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パーリ仏典

索引 パーリ仏典

パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、)、あるいはパーリ三蔵(Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。 パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがあるが、これだと仏典よりも狭い限定的な意味のニュアンスを持った表現となる。 日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。.

95 関係: 増一阿含経増谷文雄増支部大乗仏教大般涅槃経 (上座部)大蔵出版大正新脩大蔵経小部 (パーリ)岩波文庫上座部仏教中央公論新社中部 (パーリ)中村元 (哲学者)世界の名著三蔵平凡社仏典律 (仏教)律蔵 (パーリ)ミャンマーミリンダ王の問いマハーヴィハーラチベット大蔵経チベット語ヤンゴンレディ・サヤドーロンドンブリタニカ百科事典ブッダゴーサプラークリットパーリ聖典協会パーリ語パイシャーチーテーラガーターテーリーガーターティーカー分別説部アッタカターアビダンマッタ・サンガハインドインド語群ウッジャインケン度 (パーリ律)コトバンクジャータカスリランカスリランカの仏教スッタニパータ...タイ王国サンスクリット国立国会図書館筑摩書房結集経分別経典経蔵 (パーリ)片山一良片山一良 (仏教学者)相応部荒牧典俊高楠順次郎論蔵 (パーリ)講談社講談社学術文庫近代デジタルライブラリー部派仏教阿含経阿含部 (大正蔵)赤銅よう部釈興然長部 (パーリ)附随 (パーリ律)東洋文庫 (平凡社)正田大観比丘沙門果経波羅提木叉法句経清浄道論本縁部 (大正蔵)春秋社日本テーラワーダ仏教協会早島鏡正12世紀1881年1923年1934年1935年1941年1954年2007年2013年2014年 インデックスを展開 (45 もっと) »

増一阿含経

『増一阿含経』(ぞういつあごんきょう、Ekottara Āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。大衆部所伝。パーリ語経典の「増支部」(アングッタラ・ニカーヤ)に相当するが、内容は異なっている。約520経 - 中央学術研究所。大正新脩大蔵経No125。.

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増谷文雄

増谷 文雄(ますたに ふみお、1902年2月16日 - 1987年12月6日)は日本の僧侶、仏教学者。福岡県小倉市(現・北九州市小倉)生まれ。.

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増支部

増支部(ぞうしぶ、Aṅguttara Nikāya, AN, アングッタラ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第4番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。 各経典が扱っている論題内容の数(これを「法数」と言う。例えば四諦であれば4、八正道であれば8。)に着目して、その数ごとにまとめた短編経典集であり、その数である支(aṅga)が集(nipata)を重ねるごとに1つ1つ増えていくので、パーリ語で「aṅga(支)-uttara(上/増)」で「Aṅguttara」、漢訳では「増支」と訳される。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『増一阿含経』(ぞういつあごんぎょう)に相当するが、パーリ語経典増支部が数千に及ぶ経典が要点だけ書かれる形式なのに対して、漢訳『増一阿含経』は物語を含む長めの経典を含んだ約520経で構成されており、現在ではほとんどその対応関係が失われてしまっている - 中央学術研究所。 ちなみに、『増一阿含経』の原題は「Ekottara Āgama」(エーコーッタラ・アーガマ)で、こちらは1つ1つ増えていくことを表現した「eka(一)-uttara(増)」という語から来ているので、「増一阿含」と漢訳される。どちらも意味するところは同じである。.

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大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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大般涅槃経 (上座部)

『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、Maha-parinibbana Sutta(nta)(マハーパリニッバーナ・スッタ(ンタ))とは、パーリ仏典経蔵長部の中に第16経として収録されている上座部仏教の一経典。『大パリニッバーナ経』とも。 類似の伝統漢訳経典として、『長阿含経』(大正蔵1)の第2経「遊行経」や、『仏般泥洹経』(大正蔵5)、『般泥洹経』(大正蔵6)、『大般涅槃経』(大正蔵7)等がある。 80歳の釈迦が、王舎城東部の霊鷲山から最後の旅に出発し、マッラ国のクシナーラーにて入滅(般涅槃)するまでの言行、及び、その後の火葬・遺骨分配の様子が描かれる。.

