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声明

索引 声明

声明(しょうみょう)とは、仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。.

72 関係: 南山口伝声楽大原 (京都市)天台宗天平勝宝天仁奈良宗教音楽安然寂源寛朝中川中国平曲京都五明仏典仏教廃仏毀釈メロディインドキリスト教儀礼円仁勝林院因明空海真言宗真言宗豊山派真言宗智山派真雅音階音頭音楽融通念仏宗鎌倉時代聖歌隊覚性入道親王高僧伝高野山謡曲魏 (三国)豊臣秀吉貞永賛美歌開眼邦楽長谷寺良忍...陰陽五行思想来迎院 (京都市左京区)東大寺東大寺盧舎那仏像根来寺梁 (南朝)梵字楽譜比叡山法要法苑珠林源氏物語最澄浄土宗浄土真宗新義真言宗日本悉曇学悉曇部 (大正蔵)曹植智積院 インデックスを展開 (22 もっと) »

南山

南山公園からのソウル市の眺め 南山(ナムサン)は、大韓民国の首都ソウル特別市の旧市街の南に位置する海抜262メートルの山。 南山ケーブルカーで頂上まで登れる。また、階段もあり、途中の見晴台から市内を望むことができる。 韓国の諺に“南山から石を転すと、金氏の家でなければ李氏の家に入る”というものがある。韓国人の姓に「金」と「李」が特に多いことを示すものである。.

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口伝

口伝(くでん)とは、.

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声楽

声楽(せいがく)とは器楽の対語であり、人声を中心とした音楽を指す。通常、浪曲や演歌は含まない『新明解国語辞典』(2010)。.

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大原 (京都市)

大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名。比叡山の北西麓、高野川上流部に位置する。大原盆地は四方を山に囲まれており、高野川に沿って若狭街道が通っている。かつて大原村は山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬とセットで「八瀬大原」とも称された。古くは「おはら」と読まれ、小原とも表記された。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天平勝宝

天平勝宝(てんぴょうしょうほう、正字体:天平勝寶)は、日本の元号の一つ。天平感宝の後、天平宝字の前。749年から757年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇。 天平勝宝7年1月4日、勅命により「年」が「歳」に改められた。このため以後は、天平勝宝七歳・天平勝宝八歳・天平勝宝九歳と表記されたが、天平宝字へ改元した際に「歳」を「年」へ復している。.

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天仁

天仁(てんにん)は、日本の元号の一つ。嘉承の後、天永の前。1108年から1109年までの期間を指す。この時代の天皇は鳥羽天皇。.

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奈良

奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.

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宗教音楽

宗教音楽(しゅうきょうおんがく)とは、.

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安然

安然(あんねん、承和8年(841年)? - 延喜15年(915年)?)は、平安時代前期の天台宗の僧。五大院阿闍梨・阿覚大師・福集金剛・真如金剛などと称される。近江国の生まれ。出自については不明であるが、最澄と同族と伝えられている。 初め慈覚大師円仁につき、円仁の死後は遍照に師事して顕密二教(顕教と密教)のほか戒・悉曇(しったん)を学んだ。877年(元慶元年)中国(唐)に渡ろうとしたが断念。884年(元慶8年)に阿闍梨・元慶寺座主となった。晩年は比叡山に五大院を創建して天台教学・密教教学の研究に専念した。 安然は、『大日経』を中心とする密教重視を極限まで進めて台密(たいみつ=天台宗における密教)を大成した。 Category:平安時代の僧 Category:天台宗の僧 Category:近江国の人物 Category:841年生 Category:915年没.

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寂源

寂源(じゃくげん、生年不詳 - 治安4年3月2日(1024年4月12日))は、平安時代中期の天台宗の僧侶。俗名は源 時叙(みなもと の ときのぶ)。宇多源氏、左大臣・源雅信の八男。母は藤原穆子。官位は従五位下・右近衛少将。.

