ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

新義真言宗

索引 新義真言宗

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を始祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖覚鑁(興教大師)の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なる。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。広義では、根来寺を本山とする新義真言宗、智積院を本山とする真言宗智山派、長谷寺を本山とする真言宗豊山派、室生寺を本山とする真言宗室生寺派などを含むが、狭義では真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする【新義真言宗】を指す。 従来の真言宗(いわゆる古義真言宗)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)を説くのに対して、新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の違いである。.

66 関係: 加藤精神南さつま市多宝塔大師堂大正大日如来天正定豪室生寺宗教法人法専誉岩出市一乗院 (南さつま市)平安時代康治仁和寺廃仏毀釈佐賀県佐賀藩徳川家康徳川綱吉徳川氏応永僧兵和歌山県玄宥空海第二次世界大戦真言宗真言宗十八本山真言宗豊山派真言宗智山派隆光鍋島直彬頼瑜覚鑁高志大了高野山豊臣秀吉豊臣政権鹿島市関ヶ原の戦い醍醐寺金剛峯寺長谷寺東山天皇根来寺根来衆正応永禄...江戸時代沙門本山戦国時代 (日本)明治明治維新昭和浄土真宗智積院1143年1288年1585年1879年1886年1900年1953年 インデックスを展開 (16 もっと) »

加藤精神

加藤 精神(かとう せいしん、明治5年9月29日(1872年10月31日) - 昭和31年(1956年)10月18日)は、愛媛県松山市出身の真言宗豊山派の学僧、仏教学者、文学博士、大正大学名誉教授。.

新しい!!: 新義真言宗と加藤精神 · 続きを見る »

南さつま市

南さつま市 (みなみさつまし)は、鹿児島県薩摩半島西岸に位置する市。太平洋戦争末期には、最後の特攻隊の出撃地、万世飛行場が吹上浜にあった。 現在では、砂丘を利用した砂の祭典や、自転車によるさまざまな大会が開かれるなど、砂丘と自転車を活かした特色あるまちづくりでも知られている。.

新しい!!: 新義真言宗と南さつま市 · 続きを見る »

多宝塔

石山寺多宝塔 (国宝)、鎌倉時代初頭、年代の明らかなものとしては日本最古の木造多宝塔 根来寺大塔 (国宝)、室町時代後期、日本最大の木造多宝大塔 多宝塔(たほうとう)は、寺院建築のうち仏塔における形式のひとつである。現代の寺院建築用語・文化財用語としては、一般に、平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆を「多宝塔」と呼称する。宝塔という呼称もあり、現代の寺院建築用語・文化財用語では円筒形の塔身に宝形造(四角錐形)の屋根を有するものを「宝塔」と称して「多宝塔」と区別している。ただし、「宝塔」はもともと塔婆一般の美称であり、これらの呼称の区別は便宜的なものである。また、多宝塔は主に真言宗系の寺院で見られるのも特徴である。.

新しい!!: 新義真言宗と多宝塔 · 続きを見る »

大師堂

大師堂(だいしどう)は、日本における仏堂の呼称の1つで、大師号を贈られた僧を礼拝の対象として祀るものである。 全国の「大師堂」と称する仏堂は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)を祀る堂が真言宗系寺院に多く存在し、真言宗以外の寺院では円珍(智証大師)、良源(慈恵大師、元三大師)を祀る堂を「大師堂」と称するものもある。.

新しい!!: 新義真言宗と大師堂 · 続きを見る »

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

新しい!!: 新義真言宗と大正 · 続きを見る »

大日如来

胎蔵曼荼羅の胎蔵大日如来(中央) 胎蔵曼荼羅 金剛界曼荼羅 大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。.

新しい!!: 新義真言宗と大日如来 · 続きを見る »

天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

新しい!!: 新義真言宗と天正 · 続きを見る »

定豪

定豪(じょうごう、仁平2年(1152年)-嘉禎4年9月24日(1238年11月2日))は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧侶。父は五位蔵人・民部権少輔源延俊。.

新しい!!: 新義真言宗と定豪 · 続きを見る »

室生寺

室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は賢憬(賢璟)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。なお、山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。仏塔古寺十八尊第十八番。.

新しい!!: 新義真言宗と室生寺 · 続きを見る »

宗教法人法

宗教法人法(しゅうきょうほうじんほう、昭和26年4月3日法律第126号)は、信教の自由を尊重する目的で、宗教団体に法人格を与えること(第4条)に関する法律。最終改正は2011年(平成23年)6月24日法律第74号。法人に関する一般法である民法に対する特別法である。.

新しい!!: 新義真言宗と宗教法人法 · 続きを見る »

専誉

専誉(せんよ、享禄3年(1530年) - 慶長9年5月5日(1604年6月2日))は僧。「専誉僧正(せんよそうじょう)」の名で知られる、真言宗豊山派の第一祖。 和泉国大鳥郡(現・大阪府堺市)において石垣氏に生まれる。天文11年(1542年)に出家し、専誉と称する。天正12年(1584年)に根来寺学頭に就任。羽柴秀吉による根来焼き討ち後、高野山・醍醐寺・和泉国分寺に移る。その後、豊臣秀長に招聘されて長谷寺に入山。慶長9年(1604年)5月5日、75歳で入寂。.

新しい!!: 新義真言宗と専誉 · 続きを見る »

岩出市

岩出市(いわでし、英語表記:Iwade-City)は、和歌山県の北部(紀北地域)に位置する市。2006年(平成18年)4月1日に那賀郡岩出町が市制を施行し発足した。 前身である岩出町は1956年(昭和31年)9月30日に新設合併により発足した。市制施行により、町時代に属していた那賀郡は住所から姿を消した。 隣接する紀の川市よりも人口は少ないものの、官公庁施設(警察署・振興局など)を有し、那賀地域の中心の都市でもある。人口は、1994年(平成6年)の関西国際空港開港に伴う開発で、大幅に増加している。.

新しい!!: 新義真言宗と岩出市 · 続きを見る »

一乗院 (南さつま市)

一乗院(いちじょういん)は現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊(門前)にかつて存在していた真言宗の寺院。山号は如意珠山であった。鹿児島県指定史跡。.

新しい!!: 新義真言宗と一乗院 (南さつま市) · 続きを見る »

平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

新しい!!: 新義真言宗と平安時代 · 続きを見る »

康治

康治(こうじ)は、日本の元号の一つ。永治の後、天養の前。1142年から1143年までの期間を指す。この時代の天皇は近衛天皇。.

新しい!!: 新義真言宗と康治 · 続きを見る »

仁和寺

双ヶ岡より仁和寺を望む 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の仏教寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。.

新しい!!: 新義真言宗と仁和寺 · 続きを見る »

廃仏毀釈

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、明治維新後に発生した一連の動きを指す。.

新しい!!: 新義真言宗と廃仏毀釈 · 続きを見る »

佐賀県

佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方の北西部にある県である。県庁所在地は佐賀市。 唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名。玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。.

新しい!!: 新義真言宗と佐賀県 · 続きを見る »

佐賀藩

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.

新しい!!: 新義真言宗と佐賀藩 · 続きを見る »

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

新しい!!: 新義真言宗と徳川家康 · 続きを見る »

徳川綱吉

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。.

新しい!!: 新義真言宗と徳川綱吉 · 続きを見る »

徳川氏

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.

新しい!!: 新義真言宗と徳川氏 · 続きを見る »

応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

新しい!!: 新義真言宗と応永 · 続きを見る »

僧兵

僧兵(そうへい)とは、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者である。.

新しい!!: 新義真言宗と僧兵 · 続きを見る »

和歌山県

和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.

新しい!!: 新義真言宗と和歌山県 · 続きを見る »

玄宥

智積院の玄宥像 玄宥(げんゆう)享禄2年(1529年) - 慶長10年10月4日(1605年11月14日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての真言宗の僧。.

新しい!!: 新義真言宗と玄宥 · 続きを見る »

空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

新しい!!: 新義真言宗と空海 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 新義真言宗と第二次世界大戦 · 続きを見る »

真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

新しい!!: 新義真言宗と真言宗 · 続きを見る »

真言宗十八本山

真言宗十八本山(しんごんしゅう じゅうはちほんざん)は、真言宗の主要な16派の総大本山である18の寺院のこと。毎年1月8日から1月14日までの一週間、東寺にて後七日御修法(ごしちにちみしほ)を行っている。元は各山の連絡・調整などのために作られたものだが、すべて有名寺院であるため、専用の納経帳を作成し、人気の霊場巡礼ともなっている。.

新しい!!: 新義真言宗と真言宗十八本山 · 続きを見る »

真言宗豊山派

総本山長谷寺 本堂(大悲閣) 長谷寺の登廊 大本山護国寺 本堂 總持寺(西新井大師)本堂 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)は日本の仏教宗派の一つで、新義真言宗の一派。総本山は奈良県桜井市の長谷寺。包括宗教法人名は、眞言宗豊山派で、東京都文京区大塚五丁目に本部を置く。同派の公称は、全国に約3,000寺、僧侶(教師)数は約5,000人、檀信徒数は200万人。源氏物語や枕草子などにも登場し長谷詣として知られる総本山長谷寺や、東京の大本山護国寺・西新井大師(総持寺)は豊山派の象徴である。 真言宗智山派とは、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派であった。豊山派は徳川家との縁も深く、幕府の庇護を受けると共に、大本山護国寺は関東における布教の拠点となった。関東では多くの信者を獲得する一方、真言宗の離合集散の歴史的経緯から中国・九州地方では末寺が1か寺ずつしか存在しない。.

新しい!!: 新義真言宗と真言宗豊山派 · 続きを見る »

真言宗智山派

真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)は、日本における仏教の宗派の一つ。弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。天正5年(1577年)に根来山の能化職となった玄宥(1529年-1605年)が、天正13年(1585年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。.

新しい!!: 新義真言宗と真言宗智山派 · 続きを見る »

隆光

隆光(りゅうこう、慶安2年2月8日(1649年3月20日)- 享保9年6月7日(1724年7月26日))は、江戸時代中期の新義真言宗の僧。出自は大和国の旧家河辺氏。初名は河辺隆長、字(あざな)は栄春。.

新しい!!: 新義真言宗と隆光 · 続きを見る »

鍋島直彬

鍋島 直彬(なべしま なおよし)は、肥前鹿島藩の第13代(最後の)藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の甥。.

新しい!!: 新義真言宗と鍋島直彬 · 続きを見る »

頼瑜

(らいゆ、嘉禄2年(1226年)- 嘉元2年1月1日(1304年2月7日))は、鎌倉時代中期から後期にかけての真言宗の僧。俗姓は土生川氏。字は俊音。号は俊音房。紀伊国那賀郡の出身。.

新しい!!: 新義真言宗と頼瑜 · 続きを見る »

覚鑁

覚鑁(かくばん、嘉保2年6月17日(1095年7月21日) - 康治2年12月12日(1144年1月18日))は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。 諡号興教大師(こうぎょうだいし)。肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分2011 新義真言宗大本山誕生院)生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。幼名は弥千歳。 平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏・浄土思想を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した。即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊(全ての仏徳を備えた仏)から派生した、別徳の尊であるとした。 空思想を表した『月輪観(がちりんかん)』の編者として著名。また、日本に五輪塔が普及する切っ掛けとなった『五輪九字明秘密釈』の著者でもあった。.

新しい!!: 新義真言宗と覚鑁 · 続きを見る »

高志大了

志 大了(たかし だいりょう、1834年(天保5年) - 1898年(明治31年)8月25日)は伊予国温泉郡出身の日本の僧侶。長谷寺55世能化。字は章範、初名は大空房智盛。日清戦争には、勅を奉じて、大元帥法を修した。.

新しい!!: 新義真言宗と高志大了 · 続きを見る »

高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

新しい!!: 新義真言宗と高野山 · 続きを見る »

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

新しい!!: 新義真言宗と豊臣秀吉 · 続きを見る »

豊臣政権

豊臣政権(とよとみせいけん)は、天正18年(1590年)、(ただし、実質的には天正13年(1585年))から、慶長8年(1603年)まで成立していた豊臣氏による日本国の政権。豊臣氏政権(とよとみしせいけん)とも言われる。また羽柴氏政権とも言われる。.

新しい!!: 新義真言宗と豊臣政権 · 続きを見る »

鹿島市

鹿島市(かしまし)は、佐賀県の南部にある市である。旧藤津郡。.

新しい!!: 新義真言宗と鹿島市 · 続きを見る »

関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

新しい!!: 新義真言宗と関ヶ原の戦い · 続きを見る »

醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。.

新しい!!: 新義真言宗と醍醐寺 · 続きを見る »

金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部、pp.39,75。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。.

新しい!!: 新義真言宗と金剛峯寺 · 続きを見る »

長谷寺

二本の杉 長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山、院号を神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。 大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。 大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。.

新しい!!: 新義真言宗と長谷寺 · 続きを見る »

東山天皇

東山天皇(ひがしやまてんのう、延宝3年9月3日(1675年10月21日) - 宝永6年12月17日(1710年1月16日))は江戸時代の第113代天皇(在位:貞享4年3月25日(1687年5月6日) - 宝永6年6月21日(1709年7月27日))。幼名は五宮、諱は朝仁(あさひと)。追号の「東山」は陵所泉涌寺の山号に因む。.

新しい!!: 新義真言宗と東山天皇 · 続きを見る »

根来寺

根来寺(根來寺)(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、詳しくは一乗山大伝法院根来寺と号する。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。.

新しい!!: 新義真言宗と根来寺 · 続きを見る »

根来衆

根来寺 根来衆(ねごろしゅう)は、戦国時代に紀伊国北部の根来寺を中心とする一帯(現在の岩出市)に居住した僧兵たちの集団である。雑賀衆と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍した。.

新しい!!: 新義真言宗と根来衆 · 続きを見る »

正応

正応(しょうおう)は、日本の元号の一つ。弘安の後、永仁の前。1288年から1292年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、久明親王、執権は北条貞時。.

新しい!!: 新義真言宗と正応 · 続きを見る »

永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

新しい!!: 新義真言宗と永禄 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 新義真言宗と江戸時代 · 続きを見る »

沙門

沙門(しゃもん、Śramaṇa, シュラマナ、Samaṇa, サマナ)は、古代インド社会に於いて生じた、仏教・ジャイナ教などヴェーダの宗教ではない新しい思想運動における男性修行者を指す。「つとめる人」の意。桑門、勤息、貧道とも言う。後に仏教では比丘と同義になった。.

新しい!!: 新義真言宗と沙門 · 続きを見る »

本山

本山(ほんざん)は、日本の仏教の特定の宗派内に於いて、特別な位置づけをされている寺院を指す。上方本寺とも言う。宗派によっては中枢機能を有する寺院も多い。対義語は末寺。 位置づけによって、総本山、大本山、別格本山、本山などの区別があるほか、宗派によってそれぞれの用法が異なり、使用されない事もある。たとえ、寺院が山中と呼べる場所に無くても「本山」と呼ばれることは多い。 また、日本仏教以外の宗教に於いても、例えば「バチカン市国はカトリックの総本山で…」のように便宜的に、また、日常的に使用される事がある。.

新しい!!: 新義真言宗と本山 · 続きを見る »

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

新しい!!: 新義真言宗と戦国時代 (日本) · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 新義真言宗と明治 · 続きを見る »

明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

新しい!!: 新義真言宗と明治維新 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: 新義真言宗と昭和 · 続きを見る »

浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

新しい!!: 新義真言宗と浄土真宗 · 続きを見る »

智積院

名勝庭園 智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥である。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。寺紋は桔梗紋。.

新しい!!: 新義真言宗と智積院 · 続きを見る »

1143年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1143年 · 続きを見る »

1288年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1288年 · 続きを見る »

1585年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1585年 · 続きを見る »

1879年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1879年 · 続きを見る »

1886年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1886年 · 続きを見る »

1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

新しい!!: 新義真言宗と1900年 · 続きを見る »

1953年

記載なし。

新しい!!: 新義真言宗と1953年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »