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十二因縁

索引 十二因縁

十二因縁 (じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ、dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda)は、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの。仏教の基本的な考えの一つである。 では十二因縁とし、玄奘訳(新訳)では十二縁起と訳す。他にも十二支縁起、十二支因縁などと表記する場合がある。.

24 関係: 三科五蘊仏教タンハ因縁因果四苦八苦縁起無明煩悩行 (仏教)鳩摩羅什輪廻阿含経釈迦苦 (仏教)老衰此縁性悟り

取(しゅ)とは、サンスクリット語およびパーリ語のウパーダーナ(upādāna)に由来する言葉であり、「ある活動を活性化させ維持させる源や手段となる、燃料、物質的原因、気質」という意味である。英語ではアタッチメント(attachment)とされる。 これはトリシュナー(tṛṣṇā、渇愛)の結果として生じるものであり、煩悩の一種とされる 。それを克服する手法としてデタッチメントが挙げられる。取の放棄こそが涅槃への道である。.

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受(じゅ)、ヴェダナー (巴: vedanā)とは、人間の感受作用を意味する仏教用語。人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示した五蘊(般若心経、阿含経などに言及)の一要素であり、説一切有部の五位七十五法のうち大地法(阿毘達磨倶舎論などに言及)、唯識派・法相宗の五位百法のうち有為法 - 心所法 - 遍行心所(成唯識論などに言及)の一要素。また、現実の人生の苦悩の根源を追求しその根源を絶つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化した十二因縁の第7番目の要素でもある。 六識が六根を通じ六境に接触し、まずそれを感受すること。肉体的、生理的に感じる「暑い」「痛い」などの感じの他にも、「苦しい」「快い」などの、心で知覚的に感じるものも含んでいる。例えば、桜の木を見て「美しい」と感じること。.

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三科

三科(さんか)とは部派仏教における、世界を在らしめる『一切法』を分類した三範疇、五蘊(五陰)・十二処・十八界をいう。陰界入と略すこともある。また、六根・六境・六識の三範疇をいうこともある。.

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五蘊

記載なし。

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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タンハ

タンハ(パーリ語, タンハー)とは、 ヴェーダ語にてトリシュナー()ともされ、「渇き、欲望、願望」を意味する言葉である。仏教においては中核的概念のひとつであり、身体・精神的な「渇き、欲望、憧れ、欲求」を指している 。典型的には渇愛(craving)と訳され 、カーマ(官能的快楽の渇愛)、ビハーバ(存在への渇愛)、 ビブハーバ(存在しないことへの渇愛)の三種に分類される さらにタンハは四諦にも記されており、それは苦の原因であり、輪廻の輪において死と再生を繰り返すとしている。.

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因縁

因縁(いんねん、hetu-pratyaya)とは、仏教において因と縁のこと総合仏教大辞典編集委員会・1988年 70頁。。縁因ともいう。狭義には、結果(果)を生じさせる内的な直接の原因を因(内因)といい、外からそれを助ける間接の原因を縁(外縁)というが、広義では、その両方を合わせて因とも縁ともいう総合仏教大辞典編集委員会・1988年 64-65頁。。.

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因果

因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。.

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四苦八苦

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし 生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴う。 老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。 病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。 死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。 根本的な四つの苦に加え、.

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縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。 種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。.

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生(せい、しょう、いのち).

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無明

無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉である。.

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煩悩

煩悩(ぼんのう、、クレーシャ、kilesa、キレーサ、Kleshas)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。同義語として、漏(ろ、、アーシュラヴァ、asava、アーサヴァ)、随眠(ずいめん、, アヌシャヤ、anusaya、アヌサヤ)等、数多くの表現が用いられたりもする。 仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、その縁起を把握・克服する解脱・涅槃への道が求められた。部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われた。 大乗仏教でもこの分析は続けられ、特に唯識が示した心と煩悩の精緻な探求は大乗仏教を観念論へと導く端緒でもあった。それによりこの時代には、煩悩を否定しないという真正の仏教には無かった発想も生じてきた(如来蔵)。この両者の思想はその後の大乗仏教に深く影響を与えた。 煩悩を要約すれば、自己を中心に据えて思考したときに起きる数々の心の働きである。他者や社会全体を思考の中心に据えれば煩悩は菩提となる。.

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行 (仏教)

行(ぎょう、saṅkhāra, saṃskāra, 梵(他):)。サンスクリット原語および漢訳術語の数が多いので、主なものを挙げている。.

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識 (しき、viññāṇa ヴィニャーナ, vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、「了別」の意味の仏教用語である。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。 この語は、vi(分析・分割)+√jJaa(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。 しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法によるより直接的な認識である般若(はんにゃ、プラジュニャー(prajJnaa)、パンニャ(paJJna))が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された。.

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鳩摩羅什

鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、、クマーラジーヴァ、344年 - 413年「世界大百科事典 第2版」2006年 平凡社、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ県)出身の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である井波律子(編集)「中国史重要人物101」2005年 新書館 ISBN 4403250203。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。 漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。.

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輪廻

六道輪廻をあらわしたチベット仏教の仏画。恐ろしい形相をした「死」が輪廻世界を支配している 輪廻とは、サンスクリット語のサンサーラ(संसार saṃsāra)に由来するヴェーダ、仏典などに見られる用語で、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わること、また、そう考える思想のこと。漢字の輪廻は生命が無限に転生を繰り返すさまを、輪を描いて元に戻る車輪の軌跡に喩えたことから来ている。なお、リンエではなく、リンネと読むのは国語学上のという現象である(リン+エ=リンネ)。 インド哲学において生物らは、死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わるとされる。インドの思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とする。.

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阿含経

『阿含経』(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、初期仏教の経典である。阿含とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。 漢訳の『阿含経』としては、長・中・雑・増一の四阿含(しあごん)があり、大正蔵では冒頭の阿含部に収録されている。パーリ語のアーガマという言葉は、パーリ語仏典の経蔵(五部)を指す。両者は共に原始経典から派生したので、一定の対応関係がある。.

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釈迦

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。.

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苦 (仏教)

仏教における苦(く)とは、パーリ語やサンスクリット語のドゥッカ(dukkha、दुःख, )に由来する概念。中国仏教において苦と漢訳された。精神や肉体を悩ませる状態を指す。.

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老衰

老衰(ろうすい、英語: senility)とは、加齢により心身の能力が衰えることである。.

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此縁性

此縁性(しえんしょう、idappaccayatā, イダッパッチャヤター、idaṃpratyayatā, イダムプラティヤヤター)とは、釈迦が説いたとされる仏教の縁起説の1つであり、その性質を指す。.

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有(う、bhava、bhāva、sat、astitā)とは、何かが有る状態。対義語は無。「う」と読むのは、「呉音」(ごおん)読みから。仏教では通常、漢字を呉音読みする。.

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悟り

悟り(さとり、bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。.

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十二支縁起十二縁起

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