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唯識

索引 唯識

唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。.

107 関係: 基 (僧)南都六宗名越康文多川俊映大乗仏教天台宗天人五衰奈良時代安慧中央アジア中国中観派世親三島事件三島由紀夫三科一水四見五位五感仏性廣澤隆之廃仏毀釈弥勒 (僧)佐伯定胤地論宗ナーランダチベットニンマ派嗅覚味覚アルトゥル・ショーペンハウアーインドカール・グスタフ・ユングサンスクリット唯心論唯識唯識三十頌唯識二十論凡夫兜率天皮膚感覚瞑想玄奘三蔵玄ボウ神戸女学院大学種子 (唯識)空 (仏教)精神医学縁起真如...真言宗真諦瑜伽瑜伽行唯識学派産経新聞無常無著無我無意識煩悩花園大学聴覚聖徳宗道昭華厳経視覚香山リカ (精神科医)解深密経認識論高崎直道論理学護法豊饒の海鳩摩羅什般若経興福寺防衛省市ヶ谷地区阿頼耶識阿毘達磨倶舎論薫習薬師寺自決集合的無意識陳那松山俊太郎梅原猛横山紘一江戸時代法相宗法隆寺法華経深層心理学清水寺澁澤龍彦末那識成唯識論戒賢明治日本摂大乗論摂論宗悟り意志と表象としての世界意識思考智鳳智通 インデックスを展開 (57 もっと) »

基 (僧)

基(き、拼音: 、632年 - 682年)は、中国唐代の仏教家であり、法相宗を起した。窺基(きき)と通称されるが、窺の字を付けない「基」が正しい名前である。.

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南都六宗

南都六宗(なんとろくしゅう/- りくしゅう)とは、奈良時代、平城京を中心に栄えた日本仏教の6つの宗派の総称。奈良仏教(ならぶっきょう)とも言う。.

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名越康文

名越 康文(なこし やすふみ、1960年6月21日 - )は、日本の精神科医、評論家。専門は思春期精神医学、精神療法。相愛大学客員教授。妻は金子奈緒。.

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多川俊映

多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 - )は、日本の法相宗の僧侶で、大本山興福寺貫首・法相宗管長・龍谷大学客員教授。.

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大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天人五衰

天人五衰(てんにんのごすい)とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのこと。 大般涅槃経19においては、以下のものが「天人五衰」とされる、大の五衰と呼ばれるもの。これは仏典によって異なる。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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安慧

安慧(あんね、Sthiramati 、 470‐550年頃もしくは 510‐570年頃)は、大乗仏教の僧。南インド出身で瑜伽行派に所属した。堅慧(けんね)とも訳される。 唯識派の唯識十大論師の一人。 徳慧(とくえ、Guṇamati)の弟子あるいは後輩。無相唯識の学説で知られ、 護法の有相唯識と対立する。.

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中央アジア

東南アジア 中央アジアのいくつかの定義。狭い順に濃茶: ソ連の定義+茶: 現代的な定義+淡茶: UNESCOの定義 中央アジアの位置 中央アジア(ちゅうおうアジア)は、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。 西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)。 東トルキスタンは中華民国に併合されて以降、新疆省と成り、中華人民共和国に併合されて以降は新疆ウイグル自治区と成った。中国領トルキスタン、ウイグルスタンともいう。 広義には、「アジアの中央部」を意味し、東西トルキスタンのほか、カザフステップ、ジュンガル盆地、チベット、モンゴル高原、アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む。UNESCOはトルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアのシベリア南部などを中央アジア概念の中に含めている。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama) もしくは中道 (madhyamā pratipat) の立場を重んじる中村・2005年 250頁。.

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世親

世親(せしん、वसुबन्धु vasubandhu)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。.

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三島事件

三島事件(みしまじけん)とは、1970年(昭和45年)11月25日に、日本の作家・三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれる「終章 『三島事件』か『楯の会事件』か」()高橋新太郎「『楯の会』事件裁判」()。 この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、日本国外でも、国際的な名声を持つ作家の起こした行動に一様に驚きを示した「第一章 三島の自決はどう捉えられてきたか」()「春の雪 ■第一回公判」()。.

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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型「第一章」()。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である「第一回 三島由紀夫の誕生」()「十四 ノーベル文学賞の有力候補」()松永尚三「ヨーロッパ・フランス語圏における三島劇」()。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある「三島由紀夫」()。 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」()。 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴「第六回 舞台の多彩の魅力」()「各項〈作品解説〉」()。 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした(詳細は三島事件を参照)。.

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三科

三科(さんか)とは部派仏教における、世界を在らしめる『一切法』を分類した三範疇、五蘊(五陰)・十二処・十八界をいう。陰界入と略すこともある。また、六根・六境・六識の三範疇をいうこともある。.

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一水四見

一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。; 人間にとっての河(=水)は というように、見る者によって全く違ったものとして現れるという。似たようなものに次のような古歌がある。; 「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池.

