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無著

索引 無著

無著(無着 むじゃく / むぢゃくAsaṅga アサンガ)は、インドの大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳だが、310 - 390年ころの人とされる。.

25 関係: 大乗仏教世親弥勒 (曖昧さ回避)弥勒菩薩化地部ペシャーワルバラモンアヨーディヤーインドガンダーラ唯識出家瞑想空 (仏教)瑜伽師地論瑜伽行唯識学派韻文説一切有部部派仏教興福寺臨済宗摂大乗論散文310年390年

大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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世親

世親(せしん、वसुबन्धु vasubandhu)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。.

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弥勒 (曖昧さ回避)

弥勒(みろく).

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弥勒菩薩

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、maitreya(マイトレーヤ)、metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人であり、弥勒は仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。 弥勒は音写であり、「慈しみ」(maitrī, mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。 三昧耶形は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)はयु(yu)。.

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化地部

化地部(けじぶ、Mahīśāsaka, マヒーシャーサカ)とは、仏教の上座部の一派。説一切有部から派生したとする説と、逆に説一切有部を派生したという説に分かれる。 北伝大乗仏教に伝わる律の1つである『五分律』は、この化地部の律とされる。.

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ペシャーワル

ペシャーワル(パシュトー語でپېښور、ウルドゥー語でپشاور、アルファベット表記でPeshawar)は、パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州の州都である。また、連邦直轄部族地域(トライバルエリア、FATA)の行政上の中心地である。人口122万人(2007年現在)。 ペシャーワルはペルシャ語で「高地の砦(High Fort)」という意味である。西に50km行けばカイバル峠があり、アフガニスタンとの国境にとても近い。 日本ではペシャワール、ペシャワルとも表記される。.

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バラモン

バラモン階級の人々(インド・カルナータカ州) バラモン(brāhmaṇa、婆羅門)とは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。ブラフミン(brahmin)ともいう。.

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アヨーディヤー

アヨーディヤー (ヒンディー語:अयोध्या、Ayodhyā、英語:Ayodhya、アヨーデャーとも)はインドの古都。ウッタル・プラデーシュ州北部のに位置し、7Km西にファイザーバードの街がある。アヨーディヤとも表記されるが、現地語の名称では最後の音節は長母音である。 アヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷としても知られる。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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ガンダーラ

インド(紀元前6世紀)の十六大国左上の Gandhara がガンダーラ ガンダーラ(Gandhāra、Gāndhāraḥ)は、現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国。北岸に位置し、その東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。 ガンダーラの王国は紀元前6世紀~11世紀の間存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。1021年にガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。イスラム支配下ではラホール、またはカーブルが周辺地域の中心となり、ムガル帝国の支配下ではカーブル州の一部とされた。.

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唯識

唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。.

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出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

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瞑想

瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。 精神科医の安藤治は、現代的視点から瞑想研究を紹介する『瞑想の精神医学』で、「伝統的により高度な意識状態あるいはより高度な健康とされる状態を引き出すため、精神的プロセスを整えることを目的とする注意の意識的訓練のことであるが、現代においてはリラクセーションを目的としたり、ある種の心理的治療を目的として行われることもある。」と定義している安藤治 著 『瞑想の精神医学 トランスパーソナル精神医学序説』 春秋社、2003年。「通常の意識状態、通常の健康よりも優れた」という価値の設定は、現在一般に認められている科学的世界観をはみ出しており、こういった価値付与を避けて、瞑想を「変性意識状態」として位置付ける見方もある。.

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空 (仏教)

仏教における空(くう、śūnya またはśūnyatā 、suññatā )とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である。.

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瑜伽師地論

『瑜伽師地論』(ゆがしじろん、Yogācārabhūmi-śāstra, ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ)は、大乗仏教唯識派の重要な文献。.

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瑜伽行唯識学派

伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。.

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韻文

韻文(いんぶん)とは、聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表された文章。散文の反意語。多く詩において用いられる。 一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。俳句、和歌、漢詩、連歌、連句、四行詩、脚韻詩などの韻文詩なども韻文に含まれる。.

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説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvāda)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の分別説部と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 「あらゆる現象」(諸法、dharmā)を構成する基体として、有法、法体(ダルマ、dharma)を想定し、主観的な我(人我)は空だが客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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臨済宗

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。 中国禅宗の祖とされる達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638年 - 713年)の弟子の1人である南嶽懐譲(677年 - 744年)から、馬祖道一(709 - 788年、洪州宗)、百丈懐海(749 - 814年)、黄檗希運(? - 850年)と続く法系を嗣いだ唐の臨済義玄(? - 867年)によって創宗された。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。 宋代の大慧宗杲(1089 - 1163年)と曹洞宗の宏智正覚(1091 - 1157年)の論争以来、曹洞宗の「黙照禅」に対して、公案に参究することにより見性しようとする「看話禅」(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。 日本には栄西(1141 - 1215年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立した。黄檗宗も元来、中国臨済宗の一派である。歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、室町文化の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の白隠慧鶴(1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。.

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摂大乗論

『摂大乗論』(攝大乘論、しょうだいじょうろん、Mahāyāna-saṃgraha, マハーヤーナ・サングラハ)は、北インドの大乗仏教の僧侶・無著が5世紀頃に執筆した唯識の論書。 無着までの大乗仏教の教義をまとめたもので、『大乗阿毘達磨経』・『解深密経』・『十地経』・『般若経』が引用されている。中国ではこれを論拠として「摂論宗」が誕生した。.

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散文

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。.

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310年

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390年

記載なし。

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