ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

レイテ沖海戦

索引 レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

560 関係: Amazon.co.jp城英一郎厚木海軍航空隊原勝洋厳島丸 (タンカー)半藤一利卯月 (睦月型駆逐艦)千代田 (空母)千田光男千歳 (空母)南義美南西諸島南西方面艦隊及川古志郎古村啓蔵台湾台湾沖航空戦司馬遼太郎吉田俊雄坊ノ岬沖海戦多号作戦多摩多摩 (軽巡洋艦)大岡昇平大井篤大和大和 (戦艦)大和型戦艦大和田通信所大西瀧治郎大谷藤之助大陸打通作戦大林末雄大東亜戦争大淀 (軽巡洋艦)大湊 (むつ市)大日本帝国海軍大日本帝国海軍艦艇一覧天城 (雲龍型空母)天山 (航空機)太平洋戦争太平洋戦争の年表太陽黒点失敗の本質夕凪 (2代神風型駆逐艦)夕月 (駆逐艦)奥宮正武妙高 (重巡洋艦)実松譲宣戦布告...宇垣纏寺岡謹平寺本義也富永恭次小島秀雄小島清文小笠原諸島小柳冨次小林謙五小沢治三郎山城山城 (戦艦)山下奉文山下源太郎山雲 (駆逐艦)山本岩多山本祐二山本親雄岸波 (駆逐艦)島風 (島風型駆逐艦)島村速雄川崎型油槽船左近允尚正左近允尚敏上陸用舟艇不知火 (陽炎型駆逐艦)両角業作中川八洋中公新書中国帰還者連絡会中瀬泝中華民国中野五郎 (著述家)中野昭慶中澤佑丸 (雑誌)万朶隊三宅 (海防艦)三川軍一三輪茂義一式陸上攻撃機九七式艦上攻撃機九九式艦上爆撃機九六式陸上攻撃機久納好孚五十鈴 (軽巡洋艦)井上成美代将仮称二号電波探信儀二型廈門市伊号第三十八潜水艦伊号第二十六潜水艦伊号第五十三潜水艦伊号第五十六潜水艦伊号第五十四潜水艦伊号第四十一潜水艦伊号第四十五潜水艦伊号第四十六潜水艦伊勢 (戦艦)伊藤健太郎伊藤正徳 (軍事評論家)伊藤整一佐藤大輔佐藤和正佐藤純彌佐藤晃 (戦史家)彗星 (航空機)徹甲弾信濃 (空母)志摩清英ペリリューの戦いペリリュー島ペンシルベニア (戦艦)ペンサコーラ (重巡洋艦)ナッシュビルナッシュビル (軽巡洋艦)ナトマ・ベイ (護衛空母)ペトロフ・ベイ (護衛空母)ミネアポリス (重巡洋艦)ミンダナオ島ミンダナオ島の戦いミシシッピ (戦艦)ミシシッピ州マリアナ沖海戦ノルマンディー上陸作戦マーカス・アイランド (護衛空母)マーク・ミッチャーマヌス島マニラ・ベイ (護衛空母)マニラ湾マイアミ (軽巡洋艦)マカピリマサチューセッツ (戦艦)チャールズ・A・ロックウッドチェスター (重巡洋艦)チェスター・ニミッツハヤカワ文庫ハリバット (潜水艦)ハルマヘラ島ハンコック (空母)バンカー・ヒル (空母)バーミングハム (CL-62)バーゴール (潜水艦)ポートランド (重巡洋艦)メリーランド (戦艦)メリーランド州モロタイ島モンテレー (空母)モービル (軽巡洋艦)ヤップ島ラングレー (CVL-27)リノ (軽巡洋艦)リチャード・サザランドリッチモンド・K・ターナールイビル (重巡洋艦)ルソン島ルソン島の戦いレーダーレイモンドレイモンド・スプルーアンスレイテ島レイテ島の戦いレイテ沖海戦レイテ戦記レキシントン (CV-16)ロバート・カーニーローレンス・T・デュボースワシントン (BB-56)ワスプ (CV-18)ヴィンセンス (軽巡洋艦)ボルチモア (重巡洋艦)ボイシ (軽巡洋艦)ボストン (重巡洋艦)トーマス・スプレイグトーマス・C・キンケイドヘルツブリーム (潜水艦)プリンストン (CVL-23)プレジデント社パナイ島パナオン島ヒューストン (軽巡洋艦)ヒ船団ビロクシ (軽巡洋艦)テネシー (戦艦)テニアンの戦いデリンジャー現象デンバー (軽巡洋艦)デニスデイス (潜水艦)デザインエッグフランクリン (空母)フランクリン・ルーズベルトフレデリック・C・シャーマンファンショー・ベイ (護衛空母)フィリピンフィリピン独立法フィリピン軍フェニックス (軽巡洋艦)ドラム (潜水艦)ニューオーリンズ (重巡洋艦)ニュージャージー (戦艦)ホノルルホワイト・プレインズ (護衛空母)ホーネット (CV-12)ホーエル (DD-533)ホビージャパンホセ・ラウレルダバオダーター (SS-227)ダグラス・マッカーサーベロー・ウッド (空母)初霜初霜 (初春型駆逐艦)初月 (駆逐艦)初春 (初春型駆逐艦)利根 (重巡洋艦)利根川裕周波数呂号第四十三潜水艦呂号第四十一潜水艦呂号第四十六潜水艦呂号第百十二潜水艦呂号第百九潜水艦アメリカ合衆国大統領選挙アメリカ統合参謀本部アメリカ海軍アメリカ海軍艦艇一覧アラバマ (戦艦)アルバート・W・グラント (駆逐艦)アンガウルの戦いアンガウル州アングラー (潜水艦)アーネスト・キングアーレイ・バークアイオワ (戦艦)アイスフィッシュ (潜水艦)イントレピッド (空母)インディペンデンス (CVL-22)ウルシー環礁ウィチタ (重巡洋艦)ウィリアム・ハルゼー・ジュニアウィリアム・リーヒウィリス・A・リーウィンストン・チャーチルウェストバージニア (戦艦)ウェストバージニア州エンタープライズ (CV-6)エドサル (駆逐艦)エセックス (空母)オマニー・ベイ (護衛空母)オークランド (軽巡洋艦)オーストラリアオーストラリア海軍オアフ島カリフォルニア (戦艦)カリニン・ベイ (護衛空母)カボット (空母)カダシャン・ベイ (護衛空母)カイロ宣言カウペンス (空母)ガンビア・ベイ (護衛空母)キャンベラ (曖昧さ回避)キングII作戦キトカン・ベイ (護衛空母)ギターロ (ガトー級潜水艦)クリフトン・スプレイググアムの戦いコマンドマガジン日本版コロン島コロンビア (軽巡洋艦)シミュレイターシャーク (SS-314)シュロップシャー (重巡洋艦)シーライオン (SS-315)シードラゴン (潜水艦)シブヤン海シェナンゴ (護衛空母)ジャラオ (潜水艦)ジョン・トーランドジョン・S・マケイン・シニアジョンストン (DD-557)ジョージ・マーシャルジェシー・B・オルデンドルフスリガオ海峡スワニー (護衛空母)スールー海セント・ロー (護衛空母)セブ島ソルトレイクシティ (重巡洋艦)タラウド諸島タイム (雑誌)タクロバンサミュエル・B・ロバーツ (護衛駆逐艦)サマール島サランガニ州サン・ジャシント (空母)サンボアンガサンティー (護衛空母)サンディエゴ (軽巡洋艦)サンベルナルジノ海峡サンガモン (護衛空母)サンタフェ (軽巡洋艦)サボ・アイランド (護衛空母)サイパンの戦いサウスダコタ (戦艦)サギノー・ベイ (護衛空母)児島襄回天皐月 (睦月型駆逐艦)矢矧 (軽巡洋艦)短波灯台現存艦隊主義硫黄島 (東京都)磯風 (陽炎型駆逐艦)礼号作戦神風特別攻撃隊神重徳福田幸弘福田誠 (小説家)福田茂夫福留繁福栄真平秦郁彦秋風 (駆逐艦)秋霜 (駆逐艦)秋津洲 (水上機母艦)秋月 (駆逐艦)竹 (松型駆逐艦)第100師団 (日本軍)第102師団 (日本軍)第14方面軍 (日本軍)第16師団 (日本軍)第1騎兵師団 (アメリカ軍)第2回ケベック会談第2艦隊第30師団 (日本軍)第35軍 (日本軍)第3艦隊第3艦隊 (アメリカ軍)第4航空軍 (日本軍)第5艦隊第6艦隊第7艦隊 (アメリカ軍)第七六三海軍航空隊第七六一海軍航空隊第七六二海軍航空隊第七〇一海軍航空隊第三十一戦隊第三八一海軍航空隊第三四一海軍航空隊第三航空戦隊第一五三海軍航空隊第一四一海軍航空隊第一航空艦隊第一機動艦隊第一次ソロモン海戦第二十二号海防艦第二二一海軍航空隊第二復員省第二〇一海軍航空隊第二航空艦隊第二次世界大戦第二水雷戦隊第五艦隊 (日本海軍)第八艦隊 (日本海軍)第六三四海軍航空隊第六五三海軍航空隊第六〇一海軍航空隊第四航空戦隊第百一航空戦隊筑紫丸 (特設潜水母艦)筑摩 (重巡洋艦)米内光政米国戦略爆撃調査団紫電改羽黒 (重巡洋艦)翔企画真珠湾攻撃猪口敏平統合幕僚会議事務局長瑞鳳 (空母)瑞鶴 (空母)瑞雲 (航空機)男たちの大和/YAMATO無線通信士無線機熊野熊野 (重巡洋艦)牧野四郎特別攻撃隊特撮監督狼煙白石萬隆隼鷹 (空母)銀河 (航空機)草鹿任一草鹿龍之介菊澤研宗萬栄丸青葉 (重巡洋艦)西村祥治馬公市角田覚治駆逐艦読売新聞読売新聞社高田利種高雄 (重巡洋艦)高雄市高木惣吉鬼怒 (軽巡洋艦)護衛駆逐艦谷光太郎豊田副武豊田穣貝塚武男鳥海 (重巡洋艦)鴛淵孝足柄 (重巡洋艦)軍事史学会軽巡洋艦軽空母黒潮丸 (タンカー)黛治夫龍鳳 (空母)辺見じゅん霞 (朝潮型駆逐艦)霜月 (駆逐艦)震洋能代 (軽巡洋艦)鈴谷 (重巡洋艦)鈴木宗作鈴木義尾鈴木貫太郎鈴木辰之助防衛研究所阿武隈阿武隈 (軽巡洋艦)関行男薄雲 (吹雪型駆逐艦)藤波 (駆逐艦)蒋介石那智 (重巡洋艦)野中郁次郎野分 (陽炎型駆逐艦)野村実金剛 (戦艦)長門 (戦艦)長波 (駆逐艦)若葉 (初春型駆逐艦)若月 (駆逐艦)雪風 (駆逐艦)雲龍 (空母)雲龍型航空母艦零式艦上戦闘機電離層電波伝播連合国軍最高司令官総司令部連合艦隊連合艦隊 (映画)TBF (航空機)択捉型海防艦柳田邦男捏造捷号作戦東宝東邦丸東映松 (松型駆逐艦)松田千秋松林宗恵松本毅杉 (松型駆逐艦)栗田健男桐 (松型駆逐艦)桜花 (航空機)桃 (松型駆逐艦)桑 (松型駆逐艦)梅 (松型駆逐艦)森本忠夫植民地榎尾義男榴弾榛名 (戦艦)槇 (松型駆逐艦)横須賀橋本信太郎武蔵 (戦艦)歩兵第20連隊歩兵第33連隊毎日新聞社水交社永井貞三永野修身池田清 (政治学者)沖縄戦沖波 (駆逐艦)清霜 (駆逐艦)満潮 (駆逐艦)潮 (吹雪型駆逐艦)潮書房光人新社朝霜 (駆逐艦)朝雲 (駆逐艦)朝雲新聞朝日新聞木俣滋郎木村進 (海軍軍人)木村昌福木曾 (軽巡洋艦)月光 (航空機)最上 (重巡洋艦)戦史叢書戦藻録戦闘詳報戸部良一浦風 (陽炎型駆逐艦)浦波 (吹雪型駆逐艦)海上護衛総司令部海上自衛隊海軍海軍乙事件海戦浜風 (陽炎型駆逐艦)浜波 (駆逐艦)文藝春秋日向 (戦艦)早川幹夫早霜早霜 (駆逐艦)摩耶 (重巡洋艦)支那方面艦隊愛宕 (重巡洋艦)慶應義塾大学扶桑扶桑 (戦艦)曙 (吹雪型駆逐艦)時雨時雨 (白露型駆逐艦)10月23日10月25日11月1944年1944年アメリカ合衆国大統領選挙1981年3月12日6月24日7月8日8月4日 インデックスを展開 (510 もっと) »

Amazon.co.jp

Amazon.co.jp(アマゾン シーオージェイピー)は、の日本法人アマゾンジャパン合同会社が運営する日本のECサイトである。.

新しい!!: レイテ沖海戦とAmazon.co.jp · 続きを見る »

城英一郎

城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と城英一郎 · 続きを見る »

厚木海軍航空隊

厚木海軍航空隊(あつぎかいぐんこうくうたい)および昭和19年2月20日に改称した第二〇三海軍航空隊(だい203かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。戦闘機部隊として搭乗員の養成、戦闘に従事した。 (「厚木航空隊」の通称で呼ばれる302空については「第三〇二海軍航空隊」を参照).

新しい!!: レイテ沖海戦と厚木海軍航空隊 · 続きを見る »

原勝洋

原 勝洋(はら かつひろ、1942年4月 - )は、日本の戦史研究家。 静岡県出身。法政大学法学部卒業。 太平洋戦争特に戦艦大和や神風特別攻撃隊に関する著作を多数発表している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と原勝洋 · 続きを見る »

厳島丸 (タンカー)

厳島丸(いつくしままる)は、かつて日本水産が所有し、運航したタンカー。「厳嶋丸」と書くこともある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と厳島丸 (タンカー) · 続きを見る »

半藤一利

半藤 一利(はんどう かずとし 1930年(昭和5年)5月21日 - )は、日本の作家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と半藤一利 · 続きを見る »

卯月 (睦月型駆逐艦)

卯月(うづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の4番艦である。艦名は旧暦で4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と卯月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

千代田 (空母)

千代田(ちよだ)は、旧日本海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の二番艦として開発、後に甲標的母艦に改装し1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と千代田 (空母) · 続きを見る »

千田光男

千田 光男(せんだ みつお、1940年3月1日 - )は、日本の男性声優。北海道出身。81プロデュース所属。2005年5月1日までぷろだくしょんバオバブに所属していた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と千田光男 · 続きを見る »

千歳 (空母)

千歳(ちとせ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の一番艦として建造され、1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と千歳 (空母) · 続きを見る »

南義美

南 義美(みなみ よしみ、1915年12月15日 - 1944年11月25日)は、大日本帝国海軍軍人。.

新しい!!: レイテ沖海戦と南義美 · 続きを見る »

南西諸島

南西諸島(赤枠内)と当諸島を構成する島嶼群。 南西諸島(なんせいしょとう)は、九州南端から台湾北東にかけて位置する島嶼群である仲田(2009年)p.10『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』「南西諸島」(1991年)p.550中村(1996年)p.2河名(1988年)p.11。 北から南へ、大隅諸島、吐噶喇列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島と連なり、沖縄諸島の東に離れて大東諸島、八重山列島の北に離れて尖閣諸島がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と南西諸島 · 続きを見る »

南西方面艦隊

南西方面艦隊(なんせいほうめんかんたい)は戦史叢書102巻、530頁「南西方面艦隊」、大日本帝国海軍によって1942年(昭和17年)4月10日戦史叢書102巻、115頁「昭和17年(1942年)4月10日」に編制された艦隊である戦史叢書102巻、524-526頁「付録第77 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(7)大東亜戦争間における艦隊の新設・解隊」。 軍隊符号はGKF。 連合艦隊軍隊区分では、南西方面部隊(昭和17年5月20日、南方部隊より改称)となる。担当地域は前線から離れていたものの、太平洋戦争後半の連合軍フィリピン反攻の際は最前線部隊として交戦した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と南西方面艦隊 · 続きを見る »

及川古志郎

及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。.

新しい!!: レイテ沖海戦と及川古志郎 · 続きを見る »

古村啓蔵

古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と古村啓蔵 · 続きを見る »

台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と台湾 · 続きを見る »

台湾沖航空戦

台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん、1944年10月12日 - 10月16日)は、太平洋戦争中の捷号作戦準備中に、台湾から沖縄にかけての航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊を、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と台湾沖航空戦 · 続きを見る »

司馬遼太郎

司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。.

新しい!!: レイテ沖海戦と司馬遼太郎 · 続きを見る »

吉田俊雄

吉田 俊雄(よしだ としお、1909年(明治42年)5月7日 - 2006年(平成18年)12月)は、日本の海軍軍人、作家。最終階級は海軍中佐。長崎県佐世保市出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と吉田俊雄 · 続きを見る »

坊ノ岬沖海戦

坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)は、1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和と護衛艦艇をアメリカ軍の空母艦載機との間で発生した戦闘昭和天皇実録九、636頁(戦艦大和沈没)。日本海軍が発動した天一号作戦の一環として第一遊撃部隊(第二艦隊のうち、戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、アメリカ海軍第58任務部隊の空母艦載機がそれを迎撃した。大和以下6隻が沈没(沈没〈大和・矢矧・朝霜・浜風〉・自沈〈磯風・霞〉)。日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と坊ノ岬沖海戦 · 続きを見る »

多号作戦

多号作戦(たごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)終盤のフィリピンの戦いで戦史叢書54巻445頁「一 全般経過の概要」「米軍レイテ、ミンドロに上陸」、日本陸軍と日本海軍が協同で実施したレイテ増援輸送作戦のこと戦史叢書93巻51頁「レイテ戦局の悪化と第一師団の緊急輸送/レイテ増援輸送作戦を多号作戦と呼称」日本水雷戦史548-549頁「多号第二~四次船団」。 主な揚陸地の名をとりオルモック輸送作戦とも呼ばれる。連合国側の名称はオルモック湾海戦。 1944年(昭和19年)10月末から12月上旬まで、レイテ島地上戦にともなうレイテ島西岸オルモックへの増援部隊輸送を第1次(当初は鈴二号作戦と呼称)から第9次作戦まで繰り返した戦史叢書54巻448-449頁「増援兵力の輸送」。第10次作戦も予定していたが、12月15日の連合軍ミンドロ島上陸にともなうミンドロ島地上戦の生起により、多号作戦は中止された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と多号作戦 · 続きを見る »

多摩

多摩郡(明治初期) 多摩(たま)は、本来は、多摩郡を範囲とする地域である。 おおよそ、現代で言う多摩地域(東京都のうち区部・離島以外)を中心とするが、若干広く、区部の一部(中野区全域・杉並区全域・世田谷区の一部)、神奈川県相模原市を含む。また、中世までの多摩郡を基準とした場合は神奈川県川崎市多摩区の一部をも含み、区名にそれが残っている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と多摩 · 続きを見る »

多摩 (軽巡洋艦)

多摩(たま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦 (軽巡洋艦)。 球磨型の2番艦。 その艦名は、多摩川に因んで命名された#艦船名考(1928)pp.236-237。.

新しい!!: レイテ沖海戦と多摩 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

大岡昇平

大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大岡昇平 · 続きを見る »

大井篤

大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校51期。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大井篤 · 続きを見る »

大和

大和(やまと)は、日本の古称・雅称。倭・日本とも表記して「やまと」と訓ずることもある。大和・大倭・大日本(おおやまと)とも呼ばれる。 ヤマト王権が大和と呼ばれる地(現在の奈良県内)に在ったことに由来する。初めは「倭」と書いたが、元明天皇の治世に国名は好字を二字で用いることが定められ、倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるように取り決められた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大和 · 続きを見る »

大和 (戦艦)

呉海軍工廠で建造中の戦艦大和。後尾から艦橋方向を捉えたショットで、工事も終盤を迎えて主砲、副砲、照準用の測距儀などは艤装(ぎそう.

新しい!!: レイテ沖海戦と大和 (戦艦) · 続きを見る »

大和型戦艦

大和型戦艦(やまとがたせんかん)は、大日本帝国海軍(以下海軍)が建造した戦艦の一艦型。大日本帝國海軍が建造した最後の戦艦艦型。建造された戦艦として、排水量、主砲口径、共に史上最大である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大和型戦艦 · 続きを見る »

大和田通信所

大和田通信所 2008年撮影。東京防衛施設局看板大和田通信所 2008年撮影。アメリカ軍施設である事を示す看板が掲示。 大和田通信所(おおわだつうしんじょ Owada Communication Site)とは、埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市にまたがる在日アメリカ空軍基地施設の名称。施設番号はFAC 3056。 大日本帝国海軍大和田通信隊所属「大和田無線通信所」が、無線通信の受信・傍受施設として使用。戦後、気象通信所を経て米軍基地として接収。 当時の中央施設は2007年(平成19年)現在、日本の国有地で防衛省所管防衛施設庁防衛局が管理し、在日米軍(米第5空軍374空輸航空団所属)と共同利用。当施設と送信施設の所沢通信基地は、無線送受信施設として一対を成す。当時の分室は現在、気象庁気象衛星センターが使用。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大和田通信所 · 続きを見る »

大西瀧治郎

大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、 - )は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第40期生。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大西瀧治郎 · 続きを見る »

大谷藤之助

大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 参議院議員(4期)。大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大谷藤之助 · 続きを見る »

大陸打通作戦

大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん英語 operation ichi-go)は、日中戦争中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称(日本側作戦名)は一号作戦。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。 日本軍の目的は、当時日本海軍の艦船や台湾を攻撃していた爆撃機を阻止するために、中国内陸部の連合国軍の航空基地を占領することと、日本の勢力下にあるフランス領インドシナへの陸路を開くことであった。日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であった。 計画通りに日本軍が連合国軍の航空基地の占領に成功し勝利を収めた、その後連合国軍が航空基地をさらに内陸部に移動させたことや、作戦中にアメリカ軍によりマリアナ諸島が陥落し、本州がボーイングB-29の作戦範囲内になったことから戦略目的は十分には実現できなかった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大陸打通作戦 · 続きを見る »

大林末雄

大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大林末雄 · 続きを見る »

大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大東亜戦争 · 続きを見る »

大淀 (軽巡洋艦)

大淀(おおよど/おほよど)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)#達昭和17年3月(1)p.10『達第六十六號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|二等巡洋艦 大淀(オホヨド)』。 その艦名は、宮崎県下の最大河川である大淀川から因んで名付けられた。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦でもある。昭和十四年度に着手された第四次軍備充実計画(通称マル4計画)により巡洋艦乙昭和13年9月19日付 海軍省『昭和14年度海軍軍備充実計画細項ニ関スル対大蔵省説明資料』、昭和13年7月11日付 艦政本部総務部第一課『次期補充計画艦種ノ仮称ニ関スル件覚』など。海軍省が作成調製した資料では、乙巡、丙巡の文言は使用されていない。(阿賀野型軽巡洋艦)と共に巡洋艦丙として計画され建造された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大淀 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

大湊 (むつ市)

大湊(おおみなと)は、現在の青森県むつ市に属する港町。下北半島中部の陸奥湾に臨む地にある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大湊 (むつ市) · 続きを見る »

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

大日本帝国海軍艦艇一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん、List of Japanese Imperial Navy Naval ship)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。この一覧はウィキペディア内に記事があるかを確認する便宜のためにあり、新規記事が到着したときにはここに追加される。 なお、陸軍船舶兵が保有していた船舶は大日本帝国陸軍兵器一覧#船舶を参照 なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷、大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦には斜線で表記する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と大日本帝国海軍艦艇一覧 · 続きを見る »

天城 (雲龍型空母)

天城(あまぎ)は、日本海軍の航空母艦。雲龍型の2番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と天城 (雲龍型空母) · 続きを見る »

天山 (航空機)

天山(てんざん)は、日本海軍が九七式艦上攻撃機(以下、九七式艦攻)の後継機として開発・実戦配備した艦上攻撃機。機体略号はB6N。設計・生産は中島飛行機。連合国軍のコードネームは「Jill(ジル)」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と天山 (航空機) · 続きを見る »

太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と太平洋戦争 · 続きを見る »

太平洋戦争の年表

開戦時の日本首相東條英機 アジア・太平洋戦争の年表(たいへいようせんそうのねんぴょう)では、3年9ヶ月に及ぶ日本、満洲国、タイ王国とアメリカ合衆国、イギリス、オランダ、ソビエト連邦ら連合国の戦争の経過を示す。中華民国との間の戦争・事変は日中戦争を参照のこと。.

新しい!!: レイテ沖海戦と太平洋戦争の年表 · 続きを見る »

太陽黒点

2004年に現れた太陽黒点 太陽黒点(たいようこくてん、sunspot)とは、太陽表面を観測した時に黒い点のように見える部分のこと。単に黒点とも呼ぶ。実際には完全な黒ではなく、この部分も光を放っているが、周囲よりも弱い光なので黒く見える。太陽黒点は、約9.5年から12年ほどの周期で増減を繰り返している。 黒点が暗いのは、その温度が約4,000℃と普通の太陽表面(光球)温度(約6,000℃)に比べて低いためである。発生原因は太陽の磁場であると考えられている。 黒点は太陽の自転とともに東から西へ移動する。大きな黒点群の中には太陽の裏側を回って再び地球から見える側に出てきても消えていない、1ヶ月ほど存在する寿命の長いものがある。(太陽の東西という言葉は地球から観測した場合の地球上での方位を指す。その天体に立った場合の方位ではない).

新しい!!: レイテ沖海戦と太陽黒点 · 続きを見る »

失敗の本質

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(しっぱいのほんしつ にほんぐんのそしきろんてきけんきゅう)とは、社会科学面での旧日本軍の戦史研究。6名の研究者(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)による共著である。 初版は1984年(昭和59年)5月にダイヤモンド社(ISBN 978-4478370131)より刊行され、1991年(平成3年)に中公文庫(ISBN 978-4122018334)で文庫本にて再刊された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と失敗の本質 · 続きを見る »

夕凪 (2代神風型駆逐艦)

夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕凪ユフナギ トス』。神風型(2代目)の9番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 建造時の艦名は第十七号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』-『(驅逐艦名)夕凪ユフナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)記載なし』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕凪」#達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』に続いて2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と夕凪 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

夕月 (駆逐艦)

夕月(ゆうづき/ゆふづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕月ユフヅキ トス』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と夕月 (駆逐艦) · 続きを見る »

奥宮正武

奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は、帝国海軍では海軍中佐、航空自衛隊では空将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と奥宮正武 · 続きを見る »

妙高 (重巡洋艦)

妙高(みょうこう/めうかう)は、日本海軍の重巡洋艦#達大正12年12月p.5『達第二百三十五號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十二年十二月十日 海軍大臣財部彪|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 妙高メウカウ|呉海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 那智ナチ』。一等巡洋艦妙高型の1番艦である。艦名は新潟県の妙高山に因んで命名された。なお、名称は海上自衛隊のこんごう型護衛艦の3番艦「みょうこう」に受け継がれている。 2番艦那智の方が妙高より先に竣工したため『那智級』と呼ばれることもあった。 平賀譲造船中将の設計した艦級であり、主砲門数が多い。その代価に防御を軽視していたという評価もあるが、同時期の米重巡より重装甲であった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と妙高 (重巡洋艦) · 続きを見る »

実松譲

実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近く『昭和史忘れ得ぬ証言者たち』「実松譲」におよんだ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と実松譲 · 続きを見る »

宣戦布告

宣戦布告(せんせんふこく、declaration of war)とは、紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為(hostilities) を開始する意思を表明する宣言である。開戦宣言、戦争宣言とも呼ばれる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と宣戦布告 · 続きを見る »

宇垣纏

宇垣 纒(うがきまとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。.

新しい!!: レイテ沖海戦と宇垣纏 · 続きを見る »

寺岡謹平

寺岡 謹平(てらおか きんぺい、1891年3月13日 - 1984年5月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と寺岡謹平 · 続きを見る »

寺本義也

寺本 義也(てらもと よしや、1942年 - )は、名古屋市出身の経営学者。専門は、経営戦略論、経営組織論など。早稲田大学教授を経て、ハリウッド大学院大学副学長。 ベストセラーとなった歴史研究と組織論を組み合わせた旧日本軍に対する学際的研究『失敗の本質』(中公文庫)の著者のひとり。学部及び大学院では古川栄一一橋大学教授の指導を受けた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と寺本義也 · 続きを見る »

富永恭次

冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 航空特別攻撃隊の出撃命令と自身の敵前逃亡疑惑など陸軍史上最悪の軍人だと批判する声がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と富永恭次 · 続きを見る »

小島秀雄

小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小島秀雄 · 続きを見る »

小島清文

小島 清文(こじま きよふみ、1919年〈大正8年〉12月28日 - 2002年〈平成14年〉3月1日)は、日本の反戦運動家。台湾台北市出身。太平洋戦争末期に戦いの最前線であるルソン島での戦闘に参加し、アメリカ軍の前に敗北必至となった際、「生きて慮中の辱(はずかしめ)を受けず」、つまり敵軍の捕虜になるくらいなら死を選べとの日本軍の心得「戦陣訓」が絶対視された戦中において、敢えて投降の道を選んだ。戦後、後世に自分たちと同じ思いをさせず、戦争のない世界を作るために不戦と平和のために献身した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小島清文 · 続きを見る »

小笠原諸島

小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km2。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小笠原諸島 · 続きを見る »

小柳冨次

小柳 冨次昭和11年11月4日付 官報第2953号、昭和13年7月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第212号、昭和16年8月15日付 海軍辞令公報(部内限)第691号、昭和20年11月22日付 海軍辞令公報 甲 第1989号ほか。「とみ」の字はわかんむりである。(こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小柳冨次 · 続きを見る »

小林謙五

小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小林謙五 · 続きを見る »

小沢治三郎

小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と小沢治三郎 · 続きを見る »

山城

山城(やまじろ、やまじょう)は、険阻な山を利用して築かれた城の一種。日本においては、江戸時代の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。 ヨーロッパの山城(ドイツ・マルクスブルク城).

新しい!!: レイテ沖海戦と山城 · 続きを見る »

山城 (戦艦)

山城(やましろ)は、大日本帝国海軍(日本海軍)の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山城 (戦艦) · 続きを見る »

山下奉文

山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山下奉文 · 続きを見る »

山下源太郎

山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山下源太郎 · 続きを見る »

山雲 (駆逐艦)

山雲(やまぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

山本岩多

山本 岩多(やまもと いわた、1896年5月15日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山本岩多 · 続きを見る »

山本祐二

山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山本祐二 · 続きを見る »

山本親雄

山本 親雄(やまもと ちかお、1896年(明治29年)10月13日 - 1980年(昭和55年)11月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と山本親雄 · 続きを見る »

岸波 (駆逐艦)

岸波(きしなみ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年5月(3)pp.4-6「達第百二十一號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦二隻、驅潜艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 沖波(オキナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 岸波(キシナミ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝霜(アサシモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ検図 伊號第四十六潜水艦|三菱重工會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號代四十五潜水艦 呂號第四十七潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 平戸(ヒラト)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 御藏(ミクラ)|日立造船所株式會社因島造船所ニ於テ建造 第四十六號驅潜艇|川南工業株式會社香焼島造船所ニ於テ建造 第四十七號驅潜艇|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 波勝(ハカチ)」。 夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の15番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と岸波 (駆逐艦) · 続きを見る »

島風 (島風型駆逐艦)

島風(しまかぜ)は#達昭和17年5月(1)pp.39-40『達第百五十七號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、潜水艦三隻、驅潜艇五隻及掃海特務艇一隻ヲ左ノ通命名ス|昭和十七年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 新月(ニイヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 島風(シマカゼ)|(以下略)』、1941年(昭和16年)に起工した大日本帝国海軍の一等駆逐艦。島風型駆逐艦は次世代の艦隊型駆逐艦として、16隻の建造が決定していた高速で重雷装の艦隊型駆逐艦であった。だが太平洋戦争開戦による戦術の変更や水雷戦自体の可能性の低さ、手間のかかる生産から計画は放棄され、秋月型駆逐艦や丁型(松型駆逐艦)へと移行し、結局島風1隻のみとなった。計画時の分類は丙型駆逐艦(へいがた―)#舞廠造機部241-243頁『40ノット艦―島風〔II〕(丙型)』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と島風 (島風型駆逐艦) · 続きを見る »

島村速雄

島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物」などと評される。.

新しい!!: レイテ沖海戦と島村速雄 · 続きを見る »

川崎型油槽船

川崎型油槽船(かわさきがたゆそうせん)とは、1933年(昭和8年)から1943年(昭和18年)の間に川崎造船所および川崎重工業(双方とも、以降「川崎」と略する)で建造されたタンカーの形式であるが、「川崎型油槽船」という呼称は川崎自身がつけたものではない。ウィキペディア英文版では "Kawasaki type oiler" としているが、これも英語における正式な呼称ではない。翻訳家で模型製作者でもある岩重多四郎は「東亜丸クラス」、「川崎型タンカー」と呼称している。本項では、英文版からの翻訳および実際にこの呼称を使用している書籍があることを重んじて例えば#松井p.46, pp.139-140 で使われている。また、ウィキペディア英文版では「東亜丸」、「極東丸」を「東亜丸クラス」、「建川丸」以降を「建川丸クラス」とも分類している。、正式な呼称ではないものの、「川崎型油槽船」という名称を使用する。 太平洋戦争突入前に整備された1万トン級タンカー船隊において13隻もの一大勢力を誇り、いずれもが高速を誇って日本への石油輸送に任じたが、太平洋戦争のためすべて軍に徴傭された。戦争によって13隻すべてが失われたが、戦後に一隻が再生して改造の上就航した。本項では主に建造までの背景を説明し、船歴については略歴の形で一覧としてまとめている。単独項目として作成されている船に関しては、そちらも参照されたい。また付録として、同時期に建造された他の造船所建造の1万トン級タンカーについても、比較のため説明する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と川崎型油槽船 · 続きを見る »

左近允尚正

左近允 尚正(さこんじょう なおまさ、1890年(明治23年)6月6日 - 1948年(昭和23年)1月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。鹿児島県出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と左近允尚正 · 続きを見る »

左近允尚敏

左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と左近允尚敏 · 続きを見る »

上陸用舟艇

LCU 大型揚陸艇(フランス海軍のCDIC型) 上陸用舟艇(じょうりくようしゅうてい、Landing craft)は、軍用艦艇の一種であり、上陸戦や揚陸任務時に兵員・車両といった上陸部隊を乗せて短い距離を航走し、岸辺に接舷または直接乗り上げることで上陸させるための小型舟艇のことである。 大きさは様々であり、歩兵分隊を運べる程度のものから戦車を揚陸できるものまである。母艦となる揚陸艦と共に運用される場合が多い。.

新しい!!: レイテ沖海戦と上陸用舟艇 · 続きを見る »

不知火 (陽炎型駆逐艦)

不知火(しらぬい、しらぬひ)は、日本海軍の陽炎型駆逐艦2番艦#達昭和13年4月(2)pp.11-12『達第六十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、掃海艇二隻、敷設艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年四月十五日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 陽炎(カゲロフ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 不知火(シラヌヒ)(略)』#陽炎型、2014303頁『不知火(しらぬい)』。1939年(昭和14年)12月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1899年(明治32年)に竣工した東雲型駆逐艦「不知火」に続いて2隻目。1944年10月、シブヤン海で米艦載機の空襲を受け沈没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と不知火 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

両角業作

両角 業作(もろずみ ぎょうさく、1888年1月4日 - 1963年9月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と両角業作 · 続きを見る »

中川八洋

中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )は、日本の政治学者、保守主義者。筑波大学名誉教授。外交史・戦史を含む国際政治学、英米系政治哲学および憲法思想、“皇位継承学”など。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中川八洋 · 続きを見る »

中公新書

中公新書(ちゅうこうしんしょ)は、中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している新書レーベルの1つ。現行の新書レーベルでは岩波新書に次ぐ歴史がある。サブレーベルとして中公PC新書、中公新書ラクレがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中公新書 · 続きを見る »

中国帰還者連絡会

中国帰還者連絡会(ちゅうごくきかんしゃれんらくかい)は、中国の撫順戦犯管理所に戦争犯罪人として抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年9月24日に結成した団体。略称は中帰連(ちゅうきれん)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中国帰還者連絡会 · 続きを見る »

中瀬泝

中瀬 泝(なかせ のぼる、1896年(明治29年)3月6日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。宮崎県椎葉村出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中瀬泝 · 続きを見る »

中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中華民国 · 続きを見る »

中野五郎 (著述家)

中野 五郎(なかの ごろう、1906年7月11日 - 1972年10月14日 - コトバンク)は、日本の新聞記者、軍事評論家。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中野五郎 (著述家) · 続きを見る »

中野昭慶

中野 昭慶(なかの てるよし、1935年10月9日 - )は、日本の特技監督。満州国安東県(現:中国丹東市)出身。名前は音読みで「しょうけい」と呼ばれることもある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中野昭慶 · 続きを見る »

中澤佑

中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と中澤佑 · 続きを見る »

丸 (雑誌)

『丸』(まる、MARU)は日本の月刊雑誌。 1948年2月に聨合プレス社より創刊。その後、聨合出版社を経て、1954年からは潮書房(現・潮書房光人社)が出版している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と丸 (雑誌) · 続きを見る »

万朶隊

万朶隊(ばんだたい。萬朶隊)は、日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊である。1944年(昭和19年)10月21日、鉾田教導飛行師団で編成された。装備機種は九九式双発軽爆撃機。.

新しい!!: レイテ沖海戦と万朶隊 · 続きを見る »

三宅 (海防艦)

三宅(みやけ)は、大日本帝国海軍の海防艦。御蔵型海防艦の一隻。.

新しい!!: レイテ沖海戦と三宅 (海防艦) · 続きを見る »

三川軍一

三川 軍一(みかわ ぐんいち、1888年8月29日 - 1981年2月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と三川軍一 · 続きを見る »

三輪茂義

三輪 茂義(みわ しげよし、1892年5月15日 - 1959年2月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と三輪茂義 · 続きを見る »

一式陸上攻撃機

一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき)は大日本帝国海軍の陸上攻撃機である。略称は一式陸攻(いっしきりくこう、いっしきりっこう)。連合国側のコードネームは「Betty」(ベティー)。三菱重工業株式会社(改称前は三菱内燃機株式会社)の設計・製造。日中戦争・太平洋戦争で主力攻撃機として使用された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と一式陸上攻撃機 · 続きを見る »

九七式艦上攻撃機

九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は、日本海軍の艦上攻撃機。競争試作された2機種が両方とも採用されたため、この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。 略称は九七式艦攻または九七艦攻。アメリカ側のコードネームは、中島製の一号/三号がKate(ケイト)、三菱製の二号がMabel(メイベル)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と九七式艦上攻撃機 · 続きを見る »

九九式艦上爆撃機

愛知 九九式艦上爆撃機(あいち きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき)は、昭和11年(1936年)「十一試艦上爆撃機」として試作が始まり、愛知航空機(1943年愛知時計電機から独立)が受注・生産を行い、太平洋戦争初期に活躍した、日本海軍の艦上急降下爆撃機。略称は九九式艦爆、もしくは九九艦爆。記号はD3A。アメリカ側コードネームはVal(ヴァル)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と九九式艦上爆撃機 · 続きを見る »

九六式陸上攻撃機

九六式陸上攻撃機(きゅうろくしきりくじょうこうげきき)は、大日本帝国海軍の陸上攻撃機。 九五式陸上攻撃機の後継機であり、九六式艦上戦闘機と並んで、日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体である。当時としては高い航続性能を有し、支那事変から太平洋戦争の初期まで第一線で活躍した。なお海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本機は爆撃機ではなく攻撃機とされた。後継機の一式陸上攻撃機とともに通称中攻と呼ばれた。連合国軍のコードネームはNell(ネル)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と九六式陸上攻撃機 · 続きを見る »

久納好孚

久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長であり、特攻第一号とする主張がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と久納好孚 · 続きを見る »

五十鈴 (軽巡洋艦)

五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。完成時は高速軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、松永貞市、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と五十鈴 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

井上成美

井上 成美(いのうえ しげよし/せいび、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。.

新しい!!: レイテ沖海戦と井上成美 · 続きを見る »

代将

代将(だいしょう、Commandeur、Commodore)は海軍の階級又は職位の一つ。 本来は将官の階級にない艦長或は大佐が艦隊・戦隊等の司令官の任に当たる場合に、その期間のみ与えられる職位を指したが、国によっては階級となっている。また、陸軍や空軍のOF-6相当官で佐官として扱われる場合は代将、将官として扱われる場合は准将と使い分けするケースも見られる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と代将 · 続きを見る »

仮称二号電波探信儀二型

仮称二号電波探信儀二型(かしょう2ごうでんぱたんしんぎ2がた)は、日本海軍の開発した艦艇搭載用の対水上警戒レーダー。二号二型電探や22号電探などと略称される。使用波長は0.1 m、尖頭出力2 kW、測定は最大感度法、重量は水上艦用1,320 kg、潜水艦用2,140 kg。対水上用には波長の短いマイクロ波(センチ波とも)を使用する必要があったが実用化後も受信機の動作安定化に手間取った。1944年(昭和19年)7月以降にほとんどの主要艦艇に装備された。試作時の名称は仮称一〇三号。アンテナはダイポールアンテナと深い放物面を組み合わせたもので直径1.5 m奥行き2 mあり、通称「マグロ」と呼ばれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と仮称二号電波探信儀二型 · 続きを見る »

廈門市

小金門(中華民国政府支配下)からのアモイの眺め アモイの中心部思明区(2004年撮影) 廈門市(アモイし、、)は、中華人民共和国福建省南部に位置する地級市。中華人民共和国の5大経済特区の1つであり、副省級市に指定されている。 中国語の発音は「Xiàmén (シァメン)」だが、日本はじめ一部の国では、閩南語読みのアモイ (Amoy) の名称で広く知られている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と廈門市 · 続きを見る »

伊号第三十八潜水艦

伊号第三十八潜水艦(いごうだいさんじゅうはちせんすいかん、旧字体:伊號第三十八潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦の19番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第三十八潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二十六潜水艦

伊号第二十六潜水艦(いごうだいにじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第二十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の7番艦。 当初は伊号第二十七潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第二十六潜水艦と改名されている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第二十六潜水艦 · 続きを見る »

伊号第五十三潜水艦

伊号第五十三潜水艦(いごうだいごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)の2番艦。艦名としては二代目。回天攻撃隊として活躍した。 初代伊53については伊号第百五十三潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第五十三潜水艦 · 続きを見る »

伊号第五十六潜水艦

伊号第五十六潜水艦(いごうだいごじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第五十六潜水艦)は、日本海軍の潜水艦。伊五十四型潜水艦(乙型改2潜水艦)の2番艦。艦名としては二代目。 初代伊56については伊号第百五十六潜水艦、または伊百五十六型潜水艦を参照のこと。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第五十六潜水艦 · 続きを見る »

伊号第五十四潜水艦

伊号第五十四潜水艦(いごうだいごじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十四型潜水艦(乙型改2潜水艦)の1番艦。艦名としては二代目。 初代伊54については伊号第百五十四潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第五十四潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四十一潜水艦

伊号第四十一潜水艦(いごうだいよんじゅういちせんすいかん、旧字体:伊號第四十一潜水艦)は、日本海軍の潜水艦。伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の2番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の22番艦昭和17年8月20日 海軍内令 第1554号。。ソロモン方面で輸送に従事しフィリピン沖で機動部隊攻撃後に戦没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第四十一潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四十五潜水艦

伊号第四十五潜水艦(いごうだいよんじゅうごせんすいかん、旧字体:伊號第四十五潜水艦)は、日本海軍の潜水艦。伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の6番艦である。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十七型潜水艦の26番艦。1944年(昭和19年)、フィリピン方面で戦没。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第四十五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四十六潜水艦

伊号第四十六潜水艦(いごうだいよんじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第四十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊十六型潜水艦(巡潜丙型)の6番艦昭和18年5月25日付 海軍内令 第1027号。。。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊号第四十六潜水艦 · 続きを見る »

伊勢 (戦艦)

航空戦艦改装後の伊勢 伊勢(いせ)は、日本海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦である。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。 艦名の由来は三重県の伊勢国からで、戦後海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の2番艦「いせ」に引き継がれた。歴代艦長として山口多聞、古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊勢 (戦艦) · 続きを見る »

伊藤健太郎

伊藤 健太郎(いとう けんたろう).

新しい!!: レイテ沖海戦と伊藤健太郎 · 続きを見る »

伊藤正徳 (軍事評論家)

伊藤 正徳(いとう まさのり、1889年(明治22年)10月18日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は日本のジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し、大海軍記者と称された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊藤正徳 (軍事評論家) · 続きを見る »

伊藤整一

伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と伊藤整一 · 続きを見る »

佐藤大輔

佐藤 大輔(さとう だいすけ、1964年4月3日 -2017年3月22日 )は、日本の小説家・ゲームデザイナー・漫画原作者である。石川県出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と佐藤大輔 · 続きを見る »

佐藤和正

佐藤 和正(さとう かずまさ、1932年 - 1991年10月1日)は日本のノンフィクション作家。.

新しい!!: レイテ沖海戦と佐藤和正 · 続きを見る »

佐藤純彌

佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は、日本の映画監督・脚本家。かつては、佐藤 純弥の表記も用いられた。 父は日本刀学者の佐藤貫一。兄は東京大学名誉教授の佐藤純一。子に日本テレビ・ディレクターの佐藤東弥がいる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と佐藤純彌 · 続きを見る »

佐藤晃 (戦史家)

佐藤 晃(さとう あきら、1927年 - 2008年4月16日)は日本の歴史評論家。福岡県生まれ、陸軍士官学校61期。大分経済専門学校卒。.

新しい!!: レイテ沖海戦と佐藤晃 (戦史家) · 続きを見る »

彗星 (航空機)

彗星(すいせい)は、大日本帝国海軍の艦上爆撃機。略符号はD4Y1~Y4。連合国軍のコードネームは「Judy」。太平洋戦争後半の日本海軍主力機となり、特攻機としても投入された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と彗星 (航空機) · 続きを見る »

徹甲弾

HMX)'''4''':信管'''5''':弾帯 徹甲弾(てっこうだん、英語:Armor-piercing shot and shell)は、装甲に穴をあけるために設計された砲弾である。艦砲・戦車砲・航空機関砲等で用いられる。弾体の硬度と質量を大きくして装甲を貫くタイプ(AP, APHE)と、逆に弾体を軽くして速度を高めて運動エネルギーで貫くタイプ(HVAP, APDS, APFSDS)が存在するが、本項では主に前者について述べる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と徹甲弾 · 続きを見る »

信濃 (空母)

信濃(しなの)は、日本海軍の航空母艦#空母二十九隻332-333頁『信濃(しなの)』。艦名は旧国名の信濃国から採られた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と信濃 (空母) · 続きを見る »

志摩清英

志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 東京府出身。東京府立一中、海軍兵学校39期、海軍大学校21期。実父は志摩清直海軍大尉。.

新しい!!: レイテ沖海戦と志摩清英 · 続きを見る »

ペリリューの戦い

ペリリューの戦い(ペリリューのたたかい、Battle of Peleliu)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から11月27日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた、日本軍守備隊(守備隊長:中川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリアム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘である。アメリカ側の作戦名はステールメイトII作戦(Operation Stalemate II、stalemateは「膠着」の意味)。 要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いるという、日本軍が見せた組織的な抵抗戦術はアメリカ軍を苦しめ、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになる。 ペリリュー戦は唯一第1海兵師団が壊滅した戦いでもある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とペリリューの戦い · 続きを見る »

ペリリュー島

ペリリュー島(ペリリューとう、Peleliu Island)は、パラオの島の一つ。パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置する。ペレリウ島、ペリリユウ島、プレリュー島などとも。 北東にカープ島やロックアイランドをはさんで旧首都コロール島や現首都バベルダオブ島があり、南西にはアンガウル島が存在する。面積はおおよそ13km2、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはKloulklubed、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がKloulklubedに居住する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とペリリュー島 · 続きを見る »

ペンシルベニア (戦艦)

ペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38) は、アメリカ海軍の戦艦。ペンシルベニア級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国2番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。 第一次世界大戦型の旧式戦艦で、20ノットという速力と35.6センチ砲は当時のアメリカ海軍戦艦群の標準的な仕様であった。日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃で損傷した後、近代化改修を実施した。これにより外観を一新し、近代戦闘能力を有することになった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とペンシルベニア (戦艦) · 続きを見る »

ペンサコーラ (重巡洋艦)

ペンサコーラ (USS Pensacola, CL/CA-24) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ペンサコーラ級重巡洋艦の1番艦。艦名はフロリダ州ペンサコーラに因んで命名された。その名を持つ艦としては3隻目。本艦は東京ローズから「グレイゴースト(灰色の幽霊)」と呼ばれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とペンサコーラ (重巡洋艦) · 続きを見る »

ナッシュビル

ナッシュビル(Nashville)は、アメリカ合衆国テネシー州にある都市。同州の州都であり、デイヴィッドソン郡の郡庁所在地である。州内でメンフィスに続いて2番目に、アメリカ合衆国南東部で4番目に大きい都市である。州の中央部北に流れるカンバーランド川沿岸に位置する。音楽、医療、出版、銀行業、運輸業の中心地であり、多くの大学が存在している。テネシー州最高裁判所の本部であり、中部テネシーの裁判所がある。音楽業界の中心地として知られ、「ミュージック・シティ」というニックネームがつけられている。 1963年から、6つの小さな地方自治体を含み、郡と市の政府が合併している。議員40名のうち35名は各地区から選ばれ、5名が全体から選ばれている。2013年のアメリカ地域調査によると人口は658,602名、半独立都市を除くと634,464名である。全13郡からなる2013年のナッシュビル都市圏の人口は1,757,912名で、州最大の大都市統計地域である。2013年のナッシュビル・デイヴィッドソン郡・マーフリーズボロ・コロンビア広域都市圏の地域は1,876,933名である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とナッシュビル · 続きを見る »

ナッシュビル (軽巡洋艦)

ナッシュビル (USS Nashville, CL-43) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。ブルックリン級軽巡洋艦の1隻。艦名はテネシー州の州都ナッシュビルに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とナッシュビル (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ナトマ・ベイ (護衛空母)

ナトマ・ベイ (USS Natoma Bay, AVG/ACV/CVE-62) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の8番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とナトマ・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

ペトロフ・ベイ (護衛空母)

ペトロフ・ベイ (USS Petrof Bay, CVE-80) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の26番艦。艦名はアラスカ州のペトロフ湾に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とペトロフ・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

ミネアポリス (重巡洋艦)

ミネアポリス (USS Minneapolis, CA-36) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ニューオーリンズ級重巡洋艦の3番艦。艦名はミネソタ州ミネアポリスに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とミネアポリス (重巡洋艦) · 続きを見る »

ミンダナオ島

ミンダナオ島(ミンダナオとう、Mindanao)は、フィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島。.

新しい!!: レイテ沖海戦とミンダナオ島 · 続きを見る »

ミンダナオ島の戦い

ミンダナオ島の戦い(ミンダナオとうのたたかい)は、太平洋戦争中の1945年3月10日から終戦までフィリピン諸島ミンダナオ島で行われた、日本軍とアメリカ軍及びフィリピン人ゲリラの間の戦いである。アメリカ軍側からみるとフィリピン解放作戦の一環として行われ、サンボアンガに上陸する「ヴィクター4号」と、残るダバオなどの制圧作戦である「ヴィクター5号」からなっていた。すでにレイテ島の戦いなどで消耗しきっていた日本軍は、苦戦を強いられることになった。この戦いの結果、南部フィリピンの主要部は連合軍によって確保された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とミンダナオ島の戦い · 続きを見る »

ミシシッピ (戦艦)

ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41/AG-128) は、アメリカ海軍の戦艦。ニューメキシコ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国20番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とミシシッピ (戦艦) · 続きを見る »

ミシシッピ州

ミシシッピ州(英:State of Mississippi )は、アメリカ合衆国南部に位置する州である。州都および最大都市はジャクソン市。人口は、2014年の統計(推計)によると2,994,079人。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第32位、人口では第31位である。 州名はインディアン部族オジブワ族の、部族語で「大きな川」を意味するミシシッピ川から取られている。 南北戦争では南部連合側に属した。そのため、州旗には南軍旗が描かれている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とミシシッピ州 · 続きを見る »

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)は、太平洋戦争においてあ号作戦として1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍とアメリカ海軍空母機動部隊の海戦。アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。アメリカ側の作戦名は、海上作戦を含むサイパン島攻略作戦全体についてフォレージャー作戦(「掠奪者作戦」の意味)と命名されていた。 マリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍を日本軍が迎撃した本作戦では、日本はアウトレンジ戦法による航空作戦を行うが、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄されるほどの一方的な敗北となり、日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に陥ちた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマリアナ沖海戦 · 続きを見る »

ノルマンディー上陸作戦

ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん、Invasion of Normandy)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合軍によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦。正式作戦名「ネプチューン作戦」(Operation Neptune)。なお上陸からパリ解放までの作戦全体の正式名称はオーヴァーロード作戦(Operation Overlord)。 最終的に200万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディー海岸に上陸した。2018年現在に至るまで歴史上最大規模の上陸作戦である。 本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2ヶ月以上要した。 ノルマンディー上陸はヨーロッパ戦線の転機となった作戦であり、第二次世界大戦中最もよく知られた戦いの一つでもある。本作戦で用いられた用語「D-デイ」は作戦決行日を表し、現在では主に作戦開始当日の1944年6月6日について使われる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とノルマンディー上陸作戦 · 続きを見る »

マーカス・アイランド (護衛空母)

マーカス・アイランド (USS Marcus Island, CVE-77) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の23番艦。艦名は南鳥島(英名 Marcus Island )に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマーカス・アイランド (護衛空母) · 続きを見る »

マーク・ミッチャー

マーク・アンドリュー・「ピート」・ミッチャー(Marc Andrew "Pete" Mitscher, 1887年1月26日 - 1947年2月3日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。第二次世界大戦後半の太平洋戦線における高速空母機動部隊の指揮官として有名である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマーク・ミッチャー · 続きを見る »

マヌス島

マヌス島(英語、Manus Island)は、パプアニューギニア、マヌス州の島で、アドミラルティ諸島最大の島である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマヌス島 · 続きを見る »

マニラ・ベイ (護衛空母)

マニラ・ベイ (USS Manila Bay, ACV/CVE-61) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の7番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマニラ・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

マニラ湾

マニラ湾 マニラ湾(Manila Bay)は、フィリピンのルソン島中部・首都マニラの西に広がる湾である。湾は西側に開けており、南シナ海と結ばれている。湾口は、バターン半島がせり出しているため、狭くなっており、またコレヒドール島等が存在している。湾内は良港となっており、主要港湾として、東部にマニラ港、南部にカビテ港などがある。 この湾は、夕陽が美しいことで有名である。東側にあるバエ湖とはパシッグ川でつながっている。 1898年にはマニラ湾海戦が行われている。 まにらわん まにらわん.

新しい!!: レイテ沖海戦とマニラ湾 · 続きを見る »

マイアミ (軽巡洋艦)

マイアミ (USS Miami, CL-89) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の18番艦。艦名はフロリダ州マイアミに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマイアミ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

マカピリ

マカピリの旗 マカピリ(Makapili)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中にフィリピンで日本を軍事支援していたフィリピン人による組織。日本側の正式呼称は比島愛国同志会である。 1944年12月、フィリピン第二共和国(ホセ・ラウレル政権)統治下のフィリピンで発足した。その幹部には、米比戦争でフィリピン軍を指揮したアルテミオ・リカルテや、独立運動家のベニグノ・ラモスなどが就いた。旧ガナップ党員などの親日派民兵(フィリピン・ガード)を集成して総兵力5000名と称し、主にアメリカ極東陸軍からの鹵獲兵器である各種小火器で武装していた。フィリピン第二共和国はわずかな大統領親衛隊を除いて軍隊を持たなかったため、マカピリが日本軍に協力する現地武装組織の中核だった。フィリピンの戦いに参加した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマカピリ · 続きを見る »

マサチューセッツ (戦艦)

マサチューセッツ(USS Massachusetts, BB-59)は、アメリカ海軍の戦艦。サウスダコタ級戦艦の3番艦。艦名はアメリカ合衆国6番目の州に因む。その名を持つ艦としては7隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とマサチューセッツ (戦艦) · 続きを見る »

チャールズ・A・ロックウッド

チャールズ・アンドリュース・ロックウッド (Charles Andrews Lockwood, 1890年5月6日 - 1967年6月7日) は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は中将。司令官。彼の考案した戦術と育てた部隊"サイレントサービス"はアメリカ軍の太平洋の勝利に大いに貢献した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とチャールズ・A・ロックウッド · 続きを見る »

チェスター (重巡洋艦)

チェスター (USS Chester, CL/CA-27) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級の2番艦。艦名はペンシルベニア州の都市チェスターに由来する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とチェスター (重巡洋艦) · 続きを見る »

チェスター・ニミッツ

チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア(Chester William Nimitz, Sr. 1885年2月24日 - 1966年2月20日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は海軍元帥(Fleet Admiral of the United States Navy)。テキサス州出身。第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官(Commander in Chief, United States Pacific Fleet and Commander in Chief, Pacific Ocean Areas.

新しい!!: レイテ沖海戦とチェスター・ニミッツ · 続きを見る »

ハヤカワ文庫

ハヤカワ文庫(ハヤカワぶんこ)は、株式会社早川書房が発行している文庫レーベル。SFや推理小説を中心に収録。日本国外の翻訳作品が多い。ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ文庫HMなど、いくつかのサブレーベルに分かれている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とハヤカワ文庫 · 続きを見る »

ハリバット (潜水艦)

ハリバット (USS Halibut, SS-232) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級の一隻。艦名はカレイ目最大種のオヒョウ属2種を中心に、広義にはヒラメ・カラスガレイなど1メートルを超える大型種の通称に由来する。同名のアメリカ軍艦(USS ''Halibut'')としては初代。.

新しい!!: レイテ沖海戦とハリバット (潜水艦) · 続きを見る »

ハルマヘラ島

ハルマヘラ島(ハルマヘラとう、Pulau Halmahera)はインドネシアのモルッカ諸島にある島。ジャイロロ島(Jailolo)、ジロロ島(Jilolo, Gilolo)ともいう。面積は17,780km2で、モルッカ諸島で最も大きい。北東は太平洋に面し、南東はハルマヘラ海、西はモルッカ海峡・モルッカ海に面する。人口は449,938人(2010年)。住民の8割はムスリムで、残りの2割はキリスト教徒が占める。 最近では2007年に噴火した島の最高地点であるガムコノラ山(標高1560m、1635mとも)の他に活火山がいくつかある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とハルマヘラ島 · 続きを見る »

ハンコック (空母)

ハンコック(USS Hancock, CV-19)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦で、同級空母としては9番目に就役した。艦名はジョン・ハンコックに因む。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とハンコック (空母) · 続きを見る »

バンカー・ヒル (空母)

バンカー・ヒル(USS Bunker Hill, CV/CVA/CVS-17,AVT-9)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては4番目に就役した。太平洋戦争ではマリアナ沖海戦(フィリピン海海戦)、レイテ沖海戦(レイテ湾海戦)などに参加した。 艦名は独立戦争におけるバンカーヒルの戦いに因み、ボストンの軍港の近くにある小さな丘でもある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とバンカー・ヒル (空母) · 続きを見る »

バーミングハム (CL-62)

バーミングハム(USS Birmingham, CL-62)は、アメリカ海軍の巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の6番艦。艦名はアラバマ州のバーミングハムに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とバーミングハム (CL-62) · 続きを見る »

バーゴール (潜水艦)

バーゴール (USS Bergall, SS-320) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はニューイングランド沖に生息するベラ科の魚バーゴールに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とバーゴール (潜水艦) · 続きを見る »

ポートランド (重巡洋艦)

ポートランド (USS Portland, CA-33) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ポートランド級重巡洋艦の1番艦。艦名はメイン州ポートランドに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とポートランド (重巡洋艦) · 続きを見る »

メリーランド (戦艦)

メリーランド (USS Maryland, BB-46) は、アメリカ海軍の戦艦。コロラド級の2番艦である。同級では唯一ワシントン海軍軍縮条約までに竣工した。艦名はアメリカ合衆国7番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目にあたる。名前の上では2番艦だが上記の通り最初に竣工したためネームシップと見なされることがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とメリーランド (戦艦) · 続きを見る »

メリーランド州

メリーランド州(State of Maryland、略号MD、)は、アメリカ合衆国東部の大西洋岸にあり、ワシントンD.C.に隣接して中部大西洋岸地域(Mid-Atlantic States)を構成する州の一つである。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第42位、人口では第19位である。人口密度が高い。南と西はバージニア州、ウェストバージニア州、ワシントンD.C.に、北はペンシルベニア州、東はデラウェア州と接している。 州名の由来は、当時、イングランド国内で禁じられていたカトリック信仰の擁護者的存在になったヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス王妃(イングランド内戦・ピューリタン革命で処刑されることになるチャールズ1世の妃)の名前であり、イギリス植民地時代に彼女の栄誉を称えて名付けられた Retrieved on 2007-02-07.

新しい!!: レイテ沖海戦とメリーランド州 · 続きを見る »

モロタイ島

モロタイ島(モロタイとう、Pulau Morotai)は、東インドネシア・モルッカ諸島(マルク諸島とも)の島の一つ。ハルマヘラ島の北に位置し面積1,800km2。北マルク州の一部であり、インドネシアの最も北寄りの島の1つである。.

新しい!!: レイテ沖海戦とモロタイ島 · 続きを見る »

モンテレー (空母)

モンテレー(USS Monterey, CVL-26)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の5番艦。艦名は米墨戦争におけるモンテレーの戦いに因む。その名を持つ艦としては3隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とモンテレー (空母) · 続きを見る »

モービル (軽巡洋艦)

モービル (USS Mobile, CL-63) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はアラバマ州モービルに因む。その名を持つ艦としては3隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とモービル (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ヤップ島

ヤップ国際空港 ヤップ島は、ミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれている西太平洋上の島である。マップ(Maap)島とも。.

新しい!!: レイテ沖海戦とヤップ島 · 続きを見る »

ラングレー (CVL-27)

ラングレー(USS Langley, CVL-27)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の6番艦として建造された。艦名はサミュエル・ラングレーに因み、アメリカ海軍最初の航空母艦で1942年2月27日撃沈されたラングレー(USS Langley, CV-1/AV-3)の名を受け継いだ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とラングレー (CVL-27) · 続きを見る »

リノ (軽巡洋艦)

リノ (USS Reno, CL/CLAA-96) は、アメリカ海軍の巡洋艦。アトランタ級軽巡洋艦の6番艦。艦名はネバダ州リノに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とリノ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

リチャード・サザランド

リチャード・ケレンス・サザランド(Richard Kerens Sutherland, 1893年11月27日-1966年6月25日)はアメリカ陸軍の軍人、最終階級は中将。 イェール大学出身で州兵から正規の将校に取り立てられ、エリートコースを進む。フィリピン時代以降はダグラス・マッカーサー陸軍元帥の参謀長として辣腕をふるい、いわゆる「バターン・ギャング」#マンチェスター (上) p.318 などでの呼称。「バターン・ボーイズ」などの呼称もある(#増田 p.17)。の一人としてにも付き従った。しかし、自身の不倫問題でマッカーサーから敬遠されるようになり、戦争終結後の日本における占領行政にも短期間ながらかかわったものの、間もなく退役した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とリチャード・サザランド · 続きを見る »

リッチモンド・K・ターナー

リッチモンド・ケリー「テリブル」・ターナー (Richmond Kelly Turner, 1885年5月27日 - 1961年2月12日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。 第二次世界大戦においては、ソロモン諸島の戦いから沖縄戦にいたる主だった上陸作戦の指揮を執った。.

新しい!!: レイテ沖海戦とリッチモンド・K・ターナー · 続きを見る »

ルイビル (重巡洋艦)

ルイビル (USS Louisville, CL/CA-28) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の3番艦。艦名はケンタッキー州ルイビルに因み、その名を持つ艦としては3隻目。日本では地名のルイビルと同様にルイスビルと表記されることもある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とルイビル (重巡洋艦) · 続きを見る »

ルソン島

ルソン島(ルソンとう、呂宋島、フィリピン語:Luzon)は、フィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島。面積はおよそ10万4688km2。フィリピンの総面積の35%を占め、世界で17番目に大きな島であり、世界で4番目に人口が多い島でもある。首都マニラやフィリピンで最も人口が多いケソン、およびそれらを包括する首都圏メトロ・マニラが同島に所在しており、フィリピンの政治・経済で特に重要な位置を占めている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とルソン島 · 続きを見る »

ルソン島の戦い

ルソン島の戦い(ルソンとうのたたかい)は、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とルソン島の戦い · 続きを見る »

レーダー

レーダー用パラボラアンテナ(直径40m) レーダー(Radar)とは、電波を対象物に向けて発射し、その反射波を測定することにより、対象物までの距離や方向を測る装置である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレーダー · 続きを見る »

レイモンド

レイモンド/レーモンド (Raymond) は英語圏の男性名、姓。フランス語のレーモン、ドイツ語のライモント、イタリア語のライモンド、スペイン語のライムンドなどに相応される。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイモンド · 続きを見る »

レイモンド・スプルーアンス

レイモンド・エイムズ・スプルーアンス(Raymond Ames Spruance, 1886年7月3日 - 1969年12月13日)はアメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイモンド・スプルーアンス · 続きを見る »

レイテ島

レイテ島(レイテとう、Leyte)は、フィリピン中部、ビサヤ諸島の東ビサヤ地方に位置する島。人口は約190万人、面積は7,214km。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイテ島 · 続きを見る »

レイテ島の戦い

レイテ島の戦い(レイテとうのたたかい)は、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘である。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイテ島の戦い · 続きを見る »

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイテ沖海戦 · 続きを見る »

レイテ戦記

『レイテ戦記』(レイテせんき)は、大岡昇平による戦記文学作品。太平洋戦争の“天王山”と呼ばれ、日本軍8万4千人もの犠牲を生み出した(対して米軍の死傷者は1万5千人)レイテ島における死闘を、厖大な資料や多くのインタビューを取り、それらを紐解いて再構築したものである。本作によって、大岡は1972年に毎日芸術賞を受賞した。 大岡は「結局は小説家である著者が見た大きな夢の集約である」と語っており、「大岡昇平全集」(筑摩書房刊)において本作が小説に分類されていたことから、本記事では小説として扱う。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレイテ戦記 · 続きを見る »

レキシントン (CV-16)

レキシントン (USS Lexington, CV-16) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては2番目に就役した。アメリカ海軍においてレキシントンの名を受け継いだ艦としては5隻目にあたる。「ブルー・ゴースト」の愛称で知られた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とレキシントン (CV-16) · 続きを見る »

ロバート・カーニー

“ミック” ロバート・ボストウィック・カーニー(Robert Bostwick Carney, 1895年3月26日-1990年6月25日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。 第二次世界大戦中はウィリアム・ハルゼー海軍元帥の参謀長として仕え、冷戦期のドワイト・D・アイゼンハワー政権下においては南ヨーロッパ方面のNATO部隊司令官を経てアメリカ海軍作戦部長を務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とロバート・カーニー · 続きを見る »

ローレンス・T・デュボース

“ラリー”ローレンス・トゥームズ・デュボース(Laurance Toombs DuBose, 1893年5月21日 - 1967年7月11日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。 第二次世界大戦の前半期には重巡洋艦「ポートランド」 (USS Portland, CA-33) 艦長としてガダルカナル島をめぐる海戦で日本海軍艦隊といくたびか交戦し、後半には巡洋艦部隊を指揮。1944年10月25日のレイテ沖海戦では日本海軍の空母「千代田」を砲撃で撃沈する稀有な戦果をおさめた。デュボースはソロモンとレイテ沖の戦功で、合計3個の海軍十字章が授けられた。 なお、ファーストネームのスペルは "Laurance" であり、ローレンス・オリヴィエ(Lord Laurence Olivier)などの "Laurence" ではない#Arlington#Find a Grave。また、姓の "DuBose" の日本語読みは「デュボース」、「デュボーズ」と統一されていない。「デュ・ボース(デュ・ボーズ)」と区切る文献もある。姓のスペルは、アーリントン国立墓地の墓碑では "Du BOSE" と、間を若干離している。.

新しい!!: レイテ沖海戦とローレンス・T・デュボース · 続きを見る »

ワシントン (BB-56)

ワシントン (USS Washington, BB-56) は、アメリカ海軍の戦艦。ノースカロライナ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国42番目の州に因む。その名を持つ艦としては9隻目。8代目は未完成に終わったコロラド級戦艦。 愛称はマイティ W(Mighty W)。ワシントンは太平洋戦争を通じ日本海軍の攻撃で乗組員を失わなかった武運の強い艦である。一方、イギリス派遣時には司令官が転落死し、1943年1月31日には戦艦インディアナの右舷三番砲塔付近に衝突し、衝突事故を起こして本国修理に1ヶ月を要した。この際は数人の水兵が死亡している。.

新しい!!: レイテ沖海戦とワシントン (BB-56) · 続きを見る »

ワスプ (CV-18)

ワスプ (USS Wasp, CV-18) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の6番目艦で、その名を持つ艦としては9隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とワスプ (CV-18) · 続きを見る »

ヴィンセンス (軽巡洋艦)

ヴィンセンス (USS Vincennes, CL-64) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はインディアナ州ヴィンセンスに因む。その名を持つ艦としては3隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とヴィンセンス (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ボルチモア (重巡洋艦)

ボルチモア (USS Baltimore, CA-68) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ボルチモア級の1番艦。艦名はメリーランド州ボルチモアに因む。その名を持つ艦としては5隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とボルチモア (重巡洋艦) · 続きを見る »

ボイシ (軽巡洋艦)

ボイシ (USS Boise, CL-47) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。ブルックリン級軽巡洋艦の1隻。艦名はアイダホ州の州都ボイシに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とボイシ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ボストン (重巡洋艦)

ボストン (USS Boston, CA-69/CAG-1) はアメリカ海軍の重巡洋艦。ボルチモア級重巡洋艦の2番艦。艦名はマサチューセッツ州ボストンに由来し、その名を持つ艦としては6隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とボストン (重巡洋艦) · 続きを見る »

トーマス・スプレイグ

トーマス・ラミソン・スプレイグ (Thomas Lamison Sprague, 1894年10月2日 - 1972年9月17日) は、アメリカ合衆国の軍人、海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦とトーマス・スプレイグ · 続きを見る »

トーマス・C・キンケイド

トーマス・カッシン・キンケイド(Thomas Cassin Kinkaid、1888年4月3日 - 1972年11月17日)は、アメリカ海軍の軍人。第二次世界大戦中の1943年から45年まで南西太平洋海域の連合国軍海軍司令官および第7艦隊司令官を務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とトーマス・C・キンケイド · 続きを見る »

ヘルツ

ヘルツ(hertz、記号:Hz)は、国際単位系 (SI) における周波数・振動数の単位である。その名前は、ドイツの物理学者で、電磁気学の分野で重要な貢献をしたハインリヒ・ヘルツに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とヘルツ · 続きを見る »

ブリーム (潜水艦)

ブリーム (USS Bream, SS/SSK/AGSS-243) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はヨーロッパに生息するコイ科の淡水魚ブリームにちなむ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とブリーム (潜水艦) · 続きを見る »

プリンストン (CVL-23)

プリンストン(USS Princeton, CVL-23)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の2番艦。その名を持つ艦としては4隻目。1944年にレイテ沖海戦で沈没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とプリンストン (CVL-23) · 続きを見る »

プレジデント社

株式会社プレジデント社(プレジデントしゃ)は、ビジネス雑誌を主に刊行する出版社。一ツ橋グループに属する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とプレジデント社 · 続きを見る »

パナイ島

パナイ島はネグロス島の北、ミンドロ島の南、スールー海に面した場所に位置する パナイ島 パナイ島(Panay)はフィリピン中部ビサヤ諸島の西ビサヤ地方に属する島。島最大の都市はイロイロ市で、西ビサヤ地方の中心都市でもある。面積は11,515kmで、フィリピンで6番目の大きさ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とパナイ島 · 続きを見る »

パナオン島

パナオン島(Panaon Island)はフィリピン、南レイテ州の島。レイテ島からパナオン海峡を挟んで100mほど南の位置にあり、東にディナガット島、スリガオ海峡を挟んで南東にミンダナオ島がある。南西にはミンダナオ海(またはボホール海:en:Bohol Seaが広がる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とパナオン島 · 続きを見る »

ヒューストン (軽巡洋艦)

ヒューストン (USS Houston, CL-81) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はテキサス州ヒューストンに因む。その名を持つ艦としては3隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とヒューストン (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ヒ船団

当時の日本の典型的な大型タンカーだった極東丸。同様の1万トン級タンカーがヒ船団の主力で、「極東丸」もヒ71船団に参加している。 ヒ船団(ヒせんだん) / ヒ号船団(ヒごうせんだん)は、日本(大日本帝国)が太平洋戦争後半において日本本土とシンガポール間で運航した一連の護送船団である。主な任務は、日本占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することであった。大型高速のタンカーを中心に構成され、フィリピン方面へ増援部隊を送る軍隊輸送船も多く加入した。戦略的に重要な船団として優先的に護衛されたが、アメリカ海軍の潜水艦や航空機による攻撃で大きな損害を受け、沖縄へのアメリカ軍上陸が迫った1945年(昭和20年)3月に運航停止となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とヒ船団 · 続きを見る »

ビロクシ (軽巡洋艦)

ビロクシ (USS Biloxi, CL-80) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の12番艦。艦名はミシシッピ州ビロクシに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とビロクシ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

テネシー (戦艦)

テネシー (USS Tennessee, BB-43) は、アメリカ海軍の戦艦。テネシー級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国16番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。 第一次世界大戦直後に就役した戦艦である。総合能力では他のアメリカ海軍戦艦と同様の能力を持つ。日本海軍による真珠湾攻撃で損傷し、姉妹艦カリフォルニアは着底した。のちに両艦は徹底的な近代化改修を受け、装甲、速力、主砲を除いた部分でサウスダコタに準じた性能、外観を持った。1943年に近代化改修を終えるとテネシーは太平洋戦線に配備され、主要な戦いの多くに参戦した。マーシャル諸島を皮切りにビスマルク諸島、マリアナ諸島、フィリピン、沖縄等の日本軍占領下の島々を転戦。島嶼の攻略戦においてはその艦砲射撃の威力を発揮し、またレイテ沖海戦ではスリガオ海峡でカリフォルニア等と共に戦艦部隊を形成し、突入を試みた扶桑型戦艦2隻を含む日本艦隊を迎撃し撃破している。 サイパンでは沿岸砲の、沖縄では特攻機の攻撃にあい損害を受けるも致命的なものではなく、直ぐに戦線に復帰している。終戦後は日本本土の進駐に向かった後、シンガポール、インド洋、喜望峰、大西洋を経て本国に帰還した。1947年に退役、1959年に解体された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とテネシー (戦艦) · 続きを見る »

テニアンの戦い

テニアンの戦い(テニアンのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、1944年7月24日から8月2日にマリアナ諸島テニアン島において行われた日本軍とアメリカ軍との戦闘。.

新しい!!: レイテ沖海戦とテニアンの戦い · 続きを見る »

デリンジャー現象

デリンジャー現象(デリンジャーげんしょう、Dellinger Effect)とは電離層に何らかの理由で異常が発生することにより起こる通信障害である。短波障害(SWF:Short Wave Fadeout)または突発性電離層擾乱(SID:Sudden Ionospherric Disturbance)、デリンジャー効果(Dellinger Effect)とも呼ばれる。 デリンジャー現象の名前は、1935年にこれを発表したアメリカの通信技師、ジョン・ハワード・デリンジャー(John Howard Dellinger)に由来する。この実績などにより、デリンジャーは1938年にIEEE栄誉賞を受賞した。しかし実は、この5年前の1930年にドイツのハンス・メーゲル()が先に発見していた。このため、ドイツでは(メーゲル.

新しい!!: レイテ沖海戦とデリンジャー現象 · 続きを見る »

デンバー (軽巡洋艦)

デンバー (USS Denver, CL-58) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はコロラド州デンバーに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とデンバー (軽巡洋艦) · 続きを見る »

デニス

デニス(Dennis, Denis)は、主に英語圏の男性名、姓。聖人パリのディオニュシウスに由来し、フランス語名のドニなどに対応する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とデニス · 続きを見る »

デイス (潜水艦)

デイス (USS Dace, SS-247) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の35番艦。艦名はコイ科ウグイ亜科のヨーロッパクレードに属する淡水魚に因む。便宜上ヨーロッパウグイと訳されることもあるが、ウグイとは属が違う。同名のアメリカ軍艦(USS ''Dace'')としては初代。.

新しい!!: レイテ沖海戦とデイス (潜水艦) · 続きを見る »

デザインエッグ

デザインエッグ株式会社(英:DesignEgg co.,ltd)は、大阪府東大阪市に本社を持つ、インターネット事業を主とした企業。社是は「世界初のサービスのみをつくる」。.

新しい!!: レイテ沖海戦とデザインエッグ · 続きを見る »

フランクリン (空母)

フランクリン(USS Franklin, CV/CVA/CVS-13, AVT-8)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては8番目に就役した。その名を持つ艦としては5隻目。艦名はベンジャミン・フランクリンに因んで命名された前の4隻を引き継いだ。 「ビッグベン(Big Ben)」の愛称で呼ばれたフランクリンは、第二次世界大戦において何度も損傷を受けながらも残存した艦の一つとして有名である。特に、1945年3月の九州沖航空戦において、日本海軍機の緩降下爆撃により大破しながらもかろうじて沈没を免れ、アメリカ本国に帰還したエピソード(後述)はゲイリー・クーパーが主演した1949年の映画『機動部隊』(Task Force)でも描かれている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフランクリン (空母) · 続きを見る »

フランクリン・ルーズベルト

フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882年1月30日 - 1945年4月12日)は、アメリカ合衆国の政治家。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記。民主党出身の第32代大統領(1933年 - 1945年)。第26代大統領セオドア・ルーズベルトは広義の従兄(五従兄、12親等)に当たる。名前のイニシャルをとってFDRと呼ばれることも多い。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフランクリン・ルーズベルト · 続きを見る »

フレデリック・C・シャーマン

テッド」・フレデリック・カール・シャーマン (Frederick Carl Sherman, 1888年5月27日 - 1957年7月27日) は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。第二次世界大戦後半の太平洋戦線における高速空母機動部隊の指揮官の一人である。 アメリカ海軍作戦部長などを務めたフォレスト・P・シャーマン大将とは別人。この項ではフォレストの方を「F・P・シャーマン」として表記する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフレデリック・C・シャーマン · 続きを見る »

ファンショー・ベイ (護衛空母)

ファンショー・ベイ (USS Fanshaw Bay, CVE-70) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の16番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とファンショー・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフィリピン · 続きを見る »

フィリピン独立法

フィリピン独立法(フィリピンどくりつほう)は、1934年3月24日にアメリカ議会において成立した法律。別名、タイディングス・マクダフィー法。 法律の中身は10年後の7月4日にフィリピンを独立させるというもので1935年11月に独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)が発足し、マニュエル・ケソンが大統領に就任した。 その後、1941年に太平洋戦争が勃発し、1942年にマニラが占領され、ケソンはアメリカに亡命した。そして、ホセ・ラウレルフィリピン共和国第3代大統領が翌1943年10月14日にフィリピン第二共和国を樹立し独立を宣言した。1945年の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、1946年ので、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたが再独立した。戦後再びアメリカからの独立が実現したのは、1946年7月4日のことである。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフィリピン独立法 · 続きを見る »

フィリピン軍

フィリピン軍(フィリピンぐん、)は、フィリピンの軍隊。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフィリピン軍 · 続きを見る »

フェニックス (軽巡洋艦)

フェニックス (USS Phoenix, CL-46) は、アメリカ海軍のブルックリン級軽巡洋艦5番艦。1938年竣工。後にアルゼンチン海軍に売却され、ヘネラル・ベルグラノと改名、フォークランド戦争で撃沈される。.

新しい!!: レイテ沖海戦とフェニックス (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ドラム (潜水艦)

ドラム (USS Drum, SS-228) は、アメリカ海軍の潜水艦で、ガトー級潜水艦の一隻。ドラムの艦名はドラミング音を発するニベ科の魚類数種に因む。ガトー級潜水艦の中でネームシップのガトーより最も早く竣工しかつ真珠湾攻撃前に竣工した唯一の艦であり、同級の実質的な「一番艦」でもある。ドラムは現在、アラバマ州モービルで博物館船として公開されている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とドラム (潜水艦) · 続きを見る »

ニューオーリンズ (重巡洋艦)

ニューオーリンズ (USS New Orleans, CL/CA-32) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。艦名はルイジアナ州ニューオーリンズに因む。その名を持つ艦としては2隻目。ニューオーリンズ級重巡洋艦の1番艦であるが、もともとは先に建造されていたアストリア (USS Astoria, CA-34) がネームシップとなる予定だった。しかし、アストリアの竣工がニューオーリンズより遅れたため、ネームシップの座もニューオーリンズに譲らざるを得なかった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とニューオーリンズ (重巡洋艦) · 続きを見る »

ニュージャージー (戦艦)

ニュージャージー(USS New Jersey, BB-62)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国3番目の州に因む。その名を持つ艦としては二隻目にあたる。 ニュージャージーは1940年9月16日にフィラデルフィア海軍造船所で起工された。「ビッグ J(Big J)」(もしくはブラックドラゴン(The Black Dragon))の愛称で呼ばれたニュージャージーは1942年12月7日にキャロリン・エジソン(ニュージャージー知事チャールズ・エジソン夫人)によって命名、進水した。1943年5月23日に初代艦長カール・F・ホールデン大佐の指揮下就役した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とニュージャージー (戦艦) · 続きを見る »

ホノルル

ホノルル(Honolulu)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある都市。同州最大の都市かつ州都である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホノルル · 続きを見る »

ホワイト・プレインズ (護衛空母)

ホワイト・プレインズ (USS White Plains, CVE/CVU-66) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の12番艦。艦名はアメリカ独立戦争におけるホワイト・プレインズの戦いにちなんで名付けられた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホワイト・プレインズ (護衛空母) · 続きを見る »

ホーネット (CV-12)

ホーネット(USS Hornet, CV/CVA/CVS-12)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては7番目に就役した。「The Grey Ghost」の愛称で呼ばれた。アメリカ海軍においてホーネットの名を受け継いだ艦としては8隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホーネット (CV-12) · 続きを見る »

ホーエル (DD-533)

ホーエル (USS Hoel, DD-533) は、アメリカ海軍の駆逐艦。フレッチャー級駆逐艦の1隻。艦名は南北戦争中のビックスバーグの包囲戦で戦功を挙げた中佐にちなむ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホーエル (DD-533) · 続きを見る »

ホビージャパン

株式会社ホビージャパン(HobbyJAPAN CO., Ltd)は、出版及び模型・玩具・ゲームの開発・輸入・販売を行っている日本の企業。 1969年、ミニカー・ゲーム・ホビーグッズ等の販売・輸入を行なう株式会社ポストホビーを母体として設立。『月刊ホビージャパン』『GAME JAPAN』『アームズマガジン』等のホビー専門誌やホビー・ゲーム関連の書籍の発行、テーブルゲーム等の発売を行っている。ポストホビーは東京・神奈川に直営店舗を構えている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホビージャパン · 続きを見る »

ホセ・ラウレル

ラウレルの肖像のある「独立1周年」記念切手(1945年) ホセ・ラウレル(José Paciano Laurel, 1891年3月9日 - 1959年11月6日)はフィリピン共和国の第3代大統領。当時は第二次共和国で、日本軍政下であった。 コラソン・アキノ政権の副大統領サルバドール・ラウレルの父。.

新しい!!: レイテ沖海戦とホセ・ラウレル · 続きを見る »

ダバオ

ダバオ市(、、セブアノ語: )は、フィリピン南部ミンダナオ島ダバオ地方 (Davao Region, Region XII) のダバオ・デル・スル州にある、メトロ・マニラ、メトロ・セブ(セブ市とその周囲)に次ぐフィリピン第3位の都市である。面積2,400km2、2010年現在の人口は約145万人。国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地である。実際の所ダバオ市は州から独立をしているが、ダバオ・デル・スル州の一部として見られることもある。またダバオ地方の中心都市としても位置づけられている。2,400km2もの広さを誇るダバオ市は世界最大の行政面積を持つ都市の一つともされる。人口は145万人だが、昼間人口は約200万人である。 スペイン人による征服は19世紀と遅く、それまでは先住民やイスラム教徒が集落を開いて暮らしていた。この都市が発展したきっかけは、20世紀初頭の日本人によるアバカ(マニラ麻)栽培の農園経営であり、当時は2万人の日本人が住む東南アジア最大の日本人街もあった。現在でも多くの日系人が住み、定年を迎えた日本人の移住先としても注目されている。 現在は木材の積出港であるほか、郊外にはドール社による広大なバナナプランテーションが広がり、その加工や輸出でも有名である。近年はアメリカ企業によるコールセンター業務などのアウトソーシング先として開発されており、巨額の収益が期待されている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とダバオ · 続きを見る »

ダーター (SS-227)

ダーター (USS Darter, SS-227) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。 艦名の“Darter”はペルカ科に属する小型淡水魚の総称に因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とダーター (SS-227) · 続きを見る »

ダグラス・マッカーサー

ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官、国連軍司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。 マッカーサーのカナ表記はマックアーサーとされている場合がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とダグラス・マッカーサー · 続きを見る »

ベロー・ウッド (空母)

ベロー・ウッド(USS Belleau Wood, CV/CVL-24)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の3番艦。当初は巡洋艦ニュー・ヘヴン(USS New Haven, CL-76)として建造が行われ、1942年2月16日に艦種変更および改名が行われた。艦名は第一次世界大戦で海兵隊が激戦を繰り広げたフランスの地名ベローウッドに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とベロー・ウッド (空母) · 続きを見る »

初霜

初霜(はつしも)とは、その年の秋から冬にかけて最初に降りる霜のこと。あるいは、その霜が降りた日(霜の初日)のこと。 1981 - 2010年の平均では、旭川は10月8日、札幌は10月25日、仙台は11月10日、東京は12月20日、名古屋は11月27日、京都は11月18日、大阪は12月5日、福岡は12月12日頃。地域により時期に大きな差があるが、最低気温の低さと相関性が高く、平均気温が同じ地点で比較すれば、沿岸よりも朝の冷え込みが厳しい内陸や高地の方が早い。1941 - 1970年の平年値分布図では、北海道道央から道東にかけての高地で9月、北海道や北東北の大部分、南東北から飛騨山脈にかけての内陸、中国山地や九州山地の一部で10月、その他の九州以北の大部分で11月、九州から房総半島にかけての南岸や西岸で部分的に12月となっている。 目安としては晴れて風の穏やかな放射冷却の強い朝で最低気温が5 - 6程度とされ、この気温のとき地表面温度がちょうど0前後となり霜が降り始める。ただ、雨や雪が降っているとき、湿度が低く地表面でも露点に達しないとき、風が強く大気がかき混ぜられて気温が下がりにくいときなどは、霜が降りないことがある。霜は農作物に凍霜害を引き起こすため、初霜の時期は霜への対策を始める目安となる。 日本の多くの地域では、初霜のあと初雪が訪れることが多いが、初雪の方が早い場合もある。なお1981 - 2010年の平均では、新潟、金沢、神戸、広島では初雪の方が僅かに早く、稚内では16日、下関では29日、それぞれ初雪の方が早い。また同様に初霜より初氷のほうが遅いが、例外がある。 都市化によるヒートアイランド現象と地球温暖化の影響で、近年は遅くなる傾向にある。東京における変化を見ると、1930年代までは11月中心で12月の観測例は皆無、10月下旬の初霜も見られたが、1970年代後半から12月中心となり、1月にまでずれ込む年が出始める。1988 - 1989年冬の11月27日を最後に、11月の初霜は観測されていない。また1994 - 1995年冬は2月6日と、異常な遅さだった。 なお、ベンケイソウ科の多肉植物、Graptopetalum paraguayenseは「初霜」の園芸名で古くから日本で栽培されてきた。グラプトペタルム参照。.

新しい!!: レイテ沖海戦と初霜 · 続きを見る »

初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と初霜 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

初月 (駆逐艦)

初月(はつづき)は、日本海軍の駆逐艦#S17達62号p.1『達第六十二號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 初月(ハツヅキ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第二十二號掃海艇/第三十一號掃海艇|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 運送艦 足摺(アシズリ)』。秋月型駆逐艦の4番艦である。艦名は新月の意、特に陰暦8月の初めの月を意味する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と初月 (駆逐艦) · 続きを見る »

初春 (初春型駆逐艦)

初春(はつはる)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』。 一等駆逐艦初春型の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初春」に続いて2隻目。 大改装前の子日と初春.

新しい!!: レイテ沖海戦と初春 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

利根 (重巡洋艦)

利根(とね)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては4隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。艦内神社は香取神宮である。艦名は海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「とね」に継承された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と利根 (重巡洋艦) · 続きを見る »

利根川裕

利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - )は、新潟県糸魚川市出身の作家である。テレビ朝日系の深夜番組「トゥナイト」の司会を長く務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と利根川裕 · 続きを見る »

周波数

周波数(しゅうはすう 英:frequency)とは、工学、特に電気工学・電波工学や音響工学などにおいて、電気振動(電磁波や振動電流)などの現象が、単位時間(ヘルツの場合は1秒)当たりに繰り返される回数のことである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と周波数 · 続きを見る »

呂号第四十三潜水艦

呂号第四十三潜水艦(ろごうだいよんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の9番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と呂号第四十三潜水艦 · 続きを見る »

呂号第四十一潜水艦

呂号第四十一潜水艦(ろごうだいよんじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の7番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と呂号第四十一潜水艦 · 続きを見る »

呂号第四十六潜水艦

呂号第四十六潜水艦(ろごうだいよんじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の12番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と呂号第四十六潜水艦 · 続きを見る »

呂号第百十二潜水艦

呂号第百十二潜水艦(ろごうだいひゃくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の13番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と呂号第百十二潜水艦 · 続きを見る »

呂号第百九潜水艦

呂号第百九潜水艦(ろごうだいひゃくきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の10番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と呂号第百九潜水艦 · 続きを見る »

アメリカ合衆国大統領選挙

アメリカ合衆国大統領選挙(アメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、)は、アメリカ合衆国大統領を選出するための選挙。この選挙は、具体的には数次のプロセスに分かれているが、一般に、4年毎、11月に行われる一連の選挙手続き、予備選挙となる立候補者選出および立候補者による選挙運動から選挙人による本選挙・投票・開票までの全プロセスの総称である。 各年次の大統領選挙に関する詳細は、末尾のテンプレート、または結果の表の「年」の列からリンクされている個別の記事を参照。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアメリカ合衆国大統領選挙 · 続きを見る »

アメリカ統合参謀本部

統合参謀本部紋章 アメリカ統合参謀本部(アメリカとうごうさんぼうほんぶ、英:Joint Chiefs of Staff、略称:JCS)は、アメリカ軍における機関の1つ。アメリカ軍の最高機関であり、組織体系的にはアメリカ国防総省、およびそのトップである国防長官(文民)の下にある。軍事戦略の立案を行うとともに、合衆国大統領及び国防長官、国家安全保障会議、国土安全保障会議に対して軍事問題に関する助言を行うことを任務とする。 議長は専任(副議長も専任)であり、大将(generalまたはadmiral)が補され、アメリカ軍人(制服組)のトップと位置付けられる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアメリカ統合参謀本部 · 続きを見る »

アメリカ海軍

アメリカ海軍(アメリカかいぐん、United States Navy、略称:USN)は、アメリカ合衆国が保有する海軍である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアメリカ海軍 · 続きを見る »

アメリカ海軍艦艇一覧

アメリカ海軍艦艇一覧は、アメリカ合衆国海軍並びにアメリカ連合国海軍が過去保有した、および現在保有する、または将来保有する予定のもの、また未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。 凡例.

新しい!!: レイテ沖海戦とアメリカ海軍艦艇一覧 · 続きを見る »

アラバマ (戦艦)

アラバマ(USS Alabama, BB-60)は、アメリカ海軍の戦艦。サウスダコタ級戦艦の4番艦。艦名はアメリカ合衆国22番目の州に因む。その名を持つ艦としては3隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアラバマ (戦艦) · 続きを見る »

アルバート・W・グラント (駆逐艦)

アルバート・W・グラント (USS Albert W. Grant, DD-649) は、アメリカ海軍の駆逐艦。フレッチャー級駆逐艦の1隻。艦名は第一次世界大戦で活躍した中将にちなむ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアルバート・W・グラント (駆逐艦) · 続きを見る »

アンガウルの戦い

日本軍の陣地とアメリカ軍の侵攻図 アンガウルの戦い(アンガウルのたたかい、Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。 飛行場の建設を意図したアメリカ軍は、ペリリュー島にアメリカ軍が上陸した2日後の9月17日に上陸戦を開始した。圧倒的な兵力差のもと、9月30日に島を全面占領した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアンガウルの戦い · 続きを見る »

アンガウル州

アンガウル州(アンガウルしゅう)は、パラオ共和国の州の一つ。アンガウル島はパラオ諸島の南、ペリリュー(ペレリウ)島の南西10kmに位置し、パラオを取り囲むサンゴ礁のさらに南にある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアンガウル州 · 続きを見る »

アングラー (潜水艦)

アングラー (USS Angler, SS/SSK/AGSS/IXSS-240) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の1隻。艦名はアンコウ科の総称に因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアングラー (潜水艦) · 続きを見る »

アーネスト・キング

アーネスト・ジョゼフ・キング(Ernest Joseph King, 1878年11月23日 - 1956年6月25日)はアメリカ海軍の軍人、元帥。オハイオ州ロレイン生まれ。第二次世界大戦中は海軍制服軍人のトップである合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長として戦略指導を行い、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツの直属上官だった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアーネスト・キング · 続きを見る »

アーレイ・バーク

アーレイ・アルバート・バーク(Arleigh Albert Burke, 1901年10月19日 - 1996年1月1日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。バークはアメリカ海軍史上でただ1人、海軍作戦部長を6年の長きにわたって務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアーレイ・バーク · 続きを見る »

アイオワ (戦艦)

アイオワ(USS Iowa, BB-61)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国29番目の州に因む。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアイオワ (戦艦) · 続きを見る »

アイスフィッシュ (潜水艦)

アイスフィッシュ (USS Icefish, SS-367) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名のIcefishには、南極海に生息するコオリウオ科と極東に生息するシラウオ科の二通りある。アメリカ公文書はシラウオ科を由来と明記している。.

新しい!!: レイテ沖海戦とアイスフィッシュ (潜水艦) · 続きを見る »

イントレピッド (空母)

イントレピッド(USS Intrepid, CV/CVA/CVS-11)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては5番目に就役した。その名を持つ艦としては4隻目。太平洋戦争(大東亜戦争)ではレイテ沖海戦などに参加、その後マーキュリー計画やジェミニ計画で宇宙船の回収母艦を務め、ベトナム戦争にも参加した。2009年現在はニューヨーク市で博物館として公開されている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とイントレピッド (空母) · 続きを見る »

インディペンデンス (CVL-22)

インディペンデンス(USS Independence, CV/CVL-22)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦のネームシップ。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とインディペンデンス (CVL-22) · 続きを見る »

ウルシー環礁

ウルシー環礁(ウルシーかんしょう、Ulithi Atoll)は、西太平洋カロリン諸島東北端、ヤップ島の約100km東北東()に位置する環礁である。ウリシ環礁、ウリシー環礁、ユリシ環礁、ユリシー環礁とも表記される。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウルシー環礁 · 続きを見る »

ウィチタ (重巡洋艦)

ウィチタ(USS Wichita, CA-45)は、アメリカ海軍の重巡洋艦。艦名はカンザス州ウィチタに因む。同型艦はない。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウィチタ (重巡洋艦) · 続きを見る »

ウィリアム・ハルゼー・ジュニア

ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア(William Frederick Halsey, Jr. 、1882年10月30日 - 1959年8月16日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は元帥。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウィリアム・ハルゼー・ジュニア · 続きを見る »

ウィリアム・リーヒ

ウィリアム・ダニエル・リーヒ(William Daniel Leahy 、1875年5月6日 - 1959年7月20日)は、アメリカの海軍軍人、プエルトリコ総督および駐仏大使。アメリカ海軍初の元帥。日本では姓は「レーヒ」と記されることもある。 1942年にフランクリン・ルーズベルト大統領によって合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長に任命され、トルーマン大統領の下でも同職を務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウィリアム・リーヒ · 続きを見る »

ウィリス・A・リー

ウィリス・オーガスタス・リー・ジュニア (Willis Augustus Lee Jr., 1888年5月11日 - 1945年8月25日) は、アメリカ海軍の軍人。最終階級は中将。太平洋戦争において日本海軍と戦った。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウィリス・A・リー · 続きを見る »

ウィンストン・チャーチル

ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 、1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家、軍人、作家。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウィンストン・チャーチル · 続きを見る »

ウェストバージニア (戦艦)

ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) は、アメリカ海軍の戦艦。コロラド級戦艦の4番艦。艦名はアメリカ合衆国35番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては2隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウェストバージニア (戦艦) · 続きを見る »

ウェストバージニア州

ウェストバージニア州(State of West Virginia、略号WV、)は、アメリカ合衆国東部の州である。アパラチア山脈中に位置しており、山岳州という愛称で知られる。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第41位、人口では第38位である。南東はバージニア州、南西はケンタッキー州、北西はオハイオ州、北はペンシルベニア州、北東はメリーランド州と接している。 元々はバージニア州の一部だったが、南北戦争でバージニア州が南部連合に属した際に、西側の奴隷制度に反対する層が分離し、独立して州となった。州として合衆国に加盟したのは1863年6月20日であり、戦中の重要な境界州となった。 州都および最大都市はチャールストンである。メイソン=ディクソン線より南にあるため、アメリカ合衆国統計局はウェストバージニア州を南部に属する州の一つとして扱っている。北部のパンハンドル部はペンシルベニア州やオハイオ州に近接し、州内のホイーリング市やウィアトン市はピッツバーグ大都市圏と州境を跨いだ位置にある。一方ブルーフィールド市はノースカロライナ州から70マイル (110 km) も離れていない。州南西部のハンティントン市は、オハイオ州とケンタッキー州に近く、東部パンハンドル部のマーティンズバーグ市やハーパーズ・フェリー町はワシントン大都市圏に入ると見なされるが、その間にメリーランド州とバージニア州が入っている。このように地理的に特徴ある位置にあるので、大西洋岸中部、アップランドサウス、南東部など幾つかの地域に含まれることも多い。通常は「アパラチア」と呼ばれるアパラチア地域委員会が管轄する地域にその全体が含まれる唯一の州である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とウェストバージニア州 · 続きを見る »

エンタープライズ (CV-6)

ンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)は、アメリカ海軍の航空母艦。ヨークタウン級航空母艦の2番艦。アメリカ海軍においてエンタープライズの名を受け継いだ艦としては七隻目にあたる。艦名の“Enterprise”は「冒険心」「困難への挑戦」といった意味を持つ。排水量2万tと空母としては中型でありながらも、その戦いぶりから“ビッグ E”(偉大なE)の愛称で親しまれ、大戦中に大小15回の損傷を受けながらも、高いダメージコントロール能力と幸運により沈まず大戦を生き抜いた。その外“ラッキー E(幸運なE)、グレイゴースト(灰色の亡霊)、ギャロッピングゴースト(駆け回る亡霊)”の愛称もあった。ビッグEやラッキーEの“E”には、“Enterprise”(冒険心)の頭文字の意味と共に“Excellence”(優秀)、“efficient awads”(能率の良い艦艇に授与された賞)の頭文字の意味も含まれていた。 エンタープライズは太平洋戦争開戦前に建造され、終戦まで無事に生き残った三隻の航空母艦のうちの一隻(他の二隻はサラトガとレンジャー)であり、太平洋戦争中の主要な海戦のほぼ全てに参加して数多くの戦果をあげ、大戦中で最多の20の従軍星章(バトルスター)を得た。また空母として初めて大統領部隊感状を受賞、後に海軍部隊褒章も受賞し両方を受賞した唯一の艦艇となった。それ以外でもイギリス海軍から他国籍の海軍艦艇として唯一、英国海軍本部ペナントを受章するなど第2次世界大戦でもっとも勲章を受けたアメリカ海軍の軍艦となった。 また、エンタープライズは大戦を通して最も多く改装を受けた空母にもなった。他に大本営発表によって9度撃沈発表がなされており、敵国により行われた虚偽の撃沈発表回数において史上最多の記録も持つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とエンタープライズ (CV-6) · 続きを見る »

エドサル (駆逐艦)

ドサル (USS Edsall, DD-219) は、アメリカ海軍の駆逐艦。クレムソン級駆逐艦の1隻。艦名は、米西戦争で戦死したノーマン・エドサル上等兵にちなむ。その名を持つ艦艇としては初代。.

新しい!!: レイテ沖海戦とエドサル (駆逐艦) · 続きを見る »

エセックス (空母)

ックス(USS Essex, CV/CVA/CVS-9)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦のネームシップ。艦名はマサチューセッツ州エセックス郡に因む。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とエセックス (空母) · 続きを見る »

オマニー・ベイ (護衛空母)

マニー・ベイ (USS Ommaney Bay, CVE-79) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の25番艦。艦名はアラスカ州のオマニー湾に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とオマニー・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

オークランド (軽巡洋艦)

ークランド (USS Oakland, CL/CLAA-95) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。アトランタ級軽巡洋艦の5番艦。艦名はカリフォルニア州オークランドに因む。その名を持つ艦としては2隻目。本艦以降の4隻はオークランド級として分類される場合がある。オークランド級の相違点は両翼の連装5インチ砲塔が削減された点である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とオークランド (軽巡洋艦) · 続きを見る »

オーストラリア

ーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、Commonwealth of Australia)、またはオーストラリア(Australia)は、オーストラリア大陸本土、タスマニア島及び多数の小島から成りオセアニアに属する国。南方の南極大陸とは7,877km離れている。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国となっている。日本での略称は「豪州」である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とオーストラリア · 続きを見る »

オーストラリア海軍

ーストラリア海軍(オーストラリアかいぐん、、RAN)はオーストラリアが保有する海軍。正式に訳すと王立オーストラリア海軍である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とオーストラリア海軍 · 続きを見る »

オアフ島

アフ島(オアフとう、ハワイ語:O‘ahu、英語:Oahu)は、ハワイ諸島のうちの一つの島であり、3番目に大きい島である。ハワイ州に属し、州都ホノルル市がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とオアフ島 · 続きを見る »

カリフォルニア (戦艦)

リフォルニア (USS California, BB-44) は、アメリカ海軍の戦艦。テネシー級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国31番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては5隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカリフォルニア (戦艦) · 続きを見る »

カリニン・ベイ (護衛空母)

リニン・ベイ (USS Kalinin Bay, CVE-68) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の14番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカリニン・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

カボット (空母)

ボット(USS Cabot, CV/CVL-28)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の7番艦。艦名は15世紀の航海家ジョン・カボットに因む。その名を持つ艦としては2隻目にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカボット (空母) · 続きを見る »

カダシャン・ベイ (護衛空母)

ダシャン・ベイ (USS Kadashan Bay, AVG/ACV/CVE-76) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の22番艦。艦名はアラスカのカダシャン湾にちなむ。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカダシャン・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

カイロ宣言

イロ宣言(カイロせんげん、Cairo Declaration)は、第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談()を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。後述するように「カイロ宣言」は日時や署名がなく、公文書も存在しておらず宣言として扱うことが適切かについては議論もある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカイロ宣言 · 続きを見る »

カウペンス (空母)

ウペンス()は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の4番艦。艦名はアメリカ独立戦争におけるカウペンスの戦いに因む。マイティ・モー(The Mighty Moo)の愛称で呼ばれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とカウペンス (空母) · 続きを見る »

ガンビア・ベイ (護衛空母)

ンビア・ベイ (USS Gambier Bay, AVG/ACV/CVE-73) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の19番艦。艦名はアラスカにあるアドミラルティ島のガンビア湾に因んで命名された。砲戦で撃沈された唯一のアメリカ空母である。.

新しい!!: レイテ沖海戦とガンビア・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

キャンベラ (曖昧さ回避)

ャンベラ (Canberra).

新しい!!: レイテ沖海戦とキャンベラ (曖昧さ回避) · 続きを見る »

キングII作戦

ングII作戦(キングツーさくせん、Operation KINGII、作戦計画 13-44号)とは太平洋戦争中の連合国軍によるレイテ島及び周辺島嶼の攻略作戦である。日本側の対応作戦は捷一号作戦。捷号作戦と比較すると、日本語の文献で本作戦名が示される事は極めて少ない。.

新しい!!: レイテ沖海戦とキングII作戦 · 続きを見る »

キトカン・ベイ (護衛空母)

トカン・ベイ (USS Kitkun Bay, AVG/ACV/CVE-71) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の17番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とキトカン・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

ギターロ (ガトー級潜水艦)

ターロ (USS Guitarro, SS-363) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はスペイン語で「ギター」を意味し、Guitarfishの英名を持つガンギエイ目のサカタザメ類に因む。語源や魚名は女性名詞だが、艦名は男性名詞化している。.

新しい!!: レイテ沖海戦とギターロ (ガトー級潜水艦) · 続きを見る »

クリフトン・スプレイグ

リフトン・アルバート・フレデリック・スプレイグ(Clifton Albert Frederick Sprague, 1896年1月8日 - 1955年4月11日)は、アメリカ海軍の軍人。最終階級は中将。「ジギー」と呼ばれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とクリフトン・スプレイグ · 続きを見る »

グアムの戦い

1944年のグアムの戦い(グアムのたたかい、Battle of Guam)は、太平洋戦争(大東亜戦争)におけるマリアナ-パラオ戦役の戦いの一つ。サイパンの戦いに次ぐ死傷者を出した。 グアム島はマリアナ諸島中の島で、大戦開始前にはアメリカの統治下にあったが1941年12月10日に日本軍の攻撃によって奪われていた。 1943年2月にガダルカナルの戦いで日本軍を打ち破り、中部太平洋の日本勢力圏に圧力を強めるアメリカ軍を食い止める為、日本は1943年9月30日の最高戦争指導会議で裁可された「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」に「確保スヘキ要域」として絶対国防圏を定めたが、アメリカ軍は、ギルバート・マーシャル諸島の戦いで中部太平洋の日本勢力下の各島を飛び石作戦で攻略し、じりじりと日本本土に迫ってきていた。 その為、サイパン・グアム・テニアンのマリアナ諸島が絶対国防圏の最前線として注目されることとなり、日本軍は戦力増強を急いだ。 最重要拠点は戦前から日本の委任統治領で、多くの邦人が暮らし、中部太平洋を管轄していた第31軍司令部が置かれたサイパン島であったが、グアム島もそれに次ぐ重要拠点として戦力強化が図られた。(詳細は#日本軍の戦略を参照) アメリカ軍にとってもマリアナ諸島は開発が進んでいた戦略爆撃機B-29の理想的な基地になり得ること、また将来的に台湾・沖縄を攻略し、中国大陸や日本本土に侵攻する為の前進基地にもなることなどで戦略的な価値が極めて高く重点目標とされていた。 太平洋方面のアメリカ軍総司令官の太平洋艦隊司令チェスター・ニミッツは、マリアナ諸島攻略の為に、高速空母艦隊を中心とした大艦隊と、海兵隊を主力とした水陸両用軍団の大部隊を空前の規模で遠征させてきた。 日本軍も再建した機動部隊第一機動艦隊や基地航空隊等の戦力で迎撃したが、マリアナ沖海戦の敗北により、アメリカ軍のマリアナ諸島への上陸を阻止することができずに、サイパンに続き、グアムとテニアンにもアメリカ軍が上陸し守備隊との間で激しい戦闘が繰り広げられる事となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とグアムの戦い · 続きを見る »

コマンドマガジン日本版

マンドマガジン日本版は、国際通信社が発行するゲーム雑誌。隔月刊で、主としてアナログゲームとしてのウォーゲームを扱う。1994年12月創刊。 アメリカ合衆国のXTR社が発行していた「Command Magazine」(1989年創刊、2001年廃刊)を本家とし、その形式をなぞっている。本家がそうであったように、毎号付録としてウォーゲームが付属する(打ち抜きカウンターシートと紙製マップの挟み込み)。価格は付録のゲームを含めて3,780円(消費税込み)である。 2007年5月現在、日本のウォー・シミュレーションゲーム専門誌としては、一般書店で入手可能な唯一のもの。書店発売は星雲社扱い。ホビーショップなどでも取り扱いがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とコマンドマガジン日本版 · 続きを見る »

コロン島

ン島(- とう、Coron Island)は、フィリピン・カラミアン諸島の島。パラワン島北方に位置しパラワン州に属する。ただし、コロンタウンはコロン島ではなく、パラワン州で2番目に大きい北部のブスアンガ島にある。 島の周辺は、太平洋戦争中に旧日本海軍の艦船の停泊地として利用されていたが、大戦末期の米軍の攻撃によって沈んだ沈没船が何隻もあり、また、北部ではジュゴンなども生息しており、貴重なダイビング・スポットとなっている。周囲が岩場のために視界がおよそ24メートルにまで及ぶ素晴らしい透明度の場合もあるが、特に南部は湾内という事もあり透明度はあまりよくはない事も多い。波や潮流はおだやかな場所であり、フィリピンの沈没船スポットの中で、最も多くのダイバーが訪れる地の一つとなっている。ここでの沈没船は浅い所でおよそ3メートルくらいから深い所で40メートル強、多くは20メートル前後であり、スポーツ・ダイビングとして最適な場所である。 コロン湾(コロン島を含むカラミアン諸島の島々で囲まれた海域はコロン湾と呼ばれる。)での沈没船スポットは以下の通り。伊良湖レック、秋津洲レック、興川丸レック、興業丸レック、おりんぴあ丸レック、MORAZAN MARUレック(越海丸)、イースト・タンガット・ガンボート・レック(East Tangat Gunboat Wreck、タンガット島東の砲艦残骸の意味、本当の名前の照風丸はオランダのダイバーグループによって近年発見)、南進丸レック、ルソン・ガンボート・レック(Lusong Gunboat Wreck、ルソン島の砲艦残骸の意味)、スケルトン・レック(Skeleton Wreck、骨組みだけ残った残骸の意味)。極山丸レックのみ北部にあり、他のレックは南部に集中している。近年の研究により当初特定されていた船名が沈没地点などから違うのではないかという議論があり、いくつかの修正が加えられた。現在もその影響により現地のダイビングショップによっては興川丸レックをTAIHEI MARUレックと紹介していたり、おりんぴあ丸レックをMORAZAN MARUレックと紹介していたり異なる場合がある。これらは現在も議論が続けられている。 このコロン島周辺の沈没船スポットはフォーブス誌が選んだ世界ダイビングスポット・ベスト10の中に入っている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とコロン島 · 続きを見る »

コロンビア (軽巡洋艦)

ンビア (USS Columbia, CL-56) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の2番艦。艦名はサウスカロライナ州コロンビアに因む。その名を持つ艦としては6隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とコロンビア (軽巡洋艦) · 続きを見る »

シミュレイター

『シミュレイター』とは、アナログゲームのウォー・シミュレーションゲーム情報誌。発行元の変更が行われており前期の「SIMULATOR」表記のレックカンパニー時代を『旧シミュレイター』、後期の「Simulator」表記の翔企画時代を『新シミュレイター』として区別されることがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシミュレイター · 続きを見る »

シャーク (SS-314)

ャーク (USS Shark, SS-314) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はサメに因む。その名を持つ艦としては6隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシャーク (SS-314) · 続きを見る »

シュロップシャー (重巡洋艦)

ュロップシャー (HMS Shropshire, 73, HMAS Shropshire) は、イギリス海軍が第二次世界大戦前に建造した重巡洋艦ロンドン級の1隻である。シュロップシャーはキャンベラを失ったオーストラリア海軍の戦力低下を防ぐべく大戦中に供与された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシュロップシャー (重巡洋艦) · 続きを見る »

シーライオン (SS-315)

ーライオン (USS Sealion, SS/SSP/ASSP/APSS/LPSS-315) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はアシカ科の総称に因んで命名された。シーライオンの名を持つ艦としては2隻目にあたる。初代艦長少佐(アナポリス1935年組)が過去にシーライオン (USS Sealion, SS-195) に乗り組んでいたことから、しばしばシーライオン II と呼ばれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシーライオン (SS-315) · 続きを見る »

シードラゴン (潜水艦)

ードラゴン (USS Seadragon, SS-194) は、アメリカ海軍の潜水艦。サーゴ級潜水艦の一隻。艦名はタツノオトシゴと近縁のリーフィーシードラゴンとウィーディーシードラゴンに因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシードラゴン (潜水艦) · 続きを見る »

シブヤン海

ブヤン海(英語:Sibuyan Sea)は、フィリピン海の一部に含まれるフィリピン中央部にある小さな海域で、フィリピン北部のルソン島およびその周辺島嶼と、フィリピン中部のビサヤ諸島とを分けている海である。 南はパナイ島、西はミンドロ島、東はマスバテ島、北はルソン島のに囲まれている。シブヤン海中央部にはロンブロン島、タブラス島、シブヤン島などからなるロンブロン諸島が浮かび、ロンブロン州を形成している。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシブヤン海 · 続きを見る »

シェナンゴ (護衛空母)

ェナンゴ(USS Chenango, CVE-28)は、アメリカ海軍の護衛空母。サンガモン級航空母艦の3番艦。艦名はニューヨーク州のに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とシェナンゴ (護衛空母) · 続きを見る »

ジャラオ (潜水艦)

ャラオ (USS Jallao, SS-368) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はメキシコ湾に生息するイサキ科のホワイト・マーゲイトのスペイン語名に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジャラオ (潜水艦) · 続きを見る »

ジョン・トーランド

ョン・トーランド(英語:John Toland、1912年6月29日 - 2004年1月4日)は、アメリカの戦史・ノンフィクション作家で、ピューリッツァー賞作家。 ウィスコンシン州南西部のラクロス(La Crosse、アイオワ州との境の街)生まれ、ウィリアムズ大学出身。第二次世界大戦(太平洋戦争)に従軍。 戦記著作などで、40代より本格的に作家活動に入った。日米双方の幅広い当事者に多数取材した「The Rising Sun 大日本帝国の興亡」で、1971年にピューリッツァー賞 一般ノンフィクション部門を受賞、大著のヒトラー伝も高い評価を得た。 妻の寿子は日本人で一女がいる(精神科医小此木啓吾の親族)。取材執筆を兼ね、長期の在日生活も行っている。後期はコネチカット州西部のダンブリー(Danbury)に在住し、肺炎で没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジョン・トーランド · 続きを見る »

ジョン・S・マケイン・シニア

ョン・シドニー・マケイン・シニア (John Sidney McCain, Sr., 1884年8月9日 - 1945年9月6日) は、アメリカ海軍の軍人。最終階級は大将。第二次世界大戦中の高速空母機動部隊指揮官として知られる。 彼の同名の息子ジョン・S・マケイン・ジュニアもアメリカ海軍の提督であった。孫のジョン・マケイン三世は海軍士官でありアリゾナ州選出の上院議員(共和党)、2008年の大統領選挙の有力候補者であった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジョン・S・マケイン・シニア · 続きを見る »

ジョンストン (DD-557)

ョンストン(USS Johnston,DD-557)は、アメリカ海軍の駆逐艦。フレッチャー級。艦名は南北戦争で活躍した大尉に因む。本艦は「ジョンストン」の名を持つ初めての艦であった。 ジョンストンは1944年10月25日に発生したサマール島沖海戦で、強力な日本艦隊を相手に果敢な戦闘を行ったことで知られる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジョンストン (DD-557) · 続きを見る »

ジョージ・マーシャル

ョージ・キャトレット・マーシャル・ジュニア(George Catlett Marshall, Jr.、1880年12月31日 - 1959年10月16日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥。第二次世界大戦中の陸軍参謀総長としてアメリカを勝利に導き、戦後は政治家として第50代国務長官、第3代国防長官を歴任し、マーシャル・プランによってヨーロッパ復興を指導した。ウェストポイント以外の出身者として異例の出世をしている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジョージ・マーシャル · 続きを見る »

ジェシー・B・オルデンドルフ

ェシー・バートレット・「オーレイ」オルデンドルフ (Jesse Bartlett "Oley" Oldendorf, 1887年2月16日 - 1974年4月27日) は、アメリカ合衆国の軍人。第二次世界大戦におけるレイテ沖海戦で日本軍に勝利したことで知られる。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: レイテ沖海戦とジェシー・B・オルデンドルフ · 続きを見る »

スリガオ海峡

リガオ海峡(スリガオかいきょう、)は、フィリピンのレイテ島・パナアン島とミンダナオ島・ディナガット島との間の海峡である。レイテ湾とミンダナオ海とを結ぶ。 ヴィサヤ地方とミンダナオ地方の間で人や物を運ぶ数多くのフェリーがこの海峡を横切っている。フェリーは南レイテ州と北スリガオ州スリガオとを結んでいる。 この海峡は水深が深く、8ノット以上の強い海流が流れる。レイテ湾の入口にあるには、灯台が設置されている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とスリガオ海峡 · 続きを見る »

スワニー (護衛空母)

ワニー は、アメリカ海軍の護衛空母。サンガモン級の2番艦。艦名はジョージア州からフロリダ州を流れるスワニー川に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とスワニー (護衛空母) · 続きを見る »

スールー海

ールー海(スールーかい、Sulu Sea、またはスル海)は、東南アジアにある西太平洋の一海域。フィリピンの南西、マレーシアの北東に位置する。北西はパラワン島で南シナ海と、南東はスールー諸島でセレベス海と隔てられている。南西はカリマンタン島、北東はビサヤ諸島。 スールー海にはクーヨー諸島、カガヤン諸島、カガヤンデタウィタウィ島などの島がある。 近代以前から、島や国を超えて住民や交易船が行き来してきた。太平洋戦争では戦場になった。近年はイスラム過激派の移動ルートとして使われている可能性が浮上。このため2017年6月19日、フィリピンやマレーシアは、南のセレベス海に面するインドネシアのタラカンに三国の合同警備司令センターを設置し、テロリストなどを警戒する海空のパトロールを開始した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とスールー海 · 続きを見る »

セント・ロー (護衛空母)

ント・ロー (USS St. Lo, AVG/ACV/CVE-63) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の9番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦とセント・ロー (護衛空母) · 続きを見る »

セブ島

ブ島()は、フィリピン中部のビサヤ諸島にある島で、南北に225kmにわたって伸びる細長くて大きな島である。面積は4422km。周囲はマクタン島、バンタヤン島、マラパスカ島、オランゴ島など小さな島々に囲まれている。 東にカモテス海とカモテス諸島をはさんでレイテ島、ボホール海峡を挟んでボホール島、西にタノン海峡を挟んでネグロス島、南にシキホル島、北にビサヤン海を臨む。 全島とその属島がセブ州で、島の東海岸中央部にある人口72万の州都セブ、マンダウエ市をはじめ6つの都市があり、マニラ首都圏(メトロ・マニラ)に次ぐ大都市圏、メトロ・セブを形成している。州全体の人口は3,356,137人(2000年調査)で、うち300万人がセブ島に住んでいる。ほとんどの人はセブアノ語を話し、これはビサヤ諸島の共通言語になっている『地球の歩き方 フィリピン2016~2017』(ダイヤモンド社)。 マクタン島は風光明媚で風通しがよく、一般に言うセブ・リゾートはここマクタン島を指す場合が多く、外国からの移住者も多い。1521年のマゼラン上陸でスペイン統治が始まるとともに、フィリピンを世界史の表舞台へと導くきっかけとなった。統治者らは宗教、食文化をはじめとする生活スタイルや建築様式に至るまで大きな影響を及ぼし、フィリピン全土へ浸透させていった。セブ市は最初にスペインによる植民地化がされた植民都市でありその名残である建造物や史跡が随所に残る。セブ・シティは現在のフィリピンのオリジンでもある。また、昔ながらの大きな市場カルボンマーケットがあるほか、観光客相手の巨大ショッピング・モールやリゾートホテルがセブ市やマクタン島に多数ある。.

新しい!!: レイテ沖海戦とセブ島 · 続きを見る »

ソルトレイクシティ (重巡洋艦)

ルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CL/CA-25) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ペンサコーラ級重巡洋艦の2番艦。艦名はユタ州ソルトレイクシティに因んで命名された。本艦はしばしば「スウェイバック・マル Swayback Maru」と呼ばれ、(非公式ではあるが)艦隊のどの艦よりも多くの作戦に参加した艦であった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とソルトレイクシティ (重巡洋艦) · 続きを見る »

タラウド諸島

タラウド諸島の位置(赤丸) タラウド諸島はインドネシア北部にある諸島。北スラウェシ州のタラウド諸島県を構成する。 カラケロン島、サリバブ島、カブルアン島などからなる。インドネシアで最も北にある地域であり、太平洋とセレベス海の間にある。南西はサンギヘ諸島、南東はモルッカ諸島、北にはミンダナオ島が位置する。 Category:インドネシアの諸島 Category:北スラウェシ州の地形.

新しい!!: レイテ沖海戦とタラウド諸島 · 続きを見る »

タイム (雑誌)

『タイム』 (Time) は、1923年に創刊したアメリカ合衆国のニュース雑誌。世界初のニュース雑誌としても知られている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とタイム (雑誌) · 続きを見る »

タクロバン

タクロバン(、ワライ語: 、タガログ語:)はフィリピン中部、レイテ島北東部の海岸にある港湾都市。2008年12月18日に高度都市化都市に指定された。マニラの南東約580kmに位置している。 を採用し、市長の権限が強い。2014年3月現在の市長はアルフレッド・S・ロマオルデス(Alfred S. Romualdez)、副市長はジェリー・T・ヤオカシン(Jerry T. Yaokasin)である。 タクロバンは東ビサヤ地方全体の商業、観光、教育、文化、そして政治の中心であり、海外貿易や大型船の出入りが盛んな港町かつ空の玄関口であり、埠頭の西端にはカラフルな市場が広がっている。 市街地はカンカバト湾 (Cancabato Bay) およびサン・ファニーコ海峡に面し、隣のサマール島とはサン・ファニーコ橋で結ばれ、「湾のそばの美しい街 (The Beautiful City By The Bay)」のニックネームを持つ。2010年現在人口は約22万人、バランガイ(集落)の数は138。第二次世界大戦中はフィリピンの臨時首都でもあった。2010年7月にが公開した調査結果ではタクロバンはフィリピンの中で都市競争力のある都市の十指に入っている。全体では5位に入り、新興都市分野では2位に入った。2013年10月台風30号によって多くの人が亡くなった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とタクロバン · 続きを見る »

サミュエル・B・ロバーツ (護衛駆逐艦)

ミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, DE-413) は、アメリカ海軍の護衛駆逐艦。ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦の1隻。艦名は海軍十字章を受章したに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサミュエル・B・ロバーツ (護衛駆逐艦) · 続きを見る »

サマール島

マール島はフィリピン中部、ビサヤ諸島の東ビサヤ地方にある島。面積は13,080kmで、ビサヤ諸島では1位、フィリピンでもルソン島、ミンダナオ島に続く3番目の大きさである。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサマール島 · 続きを見る »

サランガニ州

ランガニ州(Province of Sarangani)は、フィリピン南部ミンダナオ島南部ソクサージェン地方(SOCCSKSARGEN, Region XII)に属す州。州都は(Alabel)。面積は2,980.0km2、人口は410,622人(2000年)。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサランガニ州 · 続きを見る »

サン・ジャシント (空母)

ン・ジャシント(USS San Jacinto, CV/CVL-30)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の9番艦。艦名はテキサス独立戦争におけるサンジャシントの戦いにちなむ。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサン・ジャシント (空母) · 続きを見る »

サンボアンガ

ンボアンガ(City of Zamboanga、チャバカノ語/スペイン語:Ciudad de Zamboanga、セブアノ語:Dakbayan sa Zamboanga、フィリピン語:Lungsod ng Zamboanga)は、フィリピン・ミンダナオ島の最西端にある大都市。沖合いにはスールー諸島が連なっている。 高度に都市化された街で、フィリピン・コモンウェルス時代の1936年10月12日に市(chartered city)に昇格した、フィリピンでも市制施行が最も早かった都市のひとつ。「ミンダナオの誇り(El Orgullo de Mindanao)」や、「美しいサンボアンガ(Zamboanga Hermosa)」などの異名があり、市政府による観光誘致では「アジアのラテン都市」というブランドが使われている。サンボアンガはフィリピンでも古い植民都市であり、最もスペイン化が進んだ都市で、スペイン文化の残像がいたるところに濃く残っている。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンボアンガ · 続きを見る »

サンティー (護衛空母)

ンティー()は、アメリカ海軍の護衛空母。サンガモン級航空母艦の4番艦。艦名はサウスカロライナ州のに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンティー (護衛空母) · 続きを見る »

サンディエゴ (軽巡洋艦)

ンディエゴ (USS San Diego, CL-53) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。アトランタ級軽巡洋艦の3番艦。艦名はカリフォルニア州サンディエゴに因む。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンディエゴ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

サンベルナルジノ海峡

ンベルナルジノ海峡(サンベルナルジノかいきょう、San Bernardino Strait)は、フィリピンのルソン島南端部とその南東方のサマール島との間を隔てる海峡。北緯12度35分15秒 東経124度11分48秒に位置する。付近には大小の島々の他浅瀬、暗礁などがある。 海峡の東側から潮流が8ノットで流れ込む航行の難所とされる。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンベルナルジノ海峡 · 続きを見る »

サンガモン (護衛空母)

ンガモン(USS Sangamon, CVE-26)は、アメリカ海軍の護衛空母。サンガモン級航空母艦の1番艦。艦名はイリノイ州サンガモン郡を流れるに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンガモン (護衛空母) · 続きを見る »

サンタフェ (軽巡洋艦)

ンタフェ (USS Santa Fe, CL-60) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はニューメキシコ州サンタフェに因む。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサンタフェ (軽巡洋艦) · 続きを見る »

サボ・アイランド (護衛空母)

ボ・アイランド (USS Savo Island, CVE-78) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の24番艦。艦名はサボ島に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサボ・アイランド (護衛空母) · 続きを見る »

サイパンの戦い

イパンの戦い(サイパンのたたかい)は、太平洋戦争中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日〜20日)が発生した。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサイパンの戦い · 続きを見る »

サウスダコタ (戦艦)

ウスダコタ(USS South Dakota, BB-57)は、アメリカ海軍の戦艦。サウスダコタ級のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国40番目の州に因む。その名を持つ艦としては2隻目にあたる。艦隊の疫病神という評判があった。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサウスダコタ (戦艦) · 続きを見る »

サギノー・ベイ (護衛空母)

ノー・ベイ(USS Saginaw Bay, CVE-82)は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の28番艦。艦名は『Dictionary of American Naval Fighting Ships』ではアラスカ州アレキサンダー諸島のにある入江の名にちなんで命名されたとあるが、実際にはヒューロン湖のミシガン州側にあるサギノー湾に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦とサギノー・ベイ (護衛空母) · 続きを見る »

児島襄

児島 襄(こじま のぼる、1927年1月26日 - 2001年3月27日)は、日本の作家、戦記作品を多数著した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と児島襄 · 続きを見る »

回天

回天(かいてん)は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり戦史叢書102巻、330頁「回天(マル6〈まるろく〉金物)」、日本軍初の特攻兵器である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と回天 · 続きを見る »

皐月 (睦月型駆逐艦)

月(さつき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 皐サ 月ツキ トス』。睦月型駆逐艦の5番艦である。艦名は旧暦の5月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である「皐月」があるため、こちらは「皐月 (2代)」や「皐月II」などとも表記される。竣工時の艦名は第二十七号駆逐艦#S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.3『艦艇名改正表(一)一等驅逐艦|第二十二驅逐隊|第二十七號驅逐艦|皐サ月ツキ|/|第二十八號驅逐艦|水ミ無ナ月ヅキ|/|第二十九號驅逐艦|文フミ月ツキ|/|第三十號驅逐艦|長ナガ月ツキ|』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と皐月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

矢矧 (軽巡洋艦)

矧 (やはぎ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦#達昭和17年8月p.19『達第二百三十二號 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 矢矧(ヤハギ)』。二等巡洋艦阿賀野型(阿賀野型軽巡洋艦)の3番艦。 艦名は長野県から岐阜県を経て愛知県に至る矢矧川にちなんで命名された(現在は矢作川と表記されている)#軽巡二十五隻20頁#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ129(原本204頁)『矢矧(やはぎ) 艦種二等巡洋艦 艦名考川の名、矢作川に採る、川は三河國にあり、矢作は古来矢矧・矢矯・箭作等と混用す、此艦名は矢矧として命名せられたるなり。艦歴大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月第二南遣支艦隊に属し西カロリン群島方面警戒、次で印度洋方面警備(艦長大佐長鋪次郎)、昭和6・7年事變(日支)に從軍:同7年1月南支那方面警備(艦長大佐井上保雄)。―要目― 長134.11米/幅14.15米/吃水5.03米/排水量4,400噸/機關 タルビン2軸/馬力22,500/速力26/兵装 15糎砲 8/8糎砲 2/8糎砲 2/發射管 3/起工 明治43-6-20/進水 同44-10-3/竣工 同45-7-27/建造所 三菱長崎造船所』。帝国海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、筑摩型防護巡洋艦2番艦矢矧(二等巡洋艦)に続いて2隻目。坊ノ岬沖海戦において、戦艦大和等と共に撃沈された#軽巡二十五隻317-318頁『▽大和隊の水上特攻』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と矢矧 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

短波

短波(たんぱ、HF (High Frequency) またはSW (Shortwave, Short Wave))とは、3 - 30MHzの周波数の電波をいう。 波長は10 - 100m、デカメートル波とも呼ばれる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と短波 · 続きを見る »

灯台

灯台(とうだい)は、岬の先端や港内に設置され、その外観や灯光により船舶の航行目標となる施設。航路標識のうち光波標識の一種である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と灯台 · 続きを見る »

現存艦隊主義

存艦隊主義(げんぞんかんたいしゅぎ)とは、決戦を避けて自軍の艦隊を温存することにより、艦隊の潜在的な能力で敵国の海上活動を妨害する海軍戦略である。フリート・イン・ビーイング()の訳語で、艦隊保全主義(かんたいほぜんしゅぎ)とも言う。.

新しい!!: レイテ沖海戦と現存艦隊主義 · 続きを見る »

硫黄島 (東京都)

硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島の南端近くに所在する、東西8 km、南北4 kmの島である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と硫黄島 (東京都) · 続きを見る »

磯風 (陽炎型駆逐艦)

磯風(いそかぜ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)での大日本帝国海軍の駆逐艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と磯風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

礼号作戦

号作戦(れいごうさくせん)は1944年(昭和19年)12月26日夜中にミンドロ島で実施された日本海軍の作戦戦史叢書102巻407頁「礼号作戦」戦史叢書93巻108-109頁「水上部隊、ミンドロに突入す―礼号作戦」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と礼号作戦 · 続きを見る »

神風特別攻撃隊

母エセックスに突入を試みる神風特攻隊の特攻機 空母エセックスに突入を試みる神風特攻隊の特攻機 神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい、しんぷうとくべつこうげきたい)は、第二次大戦で旧日本軍陸海軍が体当たり戦法のため編制した、特別攻撃隊。略称は「神風」、「神風特攻隊」、「特攻隊」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と神風特別攻撃隊 · 続きを見る »

神重徳

重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。.

新しい!!: レイテ沖海戦と神重徳 · 続きを見る »

福田幸弘

福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日-1988年12月23日)は、日本の政治家。大蔵官僚。参議院議員(1期)。位階は正四位。勲等は勲二等。著書に『カナダ経済の旅』、『連合艦隊 - サイパン・レイテ海戦記』があり、後者は秦郁彦から「第一級の史書」という評価を受けた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と福田幸弘 · 続きを見る »

福田誠 (小説家)

福田 誠(ふくだ まこと、1964年3月3日 - )は、東京都出身の歴史ライター・小説家・ゲームデザイナーである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と福田誠 (小説家) · 続きを見る »

福田茂夫

福田 茂夫(ふくだ しげお、1925年 - 2011年11月12日)は、日本の政治学者、名古屋大学名誉教授、専門は、国際政治史、アメリカ外交史。京都府出身。京都大学法学部卒業。.

新しい!!: レイテ沖海戦と福田茂夫 · 続きを見る »

福留繁

福留 繁(ふくとめ しげる、1891年(明治24年)2月1日 - 1971年(昭和46年)2月6日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校40期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と福留繁 · 続きを見る »

福栄真平

福栄 真平(ふくえ しんぺい、1890年1月14日 - 1946年4月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と福栄真平 · 続きを見る »

秦郁彦

郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の元官僚、歴史学者、現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士(東京大学、1974年)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と秦郁彦 · 続きを見る »

秋風 (駆逐艦)

秋風(あきかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。 峯風型駆逐艦(一等駆逐艦)の9番艦である。艦名は立秋に秋の気配を感じさせる風を意味する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と秋風 (駆逐艦) · 続きを見る »

秋霜 (駆逐艦)

秋霜(あきしも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46「達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇」。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の18番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と秋霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

秋津洲 (水上機母艦)

秋津洲(あきつしま)は、大日本帝国海軍の水上機母艦#達昭和16年6月pp.55-56「達第二百十九號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦一隻、驅潜艇二隻、敷設艇一隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年六月三十日 海軍大臣及川古志郎|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 水上機母艦 秋津洲(アキツシマ)|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十三號驅潜艇|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 第二十六號驅潜艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 敷設艇 石埼(イシザキ)|株式會社横濱ヨット工作所ニ於テ建造 第一號魚雷艇 第二號魚雷艇 第三號魚雷艇」#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.2「軍艦|水上機母艦|能登呂、神威、千歳、千代田、瑞穂、日進、秋津洲」。 秋津洲型の1番艦(同型艦は建造されず)#海軍軍備(4)p.37「(イ)計畫の内容 飛行艇母艦|單艦屯數(基準排水量)四,六五〇|(隻数)三|(合計屯數)一三,九五〇|(艦型)秋津洲型|(速力/航續距離)三七.五/一四〜七,五〇〇|(主要兵装)十二.七糎二聯装砲 二/二十五粍三聯機銃 二/飛行機 一」。 日本海軍の類別上は水上機母艦だが#内令昭和16年6月(3)p.32〔内令第七百三十四號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十六年六月三十日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、水上機母艦ノ項中「日進」ノ下ニ「、秋津洲」ヲ加フ|驅潜艇、第十三號型ノ項中「第二十二號」ノ下ニ「、第二十三號、第二十六號」ヲ加フ〕、実際には大型飛行艇への補給、整備を任務とする艦艇であり、飛行艇母艦と呼ばれる事もある#福井空母物語345-346頁「飛行艇母艦たる水上機母艦」。 艦名は明治期の防護巡洋艦秋津洲に続き2代目。秋津洲とは、日本の別称。.

新しい!!: レイテ沖海戦と秋津洲 (水上機母艦) · 続きを見る »

秋月 (駆逐艦)

秋月(あきづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和16年5月(1)pp.48-49『達第一五六號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及驅潜艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 若鷹(ワカタカ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋月(アキヅキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十六潜水艦(以下略)』。秋月型一等駆逐艦の1番艦である。艦名は片桐大自の研究によれば秋の月の意味。対空能力に優れた防空型駆逐艦として開発され、太平洋戦争(大東亜戦争)後半の艦隊防空を担当した。ソロモン諸島を巡る戦いでは、水雷戦隊旗艦として行動する事も多かった。 戦後、海上自衛隊の護衛艦として「あきづき(初代)」、「あきづき(2代)」が就役した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と秋月 (駆逐艦) · 続きを見る »

竹 (松型駆逐艦)

竹 (たけ) は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と竹 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

第100師団 (日本軍)

100師団(だいひゃくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第100師団 (日本軍) · 続きを見る »

第102師団 (日本軍)

102師団(だいひゃくにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第102師団 (日本軍) · 続きを見る »

第14方面軍 (日本軍)

14方面軍(だいじゅうよんほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。 第14軍(だいじゅうよんぐん)は、1941年(昭和16年)11月6日に南方軍隷下の軍として設置され、フィリピン方面を作戦地域とした。1944年7月に第14方面軍に改編昇格した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第14方面軍 (日本軍) · 続きを見る »

第16師団 (日本軍)

16師団(だいじゅうろくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。兵団文字符は垣。軍隊符号は16D。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第16師団 (日本軍) · 続きを見る »

第1騎兵師団 (アメリカ軍)

1騎兵師団(だいいちきへいしだん、U.S.Army 1st Cavalry Division)は、アメリカ陸軍の師団の一つ。アメリカ陸軍第三軍団の隷下でもっとも大規模な師団である。第二次世界大戦以降アメリカの関わった全ての紛争に参加している。師団司令部はテキサス州フォート・フッドに所在。名前は騎兵師団だが現在のアメリカ軍で馬は特殊な儀礼、祭典のみに用いられるのみで実戦には投入されない。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第1騎兵師団 (アメリカ軍) · 続きを見る »

第2回ケベック会談

アンドルー・カニンガム。 第2回ケベック会談(だい2かいケベックかいだん、コードネーム“OCTAGON”)は、第二次世界大戦中にイギリスとアメリカ合衆国、カナダで開かれた軍事に関する首脳会談。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第2回ケベック会談 · 続きを見る »

第2艦隊

2艦隊ないし第二艦隊.

新しい!!: レイテ沖海戦と第2艦隊 · 続きを見る »

第30師団 (日本軍)

30師団(だいさんじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第30師団 (日本軍) · 続きを見る »

第35軍 (日本軍)

35軍(だいさんじゅうごぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第35軍 (日本軍) · 続きを見る »

第3艦隊

3(三)艦隊.

新しい!!: レイテ沖海戦と第3艦隊 · 続きを見る »

第3艦隊 (アメリカ軍)

3艦隊担当海域「'''3F'''」で示される海域(2009年現在) 第3艦隊(だい3かんたい、U.S. Third Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊。国際日付変更線以東の東太平洋(第4艦隊担当の南米西岸海域を除く)を担当海域とする。司令部はカリフォルニア州サンディエゴ、の海軍基地に置かれている。 国際日付変更線以西の西太平洋・インド洋(中東地域を除く)を担当海域とする第7艦隊とともに、アメリカ太平洋艦隊を構成し、その指揮を受ける。アメリカ近海においては、艦隊総軍の指揮を受ける場合もある。 第7艦隊や中東地域を担当する第5艦隊に、航空母艦を始めとする艦艇をローテーションで派出していて、派出された艦艇は担当海域によって第3艦隊から第7艦隊、または第5艦隊へ指揮権が移る。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第3艦隊 (アメリカ軍) · 続きを見る »

第4航空軍 (日本軍)

4航空軍(だいよんこうくうぐん、第四航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は真、軍隊符号は4FA。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第4航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第5艦隊

5艦隊.

新しい!!: レイテ沖海戦と第5艦隊 · 続きを見る »

第6艦隊

6艦隊または第六艦隊.

新しい!!: レイテ沖海戦と第6艦隊 · 続きを見る »

第7艦隊 (アメリカ軍)

7艦隊(だいななかんたい、U.S. Seventh Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊の1つである。ハワイのホノルルに司令部を置く太平洋艦隊の指揮下にあり、国際日付変更線以西の西太平洋・インド洋(中東地域を除く)を担当海域とする。旗艦/司令部は、揚陸指揮艦「ブルー・リッジ」 (USS Blue Ridge, LCC-19)。 第7艦隊は、任務に応じて編成された複数の「任務部隊」(「タスクフォース」)(Task Force, TF)で構成される。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第7艦隊 (アメリカ軍) · 続きを見る »

第七六三海軍航空隊

七六三海軍航空隊(だい763かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン防衛の主力爆撃隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・爆撃・雷撃・特攻に従事した。七六三空。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第七六三海軍航空隊 · 続きを見る »

第七六一海軍航空隊

七六一海軍航空隊(だい761かいぐんこうくうたい)は、大日本帝国海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤にマリアナ諸島およびフィリピンで哨戒・爆撃・雷撃行動に従事した。通称「龍部隊」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第七六一海軍航空隊 · 続きを見る »

第七六二海軍航空隊

七六二海軍航空隊(だい762かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン・台湾・沖縄防衛の主力爆撃隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・爆撃・雷撃に従事した。通称は「輝」部隊。「T攻撃部隊」としても運用された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第七六二海軍航空隊 · 続きを見る »

第七〇一海軍航空隊

* 第七〇一海軍航空隊(初代) - 美幌海軍航空隊.

新しい!!: レイテ沖海戦と第七〇一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三十一戦隊

三十一戦隊(だい31せんたい)とは、日本海軍の戦隊の一つ。太平洋戦争後期、敵潜水艦を積極的に発見・攻撃するための対潜機動部隊として戦史叢書45巻、359-360頁「対潜機動部隊を新編す」、1944年(昭和19年)8月20日に編制された戦史叢書45巻、361-364頁「第三十一戦隊の新編」戦史叢書37巻、76-78頁「対潜撃滅戦隊の創設」。レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では小沢機動部隊に所属して戦闘に参加、以後は多号作戦や礼号作戦など、通常の水雷戦隊任務にも投入された。戦争末期には本土決戦に備えて敵上陸船団に対する水上戦闘任務に転用された(海上挺進部隊)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第三十一戦隊 · 続きを見る »

第三八一海軍航空隊

三八一海軍航空隊(だい381かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。蘭印防衛の主力戦闘隊として、太平洋戦争後半に防空に従事した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第三八一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三四一海軍航空隊

三四一海軍航空隊(だい341かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・戦闘行動に従事した。通称「獅子部隊」。 なお、本稿では、三四一空と同様に紫電隊として編成されたものの、紫電の調達ができずに解散した第三四五海軍航空隊・第三六一海軍航空隊も合わせて述べる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第三四一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三航空戦隊

三航空戦隊(だいさんこうくうせんたい)とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った部隊である。略称は三航戦#三航戦機密第1号p.1『秘 三航戦機密第一号ノ九 昭和十一年六月十一日 横須賀神威 第三航空戦隊司令部 横浜郵便局御中|郵便物発送先ノ件照会|当隊行動ノ関係上、當司令部、軍艦神威及第二十八駆逐隊(朝凪、夕凪)宛郵便物ハ六月二十四日以降當分ノ間貴局氣付ト致スベクニ付発送ニ関シテハ左記ニヨリ御配慮ヲ得度|記 七月十三日迄到達見込ノモノハ サイパン/八月十四日 〃パラオ/九月十六日 〃ポナペ 十月十五日 〃父島(終) 』。太平洋戦争の開戦時に第一艦隊に所属。再編後は第三艦隊に所属した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第三航空戦隊 · 続きを見る »

第一五三海軍航空隊

一五三海軍航空隊(だい153かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。蘭印防衛を主眼とした偵察機部隊として、太平洋戦争後期に偵察・迎撃行動に従事した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第一五三海軍航空隊 · 続きを見る »

第一四一海軍航空隊

一四一海軍航空隊(だい141かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の1つ。フィリピン防衛の主力偵察隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・索敵に従事した。なお、一四一空は昭和19年7月10日の航空隊大改編の際に、同じ日に編成された夜間戦闘機隊の第三二二海軍航空隊(だい322かいぐんこうくうたい)を編入している。三二二空の主力機であった月光は、陸上偵察機として設計されていたため、編入後も支障なく混用されていた。本稿では三二二空も含めて記述する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第一四一海軍航空隊 · 続きを見る »

第一航空艦隊

一航空艦隊(だいいちこうくうかんたい)とは、日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊。1941年(昭和16年)4月10日に新編された。この艦隊を中核に、他の艦隊から臨時編入された艦艇を組み合わせ、世界初の空母機動部隊として運用された。 太平洋戦争後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として作戦を行う機動航空部隊として運用された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第一航空艦隊 · 続きを見る »

第一機動艦隊

一機動艦隊(だいいちきどうかんたい)とは、日本海軍の艦隊である。戦艦を中心とする第二艦隊と空母部隊の第三艦隊を編合して編制された。第一機動艦隊司令長官は第三艦隊司令長官が兼任した。 従来の「機動部隊」という名称は軍隊区分による名称に過ぎなかったが、第一機動艦隊の編制で「機動」という語が建制の艦隊の部隊号として初めて採択された別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 74頁。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第一機動艦隊 · 続きを見る »

第一次ソロモン海戦

一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)は、太平洋戦争時の1942年8月8日 - 9日に日本海軍と連合国軍(アメリカ海軍、オーストラリア海軍)の間で行われた海戦で、連合軍側の呼称はBattle of Savo Island。 なお Battle of Savo Island と混同する、日本軍側で「サボ島沖海戦」と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Cape Esperance」と呼び、第一次ソロモン海戦から2か月後に行われている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第一次ソロモン海戦 · 続きを見る »

第二十二号海防艦

二十二号海防艦本来の艦名表記は第二十二號海防艦(1945年12月20日から1946年6月30日までの間と、1946年8月1日以降は海第二十二號)。(だいにじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の11番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二十二号海防艦 · 続きを見る »

第二二一海軍航空隊

二二一海軍航空隊(だい221かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に戦闘・特別攻撃に従事した。通称「嵐部隊」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二二一海軍航空隊 · 続きを見る »

第二復員省

二復員省(だいにふくいんしょう)は、海軍省を改組して1945年(昭和20年)12月1日に設置された、海軍軍人の復員等を主管する中央省庁の1つである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二復員省 · 続きを見る »

第二〇一海軍航空隊

二〇一海軍航空隊(だい201かいぐんこうくうたい)は、太平洋戦争期における日本海軍の戦闘機部隊の一つ。護衛・迎撃・戦闘・特攻・陸戦に従事した。所属機識別章は「WI」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二〇一海軍航空隊 · 続きを見る »

第二航空艦隊

二航空艦隊(だいにこうくうかんたい)とは、日本海軍の基地航空部隊である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二航空艦隊 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二次世界大戦 · 続きを見る »

第二水雷戦隊

二水雷戦隊(だいにすいらいせんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。略称は二水戦(にすいせん)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第二水雷戦隊 · 続きを見る »

第五艦隊 (日本海軍)

五艦隊(だいごかんたい)は、旧日本海軍の部隊の1つ。最初の第五艦隊は日中戦争時の1938年(昭和13年)2月1日に新編され支那方面艦隊に所属して華南方面に進出したが、1939年(昭和14年)11月15日に「第二遣支艦隊」に改称された。二代目の第五艦隊は、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)7月25日に本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に新編され、1945年(昭和20年)2月5日に解隊されて第十方面艦隊に吸収された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第五艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第八艦隊 (日本海軍)

八艦隊(だいはちかんたい)とは、昭和17年(1942年)7月14日に日本海軍が編成した艦隊である。軍隊区分上は外南洋部隊として扱われた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第八艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第六三四海軍航空隊

六三四海軍航空隊(だい634かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。航空戦艦を母艦として運用する変則的水上機・艦上機部隊として整備されたが、母艦と連携する機会がないまま、小規模の水上機基地航空隊として終戦まで運用された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第六三四海軍航空隊 · 続きを見る »

第六五三海軍航空隊

六五三海軍航空隊(だい653かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。あ号作戦に参戦した機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として整備され、マリアナ沖海戦・台湾沖航空戦・レイテ沖海戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第六五三海軍航空隊 · 続きを見る »

第六〇一海軍航空隊

六〇一海軍航空隊(だい601かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中に機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として整備され、マリアナ沖海戦・硫黄島の戦い・沖縄地上戦・関東防空戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第六〇一海軍航空隊 · 続きを見る »

第四航空戦隊

四航空戦隊(だいよんこうくうせんたい)は、日本海軍の部隊の1つ。略称は四航戦。解隊と再編成を繰り返した部隊。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第四航空戦隊 · 続きを見る »

第百一航空戦隊

一航空戦隊(だい101こうくうせんたい)とは、日本海軍の輸送機部隊。.

新しい!!: レイテ沖海戦と第百一航空戦隊 · 続きを見る »

筑紫丸 (特設潜水母艦)

筑紫丸(つくしまる)とは、かつて大阪商船が所有していた貨客船。大阪大連線(大連航路)用として建造されたが、建造途中で太平洋戦争が開戦したため特設潜水母艦および特設運送艦として就役する。戦争終結後は復員輸送艦として運用され、やがてパキスタン船主に売却されたが、その後の状況ははっきりしない。.

新しい!!: レイテ沖海戦と筑紫丸 (特設潜水母艦) · 続きを見る »

筑摩 (重巡洋艦)

筑摩(ちくま)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦#達昭和10年9月p.21『達第百十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年九月二十八日 海軍大臣大角岑生|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 八千五百頓級巡洋艦 筑摩(チクマ)』。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の2番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。 その艦名は、筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された#幕末以降帝国軍艦写真と史実139頁『筑摩(ちくま) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用)矢矧・平戸と姉妹艦なり 艦名考川の名、千曲川に採る、川名は又筑摩川・千阿川・知隈川等に作る、此艦名には筑摩の字を適用せられたるなり、川は信濃國作久村郡の渓谷に發源し、下流信濃川となりて新潟に於て海に注ぐ。艦歴(略)昭和6年4月1日除籍。(要目略)。この名を持つ帝国海軍の艦船としては筑摩型防護巡洋艦1番艦筑摩に続いて2隻目。 筑摩は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争の重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦で沈没した。艦内神社は筑摩神社である。艦名は海上自衛隊の護衛艦に継承された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と筑摩 (重巡洋艦) · 続きを見る »

米内光政

米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。.

新しい!!: レイテ沖海戦と米内光政 · 続きを見る »

米国戦略爆撃調査団

米国戦略爆撃調査団(べいこくせんりゃくばくげきちょうさだん、United States Strategic Bombing Survey:USSBS)は、アメリカ軍による戦略爆撃(空爆、艦砲射撃)の効果を検証するための陸海軍合同機関。 ヨーロッパ戦域(第二次世界大戦)と太平洋戦域(太平洋戦争)の調査を行い、報告書(Final Reports)にまとめた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と米国戦略爆撃調査団 · 続きを見る »

紫電改

紫電改(しでんかい)は、第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の戦闘機である。紫電(N1K1-J)の二一型以降が紫電改と呼称される。この項では紫電改と紫電をまとめて紹介する。 局地戦闘機紫電は、水上戦闘機「強風」を陸上戦闘機化したもので、紫電二一型は強風と同じく中翼配置の紫電を低翼に再設計した機体であり、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴であった。 昭和19年4月7日内令兵第27号「航空機の名称」では「試製紫電改」は「試製紫電の機体改造及兵装強化せるもの」として定義づけられており、昭和20年4月11日海軍航空本部「海軍飛行機略符号一覧表」における二一型以降(紫電改)は、「試製紫電改(二一型)」「試製紫電改甲(二一型甲)」「試製紫電改一(三一型)」「試製紫電改二」「試製紫電改三(三一型)」「試製紫電改四」「試製紫電改五(二五型)」が該当する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と紫電改 · 続きを見る »

羽黒 (重巡洋艦)

羽黒(はぐろ)は、日本海軍の重巡洋艦で、妙高型重巡洋艦の4番艦。その艦名は、山形県の出羽三山の一つである羽黒山に因んで命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と羽黒 (重巡洋艦) · 続きを見る »

翔企画

有限会社翔企画(しょうきかく)は、鈴木銀一郎による日本(所在地、東京都)の企業。書籍や雑誌の編集業務などを行なっていたが、アナログゲームやその関連物も多数自社出版している。1984年5月設立。.

新しい!!: レイテ沖海戦と翔企画 · 続きを見る »

真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図 大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾"Pearl Harbor"を「真珠湾」と訳すことには異論もある。詳細は真珠湾を参照。にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争における南方作戦の一環として、開戦劈頭でマレー作戦に次いで実施された。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と真珠湾攻撃 · 続きを見る »

猪口敏平

口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と猪口敏平 · 続きを見る »

統合幕僚会議事務局長

統合幕僚会議事務局長(とうごうばくりょうかいぎじむきょくちょう)とは、1954年(昭和29年)7月1日から2006年(平成18年)3月27日まで設置されていた統合幕僚会議事務局の長である。現・統合幕僚監部においては統合幕僚副長が本職に相当する。 なお、第4代~第20代の統合幕僚会議事務局長は統合幕僚学校長を兼務していた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と統合幕僚会議事務局長 · 続きを見る »

瑞鳳 (空母)

鳳(ずいほう/ずゐほう)は、日本海軍の航空母艦。瑞鳳型航空母艦の一番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と瑞鳳 (空母) · 続きを見る »

瑞鶴 (空母)

(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦#達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦で沈没。.

新しい!!: レイテ沖海戦と瑞鶴 (空母) · 続きを見る »

瑞雲 (航空機)

雲(ずいうん)は、愛知航空機が生産した大日本帝国海軍(日本海軍)の水上偵察機である。機体略番はE16A。連合国コードネームは“Paul”(ポール)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と瑞雲 (航空機) · 続きを見る »

男たちの大和/YAMATO

『男たちの大和/YAMATO』(おとこたちのやまと)は、東映配給の日本の戦争映画である。 辺見じゅん著『決定版 男たちの大和』を原作に、終戦60周年を記念して制作された。 菊水作戦における戦艦大和の乗組員の生き様を描いた作品である。2005年12月17日に東映邦画系で全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となった。制作費は約25億円(公称)。長渕剛が主題歌を歌った。.

新しい!!: レイテ沖海戦と男たちの大和/YAMATO · 続きを見る »

無線通信士

無線通信士(むせんつうしんし)とは無線局の無線設備の通信操作に従事する者である。 日本においては総合無線通信士、海上無線通信士及び航空無線通信士を総合した通称である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と無線通信士 · 続きを見る »

無線機

無線機(むせんき)とは、無線通信を行うための機器のことである。アンテナが別になっている場合はアンテナを含まない。手で持てるハンディタイプはアンテナ(空中線)と一体になっておりアンテナも含む。 機能により、次のように分類される。.

新しい!!: レイテ沖海戦と無線機 · 続きを見る »

熊野

野(旧牟婁郡)の範囲 青岸渡寺と那智滝(那智勝浦町) 熊野本宮大社(田辺市) 熊野灘(紀北町) 熊野川(紀宝町⇔新宮市) 三段壁(白浜町) 熊野(くまの)は、和歌山県南部と三重県南部からなる地域である。紀伊半島南端部を占める。 旧国では紀伊国南部にあたり、上古の熊野国と大概一致する。熊野三山(田辺市の熊野本宮大社・新宮市の熊野速玉大社・那智勝浦町の熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として知られる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と熊野 · 続きを見る »

熊野 (重巡洋艦)

野(くまの)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。最上型の4番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|最上型|最上、三隈、鈴谷、熊野』。15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。一方、日本海軍の書類上の分類は戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と熊野 (重巡洋艦) · 続きを見る »

牧野四郎

牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と牧野四郎 · 続きを見る »

特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗) 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 彗星(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)。突入後アメリカ軍が回収した遺品により搭乗員が特定された例の一つ。 フォーミダブルに特攻機(零戦)が1機突入、56名が死傷し11機の艦載機が炎上 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、「特別に編成された攻撃部隊」。略称は「特攻隊」(とっこうたい)。当記事では、攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても記述する。 語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からである。同戦争の末期には、爆弾や爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器、もしくは専用の特攻兵器を使用して体当たりし自爆するといった戦死を前提(後者)とするものが中心となった。海外の例では、第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と特別攻撃隊 · 続きを見る »

特撮監督

特撮監督(とくさつかんとく)とは、日本の特撮映画やテレビにおいて、SFXが主となるシーンまたはカットの演出を担当するスタッフのこと。特技監督(とくぎかんとく)、または特殊技術(とくしゅぎじゅつ)とも呼ばれる。特技監督は東宝やその支流である円谷プロで多く用いられる名称で、その下に本編と同じように撮影班、美術班、照明班などが編成されるために、その中の撮影班を率いる撮影監督と区別する意味あいがある。 1940年ごろ、円谷英二が特撮カットの多い映画を製作する上で、1本の映画を2人の監督が演出するという方法をとったために生まれた役職である。スーパーバイザーとは異なり、特撮カットについては演出の全権を持ち、本編カットとの連携をふくめて作品全体についても監督とほぼ対等の発言権がある。このシステムは、大量の特撮カットを効率的に撮影できるというメリットがある反面、監督と特撮監督が不仲になるなどの弊害もある。また、実質的な二人監督制ということで、東宝特撮の全盛期、黒澤明、岡本喜八など監督としての名声を得ていた人々は、特撮物を主管する田中友幸プロデューサーの担当に属しながらも絶対にこの種の企画を引き受けなかった。 この日本独特の方法は現在も脈々と受け継がれている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と特撮監督 · 続きを見る »

狼煙

煙(のろし)とは、物を焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は、火そのものも使われる。烽火、狼火(ろうか)、狼燧(ろうすい)とも言う。.

新しい!!: レイテ沖海戦と狼煙 · 続きを見る »

白石萬隆

白石 萬隆(しらいし かづたか、1892年(明治25年)10月24日 - 1961年(昭和36年)11月16日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争開戦時の第二艦隊参謀長として、南方攻略戦や第三次ソロモン海戦など、第七戦隊司令官としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦を戦った海軍中将である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と白石萬隆 · 続きを見る »

隼鷹 (空母)

鷹(じゅんよう)は、大日本帝国海軍の航空母艦写真日本の軍艦第4巻2頁『艦名の由来 ― 隼鷹(じゅんよう』。 艦名は猛禽類のハヤブサとタカに由来する。 隼鷹型航空母艦の1番艦。 飛鷹の建造番号(仮称艦名)は1001号艦、隼鷹の建造番号(仮称艦名)は1002号艦である日本特設艦船物語81頁『第6表 商船改造航空母艦軍艦籍入籍までの経歴』。一部の資料(文献)では、隼鷹を飛鷹型航空母艦の2番艦とする日本特設艦船物語81-85頁『(2)飛鷹型』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と隼鷹 (空母) · 続きを見る »

銀河 (航空機)

銀河(ぎんが)は大日本帝国海軍(以下、海軍)が開発・実用化した双発爆撃機。海軍の航空機関連技術開発を統括する航空技術廠(以下、空技廠)が大型急降下爆撃機として開発した機体だが、一式陸上攻撃機(以下、一式陸攻)の後継機として太平洋戦争後半の戦いに投入された。連合国軍によるコードネームは「Frances」。連合軍は当初本機を戦闘機と誤認して「Francis」という男性名を付けたが、爆撃機と判明した後に女性名である「Frances」に変更したという。.

新しい!!: レイテ沖海戦と銀河 (航空機) · 続きを見る »

草鹿任一

草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。.

新しい!!: レイテ沖海戦と草鹿任一 · 続きを見る »

草鹿龍之介

草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。.

新しい!!: レイテ沖海戦と草鹿龍之介 · 続きを見る »

菊澤研宗

菊澤 研宗(きくざわ けんしゅう、1957年 - )は、日本の経営学者、慶應義塾大学商学部教授。専攻は新制度派経済学。経営哲学学会会長(2009年 - )。.

新しい!!: レイテ沖海戦と菊澤研宗 · 続きを見る »

萬栄丸

萬栄丸(まんえいまる)は、太平洋戦争中に日本で建造された戦時標準型タンカー。船主・運航は日東汽船。.

新しい!!: レイテ沖海戦と萬栄丸 · 続きを見る »

青葉 (重巡洋艦)

青葉(あおば/あをば)は#達大正12年9月p.1『達第百九十一號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ長崎三菱造船所ニテ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 大正十二年九月十八日 海軍大臣財部彪 七千百頓級巡洋艦 青葉アヲバ』、日本海軍の重巡洋艦。 青葉型重巡洋艦(青葉型一等巡洋艦)の1番艦。 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『青葉|一等巡洋艦|(艦諸元略)|三菱長崎造船所|大正13-2-4|大正15-9-25|昭和2-9-20|(装備略)』。 その艦名は、京都府加佐郡に位置する青葉山から因んで名付けられた。艦内神社は青葉山の青葉神社。.

新しい!!: レイテ沖海戦と青葉 (重巡洋艦) · 続きを見る »

西村祥治

西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と西村祥治 · 続きを見る »

馬公市

公市(まこうし)は、台湾澎湖県の県轄市。澎湖県政府の所在地。台湾の歴史上最も早くから漢民族による開発が行われた地域である。 馬公市内には、1592年に創建された台湾最古の廟である天后宮がある。馬公の市街はこの天后宮を中心に形成され、その街路網は現在でも残っている。天后宮以外にも、澎湖島内には150近くの寺廟がある。ただし、島民の生活が古くから海と密着したものであったことから、そのほとんどが海の神である媽祖を祀っており、島民の伝統的な生活を窺うことができる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と馬公市 · 続きを見る »

角田覚治

角田 覚治(かくだ かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。.

新しい!!: レイテ沖海戦と角田覚治 · 続きを見る »

駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と駆逐艦 · 続きを見る »

読売新聞

読売新聞東京本社(千代田区大手町) 読売新聞旧東京本社(千代田区大手町、現存せず) 2010年10月から2014年1月まで読売新聞東京本社の仮社屋として使用されていた旧日産自動車本社ビル(中央区銀座) 読売新聞中部支社新社屋 読売新聞中部支社(旧中部本社)旧社屋 読売新聞大阪本社 読売新聞西部本社 読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字および漢字制限前の表記は讀賣新聞、英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社および株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。 題号は、江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と読売新聞 · 続きを見る »

読売新聞社

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と読売新聞社 · 続きを見る »

高田利種

利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵46期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。.

新しい!!: レイテ沖海戦と高田利種 · 続きを見る »

高雄 (重巡洋艦)

(たかお/たかを)は#達昭和2年6月p.41『達第八十六號 補助艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和二年六月二十三日 海軍大臣岡田啓介|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 高雄タカヲ|呉海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 愛宕アタゴ』、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦高雄型の1番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と高雄 (重巡洋艦) · 続きを見る »

高雄市

市(たかおし/カオションし、、)は、台湾南部に位置する都市。.

新しい!!: レイテ沖海戦と高雄市 · 続きを見る »

高木惣吉

木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大25期首席。最終階級は海軍少将。東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 旧制中学校への進学が叶わない貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校への入校を果たし、海軍大学校を首席で卒業する。健康に恵まれず、海上勤務は少なかったが、軍政方面で活躍。海軍部外に幅広い人脈を有し、ブレーントラストを組織した。太平洋戦争の戦局悪化に伴い首相・東條英機の暗殺計画を立案したが決行直前に東條内閣が瓦解し未遂に終わる。その後は米内光政、井上成美の密命により終戦工作に従事。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と高木惣吉 · 続きを見る »

鬼怒 (軽巡洋艦)

怒(きぬ)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の5番艦である。その艦名は、栃木県、茨城県を流れる鬼怒川より名づけられた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鬼怒 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

護衛駆逐艦

護衛駆逐艦(ごえいくちくかん、Destroyer Escort)は、軍艦の艦種。第二次世界大戦中のアメリカ海軍で商船護衛の目的で建造された小型の駆逐艦を言う。主として対潜戦に使用されるが、航空機や小型艦艇からの攻撃に対しても使用された。 同様に護衛駆逐艦と訳される艦種(Escort Destroyer, DDE)があるが、こちらは従来の駆逐艦を対潜艦に転用したものである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と護衛駆逐艦 · 続きを見る »

谷光太郎

谷光 太郎(たにみつ たろう、1941年3月 - )は日本の経営学者。元大阪成蹊大学教授。.

新しい!!: レイテ沖海戦と谷光太郎 · 続きを見る »

豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と豊田副武 · 続きを見る »

豊田穣

豊田 穣(とよだ じょう、1920年(大正9年)3月14日 - 1994年(平成6年)1月30日)は、日本の小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と豊田穣 · 続きを見る »

貝塚武男

貝塚 武男(かいづか たけお、明治31年(1898年)1月3日 - 昭和19年(1944年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校46期生。.

新しい!!: レイテ沖海戦と貝塚武男 · 続きを見る »

鳥海 (重巡洋艦)

トラック諸島に停泊する鳥海。 鳥海(ちょうかい/てうかい)は、日本海軍の重巡洋艦#達昭和3年4月p.21『達第五十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和三年四月十三日 海軍大臣 岡田啓介|三菱造船株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一萬噸級巡洋艦 鳥テウ 海カイ』。 高雄型重巡洋艦の3番艦#聯合艦隊軍艦銘銘伝96頁。 艦名は秋田・山形県境の鳥海山に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.35『鳥海(てうかい)【初代】 艦種砲艦 二檣「トップスル・スクーナー」姉妹艦に摩耶・赤城・愛宕あり。艦名考山名に採る、鳥海山(てうかいざん又とりのうみやま)古名を羽山と云ふ、羽後國飽海・由利の二郡に跨る、標高7,006尺 艦歴明治27・8年戰役に從軍(以下略)』。 艦内神社も鳥海山大物忌神社より分祀された。 この名を持つ日本海軍の艦船としては摩耶型砲艦の鳥海に続いて2隻目#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.125『鳥海(てうかい)【二代】 艦種一等巡洋艦高雄型 艦名考初代鳥海の項参照(p.42)。 ―要目―(略)起工 昭和3-3-26/進水 同6-4-5/竣工 同7-6-30/建造所 三菱長崎造船所』。なお、艦名は海上自衛隊のこんごう型護衛艦の4番艦「ちょうかい」に受け継がれている。 高雄型2隻(3番艦鳥海、4番艦摩耶)は、書類上日本で竣工した最後の重巡洋艦(一等巡洋艦)(最上型、利根型は軽巡洋艦(二等巡洋艦)として計画され喪失まで書類上の変更はなかった)であった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鳥海 (重巡洋艦) · 続きを見る »

鴛淵孝

鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22日 - 1945年(昭和20年)7月25日戦死認定昭和20年12月12日付 第二復員省辞令公報 甲 第10号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072157700 で閲覧可能。)は日本の海軍軍人。海兵68期。戦闘機搭乗員であり、太平洋戦争における撃墜王。戦死による一階級進級で最終階級は海軍少佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鴛淵孝 · 続きを見る »

足柄 (重巡洋艦)

足柄(あしがら)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型の3番艦。川崎重工業神戸造船所にて建造。艦名は神奈川県箱根の足柄山に因んで命名された。なお、戦後この名称は海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦「あしがら」に受け継がれている。 1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式の際には招待艦としてイギリスへ派遣され、「飢えた狼」というニックネームをつけられた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と足柄 (重巡洋艦) · 続きを見る »

軍事史学会

軍事史学会(ぐんじしがっかい、The Military History Society of Japan)は、軍事史に関する学術的研究を行う日本の学会。1936年(昭和11年)、軍事史学会創立。終戦後解散した中断の後、1962年(昭和37年)に国防史学会が組織され、1965年(昭和40年)に軍事史学会が再結成され現在にいたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と軍事史学会 · 続きを見る »

軽巡洋艦

軽巡洋艦(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。.

新しい!!: レイテ沖海戦と軽巡洋艦 · 続きを見る »

軽空母

軽空母インヴィンシブル(R-05) 軽空母(けいくうぼ、Light aircraft carrier)は、正規空母と比較し、小型の航空母艦の事。歴史的には大型の正規空母に比べて小型で搭載する航空機も少なく、装甲など防御能力も低い空母を指した。 ただし速力は正規空母と同等、あるいは準ずることで艦隊行動をおこなって海上戦闘作戦に参加できる能力を備えているものを指し、低速の護衛空母とは区別される。当時、高速力を発揮し艦隊行動に追随しうる空母は、艦の規模、搭載機数に関わらず艦隊空母(Fleet Aircraft Carrier)と分類されていた。現代では主に短距離離着陸機(STOVL機)を運用する航空母艦のことを指す。 軽空母とヘリ空母は元来別の艦種である。ヘリ空母を広義の軽空母に含める文献もあるが、ヘリコプターとSTOVL機の運用においては支援設備が異なるため、STOVL空母をヘリ空母として運用することはできても、ヘリ空母をSTOVL空母として運用するには困難が存在する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と軽空母 · 続きを見る »

黒潮丸 (タンカー)

黒潮丸(くろしおまる)は、1938年進水の日本の石油タンカー。有事の徴用を想定した1万トン級高速船として設計され、太平洋戦争中には特設給油船などとして活動したが、1945年1月に空襲で撃沈された。終戦後に中国船永灝として復旧され、朝鮮戦争時にイギリス海軍補助艦隊の給油艦サーフ・パイロット()となり、1960年3月までシンガポールに繋留された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と黒潮丸 (タンカー) · 続きを見る »

黛治夫

黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と黛治夫 · 続きを見る »

龍鳳 (空母)

新造時の潜水母艦大鯨(後の空母龍鳳)。1935年春頃、呉#海軍艦艇史3p.290の写真解説。 龍鳳(りゅうほう/りうほう)は、日本海軍の航空母艦。瑞鳳型航空母艦の一つ。潜水母艦大鯨(たいげい)として竣工し#達昭和8年5月p.11「達第五十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和八年度ニ於テ建造ニ着手ノ潜水母艦一隻驅潜艇二隻ニ左ノ通命名セラル 昭和八年五月二十三日 海軍大臣 大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 潜水母艦 大鯨タイゲイ/浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅潜艇 第一號驅潜艇/株式會社石川島造船所ニ於テ建造 驅潜艇 第二號驅潜艇」、後に航空母艦「龍鳳」へ改装された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と龍鳳 (空母) · 続きを見る »

辺見じゅん

辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年7月26日 - 2011年9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。.

新しい!!: レイテ沖海戦と辺見じゅん · 続きを見る »

霞 (朝潮型駆逐艦)

霞(かすみ)は、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦9番艦である。この名を持つ帝国海軍の艦船は暁型駆逐艦「霞」に続いて2隻目。1945年4月、坊ノ岬沖海戦で沈没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と霞 (朝潮型駆逐艦) · 続きを見る »

霜月 (駆逐艦)

月(しもつき)は、日本海軍の駆逐艦秋月型(潮2015)、80-81頁「霜月(しもつき)」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と霜月 (駆逐艦) · 続きを見る »

震洋

震洋(しんよう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)で日本海軍が開発・使用した特攻兵器(小型特攻ボート)戦史叢書102巻、357頁「震洋(まるよん艇)」。構造が簡単で、大量生産された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と震洋 · 続きを見る »

能代 (軽巡洋艦)

能代(のしろ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦#軽巡二十五隻337-338頁『能代(のしろ)』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と能代 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

鈴谷 (重巡洋艦)

鈴谷(すずや)は、日本海軍の重巡洋艦#達昭和8年8月(1)p.1『達第七十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和八年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和八年八月一日 海軍大臣 大角岑生 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 鈴スズ谷ヤ』。 最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の3番艦である#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|最上型|最上、三隈、鈴谷、熊野』。その艦名は、樺太の鈴谷川から取って名付けられた#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ90『鈴谷(すずや)【初代】 艦種通報艦 一檣(信號用) 艦名考川名にして樺太「コルサコフ」に近接する川に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ノーヴヰック」、明治23年獨逸「シーショウ」造船所にて進水。排水量僅かに3,000噸にして場力20,000、速力25浬、謂近世軽巡洋艦の鼻祖と見るべきものなり。日露戦役中明治37年8月20日「コルサコフ」港に於て我が艦隊(千歳・對馬)の爲めに撃破せられ擱座しありしが、後ち之を収容、同39年7月13日引揚を了し、同39年8月20日帝國軍艦と定め「鈴谷」と命名、大正元年二等海防艦に編入、同2年4月1日除籍。(要目略)』。 日本海軍の軍艦としては、通報艦(防護巡洋艦)鈴谷(旧ロシア帝国軍艦ノーヴィック)に続いて二代目。 15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。日本海軍の書類上の分類は、戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鈴谷 (重巡洋艦) · 続きを見る »

鈴木宗作

鈴木 宗作(すずき そうさく、1891年(明治24年)9月27日 - 1945年(昭和20年)4月19日は、日本の陸軍軍人。愛知県出身。陸士24期、陸大31期。 第35軍司令官であった1945年(昭和20年)4月19日、フィリピン戦線で戦死、没後陸軍大将に進級する。1974年(昭和49年)には勲一等旭日大綬章(戦歿者叙勲)を贈られた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鈴木宗作 · 続きを見る »

鈴木義尾

鈴木 義尾(すずき よしお、1890年(明治23年)11月15日 - 1944年(昭和19年)11月21日)は、日本の海軍軍人。前名は義雄。主な軍歴を第二艦隊に歩み、太平洋戦争において軍令部第二部長、第三戦隊司令官を歴任。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦し、台湾沖で戦死した海軍中将である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鈴木義尾 · 続きを見る »

鈴木貫太郎

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級・栄典は海軍大将従一位勲一等功三級男爵。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めた。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、第二次世界大戦を終戦に導いた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鈴木貫太郎 · 続きを見る »

鈴木辰之助

鈴木 辰之助(すずき たつのすけ、 - 1944年10月23日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と鈴木辰之助 · 続きを見る »

防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies: NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と防衛研究所 · 続きを見る »

阿武隈

阿武隈高地 阿武隈(あぶくま)は、福島県から茨城県北部にかけての太平洋岸地域の地域名。.

新しい!!: レイテ沖海戦と阿武隈 · 続きを見る »

阿武隈 (軽巡洋艦)

阿武隈(あぶくま)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の6番艦である。その艦名は福島県、宮城県を流れる阿武隈川より名づけられた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と阿武隈 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

関行男

関 行男(せき ゆきお/つらお、1921年8月29日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階級特進で最終階級は海軍中佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と関行男 · 続きを見る »

薄雲 (吹雪型駆逐艦)

薄雲(うすぐも)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型駆逐艦)の7番艦。雲級(くもクラス)の1隻。当初の艦名は、第41号駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 薄雲(ウスグモ)トス』。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦「薄雲」に続いて2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と薄雲 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

藤波 (駆逐艦)

藤波(ふじなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の11番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と藤波 (駆逐艦) · 続きを見る »

蒋介石

蒋 介石(しょう かいせき、繁体字:蔣介石、1887年10月31日 - 1975年4月5日)は、中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統、中国国民党永久総裁。国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。名は中正で、介石は字、。浙江省寧波府奉化県出身。日本・中国本土では蔣介石の呼び名で知られているが、台湾では蔣中正(チャン・チョンヂェン、蔣中正)の名称が一般的。英語ではChiang Kai-shek(チアン・カイシェック)と呼ばれる。 孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、その後大陸支配を回復することなく没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と蒋介石 · 続きを見る »

那智 (重巡洋艦)

那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。艦内神社も熊野那智大社から分祀された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と那智 (重巡洋艦) · 続きを見る »

野中郁次郎

野中 郁次郎(のなか いくじろう, 1935年5月10日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授、日本学士院会員。知識経営の生みの親として知られる。2002年に紫綬褒章受章。2017年、カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールから同大学最高賞の生涯功績賞を史上5人目として授与された。元組織学会会長。.

新しい!!: レイテ沖海戦と野中郁次郎 · 続きを見る »

野分 (陽炎型駆逐艦)

野分(のわき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日海軍大臣吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の第15番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1944年10月下旬、比島沖海戦で重巡筑摩の救援中に沈没した。艦名は初代「野分」(初代神風型駆逐艦)に続いて2代目。野分とは台風の旧名であり、初風から舞風のうち野分のみ「風」の字が付かないが、風の名前に由来している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と野分 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

野村実

野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。.

新しい!!: レイテ沖海戦と野村実 · 続きを見る »

金剛 (戦艦)

金剛(こんごう/こんかう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦#達明治45年5月p.6『達第五十八號 英國ニ於テ建造ノ伊號装甲巡洋艦ヲ金剛ト命名セラル 明治四十五年五月十八日 海軍大臣 男爵 齋藤實』#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|戦艦|金剛型|金剛、榛名、霧島』。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、大東亜戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が大東亜戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあったただし、前弩級戦艦であった敷島型戦艦朝日が工作艦として太平洋戦争に実戦参加。。.

新しい!!: レイテ沖海戦と金剛 (戦艦) · 続きを見る »

長門 (戦艦)

長門(ながと)は、旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』。長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と長門 (戦艦) · 続きを見る »

長波 (駆逐艦)

長波(ながなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型の4番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と長波 (駆逐艦) · 続きを見る »

若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と若葉 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

若月 (駆逐艦)

若月(わかつき)は、日本海軍の駆逐艦秋月型(潮2015)、79-80頁「若月(わかつき)」#達昭和17年8月pp.19-22「達第二百三十三號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦五隻、海防艦四隻、掃海艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 若月(ワカツキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十潜水艦 伊號第四十一潜水艦 伊號第四十二潜水艦 伊號第五十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百九潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 海防艦 擇捉(エトロフ) 特務艦 白埼(シラサキ)|三井造船株式會社玉工場ニ於テ建造 海防艦 松輪(マツワ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 佐渡(サド)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 海防艦 隠岐(オキ)|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第二十三號掃海艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 第二十六號掃海艇」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と若月 (駆逐艦) · 続きを見る »

雪風 (駆逐艦)

雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#1月(昭和14年達完)p.41『達第十号 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、驅逐艦一隻及潜水艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年一月二十日 海軍大臣米内光政|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 初鷹(ハツタカ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 伏見(フシミ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 雪風(ユキカゼ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦』。一等駆逐艦陽炎型の8番艦#昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と雪風 (駆逐艦) · 続きを見る »

雲龍 (空母)

雲龍(うんりゅう/うんりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型航空母艦の1番艦。雲竜の表記も使用された#S1812呉防戦(11)p.19「一八(天候略)一.雲竜d×3関門通過 下関防備部隊出撃掩護対潜哨戒」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と雲龍 (空母) · 続きを見る »

雲龍型航空母艦

雲龍型航空母艦(うんりゅうがたこうくうぼかん)は、日本海軍の中型航空母艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と雲龍型航空母艦 · 続きを見る »

零式艦上戦闘機

零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、第二次世界大戦期における日本海軍(以下、海軍と表記する)の艦上戦闘機。略称、零戦(ぜろせん、れいせん)(以下、零戦と表記)。試作名称は十二試艦上戦闘機。連合軍側のコードネームは、「ZEKE(ジーク)」であるが、 支那事変(太平洋戦争勃発前の日中戦争)から太平洋戦争初期にかけ、2,200 kmの長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた運動性能で、米英の戦闘機に対し優勢だったことにより、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」や「ゼロゼロ(Zero Zero)」と主に呼ばれた。大戦中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立やF4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の投入で劣勢となるが、後継機の開発の遅れで、終戦まで日本海軍航空隊の主力だった。また、用途も拡大し、戦闘爆撃機や特攻機としても使われた。 開発元は三菱重工業(以下「三菱」)。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産、総生産数の半数以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上。 各型の零戦の詳細は、「零式艦上戦闘機の派生型」を参照。.

新しい!!: レイテ沖海戦と零式艦上戦闘機 · 続きを見る »

電離層

電離層(でんりそう)とは、地球を取り巻く大気の上層部にある分子や原子が、紫外線やエックス線などにより電離した領域である。この領域は電波を反射する性質を持ち、これによって短波帯の電波を用いた遠距離通信が可能である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と電離層 · 続きを見る »

電波伝播

電波伝播(でんぱでんぱ、Radio propagation)とは電波が空中を伝わり、離れた所に到達することである。無線通信は基本的に電波伝播を利用して行われる。 電波伝播の安定度・強度は自然現象に影響され周波数、時間、位置関係によって大きく左右される。自然現象が原因で通常とは異なる電波伝播が発生することを異常伝播という。 なお、日本の電波工学の分野で多くで用いられる電波伝搬(でんぱでんぱん)という用語用字は、電波法ではpropagationに対応する語として伝播ではなく伝搬という表記が用いられていることに起因する表現であり、電波工学の分野においては優勢である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と電波伝播 · 続きを見る »

連合国軍最高司令官総司令部

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)とは、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部、連合国最高司令官総司令部とも。職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人が多数で、他にイギリス軍人やオーストラリア軍人らで構成されていた。 極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官 Supreme Commander for the Allied Powers; SCAP)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQや進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。結果として、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本の移動はSCAP の許可によってのみ行われた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と連合国軍最高司令官総司令部 · 続きを見る »

連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。.

新しい!!: レイテ沖海戦と連合艦隊 · 続きを見る »

連合艦隊 (映画)

『連合艦隊』(れんごうかんたい)は、1981年(昭和56年)8月8日に劇場封切り公開された東宝映画製作・東宝配給の特撮戦争映画である。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ、145分。.

新しい!!: レイテ沖海戦と連合艦隊 (映画) · 続きを見る »

TBF (航空機)

ラマン TBFは、第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の主力雷撃機。愛称はアヴェンジャー(Avenger,日本語に直訳した場合は、復讐者、報復者)、あるいは、アベンジャー。 アメリカ海軍とアメリカ海兵隊で運用が開始され、1942年のミッドウェー海戦を初陣にイギリス海軍など他国でも運用された。日本海軍で言う艦攻にあたる(ただし、日本での「艦攻」は流星を除き急降下爆撃ができないが、TBFには急降下爆撃可能な種類もあった)。 生産の途中からTBFはグラマン社に代わってゼネラル・モーターズ(GM)社が量産するようになり、ゼネラル・モーターズ社で生産された機体はTBMの制式番号が付けられた。そのため、TBF/TBMとも表記する。.

新しい!!: レイテ沖海戦とTBF (航空機) · 続きを見る »

択捉型海防艦

択捉型海防艦(えとろふがたかいぼうかん)は、日本海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦である。占守型海防艦を原型とし、南方航路の船団護衛に用いられた。計画名は占守型とおなじく甲型であり、艦艇類別等級別表における公式類別上は占守型に属するが、基本計画番号はE19と異なる。1943年-1944年にかけて同型艦14隻が就役している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と択捉型海防艦 · 続きを見る »

柳田邦男

柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年6月9日 - )は、ノンフィクション作家、評論家。航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。妻は絵本作家の伊勢英子。娘にカメラマンの石井麻木がいる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と柳田邦男 · 続きを見る »

捏造

捏造(ねつぞう(慣用読み)、でつぞう)とは、実際になかったことを故意に事実のように仕立て上げること。「捏」の読み方は古くは「デツ」であるため、でっち上げの語源ともなっている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と捏造 · 続きを見る »

捷号作戦

捷号作戦(しょうごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中に日本の大本営が立案した作戦計画の1つである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と捷号作戦 · 続きを見る »

東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と東宝 · 続きを見る »

東邦丸

東邦丸(とうほうまる)とは.

新しい!!: レイテ沖海戦と東邦丸 · 続きを見る »

東映

東映株式会社(とうえい)は、日本の映画の製作、配給、興行会社。2013年現在、直営の映画館2館、2つの撮影所(東映東京撮影所と東映京都撮影所)を保有。テレビ朝日ホールディングスの大株主で、同時にテレビ朝日ホールディングスが東映の筆頭株主になっている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と東映 · 続きを見る »

松 (松型駆逐艦)

松(まつ)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和18年12月p.43『達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略)』。松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦#内令昭和18年12月(4)p.24『内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略)』。日本海軍の艦名としては樺型駆逐艦「松」に続いて2代目である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と松 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

松田千秋

松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と松田千秋 · 続きを見る »

松林宗恵

松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年7月7日 - 2009年8月15日)は、日本の映画監督。元海軍士官で、僧侶でもある。法名、釈 宗惠(しゃく しゅうえ)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と松林宗恵 · 続きを見る »

松本毅

松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14日 - 1962年(昭和37年)5月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。開拓使の松本十郎の孫にあたる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と松本毅 · 続きを見る »

杉 (松型駆逐艦)

杉(すぎ)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の7番艦として藤永田造船所で建造された。艦名としては樺型駆逐艦の9番艦「杉」に続いて2代目。 太平洋戦争ではレイテ沖海戦、多号作戦、礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事した。その後、国府海軍(のちの台湾海軍)に引き渡され、「恵陽(フェイヤン)」と命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と杉 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

栗田健男

栗田 健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。レイテ沖海戦で行った「謎の反転」を巡り様々な議論がある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と栗田健男 · 続きを見る »

桐 (松型駆逐艦)

桐(きり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の6番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樺型」10番艦「桐」)。丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍工廠で建造された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と桐 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桜花 (航空機)

桜花(おうか)は、日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と桜花 (航空機) · 続きを見る »

桃 (松型駆逐艦)

桃(もも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。松型駆逐艦(丁型)の4番艦である。日本海軍の艦名としては桃型駆逐艦の1番艦「桃」に続いて2代目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と桃 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桑 (松型駆逐艦)

桑(くわ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型駆逐艦(丁型)の5番艦である。艦名は楢型駆逐艦2番艦「桑」に続いて2代目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と桑 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

梅 (松型駆逐艦)

梅(うめ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ検図 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。 松型駆逐艦(松型一等駆逐艦)(丁型)の3番艦である#内令昭和19年1月(5)pp.17-18『内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ|潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十四」ノ下ニ「、伊號第十五」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號三百六十六」ノ下ニ「、伊號三百六十八、伊號三百六十九」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「笠戸」ノ下ニ「、日振、鵜来」ヲ、同三御藏型ノ項中「倉橋」ノ下ニ「、屋代」ヲ、同第一號型ノ項中「第十一號」ノ下ニ「、第十三號、第十五號、第十七號、第十九號」ヲ加フ|掃海艇、第十九號型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十四號」ヲ加フ|驅潜艇、第十四號型ノ項中「第六十一號」ノ下ニ「、第六十三號」ヲ加フ』。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦樺型「梅」)。丁型一等駆逐艦第5483号艦として藤永田造船所で建造された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と梅 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

森本忠夫

森本 忠夫(もりもと ただお、1926年 - 2015年5月11日)は、日本の実業家、文筆家。.

新しい!!: レイテ沖海戦と森本忠夫 · 続きを見る »

植民地

植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。 古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。 以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。 また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と植民地 · 続きを見る »

榎尾義男

榎尾 義男(えのお よしお、1902年 - 1989年)は、日本の海軍軍人。海兵51期。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: レイテ沖海戦と榎尾義男 · 続きを見る »

榴弾

榴弾(りゅうだん、High Explosive、HE)は、狭義には、砲弾の種類。爆発によって弾丸の破片が広範囲に飛散するように設計されている。 広義には、成形炸薬弾である対戦車榴弾や粘着榴弾など、着弾時に火薬の効果を用いる砲弾や、砲弾に限らず爆弾の内部に炸薬を詰めたものも指す。.

新しい!!: レイテ沖海戦と榴弾 · 続きを見る »

榛名 (戦艦)

榛名(はるな)は、日本海軍の戦艦で、金剛型戦艦の3番艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と榛名 (戦艦) · 続きを見る »

槇 (松型駆逐艦)

槇(まき)は日本海軍の駆逐艦#陽炎型、2014333頁『槇(まき)』#達昭和19年6月pp.3-4『達第百八十一號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦二隻及海防艦九隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 杉(スギ) 第三十六號海防艦 第四十號海防艦|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 槇(マキ) 第六十一號海防艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 樅(モミ) 伊號第三百七十二潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四百四潜水艦|日立造船所株式會社ニ於テ建造 海防艦 大東(ダイトウ)』。艦名は楢型駆逐艦の4番艦「槇」に続いて2代目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と槇 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

横須賀

横須賀(よこすか).

新しい!!: レイテ沖海戦と横須賀 · 続きを見る »

橋本信太郎

橋本 信太郎(はしもと しんたろう、1892年(明治25年)5月11日 - 1945年(昭和20年)5月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 ガダルカナル撤退作戦で駆逐艦部隊を率い、3次にわたるガダルカナル島からの日本軍部隊救出に成功した。のちペナン沖海戦で戦死。.

新しい!!: レイテ沖海戦と橋本信太郎 · 続きを見る »

武蔵 (戦艦)

300px 武蔵(むさし)は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦である。当時は武藏と表記された#達昭和15年11月(1)p.1『達第二百四十一號 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造中ノ戦艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十五年十一月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 戦艦 武藏(ムサシ)』。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目にあたる#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ33(原本39頁)『武藏(むさし) 艦種巡洋艦 三檣「バーク」 艦名考國名に採る。 艦歴明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同11月大連港及旅順國占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同占領に從事、同31年月三等海防艦に編入、同37・8年戰役に從軍:大正元年8月二等海防艦に列す。同3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備に從事、11年4月1日軍艦籍より除き、更めて特務艦(測量艦)と定めらる。昭和3年4月1日除籍。(備考)尚ほ此の外に幕末に初代の軍艦とも云ふ可き「武藏」あり、同艦は明治元年11月外國人より購入(製造場所、竣工年月日、及原名等不詳)のものにして、同2年2月品海碇泊中火を失して焼く、同3年安芸、焼残船體を大蔵省に交付す。(要目略)』。大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦でもあった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と武蔵 (戦艦) · 続きを見る »

歩兵第20連隊

歩兵第20連隊(ほへいだい20れんたい、歩兵第二十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と歩兵第20連隊 · 続きを見る »

歩兵第33連隊

歩兵第33連隊(ほへいだい33れんたい、歩兵第三十三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と歩兵第33連隊 · 続きを見る »

毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と毎日新聞社 · 続きを見る »

水交社

水交社(すいこうしゃ)とは、1876年(明治9年)3月21日に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子』の「君子之交淡若水」から採用命名された。総裁は海軍将官の現役皇族、社長は現任海軍大臣の兼務であった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と水交社 · 続きを見る »

永井貞三

永井 貞三(ながい さだぞう『現役海軍士官名簿 昭和12年1月1日調』172頁。、1901年3月 - 1944年10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将。広島県出身。.

新しい!!: レイテ沖海戦と永井貞三 · 続きを見る »

永野修身

永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍の三顕職である連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長を全て経験した唯一の軍人。千葉工業大学の創設発案者。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。.

新しい!!: レイテ沖海戦と永野修身 · 続きを見る »

池田清 (政治学者)

池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年4月3日)は、日本海軍の軍人、政治学者。最終階級は海軍中尉。息子に、国際政治学者の池田明史がいる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と池田清 (政治学者) · 続きを見る »

沖縄戦

沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう。.

新しい!!: レイテ沖海戦と沖縄戦 · 続きを見る »

沖波 (駆逐艦)

沖波(おきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の14番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と沖波 (駆逐艦) · 続きを見る »

清霜 (駆逐艦)

清霜(きよしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46『達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇』。一等駆逐艦夕雲型の19番艦であり、最終艦でもある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と清霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

満潮 (駆逐艦)

満潮(みちしお / みちしほ)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦3番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』。1937年(昭和12年)10月に竣工した日本軍艦集2600年版コマ39『一等驅逐艦 満潮(みちしほ) 基準排水量1,500噸、長さ108.55米、幅10.15米、平均吃水2.75米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管8門、起工昭和10年11月5日、進水昭和12年3月15日、竣工昭和12年10月31日、建造所藤永田造船所-荒潮と同型。この級は、あらゆる點において、我國最精鋭驅逐艦としての貫録を備へてゐる。』。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦でスリガオ海峡に突入し、米艦隊の雷撃を受けて沈没した。.

新しい!!: レイテ沖海戦と満潮 (駆逐艦) · 続きを見る »

潮 (吹雪型駆逐艦)

潮(うしお / うしほ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の20番艦(特II型の10番艦)。吹雪型の後期型(朧型)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「潮」に続いて2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と潮 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

潮書房光人新社

株式会社潮書房光人新社(うしおしょぼうこうじんしんしゃ)は、日本の出版社。月刊誌『丸』および書籍の出版・販売を行う。.

新しい!!: レイテ沖海戦と潮書房光人新社 · 続きを見る »

朝霜 (駆逐艦)

朝霜(あさしも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年5月(3)pp.4-6『達第百二十一號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦二隻、驅潜艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 沖波(オキナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 岸波(キシナミ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝霜(アサシモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ検図 伊號第四十六潜水艦|三菱重工會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號代四十五潜水艦 呂號第四十七潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 平戸(ヒラト)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 御藏(ミクラ)|日立造船所株式會社因島造船所ニ於テ建造 第四十六號驅潜艇|川南工業株式會社香焼島造船所ニ於テ建造 第四十七號驅潜艇|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 波勝(ハカチ)』。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦夕雲型)の16番艦である。戦艦大和(第二艦隊)の沖縄水上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)に参加したが機関故障により落伍、米艦載機の攻撃により大破したあと行方不明となった(沈没認定。)#S20.02二水戦詳報(3)pp.49-50『七.機関(イ)艦隊速力二十二節巡航運転中朝霜ハ會敵約二時間前ヨリ舟左巡航「タービン」減速装置温度過昇シ(温度不明)巡航「タービン」ヲ离(離)脱セントシニ离脱ニ約五時間ヲ要スル應急作業トナリ(同艦ヨリノ信號報告ニ依ル)解列シ艦隊ノ視界内続行中對空戰闘トナリ遂ニ行方不明トナリ』。.

新しい!!: レイテ沖海戦と朝霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

朝雲 (駆逐艦)

朝雲(あさぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の5番艦である。スラバヤ沖海戦、第三次ソロモン海戦、ビスマルク海海戦、キスカ島撤退作戦など太平洋戦争の数々の海戦に参加。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属してスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲撃で撃沈された。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦3番艦「あさぐも」に継承された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と朝雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

朝雲新聞

朝雲(あさぐも)は、防衛省・自衛隊関連のニュースを主とする日本の新聞。朝雲新聞社が発行している。.

新しい!!: レイテ沖海戦と朝雲新聞 · 続きを見る »

朝日新聞

朝日新聞社の社旗(西日本版) 中之島にある朝日新聞大阪本社 中央区築地にある朝日新聞東京本社 栄にある朝日新聞名古屋本社 北九州市小倉北区リバーウォーク北九州にある朝日新聞西部本社 福岡市博多区博多駅前にある朝日新聞福岡本部 中央区にある朝日新聞北海道支社 朝日新聞(あさひしんぶん、The Asahi Shimbun)は、日本の日刊の全国紙。朝日新聞社が編集・発行する新聞で、同社のメイン新聞である。販売部数は、全国紙では読売新聞に次ぐ業界2位。.

新しい!!: レイテ沖海戦と朝日新聞 · 続きを見る »

木俣滋郎

木俣 滋郎(きまた じろう、1930年7月14日- )は、戦争・兵器・船舶史家。 浜松市生まれ。一橋大学経済学部卒業。工学院大学付属高等学校教諭のかたわら、歴史・兵器を研究。1998年退職。.

新しい!!: レイテ沖海戦と木俣滋郎 · 続きを見る »

木村進 (海軍軍人)

木村 進(きむら すすむ、1891年(明治24年)6月1日 - 1980年(昭和55年)3月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と木村進 (海軍軍人) · 続きを見る »

木村昌福

木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 現場叩き上げの指揮官として太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てたが、特に「奇跡の作戦」といわれた『キスカ島撤退作戦』を指揮し、5千名あまりの日本将兵の無血撤退を成功させた事績で名高い。.

新しい!!: レイテ沖海戦と木村昌福 · 続きを見る »

木曾 (軽巡洋艦)

木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と木曾 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

月光 (航空機)

月光(げっこう)は、日本海軍の夜間戦闘機。連合軍が本機に与えたコードネームはIrving(アーヴィング)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と月光 (航空機) · 続きを見る »

最上 (重巡洋艦)

最上(もがみ)は、日本海軍の軍艦ポケット海軍年鑑(1937)コマ42『ニ等巡洋艦"最上 もがみ" 全要目 最上級15糎砲軽巡は、倫敦條約の産物であるといつてもよい。勿論條約などに關係なく英米は建造する豫定でゐたのであらうがはつきりと10,000噸15.5糎砲と極限を定めたのは條約である。米國の"ブルツクリン"英國の"マンチエスター"は各12門であるらしいが、わが國では一足お先に最上、三隈の2隻を竣工させた。我國最初の三聯砲塔であると同時に、最も進化した装備と艦内諸設備は全く目を瞠るばかりである。明日の海軍を擔ふ氣鋭の新戰部隊に嘱望する所は大きい。後續の"三隈 みくま"は昭和10年8月竣工したが"鈴谷 すゞや"や"熊野 くまの"は最近進水を遂げ、次に"利根 とね" "筑摩 ちくま"と建造計畫はすゝんでゐる。』古村啓蔵ほか、重巡十八隻345頁『最上(もがみ)』。 最上型重巡洋艦の1番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と最上 (重巡洋艦) · 続きを見る »

戦史叢書

『戦史叢書』(せんしそうしょ、英題Senshi sôsho)とは防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)によって1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂され、朝雲新聞社(あさぐもしんぶんしゃ)より刊行された公刊戦史である。A5版、各巻500-600頁、定価2200~4200円。.

新しい!!: レイテ沖海戦と戦史叢書 · 続きを見る »

戦藻録

『戦藻録』(せんそうろく)は宇垣纏が記した陣中日誌。副題は「大東亜戦争秘記」。 日本海軍作戦の第一級史的資料戦争文学とも見られる。.

新しい!!: レイテ沖海戦と戦藻録 · 続きを見る »

戦闘詳報

戦闘詳報(せんとうしょうほう)とは、日本海軍、日本陸軍の部隊・艦船が作戦、戦闘を行った後、上級の司令部に提出していた報告書である。海外でも戦闘詳報に相当する記録をつける制度はあり、アメリカ海軍の場合はアクションレポート(Action Report)がこれに相当する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と戦闘詳報 · 続きを見る »

戸部良一

戸部 良一(とべ りょういち、1948年 - )は、日本の歴史学者。専門は日本政治外交史。帝京大学文学部史学科教授、国際日本文化研究センター名誉教授、防衛大学校名誉教授。昭和戦前・戦時期の日本外交、特に外務省革新派や日中関係、日本陸軍などの研究を行う。また、歴史研究と組織論を組み合わせたノモンハン事件・太平洋戦争の学際的研究『失敗の本質』の著者の一人として知られる。猪木正道に師事したことがあるが、猪木が防衛大学校に転任した後、高坂正堯の指導を受けた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と戸部良一 · 続きを見る »

浦風 (陽炎型駆逐艦)

浦風(うらかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和14年11月p.10『達第百九十號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ海防艦一隻及驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年十一月六日 海軍大臣吉田善吾|株式會社玉造船所ニ於テ建造 海防艦 占守(シムシュ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 浦風(ウラカゼ)』。陽炎型駆逐艦の11番艦である。第17駆逐隊の姉妹艦と共に真珠湾攻撃からレイテ沖海戦に至るまで、空母機動部隊や輸送船団の護衛、輸送任務、対水上艦戦闘など太平洋戦争中のあらゆる方面で活動したが、1944年(昭和19年)11月21日、台湾海峡にて米潜水艦の雷撃により金剛型戦艦金剛と共に撃沈された。艦名は初代「浦風」(浦風型駆逐艦)に続いて2代目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と浦風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

浦波 (吹雪型駆逐艦)

浦波(うらなみ)は日本海軍の駆逐艦(2代目)#達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第四十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 浦ウラ波ナミ トス』#達昭和2年4月pp.45-46『達第五十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手スベキ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年四月二十六日 海軍大臣 岡田啓介|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十八號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第三十九號驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十四號驅逐艦』。 吹雪型駆逐艦の10番艦#海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、朝凪、夕凪/睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月/吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波| 同部中「第二號型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |若竹型|若竹、呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱| 掃海艇ノ部中「浦波型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |第七號型|第七號、第八號、第九號、第十號、第十一號、第十二號| 備考第二號中但書ヲ削リ第四號ヲ左ノ如ク改ム  四 掃海艇ヲ稱呼スルニハ「第何號掃海艇」ヲ以テス 同五號中「「第三十五號型驅逐艦」、」ヲ削ル。 特型駆逐艦の波級。 浦波級として紹介されたこともある。 当初の艦名は第四十四号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊對照表』。 「磯波」までの特I型と煙突基部の缶室給気路が改正され異なっており、特改I型と呼ばれる場合がある(日本海軍の法令上は吹雪型駆逐艦。吹雪型1番艦吹雪と吹雪型2番艦白雪沈没後は初雪型駆逐艦)。.

新しい!!: レイテ沖海戦と浦波 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

海上護衛総司令部

海上護衛総司令部(かいじょうごえいそうしれいぶ)とは大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。設置は1943年11月15日、廃止は1945年8月25日。正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊(かいじょうごえいそうたい)とも呼ばれ、また海護総隊(かいごそうたい)とも略称された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と海上護衛総司令部 · 続きを見る »

海上自衛隊

海上自衛隊(かいじょうじえいたい)は日本の自衛隊のうちの海上部門にあたる組織である。また、官公庁の一つであり、防衛省の特別の機関の集合体である。 略称海自(かいじ)、英称 Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF)海上自衛隊公式HP。諸外国からは Japanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と海上自衛隊 · 続きを見る »

海軍

ョージ・ワシントン アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 海軍(かいぐん、navy)は軍事作戦のために主に艦艇を使用する軍事組織を言う。.

新しい!!: レイテ沖海戦と海軍 · 続きを見る »

海軍乙事件

海軍乙事件(かいぐんおつじけん)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件である。事件の際に、日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。.

新しい!!: レイテ沖海戦と海軍乙事件 · 続きを見る »

海戦

海戦(かいせん, Naval battle, Naval warfare)は、狭義には艦艇同士の海上戦闘をいうが、広義には航空機、ミサイルなどを用いて海上で行われる戦闘の総称をいう。 武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦、空中は空戦とされ、国際法はおおむねこの区分に従って規定されている。火薬や大砲の発達、汽走軍艦の出現、潜水艦、航空機、レーダー、ミサイルなどの新技術が登場するごとに、海戦の様相は大きく変化し、新しい戦略戦術が生まれている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と海戦 · 続きを見る »

浜風 (陽炎型駆逐艦)

浜風(はまかぜ)は#達昭和15年11月(1)p.3『達第二百四十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十五年十一月五日 海軍大臣 及川古志郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 濱風(ハマカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號三十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十七潜水艦|株式會社玉造船所ニ於テ建造 第十四号駆潜艇』、大日本帝国海軍の駆逐艦。艦名表記は、正しくは濱風である。一等駆逐艦陽炎型の13番艦である。艦名は初代「浜風」(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。第17駆逐隊に所属した姉妹艦と太平洋戦争の主要な海戦に参加。戦艦武蔵、金剛、空母蒼龍、飛鷹、信濃といった帝国海軍主力艦の沈没に遭遇し、自らも1945年(昭和20年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で戦艦大和と共に撃沈された。.

新しい!!: レイテ沖海戦と浜風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

浜波 (駆逐艦)

浜波(濱波、はまなみ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和17年9月p.34「達第二百六十號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦六隻、驅潜艇二隻及特務艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年九月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 濱波(ハマナミ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十三潜水艦/呂號第四十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第百八十三潜水艦/呂號第百八潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十四潜水艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號第三十六潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 第四十二驅潜艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第四十三號驅先帝|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 洲埼(スノサキ)|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 風早(カザハヤ)」。 夕雲型駆逐艦の13番艦である。 日本海軍の法令上は旧字体の濱波を使用し、戦闘詳報#S1812二水戦日誌(4)p.6「(3)下旬 2sd(鳥海)「パラオ」ニ在リ二十五日敵KdB見ユノ報ニ依リ濱波ニ将旗ヲ移揚シ出撃セルモ誤報ナルニ依リ歸投ス」や戦史叢書でも「濱波」を使用するが、本記事では浜波とする秋月型(2015潮書房)225-226頁「浜波(はまなみ)」。.

新しい!!: レイテ沖海戦と浜波 (駆逐艦) · 続きを見る »

文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう、Bungeishunju Ltd.)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。.

新しい!!: レイテ沖海戦と文藝春秋 · 続きを見る »

日向 (戦艦)

航空戦艦改装後(1943年) 日向(ひゅうが、命名時のかな艦名表記はひうか大正3年10月12日付 海軍大臣達 第151号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070068000 で閲覧可能。ひうがではない。)は、大日本帝国海軍の戦艦。伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。艦名の由来は宮崎県の旧国名からで、艦内神社は宮崎神宮からの分神。この艦名は帝国海軍ではこの艦のみで、戦後、海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の1番艦「ひゅうが」に引き継がれた。.

新しい!!: レイテ沖海戦と日向 (戦艦) · 続きを見る »

早川幹夫

早川 幹夫(はやかわ みきお、1894年4月18日 - 1944年11月11日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中将。.

新しい!!: レイテ沖海戦と早川幹夫 · 続きを見る »

早霜

早霜(はやしも).

新しい!!: レイテ沖海戦と早霜 · 続きを見る »

早霜 (駆逐艦)

早霜(はやしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 夕雲型駆逐艦の17番艦である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と早霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

摩耶 (重巡洋艦)

摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型の4番艦である昭和3年11月7日付 海軍内令 第313号。#聯合艦隊軍艦銘銘伝110頁。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工#昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲p.4『摩耶|一等巡洋艦|(艦諸元略)|神戸川崎造船所|3-12-4|5-11-8|7-6-30|(装備略)』。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。.

新しい!!: レイテ沖海戦と摩耶 (重巡洋艦) · 続きを見る »

支那方面艦隊

支那方面艦隊(しなほうめんかんたい)とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と支那方面艦隊 · 続きを見る »

愛宕 (重巡洋艦)

近代化改装後の愛宕。昭和14年(1939年)11月30日、横須賀軍港で撮影。 愛宕(あたご)は、日本海軍の重巡洋艦。.

新しい!!: レイテ沖海戦と愛宕 (重巡洋艦) · 続きを見る »

慶應義塾大学

記載なし。

新しい!!: レイテ沖海戦と慶應義塾大学 · 続きを見る »

扶桑

扶桑(ふそう、フーサン、Fusang)は、中国伝説で東方のはてにある巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。またその巨木の生えている土地を扶桑国という。後世、扶桑・扶桑国は、中国における日本の異称となったが、それを受けて日本でも自国を扶桑国と呼ぶことがある。例えば『扶桑略記』は平安時代の私撰歴史書の一つである。.

新しい!!: レイテ沖海戦と扶桑 · 続きを見る »

扶桑 (戦艦)

扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦#達大正3年4月p.3『達第五十七號 呉海軍工廠ニ於テ建造ノ第三號戰艦ヲ扶桑ト命名セラル 大正三年三月二十八日 海軍大臣 男爵 斎藤實』。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の由来は日本の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1879年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。.

新しい!!: レイテ沖海戦と扶桑 (戦艦) · 続きを見る »

曙 (吹雪型駆逐艦)

曙(あけぼの)は日本海軍の駆逐艦。吹雪型(特型)の18番艦(特II型の8番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦「曙」に続いて2隻目。.

新しい!!: レイテ沖海戦と曙 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

時雨

時雨(しぐれ、じう)は、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨である。 時雨が降る天候に変わることを時雨れる(しぐれる)ともいう。 「時雨」は漢語としては元来、「ほどよいときに降る雨」を意味し、転じて教化を比喩する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と時雨 · 続きを見る »

時雨 (白露型駆逐艦)

時雨(しぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦(白露型一等駆逐艦)の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「時雨」に続いて2隻目。「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称された武勲艦でもあった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と時雨 (白露型駆逐艦) · 続きを見る »

10月23日

10月23日(じゅうがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から296日目(閏年では297日目)にあたり、年末まであと69日ある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と10月23日 · 続きを見る »

10月25日

10月25日(じゅうがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から298日目(閏年では299日目)にあたり、年末まであと67日ある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と10月25日 · 続きを見る »

11月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より11月 11月(じゅういちがつ)はグレゴリオ暦で年の第11の月に当たり、30日間ある。 日本では、旧暦11月を霜月(しもつき)と呼び、現在では新暦11月の別名としても用いる。「霜月」は文字通り霜が降る月の意味である。他に、「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もある。また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もある。 英語での月名 November は、「9番目の月」の意味で、ラテン語で「第9の」という意味の「novem」の語に由来している。実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて9番目という意味である。.

新しい!!: レイテ沖海戦と11月 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: レイテ沖海戦と1944年 · 続きを見る »

1944年アメリカ合衆国大統領選挙

選挙結果の図。青色がルーズベルトとトルーマン、赤色がデューイとブリッカー、が勝利した州を示す。数字は各州の選挙人数。 1944年アメリカ合衆国大統領選挙(1944ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1944)は、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦して心が奪われているときに行われた。現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトは、過去のどの大統領よりも長くその職に在ったが、人気は衰えていなかった。1940年の選挙時とは異なり、ルーズベルトが民主党候補者としてもう1期の選出を求め出馬することにほとんど疑念は無かった。この年の対抗馬は共和党のニューヨーク州知事トマス・E・デューイだった。デューイは精力的に選挙運動を行ったが、世界大戦の最中に、ルーズベルトが4回目の当選を果たすことに疑問を挟む者はほとんどいなかった。.

新しい!!: レイテ沖海戦と1944年アメリカ合衆国大統領選挙 · 続きを見る »

1981年

この項目では、国際的な視点に基づいた1981年について記載する。.

新しい!!: レイテ沖海戦と1981年 · 続きを見る »

3月12日

3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と3月12日 · 続きを見る »

6月24日

6月24日(ろくがつにじゅうよっか、ろくがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から175日目(閏年では176日目)にあたり、年末まであと190日ある。誕生花はバラ、バーベナ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と6月24日 · 続きを見る »

7月8日

7月8日(しちがつようか)はグレゴリオ暦で年始から189日目(閏年では190日目)にあたり、年末まであと176日ある。誕生花はホオズキ、クロユリ。.

新しい!!: レイテ沖海戦と7月8日 · 続きを見る »

8月4日

8月4日(はちがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から216日目(閏年では217日目)にあたり、年末まであと149日ある。.

新しい!!: レイテ沖海戦と8月4日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

レイテ湾海戦フィリピン沖海戦エンガノ岬沖海戦サマール島沖海戦サマール沖海戦シブヤン海海戦スリガオ海峡海戦栗田艦隊比島沖海戦

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »