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ティーホン (モスクワ総主教)

索引 ティーホン (モスクワ総主教)

モスクワの聖ティーホン(Св., 1865年1月31日(旧暦1月19日) - 1925年4月7日)は、モスクワ総主教であり正教会で崇敬される聖人(表信者・新致命者)。俗名はヴァシーリイ・イヴァノヴィチ・ベラヴィン(Василий Иванович Беллавин)。 モスクワ総主教座がピョートル1世により1721年に廃止され、聖務会院制が敷かれていたロシア正教会に、ロシア地方公会によってモスクワ総主教座が1917年に復活した際、復興されたモスクワ総主教座に最初に着座した。ロシア革命以降、ボリシェヴィキ政権(ソビエト連邦)による宗教弾圧への対応と教会の守護に苦心し、苦難の中に致命した。 アメリカ合衆国での教区を管轄して教区の発展に尽力した経歴もあることから、現代アメリカの正教会でも重要な聖人として崇敬されている高橋保行『迫害下のロシア教会』(66頁から67頁)教文館、1996年 ISBN 4764263254 (アメリカ正教会)。.

103 関係: 埋葬式十字の描き方古儀式派司祭大主教奉神礼不朽体主日主教下斗米伸夫府主教使徒言行録修道士在外ロシア正教会マティアポーランド人モスクワモスクワ総主教ヤロスラヴリユリウス暦リトアニアリトアニア人レフ・トロツキーレフ・カーメネフロシア人ロシア革命ロシア臨時政府ロシア正教会ヴィリニュスボリシェヴィキプスコフパナギアパーヴェル・チェスノコフピョートル1世フョードル・アルトゥーロヴィチ・ケールレルフェリックス・ジェルジンスキーニューヨークニコライ2世列聖アメリカ合衆国アメリカ正教会アラスカのインノケンティアラスカ州アリューシャン列島イコンウラジーミルの生神女ウラジーミル・レーニンキリスト教諸教派の一覧クーコリザドンスクのティーホン...シリアシベリアソビエト連邦サンクトペテルブルク破門神品 (正教会の聖職)総主教生神女福音祭無神論白軍聖人聖体礼儀聖ニコライ聖堂聖別聖務会院領聖表信者高橋保行至聖三者大聖堂 (シカゴ)致命者掌院正教会新約聖書新致命者救世主ハリストス大聖堂教会法教皇教義学教文館10月9日1721年1865年1878年1883年1888年1892年1897年1898年1901年1905年1907年1913年1917年1921年1922年1923年1924年1925年1989年1992年1月31日2月革命 (1917年)4月7日 インデックスを展開 (53 もっと) »

埋葬式

埋葬式(まいそうしき)は、正教会(ギリシャ正教)における葬儀を指す、日本正教会で用いられる正式名称。正教会の信徒が永眠すると、埋葬式はそれが行われる日の前晩にパニヒダが献じられた上で行われる。永眠者が、神から罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命を与えられるように祈願するものである。なお、他教派のキリスト教の葬式も埋葬式と呼ばれる事がある。.

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十字の描き方

十字の描き方(じゅうじのかきかた)では、キリスト教の諸教派において行われる、手を使って自分の体前に十字を描く動作とその意義を扱う。「十字を切る(切り方)」とも。描き方には教派によって違いがあるが、イエス・キリストが刑死した十字架を表す信仰表明である点は、教派を越えて共通している。 十字の描き方については古代にも地域によって様々な形態があったことが判っているが、なぜこのような相違が生じたのかはよく判っておらず、現代では東方教会・西方教会間で十字の描き方が左右逆になっているが、なぜこのように東西教会の間で描き方が左右逆に継承されたのか、その原因も不明である。 正教会・カトリック教会においては十字を描く(切る)ことは欠かせないが、聖公会では「欠かせない」とまでは言われず「十字を切るか切らないかは自由」とされる。またプロテスタント諸派には十字を切る習慣を有さないものも多いが、教会によっては十字を切ることを勧める場合がある(特にルター派では十字を切る傾向が強い)。.

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古儀式派

ワシーリー・スリコフ画「貴族夫人モローゾヴァ」。彼女の掲げる2本指で十字を画く姿勢は古儀式派の主要な特徴であり、ニーコン総主教がギリシャに合わせる形で導入した3本指のそれとは明確に異なる。 ロシア正教会における古儀式派 (Старообрядчество) とは、旧儀派・旧教徒・旧儀式派・スタロヴェールとも呼ばれ、総主教による奉神礼改革を嫌って1666年以降に総主教の率いる主流派から分離した諸教派の総称である。有効な聖職位階の存在を認める司祭派(容僧派)及びそれを否定する無司祭派(無僧派)に大別される。 古儀式派は現在もロシア正教会の奉神礼改革以前の古い祈祷様式を保持する。 分離派教徒(ラスコーリニキ、Raskolnik)という呼称は、主流派教会側が使う蔑称であり中立的な立場の者は使用しない。また、近年では主流派教会との関係改善に伴い、主流派教会に属する信徒・関係者も「分離派(ラスコーリニキ)」の名称を用いずに「古儀式派(スタロオブリャージェストヴォ)」を用いる傾向がある。一方で、主流派ロシア正教会が分離派という用語を使うことを止めたわけではなく、また、この用語は古儀式派以外のさまざまなキリスト教教派に対しても使用されている。.

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司祭

司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会に存在する。 プロテスタントには、万人祭司の教理により司祭がおらず、指導者として牧師がいる。.

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大主教

大主教(ギリシア語: Αρχιεπίσκοπος (archepiskopos) )はキリスト教の役職のひとつ。主教の中で権威の高い位として用いられる称号。 正教会、ルター派、聖公会でこの訳語を用いる。日本カトリック教会では大司教に相当するが、他言語では両者を区別しないことが多い。たとえば英語ではともにアーチビショップ (archbishop) である。.

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奉神礼

在のコンスタンディヌーポリ総主教座聖堂である聖ゲオルギオス大聖堂の内観。奉神礼時の光景。詠隊が歌っている。左側に至聖所のイコノスタシスが写っている。 奉神礼(ほうしんれい、λειτουργία高橋保行『ギリシャ正教』162頁、講談社学術文庫 1980年 ISBN 9784061585003 (4061585002), Богослуже́ние, Liturgy)は、正教会における奉事・祈りの総称。日本ハリストス正教会の訳語。カトリック教会における典礼に相当する。 公祈祷(時と場所を定めて行われる公的な祈祷)と私祈祷(日々の生活の場や私室等において行う祈祷や臨時祈祷等)のいずれも含む。公に行う狭義の奉神礼を指す事を特に示したい場合には「公祈祷」「公奉神礼」といった用語が用いられる。 聖体礼儀などの機密を含む礼儀の他にも、毎日の奉事である時課、さらに成聖式・各種祈願・モレーベン・パニヒダ・埋葬式などの機会に応じた祈祷などが含まれる。 より広義には、奉神礼には日々の生活までが含まれる。正教会では奉神礼(=リトゥルギア)の範囲をどこからどこまでというように明確に区分する事を避け、奉神礼を広義の奉神礼としての生活の雛形として捉えるべきである事を教えている。 本記事では祈り・儀礼の総称としての奉神礼について詳述する。.

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不朽体

不朽体(ふきゅうたい)は正教会(日本ハリストス正教会)の用語で、聖人の遺体のこと。聖人は来世の生命を先取りして得ていると信じられ、このため来世の光栄体(聖書では「朽ちない身体」)同様、その今生における身体も神の恩寵によって不朽のものとされたと捉えてこのように呼ぶ。 聖像(イコン)と同様崇敬の対象となる。 正教会においては、教会の宝座(祭壇)の下には不朽体を安置することが望ましいと考えられている。堂の献じられた聖人は、宝座の下に安置された不朽体の聖人と、同一であることを要さない。(つまり、聖人に献じた堂であっても、必ずしもその同一の聖人の不朽体を宝座の下に安置する必要はなく、別人であってもよい。) 信者が崇敬を表するには、十字を二回画き、そののち不朽体に接吻し、しかるのち祈祷し、再び十字を画く。接吻は必ずしも直接なされることを要さず、ガラスケース等を介して行われることがしばしばある。ある聖人の聖像にその不朽体の一部を釘などで固定することもある。この場合多く保存の便を顧慮し、不朽体の上に覆いを施す。 一部の聖人には、不朽体の発見、移動などが特別の祭日とされるものがある。次のものが特によく知られている。.

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主日

主日(しゅじつ、又は「主の日」「聖日」)とは、キリスト教で日曜日を指していう言葉である『キリスト教大事典 改訂新版第9版』教文館、1988年。主イエス・キリストの復活の日であることから、主の日としてこのように呼ぶ。安息日と同一視されることもあるが、教派によって解釈は異なり、正教会やカトリック教会では元々の安息日は土曜日であるとして、主日とは区別している。.

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主教

主教(しゅきょう、Επίσκοπος, Episcopus, Bishop, Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者主教について、「最高位」(英語では"highest" もしくは"supreme")に類した表現を使用して居らず、「高位」(英語では"high")に当たる言葉も使っていないケースもあるが(、 )、一方で「最高位」 ("highest") を使用している文献もある。ここでは大辞泉での表現「高位」に拠った。。複数教会によって構成される教区を管轄する(大辞泉)正教会の出典:聖公会の出典:。 カトリック教会では司教と呼ばれる。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる『キリスト教大事典』519頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版。 2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる。.

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下斗米伸夫

下斗米 伸夫(しもとまい のぶお、1948年11月3日 - )は、日本の政治学者、法政大学法学部教授。専攻は、比較政治、ロシア・CIS政治、ソ連政治史。東京都武蔵野市在住。.

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府主教

ンボスキニオン(チョトキ)と呼ばれる、正教会での数珠状の祈りの用具。リヤサを着用している。 府主教(ふしゅきょう、Μητροπολίτης, Митрополит, metropolitan)はキリスト教のうちで正教会の主教品の位階の一つで、日本正教会の訳語。カトリック教会の管区大司教、あるいは首都大司教に相当する。 正教会の場合、主教の上位聖職者として、総主教、府主教、大主教がある。各地域の正教会毎に序列が異なる。.

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使徒言行録

『使徒言行録』(しとげんこうろく、Πράξεις τῶν Ἀποστόλων、Acta Apostolorum)は、新約聖書中の一書。 新約聖書の中で、伝統的に四つの福音書のあとにおかれる。『使徒言行録』は新共同訳聖書などで用いられる呼称で、他にも多くの日本語名がある。.

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修道士

修道士(しゅうどうし、)というキリスト教用語には二つの語義・概念がある。ただし二つの概念は排他的概念ではなく包含関係にある(「1」の語義が「2」の語義より広義)。.

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在外ロシア正教会

在外ロシア正教会のラウルス府主教(向って左)と、ロシア正教会のアレクシイ2世総主教(向って右)。2008年2月28日撮影。 在外ロシア正教会(ざいがいろしあせいきょうかい、Russian Orthodox Church outside of Russia、あるいは Russian Orthodox Church abroad, Русская Православная Церковь Заграницей)は、ロシア内戦中に白衛軍(白軍)統治下で最高教会管理局を運営した主教を中心としたメンバーによって1921年に組織された教会組織。 以来ロシア正教会モスクワ総主教庁と関係を絶ち、ソビエト連邦外で活動していたが、ソ連崩壊後、2007年にロシア正教会と和解し、モスクワ総主教庁の庇護の下、準自治教会 (Semi-autonomous) としての地位が与えられている。.

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マティア

聖マティアあるいはマッテヤ、マチアは新約聖書の『使徒行伝』に登場するイエスの使徒の1人。 『使徒行伝』によればイエスの復活後、エルサレムに戻ってきた使徒たちはペトロを中心に、イスカリオテのユダに代わる使徒をたてることを決定する。使徒が11人では不完全であるというのは使徒たちをイスラエルの十二部族になぞらえている思想から出ていると思われる。そこで洗礼者ヨハネの洗礼からイエスの昇天までの間、イエスと使徒たちと共にいたものの中から新たに一人を選び出すことにする。 その候補者は一人はバルサバともユストともよばれたヨセフであり、もう一人はマティアであった。祈ってくじをひくとマティアの名が出たので、彼が十二人目に加えられた。 ところがこのあとマティアの名前は新約聖書から消えてしまう。伝承によればエルサレムでユダヤ人によって石うちの刑にあい、斬首されたとも伝えられるが、伝説の域を出ない。.

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ポーランド人

ポーランド人 (ポーランド語:Polacy)は、ポーランドの主要民族。 中東欧に広がるスラヴ人の一派インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派西スラヴ語群に属するポーランド語を母語とする。 ポーランド族は、様々な部族と交わりピャスト朝(960年頃-1370年)を築いた。 ポーランド国家を築いた西スラヴ人の一派の諸部族で、中心部族であったポラン族(別名レフ族)に由来している。ポラン族はポランの複数形を用いて「ポラニエ」と呼ばれるが、これで原義では平原の民という意味で、原インド・ヨーロッパ語を基とする。ポランから英語の国名「ポーランド」(ポーランド語、Polska)の由来となった。.

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モスクワ

モスクワ(ロシア語:Москва́ IPA: マスクヴァー、)は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市」(Город Москва)となる。人口は約1150万人でヨーロッパで最も人口の多い都市であり、世界有数の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科。英語で発音した場合には、モスコーあるいはモスカウ(Moscow )のようになる。.

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モスクワ総主教

モスクワ総主教公邸の一室。歴代モスクワ総主教の肖像が掛けられている。ここでは多くの総主教達がクーコリを被った姿で描かれている。 モスクワ総主教(モスクワそうしゅきょう)は、ロシアの独立した正教会であるロシア正教会の長たる総主教。正式の称号はモスクワおよび全ロシアの総主教である。現在のモスクワ総主教はキリル1世である(2009年2月1日より)。.

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ヤロスラヴリ

ヤロスラヴリ(ヤロスラーヴリ;ロシア語:Ярославльイラスラーヴリ、ラテン文字転写の例:Jaroslavl’)は、ロシアの都市である。ヤロスラヴリ州の州都。人口は約61万人(2002年)。.

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ユリウス暦

ユリウス暦(ユリウスれき、、、)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。 ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年、ユリウス暦に換えて、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施したが、今でもグレゴリオ暦を採用せずユリウス暦を使用している教会・地域が存在する。グレゴリオ暦を導入した地域では、これを新暦(ラテン語: Ornatus)と呼び、対比してユリウス暦を旧暦と呼ぶことがある。 なお、天文学などで日数計算に用いられるユリウス通日があるが、これはユリウス暦とは全く異なるものである。.

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リトアニア

リトアニア共和国(リトアニアきょうわこく、Lietuvos Respublika)、通称リトアニア(Lietuva)は、ヨーロッパの共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口は325万人、首都はヴィリニュスである。.

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リトアニア人

リトアニア人は、現在のリトアニア共和国(リトアニア)の住民を形成する民族。総人口は約370万人から約410万人とされる。 著名なリトアニア人に関してはリトアニア人の一覧を参照。.

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レフ・トロツキー

レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー(Лев Давидович Троцкий、発音例: リィエーフ・ダヴィーダヴィチ・トローツキー、ラテン文字転写の例:Lev Davidovich Trotsky、1879年10月26日(グレゴリオ暦11月7日) - 1940年8月21日)は、ウクライナ生まれのソビエト連邦の政治家、ボリシェヴィキの革命家、マルクス主義思想家。 本名はレフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテイン()。晩年は後妻ナターリアの姓を取ってセドフ()に改姓した。ただし、一般に「レフ・セドフ」という場合は、トロツキーとナターリアの間に生まれた長男(愛称「リョーヴァ」)を指す。「レフ」は英語の「レオン」と同じで、「ライオン」という意味の名前である。英語風の綴りにもとづいたレオン・トロツキー(Leon Trotsky)の表記も多い。日本での漢字表記は泥附。また、「トロツキー」という表記に関しては、日本の場合、古い文献や高齢の共産主義者などで「トロッキー」という表現も多く使われている(関連として、「トロッキスト」、「トロッキズム」という表現もある)。.

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レフ・カーメネフ

レフ・ボリソヴィチ・カーメネフ(、ラテン文字表記の例:Lev Borisovich Kamenev、1883年7月6日(グレゴリオ暦7月18日) - 1936年8月25日)は、ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。ユダヤ系ロシア人。ソビエト政権の成立を宣言した第2回全露ソビエト大会議長、全露中央執行委員会議長、共産党政治局員、組織局員を歴任した。雄弁と宣伝能力、交渉とソビエトの議事能力を評価された知識人であったが、ヨシフ・スターリンによって失脚し、粛清された。本姓はローゼンフェルド(Розенфельд、Rosenfeld)。.

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ロシア人

ア人.

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ロシア革命

ア革命(ロシアかくめい, Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ, Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。 「二月革命」、「十月革命」は当時ロシアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を基にしており、現在一般的に用いられるグレゴリオ暦ではそれぞれ「三月革命」、「十一月革命」となる。この項目で使用されている月日は1918年2月14日のグレゴリオ暦導入までの事柄についてはユリウス暦による月日で表記しており、13日を加算するとグレゴリオ暦の月日に換算できる。.

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ロシア臨時政府

ア臨時政府(ロシアりんじせいふ、Vremennoye pravitel'stvo Rossii)は、 1917年の二月革命後にロシアで成立した暫定政権。.

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ロシア正教会

ア正教会(ロシアせいきょうかい、Русская Православная Церковь、Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則だが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。 教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名である。 本項では日本正教会による訳語を断りなく用いる場合がある。 17世紀の奉神礼改革に反対し古い奉事方法を守ったために主流派ロシア正教会から追放された古儀式派は、自らこそが正統なロシア正教会だとしている。.

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ヴィリニュス

ヴィリニュス(Vilnius )は、リトアニア共和国の首都で、同国最大の都市である。人口は 558,165 人(2009年現在)。かつてポーランド領だったこともある。バルト三国で唯一海に面していない首都で、バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは 312 km離れている。 ヴィリニュスは、・沿いに位置し、リトアニアの南東と地理的に偏ったところにある。これは過去数世紀の間に国境の形が変わっていったことと関係している。かつてリトアニア大公国の時代にヴィリニュスは国土の中央にあった。 1994年に旧市街はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。また、2009年には欧州文化首都に選ばれたこともある。.

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ボリシェヴィキ

ボリシェヴィキ(、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。ボリシェビキ、ボルシェヴィキ、ボルシェビキとも呼称され、戦前の日本国内おける刊行物等の資料では、ボルシエヴィキー、ボルシエヴィキなどの表記が用いられている。単数形はボリシェヴィク()。 1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。 なおドイツではボルシェヴィズムス()は第一義的にロシアの共産主義者を指し、帝政ドイツからナチス時代には、ドイツの社会民主主義よりさらに急進的な過激派という意味でも用いられた。 ロシア革命時には「パン・土地・平和」をスローガンとして掲げた。平和を求める大衆の意見を尊重すべきとのトロツキーの意見が反映されている。 ボリシェヴィキはAmerican International Corporationから財政支援を受けていた。当社は1915年、Frank A. Vanderlipを会長としてニューヨークに設立された。出資者はジョン・モルガン、ロックフェラー、ジェームズ・スティルマン。1917年の役員はPierre S. du Pont、Percy Avery Rockefeller、Albert H. Wiggin、Beekman Winthrop、そしてEmpire Trust CompanyのMatthew C. Brushであった。 なお、日本では、ロシア革命時に主導権を握ったレーニンらのボルシェビキを和訳した際に過激派と訳した。 学生運動で自らをボルシェビキと称した人々がいた。.

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プスコフ

プスコフ(プスコーフ、Псков、ラテン文字転写の例: Pskov、エストニア語・フィンランド語: Pihkva、 Pleskau、 Psków)はロシアの都市。プスコフ州の州都であり、主教座などのあるロシアの宗教の中心地のひとつにしてロシア有数の古都でもある。ヴェリーカヤ川およびその支流プスコフ川に沿ってクレムリンや古い町並みが建っている。エストニアとロシアとの国境からは東へ20kmしか離れておらず、中世には国境防衛と国境貿易でロシア有数の大都市として繁栄を謳歌した。人口は202,780人(2002年国勢調査)。 至聖三者大聖堂.

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パナギア

パナギア(Παναγία)とは、ギリシャ語で「全き聖」を意味する、生神女マリヤ(聖母マリア)の称号の一つ。日本正教会では「至聖女」(しせいじょ)とも訳される。 また、この称号に由来する名称を持つものとして、生神女マリヤのイコンのうち特定の種別のもの、正教会の主教が用いるペンダント状の装身具、聖体礼儀に用いられる特定のパンの名称、ギリシャのハルキディキ県やキプロスなどにある地名があり、この名を以て生神女マリアを記憶する正教会の聖堂(パナギア聖堂・至聖女聖堂)も多数存在する。.

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パーヴェル・チェスノコフ

パーヴェル・グリゴリエヴィチ・チェスノコフ(Pavel Grigorievich Chesnokov 〔露語:Павел Григорьевич Чесноков〕, 1877年10月24日 - 1944年3月14日)はロシアおよびソ連の作曲家。このほかに合唱指揮者や音楽教師としても有能であった。ローマ字表記は地域によってまちまちであり、フランス式にはTchesnokov、ドイツ式にはPawel Tschesnokow(またはTschesnokoff)などの綴りも見られる。 片仮名では他にパヴェル・チェスノコフとも表記される。.

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ピョートル1世

ピョートル1世(Пётр I Алексеевич;ラテン文字表記の例: Pyotr I Alekseevich, 1672年6月9日(ユリウス暦5月30日) - 1725年2月8日(ユリウス暦1月28日))は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代ロシア皇帝(インペラートル / 在位:1721年 - 1725年)。大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称される。ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの六男で、母はナタリヤ・ナルイシキナ。 ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行。さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して、国家体制の効率化に努めた。 1721年11月2日には大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国に昇格させた。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きくトロワイヤ (1981), p. 435、工藤庸子「訳者あとがき」、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評される。 なお、ピョートルの存命時のロシアはグレゴリオ暦を採用しておらず、文中の日付はユリウス暦である。.

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フョードル・アルトゥーロヴィチ・ケールレル

フョードル・アルトゥーロヴィチ・ケールレル(ロシア語:Ѳёдоръ Арту́ровичъ Ке́ллеръフョーダル・アルトゥーラヴィチュ・キェールリェル、1857年10月12日 - 1918年12月8日)は、ロシア帝国の伯爵、軍司令官、騎兵大将、ウクライナ国軍の総司令官である。「ロシア一のシャーシュカ」(«Первая шашка России»)の異名を取った。日露戦争の英雄、F・E・ケールレル伯爵の甥に当たる。.

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フェリックス・ジェルジンスキー

フェリックス・エドムーンドヴィチ・ジェルジンスキー(, Feliks Edmundovich Dzerzhinskii, 1877年9月11日 - 1926年7月20日)は、ポーランドの貴族、革命家。後に祖国ポーランドを離れ、ソビエト連邦の政治家に転じた。 革命直後の混乱期において誕生間もない秘密警察を指揮し、その冷厳な行動から「鉄のフェリックス」「労働者の騎士」「革命の剣」「プロレタリアの武装せる腕(かいな)」など数多くの異名で呼ばれた。.

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ニューヨーク

ニューヨーク市(New York City)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州にある都市。 1790年以来、同国最大の都市であり、市域人口は800万人を超え、都市圏人口では定義にもよるが2000万人以上である.

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ニコライ2世

ニコライ2世(、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ、、1868年5月18日(ユリウス暦5月6日) - 1918年7月17日(ユリウス暦7月4日))は、ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝(在位1894年11月1日 - 1917年3月15日)。 皇后はヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ(通称アリックス)。皇子女としてオリガ皇女、タチアナ皇女、マリア皇女、アナスタシア皇女、アレクセイ皇太子がいる。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世やイギリス国王ジョージ5世は従兄にあたる。 日露戦争・第一次世界大戦において指導的な役割を果たすが、革命勢力を厳しく弾圧したためロシア革命を招き、1918年7月17日未明にエカテリンブルクのイパチェフ館において一家ともども虐殺された。東ローマ帝国の皇帝教皇主義の影響を受けたロシアにおいて、皇帝は宗教的な指導者としての性格も強いため、正教会の聖人(新致命者)に列せられている。.

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列聖

列聖(れっせい、Canonizatio)とは、キリスト教で聖人崇敬を行う教会が、信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位にあげることをいう。死後に行われる。 カトリック教会においては徳と聖性が認められた福者 (羅:Beatus / 英:Blessed) が聖人 (羅:Sanctus / 英:Saint) の地位にあげられることをいう。 正教会にも列聖制度はあるが、福者と聖者を分けることはしない。このため正教会での列聖は、聖性が認められた信者が聖人の地位にあげられることをいう。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アメリカ正教会

アメリカ正教会(Orthodox Church in America, 略称OCA)とはアメリカ合衆国、カナダ、メキシコを管轄する独立正教会(モスクワ総主教庁が承認、ただしコンスタンディヌーポリ総主教庁は承認せず)。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具える事が原則であるが(アメリカ正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している。ただしアメリカには、アメリカ正教会以外にもコンスタンディヌーポリ総主教庁系、アンティオキア総主教庁系等の教会組織が存在し、「一カ国に一つの教会組織」の例外として際立っている(後述)。.

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アラスカのインノケンティ

アラスカのインノケンティ(Innocent, Инноке́нтий、1797年8月26日 - 1879年3月31日)は、正教会の主教であり聖人(成聖者)。アメリカ正教会の黎明期に重要な聖人であるほか、米国聖公会でも聖人として扱われている。 アレウト語(Aleut language)の表記法も考案し翻訳を行いつつアラスカとシベリアへの宣教を行った事から、「北米の亜使徒 」「アラスカとシベリアの光照者 」との称号が付される事がある。晩年にはモスクワ府主教も務めた 。 同名人物との区別の際、地名・尊称のほか、姓であるヴェニアミノフ(Вениаминов)も用いられる。 日本の函館を訪れた事があり、日本で初めて主教祈祷による聖体礼儀を行った人物でもある。また、日本の亜使徒聖ニコライとニコライエフスクと函館で会っており、ニコライに日本語学習に専心するよう指導した(後述)牛丸康夫『日本正教史』26頁 - 32頁、正教会、1978年。.

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アラスカ州

アラスカ州(State of Alaska )は、アメリカ合衆国最北端にある州。アリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっている。アラスカでは、合衆国本土を"lower 48"(直訳:南方の48州。アメリカ50州からアラスカとハワイを除いたもの)と呼ぶことがある。 アメリカ合衆国の州の中では面積最大であり、東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海を隔ててロシアとも海上の国境がある。2010年国勢調査による人口は710,231人であり、その約半分はアンカレッジ都市圏に住んでいる。州都はジュノー市で、最大都市はアンカレッジ市である。海港アンカレッジはかつてアジアとアメリカおよびヨーロッパを結ぶ航空路線の寄港地として知られた。アメリカ合衆国の州の中では人口密度が最小の州でもある。 アラスカは1867年3月30日にロシア帝国からアメリカ合衆国が買収した。その後幾つかの管理形態の変遷を経て、1912年5月11日にアラスカ準州、1959年1月3日にアラスカ州となった。.

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アリューシャン列島

アリューシャン列島(アリューシャンれっとう、Aleutian Islands; 「アレウトの島々」の意)は、北太平洋に弧状に連なり、アメリカ合衆国のアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島である。.

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イコン

イコン(εικών, Икона, Icon, Ikon)とは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)である。"εικών"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による(ειは中世・現代ギリシャ語では「イ」と読む)。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼ぶ。.

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ウラジーミルの生神女

ウラジーミルの生神女(ウラジーミルのしょうしんじょ、Владимирская икона Божией Матери)は、正教会のイコン。ロシア正教会で最も有名な生神女マリヤ(聖母マリア)のイコンのひとつであり、世界中の正教会で広く崇敬され模写され続けている代表的な生神女のイコンのひとつとなっている。西方教会でも用いられることがある。 このイコンは「ウラジーミルの聖母」とも呼ばれる事があるが、正教会では聖母マリアの事を生神女マリヤ(しょうしんじょマリヤ)もしくは生神女(しょうしんじょ)と呼ぶのが一般的であり、このイコンについても正教会では「ウラジーミルの生神女」(Theotokos of Vladimir)が正式な名である。 正教会では特定のイコンを記憶して聖堂を建てその名称とすることがあるが、このイコンを記念して建設された聖堂(ウラジーミルの生神女聖堂)も存在する。.

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ウラジーミル・レーニン

ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 – 1924年1月21日)は、ロシアの革命家、政治家。ロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ、のちに共産党と改名)の指導者として活動し、十月革命を成功させ、革命政府において人民委員会議議長を務めた。また、第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンの創設を主導した。政治、経済の分析から哲学に至るまでさまざまな著作を残し、その思想はレーニン主義として継承された。 本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)であり、レーニンは筆名。多くの著作でエヌ・レーニン(Н.)と署名していた。本人が「ウラジーミル・イリイチ・レーニン」と名乗った例はない。.

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キリスト教諸教派の一覧

リスト教諸教派の一覧(キリストきょうしょきょうはのいちらん)は、キリスト教の諸教派(宗派)を歴史的教義的に関係するものをまとめて一覧する。また、各教派に所属する個々の教会組織・教団についても掲載する。.

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クーコリ

ーコリ(куколь, koukoulion, or kukol)とは、正教会における最上位格の修道士(大スヒマ修道士)によって着用される帽子である。額・胸・両肩・背中の5箇所に十字架が付けられている。 ロシア正教会の首座主教であるモスクワ総主教は、大スヒマ修道士への祝福の有無に関らず、頂きの部分に十字架を付けた白いクーコリを着用する。モスクワ総主教の着用する白いクーコリの頭頂部の十字架は、自動車に乗る際などに折り畳めるようになっている。 グルジア正教会の首座主教であるグルジアのカトリコス・総主教は、黒いクーコリを着用する。 総主教は、聖体礼儀等の奉神礼に際して司祷もしくは陪祷する場合、クーコリに代えてミトラ (宝冠)を着用する。ただし、モレーベンやパニヒダなど、祭服を完装する必要の無い奉神礼においては、クーコリを着用して奉神礼に臨む事もある。 ファイル:Патриарх Тихон.jpg|白いクーコリを着用した姿で撮影された、モスクワ総主教:新致命者聖ティーホン(在位1917 - 1925) File:Patriarch Kyrion II of Georgia.jpg|黒いクーコリを着用しているグルジアのカトリコス・総主教: File:Patriarch Kirill I of Moscow 03.jpg|白いクーコリを着用しているモスクワ総主教:キリル1世(在位:2009年 - ) File:Patriarch Kirill Kiev 2013.jpeg|クーコリ等を着用した状態でモレーベンに臨むキリル1世(2013年、キーウ).

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ザドンスクのティーホン

ドンスクの聖ティーホン(1724年 - 1783年, Тихон Задонский)は、正教会の聖人(奇蹟者・成聖者)であり主教・神学者。 ドストエフスキーがロシア虚無主義に返答するために、『カラマーゾフの兄弟』に登場する長老ゾシマと、『悪霊』に登場する主教ティーホンのモデルとしたのは、このザドンスクのティーホンであるとされるパーヴェル・エフドキーモフ著、古谷 功訳『ロシア思想におけるキリスト』95頁 - 97頁(1983年12月 あかし書房)ISBN 4870138093。健康上の理由で早くに主教位を退いて隠遁し、膨大な著作を残した。.

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シリア

リア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。.

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シベリア

       シベリア連邦管区        シベリア        広義の(歴史的)シベリア シベリア(Siberia 、Сибирь )は、ロシア連邦領内のおよそウラル山脈分水嶺以東の北アジア地域である。漢字表記で西比利亜又は西伯利亜とも書く。かつては日本語でシベリヤという表記も多くみられた。シベリアの名称はシビル・ハン国に由来する。 一般的には極東分水嶺(サハ共和国東縁)より東の日本海・オホーツク海など沿岸地域(極東ロシア)は含まないが、広義には含めることもある。ロシア連邦所属の共和国・自治管区は存在するが、独立国家は存在しない。主な都市として、西から、オムスク、ノヴォシビルスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、ヤクーツクがある。広義のシベリアはさらに、エカテリンブルク、ハバロフスク、ウラジオストクを含む。人口最大の都市はノヴォシビルスク。現在ではロシア語話者が人口の大半を占めるが、サハ語などのテュルク諸語や、ウラル語族に属する言語が多く分布している。.

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ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

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サンクトペテルブルク

'''サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真'''ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルクの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。 サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург,, IPA: )は、バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。 都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク(Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。.

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破門

(はもん)は.

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神品 (正教会の聖職)

宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。 神品(しんぴん)とは、神品機密に於いて主教から叙聖された正教会の聖職者。日本正教会による用語である。 神品には大きく分けて主教(主教品)、司祭(司祭品)、輔祭(輔祭品)の三種がある。副輔祭、誦経者は神品に含まれない。輔祭になる前に結婚するのであれば、正教会の輔祭・司祭は妻帯が可能である。.

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総主教

総主教(そうしゅきょう、Πατριάρχης, ロシア語・ブルガリア語: Патриарх, Patriarch)は、東方教会(正教会、東方諸教会)における最高位聖職者であり、主教品の最上位。正教会においては特定の独立正教会の首座主教に付与される称号(首座主教であっても総主教ではない主教が正教会には居る)。 総主教の管轄する教区・教会・事務局・総主教邸は総主教庁(Patriarchate)と呼ばれる。.

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生神女福音祭

イコン:生神女福音祭のイコン。オフリドのもの。 生神女福音祭(しょうしんじょふくいんさい)は、生神女マリヤを天使ガウリイル(ガブリエル)が訪れイエス・キリスト(日本ハリストス正教会ではイイスス・ハリストス)の母となることを告げ、マリヤがそれに応じたことを記念する正教会の祭日である。復活大祭に次いで重要視される12の祭:十二大祭のひとつである。グレゴリオ暦では現在4月7日に行われる。カトリック教会の受胎告知に相当する。.

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無神論

無神論(むしんろん、、)は、世界観の説明に神の存在、意思の介在などが存在しない、または不要と主張する考え方である。.

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白軍

白軍の軍旗 白軍(はくぐん、Белая Армия ビェーラヤ・アールミヤ)は、1917年以降のロシア革命期における革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊の総称である。 白衛軍(Белая Гвардияビェーラヤ・グヴァールヂヤ)、白色運動(Белое движениеビェーライェ・ドヴィジェーニイェまたはБелое делоビェーライェ・ヂェーラ)とも呼ばれる。その他、各国語によって異なる名称で呼ばれる。ロシア内戦において赤軍と戦闘を繰り広げたが、1920年にクリミア半島から最後の部隊が撤退・亡命した。 なお、白軍といえばまず「反革命」とされるが、この場合の「革命」というのはボリシェヴィキによる「十月革命」のことであって、白軍の多くはその前の「二月革命」には反対していない。.

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聖人

聖人(せいじん[漢音]、しょうにん[呉音])とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。一般的な読み方は「聖人」(せいじん)であるが、仏教の場合は「聖人」(しょうにん)と読むことがある。.

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聖体礼儀

聖体礼儀(聖體禮儀、せいたいれいぎ、,, )は正教会で最も主要な機密である聖体機密を含む、最も重要な奉神礼。 正教会において聖体礼儀は、「教会それ自体の真の本質であるたったひとつの共同の機密」「天上と地上の神の共同体としての教会の本質の一つの機密的現れ」「ハリストスの神秘的な『からだ』」「ハリストスの『花嫁』としての教会のかけがえのない機密的啓示」であるとされる。それゆえ場合によっては、単に「祈りの一つ」「機密の一つ」と捉えることを否定するのみならず、「最大の祈祷」「最高の祈祷」という表現すら(祈祷という枠組みにとどまらないのでそうした表現をさらに越えると捉えられることから)不適当であるとされることすらある。 イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)自身により、機密制定の晩餐(最後の晩餐)において制定されたとされる。 聖体機密のみならず神品機密も聖体礼儀において行われる。 聖体礼儀をはじめとする奉神礼は教会の聖伝であり、正教会である限り聖体礼儀の構造への恣意的な変更は認められない。 聖体にかかる礼拝という点ではカトリック教会のミサ、聖公会およびプロテスタントにおける聖餐式に相当するが、正教会の聖体礼儀とカトリック教会のミサとは形式は全く異なるものであり、聖体礼儀をミサと呼ぶのは誤りである。.

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聖ニコライ聖堂

聖ニコライ聖堂は、ニコライの名を持つ聖人を記憶するキリスト教の聖堂。「ニコライ」はブルガリア語・ロシア語・ベラルーシ語・ドイツ語等における転写であり、ギリシャ語でのニコラオス、ルーマニア語でのニコラエ、英語でのニコラス等に相当する。「聖ニコライ聖堂」との転写を用いる場合、正教会の優勢な地域で主に用いられるブルガリア語・ロシア語のものが多いことから、正教会の聖堂が多い。 ギリシャ語圏での聖堂は「聖ニコラオス聖堂」、ルーマニア語圏での聖堂は「聖ニコラエ聖堂」、英語圏での聖堂は「聖ニコラス聖堂」となるが、本項ではこれらも併せて扱う。 ミラ・リキヤの奇蹟者聖ニコライが記憶されている事が多いが、他の聖ニコライが記憶されている場合もある。.

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聖別

聖別(せいべつ、ἁγιασμός, consecration)は、カトリックや聖公会などで使用される神学用語。正教会では成聖(せいせい)という。.

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聖務会院

聖務会院(せいむかいいん、Святейший Правительствующий Синод, Most Holy Governing Synod)とは、1721年にモスクワ総主教庁が廃止されてから、1918年にモスクワ総主教庁が復活するまでの間、ロシア正教会を統括する最高機関であった組織。聖務会院の管轄範囲は教会の全ての問題に及び、世俗の領域の一部にまで及んだ。 モスクワ総主教が不在であった1700年から1917年を、ロシア正教会史では"Синодальный период"(聖務会院時代)と呼ぶ(聖務会院設置年の1721年からに「聖務会院時代」の呼び名を限定する場合もある)。.

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領聖

聖(りょうせい)とは正教会(ギリシャ正教)において、ハリストス(キリストを中世以降のギリシャ語で読んだ転写)の尊体(そんたい)・尊血(そんけつ)に聖変化したパンと葡萄酒を領食(りょうしょく)すること。日本ハリストス正教会の用語。カトリック教会の聖体拝領、聖公会・プロテスタントの陪餐に相当する。 正教会では、相互間で承認を受けた正教会の信徒以外に領聖することを認めていない。 多くは聖体礼儀において行われるが、病床にある病人が司祭から尊体・尊血を受けるなどの場合もある。.

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表信者

表信者(ひょうしんしゃ、Ομολογητής, Исповедник, Confessor)とは正教会で聖人に付される称号。日本正教会による訳語。信仰を告白・表明したことによって苦難を受けた者のうち、死に至らなかった者に付される称号である。これに対し、致命者は信仰によって死に至ったものに与えられる称号である。カトリック教会では証聖者に相当する。 正教会では、軟禁状態下で永眠するなど直接に殺害されなかった聖人にも致命者の称号が与えられる事例もあり、表信者と致命者の間でその死に至る過程において厳密な区分けがなされている訳では無い。 代表的な表信者には、単意論に対して反駁したことで東ローマ帝国の皇帝から弾圧を受け、説教と著述が出来ないように舌を切られ右手を切断された、表信者克肖者聖マクシム(580年 – 662年)などがいる。.

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高橋保行

イオアン高橋保行(たかはし やすゆき、イオアンは聖名:1948年 - )は、正教会の長司祭、神学者、歴史家。 東京都生まれ。1972年、聖ウラジミール神学大学院卒業。1974年、東京復活大聖堂司祭に叙聖される。1993年から東京女子大学講師として教鞭をとった。また日本ハリストス正教会の聖職者養成機関である東京正教神学院でも講師を務めた。後にアメリカ合衆国に渡り、2008年6月現在アメリカ正教会で司祭職を務めている。.

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至聖三者大聖堂 (シカゴ)

の至聖三者大聖堂(しせいさんしゃだいせいどう、 Holy Trinity Cathedral, Chicago)は、アメリカ正教会中西部主教区の、至聖三者を記憶する大聖堂である。20世紀で最も影響力のあった建築家の一人ルイス・サリヴァンが手がけた数少い教会堂のうちの一つ。 1903年に聖別され、1976年にアメリカ合衆国国家歴史登録財 、1979年にシカゴの歴史的建造物に指定 。.

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致命者

聖致命女解繋者アナスタシヤ(正教会のイコン) 致命者(ちめいしゃ、μάρτυς, Му́ченик, Martyr)とは、正教会で聖人に付されて記憶に用いられる称号。女性の場合は致命女(ちめいじょ)。信仰の立証者として全生命を代償に与えた者(致命した者)をいう。これに対し、信仰の立証者として苦難を受けた者のうち、死には至らなかった聖人には表信者の称号が付されて記憶される。 但し、致命者に限らず正教会の聖人の称号には厳密な区分けは無いこともあり、直接に殺害されなくとも(例えば監禁・軟禁・抑圧状態下で死を迎えるケースなどで)、致命者として記憶される聖人もいる(モスクワの総主教聖ティーホンなど)。 他教派・他宗教でいう殉教者に該当するが、日本正教会ではこの語は用いない。 「大致命者」(だいちめいしゃ)の称号で記憶される聖人もいる。また、「聖大致命者廉施者パンテレイモン」の名で記憶される聖パンテレイモンのように、称号が幾つか重ねられる場合も少なく無い。 正教会ではステファノが初致命者首輔祭聖ステファンとして記憶される。.

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掌院

『掌院イオシフ』ルーマニア正教会の掌院が描かれている。リヤサを着用し、胸掛け十字架を身につけ、クロブークを被っている(画: ゲオルゲ・タッタレスクによる、1865年)。 掌院(しょういん)とは、正教会の修道司祭のうち、高位の修道司祭の称号であり、修道院を管轄する修道院長たる修道司祭の称号である。日本ハリストス正教会の訳語。.

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正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

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新約聖書

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。また、イスラム教でもイエス(イーサー)を預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。現代で言うところのアンソロジーにあたる。「旧約聖書」「新約聖書」は、新旧の別による「旧いから無視してよい・誤っている、新しいから正しい」といった錯誤を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。.

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新致命者

新致命者(しんちめいしゃ、Νεομάρτυρες, Новомученики, New Martyr)とは、元来は正教会において異教の支配者の下で永眠した致命者に付されていた聖人の称号。後世になり、教会はイスラームの下での致命者や様々な近代の致命者、特に戦闘的無神論を掲げた共産主義による致命者達を新致命者のリストに加えた。公式には、新致命者の時代は1453年のコンスタンティノープルの陥落に始まる。この称号で記憶される聖人には、信仰のために生命を落としたもののみならず、表信者(信仰のために苦難を耐え忍んだ者)も含まれる。.

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救世主ハリストス大聖堂

救世主ハリストス大聖堂表記出典:表記出典:(きゅうせいしゅハリストスだいせいどう、Храм Христа Спасителя )は、ロシアのモスクワにある正教会の大聖堂。ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂である。全世界にある正教会の大聖堂中、最も高い103メートルの偉容を誇る(ドームと十字架部分で35メートルの高さがある)。 モスクワ中央部モスクワ河畔に位置する 。 1883年6月7日(ユリウス暦:5月26日、主の昇天祭)に大聖堂は成聖された。しかし1931年に宗教弾圧政策をとるソ連によって爆破された。ソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建。.

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教会法

教会法(きょうかいほう、ius ecclesiasticum、Ecclesiastical law、Kirchenrecht)は、広義においては、国家のような世俗的権力が定めた教会に関する法と教会が定めた法を包括した概念であるが、狭義においては、キリスト教会が定めた法のことをいい、世俗法(ius civile)と対比される概念である。最狭義においては、カトリック教会が定めた法のことをいい、カノン法(ius canonicum、Canon law、Kanonisches Recht)ともいう。以下では主に最狭義のカノン法について解説する。.

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教皇

教皇(きょうこう、Pāpa、Πάπας Pápas、The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。ヴァティカン市国の首長。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。現在の教皇はフランシスコ(第266代)。 日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。またカトリックの内部では「教父」の呼称を用いる場合もある。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。 本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。.

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教義学

教義学(きょうぎがく、Dogmatic theology, Dogmatik)は聖書で教えられている神についての諸真理を組織的、体系的に論述しようとする学問である。教義学は釈義神学、聖書神学、弁証学、実践神学、歴史神学などの神学諸学科の中でも中心的な位置を占め、その内容は、神論、人間論、キリスト論、救済論、教会論、終末論から成り立っている。 正教会においては定理神学と訳される。これはドグマ(dogma)が「定理」と訳されたことによる。また教義神学の訳語も散見される。.

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教文館

株式会社教文館(きょうぶんかん、Kyobunkwan Inc., Christian Literature Society of Japan)とは、東京都中央区銀座四丁目に所在する出版社、書店。.

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10月9日

10月9日(じゅうがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から282日目(閏年では283日目)にあたり、年末まであと83日ある。誕生花は ホトトギス。.

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1721年

記載なし。

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1865年

記載なし。

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1878年

記載なし。

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1883年

記載なし。

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1888年

記載なし。

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1892年

記載なし。

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1897年

記載なし。

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1898年

記載なし。

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1905年

記載なし。

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1907年

記載なし。

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1913年

記載なし。

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1917年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

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1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.

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1月31日

1月31日(いちがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から31日目に当たり、年末まであと334日(閏年では335日)ある。1月の最終日である。.

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2月革命 (1917年)

2月革命(2がつかくめい、, )は、第一次世界大戦中のロシアで1917年に発生した革命運動である。ロマノフ朝による帝政(ロシア帝国)が崩壊し、数年間の革命と内戦を経てソビエト連邦の設立につながった。 この当時のロシアでは、現在一般的に用いられているグレゴリオ暦とは異なるユリウス暦が採用されており、暦上13日の遅れが存在する。この時の革命はグレゴリオ暦によると3月革命となるが、以下では2月革命に統一する。日付についても旧暦を用いている。.

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4月7日

4月7日(しがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から97日目(閏年では98日目)にあたり、年末まではあと268日ある。誕生花はディモルフォセカ、サクラ。.

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