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種子 (唯識)

索引 種子 (唯識)

子(しゅうじ、しゅじ、サンスクリット:बीज bīja)は、仏教用語としては唯識の用語で、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力のことをいう。それは、もともと、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象であるところから、熏習(くんじゅう)の気分という点で習気(じっけ)という。このように種子を熏習し、その種子が因となって種々の現象が顕現する(あらわれる)のであるという点を明らかにしたのが種子熏習説である。 このような種子熏習説を述べる人々には、部派仏教の中、大衆部、化地部、経量部などがあるが、これらをうけてほんとうに学問的な基準をもって説いたのが、唯識学派法相宗である。.

12 関係: 大衆部仏教化地部サンスクリット唯識経量部部派仏教薫習法相宗涅槃有漏悟り

大衆部

大衆部(だいしゅぶ、महासाघिक, Mahāsāṃghika, マハーサンギカ)は、古代インド仏教の部派の1つ。音訳して摩訶僧祇部(まかそうぎぶ)とも呼ばれる。 釈迦の没後100年ほど後、十事の非法・大天の五事などの「律」の解釈で意見が対立し、教団は上座部と大衆部とに根本分裂した(部派仏教時代)。 その後、それぞれの教団はさらに枝末分裂を繰り返し、大衆部からは下記のグループなどに分裂した。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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化地部

化地部(けじぶ、Mahīśāsaka, マヒーシャーサカ)とは、仏教の上座部の一派。説一切有部から派生したとする説と、逆に説一切有部を派生したという説に分かれる。 北伝大乗仏教に伝わる律の1つである『五分律』は、この化地部の律とされる。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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唯識

唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。.

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経量部

経量部(きょうりょうぶ、, サウトラーンティカ、, スッタヴァーダ、音写:僧迦蘭提迦)は、部派仏教の一派である。説一切有部から分派した。3世紀末に (鳩摩羅駄) によって開かれ、4世紀になってシュリーラータ (室利羅多) によって盛んになった。 ナーランダー大僧院で仏教の学的探求が盛んになった時代に勢力を持っていたため、同時代の説一切有部、及び大乗仏教の中観派・唯識派と共に、「インド仏教4大学派」の1つに数えられたりもする。 説一切有部が論(アビダルマ)を重んじたのに対して、経典を重んじて基準(量)としたため、「経量」部と呼ばれた。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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薫習

熏習(くんじゅう、vāsanā、abhyāsa、bhāvanā)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。 薫習が身口意に現れたのを「現行法」(げんぎょうほう)といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子(しゅうじ)」あるいは「習気」(じっけ)という。このように現行法が真如あるいは阿頼耶識にその種子もしくは習気を留める作用を薫習という。.

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法相宗

法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。645年(唐代、貞観19年)中インドから玄奘が帰国し唯識説が伝えられることになる。その玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派である。唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。 日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、南都六宗の一つとして、8-9世紀に隆盛を極めた。.

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涅槃

涅槃図(19世紀) 涅槃(ねはん、(ニルヴァーナ)、(ニッバーナ))とは、仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと。涅槃は、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる。般涅槃(はつねはん)や大般涅槃ともいう。この世に人として現れた仏の肉体の死を指すこともある。仏教以外の教えにも涅槃を説くものがあるが、仏教の涅槃とは異なる。.

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有漏

有漏(うろ、sāsrava))とは、仏教において、煩悩に関わる法のこと。.

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悟り

悟り(さとり、bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。.

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