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宇文逸豆帰

索引 宇文逸豆帰

宇文 逸豆帰(呉音:うもん いちずぎ、漢音:うぶん いつとうき、拼音:Yŭwén Yìdòuguī、生没年不詳)は、匈奴系鮮卑族宇文部の最後の大人(たいじん:部族長)。『周書』では侯豆帰と書かれ、宇文莫那から9世目にあたるとされる。のちに、逸豆帰の直系の子孫が北周を建てた。.

32 関係: 外蒙古宇文乞得亀宇文部平州建元 (東晋)後燕匈奴北史北周北魏ピン音刺史周書呉音咸和 (東晋)前燕高句麗魏書鮮卑車騎将軍段遼段部漢音慕容垂慕容仁慕容カイ慕容コウ慕容翰慕容部晋書333年344年

外蒙古

外蒙古(がいもうこ)は、北京を基準とする「内」「外」という語彙をもちいてモンゴルを南北に区分する分類法において、ゴビ砂漠の北側部分をさす呼称。19世紀後半、中国人が執筆した中国語文献において、外藩蒙古に分類されるモンゴル系諸侯のうち北元系の王公を区分するための概念として出現した。20世紀初頭以降、南北の位置関係を「内」「外」(または同義の訳語)で区分する用語は英語、日本語等でも使用されるようになった(英語:Outer Mongolia、日本語:外蒙古・外蒙・外モンゴル)。モンゴルでは北京を基準とする「内」「外」の用語を嫌い、独立国であるモンゴル国、中国領の自治区である内蒙古自治区のいずれにおいても、「北」「南」を意味する「北モンゴル(アル・モンゴル)」、「南モンゴル(ウブル・モンゴル)」という用語が使用されている。.

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宇文乞得亀

宇文 乞得亀(呉音:うぶん こちとくき、漢音:うぶん きつとくき、、生没年不詳)は、匈奴系鮮卑族宇文部の大人(たいじん:部族長)。父は宇文遜昵延、兄に宇文悉跋堆がいる。.

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宇文部

宇文 部(うぶん ぶ、)は、元来は匈奴系俟汾氏であった鮮卑の一部族で、宇文莫珪のときに強盛となった。南北朝時代にはその子孫が北周を建てた。.

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平州

平州(へいしゅう)は中国にかつて存在した州。.

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建元 (東晋)

建元(けんげん)は、南北朝時代、東晋康帝司馬岳の治世に行われた元号。343年 - 344年。.

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後燕

後燕(こうえん、拼音:Hòu-yàn)は、中国の五胡十六国時代に存在した国(384年 - 407年)。華北を統一した前秦が383年の淝水の戦いで東晋に大敗した後、前燕の将軍だった慕容垂によって建国された。中山(河北省定県)に都し、華北東部と遼西を領有した。.

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匈奴

匈奴(きょうど、)は、紀元前4世紀頃から5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。.

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北史

『北史』(ほくし)は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代(439年 - 589年)の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。詔令や上奏文の多くを削って叙事に重きを置き、記述の総量は断代史である『魏書』・『北斉書』・『周書』・『隋書』を合わせた分量の半分ほどであるが、断代史の4書に見られない記述も少なくない。特に『魏書』の記さなかった西魏の人物についての増補部分が大きい。.

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北周

北周(ほくしゅう、、556年 - 581年)は、中国の南北朝時代に鮮卑系の宇文氏によって建てられた国。国号は単に周であるが、紀元前11世紀から紀元前3世紀まで続いた周を始めとする同名の王朝と区別するために北周と呼ぶ。 君主の称号としては当初、秦以来の中国の歴代王朝が称していた「皇帝」号をやめ、「天王」を採用している。.

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北魏

北魏(ほくぎ、、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。 国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。.

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ピン音

(ピンイン)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。一般的な場合この語は、(かんごピンイン、Hànyǔ Pīnyīn)と呼ばれる1958年に中華人民共和国が制定したという表記法、またはそれに基づくという文字を指す。 のように中国大陸とは異なる「」もあり、ウェード式などの他のラテン文字による表記法も中国語ではと称することがある。の名称は、それらと特に区別する必要がある場合用いられる。 は、当初は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として使用されている。.

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刺史

刺史(しし)は、中国に前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。日本では国守の唐名として使われた。.

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周書

『周書』(しゅうしょ )は、唐の令狐徳棻らが太宗の勅命によって撰した紀伝体の断代史で、二十四史の一つである。西魏、北周両朝の歴史を記録した正史である。『北周書』(ほくしゅうじょ)、『後周書』(こうしゅうじょ)とも呼ぶ。50巻、636年(貞観10年)に完成した。.

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呉音

呉音(ごおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。当時の南朝(日本では大和時代)の首都 建康(南京)付近の漢字音をいう。中国語の中古音の特徴を伝えている。 一般に、呉音は仏教用語をはじめ歴史の古い言葉に使われる。 慣用的に呉音ばかり使う字(未〔ミ〕、領〔リョウ〕等)、漢音ばかり使う字(健〔ケン〕、軽〔ケイ〕等)も少なくないが、基本的には両者は使用される熟語により使い分ける等の方法により混用されている。.

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咸和 (東晋)

咸和(かんわ)は、南北朝時代、東晋成帝司馬衍の治世に行われた最初の元号。326年 - 334年。.

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前燕

前燕(ぜんえん、拼音:Qiányàn、337年 - 370年)は、中国の五胡十六国時代に鮮卑族の慕容皝によって建てられた国。国号は単に燕だが、同時代に同じく国号を燕とする国が4つあるため、一番初めに建てられたこの国を前燕と呼んで、区別する。.

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高句麗

句麗(こうくり、、紀元前37年 - 668年)または高麗(こうらい、こま、)は、現在の中国東北部の南部から朝鮮民主主義人民共和国、韓国北部に存在した国家。しばしばツングース系民族によって建てられたとされるが*シロコゴロフ、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。.

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魏書

『魏書』(ぎしょ)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年(天保5年)に、志の部分は、559年(天保10年)に成立した。.

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鮮卑

鮮卑(せんぴ、拼音:)は、紀元前3世紀から6世紀にかけて中国北部に存在した遊牧騎馬民族。五胡十六国時代,南北朝時代には南下して中国に北魏などの王朝を建てた。.

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車騎将軍

車騎将軍(しゃきしょうぐん)は前漢以降の官職名。軍を率いる将軍位の一つ。 漢においては初期は灌嬰などの将、文帝の外戚薄昭などが就任し、以後、主に皇帝の信任する者や外戚が就任して軍事権を握った。 『続漢書』百官志によれば、常に置かれるわけではなく、反乱の征伐を掌り兵を指揮する。将軍位としては大将軍、驃騎将軍に次ぎ、衛将軍の上位に当たる。 属官には長史、司馬(各官秩比千石)、従事中郎(官秩比六百石)がいる。兵を領する場合、部・曲が置かれる。部には校尉(官秩比二千石)、軍司馬(官秩比千石)が置かれる。部の下に曲があり、軍候(官秩比六百石)が置かれる。曲の下には屯があり、屯長(官秩比二百石)が置かれる。 曹魏では、二品官であった。蜀漢では建国当初に張飛が就任したほか、末期には古参の将軍である廖化・張翼を「右車騎将軍」「左車騎将軍」に任じている。呉では初期に朱然が就任し、その後は劉纂が務めた。 その後徐々に格が上がり、晋では儀同三司となり、さらに北魏では一品官となり、位三司上となった。 隋代には驃騎府・車騎府が府兵制の中核となったため、車騎将軍は車騎府の指揮官として驃騎将軍に属して府兵を率いた。大業3年には驃騎府・車騎府が統合され鷹揚府となり、府の指揮官は鷹揚郎将となった。唐に入ると驃騎府・車騎府が復活したが、貞観年間に再び折衝府に統合され、府の指揮官は折衝都尉となった。.

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段遼

段 遼(だん りょう、拼音:Duàn Liáo、? - 338年)は、鮮卑段部の大人(たいじん:部族長)(在位325年 - 338年)。段日陸眷の孫。段末波の従弟。『魏書』では護遼と表記。.

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段部

段 部(だん ぶ、拼音:Duàn Bù)は、中国の西晋時代から五胡十六国時代にかけて遼西地域(現在の北京市周辺)に存在した鮮卑の一部族。.

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漢音

漢音(かんおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。古くは「からごえ」とも呼んだ。7, 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいう。中国語の中古音のうち、唐中葉頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映している。他の呉音や唐音に比べて最も体系性を備えている。また唐末に渡航した僧侶たちが持ち帰った漢字音は中国語の近世音的な特徴を多く伝えており、通常の漢音に対して新漢音と呼ばれることがある。.

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慕容垂

慕容 垂(ぼよう すい、)は、五胡十六国時代の後燕の創建者。 当初は前燕の皇族で、桓温を撃退するなど活躍したが、奸臣の慕容評等に命を狙われて前秦に亡命した。383年に前秦が淝水の戦いで大敗すると自立して前燕の復興として後燕を建国した。395年、太子の慕容宝が参合陂の戦いで大敗すると自ら反撃したが退軍中に病を患って死去した。.

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慕容仁

慕容 仁(ぼよう じん、? - 336年)は、五胡十六国時代前燕の人物。字は元愷、小字は千年。父は慕容廆。母は段氏。初代君主慕容皝の同母弟に当たる。慕容廆が死ぬと離反し、平郭で自立して慕容皝と遼東の覇権を争った。.

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慕容カイ

慕容 廆(ぼよう かい、拼音:Mùróng Huì 生没年:269年 - 333年)は、鮮卑慕容部の大人(在位:285年 - 333年)。昌黎郡棘城県(現在の遼寧省義県の北西)の出身。字は弈洛瓌。別名:若洛廆。廟号は高祖。父は慕容渉帰、兄は慕容吐谷渾。.

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慕容コウ

慕容 皝(ぼよう こう、)は、五胡十六国時代の前燕の初代王。字は元真。昌黎郡棘城県の人。鮮卑慕容部の大人で、慕容廆の三男。兄に慕容翰、弟に慕容仁、慕容昭、慕容評、慕容幼などがいる。.

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慕容翰

慕容 翰(ぼよう かん、? - 344年)は、五胡十六国時代の前燕の武将である。字は元邕。鮮卑慕容部の出身。慕容廆の長男であり、弟に慕容皝、慕容仁、慕容昭、慕容評、慕容幼などがいる。高句麗、宇文部討伐に多大な貢献を果たした。様々な勢力を渡り歩いたが、慕容部への忠義を最期まで貫いた。.

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慕容部

慕容 部(ぼよう ぶ、拼音:Mùróng bù)は、4世紀前半より5世紀中期にかけて、中国の東北方、遼東・遼西地方より、華北地方にかけての地域で勢力を有した鮮卑系の部族である。五胡十六国時代には前燕、後燕、西燕、南燕の各王朝を建国した。慕容氏とも呼ばれる。.

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晋書

『晋書』(しんじょ )は、中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された。帝紀十巻・載記(五胡の単于・天王・皇帝に関する記述)三十巻、列伝七十巻、志二十巻によって構成される紀伝体。.

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333年

記載なし。

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344年

記載なし。

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