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索引 受

受(じゅ)、ヴェーダナー (巴: vedanā)とは、人間の感受作用を意味する仏教用語。触れたことを感じることである。 六識が六根を通じ六境に接触し、まずそれを感受すること。肉体的、生理的に感じる「暑い」「痛い」などの感じの他にも、「苦しい」「快い」などの、心で知覚的に感じるものも含んでいる。例えば、桜の木を見て「美しい」と感じること。 仏教において、受は以下とされている。

目次

  1. 36 関係: 十二因縁受相応多受経上山春平中部 (パーリ)三科五位五蘊心所在家チベット語のラテン文字表記法ワイリー方式パーリ仏典パーリ語アルボムッレ・スマナサーラアビダンマッタ・サンガハ出家六六経四念処瑜伽行唯識学派相応部触 (仏教)説一切有部般若心経阿含経阿毘達磨倶舎論苦 (仏教)雑阿含経捨 (仏教)楽 (仏教)法相宗清浄道論有為法成唯識論

  2. パーリ語の語句
  3. 瞑想 (仏教)

十二因縁

十二因縁(じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ、dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda)とは、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの。仏教の基本的な考えの一つである。 鳩摩羅什訳では十二因縁とし、玄奘訳では十二縁起や十二有支と訳す。他にも十二支縁起、十二支因縁などと表記する場合がある。

見る 受と十二因縁

受相応

「受相応」(じゅそうおう、Vedanā-saṃyutta, ヴェーダナー・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第36相応。

見る 受と受相応

多受経

『多受経』(たじゅきょう、Bahuvedanīya-sutta, バフヴェーダニーヤ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第59経。漢訳表現で『多感受経』(たかんじゅきょう)とも。 釈迦が、アーナンダに問われ、様々な数の受(vedanā)について説く。

見る 受と多受経

上山春平

上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。

見る 受と上山春平

中部 (パーリ)

中部(ちゅうぶ、Majjhima Nikāya, MN, マッジマ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第2番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。中編の経典を集めた領域である。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『中阿含経』(ちゅうあごんぎょう)に相当する。

見る 受と中部 (パーリ)

三科

三科(さんか)とは部派仏教における、世界を在らしめる一切法(sarva-dharma)を三範疇に分類したものであり、五蘊(五陰)・十二処・十八界で構成される。蘊・処・界、または陰・界・入と略すこともある。また、六根・六境・六識の三範疇をいうこともある。 一切法は、下記の五蘊の一つの蘊、十二処の一つの処、十八界の一つの界とにおさまる。およそ法はそれぞれの自性を保持するものであるから、ある法がそれと別個な自性をもつ他の法の中におさまるということは決して無い。諸法を五蘊、十二処、十八界と説くのは、衆生(有情)の愚かさ、あるいは資質、あるいは希求するところに3通りがあるから、それらの各々に応ずるためとされる。

見る 受と三科

五位

仏教において五位(ごい)とは、説一切有部によって唱えられた、一切法(あらゆる事象)を5種類に分類してまとめた説。五法(ごほう)・五品(ごほん)などとも。仏教は一切法(sabba-dhammā)を、無為法と有為法に明確に二分して、両者を全く異質なカテゴリーとして扱う。 五位は以下の5つであり、1~4は有為法である。有為法とは生滅変化する現象界の要素、因縁変化を成立させる法、原因・条件によって生滅する事物である。

見る 受と五位

五蘊

五蘊(ごうん、pañca-kkhandha(パンチャッカンダ)、पञ्च स्कन्ध, (パンチャ・スカンダ))とは、原義では「5つの集合体・グループ・コレクション」をさす。蘊(skandha、khandha )とは集まり、同類のものの集積を意味する。 仏教においては五取蘊(Pañcupādāna-kkhandhā)として色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称。物質界と精神界との両面にわたる一切の有為法を示すであり、省略して五蘊とする。五陰(ごおん)とも書く。 人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示したもの。取(upādāna)とは、それに執着するということ。 なお、五蘊と、十二処、十八界を並べて三科と称する。

見る 受と五蘊

心所

心所(しんじょ、cetasika, チェータシカ、caitasika, チャイタシカ)とは、仏教における心(citta)の構成要素・機能・中身のこと。五位分類においては、「心所法」として表現される。 今日アビダルマによって研究され注釈される主な心所は以下がある (see section "Count of the Mental Factors")。

見る 受と心所

在家

在家(ざいけ)は、仏教において、出家せずに、家庭にあって世俗・在俗の生活を営みながら仏道に帰依する者のこと。出家に対する語で、仏教用語の1つ。比丘(出家した男性信者)・比丘尼(出家した女性信者)と合わせて四衆(ししゅ)という。 仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka, ウパーサカ)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā, ウパーシカー)と呼ばれる。「upāsaka」という語には、仕える、敬う、礼拝するという意味があり、一般に在家信者は出家者に布施を行うことによって功徳を積む。また、出家者からは教えを受けて(法施)、生活の指針とする。 在家の仏教徒は、出家者と同じく仏・法・僧の三宝に帰依するが、戒律の種類は出家者ほど多くなく、五つの生活規則、即ち五戒と、さらに進んで八斎戒を守り、戒律を維持するための「布薩会」(懺法)に参加することが前提とされる。(ただし末法無戒を唱える一部の法華系宗派では、在家であっても五戒は無用とされる。) 真言宗および伊勢神宮の忌み言葉では角筈と呼ばれる。

見る 受と在家

チベット語のラテン文字表記法

チベット語のラテン文字表記法(チベットごのラテンもじひょうきほう)は、チベット語をラテン文字で表記するときの表記法である。 チベット語の音声をラテン文字で記すための転写と、チベット文字表記をラテン文字化するための翻字の両方が必要になる。チベット語は通常チベット文字で表記されるが、チベット文字の正書法は表記と発音のずれが非常に大きいため、チベット文字をラテン文字に翻字しただけでは、チベット語正書法に通じた人間以外にはそれがどのような音を表すのかわからない。

見る 受とチベット語のラテン文字表記法

ワイリー方式

ワイリー方式(ワイリーほうしき、英:Wylie transliteration)は、チベット文字による綴りをラテン・アルファベットに翻字するための方式のひとつ。1959年にタレル・ワイリーにより考案され、チベット研究における翻字の標準的な表記法となった。

見る 受とワイリー方式

パーリ仏典

パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、)、あるいはパーリ三蔵(Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがある。 日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。

見る 受とパーリ仏典

パーリ語

パーリ語(パーリご、、巴利語、ภาษาบาลี)は、南伝上座部仏教の典籍(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。 古代中西部インドにおけるアーリヤ系言語、プラークリット(俗語)を代表する言語である。使用歴は長く、パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀頃まで遡る。プラークリットの中でも最も古い言語の一つである『バウッダ 』 中村元 講談社学術文庫 p.100。パーリ語で書かれた上座部仏教経典の散文やその注釈は、5-6世紀以後にまで及び、その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、パーリ語を使用した新しい文献がある。

見る 受とパーリ語

アルボムッレ・スマナサーラ

アルボムッレ・スマナサーラ(අලුබෝමුල්ලේ සුමනසාර Alubomulle Sumanasara、1945年4月 - )は、イギリス領セイロン(現・スリランカ)出身の僧侶。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であり、スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老、日本テーラワーダ仏教協会長老、スリランカ・キリタラマヤ精舎住職。日本において仏教伝道、および瞑想指導を行う。『怒らないこと』(サンガ新書)など多数の著書がある。仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると説く。

見る 受とアルボムッレ・スマナサーラ

アビダンマッタ・サンガハ

アビダンマッタ・サンガハ(Abhidhammattha Saṅgaha、摂阿毘達磨義論)は、仏教の南伝上座部大寺派に属する僧侶アヌルッダ(Anuruddha)によって11世紀頃に書かれた、仏教綱要書。題名は、「論(アビダンマ)の意味の集成」といった意味。 上座部仏教圏では、入門的テキストとして用いられている。

見る 受とアビダンマッタ・サンガハ

仏教用語の処(しょ、梵・āyatana )は、感覚器、感覚媒体、感覚範囲を意味する。仏教では、6つの内部感覚器六根(ろっこん)と、6つの外部感覚器六境(ろっきょう)に分類される。 内部と外部の感覚器は、以下に対応する。

見る 受と処

出家

出家(しゅっけ、pabbajjā、प्रव्रज्या ) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教コミュニティ(僧伽)に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。帰依する者(信者)の中では在家(Upāsaka; ざいけ)と対比される。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん,サマナ)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行に勤しんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。

見る 受と出家

六六経

六六経(ろくろくきょう、Chachakka-sutta, チャチャッカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第148経。六六法経(ろくろくほうきょう)とも。 類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第86経「説処経」等がある。 釈迦が、比丘たちに、六処に関する仏法を説く。経名は、六処に関連する項目が六種出てくることに因む。

見る 受と六六経

四念処

四念処(しねんじょ、cattāro satipaṭṭhānā, チャッターロー・サティパッターナー)とは、仏教における悟りのための4種の観想法の総称。四念処観(しねんじょかん)、四念住(しねんじゅう)とも言う。三十七道品の中の1つ。 学術的な仏教研究によれば、釈迦の死後に編まれた最古層経典、古層経典、新層経典のうち、四念処は最も新しい新層経典が初出であることが判明している。つまり釈迦自身は四念処を説かなかった可能性がある(仏教#釈迦の修行法)。 仏教信者の主張によれば、四念処は、釈迦の初期仏教の時代から、悟りに至るための最も中心的かつ最重要な観想法であり、仏教の主な瞑想である止観の内、観(ヴィパッサナー)の中核を成す観想法である。四念処によって五蓋を捨断すると、釈迦は説いたとされる。

見る 受と四念処

瑜伽行唯識学派

瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。 ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。 とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。

見る 受と瑜伽行唯識学派

相応部

相応部(そうおうぶ、Saṃyutta Nikāya, SN, サンユッタ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第3番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。テーマ別の短編経典集である。「相応」(saṃyutta, サンユッタ)とは、「テーマ別のまとまり」のことを指す。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『雑阿含経』(ぞうあごんぎょう)に相当するが、漢訳の方は「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている - 中央学術研究所。 マーラ(漢訳:魔羅、天魔、悪魔)は相応部の「悪魔相応」Māra samyuttaに見いだされる。

見る 受と相応部

触 (仏教)

触 (しょく、phassa、sparśa)とは、接触、感覚、感触などといった意味である。生物が何かとコンタクトを取ることである。これらは六根、六境、識の3要素に由来するものと定義されているGuenther (1975), Kindle Locations 401-405.Kunsang (2004), p.

見る 受と触 (仏教)

説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin, Sabbatthivāda, Sabbatthavāda)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvādin)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の上座部大寺派と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 主体的な我(人我、アートマン)は空だが、現象世界を構成する要素(法、ダルマ)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。

見る 受と説一切有部

識(しき、viññāṇa ヴィニャーナ, vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、意識、生命力、心See, for instance, Rhys Davids & Stede (1921-25), p. 618, entry for "Viññāa," retrieved on 2007-06-17 from the University of Chicago's "Digital Dictionaries of South Asia".

見る 受と識

般若心経

般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう、Prajñā-pāramitā-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は 空の理法をさとることが根本思想とされる大乗仏教の教理が、短いこの一巻の中にすべて納まっているといわれてきた経である。 「色は空、空は色である」との一文は有名であり、大乗仏教の根底である二諦教義が凝縮されている。空の理法とは追究すれば限りがなく、『大般若経』六百巻のような大部の経が成立したが、この短い『般若心経』一巻にすべて納まる大乗仏教の精髄を示すものとして重要視され、常に読誦されてきた。 仏教の全経典の中でも最も短いもののひとつで、日本では「色即是空・空即是色」の名句で親しまれ、古くは聖武天皇の時代から現代まで、複数の宗派における 読誦経典の一つとして広く用いられている。

見る 受と般若心経

阿含経

阿含経(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、最も古い仏教経典集(スートラ)であり、釈迦の言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典ものとされる。阿含(あごん)とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。阿含の類義語には部(ぶ、Nikāya)があり、パーリ仏典ではそれが用いられている。 釈迦の死後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子たちを中心として何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piṭaka, スッタ・ピタカ)を形成した。他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-piṭaka, ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられたが、一般に紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われているブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿含経」 https://kotobank.jp/word/阿含経-24948。その経蔵はそれぞれ阿含(āgama, アーガマ)または部(nikāya、ニカーヤ)の名で呼ばれた。

見る 受と阿含経

阿毘達磨倶舎論

阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者として、4世紀-5世紀頃にインドで成立したとされるブリタニカ国際大百科事典』(コトバンク)、部派仏教の教義体系を整理・発展させた論書である。サンスクリット原典の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』(梵: Abhidharma-kośa-bhāṣya、略称: AKBh)単に『アビダルマ・コーシャ』(梵: Abhidharma-kośa)と呼称することも。。 サンスクリット原典のほかに、2種類の漢訳本とチベット語訳本が現存している。漢訳本は、一方は真諦訳『阿毘達磨倶舍釋論』(略称『倶舎釈論』)22巻であり婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)、もう一方は玄奘訳『阿毘達磨倶舍論』(略称『倶舎論』)30巻である世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」漢訳本の正式な表記(旧字体表記)は「舎」字ではなく「舍」字である。

見る 受と阿毘達磨倶舎論

苦 (仏教)

仏教における苦(く、dukkha、दुःख, 、蔵: )とは、苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態を指す。対義語は楽。 仏教は無常、苦、無我の3つで三相を形成する。四諦の4つすべては苦に関する真理である。仏教は、この苦の滅尽をめざす学問体系である。

見る 受と苦 (仏教)

雑阿含経

『雑阿含経』(ぞうあごんきょう、Saṃyukta Āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている - 中央学術研究所。計1362経。大正新脩大蔵経No99。

見る 受と雑阿含経

捨 (仏教)

仏教用語の捨(しゃ)とは、パーリ語のウペッカー(upekkhā、 upekṣā: ウペークシャー, equanimity)に由来し、楽でも苦でもない不苦不楽の感覚状態(ヴェダナー)。心の平静。かたよりのないこと。心が平等で苦楽に傾かないこと。

見る 受と捨 (仏教)

楽 (仏教)

仏教における楽(らく、sukha)とは幸福、安楽を意味する。 楽(sukha)の対義語は苦(duḥkha)であり、ヴェーダの宗教の基本的概念とされた。苦の滅尽は初期仏教のメインテーマであった。

見る 受と楽 (仏教)

法相宗

とは、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。645年、中インドから玄奘三蔵が帰国し唯識説が伝えられることになる。その玄奘の弟子の慈恩大師基(窺基)が開いた宗派である。唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。 日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、南都六宗の一つとして8世紀から9世紀にかけて隆盛を極めた。有名な寺院としては、薬師寺・興福寺などがある。

見る 受と法相宗

清浄道論

清浄道論(しょうじょうどうろん、パーリ語:Visuddhimagga, ヴィスッディ・マッガ、「清浄-道」)は、5世紀頃に書かれた上座部仏教の代表的な注釈者であるブッダゴーサ(仏音)の主著であり、上座部仏教圏における最高権威の実践綱要書。 大寺(アヌラーダプラ・マハーヴィハーラ)派であるブッダゴーサが、2-3世紀に成立した無畏山寺(アバヤギリ・ヴィハーラ)派の実践綱要書『解脱道論』を底本にしつつ、諸典籍を参照しながらまとめ上げたものとされる。

見る 受と清浄道論

有為法

有為法(ういほう, saṃskṛta-dharma)とは無常法、すなわち因果律の支配を受けている法(ダルマ)をさす仏教用語。仏教は一切法(sabba-dhamma)を無為法と有為法に明確に二分して、両者を全く異質なカテゴリーとして扱う。 有為(うい)とはサンカーラ(saṃskṛta、saṅkhata)をさし、因(直接条件)と縁(間接条件)が合わさって造作された無常なる現象的存在を意味する。有為法は有果ともいう。有為法は因果的関係によって成立しているので必ず果を有しているため。 有為法に対し、さまざまな因果関係・因縁によって造られたものでなく生滅変化を離れた常住絶対の法を無為法(むいほう、asaṃskṛta-dharma)という。

見る 受と有為法

成唯識論

『成唯識論』(じょうゆいしきろん、Vijñapti-mātratā-siddhi, ヴィジュニャプティ・マートラター・シッディ)は、法相宗(唯識宗)が所依とする論典の一つ。10巻からなる。 「ヴィジュニャプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)とは「唯識」、「シッディ」(悉地, siddhi)とは「成就」、総じて「唯識による(悟りの)成就(についての論)」の意。 世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典。 注釈書として、大乗基が玄奘の口述を記した『成唯識論述記』が、唯識学の根本聖典とされた。 日本へも早くに伝わり、長く唯識の教学として研究された。近年新しい訳解説が刊行されている。

見る 受と成唯識論

参考情報

パーリ語の語句

瞑想 (仏教)

ヴェダナー、三受 別名。