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業処

索引 業処

業処(ごうしょ、ごっしょ、kammaṭṭhāna、karmasthāna )とは、上座部仏教で説かれる、止(サマタ)における導入的な瞑想対象のこと。全部で40種あるので、四十業処とも言う。 ブッダゴーサの『清浄道論』においてまとめられた。.

24 関係: 安那般那念上座部仏教三十二身分三界九相図五大念仏ブッダゴーサ喜 (仏教)サンガ (出版社)四無量心空無辺処無所有処識無辺処阿含経蓑輪顕量捨 (仏教)涅槃清浄道論有頂天悲 (仏教)慈 (仏教)慈悲の瞑想

安那般那念

安那般那念(あんなはんなねん『』 大野栄人 p140 注11、ānāpāna-sati:アーナーパーナ・サティ、ānāpāna-smṛti:アーナーパーナ・スムリティ)とは、仏教の瞑想の一種。安般念(あんぱんねん)、安般守意(あんぱんしゅい)、阿那波那(あなはな)、入出息念、出入息念、持息念、数息観などとも。.

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上座部仏教

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravāda、Sthaviravāda、เถรวาท, 、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教とも。「上座」 (thera) とはサンガ内で尊敬される比丘のことで、「長老」とも漢訳される。 スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスに広まり、パーリ語仏典を受持する上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。東アジア、チベット、ベトナムへ伝わった大乗仏教(北伝仏教)とは異なる歴史経過をたどった。小乗仏教と呼ばれることもあるが、南伝仏教側の自称ではなく、そのように呼称するのは不適切とされる。.

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三十二身分

三十二身分(さんじゅうにしんぶん、Dvattimsākāra)とは、仏教において、人間の身体を32の部分に分割して表現したもの。.

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三界

三界(さんがい、tri-dhātu)とは、仏教における欲界・色界・無色界の三つの世界のことであり、衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界をその三つに分けたもの。三有(さんう)ともいう。仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。.

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九相図

九相図(九想図、くそうず)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である。 名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。九相図の場面は作品ごとに異なり、九相観を説いている経典でも一定ではない。『大智度論』『摩訶止観』などでは以下のようなものである。.

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五大

五大(ごだい、サンスクリット:panca-dhatavah、five elements)とは、宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素のこと。.

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念仏

念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"buddha-anusmRti"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。日本では一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称える「称名念仏」を指すことが多い。.

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ブッダゴーサ

ブッダゴーサ(Buddhaghosa、仏音、覚音、覚鳴、5世紀頃)とは、上座部仏教の代表的な注釈者であり、仏教学者。 バラモンの家に生まれるが、仏教に帰依し、三蔵研究のためにスリランカに渡る。 三蔵(パーリ語経典)の全般に亘るパーリ語の注釈を書いた。また、『清浄道論』(Visuddhimagga、ヴィスッディマッガ)という著書も残している。.

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喜 (仏教)

喜(き、巴: muditā ムディター, empathetic joy)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)の喜びにみずからも喜ぶ心を持つこと 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の3つ目。.

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サンガ (出版社)

株式会社サンガは、宮城県仙台市に本社を置く出版社、コンテンツパブリッシャー事業を行う企業である。スリランカ上座仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラの著書を始めとした宗教、特に仏教書、マインドフルネス、自己啓発書を多く出している。政治・経済分野の書籍も若干刊行されている。(「主な刊行物」を参照)。 2010年に仏教の季刊総合誌「Samgha Japan(サンガジャパン)」を創刊し、2017年夏時点でVol.27となっている。研究員がインタビューを受けた宗教情報センターは、本雑誌を「仏教と現代社会を考える雑誌」と紹介している。.

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四無量心

四無量心(しむりょうしん、apramāṇya, appamaññā, 蔵: )とは、止(サマタ)の対象である四十業処の一部。他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。 四梵住(しぼんじゅう、梵,brahmavihāra)、四梵行(しぼんぎょう)ともいう。 『分別論註』によれば、無量(appamaññā)というのは、「対象となる衆生が無数であること」あるいは「対象とする個々の有情について(慈悲の心で)余すことなく完全に満たす」という遍満無量(pharaṇa-appamāṇa)の観点から、このように称する。.

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空無辺処

空無辺処(くうむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第1天。無量空処(むりょうくうしょ)とも言う。物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地。 物的存在たるこの肉体を厭い、無辺の虚空の自在を欣び、空無辺の理(ことわり)を解し、修行して生ずる処である。欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ、一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定。形のあるこの肉体を厭い、大空は無限であることを達観すること。無色界には空間的な場所はないが、果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける。 Category:天 (仏教).

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無所有処

無所有処(むしょうしょ)とは、無色界の(下から数えて)第3天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。 空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって無辺であるを厭(いと)い、所縁共に所有なしと観じ、この行力に依って生まるる処であるから、無所有処地という。何も存在しないと観察し達観する事。 Category:天 (仏教).

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識無辺処

識無辺処(しきむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第2天。認識作用の無辺性についての三昧の境地。 無色界の初天である空無辺処を越えて、その空の無辺なるを厭(いと)い、心を転じて識を縁じ、識と相応し心定りて動かず、三世(過去・現在・未来)の識が悉く、定中に現じて清浄寂静なる果報をいう。外の虚空の相を厭い、内なる識を観じて、識が無辺であると達観すること。 Category:天 (仏教).

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阿含経

『阿含経』(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、初期仏教の経典である。阿含とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。 漢訳の『阿含経』としては、長・中・雑・増一の四阿含(しあごん)があり、大正蔵では冒頭の阿含部に収録されている。パーリ語のアーガマという言葉は、パーリ語仏典の経蔵(五部)を指す。両者は共に原始経典から派生したので、一定の対応関係がある。.

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蓑輪顕量

蓑輪 顕量(みのわ けんりょう、1960年3月 - )は、日本の仏教学者、僧侶、東京大学人文社会系研究科教授蓑輪顕量監修『別冊サンガジャパン 3』 サンガ、2016年12月、373頁。。.

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捨 (仏教)

仏教用語の捨(しゃ)とは、パーリ語のウペッカー(upekkhā、 upekṣā: ウペクサー, equanimity)に由来し、人々(生きとし生けるもの)に対して平静な心を持つこと。 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つの徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の4つ目。.

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記載なし。

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涅槃

涅槃図(19世紀) 涅槃(ねはん、(ニルヴァーナ)、(ニッバーナ))とは、仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと。涅槃は、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる。般涅槃(はつねはん)や大般涅槃ともいう。この世に人として現れた仏の肉体の死を指すこともある。仏教以外の教えにも涅槃を説くものがあるが、仏教の涅槃とは異なる。.

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清浄道論

『清浄道論』(しょうじょうどうろん、パーリ語:Visuddhimagga, ヴィスッディ・マッガ、「清浄-道」)は、5世紀頃に書かれた上座部仏教の代表的な注釈者であるブッダゴーサ(仏音)の主著であり、上座部仏教圏における最高権威の実践綱要書。大寺(マハーヴィハーラ)派であるブッダゴーサが、2-3世紀に成立した無畏山寺(アバヤギリ・ヴィハーラ)派の実践綱要書『解脱道論』を底本にしつつ、諸典籍を参照しながらまとめ上げたものとされる。.

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有頂天

有頂天(うちょうてん、)は、仏教の世界観の1つであり、天上界における最高の天をいう。非想非非想天(ひそうひひそうてん)、あるいは非想非非想処(ひそうひひそうしょ)とも言う。俗語の有頂天の用法についても後述する。 有(Bhava=存在)の頂(agra)を意味している。下から欲界・色界・無色界の三界のうち、無色界の最高の処を指す。 『倶舎論』(くしゃろん)に於いて、三界の中で最上の場所である無色界の最高天、非想非非想天が、全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)ことから、有頂天と言う。非想非非想処天とは、この天に生じる者は、下地の如き麁想(そそう)なきを以て「非想」、または「非有想」といい、しかも、なお細想なきに非(あら)ざるを以て「非非想」、または「非無想」という。非有想なるが為に外道(仏教以外)は、この天処を以て真の涅槃処とし、非無想なるが為に内道を説く仏教においては、なお、これを生死の境とする。.

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悲 (仏教)

悲(ひ、巴: karuṇā, 蔵:, compassion)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に苦しみをともにする同感(同情・共感)の心を持つこと。また、それらの苦痛を取り除いてあげたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「抜苦」に相当する。 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の2つ目。.

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慈 (仏教)

慈(じ、mettā, maitrī,、loving-kindness)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈しみの心を持つこと。また、それらに安楽を与えたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「与楽」に相当する。弁別のための二字熟語として、慈愛(じあい)とも表現される。 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の最初の1つ。.

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慈悲の瞑想

慈悲の瞑想(じひのめいそう)、あるいは、慈愛の瞑想(じあいのめいそう、mettā bhāvanā、mettā kammaṭṭhāna、cultivation of loving-kindness)とは、上座部仏教における瞑想の一種である。パーリ語の名称である「mettā bhāvanā」(メッター・バーヴァナー)は、「慈(慈愛)の育(はぐく)み」といった意味。 上座部仏教における、サマタ瞑想に入る際の40種類ある瞑想対象(四十業処)の中に、「慈・悲・喜・捨」の四無量心あるいは四梵住と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。 現代のヴィパッサナー瞑想においては、準備段階としてセットにして行なわれるが、仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されている。.

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四十業処四界分別観

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