ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

中朝商民水陸貿易章程

索引 中朝商民水陸貿易章程

中朝商民水陸貿易章程(China–Korea Treaty of 1882)は1882年(明治15年)10月、清と李氏朝鮮の間で締結された条約である。清による朝鮮『属国』支配の実質化となった三谷(2016)p.48海野(1995)pp.50-61。.

50 関係: 原田環壬午軍乱大日本帝国天津市宗主国岩波新書岩波書店並木頼寿中央公論新社三谷博井上裕正従属国北京市北洋通商大臣周馥呉長慶ソウル特別市問屋兵士光緒帝倉庫統計研究会牧原憲夫運輸業馬建忠高宗 (朝鮮王)興宣大院君閔妃金弘集 (政治家)李鴻章李氏朝鮮条約河北省漢城府朝鮮人朝鮮国王の廟号と諡号の一覧朝貢最恵国待遇明治海野福寿日韓歴史共同研究10月10月4日1882年1884年2月7月23日9月13日

原田環

原田 環(はらだ たまき、1946年 - )は、日本の歴史学者。県立広島大学名誉教授。専門は朝鮮近現代史、近代東アジア国際関係史。博士(文学)(広島大学、1994年)。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と原田環 · 続きを見る »

壬午軍乱

壬午軍乱(じんごぐんらん) または 壬午事変(じんごじへん) は、1882年(明治15年)7月23日(旧暦では光緒8年.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と壬午軍乱 · 続きを見る »

大日本帝国

大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、大日本帝國)は、日本国の国号の一つ。江戸時代末期に外交文書に使用され始め、1946年頃まで公式に使用された。なお、「大日本帝国」と定めた法律は存在しないため、日本の通称または大日本帝国憲法下の日本の通称の一つとして扱われる。 一般には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。最盛時には現在の日本の領土に加え、南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾・澎湖列島・新南群島などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。 以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と大日本帝国 · 続きを見る »

天津市

天津市(てんしんし/ティエンジンし、、、)は、中華人民共和国に位置する直轄市。国家中心都市の一つ。略称は津。 天津は華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。 環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、0.5〜2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである。2017年の第13期の全国体育大会の開催が決まっており、夏季ダボスフォーラム常駐開催都市でもある。 市区人口は506万人、都市圏人口は720万人。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と天津市 · 続きを見る »

宗主国

宗主国(そうしゅこく)とは、実際の権力は対等もしくは逆転しているが格式や権威において上下関係を有するか、または格式や名目上の権威においては対等だが権限範囲において上下関係を有する諸国において、その最上位にあって他の関係諸国を下位とする国である。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と宗主国 · 続きを見る »

岩波新書

岩波新書(いわなみしんしょ)は、1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書赤版として。創刊の辞は、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と引用されている。シリーズである。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と岩波新書 · 続きを見る »

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と岩波書店 · 続きを見る »

並木頼寿

並木 頼寿(なみき よりひさ、1948年4月27日 - 2009年8月4日)は、日本の歴史学者、東京大学教授。専門は中国史。新潟県南魚沼市(旧大和町)出身2009年8月7日付新潟日報 29面。。新潟県立六日町高等学校卒。2009年8月4日、胃がんにより東京都内の病院にて死去。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と並木頼寿 · 続きを見る »

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と中央公論新社 · 続きを見る »

三谷博

三谷 博(みたに ひろし、1950年1月1日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授、跡見学園女子大学教授。専門は日本近代史。博士(文学、東京大学、1997年)。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と三谷博 · 続きを見る »

小さなお店 (コロネル・ファブリシアーノ - ブラジル) 店(みせ、たな)は、商業的な活動(商売)を行うための建物のこと。商品やサービスを提供する場所である。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と店 · 続きを見る »

井上裕正

井上 裕正(いのうえ ひろまさ、1948年 - )は、日本の東洋史学者、奈良女子大学名誉教授。 横浜市生まれ。1971年、京都大学東洋史学科卒。1977年、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1978年、島根大学法文学部講師。1982年、助教授。1984年、奈良女子大学文学部助教授。1996年、教授。文学部長を務めた。2001年、「清代アヘン政策史の研究 アヘン戦争前における」で京都大学文学博士。 2013年奈良女子大定年退任、名誉教授。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と井上裕正 · 続きを見る »

従属国

従属国(じゅうぞくこく、Client state)は、事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。 狭義では、付庸国と被保護国を意味する。属国(ぞっこく)ともいう。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と従属国 · 続きを見る »

北京市

北京市(ペキンし、、)は、中華人民共和国の首都である。 行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。人口は2152万(2014年)であり、中国では上海に次ぐ第二の都市。世界有数のメガシティであり、高い影響力を有する世界都市でもある。古くは大都・燕京・北平とも呼ばれた。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と北京市 · 続きを見る »

北洋通商大臣

北洋通商大臣は清朝の欽差大臣。略して北洋大臣ともいう。 アロー戦争後の1861年に清朝は総理各国事務衙門を設置し、その下に三口通商大臣と五口通商大臣を置き、対外通商と外交事務を担当させた。このうち三口通商大臣は天津に駐在し、天津条約と北京条約で開港された牛荘(現在の営口市)・天津・登州(現在の威海市と煙台市北部)の通商事務を担当した。初代の三口通商大臣は崇厚だった。 1870年に三口通商大臣は北洋通商大臣と改称され、直隷総督が兼任し、直隷省(現在の河北省)・山東省・奉天省(現在の遼寧省)三省の通商・洋務・外交・海防などを担当した。歴代の北洋大臣には李鴻章、王文韶、栄禄、袁世凱らがいる。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と北洋通商大臣 · 続きを見る »

周馥

周馥 周 馥(しゅう ふく、Zhou Fu、1837年 - 1921年)、字は玉山。清末の官僚。 安徽省建徳出身。1862年から李鴻章の幕僚を務めた後、1877年に永定河道に就任し、天津周辺の治水にあたった。1881年、津海関道に異動になり、1883年から天津兵備道を兼ねた。清仏戦争が勃発すると李鴻章の命令で沿岸の住民を組織して防衛にあたった。周馥は李鴻章を補佐すること30年余りに及び、海軍創設、電報局・鉄道・鉱山の創立など洋務運動を推進した。その功績を醇親王奕譞に認められ、直隷按察使に昇進した。 1894年に日清戦争が発生すると安東・遼陽などで補給にあたった。下関条約調印後辞職したが、1899年に四川布政使として再起用された。1900年に義和団の乱が発生し、8ヶ国連合軍が北京を占領すると、李鴻章が議和大臣・直隷総督に起用され、周馥も直隷布政使に任命された。周馥は教案の解決に尽力し、1901年に李鴻章が死去すると直隷総督代理を務めた。 その後、山東巡撫に就任し、兵部尚書待遇を加えられた。元巡撫の袁世凱と共同で済南・周村・濰県の開港を上奏し、認可されている。さらに両江総督、両広総督を歴任し、1907年に病で引退。死後、悫慎の諡号を贈られた。 子の周学熙は実業家となった。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と周馥 · 続きを見る »

呉長慶

呉 長慶(ご ちょうけい、Wu Changqing、1834年 - 1884年)は、清末の軍人。字は筱軒。 読書を好み、兵を愛し、儒将と称された。袁世凱の恩師にあたる。 安徽省廬江出身。団練を率いて廬江や舒城の守備に当たっていたが、李鴻章が淮軍を設立するとこれに加入し、呉長慶の部隊は「慶字営」と称された。1862年に李鴻章に従って上海に赴き、太平天国軍と戦い、遊撃に昇進した。翌年、故郷の廬江に戻って兵を募っていたところ太平天国の忠王李秀成に包囲されたが、これを撃退した。その後、上海に戻り、1864年には勇将として知られる栄王廖発寿が守備する嘉興の攻略に参加している。 1868年に李鴻章が捻軍の鎮圧に向かうとこれに従って、河南省・山東省・直隷省を転戦し、これを鎮圧した。1880年、浙江提督に昇進し、ベトナムめぐってフランスとの関係が緊張すると山東省の軍務の補佐に当たった。1882年に朝鮮に入り、壬午事変を鎮圧した。1884年に帰国して金州の防衛にあたり、そこで病死した。武壮の諡号を贈られた。 Category:清代の人物 Category:合肥出身の人物 Category:1834年生 Category:1884年没.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と呉長慶 · 続きを見る »

ソウル特別市

ウル特別市(ソウルとくべつし、、漢字: 서울特別市 、英語:Seoul)、通称ソウルは、大韓民国の首都。かつての朝鮮王朝の首都「漢城府」である。日本統治時代の朝鮮では漢ではなく京を使い「京城府」と呼ばれた。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程とソウル特別市 · 続きを見る »

問屋

問屋(といや、とんや)とは、現代における一般的意味としては卸売業者を指すが、歴史用語及び法律用語として用いられる場合は異なる意味を持つ。詳細はそれぞれの節に記す。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と問屋 · 続きを見る »

兵士

兵士(へいし)は、古代から現代まで国家の軍隊の軍人や、それに準ずる戦闘組織の構成員であり、将官や将校といった指揮官からの命令に従って任務をこなす。個人や部族社会の戦士とは異なり、公然と戦闘のために組織に属している場合に使われる。 日本の古代、律令制においては、中国の唐の兵制を参考に編成され、人員を年齢別に記載した戸籍である正丁から一定の割合で徴発された。兵士は軍団に所属し、有事の際の出兵や辺境防備のための防人、衛士として各地へ派遣された。792年(延暦11年)に一部を除いて原則的に廃止され、任務は健児に継承される。 日本語の兵士は近代軍隊における、上位の下士官、士官に対する兵卒を指すことが多い。あるいは朝鮮人日本兵を指すときのように、軍人と軍属の総称として用いられることもあり、いずれにせよ制度的な用語ではない。士官と下士官兵を併せて将兵、将士と呼ぶことがある。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と兵士 · 続きを見る »

光緒帝

光緒帝(こうしょてい、こうちょてい)は、清の第11代皇帝(在位:1875年 - 1908年)。諱は載湉(湉はさんずいに恬)。廟号は徳宗(とくそう)。在世時の元号の光緒を取って光緒帝と呼ばれる。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と光緒帝 · 続きを見る »

倉庫

倉庫(そうこ)は、有形の物品を保存・収納するための建造物である。 ただし、業務(いわゆる貸し倉庫)として営む場合は、建造物でないこともある(後述)。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と倉庫 · 続きを見る »

統計研究会

一般財団法人統計研究会(とうけいけんきゅうかい)とは、統計の改善発展を図ることを目的とした調査研究プロジェクトや公開シンポジウムを開催、統計書を中心とした専門図書館の運営事業などを実施している法人。元総務省所管。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と統計研究会 · 続きを見る »

牧原憲夫

牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年 - 2016年7月20日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史(特に明治時代の民衆史・社会史)。東京都出身。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と牧原憲夫 · 続きを見る »

運輸業

運輸業(うんゆぎょう)とは、旅客や貨物の運送にかかる業種、あるいは職業である。運輸業には単に輸送する以外にも、保管業務、荷役業務(搬出・搬入・仕分け)、流通加工業務、物流にかかる情報処理業務、フォワーダー業務などがある。 運送する対象が人である輸送を旅客輸送、モノである輸送を貨物輸送と呼ぶ。 また、輸送機関が鉄道やトラックなど陸上の貨車での輸送を陸運、航空機での輸送を空運、船舶での輸送を海運または水運と呼ぶ。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と運輸業 · 続きを見る »

馬建忠

建忠(ば けんちゅう、Ma Jianzhong、1845年2月9日 - 1900年8月14日)、は、清末の思想家・外交官・言語学者。字は眉叔。江蘇省鎮江出身で馬建勛・馬相伯の弟。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と馬建忠 · 続きを見る »

高宗 (朝鮮王)

宗(ゴジョン、こうそう、、1852年7月25日 - 1919年1月21日)は、李氏朝鮮第26代国王(在位:1863年12月13日 - 1897年10月12日)、後に大韓帝国初代皇帝(在位:1897年10月12日 - 1907年7月20日)。韓国併合後は大日本帝国の王族として徳寿宮李太王と称された。 姓は李(イ、)、諱は㷩(熙の異体字(れっかではなく火)、ヒ、)、初諱は載晃(ジェファン、)、幼名は命福(ミョンボク、)、小字は明夫(ミョンプ、)、字は聖臨(ソンニム、)、号は珠淵(チュヨン、)。諡は統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳尭峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休寿康文憲武章仁翼貞孝太皇帝。即位時の年号をとって光武皇帝(クァンムファンジェ、こうぶこうてい、광무황제)と呼ぶこともある。即位前は翼成君(イクソングン、よくせいくん、익성군)に封じられていた。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と高宗 (朝鮮王) · 続きを見る »

