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国史大辞典 (昭和時代)

索引 国史大辞典 (昭和時代)

國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.

108 関係: 加藤友康卒業論文司馬遼太郎参議名前吉川弘文館坪井清足坂本太郎 (歴史学者)壬申戸籍大久保利謙大石慎三郎大日本史女性学会宝月圭吾安田元久寺内大吉小西四郎尾藤正英岩倉具視岸俊男丸山雍成丸谷才一三条実美平徳子平成平敦盛井上光貞井上日召式子内親王徳大寺実則土田直鎮北一輝レポートインターネット百科事典コンテンツジャパンナレッジ児玉幸多国史大辞典 (明治時代)皆川完一皇室石原莞爾石井進 (歴史学者)福田豊彦竹内理三笹山晴生築島裕父親由井正臣...熊谷直実瀬野精一郎百科事典音読み遠藤周作菊池寛賞風習西田税西郷隆盛角田文衞訓読み高村直助鳥海靖関晃藤原伊周藤原穏子藤原璋子臼井勝美考古学IUPAC命名法柳原愛子杉本苑子梅原猛樋口清之歴史歌道永原慶二永井路子池田彌三郎源伊陟源高明源明子昭和斎藤忠日蓮宗日本早川庄八政府批評1872年1965年1979年1980年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1996年1997年2010年7月1日 インデックスを展開 (58 もっと) »

加藤友康

加藤 友康(かとう ともやす、1948年 - )は、日本の歴史学者。明治大学大学院文学研究科・特任教授、東京大学史料編纂所名誉教授。専門は日本史。 東京都出身。東京大学大学院人文科学研究科国史学博士課程中退。1978年東大史料編纂所助手、88年助教授、95年教授、2005-07年所長、2013年定年退任、名誉教授、明治大学特任教授。.

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卒業論文

卒業論文(そつぎょうろんぶん)は、大学(短期大学を含む)および高等専門学校に所属する主に最終学年の学生が、その最終学年の一年間を通して行う「卒業研究の成果として提出する論文」のことである(期間や、方法が異なる場合もある)。一部の高等学校や中学校にも科しているところがある。略称は、卒論(そつろん)。.

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司馬遼太郎

司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。.

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参議

参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.

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名前

名前(なまえ、όνομα、nomen、name)とは、物や人物に与えられた言葉のことで、対象を呼んだりする際に使われる。名称、あるいは単に名とも言う。名前をつけることを「名付ける」「命名(めいめい)する」という。名前として使われる言葉を名詞という。 多くの場合、名前とは人名である。また、人名のうち、家族を表す姓(名字)でない方、個人を識別する名を指すことも多い。ただし、名ではなく姓を指して「名前」と呼ぶこともある。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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坪井清足

坪井 清足(つぼい きよたり、1921年11月26日 - 2016年5月7日)は、日本の考古学者。元奈良国立文化財研究所所長、元元興寺文化財研究所所長。勲三等旭日中綬章、文化功労者。大阪府出身。.

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坂本太郎 (歴史学者)

坂本 太郎(さかもと たろう、1901年(明治34年)10月7日 - 1987年(昭和62年)2月16日)は、日本の歴史学者。東京大学・國學院大學名誉教授。文学博士(1937年・東京帝国大学)。専門は日本古代史。静岡県出身。 太平洋戦争終戦直後の混乱した東京大学国史学研究室の再建と、東京大学史料編纂所での史料編纂事業の復活および興隆に尽力した。.

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壬申戸籍

壬申戸籍(じんしんこせき)は、明治4年(1871年)の戸籍法に基づいて、翌明治5年(1872年)に編製された戸籍である。編製年の干支「壬申」から「壬申戸籍」と呼び慣わす。.

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大久保利謙

大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年(明治33年)1月25日 - 1995年(平成7年)12月31日)は、日本の歴史学者。.

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大石慎三郎

大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 - 2004年5月10日)は日本の歴史学者。専門は近世日本史。 近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。.

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大日本史

『大日本史』(だいにほんし)は、日本の歴史書。江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した。神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。携わった学者たちは水戸学派と呼ばれた『大思想エンサイクロペヂア』28巻 (春秋社, 1930) p187。 『大日本史』は光圀死後の1715年(正徳5年)、藩主徳川綱條による命名で、同時代には『本朝史記』や『国史』『倭史』と呼ばれている。質の高い漢文体で書かれ、記事には出典を明らかにし、考証にも気を配っている。.

