ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

連合艦隊

索引 連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。.

272 関係: 加藤友三郎原敢二郎卯月 (睦月型駆逐艦)千代田 (空母)千歳 (空母)南遣艦隊南西方面艦隊南東方面艦隊南清艦隊司令部名古屋丸名取 (軽巡洋艦)吉岡範策吉田善吾報国丸 (特設巡洋艦)堀内三郎塩沢幸一大山祇神社大和 (戦艦)大和型戦艦大鳳 (空母)大鷹 (空母)大東亜戦争大正大淀 (軽巡洋艦)大湊直太郎大浜 (標的艦)大日本帝国大日本帝国海軍大日本帝国海軍艦艇一覧天皇太平洋艦隊 (アメリカ海軍)太平洋戦争夕凪 (2代神風型駆逐艦)夕風 (駆逐艦)夕月 (駆逐艦)威海衛の戦い室戸 (給炭艦)宵月 (駆逐艦)宗谷 (船)宇垣纏寺島健小林謙五小沢治三郎山城 (戦艦)山中柴吉山本五十六山本権兵衛岩下保太郎島村速雄...嶋田繁太郎川崎市巡洋艦上村彦之丞中華人民共和国中部太平洋方面艦隊常備艦隊三宅 (海防艦)三笠 (戦艦)五十鈴 (軽巡洋艦)伊号第六十潜水艦伊号第百五十七潜水艦伊号第百五十三潜水艦伊号第百五十九潜水艦伊号第百五十五潜水艦伊号第百五十八潜水艦伊号第百五十六潜水艦伊号第百五十四潜水艦伊号第百六十二潜水艦伊号第百六十五潜水艦伊号第百六十六潜水艦伊号第百六十四潜水艦伊勢 (戦艦)伊藤正徳 (軍事評論家)伊藤整一伊東祐亨北上 (軽巡洋艦)北東方面艦隊ミッドウェー海戦マリアナ沖海戦ハワイ州レイテ沖海戦ドラマ初霜 (初春型駆逐艦)初春 (初春型駆逐艦)呂号第三十三潜水艦呂号第三十四潜水艦りおでじゃねろ丸オプテンノール (船)ガダルカナル島ゲゲゲの女房シーレーンサンディエゴ冲鷹 (空母)出羽重遠回天皐月 (睦月型駆逐艦)矢風 (標的艦)矢野志加三神威 (水上機母艦)神風 (2代神風型駆逐艦)福留繁秋風 (駆逐艦)秋霜 (駆逐艦)秋津洲 (水上機母艦)竹 (松型駆逐艦)第十一航空艦隊 (日本海軍)第十方面艦隊第七艦隊 (日本海軍)第三十一戦隊第三艦隊 (日本海軍)第一号輸送艦第一遣外艦隊第一航空艦隊第一艦隊 (日本海軍)第一機動艦隊第一次上海事変第一次世界大戦第九艦隊 (日本海軍)第二十二号海防艦第二号輸送艦第二遣外艦隊第二艦隊 (日本海軍)第二次世界大戦第五艦隊 (日本海軍)第八艦隊 (日本海軍)第六艦隊 (日本海軍)第四艦隊 (日本海軍)筑摩 (重巡洋艦)翔鶴 (空母)瑞穂 (水上機母艦)瑞鶴 (空母)由良 (軽巡洋艦)特別攻撃隊特攻兵器白根熊三白沙 (特設測量艦)花月 (駆逐艦)蟹ケ谷響 (吹雪型駆逐艦)鎮守府 (日本海軍)遣支艦隊聯合艦隊解散之辞草鹿龍之介菊花紋章菊水作戦菊池朝三駆逐艦高砂丸高田利種高橋三吉高橋伊望鬼怒 (軽巡洋艦)護衛艦隊鮫島員規豊田副武鳳翔 (空母)軍令部軍艦軽巡洋艦黄海海戦 (日露戦争)黄海海戦 (日清戦争)輸送艦龍田 (軽巡洋艦)近藤信竹霜月 (駆逐艦)震洋舟越楫四郎航空艦隊航空集団開発隊群蔦 (橘型駆逐艦)野風 (駆逐艦)野村直邦自衛艦隊自衛艦隊司令官金剛 (戦艦)長門 (戦艦)長良 (軽巡洋艦)酒匂 (軽巡洋艦)艦橋若葉 (初春型駆逐艦)雲鷹 (空母)雷 (吹雪型駆逐艦)電 (吹雪型駆逐艦)連合艦隊 (映画)連合艦隊司令長官連合艦隊司令長官 山本五十六陸奥 (戦艦)柳 (松型駆逐艦)掃海隊群林立果揚陸指揮艦東宝東郷平八郎松 (松型駆逐艦)松島 (防護巡洋艦)松林宗恵杉 (松型駆逐艦)桐 (松型駆逐艦)桜 (松型駆逐艦)桃 (松型駆逐艦)桑 (松型駆逐艦)梅 (松型駆逐艦)椿 (松型駆逐艦)楡 (橘型駆逐艦)楢 (松型駆逐艦)楓 (松型駆逐艦)榧 (松型駆逐艦)榛名 (戦艦)槇 (松型駆逐艦)横浜市樫 (松型駆逐艦)樺山可也樅 (松型駆逐艦)機動部隊橘 (橘型駆逐艦)檜 (松型駆逐艦)欅 (松型駆逐艦)武蔵 (戦艦)毛沢東水無月 (睦月型駆逐艦)水木しげる氷川丸汐風 (駆逐艦)波勝 (標的艦)波風 (駆逐艦)港北区清澄丸 (特設巡洋艦)漣 (吹雪型駆逐艦)潮 (吹雪型駆逐艦)潜水艦隊濱野英次郎朝顔 (駆逐艦)朝日 (戦艦)朝日丸木更津市情報業務群戦艦明石 (工作艦)海上護衛総司令部海上護衛隊海上自衛隊海運海軍海軍航空隊海軍陸戦隊海龍 (潜水艇)海洋業務・対潜支援群斎藤半六日向 (戦艦)日吉 (横浜市)日中戦争日露戦争日進 (水上機母艦)日清戦争日本海海戦早霜 (駆逐艦)旭日旗旗風 (駆逐艦)旗艦摂津 (標的艦)支那方面艦隊愛国丸 (特設巡洋艦)敷島 (戦艦)慶應義塾大学扶桑 (戦艦)曙 (吹雪型駆逐艦)1923年1944年1945年1981年 インデックスを展開 (222 もっと) »

加藤友三郎

加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。.

新しい!!: 連合艦隊と加藤友三郎 · 続きを見る »

原敢二郎

原 敢二郎(はら かんじろう、1880年11月22日 - 1948年4月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と原敢二郎 · 続きを見る »

卯月 (睦月型駆逐艦)

卯月(うづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の4番艦である。艦名は旧暦で4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

新しい!!: 連合艦隊と卯月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

千代田 (空母)

千代田(ちよだ)は、旧日本海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の二番艦として開発、後に甲標的母艦に改装し1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: 連合艦隊と千代田 (空母) · 続きを見る »

千歳 (空母)

千歳(ちとせ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の一番艦として建造され、1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: 連合艦隊と千歳 (空母) · 続きを見る »

南遣艦隊

南遣艦隊(なんけんかんたい)は戦史叢書102巻、528頁「南遣艦隊」、大日本帝国海軍の部隊戦史叢書102巻、523-524頁「付録第7 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(6)第1次上海事変から大東亜戦争開戦までの艦隊の新設・解隊」。 南遣艦隊の符号はKFで、第一南遣艦隊は1KF、第二南遣艦隊は2KF、第三南遣艦隊は3KF、第四南遣艦隊は4KFとなる。.

新しい!!: 連合艦隊と南遣艦隊 · 続きを見る »

南西方面艦隊

南西方面艦隊(なんせいほうめんかんたい)は戦史叢書102巻、530頁「南西方面艦隊」、大日本帝国海軍によって1942年(昭和17年)4月10日戦史叢書102巻、115頁「昭和17年(1942年)4月10日」に編制された艦隊である戦史叢書102巻、524-526頁「付録第77 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(7)大東亜戦争間における艦隊の新設・解隊」。 軍隊符号はGKF。 連合艦隊軍隊区分では、南西方面部隊(昭和17年5月20日、南方部隊より改称)となる。担当地域は前線から離れていたものの、太平洋戦争後半の連合軍フィリピン反攻の際は最前線部隊として交戦した。.

新しい!!: 連合艦隊と南西方面艦隊 · 続きを見る »

南東方面艦隊

南東方面艦隊(なんとうほうめんかんたい)は1942(昭和17)年12月に編成された大日本帝国海軍の艦隊のことである。.

新しい!!: 連合艦隊と南東方面艦隊 · 続きを見る »

南清艦隊

南清艦隊(なんしんかんたい)とは、日露戦争後の1905年(明治38年)12月に編成された、日本海軍の艦隊の一つである。.

新しい!!: 連合艦隊と南清艦隊 · 続きを見る »

司令部

司令部(しれいぶ)とは、広義の司令官がその職務を行う統帥機構をいう。司令官が総司令官と称する場合は総司令部と、下級部隊のそれは本部ということが通常であるが、本記事では原則として区別することなく広義の司令部について記述する。英語ではheadquartersで単複同形。「指令部」の表記は誤記。.

新しい!!: 連合艦隊と司令部 · 続きを見る »

名古屋丸

名古屋丸(なごやまる)は、石原産業海運、南洋海運が運航していた貨客船。同型船に「淨寶縷丸」(浄宝縷丸)がある。太平洋戦争では日本海軍に徴傭されて特設潜水母艦、特設航空機運搬艦として運用された。.

新しい!!: 連合艦隊と名古屋丸 · 続きを見る »

名取 (軽巡洋艦)

名取(なとり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の3番艦である。その艦名は、宮城県を流れる名取川より名づけられた。.

新しい!!: 連合艦隊と名取 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

吉岡範策

吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日 - 1930年3月19日)は、日本海軍の軍人。海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と吉岡範策 · 続きを見る »

吉田善吾

吉田 善吾(よしだ ぜんご、明治18年(1885年)2月14日 - 昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官を歴任した。.

新しい!!: 連合艦隊と吉田善吾 · 続きを見る »

報国丸 (特設巡洋艦)

報国丸(ほうこくまる)は、大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船の内の1船。日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦としてインド洋を中心に通商破壊を行った。.

新しい!!: 連合艦隊と報国丸 (特設巡洋艦) · 続きを見る »

堀内三郎

堀内 三郎(ほりのうち さぶろう、1870年1月6日 (明治2年12月6日) - 1933年12月20日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と堀内三郎 · 続きを見る »

塩沢幸一

塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。.

新しい!!: 連合艦隊と塩沢幸一 · 続きを見る »

大山祇神社

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。式内社(名神大社)、伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布する。.

新しい!!: 連合艦隊と大山祇神社 · 続きを見る »

大和 (戦艦)

呉海軍工廠で建造中の戦艦大和。後尾から艦橋方向を捉えたショットで、工事も終盤を迎えて主砲、副砲、照準用の測距儀などは艤装(ぎそう.

新しい!!: 連合艦隊と大和 (戦艦) · 続きを見る »

大和型戦艦

大和型戦艦(やまとがたせんかん)は、大日本帝国海軍(以下海軍)が建造した戦艦の一艦型。大日本帝國海軍が建造した最後の戦艦艦型。建造された戦艦として、排水量、主砲口径、共に史上最大である。.

新しい!!: 連合艦隊と大和型戦艦 · 続きを見る »

大鳳 (空母)

大鳳(たいほう)は、日本海軍の航空母艦。日本の空母としては初めて飛行甲板に装甲を張るなど技術的に最も発達を遂げた艦であったが、1944年6月19日のマリアナ沖海戦においてアメリカ海軍の潜水艦の雷撃で損傷した後に航空用ガソリンタンクから漏洩し、引火したため大爆発を起こして沈没した。わずか3カ月の艦歴だった。.

新しい!!: 連合艦隊と大鳳 (空母) · 続きを見る »

大鷹 (空母)

大鷹(たいよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.39「達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝国艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)」。.

