ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

久留島通用

索引 久留島通用

久留島 通用(くるしま みちもち)は、江戸時代中期の武士。豊後国森藩の世嗣。.

26 関係: 宝永久留島光通久留島通孝久留島通重久留島通清久留島通政徳川綱吉元禄因幡国豊後国鳥取藩龍野藩脇坂安利 (旗本)脇坂安照脇坂安清脇坂氏森藩武士江戸時代池田光仲本多重貞播磨国10月10日 (旧暦)11月7日1703年1704年

宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

新しい!!: 久留島通用と宝永 · 続きを見る »

久留島光通

久留島 光通(くるしま てるみち、1704年(宝永元年)- 1764年10月13日(明和元年9月18日))は、豊後国森藩の第5代藩主。 2500石を領した旗本・久留島通貞(第2代藩主・久留島通春の次男)の次男。正室は木下俊量の娘。子に久留島通祐(五男)、山崎義俊(六男、筑前秋月藩主、黒田長堅父)、久留島通同(七男)、娘(青木一新正室)、娘(渡辺信綱継室)、娘(高井綽房室)、娘(青木直美正室)、娘(久留島通高室)、娘(高井綽房養女)。初名は通綜。通称は靭負、帯刀。官位は従五位下、信濃守。 世嗣だった通重の死去により、正徳5年(1715年)4月27日、先代藩主・通政の養嗣子となる。同年5月28日、将軍徳川家継にお目見えする。享保4年(1719年)12月25日、養父通政の死去に伴って家督を継いだ。享保5年12月18日、従五位下信濃守に叙任する。享保17年(1732年)、飢饉が藩内を襲うと、幕府より2000両を借用して対処した。その後、藩財政再建のため、上米制を中心とした藩政改革を行なった。駿府城番を命じられる。寛延3年(1751年)3月1日、大番頭に就任する。宝暦8年(1759年)11月18日、伏見奉行に就任する。明和元年(1764年)9月18日に61歳で死去し、跡を五男・通祐が継いだ。法号は泰竜院。 てるみち *05 Category:伏見奉行 Category:1704年生 Category:1764年没.

新しい!!: 久留島通用と久留島光通 · 続きを見る »

久留島通孝

久留島 通孝(くるしま みちたか、生没年不明)は、豊後国森藩の世嗣。因幡国鳥取藩主・池田光仲の六男。通称は主殿。初めは長兄の池田綱清より偏諱を与えられて池田清弥(きよやす)を名乗る。 早世した久留島通用に代わって久留島通政の養子となり、通孝に改名。宝永3年(1706年)徳川綱吉に拝謁するが、まもなく廃嫡された。代わって、通政の実弟である通重が嫡子に迎えられた。 Category:美濃池田氏 みちたか Category:廃嫡された人物 Category:江戸時代の大名の嫡男 Category:鳥取藩の人物.

新しい!!: 久留島通用と久留島通孝 · 続きを見る »

久留島通重

久留島 通重(くるしま みちしげ、? - 正徳5年2月4日(1715年3月9日))は、豊後国森藩の世嗣。3代藩主・久留島通清の六男。正室は榊原喬長の娘。通称、民部。 元禄11年(1698年)、叔父の久留島通迥の家督を相続し500石を領する旗本となる。寄合となり徳川綱吉への拝謁を果たす。元禄16年(1703年)に中奥番、宝永5年(1708年)には書院番組頭となり布衣を許された。宝永6年(1709年)、兄・久留島通政の養子となり森藩嫡子となるが、家督を相続することなく正徳5年(1715年)2月に早世した。代わって、従兄弟の久留島光通が嫡子に迎えられた。 みちしけ Category:江戸幕府旗本 Category:17世紀生 Category:1715年没.

新しい!!: 久留島通用と久留島通重 · 続きを見る »

久留島通清

久留島 通清(くるしま みちきよ、1629年(寛永6年)- 1700年11月9日(元禄13年9月29日))は、豊後国森藩の第3代藩主。 第2代藩主・久留島通春の長男。母は佐久間安政の娘。正室は中川久盛の養女(久松松平定実の娘)。継室は山内忠義の娘。子に久留島通政(長男)、林正栄(次男)、毛利高久(三男)、毛利高慶(五男)、久留島通重(六男)、娘(武田信令正室)、娘(高木守興正室)。初名は通次。幼名は吉松。官位は従五位下、信濃守。 寛永13年(1636年)5月28日、将軍徳川家光にお目見えする。明暦元年(1655年)7月13日、父の死去により、家督を継いだ。このとき、弟の通貞に岩室村など1000石、もう1人の弟通迥(みちとお)にも綾垣村、木牟田村など500石を分与したため、1万2500石の領主となる。明暦2年12月18日、従五位下信濃守に叙任した。 藩政においては父時代の側近をすべて排除し、新参者の薄葉氏や浅川氏らを重用して藩主権力の強化を図った。元禄13年(1700年)9月29日、森にて死去した。享年72。跡を長男・通政が継いだ。法号は瑞雲院。墓所は森の安楽寺。 みちきよ *03 Category:1629年生 Category:1700年没.

新しい!!: 久留島通用と久留島通清 · 続きを見る »

久留島通政

久留島 通政(くるしま みちまさ、1661年(寛文元年) - 1719年12月23日(享保4年11月13日))は、豊後国森藩の第4代藩主。 第3代藩主・久留島通清の長男。母は山内忠義の娘。正室は戸沢正誠の娘、継室は山内豊昌の養女(山内忠義の甥・山内一俊の娘)。子は娘(永井尚品正室)。幼名は万千代。通称は帯刀。初名は通総、通厚。官位は従五位下、伊予守。 寛文9年(1669年)7月11日、将軍徳川家綱にお目見えする。元禄13年(1700年)12月5日、父の死去により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)4月15日、従五位下伊予守に叙任する。藩政には不明な点が多い。通政は正室を2人迎えたが、いずれも嗣子に恵まれず、元禄16年(1703年)に脇坂安照三男の久留島通用(織部)を養子にするが、翌年に病没した。その後、池田光仲の六男・久留島通孝(主殿)を養子にするもすぐに廃嫡している。そして、他家に養子に出ていた六弟の通重を養嗣子としたが、宝永4年(1707年)2月に先立って死去したため、叔父・久留島通貞の次男で従弟にあたる光通を養子として跡を継がせた。享保4年(1719年)11月13日に死去した。享年59。 みちまさ *04 Category:1661年生 Category:1719年没.

新しい!!: 久留島通用と久留島通政 · 続きを見る »

徳川綱吉

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。.

新しい!!: 久留島通用と徳川綱吉 · 続きを見る »

元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

新しい!!: 久留島通用と元禄 · 続きを見る »

因幡国

因幡国(いなばのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

新しい!!: 久留島通用と因幡国 · 続きを見る »

豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 久留島通用と豊後国 · 続きを見る »

鳥取藩

鳥取藩(とっとりはん)は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩である。石高は32万5千石。藩庁は因幡の鳥取城(鳥取市東町)に置いた。久松山城とも称した。.

新しい!!: 久留島通用と鳥取藩 · 続きを見る »

龍野藩

龍野藩(たつのはん)は、播磨国龍野周辺を領有した藩。藩庁は龍野城(現兵庫県たつの市)に置かれた。.

新しい!!: 久留島通用と龍野藩 · 続きを見る »

脇坂安利 (旗本)

脇坂 安利(わきざか やすとし)は、江戸時代中期の旗本。.

新しい!!: 久留島通用と脇坂安利 (旗本) · 続きを見る »

脇坂安照

脇坂 安照(わきさか やすてる)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩2代藩主。龍野藩脇坂家4代。.

新しい!!: 久留島通用と脇坂安照 · 続きを見る »

脇坂安清

脇坂 安清(わきさか やすずみ)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩3代藩主。龍野藩脇坂家5代。.

新しい!!: 久留島通用と脇坂安清 · 続きを見る »

脇坂氏

脇坂氏(わきざかし/わきさかし)は、日本の氏族。.

新しい!!: 久留島通用と脇坂氏 · 続きを見る »

森藩

森藩(もりはん)は、江戸時代に豊後国日田郡・玖珠郡・速見郡内を領した藩。藩庁として森(現在の大分県玖珠郡玖珠町)に森陣屋が置かれた。.

新しい!!: 久留島通用と森藩 · 続きを見る »

武士

武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については大伴氏や物部氏の名に求めるなど諸説がある。 同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などさらには、「影武者」のように、本義のほかに一般用語としても使われるようになった語もある。)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士とは言え、呼ぶことが間違いというわけではない。はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする「女武士」や「姫武士」などという呼称は見られない。。 武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめ、古代を終焉させたとする理解が通常されている。旧来の政権を傀儡として維持したまま自らが実質的に主導する中世社会を構築した後は、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が参画する近代政府(明治政府)であった。.

新しい!!: 久留島通用と武士 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 久留島通用と江戸時代 · 続きを見る »

池田光仲

池田 光仲(いけだ みつなか)は、因幡鳥取藩初代藩主。鳥取藩池田家宗家3代。幼名は勝五郎。徳川家康の外曾孫であり、別姓は松平氏。.

新しい!!: 久留島通用と池田光仲 · 続きを見る »

本多重貞

本多 重貞(ほんだ しげさだ)は、江戸時代中期の武士。.

新しい!!: 久留島通用と本多重貞 · 続きを見る »

播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

新しい!!: 久留島通用と播磨国 · 続きを見る »

10月10日 (旧暦)

旧暦10月10日(きゅうれきじゅうがつとおか)は、旧暦10月の10日目である。六曜は先勝である。.

新しい!!: 久留島通用と10月10日 (旧暦) · 続きを見る »

11月7日

11月7日(じゅういちがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から311日目(閏年では312日目)にあたり、年末まであと54日ある。.

新しい!!: 久留島通用と11月7日 · 続きを見る »

1703年

記載なし。

新しい!!: 久留島通用と1703年 · 続きを見る »

1704年

記載なし。

新しい!!: 久留島通用と1704年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »