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村上水軍

索引 村上水軍

村上水軍(むらかみすいぐん)は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域であり、その後大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家へ分かれた。 彼らの多くは真言宗徒であり、京都などに数多く菩提寺が残されている。また、今も瀬戸内周辺地域には村上水軍の末裔が多く住む。主な活動は輸送、航行船の破壊・略奪や信書の開封・破棄等を通じた同盟関係の分断、それらを行わずに安全を保障する代わりに瀬戸内海各所の海峡を関所(札浦)に見立てた通航料の徴収である。平時は漁業にも従事した。20世紀まで瀬戸内海で見られた漂海民も、村上水軍の末裔ではないかといわれている。代表的な表紋は「丸に上文字」や「折敷に縮み三文字」など。 なお、2016年(平成28年)4月25日、日本遺産 第二期の19箇所の一つとして「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のタイトルで認定された。村上水軍が活躍した今治市本土と尾道市本土と芸予諸島に42項目の遺産対象がある。.

164 関係: 厳島の戦い南北朝時代 (日本)右田毛利家参勤交代向島 (広島県)塩飽諸島大島 (愛媛県今治市)大林宣彦大森研一富山大学尊卑分脈尾道市屋代島岩波新書島田荘司中世中国地方三田尻平安時代平治の乱平成久留島光通久留島通同久留島通孝久留島通容久留島通嘉久留島通祐久留島通簡久留島通用久留島通靖久留島通胤久留島通重久留島通清久留島通明久留島通春久留島通方久留島通政久留島武彦京都広島県今治市伊予国弓削島佐佐木就清佐村河内守得居通幸保元の乱信濃村上氏俳優周防国...和田竜エル・ゴラッソ具平親王因島四国玖珠郡第一次木津川口の戦い真言宗為平親王瀬戸内海瀬戸内海賊物語芸人芸予諸島菩提寺飛地豊後国豊臣秀吉鳥海永行越智氏鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-能島関ヶ原の戦い関ジャニ∞関西テレビ放送関所長州藩雑賀衆陸上NMB48来島来島城来島長親来島通総東寺杜野亜希村上吉充村上吉充 (3代)村上吉直村上吉資村上天皇村上宣寛村上尚吉村上尚久村上尚次村上尚末村上七郎村上幸史村上亮康村上佑介村上信五村上ショージ村上備中入道村上元吉村上元信村上義弘 (武将)村上義忠村上隆重村上誠一郎村上通康村上通清村上武吉村上氏村上水軍博物館村上源氏村上海賊の娘村上文香村上景広村上景親村上晴彦森藩毛利親信毛利氏毛利氏の伊予出兵毛利水軍毛利房顕水嶋ヒロ水上生活者水軍水軍料理永暦河内源氏河野氏淡路島源師房源為国源頼信源頼義源頼清源憲定漁業本屋大賞戦国時代 (日本)明治海峡海賊海賊停止令新居大島新居浜市日本日本の国会議員日本遺産愛媛県教授1349年1555年1561年1567年1576年1581年1588年2015年2016年3月13日4月25日 インデックスを展開 (114 もっと) »

厳島の戦い

月岡芳年『大日本名将鑑 毛利元就』ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵 厳島の戦い(いつくしまのたたかい)は、天文24年合戦の発生年について「弘治元年」とする資料や史跡案内(厳島各所の史跡説明板)も多いが、天文から弘治への改元は天文24年10月23日(西暦1555年11月7日)である。10月1日(1555年10月16日)に、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた合戦である。.

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南北朝時代 (日本)

南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.

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右田毛利家

右田毛利家(みぎたもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつ。.

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参勤交代

参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵.

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向島 (広島県)

浄土寺山からの尾道大橋・新尾道大橋と向島 因島からの因島大橋と向島 向島(むかいしま)は、広島県尾道市に属する島。.

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塩飽諸島

塩飽諸島(しわくしょとう)は、瀬戸内海に浮かぶ諸島。「しあく」とも読む。 塩飽島(しわくじま)とも呼ばれ、瀬戸内海の中でも、岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り(岡山県側は笠岡諸島)、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍(しわくすいぐん)が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたが、近年は過疎化が進んでいる。 __notoc__.

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大島 (愛媛県今治市)

大島(おおしま)は、愛媛県に属する面積41.89km(国土地理院による)の島。芸予諸島に属する。行政区分は越智郡吉海町と宮窪町の2町に分かれていたが、2005年1月16日に今治市などとの合併により同市の一部となった。旧町時代には伯方島、大三島とともに三島五町と総称されていた。 島の北東部の宮窪地域は、中世に瀬戸内海を舞台として縦横に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおき、水軍遺跡や言い伝えも多数ある。これにちなみ、宮窪港を会場に村上水軍にちなんだ水軍レースなどのイベントが毎年7月に開催され、多くの人でにぎわう。特産品には大島石等がある。.

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大林宣彦

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日 - )は、日本の映画監督。広島県尾道市東土堂町生まれ大林の最新の著作・『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』他、『日本映画・テレビ監督全集』『日本の映画人 ―日本映画の創造者たち―』等の人名録など、全ての映画関係の出版物には、大林は尾道生まれと記載されている。。※講演会の発言が検証出来ないため(「検証可能かどうか」Wikipedia:検証可能性)、大林の公式ブログ記載のプロフィールを優先した。岡山県岡山市生まれ。-->。尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。 妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家の森泉岳土。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。 自主製作映画の先駆者として(Internet Archive)、、(Internet Archive)、CMディレクターとして#日本の映画人P114-115、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"キネマ旬報社編『知っておきたい映画監督100・日本映画編』キネマ旬報社、2009年、P183、186-187映画秘宝EX『爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、P18-19、36-37樋口尚文『テレビ・トラベラーー昭和・平成テレビドラマ批評大全』国書刊行会、2012年、p354-->。.

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大森研一

大森 研一(おおもり けんいち、1975年 - )は、愛媛県砥部町出身の映画監督・映像作家・脚本家。大阪芸術大学卒。香川大学大学院非常勤講師、砥部焼観光大使(愛媛県砥部町)、伊達なうわじま観光大使(愛媛県宇和島市)、三原アンバサダー(広島県三原市)、合同会社ウサギマル代表。.

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富山大学

2017年度時点で文科系4学部及び理科系4学部を抱える国立の総合大学で、2005年10月に富山医科薬科大学の医学部、薬学部および高岡短期大学の産業造形学科、産業デザイン学科、地域ビジネス学科3学科を芸術文化学部に改組した上で統合した。.

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尊卑分脈

『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく、異体字で『尊卑分脉』とも)は、日本の初期の系図集。正式名称は『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』(しんぺん さんず ほんちょう そんぴぶんみゃく けいふざつるい ようしゅう、旧字体:新編纂圖本朝尊卑分脈系譜雜類要集)、また『諸家大系図』(しょか だいけいず)あるいは単に『大系図』(だいけいず)とも呼ばれる。 姓氏調査の基本図書のひとつで、南北朝時代から室町時代初期に完成した。編者は洞院公定で、主に永和3年(1377年)から応永2年(1395年)にかけて編纂された。ただし、公定死後も養子満季、孫の実煕ら洞院家の人によって編集・改変・訂正・追加が行われた。室町時代以降、広く増補改訂されたため、異本が多く、30巻本・20巻本・14巻本が流布した。 成立当初は帝皇系図・神祇道系図・宿曜道系図を伴ったらしいが失われ、現存する部分は源平藤橘のうちいずれも長く宮廷社会の中枢にいた藤原・源の両氏に詳しい。直線で父系を結び、女性は后妃など極めて一握りの人を除き「女子」と省略されている。系図に名の見える男性官人には、実名とともに生母・官歴・没年月日と享年の注記を含む略伝が付され、貴重である。平安時代および鎌倉時代に関する記載は一級史料として採用される。 ただし当時の記録や公卿の日記に見える人物の名がなかったり、また逆に実在が疑わしい人物が記載されていたり、年代的におかしい部分もある(例えば平忠盛の娘が源義忠に嫁いだと書かれているが、これは忠盛の父平正盛の娘の誤り)等、一部信憑性に欠ける部分もあり、公定死後の部分や加筆された部分に関しては他の史料との整合性や比較批評が必要である。.

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尾道市

尾道市(おのみちし)は、広島県の南東部、山陽地方のほぼ中南部に位置する市である。.

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屋代島

屋代島(やしろじま)は、山口県大島郡周防大島町に属する島である。人口約19,739人(2010年11月1日現在)。 国土地理院が定める正式名では屋代島と称するが、周防国の大島であったことから周防大島(すおうおおしま)または単に大島と呼ばれることも多く、周辺の島々と周防大島諸島を構成する。古くから瀬戸内海海上交通の要衝とされ、万葉集にもこの島を詠んだ歌がある。 宮本常一(民俗学者)、星野哲郎(作詞家)の出身地である。.

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岩波新書

岩波新書(いわなみしんしょ)は、1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書赤版として。創刊の辞は、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と引用されている。シリーズである。.

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島田荘司

島田 荘司(しまだ そうじ、1948年10月12日 - )は、日本の小説家、推理作家。ロサンゼルスと吉祥寺に居を構えていたが、現在は日本にほぼ在住している。.

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中世

中世(ちゅうせい、英語:middle ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。 ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。 また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば英語では日本史における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。.

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中国地方

中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する、日本の地域のひとつ。 鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.730 ISBN 4-09-523101-7。なお、行政上の管轄としては気象庁は山口県を除き、海上保安庁は山口県西北部、国土交通省海事事務所は下関市を除く。.

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三田尻

三田尻(みたじり)は、山口県中南部の地域。現在は防府市の地名。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平治の乱

平治の乱(へいじのらん)は、平安時代末期の平治元年12月9日(1160年1月19日)、院近臣らの対立により発生した政変である。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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久留島光通

久留島 光通(くるしま てるみち、1704年(宝永元年)- 1764年10月13日(明和元年9月18日))は、豊後国森藩の第5代藩主。 2500石を領した旗本・久留島通貞(第2代藩主・久留島通春の次男)の次男。正室は木下俊量の娘。子に久留島通祐(五男)、山崎義俊(六男、筑前秋月藩主、黒田長堅父)、久留島通同(七男)、娘(青木一新正室)、娘(渡辺信綱継室)、娘(高井綽房室)、娘(青木直美正室)、娘(久留島通高室)、娘(高井綽房養女)。初名は通綜。通称は靭負、帯刀。官位は従五位下、信濃守。 世嗣だった通重の死去により、正徳5年(1715年)4月27日、先代藩主・通政の養嗣子となる。同年5月28日、将軍徳川家継にお目見えする。享保4年(1719年)12月25日、養父通政の死去に伴って家督を継いだ。享保5年12月18日、従五位下信濃守に叙任する。享保17年(1732年)、飢饉が藩内を襲うと、幕府より2000両を借用して対処した。その後、藩財政再建のため、上米制を中心とした藩政改革を行なった。駿府城番を命じられる。寛延3年(1751年)3月1日、大番頭に就任する。宝暦8年(1759年)11月18日、伏見奉行に就任する。明和元年(1764年)9月18日に61歳で死去し、跡を五男・通祐が継いだ。法号は泰竜院。 てるみち *05 Category:伏見奉行 Category:1704年生 Category:1764年没.

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久留島通同

久留島 通同(くるしま みちとも、1759年(宝暦9年)- 1798年9月19日(寛政10年8月10日))は、豊後国森藩の第7代藩主。 第5代藩主・久留島光通の七男(異説有り)。第6代藩主・久留島通祐の弟。正室は島津久柄の娘。子は久留島通嘉(長男)。通称は福次郎、刀帯。官位は従五位下。出雲守。 天明5年(1785年)3月21日、嗣子の無い兄・通祐の養子となる。同年5月15日、将軍徳川家治にお目見えする。寛政3年(1791年)7月17日、養父通祐の死去により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下出雲守に叙任する。寛政9年(1797年)5月15日、大番頭に就任する。寛政10年(1798年)、大坂城番となったが、在任中の8月10日に死去した。享年40。法号は瑞竜院。家督は長男・通嘉が継いだ。 みちとも *07 Category:1759年生 Category:1798年没.

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久留島通孝

久留島 通孝(くるしま みちたか、生没年不明)は、豊後国森藩の世嗣。因幡国鳥取藩主・池田光仲の六男。通称は主殿。初めは長兄の池田綱清より偏諱を与えられて池田清弥(きよやす)を名乗る。 早世した久留島通用に代わって久留島通政の養子となり、通孝に改名。宝永3年(1706年)徳川綱吉に拝謁するが、まもなく廃嫡された。代わって、通政の実弟である通重が嫡子に迎えられた。 Category:美濃池田氏 みちたか Category:廃嫡された人物 Category:江戸時代の大名の嫡男 Category:鳥取藩の人物.

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久留島通容

久留島 通容(くるしま みちかた、1811年3月5日(文化8年2月11日)- 1850年7月1日(嘉永3年5月22日))は、豊後国森藩の第9代藩主。 第8代藩主・久留島通嘉の三男。正室は田沼意留の娘(離婚)。子は久留島通明(長男)、久留島通寛(次男)、娘(花房職賀正室)、娘(山村良貴室)。官位は従五位下、安房守。幼名は采女。 弘化3年(1846年)11月11日、父の死去により跡を継いだ。弘化4年12月18日、従五位下安房守に叙任する。財政再建を主とした藩政改革を目指して老臣・島宮内を登用し、倹約令を施行した。その他にも養鶏、養蚕、植林(植林から紙の原料を植栽して製糸業を起こした)などの政策を重視した。しかし襲封4年後の嘉永3年(1850年)5月22日に40歳で死去したため、藩政改革は頓挫した。法号は良峰院。長男・通明が跡を継いだ。 みちかた *09 Category:1811年生 Category:1850年没.

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久留島通嘉

久留島 通嘉(くるしま みちひろ、1787年5月26日(天明7年4月10日)- 1846年10月8日(弘化3年8月18日))は、豊後国森藩の第8代藩主。 第7代藩主・久留島通同の次男。母は側室山口氏。正室は安藤信馨の養女(安藤信厚の娘)。子に久留島通容(三男)、久留島通胤(七男)、娘(田沼意尊正室)、娘(山村良醇室)、娘(久留島通孝室)、娘(本郷泰清正室)、娘(戸田光顕室)、娘(久留島通興室)。官位は従五位下、伊予守。幼名は祥丸。 寛政10年(1798年)10月10日、父が大坂城番在任中に死去したため、その跡を継いだ。享和元年(1801年)12月16日、従五位下伊予守に叙任する。藩政においては、財政再建を主とした藩政改革を目指して上米制や専売制度、運上金の引き上げから藩札の発行を行なっている。また、小城さながらの壮大な三島神社を造営し、藩校である修身舎を創設するなど、藩主としての手腕を見せた。弘化3年(1846年)8月18日、60歳で死去し、跡を三男・通容が継いだ。法号は大通院。 みちひろ *08 Category:1787年生 Category:1846年没.

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久留島通祐

久留島 通祐(くるしま みちすけ、1738年(元文3年)- 1791年9月7日(寛政3年8月10日))は、豊後国森藩の第6代藩主。 第5代藩主・久留島光通の五男(七男、九男との説もある)。生母は小澤氏。正室は太田資俊の娘。官位は従五位下。信濃守。幼名は栄之助。 宝暦元年(1751年)11月3日、将軍徳川家重にお目見えする。明和元年(1764年)11月16日、父の死去により家督を継ぐ。同年閏12月18日、従五位下信濃守に叙任する。安永5年(1776年)2月15日、大番頭に就任した。二条城と大坂城の城番を命じられた。天明5年(1785年)12月27日、伏見奉行となる。このとき、伏見の窮民を助け、天明8年の内裏炎上では、その後の普請などで活躍した。藩政においては桑原在学を登用して文教奨励政策に尽力し、後の藩校・修身舎開校の基礎を築いた。しかし、嗣子に恵まれず、弟の通同を養嗣子に迎えて後継者とした。寛政3年(1791年)8月10日、54歳で死去した。法号は泰清院。 みちすけ *06 Category:伏見奉行 Category:1738年生 Category:1791年没.

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久留島通簡

久留島 通簡(くるしま みちひろ、安政6年10月14日(1859年11月18日) - 大正8年(1919年)10月21日)は、豊後国森藩の第12代(最後の)藩主久留島通靖の弟で、華族、貴族院議員。子爵。妹に千勢子(伊東祐麿室)。室は中山信徴の娘で、継室は中山信徴の次女銚子。子に久留島徴一(長男、廃嫡)、久留島健三郎(三男)。 第11代藩主・久留島通胤の次男として生まれる。明治12年(1879年)3月、兄通靖の死去により家督を継いだ。同年12月に従五位となり、明治17年(1884年)7月8日に子爵を叙爵。明治23年(1890年)7月、貴族院議員に当選する。以後、亡くなるまで連続して当選した。.

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久留島通用

久留島 通用(くるしま みちもち)は、江戸時代中期の武士。豊後国森藩の世嗣。.

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久留島通靖

久留島 通靖(くるしま みちやす、1851年6月13日(嘉永4年5月14日)- 1879年(明治12年)2月23日)は、豊後国森藩の第12代(最後)の藩主。 第11代藩主久留島通胤の長男。正室は黒田長元の四女・毛登子(離婚)。子に久留島通寛(みちひろ、児童文学者・久留島武彦の父)。官位は従五位下。伊予守。 安政7年(1860年)閏3月11日、父の死去により家督を継いだ。文久3年(1863年)12月26日、従五位下伊予守に叙任する。慶応2年(1866年)2月21日、藩主就任以来一度もお国入りをしていないため、幕府に帰藩を願う。同年5月19日、幕府から江戸警備を命じられる。同年12月23日、幕府はようやく帰藩を許可する。 幕末期において薩摩藩と密かに接近して尊王論に傾倒し、藩論を尊王論で取りまとめた。そして慶応3年(1867年)の大政奉還後の12月13日、入京して新政府側に与している。ちなみにこれは、豊後国内で唯一の行動である。慶応4年(1868年)、西国筋郡代窪田鎮勝が日田の西国筋郡代代官所を放棄するとこれを占拠し、のちに朝廷より岡藩とともに警備を任された。 明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により知藩事に就任する。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で免官された。同年9月23日、東京に移住した。明治12年(1879年)2月23日、29歳で死去した。法号は舜岳院。 通靖の嫡男・通寛は病弱だったため、弟の通簡が家督を継いでいる。 みちやす *12 Category:幕末の大名 Category:日本の華族 Category:1851年生 Category:1879年没.

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久留島通胤

久留島 通胤(くるしま みちたね、文政11年12月17日(1829年1月22日)- 安政6年11月30日(1859年12月23日))は、豊後国森藩の第11代藩主。 第8代藩主・通嘉の七男。第9代藩主・通容の弟。子に久留島通靖(長男)、久留島通簡(次男)、千勢子(伊東祐麿室)。官位は従五位下、信濃守。 嘉永5年(1852年)2月16日、甥(異母兄との説もある)で先代藩主の通明が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。嘉永6年11月7日、従五位下信濃守に叙任する。同年、ペリーの来航で国内が混乱すると、通胤は幕府に対して諸藩の意見を広く求めるべき、と薦めている。しかしそれが原因で幕府に疎まれ始め、安政元年(1854年)に勤王的な藩士2名が脱藩すると、幕府から嫌疑をかけられることを恐れて老臣5名を辞任させ、幕府に謝罪するなど、開明的ではあったが小藩さながらの力の無さを露呈させてしまった。安政2年12月29日、禁裏造営の手伝いを命じられる。安政6年(1859年)11月、32歳で死去し、長男・通靖が跡を継いだ。法号は叡泰院。 みちたね *11 Category:幕末の大名 Category:1829年生 Category:1859年没.

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久留島通重

久留島 通重(くるしま みちしげ、? - 正徳5年2月4日(1715年3月9日))は、豊後国森藩の世嗣。3代藩主・久留島通清の六男。正室は榊原喬長の娘。通称、民部。 元禄11年(1698年)、叔父の久留島通迥の家督を相続し500石を領する旗本となる。寄合となり徳川綱吉への拝謁を果たす。元禄16年(1703年)に中奥番、宝永5年(1708年)には書院番組頭となり布衣を許された。宝永6年(1709年)、兄・久留島通政の養子となり森藩嫡子となるが、家督を相続することなく正徳5年(1715年)2月に早世した。代わって、従兄弟の久留島光通が嫡子に迎えられた。 みちしけ Category:江戸幕府旗本 Category:17世紀生 Category:1715年没.

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久留島通清

久留島 通清(くるしま みちきよ、1629年(寛永6年)- 1700年11月9日(元禄13年9月29日))は、豊後国森藩の第3代藩主。 第2代藩主・久留島通春の長男。母は佐久間安政の娘。正室は中川久盛の養女(久松松平定実の娘)。継室は山内忠義の娘。子に久留島通政(長男)、林正栄(次男)、毛利高久(三男)、毛利高慶(五男)、久留島通重(六男)、娘(武田信令正室)、娘(高木守興正室)。初名は通次。幼名は吉松。官位は従五位下、信濃守。 寛永13年(1636年)5月28日、将軍徳川家光にお目見えする。明暦元年(1655年)7月13日、父の死去により、家督を継いだ。このとき、弟の通貞に岩室村など1000石、もう1人の弟通迥(みちとお)にも綾垣村、木牟田村など500石を分与したため、1万2500石の領主となる。明暦2年12月18日、従五位下信濃守に叙任した。 藩政においては父時代の側近をすべて排除し、新参者の薄葉氏や浅川氏らを重用して藩主権力の強化を図った。元禄13年(1700年)9月29日、森にて死去した。享年72。跡を長男・通政が継いだ。法号は瑞雲院。墓所は森の安楽寺。 みちきよ *03 Category:1629年生 Category:1700年没.

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久留島通明

久留島 通明(くるしま みちあき、1828年4月9日(文政11年2月25日)- 1868年7月30日(慶応4年6月11日))は、豊後国森藩の第10代藩主。 第9代藩主・通容の長男(第8代藩主・通嘉の子で通容の異母弟との説もある)。子は娘(横田某室)。官位は従五位下、出雲守。幼名は松喜代、通称は兵部。 嘉永3年(1850年)9月29日、父の死去により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下出雲守に叙任する。しかし生来から病弱だったため、嘉永5年(1852年)2月16日、それを理由にして家督を叔父の通胤に譲って隠居した。慶応4年(1868年)6月11日、41歳で死去した。法号は円通院。 みちあき *10 Category:1828年生 Category:1868年没.

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久留島通春

久留島 通春(くるしま みちはる、1607年(慶長12年) - 1655年3月18日(承応4年2月11日))は、豊後森藩の第2代藩主。.

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久留島通方

久留島通方(くるしま みちかた、生年不詳 - 寛文3年3月5日(1663年4月12日)は、豊後国森2代藩主久留島通春の子。3代藩主久留島通清の弟。 寛文3年(1663年)、兄の通清とともに参勤交代の途上、飛び地である別府湾の頭成港(大分県速見郡日出町)より瀬戸内海を船で江戸に向かう途中、周防国屋代島地家室沖で、春の大時化により通方ら11名の乗る御座船が磯の岩に激突し、通方ら全員が溺死した。墓は屋代島の普門寺。 みちかた Category:1663年没 Category:水難死した人物.

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久留島通政

久留島 通政(くるしま みちまさ、1661年(寛文元年) - 1719年12月23日(享保4年11月13日))は、豊後国森藩の第4代藩主。 第3代藩主・久留島通清の長男。母は山内忠義の娘。正室は戸沢正誠の娘、継室は山内豊昌の養女(山内忠義の甥・山内一俊の娘)。子は娘(永井尚品正室)。幼名は万千代。通称は帯刀。初名は通総、通厚。官位は従五位下、伊予守。 寛文9年(1669年)7月11日、将軍徳川家綱にお目見えする。元禄13年(1700年)12月5日、父の死去により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)4月15日、従五位下伊予守に叙任する。藩政には不明な点が多い。通政は正室を2人迎えたが、いずれも嗣子に恵まれず、元禄16年(1703年)に脇坂安照三男の久留島通用(織部)を養子にするが、翌年に病没した。その後、池田光仲の六男・久留島通孝(主殿)を養子にするもすぐに廃嫡している。そして、他家に養子に出ていた六弟の通重を養嗣子としたが、宝永4年(1707年)2月に先立って死去したため、叔父・久留島通貞の次男で従弟にあたる光通を養子として跡を継がせた。享保4年(1719年)11月13日に死去した。享年59。 みちまさ *04 Category:1661年生 Category:1719年没.

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久留島武彦

久留島 武彦(くるしま たけひこ、1874年6月19日 - 1960年6月27日)は、大分県玖珠郡森町(現・玖珠町)出身の児童文学者。童謡『夕やけ小やけ』の作詞者でもあり、中野忠八や忠八の弟で久留島の娘婿の久留島秀三郎らとともに日本のボーイスカウト運動の基礎作りにも参画した。運動の一環として訪れたアンデルセンの生地などでアンデルセンの復権を訴え、心を動かされたデンマークの人々から「日本のアンデルセン」と呼ばれた。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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広島県

広島県(ひろしまけん)は、日本の中国地方に位置する都道府県の一つ。瀬戸内海に面する。県庁所在地は広島市。.

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今治市

今治市(いまばりし)は、愛媛県の北東部に位置する市である。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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弓削島

弓削島(ゆげしま)は、愛媛県北東部に位置する離島である。芸予諸島の中の上島諸島に属する。越智郡弓削町を経て、平成の合併により現在は上島町に属し、町役場がある。 属島として佐島、百貫島、京ノ小島がある。島の中央やや南側に石灰山(せっかいやま)と呼ばれる標高210mの山があり、島のランドマークになっている。高台に石灰石鉱山跡がある。 因島の南に位置しており島の中心部には上島町役場が、周辺にはそれぞれ愛媛県立弓削高等学校、弓削商船高等専門学校がある。.

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佐佐木就清

佐佐木 就清(ささき なりきよ/たかきよ、享保6年(1721年) - 天明8年7月14日(1788年8月15日))は、江戸時代中期の長州藩士。尼子氏(佐佐木氏)12代目当主。初名は胤久(たねひさ)、のちに藩主毛利重就より偏諱を賜って就清に改名。もとは粟屋氏の出身で、実父は粟屋常方。養父は佐佐木時久。子に佐佐木房高、村上某(能島村上氏・村上就庸の養子)、粟屋某(粟屋信成(就清の兄?)の養子)と女児2人がいる。 実子が早世した佐佐木時久の養子に入る。天明8年(1788年)に死去。家督は子の房高が継承した。 なりきよ Category:粟屋氏 Category:長州藩士 Category:1721年生 Category:1788年没.

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佐村河内守

佐村河内 守(さむらごうち まもる、1963年9月21日 - )は、広島県出身の音楽家。 中途失聴とされる聴覚障害がありながら『鬼武者』のゲーム音楽や「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などを作曲した音楽家として脚光を浴びたが、2014年2月5日、自作としていた曲がゴーストライターの代作によるものと発覚(「ゴーストライター問題」の項を参照)。聴覚障害の程度についても疑義を持たれており、ゴーストライターを務めた作曲家の新垣隆は、「佐村河内は18年間全ろうであると嘘をつき続けていた」と『週刊文春』に掲載された独占手記で主張した。横浜市による再検査では中度の感音性難聴と診断され、障害者手帳の交付の対象となるレベルではなかった - NHK NEWSweb。.

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得居通幸

得居 通幸(とくい みちゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。伊予国の海賊衆。村上通康の子、来島通総の兄。.

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保元の乱

保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期の保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変である。この公家の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。.

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信濃村上氏

信濃村上氏(しなのむらかみし)は、戦国時代の村上義清に代表される河内源氏の庶流村上氏の嫡流を指す。.

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俳優

俳優(はいゆう、actor)は、演劇、映画等において、その人物に扮して台詞、身振り、表情などで演じる人のこと。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ばれる。.

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周防国

周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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和田竜

和田 竜(わだ りょう、1969年12月 - )は、日本の脚本家、小説家。大阪府生まれ、広島県広島市育ち中国新聞 2013年10月24日 11面、11月16日 11面。 オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞し、同作の小説化作品『のぼうの城』が第139回直木賞候補。時代劇・時代小説を専門とする。.

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エル・ゴラッソ

ル・ゴラッソ(EL GOLAZO, 略称:エルゴラ)は、株式会社スクワッドが発行、販売する日本初のサッカー専門新聞である。創刊当初は販売は交通新聞社が担当していたが、その後、販売から外れている。.

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具平親王

具平親王(ともひら しんのう)は、平安時代中期の皇族。第62代村上天皇の第七皇子、母は女御荘子女王(醍醐天皇の第三皇子代明親王の次女)。官位は二品・中務卿。後中書王(のちの ちゅうしょ おう)、千種殿(ちぐさ どの)、六条宮(ろくじょうの みや)左京六条に営んだ豪邸に因む。の通称がある。.

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因島

周辺 2005年国土航空写真 因島(いんのしま)は、広島県尾道市に属する島である。.

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四国

四国内の高速道路網(緑線)および本四架橋を含む県境をまたぐ大規模架橋(青線)。赤星および赤丸は人口上位10都市 四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。 ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。。 北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり、この中では最も小さい 国土地理院(注:表中の「沖縄島 おきなわじま」は、通称名「沖縄本島」の正式名称)【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。 国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,297.78km2で、世界の島の中では、バナナル島(ブラジル)に次ぐ第50位の大きさである世界の島の面積順位より抜粋、出典 List of islands by area(島:オーストラリア大陸の面積未満で、四方を水域に囲まれる陸地) ------------------------- ------------------------- ------------------------- ------------------------- 四国とその付随する島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島、豊島など)を合わせて「四国地方」と言う地方公共団体(都道府県)別では、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4県が所在する。 。これら付随する島を含めないことを強調したい場合、「四国本土」あるいは「四国島」と呼ぶこともある。(日本の地理・四国、日本の地域・四国地方も参照) 四国には、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの地方公共団体(県)があり、4県総人口は3,762,941人であり、概ね横浜市人口に匹敵する,。(表右下 四国地方も参照) 四国の古代の呼称は、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」(いよのふたなのしま)である。.

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玖珠郡

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第一次木津川口の戦い

一次木津川口の戦い(だいいちじきづがわぐちのたたかい)は、1576年(天正4年)に毛利氏と織田氏との間に起こった戦い。 織田信長軍の攻囲を受ける石山本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利水軍・小早川水軍・村上水軍を中心とする瀬戸内の水軍戦力と、それを阻止せんとする織田方の水軍戦力が大阪湾木津川河口(現在の大阪市大正区に位置する木津川運河界隈)で激突した。 実際の戦闘では毛利方の水軍の使用する焙烙玉・雑賀衆の使用する焙烙火矢の前に織田方の水軍は壊滅的な打撃を受け、石山本願寺への兵糧搬入という当初の目的を毛利方が果たす結果となった。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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為平親王

平親王(ためひらしんのう)は平安時代の皇族で村上天皇の第四皇子。母は中宮藤原安子。同母兄弟に冷泉天皇、円融天皇。妻は源高明の娘。官位は一品式部卿まで昇った。染殿式部卿と称された。.

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瀬戸内海

戸内海(せとないかい)は、本州、四国、九州に挟まれた内海。山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、大分県、福岡県がそれぞれ海岸線を持つ。沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれている(ただし瀬戸内海の名称源ではない。瀬戸内海は「瀬戸の内海」の意である)。 古来、畿内と九州を結ぶ航路として栄えた。気候は瀬戸内海式気候と呼ばれ、温暖で雨量が少ない。.

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瀬戸内海賊物語

『瀬戸内海賊物語』(せとうちかいぞくものがたり)は、2014年の日本映画。村上水軍を題材としたアドベンチャー作品。.

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芸人

記載なし。

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芸予諸島

芸予諸島(げいよしょとう)は、日本の瀬戸内海西部に位置する諸島。広島県と愛媛県に属しているため、両県の旧国名である安'''芸'''国と伊'''予'''国から一文字ずつ取ってこう呼ばれている。.

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菩提寺

菩提寺(ぼだいじ)は、代々その寺の宗旨に帰依して、(先祖の)位牌を納めてある寺。菩提所とも呼ばれる。ここでいう菩提とは「死後の冥福」を指し、菩提を弔う寺院という意味である。例えば、徳川家の寛永寺や増上寺が有名。古代・中世では一般的に氏寺と呼ばれていた。 香華院(こうげいん)は、仏前に香や花を供える役割を担う寺院のこと。香華寺(こうげじ)や香華所(こうげしょ)とも呼ばれる。陵墓・霊廟・墓所などに隣接して置かれる。例えば、皇室の陵墓に隣接する泉涌寺、伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接する瑞鳳寺などがこれにあたる。 檀那寺、旦那寺(だんなでら)は、檀信徒(檀家)の布施、すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが、江戸時代に寺請制度によって個人は必ず1つの寺に管理されるようになり、多くの庶民は経済的支援をする寺と先祖の墓を管理してもらうそれが一致する。.

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飛地

飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国の領土や行政区画、町会等の内、地理的に分離している一部分である。土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。 オエクシ)が飛地にあたる。.

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豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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鳥海永行

鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - 2009年1月23日)は、日本のアニメーション監督、小説家で、アニメ演出家の押井守の師匠でもある。神奈川県伊勢原市出身。中央大学法学部政治学科卒。.

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越智氏

越智氏(おちうじ)は、「越智」を氏の名とする氏族。 古代日本の伊予国(愛媛県)の豪族の一つ。その由来は伊予守輩出や、南海道の発展から伊予越智氏と関係があったとする説もあるが、立証はなく関係性があったかは不明である。.

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鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-

『鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-』(つるひめでんき こうぼうせとうちすいぐん)は、1993年12月28日に日本テレビ系列で放映された日本テレビ年末時代劇スペシャル第9作である。.

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能島

能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属する。属島として鯛崎島が南にある。.

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関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

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関ジャニ∞

関ジャニ(かんジャニエイト)は、日本の男性アイドルグループ、ロック・バンドである。所属芸能事務所はジャニーズ事務所。所属レコード会社はジェイ・ストーム内自主レーベルINFINITY RECORDS。 2014年8月25日に自主レーベル「INFINITY RECORDS(インフィニティ・レコーズ)」を設立。.

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関西テレビ放送

関西テレビ放送株式会社(かんさいテレビほうそう、Kansai Telecasting Corporation)は、近畿広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者であり、扇町スクエアと扇町公園を業務区域とするエリア放送の地上一般放送事業者でもある。 通称は関西テレビ、略称はそれを縮めてKTV(Kansai TV)。愛称はかつての日本語略称「関テレ」をカタカナ表記にした『カンテレ』。コールサインはJODX-DTV(大阪 17ch)。 フジテレビ系列(FNN・FNS)の準キー局で、リモコンキーIDはキー局のフジテレビ共々アナログ放送の親局8chから「8」である。 フジ・メディア・ホールディングスと阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社であり、阪急阪神東宝グループ及びフジ・メディア・ホールディングスの放送グループに属しているが、フジサンケイグループには属していない。 コーポレート・スローガンは「超えろ。カンテレ」。ステーション・キャッチコピーは「8ppy(ハッピー)!?カンテレ」。.

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関所

関所の冠木門様式の門(石部宿場の里にて) 関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。単に関(せき)とも。陸路(街道)上に設置された関所は「道路関」、海路に設置された関所は「海路関」とも呼ばれる。陸路では、峠や河岸に設置されることが多い。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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雑賀衆

雑賀衆(さいかしゅう)は、中世の日本に存在した鉄砲傭兵・地侍集団の一つである。また、史料に見られる「惣国」と同じと考えられているため、「紀州惣国」もしくは「雑賀惣国」とも呼ばれている。雑賀衆は紀伊国北西部(現在の和歌山市及び海南市の一部)の「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷(中川郷)」「南郷(三上郷)」「宮郷(社家郷)」の五つの地域(五組・五搦などという)の地侍達で構成されていた。高い軍事力を持った傭兵集団としても活躍し、鉄砲伝来以降は、数千挺もの鉄砲で武装した。また海運や貿易も営んでいた。「さいが」と読むのは誤読である。.

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陸上

上(りくじょう).

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NMB48

NMB48(エヌエムビー フォーティーエイト)は、日本の女性アイドルグループ。秋元康のプロデュースにより、2010年10月に誕生した。大阪市・難波にある専用劇場「NMB48劇場」を拠点とし近畿地方を中心に活動している。AKB48グループを構成するグループのひとつである。運営会社および所属事務所はShowtitle。所属レーベルはlaugh out loud! records(よしもとミュージックエンタテインメント)。.

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来島

来島(くるしま)は、愛媛県今治市の来島海峡の西側、波止浜湾の入り口、四国から沖合い240mに位置する有人島である。芸予諸島の一部(来島群島)をなし、面積0.04km。島の中央に標高47mの小山があり、かつては来島城もあった。島の南東に来島漁港と集落がある。来島海峡は潮流が速く、潮向も複雑なことからきた「狂う潮」が訛り、「くるしま」となったといわれている。住所表記上は、近傍の小島(おしま)も含まれる。.

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来島城

来島城(くるしまじょう)は、愛媛県今治市波止浜沖の来島にある日本の城(島城)である。村上水軍の根拠地の一つ。.

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来島長親

来島 長親(くるしま ながちか、天正10年(1582年)- 慶長17年3月15日(1612年4月15日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。豊後森藩初代藩主。.

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来島通総

来島 通総(くるしま みちふさ)は、安土桃山時代の伊予国の武将、大名。.

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東寺

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.

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杜野亜希

杜野 亜希(もりの あき、2月18日 - )は、日本の漫画家。広島県広島市出身。 『神林&キリカシリーズ』『Dの女』などミステリー物を得意野とする。他に歴史SF『碧のミレニアム』など。.

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村上吉充

村上 吉充(むらかみ よしみつ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。因島村上氏の第6代当主。父は村上尚吉。妻は乃美宗勝の妹。又三郎、新蔵人。弟に村上吉忠、村上亮康。第3代当主と同名である。.

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村上吉充 (3代)

村上吉充(むらかみよしみつ)は、15世紀後半の備後の武将。因島村上氏の3代当主。新蔵人。吉光。義光。2代当主村上吉資の子で4代当主村上吉直、村上吉房の父。曽孫にあたる6代当主村上又三郎吉充と同名のため3代をつける。.

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村上吉直

村上 吉直(むらかみ よしなお)は、15世紀末から16世紀始めの武将。因島村上氏4代当主。備中守。先代当主村上吉充(3代)の子、村上尚吉の父。.

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村上吉資

村上吉資(むらかみよしすけ)は、室町時代の武将。因島村上氏の第2代当主。因島長崎城城主。蔵人助。備中守。村上備中入道。村上備中入道(村上顕長/村上吉豊)の子。村上吉充の父。.

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村上天皇

村上天皇(むらかみてんのう、延長4年旧6月2日(926年7月14日)- 康保4年旧5月25日(967年7月5日))、は、平安時代中期の第62代天皇(在位:天慶9年(946年)旧4月28日 - 康保4年(967年)旧5月25日)。諱は成明(なりあきら)。 第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。.

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村上宣寛

村上 宣寛(むらかみ よしひろ、1950年 - )は、日本の心理学者、富山大学元教授。愛媛県生まれ、大阪府堺市育ち。.

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村上尚吉

村上尚吉(むらかみ なおよし)とは、戦国時代末期の備後国の武将。因島村上氏の5代当主。村上吉直の子。村上吉充(6代)、村上亮康の父である。.

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村上尚久

村上 尚久(むらかみ なおひさ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。因島村上氏の出身で、父は村上尚末。.

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村上尚次

村上 尚次(むらかみ なおつぐ)は、江戸時代の武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。家格は三十人通。父は村上尚久。.

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村上尚末

村上 尚末(むらかみ なおすえ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。毛利氏の家臣で、長州藩士。因島村上氏の出身で、父は村上尚吉。.

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村上七郎

村上七郎(むらかみ しちろう、1919年(大正8年) - 2007年(平成19年)9月18日)は、元フジテレビジョン専務、関西テレビ放送社長、関西テレビ放送名誉顧問。父は、菅野尚一。 「村上」という姓は、末っ子であったため、村上水軍の末裔である母方の血筋を継いだことによる。第22代因島村上家当主。.

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村上幸史

村上 幸史(むらかみ ゆきふみ、1979年12月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はやり投。アテネオリンピック・北京オリンピック日本代表。2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会銅メダリスト。愛媛県の離島である越智郡生名村(現・同郡上島町)出身。日本大学卒業、スズキ浜松アスリートクラブ所属。日本大学文理学部体育学科助教。身長186cm。体重100kg。血液型AB型。.

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村上亮康

村上 亮康(むらかみ すけやす)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。因島村上氏当主・村上尚吉(なおよし)の三男。村上吉充の弟。子に景康。別名は祐康、左衛門大夫、越前守。備後大可島城主。因島村上氏庶流備後村上氏の祖。.

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村上佑介

村上 佑介(むらかみ ゆうすけ、1984年4月27日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF(CB、SB)。 村上水軍の末裔である。.

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村上信五

村上 信五(むらかみ しんご、1982年1月26日 - )は、日本の歌手、司会者、バラエティータレント、俳優であり、関ジャニ∞のキーボーディスト。 大阪府高槻市出身。ジャニーズ事務所所属。 関ジャニ∞では主にはキーボード、ピアノを担当。.

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村上ショージ

村上 ショージ(むらかみ ショージ、1955年5月28日 - )は、日本のお笑いタレント。本名、村上 昭二(むらかみ しょうじ)。 愛媛県今治市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。血液型B型、身長164cm。すべり芸を得意とする。 村上ジョージは誤記。.

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村上備中入道

村上備中入道(むらかみびっちゅうにゅうどう)は、室町時代の武将。海賊衆・警固衆因島村上氏の初代当主。村上吉豊(むらかみよしとよ)または村上顕長(むらかみあきなが)とも。左衛門大夫。備中守。備中入道。村上顕成の次男。村上吉資の父。.

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村上元吉

村上 元吉(むらかみ もとよし、天文22年(1553年) - 慶長5年9月18日(1600年10月24日))は、戦国時代末期の武将。能島村上水軍の頭領。仮名は少輔太郎。毛利元就から一字を拝領した。父は村上武吉、母は村上通康の娘。弟に村上景親。妻は小早川隆景の養女。子に村上元武。官途は掃部頭。法号は相玄寺実翁宗真。.

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村上元信

村上 元信(むらかみ もとのぶ、慶長15年(1610年) - 明暦4年4月8日(1658年5月10日))は、江戸時代初期の武将。毛利氏の家臣、長州藩士、御船手組。父は村上景親、母は朝鮮の両班の娘。正室は前田刑部の娘。継室は山田頼房の娘。子に村上就親。.

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村上義弘 (武将)

村上 義弘(むらかみ よしひろ、生年不詳 - 1374年?)は、日本の南北朝時代の武将。 能島村上水軍の祖という説もある - 広島県観光ホームページ。伊予(現在の愛媛県)の新居大島を本拠とし、海賊大将とよばれた。元弘の乱では瀬戸内海で北条時直の水軍を破り、その後も南朝方として活躍したという。 また、古式泳法の「海賊流」を創設し、後に「能島流」として名井氏・多田氏に伝わったといわれている。 高龍寺(愛媛県今治市)は、義弘の菩提寺である。.

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村上義忠

村上義忠(むらかみ よしただ)は、戦国時代の人物。能島村上水軍の頭領。.

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村上隆重

村上 隆重(むらかみ たかしげ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。偏諱を受ける以前は宗勝。村上隆勝の子。義雅、義忠の弟。子に景広。備中笠岡城城主。左近大夫、右近大夫。.

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村上誠一郎

村上 誠一郎(むらかみ せいいちろう、1952年(昭和27年)5月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。 第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構)、第2次森改造内閣・第1次小泉内閣で財務副大臣を務めた。 愛媛県議会議長、衆議院議員を務めた村上信二郎は父。衆議院議員、無所属の会の岡田克也は義弟(妹の夫)。.

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村上通康

村上 通康(むらかみ みちやす)は、戦国時代の伊予国の武将。河野氏の家臣。村上水軍(来島水軍)の大将。来島城主。 来島 通康(くるしま みちやす)として知られるが、実際に来島氏を名乗ったのは四男の通総が豊臣秀吉に仕えて以降であり、通康自身が来島氏を名乗った事実はない。.

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村上通清

村上 通清(むらかみ みちきよ)は、日本の戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。紀州藩重臣。父は村上通康で来島通総の弟。.

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村上武吉

村上 武吉(武慶)(むらかみ たけよし、能島武吉(のしま たけよし)とも)は、戦国時代から江戸時代初期の伊予国などの武将。能島村上水軍の大将であり、能島城主。村上義忠の子。子に元吉、景親。.

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村上氏

村上氏(むらかみし)は、日本の氏族。複数の系統があり、血縁関係にある氏族もあれば、無関係な氏族もある。.

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村上水軍博物館

村上水軍博物館(むらかみすいぐん はくぶつかん)は、大島 (愛媛県今治市)の宮窪町にある博物館である。.

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村上源氏

村上源氏(むらかみげんじ)は、第62代村上天皇の皇子を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。.

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村上海賊の娘

『村上海賊の娘』(むらかみかいぞくのむすめ)は、和田竜による長編歴史小説。1576年(天正4年)の第一次木津川口の戦いでの村上水軍の当主・村上武吉の娘・景(きょう、20歳)を描いている。 『週刊新潮』に2011年から2013年にかけて連載され、2013年10月に新潮社から単行本が刊行された。.

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村上文香

村上 文香(むらかみ あやか、1993年6月2日 - )は、日本のキャスター、元アイドル。2016年3月よりNHK大津放送局の契約キャスターを務める。身長159cm。血液型A型、兵庫県出身。甲南女子大学文学部卒業。 アイドル時代はよしもと発ガールズユニット(当時)つぼみを経て、NMB48のチームMの元メンバーとして活躍した。かつてはよしもとクリエイティブ・エージェンシー、KYORAKU吉本.ホールディングスに所属していた。.

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村上景広

村上 景広(むらかみ かげひろ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。能島村上氏一族。村上隆重の嫡男。武吉の従兄弟。備中笠岡城主。.

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村上景親

村上 景親(むらかみ かげちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。小早川氏・毛利氏家臣。.

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村上晴彦

村上 晴彦(むらかみ はるひこ、1962年 - )は、日本の劇作家(日本劇作家協会員)・演出家(日本演出者協会員)。.

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森藩

森藩(もりはん)は、江戸時代に豊後国日田郡・玖珠郡・速見郡内を領した藩。藩庁として森(現在の大分県玖珠郡玖珠町)に森陣屋が置かれた。.

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毛利親信

毛利 親信(もうり ちかのぶ、嘉永2年1月10日(1849年2月2日) - 明治18年(1885年)5月23日)は、長州藩一門家老である右田毛利家の12代。 子に村上藤枝。養子は毛利祥久。通称常太郎、内匠、藤内。.

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毛利氏

毛利氏(もうりし)は、日本の武家の氏族で、本姓は大江氏。家紋は一文字三星。.

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毛利氏の伊予出兵

毛利氏の伊予出兵(もうりしのいよしゅっぺい)は、1567年(永禄10年)から翌年にかけて行われた、安芸国の戦国大名・毛利氏の伊予国への出兵である。.

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毛利水軍

毛利水軍(もうりすいぐん)は、中世日本の瀬戸内海で活躍した、戦国大名毛利氏直轄の水軍(海賊衆)である。当初、安芸武田氏旧臣の水軍を中心としたが、勢力を拡大するにつれ、小早川氏や大内氏の水軍を取り込んで直轄の水軍を編成、後には能島村上家、来島村上家、因島村上家からなる村上水軍をも取り込み、瀬戸内海の覇権を確立した。.

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毛利房顕

毛利 房顕(もうり ふさあき、寛政6年(1794年) - 天保13年11月5日(1842年12月6日))は、長州藩一門家老である右田毛利家の10代。 父は毛利就任。母は側室中村氏。兄は毛利房良、毛利房直。正室は益田親愛(問田益田氏)の娘。子に毛利元寿(もとひさ)、村上惟庸(むらかみ これつね)。養子に毛利元亮。通称は政之助、内匠。.

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水嶋ヒロ

水嶋 ヒロ(みずしま ヒロ、1984年4月13日 - )は、日本の俳優、小説家。 俳優以外にも多岐にわたるコンテンツのプランニングやディレクション及びクリエイターとしても活動している。 2014年公開の主演映画『黒執事』では、共同プロデューサーとして、本名の「齋藤 智裕(さいとう ともひろ)」でクレジットされている以前は非公開としていた。 妻は、シンガーソングライターの絢香。.

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水上生活者

水上生活者(すいじょうせいかつしゃ)とは、船上や水上の建造物などで生活の大半を行う者をいう。.

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水軍

水軍(すいぐん)は、東アジアの漢字文化圏における伝統的な水上兵力の称である。西洋・近代の軍事における海軍に相当するが、東洋の水軍においては河川や湖沼における水上兵力の比重も大きい。水師、船師、舟師ともいう。集団化・組織化すると、海賊衆、警固衆(けごしゅう)、船手組(ふなてぐみ)、船党などの呼称もある。.

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水軍料理

水軍料理(すいぐんりょうり)は、瀬戸内海の村上水軍が船上で取りたての魚介類を船上で調理していたことに由来する豪快な芸予諸島の郷土料理。.

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永暦

永暦(えいりゃく)は、日本の元号の一つ。平治の後、応保の前。1160年から1161年の期間を指す。この時代の天皇は二条天皇。.

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河内源氏

河内源氏(かわちげんじ)は、河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。一般的に武士で「源氏」という場合、この系統を指す。また、「平家」と称される伊勢平氏と併称される場合には源家(げんけ)という呼称も古くは用いられていた。.

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河野氏

河野氏(こうのし/かわのし)は、日本の氏族。.

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淡路島

淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置し、瀬戸内海では最大の島で、人口は離島の中では最も多い。令制国の淡路国の主要国域を占める。近畿地方の兵庫県に属し、現在は北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市で区分される。.

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源師房

源 師房(みなもと の もろふさ)は、平安時代中期の公卿・歌人。村上源氏中院流の祖。村上天皇の皇子具平親王の子。従一位・右大臣。土御門右大臣と号した。幼名は万寿宮。.

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源為国

源 為国(みなもと の ためくに、生没年不詳)は、平安時代末期の武士・官人。清和源氏頼清流。蔵人源盛満(盛清)の子。後に源顕清の養子となる。義兄弟に宗清、定国、業国、盛国らがあり、子に道清、基国、宗実、経業、信国、惟国、世延(安信?)、宗信らがある。室は信西女など。崇徳院判官代。号は村上判官代。信濃村上氏の祖。 嘉保元年(1094年)の白河院呪詛事件に連座して信濃国へ配流された大叔父顕清(村上顕清)の養子となり、都で崇徳院判官代を務めた(『尊卑分脈』)。こうした関係から保元元年(1156年)7月の保元の乱では崇徳上皇・藤原頼長方として平家弘らと共に白河北殿に参じたが、敗北後の罪名宣下にその名はなく処罰を免れたものと考えられている(『兵範記』同年7月10日条、同27日条)。これは自身が信西の婿であったことや合戦に深く関与していないことなどが関係したと推測されている。 後代、子孫は信濃村上氏として存続した。なお『尊卑分脈』には同じく信濃国を地盤とした源満快の子孫に源為邦(村上源判官代)という人物がみえ、頼清流村上氏からの養子とされる。子の源基国は高陽院判官代となり同じく「村上判官代」を号し、また弟の源盛国は八条院判官代となり、筑摩郡波多郷に拠って波多判官代を号し、国衙の在庁官人となった。.

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源頼信

源 頼信(みなもと の よりのぶ)は、平安時代中期の武将。摂津国多田現・兵庫県川西市多田。の地に源氏武士団を形成した源満仲の三男。河内国石川郡壺井現・大阪府羽曳野市壺井。を本拠地とする河内源氏の祖。.

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源頼義

源 頼義(みなもと の よりよし)は、平安時代中期の武士。河内源氏初代棟梁・源頼信の嫡男で河内源氏2代目棟梁。.

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源頼清

源 頼清(みなもと の よりきよ).

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源憲定

源 憲定(みなもと の のりさだ)は、平安時代中期の公卿。村上源氏で、一品・為平親王の長男。官位は従三位・右兵衛督。.

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漁業

漁業(ぎょぎょう)とは、営利目的で魚介類を捕獲したり養殖する産業のことブリタニカ国際百科事典【漁業】。.

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本屋大賞

本屋大賞(ほんやたいしょう)とは2004年に設立された、NPO法人・本屋大賞実行委員会が運営する文学賞である。 一般に、日本国内の文学賞は、主催が出版社であったり、選考委員が作家や文学者であることが多いが、本屋大賞は、「新刊を扱う書店(オンライン書店含む)の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定される。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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海峡

海峡(かいきょう)とは、陸地によって狭められている水域のこと。日本語では「海」の一字が含まれるが、必ずしも海に限ったものではない(五大湖のスペリオル湖とミシガン湖結ぶマキノー海峡など)。 同義語に「瀬戸」と「水道」がある。これらの語に意味上の本質的な違いはなく、同じ海域について別の語を用いた別称や副称をもつものもある。上記のマキノー海峡のように湖にある場合は「湖峡」ということもある。 海上交通路が絞られるポイント(チョークポイント)である海峡は、その確保や制限(海上封鎖)のために、軍事・国際政治上の焦点となることも多かった。.

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海賊

海賊旗(ジョリー・ロジャー) ジョン・ラカムの海賊旗 海賊(かいぞく、)とは、船舶や沿岸を襲撃することによって、金品を強奪する盗賊を指す。.

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海賊停止令

海賊停止令(かいぞくていしれい、かいぞくちょうじれい)は、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が出した海賊衆(水軍)に対する3ヶ条の定で、それぞれに海賊行為をしない旨の連判の誓紙を出させ、海民の武装解除を目的とした政策。 令の名称は通称であり、海賊禁止令(かいぞくきんしれい)、海賊取締令(かいぞくとりしまりれい)、海賊鎮圧令(かいぞくちんあつれい)など幾つかの呼び方がある。.

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新居大島

新居大島(にいおおしま)は、愛媛県新居浜市の北東約1.5キロメートルの沖にある周囲約9,8キロメートルの有人島である。島の住所は愛媛県新居浜市大島で、郵便番号は792-0891。村上水軍(伊予水軍)の統領であった村上義弘生誕の地とも伝えられる。2013年3月31日現在の住民基本台帳に基づく人口は280人。2017年6月現在では207人。その半数が70歳以上毎日新聞2014年4月20日愛媛版22面「76歳、島の「命」守り10年 井上孝雄医師。.

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新居浜市

新居浜市(にいはまし)は、四国の中北部、愛媛県の東予地方に位置する市。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本の国会議員

衆議院会派別勢力図 (2017年(平成29年)10月23日現在 参議院会派別勢力図(2016年(平成28年)7月14日現在) 日本の国会議員(にほんのこっかいぎいん)では、日本国憲法下の日本の国会(衆議院・参議院)の議員について解説する。.

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日本遺産

日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)は、文化庁が認定した、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。.

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愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

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教授

教員における教授(きょうじゅ、professor)は、大学院、大学、短期大学、高等専門学校など高等教育を行う教育施設や、JAXA、大学入試センターなど研究機関の、指導者の職階や職階者である。.

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1349年

記載なし。

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1555年

記載なし。

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1561年

記載なし。

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1567年

記載なし。

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1576年

記載なし。

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1581年

日曜日から始まる。.

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1588年

記載なし。

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2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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3月13日

3月13日(さんがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から72日目(閏年では73日目)にあたり、年末まであと293日ある。.

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4月25日

4月25日(しがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から115日目(閏年では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。誕生花はシャガ、モッコウバラ。.

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