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寛朝

寛朝(かんちょう、かんじょう 『国史大辞典』、916年(延喜16年) - 998年7月13日(長徳4年6月12日))は、平安時代中期の真言宗の僧。父は宇多天皇の皇子敦実親王。真言声明の第一人者でもあった。洛外・広沢池ほとりの遍照寺の住持であったことから「広沢僧正」「遍照寺僧正」とも呼ばれた。 926年(延長4年)祖父宇多法皇の下で出家し、948年(天暦2年)寛空から灌頂を受けた。967年(康保4年)仁和寺別当を経て、貞元2年(977年)6月権律師、同10月権少僧都・法務、11月東寺三長者・西寺別当に補任、加えて広沢房を御願寺として別当に補せられたため、年に六度の賀ありと言われ、986年(寛和2年)真言宗では初めて、また、日本では三番目の大僧正に至った。この間、円融天皇が受戒する際の戒和尚を勤めている。989年(永祚元年)10月26日円融天皇の命により広沢湖畔に遍照寺を建立した。この際の供養の記事が藤原実資の日記小右記に載っており、円融法皇を始めとして多くの公卿が参列したことが分かる。密教の事相・教相に詳しく「金剛界次第」「不動次第」などを著している。また「理趣経」読誦の音調を整備するなど声明に通じ、東密声明中興の祖とされる。 平将門が関東で反乱を起こした際には自ら関東に下向し祈祷をした。その時に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが「成田不動」で有名な成田山新勝寺である。.

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中川

中川起点の碑(羽生市東7丁目) 新中川(左手)との分流地点 綾瀬川(左手)との合流地点 江戸時代の中川口 中川(なかがわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川。利根川水系の支流である。上流を天神堀や島川、中流を庄内古川と呼称する場合もある - 有限会社フカダソフト、2018年6月27日閲覧。。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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平曲

平曲(へいきょく)は、語りもの音楽の一ジャンルもしくは一演奏様式吉川(1990)pp.37-38。盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語った『平家物語』のメロディおよびその演奏様式で、物語琵琶平曲をはじめとする物語琵琶のなかに『浄瑠璃姫物語』と称する演目を手がける一派があり、かれらのレパートリーの総称として後世「浄瑠璃」の呼称がうまれている。吉川(1990)p.43のひとつ。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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五明

五明(ごみょう、)とは、古代インドの学問の分類。仏教を通じて日本にも影響を与えた。.

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仏典

仏典(ぶってん)とは、仏教典籍の略称で、仏教の聖典の総称である。『律蔵』『経蔵』『論蔵』という分類形態から三蔵とも呼ばれる。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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廃仏毀釈

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、明治維新後に発生した一連の動きを指す。.

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メロディ

メロディ(Melody)は、ある高さと長さを持ついくつかの楽音が前後に連続して、それがリズムに従って、連続的に進行する(演奏される)ことによって、何らかの音楽的内容をもつもの。したがって、一連の音の高さの比率が同じならば, 最初の1音の高さが違っても、同一のメロディーとなる。和訳は旋律。節(ふし)のこと。 特に西洋音楽において、このメロディはハーモニー(和声)、リズム(律動)と共に、音楽の三要素のひとつとされる。 旋律理論では、最初に現れた音をもとにして、反復または緊張という役割をもつ音が続き、解決をする音で終了すると考える。さらに、数秒または数小節の短いメロディ(楽句、フレーズ)を一つの単位としてとらえ、長いメロディを構成する各単位に反復、緊張、解決という役割を与えることができる。 一般的にメロディは音階や旋法といった音組織の上に成り立つ。特に西欧の古典音楽(ルネサンス後期の調性が確立した以降の音楽で、シェーンベルクのような調性を持たない音楽以前のもの)においては、音階の選択は調性が強く意識されており、和音進行が重要な意味を持つ。その意味において、より緊張や解決という役割はハーモニーの考え方からよく理解できる、また反復とはリズムそのものである。それぞれは重なり合い明確に区別することはできない。 人は大量の音が含まれる音楽でも、印象的な音のつながりを直感的に認識しメロディとして楽しむことができる。 多くの西洋系音楽は、中心となるメロディを印象付けるように意図的に作曲されている。直感的に認識しがたいことを意図した楽曲もある。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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儀礼

儀礼(ぎれい)とは、一般的な定義では「宗教的な儀式や、一定の法にのっとった礼式」を指す。過去一世紀の文化人類学者たちの研究によって明らかになったのは、儀礼が「日常生活の中の言語や通常の技術的道具などでは表し伝ええない、社会の連帯といった価値や、結婚・死といった重大なる事件を明確に表現し、心に強く刻みこむ働きを持つ」ということである、また、経済的交換、戦争、社交や挨拶といったものにも儀礼的要素が含まれており、儀礼として理解されることができ、儀礼研究の対象となっている。 近年欧米では、特にキャサリン・ベルやロナルド・グライムズらの活動によって儀礼一般に関する研究がひとつの学問分野として確立しつつある。しかし、ベル自身が強調しているように、この動きは欧米的な儀礼観を非欧米に押し付けるという側面をもっている。言い換えれば、欧米的な儀礼観に対する非欧米文化の側からの対応が迫られている状況にある。.

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円仁

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。.

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勝林院

勝林院(しょうりんいん)は、京都府京都市左京区大原三千院の北にある天台宗の寺院。魚山大原寺勝林院(ぎょざんだいげんじしょうりんいん)と号する。魚山は大原の円融院、往生極楽院、勝林院、来迎院、融通念仏寺などの諸寺院の汎称で、声明の中心地であった中国の長安の外にある山東省に所在する声明の聖地「魚山」の名称に由来する。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊跡第21番札所。別称として「問答寺」、「証拠堂」とも呼ばれる。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であった。.

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因明

因明(いんみょう、サンスクリット:हेतुविद्या hetu-vidyā)とは、インドでおこなわれていた広義の論理学を指すものの仏教での表現で、近年は仏教論理学などとも言われる。五明(声明・工巧明・医方明・因明・内明)の一つとされ、独立した学問分野として重視された。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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真言宗豊山派

総本山長谷寺 本堂(大悲閣) 長谷寺の登廊 大本山護国寺 本堂 總持寺(西新井大師)本堂 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)は日本の仏教宗派の一つで、新義真言宗の一派。総本山は奈良県桜井市の長谷寺。包括宗教法人名は、眞言宗豊山派で、東京都文京区大塚五丁目に本部を置く。同派の公称は、全国に約3,000寺、僧侶(教師)数は約5,000人、檀信徒数は200万人。源氏物語や枕草子などにも登場し長谷詣として知られる総本山長谷寺や、東京の大本山護国寺・西新井大師(総持寺)は豊山派の象徴である。 真言宗智山派とは、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派であった。豊山派は徳川家との縁も深く、幕府の庇護を受けると共に、大本山護国寺は関東における布教の拠点となった。関東では多くの信者を獲得する一方、真言宗の離合集散の歴史的経緯から中国・九州地方では末寺が1か寺ずつしか存在しない。.

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真言宗智山派

真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)は、日本における仏教の宗派の一つ。弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。天正5年(1577年)に根来山の能化職となった玄宥(1529年-1605年)が、天正13年(1585年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。.

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真雅

真雅(しんが、延暦20年(801年) - 元慶3年1月3日(879年2月1日))は、平安時代前期の真言宗の僧。父は佐伯田公。空海は兄にあたる。讃岐国多度郡屏風浦の出身。空海の十大弟子の一人。清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称される。.

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音階

音階(おんかい、scale:スケール)は、音を音高により昇順あるいは降順にならべたものである。 「音階」は西洋音楽の音楽理論用語Tonleiter, Skala(ドイツ語)gamma(イタリア語)gamme(フランス語)scale(英語)などの訳語として明治期に日本語に登場した。それまでの日本で使われていた音階に似た用語を探すと、雅楽や声明の世界において使われていた「五声・五音」「七声・七音」「調(西洋音楽で定義される『調』とは意味が違う)」などが挙げられる(更にこれらは中国音楽の音楽理論用語からきている)。したがって基本的には「音階」とは西洋音楽理論において定義されるそれ(音を高低の順番に並べたもの)である。 1オクターブに含まれる音の数によって五音音階、七音音階などと分ける事もある。.

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音頭

音頭(おんどう、おんど)は声明などにおいて最初に独唱を行う者、あるいは雅楽における各楽器の主となる演奏者のこと。現代ではそれらが転じ、リーダー的な振る舞いを取る事を「音頭を取る」などと表現する。また、それらから派生した以下のようなものを指す。.

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音楽

音楽(おんがく、music)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。 音楽は、ある音を選好し、ある音を選好しない、という人間の性質に依存する。 音楽には以下の3つの要件がある。.

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融通念仏宗

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の日本仏教の一つである。大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。 平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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聖歌隊

聖歌隊(せいかたい、church choir)は、教会、礼拝堂やキリスト教系の学校のなかにあって、教会の礼拝やミサ、特に復活祭やクリスマス関係の行事や結婚式、昇天式などにおいて、賛美曲、聖歌、賛美歌を歌い、神の愛と栄光を称える合唱団のこと。教会の聖歌隊であれば、隊員は信者でその教会の教会員であるのが一般的である。.

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覚性入道親王

覚性入道親王(かくしょうにゅうどうしんのう、大治4年閏7月20日(1129年9月5日) - 嘉応元年12月11日(1169年12月30日))は、平安時代後期の皇族・僧・歌人。俗名は本仁親王。父は鳥羽天皇。母は藤原公実の娘待賢門院藤原璋子。真言宗仁和寺の第5世門跡。紫金台寺御室・泉殿御室とも称された。.

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高僧伝

『高僧伝』(こうそうでん)とは、一般名詞として、高僧の伝記、あるいは列伝を指して言う場合もあるが、固有名詞としては、中国の梁の慧皎(497年 - 554年)の撰した中国伝来以来、梁代までの高僧の伝記を集めたものを指す。全14巻、519年(天監18年)成立。また「梁高僧伝(梁伝)」ともいう。.

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高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

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謡曲

謡曲(ようきょく)とは、能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する。本来、「謡」と言われていたものが、大正・昭和初期から「謡曲」とも称するようになった。謡曲は「謡の曲」という意味であり、この項目では便宜上能の声楽部分に当たる謡については措き、テキストとしての能の詞章やそれを収めた書籍について取り上げる。謡については謡の項参照。.

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魏 (三国)

魏の系図 魏(ぎ、、220年 - 265年)は、中国の三国時代に華北を支配した王朝。首都は洛陽。曹氏の王朝であることから曹魏、あるいは北魏に対して前魏とも(この場合は北魏を後魏と呼ぶ)いう。 45年間しか続かなかった王朝だが、魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志(『三国志』・『三国志演義』など)などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。また、昭和に吉川英治が著した『三国志』を始め、この時代を描いた小説は今なお日本で人気があり、そのため知名度も高い王朝である。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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貞永

貞永(じょうえい)は、日本の元号の一つ。寛喜の後、天福の前。1232年の期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇、四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。.

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賛美歌

賛美歌(さんびか、讃美歌)は、キリスト教(特にプロテスタント教会)において、礼拝や集会等で歌われる、神をたたえる歌のことである。「賛美」と言う場合には「賛美」・「讃美」のどちらの文字も使われるが、讃美歌集の書名には讃美歌の文字を使用することが多い。「聖歌」とも呼ばれるが、以下に説明する通り「聖歌」は「讃美歌」より多義的であり、指すものの範囲が広い。.

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開眼

開眼(かいげん)とは、仏教用語で下記の2つの意味がある。.

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邦楽

邦楽(ほうがく)とは、日本の音楽のこと。 日本のポピュラー音楽全般をさして邦楽という場合もある。欧米のポピュラー音楽である洋楽との対に成っている。 日本のポピュラー音楽全般の事を言っているのかは前後の文脈で判断する。 本項においては狭義の邦楽である、日本の伝統的な民族音楽や古典音楽などを説明する。和楽、国楽とも呼ばれ、日本のポピュラー音楽であるJ-POPや昭和時代の歌謡曲との区別のため、純邦楽とされることもある。.

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長谷寺

二本の杉 長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山、院号を神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。 大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。 大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。.

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良忍

良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。 尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年(1072年)説もある。 比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し(寂光院も良忍による創建説がある)、また分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させた。 1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄(現大阪市平野区)の領主の坂上広野の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。 1773年(安永2年)聖応大師の謚号を賜った。.

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陰陽五行思想

陽五行思想(いんようごぎょうしそう)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。.

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来迎院 (京都市左京区)

来迎院(らいごういん)は、京都府京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺院。山号は魚山。本尊は薬師如来。.

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東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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東大寺盧舎那仏像

東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。その後、中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。 「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。 正式には大仏は「盧舎那仏坐像」、大仏殿は「金堂」というが、本項では以下「大仏」、「大仏殿」とする。また、文中の( )の年はユリウス暦、月日は全て和暦、宣明暦の長暦による。.

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根来寺

根来寺(根來寺)(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、詳しくは一乗山大伝法院根来寺と号する。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。.

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梁 (南朝)

梁(りょう、502年 - 557年)は、中国の南北朝時代に江南に存在した王朝。蕭梁とも呼ばれる。.

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梵字

梵字(ぼんじ)はインドで使用されるブラーフミー系文字の漢訳名である。ブラーフミーは「ブラフマー(梵天)の創造した文字」を意味する。また、単に「梵語(サンスクリット)を表記するための文字」とも解される。日本では歴史的・伝統的に悉曇文字(しったんもじ)を指すことが多く、本項でも主にそちらを説明していく。.

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楽譜

楽譜(がくふ)は、楽曲を演奏記号や符号などの記号によって書き表したものである。一般に、西洋音楽に発祥したものを指すが、世界の音楽において、様々な楽譜が存在している。また、この記号化の規則を記譜法といい、楽譜を譜面と呼んだり、単に譜と呼んだりもする。.

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歌、唄(うた)とは、声によって音楽的な音を生み出す行為のことであり、リズムや節(旋律)をつけて歌詞などを連続発声する音楽、娯楽・芸術のひとつである。歌謡(かよう)世界大百科事典,平凡社「歌謡」、歌唱(かしょう)大辞林「歌唱」「歌謡」とも言う。 また歌・歌謡は、文学における用語でもあり、詩の一形式または韻律文芸の総称で、和歌などを指す。これについても本項で述べる。.

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比叡山

比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる場合も有る。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。.

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法要

法要(ほうよう)とは、.

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法苑珠林

『法苑珠林』(ほうおんじゅりん)は、唐代に道世が著した仏教典籍、類書。全100巻。668年(総章元年)成立。 659年(顕慶4年)、唐道世は『経律異相』に依拠し『諸経要集』を編纂、その後更に『法苑珠林』を撰文している。引用する典籍は仏教のみならず儒家、道教、讖緯、雜著など400種を超え、また現在は散逸した『仏本行経』、『菩薩本行経』、『観仏三昧経』、『西域誌』、『中天竺行記』などを引用し、インドの歴史地理研究の上で重要な史料となっている。 内容は劫量篇より傳記篇までの全100篇668部となっており、文体は駢文が採用されている。 本書は、前掲の南朝梁宝唱の『経律異相』50巻や、虞孝敬の『内典博要』30巻(亡佚)という先立つ仏教類書に続き、本書を撰した。ただ、先学の編撰したものと大きく異なるのは、当時の中国で人口に膾炙していたり、文献に残されていた仏教説話を盛んに取り入れて、経文類に著された観念の具体的な表れとして用いた点にある。具体的には、本書の各篇の構成は、「述意部」(駢文)・「引証部」(経文)という概要と経文の引用があり、その後に、「感応縁」という部分が来るというものである。この「感応縁」が具体的な仏教説話に相当する。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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最澄

最澄像(能福寺) 哭澄上人詩(嵯峨天皇宸翰)(部分) 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。 先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。.

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浄土宗

#伝統宗派としての浄土宗。浄土宗諸派の総称としての浄土宗。鎮西派と西山派に分かれる。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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新義真言宗

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を始祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖覚鑁(興教大師)の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なる。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。広義では、根来寺を本山とする新義真言宗、智積院を本山とする真言宗智山派、長谷寺を本山とする真言宗豊山派、室生寺を本山とする真言宗室生寺派などを含むが、狭義では真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする【新義真言宗】を指す。 従来の真言宗(いわゆる古義真言宗)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)を説くのに対して、新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の違いである。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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悉曇学

悉曇学(しったんがく)とは、中国や日本における梵字に対する音韻の学問である。.

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悉曇部 (大正蔵)

悉曇部(しったんぶ)とは、大正新脩大蔵経において、日本における梵字(悉曇文字)や、声明・講式に関する文献をまとめた領域のこと。 第29番目の部であり、収録されている典籍ナンバーは2701から2731まで。巻数では第84巻(後半)に相当する。.

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曹植

曹 植(そう しょく/そう ち、192年 - 232年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の皇族。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。.

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智積院

名勝庭園 智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥である。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。寺紋は桔梗紋。.

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