ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

パドマサンバヴァ

索引 パドマサンバヴァ

パドマサンバヴァ(インド レワルサール湖) パドマサンバヴァ(インド クル近郊) パドマサンバヴァ(梵: पद्मसंभव 漢訳:蓮華生、པདྨ་འབྱུང་གནས།、、8世紀後半頃)はチベットに密教をもたらした人物。チベットやブータンではグル・リンポチェ()として知られる。チベット密教の開祖であり、ニンマ・パ(ニンマ派、漢訳;紅教)と呼称される宗派の創始者である。この「ニンマ・パ」とは、チベット語で「古い・宗派」を意味し「古派」とも訳される。これがチベット仏教における最初の宗派であることによる。.

25 関係: 密教幻化網タントラ化身チベットチベット仏教ヴァイローツァナボン教ブータンパキスタンテルマティソン・デツェンニンマ派シャーンタラクシタゾクチェンサムイェー寺サンスクリット羅刹国阿難釈迦金剛薩た4月10日771年8世紀

密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

新しい!!: パドマサンバヴァと密教 · 続きを見る »

幻化網タントラ

『幻化網タントラ』(げんけもう-、Māyājāla Tantra, マーヤージャーラ・タントラ)とは、仏教の後期密教聖典の一つ。経典の諸本に説かれる「説会(せつえ)の曼荼羅」をはじめ、色々な曼荼羅やタンカ類があるが、共に男尊が四面四臂、女尊が一面四臂のヤブユム相の『大幻化金剛』(Mahāmāyā:マハーマーヤー)を本尊(、イダム)として祀る点にも特色がある。.

新しい!!: パドマサンバヴァと幻化網タントラ · 続きを見る »

化身

化身(けしん).

新しい!!: パドマサンバヴァと化身 · 続きを見る »

チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

新しい!!: パドマサンバヴァとチベット · 続きを見る »

チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

新しい!!: パドマサンバヴァとチベット仏教 · 続きを見る »

僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

新しい!!: パドマサンバヴァと僧 · 続きを見る »

ヴァイローツァナ

ヴァイローツァナは、チベット仏教に伝承されるゾクチェンの相承系譜における初期の偉大なラマにして、訳経僧。彼は、グル・パドマサンバヴァ、ヴィマラミトラと共に、チベットにゾクチェンの教えを伝えた3大ラマの1人である。彼はグル・パドマサンバヴァの25大弟子の1人であり、大日如来の化身と見なされていた。.

新しい!!: パドマサンバヴァとヴァイローツァナ · 続きを見る »

ボン教

ボン教寺院(四川省) ボン教( -きょう、)はチベットの民族宗教である。ポン教(ぽんきょう)とも表記・呼称される。.

新しい!!: パドマサンバヴァとボン教 · 続きを見る »

ブータン

ブータン王国(ブータンおうこく、)、通称ブータンは、南アジアの国家。北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教(ドゥク・カギュ派)。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。 国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。 長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。.

新しい!!: パドマサンバヴァとブータン · 続きを見る »

パキスタン

パキスタン・イスラム共和国(パキスタン・イスラムきょうわこく、اسلامی جمہوریہ پاکِستان)、通称パキスタンは、南アジアの国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はイスラマバード。最大の都市はカラチ。面積は80万kmで日本 (38万km) の約2倍程。東はインド、北東は中華人民共和国、北西はアフガニスタン、西はイランと国境を接し、南はインド洋に面する。国土の中心部を流れるインダス川の流域に国民の75%以上が住み、人口の増加が著しい国の一つである。.

新しい!!: パドマサンバヴァとパキスタン · 続きを見る »

テルマ

テルマ.

新しい!!: パドマサンバヴァとテルマ · 続きを見る »

ティソン・デツェン

ティソン・デツェン(チベット語:、ワイリー転写:Khri srong lde brtsan、 742年 - 797年金子「ティソン・デツェン」『アジア歴史事典』6巻、413頁/98年デエ『チベット史』、58頁)は、 古代チベット王朝である吐蕃の王(在位:755年/56年デエ『チベット史』、55頁 - 797年/98年)。37代国王ティデ・ツグツェンを父に持ち、ナナム氏族のマンポジェシティンを母とする。 唐で起きた安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し、西域に駐屯する唐軍の弱体化に乗じて勢力を拡大した梅村「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』、130-131頁。 ティソン・デツェンの在位中にチベットの支配領域は最大に達するフランソワーズ・ポマレ『チベット』(今枝由郎監修, 後藤淳一訳, 「知の再発見」双書, 創元社, 2003年12月)、57-60頁。後世には、軍事的功績と神話的な要素が入り混じったティソン・デツェンの伝承が作り出された。 また、ティソン・デツェンの時代にチベットの仏教文化は顕著な発展を見せる。ティソン・デツェンはサムイェー寺の大伽藍を建立し、779年に仏教を国教に制定した山口『チベット』下、30頁。後世の人間はティソン・デツェンをソンツェン・ガンポ、ティツク・デツェン(レルパツェン)と並ぶ仏教王の一人に数えた。.

新しい!!: パドマサンバヴァとティソン・デツェン · 続きを見る »

ニンマ派

ニンマ派は、チベット仏教四大宗派における最古の流れの呼び名である残りはサキャ派、カギュ派、ゲルク派。。正式には「ンガギュル・ニンマパ(旧訳古派)」といい、9世紀まで続いた古代吐蕃時代に翻訳された古タントラ(古訳密教経典旧訳の「秘密儀軌」のこと。大乗経典のスートラに対して、タントラの語を用いる。)に依拠する古い宗派であることを意味する。他の三宗派と同じように声聞独覚乗(狭義の小乗)・菩薩乗(大乗)・秘密真言乗(金剛乗)の三乗を併修することを説く。 後期密教のタントラの一つである「幻化網タントラ」(梵:マーヤージャーラ・タントラ)梵本は発見されていないが、リンチェンサンポによるチベット訳『幻化網なるタントラ王』がある(松長有慶編著 『インド後期密教(上)』 春秋社 p86 参照)。の旧訳とされる「」(梵:グヒヤガルバ・タントラ)通称チベット名「サンワ・ニンポ」、通用サンスクリット名「グヒヤガルバ・タントラ」、和訳名「秘密蔵タントラ」または「秘密心髄タントラ」。ニンマ派においてマハーヨーガのタントラ部に分類される幻化網(ギュントゥルタワ)タントラ群の「十八大部」に属し、それらを縮約した中心的タントラとして重んじられる。訳者はパドマサンバヴァの二十五大弟子のひとりに数えられるとされる。を依経として、本性清浄(カダク)・無為自然(ルンドゥプ)を説く「ゾクチェン」(ゾクパ・チェンポ、大いなる完成大円満、大究竟とも漢訳。)を最奥義とする密教の教義、大成就法の分類方法が新訳諸宗派と異なる。.

新しい!!: パドマサンバヴァとニンマ派 · 続きを見る »

シャーンタラクシタ

ャーンタラクシタを描いた19世紀の絵画 シャーンタラクシタ(Śāntarakṣita、蔵: 、?-787年頃、漢訳名:寂護、じゃくご)は、ナーランダ大僧院に所属していたインドの大乗仏教・中観派の僧.

新しい!!: パドマサンバヴァとシャーンタラクシタ · 続きを見る »

ゾクチェン

ゾクチェンは、主にチベット仏教のニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の心性における本来の様態、またはあるがままで完成された姿のことを指している。 また、その姿を理解することにより、速やかに優れた覚醒の境地に至ることができるとされている。 漢訳は「大円満」あるいは「大究竟」、英語では Great Perfection などと訳される。アティヨーガとも呼ばれる。日本や欧米ではゾクチェンの修行者をゾクチェンパと呼称することもあるが、チベット仏教では一般的用法ではない。.

新しい!!: パドマサンバヴァとゾクチェン · 続きを見る »

サムイェー寺

ムイェー寺(サムイェ寺、サムエ寺、チベット語:བསམ་ཡས bsam yas、中国語:桑耶寺)はチベットに建立された最初の仏教僧院。.

新しい!!: パドマサンバヴァとサムイェー寺 · 続きを見る »

サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

新しい!!: パドマサンバヴァとサンスクリット · 続きを見る »

羅刹国

羅刹国(らせつこく)は、玄奘(三蔵法師)の著作『大唐西域記』に言及された羅刹女の国である。後に近世以前の日本人は日本の南方(もしくは東方)に存在すると信じていた。.

新しい!!: パドマサンバヴァと羅刹国 · 続きを見る »

阿難

阿難(あなん、アーナンダ、阿難陀の音写略、名前は後述)は、釈迦の十大弟子の一人。多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた。禅宗は摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖であるとする。.

新しい!!: パドマサンバヴァと阿難 · 続きを見る »

蓮(はす、はちす、れん).

新しい!!: パドマサンバヴァと蓮 · 続きを見る »

釈迦

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。.

新しい!!: パドマサンバヴァと釈迦 · 続きを見る »

金剛薩た

金剛薩埵(こんごうさった、वज्रसत्त्व Vajrasattva)は、中期密教においては大日如来の教えを受けた菩薩で、密教の第二祖とされた。後期密教においては、(法身普賢(普賢王如来)、持金剛と並んで本初仏(原初仏)へと昇格した。金剛(ダイヤモンド)のように堅固な菩提心を持つと称される。.

新しい!!: パドマサンバヴァと金剛薩た · 続きを見る »

4月10日

4月10日(しがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から100日目(閏年では101日目)にあたり、年末まではあと265日ある。誕生花はチューリップ、ベニバナアセビ。.

新しい!!: パドマサンバヴァと4月10日 · 続きを見る »

771年

記載なし。

新しい!!: パドマサンバヴァと771年 · 続きを見る »

8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: パドマサンバヴァと8世紀 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

パドマサンババグル・リンポチェ蓮華生

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »