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禅定

索引 禅定

禅定(ぜんじょう、dhyāna, ディヤーナ、jhāna, ジャーナ、禅那:ぜんな)とは、仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。サンスクリット語の dhyāna の音写である禅と、訳した定の複合語である。静慮とも訳される。.

42 関係: 南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏坐禅天台宗三学三界三昧仏教仙人アーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタサンスクリット四向四果四禅禅定道称名念仏空無辺処真言真言宗無色界無我無所有処菅沼晃題目識無辺処臨済宗苦 (仏教)陀羅尼止観波羅蜜有頂天戒律浄土宗浄土真宗日蓮宗曹洞宗智慧時宗

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経は、仏教で用いられる言葉である。「南無」はnamo(サンスクリット語)の漢語への音写語で「わたくしは帰依します」を意味し、「妙法蓮華経」の五字はサンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ (saddharmapuNDariika-suutra、सद्धर्मपुण्डरीक सूत्&#x0930) 」を鳩摩羅什鳩摩羅什は、「羅什(らじゅう)」または単に「什(じゅう)」と略称されることがある。が翻訳した版の法華経の正式な題名(題目)である。「南無妙法蓮華経」の七字で「法華経の教えに帰依をする」という意味である。これらの文字を五字七字の題目とも呼ぶ。.

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南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とは、名号のひとつで「六字名号」のこと。阿弥陀仏への帰依を表明する定型句である。.

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坐禅

半跏趺坐。タイの僧侶 坐禅(ざぜん、座禅とも)とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。 坐禅はMeditation(瞑想)と翻訳される場合があるが、眼を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念である。 なお、『ヨーガ・スートラ』に説かれる古典的な意味でのヨーガ(瑜伽)も、坐禅と同じようなものである。対になる概念として、立禅や動禅・歩行禅・経行(きんひん)などがある。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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定(じょう)、サマーディ(巴, )は、仏教用語で、心をひとつの対象に集中し心の散乱がないという精神の作用や、そのようにすることや、定まっているその状態を指す。また、一般に心を散乱させないようにする修行、及びそれによってもたらされた特殊な精神状態をも総称して定という。samādhiの音写が三昧(さんまい)であり、三摩地とも書かれた。定すなわち三昧は、仏教の三学である戒・定・慧の一つであって、仏教の実践道の大綱である。また、八正道の一つには正定が挙げられており、五根には定根が、五力には定力が挙げられている。。定はの一つでもある。定に反して心が散り乱れて動く状態を散といい、定散(じょうさん)と呼ばれる。.

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三学

三学(さんがく)とは、仏道を修行する者がかならず修めるべき基本的な修行項目をいう。『涅槃経』獅子吼菩薩品に詳細に説かれている。三勝学(さんしょうがく)とも。 具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す。;戒学(かいがく):戒律のことで、「戒禁」(かいごん)ともいい、身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止め善を修すること。律蔵に相当。;定学(じょうがく):禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること。経蔵に相当。;慧学(えがく):智慧を修めることで、煩悩の惑を破って、すべての事柄の真実の姿を見極めること。論蔵に相当。 この三学は、三蔵に相当しており、上記のとおりである。 三学それぞれの関係は、.

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三界

三界(さんがい、tri-dhātu)とは、仏教における欲界・色界・無色界の三つの世界のことであり、衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界をその三つに分けたもの。三有(さんう)ともいう。仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。.

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三昧

マーディの音写である三昧(さんまい、)は、仏教やヒンドゥー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。三摩地(さんまぢ)、三摩提とも音訳され、等持、定と義訳される山下博司 『ヨーガの思想』 講談社〈講談社メチエ〉、2009年、127-129頁。。サマーディの語は「組み合わせ」という原義から「心を等しく持すること」の意に転じたもので、サマーパッティ (samāpatti, 等至) とも意味内容はほぼ同じとされる。仏教における三昧の同義語・類義語については定にて解説するが、(定の定義に沿っているか否かにかかわらず)三昧と呼称されるものを本記事にて解説する。 このという語は、インドの瞑想の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つヒンドゥー教やヨーガの用語としても用いられている。インドでは聖者の入滅をサマーディと表現する。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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仙人

仙人(せんにん)また神仙(しんせん)、真人(しんにん)、仙女(せんにょ)は、中国本来の神々(仏教を除く)や修行後神に近い存在になった者たちの総称。仙人は仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得て、「羽人・僊人」ともいう。もともと神である神仙たちは、仙境ではなく、天界や天宮等の神話的な場所に住み暮らし、地上の山川草木・人間福禍を支配して管理す。仙人や神仙はいずれも自分の体内の陰と陽を完全調和して、道教の不滅の真理を悟った。彼等は道教の道(タオ)を身に着けて、その神髄を完全再現することができる。基本的に仙人という言葉は男性に指すが、女性の仙人もかなりいる。.

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アーラーラ・カーラーマ

アーラーラ・カーラーマ(サンスクリット語:Ālāra Kālāma、漢字:阿羅邏迦蘭)は古代インドの思想家で、釈迦が出家後に師事した人物の1人。.

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ウッダカ・ラーマプッタ

ウッダカ・ラーマプッタ(Skt:Uddaka-Rāmaputta、音写:鬱頭藍弗、優頭藍子など多数)は、古代インドの思想家で、釈迦が出家後に師事した人物の1人。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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四向四果

四向四果 (しこうしか)とは、原始仏教や部派仏教における修行の階位のことであり、預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果のこと。四双八輩ともいう。果とは、到達した境地のことであり、向は特定の果に向かう段階のことである。 原始仏教・部派仏教では、阿羅漢果は修行者の到達しうる最高位であり、それ以上に学ぶ必要が無いので阿羅漢果を無学位といい、阿羅漢果に達した者を無学という。四向四果のうちで阿羅漢果未満の預流果・一来果・不還果を有学位といい、阿羅漢果未満の聖者(七輩)を有学という。.

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四禅

四禅(しぜん)とは、初期仏教で説かれる禅定の4段階のこと。三界の内の色界に相当し、この言葉は、禅定の段階に応じてこの色界を4分割した四禅天の略称としても用いられる - 大辞林 三省堂/コトバンク。禅天の意味で用いる場合は、初禅天から三禅天まではそれぞれ三種の天をとり、四禅天については外道天などを含む九種の天をとって合計で十八禅天あるとする。ただし、四禅天には諸説あって合計で十六禅天とすることもある。.

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禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である禅宗(ぜんしゅう)の略、もしくは、サンスクリット語の dhyāna (ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である『広辞苑』「禅」。また坐禅(座禅)の略としての意もある。本項では宗派についての禅宗について述べる。.

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禅定道

禅定道(ぜんじょうどう)とは、禅頂(山頂)に登ぼるまでの山道を言う。禅定道の起点は修行の起点でもあり、起点またはその場所を馬場(ばんば)と呼ぶ。例として、白山信仰での加賀馬場(白山比咩神社)、越前馬場(平泉寺白山神社)、美濃馬場(長滝白山神社)などがある。 富士山・立山・白山などの霊山に登って修行することなども禅定という。奈良時代より、高い山や、美しい山は霊山として山岳信仰の対象とされ、山地に於いて修行する者も現れ、それらは後に修験道へと発展していった。.

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称名念仏

名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行として捉える場合と、非行として捉える場合がある。.

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空無辺処

空無辺処(くうむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第1天。無量空処(むりょうくうしょ)とも言う。物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地。 物的存在たるこの肉体を厭い、無辺の虚空の自在を欣び、空無辺の理(ことわり)を解し、修行して生ずる処である。欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ、一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定。形のあるこの肉体を厭い、大空は無限であることを達観すること。無色界には空間的な場所はないが、果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける。 Category:天 (仏教).

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真言

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र )の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される「呪」は「咒」と書かれることもあるが、「咒」は「呪」の異体字(俗字)であり意味の違いもない。。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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無色界

無色界(むしきかい、)は、天部の最高部に位置し三界の一つである。欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。上から非想非非想処・無所有処・識無辺処・空無辺処の4つがある。 無色と名づくのは、説一切有部では色がまったく無いからといい、大衆部・化地部などは麁色なき所謂とし、経部では色の起るを妨げずをいうからといわれる。.

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無我

仏教用語の無我(むが)とは、anattā(アナッター)、(アナートマン)(nir-ātman, ニル・アートマン)に由来し、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。非我とも訳される。無我は仏教の根本教条であり、三法印と四法印の1つ。 我(が)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という。 無我には人無我と法無我がある。人無我とは、有情は五取蘊が仮に和合したものに他ならないから、実体的な生命の主体というようなものは無いということ。法無我とは、あらゆるものは因縁によって仮に成り立っているものであるから、そのものに本来的に固有な独自の本性(自性)は無いということ。.

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無所有処

無所有処(むしょうしょ)とは、無色界の(下から数えて)第3天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。 空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって無辺であるを厭(いと)い、所縁共に所有なしと観じ、この行力に依って生まるる処であるから、無所有処地という。何も存在しないと観察し達観する事。 Category:天 (仏教).

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菅沼晃

菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年4月5日-2016年4月7日)は、日本の仏教学者。.

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題目

(だいもく)とは、日蓮系・法華経系の宗教団体などにおいて勤行の際に用いられる南無妙法蓮華経の文句のことである。「お題目」とも言う。元来は題名(だいめい)の意であり、法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)の翻訳題(あて字)である妙法蓮華経(鳩摩羅什による訳)の五字のことを指しているが、南無(帰依するの意)を加えて七字にしても「題目」と呼ぶ。 なお、お題目は、建前の意味で使用されることもある。ここでは、上記いずれについても記載する。.

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識 (しき、viññāṇa ヴィニャーナ, vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、「了別」の意味の仏教用語である。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。 この語は、vi(分析・分割)+√jJaa(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。 しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法によるより直接的な認識である般若(はんにゃ、プラジュニャー(prajJnaa)、パンニャ(paJJna))が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された。.

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識無辺処

識無辺処(しきむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第2天。認識作用の無辺性についての三昧の境地。 無色界の初天である空無辺処を越えて、その空の無辺なるを厭(いと)い、心を転じて識を縁じ、識と相応し心定りて動かず、三世(過去・現在・未来)の識が悉く、定中に現じて清浄寂静なる果報をいう。外の虚空の相を厭い、内なる識を観じて、識が無辺であると達観すること。 Category:天 (仏教).

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臨済宗

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。 中国禅宗の祖とされる達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638年 - 713年)の弟子の1人である南嶽懐譲(677年 - 744年)から、馬祖道一(709 - 788年、洪州宗)、百丈懐海(749 - 814年)、黄檗希運(? - 850年)と続く法系を嗣いだ唐の臨済義玄(? - 867年)によって創宗された。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。 宋代の大慧宗杲(1089 - 1163年)と曹洞宗の宏智正覚(1091 - 1157年)の論争以来、曹洞宗の「黙照禅」に対して、公案に参究することにより見性しようとする「看話禅」(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。 日本には栄西(1141 - 1215年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立した。黄檗宗も元来、中国臨済宗の一派である。歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、室町文化の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の白隠慧鶴(1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。.

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苦 (仏教)

仏教における苦(く)とは、パーリ語やサンスクリット語のドゥッカ(dukkha、दुःख, )に由来する概念。中国仏教において苦と漢訳された。精神や肉体を悩ませる状態を指す。.

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陀羅尼

羅尼 (だらに)、梵名ダーラニー  (धारणी)とは、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず(不翻)サンスクリット語原文を漢字で音写したものを各国語で音読して唱える。.

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記載なし。

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止観

止観(しかん、śamatha-vipaśyanā)とは、仏教の瞑想の主なものである。サンスクリット語から奢摩他・毘鉢舎那と音写されることもある。 仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。止(シャマタ:奢摩他)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(ヴィパシヤナ、毘鉢舎那)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。止だけでなく観を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある。止観は、しばしば2つの車輪に例えられ、不離の関係にある。止観は、仏教の三学である「戒定慧」の定慧に相当する。 天台智顗(-ちぎ)は、止に停止、観に観達の意味があるとして、あらゆる行法は止観に統摂されるとした。智顗からはじまった天台宗において多用される。智顗の『天台小止観』や『摩訶止観』といった経典は、坐禅の詳細なマニュアルであり、天台宗だけでなく.

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波羅蜜

波羅蜜(はらみつ、、 パーラミー、、 パーラミター)とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のこと。到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す。六波羅蜜と十波羅蜜があり、大乗仏教では実践を六波羅蜜にまとめている。.

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有頂天

有頂天(うちょうてん、)は、仏教の世界観の1つであり、天上界における最高の天をいう。非想非非想天(ひそうひひそうてん)、あるいは非想非非想処(ひそうひひそうしょ)とも言う。俗語の有頂天の用法についても後述する。 有(Bhava=存在)の頂(agra)を意味している。下から欲界・色界・無色界の三界のうち、無色界の最高の処を指す。 『倶舎論』(くしゃろん)に於いて、三界の中で最上の場所である無色界の最高天、非想非非想天が、全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)ことから、有頂天と言う。非想非非想処天とは、この天に生じる者は、下地の如き麁想(そそう)なきを以て「非想」、または「非有想」といい、しかも、なお細想なきに非(あら)ざるを以て「非非想」、または「非無想」という。非有想なるが為に外道(仏教以外)は、この天処を以て真の涅槃処とし、非無想なるが為に内道を説く仏教においては、なお、これを生死の境とする。.

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戒律

戒律(かいりつ)とは、仏教において、修行者の生活規律のこと。自発的に規律を守ろうとする心のはたらきを指す戒(śīla)と、他律的な規則を指す律(vinaya)とを合わせた語。.

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浄土宗

#伝統宗派としての浄土宗。浄土宗諸派の総称としての浄土宗。鎮西派と西山派に分かれる。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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日蓮宗

日蓮宗(にちれんしゅう)は、.

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曹洞宗

曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とするが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜する。 中国禅宗の祖である達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638 - 713年)の弟子の1人である青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。.

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智慧

智慧(ちえ)とは、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用を意味する仏教用語。原語とその訳語の用いられ方を考慮すると、代表的な用例は下記の3つがあるという。.

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時宗

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍。鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。 時宗の開祖・一遍像。藤沢市清浄光寺。.

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