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紫波郡

索引 紫波郡

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97 関係: 南部氏古館村大正太政官布告・太政官達奥六郡岩手県岩手郡不動村平成幕末乙部村延喜式神名帳廃藩置県佐比内村彦部村徳田村 (岩手県)信濃国応永志和村志賀理和氣神社志波城八戸県八戸藩矢巾町知行磐城国紫波町町村制煙山村盛岡市盛岡都市圏盛岡藩飯岡村 (岩手県)見前村角川日本地名大辞典足利家氏転封郡山城 (陸奥国)郡区町村編制法郡制都南村興国赤石村 (岩手県)赤沢村 (岩手県)葛西氏長岡村 (岩手県)通 (南部藩)陸奥国...陸中国暦応松代藩松本藩水分村 (岩手県)江刺県法令全書戊辰戦争明治昭和斯波家兼斯波詮直日詰町旧高旧領取調帳支庁11月2日 (旧暦)12月13日12月23日 (旧暦)12月24日 (旧暦)12月7日 (旧暦)1341年1396年1664年1665年1869年1871年1872年1878年1889年1897年1923年1926年1942年1955年1966年1992年1月19日1月8日 (旧暦)2月16日2月4日2月5日7月10日 (旧暦)7月14日 (旧暦)7月22日 (旧暦)8月15日8月19日8月29日 インデックスを展開 (47 もっと) »

南部氏

南部氏(なんぶし)は、陸奥の武家で本姓は源氏。本貫地は甲斐国南部郷で家祖は南部光行。南部氏初代の光行は、平安時代に活躍した清和源氏の一流である河内源氏 源義光や、その孫で平安時代末期に活躍した黒源太清光、その子である甲斐源氏・加賀美遠光の子孫である。.

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古館村

古館村(ふるだてむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町高水寺・陣ヶ岡・中島・二日町にあたる。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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太政官布告・太政官達

太政官布告(だじょうかんふこく)・太政官達(だじょうかんたっし)とは、ともに太政官によって公布された明治時代初期の法令の形式である。.

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奥六郡

奥六郡(おくろくぐん)は、律令制下に陸奥国中部(東北地方太平洋側、後の陸中国)に置かれた胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の六郡の総称。 現在の岩手県奥州市から盛岡市にかけての地域に当たる。.

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岩手県

岩手県(いわてけん)は、東北地方に属する日本の都道府県の一つ。県庁所在地は盛岡市である。.

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岩手郡

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不動村

不動村(ふどうむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の矢巾町 岩清水・太田・白沢・北伝法寺・室岡・和味にあたる。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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乙部村

乙部村(おとべむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の盛岡市乙部・大ヶ生・黒川・手代森にあたる。.

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延喜式神名帳

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。.

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廃藩置県

廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.

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佐比内村

佐比内村(さひないむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町佐比内にあたる。.

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彦部村

彦部村(ひこべむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町彦部・大巻・星山および犬吠森の一部にあたる。.

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徳田村 (岩手県)

徳田村(とくたむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の矢巾町東徳田・西徳田・間野々・北郡山・高田・土橋・藤沢・高水寺および流通センター南にあたる。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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志和村

志和村(しわむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町稲藤・片寄・土舘・上平沢にあたる。.

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志賀理和氣神社

志賀理和氣神社(しがりわけじんじゃ/しかりわけじんじゃ、志賀理和気神社)は、岩手県紫波郡紫波町桜町にある神社。式内社で、旧社格は県社。 別称として「赤石神社」「浮島明神」とも。日本最北端に位置する式内社として知られる。.

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志波城

志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。 現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。.

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八戸県

八戸県(はちのへけん).

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八戸藩

八戸藩(はちのへはん)は、陸奥国三戸郡八戸に藩庁を置いた南部氏族の藩。.

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矢巾町

巾町(やはばちょう)は、岩手県のほぼ中心部に位置する紫波郡に属する町である。幣懸(ぬさかけ)の滝・南昌山・矢巾温泉・徳丹城跡など、町内に名所旧跡は多い。.

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知行

知行(ちぎょう)とは、日本の中世・近世において、領主が行使した所領支配権を意味する歴史概念。平安時代から「知行」の語が使用され始め、以降、各時代ごとに「知行」の意味する範囲は微妙に変化していった。日本の歴史上の領主はヨーロッパの農奴制における領主のように無制限に所領の土地と人民を私有財産として所有したのではなく、徴税権・支配権にかかわる一定の権利義務の体系を所持した存在であった。この体系が知行であり、日本史における領主階層のあり方を理解する上で、知行の概念の理解は欠かせない。.

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磐城国

城国の位置 磐城国(いわきのくに)は、戊辰戦争終結直後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国が分割されて設立された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は磐州(ばんしゅう)。領域は、現在の福島県浜通り、福島県中通り南部、宮城県南部に当たる。.

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紫波町

紫波町(しわちょう)は、盛岡都市圏の南部、岩手県の中部に位置する紫波郡の町である。.

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町村制

村制(ちょうそんせい、明治44年4月7日法律第69号)とは市制とともに大日本帝国憲法下における地方自治に関する基本法である。.

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煙山村

煙山村(けむやまむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の矢巾町煙山・赤林・広宮沢・上矢次・下矢次・北矢巾・南矢巾・又兵エ新田にあたる。.

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盛岡市

盛岡市(もりおかし)は岩手県の県庁所在地。中核市に指定されている。.

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盛岡都市圏

盛岡都市圏(もりおかとしけん)とは、岩手県盛岡市を中心とする都市圏のこと。.

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盛岡藩

盛岡藩(もりおかはん)は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に南部藩とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされた。 同じ南部氏領の八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があるが、八戸藩の詳細を除き、ここにまとめて記述する。.

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飯岡村 (岩手県)

飯岡村(いいおかむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の盛岡市上飯岡・下飯岡・飯岡新田・永井・羽場・湯沢および北飯岡・湯沢東・湯沢西・湯沢南・流通センター北にあたる。.

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見前村

見前村(みるまえむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の盛岡市東見前・西見前・三本柳・津志田および津志田町・津志田中央・津志田西・津志田南にあたる。.

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角川日本地名大辞典

『角川日本地名大辞典』(かどかわにほんちめいだいじてん)は、角川書店の出版による日本の地名辞典である。 著者は「角川日本地名大辞典」編纂委員会で、委員長を務めた竹内理三は本書を制作する目的として「民族遺産としての地名を将来に伝えること」、現代の地名を収録したことについては「現代の社会生活上の必要を満たし、地域の現状を歴史として後世に伝えること」としている(それぞれ本書冒頭の「編纂のことば」より引用)。.

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足利家氏

足利 家氏(あしかが いえうじ、生没年不明)は、鎌倉時代中期の御家人。足利泰氏の長男で、足利尾張家の初代。子に義利、貞数、宗家。子孫は斯波氏、大崎氏、最上氏、石橋氏。弟に兼氏(義顕、渋川氏祖)、頼氏(足利5代当主)、公深(一色氏祖)、頼茂(石塔氏祖)、義弁(上野氏祖)、賢宝(小俣氏祖)、基氏(加古氏の祖)等多数。.

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転封

転封(てんぽう)は、知行地、所領を別の場所に移すことである。国替(くにがえ)、移封(いほう)とほぼ同義である。 史料上は「国替」、「所替」(ところがえ)、「得替」(とくたい)等が使用された。.

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郡(ぐん)は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。 なお、欧米などの行政区画の一部を日本語に翻訳するときに、訳語としてこの語を当てることがある(カウンティも参照)。.

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郡山城 (陸奥国)

郡山城(こうりやまじょう)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。別称 高水寺城(こうすいじじょう)。.

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郡区町村編制法

郡区町村編制法(ぐんくちょうそんへんせいほう、明治11年7月22日太政官布告第17号)は、1878年(明治11年)7月22日に制定された、日本の地方制度に関する太政官布告である。.

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郡制

郡制(ぐんせい、明治32年3月16日法律第65号)は、日本における府県と町村との間に位置する郡を地方自治体として定めた制度であり、また、その制度を規定した法律である。明治期から大正期にかけて実施された。最初の法律は、1890年(明治23年)5月17日に公布され(明治23年5月17日法律第36号)、後に全部改正された。.

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都南村

都南村(となんむら)は、岩手県の紫波郡にかつて所在していた村である。 1992年4月1日に盛岡市に編入合併し廃止された。.

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興国

興国(こうこく)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。延元の後、正平の前。1340年から1346年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が後村上天皇、北朝方が後光厳天皇、光明天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。.

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赤石村 (岩手県)

赤石村(あかいしむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町北日詰・南日詰・犬渕・桜町・平沢および日詰駅前にあたる。.

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赤沢村 (岩手県)

赤沢村(あかざわむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町赤沢・北田・遠山・船久保・紫野・山屋にあたる。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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葛西氏

葛西氏(かさいし)は、陸奥国中部(現在の宮城県三陸沿岸から岩手県南部にかけての地域)を統治した大身(数郡規模の国人領主)。 平泉遠征の結果として、鎌倉時代に武蔵国・下総国の御家人・豊島氏の一族である葛西氏が、陸奥国に所領を得て土着した。戦国時代には奥羽の有力な戦国大名に数えられたが、豊臣秀吉の奥州仕置の際に大名としては滅亡した。.

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長岡村 (岩手県)

長岡村(ながおかむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町東長岡・西長岡・江柄・北沢・草刈・栃内および犬吠森村の一部にあたる。.

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通 (南部藩)

通(とおり)は、南部藩政初期は単に方面とか、その地方を表現した言葉であったが、天和年間(1681~83年)には、代官所統治区域を指した。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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陸中国

中国(りくちゅうのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国から分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。領域はほぼ現在の岩手県にあたるが、岩手県南東部の気仙郡、陸前高田市、大船渡市、釜石市南部及び岩手県西北の二戸郡を欠き、秋田県北東部の鹿角市と小坂町を含む。.

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暦応

暦応(りゃくおう、れきおう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。建武の後、康永の前。1338年から1341年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が光明天皇、南朝方が後醍醐天皇、後村上天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。.

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松代藩

松代城 旧松代藩藩邸。昭和初期に神奈川県藤沢市の竜口寺へ移築された(現在の竜口寺大書院) 松代藩(まつしろはん)は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)にあった藩。信濃国内の藩では最高の石高を有した。長野県長野市の松代城を居城とし川中島四郡を領した。藩主は、酒井家(左衛門尉)、越前松平家、真田家が就封した。なお本項では、城地は異なるが同じ領地を支配した川中島藩についても記載する。.

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松本藩

松本城(現存天守) 松本藩(まつもとはん)は、江戸時代に信濃国に存在した藩。藩庁は松本城。延宝年間の人口は90,000人。.

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水分村 (岩手県)

水分村(みずわけむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町小屋敷・南伝法寺・上松本・下松本・升沢・宮手・吉水にあたる。.

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江刺県

江刺県(えさしけん)は、1869年(明治2年)に仙台藩領、盛岡藩領の一部であった陸中国東部を管轄するために明治政府によって設置された県。のちに県域を広げ、現在の岩手県東部・北西部、秋田県北東部を管轄した。本項では前身の盛岡県(もりおかけん。盛岡藩の後身である同名の県とは別)、花巻県(はなまきけん)についても記す。.

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法令全書

法令全書(ほうれいぜんしょ)とは、日本における独立行政法人国立印刷局から出版されている刊行物であり、官報とともに法令の原典となるものである。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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斯波家兼

斯波 家兼(しば いえかね)は南北朝時代の武将。奥州管領。斯波高経の同母弟。奥羽斯波氏の祖。足利尊氏が倒幕の兵を挙げると兄・高経とともにこれに従い、後に建武政権に叛旗を翻した際も従うなど、足利氏の嫡流である尊氏を支え続けた。.

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斯波詮直

斯波 詮直(しば あきなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名・武将。高水寺斯波氏の最後の当主。.

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日詰町

日詰町(ひづめまち)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった町。現在の紫波町日詰および日詰西・紫波中央駅前にあたる。.

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旧高旧領取調帳

旧高旧領取調帳(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)とは、明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳である。.

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支庁

支庁(しちょう)とは、都道府県知事の権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に条例により設けられる都道府県の総合出先機関を言う(地方自治法155条)。また、その管轄地域自体を指す場合もある。同様の機関として地方事務所、支庁出張所が同条に挙げられている。なお、これら都道府県の出先機関である支庁や支庁出張所、地方事務所には議会や知事などはおかれず、旅券発給や納税証明書発行等の窓口業務など、管轄地域ごとに行った方が効率のよい一部の業務を担当している。.

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11月2日 (旧暦)

旧暦11月2日(きゅうれきじゅういちがつふつか)は旧暦11月の2日目である。六曜は赤口である。.

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12月13日

12月13日(じゅうにがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から347日目(閏年では348日目)にあたり、年末まであと18日ある。.

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12月23日 (旧暦)

旧暦12月23日は旧暦12月の23日目である。六曜は仏滅である。.

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12月24日 (旧暦)

旧暦12月24日(きゅうれきじゅうにがつにじゅうよっか)は、旧暦12月の24日目である。六曜は大安である。.

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12月7日 (旧暦)

旧暦12月7日(きゅうれきじゅうにがつなのか)は旧暦12月の7日目である。六曜は赤口である。.

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1341年

記載なし。

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1396年

記載なし。

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1664年

記載なし。

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1665年

記載なし。

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1869年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1872年

記載なし。

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1878年

記載なし。

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1889年

記載なし。

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1897年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1942年

記載なし。

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1955年

記載なし。

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1966年

記載なし。

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1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.

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1月19日

1月19日(いちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から19日目に当たり、年末まであと346日(閏年では347日)ある。.

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1月8日 (旧暦)

旧暦1月8日(きゅうれきいちがつようか)は、旧暦1月の8日目である。六曜は友引である。.

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2月16日

2月16日(にがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から47日目にあたり、年末まであと318日(閏年では319日)ある。.

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2月4日

2月4日(にがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から35日目に当たり、年末まであと330日(閏年では331日)ある。.

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2月5日

2月5日(にがついつか)はグレゴリオ暦で年始から36日目に当たり、年末まであと329日(閏年では330日)ある。.

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7月10日 (旧暦)

旧暦7月10日(きゅうれきしちがつとおか)は、旧暦7月の10日目である。六曜は仏滅である。.

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7月14日 (旧暦)

旧暦7月14日(きゅうれきしちがつじゅうよっか)は、旧暦7月の14日目である。六曜は友引である。.

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7月22日 (旧暦)

旧暦7月22日は旧暦7月の22日目である。六曜は仏滅である。.

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8月15日

8月15日(はちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から227日目(閏年では228日目)にあたり、年末まであと138日ある。.

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8月19日

8月19日(はちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。.

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8月29日

8月29日(はちがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から241日目(閏年では242日目)にあたり、年末まであと124日ある。.

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