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中観派

索引 中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama) もしくは中道 (madhyamā pratipat) の立場を重んじる中村・2005年 250頁。.

128 関係: 偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース十二門論十住毘婆沙論吐蕃否定神学吉蔵大乗仏教大正新脩大蔵経大智度論天台宗実体安慧寂天密教中国中国の仏教中道中観部 (大正蔵)中論中村元 (哲学者)常見市井三郎三論宗平安時代二諦五位仏護仏教学形而上学 (アリストテレス)ナーランダ大学チベットチベット仏教ハリバドラバートランド・ラッセルヤージュニャヴァルキヤラーフラバドラリグ・ヴェーダヴィムクティセーナヴィクラマシーラ大学ヘラクレイトスプラジュニャーカラマティパドマサンバヴァツォンカパティソン・デツェンニヒリズムダルマパーラ善勇猛般若経アリストテレスアートマンアティーシャ...インドイデアウパニシャッドエレア派オルガノンカマラシーラグゲ王国ゲルク派シャーンタラクシタジュニャーナガルバソクラテスサムイェー寺サムイェー寺の宗論サンスクリット勝義諦因縁四向四果四諦神秘主義秘密集会タントラ空 (仏教)縁起義浄経量部瑜伽師地論瑜伽行中観派瑜伽行唯識学派無上瑜伽タントラ無我百論道教説一切有部論 (仏教)鳩摩羅什龍樹部派仏教般若経阿毘達磨阿毘達磨倶舎論釈迦陳那提婆 (僧)法称涅槃清弁月称成実論浄土教斎藤明 (仏教学者)断見新プラトン主義方便施設 (仏教用語)摩訶衍慧灌慧文智ギ1054年150年170年250年270年480年490年540年570年650年700年725年740年760年784年794年800年982年 インデックスを展開 (78 もっと) »

偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース

偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース(ぎ-、Ψευδο-Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)、または偽ディオニュシウス・アレオパギタ(Pseudo-Dionysius Areopagita)は、5-6世紀ごろの(おそらく)シリアの神学者。偽ディオニュシオスとも略称される。 『ディオニュシオス文書』(Corpus Dionysiacum)と呼ばれる一連の神学的文献群の著者と同定されている人物である。この文献群は、元々は『使徒行伝』(17:34)に一度だけ登場するアテナイのアレオパゴス評議所の評議員である「アレオパゴスのディオニュシオス」(すなわち、ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース(Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)、ディオニュシウス・アレオパギタ(Dionysius Areopagita))の手によるものと長年信じられてきたが、15世紀以降、その文書群が後世の別人によるものだと判明したため、著者の区別をつけるため、「偽」(ぎ、Ψευδο, Pseudo)という接頭辞をつけて呼ばれるようになった。19世紀末までに、その成立年代は485年から531年の間と特定された。 現代ギリシャ語読みで偽ディオニシオス・オ・アレオパギティスともいう。日本正教会ではディオニシイ・アレオパギト。.

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十二門論

『十二門論』(じゅうにもんろん、Dvādaśanikāya Śāstra, ドヴァーダシャ・ニカーヤ・シャーストラ)とは、龍樹が著したとされる仏教論書の一つである。『中論』『百論』と共に、三論宗の所依の一つ。 空観思想が十二章にわけて論じられる。.

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十住毘婆沙論

『十住毘婆沙論』(じゅうじゅうびばしゃろん、Daśa-bhūmika-vibhāśa-śāstra, ダシャ・ブーミカ・ヴィバーシャ・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖・龍樹による、(『華厳経』の「十地品」としても知られる)『十地経』(Daśa-bhūmika Sūtra)に対する註釈書。全17巻。 原題は、「ダシャ・ブーミカ」が「菩薩の十の修行位階(十地・十住)」(ここではそれについての経である『十地経』のこと)、「ヴィバーシャ」(vibhāśa)は「註釈・解説」、「シャーストラ」(śāstra)は「論・書」、総じて「菩薩の十の修行位階(についての経である『十地経』)についての注釈書」の意。.

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吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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否定神学

否定神学(ひていしんがく、ギリシア語 apophatike theologia)とは、キリスト教神学において、神を論ずる際に使われた方法論の一つ。ラテン語では via negativa 否定の道 とも呼ぶ。.

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吉蔵

吉蔵(きちぞう、549年 - 623年)は、中国六朝時代末から唐初期にかけての僧。俗姓は安氏で、先祖は安息国の人である。金陵(江蘇省南京市)の出身。嘉祥大師とも言う。.

