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四天王寺

索引 四天王寺

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。 宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。.

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厳島神社

境内 全景(弥山中腹より) 2016年G7広島外相会合における平舞台での雅楽。 厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。 古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。.

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なにわ七幸めぐり

なにわ七幸めぐり(なにわしちこうめぐり)とは、大阪の7社寺を巡拝すること。 7社寺とは大阪天満宮・住吉大社・四條畷神社・大念佛寺・太融寺・今宮戎神社・四天王寺で、なにわ七幸会を組織している。 発足当初は四條畷神社ではなく大鳥大社が入っていた。 「七幸色紙」に各社寺の朱印を集めて、認定印をもらうと、満願達成者として名札が掲示される。.

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古墳

前方後円墳の例・仁徳天皇陵とされる「大仙陵古墳」 国土航空写真 古墳(こふん)とは、古代の墳墓の1種。土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓を指し、特に東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。日本史では一般に、3世紀半ばから7世紀代にかけて日本で築造された墓を指す(弥生時代の墓は「墳丘墓」、奈良時代の墓は「墳墓」と呼び区別される)。 後述するように、天皇陵とされている古墳への立ち入りは厳しく制限されており、日本史研究会や歴史学研究会等の学術団体の調査要求さえも宮内庁が拒否しているため、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など、古代のものについては実際に天皇あるいは皇族の墓であるか検証されていないものもある。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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吉祥寺 (大阪市天王寺区)

吉祥寺(きっしょうじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院。山号は万松山。本尊は釈迦如来。 赤穂藩藩主浅野家の祈願所であり、赤穂浪士四十七士の墓と石像がある。12月14日に討ち入りがあったことから毎年12月第2日曜日に「義士祭」が行われる。.

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堂本印象

堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年12月25日 - 1975年9月5日)は京都市生れの日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。.

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堀越神社

堀越神社(ほりこしじんじゃ)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。 聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。 かつて創建当初から明治中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したのが社名の由来だといわれる。また、古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。 現在は交通量の多い谷町筋に面しているが、境内は樹齢数百年に及ぶ樹木をはじめ緑が多く、閑静な境内を構成している。.

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大坂の陣

大坂の陣(おおさかのじん)は、江戸幕府と豊臣家(羽柴宗家)との間で行われた合戦。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(おおさかふゆのじん)と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣(おおさかなつのじん)から成る。大坂の役(おおさかのえき)とも呼ばれる。.

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大安寺

大安寺(だいあんじ)は、奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった。.

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大山誠一

大山 誠一(おおやま せいいち、1944年8月 - )は、日本の歴史学者。中部大学名誉教授。専門は日本の古代政治史。 長屋王家木簡の研究などで功績を上げた。1996年以来、一連の著作で「聖徳太子は実在しない」との論陣を張る。.

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大念仏寺

大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある寺院。融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊は十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。.

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大阪大空襲

大阪大空襲(おおさかだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が繰り返し行った、大阪市を中心とする地域への戦略爆撃ないし無差別爆撃の総称である。 1945年3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけて最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。.

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大阪七福神

大阪七福神(おおさかしちふくじん)とは、大阪市内の7箇所の社寺から構成される七福神まいりの霊場。.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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大阪市天王寺動物園

天王寺動物園 大阪市天王寺動物園に保存されているニホンアシカの剥製 アフリカサバンナゾーン NZABI NATIONAL PARK アムールトラ 大阪市天王寺動物園(おおさかしてんのうじどうぶつえん)は、大阪市天王寺区の天王寺公園内にある大阪市立の動物園。1915年(大正4年)1月1日に開園した、日本で3番目に長い歴史をもつ動物園。面積約11ヘクタールの園内に、約200種1000点の動物が飼育されている都市型総合動物園。通称・天王寺動物園。 2006年7月16日に、総有料入園者数が1億人を超えた。国内では恩賜上野動物園に次いで2番目。.

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大阪市営地下鉄

駅の出入り口や構内に設置されていたサイン 大阪市営地下鉄(おおさかしえいちかてつ、)は大阪市交通局が運営していた地下鉄。2018年(平成30年)3月31日付けで運営を終了し、大阪市高速電気軌道(大阪メトロ、Osaka Metro)へ事業を譲渡した。.

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大阪市立美術館

大阪市立美術館(おおさかしりつびじゅつかん)は、大阪市天王寺区の天王寺公園内にある美術館。当地には1914年(大正3年)に住友家本邸が建てられたが、後に住友家から美術館建設を目的に日本庭園「慶沢園」とともに敷地を寄贈され、1936年(昭和11年)に旧本邸跡地に開館した。.

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大阪市高速電気軌道谷町線

谷町線(たにまちせん)は、大阪府守口市の大日駅から大阪市内を経て大阪府八尾市の八尾南駅までを結ぶ大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の路線。正式名称は高速電気軌道第2号線と称し、『鉄道要覧』では2号線(谷町線)と記載されている。駅番号を表す際に用いられる路線記号は「T」。 大阪市中心部では、沿線に官庁や寺院の多い谷町筋の地下を走る。地上区間は八尾南駅付近のみ。ラインカラーは高僧の袈裟の色に由来する京紫(紫、ロイヤルパープル T)。.

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大阪府

大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.

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大阪阿部野橋駅

| 大阪阿部野橋駅(2007年5月、別角度から撮影)写真の7階建て阿部野橋ターミナル本館の西側(旧館)部分は、2009年3月19日に、あべのハルカス(タワー館)への建て替えのため閉鎖後、取り壊し済 大阪阿部野橋駅(2004年7月)駅舎は近鉄百貨店阿倍野本店(現:あべのハルカス 近鉄本店)が入居。壁面には「あべの橋駅」と表示されている(現在のタワー館の壁面部分には「大阪阿部野橋駅」と表示)。 写真の右側・7階建ての阿部野橋ターミナルビルの西側(旧本館)部分は、あべのハルカス(タワー館)への建て替えのため、2009年3月19日で閉鎖後、取り壊し済。写真左側の東側(新館)部分は、2014年2月22日に「あべのハルカス・ウイング館」としてリニューアルオープンした。 西口地上改札:2009年3月20日に移設される前のもの 駅名の由来となった阿倍野橋 大阪阿部野橋駅(おおさかあべのばしえき)は、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の起点駅。駅番号はF01。駅長配置駅である。.

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大阪樟蔭女子大学

※大学記事については、できるだけその大学の学則をはじめとする正式な情報を確認することなどによって、正確な情報を記載することも望まれています。 --> ※ここまでは上記テンプレートへ入力すれば自動的に反映されます。 -->.

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大江神社

大江神社(おおえじんじゃ)は神社。.

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大江神社 (大阪市)

大江神社(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。 祭神は豊受大神、素盞嗚尊(牛頭天王)、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天徳 (日本)

天徳(てんとく)は、日本の元号の一つ。天暦の後、応和の前。957年から961年までの期間を指す。この時代の天皇は村上天皇。.

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天王寺

あべのハルカス あべのキューズモール 四天王寺 天王寺(てんのうじ)は、大阪府大阪市天王寺区南部と阿倍野区北部の地域名称。.

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天王寺区

天王寺区(てんのうじく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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天王寺公園

天王寺公園(てんのうじこうえん)は、大阪府大阪市天王寺区茶臼山町にある市立公園。 上町台地の西端に位置しており、総面積は約28万m2。園内には大阪市天王寺動物園や植物温室、大阪市立美術館、慶沢園を擁する大阪を代表する都市公園である。かつては天王寺図書館や天王寺公会堂、野外音楽堂もあった。池上四郎第6代大阪市長の銅像が園内に建つ。.

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天王寺駅

JR天王寺駅ビル、右後方のビルはあべのハルカス(2014年12月) 天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区・阿倍野区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(OsakaMetro)の駅である。 本項では阿倍野区側にある阪堺電気軌道(阪堺)の駅である天王寺駅前停留場(てんのうじえきまえていりゅうじょう)と廃止された南海電気鉄道(南海)の駅についても記述する。.

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天王寺詣り

天王寺詣り(てんのうじまいり)は上方落語の演目の一つ。 笑福亭一門のお家芸の一つで、古くは4代目笑福亭松鶴が得意とした。SPレコードに4代目笑福亭松鶴、5代目笑福亭松鶴のものが残されている。.

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天王寺村

天王寺村(てんのうじむら)は、かつて大阪府東成郡にあった村。現在の大阪市天王寺区南東半、阿倍野区北西半、生野区西部(桃谷の一部)、浪速区東部(日東地区)、西成区東部(山王・天下茶屋)にあたる。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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太平寺 (大阪市)

太平寺(たいへいじ) は大阪市天王寺区夕陽丘町にある曹洞宗の仏教寺院。十三参りで親しまれている。.

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奴婢

奴婢(ぬひ)は、中国と日本においては、律令制における身分階級の一つであり、良民(自由民)と賤民(非自由民)があるなかの後者の一つで、奴隷階級に相当する。奴(ぬ/やつこ)は男性の奴隷、婢(ひ/みやつこ)は女性の奴隷を意味する。朝鮮においては、起源と発展がやや異なるが、高麗時代に完成した。 奴婢は、一般的に職業の選択の自由、家族を持つ自由、居住の自由などが制限されているが、一定の年齢に達するなど、特定の条件を満たせば解放されることもあった。基本的には家畜と同じ扱いであり、市場などで取引されていた。.

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如意輪観音

如意輪観音(にょいりんかんのん)、梵名チンターマニチャクラ (चिन्तामणिचक्र)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられる。 三昧耶形は如意宝珠、紅蓮華。種字はキリーク(ह्रीः、)。.

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孝徳天皇

孝徳天皇(こうとくてんのう、推古天皇4年(596年) - 白雉5年10月10日(654年11月24日))は、日本の第36代天皇(在位:孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日) - 白雉5年10月10日(654年11月24日))。諱は軽(かる)。和風諡号は天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと)。その在位中には難波宮に宮廷があったことから、後世その在位時期をその政策(後世でいうところの大化の改新)などを含めて難波朝(なにわちょう)という別称で称されることがあった。.

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室戸台風

室戸台風(むろとたいふう)は、1934年(昭和9年)9月21日に高知県室戸岬付近に上陸し、京阪神地方を中心として甚大な被害をもたらした台風。記録的な最低気圧・最大瞬間風速を観測し、高潮被害や強風による建物の倒壊被害によって約3,000人の死者・行方不明者を出した。枕崎台風(1945年)、伊勢湾台風(1959年)と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる。.

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宮本輝

宮本 輝(みやもと てる、1947年(昭和22年)3月6日 - )は、日本の小説家。本名は宮本正仁。兵庫県神戸市に生まれる。後、愛媛県、大阪府、富山県に転居。関西大倉中学校・高等学校、追手門学院大学文学部卒業。.

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官寺

官寺(かんじ)とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のこと。寺格の一つ。広義では、朝廷または国衙が伽藍の造営・維持のための費用その他を拠出している寺院を指し、狭義では食封や墾田保有権(荘園私有の権利)を国家から与えられて、運営が行われている寺院のことを指す。 一般的には大寺(だいじ・官大寺(かんだいじ))と同義と考えられているが、国分寺・国分尼寺も官寺の定義に該当するため、官寺に含んで考えられる事も多い。また、これよりも小規模な有封寺(有食封寺)・諸寺と言った寺院も存在した。更に皇室の私寺的色彩の強い勅願寺や有力な貴族・豪族の氏寺であった私寺のうち官の保護を受けた定額寺も官寺に准じて扱われることがある。.

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宗派

宗派(しゅうは)は、教義・信仰対象などの違いや歴史的経緯により生じた分派である。主に仏教において用いられる。実際にどんな仏教の宗派があるかについては、十三宗五十六派および:Category:仏教の宗派を参照。.

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安井神社 (大阪市)

桜の名所でもあった。広重「浪速名所図絵 安井天神山花見」 安井神社(やすいじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社。安居天満宮、安居神社ともいう。.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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寛弘

寛弘(かんこう)は、日本の元号の一つ。長保の後、長和の前。1004年から1011年までの期間を指す。この時代の天皇は一条天皇、三条天皇。.

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小学館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.

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上野王子 (大阪市)

上野王子(うえのおうじ)は、九十九王子の4番目。現在消滅。 大阪市天王寺区上之宮町4にある上之宮台ハイツの入り口軒下に「上宮跡」の石碑があり、ここが跡地とされているが、確証は無い。現在は、大江神社(大阪市天王寺区夕陽丘町5-40)に合祀されている。 かつては四天王寺を守る「四天王寺七社」の上之宮神社として、鎮座していた。近くに上宮高校がある。.

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丁未の乱

丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱である。丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいう。仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた。これから先、物部氏は衰退した。.

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帝塚山古墳

帝塚山古墳(てづかやまこふん)は、大阪市住吉区にある古墳。帝塚山という地名のルーツである。.

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中臣勝海

中臣 勝海(なかとみ の かつみ、生年未詳 - 用明天皇2年(587年)4月)は、飛鳥時代の豪族。姓は連。出自は明らかでなく、父は中臣鎌子・中臣磐余・中臣真人の諸説がある。大夫(まえつきみ:議政官)の地位にあった。 敏達天皇14年(585年)3月、物部守屋と共に、疫病流行の原因が蘇我氏の仏教信仰のせいであると奏上。用明天皇2年(587年)4月、天皇が病床で仏教に帰依する旨を詔し、群臣にこのことを協議するように命じた際にも、守屋と共に詔に反対している。その後、守屋の挙兵に呼応して、自宅に兵を集め、押坂彦人大兄皇子の像と竹田皇子の像を作り呪詛するが、反乱計画の不成功を知って彦人大兄に帰服。皇子の宮に行ったが、宮門を出たところで迹見赤檮に殺された。 後世の系図によると、勝海には中臣若子・中臣古多比・中臣贄古の三子があり、古多比からは中臣宮処氏(中臣宮処氏連)が、贄古からは中臣大家氏(中臣大家連)が出たという。.

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中村岳陵

中村 岳陵(なかむら がくりょう、1890年3月10日 - 1969年11月20日)は、日本画家。静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。.

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七星剣

七星剣(しちせいけん)とは、中国の道教思想に基づき北斗七星が意匠された刀剣の呼称。破邪や鎮護の力が宿るとされ、儀式などに用いられた。七星刀、七星宝刀とも。.

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三方楽所

三方楽所(さんぽうがくそ)は、江戸時代初期に制度化された雅楽の伝承組織で、一方17人ずつ計51人からなる。 三方とは宮中方(宮廷・京都)、南都方(興福寺・奈良)、天王寺方(四天王寺・大阪)のそれぞれの楽所を指し、これらの総称として江戸以前についても用いる。またここに属する雅楽家を三方楽人(さんぼうがくにん)と総称する。.

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一心寺

一心寺(いっしんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法然上人二十五霊跡第七番札所。.

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一遍

一遍(いっぺん、延応元年(1239年) - 正応2年(1289年))は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。.

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丙子椒林剣

丙子椒林剣(へいししょうりんけん)は、大阪府大阪市の四天王寺が所蔵する7世紀作の直刀である(東京国立博物館に寄託)。日本の国宝に指定されている。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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平櫛田中

平櫛 田中(ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう、1872年2月23日(明治5年1月15日) - 1979年(昭和54年)12月30日)は、日本の彫刻家。本名は平櫛倬太郎(ひらくし たくたろう)。旧姓は田中。井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。.

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久保神社

久保神社(くぼじんじゃ)。.

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享和

享和(きょうわ)は日本の元号の一つ。寛政の後、文化の前。1801年から1804年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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広川町 (和歌山県)

広川町(ひろがわちょう)は、和歌山県の中央北寄りに位置する町である。.

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五重塔

五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものを指す。下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表している。.

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井上光貞

井上 光貞(いのうえ みつさだ、1917年(大正6年)9月19日 - 1983年(昭和58年)2月27日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。国立歴史民俗博物館初代館長。紫綬褒章受章者。文学博士。専門は日本古代史(上代日本史)。井上馨と桂太郎の孫に当たる。.

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井上靖

井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。.

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今井啓一 (歴史学者)

今井 啓一(いまい けいいち、1905年8月17日-1975年11月27日)は、日本古代史学者。 京都府出身。神宮皇學館卒。大東文化学院高等科修了。1961年「帰化の研究」で國學院大學文学博士。立命館大学教授、近畿大学教授、大阪樟蔭女子大学学芸学部教授。.

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仁徳天皇

仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年 - 仁徳天皇87年1月16日)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日)。善政を敷き、大規模な土木事業を行ったと伝わる。 名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。.

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仏法

仏法 (ふっぽう、ぶっぽう).

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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伽藍

法隆寺西院伽藍。正面が中門 伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。サンスクリット語のの音写で、「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」「僧伽藍」が略されて「伽藍」と言われた。漢訳の場合は「衆園(しゅおん)」「僧園(そうおん)」などと訳された例があるが、通常「伽藍」とのみ呼ばれる。.

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住吉大社

住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。.

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住吉区

住吉区(すみよしく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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佐和隆研

佐和 隆研(さわ りゅうけん / さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家、仏教学者、真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授、嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。.

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徳川秀忠

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍。.

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後醍醐天皇

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.

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供養

供養(くよう)とは、サンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)の訳で、仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。 日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多く、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともある。また動物等に対する供養、さらには針供養や人形供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。.

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忍性

忍性(にんしょう、建保5年7月16日(1217年8月19日) - 乾元2年7月12日(1303年8月25日))は、鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧である。房名(通称)は良観。貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られる。資産家としても知られ、鎌倉に入る主要な街道の関所で、「通行税」を人ごとに徴収していた。これが後の15世紀の土民一揆の原因と言われている。.

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和歌山県

和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.

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ろうそく

ろうそく (漢字表記:蝋燭あるいは蠟燭、 キャンドル)とは、綿糸などを縒り合わせたもの(ねじりあわせたもの)を芯にして、芯の周囲に蝋(ろう)やパラフィンを成型したもののこと。芯に火を点して灯りなどとして用いる。ロウソク、ローソクとも。 芯の先に点った炎によって周囲の蝋が融けて芯に染み込み、さらにそれが気化して燃焼することで燃え続けるしくみである。炎はほぼ一定の明るさを保つ。粗悪なものを除く。 芯として用いられるのは三つ編みにした綿糸(めんし)やイグサ(灯心草)で、芯を据えた型に蝋(ろう、パラフィン)を流し込んだり、融けた蝋を芯に繰り返し絡ませたりして作られる。 光源の明るさの単位「カンデラ(燭光)」は、もともと特定の規格のろうそくの明るさを基準として決められた単位である。 ろうそくに関する著作では、マイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』が有名。.

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八宗兼学

八宗兼学(はっしゅうけんがく)とは、日本の仏教の8つの宗派の教義を併せて学ぶことを指す。 用語としては、物事を良く学び、理解しているという意味もある。.

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六朝

六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 - 589年)を六朝時代(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化(りくちょうぶんか)と称することもある。.

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勝鬘経

『勝鬘経』(しょうまんぎょう、Śrīmālādevī-siṃhanāda-sūtra, シュリマーラーデーヴィー・シンハナーダ・スートラ)、正式名称『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)は、仏教における中期大乗仏教経典のひとつ。サンスクリット原典は失われ、チベット語訳と、求那跋陀羅訳・菩提流支訳の2種の漢訳経典が残っている(広く用いられるのは求那跋陀羅訳)。大正新脩大蔵経では「宝積部」に収録されている(大正蔵353)。 原題は「シュリマーラーデーヴィー」(Śrīmālādevī)が「勝鬘夫人」、「シンハナーダ」(siṃhanāda)が「獅子吼(ししく)」(すなわち獅子が吼えるような雄弁をふるうこと)、「スートラ」(sūtra)が「経」、総じて「勝鬘夫人が雄弁をふるう経」の意。 この経典は、舎衛国波斯匿(はしのく)王の娘で在家の女性信者である勝鬘夫人が説いたものを釈迦が認めたとされ、一乗真実と如来蔵の法身が説かれている。『維摩経』とともに古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられ、聖徳太子もこの経典の注釈書『勝鬘経義疏』を著している(本当に聖徳太子が記したかどうかについては異説もある)。 内容としては、大乗仏教の理想が強く打ち出されている。 特に、以下に挙げる「十大受」「三大願」は、大乗仏教の理想・理念をよく表現したものと言えよう。.

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勝鬘院

多宝塔(重要文化財) 勝鬘院(しょうまんいん)は、大阪市天王寺区にある和宗の寺院。山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。.

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国宝

建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.

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四天王

四天王(してんのう)は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のこと。四大王(しだいおう)ともいう。.

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四天王寺

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。 宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。.

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四天王寺 (大阪市の地名)

四天王寺西門(四天王寺1丁目) 四天王寺(してんのうじ)は、大阪府大阪市天王寺区の町名。1丁目と2丁目がある。郵便番号は、543-0051。.

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四天王寺中学校・高等学校

四天王寺中学校・高等学校(してんのうじちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府大阪市天王寺区にある、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。通称は「四天」(よんてん)。.

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四天王寺七宮

四天王寺七宮(してんのうじしちみや)は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群である。 いずれも現在の大阪市天王寺区に位置し、以下の七つの神社を指す。.

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四天王寺式伽藍配置

四天王寺式伽藍配置(してんのうじしきがらんはいち)は、飛鳥時代の代表的な伽藍配置の一つ。.

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四天王寺ワッソ

四天王寺ワッソ(してんのうじワッソ)とは、大阪市の史跡 難波宮跡にて開催される祭り。「ワッソ」は現代韓国語で「来た」を意味する。.

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四天王寺八角亭

四天王寺 八角亭(してんのうじ はっかくてい)は大阪市天王寺区の四天王寺本坊庭園内にある洋風建築(あずまや)である。.

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四天王寺前夕陽ヶ丘駅

四天王寺前夕陽ヶ丘駅(してんのうじまえゆうひがおかえき)は、大阪市天王寺区夕陽丘町にある大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)谷町線の駅。駅番号はT26。.

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四天王寺本坊庭園

湯屋方丈 四天王寺 本坊庭園(してんのうじ ほんぼうていえん)は大阪市天王寺区の四天王寺本坊の東側にある日本庭園。.

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四国八十八箇所

四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ、「四国八十八ヶ所」とも表記される)は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。単に八十八箇所ともいい、あるいはお四国さん、あるいは本四国ともいわれている。 四国八十八箇所を巡拝することを四国八十八ヶ所霊場会では四国巡礼といい、似たような呼び方として四国遍路、四国巡拝などともいう。 巡拝中の掛軸の御印譜 白衣の御印譜.

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石山本願寺

石山本願寺(いしやまほんがんじ)は、戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡生玉荘大坂にあった浄土真宗の寺院である。戦国の当時は「大坂本願寺」「大坂城」と呼ばれており、後世「石山本願寺」というようになった。 他の本願寺と比較した際の特徴は、本山・石山本願寺を中心に防御的な濠や土居 - 中世,城郭や屋敷地の周囲に防御のためにめぐらした土塁。(『大辞林』第三版、他。)で囲まれた「寺内町」を有する点である教学研究所 編『教如上人と東本願寺創立』第一部「教如上人とその周辺」第二節「大坂本願寺」P.14。。.

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石棺

大阪府立近つ飛鳥博物館展示。 石棺(せっかん)とは、遺骸を収める棺を石材で造ったもの。本項では古代日本における石棺について説明する。.

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玉造 (大阪市)

玉造(たまつくり)は、大阪府大阪市の地域名称。または、同市中央区の町名。町名は1・2丁目がある。郵便番号540-0004。 本稿では町名の由来となった、かつての東成郡玉造町(たまつくりちょう)についても述べる。.

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火災

火災(かさい)とは、火による災害である。一般的には火事(かじ)ともいう。また、小規模な火災のうちに消し止められたものは小火(ぼや)、焼失面積が大きく被害が甚大なものは大火(たいか)ともいう。被害は有形財産の焼失はもとより、怪我人や死者がでることも頻繁にある。.

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社会福祉事業

会福祉事業(しゃかいふくしじぎょう)とは、社会福祉法第2条を根拠とする福祉事業のことである。第1種社会福祉事業と第2種社会福祉事業がある。.

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神仏習合

仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。.

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神仏霊場巡拝の道

仏霊場巡拝の道(しんぶつれいじょうじゅんぱいのみち)とは、伊勢神宮(特別参拝)、および近畿地方の150の社寺を巡る霊場である。 宗教学者の山折哲雄の提唱により、明治維新以前の神仏同座、神仏和合の精神の復活を目指し、近畿を中心とした125の社寺により、平成20年(2008年)3月2日に神仏霊場会が設立され(初代会長は東大寺長老の森本公誠)、その後、151の社寺に拡大した上で、同年9月8日に伊勢神宮にて発足奉告式典が行われた。.

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神社

出雲大社(神代創建と言われる、島根県出雲市) 八坂神社(飛鳥時代創建)(京都府京都市東山区) 蒙疆神社(昭和時代創建、張家口。写真は1952年のもので、当時はもう廃社された) 神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿地方には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する。.

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祖先崇拝

霊信仰(それいしんこう)もしくは祖先崇拝(そせんすうはい)とは、既に死んだ祖先が、生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰である。 中国、朝鮮、日本(とりわけ沖縄)など東北アジアのものが特に有名であるが、ズールー人など、世界的にも見られる。中国では祖先崇拝と呼ばれ、清明節などの習慣がある。日本では、学問的には祖先崇拝の名称が用いられているほか、祖霊信仰という名称も用いられている。先進国では、過去に存在しても、一神教などに置き換わられて、超越されている事が、一般的とされる。 日本では社会学分野で「先祖祭祀」の用語が定着している。明治以降1950年代ごろまでは「祖先崇拝」が多く使用された.

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稲城

城(いなぎ、とうじょう).

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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線香

仏壇の前の線香 本堂前の爐 線香(せんこう) は、好まれる香りを出す材料を細かくして練り合わせ細い棒状や渦巻き状に成型して乾燥させた香(こう)である。直接火をつけ燻蒸と呼ばれる燃焼方法で芳香のある煙を出す。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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経木

経木(きょうぎ)とは、薄い木の板である。材質は主にスギ、ヒノキが用いられる。通常は柾目で削られている。.

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産土神

産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)は日本の神の区分のひとつ。単に産土ともいう。.

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用明天皇

明天皇(ようめいてんのう、生年不詳 - 用明天皇2年4月9日(587年5月21日?))は、日本の第31代天皇(在位:敏達天皇14年9月5日(585年10月3日?) - 用明天皇2年4月9日(587年5月21日?))。.

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田辺征夫

辺 征夫(たなべ いくお、1944年11月 - )は、日本古代考古学者、元国立文化財機構奈良文化財研究所長。現在は、(公財)大阪府文化財センター理事長および(財)仏教美術協会理事長.

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物部守屋

物部 守屋(もののべ の もりや)は、古墳時代の大連(有力豪族)。物部尾輿の子。母は弓削倭古の娘、阿佐姫。.

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物部氏

物部氏(もののべうじ)は、「物部」を氏の名とする氏族。姓(かばね)は、始め物部連、後に物部朝臣。 大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命が祖先と伝わる神別氏族。穂積氏や采女氏とは同族の関係にある。饒速日命は登美夜須毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。.

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狩野山楽

狩野山楽像 伝木村香雪筆 京都国立博物館蔵 狩野 山楽(かのう さんらく、永禄2年(1559年) - 寛永12年8月19日(1635年9月30日)は、安土桃山時代~江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野山雪は養子。.

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融通念仏宗

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の日本仏教の一つである。大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。 平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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聖徳太子

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)は、飛鳥時代の皇族・政治家。「聖徳太子」は、後世の諡号。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。.

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聖徳太子建立七大寺

聖徳太子を描いたとされる肖像画「唐本御影」。8世紀半ば頃。 聖徳太子建立七大寺(しょうとくたいしこんりゅうしちだいじ)または、聖徳太子建立七寺(しょうとくたいしこんりゅうななでら)は、聖徳太子建立の伝承のある七つの寺の総称。.

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聖徳太子霊跡

聖徳太子霊跡(しょうとくたいしれいせき)は、聖徳太子にゆかりのある寺院をまとめた物である。一部の寺院は廃寺や無住寺となっている。.

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聖霊会

聖霊会(しょうりょうえ)は、聖徳太子ゆかりの寺である四天王寺で催される聖徳太子命日(旧暦2月22日)の大法要である。.

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聖霊会の舞楽

聖霊会の舞楽(しょうりょうえのぶがく)は、大阪府大阪市天王寺区の四天王寺に伝わる伝統芸能、重要無形民俗文化財、四天王寺聖霊会の舞楽。 聖徳太子の創建による四天王寺で、毎年4月22日(聖徳太子の命日:本来は旧暦の2月22日)に催される聖霊会に際し、平安時代には都の貴族の四天王寺詣の楽しみのひとつでもあり、江戸時代は三方楽所天王寺方としての伝統を持つ天王寺舞楽を受け継ぎ、天皇が東京に去った後は1884年(明治17年)に結成された、天王寺楽所雅亮会によって上演される。 舞楽とは舞を伴った雅楽で、中国・インドからの音楽様式に基づく左舞と、朝鮮半島やシベリア系の右舞とがあり、朝鮮半島伝来の舞『蘇利古』や平安文学に登場する極楽鳥を模して舞う童舞『迦陵頻』など、10数曲が披露される。独特の仮面を付け色あざやかな装束を身にまとい、「亀の池」中央の日本三舞台の一つである石舞台で、大陸の薫りゆたかに執り行われる千数百年の歴史を誇る古式ゆかしい楽舞には、古代芸能のパワーと魅力がみちあふれている。 なお、四天王寺と同様聖徳太子ゆかりの寺である法隆寺でも、10年に一度大法要である聖霊会が催され舞楽が披露される。.

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落雷

落雷(らくらい)とは、帯電した積乱雲などと、主に地上物の間に発生する放電で、自然現象又は自然災害である雷の代表的な形態である。.

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飛鳥寺

本堂 飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある寺院。蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。現在の宗派は真言宗豊山派。.

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西山国師遺跡霊場

西山国師遺跡霊場(せいざんこくしいせきれいじょう)は、西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の浄土宗西山三派の祖で、法然の高弟である証空(西山国師あるいは西山上人ともいう)ゆかりの寺社21箇所を巡る霊場巡拝である。 札番付き寺院の数にちなみ、西山国師十六霊場あるいは西山国師十六遺跡霊場とも言い、朱印には西山国師十六霊場と書かれている。1976年に西山三派によって設立された「三山遺跡顕彰会」によって創設された霊場巡りで、札番付き寺社16箇所のほかに、客番の寺社が5箇所となっている。当霊場は西山国師・証空の足跡を巡る霊場であるので、浄土宗西山三派の寺院だけでなく、浄土宗(鎮西派)や浄土真宗の浄土系の寺院も含まれているのはもちろん、真言宗系や天台宗系寺院も含まれているほか、神社も含まれている。設立年である1976年には専用の納経帳やガイドブックも発行されている。 札所は近畿地方に所在する寺院が多いが、近畿地方以外も福島県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、石川県、愛知県、岐阜県など西山国師・証空が足跡を記した1都2府10県にわたり、日本の霊場巡りでも最も広範囲に霊場が散らばっているもののひとつである。西山国師・証空の知名度が弘法大師・空海や円光大師・法然らに比較して低いことや、浄土宗西山3派の規模が鎮西派などに比べて小さいこと、あまりに広範囲に広がる巡礼地を巡ることの困難さから、巡礼を始めるのに二の足を踏む人が多いこと、現在では寺院側も積極的にPRをしていないことなどから、巡礼する人は少ない。 しかし、浄土宗西山深草派の総本山である誓願寺では現在でも1977年発行の専用納経帳が販売されている。現在でも月に数人以上の巡礼者が各寺院を巡って朱印を求めるとされているほか、寺院主催の団体参拝を企画する旅行会社が存在し、実際に数年に1度は寺院の檀家単位の団体参拝が行われる。三鈷寺と當麻寺奥院で寺院で有料拝観の際に渡されるパンフレットには、西山国師遺跡霊場札所であることが明記されており、公式HPにも當麻寺奥院・四天王寺・誓願寺のものには西山国師遺跡霊場札所であることが記載されているなど、極めてマイナーだが忘れ去られてはいない霊場巡りと言える。なお、ガイドブックも長く1976年のものが売れ残っていたが、現在は絶版となっている。.

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西国三十三所

西国三十三所札所(京都府に所在するものを除く) 西国三十三所札所(京都府に所在するもの) 西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ、さいこくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。 「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。.

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西国薬師四十九霊場

西国薬師四十九霊場(さいごくやくししじゅうくれいじょう)は、薬師瑠璃光如来をまつる大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、三重の七府県四十九ヶ寺の西国薬師霊場。1989年(平成元年)結成。 河内長野市助役を務めた下休場由晴が手がけた新設巡礼地のひとつで、下休場由晴が同様に手がけた近畿三十六不動尊霊場(1979年)・西国愛染十七霊場(1993年)・役行者霊蹟札所(2001年)なとど同様に、事務局は河内長野市の同一事務所内にある。.

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西成郡

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西日本旅客鉄道

西日本旅客鉄道株式会社ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という「鉃」の文字を使い、『西日本旅客鉃道株式会社』と表記している。ただし、登記上の正式社名は常用漢字の「鉄」の字を用いている。また、四国旅客鉄道以外の各社もロゴタイプで同様に表記している。 (インターネットアーカイブ)も参照。(にしにほんりょかくてつどう、)は、日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業および船舶事業を引き継ぎ発足した旅客鉄道会社の一つ。 北陸3県・近畿地方・中国地方を中心に鉄道路線網を持つ。本社は大阪府大阪市北区。通称はJR西日本(ジェイアールにしにほん)。英語略称はJR Westただし、500系の先頭部など、自社の特急用車両に書かれている英語略称は「WEST JAPAN」。。コーポレートカラーは青色。東証・名証第一部、福証の上場企業。災害対策基本法における指定公共機関。 なお本会社は、同じく「西日本」から始まる社名を持つ鉄道会社で、福岡県福岡市に本社がある西日本鉄道とは無関係である同社とは読みも異なり、本会社は「にしにほん」と読むのに対し同社は「にしにっぽん」と称すと言う相違点がある。。.

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親鸞

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。、既成の仏教教団や、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。.

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観音菩薩

白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵) 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。.

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香南市

香南市(こうなんし)は、高知県東部に位置する市。.

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香美郡

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香我美町

香我美町(かがみちょう)は、高知県香南市の町名。かつては香美郡に属した独立した自治体で、2006年3月1日に周辺4町村と合併し香南市となった。.

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角川学芸出版

角川学芸出版(かどかわがくげいしゅっぱん)は、日本の出版社・KADOKAWAと角川文化振興財団の共通ブランド。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川学芸出版についても解説する。.

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角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

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高句麗

句麗(こうくり、、紀元前37年 - 668年)または高麗(こうらい、こま、)は、現在の中国東北部の南部から朝鮮民主主義人民共和国、韓国北部に存在した国家。しばしばツングース系民族によって建てられたとされるが*シロコゴロフ、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。.

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高知県

知県(こうちけん)は、日本の県の一つ。四国の太平洋側に位置する。県庁所在地は高知市。.

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谷川健一

谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日、満92歳没)は、日本の民俗学者、地名学者、作家、歌人。日本地名研究所所長。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげ、文化功労者に選出されるなど高く評価された。.

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谷沢永一

谷沢 永一(谷澤 永一、たにざわ えいいち、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の文芸評論家、書誌学者。関西大学名誉教授。専門は日本文学(近代)。渡部昇一との共著が多い。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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鳥居

鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。.

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近畿三十六不動尊霊場

近畿三十六不動尊霊場(きんきさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、大阪府・兵庫県・京都府・和歌山県・滋賀県・奈良県にある不動尊(不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場。霊場の選定にあたっては、宗派に囚われず、一般の人々からの立場からの意見を取り入れて、1979年(昭和54年)に古寺顕彰会が中心となり選定した。日本で最初の不動尊霊場である。 三十六の数の由来は、不動明王の眷属が三十六童子であることによる。また、人間の煩悩三十六支を表し、三十六ヶ寺を巡拝することによって煩悩を消除する意味も含まれている。 河内長野市助役を務めた下休場由晴が手がけた新設巡礼地のひとつで、下休場由晴が同様に手がけた西国薬師四十九霊場(1989年)・西国愛染十七霊場(1993年)・役行者霊蹟札所(2001年)なとど同様に、事務局は河内長野市の同一事務所内にある。.

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近鉄南大阪線

南大阪線(みなみおおさかせん)は、大阪府大阪市阿倍野区の大阪阿部野橋駅から奈良県橿原市の橿原神宮前駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。 駅ナンバリング等に使われる路線記号はF - 近畿日本鉄道、2015年8月19日。ラインカラーは緑である。.

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茶臼山古墳 (大阪市)

茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。大阪府指定史跡に指定されている。.

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蘇我馬子

各人物記事へのリンク表示) 蘇我 馬子(そが の うまこ)名に「子」の字が付くが男性である(当時は「子」が男女問わず用いられた)。子 (人名)を参照のこと。は、飛鳥時代の政治家、貴族。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。 敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。.

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蘇我氏

蘇我氏(そがうじ/そがし)は、「蘇我」を氏の名とする氏族。姓は臣(おみ)。 古墳時代から飛鳥時代(6世紀 - 7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣(おおおみ)を出していた有力豪族である。.

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鵲森宮

鵲森宮(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。.

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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藤島亥治郎

藤島 亥治郎(ふじしま がいじろう、1899年5月1日 - 2002年7月15日)は、日本の建築史家。息子の藤島幸彦は早稲田大学講師。.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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釈迦如来

釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏とは、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び名である。.

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金剛力士

東大寺南大門金剛力士(阿形・国宝) 法隆寺中門金剛力士(吽形) 金剛力士(こんごうりきし、वज्रपानि、)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれている。.

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金剛組

株式会社金剛組(こんごうぐみ、Kongo Gumi Co.,Ltd.)は、日本の建設会社である。578年創業で現存する世界最古の企業である。 創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、同年11月より髙松建設(現髙松コンストラクショングループ)の子会社(現在は孫会社)へ移行している。.

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長谷川輝雄

長谷川 輝雄(はせがわ てるお、1896年 - 1926年5月15日)は日本の建築史家。「四天王寺建築論」等を著したが早世した。 滋賀県生まれ。旧制第三高等学校を経て、1922年に東京帝国大学建築学科を卒業。卒業論文は「近代建築思潮と表現」。大学院で建築史の研究を進め、翌年、同大工学部助教授に就任。1926年、30歳で病没。 大阪の四天王寺の建築は江戸時代の再建によるものだが、伽藍配置に創建当時の様相を残しており、高麗尺(大化の改新以前に用いられていた)で計画されていたと論じた。.

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良忍

良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。 尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年(1072年)説もある。 比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し(寂光院も良忍による創建説がある)、また分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させた。 1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄(現大阪市平野区)の領主の坂上広野の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。 1773年(安永2年)聖応大師の謚号を賜った。.

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鉄筋コンクリート

鉄筋コンクリート(てっきんコンクリート、reinforced concrete, RC)は、コンクリートの芯に鉄筋を配することで強度を高めたものを指す。コンクリートと鉄を組み合わせることで互いの長所・短所を補い合い、強度や耐久性を向上させるものである。鉄筋混凝土とも表記。 建築や土木分野では極めて一般的な建材・工法である。鉄筋が入っていないことを強調するためにあえて「無筋コンクリート」という表現もある。歴史的には戦時中の日本では、鉄材不足を補うために竹筋コンクリートが用いられた時期もある。.

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若草伽藍

若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。.

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難波長柄豊碕宮

難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)は、摂津国難波にあった飛鳥時代の宮。難波長柄豊崎宮、難波長柄豊埼宮とも表記する。学術的には、この宮跡に建てられた難波宮(後期難波宮)と区別して前期難波宮とも呼ばれる。 乙巳の変(645年)の後、中大兄皇子(後の天智天皇)らによって企画され、652年に完成し、孝徳天皇が遷都した。建物は、朱鳥元年(686年)の正月に全焼するまで、現在の大阪市中央区に34年の間存続した。 白雉5年(654年)孝徳帝の没後、斉明天皇(皇極天皇が重祚)により飛鳥板蓋宮に遷宮された。その後は、天平16年(744年)になって同じ場所に聖武天皇によって宮殿が築かれた(難波宮#後期難波宮を参照)。 この宮は、上町台地の上にあり、大正2年(1913年)に陸軍の倉庫建築中に数個の重圏文・蓮華文の瓦が発見されている。昭和28年(1953年)、同地付近から鴟尾(しび)が発見されたのがきっかけで、難波宮址顕彰会の発掘・調査が進んだ。 内裏・朝堂院の構造がそれまで見られなかった大規模で画期的な物であったことから、大化の改新という改革の中心として計画的に造営された宮であるとされ、大化の改新虚構論への有力な反証となっている。 現在、難波宮の跡地の一部は、難波宮史跡公園となり、大阪城の南に整備されている。前期・後期の遺跡を元に建物の基壇などが設置されている。.

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雅楽

御前での胡蝶の舞、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版 雅楽(ががく)は、中国、朝鮮半島を経て、日本で花開いた伝統的な音楽の一つ(ベトナムについてはベトナムの雅楽を参照)。世界最古のオーケストラと言われる。以下、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽(重要無形文化財、ユネスコの無形文化遺産→2007年)を中心に述べる。.

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院政

院政(いんせい)は、天皇が皇位を後継者に譲って上皇(太上天皇)となり、政務を天皇に代わり直接行う形態の政治である。摂関政治が衰えた平安時代末期から、鎌倉時代すなわち武家政治が始まるまでの間に見られた政治形態である。 天皇が皇位を譲ると上皇となり、上皇が出家すると法皇となるが、上皇は「院」とも呼ばれたので、院政という。1086年に白河天皇が譲位して白河上皇となってから、平家滅亡の1185年頃までを「院政時代」と呼ぶことがある。 「院政」という言葉自体は、江戸時代に頼山陽が『日本外史』の中でこうした政治形態を「政在上皇」として「院政」と表現し、明治政府によって編纂された『国史眼』がこれを参照にして「院政」と称したことで広く知られるようになったとされている。院政を布く上皇は治天の君とも呼ばれた。.

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推古天皇

推古天皇(すいこてんのう、欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)『古事記』では戊子年3月15日)は、第33代天皇(在位:崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)36年、『古事記』では37年)。(神功皇后を含まない)歴代天皇の中では最初の女帝(女性天皇)であるベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎(翻訳)、78頁。(第2章『女性統治者の出現』、5『最初の「天皇」は女性だった』、『日本で最初の「天皇」』)、また、女性君主は当時の東アジアではまだみられなかった。諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。炊屋姫尊とも称される。『古事記』ではこの天皇までを記している。 天皇号を初めて用いた日本の君主という説もあるが、1998年の飛鳥池工房遺跡での天皇の文字を記した木簡が発見された以後は、天武天皇が最初の天皇号使用者との説が有力となっている。また、容姿端麗であった。.

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恵日寺 (香南市)

恵日寺(えにちじ)は、高知県香南市香我美町山北にある真言宗智山派の仏教寺院。本尊は十一面観音。.

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東大阪市

東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府中河内地域に位置する市である。人口は約50万人であり、大阪市および堺市の両政令指定都市に次ぐ府内第3位の人口を擁する中核市である。大阪都市圏の中心都市に属する。.

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東高津宮

東高津宮(ひがしこうづぐう)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。仁徳天皇社と称していたこともある。.

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東淀川区

東淀川区(ひがしよどがわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。市域の北東部最北端に位置するが、その北東端の江口や井高野には、大阪市営の団地が立ち並ぶなど、ベッドタウンとなっている。人口は大阪市24区のうち、平野区・淀川区に次いで多い。.

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東成郡

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松久朋琳

松久 朋琳(まつひさ ほうりん、1901年(明治34年) - 1987年(昭和62年)9月1日)は、仏師。京都府生まれ。.

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杉本健吉

杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。.

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森ノ宮駅

森ノ宮駅(もりのみやえき)は、大阪府大阪市中央区森ノ宮中央一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅である。JR西日本の駅番号はJR-O06。Osaka Metroの駅番号は中央線がC19、長堀鶴見緑地線がN20。 JR西日本の大阪環状線と、Osaka Metroの中央線・長堀鶴見緑地線の合計2社局3路線が乗り入れている。JRの駅は特定都区市内制度における「大阪市内」に属する。JR西日本の駅シンボルフラワーは「パンジー」である。.

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極楽

極楽(ごくらく、sukhāvatī, スカーヴァティー、蔵;, デワチェン)とは、阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スカーヴァティー」は「スカー」(sukhā)に「ヴァティー」(vatī)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。 『阿弥陀経』には「其の国の衆生、衆苦有ること無く、但だ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」という。.

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氏寺

氏寺(うじでら)とは、飛鳥時代に古墳、特に前方後円墳に代わって在地首長やヤマト王権構成員として君臨してきた有力氏族や王族の新たな祭祀儀礼の場として造られるようになった仏教の寺院である。中世頃からしだいに菩提寺とも呼ばれるようになった。 主な代表例としては聖徳太子が建立した法隆寺(斑鳩寺)や蘇我氏が建立した飛鳥寺、それに秦氏が建立した広隆寺がある。 地方では、その土地の豪族が氏寺を建てているのがみられる。例えば、相模国分寺のように伽藍様式が天平様式より古い法隆寺式伽藍であったり、瓦も白鴎様式であったりするのは、郡司の氏寺を改修して国分寺としたと推定される。また、小田原市千代台の千代廃寺からも白鳳様式の瓦が出土しており、これも郡司の氏寺であったと考えられている。 仏教が、限られた皇族や有力豪族が鎮護国家という形で王権、国家、地域共同体の維持繁栄を祈るための信仰として受容されたものから拡大して個人を救う信仰としても貴族社会全般に浸透し、その信仰が武家や一般民衆まで及ぶ中世に入ると、氏寺も古代のそれとは変化していった。「氏」という一グループの信仰や供養を受ける氏寺のみならず、「氏」を構成する「家」それぞれにも氏寺(家寺と呼ぶべきか)が持たれるようになり、それぞれ氏や家に応じた仏事を執り行うようになった。 仏事といった信仰的・宗教的行為の役割のみならず、氏寺の存続・発展の為の荘園経営や、本来主人たる氏や家へ対しての経済援助や助言といった活動を行う氏寺も出てきた。一方的な保護・援助の対象から、氏や家との密接な関係を保ちつつ、存続と自立的発展を目的としており、氏寺の中世的展開として注目される。.

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永仁

永仁(えいにん)は、日本の元号の一つ。正応の後、正安の前。1293年から1298年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇、後伏見天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、執権は北条貞時。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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河堀稲生神社

河堀稲生神社(こぼれいなおじんじゃ)は、大阪市天王寺区大道にある神社。祭神は宇賀魂大神、崇峻天皇、素盞嗚尊。.

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河内国

河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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法然上人二十五霊場

法然上人二十五霊場(ほうねんしょうにんにじゅうごれいじょう)は、浄土宗の開祖である法然ゆかりの寺院を巡る霊場巡拝である。札番付き寺院が25箇所のほかに、番外である「縁故本山」と「特別霊場」が1箇所ずつあり、計27箇所となる。 円光大師二十五霊場とも言い、宝暦年中(1751年 - 1763年)のころ、大阪・難波の順阿、京都・洛西の廊誉という2人の僧の発起によって、法然と御縁の深い霊場二十五箇所を巡拝したことに始まるといわれ、1924年(大正13年)に史実や記伝などに徴して若干の寺院の更改が行われたが、1959年(昭和34年)3月法然上人750回忌を迎えるに際して、『元祖法然上人霊蹟巡拝の栞』が刊行され遺跡を紹介しているが、宝暦年中のものを踏襲している。1974年(昭和49年)に浄土宗開宗800年を記念し、再興された。また、当霊場は浄土宗の寺院を中心にした巡拝であるが、法然の御霊跡を巡る霊場であるので真言宗や天台宗などの寺院も含まれている。 札所は中国・四国地方から近畿地方に渡る。また、二十五箇所の霊場を巡拝するのは、法然上人御入寂の御命日である1月25日や、念仏来迎の聖衆の二十五菩薩の数にちなむとの説である。.

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法隆寺

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。.

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淡交社

淡交ビルヂング(京都市北区) 淡交社(たんこうしゃ)は、京都府京都市北区にある出版社。主に茶道関係、京都関係の書籍を出版している。.

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渡来人

渡来人(とらいじん)とは、広義には、海外から日本に渡って来た人々を意味するが、歴史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多い。帰化人との違いについては下記節を参照。 渡来は一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの移入の波があったと考えられている。また、そのルーツに関しても、黄河流域 - 山東半島、揚子江流域、満洲 - 朝鮮半島など様々である。.

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清水寺 (大阪市)

清水寺(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山・四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録よりされている。 大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られている。 京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。境内の西側の崖に「清水寺舞台」と称するテラスがあり、京都の清水寺を彷彿とさせるが、現在はテラスだけで堂はない。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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本山

本山(ほんざん)は、日本の仏教の特定の宗派内に於いて、特別な位置づけをされている寺院を指す。上方本寺とも言う。宗派によっては中枢機能を有する寺院も多い。対義語は末寺。 位置づけによって、総本山、大本山、別格本山、本山などの区別があるほか、宗派によってそれぞれの用法が異なり、使用されない事もある。たとえ、寺院が山中と呼べる場所に無くても「本山」と呼ばれることは多い。 また、日本仏教以外の宗教に於いても、例えば「バチカン市国はカトリックの総本山で…」のように便宜的に、また、日常的に使用される事がある。.

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有田郡

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最澄

最澄像(能福寺) 哭澄上人詩(嵯峨天皇宸翰)(部分) 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。 先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。.

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戒名

戒名(かいみょう)は、仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。 上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。 また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)ともいった。 また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。寺に支払った金額によって戒名のランクが変化する。とは言うものの、故人の社会的地位始め社会貢献度、またお寺への貢献度などによるため、高額を払ったからといって、高い位の戒名をもらえるわけではない。 一般にカナ文字を用いないため、転じて、「漢字のみの縦書き文字列」の俗的表現として用いられることがあり、特に新聞・雑誌編集においてカナ文字を含まない見出しをこう称し、読者に不快感を催しかねない表現とされる。; 戒名を用いない宗旨.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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浄土教

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.

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新西国三十三箇所

1番 四天王寺 新西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)は、観音巡礼の一つ。単に新西国というばあい、相模新西国三十三観音霊場のような西国三十三所観音霊場の写し霊場を呼ぶときもあるが、現在では近畿地方の観音奉安寺院のうち、西国三十三所に含まないものを巡る1932年(昭和7年)制定の下記の巡礼ルートを指すことが一般的である。.

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新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.

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新潮新書

新潮新書(しんちょうしんしょ)は、新潮社が発行する新書レーベルである。2003年(平成15年)4月刊行開始。キャッチコピーは「現代を知りたい大人のために 700円で充実の2時間」。.

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施薬院

*施薬院(せやくいん/やくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。この項目で説明。.

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斑鳩寺

斑鳩寺(いかるがでら)は寺の名。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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日本の寺院一覧

日本の寺院一覧(にほんのじいんいちらん)は、日本にある主要な仏教寺院の一覧である。 近世以前に成立した仏教各宗派の総本山・大本山級の寺院、日本の歴史、仏教史、文化史、美術史上重要な寺院、国宝などの重要な文化財を有する寺院、広く信仰を集め、日本の文化に重大な影響を与えた寺院などを取り上げている。.

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日本三舞台

日本三舞台(にほんさんぶたい)は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台、厳島神社(広島県廿日市市)の板舞台。 いずれの舞台においても古式ゆかしい雅な雅楽が演じられることでも知られる。 * ふたい.

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日本書紀

日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.

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摂津国三十三箇所

摂津国三十三箇所(せっつのくにさんじゅうさんかしょ)とは、1980年に発足した「摂津国三十三箇所霊場会」が定めた、旧・摂津国(大阪府と兵庫県)にある33か所の観音霊場の総称。 西国三十三所や摂津国八十八箇所と重複している霊場も多い。 第6番札所である大龍寺内に摂津国三十三箇所の霊場会事務局がある。.

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摂津国八十八箇所

摂津国八十八箇所(せっつこくはちじゅうはちかしょ)とは、江戸時代中期(安永年間・1772年~1781年)に、四国八十八箇所霊場に擬して、真田山観智院(第16番札所・観音寺)の月海上人により開かれたとされる摂津国(大阪府北中部と兵庫県の一部)にある八十八箇所の霊場。江戸時代には、熱心な大師信仰に支えられて殷賑を極めたと伝えられるが、明治の廃仏毀釈、大阪大空襲による被災などで多くの寺院が灰燼に帰すなど、不幸な戦中戦後の荒廃を経て、六大院(第14番札所)前住職・小原孝澄大僧正の積年の念願が実を結び、ようやく昭和55年1月、全札所寺院の結集がなり、霊場再興が成し遂げられた。(参考図書:「摂津国八十八所巡礼」摂津国八十八所霊場会編、朱鷺書房発行).

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悲田院

悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。.

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愛染まつり

愛染祭(あいぜんまつり)は、大阪府大阪市天王寺区に位置する和宗総本山四天王寺の別院・愛染堂勝鬘院、通称「愛染さん」で催される祭りを指し、天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。仏教寺院が主催する夏祭り。 どれも、愛染さん、天神さん、住吉さんと愛称で呼ばれることが多いことから、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終る」といわれることから、「あい(.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慶沢園

慶沢園 慶沢園(けいたくえん)は、大阪市天王寺区にある天王寺公園内の日本庭園である。命名は伏見宮貞愛親王。.

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扁額

小諸城三の門とその扁額 土佐神社の神額 扁額(へんがく)は、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額(がく)、看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多いが、建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。扁額は神社、寺院、城門、茶室などの伝統建築のみでなく、学校、体育館、トンネルなどの近代建築においても掲げられる。特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」という。扁額の文字は著名人が揮毫することがあり、扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受けることがある。扁額は奉納したものが掲げられることがあり、特に区別して奉納額ということもある。 扁額は中国に由来し、日本、ベトナム、韓国などでも見られる。図案(意匠)としては神職であった氏族や家(いえ)が家紋として用いることがあるほか、小出氏の使用した紋として有名である。 皇帝や天皇が与える扁額を勅額という。.

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承和 (日本)

承和(じょうわ、しょうわ)は、日本の元号の一つ。天長の後、嘉祥の前。834年から848年までの期間を指す。この時代の天皇は仁明天皇。.

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扇面法華経冊子

四天王寺蔵 扇面法華経冊子(せんめんほけきょうさっし)または扇面古写経(せんめんこしゃきょう)は、大阪市・四天王寺に伝来した装飾経の遺品。扇形に切った料紙(扇面)に絵を描いて2つに折り、折り目で貼り合わせて冊子とし、そこに法華経・無量義経・観普賢経の経典の経文を書写したものである。.

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時宗

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍。鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。 時宗の開祖・一遍像。藤沢市清浄光寺。.

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1618年

記載なし。

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1623年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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593年

記載なし。

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7世紀

ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.

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8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

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