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五位

五位(ごい)とは、仏教においてあらゆる事象を5種類の範疇(カテゴリー)に分類して、人間の精神や物質など全ての現象の要素(法、もしくは ダルマ)をまとめたもの。五法(ごほう)・五品(ごほん)などとも。.

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五感

五感(ごかん)とは、動物やヒトが外界を感知するための多種類の感覚機能のうち、古来の分類による5種類、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさす。この伝統的な分類を前提として、人間の感覚全体を指すために「五感」という表現が用いられる場合もある(「五感を鋭くする」など)。.

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仏性

仏性(ぶっしょう、Buddha-dhātu)とは、、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと。主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。覚性(かくしょう)とも訳される。 仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。 『法華経』では、仏種(ぶっしゅ、Buddha-gotra)「仏の種姓」、『勝鬘経』では、如来蔵(にょらいぞう、Tathāgata-garbha)などと、さまざまな表現がされるが、基本的に仏性と同じ意義である。ただし仏性には如来蔵のように「煩悩が付着して隠れている」という意味はない。.

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廣澤隆之

廣澤 隆之(ひろさわ たかゆき、1946年 - )は、日本の仏教学者で、真言宗の僧侶、大正大学元副学長。 大正大学教授、真言宗智山派伝法院前院長、川崎大師教学研究所専門研究員。.

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廃仏毀釈

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、明治維新後に発生した一連の動きを指す。.

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弥勒 (僧)

弥勒(みろく、Maitreya 、)、またはマイトレーヤナータ(Maitreyanātha、生没年未詳)は、インドの僧。大乗仏教の学派のひとつ瑜伽行唯識学派の開祖とされる人物 ブリタニカ国際大百科事典、2014 Britannica Japan。。未来仏として信仰される弥勒菩薩と同じ存在として扱われてきたが、仏教学者の宇井伯寿が1929年に『』において歴史的人物として扱う見方を提示した。.

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佐伯定胤

佐伯 定胤(さえき じょういん、慶応3年6月25日(1867年7月26日) - 昭和27年(1952年)11月23日)は、日本の法相宗・聖徳宗の僧侶、仏教学者。 奈良県法隆寺村(現斑鳩町)生。法相宗管長。のちに聖徳宗を興す。法隆寺103世管主(住職)を40年務める。大僧正。学士院会員。明治時代の廃仏毀釈で衰えていた唯識・法相の教えを再興した学僧。法隆寺勧学院で開かれた唯識の講義には宗派を超えて多くの僧侶が聴講しに来た。また、東京大学でも講義している。専門の僧侶向けの講義は難解さを極めたが、宗派を超えて聴聞する者が多かった。一般信徒向けの夏百日の講義は非常に噛み砕いた平易な語り口であったという。 戒律を保ち、肉食をとらず、生涯独身を貫いた。.

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地論宗

地論宗(じろんしゅう)は、中国の仏教宗派。世親の『十地経論』(菩提流支訳)に基づく。中国十三宗の一つ。.

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ナーランダ

ナーランダ (Nalanda, नालंदा Nâlandâ, ナーランダー) は、ブッダガヤの北東に位置する町、今日のインドではビハール州になる。 ここには5世紀頃に創設された最大の仏教の学院(今日で言う大学)があった。学生1万人以上、教師も1,000人を数えたといわれる。ここには9階建ての校舎の他、六つの寺院、七つの僧院があった。図書館には 500万冊に及ぶ蔵書があったという。これは文字通り古代の世界では最大の教育施設だったといってもよい。大学は、12世紀イスラム勢力のインド征服により完全に破壊され、それと共にインドでの仏教の衰退が始まった。同じ名前の教育施設が、1351年チベットに設立されている。 釈迦が最後に旅をしたルートとも知られ、マガダ国の王舎城(ラージャグリハ)から多くの弟子を従え、パータリガーマに至るまでの旅の立ち寄り地点である。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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ニンマ派

ニンマ派は、チベット仏教四大宗派における最古の流れの呼び名である残りはサキャ派、カギュ派、ゲルク派。。正式には「ンガギュル・ニンマパ(旧訳古派)」といい、9世紀まで続いた古代吐蕃時代に翻訳された古タントラ(古訳密教経典旧訳の「秘密儀軌」のこと。大乗経典のスートラに対して、タントラの語を用いる。)に依拠する古い宗派であることを意味する。他の三宗派と同じように声聞独覚乗(狭義の小乗)・菩薩乗(大乗)・秘密真言乗(金剛乗)の三乗を併修することを説く。 後期密教のタントラの一つである「幻化網タントラ」(梵:マーヤージャーラ・タントラ)梵本は発見されていないが、リンチェンサンポによるチベット訳『幻化網なるタントラ王』がある(松長有慶編著 『インド後期密教(上)』 春秋社 p86 参照)。の旧訳とされる「」(梵:グヒヤガルバ・タントラ)通称チベット名「サンワ・ニンポ」、通用サンスクリット名「グヒヤガルバ・タントラ」、和訳名「秘密蔵タントラ」または「秘密心髄タントラ」。ニンマ派においてマハーヨーガのタントラ部に分類される幻化網(ギュントゥルタワ)タントラ群の「十八大部」に属し、それらを縮約した中心的タントラとして重んじられる。訳者はパドマサンバヴァの二十五大弟子のひとりに数えられるとされる。を依経として、本性清浄(カダク)・無為自然(ルンドゥプ)を説く「ゾクチェン」(ゾクパ・チェンポ、大いなる完成大円満、大究竟とも漢訳。)を最奥義とする密教の教義、大成就法の分類方法が新訳諸宗派と異なる。.

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嗅覚

嗅覚(きゅうかく)とは、においの感覚のこと広辞苑 第5版 p.676。.

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味覚

味覚(みかく)は、動物の五感の一つであり、食する物質に応じて認識される感覚である。生理学的には、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本味に位置づけられる。基本味の受容器はヒトの場合おもに舌にある。基本味が他の要素(嗅覚、視覚、記憶など)で拡張された知覚心理学的な感覚としての味は、風味(ふうみ)と呼ばれることが多い。また、認識の過程を味わう(あじわう)と言う。.

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アルトゥル・ショーペンハウアー

アルトゥル・ショーペンハウアー(、ショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも)1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。 仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる。フリードリヒ・ニーチェへの影響は有名であるが、その他にもリヒャルト・ワーグナー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト、オットー・ランク、カール・グスタフ・ユング、ジョーゼフ・キャンベル、レフ・トルストイ、トーマス・マン、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど様々な学者、思想家、文筆家に影響を与え、その哲学は現代思想においても受け継がれている。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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カール・グスタフ・ユング

ール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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唯心論

唯心論(ゆいしんろん、Spiritualism)とは、人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。その反対が、唯物論になる。認識論上の立場の一つである観念論としばしば混同される。なお、仏教の唯識論と似ているが最終的な点で異なる(後述)。 唯物論に対し理想主義とされる。心やその働きはあくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、物質的存在がその存在を容認されるのは意識によるものである、したがって意識が存在を決定づける。これが唯心論である。 これら思想は、古代のプロティノスに起源をもち、中世ではアウグスティヌスに見られ、近世ではライプニッツ、ヘーゲル、ショーペンハウアーなどがその説を引き継ぎ、また展開してきた。 これらはキリスト教とともに西洋を支えてきた理想的な哲学思想であったが、ヘーゲルは一方で唯物弁証法、また一方で実存哲学を自らの否定反抗として自らの中より生ぜしめたことなどから、近代に至っては観念論や理想主義でしかないという批判を生むことになった。 なお、東洋、特に仏教にも華厳経に唯心(三界唯一心)が説かれたことから、唯識論が生れている。しかし仏教ではその識(心の作用)も仮のもので夢幻の存在(空)であるとして否定する。ここにおいて唯心論と唯識論は最終的に異なる。.

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唯識

唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。.

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唯識三十頌

唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ、Triṃśikā-vijñapti-mātratā, トリンシカー・ビジュニャプティ・マートラター)は、大乗仏教唯識派の世親が著した唯識の思想を要約した30の偈頌で、玄奘が訳したもの。 原題は「トリンシカー」(triṃśikā)が「三十頌」、「ビジュニャプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)が「唯識」、総じて「唯識についての三十頌」の意。 なお、このほかに漢訳されたものに、真諦が訳した「転識論」がある。 その後、護法がこの唯識三十頌を注釈して玄奘が訳した『成唯識論』は、法相宗(唯識宗)の重要な論典のひとつとなった。.

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唯識二十論

唯識二十論(ゆいしきにじゅうろん、)1巻は、世親によって造られた、唯識の主要な論書である。.

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凡夫

凡夫(ぼんぷ、サンスクリット:prithag-jana प्रिथग् जन)のサンスクリット語の prithag-jana の音写は必栗託仡那であり、異生と訳される。一般的に凡夫とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に四諦の道理を知らない人をいう。異生については衆生の項に説明がある。 「凡夫は身見をもって性となす」といわれて、我見にとらわれている人をいう。自己に実の我があると考え、自と他とを区別し自分に執着して、その差別観の中に苦悩している者のことである。見道(けんどう)以前のものを凡夫という。 この凡夫を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。内凡とは見道に直前する四善根の位にある人、外凡とはその前の三賢の位にある人、底下の凡夫とは外凡以前の人々をいうのである。六道に輪廻するものを声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖に対して六凡という。 聖徳太子は、「十七条憲法」の第十条で、「われ必ずしも聖に非ず、かれ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ」といって、凡夫を「ただびと」といわれ、お互いに許し合って生きてゆく世界の根本をここにもとめられている。 親鸞は『一念多念証文』に「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり」と凡夫を煩悩具足としてとらえている。 『玄応音義』には「凡夫というは義訳なり」といって、婆羅必粟託仡那(bala-prithag-jana)と解釈している。 サンスクリット語のバーラ(baala)を毛道(もうどう)と訳し、『毛道凡夫』などという経典があるが、これはbaala बालをvaala वालと読みちがえたものである。 Category:仏教用語.

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兜率天

兜率天(とそつてん、तुषित )は、仏教の世界観における天界の一つであり、三界のうちの欲界における六欲天の第4の天である。都率天、覩史多天、兜卒天、兜率陀天(とそつだてん)などともいう。兜率天には内院と外院があり、内院は将来仏となるべき菩薩が住む所とされ、現在は弥勒菩薩が内院で説法をしているという。外院には天衆が住む。兜率天は浄土の一つともされており、弥勒信仰の発展とともに、兜率往生の思想も生じた。.

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皮膚感覚

膚感覚(ひふ かんかく)とは、触覚、痛覚、温度覚など、主に皮膚に存在する受容細胞によって受容され、体表面に生起すると知覚される感覚のことを指す。深部感覚などとあわせて体性感覚と呼ばれることが多い。.

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瞑想

瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。 精神科医の安藤治は、現代的視点から瞑想研究を紹介する『瞑想の精神医学』で、「伝統的により高度な意識状態あるいはより高度な健康とされる状態を引き出すため、精神的プロセスを整えることを目的とする注意の意識的訓練のことであるが、現代においてはリラクセーションを目的としたり、ある種の心理的治療を目的として行われることもある。」と定義している安藤治 著 『瞑想の精神医学 トランスパーソナル精神医学序説』 春秋社、2003年。「通常の意識状態、通常の健康よりも優れた」という価値の設定は、現在一般に認められている科学的世界観をはみ出しており、こういった価値付与を避けて、瞑想を「変性意識状態」として位置付ける見方もある。.

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玄奘三蔵

奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)は、唐代の中国の訳経僧。玄奘は戒名であり、俗名は。諡は大遍覚『全唐文』「s:zh:大唐三藏大遍覺法師塔銘(並序)」で、尊称は法師、三蔵など。鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。 629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった。.

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玄ボウ

昉(げんぼう、生年不詳 - 天平18年6月18日(746年7月15日))は、奈良時代の法相宗の僧。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もある。僧官は僧正。.

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神戸女学院大学

戸女学院大学文学館 神戸女学院 創設の地(神戸市中央区).

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種子 (唯識)

子(しゅうじ、しゅじ、サンスクリット:बीज bīja)は、仏教用語としては唯識の用語で、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力のことをいう。それは、もともと、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象であるところから、熏習(くんじゅう)の気分という点で習気(じっけ)という。このように種子を熏習し、その種子が因となって種々の現象が顕現する(あらわれる)のであるという点を明らかにしたのが種子熏習説である。 このような種子熏習説を述べる人々には、部派仏教の中、大衆部、化地部、経量部などがあるが、これらをうけてほんとうに学問的な基準をもって説いたのが、唯識学派法相宗である。.

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空 (仏教)

仏教における空(くう、śūnya またはśūnyatā 、suññatā )とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である。.

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精神医学

精神医学(せいしんいがく、Psychiatry)は、各種精神障害に関する診断、予防、治療、研究を行う医学の一分野であるGuze, S.B. (1992), p. 4Storrow, H.A. (1969).

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縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。 種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。.

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真如

真如(しんにょ、巴, tathatā、蔵: )は、「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。 金剛般若経 のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。 真如はまた、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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真諦

真諦(しんだい、Paramārtha パラマールタ、499年 - 569年)は、西インド生まれで中国に渡来した訳経僧、真諦三蔵。鳩摩羅什、玄奘、不空金剛とともに四大訳経家と呼ばれている。旧字体表記では、眞諦。また、『続高僧伝』の本伝では、音訳表記によって、拘那羅陀や波羅末陀と書かれており、意訳で真諦、あるいは親依という、と記されているが、一般には真諦という呼称で通用している。.

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瑜伽

伽(ゆが)は、仏教におけるサンスクリット語「yoga योग」の音写語で、感覚器官が自らに結びつくことによって心を制御する精神集中法や、自己を絶対者に結びつけることによって瞑想的合一をはかる修行法をいう。最近の心身の健康法としてのヨーガもこれに由来する。.

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瑜伽行唯識学派

伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。.

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産経新聞

旧題字の看板を掲示する販売店も存在する 産経新聞(さんけいしんぶん、題字は産經新聞、英称:THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社が発行する日本の新聞。 産業経済新聞社はフジテレビジョンやニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループに属する。 大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年(昭和8年)6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」。.

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無常

無常(むじょう、anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニトヤ)とは、生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。非常ともいう。 あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える。.

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無著

無著(無着 むじゃく / むぢゃくAsaṅga アサンガ)は、インドの大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳だが、310 - 390年ころの人とされる。.

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無我

仏教用語の無我(むが)とは、anattā(アナッター)、(アナートマン)(nir-ātman, ニル・アートマン)に由来し、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。非我とも訳される。無我は仏教の根本教条であり、三法印と四法印の1つ。 我(が)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という。 無我には人無我と法無我がある。人無我とは、有情は五取蘊が仮に和合したものに他ならないから、実体的な生命の主体というようなものは無いということ。法無我とは、あらゆるものは因縁によって仮に成り立っているものであるから、そのものに本来的に固有な独自の本性(自性)は無いということ。.

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無意識

無意識(むいしき、Unterbewusstsein, das Unbewusste、subconscious またはunconscious ※現在は「意識を失う(to be unconscious)」との誤解を避ける為に「subconscious」が使われるようになった)には、大きく以下の二つの意味または使用法がある。.

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煩悩

煩悩(ぼんのう、、クレーシャ、kilesa、キレーサ、Kleshas)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。同義語として、漏(ろ、、アーシュラヴァ、asava、アーサヴァ)、随眠(ずいめん、, アヌシャヤ、anusaya、アヌサヤ)等、数多くの表現が用いられたりもする。 仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、その縁起を把握・克服する解脱・涅槃への道が求められた。部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われた。 大乗仏教でもこの分析は続けられ、特に唯識が示した心と煩悩の精緻な探求は大乗仏教を観念論へと導く端緒でもあった。それによりこの時代には、煩悩を否定しないという真正の仏教には無かった発想も生じてきた(如来蔵)。この両者の思想はその後の大乗仏教に深く影響を与えた。 煩悩を要約すれば、自己を中心に据えて思考したときに起きる数々の心の働きである。他者や社会全体を思考の中心に据えれば煩悩は菩提となる。.

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花園大学

記載なし。

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聴覚

聴覚(ちょうかく)とは、一定範囲の周波数の音波を感じて生じる感覚のこと広辞苑 第5版 p.1738。.

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聖徳宗

聖徳宗(しょうとくしゅう)は、日本の仏教宗派の一つであり、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺を総本山とする。小本山に法起寺・法輪寺、門跡寺院の中宮寺など末寺は、29ヵ寺。 昭和25年(1950年)に、法相宗からの独立を果たす(宗教法人として認可されたのは、昭和27年(1952年))。聖徳太子を宗祖とする。所依の経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏」である。.

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道昭

道昭(どうしょう、道紹や道照とも、舒明天皇元年(629年)- 文武天皇4年3月10日(700年4月3日))は、河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧である。父は船恵尺。.

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華厳経

『華厳経』(けごんぎょう、Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教経典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。.

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視覚

視覚(しかく、)とは、眼を受容器とする感覚のこと。.

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香山リカ (精神科医)

香山 リカ(かやま りか、1960年7月1日 - )は、日本の精神科医、臨床心理士、評論家、リベラル活動家、ピースボート水先案内人。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。 「香山リカ」はペンネーム。本名非公開。黒縁眼鏡がトレード・マーク。ミュージシャンの中塚圭骸は実弟である。.

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解深密経

『解深密経』(げじんみっきょう、Saṃdhi-nirmocana Sūtra, サンディ・ニルモーチャナ・スートラ)は、中期大乗仏教経典の1つ。 原題は、「サンディ」(saṃdhi) が「結合・連結」、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が「解放」(「解脱」)、「スートラ」(sūtra) が「経」、総じて「解放(解脱)へとつながる経」の意。 唯識派(ゆいしきは)もしくは、中国(唐)・日本の法相宗の所依の経典の一つで、唯識思想を初めて説いたといわれる経典である。また、序品を除いて、ほとんどが『瑜伽師地論』第75-78巻に引用され、さらに『摂大乗論』『成唯識論』などに引用されて、後世への影響が大きい。.

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認識論

認識論(にんしきろん、Erkenntnistheorie、Epistemology、Épistémologie)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論(theory of knowledge)とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。英語と仏語の語源は「知」(epistēmē) + 「合理的な言説」(logos)。フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である。しかし、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であった。客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかったため、のちにアームチェア心理学と呼ばれた。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとに実験心理学が登場し、認識の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。しかし、脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつある立花隆『脳を究める』(朝日新聞社 2001年3月1日)。.

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高崎直道

崎 直道(たかさき じきどう、1926年9月6日 - 2013年5月4日)は、日本の仏教学者、僧侶、東京大学・鶴見大学名誉教授。.

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論理学

論理学(ろんりがく、)とは、「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。.

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護法

護法(ごほう、ダルマパーラ, dharmapāla、530-561)は、古代インドの大乗仏教の僧であり、唯識派の学僧。唯識十大論師の一人。 南インドのパッラヴァ朝の大臣の長男に生まれ、若くしてナーランダ寺の学長となったが、29歳で隠退し、ブッダガヤで亡くなった。 世親(vasubandhu)の『唯識三十頌』を護法が注釈した学説は、弟子のシーラバドラ(戒賢)から玄奘を通じてその弟子の慈恩大師基の『成唯識論』によって後世に伝えられた。.

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豊饒の海

『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で「『豊饒の海』について」(毎日新聞夕刊 1969年2月26日号)。、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である「第十二回 究極の小説『豊饒の海』(一)」「第十三回 究極の始まり『豊饒の海』(二)」()。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。 第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある佐藤秀明「〈作品解説〉豊饒の海」()。 〈豊饒の海〉とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の和訳で、〈月修寺〉のモデルとなった寺院は奈良市の「圓照寺」である。なお、最終巻の末尾と、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終り方との類似性がよく指摘されている「大団円『豊饒の海』」()井上隆史「豊饒の海」()。.

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鳩摩羅什

鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、、クマーラジーヴァ、344年 - 413年「世界大百科事典 第2版」2006年 平凡社、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ県)出身の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である井波律子(編集)「中国史重要人物101」2005年 新書館 ISBN 4403250203。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。 漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。.

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般若経

般若経(はんにゃきょう、梵:Prajñāpāramitā sūtra, プラジュニャーパーラミター・スートラ)は、般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く大乗仏教経典群の総称。 最も早く成立した最初の大乗仏教経典群とされ一般の用語としては、 - 日本大百科全書/コトバンクなど。前項日本語訳書の解説、解題に詳しい。、紀元前後に成立した『八千頌般若経』を最初期のものとする説が多いが、その後数百年に渡って様々な「般若経」が編纂され、また増広が繰り返された。 中国では下記するように各時代ごとに経典が持ち込まれ翻訳がなされてきたが、唐の玄奘が西域から関連経典群を持ち帰って漢訳し、集大成したとされるのが『大般若波羅蜜多経』600余巻(660-663年)であり、これを指して般若経と言うことも多い。 一般に空を説く経典とされているが、同時に呪術的な面も色濃く持っており、密教経典群への橋渡しとしての役割を無視することはできない。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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防衛省市ヶ谷地区

防衛省正門 防衛省市ヶ谷庁舎。左からA棟・D棟・E1棟 防衛省市ヶ谷地区(ぼうえいしょういちがやちく、Ichigaya Area)または防衛省市ヶ谷庁舎(ぼうえいしょういちがやちょうしゃ、Ichigaya Building)『防衛省市ヶ谷庁舎』は防衛省所管国有財産台帳における口座名であり、訓令「」では、その口座の不動産および工作物を「防衛省市ヶ谷庁舎」としている。なお、防衛庁時代の名称は「防衛庁本庁市ヶ谷庁舎」である。は、東京都新宿区市谷本村町5-1に所在する防衛省施設。陸上自衛隊においては市ヶ谷駐屯地(いちがやちゅうとんち、JGSDF Camp Ichigaya)、海上自衛隊においては市ヶ谷地区(いちがやちく)、航空自衛隊においては市ヶ谷基地(いちがやきち、JASDF Ichigaya Base)と呼称される。それぞれ、「市ヶ谷」は「市ケ谷」と記述されることもあり、表記はまちまちである。 防衛省本省(内部部局)のみならず陸上・海上・航空の3幕僚監部、そしてこれらを更に統べる統合幕僚監部も所在する日本国防衛の中枢である。 駐屯地司令は陸上自衛隊中央業務支援隊長が、基地司令は航空自衛隊航空中央業務隊司令が兼務。 庁舎A棟に自衛隊の指揮命令中枢である中央指揮所が設置されている。 庁舎B棟から伸びる防衛省市ヶ谷無線鉄塔(通信鉄塔)は、建物部分を含め220mの高さがある。 敷地内に弾道ミサイル攻撃対処用ペトリオットPAC-3の展開基盤が整備されており、空自第1高射群が分遣隊(第1高射隊市ヶ谷分遣班)を常駐させ、対応している。 防衛省が実施している「市ヶ谷台ツアー」に参加することで、一般人でも一部見学する事ができる。 敷地内にあった自衛隊東京地方協力本部は庁舎の老朽化及び施設再配置のため取り壊されており、同区内のビルに仮移転している。平成28年8月、防衛省目黒地区の防衛研究所が移転し、同年9月統合幕僚学校国際平和協力センターも市ヶ谷地区に移転し、両機関も新たに建設された庁舎F棟に入居した。.

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阿頼耶識

阿頼耶識(あらやしき、ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान)は、大乗仏教の瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこと。アーラヤ識。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。.

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阿毘達磨倶舎論

『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者とするインドの仏教論書である。4〜5世紀頃の成立。サンスクリット本の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』(梵: Abhidharma-kośa-bhāṣyaAbhidharma-kośa-bhāṣyaを略してAKBh と表記することも。)単に『アビダルマ・コーシャ』(梵: Abhidharma-kośa)と呼称することも。。漢訳の際にアビダルマは「阿毘達磨」(あびだつま)、コーシャは「倶舎」(くしゃ)と音写された。 説一切有部の教義は、カーティヤーヤニープトラ(迦多衍尼子)の『ジュニャーナプラスターナ』(Jñānaprasthāna, 発智論)玄奘による『ジュニャーナプラスターナ』の漢訳は、によって確立する三枝充悳 『世親』P.91 II-1『倶舎論』における思想「概説」。この『ジュニャーナプラスターナ』を注釈した論書に『マハー・ヴィバーシャー』(『大毘婆沙論』)玄奘による『マハー・ヴィバーシャー』の漢訳は、がある。倶舎論は『大毘婆沙論』の厖大な内容厖大な内容 - 玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』は全200巻。を巧妙に収め説明している『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」。説一切有部の教理の行きすぎた点を経量部の立場より批判した点に特色がある。漢訳とチベット訳があり、漢訳本は真諦による『阿毘達磨倶舍釋論』22巻婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)と、玄奘による『阿毘達磨倶舍論』世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)30巻である。サンスクリット本と玄奘訳は『倶舎論』と略称され、真諦訳は『倶舎釈論』と略称される。なお、漢訳本の正式な原題表記は『阿毘達磨倶舍論』・『阿毘達磨倶舍釋論』である。 研究には玄奘訳がもちいられる。サンスクリット本が発見されてからは、漢訳に依らない原典からの研究もおこなわれている。.

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薫習

熏習(くんじゅう、vāsanā、abhyāsa、bhāvanā)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。 薫習が身口意に現れたのを「現行法」(げんぎょうほう)といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子(しゅうじ)」あるいは「習気」(じっけ)という。このように現行法が真如あるいは阿頼耶識にその種子もしくは習気を留める作用を薫習という。.

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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自決

自決(じけつ).

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集合的無意識

集合的無意識(しゅうごうてきむいしき、ドイツ語:Kollektives Unbewusstes、英語:Collective unconscious)は、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。普遍的無意識(ふへんてきむいしき)とも呼ぶ。個人的無意識の対語としてあり、ユングはジークムント・フロイトの精神分析学では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱した。.

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陳那

陳那(じんな、ちんな、दिग्नाग, Dignāga, ディグナーガ、480年頃-540年頃)は、唯識の立場からの新しい仏教論理学(.

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松山俊太郎

松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 - 2014年5月11日)は東京府出身のインド学者、幻想文学研究家。英語やサンスクリット語の他、フランス語やアラビア語などにも堪能。女子美術大学教授、國學院大學講師、多摩美術大学講師、美学校講師などを歴任。.

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梅原猛

梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日 - )は、日本の哲学者である。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。また、京都市名誉市民でもある。 京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。.

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横山紘一

横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の仏教学者。唯識塾塾長。立教大学文学部名誉教授。鹿島神流師範。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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法相宗

法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。645年(唐代、貞観19年)中インドから玄奘が帰国し唯識説が伝えられることになる。その玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派である。唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。 日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、南都六宗の一つとして、8-9世紀に隆盛を極めた。.

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法隆寺

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。.

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法華経

法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。。 『法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれているNHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した聖徳太子によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、三経義疏の1つである。。.

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深層心理学

深層心理学(しんそうしんりがく、、)は、無意識に想定される構造や心的過程によって、人間の行動や経験の意味を解釈し、解明しようとする、心理学及び臨床心理学における様々な理論の総称である。 深層心理学の代表的な学派は、ジークムント・フロイトが創始した精神分析学派、フロイト門下の研究者でもあったカール・グスタフ・ユングが創始した分析心理学派、そしてアルフレッド・アドラーが発展させた個人心理学( Individualpsychologie )派である。.

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清水寺

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。.

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澁澤龍彦

澁澤 龍彥『彥』[U+5F65]は「偐」の旁部分(「彦」の旧字体)。数値文字参照:(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、フランス文学者、評論家。 別名のペンネームに澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.などがある。晩年の号に呑珠庵、無聲道人がある。旧字を新字に直す慣例のある出版界でも珍しく、いまだに名前の漢字全てが旧字体のまま出版されているが、澁澤自身は生前自らの名前が「竜」の字で代用されるのを嫌っており、「私は署名をするときにも、竜彦などとは間違っても書かない。(略)これはタツではなくて、尻尾の生えたカメみたいではないか」(『記憶の遠近法』所収「ドラゴン雑感」)と記している。.

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末那識

末那識(まなしき、)とは、大乗仏教の唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である。 末那識を「意」と訳す。「意」は思量の意味であり、この識は常に第八識の見分を縁じて、我である、法である、と思量するから末那と言われる。また、末那識とは末那即識(意それ自体が第七識)のことで、第六意識(意に依る識)と区別する為に、manas マナスのまま音写していう。つまり第六識も「意識」というので、その違いは、意識は意によって生じる識であるから意識という。依主釈。末那識は持業釈である。 我法二執の根本である。八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。 第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)であるとされる。 一説では、この識を因縁識といい、過去の事象が潜在する識といい、悪念の集結潜在力(障碍作用)の依所といわれる。 まなしき まなしき.

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成唯識論

『成唯識論』(じょうゆいしきろん、Vijñapti-mātratā-siddhi, ヴィジュナプティ・マートラター・シッディ)は、法相宗(唯識宗)が所依とする論典の一つ。10巻からなる。 「ヴィジュナプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)とは「唯識」、「シッディ」(悉地, siddhi)とは「成就」、総じて「唯識による(悟りの)成就(についての論)」の意。 世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典。 日本へも早くに伝わり、長く唯識の教学として研究された。近年新しい訳解説が刊行されている。.

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戒賢

戒賢(かいけん、シーラバドラ、Śīlabhadra、529年 - 645年)は、古代インドの僧、唯識派。玄奘の師。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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摂大乗論

『摂大乗論』(攝大乘論、しょうだいじょうろん、Mahāyāna-saṃgraha, マハーヤーナ・サングラハ)は、北インドの大乗仏教の僧侶・無著が5世紀頃に執筆した唯識の論書。 無着までの大乗仏教の教義をまとめたもので、『大乗阿毘達磨経』・『解深密経』・『十地経』・『般若経』が引用されている。中国ではこれを論拠として「摂論宗」が誕生した。.

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摂論宗

摂論宗(しょうろんしゅう)は、中国の仏教宗派。無著『摂大乗論』(真諦訳)及び世親『摂大乗論釈』に基づく。中国十三宗の一つ。.

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悟り

悟り(さとり、bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。.

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意志と表象としての世界

『意志と表象としての世界』(いしとひょうしょうとしてのせかい、Die Welt als Wille und Vorstellung)は、1819年に公刊されたドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの著書。.

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意識

意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。 ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。哲学、心理学、生物学、医学、宗教、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。 日本語では、「ある物事について要求される注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に、意識が高い(または低い)といった言い方が許される。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。このような用法は遵法意識、コスト意識、プロ意識、意識調査、意識改革、など様々な表現に見られる。 学術的には、文脈に応じて意識という語は様々な意味で使用される。以下では、哲学、心理学、臨床医学をはじめとするいくつかの分野に分けて、代表的な意味を解説する。.

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思考

思考(しこう、Thinking)は、考えや思いを巡らせる行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す。知的直感を含める場合もあるが、感性や意欲とは区別される。哲学的には思惟(しい、しゆい)と同義だが、大森荘蔵は『知の構築とその呪縛』(p152)にて思考と思惟の差について言及し、思惟とは思考を含みつつ感情なども包括した心の働きと定義している。 論理学分野で研究されてきた思考の定義は定まっておらず『ブリタニア国際大百科事典、第2版改訂』、多様な側面を持つ。心理学分野の研究では、思考とは何らかの思想や問題対処法を立ち上げる心の過程や操作を示し、その対象は問題解決、方略、推理、理解、表象(心像、観念、概念など)知識といった現象を取り扱う『日本大百科全書』。 漢字「思考」の「思」は、「田」が頭蓋骨の意味が転じた「頭脳の活動」、「心」が「精神の活動」を指す。「考」は知恵の意味「老」に終わりなく進む「て」が付属したものである。漢字全体では、頭や心で活動し、知恵を巡らせることを意味する。 思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、知能や生命、さらに社会など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、複雑系を構成する要素として組織的に扱う必要がある。イマヌエル・カントは、近代的な個人の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、公開し、主観を共有する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「未成年状態」と定め、それを脱却するために啓蒙が必要と説いた。したがって、言論の自由とは意思を発表する権利という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた。.

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智鳳

智鳳(ちほう、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて日本で活動した新羅の僧。 703年(大宝3年)に智鸞・智雄などとともに入唐し、慈恩大師基(或いは窺基)の法孫で法相第3祖の濮陽(ぼくよう)大師智周に師事して法相宗を学んだ。 奈良法興寺に住して法相宗を広め、日本における法相宗の第3伝とされる。706年(慶雲3年)藤原不比等が維摩会を復興した折にはその講師をつとめた。 弟子に義淵がいる。 Category:法相宗の僧 Category:飛鳥時代の僧 Category:奈良時代の僧 Category:朝鮮の僧 Category:新羅の人物 Category:渡来人 Category:飛鳥時代の外国人 Category:奈良時代の外国人 Category:前近代の日本の朝鮮人 Category:前近代の朝鮮系日本人 Category:生没年不詳.

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智通

智通(ちつう、生没年不詳)は、飛鳥時代の法相宗の僧。俗姓は湯坐氏。 658年(斉明天皇4年)智達とともに新羅の船で唐に渡り、玄奘から無性衆生義を受けた。日本に帰国して法相宗を伝え、日本における法相宗の第2伝とされている。平城京に観音寺を建立し、673年(天武天皇2年)に僧正に任じられた。.

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