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女性

パイオニア探査機の金属板(部分)に描かれた女性像 女性器の構造 女性器の外観 成長した女性の下半身 女性(じょせい、γυναίκα、woman)は、男性と対比されるヒト(人間)の性別のこと。一般には生物学のメスと同義だが、社会・個人の価値観や性向に基づいた多様な見方が存在する。.

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娘(むすめ)とは、女性の子供、即ち本人の1親等直系卑属のうち女性である者である。対義語は息子または母。 実子または養子(養女)の場合がある。また配偶者の連れ子の女性も一般に娘と呼ぶ。他人の娘を指して息女と呼ぶことがある。 息子の妻(嫁)を義理の娘ともいう。.

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学会

学会(がっかい)とは、学問や研究の従事者らが、自己の研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場である。また同時に、査読、研究発表会、講演会、学会誌、学術論文誌などの研究成果の発表の場を提供する業務や、研究者同士の交流などの役目も果たす機関でもある。.

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宝月圭吾

宝月 圭吾(ほうげつ けいご、寳月 圭吾、1906年8月12日 - 1987年9月13日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。日本中世史。.

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安田元久

安田 元久(やすだ もとひさ、1918年10月19日 - 1996年1月23日)は、日本の歴史学者。元学習院大学学長。文学博士(東京大学、1962年)。専門は日本中世史・鎌倉時代史研究。.

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寺内大吉

寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家、スポーツライター、浄土宗の僧侶。本名は成田 有恒(なりた ゆうこう)。.

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小西四郎

小西 四郎(こにし しろう、1912年7月14日 - 1996年2月5日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。幕末史が専門。.

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尾藤正英

尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。.

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岩倉具視

岩倉 具視(いわくら ともみ、文政8年9月15日(1825年10月26日) - 明治16年(1883年)7月20日)は、日本の公家、政治家。雅号は対岳。謹慎中の法名は友山。補職・位階・勲等は、贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。.

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岸俊男

岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年1月21日)は、日本史学者、京都大学名誉教授、古代史専攻。.

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丸山雍成

丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )は、日本史学者、九州大学名誉教授。日本近世史、交通史が専門。.

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丸谷才一

丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。 主な作品に『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までをのぞいて、歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽妙で知的な作品を書くことを目指した。小説の傍ら『忠臣蔵とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』などの評論・随筆も多数発表しており、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く、「文壇三大音声」(〜おんじょう)の一人と自負していた。.

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三条実美

若き日の三条実美(『幕末・明治・大正 回顧八十年史』より) 三条 実美(さんじょう さねとみ、旧字:三條實美、天保8年2月7日(1837年3月13日) - 明治24年(1891年)2月18日)は、日本の公卿、政治家。位階勲等爵位は、正一位大勲位公爵。号は梨堂(りどう)。変名は梨木 誠斉。 右大臣、太政大臣、内大臣、内閣総理大臣兼任、貴族院議員などを歴任した明治政府の最高首脳人物の一人。元勲。.

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平徳子

水野年方筆「寂光院」徳子を描いた錦絵 平 徳子(たいら の とくし/とくこ/のりこ、久寿2年(1155年) - 建保元年12月13日(1214年1月25日))は、高倉天皇の中宮。安徳天皇の国母。父は平清盛、母は平時子。異母兄に重盛、基盛。同母兄弟に宗盛、知盛、重衡がいる。院号は建礼門院(けんれいもんいん)。 清盛と後白河法皇の政治的協調のため、高倉天皇に入内して第一皇子・言仁親王(後の安徳天皇)を産む。安徳天皇の即位後は国母となるが、高倉上皇と清盛が相次いで没し、木曾義仲の攻撃により都を追われ、壇ノ浦の戦いで安徳天皇・時子は入水、平氏一門は滅亡する。徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔った。 『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役となっている。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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平敦盛

平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安時代末期の武将。平清盛の弟・経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された。.

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井上光貞

井上 光貞(いのうえ みつさだ、1917年(大正6年)9月19日 - 1983年(昭和58年)2月27日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。国立歴史民俗博物館初代館長。紫綬褒章受章者。文学博士。専門は日本古代史(上代日本史)。井上馨と桂太郎の孫に当たる。.

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井上日召

井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年4月12日 - 1967年3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト。 日蓮宗僧侶としていわゆる近代日蓮主義運動の思想的系譜に連なり、戦前の右翼テロリスト集団「血盟団」、戦後の右翼団体「護国団」の指導者を務めた。本名は井上昭。昭の字を分けて日召とす。.

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式子内親王

式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう、久安5年(1149年) - 建仁元年1月25日(1201年3月1日))は、平安時代末期の皇女、賀茂斎院である。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法。.

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徳大寺実則

徳大寺 實則(とくだいじ さねつね、天保10年12月6日(1840年1月10日) - 1919年(大正8年)6月4日)は、幕末から明治期の公卿・官僚。宮内卿、内大臣、明治天皇の侍従長等を務めた。栄典は従一位大勲位公爵。.

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土田直鎮

土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年1月16日 - 1993年1月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。元国立歴史民俗博物館長。.

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北一輝

北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。.

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レポート

レポート、リポート (report) は、「報告(する)」の意。転じて、以下の意味でも使用される。.

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インターネット百科事典

インターネット百科事典。コンピューターを使ってインターネット経由で閲覧する。 インターネット百科事典(インターネットひゃっかじてん、)とは、インターネットでアクセスできるデジタル百科事典である。オンライン百科事典()とも呼ばれる。インターネット百科事典として最も規模の大きいものとしてウィキペディア、また専門家が主導しているオープンアクセスのプロジェクトで歴史が古いものとしてスタンフォード哲学百科事典などがあるLawrence M. Sanger "" Digital Universe Journal(2006)Dowries, Stephen "" Interdisciplinary Journal of Knowledge and Learning Objects.

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コンテンツ

ンテンツ()とは、「中身」のこと。英語の関連語彙としては、コンテナ(wiktionary:container)の中身がコンテントcontentである。 デジタル‐、映像‐、商業‐、素人‐、などといった複合語がある。いわゆる「メディア」の中身の、文字列・音・動画などのことで、それらの内容である著作物を指すことも多い。 英語では普通はcontentと単数形で書く。本項目の英語版もContentである。 英語でcontentsとして複数形で書くと、普通は「目次」の意味になる。この場合は、(内容の表)の略である。.

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ジャパンナレッジ

JapanKnowledge(ジャパンナレッジ)は、小学館グループの株式会社ネットアドバンスが提供する、有料会員制の知識探索サイト、インターネット百科事典である。小学館グループを中心に国内外の出版各社の辞書・事典コンテンツをデジタルデータとして提供することを目的としている。50種類を超えるコンテンツの総項目数約300万・総文字数約16億のデータに一括検索を実行し、結果を表示する。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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国史大辞典 (明治時代)

国史大辞典(こくしだいじてん)は、1908年(明治41年)に吉川弘文館から刊行された日本で最初の本格的な日本史辞典である。.

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皆川完一

川 完一(みながわ かんいち、1928年3月24日-2011年10月28日)は、昭和・平成時代の歴史学者。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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石原莞爾

石原 莞爾(いしわら かんじ、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位『アジア歴史資料センター』「元京城帝国大学教授高楠栄外二十名特旨叙位ノ件/陸軍中将安岡正臣外十八名」(レファレンスコード A11115054700)・勲一等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。.

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石井進 (歴史学者)

石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年10月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士(東京大学、1964年)。正四位勲三等旭日中綬章。.

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福田豊彦

福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日-2015年6月9日)は、日本の歴史学者、東京工業大学・国立歴史民俗博物館名誉教授。日本中世史専攻。従四位。瑞宝小綬章受章。.

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竹内理三

竹内 理三(たけうち りぞう、1907年(明治40年)12月20日 - 1997年(平成9年)3月2日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所所長。東京大学名誉教授。文学博士。専門は日本古代史・中世史。号は竹犂(ちくり)。愛知県出身。.

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笹山晴生

笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。.

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築島裕

築島 裕(つきしま ひろし、1925年10月12日 - 2011年4月11日)は、日本の国語学者。東京大学文学部名誉教授。文学博士。日本学士院会員。鉄道切符の収集家。 訓点資料研究が専門。国語学の分野で功績を残した。.

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父親

親(ちちおや)とは男親のことである。 「お父さん」と一般には呼び、親しみをこめて「とうさん」「とうちゃん」「親父」(おやじ)などと呼ばれる場合もある。日本語においてこれらの呼称は、養父など社会的な父親、すなわち文化人類学で言うところのペイター (pater) であるか、生物学的な遺伝的な意味での父親であるジェニター (genitor) であるかとは無関係に用いられる。 「お父さん」という呼称は、.

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由井正臣

由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 2008年4月4日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は日本近代史。長野県出身。 近代日本における軍部の成立や田中正造についての研究で知られる。.

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熊谷直実

谷 直実(くまがい なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした。熊谷直貞の次男。 熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫・維時(これとき)の六代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、彰かではない。直実の祖父・平盛方(もりかた)が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。 平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。のちに出家して法然の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。 『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。.

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瀬野精一郎

野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - )は、日本史学者、早稲田大学名誉教授。中世武士を研究対象とする。.

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百科事典

科事典(ひゃっかじてん、encyclopaedia)とは、あらゆる科目にわたる知識を集め、これを部門別やアルファベット順・五十音順などに配列し、解説を記した書物のこと広辞苑 第五版 p.2272 百科辞典・百科事典。「百科」と略記されることもある。 thumb.

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音読み

音読みは、日本語における漢字の字音による読み方である。.

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遠藤周作

遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年(大正12年)3月27日 - 1996年(平成8年)9月29日)は、日本の小説家。随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。.

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菊池寛賞

菊池寛賞(きくちかんしょう)は、日本文学振興会が主催する、文芸・映画など様々な文化分野において業績をあげた個人や団体を表彰する賞。 もとは菊池寛の提唱で、先輩作家の業績をたたえ、敬意を表すために1938年に制定されたもので、文学賞であった。46歳以上の作家が表彰対象となり、数え45歳未満の作家が選考委員を務めた。これは6回で中止となったが、菊池が没したのを機に1952年に復活。そのとき受賞対象が文芸以外の分野に広げられた。 正賞として時計、副賞として100万円が授与される。.

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風習

習(ふうしゅう、custom)とは、土地ごとに存在する社会生活上のならわしやしきたりのこと。風俗習慣。行為伝承のひとつ。地理、歴史、その地域の産業の違いによって顕在化し人々の行動や思考パターンに影響を与える。学術的には歴史学、民俗学の研究対象とされることが多い。.

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西田税

西田 税(にしだ みつぎ、明治34年(1901年)10月3日 - 昭和12年(1937年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、思想家。 日本改造法案大綱を著し国家改造論者として知られる北一輝と親交を持つようになったことから、国家革新の志をさらに大きくするようになったという。西田の思想は革新的な青年将校から絶大に信奉されたが、昭和11年(1936年)の二・二六事件で国家転覆を図った首謀者の一人として逮捕され、翌昭和12年(1937年)、北とともに刑死した。.

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西郷隆盛

西郷 隆盛(さいごう たかもり、、文政10年12月7日〈1828年1月23日〉 - 明治10年〈1877年〉9月24日)は日本の武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と変更。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。 西郷家の初代は熊本から鹿児島に移り、鹿児島へ来てからの7代目が父・吉兵衛隆盛、8代目が吉之助隆盛である。次弟は戊辰戦争(北越戦争・新潟県長岡市)で戦死した西郷吉二郎(隆廣)、三弟は明治政府の重鎮西郷従道(通称は信吾、号は竜庵)、四弟は西南戦争で戦死した西郷小兵衛(隆雄、隆武)。大山巌(弥助)は従弟、川村純義(与十郎)も親戚である。 薩摩藩の下級武士であったが、藩主の島津斉彬の目にとまり抜擢され、当代一の開明派大名であった斉彬の身近にあって、強い影響を受けた。斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。その後復帰するが、新藩主島津忠義の実父で事実上の最高権力者の島津久光と折り合わず、再び沖永良部島に流罪に遭う。しかし、家老・小松清廉(帯刀)や大久保利通の後押しで復帰し、元治元年(1864年)の禁門の変以降に活躍し、薩長同盟の成立や王政復古に成功し、戊辰戦争を巧みに主導した。江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側の降伏条件を受け入れて、総攻撃を中止した(江戸無血開城)。 その後、薩摩へ帰郷したが、明治4年(1871年)に参議として新政府に復職。さらにその後には陸軍大将・近衛都督を兼務し、大久保、木戸ら岩倉使節団の外遊中には留守政府を主導した。朝鮮との国交回復問題では朝鮮開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴くことを提案し、一旦大使に任命されたが、帰国した大久保らと対立する。明治6年(1873年)の政変で江藤新平、板垣退助らとともに下野、再び鹿児島に戻り、私学校で教育に専念する。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱など士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃した。 死後十数年を経て名誉を回復され、位階は贈正三位。功により、継嗣の寅太郎が侯爵となる。.

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角田文衞

角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 2008年5月14日)は、日本の歴史学者(古代学専攻)。文学博士。従四位勲三等。研究分野は文献史学と考古学の両分野で、その論考には日本・東アジア・ヨーロッパ・北アフリカ(地中海世界)にまたがる幅広いものがあった。.

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訓読み

訓読み(くんよみ)とは、日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したもの。一般にひらがなで表記される。字訓(じくん)または単に訓(くん)ともいう。漢字の中国語における発音に由来する「音読み」と対照される。.

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高村直助

村 直助(たかむら なおすけ、1936年10月17日 - )は、日本史学者・東京大学・フェリス女学院大学名誉教授。専門は日本近代経済史・産業史。.

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鳥海靖

鳥海 靖(とりうみ やすし、1934年1月21日 - )は、日本の歴史学者。日本近現代史研究者。東京大学名誉教授。立憲政治体制や歴史の相互理解を研究している。.

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関晃

関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1996年(平成8年)4月20日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。専攻は日本古代史。熊本県飽託郡古町村(現熊本市二本木)出身。.

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藤原伊周

藤原 伊周(ふじわらの これちか)は平安時代中期の公卿。摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男(三男)。.

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藤原穏子

藤原穏子(ふじわら の おんし・やすこ、仁和元年(885年) - 天暦8年1月4日(954年2月9日))は、関白藤原基経女。母は人康親王女。第60代醍醐天皇中宮、第61代朱雀天皇・第62代村上天皇生母。別名五条后。.

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藤原璋子

藤原 璋子(ふじわら の しょうし / たまこ、康和3年(1101年)久安元年8月22日(1145年9月10日))は、平安後期の国母。鳥羽天皇の中宮で、崇徳・後白河両天皇の母。女院号は待賢門院(たいけんもんいん)。.

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臼井勝美

臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - )は、日本の歴史学者、筑波大学名誉教授。専攻は日本近代史。栃木県出身。 大正から昭和前期における日中関係史研究の重鎮。外務省では栗原健の指導の下、外交文書の編纂に従事。転出後も『日本外交文書』編纂委員を務める。1990年には、NHKと共に張学良とのインタビューを行った。.

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考古学

考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した物質文化の痕跡(例えば、遺跡から出土した遺物、遺構などの考古資料)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。.

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IUPAC命名法

IUPAC命名法(アイユーパックめいめいほう)は、IUPACが定める、化合物の体系名の命名法の全体を指す言葉。IUPAC命名法は、化学界における国際的な標準としての地位を確立している。 有機・無機化合物の命名法についての勧告は2冊の出版物としてまとめられ、英語ではそれぞれ「ブルー・ブック」「レッド・ブック」の愛称を持つ。 広義には、その他各種の定義集の一部として含まれる化合物の命名法を含む。IUPAPとの共同編集で、記号および物理量を扱った「グリーン・ブック」、その他化学における多数の専門用語を扱った「ゴールド・ブック」のほか、生化学(ホワイト・ブック;IUBMBとの共同編集)、分析化学(オレンジ・ブック)、高分子化学(パープル・ブック)、臨床化学(シルバー・ブック)があり、各分野の用語法の拠り所となっている。 これらの「カラー・ブック」について、IUPACはPure and Applied Chemistry誌上で、特定の状況に対応するための補足勧告を継続的に発表している。.

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柳原愛子

柳原 愛子(やなぎわら なるこ、1859年6月26日(安政6年5月26日) - 1943年(昭和18年)10月16日)は、明治天皇の典侍。大正天皇の生母。 位階の正二位をもって二位の局(にいのつぼね)と呼ばれた。死後従一位を追叙されたことから一位の局(いちいのつぼね)と呼ばれることもある。女房名は梅ノ井(うめのい)、早蕨典侍(さわらび てんじ)など。 幕末の議奏・柳原光愛の次女で、伯爵柳原前光の妹。「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は姪にあたる。.

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杉本苑子

杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の女性小説家、歴史小説家、文化勲章受章者。.

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梅原猛

梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日 - )は、日本の哲学者である。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。また、京都市名誉市民でもある。 京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。.

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樋口清之

樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は日本の考古学者・歴史作家。國學院大學名誉教授。國學院大學文学博士。専門は考古学・民俗学。紫綬褒章受章。.

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歴史

Historia (Allégorie de l'Histoire). ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gysis) (1892年) The Historian E. アービング・クーゼ(1902年) 歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う。.

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歌道

歌道(かどう)とは、和歌の創作や和歌自体に関する学問(歌論・歌学)を追究する学芸を道に擬えたもの。.

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永原慶二

永原 慶二(ながはら けいじ、1922年7月12日 - 2004年7月9日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、和光大学名誉教授。専門は日本中世史。一橋大学経済学博士。妻の永原和子は女性史研究者である。.

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永井路子

古河文学館の別館として利用されている永井路子旧宅(茨城県古河市) 永井 路子(ながい みちこ、1925年3月31日 - )は、日本の歴史小説家。本名は、黒板擴子 (くろいた ひろこ)読売人物データベース。.

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池田彌三郎

池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日)は、日本の国文学者、民俗学者、随筆家。.

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源伊陟

源 伊陟(みなもと の これただ)は、平安時代の日本の公卿。.

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源高明

源 高明(みなもと の たかあきら)は、平安時代の公卿。醍醐天皇の第10皇子。母は源周子。法名は覚念。官位は正二位・左大臣。京都右京四条に壮麗な豪邸を建設し、西宮左大臣と呼ばれた。 一世源氏の尊貴な身分であり、学問に優れ朝儀に通じており、また実力者藤原師輔、その娘の中宮安子の後援も得て朝廷で重んじられた。師輔・安子の死後、藤原氏に忌まれて安和の変で失脚し、政界から退いた。.

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源明子

源明子(みなもと の あきこ/あきらけいこ/めいし)は、平安時代の女性。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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斎藤忠

斎藤 忠(さいとう ただし、1908年8月28日 - 2013年7月21日)は、日本の考古学者。.

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日蓮宗

日蓮宗(にちれんしゅう)は、.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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早川庄八

早川 庄八(はやかわ しょうはち、1935年2月24日 - 1998年10月10日)は、日本の日本史学者。 東京出身.

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政府

政府(せいふ、government, rectio)とは、近代国家において国家もしくは国家の一部分となる地方における統治機構(国家の意思決定及び統治のための組織)の総体。 広義には、統治に関わる立法・司法・行政すべての機関および機構の総称を指し、狭義には、行政を司る内閣とそれに付属する行政機関(執行機関)から成る行政府を意味する。それぞれ、アメリカやイギリスなどの英米法系の国家では広義の意味で、ドイツや日本などの大陸法系の国家ただし、戦後の日本国憲法は、大陸法の源流ともいうべきドイツが英米法への移行を企図したように、英米法を指向したもので、警察制度や司法制度に特徴づけられる。このように地方の自治権を尊重する英米法を採用している。では狭義の意味で、用いられる語である。なお、マルクス主義の立場からは「支配階級の政治委員会」に位置付けられる。 明治時代以降の日本政府の関係者(行政関係者)が「日本国政府」を指す場合に、省略して「政府」と言う場合がある特に(江戸幕府と対比する文脈などで)明治期の日本の政府を指す場合は「明治政府」と呼ばれることがある。。.

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批評

批評(ひひょう、英語・フランス語:critique)とは、ある事象を(できるだけ無前提の思い込みを排する形で)判断することである。批判(ひはん)とも。 英語・フランス語の 「批評」critique という単語は、ギリシャ語の kritiki (κριτική,何らかのモノの価値についての「洞察ある判断」)の語に由来する。.

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1872年

記載なし。

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1965年

記載なし。

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1979年

記載なし。

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1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

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1983年

この項目では、国際的な視点に基づいた1983年について記載する。.

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1984年

この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。.

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1985年

この項目では、国際的な視点に基づいた1985年について記載する。.

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1986年

この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.

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1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

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1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

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1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

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1990年

この項目では、国際的な視点に基づいた1990年について記載する。.

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1991年

この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.

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1992年

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1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

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1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。.

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1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

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