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第100師団 (日本軍)

索引 第100師団 (日本軍)

100師団(だいひゃくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。.

26 関係: 名古屋師管区大日本帝国大日本帝国陸軍大日本帝国陸軍師団一覧太平洋戦争工兵師団ミンダナオ島ミンダナオ島の戦いフィリピンダバオアメリカ軍コタバト砲兵秦郁彦第35軍 (日本軍)静岡市輜重兵東京大学出版会歩兵津市昭和1944年1945年5月6月15日

名古屋師管区

名古屋師管区(なごやしかんく)は、1945年4月1日に、日本陸軍が徴兵などの軍事行政と地域防衛のために全国を区分けして設けた師管区の一つである。愛知県・岐阜県・静岡県・三重県を範囲とした。金沢師管区とともに東海軍管区の下にあった。区内は名古屋連隊区・岐阜連隊区・静岡連隊区・津連隊区に分けられた。名古屋師管区司令部が管轄し、名古屋師管区部隊が置かれた。同年の敗戦後もしばらく続き、1946年3月31日に廃止になった。.

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大日本帝国

大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、大日本帝國)は、日本国の国号の一つ。江戸時代末期に外交文書に使用され始め、1946年頃まで公式に使用された。なお、「大日本帝国」と定めた法律は存在しないため、日本の通称または大日本帝国憲法下の日本の通称の一つとして扱われる。 一般には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。最盛時には現在の日本の領土に加え、南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾・澎湖列島・新南群島などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。 以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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大日本帝国陸軍師団一覧

大日本帝国陸軍師団一覧(だいにほんていこくりくぐんしだんいちらん、)は、大日本帝国陸軍の師団を一覧形式でまとめたものである。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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工兵

工兵(こうへい、military engineer, combat engineer, pioneer)は、陸軍における戦闘支援兵科の一種であり、歩兵、砲兵、騎兵に並ぶ四大兵科の一つである。陸上自衛隊においては施設科と呼ばれる。.

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師団

師団(しだん、Division)は、軍隊の部隊編制単位の一つ。旅団・団より大きく、軍団・軍より小さい。師団は、主たる作戦単位であるとともに、地域的または期間的に独立して、一正面の作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位とされることが多い。多くの陸軍では、いくつかの旅団・団または連隊を含み、いくつかの師団が集まって軍団・軍等を構成する。 師団の編制については、国や時期、兵科によって変動が大きいが、21世紀初頭現代の各国陸軍の師団は、2~4個連隊または旅団を基幹として、歩兵、砲兵、工兵等の戦闘兵科及び兵站等の後方支援部隊などの諸兵科を連合した6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊である。多くの国において師団長には少将が補せられるが、日本やブラジル等中南米の幾つかの国のように中将が補せられる国もあり、またソ連・ロシアや東ドイツ等の旧東欧諸国では大佐が務める例も見られる。 師団は、幕僚部(師団参謀部・師団副官部・師団法務部など)を固有する、最小の部隊でもある。.

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ミンダナオ島

ミンダナオ島(ミンダナオとう、Mindanao)は、フィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島。.

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ミンダナオ島の戦い

ミンダナオ島の戦い(ミンダナオとうのたたかい)は、太平洋戦争中の1945年3月10日から終戦までフィリピン諸島ミンダナオ島で行われた、日本軍とアメリカ軍及びフィリピン人ゲリラの間の戦いである。アメリカ軍側からみるとフィリピン解放作戦の一環として行われ、サンボアンガに上陸する「ヴィクター4号」と、残るダバオなどの制圧作戦である「ヴィクター5号」からなっていた。すでにレイテ島の戦いなどで消耗しきっていた日本軍は、苦戦を強いられることになった。この戦いの結果、南部フィリピンの主要部は連合軍によって確保された。.

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フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

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ダバオ

ダバオ市(、、セブアノ語: )は、フィリピン南部ミンダナオ島ダバオ地方 (Davao Region, Region XII) のダバオ・デル・スル州にある、メトロ・マニラ、メトロ・セブ(セブ市とその周囲)に次ぐフィリピン第3位の都市である。面積2,400km2、2010年現在の人口は約145万人。国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地である。実際の所ダバオ市は州から独立をしているが、ダバオ・デル・スル州の一部として見られることもある。またダバオ地方の中心都市としても位置づけられている。2,400km2もの広さを誇るダバオ市は世界最大の行政面積を持つ都市の一つともされる。人口は145万人だが、昼間人口は約200万人である。 スペイン人による征服は19世紀と遅く、それまでは先住民やイスラム教徒が集落を開いて暮らしていた。この都市が発展したきっかけは、20世紀初頭の日本人によるアバカ(マニラ麻)栽培の農園経営であり、当時は2万人の日本人が住む東南アジア最大の日本人街もあった。現在でも多くの日系人が住み、定年を迎えた日本人の移住先としても注目されている。 現在は木材の積出港であるほか、郊外にはドール社による広大なバナナプランテーションが広がり、その加工や輸出でも有名である。近年はアメリカ企業によるコールセンター業務などのアウトソーシング先として開発されており、巨額の収益が期待されている。.

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アメリカ軍

アメリカ軍(アメリカぐん、United States Armed Forces)は、アメリカ合衆国が有する軍隊。アメリカ合衆国軍(アメリカがっしゅうこくぐん)、合衆国軍(がっしゅうこくぐん)とも呼ばれ、日本では米軍(べいぐん)と略される。.

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コタバト

タバト市(Cotabato City)は、フィリピン南部ミンダナオ島の南部に位置する都市の1つである。コタバト・ヴァレー(コタバト平野)の米など農業産品の集散地として古くから栄えた。街の中心は、ミンダナオ有数の大河リオ・グランデ・デ・ミンダナオ(ミンダナオ川)がモロ湾に注ぐところから数km遡ったところにある河港である。 コタバト市はイスラム教徒ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao, ARMM)のマギンダナオ州の境界内にあるが、その州からは独立している。近くにコタバト州があり混同されるが、コタバト州分割以前はコタバト市はコタバト州内にあったものの現在では離れた場所にあり何の関係もない。コタバト市はソクサージェン地方に組み込まれていて、この地方の中心的な役割を持つ都市である。勿論、ARMMにとっても、ムスリムの宗教的中心として重要な都市である。 北はリオ・グランデ・デ・ミンダナオの川を挟んでスルタン・クダラット町(Sultan Kudarat)と、東はカブンタラン町(Kabuntalan)と、南はダトゥ・オディン・シンスアット町(Datu Odin Sinsuat)と接している。街の西側がイラナ湾の沿岸で、その南に広がるモロ湾に続いている。面積は176.0km2、人口は150,450人(2000年国勢調査)である。.

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砲兵

兵(ほうへい、artillery)は、陸上戦闘を行う兵科の1つであり、火砲(大砲)・ロケット・ミサイルによる支援攻撃を担っている。日本の陸上自衛隊では特科(とっか)と称される(自衛隊用語)。.

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秦郁彦

郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の元官僚、歴史学者、現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士(東京大学、1974年)。.

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第35軍 (日本軍)

35軍(だいさんじゅうごぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。.

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静岡市

静岡市(しずおかし)は静岡県中部に位置する政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。.

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輜重兵

輜重兵(しちょうへい)または輜重兵科(しちょうへいか)は、大日本帝国陸軍の兵科の1つ。兵站を担当した。 輜重の輸送を行う雑卒である輜重輸卒(後に輜重特務兵と改称)たちを警備し、管理・統制するのが輜重兵であったが、帝国陸軍内部でも「輜重兵」と「輜重輸卒」の区別が明確に認識されていなかった。 陸上自衛隊においては、輸送業務や輸送統制を行う「輸送科」、糧食・燃料などの補給を行う「需品科」に相当する。.

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東京大学出版会

一般財団法人東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい、英称:University of Tokyo Press)は、東京大学の出版部に当たる法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍の出版を主に行う。.

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歩兵

2歩兵師団所属の歩兵 歩兵(ほへい、Infantry)は、軍隊における兵科の一つであり、戦場を徒歩で行動する兵士のこと。(戦場にたどり着くまでは馬や自動車などさまざまな移動手段を用いても戦場において徒歩であれば歩兵である)。最古かつ最も基本的な兵科であり、歩兵の存在しない軍隊は存在しない。最も柔軟性の高い兵科でもあり、あらゆる戦場で姿を見ることができる。自衛隊用語では普通科という。 いかに軍の機械化が進んでも、諸兵科連合を構成したり、都市・拠点を確保したりするのには歩兵の存在が不可欠である。近年は非対称戦への要求が高まり、占領地の治安維持や平和維持活動に従事する特別な訓練を受けさせた歩兵の需要が増している。.

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津市

津市(つし)は、三重県中部に位置する都市で、同県の県庁所在地である。日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。周辺自治体と共に人口約51万人(2010年時点)を擁する津都市圏を形成する。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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1944年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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5月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より5月 5月(ごがつ)はグレゴリオ暦で年の第5の月に当たり、31日ある。.

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6月15日

6月15日(ろくがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から166日目(閏年では167日目)にあたり、年末まであと199日ある。誕生花はタチアオイ、アジサイ。大西歯科医院.

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