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大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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大正新脩大蔵経

大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した、民間人の手による、「漢訳仏典の総集」とも言える大蔵経である。大正大蔵経、大正蔵とも。 プロデューサー(編纂責任者)は、高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙(おの げんみょう、1883-1939年、浄土宗僧侶)の3名。当時の仏教関係の大学研究者が一致協力し、校訂作業に当たった。 出版・刊行は、大蔵出版が担っており、この出版社からは、大正蔵を底本として新たな学術研究の成果を踏まえた現代日本語訳の大蔵経である『新国訳大蔵経』も、1990年代から刊行中である。大正蔵を底本とした日本語訳の大蔵経としては、他には、大東出版社から「印度撰述部155巻」と「和漢撰述部100巻」が刊行されている、より文量・翻訳量が多く網羅性が高い『国訳一切経』がある。(なお、その他の日本語訳大蔵経としては、日本の各宗派の需要が高い仏典だけに的を絞った、比較的小部の『国訳大蔵経』『昭和新纂国訳大蔵経』などがある。).

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大智度論

『大智度論』(だいちどろん、Mahā-prajñāpāramitā-śāstra, マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ)は、大乗仏教中観派の祖である龍樹による、『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経、Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)に対する、百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による(402-405年、大正蔵No.1509)。 題名の「智度」(ちど)とは、「六度」(六波羅蜜)の内の「智慧波羅蜜」、「般若波羅蜜」(prajñāpāramitā)のこと。「智」は「智慧」すなわち「般若」の、「度」は「渡」と同じで「彼岸に渡ること」すなわち「波羅蜜」の意訳である。。つまり、「大-智度」とは「摩訶-般若波羅蜜(Mahā-prajñāpāramitā)」(経)の意訳であり、「大智度論」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)という題名は、そのまま「『摩訶般若波羅蜜経』(Mahā-prajñāpāramitā Sūtra)についての論」の意である。 以上のごとく、『大智度論』という意訳的な漢訳題名は直感的に分かりづらいので、より原題に素直に『摩訶般若波羅蜜経釈論』『摩訶般若釈論』の名で呼ばれたりもする。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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実体

実体(じったい)は、古代ギリシアから使われている古典的な哲学用語。真に実在するもの。IT分野では、エンティティと呼ばれることもある。また、化学では、「分子実体」(molecular entity)などと使用され、原子、分子、イオン、イオンペア、ラジカル、ラジカルイオン、錯体などを指す総称として使われる.

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安慧

安慧(あんね、Sthiramati 、 470‐550年頃もしくは 510‐570年頃)は、大乗仏教の僧。南インド出身で瑜伽行派に所属した。堅慧(けんね)とも訳される。 唯識派の唯識十大論師の一人。 徳慧(とくえ、Guṇamati)の弟子あるいは後輩。無相唯識の学説で知られ、 護法の有相唯識と対立する。.

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寂天

寂天(じゃくてん、Śāntideva, シャーンティデーヴァ、650年-700年頃)とは、南インド出身のインド仏教中観派の僧侶。 プトゥンの『仏教史』によると、南インドの王族の出身で、父王の死に際して出家を決意し、ナーランダー大僧院で学んだ - 斎藤明。 その著作である『入菩提行論』は、インド後期仏教、及びチベット仏教に多大な影響を与えた。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国の仏教

中国の仏教(ちゅうごくのぶっきょう)では、中国地域の仏教の歴史について詳述する。.

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中道

仏教用語としての中道(ちゅうどう、Madhyamā-pratipad, マディヤマー・プラティパッド、Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー)は、2つのものの対立を離れていること。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。。中行、中路あるいは単に中ともいう。 中道の語は仏教において広く重んじられているため、その意味には浅深があるが、各宗がその教理の核心を中道の語で表す点は一致する総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。。.

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中観部 (大正蔵)

中観部(ちゅうがんぶ)とは、大正新脩大蔵経において、大乗仏教「中観派」の論書や、それに関連した論など「中観思想」に関する書籍をまとめた領域のこと。 『中論』『順中論』『般若燈論釈』『十二門論』『百論』などが含まれる。 第14番目の部であり、収録されている経典ナンバーは1564から1578まで。巻数では30巻(前半)に相当する。.

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中論

『中論』(ちゅうろん)、正式名称『根本中頌』(こんぽんちゅうじゅ、Mūlamadhyamaka-kārikā, ムーラマディヤマカ・カーリカー)は、初期大乗仏教の僧・龍樹(ナーガールジュナ)の著作である。インド中観派、中国三論宗、さらにチベット仏教の依用する重要な論書である。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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常見

常見(じょうけん)とは、仏教用語で、「アートマン(自我:霊魂)」は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間やアートマン(梵我)が永遠に存続すると主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるが、死後もこの世界においてアートマンという固定の実体が不滅で永続するものであると肯定する見解をいう。『長部』では「我と世界は常住である。死後山頂の如く不動で石柱の如く固定したものである」などと述べている。 常見の反対語は、断見といい、この世は有限で永遠のものではないという見方であるが、仏教では中道や無記を説き、両方の偏った見方に依らない、不断不常の中道を宗旨とした。 なお、大乗仏教の教義が発展すると、不断不常の中道から、対立する見解とは違う次元で、如来我すなわち仏性の常住を説くようになった。.

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市井三郎

市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月18日 - 1989年(平成元年)6月28日)は、日本の哲学者。.

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三論宗

三論宗(さんろんしゅう)は、中国・東アジアの大乗仏教宗派の1つで、インド中観派の龍樹の『中論』『十二門論』、その弟子提婆の『百論』を合わせた「三論」を所依の経典とする論宗である。空を唱える事から、空宗とも言う。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。日本仏教における三論宗は、南都六宗の一つ。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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二諦

二諦(にたい、satya-dvaya, サティヤ・ドヴァヤ, dve satye)とは、仏教において真諦と俗諦のこと。真諦と俗諦をあわせて真俗二諦という総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。。 真諦は勝義諦や第一義諦ともいって出世間的真理を指し、俗諦は世俗諦や世諦ともいって世間的真理を指す。ただし、真諦および俗諦の意味は緒経論において種々であり、二諦が何を指すかについても後述のとおり諸説がある。.

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五位

五位(ごい)とは、仏教においてあらゆる事象を5種類の範疇(カテゴリー)に分類して、人間の精神や物質など全ての現象の要素(法、もしくは ダルマ)をまとめたもの。五法(ごほう)・五品(ごほん)などとも。.

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仏護

仏護(ぶつご、Buddhapālita, ブッダパーリタ、470年‐540年頃 - コトバンク/世界大百科事典)とは、南インド出身のインド仏教中観派の僧侶。 同時代の清弁と共に龍樹の思想を学び、中期中観派の草分けとなった。 清弁が唯識派に対抗するために自派の主張の自立的論証(スヴァタントラ)を志向したのに対して、仏護は龍樹の姿勢に倣って、相手の主張に対する帰謬的否定(プラサンガ)の姿勢を堅持した。こうして中観派は中期以降、清弁を祖とする「自立派」(スヴァータントリカ)と仏護を祖とする「帰謬派」(プラーサンギカ)に分裂することになる。.

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仏教学

仏教学 (Buddhist Studies)は、仏教を研究対象とする学問分野。狭義的には近代仏教学以降を指す。.

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形而上学 (アリストテレス)

『形而上学』(けいじじょうがく、Μεταφυσικά, Metaphysica, Metaphysics)は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる形而上学の古典的な研究である。 原題は『自然学的なるものの後に来るもの』、『自然学諸書の後に来る書』の意であった。.

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ナーランダ大学

ナーランダ大学(ナーランダだいがく、、 ナーランダー大学)は、インドビハール州、ナーランダ()中部にある427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点であり、後期以降はヴィクラマシーラ大学()等と共に、インド仏教が終幕を迎えるまでそれを支えた。ナーランダ僧院(ナーランダー僧院)、ナーランダ大僧院(ナーランダー大僧院)、那爛陀寺とも。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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ハリバドラ

ハリバドラ(Haribhadra, 獅子賢)とは、インド仏教中観派の僧侶。なお、ジャイナ教にも同名の論理学者がいるが、別人である。 唯識派の祖であるマイトレーヤ(弥勒)の著とされる『現観荘厳論』を、中観派の立場から註釈したことで知られる - コトバンク/世界大百科事典。 チベット仏教では、シャーンタラクシタ(寂護)の弟子の1人とみなされたり、『秘密集会タントラ』の解釈・実践の二大流派の1つである「ジュニャーナパーダ流」の創始者ジュニャーナパーダの師とみなされたりもする。.

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バートランド・ラッセル

3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。.

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ヤージュニャヴァルキヤ

ヤージュニャヴァルキヤが『ブラフマン』をジャナカ王に説く場面 ヤージュニャヴァルキヤ()は、インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される古代インドの哲人。およそ紀元前750~前700年の人物。生没年不詳。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として著名である。太陽神から授けられたという白ヤジュル・ヴェーダの創始者でヨーガ哲学の元祖ともいわれる。王仙ジャナカと共に後の仏陀の思想、仏教の道を用意したという説もある。.

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ラーフラバドラ

ラーフラバドラ(Rāhulabhadra、羅睺羅、羅睺羅跋陀羅、200-300年頃)は、3世紀頃のインドの思想家。龍樹を祖とする中観派に属する提婆(アーリヤデーヴァ)の後継者。なお、龍樹の師であったとする異説もある。釈迦の子のラーフラとは別人。.

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リグ・ヴェーダ

リグ・ヴェーダ 『リグ・ヴェーダ』(ऋग्वेद ṛgveda, Rigveda)は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語(Vedic Sanskrit)で書かれている。全10巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。.

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ヴィムクティセーナ

ヴィムクティセーナ(Vimuktisena、解脱軍)、あるいはアーリヤ・ヴィムクティセーナ(Ārya Vimuktisena、聖解脱軍)とは、インド仏教中観派の僧侶。 唯識派の祖であるマイトレーヤ(弥勒)の著とされる『現観荘厳論』を、中観派の立場から註釈したことで知られる。.

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ヴィクラマシーラ大学

ヴィクラマシーラ大学(ヴィクラマシーラだいがく、Vikramaśīla University)とは、現在のインドビハール州東部に存在した大学。西方のビハール州中部にあったナーランダー大学と共に、後期インド仏教の主要な拠点となった。ヴィクラマシーラ僧院、ヴィクラマシーラ大僧院、超岩寺、超戒寺とも。.

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ヘラクレイトス

ミケランジェロといわれている。 ヘラクレイトス(Ἡράκλειτος, Hērakleitos、 紀元前540年頃 - 紀元前480年頃?)は、ギリシア人の哲学者、自然哲学者。.

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プラジュニャーカラマティ

プラジュニャーカラマティ(Prajñākaramati、950年-1030年頃)とは、インド仏教中観派の僧侶。 シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩提行論』に対する註釈(pañjikā, パンジカー、細疏)を著したことで知られる。.

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パドマサンバヴァ

パドマサンバヴァ(インド レワルサール湖) パドマサンバヴァ(インド クル近郊) パドマサンバヴァ(梵: पद्मसंभव 漢訳:蓮華生、པདྨ་འབྱུང་གནས།、、8世紀後半頃)はチベットに密教をもたらした人物。チベットやブータンではグル・リンポチェ()として知られる。チベット密教の開祖であり、ニンマ・パ(ニンマ派、漢訳;紅教)と呼称される宗派の創始者である。この「ニンマ・パ」とは、チベット語で「古い・宗派」を意味し「古派」とも訳される。これがチベット仏教における最初の宗派であることによる。.

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ツォンカパ

ツォンカパ( 、1357年 - 1419年)はチベット仏教最大の学僧であり、代々のダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派(黄帽派)の開祖。本名はロサン・タクパ()。アムド地方ツォンカ(湟中・クンブム・チャンパーリン寺(タール寺)の所在地)の地に生まれる。ツォンカパとは「ツォンカ(湟中)の人」という意味で出身地の地名にちなんだ通称である。ツォンカと言う地名の語源は葱()石濱裕美子 の地()であり、人()を加えると「葱畑の人」という意味ともなる。守護尊(イダム)は文殊菩薩とヴァジュラバイラヴァ。.

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ティソン・デツェン

ティソン・デツェン(チベット語:、ワイリー転写:Khri srong lde brtsan、 742年 - 797年金子「ティソン・デツェン」『アジア歴史事典』6巻、413頁/98年デエ『チベット史』、58頁)は、 古代チベット王朝である吐蕃の王(在位:755年/56年デエ『チベット史』、55頁 - 797年/98年)。37代国王ティデ・ツグツェンを父に持ち、ナナム氏族のマンポジェシティンを母とする。 唐で起きた安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し、西域に駐屯する唐軍の弱体化に乗じて勢力を拡大した梅村「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』、130-131頁。 ティソン・デツェンの在位中にチベットの支配領域は最大に達するフランソワーズ・ポマレ『チベット』(今枝由郎監修, 後藤淳一訳, 「知の再発見」双書, 創元社, 2003年12月)、57-60頁。後世には、軍事的功績と神話的な要素が入り混じったティソン・デツェンの伝承が作り出された。 また、ティソン・デツェンの時代にチベットの仏教文化は顕著な発展を見せる。ティソン・デツェンはサムイェー寺の大伽藍を建立し、779年に仏教を国教に制定した山口『チベット』下、30頁。後世の人間はティソン・デツェンをソンツェン・ガンポ、ティツク・デツェン(レルパツェン)と並ぶ仏教王の一人に数えた。.

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ニヒリズム

ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、Nihilism、Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語の nihil (無) に由来する。.

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ダルマパーラ

ダルマパーラ.

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善勇猛般若経

『善勇猛般若経』(ぜんゆうみょうはんにゃきょう、Suvikrāntavikrāmi-paripṛcchā-prajñāpāramitā Sūtra, スヴィクラーンタヴィクラーミ・パリプリッチャー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)とは、大乗仏教の般若経典の1つ。 原題は、「スヴィクラーンタヴィクラーミ」()が「勇敢」を意味する語を重ねた、漢訳で「善勇猛」(ぜんゆうみょう)と訳される菩薩の名で、「パリプリッチャー」()が「問い」、「プラジュニャーパーラミター」()が「般若波羅蜜(智慧の完成)」、「スートラ」()が「経」、総じて「善勇猛菩薩が問う般若波羅蜜(智慧の完成)の経」の意。.

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アリストテレス

アリストテレス(アリストテレース、Ἀριστοτέλης - 、Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。 アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア()と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている立花隆『脳を究める』(2001年3月1日 朝日文庫)。 名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から 。.

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アートマン

アートマン(आत्मन् Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。.

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アティーシャ

アティーシャ(Atīśa、蔵: 〈アティシャ〉、অতীশ দীপঙ্কর、982年 - 1054年) は主にチベットで活躍したインド・ヴィクラマシーラ大学僧院長の仏教僧。本名は月蔵、法名は燃灯吉祥智(Dīpaṃkaraśrījñāna、)。サキャ派のコンチョ・ギェルポ、カギュ派のマルパと共にランダルマ王以降衰退していた中央チベット仏教の中興の祖の一人である。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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イデア

イデア(ιδέα、idea)とは、.

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ウパニシャッド

ウパニシャッド(उपनिषद्)は、サンスクリットで書かれたヴェーダの関連書物。一般には奥義書と訳される。.

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エレア派

レア派は南イタリア(マグナ・グラエキア)のルカニアのギリシア植民地エレア(現在のサレルノ県のヴェリア Velia)における、前ソクラテス期の哲学の学派である。.

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オルガノン

『オルガノン』(、)は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスにより執筆された論理学に関する著作群の総称。.

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カマラシーラ

マラシーラ(Kamalaśīla、ཀ་མ་ལ་ཤཱི་ལ།、漢訳: 蓮華戒)は、インド仏教における瑜伽行中観派の僧侶。チベット仏教の始祖であるシャーンタラクシタ(寂護)の弟子。.

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グゲ王国

王国または古格王国(チベット語:གུ་གེ་རྒྱལ་རབས)(842年 - 1630年)は、吐蕃の王族の一部が西チベットで建国した王国。.

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ゲルク派

ルク派はチベット仏教4大宗派の1つで、ツォンカパの開いた宗派である。ガンデン寺を総本山とする。ダライ・ラマ、パンチェン・ラマもこの宗派に所属している。.

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シャーンタラクシタ

ャーンタラクシタを描いた19世紀の絵画 シャーンタラクシタ(Śāntarakṣita、蔵: 、?-787年頃、漢訳名:寂護、じゃくご)は、ナーランダ大僧院に所属していたインドの大乗仏教・中観派の僧.

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ジュニャーナガルバ

ュニャーナガルバ(Jñānagarbha、智蔵)とは、インド仏教中観派の僧侶。 後期中観派の草分け的存在であり、清弁に始まる自立論証派(スヴァータントリカ)に属する。 著書としては『二諦分別論』などがある。.

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ソクラテス

ラテス(希:Σωκράτης、ラテン語:Socrates、紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は、古代ギリシアの哲学者である。長母音を発音するならソークラテース。妻は、悪妻として知られる、クサンティッペ。 ソクラテス自身は著述を行っていないので、その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。.

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サムイェー寺

ムイェー寺(サムイェ寺、サムエ寺、チベット語:བསམ་ཡས bsam yas、中国語:桑耶寺)はチベットに建立された最初の仏教僧院。.

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サムイェー寺の宗論

ムイェー寺の宗論(さむいぇーじのしゅうろん、サムイェーの宗論、サムイェー宗論)は、8世紀末のチベット・サムイェー寺を舞台に行なわれた、インド仏教と中国仏教の間の宗教論争。この論争の結果、インド仏教が勝利を収め、以後のチベット仏教の方向性を決定づけたとされる。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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勝義諦

勝義諦(しょうぎたい、とは、仏教において、言葉を超え、世俗・世間の判断を超えた究極的な最高の真理のこと。仏教の目ざす悟り、すなわち涅槃を指す。真諦ともいう。.

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因縁

因縁(いんねん、hetu-pratyaya)とは、仏教において因と縁のこと総合仏教大辞典編集委員会・1988年 70頁。。縁因ともいう。狭義には、結果(果)を生じさせる内的な直接の原因を因(内因)といい、外からそれを助ける間接の原因を縁(外縁)というが、広義では、その両方を合わせて因とも縁ともいう総合仏教大辞典編集委員会・1988年 64-65頁。。.

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四向四果

四向四果 (しこうしか)とは、原始仏教や部派仏教における修行の階位のことであり、預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果のこと。四双八輩ともいう。果とは、到達した境地のことであり、向は特定の果に向かう段階のことである。 原始仏教・部派仏教では、阿羅漢果は修行者の到達しうる最高位であり、それ以上に学ぶ必要が無いので阿羅漢果を無学位といい、阿羅漢果に達した者を無学という。四向四果のうちで阿羅漢果未満の預流果・一来果・不還果を有学位といい、阿羅漢果未満の聖者(七輩)を有学という。.

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四諦

四諦(したい、catur-ārya-satya, チャトゥル・アーリヤ・サティヤ)または四聖諦(ししょうたい、cattāri ariya-saccāni, チャッターリ・アリヤ・サッチャーニ、4つの・聖なる・真理(諦))とは、仏教が説く4種の基本的な真理中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、680頁。中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、670頁。。苦諦、集諦、滅諦、道諦のこと。四真諦総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、550-551頁。や苦集滅道ともいう。諦とはsatyaおよびsaccaの訳で、真理・真実の意。.

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神秘主義

主義(しんぴしゅぎ、)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のことである。.

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禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である禅宗(ぜんしゅう)の略、もしくは、サンスクリット語の dhyāna (ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である『広辞苑』「禅」。また坐禅(座禅)の略としての意もある。本項では宗派についての禅宗について述べる。.

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秘密集会タントラ

『秘密集会タントラ』(ひみつしゅうえタントラ。Guhyasamāja tantra、グヒヤサマージャ・タントラ)とは、仏教の後期密教経典群、いわゆる無上瑜伽タントラに分類される経典の一つである。.

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空 (仏教)

仏教における空(くう、śūnya またはśūnyatā 、suññatā )とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である。.

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縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。 種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。.

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義浄

義浄(ぎじょう、635年(貞観9年) - 713年(先天2年))は唐の僧。.

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経量部

経量部(きょうりょうぶ、, サウトラーンティカ、, スッタヴァーダ、音写:僧迦蘭提迦)は、部派仏教の一派である。説一切有部から分派した。3世紀末に (鳩摩羅駄) によって開かれ、4世紀になってシュリーラータ (室利羅多) によって盛んになった。 ナーランダー大僧院で仏教の学的探求が盛んになった時代に勢力を持っていたため、同時代の説一切有部、及び大乗仏教の中観派・唯識派と共に、「インド仏教4大学派」の1つに数えられたりもする。 説一切有部が論(アビダルマ)を重んじたのに対して、経典を重んじて基準(量)としたため、「経量」部と呼ばれた。.

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瑜伽師地論

『瑜伽師地論』(ゆがしじろん、Yogācārabhūmi-śāstra, ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ)は、大乗仏教唯識派の重要な文献。.

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瑜伽行中観派

伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは、)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えた。 なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」(Sautrāntika-Mādhyamaka)と呼ばれたりもした。.

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瑜伽行唯識学派

伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。.

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無(む、无)とは、否定を一般化した表現。対義語は有。「定義されていない(未定義)」事とは意味合いが異なる場合がある。.

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無上瑜伽タントラ

無上瑜伽タントラ(むじょうゆがタントラ 、Anuttarayoga-tantra、蔵:、無上ヨーガ・タントラ)とは、8世紀後半以降に作られたインド後期密教経典群のチベット仏教における総称。.

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無我

仏教用語の無我(むが)とは、anattā(アナッター)、(アナートマン)(nir-ātman, ニル・アートマン)に由来し、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。非我とも訳される。無我は仏教の根本教条であり、三法印と四法印の1つ。 我(が)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という。 無我には人無我と法無我がある。人無我とは、有情は五取蘊が仮に和合したものに他ならないから、実体的な生命の主体というようなものは無いということ。法無我とは、あらゆるものは因縁によって仮に成り立っているものであるから、そのものに本来的に固有な独自の本性(自性)は無いということ。.

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百論

『百論』(ひゃくろん、Śata śāstra, シャタ・シャーストラ)とは、提婆によって書かれたとされる仏教論書である。『中論』『十二門論』と並び、三論宗の所依の一つ。 龍樹の『中論』を受ける形で、他派の論を百種の偈を以て斥ける構成。.

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道教

道教(どうきょう、)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある横手(2008)、p.001-008、中国史の中の道教。.

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説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvāda)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の分別説部と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 「あらゆる現象」(諸法、dharmā)を構成する基体として、有法、法体(ダルマ、dharma)を想定し、主観的な我(人我)は空だが客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。.

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諦(たい、सत्य, satya、サティヤ、とは、仏教真理や悟りを意味する語。.

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論 (仏教)

論(ろん)は、仏教の教説を解説した書物の総称。論書とも。本来はアビダルマの漢訳語であり、経・律・論のひとつとして、狭義にはこれを指すが、漢訳圏の大乗仏教ではアビダルマだけでなく、教学の綱要書や、経典あるいはアビダルマへの注釈の形を取った思想書などをまとめて論書として扱う。.

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鳩摩羅什

鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、、クマーラジーヴァ、344年 - 413年「世界大百科事典 第2版」2006年 平凡社、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ県)出身の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である井波律子(編集)「中国史重要人物101」2005年 新書館 ISBN 4403250203。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。 漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。.

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龍樹

龍樹(りゅうじゅ、、、、、、)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナの漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、日本では、八宗の祖師と称されることがある。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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般若経

般若経(はんにゃきょう、梵:Prajñāpāramitā sūtra, プラジュニャーパーラミター・スートラ)は、般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く大乗仏教経典群の総称。 最も早く成立した最初の大乗仏教経典群とされ一般の用語としては、 - 日本大百科全書/コトバンクなど。前項日本語訳書の解説、解題に詳しい。、紀元前後に成立した『八千頌般若経』を最初期のものとする説が多いが、その後数百年に渡って様々な「般若経」が編纂され、また増広が繰り返された。 中国では下記するように各時代ごとに経典が持ち込まれ翻訳がなされてきたが、唐の玄奘が西域から関連経典群を持ち帰って漢訳し、集大成したとされるのが『大般若波羅蜜多経』600余巻(660-663年)であり、これを指して般若経と言うことも多い。 一般に空を説く経典とされているが、同時に呪術的な面も色濃く持っており、密教経典群への橋渡しとしての役割を無視することはできない。.

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阿毘達磨

阿毘達磨(あびだつま、Abhidhamma, アビダンマ、Abhidharma अभिधर्म, アビダルマ、音写:阿毘曇(あびどん)、毘曇(びどん)、阿鼻達磨)とは、仏教の教説(具体的には経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およびそれらの解説書・注釈書のこと。大法、無比法、対法と漢訳する。解説書・注釈書は論書といい、これらをまとめたものを「論蔵」と呼ぶ。.

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阿毘達磨倶舎論

『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者とするインドの仏教論書である。4〜5世紀頃の成立。サンスクリット本の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』(梵: Abhidharma-kośa-bhāṣyaAbhidharma-kośa-bhāṣyaを略してAKBh と表記することも。)単に『アビダルマ・コーシャ』(梵: Abhidharma-kośa)と呼称することも。。漢訳の際にアビダルマは「阿毘達磨」(あびだつま)、コーシャは「倶舎」(くしゃ)と音写された。 説一切有部の教義は、カーティヤーヤニープトラ(迦多衍尼子)の『ジュニャーナプラスターナ』(Jñānaprasthāna, 発智論)玄奘による『ジュニャーナプラスターナ』の漢訳は、によって確立する三枝充悳 『世親』P.91 II-1『倶舎論』における思想「概説」。この『ジュニャーナプラスターナ』を注釈した論書に『マハー・ヴィバーシャー』(『大毘婆沙論』)玄奘による『マハー・ヴィバーシャー』の漢訳は、がある。倶舎論は『大毘婆沙論』の厖大な内容厖大な内容 - 玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』は全200巻。を巧妙に収め説明している『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」。説一切有部の教理の行きすぎた点を経量部の立場より批判した点に特色がある。漢訳とチベット訳があり、漢訳本は真諦による『阿毘達磨倶舍釋論』22巻婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)と、玄奘による『阿毘達磨倶舍論』世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)30巻である。サンスクリット本と玄奘訳は『倶舎論』と略称され、真諦訳は『倶舎釈論』と略称される。なお、漢訳本の正式な原題表記は『阿毘達磨倶舍論』・『阿毘達磨倶舍釋論』である。 研究には玄奘訳がもちいられる。サンスクリット本が発見されてからは、漢訳に依らない原典からの研究もおこなわれている。.

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釈迦

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。.

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陳那

陳那(じんな、ちんな、दिग्नाग, Dignāga, ディグナーガ、480年頃-540年頃)は、唯識の立場からの新しい仏教論理学(.

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提婆 (僧)

提婆(だいば、聖提婆(しょうだいば)、Āryadeva アーリヤデーヴァ、170-270年頃)とは、大乗仏教・中観派の僧。龍樹の弟子で、主著は『百論』、『四百論』。.

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法称

法称 法称(ほっしょう、 〈ダルマキールティ〉)は、7世紀中葉のインド仏教最大の知識論の学問僧。唯識派に分類される。デカン地方の出身とされるが、生没年は不詳である。活動期は、インドに留学した玄奘と義浄との中間にあたる。.

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涅槃

涅槃図(19世紀) 涅槃(ねはん、(ニルヴァーナ)、(ニッバーナ))とは、仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと。涅槃は、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる。般涅槃(はつねはん)や大般涅槃ともいう。この世に人として現れた仏の肉体の死を指すこともある。仏教以外の教えにも涅槃を説くものがあるが、仏教の涅槃とは異なる。.

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清弁

清弁 清弁(しょうべん、Bhāviveka, バーヴィヴェーカ、Bhavya, バヴィヤ、Bhāvaviveka, バーヴァヴィヴェーカ)は、490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である。 唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。 チベット仏教の教学においては、この月称による批判をもって中観派は自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする。.

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月称

月称 月称(げっしょう、Candrakīrti, チャンドラキールティ)は、7世紀のインド仏教の中観派の思想家・注釈家である。.

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成実論

『成実論』(じょうじつろん、Satyasiddhi-śāstra, Tattvasiddhi-śāstra)は、訶梨跋摩(かりばつま、Harivarman, ハリヴァルマン)によって著された、16巻の仏教論書である。.

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浄土教

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.

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斎藤明 (仏教学者)

斎藤 明(さいとう あきら、1950年- )は、日本の仏教学者、東京大学名誉教授・国際仏教学大学院大学教授、日本印度学仏教学会理事長。.

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断見

断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解のこと。反対語は常見(じょうけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその果報を無視し否定する見解をいう。『長部』では「肉体は壊れることにより断滅し、死後は存在しない」と述べている。 断見の反対語は常見といい、この世は永遠で不滅であるという見方であるが、仏教では中道や無記を説き、両方の偏った見方に依らない、不断不常の中道を宗旨とした。 なお、大乗仏教の教義が発展すると、不断不常の中道から、対立する見解とは違う次元で如来我すなわち仏性の常住を説くようになった。.

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新プラトン主義

新プラトン主義(Neoplatonism)は、後3世紀に成立し、西洋古代哲学の掉尾を飾った潮流である。始祖とされるプロティノス(3世紀)は、プラトンのイデア論を徹底させ、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉えた。ネオプラトニズムとも。 「新プラトン主義」(Neuplatonismus)は18世紀のドイツで生まれた造語が19世紀に入ってから定着した近代の用語であり、シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって確立した概念である。多くの場合、時代的に新しいプラトン主義であるというだけでなく、いくつかの面でプラトン思想とは異なる特徴を呈しており、本来のそれからの逸脱である、という含みをもって用いられる。.

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方便

方便(ほうべん)には、次の3つの意味がある。.

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施設 (仏教用語)

施設(せせつ、prajñapti, プラジュニャプティ、paññatti, パンニャッティ)とは、仏教で「仮の指定・設定」といった原義の語であり、「概念」を意味する語。仮設・仮説(けせつ)、説仮(せつけ)、仮名(けみょう)等とも。 下述するように、仏教では、ギリシア哲学(例えば、プラトンの『クラテュロス』の議論や、ユークリッドの『原論』における定義のあり方など)にも見られるように、言葉や概念は、社会的・世俗的な約束事として、仮に設定しているものに過ぎないという発想が、少なくとも部派仏教の段階では既に確立していた。そしてこれは、「二諦論」における片方の「世俗諦」(世俗・人間社会の真理)とも結合したものでもあり、仏教が主張する「世界の実相」としての「勝義諦」(真諦)と、対を成すものでもあった。.

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摩訶衍

摩訶衍(まかえん、蔵:)は、8世紀の唐の仏教僧の名で、招聘されて禅を吐蕃(チベット)に伝えた。 786年(貞元2年)、敦煌陥落の頃、ティソン・デツェン王は吐蕃に、この禅僧の摩訶衍(マハーヤーナ)を呼んで布教させた。 吐蕃でインド仏教系の僧は、シャーンタラクシタ(寂護、? - 787年)亡きあと、禅の教義に疑義を示し、文書による論争を重ね、禁教にいたらせた。 摩訶衍は無念・無想・無作意による悟得の教義を説いて791年には皇后(沒盧氏)を出家させた。 しかし、禅の信徒の抵抗で794年禁教が解かれた。 王はインドからカマラシーラ(蓮華戒)を呼び、サムエーのチャンチュプ院においてその面前で摩訶衍を論破させ、妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り、インド仏教の正統性が認められ、主導権が確立されたと伝えられる(サムエー宗論、拉薩法諍)。.

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慧灌

慧灌(えかん、生没年不詳)は、飛鳥時代に高句麗から渡来した僧。日本の三論宗の祖。 慧灌は吉蔵に師事して三論教学を学んだ。625年(推古33年)高句麗王の授けにより来日し、三論宗を伝え、勅命により元興寺に住した。同じ年の夏は旱魃となり、その際、三論を講じて僧正に任じられたというが、一説によれば孝徳天皇のときに僧正に任じられたともいう。その後、河内国に井上寺(いかみじ)を建立し、三論宗を広めた。その後、福亮や智蔵に受け継がれ、智蔵は入唐し、三論教学を学び、法隆寺に住した。その後、道慈に受け継がれ、道慈は入唐し、三論教学を学び、大安寺に住した。 Category:朝鮮の僧 Category:高句麗の人物 Category:飛鳥時代の僧 Category:飛鳥時代の外国人 Category:渡来人 Category:前近代の日本の朝鮮人 Category:前近代の朝鮮系日本人 Category:生没年不詳.

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慧文

慧文(えもん、慧聞)は、中国南北朝時代の北斉の仏教僧侶(禅師)。天台宗の初祖(開祖)龍樹を初祖(開祖)とする場合は、慧文は第2祖となる。。 弟子である慧思の弟子、すなわち慧文から見て孫弟子に当たる智顗が天台宗を確立したため、遡って慧文が初祖とされる。 鳩摩羅什が漢訳した『中論』等の龍樹の著作を所依として禅観につとめ、「一心三観」を悟った。.

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智ギ

智(ちぎ、、538年 - 597年) は、中国の南北朝時代から隋にかけての僧侶。天台教学の大成者であり、天台宗の開祖であるが、慧文、慧思に次いで第三祖ともされている(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)南直哉 『賭ける仏教』 春秋社、2011年7月、256頁。。天台大師、智者大師ともいう。.

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1054年

記載なし。

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150年

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170年

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250年

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270年

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480年

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490年

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540年

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570年

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650年

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700年

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725年

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740年

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760年

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784年

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794年

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800年

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982年

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