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索引 両

両(りょう)は、尺貫法における質量の単位であり、また、近世の日本における金貨、および中国における秤量銀貨の通貨単位である。.

150 関係: 劉復半両銭十二律単位南鐐二朱銀大宝律令大判天正奈良時代室町幕府安土桃山時代安政寛文小判小葉田淳小泉袈裟勝尺貫法丁銀両替両替商中国中華人民共和国常衡市場経済市制 (単位系)三上隆三一分銀一分金一朱銀一朱金幕末度量衡度量衡法京目二分金二朱金延喜式御定相場後藤四郎兵衛北伐マレーシアポンド (質量)メートル法ラピスラズリトウジンビエブルネイ分銅嘉量...インドネシアウマキログラムキビグラムシンガポールタウンゼント・ハリス円 (通貨)元亀元禄元文国史大辞典 (昭和時代)石 (単位)石英灰吹銀砂金秤量銀貨紅色綿緑青甲州金物価相場銭貨銀元銀錠鎌倉時代鐚銭飢饉香港計量法豆板銀貨幣博物館貨幣改鋳質量賃金龠部近世胡粉蘇芳色開元通宝藩札至文堂金座金貨鋳造通貨陶磁器東京堂出版東洋経済新報社武田信玄毎日新聞社永楽通宝江戸幕府江戸時代洗脳満州国滝沢武雄漢字漢書明治昭和斎藤功 (地理学者)新貨条例文 (通貨単位)文明 (日本)文政日米修好通商条約日本銀行金融研究所慶長慶長小判拾芥抄1300年1484年1609年1661年1700年1858年1871年1891年1933年1951年6月27日 インデックスを展開 (100 もっと) »

劉復

劉復(りゅうふく)は、中国の人名。.

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半両銭

半両銭(はんりょうせん)は、古代中国で流通した貨幣。秦代から前漢にかけて広く使用された。重量が当時の度量衡で半両(12銖)であることから半両銭と称されている。.

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十二律

十二律(じゅうにりつ)とは、中国や朝鮮、日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法に基づく、1オクターヴ内の12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。 中国の律を低いものから高いものへと並べ、西洋音楽の音名と対照すると以下のようになる(規準音である黄鐘をCとした場合)。この名称は朝鮮でも用いられる。.

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単位

単位(たんい、unit)とは、量を数値で表すための基準となる、約束された一定量のことである。約束ごとなので、同じ種類の量を表すのにも、社会や国により、また歴史的にも異なる多数の単位がある。.

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南鐐二朱銀

南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)とは、江戸時代に流通した銀貨の一種で、初期に発行された良質の二朱銀を指す。.

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大宝律令

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.

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大判

大判(おおばん)とは、広義には16世紀以降の日本において生産された延金(のしきん/のべきん:槌やローラで薄く広げた金塊)の内、楕円形で大型のものをいう。小判が単に「金」と呼ばれるのに対し大判は特に「黄金」と呼ばれ、大判金(おおばんきん)ともいう三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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安土桃山時代

安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.

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安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

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寛文

寛文(かんぶん)は日本の元号の一つ。万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇、霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.

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小判

小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.

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小葉田淳

小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。.

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小泉袈裟勝

小泉 袈裟勝(こいずみ けさかつ、1918年3月10日 - 1998年)は、日本の計量史研究者。.

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尺貫法

尺貫法(しゃっかんほう)とは、長さ・面積などの単位系の一つ。東アジアで広く使用されている。尺貫法という名称は、長さの単位に尺、質量の単位に貫を基本の単位とすることによる。ただし、「貫」は日本独自の単位であり、したがって尺貫法という名称は日本独自のものである。尺貫法と言った場合、狭義には日本固有の単位系のみを指す。尺貫法に対し、中国固有の単位系は貫ではなく斤であるので尺斤法という。本項では、広義の尺貫法として、中国を発祥として東アジア一円で使われている、あるいは使われていた単位系について説明する。 日本では、計量法により、1958年12月31日限り(土地と建物の計量については1966年3月31日限り)で取引や証明に尺貫法を用いることは禁止された。違反者は50万円以下の罰金に処せられる(計量法第8条、第173条第1号)。なお、尺や寸に相当する目盛りが付されている物差し(「尺相当目盛り付き長さ計」)は、正式に認められているものであり、「黙認」されているということではない(後述)。.

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丁銀

丁銀(ちょうぎん)とは、日本国内において主に商取引用として室町時代後期から明治維新まで流通した銀貨である。当時は単に銀と呼ばれ、例えば品位を下げた元禄丁銀は「元字銀」などと称呼された。丁銀という名称は『』の記述によれば棒状の銀塊の意味である銀(ちょうぎん)が挺銀(ちょうぎん)を経て変化したものとされる日本の貨幣(1972, 1973).。.

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両替

両替(りょうがえ)は、異種の通貨間であるいは同一通貨で異なる単位の紙幣・硬貨を交換すること。法的には売買契約の性質と交換契約の性質を併せ持った一種の混合契約と理解されている。両替をビジネスとして行う者を両替商と呼ぶ。 日本円と米ドルの交換など他通貨(外貨)との交換は、特に「外貨両替 (foreign exchange)」と呼ばれる。.

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両替商

両替商(りょうがえしょう)とは、両替および金融を主な業務とする商店あるいは商人のことである。 古くから国境を越えた貿易は盛んであり、外貨両替、金融などを扱う両替商が多く存在した。現代では主に、空港などで外貨の両替を行う店舗および窓口を指す。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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常衡

常衡(じょうこう、avoirdupois system)は、ヤード・ポンド法における質量の単位の系統の一つである。 通常使われるのは常衡であり、他の2つ(トロイ衡・薬衡)は特定の分野でしか用いられない。「常衡」という日本語の名称は、常用される質量単位(衡)という意味である。英語のavoirdupoisは、古フランス語のaveir de peis(英語で直訳すれば"goods of weight"の意)に由来するもので、量り売りされる物が常衡によって計量されていたことによる。 常衡のすべての単位はポンドを基準にしている。ポンドの分量のオンス、グレーンについてはそれぞれの項目を参照のこと。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、イギリス、アメリカの6カ国は、1958年に国際協定を締結し、1959年7月1日以降、1ポンドを(近似値ではなく)正確に0.453 592 37キログラムと定めた。この値は7で割り切れるので、1 グレーンは正確に、0.064 798 91 グラム(64.798 91 ミリグラム)となった。.

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市場経済

市場経済(しじょうけいざい、market economy)とは、市場を通じて財・サービスの取引が自由に行われる経済のことである。対立概念は、計画経済である。また、市場機能を重視する経済のことを、特に市場主義経済(しじょうしゅぎけいざい)や自由主義経済(じゆうしゅぎけいざい)などと呼ぶことがある。.

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市制 (単位系)

市制(しせい、ピンイン:)は、中国において使用されている伝統的な慣用の単位系()を、20世紀に入ってからメートル法(国際単位系)に基づいて定義しなおしたものである。日本の尺貫法に相当するが、「貫」は用いないため、日本では「尺斤法」と呼ぶことがある。市制に対して国際単位系のことは「公制」、ヤード・ポンド法のことは「英制」という。 SI単位やヤード・ポンド法の単位の中国語名は、その単位に値が近い伝統的な単位の名称が用いられていることが多い。よってヤード・ポンド法やSI(公制)の単位と市制の単位を区別する必要があるときは、単位の名称の前に、市制の場合は「市」を、ヤード・ポンド法の場合は「英」を、SIの場合は「公」をつける。 長さ、面積、質量の単位に「分」「厘」「毫」など同じものがあるが、これらは元々は割合(小数)を表すものであり、それぞれ異った単位に対する割合を示したものである。これは日本の尺貫法にも共通することである。.

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三上隆三

三上 隆三(みかみ りゅうぞう、1926年1月4日 - )は、日本の経済学者。専攻は理論経済学、貨幣史、金融論。経済学博士。.

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一分銀

一分銀(いちぶぎん)は、江戸時代末期に流通した銀貨の一種。.

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一分金

一分金(いちぶきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種。 金座などで用いられた公式の名称は一分判(いちぶばん)であり三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年、『三貨図彙』には一歩判と記載されている。一方『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には一分判金/壹分判金(いちぶばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では「一分判金」の名称が広く用いられる。また天保8年(1837年)の一分銀発行以降はこれと区別するため「一分金」の名称が普及するようになった。.

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一朱銀

一朱銀(いっしゅぎん)とは、江戸時代後期に流通した長方形短冊形の銀貨の一種で計数貨幣である。額面は一分の1/4、一両の1/16に当る。.

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一朱金

一朱金(いっしゅきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。 一朱判(いっしゅばん)、または発行が文政期のみであったことから文政一朱判(ぶんせいいっしゅばん)、あるいはその形状から角一朱金(かくいっしゅきん)ともいう。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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度量衡

度量衡(どりょうこう)は、さまざまな物理量の測定、あるいは物理単位のことを言う。詳細は物理単位を参照。 字義的には、度は「長さ」および「さし(ものさし)」、量は「体積」および「枡(升、ます)」、衡は「質量」および「秤(はかり)」を表している。.

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度量衡法

度量衡法(どりょうこうほう)とは、日本にかつて存在した度量衡の法律。度量衡の単位、度量衡計測機器の構造・検定・事業者などについて定めた。強行法規であるが、商取引や公的証明のみを対象としている。 度量衡取締条例(明治8年8月5日太政官達第135号)を継承して、1891年(明治24年)3月24日に公布され、1893年(明治26年)1月1日に施行された(明治24年3月24日法律第3号)。 1909年(明治42年)3月8日に全部改正され、計量法(1951年(昭和26年)6月7日公布・1952年(昭和27年)3月1日施行)に伴って廃止された。 制定当時、原則としては尺貫法であったが、既に日本は1886年(明治19年)にメートル条約に加盟していたために、尺と貫はメートル原器・キログラム原器から換算する方法を採り、メートル法も公認されるという二元的な単位体系を取っていた。例えば1尺は10/33メートルとし、1貫は15/4キログラムと定められた。このうち尺については享保尺から導出される折衷尺の長さ(1尺=30.304センチメートル)に準じ、貫、匁については新貨条例および度量衡取締条例で1戔(匁).

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京目

京目(きょうめ)とは、中世から江戸時代初期にかけて京都を中心として用いられた金の秤量単位。.

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二分金

二分金(にぶきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。 金座および幕府関連資料に見られる正式名称は二分判(にぶばん)であるが、天保8年(1837年)の一分銀発行以降は「二分金」という名称も普及するようになった三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年。 なお、江戸時代初期鋳造の慶長二分判も存在するが、これは試鋳貨幣的存在であるとされる。また宝永小判は正徳小判発行後は二分判扱いとなった。.

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二朱金

二朱金(にしゅきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種。 二朱判(にしゅばん)ともいう。.

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延喜式

延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。.

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御定相場

御定相場(おさだめそうば)とは、江戸幕府が定めた金貨・銀貨・銭の法定平価。.

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後藤四郎兵衛

後藤四郎兵衛家(ごとうしろべえけ)は、室町時代から江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた。 代々、後藤家の当主は後藤四郎兵衛(ごとうしろべえ)を通称とした。小判鋳造を手がけた金座の後藤庄三郎家と区別するため大判座後藤(おおばんざごとう)とも呼ばれた。.

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江戸時代に両替商で用いられた後藤分銅貳拾両(200匁:749.07g), 拾両(100匁:374.62g) 匁(もんめ)(記号:mom)には、以下の二つの用法があった『廣漢和辞典 上巻』「勹部-匁(1410)」,p416.。.

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北伐

北伐(ほくばつ)とは、中国の歴史上北に敵国がある場合にそこへ向けて軍を起こすことを言う。.

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マレーシア

マレーシア(ジャウィ語: مليسيا、Malaysia、Malaysia)は、東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接する。ASEANの一員。.

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ポンド (質量)

ポンド()またはパウンド()は、ヤード・ポンド法などにおける質量の単位である。1959年以降(ただし日本では1993年以降)は、1 ポンド.

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メートル法

メートル法を公式採用している国 メートル法(メートルほう、metric system)とは、長さの単位であるメートル(mètre)と質量の単位であるキログラム(kilogramme)を基準とする、十進法による単位系のことである。.

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ラピスラズリ

ラピスラズリ (lapis lazuli) は、方ソーダ石グループの鉱物である青金石(ラズライト)を主成分とし、同グループの方ソーダ石・藍方石・黝方石など複数の鉱物が加わった類質同像の固溶体の半貴石である。和名では瑠璃(るり)といい、サンスクリット語のヴァイドゥーリャないしパーリ語のヴェルーリヤの音訳である。深い青色から藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つ。.

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トウジンビエ

トウジンビエ(唐人稗、学名Pennisetum glaucum)は、イネ科チカラシバ属に属する植物で、広く栽培される雑穀の一つ。 トウモロコシに似た単子葉草本で、成熟すると高さ1 - 3m ほど、幅 5cm ほどの葉は長さ 1m にもなる。茎にあたる稈(かん)は太いが高さがあるため倒伏しやすい。夏から秋にかけて先端にガマに似た直径数 cm、長さ 30 - 40cm の白い円筒形の穂を出す。穎果(えいか)は米粒よりやや小さく青みをおびる。穂は白い栽培種と黒い自然種がある。クロキビの別称がある。 インドとアフリカで先史時代から栽培されており、アフリカ・スーダン地方で発生し、その後インドへ伝播したと一般に考えられている。最も古い考古学的記録は紀元前2000年のインドに見られるため、アフリカにおける栽培化はそれ以前であったはずである。起源は熱帯アフリカに遡及することができ、品種の多様性の中心は西アフリカのサヘル地帯である。栽培はその後東アフリカ、南部アフリカ、そして南アジアへと広がった。 一年生草本。草姿はトウモロコシに似ており、草丈は1~3mに達する。穂はガマの穂に似ているが、細長いものと丸みを帯びたものの二種類がある。 トウジンビエは、少雨、貧栄養土壌、高温という栽培条件に適している。高塩分の土壌においても生育し、コムギやトウモロコシといった穀類が栽培できない地域において栽培されている。ソルガムよりもさらに乾燥に強く、ソルガムの栽培できない地域でトウジンビエが栽培されることが多い。年間降水量が350mmから600mmにかけての地域で、トウジンビエの生産が最も多くなる。 高温多湿の日本では栽培例がほとんどない。 今日、トウジンビエの作付けは全世界で26000平方キロに及び、雑穀栽培の50%を占めるに至っている。特に栽培が多いのはサハラ砂漠南縁のサヘル地帯であり、ニジェールでは最も生産量の多い穀物となっている。そのほか、マリやブルキナファソなどでも生産が多い。 主に実を粉にしてパンやクスクスなどに加工したり、粥にして食用に供するほか、酒の原料にする。また、植物体や実を家畜や鳥の飼料に用いる。 近縁種に日本でも路傍などに見られるチカラシバ、家畜飼料として利用されるナピアグラスなどがある。 中国では収穫された実を音律を決める基準の笛に詰めて、これを基準に重さの単位とした。これが「両」の始まりであり、両で砂金を量ったことからやがて通貨単位ともなった。.

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ブルネイ

ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ・ダルサラームこく)、通称ブルネイは、東南アジアのイスラム教国で、イギリス連邦加盟国である。ボルネオ島(カリマンタン島)北部に位置し、北側が南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれている。首都はバンダルスリブガワン。元首はハサナル・ボルキア国王(スルターン)。 石油や天然ガスなどの資源を多く埋蔵しており、ASEANの一員になっている。環太平洋戦略的経済連携協定の原加盟国でもある。.

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分(ふん)は、時間の単位の一つである。分は、「国際単位系 (SI) と併用されるが SI に属さない単位」(SI併用単位)となっている。.

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分銅

分銅(ふんどう)は、金属の塊を円柱形などの形にしたもの。用途は次による。.

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嘉量

嘉量(かりょう)は、.

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インドネシア

インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく、)、通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャワ島に位置するジャカルタ。 5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える島国である。赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成される。人口は2億3,000万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のムスリム人口を有する国家としても知られる。 島々によって構成されている国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、ティモール島における東ティモール、カリマンタン島(ボルネオ島)におけるマレーシア、ニューギニア島におけるパプアニューギニアの3国だけである。 海を隔てて近接している国家は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアである。 ASEANの盟主とされ、ASEAN本部が首都ジャカルタにある。そのため、2009年以降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使が、ジャカルタに常駐。日本も、2011年(平成23年)5月26日、ジャカルタにASEAN日本政府代表部を開設し、大使を常駐させている。.

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ウマ

ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目)のウマ科に属する動物の総称である。現生は、いずれもウマ科に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。狭義の「ウマ」は、このうち特に種としてのウマつまり学名で「Equus caballus」) と呼ばれるもののみを指す。 社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある。北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたターパンが家畜化したという説もある。 古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられるほか、食用にもされ、日本では馬肉を「桜肉(さくらにく)」と称する。軍用もいる。 競走用のサラブレッドは、最高87km/hを出すことができる。 学名は「Equus caballus(エクゥウス・カバッルス)」。「equus」も「caballus」ともにラテン語で「馬」の意。.

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キログラム

ラム(kilogram, kilogramme, 記号: kg)は、国際単位系 (SI) における質量の基本単位である。国際キログラムともいう。 グラム (gram / gramme) はキログラムの1000分の1と定義される。またメートル系トン (tonne) はキログラムの1000倍(1メガグラム)に等しいと定義される。 単位の「k」は小文字で書く。大文字で「Kg」と表記してはならない。.

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キビ

ビ(黍、稷、学名:Panicum miliaceum)は、イネ科の一年草で、穀物の一種である。糯(モチ)と粳(ウル)があり、粉食、粒食され、日本では五穀の一つとされる。.

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グラム

ラム(gramme, gram, 記号: g)は、質量の単位である。国際単位系(SI)において、キログラム(kg)の1000分の1の質量と定義されている。 一円硬貨の質量が、1.0 g である。 メートル法によって新しい質量の単位として定められた。「グラム」という名称は、ラテン語のgrámmaに由来する。元々はグラムが質量の基本単位で、「最大密度にある蒸留水1ミリリットルの質量」と定義された。しかし、作られた原器はキログラムの質量を示すもので、その質量が1キログラムと再定義され、グラムはその1000分の1ということになった。 CGS単位系では質量の基本単位であったが、MKS単位系およびそこから派生した国際単位系ではキログラムが基本単位とされている。ただし、SI接頭辞はキログラムではなくグラムにつけることとなっており、例えばキログラムの10−6倍は、「マイクロキログラム」(µkg) ではなく「ミリグラム」(mg) となる。なお、106 g (.

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シンガポール

ンガポールの衛星写真 シンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、東南アジアの主権都市国家かつ島国である。マレー半島南端、赤道の137km北に位置する。同国の領土は、菱型の本島であるシンガポール島及び60以上の著しく小規模な島々から構成される。 同国は、北はジョホール海峡によりマレーシア半島から、南はシンガポール海峡によりインドネシアのリアウ諸島州から各々切り離されている。同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない。同国の領土は、一貫して埋立てにより拡大してきた。.

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タウンゼント・ハリス

タウンゼント・ハリス(, 1804年10月3日 - 1878年2月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使。民主党員、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた。タウンゼンド・ハリスと表記されることもある。 日本の江戸時代後期に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られる。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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円 (通貨)

円(えん)は、日本の通貨単位。通貨記号は¥(円記号)、ISO 4217による通貨コードはJPY。旧字体では圓、ローマ字ではyenと表記する。しばしば日本円(にほんえん)ともいう。 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)により「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする。」と定められている(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第1項)。.

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元亀

元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義昭。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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元文

元文(げんぶん)は日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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国史大辞典 (昭和時代)

國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.

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石 (単位)

石(こく)は、尺貫法における体積(容量)の単位の一つ。 古代の中国においては、「石」は質量の単位であった。現在は質量の単位としては「担」、体積の単位としては「石」と書く。日本ではもっぱら体積の単位としてのみ用いられた。.

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石英

水晶砂 石英(せきえい、、、クォーツ、クオーツ)は、二酸化ケイ素 (SiO₂) が結晶してできた鉱物。六角柱状のきれいな自形結晶をなすことが多い。中でも特に無色透明なものを水晶(すいしょう、、、ロッククリスタル)と呼び、古くは玻璃(はり)と呼ばれて珍重された。 石英を成分とする砂は珪砂(けいしゃ・けいさ、、)と呼ばれ、石英を主体とした珪化物からなる鉱石は珪石と呼ぶ。.

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灰吹銀

吹銀(はいふきぎん)は、銀山から山出しされ、灰吹法により製錬された銀地金である。山吹銀あるいは山出し銀とも呼ばれる。.

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砂金

歴舟川の砂金 砂金(さきん・沙金)とは、砂状に細粒化した自然金のこと。山腹に露出した金鉱脈が雨風などの流水で洗われ下流の川岸の砂礫の間に沈殿する。大がかりな選鉱施設が不要で採取方法が簡単であることから、古くから個人単位での採取が行われてきた。現在では、砂金取りを体験できる施設が各地で営業しているほか、一部の河川では今でも実際に砂金を採取することが可能である。また、アマゾン川流域などではアマルガム法による採取が行われており、河川の深刻な水銀汚染を引き起こしている。.

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秤量銀貨

中国 馬蹄銀 秤量銀貨(しょうりょうぎんか/ひょうりょうぎんか)とは量目が不定の銀地金を貨幣として用いるものであり、取引毎に天秤で目方を測定して使用される秤量貨幣である。 日本では、江戸時代の丁銀および豆板銀(小玉銀)が有名であるが、飛鳥時代に用いられたとされる無文銀銭(量目が比較的揃えられているため計数貨幣とする説もある)および戦国時代から江戸時代初期に掛けて各地で流通した領国貨幣(りょうごくかへい)などもあった。また秤量銀貨が最も広く用いられたのは地丁銀制に見られるように中国であり、馬蹄銀(ばていぎん)などの銀錠(ぎんじょう)が大口取引に用いられ、鞍の形をした鞍型銀(くらがたぎん)、タイでは腕輪銀(うでわぎん)および虎の舌銀(とらのしたぎん)などが量目に応じて取引に用いられた。 これらの秤量銀貨、特に中国のものは南鐐(なんりょう)と呼ばれる純銀に近いもので、南鐐は中国の銀山の地名に由来し、同義語としてソーマと呼ばれるものがあったが、これは石見銀山が佐摩と呼ばれる地にあり、ここから産出される良質の灰吹銀という意味であった。 中国 鞍型銀 銀山から山出しされる鉱石を製錬して得られる灰吹銀は、銀貨および銀製品の原料とされるが、これに極印を打ったものがそのまま目方により取引に使用され、極印銀(ごくいんぎん)と呼ばれ、また小額取引にはこれを適宜切断した切銀(きりぎん)が用いられ、領国貨幣はこのようなものが中心であった。領国貨幣は産地により銀品位が多種多様であり、幕府による丁銀は品位が一定に定められたが、吹替えにより品位が変化し、実質を重視する商人は見かけの量目よりも含有銀量を重視し、取引はしばしば煩雑なものになった。 日本では秤量銀貨の量目表示は戦国時代末期以降、貫および匁の単位を主に用いたが、それ以前は43匁(約161グラム)を銀拾両(十両)とし、これを銀一枚(ぎんいちまい)と呼ぶ単位が用いられ、江戸時代でも恩賞、贈答用にはこの単位が用いられた。一方、中国では両といえば専ら秤量銀貨の単位であり、テールと呼ばれた。 やがて灰吹銀を譲葉の形状に打ち伸ばした古丁銀が登場し、これが江戸時代の丁銀の原型となり、量目は不定であるものの銀一枚が大方の目安であった。丁銀は銀座常是および両替商が銀500匁または銀一枚毎に包封した包銀の形で取引に使用されるのが一般的であり、裸銀の状態で売買に使用されることはほとんどなかった。 江戸時代の銀貨といえば当初は全て秤量銀貨を指していたが、明和年間以降、南鐐二朱判、一分銀などの計数銀貨が発行されるようになり、これは秤量銀貨に対する、小判など両を単位とする貨幣の流通量の増大を意味し、銀高金安となり江戸の諸物価高を引き起こした。文政年間以降は計数銀貨の流通高が秤量銀貨を凌駕するようになり、銀目取引は次第に銀札および手形などに中心が移った。慶応4年(1868年)の明治政府の銀目廃止の布令により、丁銀・豆板銀は通用停止となった。.

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糸 糸(いと)とは、天然繊維、化学繊維の両方、もしくはいずれか一方の繊維を引き揃えて、撚りをかけた物のことである。糸を造ることを紡績、これを生業としたものを「製糸業」「紡績業」という。工業的に撚りをかけたもののことを専門的には撚糸(ねんし)という。 フィラメント糸やクモの糸の様な紡績とは無関係な長細い形状の物も含めて糸と呼ぶ。 英語では「縫い糸」は「スレッド」(thread)、「紡ぎ糸」は「ヤーン」(yarn)、 「たこ糸」「楽器の弦」は「ストリング」(string)、「釣り糸」は「ライン」(line)と呼び方が異なる。.

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紅色

紅色(くれないいろ、べにいろ)は、キク科の紅花の汁で染めた鮮やかな赤色のこと。単に「くれない色」や「べに色」と言う場合もあるが、表す色に違いはない。 元来は、紅花の赤色色素カルタミン (carthamine) で染めた色を意味する。なお紅花にはカルタミンより多量の黄色色素があり、花は黄色い。.

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綿

綿(わた)は、繊維、または繊維状のものが絡まりあってひとまとまりの状態になっているもの。 現代日本では、通常、ワタ(アオイ科ワタ属の総称。ここでは、カタカナで書くときはこの意味で使う)から取られた木綿を意味する。しかし、戦国時代に木綿綿が普及する以前の古代や中世では、蚕の繭から作られた絹の真綿を意味するのが普通である。 現代でも、布団や座布団の詰め物は、繊維の種類を問わず「綿(わた)」と呼ばれる。現代の日本では 布」「座布団」などの詰め物におおく使用されていて、日本の産業には欠かせない原料である。団ふ.

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緑青

鎌倉大仏の表面は緑青に覆われている 自由の女神の緑色も緑青による 緑青(ろくしょう)とは、銅が酸化することで生成される青緑色の錆である。銅青(どうせい)や銅銹(どうしゅう)ともいう。銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作り内部の腐食を防ぐ効果や抗菌力がある。.

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甲州金

州金(こうしゅうきん)は、日本で初めて体系的に整備された貨幣制度およびそれに用いられた金貨である。 甲州一分金 背重 戦国時代に武田氏の領国甲斐国などで流通していたと言われ、江戸時代の文政年間まで鋳造されていた。近世には武田晴信(信玄)の遺制とされ、大小切税法(だいしょうぎりぜいほう)、甲州枡(こうしゅうます)と併せて甲州三法と呼ばれている。.

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物価

物価(ぶっか、あるいはcommodity prices)とは、.

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相場

場.

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銭貨

銭貨(せんか)は、主に東アジアで流通した硬貨を指す。同音で泉貨とも記述される。多くは円形で中心部に方形の穴が開けられた(円形方孔)有孔貨幣であることが多い。金貨や銀貨といった貴金属製の硬貨の対義語として、卑金属製の硬貨を指すこともあるが、金貨および銀貨のうち円盤状で中央に孔が開いた形状をしているものを含めて銭貨ということもある。多くは銅貨であるが、銅の不足などにより、鉄製のものや錫等との合金とした真鍮製の物が銭貨として発行されたこともある。 銭貨の通貨単位としては、一般に文が用いられた。.

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銖(しゅ)は、中国の古代の質量の単位である。唐代より前の中国では「1石.

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銅(どう)は原子番号29の元素。元素記号は Cu。 周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。英語でcopper、ラテン語でcuprumと言う。.

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隋(呉音: ずい、漢音: すい、 、581年 - 618年)は、中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。.

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銀(ぎん、silver、argentum)は原子番号47の元素。元素記号は Ag。貴金属の一種。.

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銀元

銀元(ぎんげん)とは、1933年に中華民国国民政府によって導入された通貨単位(ただし、通貨としての銀元は1890年に清が対外決済用に発行した銀貨に由来する)。従来の銀両(テール)に替わって採用された。正式な名称は「銀圓」であるが、字画が多いために同音字である「銀元」が代用されて広く定着するようになった。.

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銀錠

小型銀錠 銀錠(ぎんじょう、ᡧᠣᡤᡝ 転写:šoge)とは、20世紀前期まで中国において用いられていた秤量貨幣の形態を取る銀貨。 単位は重量単位と同じ両(「銀両」、ᠶᠠᠨ 転写:yan)であり、その英語表記よりテール(tael)と呼ばれた。なお、日本では銀錠が馬の蹄の形をしていることから、馬蹄銀(ばていぎん)と呼ばれ広く用いられているが、実際には明治期の日本人が名づけたものとされ、実際には多種多様の形式の銀錠が存在し、中国においても馬蹄銀の名称はほとんど用いられてはいなかった。 灰吹法の導入により16世紀中頃より南米のポトシ銀山、日本の石見銀山などで銀の産出が著しく増大し、ポトシ銀山の銀はヨーロッパを通じて、日本の銀は生糸貿易の対価として中国に多量に輸入されるようになった。日本では産銀は一旦丁銀に鋳造され、長崎において銀錠に吹き直されて多量に中国へ流出した田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年。 材質は南鐐(なんりょう)と呼ばれる純銀に近い良質の灰吹銀であり、量目は1両(37グラム)から50両(1865グラム)程度と大小様々なものが存在する。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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鐚銭

鐚銭(びたせん、びたぜに)とは、日本の室町時代中期から江戸時代初期にかけて私鋳された、永楽銭を除く粗悪な銭貨 デジタル大辞泉。表面が磨滅した粗悪な銭を指す言葉でもある。悪銭(あくせん)とも。ほんのわずかのお金を意味する「びた一文」の「びた」はこれに由来する。.

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飢饉

飢饉(ききん、Famine)とは、何らかの要因により人々が飢え苦しむことを指す。狭義においては、一地域における死亡率を急激に上げるような極端な食料不足の事態を指すことが多い。主食とする農産物の大規模な不作を契機とする場合が多い。.

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ーン型 香(こう、incense)とは、本来、伽羅、沈香、白檀などの天然香木の香りをさす。そこから線香、焼香、抹香、塗香等の香り、またこれらの総称として用いられる。お香、御香ともいう。.

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香港

中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン、、)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区(一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門からは南西に70km離れている。東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。 広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。 .

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計量法

計量法(けいりょうほう、平成4年5月20日法律第51号)は、計量の基準を定め、適正な計量の実施を確保し、もって経済の発展及び文化の向上に寄与することを目的とする(第1条)日本の法律である。経済産業省が所管する。.

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豆板銀

豆板銀(まめいたぎん)は、江戸時代に流通した銀貨の一種。小粒銀(こつぶぎん)、小玉銀(こだまぎん)とも呼ばれる。当時、銀座において用いられた正式名称は「小玉銀」であり田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年、『三貨図彙』にもこの名称で記述されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には「豆板銀」という名称で収録されている。.

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貨幣博物館

貨幣博物館(かへいはくぶつかん)は、日本銀行金融研究所内の2階フロアに設置されている博物館。1982年(昭和57年)に日本銀行創立100周年を記念して設置され、1985年(昭和60年)11月に開館した。.

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貨幣改鋳

貨幣改鋳(かへいかいちゅう、money recasting )は、経済政策の1つ。.

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貫(かん)は、尺貫法における質量の単位、また江戸時代以前の通貨の単位である。 江戸時代の一貫は分銅および定位貨幣の実測によれば平均して3.736キログラムで年代を通じてほぼ一定であったが、江戸時代後期(19世紀以降)にやや増加して3.75キログラムを超えたという岩田重雄 『計量史研究』 「近世における質量標準の変化」、日本計量史学会、1979年。1貫は1000匁に当たり、明治時代に 1貫.

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質量

質量(しつりょう、massa、μᾶζα、Masse、mass)とは、物体の動かしにくさの度合いを表す量のこと。.

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賃金

賃金(ちんぎんwage、salary)とは、労力を提供したものが、報酬として受け取るお金のことをいう。なお、賃金には「賃銀」という別表記もある。昔は賃銀が使われていたが、1950年(昭和25年)以降、賃金との表記が一般化した。.

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龠部

部(やくぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では最後の214番目に置かれる(17画、亥集の28番目)。 「龠」が意味する管楽器 「龠」字は竹製の管楽器、笛の一種を表す。後に「籥」に作る。今で言う排簫(パンパイプ)のことで、多くの管を束ねたものである。音階の調和すること、ハーモニーの象徴として扱われる。また音律と度量衡を理論的に関連させる古代中国の度量衡理論、黄鍾秬黍説において容量の単位ともなり、黍が1200粒入る黄鍾の音律を出す管の容積を1龠とし、2龠が1合である。 小篆の字形について『説文解字』は「品」(3つの穴)と「侖」(秩序の意)の会意文字とするが、金文など古文字を見ると、むしろ「△」部分がなく、二三の穴と管の形に象っていることが分かる。「△」部分は後で付け加えられたもので、人の口あるいは管を束ねることを表していると考えられる。 偏旁の意符としては楽器や音律・和声に関することを示す。龠部はこのような意符を構成要素にもつ漢字を収める。.

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近世

近世(きんせい、英語:early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。.

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胡粉

胡粉(ごふん)は顔料のひとつ。現在では貝殻から作られる、炭酸カルシウムを主成分とする顔料を指す。かつて中国の西方を意味する胡から伝えられたことから、胡粉と呼ばれる。古くは鉛白(塩基性炭酸鉛)を指した。日本画や日本人形の絵付けに用いられる。.

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鈞(きん)は、中国の古代の質量の単位で、斤の30倍、石の1/4にあたる。 唐代より前の中国では「1石.

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蘇芳色

蘇芳色(すおういろ)とは黒味を帯びた赤色。蘇方色、蘇枋色とも書く。蘇芳とは染料となる植物の名前で、この色はこれをアルカリ性水溶液で媒染したもの。今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われている。.

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開元通宝

開通元寳(開元通寳) 開元通寳(開通元寳) 開元通宝(かいげんつうほう)は、唐代において武徳4年(621年)に初鋳され、唐代のみならず五代十国時代まで約300年にわたって流通した貨幣。 開元通宝は秦の半両銭、漢の五銖銭の形態を継承し、直径は8分(約24mm)である。この銭貨1枚の質量は2銖4絫、すなわち1両(大両)の(約3.73g)であり、ここから質量の単位である「銭」が生まれた。「1斤.

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藩札

備後福山藩が享保15年に発行した藩札。額面は銀1匁、発行元の「濱口屋」の名称も見える。 藩札(はんさつ)は、江戸時代に各藩が独自に領内に発行した紙幣である。.

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至文堂

至文堂(しぶんどう)は、日本の出版社である。.

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自然金 金(きん、gold, aurum)は原子番号79の元素。第11族元素に属する金属元素。常温常圧下の単体では人類が古くから知る固体金属である。 元素記号Auは、ラテン語で金を意味する aurum に由来する。大和言葉で「こがね/くがね(黄金: 黄色い金属)」とも呼ばれる。。 見かけは光沢のある黄色すなわち金色に輝く。日本語では、金を「かね」と読めば通貨・貨幣・金銭と同義(お金)である。金属としての金は「黄金」(おうごん)とも呼ばれ、「黄金時代」は物事の全盛期の比喩表現として使われる。金の字を含む「金属」や「金物」(かなもの)は金属全体やそれを使った道具の総称でもある。 金属としては重く、軟らかく、可鍛性がある。展性と延性に富み、非常に薄く延ばしたり、広げたりすることができる。同族の銅と銀が比較的反応性に富むこととは対照的に、標準酸化還元電位に基くイオン化傾向は全金属中で最小であり、反応性が低い。熱水鉱床として生成され、そのまま採掘されるか、風化の結果生まれた金塊や沖積鉱床(砂金)として採集される。 これらの性質から、金は多くの時代と地域で貴金属として価値を認められてきた。化合物ではなく単体で産出されるため精錬の必要がなく、装飾品として人類に利用された最古の金属で、美術工芸品にも多く用いられた。銀や銅と共に交換・貨幣用金属の一つであり、現代に至るまで蓄財や投資の手段となったり、金貨として加工・使用されたりしている。ISO通貨コードでは XAU と表す。また、医療やエレクトロニクスなどの分野で利用されている。.

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金座

金座址、京都市中京区 金座(きんざ)とは、江戸幕府において金貨鋳造あるいは鑑定・検印を行った場所あるいは組織。.

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金貨

金貨(きんか)とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。.

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鉄(てつ、旧字体/繁体字表記:鐵、iron、ferrum)は、原子番号26の元素である。元素記号は Fe。金属元素の1つで、遷移元素である。太陽や他の天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5%を占め、大部分は外核・内核にある。.

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鋳造

鋳造(ちゅうぞう、casting)は、材料(主に鉄・アルミ合金・銅・真鍮などの金属)を融点よりも高い温度で熱して液体にしたあと、型に流し込み、冷やして目的の形状に固める加工方法である。 鋳造に使用する型のことを鋳型(いがた)といい、鋳造でできた製品のことを鋳物(いもの)という。英語で casting といえば、鋳造と鋳物の双方を指す。.

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通貨

通貨(つうか、currency)とは、流通貨幣の略称で、国家もしくは、その地の統治主体によって価値が保証された、決済のための価値交換媒体。 政府は租税の算定にあたって通貨を利用する。 モノやサービスとの交換に用いられる「お金(おかね)」を、経済用語では貨幣、または通貨と呼ぶ。通貨は、現金通貨と預金通貨に大別され、前者は紙幣・硬貨(補助紙幣)であり、後者は普通預金・当座預金などの決済口座である。.

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陶磁器

野々村仁清『色絵藤花茶壺』(国宝) 陶磁器(とうじき、pottery and porcelain)は、セラミックの一種で、土を練り固め焼いて作ったものの総称。やきもの。 陶磁器に使われる粘土には、加熱することでアルミニウムやカルシウムなど他の物質と化合しガラス化する珪酸を主成分とする石英などが含まれる。成形後に加熱することで、土粒子の間に溶けて流体となったガラスが入り込み、冷めると固体化し土粒子同士をくっつける。『古陶磁の科学』の著者内藤匡は、この過程をおこしに喩えている。おおまかに言えば、陶器と磁器の違いはこのガラスになる成分と量の違いである。.

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東京堂出版

株式会社 東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。.

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東洋経済新報社

株式会社東洋経済新報社(とうようけいざいしんぽうしゃ、)は、ビジネス書や経済書などの発行を専門とする、日本の出版社である。.

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武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。.

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毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.

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永(えい)とは、日本における永楽通宝(永楽銭)の略称。もしくは、永楽通宝から派生した貨幣の計算単位。江戸時代には1両の1000分の1を意味していた。.

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永楽通宝

永楽通宝(えいらくつうほう)は、中国の明朝第3代皇帝・永楽帝の代、永楽9年(1411年)より鋳造され始めた銅製銭貨。日本では室町時代に日明貿易や倭寇によって大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通。永楽銭、永銭などと呼ばれた。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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洗脳

洗脳(せんのう、brainwashing)は、強制力を用いて、ある人の思想や主義を、根本的に変えさせること。 日本語の「洗脳」は英語の「brainwashing」の直訳であり、英語の「brainwashing」は中国語の「洗脑/洗腦」の直訳である。アメリカCIAが朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造について報告書を提出したことをきっかけとして、またその後にジャーナリストのエドワード・ハンターが中国共産党の洗脳技法についての著書を著したことで広く知られるようになった。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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満州国

満洲国の地図 満州国(まんしゅうこく、、)は、1932年(大同元年元号は、 大同(1932年3月1日 - 1934年3月1日)、康徳(1934年3月1日 - 1945年8月18日))から1945年(康徳12年)の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。「洲」が常用漢字でないため、日本の教育用図書を含め一般的に「満州国」の表記が使われるが、日本の法令や一部の文献では「満洲国」が用いられる。 帝政移行後は「大満州帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満州帝国(滿洲帝國)」などと呼ばれていた。日本(朝鮮、関東州)および中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。日本の傀儡政権であるという意見もある。.

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滝沢武雄

滝沢武雄(たきざわ たけお、1921年- )は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。.

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漢(かん、)は、中国の王朝である。通例、前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)の二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、ここから転じて中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。以下の記事では王朝について記述する。 中国初の統一王朝だった秦王朝が紀元前206年に滅亡すると、中国は秦を討った各軍の将帥による群雄割拠の状態に戻っていた。こうした中、漢中及び巴蜀に封じられていた劉邦が紀元前202年に垓下の戦いで項羽を討って中国を再統一した。中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。初の統一王朝だった秦王朝が統一王朝としては実質的に一代で滅びたこともあり、漢王朝は中国の統一状態を実質的に確定した王朝となり、これから中国全土や中国の主要民族を指す名称として「漢」が用いられるようになった。 漢王朝の歴史の詳細については、前漢・後漢をそれぞれ参照。.

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漢字

漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.

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漢書

天一閣に保管されている、明の時代の版である漢書 『漢書』(かんじょ)は、中国後漢の章帝の時に班固、班昭らによって編纂された前漢のことを記した歴史書。二十四史の一つ。「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻の計100巻から成る紀伝体で、前漢の成立から王莽政権までについて書かれた。後漢書との対比から前漢書ともいう。 『史記』が通史であるのに対して、漢書は初めて断代史(一つの王朝に区切っての歴史書)の形式をとった歴史書である。『漢書』の形式は、後の正史編纂の規範となった。 『史記』と並び、二十四史の中の双璧と称えられ、故に元号の出典に多く使われた。史記と重なる時期の記述が多いので、比較される事が多い。特徴として、あくまで歴史の記録に重点が多いので、史記に比べて物語の記述としては面白みに欠けるが、詔や上奏文をそのまま引用しているため、正確さでは史記に勝る。また思想的に、儒教的な観点により統一されている。.

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朱(しゅ、あけ、あか).

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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斎藤功 (地理学者)

斎藤 功(齋藤 功、さいとう いさお、1942年12月6日 - 2014年3月27日)は、日本の地理学者。筑波大学名誉教授。日本地理学会第30代会長。群馬県新田郡新田町(現・太田市)出身。 農業地理学研究、特に博士論文である「東京集乳圏」で知られる手塚(2014):1ページ。.

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斤(きん)は、尺貫法の質量の単位である。伝統的には1斤は16両と定義されるが、その値は時代と地域により異なる。 マレー語ではカティ (kati) という。これは英語に入りカティー となり、各国の斤を表す。.

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新(しん、8年 - 23年)は、中国の王朝。前漢の外戚であった王莽が前漢最後の皇太子の孺子嬰より禅譲を受けて立てた。成帝の時、王莽は新都侯(新都は荊州南陽郡に在る)に封じられたことにより国号を新とした。 周の時代を理想とした政策を行なったが、その理想主義・復古主義的な政策は当時の実情に合っておらず、国内は混乱。また、匈奴や高句麗に対して高圧的な態度を取ったためにこれらの離反を招くなど、 具体的な政策としては、古代の名称にあわせた地名や役職名の頻繁な改名、小作農民のための農地の国有化、奴隷売買の禁止、高利貸しに対し、国家による安い金利での融資などを行った。また新貨幣を鋳造し(制度が複雑で経済が混乱したあげく、私銭鋳造を認めるまでになった)、塩や鉄を国が専売制とするなどの政策があったが、経済政策では地主や高利貸し等から、貨幣鋳造や塩鉄の統制では民衆から、大きく不満と反対が起きた。 遠征も繰り返しており、匈奴には30万人、西南の句町国には20万人の兵を派遣し、 やがて赤眉・緑林の乱が起こり、更始帝の軍により長安を落とされて王莽は殺され、1代限りで滅んだ。 新から後漢への移り変わりは新末後漢初を参照。.

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新貨条例

新貨条例(新貨條例、しんかじょうれい)は、明治4年5月10日(1871年6月27日)に制定された日本の貨幣法である。日本の貨幣単位として「圓(円)」を正式採用した。 明治8年(1875年)6月25日の改正に伴い名称も貨幣条例(貨幣條例、太政官布告第108号)に改められ、明治30年(1897年)10月1日の貨幣法施行により廃止された。.

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文 (通貨単位)

寛永通宝。上の貨幣は四文、中央と下の貨幣は一文の額面であった。 清の紙幣、大清寶鈔(大清宝鈔)。弐千文とある。1859年に製造。 文(もん)は、かつて漢字文化圏で使用された銭貨の通貨単位である。日本では、ここから転じて長さの単位としても使用される。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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日米修好通商条約

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく、Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である。 江戸幕府が日本を代表する政府として調印した条約であり、条約批准書原本には「源家茂」として当時の14代将軍徳川家茂の署名がなされている。欧語ではアメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して、ハリス条約(Harris Treaty)とも通称される。.

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日本銀行金融研究所

日本銀行金融研究所(にっぽんぎんこうきんゆうけんきゅうじょ)は、日本銀行の内部組織の一で、金融経済の理論、制度、歴史に関する基礎的研究を行う研究所である。所在地は日本銀行本店と同じ、東京都中央区日本橋本石町。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慶長小判

慶長小判 慶長小判(けいちょうこばん)とは江戸時代の初期すなわち慶長6年(1601年)より発行された小判で一両としての額面の計数貨幣である。また慶長小判および慶長一分判を総称して慶長金(けいちょうきん)と呼び、一般的には慶長大判も慶長金に含めることが多い。さらに慶長銀と伴に慶長金銀(けいちょうきんぎん)と呼ばれ、徳川家康による天下統一を象徴する、江戸幕府による初期の貨幣として重要な位置を占める。 慶長金の初鋳は銀座が設立され慶長銀の鋳造が始まり、幣制が成立した慶長6年と同時期とされるが、前年の慶長5年(1600年)より既に鋳造が始まっていたとする説もある。.

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拾芥抄

拾芥抄(しゅうがいしょう)は、中世日本にて出された類書(百科事典)。全3巻。元は拾芥略要抄とも呼ばれ、略要抄とも略されていた。.

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1300年

記載なし。

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1484年

記載なし。

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1609年

記載なし。

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1661年

記載なし。

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1700年

17世紀最後の年である100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、閏年ではない(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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1858年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1891年

記載なし。

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1933年

記載なし。

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1951年

記載なし。

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6月27日

6月27日(ろくがつにじゅうななにち、ろくがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から178日目(閏年では179日目)にあたり、年末まであと187日ある。誕生花はホタルブクロ、サンダーソニア。.

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