新しい!!: 連合艦隊と大鷹 (空母) · 続きを見る »

大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

新しい!!: 連合艦隊と大東亜戦争 · 続きを見る »

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

新しい!!: 連合艦隊と大正 · 続きを見る »

大淀 (軽巡洋艦)

大淀(おおよど/おほよど)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)#達昭和17年3月(1)p.10『達第六十六號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|二等巡洋艦 大淀(オホヨド)』。 その艦名は、宮崎県下の最大河川である大淀川から因んで名付けられた。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦でもある。昭和十四年度に着手された第四次軍備充実計画(通称マル4計画)により巡洋艦乙昭和13年9月19日付 海軍省『昭和14年度海軍軍備充実計画細項ニ関スル対大蔵省説明資料』、昭和13年7月11日付 艦政本部総務部第一課『次期補充計画艦種ノ仮称ニ関スル件覚』など。海軍省が作成調製した資料では、乙巡、丙巡の文言は使用されていない。(阿賀野型軽巡洋艦)と共に巡洋艦丙として計画され建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と大淀 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

大湊直太郎

大湊 直太郎(おおみなと なおたろう、1879年(明治12年)7月1日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と大湊直太郎 · 続きを見る »

大浜 (標的艦)

大浜/大濱(おおはま/おほはま)は、日本海軍の標的艦。大浜型標的艦の1番艦で、艦名は広島県因島にある「大浜埼」に由来する。.

新しい!!: 連合艦隊と大浜 (標的艦) · 続きを見る »

大日本帝国

大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、大日本帝國)は、日本国の国号の一つ。江戸時代末期に外交文書に使用され始め、1946年頃まで公式に使用された。なお、「大日本帝国」と定めた法律は存在しないため、日本の通称または大日本帝国憲法下の日本の通称の一つとして扱われる。 一般には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。最盛時には現在の日本の領土に加え、南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾・澎湖列島・新南群島などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。 以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。.

新しい!!: 連合艦隊と大日本帝国 · 続きを見る »

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: 連合艦隊と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

大日本帝国海軍艦艇一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん、List of Japanese Imperial Navy Naval ship)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。この一覧はウィキペディア内に記事があるかを確認する便宜のためにあり、新規記事が到着したときにはここに追加される。 なお、陸軍船舶兵が保有していた船舶は大日本帝国陸軍兵器一覧#船舶を参照 なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷、大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦には斜線で表記する。.

新しい!!: 連合艦隊と大日本帝国海軍艦艇一覧 · 続きを見る »

天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

新しい!!: 連合艦隊と天皇 · 続きを見る »

太平洋艦隊 (アメリカ海軍)

アメリカ太平洋艦隊(アメリカたいへいようかんたい、United States Pacific Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊である。部隊管理については海軍作戦本部の指揮を受け、作戦指揮上はアメリカ太平洋軍 (U.S. Pacific Command/ PACOM) の指揮を受ける。担当海域は、南アメリカ近海・アラビア海を除く、太平洋およびインド洋である。.

新しい!!: 連合艦隊と太平洋艦隊 (アメリカ海軍) · 続きを見る »

太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

新しい!!: 連合艦隊と太平洋戦争 · 続きを見る »

夕凪 (2代神風型駆逐艦)

夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕凪ユフナギ トス』。神風型(2代目)の9番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 建造時の艦名は第十七号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』-『(驅逐艦名)夕凪ユフナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)記載なし』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕凪」#達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』に続いて2隻目。.

新しい!!: 連合艦隊と夕凪 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

夕風 (駆逐艦)

夕風(ゆうかぜ/ゆふかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の10番艦である。艦名は夕方または日暮れに吹く風を意味する。.

新しい!!: 連合艦隊と夕風 (駆逐艦) · 続きを見る »

夕月 (駆逐艦)

夕月(ゆうづき/ゆふづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕月ユフヅキ トス』。.

新しい!!: 連合艦隊と夕月 (駆逐艦) · 続きを見る »

威海衛の戦い

威海衛の戦い(いかいえいのたたかい)は、日清戦争における戦闘である。その日本陸海軍共同作戦の目的は、第二期作戦(直隷決戦)にむけて制海権を完全に掌握するため、威海衛湾に立てこもる北洋艦隊の残存艦艇撃滅と海軍基地の制圧にあった。.

新しい!!: 連合艦隊と威海衛の戦い · 続きを見る »

室戸 (給炭艦)

室戸(むろと)は日本海軍の給炭艦で、室戸型給炭艦の1番艦。艦名は室戸岬による。1944年に潜水艦の雷撃により沈没。.

新しい!!: 連合艦隊と室戸 (給炭艦) · 続きを見る »

宵月 (駆逐艦)

宵月(よいづき/よひづき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の10番艦。 艦名は宵の月、夕方の月の意味。.

新しい!!: 連合艦隊と宵月 (駆逐艦) · 続きを見る »

宗谷 (船)

宗谷(そうや)は、数奇な運命をたどった日本の砕氷船である。海上保安庁の巡視船としての船番号は PL107。昭和期の多くの歴史的事件に関わり、特に1956年から1962年まで南極観測船(初代)を務め日本の南極観測事業の礎を築いたことで知られる。海上保安庁の船としては現存する唯一の保存船で他に志賀があったが、1998年に解体されて現存しない。、1940年から1945年まで大日本帝国海軍の特務艦日本補助艦艇物語232-233頁『(4)運送艦(雑用)宗谷(二代)』として活躍した、現存する数少ない(見方によっては唯一の三笠は、ワシントン海軍軍縮条約によって軍艦籍から除かれた後、岸壁に固定され「工作物」の扱いとなっている。)帝国海軍艦船でもある。.

新しい!!: 連合艦隊と宗谷 (船) · 続きを見る »

宇垣纏

宇垣 纒(うがきまとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。.

新しい!!: 連合艦隊と宇垣纏 · 続きを見る »

寺島健

寺島 健(てらじま けん、1882年(明治15年)9月23日 - 1972年(昭和47年)10月30日)は、日本の海軍軍人、政治家。海軍中将で予備役となったのち、東條内閣で逓信大臣、鉄道大臣を務めた。.

新しい!!: 連合艦隊と寺島健 · 続きを見る »

小林謙五

小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と小林謙五 · 続きを見る »

小沢治三郎

小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。.

新しい!!: 連合艦隊と小沢治三郎 · 続きを見る »

山城 (戦艦)

山城(やましろ)は、大日本帝国海軍(日本海軍)の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と山城 (戦艦) · 続きを見る »

山中柴吉

山中 柴吉(やまなか しばきち、1870年3月7日(明治3年2月6日) - 1941年6月21日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と山中柴吉 · 続きを見る »

山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。.

新しい!!: 連合艦隊と山本五十六 · 続きを見る »

山本権兵衛

山本 権兵衛(やまもと ごんのひょうえ、1852年11月26日(嘉永5年10月15日) - 1933年(昭和8年)12月8日)は、日本の武士、海軍軍人、政治家。階級・位階・勲等・功級・爵位は海軍大将従一位大勲位功一級伯爵。 元来は「ごんべえ」であるが、進水式で祝詞用に神主がつけた名前で宮中でも使用した「ごんのひょうえ」を公称としていた。 海軍大臣(第11・12・13代)、内閣総理大臣(第16・22代)、外務大臣(第37代)などを歴任した。.

新しい!!: 連合艦隊と山本権兵衛 · 続きを見る »

岩下保太郎

岩下 保太郎(いわした やすたろう、1887年(明治20年)6月10日 - 1937年(昭和12年)2月18日は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 連合艦隊と岩下保太郎 · 続きを見る »

島村速雄

島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物」などと評される。.

新しい!!: 連合艦隊と島村速雄 · 続きを見る »

嶋田繁太郎

嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。.

新しい!!: 連合艦隊と嶋田繁太郎 · 続きを見る »

川崎市

川崎市(かわさきし)は神奈川県の北東部に位置する政令指定都市で、7区の行政区を持つ。 政令指定都市の中では最も面積が小さいが、人口は都道府県庁所在地以外の市の中では最大である。2017年4月26日には、4月24日現在の人口が1,500,052人に達したと発表した。 市内全域が旧武蔵国に含まれる。神奈川県内の市町村では唯一、相模国に属していた地域を含まない。.

新しい!!: 連合艦隊と川崎市 · 続きを見る »

巡洋艦

巡洋艦(じゅんようかん、)は遠洋航行能力・速度等を生かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって異なる。.

新しい!!: 連合艦隊と巡洋艦 · 続きを見る »

上村彦之丞

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。渾名は「船乗り将軍」。.

新しい!!: 連合艦隊と上村彦之丞 · 続きを見る »

中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

新しい!!: 連合艦隊と中華人民共和国 · 続きを見る »

中部太平洋方面艦隊

中部太平洋方面艦隊(ちゅうぶたいへいようほうめんかんたい)は、アメリカ軍の中部太平洋方面侵攻(マリアナ・パラオ・トラック方面)に備え、点在する各海軍部隊および陸軍部隊を統括指揮する目的で編制された日本海軍の艦隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と中部太平洋方面艦隊 · 続きを見る »

常備艦隊

常備艦隊(じょうびかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。1889年に「常備小艦隊」を改編した艦隊である。1903年に第一艦隊と第二艦隊に分割するまで存続した。 この項では、常備艦隊に至る日本海軍の艦隊を含めて記述する。.

新しい!!: 連合艦隊と常備艦隊 · 続きを見る »

三宅 (海防艦)

三宅(みやけ)は、大日本帝国海軍の海防艦。御蔵型海防艦の一隻。.

新しい!!: 連合艦隊と三宅 (海防艦) · 続きを見る »

三笠 (戦艦)

三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存している。.

新しい!!: 連合艦隊と三笠 (戦艦) · 続きを見る »

五十鈴 (軽巡洋艦)

五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。完成時は高速軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、松永貞市、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出した。.

新しい!!: 連合艦隊と五十鈴 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

伊号第六十潜水艦

伊号第六十潜水艦(いごうだいろくじゅうせんすいかん)は大日本帝国海軍の潜水艦。海大3b型(伊156型)の4番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第六十潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十七潜水艦

伊号第百五十七潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十六型潜水艦(海大III型b)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第五十七潜水艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十七潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十三潜水艦

伊号第百五十三潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第五十三潜水艦(初代)。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十三潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十九潜水艦

伊号第百五十九潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十六型潜水艦(海大III型b)の3番艦。竣工時の艦名は伊号第五十九潜水艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十九潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十五潜水艦

伊号第百五十五潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の3番艦。竣工時の艦名は伊号第五十五潜水艦(初代)。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十八潜水艦

伊号第百五十八潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の4番艦。竣工時の艦名は伊号第五十八潜水艦(初代)。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十八潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十六潜水艦

伊号第百五十六潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十六型潜水艦(海大III型b)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第五十六潜水艦(初代)。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十六潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百五十四潜水艦

伊号第百五十四潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第五十四潜水艦(初代)。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百五十四潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百六十二潜水艦

伊号第百六十二潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十一型潜水艦(海大IV型)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第六十二潜水艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百六十二潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百六十五潜水艦

伊号第百六十五潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第六十五潜水艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百六十五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百六十六潜水艦

伊号第百六十六潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第六十六潜水艦。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百六十六潜水艦 · 続きを見る »

伊号第百六十四潜水艦

伊号第百六十四潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十二型潜水艦(海大IV型)の3番艦。竣工時の艦名は伊号第六十四潜水艦。改名は戦没以後(亡失認定前)であり、伊164としての実際の活動は行っていない。.

新しい!!: 連合艦隊と伊号第百六十四潜水艦 · 続きを見る »

伊勢 (戦艦)

航空戦艦改装後の伊勢 伊勢(いせ)は、日本海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦である。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。 艦名の由来は三重県の伊勢国からで、戦後海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の2番艦「いせ」に引き継がれた。歴代艦長として山口多聞、古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。.

新しい!!: 連合艦隊と伊勢 (戦艦) · 続きを見る »

伊藤正徳 (軍事評論家)

伊藤 正徳(いとう まさのり、1889年(明治22年)10月18日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は日本のジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し、大海軍記者と称された。.

新しい!!: 連合艦隊と伊藤正徳 (軍事評論家) · 続きを見る »

伊藤整一

伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: 連合艦隊と伊藤整一 · 続きを見る »

伊東祐亨

伊東 祐亨(いとう ゆうこう / すけゆき、天保14年5月20日『平成新修旧華族家系大成』上巻、159頁。(1843年6月17日) - 大正3年(1914年)1月16日)は、日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、華族。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。初代連合艦隊司令長官を務めた。通称は四郎左衛門、四郎。号は碧海。家紋は庵木瓜。.

新しい!!: 連合艦隊と伊東祐亨 · 続きを見る »

北上 (軽巡洋艦)

北上(きたかみ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の3番艦。その艦名は、岩手県・宮城県を流れる北上川より名づけられた。.

新しい!!: 連合艦隊と北上 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

北東方面艦隊

北東方面艦隊(ほくとうほうめんかんたい)は、アリューシャン列島・千島列島・樺太方面の哨戒・警備に当たることを目的として編成された日本海軍の艦隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と北東方面艦隊 · 続きを見る »

ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; Battle of Midway)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)~7日(6月3日から5日とする場合もある)、ミッドウェー島付近での海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生、日本海軍の機動部隊と米国の機動部隊及び同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は航空母艦4隻とその艦載機多数を一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。.

新しい!!: 連合艦隊とミッドウェー海戦 · 続きを見る »

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)は、太平洋戦争においてあ号作戦として1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍とアメリカ海軍空母機動部隊の海戦。アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。アメリカ側の作戦名は、海上作戦を含むサイパン島攻略作戦全体についてフォレージャー作戦(「掠奪者作戦」の意味)と命名されていた。 マリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍を日本軍が迎撃した本作戦では、日本はアウトレンジ戦法による航空作戦を行うが、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄されるほどの一方的な敗北となり、日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に陥ちた。.

新しい!!: 連合艦隊とマリアナ沖海戦 · 続きを見る »

ハワイ州

ハワイ州(State of Hawaii 、Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州である。漢字では「布哇」と書く。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル (2,400 km) にわたっている。州全体が島だけで構成されることではアメリカ合衆国で唯一の州である。アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。130万人を超える人口の他に常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。.

新しい!!: 連合艦隊とハワイ州 · 続きを見る »

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

新しい!!: 連合艦隊とレイテ沖海戦 · 続きを見る »

ドラマ

ドラマ(drama)とは、演劇、芝居すなわち劇のことである。これは観客の目の前の舞台で生の俳優が演じる演劇だけでなく、ラジオの音声やテレビ画面で聞かせたり見せたりする劇、すなわちラジオドラマやテレビドラマをも指す。こういった意味以外に戯曲・脚本をもドラマと言う。また劇的な事件や劇作品のストーリー・物語上の大きな山場を指してドラマとも言う。.

新しい!!: 連合艦隊とドラマ · 続きを見る »

初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

新しい!!: 連合艦隊と初霜 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

初春 (初春型駆逐艦)

初春(はつはる)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』。 一等駆逐艦初春型の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初春」に続いて2隻目。 大改装前の子日と初春.

新しい!!: 連合艦隊と初春 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

呂号第三十三潜水艦

呂号第三十三潜水艦(ろごうだいさんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十三型潜水艦(海中6型)の1番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と呂号第三十三潜水艦 · 続きを見る »

呂号第三十四潜水艦

呂号第三十四潜水艦(ろごうだいさんじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十三型潜水艦(海中6型)の2番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と呂号第三十四潜水艦 · 続きを見る »

りおでじゃねろ丸

りおでじゃねろ丸(りおでじゃねろまる、Rio de Janeiro Maru、りおで𛁈゛やねろ丸(りおでalt.

新しい!!: 連合艦隊とりおでじゃねろ丸 · 続きを見る »

オプテンノール (船)

プテンノール(オプテンノート, Op Ten Noort)は、1927年にオランダ王立郵船会社(:nl:Koninklijke Paketvaart Maatschappij, KPM)が就航させた旅客船である。太平洋戦争の勃発後、オランダ海軍に徴用されて病院船となったが、1942年(昭和17年)2月下旬のスラバヤ沖海戦で日本海軍により拘束された。その後、天応丸(てんのうまる)や第二氷川丸(だい2ひかわまる)の名で、日本海軍の病院船として運航された。終戦直後の1945年(昭和20年)8月19日、舞鶴沖合(若狭湾)で自沈処分。戦後は、賠償問題や財宝伝説により注目された。.

新しい!!: 連合艦隊とオプテンノール (船) · 続きを見る »

ガダルカナル島

島内にアメリカ合衆国が建てた慰霊碑 ガダルカナル島(ガダルカナルとう、)は、ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称のガ島から餓島(がとう)とも呼ばれた。その面積は千葉県よりやや広い。.

新しい!!: 連合艦隊とガダルカナル島 · 続きを見る »

ゲゲゲの女房

『ゲゲゲの女房』(ゲゲゲのにょうぼう)は、漫画家水木しげるの妻・武良布枝が著した自伝エッセイ。2008年3月7日に実業之日本社より刊行された。また、文庫判が2011年9月8日に実業之日本社文庫より刊行された。 同書を原案として、2010年度上半期にNHK連続テレビ小説の82作品目としてテレビドラマ化、また2010年に映画化、2011年に舞台化された。.

新しい!!: 連合艦隊とゲゲゲの女房 · 続きを見る »

シーレーン

ーレーンとは、一国の通商上・戦略上、重要な価値を有し、有事に際して確保すべき海上交通路のことである。英語の類義語はSLOCs(Sea Lines of Communication)である。.

新しい!!: 連合艦隊とシーレーン · 続きを見る »

サンディエゴ

ンディエゴ(San Diego)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州にある都市。アメリカ西海岸有数の世界都市であり、州内ではロサンゼルスに次いで人口が多い。.

新しい!!: 連合艦隊とサンディエゴ · 続きを見る »

冲鷹 (空母)

母改装前の新田丸(1940年) 冲鷹(ちゅうよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.21「達第二百三十四號 呉海軍工廠ニ於テ艤装中ノ汽船新田丸ヲ左ノ通命名セラル 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 冲鷹(チュウヨウ)」。.

新しい!!: 連合艦隊と冲鷹 (空母) · 続きを見る »

出羽重遠

出羽 重遠(でわ しげとお、安政2年12月10日(1856年1月17日) - 昭和5年(1930年)1月27日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。栄典は正二位・勲一等・功二級・男爵。.

新しい!!: 連合艦隊と出羽重遠 · 続きを見る »

回天

回天(かいてん)は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり戦史叢書102巻、330頁「回天(マル6〈まるろく〉金物)」、日本軍初の特攻兵器である。.

新しい!!: 連合艦隊と回天 · 続きを見る »

皐月 (睦月型駆逐艦)

月(さつき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 皐サ 月ツキ トス』。睦月型駆逐艦の5番艦である。艦名は旧暦の5月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である「皐月」があるため、こちらは「皐月 (2代)」や「皐月II」などとも表記される。竣工時の艦名は第二十七号駆逐艦#S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.3『艦艇名改正表(一)一等驅逐艦|第二十二驅逐隊|第二十七號驅逐艦|皐サ月ツキ|/|第二十八號驅逐艦|水ミ無ナ月ヅキ|/|第二十九號驅逐艦|文フミ月ツキ|/|第三十號驅逐艦|長ナガ月ツキ|』。.

新しい!!: 連合艦隊と皐月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

矢風 (標的艦)

(やかぜ)は、日本海軍 の標的艦。竣工時は峯風型駆逐艦の6番艦。戦後解体。艦名は矢が飛んでいるときに生じる風のこと。.

新しい!!: 連合艦隊と矢風 (標的艦) · 続きを見る »

矢野志加三

野 志加三(やの しかぞう、1893年(明治26年)8月5日 - 1966年(昭和41年)1月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と矢野志加三 · 続きを見る »

神威 (水上機母艦)

威当時は「神」は旧字体により「示+申」と表記された。(かもい/かもゐ)は、日本海軍の運送艦(給油艦)、のち水上機母艦。 アメリカ合衆国で建造幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ118(原本190頁)『神威(かもゐ) 艦種 水上機母艦  艦名考 岬名なり、後志國神威岬に採る、神威岬は方俗古來御オカ神ムイと云ふ。  艦歴 此艦は所謂米國式の實費計算に據り米國へ註文したるものにして、我海軍に於て目下電氣推進による唯一の船なり。大正11年12月15日横須賀着。元特務艦(運送船)なりしも、昭和9年6月1日軍艦に編入、水上機母艦となる。昭和6・7年事變(日支)從軍:同8年2月熱河方面作戰に協力(艦長大佐竹田六吉)  ―要目― 長さ 151.18米/幅 20.42米/吃水 8.43米/排水量 17,000噸/機關 電氣推進2軸/馬力 8,000/速力 15節/兵装 14糎砲2門 8糎高角砲2門/起工 大正10-9-14/進水 同11-6-8/竣工 同11-9-12/建造所 紐育シップビルヂング社』。 太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった日本空母物語358-361頁『神かも威い』魚雷艇をのぞく。また太平洋戦争中の日本海軍は、ドイツで建造された空母神鷹《改造当初は電気推進式艦》や、鹵獲艦艇の第102号哨戒艇《元アメリカ駆逐艦スチュアート》等の海外建造艦艇を保有した。。 艦名は北海道(後志国)積丹半島の「神威岬」による。.

新しい!!: 連合艦隊と神威 (水上機母艦) · 続きを見る »

神風 (2代神風型駆逐艦)

本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする(かみかぜ)は日本海軍の2代目神風型駆逐艦の1番艦#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪」。1922年(大正11年)に竣工した日本軍艦集2600年版p.47「一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。」。日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の初代神風型駆逐艦・神風に続いて2隻目。太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で輸送や護衛に従事した。ペナン沖海戦、米潜水艦ホークビルとの死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。.

新しい!!: 連合艦隊と神風 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

福留繁

福留 繁(ふくとめ しげる、1891年(明治24年)2月1日 - 1971年(昭和46年)2月6日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校40期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と福留繁 · 続きを見る »

秋風 (駆逐艦)

秋風(あきかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。 峯風型駆逐艦(一等駆逐艦)の9番艦である。艦名は立秋に秋の気配を感じさせる風を意味する。.

新しい!!: 連合艦隊と秋風 (駆逐艦) · 続きを見る »

秋霜 (駆逐艦)

秋霜(あきしも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46「達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇」。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の18番艦である。.

新しい!!: 連合艦隊と秋霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

秋津洲 (水上機母艦)

秋津洲(あきつしま)は、大日本帝国海軍の水上機母艦#達昭和16年6月pp.55-56「達第二百十九號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦一隻、驅潜艇二隻、敷設艇一隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年六月三十日 海軍大臣及川古志郎|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 水上機母艦 秋津洲(アキツシマ)|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十三號驅潜艇|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 第二十六號驅潜艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 敷設艇 石埼(イシザキ)|株式會社横濱ヨット工作所ニ於テ建造 第一號魚雷艇 第二號魚雷艇 第三號魚雷艇」#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.2「軍艦|水上機母艦|能登呂、神威、千歳、千代田、瑞穂、日進、秋津洲」。 秋津洲型の1番艦(同型艦は建造されず)#海軍軍備(4)p.37「(イ)計畫の内容 飛行艇母艦|單艦屯數(基準排水量)四,六五〇|(隻数)三|(合計屯數)一三,九五〇|(艦型)秋津洲型|(速力/航續距離)三七.五/一四〜七,五〇〇|(主要兵装)十二.七糎二聯装砲 二/二十五粍三聯機銃 二/飛行機 一」。 日本海軍の類別上は水上機母艦だが#内令昭和16年6月(3)p.32〔内令第七百三十四號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十六年六月三十日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、水上機母艦ノ項中「日進」ノ下ニ「、秋津洲」ヲ加フ|驅潜艇、第十三號型ノ項中「第二十二號」ノ下ニ「、第二十三號、第二十六號」ヲ加フ〕、実際には大型飛行艇への補給、整備を任務とする艦艇であり、飛行艇母艦と呼ばれる事もある#福井空母物語345-346頁「飛行艇母艦たる水上機母艦」。 艦名は明治期の防護巡洋艦秋津洲に続き2代目。秋津洲とは、日本の別称。.

新しい!!: 連合艦隊と秋津洲 (水上機母艦) · 続きを見る »

竹 (松型駆逐艦)

竹 (たけ) は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。.

新しい!!: 連合艦隊と竹 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

第十一航空艦隊 (日本海軍)

十一航空艦隊は、大日本帝国海軍の部隊の1つ。太平洋戦争時からあった外地向けの基地航空部隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と第十一航空艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第十方面艦隊

十方面艦隊(だいじゅうほうめんかんたい)とは、昭和20年(1945年)2月5日に日本海軍が編成した艦隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と第十方面艦隊 · 続きを見る »

第七艦隊 (日本海軍)

七艦隊(だいななかんたい)は日本海軍の艦隊の一つ。太平洋戦争末期に、西内海地域の関門、対馬、朝鮮各海峡防衛と船舶の安全輸送確保の為に編制された艦隊である。艦隊司令部は福岡県門司に設置された。.

新しい!!: 連合艦隊と第七艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第三十一戦隊

三十一戦隊(だい31せんたい)とは、日本海軍の戦隊の一つ。太平洋戦争後期、敵潜水艦を積極的に発見・攻撃するための対潜機動部隊として戦史叢書45巻、359-360頁「対潜機動部隊を新編す」、1944年(昭和19年)8月20日に編制された戦史叢書45巻、361-364頁「第三十一戦隊の新編」戦史叢書37巻、76-78頁「対潜撃滅戦隊の創設」。レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では小沢機動部隊に所属して戦闘に参加、以後は多号作戦や礼号作戦など、通常の水雷戦隊任務にも投入された。戦争末期には本土決戦に備えて敵上陸船団に対する水上戦闘任務に転用された(海上挺進部隊)。.

新しい!!: 連合艦隊と第三十一戦隊 · 続きを見る »

第三艦隊 (日本海軍)

三艦隊(だいさんかんたい)は、大日本帝国海軍の部隊の一つ。常設だった第一艦隊・第二艦隊と違い、必要に応じて編制・解散される特設艦隊であったため、日露戦争から太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。.

新しい!!: 連合艦隊と第三艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第一号輸送艦

一号輸送艦(だいいちごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の1番艦。全21隻中最初に竣工し、最初に沈没した。.

新しい!!: 連合艦隊と第一号輸送艦 · 続きを見る »

第一遣外艦隊

一遣外艦隊(だいいちけんがいかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。前身は1917年12月に新設された第7戦隊。1918年2月に独立し遣支艦隊となり、さらに1919年8月第一遣外艦隊に改編された。上海に駐留し、主に揚子江流域の警備を担当した。 1932年の第一次上海事変を契機に、中国方面への警備強化が急務となり、日本海軍は第一・第二遣外艦隊(1927年編成、主に青島周辺の警備を担当)に増援部隊を派遣し、これらの部隊を統括する第三艦隊が新たに編成された。2個遣外艦隊は翌年まで戦隊への組み換えを行わなかったため、第三艦隊の中に2個艦隊が存在する状態が約1年3ヶ月続いた。1933年5月に第一・第二遣外艦隊をそれぞれ第11・第10戦隊に組み替えて、通常の艦隊編制となった。.

新しい!!: 連合艦隊と第一遣外艦隊 · 続きを見る »

第一航空艦隊

一航空艦隊(だいいちこうくうかんたい)とは、日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊。1941年(昭和16年)4月10日に新編された。この艦隊を中核に、他の艦隊から臨時編入された艦艇を組み合わせ、世界初の空母機動部隊として運用された。 太平洋戦争後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として作戦を行う機動航空部隊として運用された。.

新しい!!: 連合艦隊と第一航空艦隊 · 続きを見る »

第一艦隊 (日本海軍)

一艦隊(だいいちかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。.

新しい!!: 連合艦隊と第一艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第一機動艦隊

一機動艦隊(だいいちきどうかんたい)とは、日本海軍の艦隊である。戦艦を中心とする第二艦隊と空母部隊の第三艦隊を編合して編制された。第一機動艦隊司令長官は第三艦隊司令長官が兼任した。 従来の「機動部隊」という名称は軍隊区分による名称に過ぎなかったが、第一機動艦隊の編制で「機動」という語が建制の艦隊の部隊号として初めて採択された別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 74頁。.

新しい!!: 連合艦隊と第一機動艦隊 · 続きを見る »

第一次上海事変

一次上海事変(だいいちじシャンハイじへん)は、1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突である。.

新しい!!: 連合艦隊と第一次上海事変 · 続きを見る »

第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

新しい!!: 連合艦隊と第一次世界大戦 · 続きを見る »

第九艦隊 (日本海軍)

九艦隊(だいきゅうかんたい)とは、昭和18年(1943年)11月15日に日本海軍が編成した艦隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と第九艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第二十二号海防艦

二十二号海防艦本来の艦名表記は第二十二號海防艦(1945年12月20日から1946年6月30日までの間と、1946年8月1日以降は海第二十二號)。(だいにじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の11番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。.

新しい!!: 連合艦隊と第二十二号海防艦 · 続きを見る »

第二号輸送艦

二号輸送艦(だいにごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の2番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と第二号輸送艦 · 続きを見る »

第二遣外艦隊

二遣外艦隊(だいにけんがいかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。第一特務艦隊が移行した部隊と、第一遣外艦隊から独立させた部隊の二つがある。.

新しい!!: 連合艦隊と第二遣外艦隊 · 続きを見る »

第二艦隊 (日本海軍)

二艦隊(だいにかんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。第一艦隊とともに常設の艦隊で、ワシントン軍縮条約による大量廃艦の影響を受けた1921年度の1年間を除くと、1903年の創設から1945年の壊滅まで常時編制された。巡洋艦および巡洋戦艦を主力とした。.

新しい!!: 連合艦隊と第二艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 連合艦隊と第二次世界大戦 · 続きを見る »

第五艦隊 (日本海軍)

五艦隊(だいごかんたい)は、旧日本海軍の部隊の1つ。最初の第五艦隊は日中戦争時の1938年(昭和13年)2月1日に新編され支那方面艦隊に所属して華南方面に進出したが、1939年(昭和14年)11月15日に「第二遣支艦隊」に改称された。二代目の第五艦隊は、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)7月25日に本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に新編され、1945年(昭和20年)2月5日に解隊されて第十方面艦隊に吸収された。.

新しい!!: 連合艦隊と第五艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第八艦隊 (日本海軍)

八艦隊(だいはちかんたい)とは、昭和17年(1942年)7月14日に日本海軍が編成した艦隊である。軍隊区分上は外南洋部隊として扱われた。.

新しい!!: 連合艦隊と第八艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第六艦隊 (日本海軍)

六艦隊(だいろくかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。1940年11月15日、潜水艦部隊の一元運用を図るため、各艦隊に分散配置されていた潜水戦隊を統合して編制した。当初はアメリカ西海岸方面、インド洋方面、オーストラリア東沖方面での偵察・漸減邀撃をもくろんだ。.

新しい!!: 連合艦隊と第六艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

第四艦隊 (日本海軍)

四艦隊(だいよんかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。日露戦争末期に陸軍の樺太上陸支援のために編成された部隊と、1933年(昭和8年)より海軍大演習時の対抗部隊(赤軍)として臨時編制された部隊、日中戦争で増援のために編制され華北方面に進出した部隊、太平洋戦争時に南洋諸島防衛を目的に編制された部隊がある戦史叢書38巻72-73頁『第四艦隊誕生の経緯と艦隊編制の改定』。ここでは第四艦隊事件に遭遇した臨時編成の仮想敵部隊についても述べる。.

新しい!!: 連合艦隊と第四艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

筑摩 (重巡洋艦)

筑摩(ちくま)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦#達昭和10年9月p.21『達第百十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年九月二十八日 海軍大臣大角岑生|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 八千五百頓級巡洋艦 筑摩(チクマ)』。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の2番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。 その艦名は、筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された#幕末以降帝国軍艦写真と史実139頁『筑摩(ちくま) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用)矢矧・平戸と姉妹艦なり 艦名考川の名、千曲川に採る、川名は又筑摩川・千阿川・知隈川等に作る、此艦名には筑摩の字を適用せられたるなり、川は信濃國作久村郡の渓谷に發源し、下流信濃川となりて新潟に於て海に注ぐ。艦歴(略)昭和6年4月1日除籍。(要目略)。この名を持つ帝国海軍の艦船としては筑摩型防護巡洋艦1番艦筑摩に続いて2隻目。 筑摩は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争の重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦で沈没した。艦内神社は筑摩神社である。艦名は海上自衛隊の護衛艦に継承された。.

新しい!!: 連合艦隊と筑摩 (重巡洋艦) · 続きを見る »

翔鶴 (空母)

翔鶴(しょうかく/しやうかく)は、大日本帝国海軍の航空母艦(空母)#達昭和14年5月p.11『達第七十號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年五月十六日 海軍大臣 米内光政 航空母艦 翔鶴(シヤウカク)』。翔鶴型航空母艦の1番艦。1944年6月19日にマリアナ沖海戦で撃沈された。.

新しい!!: 連合艦隊と翔鶴 (空母) · 続きを見る »

瑞穂 (水上機母艦)

絵葉書 瑞穂(みずほ/みづほ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦(甲標的母艦)#達昭和11年12月(1)p.5『達第百八十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦二隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十二月十四日 海軍大臣永野修身|呉海軍工廠ニ於テ建造 水上機母艦 千代田(チヨダ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 水上機母艦 瑞穂(ミヅホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 峯雲(ミネグモ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 霰(アラレ)』。.

新しい!!: 連合艦隊と瑞穂 (水上機母艦) · 続きを見る »

瑞鶴 (空母)

(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦#達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦で沈没。.

新しい!!: 連合艦隊と瑞鶴 (空母) · 続きを見る »

由良 (軽巡洋艦)

由良(ゆら)は、日本海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦)ポケット海軍年鑑(1935)コマ33(原本48-49頁)『二等巡洋艦"由良 ゆら" 全要目 由良は昭和10年度は第二潜水戰隊に編入されその旗艦である。二等巡洋艦は俗に輕巡とも云はれ、ロンドン條約以來は又乙級巡洋艦と稱せられるやうになつた。即ち排水量1,850噸以上10,000噸以下の艦で備砲口徑が5.1吋を超え6.1吋(15.5糎)以下のものがこれである。この艦は全長152.40米、幅は14.40米で平均吃水4.84米。この寫眞で目新しいのは前部の飛行機滑走臺を撤去してこれを後部の5、6番14糎砲の中間にカタパルトとして移してゐることゝ、後檣を三脚式に改造されてゐる點である。煙突の白線は同型艦の多い戰隊では見分がつきがたいためそれを補ふためのマークである。』日本軍艦集(2600年版)コマ34(原本38頁)『―二等巡洋艦― 由良(ゆら) 基準排水量5,170噸、長さ152.4米、幅14.4米、平均吃水4.84米、速力33節、備砲14糎砲7門、8糎高角砲2門、魚雷發射管8門、起工大正10年5月21日、進水大正11年2月5日、竣工大正12年3月20日、建造所佐世保海軍工廠―名取と同型。なほこれらの同型艦として鬼怒(大正11年11月10日竣工)がある。』。 その艦名は、若狭湾に注ぐ由良川に因んで名付けられた幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ134(原本215頁)『由良(ゆら) 艦種二等巡洋艦 球磨型 艦名考川名に採る、由良川は丹後國にあり、音無瀬川 一名 大雲川 又は福地川の下流にして其の海口を由良港とす。 艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長大佐谷本馬太郎)。/―要目― 長152.40米/幅14.40米/喫水4.84米/排水量5,170噸/機關タルビン4臺 艦本式罐12臺/馬力90,000/速力33/兵装 14糎砲7/8糎高角砲2/發射管8 起工 大正10-5-21/進水 同11-2-15/竣工 同12-3-20/建造所 佐世保工廠』。.

新しい!!: 連合艦隊と由良 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗) 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 彗星(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)。突入後アメリカ軍が回収した遺品により搭乗員が特定された例の一つ。 フォーミダブルに特攻機(零戦)が1機突入、56名が死傷し11機の艦載機が炎上 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、「特別に編成された攻撃部隊」。略称は「特攻隊」(とっこうたい)。当記事では、攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても記述する。 語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からである。同戦争の末期には、爆弾や爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器、もしくは専用の特攻兵器を使用して体当たりし自爆するといった戦死を前提(後者)とするものが中心となった。海外の例では、第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベがある。.

新しい!!: 連合艦隊と特別攻撃隊 · 続きを見る »

特攻兵器

靖国神社の軍事博物館の遊就館の回天一型 特攻兵器(とっこうへいき)とは、戦死を前提とする特攻を目的として発明、もしくは既存の兵器を改装した兵器である。 日本の陸海軍では、劣勢となった太平洋戦争末期に戦局を打開するため、体当たり攻撃、自爆攻撃を水中、空中で行う特攻兵器が開発された。日本の他にドイツにおいても特攻兵器は開発されている(ゾンダーコマンド・エルベを参照)。.

新しい!!: 連合艦隊と特攻兵器 · 続きを見る »

白根熊三

白根 熊三(しらね くまぞう、1876年(明治9年)1月2日 - 1939年(昭和14年)8月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と白根熊三 · 続きを見る »

白沙 (特設測量艦)

白沙(はくさ)は、日本海軍が運用した特設測量艦。日中戦争中に鹵獲した中国税関監視船「福星」(フーシン、Fushing)を改装したもので、日本海軍の測量艦船としては最大で最も設備が充実していた。太平洋戦争中の1944年に特設工作艦へ再改装され、翌年には特設運送船に転籍したが、アメリカ海軍潜水艦により撃沈された。.

新しい!!: 連合艦隊と白沙 (特設測量艦) · 続きを見る »

花月 (駆逐艦)

花月(はなづき)は、日本海軍の駆逐艦#海軍公報、1944年8月(5)、pp.44-45〔 達第二七九號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦五隻、潜水艦七隻、海防艦二十二隻及輸送艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年八月二十五日 海軍大臣/舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 花月(ハナヅキ)  驅逐艦 椿(ツバキ)  第六十七號海防艦/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 楢(ナラ)  驅逐艦 柳(ヤナギ)  第四十八號海防艦 第五十八號海防艦/横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 櫻(サクラ)(以下略)〕。 秋月型の13番艦。秋月型の第2グループとして、冬月型に分類する文献もある。花とは桜の意味で花月は陰暦3月の異称である。.

新しい!!: 連合艦隊と花月 (駆逐艦) · 続きを見る »

蟹ケ谷

蟹ケ谷(かにがや)は、神奈川県川崎市高津区の大字『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.259。。2011年(平成23年)11月17日時点で、住居表示は未実施である。郵便番号は213-0025。2010年の国勢調査時点での面積は42.4 haである。.

新しい!!: 連合艦隊と蟹ケ谷 · 続きを見る »

響 (吹雪型駆逐艦)

響(ひびき)は、日本海軍の駆逐艦。特型駆逐艦の22番艦(特III・暁型の2番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「響」に続いて2隻目。 太平洋戦争で戦火により3度の甚大な損傷を蒙ったにもかかわらず沈没せず、終戦まで生き残った強運ぶりと活躍から「不沈艦」、「不死鳥」、「戦争を生きのびる運命の艦」などと形容された。.

新しい!!: 連合艦隊と響 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

鎮守府 (日本海軍)

鎮守府(ちんじゅふ)は、かつて日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関。その前身は1871年(明治4年)に兵部省内に設置された海軍提督府である。 各鎮守府は、所轄海軍区の防備、所属艦艇の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督にあたった。鎮守府司令長官(海軍大将・中将)は、軍政に関して海軍大臣、作戦計画に関して海軍軍令部長(軍令部総長)、からそれぞれ指示を受けた。.

新しい!!: 連合艦隊と鎮守府 (日本海軍) · 続きを見る »

遣支艦隊

遣支艦隊(けんしかんたい)は、旧日本海軍の部隊。.

新しい!!: 連合艦隊と遣支艦隊 · 続きを見る »

聯合艦隊解散之辞

聯合艦隊解散之辞(れんごうかんたいかいさんのじ)とは、日露戦争終結後の連合艦隊解散式において東郷平八郎長官が読み上げた訓示。海軍および海軍軍人の心得を示したものである。.

新しい!!: 連合艦隊と聯合艦隊解散之辞 · 続きを見る »

草鹿龍之介

草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。.

新しい!!: 連合艦隊と草鹿龍之介 · 続きを見る »

菊花紋章

菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)は、キク科キク属のキク(菊)を図案化した菊紋のうち、特に花の部分を中心に図案化した家紋のことである。菊花紋(きくかもん、きっかもん)、菊の御紋ともいう。単に菊紋(きくもん)と言う場合は葉、茎、花を組み合わせるか、いずれかを図案化したものも含める。.

新しい!!: 連合艦隊と菊花紋章 · 続きを見る »

菊水作戦

アメリカ海軍の高速空母部隊(第38任務部隊)、先頭は軽空母ラングレー 菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。 作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。 特攻作戦と連動して、艦上攻撃機「天山」や陸上爆撃機「銀河」、海軍指揮下の陸軍雷撃隊に所属する四式重爆撃機「飛龍」(海軍名:「靖国」)などによる夜間雷撃や、艦上爆撃機「彗星」12型などを主力とする芙蓉部隊、水上偵察機(実質的には水上爆撃機)「瑞雲」による夜間爆撃なども実施された。また、菊水1号作戦時には、航空総攻撃に呼応して、戦艦大和の水上特攻が実施された(詳細は坊ノ岬沖海戦を参照)。.

新しい!!: 連合艦隊と菊水作戦 · 続きを見る »

菊池朝三

菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。.

新しい!!: 連合艦隊と菊池朝三 · 続きを見る »

駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

新しい!!: 連合艦隊と駆逐艦 · 続きを見る »

高砂丸

丸(たかさごまる)は、.

新しい!!: 連合艦隊と高砂丸 · 続きを見る »

高田利種

利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵46期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。.

新しい!!: 連合艦隊と高田利種 · 続きを見る »

高橋三吉

橋 三吉(たかはし さんきち、明治15年(1882年)8月24日 - 昭和41年(1966年)6月15日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: 連合艦隊と高橋三吉 · 続きを見る »

高橋伊望

橋 伊望(たかはし いぼう、1888年(明治21年)4月20日 - 1947年(昭和22年)3月18日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争において司令長官職を歴任した海軍中将である。.

新しい!!: 連合艦隊と高橋伊望 · 続きを見る »

鬼怒 (軽巡洋艦)

怒(きぬ)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の5番艦である。その艦名は、栃木県、茨城県を流れる鬼怒川より名づけられた。.

新しい!!: 連合艦隊と鬼怒 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

護衛艦隊

護衛艦隊(ごえいかんたい、英称:Fleet Escort Force)は、日本の海上自衛隊の自衛艦隊に属し、護衛艦及びその他の多様な艦艇を主力とした海上自衛隊の中核を担う部隊である。潜水艦隊や掃海隊群、航空集団と共に、日本の海上防衛を担っている。.

新しい!!: 連合艦隊と護衛艦隊 · 続きを見る »

鮫島員規

鮫島 員規(さめしま かずのり、弘化2年5月10日(1845年6月14日) - 明治43年(1910年)10月14日)は、日本の海軍軍人。階級は海軍大将。勲等は勲一等。功級は功二級。爵位は男爵。.

新しい!!: 連合艦隊と鮫島員規 · 続きを見る »

豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。.

新しい!!: 連合艦隊と豊田副武 · 続きを見る »

鳳翔 (空母)

鳳翔(ほうしょう/ホウシヤウ。命名に係る本令達における「ほうしょう」の標記は「ホウシヤウ」である。)は、日本海軍初の航空母艦。 起工時から航空母艦として設計されて完成した世界初の新造空母。.

新しい!!: 連合艦隊と鳳翔 (空母) · 続きを見る »

軍令部

軍令部(ぐんれいぶ)は、日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼(ほよく)する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。.

新しい!!: 連合艦隊と軍令部 · 続きを見る »

軍艦

軍艦(ぐんかん、warship)とは、戦闘力を持つ艦艇(非武装であっても補給艦や輸送艦などを含む)の総称。特に、海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)29条に定める船舶を指すことが多いDefinition of warships: For the purposes of this Convention, "warship" means a ship belonging to the armed forces of a State bearing the external marks distinguishing such ships of its nationality, under the command of an officer duly commissioned by the government of the State and whose name appears in the appropriate service list or its equivalent, and manned by a crew which is under regular armed forces discipline.:条文で軍艦などの「艦」とつく船の定義(乗員についても)が行われている。政府用船(巡視船等)などについては“government ships”としている。。対義語は商船。 なお「戦艦」は、「軍艦」の艦種の一つだが、軍事分野以外では、両者を同義とする用例が見られるので注意が必要である。.

新しい!!: 連合艦隊と軍艦 · 続きを見る »

軽巡洋艦

軽巡洋艦(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。.

新しい!!: 連合艦隊と軽巡洋艦 · 続きを見る »

黄海海戦 (日露戦争)

海海戦(こうかいかいせん)は1904年(明治37年)8月10日に大日本帝国海軍連合艦隊とロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)との間で戦われた海戦。この海戦でロシア太平洋艦隊の艦船は激しく損傷し、以後大規模な海戦を行うことはなかった。.

新しい!!: 連合艦隊と黄海海戦 (日露戦争) · 続きを見る »

黄海海戦 (日清戦争)

海海戦(こうかいかいせん)は、1894年(明治27年)9月17日に日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋水師(北洋艦隊)の間で行われた海戦。近代的な甲鉄蒸気艦が多数投入された世界史上初の海戦となった。この海戦の結果、清国海軍は大幅に戦力を低下させ黄海と渤海の制海権を失う事になった。.

新しい!!: 連合艦隊と黄海海戦 (日清戦争) · 続きを見る »

輸送艦

輸送艦(ゆそうかん)は、陸上や他の船舶に対して武器弾薬や人員を輸送するための軍用輸送船のうち、国際法上の軍艦にあたる艦艇のこと。日本語では、大型のものを輸送艦といい、小型の場合は輸送艇とよばれることが多い。 洋上で他の船舶に武器弾薬や燃料などの物資を供給することに特化した設計の艦は、補給艦と呼んで、輸送艦とは区別する。また、兵士の輸送に使用される船舶を、軍艦以外の徴用輸送船などまで広く含んだ用語としては、輸送「艦」ではなく軍隊輸送船あるいは兵員輸送船と呼ぶ。 上陸戦に使用するための特殊な設計の輸送艦は、通常は揚陸艦と呼ばれて区別されるが、自衛隊では一律に輸送艦と呼んでいる。また、旧日本海軍では、一般的に揚陸艦と呼ばれるような艦艇を輸送艦、一般的な意味での輸送艦にあたるものは運送艦に類別していた。さらに、アメリカ海軍の攻撃輸送艦のように、上陸戦向けの設備を有しながらも揚陸艦とは呼ばれない例もある。こうした例外的な分類をとっている場合がある。 なお、構造的には揚陸艦にあたり公式種別上も揚陸艦とされる艦が、通常の輸送艦同様の後方輸送任務にも使用されることがある。.

新しい!!: 連合艦隊と輸送艦 · 続きを見る »

龍田 (軽巡洋艦)

龍田(たつた)は、日本海軍の二等巡洋艦。天龍型の2番艦で、「天龍」と共に日本海軍初の軽巡洋艦になる。艦名は奈良県の竜田川から名づけられた#日本海軍艦船名考pp.70-71、龍田(たつた)。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目にあたる。.

新しい!!: 連合艦隊と龍田 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

近藤信竹

近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: 連合艦隊と近藤信竹 · 続きを見る »

霜月 (駆逐艦)

月(しもつき)は、日本海軍の駆逐艦秋月型(潮2015)、80-81頁「霜月(しもつき)」。.

新しい!!: 連合艦隊と霜月 (駆逐艦) · 続きを見る »

震洋

震洋(しんよう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)で日本海軍が開発・使用した特攻兵器(小型特攻ボート)戦史叢書102巻、357頁「震洋(まるよん艇)」。構造が簡単で、大量生産された。.

新しい!!: 連合艦隊と震洋 · 続きを見る »

舟越楫四郎

舟越 楫四郎(ふなこし かじしろう、1870年9月23日(明治3年8月28日) - 1962年(昭和37年)10月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。名は「揖四郎」とした例もある。.

新しい!!: 連合艦隊と舟越楫四郎 · 続きを見る »

航空艦隊

航空艦隊(こうくうかんたい)とは、海軍または空軍の編制単位の一つ。日本海軍では空母機動部隊または基地航空部隊を指す。ドイツ国防軍ではドイツ空軍直下にある最大の部隊編成であり、ドイツ語ではルフトフロッテ (Luftflotte) 。.

新しい!!: 連合艦隊と航空艦隊 · 続きを見る »

航空集団

航空集団(こうくうしゅうだん、英称:Fleet Air Force)は、日本の海上自衛隊の自衛艦隊に属する航空部隊である。諸外国の海軍航空隊に相当する。.

新しい!!: 連合艦隊と航空集団 · 続きを見る »

開発隊群

開発隊群(かいはつたいぐん、英称:Fleet Research and Development Command)とは、海上自衛隊の自衛艦隊に属する部隊である。司令部は船越地区(神奈川県横須賀市船越町7-73)におかれており、開発隊群司令は海将補(二)をもって充てられている。 陸上自衛隊の開発実験団、航空自衛隊の航空開発実験集団に相当する。.

新しい!!: 連合艦隊と開発隊群 · 続きを見る »

蔦 (橘型駆逐艦)

蔦(つた)は日本海軍の駆逐艦。仮称5514号艦、橘型(改松型)駆逐艦3番艦として横須賀海軍工廠で建造された。 艦名は植物の蔦による。艦名としては樅型駆逐艦の14番艦「蔦」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と蔦 (橘型駆逐艦) · 続きを見る »

野風 (駆逐艦)

野風(のかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の13番艦(野風型1番艦)である。「野風」以降の3隻は兵装の配置を変更したため、「野風型」或いは「峯風改型」と呼ばれることがある。.

新しい!!: 連合艦隊と野風 (駆逐艦) · 続きを見る »

野村直邦

野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18年)5月15日 - 1973年(昭和48年)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。.

新しい!!: 連合艦隊と野村直邦 · 続きを見る »

自衛艦隊

自衛艦隊(じえいかんたい、Self Defense Fleet)は、海上自衛隊の主力部隊であり、1954年(昭和29年)7月1日の防衛庁(防衛省の前身)自衛隊発足と同時に置かれた。艦艇や航空機を機動運用し、日本周辺海域の海上防衛や多様な事態、国際任務等にも対応している。.

新しい!!: 連合艦隊と自衛艦隊 · 続きを見る »

自衛艦隊司令官

自衛艦隊司令官(じえいかんたいしれいかん、Commander in Chief of the Self Defense Fleet)とは、海上自衛隊の主戦力である自衛艦隊の指揮官で、防衛大臣の指揮監督を受け、自衛艦隊の隊務を統括する。政令で規定される指定職5号の役職であり、海将の階級にある自衛官をもって充てられ、事実上海上幕僚長に次ぐ第2位の地位にある海上自衛隊の役職である。ただし部隊運用に関する防衛大臣の指揮命令は、フォースプロバイダー(練度管理責任者)の海上幕僚長ではなくフォースユーザー(事態対処責任者)の統合幕僚長を通じて受け、フォースプロバイダーの護衛艦隊司令官、航空集団司令官、潜水艦隊司令官などから提供された隷下部隊をフォースユーザーとして運用する。3年に1度行われる自衛隊観艦式の執行者も、原則として自衛艦隊司令官が務める。1961年(昭和36年)6月12日に、自衛隊法の一部改正(昭和36年法律第126号)により自衛艦隊司令から自衛艦隊司令官に改称された。 ※組織改編による呼称移行時(自衛艦隊司令→自衛艦隊司令官)は、新たに任命辞令が発出(官報掲載)されているため、代数は別個とした。.

新しい!!: 連合艦隊と自衛艦隊司令官 · 続きを見る »

金剛 (戦艦)

金剛(こんごう/こんかう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦#達明治45年5月p.6『達第五十八號 英國ニ於テ建造ノ伊號装甲巡洋艦ヲ金剛ト命名セラル 明治四十五年五月十八日 海軍大臣 男爵 齋藤實』#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|戦艦|金剛型|金剛、榛名、霧島』。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、大東亜戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が大東亜戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあったただし、前弩級戦艦であった敷島型戦艦朝日が工作艦として太平洋戦争に実戦参加。。.

新しい!!: 連合艦隊と金剛 (戦艦) · 続きを見る »

長門 (戦艦)

長門(ながと)は、旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』。長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。.

新しい!!: 連合艦隊と長門 (戦艦) · 続きを見る »

長良 (軽巡洋艦)

長良(ながら)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の1番艦。その艦名は、長良川から因んで名付けられた。.

新しい!!: 連合艦隊と長良 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

酒匂 (軽巡洋艦)

酒匂(さかは/さかわ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦#達昭和19年4月(1)p.8『達第百二號 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 酒匂(サカハ)』。阿賀野型の4番艦である。名前は静岡県および神奈川県を流れる酒匂川からとられている。太平洋戦争中に建造され、巡洋艦として日本で最後に竣工した艦となった。大戦末期の就役で主要な作戦に参加する機会はなく、舞鶴湾で無傷で終戦を迎えた(詳細は後述)。終戦後は復員船として活動した。アメリカ軍の原爆実験(クロスロード作戦)の標的艦となり、ビキニ環礁で沈没した。.

新しい!!: 連合艦隊と酒匂 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

艦橋

武蔵」の艦橋が置かれた檣楼 艦橋(かんきょう)は、軍艦の上甲板上の檣楼内など高所に設けられた指揮所。船橋(せんきょう、ふなばし)と同様。英語のままブリッジ(bridge)ともいう。檣楼、上構(セイル)などと混同されがちである。.

新しい!!: 連合艦隊と艦橋 · 続きを見る »

若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

新しい!!: 連合艦隊と若葉 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

雲鷹 (空母)

雲鷹(うんよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.39「達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝國艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)」#S17-05呉鎮日誌(4)p.25「十三日一四五〇軍務局長|十四日〇六二八 GF参謀長(呉鎭参謀長)(春日丸艦長)(八幡丸艦長)(佐鎭参謀長)|軍務機密第一五〇番電 一、八月三十一日附 春日丸ヲ大鷹(タイヨウ) 八幡丸ヲ雲鷹(ウンヨウ)ト命名、艦艇籍ニ編入セラル(現所管ノ儘)/二、右兩艦ノ命名式ハ所属長官所定ニ依リ適宜實施ノコトニ定メラル|無電」。.

新しい!!: 連合艦隊と雲鷹 (空母) · 続きを見る »

雷 (吹雪型駆逐艦)

雷(いかづち)は、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の23番艦(III型の3番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦雷に続いて2隻目。.

新しい!!: 連合艦隊と雷 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

電 (吹雪型駆逐艦)

電(いなづま)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和5年3月p.10『達第二十四號 艦艇製造費ヲ以テ本年建造ニ着手ノ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス 昭和五年三月十五日 臨時海軍大臣事務管理 内閣総理大臣 濱口雄幸|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 暁アカツキ|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 響ヒビキ|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 雷イカヅチ|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 電イナヅマ』。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)(特型)の24番艦(III型の4番艦)、朧型(吹雪型の後期型)。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦電に続いて2隻目。ロンドン海軍軍縮条約により、駆逐艦は「1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで」という制限が設けられ特型の増産が不可能となり、電をもって建造が打ち切られた。 スラバヤ沖海戦では、撃沈された敵乗組員376名を救助したことで知られている。(詳細は後述。雷、工藤俊作の項目も参照のこと。).

新しい!!: 連合艦隊と電 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

連合艦隊 (映画)

『連合艦隊』(れんごうかんたい)は、1981年(昭和56年)8月8日に劇場封切り公開された東宝映画製作・東宝配給の特撮戦争映画である。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ、145分。.

新しい!!: 連合艦隊と連合艦隊 (映画) · 続きを見る »

連合艦隊司令長官

連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん、旧字表記:聯合艦隊司令長官、英語名:Commander-in-Chief of the Combined Fleet)は、日本海軍の外戦部隊である連合艦隊の指揮官。略称はGF長官。.

新しい!!: 連合艦隊と連合艦隊司令長官 · 続きを見る »

連合艦隊司令長官 山本五十六

『連合艦隊司令長官 山本五十六』(れんごうかんたいしれいちょうかん やまもといそろく)は、東宝が1968年に製作した日本映画。併映は谷啓主演作『空想天国』(監督:松森健)。.

新しい!!: 連合艦隊と連合艦隊司令長官 山本五十六 · 続きを見る »

陸奥 (戦艦)

奥(むつ)は、大日本帝国海軍の戦艦#達大正6年8月p.7『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戦艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正六年八月二十日 海軍大臣 加藤友三郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 陸奥 ムツ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 球磨 クマ|三菱合資會社長崎造船所ニ於テ建造 二等巡洋艦 多摩 タマ』。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名・陸奥国を名前の由来に持つ。帝国海軍の象徴として日本国民から親しまれたものの、1943年(昭和18年)6月8日に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。.

新しい!!: 連合艦隊と陸奥 (戦艦) · 続きを見る »

柳 (松型駆逐艦)

柳(やなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の14番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「桃型」4番艦「柳」)。.

新しい!!: 連合艦隊と柳 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

掃海隊群

掃海隊群(そうかいたいぐん、英称:Mine Warfare Force)は、日本の海上自衛隊の自衛艦隊に属する掃海部隊である。有事の際の機雷戦を主任務とし、第二次世界大戦時に設置された機雷の処分も行う。.

新しい!!: 連合艦隊と掃海隊群 · 続きを見る »

林立果

林立果(りん りつか、、1945年-1971年9月13日)は中華人民共和国の軍人。父は林彪、母は葉群、姉は林豆豆。幼少の頃は、虎と呼ばれた。毛沢東暗殺計画(五七一工程紀要)を立案、事が露見すると、父母らと共にトライデント機で逃亡、モンゴル人民共和国ヘンテイ県ベルフ村南方付近で墜落死した(林彪事件)。.

新しい!!: 連合艦隊と林立果 · 続きを見る »

揚陸指揮艦

揚陸指揮艦(ようりくしきかん、Amphibious Command Ship)は、指揮・統制能力を重視した軍艦。主にアメリカ海軍が採用している艦種であり、艦隊司令等が坐乗する。.

新しい!!: 連合艦隊と揚陸指揮艦 · 続きを見る »

東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

新しい!!: 連合艦隊と東宝 · 続きを見る »

東郷平八郎

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。階級は元帥海軍大将。日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により英雄視され、「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎)の1人。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。.

新しい!!: 連合艦隊と東郷平八郎 · 続きを見る »

松 (松型駆逐艦)

松(まつ)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和18年12月p.43『達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略)』。松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦#内令昭和18年12月(4)p.24『内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略)』。日本海軍の艦名としては樺型駆逐艦「松」に続いて2代目である。.

新しい!!: 連合艦隊と松 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

松島 (防護巡洋艦)

松島(まつしま)は日清戦争及び日露戦争で活躍した日本海軍の防護巡洋艦である。1892年4月5日、竣工し第一種に編入。1898年3月21日、二等巡洋艦に類別された。 清国が保有していた戦艦「鎮遠」と「定遠」の2隻に対抗する軍艦として建造された、松島型(三景艦)のネームシップ。日清戦争時の連合艦隊旗艦である。同型艦は厳島、橋立。.

新しい!!: 連合艦隊と松島 (防護巡洋艦) · 続きを見る »

松林宗恵

松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年7月7日 - 2009年8月15日)は、日本の映画監督。元海軍士官で、僧侶でもある。法名、釈 宗惠(しゃく しゅうえ)。.

新しい!!: 連合艦隊と松林宗恵 · 続きを見る »

杉 (松型駆逐艦)

杉(すぎ)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の7番艦として藤永田造船所で建造された。艦名としては樺型駆逐艦の9番艦「杉」に続いて2代目。 太平洋戦争ではレイテ沖海戦、多号作戦、礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事した。その後、国府海軍(のちの台湾海軍)に引き渡され、「恵陽(フェイヤン)」と命名された。.

新しい!!: 連合艦隊と杉 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桐 (松型駆逐艦)

桐(きり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の6番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樺型」10番艦「桐」)。丁型一等駆逐艦第5486号艦として横須賀海軍工廠で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と桐 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桜 (松型駆逐艦)

桜(櫻、さくら)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型の13番艦である。日本海軍の艦名としては、桜型駆逐艦「桜」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と桜 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桃 (松型駆逐艦)

桃(もも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。松型駆逐艦(丁型)の4番艦である。日本海軍の艦名としては桃型駆逐艦の1番艦「桃」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と桃 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

桑 (松型駆逐艦)

桑(くわ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型駆逐艦(丁型)の5番艦である。艦名は楢型駆逐艦2番艦「桑」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と桑 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

梅 (松型駆逐艦)

梅(うめ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ検図 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。 松型駆逐艦(松型一等駆逐艦)(丁型)の3番艦である#内令昭和19年1月(5)pp.17-18『内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ|潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十四」ノ下ニ「、伊號第十五」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號三百六十六」ノ下ニ「、伊號三百六十八、伊號三百六十九」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「笠戸」ノ下ニ「、日振、鵜来」ヲ、同三御藏型ノ項中「倉橋」ノ下ニ「、屋代」ヲ、同第一號型ノ項中「第十一號」ノ下ニ「、第十三號、第十五號、第十七號、第十九號」ヲ加フ|掃海艇、第十九號型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十四號」ヲ加フ|驅潜艇、第十四號型ノ項中「第六十一號」ノ下ニ「、第六十三號」ヲ加フ』。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦樺型「梅」)。丁型一等駆逐艦第5483号艦として藤永田造船所で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と梅 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

椿 (松型駆逐艦)

椿(つばき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の15番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「楢型」3番艦「椿」)。丁型一等駆逐艦第5498号艦として舞鶴海軍工廠で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と椿 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

楡 (橘型駆逐艦)

楡(にれ)は日本海軍の駆逐艦。仮称4809号艦、橘型(改松型)駆逐艦2番艦として舞鶴海軍工廠で建造された。 艦名はニレ科の樹木の総称のこと。艦名としては樅型駆逐艦の3番艦「楡」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と楡 (橘型駆逐艦) · 続きを見る »

楢 (松型駆逐艦)

楢(なら)は、日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の12番艦として藤永田造船所で建造された。艦名は楢型駆逐艦1番艦「楢」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と楢 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

楓 (松型駆逐艦)

楓(かえで/かへで)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の17番艦。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦樺型駆逐艦3番艦「楓」)である。丁型一等駆逐艦第5505号艦として横須賀海軍工廠で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と楓 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

榧 (松型駆逐艦)

榧(かや)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の11番艦として舞鶴海軍工廠で建造された。艦名は樅型駆逐艦の2番艦「榧」に続いて2代目。 太平洋戦争では礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事、のちにソ連に引き渡された。.

新しい!!: 連合艦隊と榧 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

榛名 (戦艦)

榛名(はるな)は、日本海軍の戦艦で、金剛型戦艦の3番艦。.

新しい!!: 連合艦隊と榛名 (戦艦) · 続きを見る »

槇 (松型駆逐艦)

槇(まき)は日本海軍の駆逐艦#陽炎型、2014333頁『槇(まき)』#達昭和19年6月pp.3-4『達第百八十一號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦二隻及海防艦九隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 杉(スギ) 第三十六號海防艦 第四十號海防艦|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 槇(マキ) 第六十一號海防艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 樅(モミ) 伊號第三百七十二潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四百四潜水艦|日立造船所株式會社ニ於テ建造 海防艦 大東(ダイトウ)』。艦名は楢型駆逐艦の4番艦「槇」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と槇 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

横浜市

横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区の全域と瀬谷区、港南区の一部)。 幕末以降(詳しくは後述)から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の外資獲得力を誇った。関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、京浜工業地帯の中核都市となった。.

新しい!!: 連合艦隊と横浜市 · 続きを見る »

樫 (松型駆逐艦)

樫(かし)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の10番艦として藤永田造船所で建造された。艦名は桃型駆逐艦2番艦「樫」に続いて2代目。 太平洋戦争では礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事、のちにアメリカに引き渡されたが解体された。.

新しい!!: 連合艦隊と樫 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

樺山可也

樺山 可也(かばやま かなり、1876年10月14日 - 1932年10月27日)は、日本の海軍軍人、政治家。族籍は鹿児島県士族か39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年1月7日閲覧。。最終階級は海軍少将。鹿児島市長。元フィギュアスケート選手の八木沼純子は曾孫である「八木沼純子2人の総理大臣 激動の歳月」、『ファミリーヒストリー』2015年9月11日放送。。.

新しい!!: 連合艦隊と樺山可也 · 続きを見る »

樅 (松型駆逐艦)

樅(もみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の9番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樅型」1番艦「樅」)。.

新しい!!: 連合艦隊と樅 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

機動部隊

機動部隊(きどうぶたい)とは、機動性の高い部隊。陸軍では、戦車・装甲車などを装備した部隊を、海軍では、航空母艦を中心に巡洋艦・駆逐艦で編制された部隊を意味する。城砦・陣地、洋上戦における泊地や港などの「機動出来ない戦闘部隊」である守備兵力の対語である。 機会に乗じて相手にすばやく接近し、敵指揮官・部隊の精神的バランスを崩壊させるための部隊として、「歩兵」と「騎兵(戦車)」に区分されることがある。また、日本の空母部隊においては、軍隊区分による部隊号として使用された。海外の空母部隊も機動部隊と日本語訳されることがある。.

新しい!!: 連合艦隊と機動部隊 · 続きを見る »

橘 (橘型駆逐艦)

橘(たちばな)は日本海軍の駆逐艦。仮称5511号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1番艦として横須賀海軍工廠で建造された。 艦名は植物のタチバナによる。食用柑橘類の総称でもある。艦名としては桜型駆逐艦2番艦「橘」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と橘 (橘型駆逐艦) · 続きを見る »

檜 (松型駆逐艦)

檜(ひのき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の16番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「桃型」3番艦「檜」)。丁型一等駆逐艦第5502号艦として横須賀工廠で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と檜 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

欅 (松型駆逐艦)

欅(けやき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の18番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「楢型」5番艦「欅」)。丁型一等駆逐艦第5508号艦として横須賀海軍工廠で建造された。.

新しい!!: 連合艦隊と欅 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

武蔵 (戦艦)

300px 武蔵(むさし)は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦である。当時は武藏と表記された#達昭和15年11月(1)p.1『達第二百四十一號 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造中ノ戦艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十五年十一月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 戦艦 武藏(ムサシ)』。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目にあたる#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ33(原本39頁)『武藏(むさし) 艦種巡洋艦 三檣「バーク」 艦名考國名に採る。 艦歴明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同11月大連港及旅順國占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同占領に從事、同31年月三等海防艦に編入、同37・8年戰役に從軍:大正元年8月二等海防艦に列す。同3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備に從事、11年4月1日軍艦籍より除き、更めて特務艦(測量艦)と定めらる。昭和3年4月1日除籍。(備考)尚ほ此の外に幕末に初代の軍艦とも云ふ可き「武藏」あり、同艦は明治元年11月外國人より購入(製造場所、竣工年月日、及原名等不詳)のものにして、同2年2月品海碇泊中火を失して焼く、同3年安芸、焼残船體を大蔵省に交付す。(要目略)』。大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦でもあった。.

新しい!!: 連合艦隊と武蔵 (戦艦) · 続きを見る »

毛沢東

毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。 中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席と中央軍事委員会主席を務めた。 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。.

新しい!!: 連合艦隊と毛沢東 · 続きを見る »

水無月 (睦月型駆逐艦)

水無月(みなづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#陽炎型(2014)p.272『水無月(みなづき)』。.

新しい!!: 連合艦隊と水無月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

水木しげる

水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年永らく1924年生れと公表していた。3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。 大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 583頁)、戦後何度かの転居の後東京都調布市に永住。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。.

新しい!!: 連合艦隊と水木しげる · 続きを見る »

氷川丸

横浜マリンタワーの展望台より 現係留地の夜景 病院船時代の氷川丸 氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2016年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている。.

新しい!!: 連合艦隊と氷川丸 · 続きを見る »

汐風 (駆逐艦)

汐風(しおかぜ/しほかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の8番艦である。艦名は海上や海岸近くで吹く塩気を含んだ風を意味する。.

新しい!!: 連合艦隊と汐風 (駆逐艦) · 続きを見る »

波勝 (標的艦)

波勝(はかち)は、日本海軍の標的艦。艦名は伊豆半島南西にある「波勝岬」に由来する#連合艦隊軍艦銘銘伝598頁。。当時の読みは「はかちさき」だったが現在の読みは「はがちさき」となっている。.

新しい!!: 連合艦隊と波勝 (標的艦) · 続きを見る »

波風 (駆逐艦)

波風(なみかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の14番艦(野風型2番艦)である。.

新しい!!: 連合艦隊と波風 (駆逐艦) · 続きを見る »

港北区

港北区(こうほくく)は、横浜市を構成する18行政区のうちの一つである。.

新しい!!: 連合艦隊と港北区 · 続きを見る »

清澄丸 (特設巡洋艦)

清澄丸(きよすみまる「きよずみまる」(Kiyozumi Maru)とする資料やサイトもある(、)。しかし、#日本汽船名簿・清澄丸での振り仮名は「キヨスミ」と、「ス」に濁点を振っていない。)は、かつて国際汽船が運航していた貨物船。太平洋戦争では特設巡洋艦および特設運送船として運用された。.

新しい!!: 連合艦隊と清澄丸 (特設巡洋艦) · 続きを見る »

漣 (吹雪型駆逐艦)

漣(さざなみ)は大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の19番艦。特型駆逐艦。吹雪型の後期型(朧型)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。特II型の9番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「漣」に続いて2隻目。戦後、海上自衛隊のたかなみ型護衛艦「さざなみ」が就役した。.

新しい!!: 連合艦隊と漣 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

潮 (吹雪型駆逐艦)

潮(うしお / うしほ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の20番艦(特II型の10番艦)。吹雪型の後期型(朧型)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「潮」に続いて2隻目。.

新しい!!: 連合艦隊と潮 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

潜水艦隊

潜水艦隊(せんすいかんたい、英称:Fleet Submarine Force)は、日本の海上自衛隊の自衛艦隊に属する潜水艦を中心に編成された艦隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と潜水艦隊 · 続きを見る »

濱野英次郎

濱野 英次郎(はまの えいじろう、1880年(明治13年)5月24日 - 1952年(昭和27年)3月2日)は、日本の海軍軍人。美保関事件後に連合艦隊参謀長を務めた海軍中将である。.

新しい!!: 連合艦隊と濱野英次郎 · 続きを見る »

朝顔 (駆逐艦)

朝顔(あさがお/あさがほ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の5番艦である。大正年間製造の旧式艦ながら、戦時中に計98回の護衛活動に従事した。.

新しい!!: 連合艦隊と朝顔 (駆逐艦) · 続きを見る »

朝日 (戦艦)

朝日(あさひ)は、日本海軍の戦艦日本補助艦艇物語217頁『工作艦(1)朝日』。.

新しい!!: 連合艦隊と朝日 (戦艦) · 続きを見る »

朝日丸

朝日丸(あさひまる)とは.

新しい!!: 連合艦隊と朝日丸 · 続きを見る »

木更津市

木更津市(きさらづし)は、千葉県中西部にある市である。君津市への通勤率は11.5%(平成22年国勢調査)。.

新しい!!: 連合艦隊と木更津市 · 続きを見る »

情報業務群

情報業務群(じょうほうぎょうむぐん、英称:Fleet Intelligence Command)とは、海上自衛隊の自衛艦隊に属する部隊である。.

新しい!!: 連合艦隊と情報業務群 · 続きを見る »

戦艦

アイオワ」1958年に現役を退いた本艦であったが、ロナルド・レーガンの掲げる「力による平和」戦略の一環として生まれた600隻艦隊構想のもと、同型艦とともにミサイル艦として近代化改装を受け、1984年に現役復帰を果たした(2006年除籍)。 戦艦(せんかん、battleship)とは、軍艦の艦種の一つである。強大な艦砲と堅牢な装甲を備え、海戦が主に砲撃戦に頼った時代に、海上決戦の主力となることに特化していた。第二次世界大戦頃までは、各国家の軍事力の象徴的存在であり、世界のパワーバランスを左右する戦略兵器ともされていた。しかし第二次世界大戦において航空戦力の威力が高まり、艦隊主力の地位を航空母艦に譲った。 第二次世界大戦後は、戦艦は運用機会や存在意義自体が失われ、現在では戦艦と呼ばれる艦種を運用する国はない。.

新しい!!: 連合艦隊と戦艦 · 続きを見る »

明石 (工作艦)

明石(あかし)は、日本海軍唯一の新造工作艦#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』。艦名は兵庫県明石市の名所、明石の浦にちなみ、明治中期の防護巡洋艦明石に続いて2代目。アメリカ海軍の工作艦『メデューサ (USS Medusa AR-1) en』並みの修理能力を持つ特務艦として建造された#艦と人186-187頁。.

新しい!!: 連合艦隊と明石 (工作艦) · 続きを見る »

海上護衛総司令部

海上護衛総司令部(かいじょうごえいそうしれいぶ)とは大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。設置は1943年11月15日、廃止は1945年8月25日。正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊(かいじょうごえいそうたい)とも呼ばれ、また海護総隊(かいごそうたい)とも略称された。.

新しい!!: 連合艦隊と海上護衛総司令部 · 続きを見る »

海上護衛隊

海上護衛隊(かいじょうごえいたい)は、旧日本海軍の部隊編制の一つで、太平洋戦争中に四個部隊が編制された。ここでは第一海上護衛隊を再編した第一護衛艦隊についても述べる。各部隊・艦隊の符号は、第一海上護衛隊が1KEg、第二海上護衛隊が2KEg、第一護衛艦隊が1EF。.

新しい!!: 連合艦隊と海上護衛隊 · 続きを見る »

海上自衛隊

海上自衛隊(かいじょうじえいたい)は日本の自衛隊のうちの海上部門にあたる組織である。また、官公庁の一つであり、防衛省の特別の機関の集合体である。 略称海自(かいじ)、英称 Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF)海上自衛隊公式HP。諸外国からは Japanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある。.

新しい!!: 連合艦隊と海上自衛隊 · 続きを見る »

海運

海運(かいうん、英語:marine transport)とは、海上を利用した旅客輸送・貨物輸送である。.

新しい!!: 連合艦隊と海運 · 続きを見る »

海軍

ョージ・ワシントン アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 海軍(かいぐん、navy)は軍事作戦のために主に艦艇を使用する軍事組織を言う。.

新しい!!: 連合艦隊と海軍 · 続きを見る »

海軍航空隊

海軍航空隊(かいぐんこうくうたい)とは、海軍における航空兵力・組織である。大きく分けて艦載航空隊と地上航空隊の2種類がある。哨戒・対艦攻撃・捜索救難などが主任務であるが、国や時期によっては防空も任務としている場合がある。.

新しい!!: 連合艦隊と海軍航空隊 · 続きを見る »

海軍陸戦隊

海軍陸戦隊(かいぐんりくせんたい)は日本海軍が編成した陸上戦闘部隊である。単に陸戦隊と呼ぶこともある。元々は常設の部隊ではなく、艦船の乗員などの海軍将兵を臨時に武装させて編成することを原則としたが、1930年代には常設的な部隊も誕生した。.

新しい!!: 連合艦隊と海軍陸戦隊 · 続きを見る »

海龍 (潜水艇)

海龍(かいりゅう)『内令兵第二五號(軍極秘) 回天、海龍及蛟龍ヲ兵器ニ採用ス 昭和二十年五月二十八日 海軍大臣』は、大日本帝国海軍の特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷もしくは体当りにより攻撃を行う二人乗りの有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。海軍工作学校教官、浅野卯一郎機関中佐(階級呼称は1943年1月当時)の発案で開発された。開発段階では機密を図るため「SS金物」と呼ばれた。 本土決戦用の特攻兵器として開発され、飛行機の部品などを使用し横須賀海軍工廠などで終戦までに224隻が建造され、約207隻が製造中だった。通常の潜水艦と異なり、翼を有し、飛行機のように上昇と下降を行うため、構造が単純で建造を短期間に行うことができた。各地に基地を設け、海龍を配備したものの、終戦によって本土決戦が回避されたため実戦に大規模投入されることはなかった。.

新しい!!: 連合艦隊と海龍 (潜水艇) · 続きを見る »

海洋業務・対潜支援群

海洋業務・対潜支援群(かいようぎょうむ・たいせんしえんぐん、英称:Oceanography ASW Support Command)とは、海上自衛隊の自衛艦隊に属する部隊の一つ。司令部は船越地区(神奈川県横須賀市船越町7-73)におかれており、海洋業務・対潜支援群司令は海将補(二)をもって充てられている。.

新しい!!: 連合艦隊と海洋業務・対潜支援群 · 続きを見る »

斎藤半六

斎藤 半六(さいとう はんろく、1869年7月24日 (明治2年6月16日) - 1952年(昭和27年)4月25日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 連合艦隊と斎藤半六 · 続きを見る »

日向 (戦艦)

航空戦艦改装後(1943年) 日向(ひゅうが、命名時のかな艦名表記はひうか大正3年10月12日付 海軍大臣達 第151号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070068000 で閲覧可能。ひうがではない。)は、大日本帝国海軍の戦艦。伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。艦名の由来は宮崎県の旧国名からで、艦内神社は宮崎神宮からの分神。この艦名は帝国海軍ではこの艦のみで、戦後、海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の1番艦「ひゅうが」に引き継がれた。.

新しい!!: 連合艦隊と日向 (戦艦) · 続きを見る »

日吉 (横浜市)

日吉(ひよし)は、神奈川県横浜市港北区の地名。住所表記上の「日吉」以外に、日吉本町・箕輪町・下田町も一般に「日吉」と呼ばれる。 なお、この項では横浜市側の日吉を扱うが、旧日吉村が矢上川をはさんだ現在の川崎市側にも広がっていたことから、川崎市側にも「日吉地区」が存在する(川崎市側には幸区日吉合同庁舎、日吉小学校、日吉中学校、幸警察署日吉交番等がある)。 最寄駅は、東急東横線、目黒線の日吉駅。戦前から戦後にかけて、東急が住宅街として開発し、1933年(昭和8年)に慶應義塾の進出が決定した。.

新しい!!: 連合艦隊と日吉 (横浜市) · 続きを見る »

日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

新しい!!: 連合艦隊と日中戦争 · 続きを見る »

日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

新しい!!: 連合艦隊と日露戦争 · 続きを見る »

日進 (水上機母艦)

日進(にっしん)は、日本海軍の水上機母艦(甲標的母艦)#達昭和14年9月pp.19-20『達第百六十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、潜水艦三隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾|呉海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 日進(ニッシン)|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 砲艦 橋立(ハシダテ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十四潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艦 浮島(ウキシマ)』。 同型艦は無いが、日進型という表現も使われた#S1709日進詳報(2)pp.35-36『(ヘ)現今輸送ヲ重視スベキ時代ニ於テ日進型ノ極メテ調法ナルヲ痛感ス大ナル搭載量及クレーン航續力高速等概ネ現時ノ要求ニ適應スル恰好ノ性能ヲ有セシモノト認ム然レドモ之ガ使用ニ當リテハ主トシテ内地前進根據地間ノ往復ニ當テ爾後第一線基地間ノ輸送ニハ小型高速加及的大ナル搭載力防空力ヲ有スル船艇ヲ用スルヲ原則トスルヲ要ス』。.

新しい!!: 連合艦隊と日進 (水上機母艦) · 続きを見る »

日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

新しい!!: 連合艦隊と日清戦争 · 続きを見る »

日本海海戦

東郷平八郎(1907年〈明治40年〉) ロジェストヴェンスキー 日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日 - 28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。日本以外ではこれを主力決戦の場所に因み対馬沖海戦(つしまおきかいせん、 (Tsusimskoye srazheniye)、英語:Battle of Tsushima)と呼ぶ。 この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。連合艦隊はロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力のほとんどを失わせたが、連合艦隊の損失は軽微という海戦史上稀な一方的勝利となった。これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。.

新しい!!: 連合艦隊と日本海海戦 · 続きを見る »

早霜 (駆逐艦)

早霜(はやしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 夕雲型駆逐艦の17番艦である。.

新しい!!: 連合艦隊と早霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

旭日旗

一般的な十六条の旭日旗の意匠 旭日旗の小旗を持つ迪宮裕仁親王(幼少期の昭和天皇)、1902年(明治35年) 旭日旗(きょくじつき)は、日章と旭光を意匠化した日本の旗。光線(光条)が22.5度で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。 1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され、1889年に大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として旭日旗が使用されている。.

新しい!!: 連合艦隊と旭日旗 · 続きを見る »

旗風 (駆逐艦)

旗風(はたかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。神風型一等駆逐艦(2代目)の5番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.47『一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。』。.

新しい!!: 連合艦隊と旗風 (駆逐艦) · 続きを見る »

旗艦

旗艦(きかん, flagship; フラグシップ)とは、司令官(司令・司令長官などを含む)やその幕僚が座乗し、指令・命令を発する艦を指す海軍用語「歴代旗艦物語」勝山拓 世界の艦船2011年11月号 P92-97 株式会社海人社。海上自衛隊では「はたぶね」とも読む。.

新しい!!: 連合艦隊と旗艦 · 続きを見る »

摂津 (標的艦)

摂津(せっつ)は、日本海軍の戦艦#達明治44年3月p.10「達第三十三號 呉海軍工廠ニ於テ製造ノ呂號戰艦ヲ攝津ト命名セラル 明治四十四年三月三十日 海軍大臣男爵 齋藤實」#達明治44年3月p.10「達第三十四號 艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「河内」ノ次ニ「攝津」ヲ加フ 明治四十四年三月三十日 海軍大臣男爵 齋藤實」。日本海軍の法令上は旧字体の攝津であるが、本項目では摂津とする。 姉妹艦は「河内」幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ89(原本140頁)「攝津(せっつ)【二代】艦種戰艦 二檣(三脚式)(信號用)河内と姉妹艦なり艦名考初代「攝津」の項(p.10)参照艦歴明治42年1月18日起工、同45年7月1日竣工。大正3年乃至9年戰役(日獨)從軍(第一艦隊第一戰隊司令長官中将加藤友三郎旗艦、艦長大佐木村剛)、同8年特別大演習中御召艦となる(艦長大佐古川弘)、同13年大演習、14年、15年小演習統監艦となる。同12年10月1日軍艦籍より除き、特務艦(標的艦)と定む。(備考)本艦は海軍々備制限に關する華府條約に由り、同條約第二章第二節中、軍艦を専ら標的用に變更することの規定に循ひ其處分を了し、戰闘任務に堪へざるものと爲したる上、茲に標的艦に編入せられたるものなり。―要目― 長500呎/幅84呎/吃水28呎/排水量20,800噸/機關 パーソンスタルビン4軸 宮原罐16/馬力25,500/速力20.5/乗組人員960/船材 鋼(クルップ甲鐡12吋)|兵装 12吋12/6吋10/4.7吋8/3吋16/機砲4/發射九だ5/竣工 明治42-1-18/進水 同44-3-30/竣工 同45-7-1/建造所 呉工廠」。 後に標的艦(特務艦)となった幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ189(原本284頁)「攝津(せっつ)【再出】 艦種特務艦 艦名考 艦歴}「日清戰役以降、日露戰役迄の艦艇」の部参照(p.140) ―要目― 長152.40米/幅25.60米/吃水7.09米/排水量16,130噸/速力21/竣工 明治42-1-18/進水 同44-3-30/竣工 同45-7-1/建造所 呉工廠」。駆逐艦「矢風」によって遠隔操作される無人艦というのが一般的に知られている。 艦名は旧国名「摂津国」にちなんで命名された幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ17(原本10頁)「攝津(せっつ)【初代】 艦種砲艦 三檣「シップリグ」型艦名考國名(畿内五箇國の一)に採る。艦歴明治元年(1864)3月外國人より購入(製造所米國、竣工年月日及び原不名詳「攝津」と命名す。明治2年9月廣島藩に管せしむ、同4年4月同藩より返納、同9月「一番貯蓄船」と改稱す、同5年7月機關を撤去し、同7月再び「攝津」と改名す。同11年12月兵學校所属練習艦と爲る。同19年2月除籍、船體を兵學校に属し、術業練習の用に供し同10月授業船と稱す。同22年9月船體を賣却せり。(要目略)」。 日本海軍の艦船としては「摂津艦」に続いて2代目。.

新しい!!: 連合艦隊と摂津 (標的艦) · 続きを見る »

支那方面艦隊

支那方面艦隊(しなほうめんかんたい)とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。.

新しい!!: 連合艦隊と支那方面艦隊 · 続きを見る »

愛国丸 (特設巡洋艦)

愛国丸(あいこくまる)は大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船の内の1船。日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦としてインド洋を中心に通商破壊を行った。のちに特設運送船に転じたが、1944年(昭和19年)2月17日のトラック島空襲で沈没した。.

新しい!!: 連合艦隊と愛国丸 (特設巡洋艦) · 続きを見る »

敷島 (戦艦)

敷島(しきしま)は、大日本帝国海軍の戦艦#達明治30年3月(4)p.3『達第三十三號 英國ニ於テ製造ノ第一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造ノ第一號及第二號ニ等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|明治三十年三月二十六日 海軍大臣侯爵 西郷從道|第一甲鐡戰艦 敷シキ島シマ|第一號二等巡洋艦 笠カサ置キ|第二號二等巡洋艦 千チ歳トセ|第三號二等巡洋艦 高タカ砂サゴ』。 敷島型戦艦の1番艦でもある。 艦名は日本全体の美称の一つにちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ58(原本83頁)『敷島(しきしま) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考日本の別稱なり、敷島は亦磯城島しきしま、師木島に造る、夜麻登磯幾の皇居の名より出づ、後ち總日本國號にも轉用せらるるに至れること秋津洲の例に同じ。艦歴明治33年1月英國にて竣工、同月27日英國出發、4月17日呉到着。同37・8年戰役に從軍(第一艦隊第一戰隊):同37年8月黄海々戰に参加(艦長大佐寺垣猪三)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐同前)、同38年12月戰艦の等級を廢せらる、大正3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備、同8年12月第三艦隊に属し、同12年4月1日帝國軍艦籍より除かれ練習特務艦と定めらる、同13年3月15日華府條約により武装解除。―要目― 長400呎/幅76呎/吃水27呎/排水量15,088噸/機關 直立三聯成汽機2基 ベルビル罐25臺/馬力14,500/速力18/乗組人員741/船材 鋼(甲鐡ハーベイニッケル鋼229-600粍)|兵装 12吋砲 4/6吋砲 14/12听砲 20/3听砲 3/2.5听砲 6/發射管 5/起工 明治30-3-29/進水 同31-11-1/竣工 同33-1-26/建造所 英國テームス・アイアンウォーク社』。.

新しい!!: 連合艦隊と敷島 (戦艦) · 続きを見る »

慶應義塾大学

記載なし。

新しい!!: 連合艦隊と慶應義塾大学 · 続きを見る »

扶桑 (戦艦)

扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦#達大正3年4月p.3『達第五十七號 呉海軍工廠ニ於テ建造ノ第三號戰艦ヲ扶桑ト命名セラル 大正三年三月二十八日 海軍大臣 男爵 斎藤實』。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の由来は日本の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1879年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。.

新しい!!: 連合艦隊と扶桑 (戦艦) · 続きを見る »

曙 (吹雪型駆逐艦)

曙(あけぼの)は日本海軍の駆逐艦。吹雪型(特型)の18番艦(特II型の8番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦「曙」に続いて2隻目。.

新しい!!: 連合艦隊と曙 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

1923年

記載なし。

新しい!!: 連合艦隊と1923年 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: 連合艦隊と1944年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 連合艦隊と1945年 · 続きを見る »

1981年

この項目では、国際的な視点に基づいた1981年について記載する。.

新しい!!: 連合艦隊と1981年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

聯合艦隊

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »