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丁銀

索引 丁銀

丁銀(ちょうぎん)とは、日本国内において主に商取引用として室町時代後期から明治維新まで流通した銀貨である。当時は単に銀と呼ばれ、例えば品位を下げた元禄丁銀は「元字銀」などと称呼された。丁銀という名称は『』の記述によれば棒状の銀塊の意味である銀(ちょうぎん)が挺銀(ちょうぎん)を経て変化したものとされる日本の貨幣(1972, 1973).。.

131 関係: 南鐐二朱銀吉川弘文館堺市大黒天大黒常是大阪天保天保丁銀天秤天領宝永宝永三ツ宝丁銀宝永二ツ宝丁銀宝永四ツ宝丁銀宝永正字丁銀宝永永字丁銀室町時代安政安政丁銀寛永小判小葉田淳岩波書店島根県立古代出雲歴史博物館両替商中国一分銀一朱銀年貢享保丁銀人参代往古銀五匁銀御用達徳川家康匁銭地金北陸地方包金銀ナマコママ (引用)ユズリハ分銅嘉永周防国グラム商行為元和 (日本)...元禄元禄丁銀元文元文丁銀勝海舟石 (単位)石見銀山灰吹銀灰吹法秤量銀貨秤量貨幣精錬生野銀山銭貨花押銀山銀座 (歴史)銀細工職人銀貨銀錠荻原重秀領国貨幣西日本豊臣秀吉豆板銀財布貨幣改鋳質量至文堂金貨長州藩恩賞東京堂出版東北地方正徳 (日本)正親町天皇毎日新聞社毛利氏永禄江戸幕府江戸時代江戸時代の三貨制度滝沢武雄朝日新聞社明和明治明治維新新井白石文禄文禄・慶長の役文政文政丁銀慶応慶長慶長丁銀1560年1593年1598年1601年1695年16世紀1706年1710年1711年1714年1736年1820年1837年1843年1859年1868年1874年1887年2007年 インデックスを展開 (81 もっと) »

南鐐二朱銀

南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)とは、江戸時代に流通した銀貨の一種で、初期に発行された良質の二朱銀を指す。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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堺(さかい)は、大阪湾に面し、大阪市(大坂)の南に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。 地名は、方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた。.

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堺市

堺市(さかいし)は大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。 大阪府による地域区分では泉北地域とされるが、市制施行時の堺市域や南河内郡の旧郡域など歴史的に泉北郡ではなかった地域が多く含まれており、他の泉北地域3市1町とは区別されることもある。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、人口は2015年4月時点で山梨県・佐賀県・福井県・徳島県・高知県・島根県・鳥取県を上回る。一方、居住人口に比べて昼間人口の割合が低く、大阪市の衛星都市としての特徴も併せ持っている。.

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大黒天

ヒンドゥー教のシヴァ神像 大黒天(マハーカーラ) 大黒天(だいこくてん、Mahākāla、、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの。大暗黒天とも呼ばれる。.

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大黒常是

大黒常是(だいこくじょうぜ)は、近世日本の銀座の吹所(ふきしょ)で極印(ごくいん)打ちを担当していた常是役所の長としての代々世襲の家職に与えられた名称である。 慶長6年(1601年)、徳川家康が和泉堺の銀吹き職人である南鐐座の湯浅作兵衛に大黒常是を名乗らせたのが始まりであった。常是という名称は豊臣秀吉により堺の南鐐座の銀細工師に与えられたものであった三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天保丁銀

天保丁銀(保字丁銀) 天保丁銀(てんぽうちょうぎん)とは天保8年11月7日(1837年)から鋳造が始まり、同12月18日(1838年)より通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。保字丁銀(ほうじちょうぎん/ほじちょうぎん)とも呼ばれる。また天保丁銀および天保豆板銀を総称して天保銀(てんぽうぎん)あるいは保字銀(ほうじぎん/ほじぎん)と呼ぶ。.

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天秤

天秤(てんびん).

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

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宝永三ツ宝丁銀

宝永三ツ宝丁銀(ほうえいみつほうちょうぎん/ほうえいみつたからちょうぎん)とは宝永7年4月2日(1710年)から鋳造開始された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に三ツ宝丁銀(みつほうちょうぎん)とも呼ばれる。 また宝永三ツ宝丁銀および宝永三ツ宝豆板銀を総称して三ツ宝銀(みつほうぎん)と呼ぶ。 表面には「大黒像」および「寳」の文字および両端に二箇所の「宝」字極印およびその内側に一箇所のやや小型の「宝」字極印が打たれ「常是」の極印は無い。また、「大黒像」極印を12箇所打った祝儀用の十二面大黒丁銀が存在する瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年。.

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宝永二ツ宝丁銀

宝永二ツ宝丁銀(ほうえいふたつほうちょうぎん/ほうえいふたつたからちょうぎん)とは宝永3年7月9日(1706年)から鋳造開始された丁銀の一種。秤量貨幣である。通用に関する触書はこれ以前の同6月18日に出された草間直方 『三貨図彙』 1815年。宝字丁銀(ほうじちょうぎん)と呼ばれ、また宝永丁銀(ほうえいちょうぎん)といえば通常は宝永二ツ宝丁銀を指すが、宝永丁銀は宝永永字丁銀、宝永三ツ宝丁銀および宝永四ツ宝丁銀も含めて総称として用いられる場合もある。 また宝永二ツ宝丁銀および宝永二ツ宝豆板銀を総称して二ツ宝銀(ふたつほうぎん)あるいは宝字銀(ほうじぎん)と呼び、また宝永銀(ほうえいぎん)といえばこの二ツ宝銀を指すことが多い。.

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宝永四ツ宝丁銀

宝永四ツ宝丁銀 宝永四ツ宝丁銀(ほうえいよつほうちょうぎん/ほうえいよつたからちょうぎん)とは正徳元年(1711年)8月2日より鋳造された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に四ツ宝丁銀(よつほうちょうぎん)とも呼ばれる。発行時期は正徳に改元された後であるが、宝永期の一連の銀貨の性格を持つため宝永丁銀として分類される。 また宝永四ツ宝丁銀および宝永四ツ宝豆板銀を総称して四ツ宝銀(よつほうぎん)と呼ぶ。.

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宝永正字丁銀

宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である『図録 日本の貨幣・第4巻』 東洋経済新報社、1973年。.

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宝永永字丁銀

宝永永字丁銀(ほうえいえいじちょうぎん)とは宝永7年3月6日(1710年4月4日)より鋳造が開始された丁銀の一種。秤量貨幣である。単に永字丁銀(えいじちょうぎん)とも呼ばれる。 また宝永永字丁銀および宝永永字豆板銀を総称して永字銀(えいじぎん)あるいは永中銀(えいちゅうぎん)、また単に中銀(ちゅうぎん)と呼ぶ。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

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安政丁銀

安政丁銀(政字丁銀) 安政丁銀(あんせいちょうぎん)とは安政6年12月8日(グレゴリオ暦1859年12月31日)から鋳造が始まり、12月27日(グレゴリオ暦1860年1月19日)から通用開始された丁銀の一種である。江戸幕府最後の秤量貨幣であり政字丁銀(せいじちょうぎん)とも呼ばれる。また安政丁銀および安政豆板銀を総称して安政銀(あんせいぎん)あるいは政字銀(せいじぎん)と呼ぶ。.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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小判

小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.

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小葉田淳

小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館(しまねけんりつこだいいずもれきしはくぶつかん)は、島根県出雲市にある歴史系の博物館である。槇文彦の設計による建築物。.

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両(りょう)は、尺貫法における質量の単位であり、また、近世の日本における金貨、および中国における秤量銀貨の通貨単位である。.

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両替商

両替商(りょうがえしょう)とは、両替および金融を主な業務とする商店あるいは商人のことである。 古くから国境を越えた貿易は盛んであり、外貨両替、金融などを扱う両替商が多く存在した。現代では主に、空港などで外貨の両替を行う店舗および窓口を指す。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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一分銀

一分銀(いちぶぎん)は、江戸時代末期に流通した銀貨の一種。.

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一朱銀

一朱銀(いっしゅぎん)とは、江戸時代後期に流通した長方形短冊形の銀貨の一種で計数貨幣である。額面は一分の1/4、一両の1/16に当る。.

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年貢

年貢(ねんぐ)は、日本史上の租税の一形態。律令制における田租が、平安時代初期-中期に律令制が崩壊・形骸化したことにともなって、年貢へと変質したが、貢租(こうそ)という別称に名残が見られる。その後、中世・近世を通じて、領主が百姓(農民でなく普通の民をいう。)を始めとする民衆に課する租税として存続した。主に、米で納めるため、その米を年貢米(ねんぐまい)と呼ばれた。.

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享保丁銀

享保丁銀 享保丁銀(きょうほうちょうぎん)とは正徳4年8月2日(1714年)から鋳造開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。正徳丁銀(しょうとくちょうぎん)と呼ぶ場合もある。享保丁銀(正徳丁銀)および享保豆板銀(正徳豆板銀)を総称して享保銀(きょうほうぎん)あるいは正徳銀(しょうとくぎん)と呼ぶ。.

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人参代往古銀

人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)とは宝永7年9月(1710年)から、高麗人参貿易取引専用に鋳造された丁銀の一種で秤量銀貨である。単に往古銀(おうこぎん)また人参丁銀(にんじんちょうぎん)とも呼ぶ。この「往古」は慶長銀の品位への復帰を意味する。.

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五匁銀

五匁銀(ごもんめぎん)とは、江戸時代の一時期に発行された銀貨の一種。その形状から硯箱とも呼ばれる。.

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御用達

御用達(ごようたつ、ごようたし、ごようだち)とは、江戸時代に、幕府、大名、旗本、公家、寺社などに立入あるいは出入する特権的な御用商人の格式のひとつ。また、近代以降においては、皇室や王室等からの取引指定を受けて物品等を納めること。「御用達」の指定を受けることは、皇室や王室が間接的に企業の信頼性や製品の品質を保証することを意味し、指定を受けた企業や製品は高いステータスを持つことになる。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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江戸時代に両替商で用いられた後藤分銅貳拾両(200匁:749.07g), 拾両(100匁:374.62g) 匁(もんめ)(記号:mom)には、以下の二つの用法があった『廣漢和辞典 上巻』「勹部-匁(1410)」,p416.。.

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匁銭

匁銭(もんめせん)とは、江戸時代後期に西日本で行われた商慣習で、一定数の銅銭を通した銭緡を「匁」と称して流通させた現象である。.

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地金

地金(じがね、じきん)とは、金属を貯蔵しやすいような形で固めたもの。金属塊。インゴット、バーともいう。例外として、水銀は液状であることから、アマルガムを生じない鉄製フラスコやボンベ、または樹脂製ボトルやガラス瓶に注入されて取引される。また、半金属であるアンチモンやビスマスも地金として流通させることが多い。.

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北陸地方

北陸地方(ほくりくちほう)は、本州中央部に位置する中部地方のうち日本海に面する地域である。新潟県、富山県、石川県、福井県の4県『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.1041 ISBN 4-09-523101-7、あるいは富山県、石川県、福井県の3県を指す。区別のため前者を「北陸4県」「新潟県を含む北陸地方」、後者を「北陸3県」などと表現することがある。北陸3県の繋がりについては「北陸3県について」の節を参照。 名称は、畿内から見て北方にある五畿七道の北陸道に由来し、中世以前では、この地域を北国(ほっこく)と称していた。.

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包金銀

包金銀(つつみきんぎん)とは、江戸時代に江戸幕府への上納や公用取引のために所定の形式の紙を用いて包装・封印された金貨・銀貨のこと。 正しい形式に則って包装・封印された包金銀は開封される事なく所定の金額の金貨・銀貨として通用した。これは悪質な貨幣が混入する事を防ぐとともに、中身の確認の手間を省く効果があった。.

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ナマコ

ナマコ(海鼠、sea cucumber)は棘皮動物門のグループの一つで、ナマコ綱 に分類される。体が細長く口が水平に向くなどの特徴を共有する一群である。世界に約1,500種、日本にはそのうち200種ほどが分布する。食用になるのはマナマコなど約30種類。寿命は約5-10年。.

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ママ (引用)

ママあるいはままとは編集用語において「原文の儘 (まま) 引用」を略記する際に用いる記号。わかりやすく「原文ママ」の表記も見られる。亀甲括弧 (〔〕) をともなって「〔ママ〕」とするのがもっとも厳密で読み手に誤解を与えない表示の方法である。 文章中、縦書き・縦組みなら右横に、横書き・横組みなら上にルビとして配置する。引用文中の誤字と見られる表記や文脈に一致しない文章などがあっても、訂正せずそのまま載せる場合に使う。読み手に対して、著者・編者が見のがした誤植等ではないこと、あるいは全体の引用規則に従って引用したことなどを意思表示する。「原文ノママ」と表記するのは江戸期の筆写本の時代から習慣として見られ、活字本が登場してからも〔ママ〕という表示が存続したものである。 西洋の文書では同じ意味で (sic) または と書く。ラテン語で「かくのごとし」(このとおり)の意味の語である。 Category:編集 Category:誤り.

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ユズリハ

ユズリハ(楪、交譲木または譲葉、学名: )は、ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木。古名はユズルハ。 花の形態がトウダイグサ科に似るので、古くはトウダイグサ科に含められたが、心皮が2個(トウダイグサ科は3個)などの違いから、独立のユズリハ科(学名: )とされた。APG分類体系ではユキノシタ目に入れられている。.

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分銅

分銅(ふんどう)は、金属の塊を円柱形などの形にしたもの。用途は次による。.

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嘉永

嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.

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周防国

周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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グラム

ラム(gramme, gram, 記号: g)は、質量の単位である。国際単位系(SI)において、キログラム(kg)の1000分の1の質量と定義されている。 一円硬貨の質量が、1.0 g である。 メートル法によって新しい質量の単位として定められた。「グラム」という名称は、ラテン語のgrámmaに由来する。元々はグラムが質量の基本単位で、「最大密度にある蒸留水1ミリリットルの質量」と定義された。しかし、作られた原器はキログラムの質量を示すもので、その質量が1キログラムと再定義され、グラムはその1000分の1ということになった。 CGS単位系では質量の基本単位であったが、MKS単位系およびそこから派生した国際単位系ではキログラムが基本単位とされている。ただし、SI接頭辞はキログラムではなくグラムにつけることとなっており、例えばキログラムの10−6倍は、「マイクロキログラム」(µkg) ではなく「ミリグラム」(mg) となる。なお、106 g (.

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商行為

商行為(しょうこうい;独Handelsgeschäft;仏acte de commerce)とは大陸法系の商法において一定の取引行為を指す概念であり、「商人」とともに商法の適用範囲を画するために用いられる。.

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元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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元禄丁銀

元禄丁銀 元禄丁銀(げんろくちょうぎん)とは元禄8年9月15日(1695年10月22日)から鋳造開始、同9月27日(11月3日)から通用開始された丁銀。慶長丁銀に次ぐ江戸時代2番目の秤量貨幣である。元禄丁銀および元禄豆板銀を総称して元禄銀(げんろくぎん)あるいは元字銀(げんじぎん、げんのじぎん)と呼ぶ。.

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元文

元文(げんぶん)は日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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元文丁銀

元文丁銀(文字丁銀) 元文丁銀(げんぶんちょうぎん)とは元文元年6月1日(1736年7月9日)から鋳造が始まり、同6月15日(1736年7月23日)から通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。文字丁銀(ぶんじちょうぎん)とも呼ばれ、後の文政丁銀が発行されてからはこれと区別するため、古文字丁銀(こぶんじちょうぎん)あるいは真文丁銀(しんぶんちょうぎん)とも呼ばれた。 また元文丁銀および元文豆板銀を総称して、元文銀(げんぶんぎん)、文字銀(ぶんじぎん)、古文字銀(こぶんじぎん)、あるいは真文銀(しんぶんぎん)と呼ぶ。.

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割(わり)は割合を示す数値の後につける無次元の単位で、全体を十割として示すものである。1割は0.1.

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勝海舟

勝 海舟 / 勝 安芳(かつ かいしゅう / かつ やすよし、文政6年1月30日〈1823年3月12日〉 - 明治32年〈1899年〉1月19日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。.

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石 (単位)

石(こく)は、尺貫法における体積(容量)の単位の一つ。 古代の中国においては、「石」は質量の単位であった。現在は質量の単位としては「担」、体積の単位としては「石」と書く。日本ではもっぱら体積の単位としてのみ用いられた。.

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石見銀山

石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に登録された世界遺産としての石見銀山についても言及する。.

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灰吹銀

吹銀(はいふきぎん)は、銀山から山出しされ、灰吹法により製錬された銀地金である。山吹銀あるいは山出し銀とも呼ばれる。.

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灰吹法

吹法(はいふきほう)は、金や銀を鉱石などからいったん鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する方法。金銀を鉛ではなく水銀に溶け込ませるアマルガム法と並んで古来から行われてきた技術で、旧約聖書にも記述がある。.

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秤量銀貨

中国 馬蹄銀 秤量銀貨(しょうりょうぎんか/ひょうりょうぎんか)とは量目が不定の銀地金を貨幣として用いるものであり、取引毎に天秤で目方を測定して使用される秤量貨幣である。 日本では、江戸時代の丁銀および豆板銀(小玉銀)が有名であるが、飛鳥時代に用いられたとされる無文銀銭(量目が比較的揃えられているため計数貨幣とする説もある)および戦国時代から江戸時代初期に掛けて各地で流通した領国貨幣(りょうごくかへい)などもあった。また秤量銀貨が最も広く用いられたのは地丁銀制に見られるように中国であり、馬蹄銀(ばていぎん)などの銀錠(ぎんじょう)が大口取引に用いられ、鞍の形をした鞍型銀(くらがたぎん)、タイでは腕輪銀(うでわぎん)および虎の舌銀(とらのしたぎん)などが量目に応じて取引に用いられた。 これらの秤量銀貨、特に中国のものは南鐐(なんりょう)と呼ばれる純銀に近いもので、南鐐は中国の銀山の地名に由来し、同義語としてソーマと呼ばれるものがあったが、これは石見銀山が佐摩と呼ばれる地にあり、ここから産出される良質の灰吹銀という意味であった。 中国 鞍型銀 銀山から山出しされる鉱石を製錬して得られる灰吹銀は、銀貨および銀製品の原料とされるが、これに極印を打ったものがそのまま目方により取引に使用され、極印銀(ごくいんぎん)と呼ばれ、また小額取引にはこれを適宜切断した切銀(きりぎん)が用いられ、領国貨幣はこのようなものが中心であった。領国貨幣は産地により銀品位が多種多様であり、幕府による丁銀は品位が一定に定められたが、吹替えにより品位が変化し、実質を重視する商人は見かけの量目よりも含有銀量を重視し、取引はしばしば煩雑なものになった。 日本では秤量銀貨の量目表示は戦国時代末期以降、貫および匁の単位を主に用いたが、それ以前は43匁(約161グラム)を銀拾両(十両)とし、これを銀一枚(ぎんいちまい)と呼ぶ単位が用いられ、江戸時代でも恩賞、贈答用にはこの単位が用いられた。一方、中国では両といえば専ら秤量銀貨の単位であり、テールと呼ばれた。 やがて灰吹銀を譲葉の形状に打ち伸ばした古丁銀が登場し、これが江戸時代の丁銀の原型となり、量目は不定であるものの銀一枚が大方の目安であった。丁銀は銀座常是および両替商が銀500匁または銀一枚毎に包封した包銀の形で取引に使用されるのが一般的であり、裸銀の状態で売買に使用されることはほとんどなかった。 江戸時代の銀貨といえば当初は全て秤量銀貨を指していたが、明和年間以降、南鐐二朱判、一分銀などの計数銀貨が発行されるようになり、これは秤量銀貨に対する、小判など両を単位とする貨幣の流通量の増大を意味し、銀高金安となり江戸の諸物価高を引き起こした。文政年間以降は計数銀貨の流通高が秤量銀貨を凌駕するようになり、銀目取引は次第に銀札および手形などに中心が移った。慶応4年(1868年)の明治政府の銀目廃止の布令により、丁銀・豆板銀は通用停止となった。.

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秤量貨幣

量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい)とは、使用に際して交換価値を品位・量目を検査して計って用いる貨幣。長期間の使用や所有、保管でも変化しにくい金銀青銅などを加工もしくは加工せずに用いた例が多く、貨幣の最古の形態の1つである。鋳造精錬した貴金属は打刻したナゲット状のものや、なかでも金は価値の保存に優れるため砂金のままでも流通した。 これに対して一定の品位・量目の保証のもと、その枚数によって交換価値を計る貨幣を計数貨幣と呼ぶ。 秤量貨幣は流通が容易である反面、品位の安定に不安を生じやすい欠点がある。.

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精錬

精錬(せいれん、英語:refining)とは、不純物の多い金属から純度の高い金属を取り出す過程のことである。これに対して、鉱石から金属を取り出す工程を製錬といい、精錬とは別の概念としている。.

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生野銀山

慶寿ひ(金香瀬旧坑露頭群) 代官所門(入場門) 生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市(但馬国)に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山である。 明治新政府が日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山である。.

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銭貨

銭貨(せんか)は、主に東アジアで流通した硬貨を指す。同音で泉貨とも記述される。多くは円形で中心部に方形の穴が開けられた(円形方孔)有孔貨幣であることが多い。金貨や銀貨といった貴金属製の硬貨の対義語として、卑金属製の硬貨を指すこともあるが、金貨および銀貨のうち円盤状で中央に孔が開いた形状をしているものを含めて銭貨ということもある。多くは銅貨であるが、銅の不足などにより、鉄製のものや錫等との合金とした真鍮製の物が銭貨として発行されたこともある。 銭貨の通貨単位としては、一般に文が用いられた。.

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花押

花押(かおう、華押)は、署名の代わりに使用される記号・符号をいう。 元々は、文書へ自らの名を普通に自署していたものが、署名者本人と他者とを明確に区別するため、次第に自署が図案化・文様化していき、特殊な形状を持つ花押が生まれた。花押は、主に東アジアの漢字文化圏に見られる。中国の斉(5世紀ごろ)において発生したと考えられており、日本では平安時代中期(10世紀ごろ)から使用され始め、判(はん)、書判(かきはん)などとも呼ばれ、江戸時代まで盛んに用いられた。世界各地においても、花押の類例(イスラム圏でのトゥグラなど)が見られる。.

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銅(どう)は原子番号29の元素。元素記号は Cu。 周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。英語でcopper、ラテン語でcuprumと言う。.

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銀(ぎん、silver、argentum)は原子番号47の元素。元素記号は Ag。貴金属の一種。.

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銀山

銀山(ぎんざん、silver mine)とは、銀を産出する鉱山のこと。銀は古来貨幣としての使用や、銀器など上流階級層の装飾品、日常用品に使われていたため、銀山自体も非常に貴重な存在である。日本では中世ごろは金、銅とならんで貴重な輸出資源であって、金山、銅山同様多くの場合時の権力者が直轄するという形を取っている。日本では天領となった石見銀山(島根県)、生野銀山(兵庫県)が有名。 『日本書紀』天武天皇3年(674年・7世紀末)の記述として、対馬国司守 忍海造大国(おしぬみのみやつこおおくに)が、「この国で初めて銀が出ましたので、たてまつります」と報告してきたのが、文献上の国産銀の初見であり、飛鳥時代から銀が産出されるようになった(どの山かの記述はなし)。これにより大国は小錦下の位を授けられた。この国産初の銀は全て神々にたてまつり、小錦以上の大夫たちにも普(あまね)くそれを賜ったとある。 金と並んで新大陸発見以前は慢性不足品であり、それを産出する銀山は国にとっても重要なものであり、戦国時代になるとこれらの山をめぐっての争いを生んでいる。豊臣政権時代には銀山は金山とともに直轄領となり、政権の運営資金とされた。銀山より山出しされた灰吹銀は、極印が打たれ秤量貨幣として大口取引に使用された。これらは領国貨幣と呼ばれ、江戸幕府による丁銀の発行まで、貨幣として重要な役割を果たした。 金山は砂金採集など比較的小規模な経営形態から稼行が可能であるが、銀山については多くの場合、大規模な坑道の開発が不可欠であり、より強大な国家権力と、高い製錬技術を必要とする。 銀鉱床には、黄銅鉱および方鉛鉱などに銀鉱物(濃紅銀鉱、輝銀鉱など)を含むもの、石英中に自然銀および輝銀鉱などが脈をなす銀黒(ぎんぐろ)などが存在する。これらの大部分が地下の金属を溶解した熱水の作用により生成した熱水鉱床である。.

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銀座 (歴史)

銀座(ぎんざ)とは、中近世の日本の政権において銀地金の買売、および銀地金への極印打つまり貨幣の鋳造を担った場所に与えられた呼称である。.

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銀細工職人

銀細工職人 (ぎんざいくしょくにん、Silversmith) は、銀製または金製の物を製作する職人のことである。「銀細工職人 (Silversmith)」と「金細工職人 (Goldsmith)」は、技法、訓練法、歴史、ギルドは、概ね同じであるが、製作されるものの範囲が多く、最終製品が多岐にわたるため、正確には同義語ではない。しかし、ほとんどの金細工職人が、常に銀細工も手がけているのに対して、その銀細工職人はそうではない。銀細工とは、銀や金の金属シートをホローウェア(深皿)やフラットウェア(平皿)や銀食器、教会用の皿や彫刻などに加工することである。宝飾品類の製作も含まれる可能性がある。.

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銀貨

2004年にアメリカで発行された銀貨 銀貨(ぎんか)とは、銀を素材として作られた貨幣をいう。古来、金貨・銅貨とともに世界各地で流通した。.

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銀錠

小型銀錠 銀錠(ぎんじょう、ᡧᠣᡤᡝ 転写:šoge)とは、20世紀前期まで中国において用いられていた秤量貨幣の形態を取る銀貨。 単位は重量単位と同じ両(「銀両」、ᠶᠠᠨ 転写:yan)であり、その英語表記よりテール(tael)と呼ばれた。なお、日本では銀錠が馬の蹄の形をしていることから、馬蹄銀(ばていぎん)と呼ばれ広く用いられているが、実際には明治期の日本人が名づけたものとされ、実際には多種多様の形式の銀錠が存在し、中国においても馬蹄銀の名称はほとんど用いられてはいなかった。 灰吹法の導入により16世紀中頃より南米のポトシ銀山、日本の石見銀山などで銀の産出が著しく増大し、ポトシ銀山の銀はヨーロッパを通じて、日本の銀は生糸貿易の対価として中国に多量に輸入されるようになった。日本では産銀は一旦丁銀に鋳造され、長崎において銀錠に吹き直されて多量に中国へ流出した田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年。 材質は南鐐(なんりょう)と呼ばれる純銀に近い良質の灰吹銀であり、量目は1両(37グラム)から50両(1865グラム)程度と大小様々なものが存在する。.

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荻原重秀

荻原 重秀(おぎわら しげひで、万治元年(1658年) - 正徳3年9月26日(1713年11月13日))は、江戸幕府の旗本。勘定奉行を務め、管理通貨制度に通じる経済観を有し、元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名。通称は彦次郎、五左衛門。官位は従五位下・近江守。.

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領国貨幣

国貨幣(りょうごくかへい)とは、戦国時代から江戸時代初期に掛けて、各地大名が領内通用として鋳造を命じた金貨および銀貨であり、領国金銀(りょうごくきんぎん)とも呼ばれる。 地方貨幣というべきものでもあるが、地方貨幣は諸藩により主に幕末に盛んに発行された領内通用貨幣の意味として用いられているため区別する。.

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袴(はかま)とは、日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ。.

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西日本

西日本(にしにほん、にしにっぽん)とは、日本を大きく分ける時に使用される語で、日本の西半分を指す汎称である。対義語は東日本。法令などで定められているものではなく、下記にあるようにその範囲も明確ではない。西南日本とよばれることもある。.

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触(ふれ、觸)とは、近代以前の日本において用いられた法律の形式の1つで、支配者から一般に対して法令の内容を知らしめるために用いられた。御触/お触(おふれ)とも称せられる。江戸時代の幕藩体制の下では江戸幕府から一般に知らしめる法令形式として用いられ(藩による触も存在する)、触を記した書付・文書を特に御触書(おふれがき)とも呼んだ。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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豆板銀

豆板銀(まめいたぎん)は、江戸時代に流通した銀貨の一種。小粒銀(こつぶぎん)、小玉銀(こだまぎん)とも呼ばれる。当時、銀座において用いられた正式名称は「小玉銀」であり田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年、『三貨図彙』にもこの名称で記述されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には「豆板銀」という名称で収録されている。.

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財布

財布(さいふ)は、紙幣や硬貨など通貨の携帯に用いる袋ないし容器である。.

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貨幣改鋳

貨幣改鋳(かへいかいちゅう、money recasting )は、経済政策の1つ。.

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貫(かん)は、尺貫法における質量の単位、また江戸時代以前の通貨の単位である。 江戸時代の一貫は分銅および定位貨幣の実測によれば平均して3.736キログラムで年代を通じてほぼ一定であったが、江戸時代後期(19世紀以降)にやや増加して3.75キログラムを超えたという岩田重雄 『計量史研究』 「近世における質量標準の変化」、日本計量史学会、1979年。1貫は1000匁に当たり、明治時代に 1貫.

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質量

質量(しつりょう、massa、μᾶζα、Masse、mass)とは、物体の動かしにくさの度合いを表す量のこと。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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至文堂

至文堂(しぶんどう)は、日本の出版社である。.

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金貨

金貨(きんか)とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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恩賞

恩賞(おんしょう)とは、近世以前に行われた合戦において、主君が武士が戦功を挙げた家人や武士に対して表彰し、所領もしくは官途状、感状、物品の授与、格式の免許、官職への任官の推薦を行うこと(関連用語→恩給)。.

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東京堂出版

株式会社 東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。.

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東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

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正徳 (日本)

正徳(しょうとく)は日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。.

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正親町天皇

正親町天皇(おおぎまちてんのう、永正14年5月29日(1517年6月18日) - 文禄2年1月5日(1593年2月6日))は、第106代天皇(在位:弘治3年10月27日(1557年11月17日) - 天正14年11月7日(1586年12月17日))。諱は方仁(みちひと)。.

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毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.

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毛利氏

毛利氏(もうりし)は、日本の武家の氏族で、本姓は大江氏。家紋は一文字三星。.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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江戸時代の三貨制度

江戸時代の三貨制度(えどじだいのさんかせいど、Tokugawa coinage)とは、江戸時代の日本において金(小判、一分判)、銀(丁銀、小玉銀)および銭(寛永通寳)という基本通貨が併行流通した貨幣制度のことである。 これらの金貨、銀貨および銭貨の間には幕府の触書による御定相場も存在したが、実態は互いに変動相場で取引されるというものであり、両替商という金融業が発達する礎を築いた。 江戸時代は徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ幕府が置かれた慶長8年(1603年)に始まり、大政奉還が行われた慶應3年(1867年)を終焉とする見方もあるが、両を基軸とするこの貨幣制度は関ヶ原の戦いの直後すなわち慶長5年(1600年)ないし慶長6年(1601年)に始まり、明治4年(1871年)の新貨条例が制定されるまでの270年間にも及ぶものであった。 なお、幕府は公式に「三貨制度」として触書を出したわけではないが、「三貨」という用語は文化12年(1815年)に両替屋を営んでいた草間直方が貨幣学研究の集大成として刊行した『三貨図彙』に見られる草間(1815).。.

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滝沢武雄

滝沢武雄(たきざわ たけお、1921年- )は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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新井白石

新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、諱は君美(きみよし、きんみ)。.

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文禄

文禄(ぶんろく)は日本の元号の一つ。天正の後、慶長の前。1593年から1596年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、将軍は不在。.

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文禄・慶長の役

文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は、文禄元年/万暦20年/宣祖25年日本・中国(明)・朝鮮の元号。朝鮮は明と同じ暦法を用いた。(1592年)に始まって翌文禄2年(1593年)に休戦した文禄の役と、慶長2年(1597年)の講和交渉決裂によって再開されて慶長3年/万暦26年/宣祖31年(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した慶長の役とを、合わせた戦役の総称である(他の名称については後節を参照)。 なお、文禄元年への改元は12月8日(グレゴリオ暦1593年1月10日)に行われたため、4月12日の釜山上陸で始まった戦役初年の1592年のほとんどの出来事は、厳密にいえば元号では天正20年の出来事であったが、慣例として文禄を用いる。また特に注記のない文中の月日は全て和暦出典にある明と朝鮮の暦の日付は+1日多いので注意。)で表記。( )の年は西暦である。.

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文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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文政丁銀

文政丁銀(新文字丁銀) 文政丁銀(ぶんせいちょうぎん)とは文政3年5月4日(1820年)から鋳造を始め、同年7月20日より通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。先に発行された元文丁銀と区別するため新文字丁銀(しんぶんじちょうぎん)あるいは草文丁銀(そうぶんちょうぎん)とも呼ばれる。また文政丁銀および文政豆板銀を総称して文政銀(ぶんせいぎん)、新文字銀(しんぶんじぎん)、あるいは草文銀(そうぶんぎん)と呼ぶ。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慶長丁銀

慶長丁銀 慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)とは江戸時代の初期、すなわち慶長6年7月(1601年)に鋳造開始された丁銀の一種である。慶長丁銀および慶長豆板銀を総称して慶長銀(けいちょうぎん)と呼ぶ。慶長銀を始めとして江戸時代前半の銀貨は何れも秤量貨幣であった。 また慶長大判、慶長小判、慶長一分判と伴に慶長金銀(けいちょうきんぎん)と呼ぶ。.

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1560年

記載なし。

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1593年

記載なし。

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1598年

記載なし。

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1601年

17世紀最初の年である。.

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1695年

記載なし。

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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1706年

記載なし。

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1710年

記載なし。

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1711年

記載なし。

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1714年

記載なし。

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1736年

記載なし。

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1820年

記載なし。

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1837年

記載なし。

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1843年

記載なし。

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1859年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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1874年

記載なし。

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1887年

記載なし。

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2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。.

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