興宣大院君

興宣大院君((こうせんだいいんくん、흥선대원군、フンソンデウォングン)・大院王(だいいんおう、テウォンワン)、1820年12月21日(時憲暦嘉慶25年11月16日) - 1898年2月22日(時憲暦光武2年2月2日))は、李氏朝鮮末期の王族。政治家。字は「時伯」、号は「石坡」、「海東居士」、本名は李昰応(り・かおう、이하응、イ・ハウン)。南延君の四男。母は郡夫人驪興閔氏。高宗の実父。 1864年1月から1873年11月まで、高宗の実父として朝鮮の国政を司り、外戚の専横排除に関連した古い体制打破を目的とした、具体的には有能な人材の登用、官制改革の実施、小作人制度の撤廃による農地の平等分与などを目指した。一方、1866年にフランス人神父9名やカトリック信者約8,000名を捕らえて処刑(丙寅教獄)するなど、キリスト教を徹底して弾圧、これを機に同年江華島へ侵攻したフランス艦隊を撃退している(丙寅洋擾)。更に、通商を求めて大同江を遡上してきたアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号を焼き払い(ジェネラル・シャーマン号事件)、鎖国をあくまで堅持しようとした。また外戚の専横排除を目的に閔妃を高宗の王妃にするが、かえって国政から追放された。乙未事変により閔妃が暗殺された後も政治の舞台に復帰することなく1898年、79歳で死去した。 また「大院君」とは直系でない国王の実父に与えられる称号であるが、後述のように李朝時代末期において多大な影響をもたらしたため、現在、単に「大院君」と言えば、通常は興宣大院君を指す。敬称は、「閣下」と「大院位大監」(대원위대감)である。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と興宣大院君 · 続きを見る »

閔妃

妃(びんひ、ミンピ、ミンビ、1851年10月19日 - 1895年10月8日)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。明成皇后(めいせいこうごう、ミョンソンファンフ)、朝鮮王后(閔氏)とも呼ばれる。本貫は驪興閔氏。尊号は孝慈元聖正化合天 、諡号は孝慈元聖正化合天洪功誠徳斉徽烈穆明成太皇后。 国王の正妃として強い権力を持ったが、真霊君の預言に依存し、世道政治と官吏の汚職、そして義父興宣大院君との権力闘争により政局を混乱させた 朝鮮訓錬隊、朝鮮警務使などに開化派や大院君派など閔妃の国政壟断に不満を持つ朝鮮人に加えて、日本軍守備隊、領事館警察官、大陸浪人らが乙未事変で王宮内に侵入し、閔妃は景福宮・乾清宮内で禹範善に暗殺された。死後、高宗の父で対立していた興宣大院君によって平民に降格されたが、のちに復位している。 そもそも本来「閔妃」とは「閔氏の王妃」という意味で固有名詞ではないが、近代朝鮮史で「閔妃」と言えばこの高宗の妃を一般に意味する。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と閔妃 · 続きを見る »

金弘集 (政治家)

金 弘集(きん こうしゅう、キム・ホンジプ、1842年-1896年2月11日)は、李氏朝鮮末期の政治家。内閣総理大臣。甲午改革によって朝鮮の近代化を図ったが、親露派のクーデターによって殺害された。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と金弘集 (政治家) · 続きを見る »

李鴻章

李 鴻章(り こうしょう、、1823年2月15日(道光3年1月5日) - 1901年11月7日(光緒27年9月27日))は、中国清代の政治家。字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことでも知られる。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と李鴻章 · 続きを見る »

李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と李氏朝鮮 · 続きを見る »

条約

ウクライナ人民共和国)のボリシェヴィキ政府のあいだで結ばれた講和条約。 条約(じょうやく、treaty、traité、条约、معاهدة、Vertrag)は、文書による国家間の合意である。国際法にもとづいて成立する国際的合意であり、国家および国際機構を拘束する国際的文書が条約であると狭く解す場合もある經塚(2004)。現代では当事者能力をもつのは独立国家に加えて公的な国際機構があり、国際連合などの国際機関も締結主体となり得る。当事国は、原則として、当事国の憲法ないし基本法における手続・制約にもとづいて、国際法が禁止しないいっさいの内容を、交渉によって自由に作成することができる。合意した文書には、条約という名称以外に「協約」「協定」「規約」「憲章」「宣言」「交換公文」「議事録」「議定書」などの名称も使用されるが、名称が異なることによって効力の優劣があるわけではない(詳細後述)。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と条約 · 続きを見る »

河北省

河北省(かほくしょう、中国語:河北省、拼音:Héběi Shěng、英語:Hebei)は、中華人民共和国の行政区画の一つ。省都は、石家荘市。河北の省名は、黄河の北にあることに由来する。河北省の旧称冀州から、略称は冀。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と河北省 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と清 · 続きを見る »

漢城府

漢城府(かんじょうふ)は、李氏朝鮮の首都であり、統治していた機関の名前。以前の漢陽府、後の京城府、現在のソウル特別市。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と漢城府 · 続きを見る »

朝鮮人

朝鮮人(ちょうせんじん).

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と朝鮮人 · 続きを見る »

朝鮮国王の廟号と諡号の一覧

朝鮮国王及び大韓帝国皇帝の廟号と諡号の一覧(ちょうせんこくおうおよびだいかんていこくこうていのびょうごうとしごうのいちらん)では、朝鮮王朝の国王、および大韓帝国の皇帝の廟号と諡号を列記する。生前には国王・皇帝に即位しておらず、死後に追尊された人物は分けて記す。なお、廃位された燕山君と光海君は廟号も諡号も贈られていないが歴代には数えている。ちなみに中国から贈られた諡号は、宣祖代までが明、仁祖代からは清から与えられ、高宗以降はない。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と朝鮮国王の廟号と諡号の一覧 · 続きを見る »

朝貢

朝貢(ちょうこう)は、皇帝に対して周辺諸国(君主)が貢物を献上し、皇帝側は恩恵として返礼品をもたせて帰国させることで外交秩序を築くもので、使節(朝貢使)による単なる儀礼的外交にとどまらず、随行する商人による経済実体(朝貢貿易)を伴うこともあり経済秩序としての性格を帯びることもある。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と朝貢 · 続きを見る »

最恵国待遇

最恵国待遇(さいけいこくたいぐう、most favored nation treatment)とは、通商条約、商航海条約において、ある国が対象となる国に対して、関税などについて別の第三国に対する優遇処置と同様の処置を供することを、現在及び将来において約束すること。また経済分野でも使われる。 最恵国待遇には、条件つき最恵国待遇と無条件最恵国待遇、双務的最恵国待遇と片務的最恵国待遇などがあるが、現在では無条件最恵国待遇が一般的である。 最恵国待遇は内国民待遇とともに、外国において差別を受けることなく公正な貿易や商取引などを保障するための重要な役割を果たしている。 GATT1条と同様に、WTO1条には特定国に与えた最も有利な貿易条件は全加盟国に平等に適用することが明記されている。 しかしながら、授権条項により途上国支援を目的とした特恵関税などを例外として認めている。また、自由貿易協定、関税同盟も最恵国待遇の例外となっている。 日本の最恵国待遇規定の例として、過去においては1895年締結の日清講和条約(下関条約)に最恵国条項が含まれていた。2016年現在においては、1912年締結の日蘭通商航海条約(1953年復活)が存在し、日本人はオランダにおいてオランダの最恵国の国民であるスイス人と同等の待遇を受け、オランダ人は日本において日本の最恵国の国民と同等の待遇を受けることとなっている。また、1951年締結の日米友好通商航海条約には部分的な最恵国待遇規定が含まれているほか、他の二国間条約においても最恵国条項の含まれているものが存在する。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と最恵国待遇 · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と明治 · 続きを見る »

海野福寿

海野 福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者、明治大学名誉教授。専門は日本近代史。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と海野福寿 · 続きを見る »

日韓歴史共同研究

日韓歴史共同研究(にっかんれきしきょうどうけんきゅう)とは、2002年から2010年まで2回にわたり日本と韓国が共同で行った歴史研究のことである。 第1回日韓歴史共同研究は、2001年の日韓首脳会談の合意に基づき、2002年から2005年にかけて行われ、2005年6月に報告書が公開された。第2回日韓歴史共同研究は、2005年の日韓首脳会談の合意に基づき、2007年から2010年にかけて行われ、2010年3月に報告書が公開された。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と日韓歴史共同研究 · 続きを見る »

10月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より10月 10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日ある。 日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、新暦10月の別名としても用いる。 英語での月名 October は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の "octo" の語に由来している。一般的な暦では10番目の月であるが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、一般的な暦の3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味である。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と10月 · 続きを見る »

10月4日

10月4日(じゅうがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から277日目(閏年では278日目)にあたり、年末まであと88日ある。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と10月4日 · 続きを見る »

1882年

記載なし。

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と1882年 · 続きを見る »

1884年

記載なし。

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と1884年 · 続きを見る »

2月

2月(にがつ)はグレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日、閏年では29日となる。 他の月の日数が30または31日なのに対して、 英語の呼び名である February はローマ神話のフェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と2月 · 続きを見る »

7月23日

7月23日(しちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から204日目(閏年では205日目)にあたり、年末まであと161日ある。誕生花はブーゲンビレア、ツリガネソウ。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と7月23日 · 続きを見る »

9月13日

9月13日(くがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から256日目(閏年では257日目)にあたり、年末まであと109日ある。.

新しい!!: 中朝商民水陸貿易章程と9月13日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »