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元明天皇

索引 元明天皇

元明天皇(げんめいてんのう、斉明天皇7年(661年) - 養老5年12月7日(721年12月29日))は、日本(飛鳥時代 - 奈良時代)の第43代天皇。女帝(在位:慶雲4年7月17日(707年8月18日) - 和銅8年9月2日(715年10月3日))。名は阿閇皇女(あへのひめみこ)。阿部皇女とも。和風諡号は「日本根子天津御代豊国成姫天皇」(やまと ねこ あまつみよ(みしろ) とよくに なりひめの すめらみこと、旧字体:−豐國成姬−)である。 天智天皇の皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘(めいのいらつめ)。持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉で、夫の母であるため姑にもあたる。大友皇子(弘文天皇)は異母兄。天武天皇と持統天皇の子・草壁皇子の正妃であり、文武天皇と元正天皇の母。 藤原京から平城京へ遷都、『風土記』編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成させ、和同開珎の鋳造等を行った。.

116 関係: 埼玉県十市皇女即位古事記右大臣合祀吉備姫王吉備内親王壬子大宝 (日本)大宝律令天上の虹天皇天皇陵天武天皇天智天皇太上天皇奈良市奈良県奈良時代姪娘宮中三殿宮内庁崩御左大臣己酉丁未万葉集干支平城京乙卯庚戌広姫伊勢神宮弘文天皇御名部皇女ムカデ和同開珎和銅元号元正天皇国司皇后皇太妃皇太子皇居石上麻呂秩父市糠手姫皇女甲寅...癸丑聖神社 (秩父市)聖武天皇荷役草壁皇子風土記飛鳥時代養老高市皇子辛亥茅渟王郷里制舒明天皇蘇我倉山田石川麻呂蘇我倉麻呂蘇我馬子藤原不比等藤原京藤原房前藤貞幹葛木王膳夫王里中満智子長屋王長岡良子押坂彦人大兄皇子東大寺要録桜井皇子武蔵国永井路子持統天皇戊辰明和文久文武天皇斉明天皇日本敏達天皇慶応慶雲10月3日12月29日12月7日 (旧暦)1月11日 (旧暦)5月10日 (旧暦)661年675年679年680年683年701年707年708年709年710年711年712年713年714年715年721年7月17日 (旧暦)8月18日9月2日 (旧暦) インデックスを展開 (66 もっと) »

埼玉県

埼玉県(さいたまけん)は、関東地方の中央西側内陸部に位置する県。県庁所在地はさいたま市。都道府県別の人口は東京、神奈川、大阪、愛知に次ぐ全国第5位。人口密度は東京、大阪、神奈川に次ぐ全国第4位である。県の愛称は「彩の国」。.

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十市皇女

十市皇女(とおちのひめみこ、653年(白雉4年)? (大化4年(648年)説も) - 天武天皇7年4月7日(678年5月3日))は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の第一皇女(母は額田王)、大友皇子(弘文天皇)の正妃。.

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即位

即位(そくい)とは、亡くなったり、譲位した君主(皇帝、国王など)の跡を継いで、その君主位に就くことである。君主の第一子や弟が皇太子(王太子)や皇太弟(王太弟)に就任し、先代君主が亡くなった後に継ぐことがある。最大の式典という意味の「大典(たいてん)」の語を以て即位を指す(反対語は君主の死と葬儀を指す「大喪」)。 即位に際して儀式を執り行うことも多く、戴冠式(即位式)と呼ばれる。一般的に即位時期に合わせて行われるが、国内の政情不安や先代君主への服喪、財政難などを理由に数年後に実施されることもある。.

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古事記

真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。.

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右大臣

右大臣(うだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「右府」「右丞相」「右相国」「右僕射」「太保」。和訓は「みぎのおおいもうちぎみ/みぎのおとど」。定員1名。官位相当は、正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。 左大臣とともに太政官の事実上の長官だが、左大臣がある場合は議政官の首座は左大臣であり、左大臣が置かれていない場合や差し支えて出仕しない場合に右大臣が朝議を主催した。また、左大臣が関白であった時にも右大臣が政務を司った。1885年(明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止。.

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合祀

合祀(ごうし)とは、神道の用語である。.

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吉備姫王

吉備姫王(きびひめのおおきみ・きびひめのみこ、生年不詳 - 皇極天皇2年9月11日(643年10月28日)) は、飛鳥時代の日本の皇族(王族)。吉備島皇祖母命と尊称を受ける。桜井皇子(欽明天皇の皇子)の王女。母は未詳。茅渟王(押坂彦人大兄皇子の子)の妃となり、宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)・軽王(孝徳天皇)を儲けた。.

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吉備内親王

吉備内親王(きびないしんのう、生年不詳(天武天皇15年(686年)頃か?) - 神亀6年2月12日(729年3月16日))は、白鳳時代から奈良時代初期にかけての皇族。草壁皇子と元明天皇の次女。元正天皇の妹、文武天皇の姉または妹。長屋王の妃。長屋王の変で自殺に追い込まれた。.

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壬子

壬子(みずのえね、じんし)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの49番目で、前は辛亥、次は癸丑である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の子は陽の水で、比和である。.

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大宝 (日本)

大宝(たいほう、だいほう、正字体:大寶)は、日本の元号のひとつで慶雲の前。701年 - 704年の期間を指す。この時代の天皇は文武天皇。 大宝年間には完成した大宝律令が施行され、都城としての藤原京や遣唐使派遣ならび、元号制定も律令国家成立の一環として行われた。『日本書紀』に拠れば、大宝以前にも大化(645年 - 650年)、白雉(650年 - 654年)、1年だけ存在した朱鳥(686年)などの年号があったとされるが、日本における元号制度は断絶状態にあり、「大宝」の改元により元号使用は再開される。以降、元号制度は途切れることなく現在に至るまで続いている。.

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大宝律令

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.

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天上の虹

『天上の虹』(てんじょうのにじ)は、里中満智子による日本の漫画。副題に「持統天皇物語」とあるように、日本の第41代天皇で、女帝である持統天皇を主人公とした作品。1983年(昭和58年)に連載を開始し、その後書き下ろしを経て2015年(平成27年)に完結した。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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天皇陵

大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵) 天皇陵(てんのうりょう)は、天皇の墓。.

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天武天皇

天皇系図38~50代 天武天皇(てんむてんのう、? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。.

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天智天皇

天智天皇(てんじてんのう/てんぢてんのう、推古天皇34年(626年) - 天智天皇10年12月3日(672年1月7日))は、第38代天皇(在位:天智天皇7年1月3日(668年2月20日) - 10年12月3日(672年1月7日))。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)として知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船が「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けたと言われる。.

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太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

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奈良市

奈良市(ならし)は、日本の奈良県の北部に位置する市で、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。.

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奈良県

奈良県(ならけん)は、日本の都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。 令制国の大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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姪娘

姪娘(めいのいらつめ、生没年不詳)は、蘇我倉山田石川麻呂の娘。 天智天皇の妃となり、御名部皇女と阿閇皇女(後の元明天皇)を生む。姉には、同じく天智天皇の妃となった遠智娘がいる。同じ天智天皇の妃となった、蘇我赤兄の娘常陸娘・天武天皇に嫁いだ大蕤娘姉妹とは従姉妹にあたる。 姉の死後は、自身の2人の娘とともに、姉の遺した2人の皇女も一緒に育てたといわれる。そのため、姉の子供である鸕野讃良皇女(持統天皇)は、のちに、我が子草壁の妃に姪娘の娘の阿陪皇女(元明天皇)を、草壁の死後、片腕となった高市皇子の妃に御名部皇女を迎えた。.

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宮中三殿

宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、皇居にある、賢所(かしこどころ、けんしょ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)の総称。吹上御苑の東南にある。.

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宮内庁

宮内庁(くないちょう、Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つである。 「皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽・国璽を保管する内閣府の機関」である。 なお、宮内庁はかつて総理府の外局」であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされている(内閣府設置法48条)。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。.

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崩御

崩御(ほうぎょ)は、天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、君主等の死亡を表す敬語。.

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左大臣

左大臣(さだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。 「一上」の別称が示すとおり、太政官の職務を統べる議政官の首座として朝議を主催した。左大臣の上位の太政大臣は功労者を待遇する名誉職としての意味が強いために具体的職掌が伴わず、また「則闕(そっけつ)の官」と呼ばれたように常設職ではなかったことから、左大臣が太政官における事実上の最高位であった。事実、摂関政治の最盛期に位置する藤原道長・藤原頼通も長期にわたって左大臣の地位を保持し続けており、太政大臣であった期間はごく短い。 この他、弾正台が不当な糾弾や摘発を行った案件がある場合には、代わって弾劾する権限を持った。 「六国史」や『公卿補任』の記録を見ると、律令制初期には適任者不在のために闕官となっていた時期も少なくないが、その場合は右大臣が政務を代行した。10世紀前半の藤原忠平からほぼ常設職となる。明治維新以降も天皇を輔佐して大政を統理する職として存続したが、1885年(明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止。.

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己酉

己酉(つちのととり、きゆう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの46番目で、前は戊申、次は庚戌である。陰陽五行では、十干の己は陰の土、十二支の酉は陰の金で、相生(土生金)である。.

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丁未

丁未(ひのとひつじ、ていび)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの44番目で、前は丙午、次は戊申である。陰陽五行では、十干の丁は陰の火、十二支の未は陰の土で、相生(火生土)である。.

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万葉集

元暦校本万葉集 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。 日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。.

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干支

干支(かんし、えと、中国語:干支、ピンイン:gānzhī)は、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞。暦を始めとして、時間、方位などに用いられる。六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう。.

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平城京

平城宮跡 平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都。唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。.

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乙卯

乙卯(きのとう、いつぼう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの52番目で、前は甲寅、次は丙辰である。陰陽五行では、十干の乙は陰の木、十二支の卯は陰の木で、比和である。.

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庚戌

庚戌(かのえいぬ、こうじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの47番目で、前は己酉、次は辛亥である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の戌は陽の土で、相生(土生金)である。.

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広姫

広姫(ひろひめ、生年不明 - 敏達天皇4年(575年?)11月)は、敏達天皇(第30代)の皇后。 『日本書紀』では「広姫(廣姫)」、『古事記』では「比呂比売命(ひろひめのみこと)」と表記される。.

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伊勢神宮

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。 二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。.

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弘文天皇

弘文天皇(こうぶんてんのう、大化4年(648年) - 天武天皇元年7月23日(672年8月21日))は、第39代天皇(在位:天智天皇10年12月5日(672年1月9日) - 天武天皇元年7月23日(672年8月21日))。諱は大友(おおとも)または伊賀(いが)。明治3年(1870年)に諡号を贈られ、天皇として認められたが、即位したかどうか定かではなく、大友皇子と表記されることも多い。.

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御名部皇女

御名部皇女(みなべのひめみこ、斉明天皇6年(660年)? - ?)は、飛鳥時代の皇族。天智天皇の皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、姪娘。元明天皇の同母姉。大宝律令施行後は御名部内親王とも記述される。高市皇子の正妃となり、長屋王を生む。 没年は未詳であるが、息子・長屋王が神亀5年(728年)に奉納したと言われる長屋王願経(神亀経)の釈文(写経の目的は父母の菩提を弔う、とする)から、この年以前には死去したものと考えられる。 中継ぎとして即位した妹・元明天皇を激励する歌が『万葉集』にある。.

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ムカデ

ムカデ(百足、蜈蜙、蜈蚣、蝍蛆)とは、多足亜門 ムカデ綱(=唇脚綱)に属する節足動物の総称。脚の数が多く、運動性に富む捕食性の虫である。英名のCentipedeはラテン語の百(centi)脚(pede)に由来する。.

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和同開珎

和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、708年8月29日(和銅元年8月10日)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の1番目にあたる。.

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和銅

和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の後、霊亀の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。.

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元号

元号(げんごう)とは、日本を含むアジア東部における紀年法の一種。特定の年代に付けられる称号で、基本的に年を単位とするが、元号の変更(改元)は一年の途中でも行われ、一年未満で改元された元号もある。日本においては年号(ねんごう)とも呼ばれることもある。公称としては、江戸時代まで「年号」が多く使われ、明治時代以降は一世一元の制が定着し、「元号」が法的用語となった。現代では元号法が制度の裏付けとなっている。.

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元正天皇

元正天皇(げんしょうてんのう、天武天皇9年(680年) - 天平20年4月21日(748年5月22日))は日本(奈良時代)の第44代天皇。女帝(在位:霊亀元年9月2日(715年10月3日) - 養老8年2月4日(724年3月3日))。父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。諱は氷高(ひたか)・日高、又は新家(にいのみ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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皇后

皇后(こうごう、Empress)は、天皇や皇帝の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号。 一夫多妻制のもとでは、天皇や皇帝の複数の妻のうち最上位の者となる。.

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皇太妃

皇太妃(こうたいひ)とは、天皇の生母で、前天皇の妃であった人の呼称。同じく后であった人を皇太后、夫人であった人は皇太夫人と呼ばれる。 元明天皇は、天皇ではなく皇太子草壁皇子の妃であったが、即位前、皇太妃とされた。 Category:身位 Category:尊号 Category:后妃の称号.

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皇太子

皇太子(こうたいし、Crown Prince)は、皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号。一般的には皇室ならびに海外の王室における君主位の法定推定相続人の敬称として使われる。.

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皇居

皇居の正門石橋(この奥に正門鉄橋(通称二重橋が架かる) 皇居(こうきょ)は、天皇の平常時における宮殿・住居である。現在は東京都千代田区にある。「皇居」の呼称が広く用いられるようになったのは現在の皇居からである。.

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石上麻呂

石上 麻呂(いそのかみ の まろ、舒明天皇12年(640年) - 霊亀3年3月3日(717年4月22日))は、日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。麻呂は麿とも書く。氏姓は物部連、のち物部朝臣、石上朝臣。大華上・物部宇麻乃の子。官位は正二位・左大臣、贈従一位。 壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)の側につき、皇子の自殺まで従った。のちに赦されて遣新羅大使となり、その後法官の仕事につき、筑紫総領になった。701年に大納言となって以後、政治の中枢に携わり、右大臣、左大臣に任じられた。717年で死去するまでの数年は太政官の最高位者であった。 なお、『竹取物語』においてかぐや姫に求婚する5人の貴族の一人である「石上まろたり」のモデルであるとされる。.

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秩父市

秩父市(ちちぶし)は、埼玉県の北西部の秩父地方にある人口約6.2万人の市。面積は約578km2で、埼玉県内では最も広い市町村でもある。.

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糠手姫皇女

糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ、生年不詳 - 天智天皇3年(664年)6月)は、古墳時代末期から飛鳥時代にかけての皇族。『日本書紀』では他に田村皇女、『古事記』では宝王、糠代比売王と表記されている。押坂彦人大兄皇子の妃。舒明天皇の母。父は第30代敏達天皇、母は伊勢大鹿首小熊の女。同母姉妹には太姫皇女がいる。.

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甲寅

寅(きのえとら、こういん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの51番目で、前は癸丑、次は乙卯である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の寅は陽の木で、比和である。.

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癸丑

丑(みずのとうし、きちゅう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの50番目で、前は壬子、次は甲寅である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の丑は陰の土で、相剋(土剋水)である。.

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聖神社 (秩父市)

聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する神社である。 秩父盆地の中央部やや北寄りに聳える簑山から南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に鎮座し、簑山を水源とする川が流下する社前は和銅沢(旧称銅洗沢)と称されている。 慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされる。旧村社。.

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聖武天皇

聖武天皇(しょうむ てんのう、大宝元年(701年) - 天平勝宝8歳5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日) - 天平勝宝元年7月2日(749年8月19日))は、日本(奈良時代)の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、沙弥勝満(しゃみしょうまん)とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。.

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荷役

荷役(にやく)とは、運輸業における作業のひとつ。「にえき」とも。.

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草壁皇子

草壁皇子(くさかべのみこ(おうじ)、天智天皇元年(662年) - 持統天皇3年4月13日(689年5月7日)は、飛鳥時代の皇族。天武天皇と皇后・鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の皇子。妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である阿陪皇女(後の元明天皇)。元正天皇・吉備内親王・文武天皇の父。諡号は岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと、おかのみやぎょうてんのう)。岡宮天皇、長岡天皇とも称される。 天皇系図38~50代.

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風土記

土記(ふどき)とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす。正式名称ではなく、ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されている。.

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飛鳥時代

飛鳥時代(あすかじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つ。広義には、飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての102年間を指す。飛鳥時代は古墳時代、大和時代の終末期と重なるが、今日では分けて捉えるのが一般的である。 この時代、推古朝では飛鳥文化、天武・持統朝では白鳳文化が華開いた。また国号が「倭」から「日本」へと変えられたのもこの時代と考えられている。.

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養老

養老(ようろう)は、日本の元号。霊亀の後、神亀の前。717年から724年までの期間を指す。この時代の天皇は元正天皇。.

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詔(みことのり)は、天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書。御言宣、大御言。首都を移す「東京奠都の詔」などがその例である。これを文書にしたものを詔書(しょうしょ)(英:Imperial Rescript)と言う。主に、広く一般に天皇の意思を伝えるために用いられた。言葉としては秦の始皇帝が初めて造った。おおみせ、おおみこと、とも言う。.

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諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。.

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高市皇子

市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ、654年(白雉5年)? - 696年8月13日(持統天皇10年7月10日))は、日本の飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子(長男)、母は宗形徳善の娘、尼子娘。壬申の乱では近江大津京を脱出して父に合流し、美濃国不破で軍事の全権を委ねられ活躍した。持統天皇の即位後は太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。.

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辛亥

辛亥(かのと い、しんがい)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの48番目で、前は庚戌、次は壬子である。陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の亥は陰の水で、相生(金生水)である。.

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茅渟王

茅渟王(ちぬのおおきみ・ちぬのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。押坂彦人大兄皇子の皇子で、母は漢王の妹・大俣王(おおまたのみこ)。異母弟に舒明天皇。桜井皇子の女・吉備姫王(吉備島皇祖母命)を妃とし、宝女王(皇極天皇・斉明天皇)と軽王(孝徳天皇)を儲けた。茅渟皇子、智奴王とも。 系譜記事に名が現われるのみで、事績は全く不明である。歴史学者の塚口義信は、『新撰姓氏録』左京皇別に見える百済王 (百済親王)に同一人とする説を出しているが、確実ではない。『延喜式』諸陵寮によれば、片岡葦田墓(かたおかのあしたのはか) に葬られたとされ、塚口は奈良県香芝市の平野塚穴山古墳(方墳・辺18m、国の史跡)をそれに当てている。.

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郷里制

郷里制(ごうりせい/きょうりせい)は、中国で成立した地方行政制度のことである。.

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舒明天皇

舒明天皇(じょめいてんのう、推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))は、日本の第34代天皇(在位:舒明天皇元年1月4日(629年2月2日) - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日))。 諱は田村(たむら)。 和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。.

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蘇我倉山田石川麻呂

SVGで表示(対応ブラウザのみ) 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ/そがのくらのやまだのいしかわ の まろ、生年不詳 - 大化5年3月25日(649年5月15日))は、飛鳥時代の豪族。 名称は「蘇我倉山田麻呂」「倉山田臣」「山田臣」「山田大臣」などとも。 蘇我馬子の子である蘇我倉麻呂の子であり、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟に当たる。兄弟に日向・赤兄・連子・果安。.

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蘇我倉麻呂

蘇我 倉麻呂(そが の くらまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代の豪族。蘇我雄当(そがの おまさ)ともいう。父は蘇我馬子、子に蘇我倉山田石川麻呂、蘇我日向、蘇我連子、蘇我赤兄、蘇我果安がいる。 『日本書紀』巻第二十三の舒明天皇即位前紀によると、皇位継承問題での群臣合議の際、田村皇子(舒明天皇)を推す者と山背大兄王を推す者とに分かれた。しかし、倉麻呂はただひとり意見を保留した。.

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蘇我馬子

各人物記事へのリンク表示) 蘇我 馬子(そが の うまこ)名に「子」の字が付くが男性である(当時は「子」が男女問わず用いられた)。子 (人名)を参照のこと。は、飛鳥時代の政治家、貴族。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。 敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。.

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藤原不比等

藤原 不比等(ふじわら の ふひと)は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。.

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藤原京

藤原京条坊(拡大してご覧ください) 列柱は実際位置から南30メートルで標示。奥に大極殿跡(樹叢)。 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。 『日本書紀』には新益京持統天皇6年正月12日(692年2月4日)条。読みを「あらましのみやこ」「あらましきょう」「しんやくのみやこ」「しんやくきょう」などとしている。と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。本項ではこの藤原宮についても述べる。.

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藤原房前

藤原 房前(ふじわら の ふささき)は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族。藤原不比等を父とする藤原四兄弟の次男で藤原北家の祖。官位は正三位・参議。贈正一位・太政大臣。.

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藤貞幹

藤 貞幹(とう ていかん、享保17年6月23日(1732年8月13日) - 寛政9年8月19日(1797年10月8日))は、江戸時代中期の有職故実研究家。諱は藤原 貞幹(ふじわら さだもと)。字は子冬。通称・叔蔵。号は無仏斎・蒙斎・瑞祥斎・好古など。京都の佛光寺久遠院院主玄煕(権律師、日野家出身)の子。日本の文献学・目録学の祖とも言われている。なお、姓を「藤井」と称したとする説もあるが、誤伝によるもので事実ではない。 父親と同様に僧侶になるべく育てられ、11歳で得度する。だが、仏教の教えに疑問を抱いて18歳で家を飛び出して還俗、日野家の本姓である藤原を名乗った。宗家の日野資枝から和歌を、高橋宗直から有職故実を、持明院宗時から書道を、後藤柴山・柴野栗山から儒学を、高芙蓉から篆刻を学んだほか、雅楽・篆書・草書・金石文などに精通し、韓天寿や上田秋成とも親交を有した。後に水戸藩彰考館に招かれて『大日本史』編纂にも関与している。日野資枝の実弟で宝暦事件で逼塞していた裏松固禅と意気投合してその家臣となり、『大内裏図考証』の執筆を助けた。だが、その一方で発掘された出土品などを吟味して厳密な考証の必要を唱えて記紀の記述と言えども無条件でこれを支持すべきではないと主張し、神武天皇の在位を600年繰り下げて神代文字の存在を否定した『衝口発』を著すが、これが国学者達の反感を買い、特に神武天皇や素戔嗚尊(その正体を新羅の国王であるとした)の問題については本居宣長が『鉗狂人』を著して貞幹の考証が杜撰であると主張し、逆に上田秋成が貞幹を擁護して宣長の姿勢を非難するなど激しい「日の神論争」等の論争を招いた。他にも『百官』・『国朝書目』・『逸号年号』・『伊勢両大神宮儀式帳考註』・『古瓦譜』など自著多数がある。.

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葛木王

葛木王(かつらぎおう).

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膳夫王

膳夫王(かしわでおう、生年不詳 - 神亀6年2月12日(729年3月16日))は、奈良時代の皇族。名は膳王、膳部王とも記される。左大臣・長屋王の子。位階は従四位下。.

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里中満智子

里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 - )は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。大阪府大阪市出身。.

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長屋王

長屋王(ながやおう/ ながやのおおきみ、天武天皇5年(676年)/天武天皇13年(684年)? - 神亀6年2月12日(729年3月16日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。太政大臣・高市皇子の長男。官位は正二位・左大臣。 皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原四兄弟の陰謀といわれる長屋王の変で自殺した。.

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長岡良子

長岡 良子(ながおか よしこ、1948年8月23日 - )は、日本の女性漫画家。山形県西村山郡朝日町出身、東京都在住。 1974年、『りぼん』(集英社)増刊号に掲載された「ナイルの詩」でデビュー。『ボニータ』(秋田書店)等に多くの作品を発表。日本史や古代エジプトを題材にした作品が多い。『ミステリーボニータ』(秋田書店)で「華麗なる愛の歴史絵巻」シリーズを年2回のペースで掲載している。ところが、2016年3月の時点で秋田書店のサイトで作者のコミックスのデータが『うたかたの曜(ひかり)』までの既刊全部が丸ごと消えて読者を困惑させたが、編集部によれば絶版になりHPから削除したとのことである。.

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押坂彦人大兄皇子

押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。麻呂古皇子、太子彦人皇子、忍坂日子人太子、皇祖大兄とも。敏達天皇の第一皇子で、母は広姫。子に舒明天皇、茅渟王がいる。.

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東大寺要録

東大寺要録(とうだいじようろく)は、平安時代後期に作成された東大寺の寺誌。10巻10章。.

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桜井皇子

桜井皇子(さくらい の みこ、欽明天皇21年(560年)前後? - 用明天皇2年(587年)?)は、古墳時代終末期の皇族。欽明天皇と妃蘇我堅塩媛(蘇我稲目の女)の第六皇子。用明天皇・推古天皇の同母弟。吉備姫王(皇極=斉明天皇・孝徳天皇の母)の父。 家来の桜井部犬が物部氏に味方していたことなどから、587年の丁未の乱で物部氏に味方し、戦死したと思われるが、不明。 Category:古墳時代以前の男性皇族 Category:飛鳥時代の男性皇族.

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武蔵国

武蔵国(むさしのくに、)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属する。.

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永井路子

古河文学館の別館として利用されている永井路子旧宅(茨城県古河市) 永井 路子(ながい みちこ、1925年3月31日 - )は、日本の歴史小説家。本名は、黒板擴子 (くろいた ひろこ)読売人物データベース。.

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持統天皇

持統天皇(じとうてんのう、大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、天武天皇の皇后で、日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年8月22日))。諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』の養老4年(720年)に代々の天皇とともに諡された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは冒頭の第4の一書とこの箇所のみである)。漢風諡号、持統天皇は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたという。.

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戊辰

戊辰(つちのえたつ、ぼしん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの5番目で、前は丁卯、次は己巳である。辰(龍)は、十二支で唯一の架空の動物。陰陽五行では、十干の戊は陽の土、十二支の辰は陽の土で、比和である。.

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明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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文久

文久(ぶんきゅう)は日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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文武天皇

文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))。 諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の707年(慶雲4年11月12日)に「倭根子豊祖父天皇」(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−豐祖父)と、『続日本紀』797年(延暦16年)に諡された「天之真宗豊祖父天皇」(あめの まむね とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−眞宗豐祖父)がある。 当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統太上天皇(史上初の太上天皇)のもとで政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。.

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斉明天皇

皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう;齊明天皇、推古天皇2年(594年) - 斉明天皇7年7月24日(661年8月24日))は、日本の第35代・第37代天皇。 在位期間は、皇極天皇として皇極天皇元年1月15日(642年2月19日) - 4年6月14日(645年7月12日)、斉明天皇として斉明天皇元年1月3日(655年2月14日) - 7年7月24日(661年8月24日)。 舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母である。推古天皇から一代おいて即位した女帝(女性天皇)になる。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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敏達天皇

敏達天皇(びだつてんのう、宣化天皇3年?(538年?) - 敏達天皇14年8月15日(585年9月14日?)は、第30代天皇。 在位期間は、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)から同14年8月15日(585年9月14日?)まで。和風諡号は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと。『古事記』では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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慶雲

慶雲(けいうん、きょううん)は、日本の元号のひとつで大宝の後、和銅の前。704年から708年までの期間を指す。この時代の天皇は文武天皇、元明天皇。「慶雲」とは夕空に現れ瑞兆とされる雲で、蚊柱のこととも。大宝2年(702年)に崩御した持統天皇の葬儀などが済んだ大宝4年(704年)に藤原京において現れ、改元される。大宝年間に律令の編纂や都城の完成など律令国家建設の諸改革を果たし、同年には大宝の遣唐使が帰国。慶雲年間には、遣唐使の報告や実際に律令を施行した上での諸問題を是正する政治改革が行われた(慶雲の改革)。また、平城遷都も立案される。.

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10月3日

10月3日(じゅうがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。.

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12月29日

12月29日(じゅうにがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から363日目(閏年では364日目)にあたり、年末まであと2日ある。.

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12月7日 (旧暦)

旧暦12月7日(きゅうれきじゅうにがつなのか)は旧暦12月の7日目である。六曜は赤口である。.

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1月11日 (旧暦)

旧暦1月11日は旧暦1月の11日目である。六曜は大安である。.

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5月10日 (旧暦)

旧暦5月10日は旧暦5月の10日目である。六曜は友引である。.

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661年

記載なし。

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675年

記載なし。

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679年

記載なし。

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680年

記載なし。

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683年

記載なし。

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701年

記載なし。

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707年

記載なし。

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708年

記載なし。

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709年

記載なし。

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710年

記載なし。

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711年

記載なし。

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712年

記載なし。

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713年

記載なし。

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714年

記載なし。

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715年

記載なし。

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721年

記載なし。

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7月17日 (旧暦)

旧暦7月17日は、旧暦7月の17日目である。六曜は大安である。.

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8月18日

8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。.

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9月2日 (旧暦)

旧暦9月2日(きゅうれきくがつふつか)は旧暦9月の2日目である。六曜は仏滅である。.

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