子・門下生を含む流派組織を指すこともある。茶道諸流派中最大の流派である。 裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意。宗家は京都市上京区小川寺之内上ルにあり、表千家宗家と隣接している。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもある。なお、今日庵の由来は、宗旦が亭主をつとめた茶席に遅れた清巌和尚に、所用があるとして留守にした宗旦が明日の来席を請うた際に残した清巌和尚の「懈怠比丘不期明日」の書き付けから。「千家」といえば本来、本家の表千家のことであったが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになった。.

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西芳寺

西芳寺(さいほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。天龍寺の境外塔頭である。一般には苔寺(こけでら)の通称で知られる。山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、開山は行基と伝え、中興開山は夢窓疎石である。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。.

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高台寺

台寺、髙臺寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。 霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。.

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鳥居引拙

鳥居 引拙(とりい いんせつ、生没年不詳)は、戦国時代の茶人。村田珠光の弟子『鎌倉・室町人名事典』。屋号は天王寺屋『図解 茶道具事典』339頁。俗説として珠光の次男という説もあるが、信憑性に乏しい。.

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足利義政

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。.

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蹲踞

蹲踞(そんきょ、そんこ)とは、体を丸くしてしゃがむ、または膝を折り立てて腰を落とした立膝をついた座法を言う。 蹲う(つくばう)には平伏・平身低頭する意味、踞む(こごむ)は屈み込んだ状態を指し、腰をかけたり中腰の状態の踞ぐ(しりうたぐ)を指すことから転じて貴人が通行する際にしゃがんだ状態で礼をするさまを言う。.

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黄金の茶室

金の台子(複製、京都市埋蔵文化財研究所蔵) 黄金の茶室(おうごんのちゃしつ)は、豊臣秀吉が造らせた平三畳の随所に黄金が施された茶室である。.

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龍光院 (京都市北区)

龍光院(りょうこういん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。国宝・重要文化財の建物や美術品を多数有するが観光を目的とした拝観は一切受け付けておらず、特別公開の類も行わない。いわゆる拝観謝絶の寺院である。.

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龍野公園

龍野公園(たつのこうえん)は兵庫県たつの市にある公園。 龍野城跡がある鶏籠山(218m)南西麓および的場山(394m)南麓一帯に広がる面積約4.7haの公園で、西播丘陵県立自然公園に属する。春は桜、秋は紅葉の名所として広く知られる。.

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露地

松花堂茶室「竹隠」の露地 露地(ろじ)とは茶庭ともいい、茶室に付随する庭園の通称である。露地はまた、一般的には屋根など覆いのない地面を称し、ハウス栽培・ハウス園芸に対し「露地栽培」、また、栽培する農産物の名を付して「露地いちご」などと呼称する。 本項では、茶庭としての露地について説明する。.

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茶人人物一覧

茶人人物一覧(ちゃじんじんぶついちらん)は、茶人(茶道に通じた人)の一覧。.

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茶器

茶器(ちゃき)とは、広義には茶の湯において用いられる器全般を指すものであり、狭義には抹茶を入れる容器を指す。 本項では、狭義の茶器について解説する、 茶器は抹茶をいれる容器であるが、とくに、濃茶を点てるときに用いる茶器を濃茶器と呼び、薄茶を点てる時に用いる茶器を薄茶器と呼んでいる。現在は、濃茶器には主に陶磁器製の茶入を用いることが多く、薄茶器には棗を用いることが多い。 なお、点茶に用いる茶道具全体を指して「茶器」と呼ぶこともあるが、一般には(狭義には)茶器とは抹茶をいれておく容器である上記の濃茶器と薄茶器のことを指す用語である。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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藪内流

藪内流(やぶのうちりゅう)は茶道流派の一つ。古儀茶道藪内流とも。浮薄を戒め利休時代の茶風を留めているとされるが、これは紹鴎・利休の侘び茶に織部の武家茶の影響をいれたものである。庵号は燕庵(えんなん)といい、織部の考案による相伴席付三畳台目の茶室を指す。家元藪内家は京都市下京区西洞院通正面下にあり、このため上京区にある上流(三千家)に対して下流と呼び習わされてきた。財団法人として薮内燕庵、同門組織としては竹風会がある。.

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金地院

金地院(こんちいん)は京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院。小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。 南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の法律外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。 僧録司が置かれ一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされた。また10万石の格式を持ち寺大名とも呼ばれた。 家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがあり幕府による増改築が度々される。京都三名席の茶室がある。.

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金森重近

金森 重近(かなもり しげちか、天正12年(1584年) - 明暦2年12月16日(1657年1月30日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人。金森可重の長男。宗和(そうわ)の号で知られる。宗和流茶道の祖。子に金森方氏、山下氏政室。.

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長福寺

長福寺(ちょうふくじ).

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長次郎

長次郎(ちょうじろう、? - 天正17年(1589年))は、安土桃山時代を代表する京都の陶芸家。楽焼の創始者であり、千家十職の一つ・樂吉左衛門家の初代とされる佐々木(1994)pp.180-181。.

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連子窓

連子窓(れんじまど)は、断面方形又は菱形の細長い木材(連子子)を縦又は横に連ねた連子を嵌め込んだ窓である。採光、通風、防犯を目的とする 建築用語集。 寺院や神社で用いられることが多く、日本では法隆寺、薬師寺、春日大社、大極殿の回廊等に見られる。 茶室では竹格子を嵌めた窓を連子窓と呼ぶ。.

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連歌

連歌(れんが)は、鎌倉時代ごろから興り、南北朝時代から室町時代にかけて大成された、日本の伝統的な詩形の一種。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。和歌のつよい影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生している。.

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MOA美術館

MOA美術館 (エムオーエーびじゅつかん、MOA Museum of Art、旧:熱海美術館) は、静岡県熱海市にある私立美術館である。.

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松平治郷

月照寺にある墓所 松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代。江戸時代の代表的茶人の一人で、号の不昧(ふまい)で知られる。その茶風は不昧流として現代まで続いている。.

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松花堂

松花堂(しょうかどう)は、江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。現在の京都府八幡市、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。 男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、明治初年の神仏分離で宿坊はすべて撤去され、松花堂も旧所在地の南方に移築。現在は「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっており、財団法人やわた市民文化事業団が管理運営している。現・松花堂は、移転前の旧地とともに「松花堂及びその跡」の名称で国の史跡に、「松花堂及び書院庭園」の名称で国の名勝に指定されている。.

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松江市

松江市(まつえし)は、島根県の東部(出雲地方)に位置する市。同県の県庁所在地である。 2012年(平成24年)4月1日に特例市に、2018年(平成30年)4月1日には中核市に移行した。.

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村田珠光

村田 珠光(むらた じゅこう、応永29年(1422年)または30年(1423年) - 文亀2年5月15日(1502年6月19日)または7月18日(8月20日))は、室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者と目されている人物。なお僧であったため、本来ならば苗字は記されないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。 近年では「しゅこう」と濁らせないとする説もある。.

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棗 (茶器)

棗(個人蔵) 棗(なつめ)は、茶器の一種で、抹茶を入れるのに用いる木製漆塗りの蓋物容器である。植物のナツメの実に形が似ていることから、その名が付いたとされる。 現在では濃茶を入れる陶器製の茶入(濃茶器)に対して、薄茶を入れる塗物の器を薄茶器(薄器)と呼ぶが、棗がこの薄茶器の総称として用いられる場合も多い(その歴史に関しては薄茶器の項目を参照)。.

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武野紹鴎

大仙公園内の武野紹鴎像 武野 紹鴎(たけの じょうおう、文亀2年(1502年) - 弘治元年閏10月29日(1555年12月12日))は、戦国時代の堺の豪商(武具商あるいは皮革商)、茶人。正しくは紹鷗だが、一部の日本語環境では表示できないため、本項では「武野紹鴎」と表記する。 幼名は松菊丸。通称は新五郎。名乗は仲材。 子に同じく茶人の武野宗瓦がいる。.

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武者小路千家

武者小路千家(むしゃこうじせんけ)は、茶道流派の一つ。千利休からの家督を継いだ本家の表千家に対し、分家である裏千家と併せて、三千家といわれる。宗家は京都市上京区武者小路通り小川東入にあり、この所在地が武者小路千家の名の由来である。官休庵(かんきゅうあん)は、現在では武者小路千家の茶室を指す場合と、財団法人官休庵を指す場合がある。.

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明々庵

明々庵(めいめいあん)は島根県松江市の塩見繩手にある松平不昧ゆかりの茶室を主とする古庵。.

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方丈

方丈(ほうじょう)は、.

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施設

施設(しせつ)とは、社会生活を営む際に利用する構造物、建築物やその設備。国民の生活向上に必要な公共施設を社会資本・インフラストラクチャーなどという。 狭義、あるいは省略した用語として児童福祉施設、老人福祉施設などの福祉施設のことを指す場合もある。.

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愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

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懐石

懐石(かいせき)は、日本料理の一種で、本来茶の湯において正式の茶事の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する(詳細は歴史の節を参照)。懐石料理とも呼ばれる。懐石を弁当にしたものを点心という。.

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数寄屋造り

数寄屋造り(すきやづくり)とは、日本の建築様式の一つである。数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式とされる。 語源の「数寄」(数奇)とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり(数寄者参照)、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。 数奇屋大工(大工を参照)が造る木造軸組工法の家屋。.

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慈照寺

東山慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。 室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。 山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。.

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書院造

慈照寺東求堂 書院造(しょいんづくり)は、日本の室町時代から近世初頭にかけて成立した住宅の様式である。寝殿を中心とした寝殿造に対して、書院を建物の中心にした武家住宅の形式のことで、書院とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称である。その後の和風住宅は、書院造の強い影響を受けている。かつては「武家造」とも呼ばれたように、中世以降、武士の住居が発展する中で生まれた。.

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