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因明

索引 因明

因明(いんみょう、サンスクリット:हेतुविद्या hetu-vidyā)とは、インドでおこなわれていた広義の論理学を指すものの仏教での表現で、近年は仏教論理学などとも言われる。五明(声明・工巧明・医方明・因明・内明)の一つとされ、独立した学問分野として重視された。.

59 関係: 声明大蔵出版大東出版社外道奈良時代存在論実体宮坂宥勝中国中観派中論中村元 (哲学者)丹治昭義平楽寺書店二律背反五明仏陀仏教医学書の一覧チベット仏教ヴェーダドグマニヤーヤ学派命題アリストテレスイマヌエル・カントインドカテゴリジャイナ教サンスクリット問答法因の三相国書刊行会玄奘三蔵現量真理西洋解脱認識論論理学輪廻関係関西大学釈迦陳那梶山雄一概念比量法称漢字文化圏...漢訳月称春秋社日本150年250年2世紀350年50年 インデックスを展開 (9 もっと) »

声明

声明(しょうみょう)とは、仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。.

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大蔵出版

大蔵出版(だいぞうしゅっぱん)は、1932年に高楠順次郎らによって設立された、日本の仏教出版社。仏教書総目録刊行会幹事社。 『大正新脩大蔵経』、『南伝大蔵経』などの仏典・経典の原典著解や専門書を刊行している。.

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大東出版社

大東出版社(だいとうしゅっぱんしゃ)は、仏教関連を中心とした日本の出版社。浄土宗浄閑寺住職の岩野真雄(1893年 - 1968年)が、『国訳一切経』を刊行するために1925年に設立した。 のちに青蛙房を興す岡本経一(岡本綺堂の養嗣子)は、戦前に大東出版社の編集長をつとめており、その時期に森銑三の著作が出されている。 現在は仏教の専門書を中心に、文学書(坂村真民詩集)など一般書籍も刊行している。1997年には美智子皇后の歌集『瀬音』を刊行した。.

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外道

外道(げどう、)とは、仏教用語で、悟りを得る内道(ないどう)に対する言葉である。 転じて、一般に道に外れた人全般も意味する。 インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人(tiiha-kara)のことで、一派の教祖を意味する。外道という漢訳語の原語にあたる言葉としては、他の教えを語る者(para-pravaadin)と、他の宗派の僧・教祖(anya-tiirthya)がある。 中国や日本においては元来、外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5〜6世紀ごろマガダ国に存在した、ヴェーダの思想から外れた自由思想家たちの中でも極端なものや異教の思想を指して言った。それらをもう少し特定する形で仏教用語では六師外道とも呼ぶ。 上記の用法から転じて、正論者から見て異論邪説を唱える人たちのことを貶めてこう呼ぶようになった。これがまた転じて日常用語となり、人の中でも特に卑劣な者、人の道や道徳から外れた者などを罵るために使う言葉になった。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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存在論

存在論(そんざいろん、ontology、Ontologie)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。.

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実体

実体(じったい)は、古代ギリシアから使われている古典的な哲学用語。真に実在するもの。IT分野では、エンティティと呼ばれることもある。また、化学では、「分子実体」(molecular entity)などと使用され、原子、分子、イオン、イオンペア、ラジカル、ラジカルイオン、錯体などを指す総称として使われる.

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宮坂宥勝

宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - 2011年1月11日)は、日本の仏教学者・インド哲学研究者、名古屋大学名誉教授、真言宗智山派管長。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama) もしくは中道 (madhyamā pratipat) の立場を重んじる中村・2005年 250頁。.

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中論

『中論』(ちゅうろん)、正式名称『根本中頌』(こんぽんちゅうじゅ、Mūlamadhyamaka-kārikā, ムーラマディヤマカ・カーリカー)は、初期大乗仏教の僧・龍樹(ナーガールジュナ)の著作である。インド中観派、中国三論宗、さらにチベット仏教の依用する重要な論書である。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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丹治昭義

丹治 昭義(たんじ てるよし、1932年 - )は、日本の仏教学者、関西大学名誉教授。.

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平楽寺書店

株式会社 平楽寺書店(へいらくじしょてん)は京都市中京区に本社を置く出版社である。仏教書出版社の老舗である。江戸初期の慶長年間の創業で、創業者は村上浄徳。1955年(昭和30年)に法藏館、永田文昌堂、百華苑との四社で「仏書連盟」を結成して合同の出版目録を発行した。.

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二律背反

二律背反(にりつはいはん、アンチノミー、Antinomie)とは、正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのことである(しばしば勘違いされるが単なる矛盾・パラドックスではない)。字義通りには、二つの法則が現実的にであれ見かけ上であれ相互に両立しないことを意味し、これは論理学や認識論で使用される術語である。.

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五明

五明(ごみょう、)とは、古代インドの学問の分類。仏教を通じて日本にも影響を与えた。.

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仏陀

仏陀(ぶつだ、ぶっだ、बुद्ध、(ブッダ))は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。釈迦牟尼をも意味する。仏(ぶつ)やほとけともいう。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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医学書の一覧

医学書の一覧(いがくしょのいちらん)は、東洋医学、西洋医学における医学書の一覧。医学書と編著者を挙げる。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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ヴェーダ

ヴェーダ(वेद、Veda)とは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称。「ヴェーダ」は「知識」の意である。 バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも多大な影響を与えている。長い時間をかけて口述や議論を受けて来たものが後世になって書き留められ、記録されたものである。 「ヴェーダ詠唱の伝統」は、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、無形文化遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の第1回登録で正式に登録された。.

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ドグマ

ドグマ (dogma).

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ニヤーヤ学派

ニヤーヤ学派(ニヤーヤがくは、Naiyāyika)はインド哲学の学派。六派哲学の1つに数えられる。ニヤーヤは理論(あるいは論理的考察)を意味し、インド論理学として代表的なものであり、論理の追求による解脱を目指す。アクシャパーダ・ガウタマ(Akṣapāda Gautama)が著したとされる『ニヤーヤ・スートラ』を根本テキストとする。ガンゲージャによって著された『タットヴァ・チンターマニ』へと根本テキストが移ったものは「新ニヤーヤ」と呼ばれ区別される。.

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命題

命題(めいだい、proposition)とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの。また数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと。西周による訳語の一つ。 厳密な意味での命題の存在は、「意味」の存在と同様に、疑問を投げかける哲学者もいる。また、「意味」の概念が許容される場合にあっても、その本質は何であるかということにはなお議論のあるところである。古い文献では、語の集まりあるいはその語の集まりの表す「意味」という意味で命題という術語を用いているかどうかということが、つねに十分に明らかにされているわけではなかった。 現在では、論争や存在論的な含みを持つことを避けるため、ある解釈の下で(真か偽のいずれであるかという)真理の担い手となる記号列自体について述べる時は、「命題」という代わりに「文 (sentence)」という術語を用いる。ストローソンは「言明 ("statement")」 という術語を用いることを提唱した。.

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アリストテレス

アリストテレス(アリストテレース、Ἀριστοτέλης - 、Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。 アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア()と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている立花隆『脳を究める』(2001年3月1日 朝日文庫)。 名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から 。.

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イマヌエル・カント

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。彼が定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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カテゴリ

テゴリ(Kategorie、Category、Catégorie)は、事柄の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類のことである。カテゴリーとも表記する。語源はギリシア語の κατηγορια。漢訳語では範疇 (はんちゅう) であり、洪範九疇に由来する。.

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ジャイナ教

ャイナ教(ジャイナきょう、जैन、Jainism)は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。 日本には、兵庫県神戸市中央区に寺院がある。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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問答法

問答法(もんどうほう、διαλεκτική, dialektike, ディアレクティケー; dialectic)とは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが用いた、対話によって相手の矛盾・無知を自覚させつつ、より高次の認識、真理へと導いていく手法を指す。産婆術(さんばじゅつ、μαιευτική, maieutikē, マイエウティケー)、弁証法(べんしょうほう)とも。 なお、「問答法」と「弁証法」は、共に「ディアレクティケー」(διαλεκτική, dialektike、dialectic)の訳語だが、ソクラテスに関する場合は「問答法」が、アリストテレス論理学やドイツ哲学などを絡めたより広い文脈では「弁証法」(もしくは「弁証術」)が専ら用いられる。.

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因の三相

因の三相(いんのさんそう)とは、因明、ことに新因明の規定であって、陳那によって明確化された。  陳那は、知識の確実性を論証する際に、現量(直接知覚)と比量(推理論証)の2つの量(pramaana)のみを論証規範とした。その比量を、さらに自らの知識の確実性の論証(為自比量)と、他者に対する説示(為他比量)の2つに分けた。  その為自比量とは、三相をそなえた因によって義を観察することであるとする。(『集量論』「為自比量品」第1偈)この三相をそなえた因のことをいう。 第1相は、因は宗の前陳(主辞)の法でなければならないという遍是宗法性(へんぜしゅうほっしょう) 第2相は、因は宗の後陳(賓辞)と同類でなければならないという同品定有性(どうぼんじょううしょう) 第3相は、因は宗の後陳(賓辞)と矛盾するものとは異なっていなければならないという異品遍無性(いぼんへんむしょう)  このような因の三相をそなえた因をよりどころとして、現見や比度によって立てられた宗の確実性の吟味が為自比量である。よって、為自比量は、単にこれまで正理によって説かれた推理認識のことではない。  ここにも因明が、仏教の正理と呼ぶのにふさわしい理由がみいだせる。つまり、仏教では根本的に知識は分別であるから不確実であり、真理を認識するには役にたたないとする。  つまり、正理派などのいう、認識手段による対象の吟味からは、なんら確実性を見いだせない。  さて、陳那においては、悟りのための認識源は自証のみであり、比量における分別は、他人に正しい智を生起させるという点でのみ、間接的な認識源の意味を持つ。  『因明正理門論』に「不顧論宗」というように、言語表現としてしめされた宗は、自己によって得られたものである。その自己によって得られたものとは、為自比量によって得られたものであり、それは三相をそなえた因によって吟味されたものである。  その確かめられた知識を、確かめられた方法を説くことによって他人に伝達することが為他比量である。つまり、為他比量は言語による認識について、その言語表現の確実性を追求するものであり、それが三相をそなえた因である。いいかえれば、為他比量の因は、為自比量における認識を吟味した、その根拠である。  ところで、為自比量で確かめられた方法を他人に伝えることが為他比量ならば、その方法とは因の三相と密接な関係がある。その方法とは三支作法である。つまり、為自比量では宗因喩の三支として説く。よって、能立の三支は、この三相の説示という意味を持ち、因明にとって能立は三支でなければならなかった。.

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国書刊行会

株式会社国書刊行会(こくしょかんこうかい、Kokushokankokai Inc.)は、東京都板橋区に本社を置く日本の出版社。1971年設立。.

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玄奘三蔵

奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)は、唐代の中国の訳経僧。玄奘は戒名であり、俗名は。諡は大遍覚『全唐文』「s:zh:大唐三藏大遍覺法師塔銘(並序)」で、尊称は法師、三蔵など。鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。 629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった。.

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現量

量(げんりょう、pratyakṣa-pramāṇa)とはインドの認識論における用語で、判断規範の一つ。もしくは唯識の3つの判断規範の一つ。直接知、直接知覚とも訳される。 現実を認識すること。 凡夫の、煩悩により曇らされた認識によって知られることと、瑜伽行者の、煩悩によって曇らされていない認識によって知られることの二つがある。後者は色等の諸法に向かって、現実にその自相のままを了知し、みじんも分別推求の念がないもの。.

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真理

真理(しんり、ἀλήθεια、veritas、truth、vérité、Wahrheit)とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。 真理は、現実や事実と異なり、妨害・障害としての虚偽・誤謬を対義語としており、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。そのものありのままであり、あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には本質主義や同一性とも関わりが深い。西欧哲学において真理論は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。 真理論の歴史は、古代ギリシアに始まる。人間を尺度とする相対的なものの見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。このような絶対性を内実とする真理概念は独断主義を生み、これに対する防衛・反抗が懐疑主義を生んだ。そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思惟・観念・判断、命題、「事物」(羅:res、レス)等のいずれであるか、について議論がなされてきた。現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値という。論理学で、「Pは○か○でないかのいずれかである(○であり、かつ○でない、ということはない)」という形をした文は○の内容に関係なく正しいので、これは「形式的真理」と呼ばれ、思惟と思惟自身の一致と定義される。このような形式的な形相についてではなく、質料について真理が語られるときは「実体的真理」という。判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という加藤信朗。現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。 論証する、つまり、言語による表現であることが真理に不可欠であり、哲学的にはロゴスとも関わりが深い。東洋には不言真如という概念もある。 人間を自由にするものとしての真理が説かれることもある。キリスト教では「真理はあなたたちを自由にする(ヨハネ8章32節) 」と説かれている。仏教では、人間を苦しみから解放する真理をあらわす「法」が説かれる。.

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西洋

西洋(せいよう、)は、キリスト教文明に根ざしたヨーロッパ諸国、及び北アメリカを指すが、その指し示す範囲は多様である。歴史的にはオクシデント(Occident)とも呼ばれ、その対立概念は東洋(the East, Orient、オリエント)である。.

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解脱

解脱(げだつ、vimokṣa、vimukti、mukti、mokṣa、vimutti、mokkha、vimokha, vimokkha)とは、.

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認識論

認識論(にんしきろん、Erkenntnistheorie、Epistemology、Épistémologie)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論(theory of knowledge)とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。英語と仏語の語源は「知」(epistēmē) + 「合理的な言説」(logos)。フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である。しかし、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であった。客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかったため、のちにアームチェア心理学と呼ばれた。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとに実験心理学が登場し、認識の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。しかし、脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつある立花隆『脳を究める』(朝日新聞社 2001年3月1日)。.

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論理学

論理学(ろんりがく、)とは、「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。.

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輪廻

六道輪廻をあらわしたチベット仏教の仏画。恐ろしい形相をした「死」が輪廻世界を支配している 輪廻とは、サンスクリット語のサンサーラ(संसार saṃsāra)に由来するヴェーダ、仏典などに見られる用語で、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わること、また、そう考える思想のこと。漢字の輪廻は生命が無限に転生を繰り返すさまを、輪を描いて元に戻る車輪の軌跡に喩えたことから来ている。なお、リンエではなく、リンネと読むのは国語学上のという現象である(リン+エ=リンネ)。 インド哲学において生物らは、死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わるとされる。インドの思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とする。.

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関係

関係(かんけい).

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関西大学

大正12年竣工当時の千里山学舎正.

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釈迦

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。.

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陳那

陳那(じんな、ちんな、दिग्नाग, Dignāga, ディグナーガ、480年頃-540年頃)は、唯識の立場からの新しい仏教論理学(.

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梶山雄一

梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 2004年3月29日)は、日本の仏教学者、文学博士、京都大学名誉教授。.

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概念

概念(がいねん、哲学では仏: notion、独: Begriffというが、日常的に仏: concept、独: Konzeptという。コンセプトは前記フランス語から由来している)は、命題の要素となる項(Terminus)が表すものであり、言い換えれば、それが言語で表現された場合に名辞(Terminus)となるものが概念である。 事象に対して、抽象化・ 普遍化してとらえた、思考の基礎となる基本的な形態として、脳の機能によってとらえたもの。.

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比量

比量(ひりょう、Anumāna)とは、主にインド哲学や仏教における量説の一つで、推論の意味である。.

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法称

法称 法称(ほっしょう、 〈ダルマキールティ〉)は、7世紀中葉のインド仏教最大の知識論の学問僧。唯識派に分類される。デカン地方の出身とされるが、生没年は不詳である。活動期は、インドに留学した玄奘と義浄との中間にあたる。.

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漢字文化圏

漢字文化圏(かんじぶんかけん)とは、「文化圏」概念の一つ。漢字に代表される漢文化(中国文化)を使用しているか、過去に使用していた地域のことであり、漢字の他に漢文や儒教などに由来する文化を共有している。.

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漢訳

漢訳(かんやく)は、漢字文化圏に外側から入ってきた文章や、概念などを漢文・漢語へと翻訳を行なうことである。.

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月称

月称 月称(げっしょう、Candrakīrti, チャンドラキールティ)は、7世紀のインド仏教の中観派の思想家・注釈家である。.

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春秋社

春秋社(しゅんじゅうしゃ)は、日本の出版社。仏教を主とした宗教書を軸に哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門・入門書を刊行している。ほかに音楽書の『世界音楽全集 ピアノ篇』シリーズで、井口基成編集による校訂版は1949年に初出版されて以来、現在もピアノの学習者にとって好評である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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150年

記載なし。

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250年

記載なし。

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2世紀

ャーナ朝の全盛期。カニシカ王の時代に現在のパキスタンにあるガンダーラで多くの仏像が作られた。画像は東京国立博物館蔵のガンダーラの仏像。 ティオティワカン。メキシコシティの北東50キロにある遺跡でこの当時新大陸で最大の宗教都市遺跡であった。1世紀から2世紀半ばまでをツァクアリ相と呼び、画像の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」はこの時期に建設された。 「武氏祠画像石」。2世紀半ばに建てられた山東省嘉祥県の武宅山の麓にある豪族武氏一族の石祠の画像石。この時代の人々の世界観が表れている。 武威(甘粛省)は後漢後期に造営された雷台漢墓で有名である。画像は雷台漢墓から出土した銅奔馬で、その疾走する姿から「馬踏飛燕」の別名がある。 倭国大乱。この時代には大規模な環濠集落が形成され軍事的な緊張があったと考えられる。紀元前3世紀から紀元後3世紀まで継続した吉野ヶ里遺跡は環濠集落の遺跡の代表である。 五賢帝の2人目であるトラヤヌス帝の末年までにローマ帝国の領土は最大に拡がった。画像の記念柱はローマに建立されたものでドナウ川北岸のダキア人との戦いが詳細にレリーフに刻まれている。 五賢帝時代の終わり。五賢帝時代はローマ帝国の最盛期であり安定した統治が行われていたが、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の時代には帝国周辺の諸民族の動きが慌ただしくなってきた。画像は哲学者としても知られるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像(カピトリーノ美術館蔵)。 繁栄する属州アエギュプトゥス。ローマ帝国の穀倉エジプトでは豊かな生活が営まれていた。ファイユームで発掘されたいわゆる「ミイラ肖像画」は多くの絵画作品が失われたこの時代の風俗の貴重な資料となっている。画像はルーヴル美術館蔵の女性のミイラ肖像画。 ミトラ教の隆盛。ローマ帝国には多くの宗教が混在していたが、イラン起源のミトラ教は軍人などから広範囲に広がった。画像はサンタ・マリア・カプア・ヴェーテレのミトラ教神殿壁画で牡牛を屠る姿のミトラ神が描かれている。 2世紀(にせいき)とは、西暦101年から西暦200年までの100年間を指す世紀。.

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350年

記載なし。

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50年

記載なし。

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