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大蔵出版

大蔵出版(だいぞうしゅっぱん)は、1932年に高楠順次郎らによって設立された、日本の仏教出版社。仏教書総目録刊行会幹事社。 『大正新脩大蔵経』、『南伝大蔵経』などの仏典・経典の原典著解や専門書を刊行している。.

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大正新脩大蔵経

大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した、民間人の手による、「漢訳仏典の総集」とも言える大蔵経である。大正大蔵経、大正蔵とも。 プロデューサー(編纂責任者)は、高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙(おの げんみょう、1883-1939年、浄土宗僧侶)の3名。当時の仏教関係の大学研究者が一致協力し、校訂作業に当たった。 出版・刊行は、大蔵出版が担っており、この出版社からは、大正蔵を底本として新たな学術研究の成果を踏まえた現代日本語訳の大蔵経である『新国訳大蔵経』も、1990年代から刊行中である。大正蔵を底本とした日本語訳の大蔵経としては、他には、大東出版社から「印度撰述部155巻」と「和漢撰述部100巻」が刊行されている、より文量・翻訳量が多く網羅性が高い『国訳一切経』がある。(なお、その他の日本語訳大蔵経としては、日本の各宗派の需要が高い仏典だけに的を絞った、比較的小部の『国訳大蔵経』『昭和新纂国訳大蔵経』などがある。).

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小部 (パーリ)

小部(しょうぶ、Khuddaka Nikāya, クッダカ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ仏典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第5番目(最後)の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。 と略称する。 他の「部」(nikāya, ニカーヤ)に振り分けることができない、特異な経典をまとめた「残余」の領域である。冒頭の『小誦経』(しょうじゅきょう、Khuddaka-pāṭha, クッダカ・パータ)に因んで、「小部」(しょうぶ、Khuddaka Nikāya, クッダカ・ニカーヤ)と名付けられている。 名前とは裏腹に、文量は決して小さいわけではなく、むしろ『本生経』(ジャータカ)や『譬喩経』(Apadāna, アパダーナ)を中心に、膨大な文量を誇り、「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の中でも圧倒的に多い。例えば、大蔵出版の『南伝大蔵経』では、「長部」が全3巻、「中部」が全4巻、「相応部」が全6巻、「増支部」が全7巻なのに対して、「小部」には全22巻を費やしている。.

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尼(あま)、または尼僧(にそう)とは、20歳以上の未婚、もしくは結婚経験があっても沙弥尼(しゃみに)の期間を経て出家した女性のこと。比丘尼(びくに)とも呼ばれる。キリスト教の修道女(en:Nun)も尼と称することがある。 女性が髪を肩のあたりで切ることやその髪型を尼削ぎ(あまそぎ)というが、そのような髪形の童女を尼という場合がある。また近世以降少女または女性を卑しめて呼ぶときにも尼という語を用いた。.

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岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.

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上座部仏教

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravāda、Sthaviravāda、เถรวาท, 、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教とも。「上座」 (thera) とはサンガ内で尊敬される比丘のことで、「長老」とも漢訳される。 スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスに広まり、パーリ語仏典を受持する上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。東アジア、チベット、ベトナムへ伝わった大乗仏教(北伝仏教)とは異なる歴史経過をたどった。小乗仏教と呼ばれることもあるが、南伝仏教側の自称ではなく、そのように呼称するのは不適切とされる。.

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中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

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中部 (パーリ)

中部(ちゅうぶ、Majjhima Nikāya, MN, マッジマ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第2番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。中編の経典を集めた領域である。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『中阿含経』(ちゅうあごんぎょう)に相当する。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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世界の名著

『世界の名著』(せかいのめいちょ)は、中央公論社が1966年から1976年にかけて刊行した全81巻の叢書である。.

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三蔵

三蔵(さんぞう、ti-pitaka, ティピタカ、tri-piṭaka, トリピタカ)は、仏教における経蔵・律蔵・論蔵の3つのことであり、仏教の典籍を総称したもの。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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仏典

仏典(ぶってん)とは、仏教典籍の略称で、仏教の聖典の総称である。『律蔵』『経蔵』『論蔵』という分類形態から三蔵とも呼ばれる。.

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律 (仏教)

律(りつ、巴:Vinaya, ヴィナヤ、漢:毘奈耶)とは、仏教において僧団(サンガ)に属する出家修行者(比丘, bhikkhu, bhikshu)が守らなければならない、規則の事である。様々な律蔵が漢訳によって伝えられたが、日本においては主に四分律が用いられた。.

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律蔵 (パーリ)

律蔵(Vinaya Pitaka, ヴィナヤ・ピタカ)とは、『パーリ仏典』の三蔵(Ti-pitaka, ティピタカ)における最初の蔵(pitaka)であり、律(Vinaya, ヴィナヤ)に関する文献が収められた領域のこと。 ここに収められている律は、現存する他部派の律との区別の都合上、パーリ律と呼ばれる。.

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ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

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ミリンダ王の問い

『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha, ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。パーリ語経典経蔵の小部に含まれるが、タイ・スリランカ系の経典には収録されていない(外典扱い)。ミャンマー(ビルマ)系には収録されている。 戦前のパーリ語経典からの日本語訳では、『弥蘭王問経』『弥蘭陀王問経』(みらん(だ)おうもんきょう)とも訳される。.

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マハーヴィハーラ

マハーヴィハーラ (Mahāvihāra、大寺(だいじ)) は、かつて、数世紀にわたってスリランカ仏教における上座部仏教の中心地であった僧院。デーワーナンピヤ・ティッサ王 (en、紀元前247–207年) が当時首都であったアヌラーダプラに開かせたのが始まりである。その法系を嗣ぐ宗派を「大寺派」(だいじは)と呼び、5世紀頃の仏音 (ぶっとん、ブッダゴーサ) などの僧侶たちによって確立されながら、現在の上座部仏教の直接の起源となっている。 マハーヴィハーラはまた広義には、インド各地のナーランダ、ヴィクラマシーラ (en)、オーダンティプラ (en)、ソーマプラ、ラトナギリ (en) などの大規模な僧院を指して使われることもある。.

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チベット大蔵経

チベット大蔵経(-だいぞうきょう)は、8世紀末以後、主にサンスクリット語仏典をチベット語に訳出して編纂されたチベット仏教経典が、集成されたもの。 インド本国において最終的に紛失・散逸してしまった後期仏教の経典の翻訳を数多く含み、その訳出作業も長年の慎重な校訂作業によって絶えず検証、再翻訳され続けてきたため信頼性が高く、サンスクリット原本がない場合などは、チベット訳から逆に翻訳し戻す作業などによって、原本を推定したりして、世界の仏教学者の研究のよりどころとなっている。.

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チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.

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ヤンゴン

ヤンゴン(ရန်ကုန်、Yangon)は、ミャンマーの旧首都で、ヤンゴン管区の州都。旧名称はラングーン。2006年より、ネピドーが首都となっている。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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レディ・サヤドー

レディ・サヤドー(Ledi Sayadaw、1846年12月1日 - 1923年6月27日)とは、ミャンマー出身の上座部仏教僧侶・学者・指導者。 なお、レディというのは、下述するように、彼がかつて指導を行っていたレディ僧院のことであり、サヤドーとは、ミャンマー仏教で一般的に用いられる「長老」を意味する尊称。すなわち、レディ・サヤドーという名は、レディ僧院の長老といった程度の意味の通称であり、彼の僧名そのものはニャーナダジャ(Ñāṇadhaja)である。 欧米に普及したウ・バ・キン、ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想の祖として知られる。.

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ロンドン

ンドン(London )はグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国およびこれを構成するイングランドの首都。イギリスやヨーロッパ域内で最大の都市圏を形成している。ロンドンはテムズ川河畔に位置し、2,000年前のローマ帝国によるロンディニウム創建が都市の起源である。ロンディニウム当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドン(シティ)に当たる地域にあった。シティの市街壁内の面積は約1平方マイルあり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。少なくとも19世紀以降、「ロンドン」の名称はシティの市街壁を越えて開発が進んだシティ周辺地域をも含めて用いられている。ロンドンは市街地の大部分はコナベーションにより形成されている 。ロンドンを管轄するリージョンであるグレーター・ロンドンでは、選挙で選出されたロンドン市長とロンドン議会により統治が行われている。 ロンドンは屈指の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力がある。また、ニューヨークと並び世界をリードする金融センターでもあり、2009年時点の域内総生産は世界第5位で、欧州域内では最大である。世界的な文化の中心でもある。ロンドンは世界で最も来訪者の多い都市であり、単一の都市圏としては世界で最も航空旅客数が多い。欧州では最も高等教育機関が集積する都市であり、ロンドンには大学が43校ある。2012年のロンドンオリンピック開催に伴い、1908年、1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催となり、同一都市としては史上最多となる。 ロンドンは文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている。2011年3月時点のロンドンの公式の人口は817万4,100人であり、欧州の市域人口では最大で、イギリス国内の全人口の12.7%を占めている。グレーター・ロンドンの都市的地域は、パリの都市的地域に次いで欧州域内で第2位となる8,278,251人の人口を有し、ロンドンの都市圏の人口は1200万人から1400万人に達し、欧州域内では最大である。ロンドンは1831年から1925年にかけて、世界最大の人口を擁する都市であった。2012年にマスターカードが公表した統計によると、ロンドンは世界で最も外国人旅行者が訪れる都市である。 イギリスの首都とされているが、他国の多くの首都と同様、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない。.

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ブリタニカ百科事典

ブリタニカ百科事典(ブリタニカひゃっかじてん、)は、英語で書かれた百科事典である。110人のノーベル賞受賞者と5人のアメリカ合衆国大統領を含む4,000人以上の寄稿者と専任の編集者約100人によって書かれており、学術的に高い評価を受けている。 英語の百科事典としては最古のものであり、今もなお製作されている。1768年から1771年にかけて、エディンバラで3巻の百科事典として発行されたのが始まりである。収録された記事は増えていき、巻数は第2版で10巻、第4版(1801年から1810年)では20巻となった。学術的な地位の向上は高名な寄稿者を招くのに役立ち、第9版(1875年から1889年)と第11版(1911年)は、文体と学術的知識において画期的なものとなった。版権が米国に移った第11版からは北米市場に売り込むため短く簡潔な記事となっていった。1933年、ブリタニカは百科事典としては初めて継続的な改訂が行われるようになった。2012年3月ブリタニカ社は、紙の書籍としての発行を取り止めオンライン版 に注力すると発表し、2010年に32巻で印刷されたものが紙の書籍としては最後となった。 1972年より日本語版もあり、『ブリタニカ国際大百科事典』(Britannica International Encyclopædia)として出版されている。 第15版からは三部構成となっている。短い記事(ほとんどが750語以下からなる)のマイクロペディア(小項目事典)12巻、長い記事(2~310ページ)のマクロペディア(大項目事典)19巻、そして知識を系統立てる、もしくは概観を示すプロペディア(総論・手引き)1巻である。マイクロペディアは簡単な調べ物やマクロペディアの手引書としての役割を担っている。記事の概観や詳細を知るためにはプロペディアを閲覧することが推奨されている。ブリタニカはおよそ50万の記事が約4000万語で記述されており、70年以上ほぼ一定に保たれている。1901年以降は米国を拠点に出版されてきたが、主にイギリス英語で書かれている。.

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ブッダゴーサ

ブッダゴーサ(Buddhaghosa、仏音、覚音、覚鳴、5世紀頃)とは、上座部仏教の代表的な注釈者であり、仏教学者。 バラモンの家に生まれるが、仏教に帰依し、三蔵研究のためにスリランカに渡る。 三蔵(パーリ語経典)の全般に亘るパーリ語の注釈を書いた。また、『清浄道論』(Visuddhimagga、ヴィスッディマッガ)という著書も残している。.

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プラークリット

プラークリット(Prākr̥tam, प्राकृतम्, シャウラセーニー語:, pāua)は、中期インド・アーリア語とも言い、おおむね10世紀以前に使われていた、サンスクリットに対して俗語的なインド・アーリア諸語の総称。具体的にはパーリ語、マーガディー(マガダ語)、アルダ・マーガディー(半マガダ語の意味)、マーハーラーシュトリー(マハーラーシュトラ語)、シャウラセーニー、アパブランシャ、ガーンダーリー(ガンダーラ語)などを指す。ジャイナ教の経典に用いられたプラークリットはジャイナ・プラークリットと呼ぶ。 ブラーフミー文字ははじめプラークリットを書くのに用いられた。.

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パーリ聖典協会

パーリ聖典協会(-せいてんきょうかい、Pali Text Society, 略称:PTS)とは、イギリスの仏教学者であったリス・デービッズによって、1881年にロンドンで設立された、パーリ語文書の研究組織。南伝上座部仏教の経典である『パーリ語経典』や、パーリ語辞書の出版などを行い、その世界的な普及の中心的組織となって多大な影響を与えた。.

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パーリ語

パーリ語(、巴利語、略して巴語)は、南伝上座部仏教の経典(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。.

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パイシャーチー

パイシャーチー()は、インド・アーリア語派に属する中期インド語のひとつであり、通常はプラークリットの一種として分類される。インドの伝統的な文法書に現れるものの、文献が残っていないために、その詳細は不明な点が多い。.

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テーラガーター

テーラガーター(パーリ語:Theragatha)とは、パーリ語経典経蔵小部に収録されている上座部仏教経典の一つ。 テーラとは「長老」、ガーターとは「偈頌」(げじゅ)のこと。合わせて「長老偈経」などとも訳される。.

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テーリーガーター

『テーリーガーター』(パーリ語:Therigatha)とは、パーリ語経典経蔵小部に収録されている上座部仏教経典の一つ。 テーリーとは「長老尼」、ガーターとは「偈頌」(げじゅ)のこと。合わせて「長老尼偈経」などとも訳される。.

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ティーカー

ティーカー(パーリ語: ṭīkā)とは、上座部仏教において、パーリ語経典に対する注釈である「アッタカター」に次ぐ注釈文献のこと。「複注釈(書)」「復注釈(書)」などと訳される。.

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分別説部

分別説部(ふんべつせつぶ、Vibhajyavāda, ヴィバジヤヴァーダ; Vibhajjavāda, ヴィバッジャワーダ )とは、仏教の上座部の一派。スリランカを経由して東南アジアに広がった、いわゆる南伝仏教の源流。.

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アッタカター

アッタカター(Aṭṭhakathā、説明あるいは注釈の意)は、上座部仏教のパーリ語経典に対する注釈からなる文献であり、原始仏教において経典がどのように解釈されていたかを示す資料である。紀元前1世紀ごろ、経典と同時期に成立したシンハラ語による注釈集があり (現在は失われている)、これを元にパーリ語に翻案されたものがアッタカターであると見られている。アッタカターの内容の一部が上座部仏教以外の宗派の経典にも見られることも、元になった古い文献の存在を示唆している。.

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アビダンマッタ・サンガハ

『アビダンマッタ・サンガハ』(Abhidhammattha Saṅgaha、摂阿毘達磨義論)は、仏教の分別説部、スリランカ仏教大寺派、すなわち今日の南伝上座部仏教に属する僧侶アヌルッダ(Anuruddha)によって11世紀頃に書かれた、仏教綱要書。題名は、「論(アビダンマ)の集成」といった意味。 上座部仏教圏では、入門的テキストとして用いられている。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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インド語群

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ウッジャイン

ウッジャイン(ヒンディー語:उज्जैन、英語:Ujjayin)は、インドのマディヤ・プラデーシュ州、ウッジャイン県の都市。ウッジャイニー(Ujjayini)とも呼ばれる。 ヒンドゥー教の聖地でもあり、クンブ・メーラ開催地のひとつである。 この都市は、サンスクリットでUjjayani、パーリ語でUjjeniである。.

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ケン度 (パーリ律)

犍度(けんど、khandhaka、カンダカ)とは、上座部仏教の『パーリ仏典』「パーリ律」において、出家修行者(比丘・比丘尼)が属する僧伽(僧団)内の作法・規則や、その由来を説いた領域のこと。.

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コトバンク

kotobank(コトバンク)は朝日新聞社が主体となってとりまとめたインターネット百科事典。新聞社が提供するウェブサイトの特色として報道記事中の用語解説を強化し、朝日新聞サイト掲載記事にリンクする朝日新聞「新用語解説サイト「kotobank」(コトバンク)を4月23日に開設 - asahi.com提供サービス」2009年4月22日 。 2009年4月23日の正式発足時は、同社と講談社、小学館、朝日新聞出版の各社が提供するものを核とした44辞書・事典の計43万項目を網羅する。VOYAGE GROUPがサイト構築と運営を担当し、オーバーチュアの検索エンジンとインターネット広告システムを利用、検索連動型広告(キーワード広告)を収益源とする。 2011年3月より朝日新聞とジェネシックスがiPhone向け電子辞書プラットフォームアプリ「kotobank for iPhone」の配信を開始ECナビ「」2011年3月29日。.

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ジャータカ

『ジャータカ』(skt及びPl:Jātaka、漢訳音写:闍陀迦、闍多伽など)とは、仏教でいう前世の物語のこと。パーリ語版は、パーリ語経典経蔵小部に収録され、漢訳『本生経』(ほんしょうきょう)は、大蔵経の本縁部に各種の話が収録されている。.

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スリランカ

リランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。首都はスリジャヤワルダナプラコッテ。 1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。人口は約2120万(2016年)である。島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。.

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スリランカの仏教

リランカの仏教では、スリランカにおける仏教について記す。.

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スッタニパータ

『スッタニパータ』(Sutta Nipāta)は、セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教のパーリ語経典の小部に収録された経典のこと。 「スッタ」(Sutta)はパーリ語で「経」の意、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、あわせて『経集』の意となり、『南伝大蔵経』のようなパーリ語経典日本語訳の漢訳題名でも、この名が採用されている。 文字通り古い経を集めたものであり、その一部に対応する漢訳経典としては『義足経』(大正蔵198)がある - 中央学術研究所。第4章と第5章に対する註釈として、サーリプッタ(舎利弗)の作と伝承される同じく小部に収録されている『義釈』がある。.

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タイ王国

タイ王国(タイおうこく、ราชอาณาจักรไทย )、通称タイ(ประเทศไทย )は、東南アジアに位置する君主制国家。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコク。 国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占める。南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接する。マレー半島北部の西はアンダマン海、東はタイランド湾に面する。 2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、従来の憲法(2007年憲法)と議会を廃止し実権掌握以降、軍事独裁政権が継続している。 2016年10月13日にプーミポン・アドゥンラヤデート(プミポン)国王が崩御。 同年12月1日にワチラーロンコーンが国王に即位した。 2017年4月7日に新憲法が公布され、同日施行された。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

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筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。.

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結集

結集(けつじゅう、संगीतिsaṃgīti, サンギーティ)とは、仏教の経・論・律(三蔵)をまとめた編集会議のことである。.

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経分別

経分別(きょうふんべつ、Sutta-vibhanga, スッタ・ヴィバンガ)とは、上座部仏教の『パーリ仏典』「パーリ律」において、出家修行者(比丘・比丘尼)が守る戒律(具足戒・波羅提木叉)に関する説明を述べた領域のこと。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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経蔵 (パーリ)

経蔵(Sutta Pitaka, スッタ・ピタカ)とは、『パーリ仏典』の三蔵(Ti-pitaka, ティピタカ)における2番目の蔵(pitaka)であり、釈迦が説いた教え(仏説)についての文献である経(Sutta, スッタ)が収められた領域のこと。 ここに収められている経は、大乗仏教経典は含まず、漢訳経典で言えば概ね『阿含経』に相当する内容となっている。.

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片山一良

片山 一良.

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片山一良 (仏教学者)

片山 一良(かたやま いちろう 1942年 - )は、日本のパーリ仏教研究者。駒澤大学教授。曹洞宗花岳寺(兵庫県赤穂市)の住職。.

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相応部

応部(そうおうぶ、Saṃyutta Nikāya, SN, サンユッタ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第3番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。テーマ別の短編経典集である。「相応」(saṃyutta, サンユッタ)とは、「テーマ別のまとまり」のことを指す。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『雑阿含経』(ぞうあごんぎょう)に相当するが、漢訳の方は「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている - 中央学術研究所。 マーラ(漢訳:魔羅、天魔、悪魔)は相応部の「悪魔相応」Māra samyuttaに見いだされる。.

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荒牧典俊

荒牧 典俊(あらまき のりとし、1936年10月14日 - )は、仏教学者、京都大学名誉教授。.

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高楠順次郎

楠 順次郎(たかくす じゅんじろう、1866年6月29日(慶応2年5月17日) - 1945年(昭和20年)6月28日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の仏教学者、インド学者。文学博士。号は雪頂。 東京帝国大学(東京大学の前身)文学部教授、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)校長、東洋大学学長、武蔵野女子学院高等女学校(武蔵野女子学院中学校・高等学校の前身)および千代田女子専門学校(旧武蔵野女子大学短期大学部、武蔵野大学の前身)校長を歴任した。.

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論蔵 (パーリ)

論蔵(Abhidhamma Piṭaka, アビダンマ・ピタカ)とは、『パーリ仏典』の三蔵(Ti-piṭaka, ティピタカ)における論(Abhidhamma, アビダンマ)に関する文献が収められた領域、蔵(piṭaka)のこと(論蔵)。 部派仏教の時代、各部派ごとに各種の「論」(Abhidhamma, アビダンマ、Abhidharma, アビダルマ)が作られたが、今日まとまった形で現存している部派仏教時代の論(アビダンマ/アビダルマ)は、この南伝上座部仏教(分別説部)のパーリ語テキストと、北伝仏教に伝わる漢訳された説一切有部の『六足論』『発智論』(いわゆる「六足発智」)のみである。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.

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近代デジタルライブラリー

近代デジタルライブラリー(きんだいデジタルライブラリー、Digital Library from the Meiji Era)は、国立国会図書館が明治・大正・昭和前期の資料を公開するインターネット上の電子図書館。2016年5月末をもって、「国立国会図書館デジタルコレクション」と統合された。(電子図書館事業を参照)  .

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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阿含経

『阿含経』(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、初期仏教の経典である。阿含とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。 漢訳の『阿含経』としては、長・中・雑・増一の四阿含(しあごん)があり、大正蔵では冒頭の阿含部に収録されている。パーリ語のアーガマという言葉は、パーリ語仏典の経蔵(五部)を指す。両者は共に原始経典から派生したので、一定の対応関係がある。.

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阿含部 (大正蔵)

阿含部(あごんぶ)とは、大正新脩大蔵経において、『阿含経』に関連する仏教経典をまとめた領域のこと。 パーリ語経典における経蔵五部の内の前4部(長部・中部・相応部・増支部)に概ね対応する。 第1番目の部であり、収録されている経典ナンバーは1から151まで。巻数では1-2巻に相当する。.

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赤銅よう部

赤銅鍱部または銅鍱部(Tāmraparṇīya Tambapaṇṇiya)は、部派仏教の一派。 銅鍱洲や赤銅鍱(TāmraparṇiTambapaṇṇi)とはスリランカの古称。銅鍱洲などインド南部に広がった分別説部支派の古称。現在の上座部仏教の源流と考えられる。紅衣部(Tāmraśāṭīya)とも呼ばれる。.

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釈興然

釈興然(しゃくこうねん、嘉永2年4月14日(1849年5月6日)- 大正13年(1924年)3月15日)は、出雲国(島根県)出身の真言宗及び上座部仏教の僧侶。日本人初の上座部仏教徒として知られる。比丘名はグナラタナ。俗姓は板垣。 明治15年(1882年)横浜三会寺の住職となるも、戒律復興運動を行っていた叔父・釈雲照の勧めで明治19年(1886年)にスリランカへ渡ってパーリ語を学ぶ。明治23年(1890年)に受戒。 帰国後は釈尊正風会を組織し、神奈川を拠点に上座部仏教の普及につとめる。 鈴木大拙や河口慧海のパーリ語の師としても知られ、河口慧海の著書である『チベット旅行記』の冒頭では、考えの違いから喧嘩別れする様が描かれている。.

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長部 (パーリ)

長部(ちょうぶ、Dīgha Nikāya, DN, ディーガ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第1番目(最初)の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。長編の経典を集めた領域である。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『長阿含経』(じょうあごんぎょう)に相当する。.

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附随 (パーリ律)

随(ふずい、Parivāra, パリヴァーラ)とは、上座部仏教の『パーリ仏典』「パーリ律」において、補足内容を記した領域のこと。.

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東洋文庫 (平凡社)

東洋文庫(とうようぶんこ; The Eastern Library)、別称で平凡社東洋文庫(へいぼんしゃとうようぶんこ)は、平凡社が刊行する叢書シリーズ。1963年に創刊。2013年秋の創刊50周年を機にファンクラブ「東洋文庫読者倶楽部」を発足している。.

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正田大観

正田 大観(しょうだ だいかん、1959年-)は、仏教やジッドゥ・クリシュナムルティ関連の著述家・翻訳者。日本テーラワーダ仏教協会会員。.

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比丘

比丘(びく、Bhikkhu、Bhikṣu)とは、仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である。元来は「食べ物を乞う人」という意味の言葉。.

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沙門果経

『沙門果経』(しゃもんかきょう、Sāmaññaphalasutta, サーマンニャパラ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵長部の中に収録されている第2経。漢訳経典では、大蔵経阿含部の『長阿含経』(大正蔵1)巻17の27経目「沙門果経」、および『寂志果経』(大正蔵22)がほぼこれに相当し、『増一阿含経』(大正蔵125)巻39にも、その一部に当たる異本がある。 文字通り、仏教における沙門(出家修行者)の修行の果報を釈迦が説く内容となっている。戒律(具足戒・波羅提木叉)を守ることによる果報、止行による果報、観行による果報(六神通)が、順を追って説かれ、また、冒頭部ではいわゆる六師外道の思想と仏教との思想比較も盛り込まれるなど、初期仏教のあり方を総合的に説明するとても貴重かつ代表的な経典となっている。.

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波羅提木叉

波羅提木叉(はらだいもくしゃ、prātimokṣa:プラーティモークシャ、pātimokkha:パーティモッカ)は、仏教僧の集団である僧伽における規則となる戒律、あるいは、それを記した典籍(戒本)のこと。いわゆる具足戒のこと。別解脱戒とも。僧伽とは、仏教の出家者である比丘・比丘尼の集団である。比丘は男性出家者、比丘尼は女性。.

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法句経

『法句経』(ほっくきょう)、または『ダンマパダ』(Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた、韻文のみからなる経典である。語義は「真理(法。dhamma)の言葉(pada)」である。様々なテクストから仏陀の真理の言葉だけを取り出し、偈(詩)の形にしたもので、編纂者は法救(ほっぐ。Dharmatrāta)と考えられる。パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。スッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった時代に編纂されたものと考えられている。.

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清浄道論

『清浄道論』(しょうじょうどうろん、パーリ語:Visuddhimagga, ヴィスッディ・マッガ、「清浄-道」)は、5世紀頃に書かれた上座部仏教の代表的な注釈者であるブッダゴーサ(仏音)の主著であり、上座部仏教圏における最高権威の実践綱要書。大寺(マハーヴィハーラ)派であるブッダゴーサが、2-3世紀に成立した無畏山寺(アバヤギリ・ヴィハーラ)派の実践綱要書『解脱道論』を底本にしつつ、諸典籍を参照しながらまとめ上げたものとされる。.

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本縁部 (大正蔵)

本縁部(ほんえんぶ)とは、大正新脩大蔵経において、『阿含経』関連経典以外の『本生経』『仏所行讃』『法句経』といった釈迦に関連する仏教経典をまとめた領域のこと。 パーリ語経典の小部(クッダカ・ニカーヤ)に概ね対応する。 第2番目の部であり、収録されている経典ナンバーは152から219まで。巻数では3-4巻に相当する。.

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春秋社

春秋社(しゅんじゅうしゃ)は、日本の出版社。仏教を主とした宗教書を軸に哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門・入門書を刊行している。ほかに音楽書の『世界音楽全集 ピアノ篇』シリーズで、井口基成編集による校訂版は1949年に初出版されて以来、現在もピアノの学習者にとって好評である。.

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日本テーラワーダ仏教協会

日本テーラワーダ仏教協会(にほんテーラワーダぶっきょうきょうかい)は、1994年に設立された上座部仏教系の宗教法人。.

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早島鏡正

早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 - 2000年4月28日)は日本の仏教学者、僧侶。.

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12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

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1881年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1934年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1941年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。.

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2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

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2014年

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