目次
42 関係: 垂簾聴政、即位、古事記、壬申の乱、大津皇子、天武天皇、天智天皇、孝徳天皇、孝謙天皇、崩御、万葉集、平城京、乙巳の変、仁賢天皇、仲哀天皇、律令制、応神天皇、元明天皇、光仁天皇、皇后、皇太子、神功皇后、続日本紀、聖武天皇、草壁皇子、顕宗天皇、飯豊青皇女、飛鳥時代、高市皇子、譲位、近江国、舒明天皇、間人皇女、藤原不比等、清寧天皇、持統天皇、春秋時代、文武天皇、斉明天皇、日本書紀、旧正月、摂政。
垂簾聴政
垂簾聴政(すいれんちょうせい、垂簾聽政、ᠮᡝᠩᠰᡝᡴᡠᡨᡠᡥᡝᠪᡠᡶᡳᡩᠠᠰᠠᠨ ᡩᡝᡩᠠᠮᠪᡳ 転写:mengseku tuhebufi dasan de dambi、 転写:hida tuhebufi dasan i baita be icihiyambi)は、皇帝が幼い場合、皇后・皇太后のような女性が代わって摂政政治を行うこと。
見る 称制と垂簾聴政
即位
即位(そくい)とは位に即(つ)いて皇帝・天皇・国王など君主に成ること。また、ローマ教皇など宗教職にも用いる。稀に「しょくい」と読むこともある。
見る 称制と即位
古事記
真福寺収蔵の『古事記』(国宝。信瑜の弟子の賢瑜による写本) 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)「解説」は、日本の日本神話を含む歴史書。現存する日本最古の書物である「一 古事記」。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。上中下の3巻。内容は天地のはじまりから推古天皇の記事である。 8年後の養老4年(720年)に編纂された『日本書紀』とともに神代から上古までを記した史書として、近代になって国家の聖典と見なされ、記紀と総称されることもあるが、『古事記』が出雲神話を重視するなど両書の内容には差異もある「第一章 神話と叙事詩の時代 四 日本紀、祝詞、風土記」。
見る 称制と古事記
壬申の乱
壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日国内の一部解説書等には、日付をグレゴリオ暦で換算表記するものもある。その場合、7世紀の日付はユリウス暦より3日ずれることに注意(例:内乱開始は7月27日))に起こった古代日本最大の内乱である。 天智天皇の太子・大友皇子(1870年(明治3年)に弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱であった。 名称の由来は、天武天皇元年(672年)が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることによる。
見る 称制と壬申の乱
大津皇子
大津皇子(おおつのみこ)は、天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
見る 称制と大津皇子
天武天皇
天皇系図38~50代 天武天皇(てんむてんのう、? - 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)は、日本の第40代天皇(在位:673年3月20日〈天武天皇2年2月27日〉- 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)。 諱は。和風諡号は天渟中原瀛真人天皇。壬申の乱に勝利して即位した。
見る 称制と天武天皇
天智天皇
天智天皇(てんじてんのう / てんぢてんのう、626年〈推古天皇34年〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)は、日本の第38代天皇(在位:668年2月20日〈天智天皇7年1月3日〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)。 諱は葛城(かづらき/かつらぎ)。皇子時代の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)の名でも知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた大王位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味する語。 また、661年の斉明天皇崩御後に即日中大兄皇子が称制したため暦が分かりにくくなっているが、『日本書紀』では越年称元(越年改元とも言う)年代での記述を採用しているため、斉明天皇崩御の翌年(662年)が天智天皇元年に相当する。
見る 称制と天智天皇
孝徳天皇
孝徳天皇(こうとくてんのう、、596年〈推古天皇4年〉- 654年11月24日〈白雉5年10月10日〉)は、日本の第36代天皇(在位:645年7月12日〈皇極天皇4年6月14日〉- 654年11月24日〈白雉5年10月10日〉)。 諱は軽(かる)。その在位中には難波宮に宮廷があったことから、後世その在位時期をその政策(後世でいうところの大化の改新)などを含めて難波朝(なにわちょう)という別称で称されることがあった。
見る 称制と孝徳天皇
孝謙天皇
孝謙天皇(こうけんてんのう、)、重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう、、718年〈養老2年〉- 770年8月28日〈神護景雲4年8月4日〉)は、日本の第46代天皇(在位:749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉- 758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉)および第48代天皇(在位:764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉- 770年8月28日〈神護景雲4年8月4日〉)。 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。即位前の名は「阿倍内親王」。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。『続日本紀』では終始「高野天皇」と呼ばれており、ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。諱は阿倍で、これは阿倍氏に養育されたためであった。
見る 称制と孝謙天皇
崩御
崩御(ほうぎょ、)は、天皇、皇帝、国王(女王)等の君主や、太皇太后(太王太后)、皇太后(王太后)、皇后、上皇、上皇后、王妃などの死亡を表す最高敬語。 中国においては、主に『礼記』等にも見られる「駕崩」(がほう)の語が用いられる。 本項では、これらに準じる「薨去」(こうきょ)などについても扱っている。
見る 称制と崩御
万葉集
元暦校本万葉集 「万葉集」(まんようしゅう、まんにょうしゅう、)は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。
見る 称制と万葉集
平城京
平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう/ならのみやこ)は、奈良時代の日本の首都。710年に藤原京から遷都するにあたり、唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城。現在の奈良県奈良市、大和郡山市に存在する。 中央北域に宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊 (約 4.3 km) の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区画設定されていた。 大阪湾や淡路島(八島のひとつ)にも近い奈良盆地(奈良県奈良市の西部の一部、中心部及び大和郡山市北部)には、5世紀中頃にはすでに天皇陵である佐紀盾列古墳群が作られ、またのちには大神神社、7世紀には興福寺も建立されているが、京となった8世紀には、東大寺や巨大な仏像である東大寺盧舎那仏像、法華寺などが建立された。
見る 称制と平城京
乙巳の変
具慶の合作によって描かれたもの。左上は皇極天皇。 談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』(奈良県桜井市) 乙巳の変(いっしのへん)は、飛鳥時代645年(乙巳の年)に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。その後、中大兄皇子は体制を刷新し大化の改新と呼ばれる改革を断行した。蘇我入鹿が殺された事件を「大化の改新」と言うことがあるが、厳密には乙巳の変に始まる一連の政治制度改革を大化の改新と言い、乙巳の変は大化の改新の第一段階を言う『国史大辞典』吉川弘文館、1997年。。
見る 称制と乙巳の変
仁賢天皇
仁賢天皇(にんけんてんのう、允恭天皇38年 - 仁賢天皇11年8月8日)は、日本の第24代天皇(在位:仁賢天皇元年1月5日 - 同11年8月8日)。『日本書紀』での名は億計天皇。諱は大脚あるいは大為。
見る 称制と仁賢天皇
仲哀天皇
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、成務天皇18年? - 仲哀天皇9年2月6日)は、日本の第14代天皇(在位:仲哀天皇元年1月11日 - 同9年2月6日)。『日本書紀』での名は足仲彦天皇。日本武尊の子で神功皇后の夫。通説では実在性の低い天皇の一人に挙げられる『国史大辞典9』吉川弘文堂 1988年 467ページ(笹山晴生)『日本史大事典4』 平凡社 1997年 92ページ(春名宏昭)『日本史広辞典』山川図書出版社(1997)『新視点日本の歴史2古代編』新人物往来社(1993)白石太一郎pp154-161。
見る 称制と仲哀天皇
律令制
律令制(りつりょうせい)とは、中国の律令・律令法に基づく国家の法体系・制度を指す。 また古代日本において、それを取り入れた体系・国家制度・統治制度を指す。本稿では主にこの日本の制度を述べる。
見る 称制と律令制
応神天皇
応神天皇(おうじんてんのう、、仲哀天皇9年12月14日 - 394年?〈応神天皇41年2月15日〉)は、第15代天皇。『日本書紀』での名は誉田天皇(ほむたのすめらみこと)。記紀によると渡来人を用いて国家を発展させたとされ、中世以降は軍神八幡神としても信奉された。実在したとすれば4世紀後半〜5世紀初頭ごろの天皇(大王)と推定されている。
見る 称制と応神天皇
元明天皇
元明天皇(げんめいてんのう、661年〈斉明天皇7年〉 - 721年12月29日〈養老5年12月7日〉)は、日本の第43代天皇(在位:707年8月18日〈慶雲4年7月17日〉- 715年10月3日〈和銅8年9月2日〉)。 女性天皇(女帝)の一人。諱は、阿閇(あへ)。阿陪皇女(あへのひめみこ)とも。天智天皇第四皇女子。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘(めいのいらつめ)。持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉で、夫の母であるため姑にもあたる。大友皇子(弘文天皇)は異母兄。天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の正妃であり、文武天皇と元正天皇の母。 藤原京から平城京へ遷都、『風土記』編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成させ、和同開珎の鋳造等を行った。
見る 称制と元明天皇
光仁天皇
光仁天皇(こうにんてんのう、709年11月18日〈和銅2年10月13日〉- 782年1月11日〈天応元年12月23日〉)は、日本の第49代天皇(在位:770年10月23日〈宝亀元年10月1日〉- 781年4月30日〈天応元年4月3日〉)。諱は白壁(しらかべ)。和風諡号は天宗高紹天皇(あまつむねたかつぎのすめらみこと)。天智天皇の第7皇子・施基親王(志貴皇子)の第6皇子。母は紀橡姫(贈・太政大臣紀諸人の娘)。2023年(令和5年)時点では即位した年齢が最高である。
見る 称制と光仁天皇
皇后
皇后(こうごう、Empress)、王后(おうごう、Queen)は、皇帝・天皇・国王の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号。 一夫多妻制のもとでは、天皇・皇帝・国王の複数の妻のうち最上位の者となる。
見る 称制と皇后
皇太子
皇太子(こうたいし/ひつぎのみこ荒木 1985 p.116/もうけのきみ)、王太子(おうたいし)は、皇位、帝位、国王の第一継承者を指す語であり、称号。 現代日本の皇室においては皇室典範(昭和22年法律第3号)第8条により「皇嗣たる皇子を皇太子という」と定義され、他の条文と併せ、同法に基づいて「皇太子」の称号を受けるのは『今上天皇の皇子たる親王』が皇嗣である場合のみとなる。 より広義には、日本の皇室における天皇位だけでなく、国外の君主国の王室における君主位(王位等)の法定推定相続人の称号(例:Crown Prince)の対訳として使われる。女性君主を容認している場合は、法定推定相続人である女子の称号(例:Crown Princess)の対訳にも用いられる。
見る 称制と皇太子
神功皇后
神功皇后(じんぐうこうごう、、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、日本の第14代天皇・仲哀天皇の皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)で仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる(在位:神功皇后元年10月2日 - 神功皇后69年4月17日)。 なお、実在したとすれば後述の広開土王碑文、三国史記や七支刀に加えて纒向遺跡の廃絶年代、陵墓の年代などから総合して4世紀後半ごろの可能性があるが、実在の可能性が高く『日本書紀』編者が比定したとされる「魏志倭人伝」にあらわれる卑弥呼の生涯とは約120年の差がある。
見る 称制と神功皇后
続日本紀
『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らによって延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。
見る 称制と続日本紀
聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、、701年9月18日〈大宝元年8月12日〉 - 756年6月8日〈天平勝宝8歳5月2日〉)は、日本の第45代天皇(在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉- 749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉)。 諱は首(おびと)であるが、これは伊勢大鹿首が養育したことに由来するとする説が存在する。尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇、勝宝感神聖武皇帝、沙弥勝満とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。
見る 称制と聖武天皇
草壁皇子
草壁皇子(くさかべのみこ、くさかべのおうじ)は、天武天皇と皇后の鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の皇子。妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である阿閇皇女(後の元明天皇)。元正天皇・吉備内親王・文武天皇の父。諡号は岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと、おかのみやぎょうてんのう)。岡宮天皇、長岡天皇とも称される。『万葉集』では日並皇子(ひなみしのみこ)とも。 天皇系図38-50代。
見る 称制と草壁皇子
顕宗天皇
顕宗天皇(けんぞうてんのう、、、允恭天皇39年 - 顕宗天皇3年4月25日)は、日本の第23代天皇(在位:顕宗天皇元年1月1日 - 同3年4月25日)。『日本書紀』での名は弘計天皇。
見る 称制と顕宗天皇
飯豊青皇女
飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ、允恭天皇29年? - 清寧天皇5年11月?)は、記紀に伝えられる5世紀末の皇族(王族)。履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女。 第22代清寧天皇の崩御後に一時政務を執ったとされ、飯豊天皇とも呼ばれる。
見る 称制と飯豊青皇女
飛鳥時代
飛鳥時代(あすかじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つ。広義には、難波宮や飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年(ただし旧暦12月8日なので、西暦に換算すると593年))から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての101年間、または推古天皇元年(593年)から和銅3年(710年)にかけての117年間を指す。
見る 称制と飛鳥時代
高市皇子
高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)は、天武天皇の皇子(長男)、母は宗形徳善の娘、尼子娘。壬申の乱では近江大津京を脱出して父に合流し、美濃国不破で軍事の全権を委ねられ活躍した。持統天皇の即位後は太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。
見る 称制と高市皇子
譲位
譲位(じょうい、)は、君主が存命中の間に、その地位を後継者へ譲り渡す行為である。 本項では、主に日本の天皇の譲位について記述する。
見る 称制と譲位
近江国
近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道に属する。
見る 称制と近江国
舒明天皇
舒明天皇(じょめいてんのう、593年?〈推古天皇元年?〉- 641年11月17日〈舒明天皇13年10月9日〉)は、日本の第34代天皇(在位:629年2月2日〈舒明天皇元年1月4日〉- 641年11月17日〈舒明天皇13年10月9日〉)。 諱は田村(たむら)。 和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。漢風諡号の「舒明天皇」は代々の天皇と共に淡海三船によって名付けられたとされる。
見る 称制と舒明天皇
間人皇女
間人皇女(はしひとのひめみこ、生年不詳 - 665年3月16日〈天智天皇4年2月25日〉)は、日本の第36代天皇・孝徳天皇の皇后。父は舒明天皇、母は皇極天皇(斉明天皇)。天智天皇の同母妹、天武天皇の同母姉に当たる。間人大后とも。
見る 称制と間人皇女
藤原不比等
藤原 不比等(ふじわら の ふひと)は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿・政治家。諡号は淡海公(たんかいこう)で近江国に封じられた。正史以外で文忠公を記す史料もある。 草壁皇子と持統から元正に至る4代の天皇に仕え、大宝律令や日本書紀の編纂に関わり、文武から元正に至る3代の天皇の擁立に貢献した。 藤原鎌足の次男だが、『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』では、天智天皇の落胤と記されている(#天智天皇の皇胤説)。名を史(ふひと)と記す文献もある(#姓名について)。
見る 称制と藤原不比等
清寧天皇
清寧天皇(せいねいてんのう、、允恭天皇33年? - 清寧天皇5年1月16日)は、日本の第22代天皇(在位:清寧天皇元年1月15日 - 同5年1月16日)。『日本書紀』での名は白髪武広国押稚日本根子天皇。諱は白髪(しらか)。
見る 称制と清寧天皇
持統天皇
持統天皇(じとうてんのう、645年〈大化元年〉 - 703年1月13日〈大宝2年12月22日〉)は、日本の第41代天皇(在位:690年2月14日〈持統天皇4年1月1日〉 - 697年8月22日〈持統天皇11年8月1日〉)。天武天皇の皇后(天智天皇の娘、天武天皇の姪にあたる)、のちに持統天皇となり皇室史上3人目の女性天皇となった。 諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)であり、これは娑羅羅馬飼造が養育したからであると考えられる。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』巻30の冒頭に記された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは巻1・冒頭の第4の一書とこの箇所のみである)。確実ではないが伊勢神宮に参拝し「日本」国号を定めた可能性が高い天皇である(後述)。漢風諡号「持統天皇」は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたという。
見る 称制と持統天皇
春秋時代
代替文。
見る 称制と春秋時代
文武天皇
文武天皇(もんむてんのう、、683年〈天武天皇12年〉- 707年7月18日〈慶雲4年6月15日〉)は、日本の第42代天皇(在位:697年8月22日〈文武天皇元年8月1日〉- 707年7月18日〈慶雲4年6月15日〉)。 諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の707年(慶雲4年11月12日)に贈られた「倭根子豊祖父天皇」(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−豐祖父)と、『続日本紀』巻1の冒頭に記された「天之真宗豊祖父天皇」(あめの まむね とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−眞宗豐祖父)がある。漢風諡号の「文武天皇」(もんむてんのう)は天平勝宝3年(751年)の『懐風藻』に見え、初めて漢風諡号を贈られた天皇と見られる。
見る 称制と文武天皇
斉明天皇
皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう、、594年〈推古天皇2年〉- 661年8月24日〈斉明天皇7年7月24日〉)は、日本の第35代天皇(在位:642年2月19日〈皇極天皇元年1月15日〉- 645年7月12日〈皇極天皇4年6月14日〉)および第37代天皇(在位:655年2月14日〈斉明天皇元年1月3日〉- 661年8月24日〈斉明天皇7年7月24日〉)。 舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母である。推古天皇から1代おいて即位した女帝(女性天皇)になる。
見る 称制と斉明天皇
日本書紀
『日本書紀』(にほんしょき、やまとぶみ、やまとふみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、養老4年(720年)に完成したと伝わる。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。神典の一つに挙げられる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。
見る 称制と日本書紀
旧正月
北京東城区の地壇公園での旧正月 ロンドンのチャイナタウンでの旧正月 旧正月(きゅうしょうがつ、英: Lunar New Year、Chinese New Year、Spring Festival)は、旧暦としての太陰暦(中国暦)の正月(年初)。太陰暦(中国暦)元日(旧暦1月1日)、または元日からの数日間のことである。太陰暦(中国暦)を使っていた中華圏や、華人や華僑の多い国・地域で祝われる。中華人民共和国(中国香港、マカオ)、中国台湾のほか、シンガポール、韓国、北朝鮮、ベトナム、マレーシアなど、中華圏では国の祝日として定められている。キリスト教文化圏でも、現在の世界標準であるグレゴリオ暦の基となったユリウス暦の年初を祝う国・地域が僅かながらある。
見る 称制と旧正月
摂政
摂政(せっしょう、regent)は、君主制国家において、君主が幼少、女性、病弱である等の理由で政務を執り行うことが不可能、あるいは君主が空位であるなどの場合に君主に代わって政務を摂ること、またはその役職のこと。 多くの場合、君主の親族(血縁関係にある者)や配偶者が就任する。
見る 称制と摂政
臨朝称制 別名。

