37 関係: 半能、大正、宝生流、宝生流 (ワキ方)、家元、安土桃山時代、寛永、世阿弥、序詞、佐成謙太郎、俵屋宗達、ワキ、嵯峨本、喜多流、アイ、矢来観世家、縁語、羽田昶、片仮名、職分、観世流、観阿弥、語り手、高砂 (能)、謡、能、脚本、金剛流、金春禅竹、金春流、枕詞、掛詞、江戸時代、演劇、本阿弥光悦、明治書院、昭和。
半能
半能(はんのう)とは、能楽において付祝言のために、一曲の能を後場に焦点をあて、前場を大幅に略して演じる形態。祝言性を強調し、上演時間を短縮する意味がある。付祝言の項も参照。 上記のような理由から、通常半能は脇能か五番目物の祝言物においてしか行われない。また当然ながら一場ものの能について行われることはない。その形態は、冒頭の次第もしくはワキの名乗から道行などまでのワキを中心とする段を演じた後、前場の残りの部分を略し、待謡以降を演奏するといったもので、ワキと装束のある舞囃子とでもいうべき内容である。 現在では五番立が行われなくなったために上演される機会は少ないが、「石橋」のように半能形式で上演されることの多い曲もある。また、「猩猩」や「岩船」のように半能形式で上演されることがあまりに頻繁であったために、ついに半能の形態が正規の上演法になってしまった曲もある。 Category:能.
大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
宝生流
宝生流(ほうしょう-りゅう)は能楽の流派の一。現在、シテ方とワキ方(下掛宝生流)とがあり、それぞれ別の流儀である。単に「宝生流」というときはシテ方の宝生流をいうことが多い。 また、かつて大鼓方にも「宝生流」「宝生錬三郎派」と呼ばれる流儀があったが、1986年に観世流の名に復した。.
宝生流 (ワキ方)
宝生流(ほうしょうりゅう)は能楽におけるワキ方の流儀の一つ。シテ方宝生流と区別して下掛宝生流(略して「下宝生」「下宝」または「ワキ宝」)とも呼ぶ。明治以降ワキ方の諸流派が没落していった結果、現在では最大流派となっている。.
新しい!!: 謡曲と宝生流 (ワキ方) · 続きを見る »
家元
家元(いえもと)とは、日本の芸道などを家伝として承継している家系のこと。またその家系の当主個人を指しても用いられる。.
安土桃山時代
安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.
寛永
寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.
世阿弥
世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。 幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。父の死後、観世大夫を継ぐ。40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。ちなみに世は観世に由来)である世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。正しくは「世阿彌」。.
序詞
序詞(じょことば)とは、主として和歌に見られる修辞法で、特定の語の前に置いて、比喩や掛詞、同音語などの関係に係る言葉のことである。.
佐成謙太郎
佐成 謙太郎(さなり けんたろう、1890年5月23日 - 1966年3月4日)は、国文学者。 滋賀県出身。京都帝国大学文学部卒。1924年女子学習院教授。戦後大東文化大学教授、鎌倉女学院理事長。中古・中世文学を専門とし『謡曲大観』全7巻、『対訳源氏物語』の業績がある。.
俵屋宗達
俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳)は、江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」など。.
ワキ
ワ.
嵯峨本
嵯峨本(さがぼん)とは、日本の近世初期に行われた古活字本である。.
喜多流
喜多流(きたりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派である。.
アイ
アイ、あい、愛、藍.
矢来観世家
来観世家(やらいかんぜけ)とは、能楽シテ方観世流の職分家のひとつ。観世九皐会を主宰し、分家観世銕之丞家の分家筋にあたる。梅若がかりの芸風を持ち、流内で宗家、分家、梅若両家に次ぐ格式と規模を持つ。.
縁語
縁語(えんご)とは、一首の中に意味上関連する語を連想的に2つ以上用いることで歌に情趣を持たせる、和歌の修辞技法のひとつ。 ただし、単なる日常語のイメージからなる連想ではなく、古今和歌集などに掲載される和歌で繰返し連想的に用いられているものでなければ、縁語にはならない。 掛詞と合わせて用いることも多い。.
羽田昶
羽田 昶(はた ひさし、1939年10月14日「羽田 昶先生 略歴と業績」『武蔵野日本文学第19号』2010年3月14日、pp.60-61 - )は日本の能楽研究者 2013年02月13日。武蔵野大学客員教授、同能楽資料センター研究員、能楽学会常任委員。2012年第34回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。共著の『能の囃子事』(1990年)で東洋音楽学会田邉尚雄賞を受賞。東京市大森区生まれ。.
片仮名
片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。.
職分
職分(しょくぶん・しきぶん).
観世流
観世流(かんぜ-りゅう)は能楽における能の流派の一。シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。.
観阿弥
観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は日本の南北朝時代から室町時代にかけての申楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。名は清次。時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。ちなみに観は観世に由来)は観阿弥陀仏。その略称が観阿弥で、早くから観世大夫、あるいは観阿弥、観阿として記録に登場する。観世家の祖。観阿弥最後の舞台となった静岡市葵区宮ヶ崎町の静岡浅間神社には、26世宗家観世清和による顕彰碑がある。.
語り手
語り手(かたりて)とは、ある物語を語る、物語内の存在(人物等)である。また、小説で言うところの「地の文」の語り手である。ナレーター(Narrator)、語り部(かたりべ)とも称する。映画・ドラマ・演劇・小説など、あらゆる種類のストーリーテリングにおいて、作者・読者と並び重要な存在である。 作者は現実世界に生きており、フィクション(虚構)の創作を通じて物語内に現実とは別の世界や人物、事件を生み出す役割を果たす。読者も現実世界に生きており、フィクションの読解を通じて物語を理解する役割を果たす。これに対し、語り手は物語の世界におり現実世界に肉体を持たず、作者によって創造された存在であり、読者が理解しやすいように物語を説明する役目を果たす。 物語がノンフィクションである場合、語り手と作者は同一人物である場合が多く、物語内の世界と現実世界は一致するが、フィクションである場合は語り手は物語内にしかいない存在である。.
高砂 (能)
『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』『相生松』と呼ばれた。 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり『謡曲集 上』224-225ページより引用。』は結婚披露宴の定番の一つである。江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つであった。.
謡
謡(うたい)とは能の声楽(言葉・台詞)にあたる部分のこと。また、それのみを謡うこともいう。大和田建樹によると、「うたう」という動詞の名詞形であるが、詠歌や小唄などと区別するため「うた」でなくて「うたい」と読ませたという。江戸時代までは「謡」とだけ言い、謡曲という言葉が使われ始めたのはそれ以降である。.
能
能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことである。 能(翁奉納 春日神社 (篠山市)).
脚本
脚本(きゃくほん)とは、「何時。何処で。誰が」の天地人を示す柱書き、台詞、ト書きだけで構成された設計図的役割を担うテキスト。小説とは形式が異なる。 演者に使われる台詞を中心としたものは台本といい、また脚本はシナリオともいわれる。「シナリオ」という言葉は、1920年に松竹が映画事業に乗り出すため、アメリカから招聘したヘンリー・小谷が使った片仮名のおびただしい映画用語の一つで、それまでは「台本」という言い方をしていたという。「シナリオ」という言葉は、もともとは即興劇用のおおまかな筋を書いたものを意味していたし、今日ではコンピュータゲームの原案などにも使われる言葉だが、辞書に載るような一般的な意味としては、映像劇の脚本を舞台のそれから区別する際に使われる。 漫画では漫画原作、舞台演劇では戯曲といわれる。戯曲といった場合には劇の制作上の一手段という意味に文学性が加味される。.
金剛流
金剛能楽堂、京都市上京区 金剛流(こんごうりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派の一つである。現在の宗家は金剛永謹。.
金春禅竹
金春 禅竹(こんぱる ぜんちく、応永12年(1405年) - 文明3年(1471年)以前)は室町時代の猿楽師、能作者である。童名は金春七郎、俗名は竹田氏信あるいは貫氏、法名は賢翁禅竹。金春大夫として活躍し、現在の金春流の中興の祖である。孫に金春禅鳳。.
金春流
金春流(こんぱる-りゅう)は能楽の流派の一。古い文献には「今春」とも。シテ方と太鼓方がある。また、かつては大鼓方にも金春流があったが明治期に廃絶した。.
枕詞
枕詞(まくらことば)とは、主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添える言葉のこと。序詞とともに万葉集の頃より用いられた技法である。.
掛詞
掛詞(かけことば)とは、和歌などにおける修辞技法の一つ。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
演劇
演劇(えんげき、英語:theatre, theater)とは、観客に対し、俳優が舞台上で身振りや台詞などで、何らかの物語や人物などを形象化し、演じて見せる、芸術のこと。俳優が観客を前にして、舞台上で、なんらかの思想や感情などを表現し伝達しようとする一連の行為。.
本阿弥光悦
本阿弥光悦 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。.
明治書院
明治書院(めいじしょいん)は、東京都新宿区にある日本の出版社。.
昭和
昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.
ここにリダイレクトされます:
謡本。