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アラスカのインノケンティ

索引 アラスカのインノケンティ

アラスカのインノケンティ(Innocent, Инноке́нтий、1797年8月26日 - 1879年3月31日)は、正教会の主教であり聖人(成聖者)。アメリカ正教会の黎明期に重要な聖人であるほか、米国聖公会でも聖人として扱われている。 アレウト語(Aleut language)の表記法も考案し翻訳を行いつつアラスカとシベリアへの宣教を行った事から、「北米の亜使徒 」「アラスカとシベリアの光照者 」との称号が付される事がある。晩年にはモスクワ府主教も務めた 。 同名人物との区別の際、地名・尊称のほか、姓であるヴェニアミノフ(Вениаминов)も用いられる。 日本の函館を訪れた事があり、日本で初めて主教祈祷による聖体礼儀を行った人物でもある。また、日本の亜使徒聖ニコライとニコライエフスクと函館で会っており、ニコライに日本語学習に専心するよう指導した(後述)牛丸康夫『日本正教史』26頁 - 32頁、正教会、1978年。.

96 関係: 司祭大主教天使首ミハイル大聖堂 (アラスカ)奉神礼不朽体中井木菟麻呂主教主教祈祷京都亜使徒修道名修道士北アメリカペルミマカリイ1世 (モスクワ府主教)マクシム・グレクバイダルカモスクワモスクワ総主教モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧ユリウス暦リヤサロシア帝国ロシア語ロシア正教会ブラゴヴェシチェンスクパナギアティーホン (モスクワ総主教)フィラレート (モスクワ府主教)ニコライ (日本大主教)ニコライ1世ニコラエフスク・ナ・アムーレアムール川アメリカ正教会アラスカ州アリューシャン列島アレウト語アレウト族アンドロニク (ニコリスキイ)イルクーツクイルクーツク州イヴァンイオアンウナラスカカムチャツカ半島カヌーカテキズムクロブークシトカシベリア...サンクトペテルブルク再建函館神学校神品機密祈祷書 (正教会)福音書米国聖公会痛悔機密生神女就寝大聖堂生神女福音大聖堂牛丸康夫聖人聖体礼儀聖務会院輔祭至聖三者聖セルギイ大修道院英語正教会漢文訓読朝鮮人成聖者新約聖書日本日本ハリストス正教会日本語教会スラヴ語1797年1807年1818年1821年1823年1824年1834年1839年1840年1841年1848年1850年1860年1861年1862年1867年1868年1879年1977年 インデックスを展開 (46 もっと) »

司祭

司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会に存在する。 プロテスタントには、万人祭司の教理により司祭がおらず、指導者として牧師がいる。.

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大主教

大主教(ギリシア語: Αρχιεπίσκοπος (archepiskopos) )はキリスト教の役職のひとつ。主教の中で権威の高い位として用いられる称号。 正教会、ルター派、聖公会でこの訳語を用いる。日本カトリック教会では大司教に相当するが、他言語では両者を区別しないことが多い。たとえば英語ではともにアーチビショップ (archbishop) である。.

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天使首ミハイル大聖堂 (アラスカ)

天使首ミハイル大聖堂(てんししゅミハイルだいせいどう、Cathedral of St.、Собор Архангела Михаила)は、アメリカ正教会アラスカ主教区の大聖堂。アラスカ州シトカのLincoln and Matsoutoff通りにある。 アラスカの聖インノケンティにより、1848年に建立された牛丸康夫『日本正教史』26頁 - 32頁、正教会、1978年。 1962年に北米におけるロシアの影響を顕著に示す物件としてアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されたBarbara Sweetland Smith (November 29, 1985), National Park Service and 。 大聖堂は1966年に類焼のため全焼してしまったが、1976年に原型に忠実な形で再建された。 File:Saint Michaels, Sitka, 1880s.jpg|1880年代撮影 File:St Michaels Cathedral, Sitka, before 1895.jpg|1895年撮影 File:Sitka1891birdseye.jpg|1891年撮影、街の中にある大聖堂 File:Cathedral of Saint Michael Sitka.jpg|2002年撮影 File:St Michaels Cathedral - Sitka - front.JPG|2008年7月撮影、屋根の上には八端十字架。.

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奉神礼

在のコンスタンディヌーポリ総主教座聖堂である聖ゲオルギオス大聖堂の内観。奉神礼時の光景。詠隊が歌っている。左側に至聖所のイコノスタシスが写っている。 奉神礼(ほうしんれい、λειτουργία高橋保行『ギリシャ正教』162頁、講談社学術文庫 1980年 ISBN 9784061585003 (4061585002), Богослуже́ние, Liturgy)は、正教会における奉事・祈りの総称。日本ハリストス正教会の訳語。カトリック教会における典礼に相当する。 公祈祷(時と場所を定めて行われる公的な祈祷)と私祈祷(日々の生活の場や私室等において行う祈祷や臨時祈祷等)のいずれも含む。公に行う狭義の奉神礼を指す事を特に示したい場合には「公祈祷」「公奉神礼」といった用語が用いられる。 聖体礼儀などの機密を含む礼儀の他にも、毎日の奉事である時課、さらに成聖式・各種祈願・モレーベン・パニヒダ・埋葬式などの機会に応じた祈祷などが含まれる。 より広義には、奉神礼には日々の生活までが含まれる。正教会では奉神礼(=リトゥルギア)の範囲をどこからどこまでというように明確に区分する事を避け、奉神礼を広義の奉神礼としての生活の雛形として捉えるべきである事を教えている。 本記事では祈り・儀礼の総称としての奉神礼について詳述する。.

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不朽体

不朽体(ふきゅうたい)は正教会(日本ハリストス正教会)の用語で、聖人の遺体のこと。聖人は来世の生命を先取りして得ていると信じられ、このため来世の光栄体(聖書では「朽ちない身体」)同様、その今生における身体も神の恩寵によって不朽のものとされたと捉えてこのように呼ぶ。 聖像(イコン)と同様崇敬の対象となる。 正教会においては、教会の宝座(祭壇)の下には不朽体を安置することが望ましいと考えられている。堂の献じられた聖人は、宝座の下に安置された不朽体の聖人と、同一であることを要さない。(つまり、聖人に献じた堂であっても、必ずしもその同一の聖人の不朽体を宝座の下に安置する必要はなく、別人であってもよい。) 信者が崇敬を表するには、十字を二回画き、そののち不朽体に接吻し、しかるのち祈祷し、再び十字を画く。接吻は必ずしも直接なされることを要さず、ガラスケース等を介して行われることがしばしばある。ある聖人の聖像にその不朽体の一部を釘などで固定することもある。この場合多く保存の便を顧慮し、不朽体の上に覆いを施す。 一部の聖人には、不朽体の発見、移動などが特別の祭日とされるものがある。次のものが特によく知られている。.

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中井木菟麻呂

中井 木菟麻呂(なかい つぐまろ、安政2年6月11日(1855年7月24日) - 昭和18(1943)年3月25日)は漢学者であり正教徒。号は天生。聖名はパウェルであった。中井桐園の長男として懐徳堂内に生まれる。 自身が14歳の時に閉校された懐徳堂(重建懐徳堂)の再建に尽力すると共に、ニコライ・カサートキンを助けて日本正教会のために、聖書や、正教会の各種祈祷書の翻訳を行う中心人物の一人となった事でも知られる。日本における正教会の奉神礼の基礎を固めた一人であり、戦後、重建懐徳堂は、新制大阪大学に受け継がれたという意味で、大阪大学文系の源流を作った一人としても評価できる(戦前の大阪帝国大学は緒方洪庵の適塾を源流とする医学・理学・工学系のみの大学であった)。.

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主教

主教(しゅきょう、Επίσκοπος, Episcopus, Bishop, Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者主教について、「最高位」(英語では"highest" もしくは"supreme")に類した表現を使用して居らず、「高位」(英語では"high")に当たる言葉も使っていないケースもあるが(、 )、一方で「最高位」 ("highest") を使用している文献もある。ここでは大辞泉での表現「高位」に拠った。。複数教会によって構成される教区を管轄する(大辞泉)正教会の出典:聖公会の出典:。 カトリック教会では司教と呼ばれる。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる『キリスト教大事典』519頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版。 2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる。.

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主教祈祷

主教祈祷(しゅきょうきとう、ἀρχιερατικὴ λειτουργία, Служение Архиерея もしくは Архиерейское Богослужение)とは、主教(総主教・エクザルフ・府主教・大主教・主教の別を問わない)が司祷する公祈祷を指す、正教会における奉神礼の種別。主教祈祷においても、司祭・輔祭が陪祷する事が多い。これに対し、司祭が司祷する奉神礼を司祭祈祷(しさいきとう)と呼ぶ。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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亜使徒

亜使徒(あしと、Iσαπόστολος, Equal-to-the-apostles)は、正教会における聖人の称号であり、「使徒に等しい働きをした者」、「使徒に次ぐ者」という意味。正教会を離れてカトリック教会に帰属した東方典礼カトリック教会でもこの称号が使われる。 亜使徒の称号を与えられた聖人は多くいるが、亜使徒大主教聖ニコライ、亜使徒聖携香女(マグダラのマリアなど)、亜使徒聖王コンスタンチン、亜使徒大公聖ウラジーミル等が知られている。.

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修道名

修道名(しゅうどうめい)はカトリック教会や正教会で、修道者が誓願を立てるときに与えられる名前。 正教会の場合、聖人の名前を付ける。例えば日本に正教を伝えた亜使徒聖ニコライのニコライはミラ・リキヤのニコライに拠る修道名である。 カトリック教会の場合、聖人の名前だけでなく、「カリタス」(博愛)・「サピエンチア」(叡智)・「ビジタシオン」(訪問⇒聖母訪問にちなむ)・「ステラ」(海の星.

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修道士

修道士(しゅうどうし、)というキリスト教用語には二つの語義・概念がある。ただし二つの概念は排他的概念ではなく包含関係にある(「1」の語義が「2」の語義より広義)。.

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北アメリカ

北アメリカ(きたアメリカ、North America、América del Norte、Amérique du Nord)は、アメリカ(米州)の北半の、北アメリカ大陸を中心とした地域である。六大州の1つ。漢字では北米(ほくべい)と表す。.

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ペルミ

ペルミ(ペルム;ロシア語:Пермьピェールミ;ラテン文字転写の例:Perm’)はロシアの都市である。ウラル山脈西側のふもと、カマ川の両岸に広がる。沿ヴォルガ連邦管区に属するペルミ地方の州都。人口は981,200人(2004年)。 工業都市として、機械工業、石油・化学工業、木材加工、軍事産業などが盛ん。シベリア鉄道が通る鉄道の分岐点で、陸上・水上交通の要衝でもある。モスクワから1,385km。ペルミ第2駅(ペルミ・ドヴァー)が中心的な鉄道駅となっている。 1723年に建設される。1781年からペルミ市。1940年から1957年までは、モロトフ(Молотов)と呼ばれていた。1870年に創立されたペルミ国立オペラ・バレエ劇場が有名。ペルミ国立大学やペルミ国立工科大学などの高等教育機関がある。 地質学用語のペルム紀はこの街の名にちなむ。.

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マカリイ1世 (モスクワ府主教)

マカリイ1世(Макарий I, 1816年 - 1882年)、俗名はミハイル・ペトロヴィチ・ブルガーコフ(Михаил Петрович Булгаков)は、1879年から1882年までモスクワおよびコロムナの府主教であり、ロシア科学アカデミーを含む多くの教養のある社会団体のメンバーであった。.

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マクシム・グレク

マクシム・グレク(Максим Грек, Μάξιμος ὁ Γραικός, Maximus the Greek, 1475年頃 - 1556年)は、正教会の聖人(克肖者)。修道士、作家、評論家、翻訳者。マクシム・グレークと転写される事もある。現代ギリシャ語からはマクシモス・オ・グレコスと転写出来る。ギリシャ語ではマクシモス・オ・アギオリティス(Μάξιμος ὁ Ἁγιορήτης)とも表記される。 グレクもしくはグレークとは、「ギリシャ人」を意味する。同様の「グレク」の称号を持つ著名な正教会の聖人としてフェオファン・グレクが居る。 その呼び名の通りマクシム・グレクはギリシャ人であり、アトス山の修道士であったが、ロシアから招聘され、聖書・祈祷書・聖人伝等の翻訳に従事し、至聖三者論(三位一体論)や生神女論の分野をはじめとして異端に対する論駁に活躍、至聖三者聖セルギイ大修道院で永眠した。.

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バイダルカ

Sergie Sovoroffによる3人乗りのバイダルカの模型. バイダルカ(BAIDARKA、)は、アラスカ西岸からアリューシャン列島にかけて居住したアリュート達が発展させたカヤックに対するロシア語名。アリュート人は「イカック」「ィ・キャック」などと呼んでいたと思われる。(ここでのカタカナによる発音表記は便宜的なものである) 木材や獣骨を使った骨組みの上に海獣の皮を張って船体を作り、接合部に獣脂などで防水を施したスキンボートの一種で、数千年に渡る歴史があると見られているが、アリューシャン列島でのカヤック(バイダルカ)の実利用は歴史的にはいったん断絶しており、近代の研究者達によって、その姿が知られるところとなった。 特に、ジョージ・ダイソン(ちなみに彼の父親は著名な物理学者フリーマン・ダイソンであり、姉はIT界のトップ・オピニオンリーダーの一人であるエスター・ダイソンである。)によるバイダルカ研究と、近代素材(アルミパイプとナイロン、樹脂製塗料など)を用いたリメークの試みは、ケネス・ブラウワーによる書籍「宇宙船とカヌー」および、それをもとに映像化された同名のTV特別番組によって日本でも有名である。 ただし、ジョージ・ダイソンによるバイダルカ製作は、オリジナルの正確な「復元」ではなく、現代的な解釈も盛り込んだ上での「リメーク」であることには留意すべきである。 ジョージ・ダイソン自身による、バイダルカ研究とリメークのストーリーは彼の著書「バイダルカ」に記されており、彼に習って自身でバイダルカを製作するための寸法図も掲載されている。実際、アメリカ合衆国やカナダでは、バイダルカを自作して楽しんだり、キットを製作して販売している人々も存在する。その内容も、ジョージ・ダイソンのように現代的な素材を利用して性能を求めるものから、できる限り歴史に忠実な復元を目指したものまで様々である。 バイダルカをグリーンランド圏などのカヤックと比較したときの形態的な特徴は、上下二股に分かれた独特の船首と、末端を絞り込んだかのような船尾の形状だが、これらがいかなる事由を持って進化したものかは、まだ断定されていない。一般的には漕波性能と巡航速度を高めるための工夫であると言われているようだが、呪術的な意味合いを持つという見解もある。 また、伝統的なグリーンランド系のカヤックが一人乗りのみであった事に対して、バイダルカには二人乗り、三人乗りのものも普通であったようである。ただし、三人乗りのバイダルカは古来からのスタイルでは無く、アリュート達に、より多くの交易品を運ばせたかったロシア人交易商の要求に応じて大型化したものだという説も有る。いずれにせよ、グリーンランド系のカヤックが集落からの日帰り圏内での狩猟に使われる道具であった事に対して、バイダルカは狩猟のみならず長期にわたる沿岸航海にも使われたことから、グリーンランド系カヤックに比して吃水が深く積載能力が高かったとは言えるようだ。 Category:カヤック Category:ロシアの船.

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モスクワ

モスクワ(ロシア語:Москва́ IPA: マスクヴァー、)は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市」(Город Москва)となる。人口は約1150万人でヨーロッパで最も人口の多い都市であり、世界有数の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科。英語で発音した場合には、モスコーあるいはモスカウ(Moscow )のようになる。.

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モスクワ総主教

モスクワ総主教公邸の一室。歴代モスクワ総主教の肖像が掛けられている。ここでは多くの総主教達がクーコリを被った姿で描かれている。 モスクワ総主教(モスクワそうしゅきょう)は、ロシアの独立した正教会であるロシア正教会の長たる総主教。正式の称号はモスクワおよび全ロシアの総主教である。現在のモスクワ総主教はキリル1世である(2009年2月1日より)。.

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モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧

本記事モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧は、歴代のモスクワ総主教、モスクワ府主教を扱う。 モスクワ総主教はロシア正教会の首座主教であるが(2002年以降ロシア古正教会も総主教座を保持している)、1321年から、総主教座が成立する1589年までは府主教座がモスクワにあった。さらにモスクワ総主教座が空位、廃止されていた時代(1700年 - 1917年)にも、モスクワには府主教座が置かれていた。 1321年から1461年までは「キエフおよび全ルーシの府主教」がそのタイトルを変更しないままモスクワに居住していたが、この時代の府主教も本一覧で扱う。 本一覧では、モスクワ主教区を一時的に管轄したのみ(временно управляющий)の者は含めない。ただし選出はされ実質的な務は果たしていたものの、正式な着座はなされなかった者(нареченный)については記載する。また、列聖の有無を示すため、聖人となっている総主教・府主教の場合、日本正教会転写の欄に「聖」の称号を付す。.

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ユリウス暦

ユリウス暦(ユリウスれき、、、)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。 ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年、ユリウス暦に換えて、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施したが、今でもグレゴリオ暦を採用せずユリウス暦を使用している教会・地域が存在する。グレゴリオ暦を導入した地域では、これを新暦(ラテン語: Ornatus)と呼び、対比してユリウス暦を旧暦と呼ぶことがある。 なお、天文学などで日数計算に用いられるユリウス通日があるが、これはユリウス暦とは全く異なるものである。.

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リヤサ

リヤサを着用し、胸掛け十字架を身に着けている、典院フィリップ(ロシア正教会) リヤサ(εξώρασον, Ря́са, ryasa, riassa, outer cassock)は、正教会・東方諸教会で用いられる、だぶだぶのゆったりとした衣服の一種。主教、司祭、輔祭、修道士によって、日常的な上着として用いられ、ポドリャスニクの上に纏われる。西方教会のキャソック(カソック)に相当する。 「リヤサ」はロシア語(Ря́са)からの転写に由来する表記であり、日本正教会において公式ページなどで使用頻度の高いものであるが、他にリャサとも転写し得る。 ギリシャ語では"εξώρασον"(エクソラソン)と呼ばれるが、単に"ράσον"(転写例:ラーソ、もしくはラソ)とも呼ばれる。ただし単に「ラーソ」「ラソ」と言った場合、アンテリ(ロシア語由来の表記ではポドリャスニク)を指す場合があるので注意が必要である。 英語では本記事で扱っている正教会の服装につき、ギリシャ語やロシア語から転写した表記の他、アウターキャソック(カソック)転写出典:(outer cassock)とも呼ぶ。 ロシア系の伝統にある教会では神学生、誦経者、副輔祭は身に着けない。他方ギリシャ系の伝統にある教会では、聖歌者は教会内でリャサ(ラソ)を身に着ける。この時聖歌者は、通常ポドリャスニクを着用せずに世俗の衣服の上に直接にリャサ(ラソ)を着用する。 晩課のような、奉事例(定められた奉神礼の方法を定めたもの)が司祭に完装までは要求していない場面においては、リヤサを着用すべきものとされるが、ステハリ(司祭用の祭袍下着)が着用される時においては司祭はリヤサを着用しない。 リヤサには袖の先が時には色違いにされた上で返されたものがある。ギリシャ系伝統のものはロシア系伝統のものよりも、より軽めに十分に裁断する傾向がある。起源は修道士の上着である。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ロシア語

ア語(ロシアご、русский язык )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語。露語とも略される。ロシア連邦の公用語。ロシア連邦の国語表記には、キリル文字を使用する。近縁の言語にウクライナ語とベラルーシ語がある。.

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ロシア正教会

ア正教会(ロシアせいきょうかい、Русская Православная Церковь、Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則だが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。 教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名である。 本項では日本正教会による訳語を断りなく用いる場合がある。 17世紀の奉神礼改革に反対し古い奉事方法を守ったために主流派ロシア正教会から追放された古儀式派は、自らこそが正統なロシア正教会だとしている。.

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ブラゴヴェシチェンスク

ブラゴヴェシチェンスク(ロシア語:Благовещенскヴラガヴィェーシェンスク;ラテン文字転写の例:Blagoveshchensk、Blagoveshshensk)はロシア連邦の都市。シベリア南部のアムール州の州都。中国との国境近くに位置し、満州語ではhailan boo、中国語では海蘭泡 (Hailanpao) と呼ばれる。人口は211,200人(2004年)。モスクワから東に7,985km。.

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パナギア

パナギア(Παναγία)とは、ギリシャ語で「全き聖」を意味する、生神女マリヤ(聖母マリア)の称号の一つ。日本正教会では「至聖女」(しせいじょ)とも訳される。 また、この称号に由来する名称を持つものとして、生神女マリヤのイコンのうち特定の種別のもの、正教会の主教が用いるペンダント状の装身具、聖体礼儀に用いられる特定のパンの名称、ギリシャのハルキディキ県やキプロスなどにある地名があり、この名を以て生神女マリアを記憶する正教会の聖堂(パナギア聖堂・至聖女聖堂)も多数存在する。.

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ティーホン (モスクワ総主教)

モスクワの聖ティーホン(Св., 1865年1月31日(旧暦1月19日) - 1925年4月7日)は、モスクワ総主教であり正教会で崇敬される聖人(表信者・新致命者)。俗名はヴァシーリイ・イヴァノヴィチ・ベラヴィン(Василий Иванович Беллавин)。 モスクワ総主教座がピョートル1世により1721年に廃止され、聖務会院制が敷かれていたロシア正教会に、ロシア地方公会によってモスクワ総主教座が1917年に復活した際、復興されたモスクワ総主教座に最初に着座した。ロシア革命以降、ボリシェヴィキ政権(ソビエト連邦)による宗教弾圧への対応と教会の守護に苦心し、苦難の中に致命した。 アメリカ合衆国での教区を管轄して教区の発展に尽力した経歴もあることから、現代アメリカの正教会でも重要な聖人として崇敬されている高橋保行『迫害下のロシア教会』(66頁から67頁)教文館、1996年 ISBN 4764263254 (アメリカ正教会)。.

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フィラレート (モスクワ府主教)

フィラレート(Филарет、1782年12月26日 コロムナ – 1867年12月1日 旧暦を新暦に換算した日付)は、ロシア正教会の神学者であり府主教、詩人。1821年から1867年までの長きに亘ってモスクワ府主教位にあった。正教会において聖人であり、記憶日は11月19日(ユリウス暦を使用する正教会では12月2日に相当)である。 父親が輔祭(のち司祭)である家庭に生まれた。俗名はヴァシーリイ・ミハイロヴィチ・ドゥロズドフ(Васи́лий Миха́йлович Дроздо́в)。 モスクワ至聖三者神学校を1803年に卒業すると、ギリシャ語・ヘブライ語の教授に就任。その後レトリック、弁論術の教授も勤めた。至聖三者聖セルギイ大修道院では詩作についても講じた。1808年に修道士となり、フィラレートの修道名を受ける。 1808年に修道輔祭、1809年には修道司祭に叙聖される。1811年、掌院に昇叙。1812年にはサンクトペテルブルク神学大学の教授となる。1817年に主教に叙聖、1821年にはモスクワ大主教となり、1826年にはモスクワ府主教となる。以降永眠までその任にあった。在任中、アラスカのインノケンティがアレウト語翻訳書を出版するのを支援している。 創世記の註解や、カテキズム、教会史、教会法に関わるものなど200を超える著作がある。またロシア語訳聖書の翻訳に関わった。それまではロシア正教会には教会スラヴ語訳聖書があるのみだった(ただし現代でもロシア正教会における奉神礼には教会スラヴ語訳聖書が使われている)。 優れた説教家とも評される。『正教訓蒙』(カテキズム:正教要理のこと)は1886年10月に三井西面により日本語訳されている。 詩作にも才能を発揮し、アレクサンドル・プーシキンとの対話形式の作品が知られている。.

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ニコライ (日本大主教)

ニコライ(修道誓願前の姓:カサートキン、Николай (Касаткин), 1836年8月1日(ロシア暦) - 1912年2月16日(グレゴリオ暦))は日本に正教を伝道した大主教(肩書きは永眠当時)。日本正教会の創建者。正教会で列聖され、亜使徒の称号を持つ聖人である。 「ロシア正教を伝えた」といった表現は誤りであり(後述)、ニコライ本人も「ロシア正教を伝える」のではなく「正教を伝道する」事を終始意図していた牛丸康夫『日本正教史』22頁、日本ハリストス正教会教団府主教庁 (1978/05) ASIN B000J8IFP0。 ニコライは修道名で、本名はイヴァーン・ドミートリエヴィチ・カサートキン(Иван Дмитриевич Касаткин)。日本正教会では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる事が多い。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。 神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属聖堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本にとどまり、日本で永眠した。.

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ニコライ1世

ニコライ1世(、ニコライ・パヴロヴィチ・ロマノフ、、1796年7月6日 - 1855年3月2日)はロマノフ朝第11代ロシア皇帝(在位:1825年12月1日 - 1855年3月2日)、第2代ポーランド立憲王国国王(ミコワイ1世)、第2代フィンランド大公。父はパーヴェル1世、母は皇后マリア・フョードロヴナ。 帝政時代にロシア帝国銀行が発行した50ルーブル紙幣に肖像が描かれていた。.

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ニコラエフスク・ナ・アムーレ

ニコラエフスク・ナ・アムーレ(ロシア語:Никола́евск-на-Аму́ре、英語:Nikolayevsk-on-Amur または Nikolayevsk-na-Amure、中国語:庙街)はロシア極東部、ハバロフスク地方のニコラエフスキー地区の行政中心都市・港湾都市。漢字では、尼港と表記される。この町はアムール川が河口部に流入する地点から80km上流に位置しており、川の左岸(北岸)にある。ハバロフスクからは977km、コムソモリスク・ナ・アムーレの鉄道駅からは582kmの距離にある。人口は、2002年調査で28,492人。.

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アムール川

アムール川(アムールがわ、、ラテン文字転写: Amur)、あるいは黒竜江(こくりゅうこう、、、満州語:或いは、転写:sahaliyan ula或いはhelung giyang)は、ユーラシア大陸の北東部を流れる川である。中国では別に黒河、黒水などとも呼ばれる。上流部の支流を含めた全長4,368kmは世界8位、流域面積は185万5500km2で世界10位である。.

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アメリカ正教会

アメリカ正教会(Orthodox Church in America, 略称OCA)とはアメリカ合衆国、カナダ、メキシコを管轄する独立正教会(モスクワ総主教庁が承認、ただしコンスタンディヌーポリ総主教庁は承認せず)。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具える事が原則であるが(アメリカ正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している。ただしアメリカには、アメリカ正教会以外にもコンスタンディヌーポリ総主教庁系、アンティオキア総主教庁系等の教会組織が存在し、「一カ国に一つの教会組織」の例外として際立っている(後述)。.

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アラスカ州

アラスカ州(State of Alaska )は、アメリカ合衆国最北端にある州。アリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっている。アラスカでは、合衆国本土を"lower 48"(直訳:南方の48州。アメリカ50州からアラスカとハワイを除いたもの)と呼ぶことがある。 アメリカ合衆国の州の中では面積最大であり、東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海を隔ててロシアとも海上の国境がある。2010年国勢調査による人口は710,231人であり、その約半分はアンカレッジ都市圏に住んでいる。州都はジュノー市で、最大都市はアンカレッジ市である。海港アンカレッジはかつてアジアとアメリカおよびヨーロッパを結ぶ航空路線の寄港地として知られた。アメリカ合衆国の州の中では人口密度が最小の州でもある。 アラスカは1867年3月30日にロシア帝国からアメリカ合衆国が買収した。その後幾つかの管理形態の変遷を経て、1912年5月11日にアラスカ準州、1959年1月3日にアラスカ州となった。.

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アリューシャン列島

アリューシャン列島(アリューシャンれっとう、Aleutian Islands; 「アレウトの島々」の意)は、北太平洋に弧状に連なり、アメリカ合衆国のアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島である。.

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アレウト語

アレウト語(アレウトご、アレウト語: Unangam Tunuu、Aleut language)またはアリュート語は、エスキモー・アレウト語族に属する言語である。 アリューシャン列島、プリビロフ諸島(アラスカ州)、コマンドルスキー諸島(ロシア領)に居住するアレウト族により話されている先祖伝来の言語である。 2007年の調査によると、話者数は約150人である。.

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アレウト族

アレウト族(アレウトぞく、)またはアリュート族は、アラスカとカムチャツカの間にあるアリューシャン列島の先住民族である。自身の名称はウナンガン(Unangax̂, Unangan, Unanga)。 狩猟、武器の作成、ボートの組み立て、織物はアレウトの伝統的工芸の一つである。19世紀の職人は木製のハンティング帽で知られ、その帽子はカラフルなデザインを特色とし、アシカの震毛や羽毛、象牙などが付けられる。アレウトの女性はオットセイやラッコの毛皮、鳥類の皮から、パーカーを作り、また何人かはライ麦やビーチグラスを編んで籠を作り上げる。.

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アンドロニク (ニコリスキイ)

アンドロニク(修道誓願前の姓:ニコリスキイ、Андроник (Никольский)、Andronic (Nikolsky)、1870年8月13日(ユリウス暦の8月1日) - 1918年6月20日 (ユリウス暦の6月7日)は、ロシア正教会と日本正教会の主教。正教会で聖人。日本正教会では初代京都の主教でもあった事から、「ペルミの神品致命者聖アンドロニク」の称号のほかに「初代京都の主教聖アンドロニク」の名でも呼ばれる。 ロシア革命時に、生き埋めの上で銃殺され致命した事で知られる。.

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イルクーツク

イルクーツク(ロシア語:Иркутскイルクーツク、ブリヤート語:Erkhüü、英語:Irkutsk)は、ロシアのシベリア地方(北緯52°17′、東経104°16′)に位置する都市で、イルクーツク州の州都。人口は約59万人。 首都モスクワからはシベリア鉄道で繋がっており、ロシア極東地域とウラル・中央アジアを繋ぐシベリア東部の工商および交通の要衝である。ロシア正教会の大主教座が置かれ、劇場、オペラ座などの文化施設も充実する。これらの公共建築にはシベリアに抑留された日本人によって建てられたものも多い。しかし、現在では在留日本人は僅少。また、街並みの美しさから「シベリアのパリ」と呼ばれることもある。 街はバイカル湖西岸内陸にあたり、イルクート川とバイカル湖から流れ出るアンガラ川(どちらもエニセイ川の支流)の合流地点の右岸に位置する。.

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イルクーツク州

イルクーツク州(; Irkutsk Oblast)はシベリア南部に位置するロシア連邦の州(オーブラスチ)。州都はイルクーツク。シベリア連邦管区に属する。.

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イヴァン

イヴァン、イヴァーン(キリル文字表記:Іван, Иван;ローマ字表記:plIvan, Iwan)は、東・南スラヴ諸語の男性の名前。東スラヴ人の名前としては一般的な名前である。イワン、イオアンとも表記。 キリスト教の聖人であるヨハネに由来する名前である。.

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イオアン

イオアン(教会スラヴ語:Иоанн, Ioan)は男性の人名。特に日本正教会で頻繁に用いられる表記。女性形のイオアンナはブルガリア人女性・ギリシャ人女性にみられる人名。 ヘブライ語の「主は恵み深い」を意味するヨーハーナーン יוחנן Yôḥānān が元の形とされる。教会スラヴ語のイオアン(Иоанн)は、中世以降のギリシア語のイオアンニス(Ιωάννης)の活用語尾を落とした形に由来する(ただし古典ギリシャ語再建音はイオーアンネース)。 日本聖書協会の日本語訳聖書ではヨハネと表記される。.

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ウナラスカ

ウナラスカ(Unalaska)は、北太平洋アリューシャン列島のうち、フォックス諸島を構成する島であり、都市の名前でもある。アメリカ合衆国アラスカ州に所属する。なお、港湾地区はダッチハーバーとして知られている。.

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カムチャツカ半島

ムチャツカ半島(カムチャツカはんとう、ロシア語:Полуостров Камчатка パルオーストラフ・カムチャートカ、あるいはカムチャッカ)は、ユーラシア大陸の北東部にある半島である。南南西方向に伸びた半島であり、面積は472,300km2、長さ1,250km。気候は亜寒帯気候からツンドラ気候。全域がロシア連邦の領土であり、以前は南部がカムチャツカ州、北部がコリャーク自治管区に属していたが、2007年7月に両地域が合併してカムチャツカ地方となった。日本では、古くは勘察加(かむさすか)と呼んでいた。.

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カヌー

ポリエチレン製カヤック カヌーとは、カリブに先住したアラワク族インディアンの言葉で、カリブ海周辺の小型舟艇の名称である。それから転じて、世界各地の伝統的な舟艇を指して使われる用法が一般化しているが、明確な定義は無い。なお、現代の英語において「カヌー」と呼ばれうる船舶は、地域により「カヌー」「カノア」「カノ」「ワカ」「ワア」「ヴァカ」など様々な名で呼ばれている。.

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カテキズム

テキズム (Catechism)は、キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説の事で、伝統的には洗礼や堅信礼といったサクラメントの前に行われる入門教育(catechesis)で用いられる。文体は問答形式をとることが多い。 カテキズムは歴史的にはもともとギリシャ・ローマの秘教会(英語版)、とくにミトラ教において秘密の教えを授ける為に用いられていたが、キリスト教においても類似の体裁のものを用いるようになった。 κατηχισμός カテーキズモス は、動詞 κατηχέω カテーケオー に由来する。κατηχέω は κατά カタ(下へ)と ηχέω エーケオー(音がする・響く)から構成される語で、文字通りには「下へ向かって鳴る」だが、 「(口頭で)教える・知らせる」という意味になる。 問答形式をとる事が多いため「教理問答」「信仰問答」などが日本語の定訳となっているが、語義的には問答体である必要はなく、実際に問答体ではない例も存在する。今日の問答体によるカテキズムは西方教会(カトリック教会のカテキズム)で成立し、近代以降おもにロシア正教会を中心として東方教会でも用いられた。 なお、日本のカトリック教会では、第2バチカン公会議以前は「公教要理」の訳語が用いられていた。一方、日本正教会では「正教要理」と呼ばれる。.

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クロブーク

モスクワ府主教マカリイ2世(1835 - 1926)。十字架が前面に付いた白いクロブークを着用し、パナギアを胸に掛けている。左手に持っているのはチョトキ。ロシア系の正教会では府主教は白いクロブークを着用する。他にフィンランド正教会の大主教も白いクロブークを着用するなど、白いクロブーク着用の習慣については地域差がある。また、リヤサを着用し、パナギアを胸にかけている。 クロブーク(клобук, klobuk)とは、正教会と東方典礼カトリック教会において修道士・修道司祭(典院・掌院)・主教が着用する帽子である。特にロシアの伝統に位置付けられる。日本正教会では修道帽とも訳されるが、片仮名転写の「クロブーク」がより一般的である。.

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シトカ

トカ市郡()は、アメリカ合衆国アラスカ州のアレキサンダー諸島バラノフ島西岸に位置する市郡(市であり郡である自治体)。2005年の推定人口は8986人で、アラスカで4番目の人口とアメリカで最大の行政面積を持っている。 シトカという地名は、先住民族のトリンギット族の言葉で「海のほとりの人々」という意味の「Shee At'iká」から来ている。また、シトカは時々シトカ・バイ・ザ・シー(Sitka-by-the-Sea)とも呼ばれる。.

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シベリア

       シベリア連邦管区        シベリア        広義の(歴史的)シベリア シベリア(Siberia 、Сибирь )は、ロシア連邦領内のおよそウラル山脈分水嶺以東の北アジア地域である。漢字表記で西比利亜又は西伯利亜とも書く。かつては日本語でシベリヤという表記も多くみられた。シベリアの名称はシビル・ハン国に由来する。 一般的には極東分水嶺(サハ共和国東縁)より東の日本海・オホーツク海など沿岸地域(極東ロシア)は含まないが、広義には含めることもある。ロシア連邦所属の共和国・自治管区は存在するが、独立国家は存在しない。主な都市として、西から、オムスク、ノヴォシビルスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、ヤクーツクがある。広義のシベリアはさらに、エカテリンブルク、ハバロフスク、ウラジオストクを含む。人口最大の都市はノヴォシビルスク。現在ではロシア語話者が人口の大半を占めるが、サハ語などのテュルク諸語や、ウラル語族に属する言語が多く分布している。.

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サンクトペテルブルク

'''サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真'''ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルクの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。 サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург,, IPA: )は、バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。 都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク(Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。.

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再建

再建(さいけん).

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函館

函館(はこだて);地名・行政区分.

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神学校

学校(しんがっこう)とは、おもにキリスト教の神(神学または宗教学)について学び、次世代の教役者を養成・訓練するための教育機関を指す言葉である。神学校に類した教育機関に聖書学校や宣教師訓練学校などがある。また、神学校の理念や目的について、諸宗教・諸教派ごとに微妙にニュアンスが異なっている。.

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神品機密

品機密(しんぴんきみつ、Ιερωσύνη, Священство, Holy Orders)とは正教会において神品(主教・司祭・輔祭)を任ずる機密のこと。主教が神品機密を執行して新たに神品に任ずることを叙聖(じょせい)という。聖体礼儀において行われる。 正教会の聖職者・教役者のシステム・位階については神品 (正教会の聖職)・教衆を参照。 カトリック教会における叙階(じょかい)の秘跡に相当する。.

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祈祷書 (正教会)

本項は正教会における祈祷書を扱う。.

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福音書

福音書(ふくいんしょ、ευαγγέλιον, ラテン語: Evangelium)は、イエス・キリストの言行録である。通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)を意味する。その他にトマスによる福音書などがあるが、正典として認められなかった外典文書である。 日本正教会では福音経(ふくいんけい)とも呼ばれる。これは福音書を、奉神礼において詠まれる祈祷書(経典)の一つでもあると捉える考えに基づいている。.

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米国聖公会

米国聖公会(べいこくせいこうかい Episcopal Church in the United States of America)は、キリスト教の一派のアングリカン・コミュニオンのひとつ。アメリカ合衆国、バージン諸島、ハイチ、台湾、コロンビア、ドミニカ国、エクアドル、ホンジュラスに主教区を持つほか、プエルトリコおよびベネズエラの主教区と地域を越えた関係にある。しばしばEpiscopal Church in the USA、略称ECUSAと言及される。 米国聖公会の団体としての正式名称は "The Domestic and Foreign Missionary Society of the Protestant Episcopal Church in the United States of America"であるが、この名称が教会としての米国聖公会に言及されるときに使われることはない。.

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痛悔機密

痛悔機密(つうかいきみつ、Εξομολόγηση, Исповедь, Penance)とは、正教会における機密の一つ。痛悔機密は罪によって正教徒が教会生活から離れた時の、教会における神との和解の正式な儀礼として位置づけられ、神と人に対して謝罪し、神との交わりに復帰する意義をもつ高橋保行『ギリシャ正教』204頁 - 205頁 講談社学術文庫 1980 ISBN 9784061585003。また、信者の生活の主要な活力の源であるともされる。 カトリック教会のゆるしの秘跡、聖公会における個人懺悔に相当する。 「懺悔」の語が日本正教会で用いられる事は無い。礼儀(儀礼)の名称としては告解禮儀(告解礼儀)との名があるが、日常的には殆ど用いられず、専ら「痛悔」「痛悔機密」の語彙が用いられる。 「痛悔」の語は正教会のみならず稀に他教派でも古い文献で用いられたものがあるが、本項では正教会における痛悔と痛悔機密について詳述する。.

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生神女就寝大聖堂

ラー写真。 生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Dormition Cathedral)は、生神女就寝祭を記憶する正教会の大聖堂。ロシア語 Успенский Собор (ウスピェーンスキー・サボール) の前半部のカタカナによる転写からウスペンスキー大聖堂あるいはウスペンスキー寺院とも呼ばれる。これは「永眠」を意味するロシア語 успение, Успение (ウスピェーニエ) に由来する。従って、ロシア語に代表されるスラヴ語圏とは別の言語系統圏に属する正教会であるグルジア正教会、ルーマニア正教会、ギリシャ正教会などでは生神女就寝大聖堂のことを「ウスペンスキー大聖堂」とは呼ばす「生神女就寝」を表す各々の国語での表記を用いる。 世界各地に存在する同名の大聖堂を下記の一覧に挙げる。大聖堂以外の修道院や通常の聖堂で生神女就寝を記憶するもののごく一部も下記の一覧に若干掲載する。.

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生神女福音大聖堂

ナザレ(イスラエル)の生神女福音聖堂(エルサレム総主教庁)。 生神女福音大聖堂(ロシア正教会)。 生神女福音大聖堂(しょうしんじょふくいんだいせいどう、Cathedral of the Annunciation)は、生神女福音祭を記憶する正教会の大聖堂。世界各地に存在する同名の大聖堂を当記事の一覧に挙げる。大聖堂のみならず、通常の聖堂・会堂にも生神女福音を記憶するものは数多くあり、当記事の一覧でも若干扱う。 ブラゴヴェシェンスキー大聖堂ないしブラゴヴェシェンスキー寺院(いずれもБлаговещенский соборから、前半部を片仮名で転写したもの)とも呼ばれるが、これは「生神女福音祭」を表す"Благовещенский"に由来するロシア語名である。従って、非スラヴ語圏の正教会であるグルジア正教会、ルーマニア正教会、ギリシャ正教会などにおける生神女福音大聖堂にはまず「ブラゴヴェシェンスキー大聖堂」等の呼称・表記は用いられず、「生神女福音」を意味する各国語での表記が用いられている。 生神女(しょうしんじょ)とは正教会において聖母マリアを指す称号である"Θεοτόκος"(ギリシャ語:セオトコス)"・Богородица"(教会スラヴ語:ボゴロージツァ)の、日本正教会における訳語である。 生神女福音祭とは生神女マリヤにイイスス・ハリストスが宿った事が天使から告げられた事を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女福音聖堂である。カトリック教会の受胎告知に相当するが、正教会では「受胎告知」の語彙は用いられず、従って正教会の聖堂に「受胎告知聖堂」などの訳語を当てるのは誤りである。.

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牛丸康夫

プロクル牛丸康夫(うしまる やすお、プロクルは聖名:1936年 - 1986年)は、正教会(日本正教会)の司祭(長司祭)。 日本正教会の歴史に関する多くの著述のほか、ドストエフスキーと正教の関係についての考察を行った著述や、ロシア正教会史をまとめた著述、およびゲオルギイ・フロロフスキイからの翻訳などがある(遺稿集に収録)。 ロシア宗教思想のほか日本正教会史の研究をしている長縄光男と史料提供を通じた交流があった他、ロシア宗教思想・正教の研究をしている御子柴道夫が学生時代に会っている。この二人は遺稿集(『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』)に追悼文を寄せている。.

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聖人

聖人(せいじん[漢音]、しょうにん[呉音])とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。一般的な読み方は「聖人」(せいじん)であるが、仏教の場合は「聖人」(しょうにん)と読むことがある。.

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聖体礼儀

聖体礼儀(聖體禮儀、せいたいれいぎ、,, )は正教会で最も主要な機密である聖体機密を含む、最も重要な奉神礼。 正教会において聖体礼儀は、「教会それ自体の真の本質であるたったひとつの共同の機密」「天上と地上の神の共同体としての教会の本質の一つの機密的現れ」「ハリストスの神秘的な『からだ』」「ハリストスの『花嫁』としての教会のかけがえのない機密的啓示」であるとされる。それゆえ場合によっては、単に「祈りの一つ」「機密の一つ」と捉えることを否定するのみならず、「最大の祈祷」「最高の祈祷」という表現すら(祈祷という枠組みにとどまらないのでそうした表現をさらに越えると捉えられることから)不適当であるとされることすらある。 イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)自身により、機密制定の晩餐(最後の晩餐)において制定されたとされる。 聖体機密のみならず神品機密も聖体礼儀において行われる。 聖体礼儀をはじめとする奉神礼は教会の聖伝であり、正教会である限り聖体礼儀の構造への恣意的な変更は認められない。 聖体にかかる礼拝という点ではカトリック教会のミサ、聖公会およびプロテスタントにおける聖餐式に相当するが、正教会の聖体礼儀とカトリック教会のミサとは形式は全く異なるものであり、聖体礼儀をミサと呼ぶのは誤りである。.

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聖務会院

聖務会院(せいむかいいん、Святейший Правительствующий Синод, Most Holy Governing Synod)とは、1721年にモスクワ総主教庁が廃止されてから、1918年にモスクワ総主教庁が復活するまでの間、ロシア正教会を統括する最高機関であった組織。聖務会院の管轄範囲は教会の全ての問題に及び、世俗の領域の一部にまで及んだ。 モスクワ総主教が不在であった1700年から1917年を、ロシア正教会史では"Синодальный период"(聖務会院時代)と呼ぶ(聖務会院設置年の1721年からに「聖務会院時代」の呼び名を限定する場合もある)。.

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輔祭

輔祭(ほさい、Διάκονος、Диакон、Deacon)は正教会における神品(聖職者)の職分のひとつ。主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼において補佐する。日本正教会の訳語。男性の正教徒が主教による神品機密によって叙聖されることにより、輔祭職に就く。 他教会との比較では、カトリック教会の助祭、聖公会の執事に相当する。なお、正教会における「執事」は、他教派では一般の信徒が務める「教会役員」等に相当する。 輔祭の中に細分化された位階として、首輔祭・長輔祭がある。稀に「補祭」との表記が見られるがこれは誤りである。.

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至聖三者聖セルギイ大修道院

至聖三者聖セルギイ大修道院(しせいさんしゃせいセルギイだいしゅうどういん、Троице-Сергиева Лавра)はロシアにある正教会の修道院。モスクワから北方90キロメートルに位置するセルギエフ・ポサードの町にあるこの修道院は、ロシア正教会において最も重要な修道院のひとつであり、その精神的な支柱ともいうべき位置にある。トローイツェ・セルギエヴァ・ラーヴラとも転写される。 至聖三者(Троице)とは正教会用語で、他キリスト教教派でいう三位一体に当たる。大修道院と訳されるラヴラ(Лавра、ラーヴラ)とは、修道院の格式の高さを示す修道院の称号。 その諸建築はロシア教会建築の優品として知られる。世界遺産として登録されており、登録名は、「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」。.

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英語

アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.

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正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

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漢文訓読

漢文訓読(かんぶんくんどく)とは、文語体中国語の文章である漢文を文体をそのままとして、符号(返り点)・送り仮名などを付けることによって日本語の語順で読解できるようにすること。.

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朝鮮人

朝鮮人(ちょうせんじん).

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成聖者

三成聖者のイコン。(16世紀、プスコフ) 成聖者(せいせいしゃ、Святитель)とは正教会の聖人の称号。主教(総主教・府主教・大主教を含む)であった聖人にこの称号が付されて記憶される。.

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新約聖書

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。また、イスラム教でもイエス(イーサー)を預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。現代で言うところのアンソロジーにあたる。「旧約聖書」「新約聖書」は、新旧の別による「旧いから無視してよい・誤っている、新しいから正しい」といった錯誤を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本ハリストス正教会

函館ハリストス正教会復活聖堂 聖マトフェイ聖堂 日本ハリストス正教会(にほんハリストスせいきょうかい)は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつである。ハリストスは「キリスト」の意(こうした独自の表記・翻訳については後述する)。英語表記は"Orthodox Church in Japan"である(略号はOCJ)。 通称・略称として日本正教会とも呼ばれる。1970年以前、自治正教会となっていなかったころにも、日本の正教会は日本人正教徒およびロシア人正教徒から「日本正教会」と呼ばれていた。 正教会は一カ国に一つの教会組織を置くことが原則だが(日本正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉しているわけでは無く、同じ信仰を有している。 19世紀後半(明治時代)に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライ(のち初代日本大主教)によって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。聖ニコライによって建立されたニコライ堂(東京復活大聖堂)、函館の復活聖堂、豊橋の聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は、国の重要文化財。 本項では日本ハリストス正教会で用いられている用語を断りなく用いることがある。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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教会スラヴ語

教会スラヴ語は古代教会スラヴ語より後、11世紀~17世紀頃に東・南スラヴで用いられた文章語である。 古代教会スラヴ語を教会スラヴ語と呼ぶ場合があり注意が必要である。.

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1797年

記載なし。

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1807年

記載なし。

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1818年

記載なし。

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1821年

記載なし。

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1823年

記載なし。

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1824年

記載なし。

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1834年

記載なし。

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1839年

記載なし。

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1840年

記載なし。

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1841年

記載なし。

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1848年

記載なし。

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1850年

記載なし。

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1860年

記載なし。

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1861年

記載なし。

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1862年

記載なし。

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1867年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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1879年

記載なし。

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1977年

記載なし。

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