ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

修道士

索引 修道士

修道士(しゅうどうし、)というキリスト教用語には二つの語義・概念がある。ただし二つの概念は排他的概念ではなく包含関係にある(「1」の語義が「2」の語義より広義)。.

70 関係: 助祭司祭叙階大アントニオス夫婦婚姻の秘跡宗教改革主教修道司祭修道士修道士カドフェル修道会修道院マザー・テレサハリストスバチカンモンテ・カッシーノローマ帝国ロシア革命ヌルシアのベネディクトゥスプロテスタントフランス革命フランス語フォントヴロー修道院ニコライ堂和歌山県アルバニアアトス山イラリオン (アルフェエフ)エジプトカトリック教会キリストキリスト教キリスト教における独身制ギリシア語コンボスキニオンジェームズ・マティススコラスティカソビエト連邦サロフのセラフィムサウンド・オブ・ミュージック共産主義典院克肖者神の王国神品 (正教会の聖職)神品機密第2バチカン公会議第二次世界大戦隠者...聖人聖公会西方教会輔祭長老 (正教会)配偶者掌院東京都東ヨーロッパ東西教会の分裂東方諸教会東方教会正教会正教徒数珠状の祈りの用具教区司祭11世紀20世紀3世紀6世紀 インデックスを展開 (20 もっと) »

助祭

助祭(じょさい、)はキリスト教における教会職務のひとつで、ギリシャ語のδιάκονος(奉仕者の意)を語源とする。カトリック教会では、司祭につぐ職位。正教会では「輔祭」の訳語を、聖公会などプロテスタントでは「執事」という訳語を用いている。 ラテン語ではdiaconusといい、トリエント公会議では「聖職位階の上位」であったが、第2バチカン公会議ではそれまで存在した副助祭、祓魔師、読師、守門という四つの下級叙品が廃止されたため、現代では「聖職位階の下位」(『教会憲章』29項)となっている。 第二バチカン公会議以来、助祭を司祭への通過点や、ミサなどの典礼における単なる「司祭の補助」と見なすのではなく、助祭として固有の職務を再確認する方向に進んでいる。これに伴い司祭には叙階されず、既婚者もなりうる終身助祭 (permanent deacon) の制度が復活し、最近では日本でも登場し始めている。 また、中世以降(現教会法でも)、助祭は男性に限られているが、カルケドン公会議などで40歳以上の独身女性の叙階を認めるなどの例が教会の歴史において見られる。 Category:キリスト教の称号・役職 Category:カトリック en:Deacon id:Diakon pl:Diakonat.

新しい!!: 修道士と助祭 · 続きを見る »

司祭

司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会に存在する。 プロテスタントには、万人祭司の教理により司祭がおらず、指導者として牧師がいる。.

新しい!!: 修道士と司祭 · 続きを見る »

叙階

叙階(じょかい)とは、キリスト教カトリック教会の秘跡(サクラメント)の一つで聖職者を任命すること。 正教会では神品機密(叙聖)に相当。聖公会では聖職者按手(叙任)に相当するが、聖奠ではなく聖奠的諸式に位置づけられる。プロテスタント教会では按手礼に相当するが、サクラメントとは位置づけられていない。.

新しい!!: 修道士と叙階 · 続きを見る »

大アントニオス

聖大アントニオス(Αντώνιος, Antonius、251年頃 - 356年)、あるいは大アントニオは、キリスト教(正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)の聖人。修道士生活の創始者とされる。ラテン語から聖アントニウスとも表記される。正教会では勤行者克肖者聖大アントニイと記憶される。.

新しい!!: 修道士と大アントニオス · 続きを見る »

夫婦

夫婦(ふうふ、めおと、みょうと)とは、適法の婚姻をした男性と女性。妻夫(めお)、夫妻(ふさい)とも言う。男性を夫と呼び、女性を妻と呼ぶ。.

新しい!!: 修道士と夫婦 · 続きを見る »

婚姻の秘跡

婚姻の秘跡(こんいんのひせき)とは、カトリック教会の結婚であり、七つの秘跡の一つである。結婚の秘跡とも呼ばれるようにもなり、カトリック教会のカテキズムの日本語版では「結婚の秘跡」と書かれている。(以下、ここでは「結婚の秘跡」と表記する).

新しい!!: 修道士と婚姻の秘跡 · 続きを見る »

宗教改革

フスの殉教 宗教改革(しゅうきょうかいかく、Protestant Reformation)とは、16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。 ルターによるルター教会、チューリッヒのツヴィングリやジュネーヴのカルヴァンなど各都市による改革派教会、ヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立した。また、当時はその他にアナバプテスト(今日メノナイトが現存)など急進派も力を持っていた。.

新しい!!: 修道士と宗教改革 · 続きを見る »

主教

主教(しゅきょう、Επίσκοπος, Episcopus, Bishop, Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者主教について、「最高位」(英語では"highest" もしくは"supreme")に類した表現を使用して居らず、「高位」(英語では"high")に当たる言葉も使っていないケースもあるが(、 )、一方で「最高位」 ("highest") を使用している文献もある。ここでは大辞泉での表現「高位」に拠った。。複数教会によって構成される教区を管轄する(大辞泉)正教会の出典:聖公会の出典:。 カトリック教会では司教と呼ばれる。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる『キリスト教大事典』519頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版。 2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる。.

新しい!!: 修道士と主教 · 続きを見る »

修道司祭

修道司祭(しゅうどうしさい)とは、正教会、カトリック教会、聖公会において、修道士かつ司祭である者を言う。.

新しい!!: 修道士と修道司祭 · 続きを見る »

修道士

修道士(しゅうどうし、)というキリスト教用語には二つの語義・概念がある。ただし二つの概念は排他的概念ではなく包含関係にある(「1」の語義が「2」の語義より広義)。.

新しい!!: 修道士と修道士 · 続きを見る »

修道士カドフェル

修道士カドフェル(しゅうどうしカドフェル、Cadfael)は、エリス・ピーターズ作の連作歴史ミステリーの主人公。イングランドはシュロップシャー州シュルーズベリにある聖ペテロ・聖パウロ大修道院(シュルーズベリ大修道院、ベネディクト会)の修道士。一風変わった経歴を持つ修道士のカドフェルが様々な事件を解決していく。 修道院では、彼が東方より持ち帰った種子から育てたハーブが揃った薬草園を管理している。.

新しい!!: 修道士と修道士カドフェル · 続きを見る »

修道会

修道会(しゅうどうかい)は、キリスト教の西方教会における組織。カトリック教会においては教皇庁の認可を受けて、キリスト教精神を共同生活の中で生きる、誓願によって結ばれた信徒の組織である。修道会の会員は修道者といわれる。 なお、東方諸教会・正教会・聖公会・ルター派にも修道院制度は存在するが、前二者の東方教会には修道会制度は存在しない。.

新しい!!: 修道士と修道会 · 続きを見る »

修道院

イスラエルにあるカトリック教会のトラピスト修道院 シナイ山にある正教会の聖カタリナ修道院 カラー写真。 パドゥーラ修道院(イタリア、カトリック教会) グレゴール・ヨハン・メンデル。修道士であると共に、遺伝学の研究も行った 修道院(しゅうどういん、Abbey)は、キリスト教において修道士がイエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設。 男子修道院と女子修道院とがあり、いずれにおいても修道士・修道女は独身を守る。いくつかの修道院の集まった修道院群のことを、大修道院と呼ぶ。修道院を有する教派としては、東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会がある。ルーテル教会を除き、プロテスタントには極めて僅かな例外を除いて修道院は無い。 カトリック教会には修道会の制度がある。このうち観想修道会の会員は原則的に修道院の敷地内を出ずに生活するため、修道院が修道士たちが自由に行き来することが可能な唯一の場所になる。トラピスト会のような観想修道会に所属する会員(修道士)は、基本的には自分の意思で修道院から出ることは出来ない。 帝国代表者会議主要決議の第35条は、各領主に修道院を自由に処分する権限を与えた。有力なプロイセン王国・バーデン王国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国において、修道院はどんどん解体されていった。バイエルン選帝侯領の修道院は身分制議会に議席を持ち、また選帝侯領の32%を保有していた。このころの修道院は科学研究機関をかねており、解散により保有していた学術的収集品が資産として処分されてしまった。.

新しい!!: 修道士と修道院 · 続きを見る »

マザー・テレサ

マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910年8月26日 - 1997年9月5日)、あるいはコルカタの聖テレサ (Saint Teresa of Calcutta) は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ (Anjezë/Agnès Gonxha Bojaxhiu)。 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛したリジューのテレーズにちなんだ修道名である。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。 生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民は彼女を入れて、わずか7人しかいない)。.

新しい!!: 修道士とマザー・テレサ · 続きを見る »

ハリストス

ハリストス((Χρίστος, 教会スラヴ語・ロシア語: Христос)は、中世以降のギリシア語の発音(フリストス)を基にした教会スラヴ語・ロシア語での発音に由来する、日本ハリストス正教会において使われる表記。 現代のギリシア、キプロス等における人名は、フリストスと表記される。 日本の西方教会では「キリスト」に相当するが、これはポルトガル語(Christo)に由来する表記。.

新しい!!: 修道士とハリストス · 続きを見る »

バチカン

バチカン市国(バチカンしこく、Status Civitatis Vaticanae、Stato della Città del Vaticano)、通称バチカンは、ヨーロッパにある国家で、国土面積は世界最小である(ただし、国際連合加盟国のみの場合はモナコになる)。ヴァチカンやバティカン、ヴァティカンとも表記される。 なお、経済指標はイタリアに統合される。.

新しい!!: 修道士とバチカン · 続きを見る »

モンテ・カッシーノ

モンテ・カッシーノと修道院 モンテ・カッシーノ(Monte Cassino)は、イタリア共和国ラツィオ州フロジノーネ県カッシーノ市郊外に位置する標高519mの岩山。ヌルシアのベネディクトゥスが同地に初めてベネディクト会の修道院を築いたこと(529年ごろ)で有名。同修道院は古代から中世を通じてヨーロッパの学芸の中心という重責を担っていたが、戦乱の中でたびたび破壊された。.

新しい!!: 修道士とモンテ・カッシーノ · 続きを見る »

ローマ帝国

ーマ帝国(ローマていこく、Imperium Romanum)は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。 帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。.

新しい!!: 修道士とローマ帝国 · 続きを見る »

ロシア革命

ア革命(ロシアかくめい, Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ, Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。 「二月革命」、「十月革命」は当時ロシアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を基にしており、現在一般的に用いられるグレゴリオ暦ではそれぞれ「三月革命」、「十一月革命」となる。この項目で使用されている月日は1918年2月14日のグレゴリオ暦導入までの事柄についてはユリウス暦による月日で表記しており、13日を加算するとグレゴリオ暦の月日に換算できる。.

新しい!!: 修道士とロシア革命 · 続きを見る »

ヌルシアのベネディクトゥス

ヌルシアのベネディクトゥス(羅:Benedictus de Nursia, 480年頃 - 547年)は、中世のキリスト教の修道院長で、西方教会における修道制度の創設者と呼ばれ、ベネディクトスの著した会則は西ヨーロッパに広く普及し、やがて「西欧修道士の父」と称されるようになった『ラルース 図説 世界人物百科I』(2004)pp.248-250。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会および正教会で聖人。ベネディクトやベンディクトとも表記され、イタリア語ではベネデット(Benedetto)と呼ばれる。正教会ではノルシヤの克肖者聖ベネディクトと称される。 カトリック教会においては、教会の聖堂名や保護聖人名、個人の霊名、その他において「聖ベネディクト」と記載・表記した場合、このヌルシアのベネディクトゥスを表すことが多い。 529年ころイタリアのローマとナポリの間にあるモンテ・カッシーノ(イタリア共和国ラツィオ州)に修道院を設け、540年ころ修道会則(戒律)を定めて、共同で修道生活を行った。彼の戒律に従った修道会の一つをベネディクト会と呼ぶ。.

新しい!!: 修道士とヌルシアのベネディクトゥス · 続きを見る »

プロテスタント

プロテスタント(Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではカトリック教会(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。.

新しい!!: 修道士とプロテスタント · 続きを見る »

フランス革命

フランス革命(フランスかくめい、Révolution française, French Revolution)は、18世紀(1789年5月5日 – 1799年11月9日)にフランス王国(ブルボン朝)で起きた市民革命。 世界史上の代表的な市民革命で、前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命。フランス革命戦争を通して、カリブ海から中東まで戦争が波及した。歴史家はフランス革命を世界史の中で最も重要な出来事の一つであると見なしている。 1787年にブルボン朝の絶対王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、1789年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、政治体制は絶対王政から立憲王政、そして共和制へと移り変わった。さらに1794年のテルミドール反動ののち退潮へ向かい、1799年にナポレオン・ボナパルトによるクーデターと帝政樹立に至る(1799年11月9日のブリュメール18日のクーデター)。一般的には1787年の貴族の反抗から1799年のナポレオンによるクーデターまでが革命期とされている。 フランスの王政とアンシャン・レジームが崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃されて近代的所有権が確立される一方、アッシニア紙幣をめぐって混乱が起こった。.

新しい!!: 修道士とフランス革命 · 続きを見る »

フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

新しい!!: 修道士とフランス語 · 続きを見る »

フォントヴロー修道院

フォントヴロー修道院(L'abbaye de Fontevraud)は、フランス・メーヌ=エ=ロワール県フォントヴロー=ラベ近郊にある修道院。巡回説教師ロベール・ダルブリッセルによって創建された。彼はフォントヴロー修道会の創設者である。最初の恒久的な建物は、1110年から1119年にかけ建てられた。.

新しい!!: 修道士とフォントヴロー修道院 · 続きを見る »

ニコライ堂

ニコライ堂(東京都千代田区)。現在の姿は1929年に修復されたもの。 ニコライ堂 1891 ニコライ堂(ニコライどう、)は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。「ニコライ堂」は通称であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来する[タイムトラベル]ニコライ堂 祈り続く丘の尖塔屋根 2012年12月20日 読売新聞 東京夕刊 3頁 写有 (全560字)。 正式名称は「東京復活大聖堂」()であり、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂である。 日本正教会の首座主教座大聖堂(ロシア正教会の聖堂ではない。後述)。 建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めた。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至る。1962年6月21日、国の重要文化財に指定された。.

新しい!!: 修道士とニコライ堂 · 続きを見る »

和歌山県

和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.

新しい!!: 修道士と和歌山県 · 続きを見る »

アルバニア

アルバニア共和国(アルバニアきょうわこく、Shqipëria)、通称アルバニアは、東ヨーロッパのバルカン半島南西部に位置する共和制国家。首都はティラナ。 西はアドリア海に面し、北にはモンテネグロ、東にはマケドニア共和国とコソボ、南にはギリシャと国境を接する。 宗教の信者数はオスマン帝国支配等の歴史的経緯から、イスラム教徒である国民が大半を占めるが、信仰形態は非常に世俗的である。また、キリスト教の正教会やカトリックの信者も少なくない。なお、欧州で唯一のイスラム協力機構正規加盟国である。 1992年 - 1998年の国章 オスマン帝国時代アルバニア系人の旗(1453–1793).

新しい!!: 修道士とアルバニア · 続きを見る »

アトス山

アトス山( / )は、ギリシャ北東部・エーゲ海に突き出したアトス半島の先端にそびえる標高2033mの山。その周辺は正教会の聖地となっており、「聖山」(、Holy Mountain)の名でも呼ばれる。アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地である。「アトス山」の名は、聖地となっている半島の全域や、修道士たちの共同体についても用いられることがある デイリー新潮 国際 2017年8月18日掲載 2017年9月1日閲覧。 ギリシャ共和国の領内ではあるが「聖山の修道院による自治国家」として大幅な自治が認められており、いわば「独立宗教国」ともいえる存在となっている。1988年にはユネスコによって世界遺産に認定された。.

新しい!!: 修道士とアトス山 · 続きを見る »

イラリオン (アルフェエフ)

イラリオン(修道誓願前の姓:アルフェエフ、Иларион (Алфе́ев), Hilarion (Alfeyev)、1966年7月24日 - )は、ロシア正教会の府主教。渉外局長・モスクワ教区副主教・ヴォロコラムスクの府主教。聖職者であり、神学者であり、歴史学者であり、作曲家である。 出版された著作はロシア語のみならず、英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語・フィンランド語・セルビア語など多言語にわたった版が存在し、日本正教会の信徒(ニコライ高松光一)によって日本語にも翻訳されている。 名前について英語表記から「ヒラリオン」と転写されるケースがあるが、ロシア語でこのように表記・発音する事は無い("Иларион"をラテン文字転写すると"Ilarion")。.

新しい!!: 修道士とイラリオン (アルフェエフ) · 続きを見る »

エジプト

プト・アラブ共和国(エジプト・アラブきょうわこく、جمهورية مصر العربية)、通称エジプトは、中東・アフリカの共和国。首都はカイロ。 西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルと隣接し、北は地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯(ナイル・デルタ)のほかは、国土の大部分が砂漠である。ナイル河口の東に地中海と紅海を結ぶスエズ運河がある。.

新しい!!: 修道士とエジプト · 続きを見る »

カトリック教会

トリック教会(カトリックきょうかい、)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。.

新しい!!: 修道士とカトリック教会 · 続きを見る »

キリスト

リストは、ヘブライ語のメシア(מָשִׁיחַ)のギリシア語訳 Χριστος (Khristos クリストス、フリストス)からの、日本語における片仮名表記。基督、クリスト、クライスト、ハリストスとも表記される。 本項ではキリスト教における語彙「キリスト」の語義・意義について述べる。.

新しい!!: 修道士とキリスト · 続きを見る »

キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

新しい!!: 修道士とキリスト教 · 続きを見る »

キリスト教における独身制

本項目では、キリスト教における独身制(どくしんせい、Clerical celibacy)について、主に教役者・修道士の独身について記述する。.

新しい!!: 修道士とキリスト教における独身制 · 続きを見る »

ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

新しい!!: 修道士とギリシア語 · 続きを見る »

コンボスキニオン

モスクワ府主教マカリイ2世(在位1912年 - 1917年)。左手に持っているのがコンボスキニオン(チョトキ)。ロシア正教会などのスラヴ系正教会では白いクロブーク(帽子の一種)で府主教である事が識別出来る。但しルーマニア正教会のように総主教が白いクロブークを着用しているケースも正教会にはあるので注意が必要。首から下げているのはパナギア。リヤサを着用している。 コンボスキニオン(Κομβοσχοίνι, Чётки, prayer rope)とは、正教会で用いられる数珠状の祈りの用具。チョトキとも。 イイススの祈りとともに用いる。4世紀のエジプトの修道士・聖人によって考案されたとされている。カトリック教会のロザリオの起源ともされる。.

新しい!!: 修道士とコンボスキニオン · 続きを見る »

ジェームズ・マティス

ェームズ・ノーマン・マティス(、1950年9月8日 - )は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。階級は退役海兵隊大将。学位はBachelor of Arts in history(セントラル・ワシントン大学・1971年)。第26代アメリカ合衆国国防長官。 海兵隊大将としてアメリカ統合戦力軍司令官、NATO変革連合軍最高司令官、アメリカ中央軍司令官を歴任した。.

新しい!!: 修道士とジェームズ・マティス · 続きを見る »

スコラスティカ

ラスティカ スコラスティカ(Scholastica、480年頃 - 547年頃)は、修道女で、カトリック教会・正教会の聖人。.

新しい!!: 修道士とスコラスティカ · 続きを見る »

ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

新しい!!: 修道士とソビエト連邦 · 続きを見る »

サロフのセラフィム

森林での修業中、熊に食べ物を与える聖セラフィム サロフのセラフィム(1759年7月19日 - 1833年1月2日、ロシア語:Серафим Саровский、英語:Seraphim of Sarov)は、正教会の聖人。1903年にロシア正教会によって列聖された。正教において著名な長老の一人。サロフの克肖者聖セラフィム(サロフのこくしょうしゃ せいセラフィム)とも。 クリスチャンの信仰生活の目的を尋ねるモトフィロフに対して、「信仰生活の本当の目的は聖神(せいしん:聖霊)の獲得にあります」と答えた言葉が特に知られている。.

新しい!!: 修道士とサロフのセラフィム · 続きを見る »

サウンド・オブ・ミュージック

『サウンド・オブ・ミュージック』(英語:The Sound of Music、「音楽の音」の意)は、リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞、ハワード・リンゼイ、ラッセル・クラウス脚本による1959年のミュージカル作品である。 オーストリア出身のマリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』(The Story of the Trapp Family Singers)を基にしている。「エーデルワイス」や「私のお気に入り」、「すべての山に登れ」、「ドレミの歌」、表題曲「サウンド・オブ・ミュージック」といったミュージカルの多くの曲がスタンダードとなっている。 メアリー・マーティンとセオドア・ビケル主演のオリジナルブロードウェイ公演は1959年11月16日に開幕した。以後、数多くの上演やリバイバル公演が行われている。1965年にジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマーでミュージカル映画化され、アカデミー賞5部門を受賞した。『サウンド・オブ・ミュージック』はロジャース&ハマースタインによって書かれた最後のミュージカルであった。ハマースタインはブロードウェイプレミアの9か月後にがんのため死去した。.

新しい!!: 修道士とサウンド・オブ・ミュージック · 続きを見る »

共産主義

主にマルクス・レーニン主義系の共産主義のシンボルともされる赤い星 共産主義(きょうさんしゅぎ、Communism、Коммунизм)とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、政治体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。その理念、共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在している。 共産主義のシンボルには、社会主義と同様に赤色や赤旗が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには赤い星や鎌と槌なども使用されている。.

新しい!!: 修道士と共産主義 · 続きを見る »

典院

典院(てんいん)とは、正教会の修道司祭のうち、高位の修道司祭の称号であり、修道院を管轄する修道院長たる修道司祭の称号である。日本ハリストス正教会の訳語。ギリシャ語の原義は「指導者」など。.

新しい!!: 修道士と典院 · 続きを見る »

克肖者

克肖者(こくしょうしゃ)とは正教会で聖人に付される称号。日本正教会による訳語。正教会において最も一般的な聖人の称号であり、亜使徒、致命者、廉施者、登塔者、佯狂者なども含めた正教会の聖人の総称としても用いられるが、修道士であった聖人に用いられる事が多い。女性の聖人に「克肖」の称号が用いられる場合には克肖女(こくしょうじょ)と呼ばれる。 英語の"Venerable"はカトリック教会では尊者に相当するが、正教会の克肖者とカトリック教会の尊者とでは全く意味合いが異なる。.

新しい!!: 修道士と克肖者 · 続きを見る »

神の王国

の王国(かみのおうこく、βασιλεία τοῦ Θεοῦ, kingdom of God)は、1世紀30年ごろパレスチナで活動したユダヤ人宗教家ナザレのイエスの宣教における最重要概念である。この宗教概念はのちにイエスがキリスト教の開祖とされ、キリスト教が世界宗教となるに及んで、宗教、社会、政治などさまざまな分野に影響を与えた。 日本語の訳語としては『口語訳聖書』や『新共同訳聖書』が採用している神の国が広く使われている。岩波書店発行の佐藤研らが日本語訳した『新約聖書』では神の王国と訳されている。.

新しい!!: 修道士と神の王国 · 続きを見る »

神品 (正教会の聖職)

宝冠を被って奉事に当たっているのが主教である。正教会では祭日ごとに祭服の色を統一して用いるのが一般的であり、このように諸神品が別々の色の祭服を用いるケースはそれほど多くはない。また、祭服をこのように完装するのは写真撮影などの特別な場合を除いて公祈祷の場面に限られている。 神品(しんぴん)とは、神品機密に於いて主教から叙聖された正教会の聖職者。日本正教会による用語である。 神品には大きく分けて主教(主教品)、司祭(司祭品)、輔祭(輔祭品)の三種がある。副輔祭、誦経者は神品に含まれない。輔祭になる前に結婚するのであれば、正教会の輔祭・司祭は妻帯が可能である。.

新しい!!: 修道士と神品 (正教会の聖職) · 続きを見る »

神品機密

品機密(しんぴんきみつ、Ιερωσύνη, Священство, Holy Orders)とは正教会において神品(主教・司祭・輔祭)を任ずる機密のこと。主教が神品機密を執行して新たに神品に任ずることを叙聖(じょせい)という。聖体礼儀において行われる。 正教会の聖職者・教役者のシステム・位階については神品 (正教会の聖職)・教衆を参照。 カトリック教会における叙階(じょかい)の秘跡に相当する。.

新しい!!: 修道士と神品機密 · 続きを見る »

第2バチカン公会議

2バチカン公会議(だい2バチカンこうかいぎ、、1962年~1965年)は、ローマ教皇ヨハネ23世のもとで開かれ、後を継いだパウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議である。 この会議では、公会議史上初めて世界五大陸から参加者が集まり、まさに普遍公会議というにふさわしいものとなった。教会の現代化(アジョルナメント)をテーマに多くの議論がなされ、以後の教会の刷新の原動力となるなど、第2バチカン公会議は20世紀のカトリック教会において最も重要な出来事であり、現代に至るまで大きな影響力をもっている。.

新しい!!: 修道士と第2バチカン公会議 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 修道士と第二次世界大戦 · 続きを見る »

隠者

者(いんじゃ)とは、一般社会との関係を絶ち(隠遁)、生活する人のこと。特にキリスト教や仏教など多くの宗教の宗教者、または宗教的背景をもった隠者が多数知られる。 キリスト教では、この言葉は宗教的信念、特に旧約聖書(つまり、40年間シンの荒野を放浪して心境が変化したくだり(民数記第13章))に影響された砂漠の神学から隠遁生活を送った人々に使われる。 伝統的にキリスト教では隠遁生活は修道生活の先駆けとみなされている。聖ベネディクトの戒律の1は4種類の修道僧の中に隠者を数えている。カトリック修道会の隠者に加えて、カトリック教会の宗教法(カノン603)では当該管区の司教の指示に従って隠者が奉献生活を送ることを認めている。同じことが米国聖公会を含む多くの聖公会でも認められている。聖公会のカノン法では自分の管区の司教に従い、司教の要求する準備計画に耐える者は生涯独身であることを誓う。彼らは隠者というよりむしろ独居者と言われる。めいめいの隠者が自分の管区の司教よりもむしろ別の司教を選んで付加的な心のよりどころとして、さらに必要ならば仲介人とする。 宗教的な文学でも世俗の文学でもしばしば「隠者」という言葉が人間不信者を含めて孤独な生活を送っているものをゆるく指して使われている。 近代の口語的な用法では、「隠者(hermit)」という言葉は一般社会から離れた生活を送っているものや社会的行事に参加していないものを指して使われる。.

新しい!!: 修道士と隠者 · 続きを見る »

聖人

聖人(せいじん[漢音]、しょうにん[呉音])とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。一般的な読み方は「聖人」(せいじん)であるが、仏教の場合は「聖人」(しょうにん)と読むことがある。.

新しい!!: 修道士と聖人 · 続きを見る »

聖公会

聖公会(せいこうかい、Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派。「聖公会」とは聖なる公同の教会(holy catholic church)という意味であり、1887年から日本で、その後中国でも用いられるようになった名称である。 聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道(Via Media)」の教会であると自認している(系統概略図も参照)。 世界各地にある聖公会の諸教会の世界的連合を、アングリカン・コミュニオン (Anglican Communion)という。アングリカン・コミュニオンはイングランド国教会を母体とし、カンタベリー大主教の指導的地位を認めるが、裁治権はカンタベリー大主教にはない。聖公会の教会組織は、国家ごとに独立して自治を行う形態をとっている。.

新しい!!: 修道士と聖公会 · 続きを見る »

西方教会

西方教会(せいほうきょうかい、Western Christianity) は、西ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(ローマ・カトリック教会、聖公会、プロテスタント、アナバプテストなど)の総称。ローマ・カトリック教会のみを指す場合もある。東方教会の対語。 ただし、東方典礼カトリック教会は完全にローマ・カトリック教会の一員であるが、基本的に東方教会に分類される(まれに西方教会に分類されることもある)。.

新しい!!: 修道士と西方教会 · 続きを見る »

輔祭

輔祭(ほさい、Διάκονος、Диакон、Deacon)は正教会における神品(聖職者)の職分のひとつ。主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼において補佐する。日本正教会の訳語。男性の正教徒が主教による神品機密によって叙聖されることにより、輔祭職に就く。 他教会との比較では、カトリック教会の助祭、聖公会の執事に相当する。なお、正教会における「執事」は、他教派では一般の信徒が務める「教会役員」等に相当する。 輔祭の中に細分化された位階として、首輔祭・長輔祭がある。稀に「補祭」との表記が見られるがこれは誤りである。.

新しい!!: 修道士と輔祭 · 続きを見る »

長老 (正教会)

正教会における長老(стáрец, Starets、スターレツ)は、正教会において、精神的に優れていると認められ、精神的指導を行う年長者。神品(聖職者)でもある者もいれば、神品ではない者もいる。 歴史的にはロシア正教会において発展した制度であり同教会で言及される事が多いが、セルビア正教会、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会など、他の地域の正教会にも長老と呼ばれる人々の系譜が現代まで連なっており、ギリシャ語では"Γέρων"(ゲロン)と表記される。 日本正教会訳聖書で、スターレツに対応しない者に「長老」との訳語が当てられているケースもあるが、本項ではスターレツに対応する者について詳述する。.

新しい!!: 修道士と長老 (正教会) · 続きを見る »

配偶者

配偶者(はいぐうしゃ)は、婚姻関係にある相手方。居住を共にし、場合によっては間に子供を持ち、それを養育しながら家庭生活を営む。男性配偶者を夫(おっと)、女性配偶者を妻(つま)という。.

新しい!!: 修道士と配偶者 · 続きを見る »

掌院

『掌院イオシフ』ルーマニア正教会の掌院が描かれている。リヤサを着用し、胸掛け十字架を身につけ、クロブークを被っている(画: ゲオルゲ・タッタレスクによる、1865年)。 掌院(しょういん)とは、正教会の修道司祭のうち、高位の修道司祭の称号であり、修道院を管轄する修道院長たる修道司祭の称号である。日本ハリストス正教会の訳語。.

新しい!!: 修道士と掌院 · 続きを見る »

東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

新しい!!: 修道士と東京都 · 続きを見る »

東ヨーロッパ

中東 東ヨーロッパ(ひがしヨーロッパ)は、東欧ともいい、ヨーロッパ東部の地域を指す。時代によって「東欧」の概念は大きく変わる。広義には、かつてのヨーロッパのソ連型社会主義圏を指して「東欧」と呼んでいたが、狭義にはロシア(のウラル山脈以西)・ウクライナ・ベラルーシの三国を指す。以下は「東欧」という概念の大まかな変遷を説明する。.

新しい!!: 修道士と東ヨーロッパ · 続きを見る »

東西教会の分裂

東西教会の分裂(とうざいきょうかいのぶんれつ)は、キリスト教教会が、ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会)と、東方の正教会とに二分されたことをいう。多くのシスマ(分裂)の中でも史上最大規模だったことから大シスマとも呼ばれる。 分裂の年は、日本においては、ローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教が相互に破門した1054年とされることが多い。 しかし395年にローマ帝国が東西に分割された後、476年の西ローマ帝国滅亡を経て、東西両教会の交流が薄くなり、数百年の間に教義の解釈の違い(フィリオクェ問題等)、礼拝方式の違い、教会組織のあり方の違い(教皇権に対する考え方の違い、司祭の妻帯可否等)などが増大した - (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一) - (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一)。そうした流れの中に1054年の事件があるのであり、一応、1054年の「相互破門」が日本の世界史教科書等で一般的な目安ではあるが、異論も少なくない。1054年の相互破門自体は東西双方から解消されているが、いまだに東西両教会の「合同」は成立していない - (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一)。 キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図。更に細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。.

新しい!!: 修道士と東西教会の分裂 · 続きを見る »

東方諸教会

東方諸教会(とうほうしょきょうかい、東方正統教会・東方キリスト教などとも)は、西ヨーロッパからみて東方に位置する地域で主に信仰されているキリスト教の諸教派のうち、正教会にもカトリック教会にも帰属しない教会の総称である。東方教会に分類される。 「東方諸教会」には、エフェソス公会議で既に分れた(つまり「非エフェソス」であって「非カルケドン」ではない)アッシリア東方教会が含まれる用例(この場合、非カルケドン派+アッシリア東方教会=東方諸教会)と、アッシリア東方教会を含まず非カルケドン派正教会と同義として扱う場合がある。 日本では東方正統教会等と呼んでいる事例がある。.

新しい!!: 修道士と東方諸教会 · 続きを見る »

東方教会

東方教会(とうほうきょうかい、Eastern Christianity)は、中東・ギリシャ・アナトリア・東ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(正教会、東方諸教会)の総称。正教会のみを指す場合もある。西方教会の対語。 広義の東方教会には以下の諸教会が含まれる"The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p168 - p169, ISBN 9780631232032。;正教会;非カルケドン派;アッシリア東方教会;東方典礼カトリック教会;上記諸教会から異端とされるグループ.

新しい!!: 修道士と東方教会 · 続きを見る »

正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

新しい!!: 修道士と正教会 · 続きを見る »

正教徒

正教会の教会機構の図解。 正教徒(せいきょうと)とは、キリスト教の教派のひとつである正教の信者を意味する用語。正教信徒(せいきょうしんと)とも。日本ハリストス正教会でも頻繁に用いられる。一般には7つの全地公会議を認める諸教会(Eastern Orthodox)の信徒を指し、非カルケドン派(Oriental Orthodox)に所属する教会の信徒にはあまり用いられない。 グルジア正教会、ブルガリア正教会、セルビア正教会、ロシア正教会、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、日本正教会等、そのいずれもが正教会なのであり、同じ信仰を有している。 教義・教理は全く同じであり、機密(秘蹟)はいずれの教会のものも相互に有効であるとされ、いずれの教会に属する信徒も「正教徒」と呼ばれ、教会間の相互領聖は完全に行われており、フル・コミュニオンの関係にある。.

新しい!!: 修道士と正教徒 · 続きを見る »

数珠状の祈りの用具

数珠状の祈りの用具(じゅずじょうのいのりのようぐ)では、数珠のように玉を連結した祈りの用具について記述する。 数珠は通例、仏教で用いられる祈りの用具を指すが、同様の玉を連結した祈りの用具は他宗教(キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教など)にも存在し、これらを合わせて数珠と総称することもある。特に日本語以外の言語では宗教・宗派・教派を問わない普通名詞としての総称が存在することがある(例:prayer beads, чётки, Gebetskette)。 本記事は、他言語版ウィキペディアにおいて、宗教の別を超えた総称としての数珠の記事にリンクしている。.

新しい!!: 修道士と数珠状の祈りの用具 · 続きを見る »

教区司祭

教区司祭(きょうくしさい)とは、カトリックの聖職者で、司教の管理下で活動する司祭の総称。または、在俗司祭ともいう。 修道会の司祭と違い、修道会総長(会長)の人事的、行政的管轄には入らず、修道誓願も立てない為、人事権や行政権は、司教の管轄下にある。.

新しい!!: 修道士と教区司祭 · 続きを見る »

11世紀

トスカーナ女伯マティルデ(右)とクリュニー修道院長(左)。 ウィリアム1世になる。 マーストリヒト大聖堂宝物室の写本外装。聖遺物崇敬の高まりとともにモザン美術と呼ばれるマース川流域の低地地方で生み出された金銀やエナメルの細工も巧緻なものとなった。この11世紀に造られた写本外装は現在はルーヴル美術館にある。 藤原道長。御堂関白とも通称された道長の時代に摂関政治は頂点に達した。画像は『紫式部日記』藤田家本第5段から1008年の一条天皇の土御門邸行幸に備え、新造の竜頭鷁首の船を検分する道長。 紫式部と『源氏物語』。かな文字の発達は日本独特の女流文学の発展を促した。画像は12世紀初頭に描かれた『源氏物語絵巻』「竹河」(徳川美術館蔵)。 宇治の平等院鳳凰堂。末法思想の高まりとともに阿弥陀仏の極楽浄土に往生すること(浄土思想)が求められた。平等院は関白藤原頼通によって建てられたもので、中心の鳳凰堂には仏師定朝の手による阿弥陀仏が安置されている。 遼の応県木塔。山西省応県の仏宮寺釈迦塔のことで章聖皇太后の弟蕭孝穆により建立された中国最古の木造の塔とされる。 仁宗の時期までに北宋は国制を整え、遼や西夏とは和平関係を結び、安定期を現出した。画像は仁宗の皇后曹氏(慈聖光献曹皇后)の肖像(台湾故宮博物院蔵)。 北宋の宰相・王安石。慢性的な財政難を克服するため神宗皇帝の熙寧年間に大改革を行った王安石だったが、司馬光らとの党争を惹起し、国内を混乱させることともなった。 山水画の大成。唐末五代から著しい進展を見せた山水画は北宋の李成・范寛・郭熙らの名手により高い技術と深い精神性を得ることになった。画像は台北国立故宮博物院蔵の郭熙の「早春図」。 敦煌楡林窟第3窟壁画「文殊菩薩」。仏教信仰に熱心だった西夏支配の敦煌では最後の繁栄の時代を迎えていた。 チャンパ王国の発展。11世紀初頭にヴィジャヤに遷都した王国はこの地に独特の文化を花開かせた。画像はビンディン省タイソン県にあるズオン・ロン塔で「象牙の塔」の名でも知られている。 カジュラーホーのパールシュバナータ寺院の塔(シカラ)。チャンデーラ朝のダンガ王と続く歴代の王によって建立された。 マフムードの宮廷。 『シャー・ナーメ(王書)』。11世紀初めにフェルドウスィーによってまとめられた長大なペルシア民族叙事詩。画像はサファヴィー朝時代の『シャー・ナーメ』の写本。 イブン・スィーナー。『医学典範』を著した博学な医師であると同時に東方イスラム世界を代表する哲学者としても多くの仕事を残した。 「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のあるガズヴィーンはイランのカスピ海南岸の街で、近郊には「暗殺教団」ニザール派のアラムート要塞もある。 商業都市フスタート。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られたラスター彩陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である(メリーランド州ボルチモアのウォルターズ美術館蔵)。 Astrolabio de al-Sahlî」(スペイン国立考古学博物館蔵)。 コンスタンティノス9世の肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生している。 アレクシオス1世の戦略。混迷の帝国にあって軍事貴族から身を起こし、帝位に就いたのがアレクシオス1世である。ノルマン人やクマン人といった外敵を互いに競わせ、或いは懐柔する巧みな外交手腕を駆使したことで有名である。しかしセルジューク族を排除するため西欧諸国から援軍を募ろうとして大きな誤算を生むのである。 エルサレム攻囲戦の細密画。 トゥーラ・シココティトラン。10世紀から11世紀に栄えたメキシコの後古典期の遺跡で、伝承ではトルテカ帝国の都だとされている。 11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最初の世紀である。.

新しい!!: 修道士と11世紀 · 続きを見る »

20世紀

摩天楼群) 20世紀(にじっせいき、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である。漢字で二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。.

新しい!!: 修道士と20世紀 · 続きを見る »

3世紀

ナクシュ・イ・ルスタムの磨崖像で、平伏するローマ皇帝ウァレリアヌスと騎乗のサーサーン朝皇帝シャープール1世が浮き彫りにされている。 3世紀(さんせいき)は、西暦201年から西暦300年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: 修道士と3世紀 · 続きを見る »

6世紀

地中海の再統一。画像はラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と随臣のモザイク。 Cabinet des Médailles所蔵のもの。 無明時代のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人アンタラ・イブン・シャッダードの細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。 前期チャールキヤ朝。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。 禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」(愛知県常滑市斉年寺蔵)。 建康。現在の南京であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟蕭恢の墓を守る辟邪の石刻。 文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。 関東の人物埴輪。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」で東京国立博物館蔵となっている。 東ゴート王国の盛衰。オドアケルを倒した東ゴート王テオドリックのもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像はラヴェンナにあるテオドリック廟。 『ロッサーノの福音書』。古代末期の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。 コプト織でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている。 6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: 修道士と6世紀 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

修士 (聖公会)修道女修道僧修道者

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »