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銭貨

索引 銭貨

銭貨(せんか)は、主に東アジアで流通した硬貨を指す。同音で泉貨とも記述される。多くは円形で中心部に方形の穴が開けられた(円形方孔)有孔貨幣であることが多い。金貨や銀貨といった貴金属製の硬貨の対義語として、卑金属製の硬貨を指すこともあるが、金貨および銀貨のうち円盤状で中央に孔が開いた形状をしているものを含めて銭貨ということもある。多くは銅貨であるが、銅の不足などにより、鉄製のものや錫等との合金とした真鍮製の物が銭貨として発行されたこともある。 銭貨の通貨単位としては、一般に文が用いられた。.

89 関係: 卑金属天平勝宝天保天保通宝宝永宝永通宝室町時代宋銭富寿神宝富本銭寛平大宝寛永寛永通宝小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律中国の貨幣制度史万年通宝万延平安時代乾元大宝延喜通宝律令制バオ・ダイ和同開珎和銅インフレーション冥銭元和 (日本)元和通宝元文皇朝十二銭硬貨神功開宝租庸調続日本紀無文銀銭百錬抄銭紋隆平永宝銅貨銀貨鎌倉時代荘園公領制鐚銭饒益神宝貞観永宝貴金属黄銅開元通宝蓄銭叙位令...金貨長年大宝雑徭東アジア永楽通宝江戸時代治承明和明治昭和施行文 (通貨単位)文久文久永宝日宋貿易日本の貨幣史慶長慶長通宝承和昌宝10世紀1179年12月1606年1615年1636年1709年1738年1768年1835年1860年1863年1873年1891年1897年1953年708年753年 インデックスを展開 (39 もっと) »

卑金属

卑金属 (ひきんぞく、base metal)とは、貴金属の対義語である。 貴金属ではない金属のこと。 古くは金、銀以外の金属全般を指していた。 化学的には、イオン化傾向が水素より大きく(安定性が低い)、空気中で熱したりすると容易に酸化される金属を指す。アルカリ金属、アルカリ土類金属、アルミニウム、亜鉛などがこれに属する。こちらの定義では、銅、水銀は貴金属に分類される。 貿易においては卑金属と貴金属の区別は関税に大きく影響するので、明確にしている。 卑金属は、鉄鋼、銅、アルミニウム、鉛、亜鉛、すず、タングステン、インジウム、モリブデン、クロム、ゲルマニウム、タンタル、マグネシウム、コバルト、カドミウム、チタン、ジルコニウム、バナジウム、ガリウム、アンチモン、マンガン、ニッケル、ベリリウム、ハフニウム、ニオブ、ビスマス、レニウム、タリウムが該当する。 ただし、銅については通常は卑金属とされるが、特性から貴金属として取り扱われる場合もある。 非金属と書くものもあるが、非金属とは、金属でない、石や岩などのことである。.

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天平勝宝

天平勝宝(てんぴょうしょうほう、正字体:天平勝寶)は、日本の元号の一つ。天平感宝の後、天平宝字の前。749年から757年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇。 天平勝宝7年1月4日、勅命により「年」が「歳」に改められた。このため以後は、天平勝宝七歳・天平勝宝八歳・天平勝宝九歳と表記されたが、天平宝字へ改元した際に「歳」を「年」へ復している。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天保通宝

天保通宝(てんぽつうほう)とは、江戸時代末期から明治にかけての日本で流通した銭貨。天保銭(てんぽうせん)ともいう。形状は、小判を意識した楕円形で、中心部に正方形の穴が開けられ、表面には「天保通寳」、裏面には「當百」と表記され、金座後藤家の花押が鋳込まれている。銅製で、重量は5.5匁(約20.6グラム)。.

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宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

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宝永通宝

宝永通宝(ほうえいつうほう)とは、江戸時代に鋳造された銭貨の一種で宝永5年(1708年)に発行された十文銭である。江戸時代当時は大銭(おおぜに)と呼ばれた。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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宋銭

北宋銭 北宋銭(左上3枚)南宋銭(その他) 宋銭(そうせん)は、中国・宋代に鋳造された貨幣である銅銭のことである。また、宋代には鉄銭も鋳造されたが、一般的には、圧倒的に多い銅銭のことを指して宋銭と呼んでいる。.

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富寿神宝

富寿神宝(富壽神寳、ふじゅしんぽう)は、嵯峨天皇の818年(弘仁9年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。本朝十二銭・皇朝十二銭のひとつ。 直径23mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で富壽神寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)3g程度の銅の鋳造貨である。 朝廷の鋳造した銭の質はこの頃より低下し、鉛分が多くなってきている。 Category:皇朝十二銭.

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富本銭

富本銭(複製品) 富本銭(ふほんせん)は、683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。708年(和銅元年)に発行された和同開珎より年代は古い。この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。 富本銭よりも前の貨幣として無文銀銭が知られている。無文銀銭・富本銭・和同開珎の関係、貨幣としての価値、流通範囲、機能などはまだ不明な点が多く、今後の研究課題である。.

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寛平大宝

寛平大宝(寛平大寳、かんぴょうたいほう)は、890年(寛平2年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭の1つ。 直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で寛平大寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。 寛平大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されたと思われる。 Category:皇朝十二銭.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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寛永通宝

寛永通宝(かんえいつうほう)は、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨。寛永13年(1636年)に創鋳、幕末まで鋳造された。.

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小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律

小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律(しょうがくつうかのせいりおよびしはらいきんのはすうけいさんにかんするほうりつ)は、1953年7月に制定された小額通貨(額面1円未満の通貨と一円黄銅貨)の廃止などに関する日本の法律。通称小額通貨整理法。本法の施行により、1954年以降、銭・厘単位(1円未満)の全ての通貨ならびに一円黄銅貨の通用が禁止された。江戸時代に鋳造され法的には通貨として通用していた寛永通宝なども、この法律の施行により効力を失った。.

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中国の貨幣制度史

墺旅行家Ernst von Hesse-Wartegg著"China und Japan"より中国古代貨幣図 中国の貨幣制度史(ちゅうごくのかへいせいどし)では中国の貨幣制度の歴史について記述する。.

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万年通宝

万年通宝(萬年通寳、まんねんつうほう)は、760年(天平宝字4年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭のひとつ。 直径24mmから25mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で萬年通寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)3gから4g程度の青銅鋳造貨である。 708年(和銅元年)以来50年以上通用していた和同開珎に替わる通貨として発行されたが、万年通宝1枚に対し和同開珎10枚の交換比率が設定されたため、貨幣流通が混乱した。不評のためかわずか5年で鋳造は中止された。また、万年通宝発行が藤原仲麻呂(恵美押勝)が推進した政策であり、恵美押勝の乱で仲麻呂が反逆者として殺されたことも中止の原因であったと考えられている。 このとき同時に金銭開基勝宝、銀銭太平元宝も同時に発行された。その交換比率は金銭1に対し銀銭10、銀銭1に対し万年通宝10であったが、これらの発行は流通させることを目的としていなかったといわれる。銀銭に至っては現存しない。 Category:皇朝十二銭.

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万延

万延(まんえん、旧字体: 萬延)は日本の元号の一つ。安政の後、文久の前。1860年から1861年の期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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乾元大宝

乾元大宝(乹元大寳、けんげんたいほう)は、958年(天徳2年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭のひとつ。『日本紀略』天徳2年3月25日條には、「改銭貨文延喜通寳、為乾元大寳」とある。 直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で乾元大寳と表記されている(実際には「乾」の字のつくりが「乞」ではなく「乚」になっている)。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。 乾元大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されたと考えられている。小型で鉛が75%、あるいはそれ以上を占めるものもあるなど品位は非常に低く、また製作も悪く銭文の文字が読めないものも少なくなく、流通範囲も狭かったらしい。だが、当時の平安貴族には貨幣流通不振の理由が分からず、『日本紀略』によれば天徳2年4月8日には伊勢神宮以下11社に新造の乾元大宝を奉納して流通を祈願している。 963年(応和3年)に、朝廷発行の最後の貨幣として鋳造を終了している。以後自然貨幣として輸入銭や民鋳銭と混用されることとなる。.

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延喜通宝

延喜通宝(延喜通寳、えんぎつうほう)は、907年(延喜7年11月)に日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭の1つ。 直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で延喜通寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2g程度の銅の鋳造貨である。 寛平大宝発行から17年後、銭貨鋳造を司った鋳銭司で延喜通宝が改鋳された。 『日本紀略』延喜7年11月3日條には、「詔、改寛平大寳銭貨、為延喜通寳、一以當舊之十、新興舊並令通用之」とある。延喜通宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定され、先例を踏襲し新旧両銭の併用としている。 朝廷発行の貨幣の中では、質の低下が極まり、銭文が判読出来るものはむしろ稀で、銅貨というよりも鉛合金と言った方が適切なものもある。 Category:皇朝十二銭.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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バオ・ダイ

バオ・ダイ(、1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝(在位:1926年1月8日 - 1945年3月11日)、ベトナム帝国皇帝(在位:1945年3月11日 - 1945年8月30日)、ベトナム民主共和国最高顧問(1945年9月 - 1946年3月16日)、後にベトナム国国長(在任:1949年6月14日 - 1955年4月30日)。姓・諱は阮福永瑞(げんふく えいずい、グエン・フク・ヴィン・トゥイ、)、後に阮福晪(げん ふくてん、グエン・フク・ティエン、、晪は日偏に典)と改めた。バオ・ダイの名は治世の年号である保大(1926年 - 1945年)に由来し、保大帝(ほだいてい、ホアン・デ・バオ・ダイ、)とも称される。.

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和同開珎

和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、708年8月29日(和銅元年8月10日)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の1番目にあたる。.

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和銅

和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の後、霊亀の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。.

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インフレーション

インフレーション(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象である。日本語の略称はインフレ。日本語では「通貨膨張」とも訳す。 反対に物価の持続的な下落をデフレーションという。.

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冥銭

冥銭(めいせん)とは、副葬品のひとつで、金銭、または金銭を模した物。.

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元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

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元和通宝

元和通宝(げんなつうほう)は、元和元年(1615年)もしくは2年(1616年)頃に鋳造されたとされる、江戸時代の元号を用いた銅銭であり、寛永通寳以前のものである『日本の貨幣-収集の手引き-』 日本貨幣商協同組合、1998年。銭文は「元和通寳」である。 この貨幣も慶長通寳と同様に正式な鋳造記録が確認されておらず、江戸幕府によるものであるか、民鋳の鐚銭であるのか、あるいはその発行目的など依然不明な銭貨である。 直径は0.8寸(2.4センチメートル)、量目(質量)は0.7匁(2.6グラム)前後であり、慶長通寳に近い。 現存数は慶長通寳よりもさらに少なく、広く流通したとは考えられず試鋳貨幣にとどまった可能性も考えられる。銭文の変化による手代わりが存在し「大字」、「小字」および文字の太い「肥字」が知られる。 銅銭の他に、背に漢数字を鋳込んだ「番銭」と呼ばれる銀銭が存在し、これは水戸の鋳造ともいわれる瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年。.

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元文

元文(げんぶん)は日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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皇朝十二銭

皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)とは、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて、日本で鋳造された12種類の銅銭の総称である。本朝十二銭(ほんちょうじゅうにせん)、皇朝十二文銭(こうちょうじゅうにもんせん)とも呼ばれる。.

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硬貨

貨(こうか)は金属で作られた貨幣である。コイン(coin)ともいわれる。かつて「コイン」は基本的に金や銀の素材金属の価値と額面の差の無い本位通貨やその補助貨幣として鋳造されることが多かったが、現在は管理通貨制度の下で不換紙幣と並列して素材の価値が額面を大きく下回る硬貨1988年以前は臨時通貨法の下、日本では事実上の現金通貨が日本銀行券と臨時補助貨幣のみであったため、硬貨は「補助貨幣」と称されていたが(『世界大百科事典』26、平凡社、2009年)、1988年に制定された通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律以降は「貨幣」と称する。のみが流通する。 他方、経済学においては『硬貨』はハードカレンシー(国際決済通貨)や本位貨幣を指すことばであり、対義語の『軟貨』(ソフトカレンシー)とは国際決済に用いられない・用いることが出来ない通貨を指す。.

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神功開宝

功開宝(神功開寳、じんぐうかいほう/じんこうかいほう)は、765年(天平神護元年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭のひとつ。 直径24mmから25mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で神功開寳と表記されている(「功」の字のつくりが「力」ではなく「刀」になっているものがある)。裏は無紋である。量目(重量)3gから4g程度の青銅鋳造貨である。 万年通宝に替わる通貨として発行され、万年通宝と等価で併用された。779年(宝亀10年)に、それまで万年通宝、神功開宝の10分の1の価値とされていた和同開珎も同一価を持つものとされた。 万年通宝が藤原仲麻呂によって推進された政策であったことから、神功開宝の発行には仲麻呂を倒して政権を握った称徳天皇・弓削道鏡の意向が関与をしたとの説もある。 なお、この神功開宝は、最北で北海道知床半島のチャシコツ岬上遺跡(斜里町)でも出土している。.

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租庸調

租庸調(そようちょう)は、日本、中国及び朝鮮の律令制下での租税制度である。.

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続日本紀

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。.

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無文銀銭

無文銀銭(むもんぎんせん)は、近江朝時代(667年~672年)に発行され、日本最古の貨幣といわれている私鋳銀貨。実際には地金価値で取引されたと考えられ秤量貨幣または計数貨幣とされる。江戸時代など後代にも豆板銀や丁銀等の銀の秤量貨幣が西日本では使用されている。ただし、7世紀当時に発見された銀山は、対馬銀(『日本書紀』)であり、戦国期以降に流通した岩見銀ではない(対馬銀山の項目も参照)。 直径約3センチメートル、厚さ約2ミリメートル、重さ約8-10グラム(古代の1両の1/4にあたる6銖に相当(1両.

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百錬抄

『百錬抄』(ひゃくれんしょう)は、公家の日記などの諸記録を抜粋・編集した歴史書。鎌倉時代後期の13世紀末頃に成立したとみられる。編著者は不詳。百練抄とも書く。書名は唐の詩人白居易の「百練鏡」に由来すると考えられ、当初は「練」の字が用いられていたが、江戸時代以後に「錬」の字が用いられるようになった。 17巻よりなるが完本ではなく、巻一から巻三までが欠けている。安和元年(968年)から正元元年12月(1260年1月)までは天皇紀の形をとる漢文の編年体で記されている。 著者は不詳だが、勧修寺流吉田経房の『吉記』をはじめ同流の出身者の日記が多く引用されていることから、勧修寺流関係者説が有力と考えられている。時間的には後深草天皇が譲位する天元元年12月で完結するが、その後深草は本文中で「新院」と呼ばれていることから、原本が完成したのは次の亀山天皇の在位中だったことが分かる。その後、修正が加えられて遅くても金沢文庫本が作成される前には完成していたと推定されている。 巻三までの内容は不明、巻四の冷泉院から巻七途中の近衛院までは信西の『本朝世紀』の抄出だが、同書自体に散逸が多いため貴重である。その後は同じく巻七途中の二条院の部分までは現存しない平親範の日記が用いられていたと考えられ、以後は吉田経房とその子孫の資経や経俊らの日記から引用されたとみられている。巻八の高倉院から巻十五後嵯峨院までは九条廃帝を除いて1代1巻で構成され、最後の2巻を後深草院にあてている。 京都中心の記録で、武家方の『吾妻鏡』とは対照的である。今日伝わるものとしては、塙保己一が紅葉山文庫本・学問所古本などをもって校訂を加え享和2年(1803年)に出版した刊本をはじめ、写本としては嘉元2年(1304年)に金沢貞顕が吉田定房の本をもって校訂した金沢文庫本系のものがある。.

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銭紋

銭紋の一例(えいらくせん永楽銭) 銭紋(ぜにもん)は、貨幣の銭貨を図案化した紋様のことで、中国では土器や陶器の表面にほどこされ、日本ではおもに家紋の一種として知られている。以下、家紋としての銭紋について説明する。 銭は富を象徴するものである一方、三途の川の渡し賃として死者とともに納棺する六道銭(冥銭)は地蔵信仰(地蔵菩薩)の影響であり、それに由来する海野氏などの六連銭は信仰的な意味での使用である高澤等著『家紋の事典』東京堂出版 2008年。.

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隆平永宝

隆平永宝(隆平永寳、りゅうへいえいほう)は、796年(延暦15年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭のひとつ。 直径24~25mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で隆平永寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)3g程度の青銅鋳造貨である。 4年間の猶予期間の後、旧銭を廃止するとして発行され、隆平永宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。しかし、旧銭の廃止計画は808年(大同3年)に中止した。 Category:皇朝十二銭.

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銅(どう)は原子番号29の元素。元素記号は Cu。 周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。英語でcopper、ラテン語でcuprumと言う。.

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銅貨

古代の銅貨 銅貨(どうか Copper coin)とは、銅を素材として作られた貨幣をいう。.

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銀貨

2004年にアメリカで発行された銀貨 銀貨(ぎんか)とは、銀を素材として作られた貨幣をいう。古来、金貨・銅貨とともに世界各地で流通した。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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荘園公領制

荘園公領制(しょうえんこうりょうせい)とは、日本の中世における、荘園と公領を土台とした、重層的土地支配構造のことである。歴史学者の網野善彦が提唱した。11世紀中後期から12世紀初期にかけて成立し、院政期を通じて発展し、鎌倉時代前後に最盛期を迎えた。その一方で、鎌倉時代には地頭による侵食を受け、室町時代には守護(守護大名)によって蚕食されるなど、武士の進出に伴って次第に解体への道を進み、戦国時代頃までにほぼ形骸化した。最終的には太閤検地で完全に消滅する。 なお、この項目においての荘園・公領とは、それぞれ荘園公領制の土台となった寄進地系荘園・国衙領を指すものとする。.

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鐚銭

鐚銭(びたせん、びたぜに)とは、日本の室町時代中期から江戸時代初期にかけて私鋳された、永楽銭を除く粗悪な銭貨 デジタル大辞泉。表面が磨滅した粗悪な銭を指す言葉でもある。悪銭(あくせん)とも。ほんのわずかのお金を意味する「びた一文」の「びた」はこれに由来する。.

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饒益神宝

饒益神宝(饒益神寳、じょうえきしんぽう/にょうやくしんぽう)は、859年(貞観元年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭の1つ。 直径19mmから20mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で饒益神寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2g程度の銅の鋳造貨である。.

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貞観永宝

貞観永宝(貞觀永寳、じょうがんえいほう)は、870年(貞観12年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭の1つ。 直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で貞觀永寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2g程度の銅の鋳造貨である。.

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貴金属

貴金属元素のサンプル 貴金属(ききんぞく、precious metal)は、化学としては金 (Au)、銀 (Ag)、白金 (Pt)、パラジウム (Pd)、ロジウム (Rh)、イリジウム (Ir)、ルテニウム (Ru)、オスミウム (Os) の8つの元素を指す。存在が希少なものが多く、耐腐食性があるのが特徴である。Dブロック元素に属する。 ルテニウム、ロジウム、パラジウム(これら3つをパラジウム類と言うことがある)、オスミウム、イリジウム、白金(これら3つは白金類と言うことがある)の6つの元素を「白金族元素」と言う。 またこれらは遷移元素である。白金族元素はお互い性質が似通っており、融点が高く、白金、パラジウムはアルミニウム並に軟らかく、ルテニウム、イリジウムは硬く、オスミウムは非常に硬く脆い。ロジウムはその中間の硬さである。全体的にくすんだ銀白色を呈した金属である。 また白金類は密度が21から22と非常に高く、物質中最も重い元素になる。重白金族とも言う。パラジウム類は密度は12で、軽白金族とも言う。酸、アルカリなどにも侵されにくい。非常に有用な触媒となるものもある。 周期表の11属同族元素である金、銀、銅も貴金属 (noble metal) であり、この場合、銅も貴金属に含まれる場合がある。また学問分野によっては、水銀など 上記以外の元素を貴金属に含めることがある。これはイオン化傾向が水素より小さい金属という定義によるものである。 ジュエリー用貴金属 8種の貴金属の中で、金 (Au)、銀 (Ag)、白金 (Pt)、パラジウム (Pd) の4種とその合金を、ISO9202、JIS-H6309、及びCIBJO(国際貴金属宝飾品連盟)は、ジュエリー用貴金属合金として定め、品位区分を設けている。 イリジウム (Ir)、ルテニウム (Ru) は、白金 (Pt)(プラチナ)の割り金として用いられている。 ロジウム (Rh) は、ジュエリーやアクセサリーの表面めっきとして、広く利用されている。 ジュエリーの製造現場では、加工上の性質、用途と色調から、産出量は多いが銅を貴金属の一種と考えることもある。.

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黄銅

五円硬貨。銅60-70%、亜鉛40-30%の黄銅製。 黄銅(こうどう、おうどう、)は、銅と亜鉛の合金で、特に亜鉛が20%以上のものをいう。真鍮(しんちゅう)と呼ばれることも多い。.

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開元通宝

開通元寳(開元通寳) 開元通寳(開通元寳) 開元通宝(かいげんつうほう)は、唐代において武徳4年(621年)に初鋳され、唐代のみならず五代十国時代まで約300年にわたって流通した貨幣。 開元通宝は秦の半両銭、漢の五銖銭の形態を継承し、直径は8分(約24mm)である。この銭貨1枚の質量は2銖4絫、すなわち1両(大両)の(約3.73g)であり、ここから質量の単位である「銭」が生まれた。「1斤.

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蓄銭叙位令

蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)は、和銅4年(711年)10月に、銭の流通を促進するためと、政府への還流を計って施行された法令。蓄銭叙位法(ちくせんじょいほう)ともいう.

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金貨

金貨(きんか)とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。.

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長年大宝

長年大宝(長年大寳、ちょうねんたいほう)は、848年(嘉祥元年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭のひとつ。 直径20mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で長年大寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。 長年大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。 Category:皇朝十二銭.

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鉄(てつ、旧字体/繁体字表記:鐵、iron、ferrum)は、原子番号26の元素である。元素記号は Fe。金属元素の1つで、遷移元素である。太陽や他の天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5%を占め、大部分は外核・内核にある。.

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雑徭

雑徭(ぞうよう、ざつよう)は、中国及び日本の律令制下での労役の形態を取る租税制度である。.

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東アジア

東アジア(ひがしアジア)は、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部を指す地理学的な名称である。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、琉球諸島、日本列島などを含む。北東アジア(東北アジア)、極東、東亜などと呼ぶ場合もある。.

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永楽通宝

永楽通宝(えいらくつうほう)は、中国の明朝第3代皇帝・永楽帝の代、永楽9年(1411年)より鋳造され始めた銅製銭貨。日本では室町時代に日明貿易や倭寇によって大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通。永楽銭、永銭などと呼ばれた。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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治承

治承(じしょう / ちしょう)は、日本の元号の一つ。安元の後、養和の前。1177年から1181年までの期間を指す。この時代の天皇は高倉天皇、安徳天皇。 治承期は、平氏政権の本格的な確立期および、それに反発して起こった全国的な内乱、すなわち治承・寿永の乱の初期に当たる。源頼朝の関東政権では、この先の養和・寿永の元号を使わず、治承を引き続き使用した。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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施行

施行.

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文 (通貨単位)

寛永通宝。上の貨幣は四文、中央と下の貨幣は一文の額面であった。 清の紙幣、大清寶鈔(大清宝鈔)。弐千文とある。1859年に製造。 文(もん)は、かつて漢字文化圏で使用された銭貨の通貨単位である。日本では、ここから転じて長さの単位としても使用される。.

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文久

文久(ぶんきゅう)は日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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文久永宝

文久永宝(文久銭) 文久永宝(ぶんきゅうえいほう)は、幕末に流通した銭貨。形状は円形で、中央部に正方形の穴が開けられている。表面には「文 久 永 寳(宝)」の文字が上下右左の順に刻まれ、裏面には波形模様が刻まれている。地方貨幣などを別にすれば、銭銘としては日本最後の銭貨である。.

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日宋貿易

日宋貿易(にっそうぼうえき)は、日本と中国の宋朝の間で行われた貿易である。10世紀から13世紀にかけて行われ、日本の時代区分では平安時代の中期から鎌倉時代の中期にあたる。中国の唐朝に対して日本が派遣した遣唐使が停止(894年)されて以来の日中交渉である。.

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日本の貨幣史

日本の貨幣史(かへいし)では日本の貨幣の歴史、および歴史上の各時代における貨幣の機能や貨幣制度の歴史を指す。日本に流入した海外の貨幣や、海外で流通した日本の貨幣についても取り上げる。また、歴史的に蝦夷地や琉球と呼ばれてきた地域の貨幣についても記述する。世界各地の貨幣の歴史については、貨幣史を参照。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慶長通宝

慶長通宝(けいちょうつうほう)は、慶長11年(1606年)に江戸幕府によって発行された銅銭(異説もある)。日本では平安時代の皇朝十二銭以来久しく途絶えていた中央政府による鋳造貨幣であるとされる。銭文は「慶長通寳」である。.

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承和昌宝

承和昌宝(承和昌寳、じょうわしょうほう)は、835年(承和2年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である。皇朝十二銭の1つ。元号を冠した日本最初の貨幣(和同開珎に関しては、元号の「和銅」との関連性について様々な説がある高橋照彦「銭貨と土器からみた仁明朝」 所収:角田文衞監修・古代學協會編『仁明朝史の研究』(思文閣出版、2011年))。 直径21mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で承和昌寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。 通説では、承和昌宝以後に急速に大きさが小さくなり品質も悪化したとされているが、承和昌宝以後の銭貨は大きさについて一定した水準が保たれ、また品質も寛平大宝まではほぼ同様の傾向であることから、承和昌宝が貨幣鋳造の新しい品質基準とされたとする見方もある。 承和昌宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定されたため、旧銭を鋳潰しての私鋳が横行した。.

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10世紀

江南の爛熟。画像は顧閎中が描いた「韓煕載夜宴図(北京故宮博物館蔵)」。五代十国南唐の後主李煜時代の宮廷の優雅な様子がしのばれる。 コルドバ。画像はコルドバにあるメスキータの円柱の森。10世紀末までに歴代の後ウマイヤ朝カリフによって改築が続けられ今ある姿となった。 10世紀(じっせいき)とは、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最後の世紀である。.

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1179年

記載なし。

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12月

12月(じゅうにがつ)は、グレゴリオ暦で年の第12の月(最後の月)に当たり、31日ある。 日本では、旧暦12月を「師走」、「師馳」(しわす・しはす)又は「極月」(きわまりづき・ごくげつ・ごくづき)と呼んできた。 今では「師走」及び「極月」は、新暦12月の別名としても用いられる。 英語での月名 December は、「10番目の月」の意味で、ラテン語で「第10の」という意味の「decem」の語に由来している。 実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で(そのため年末の2月は日数が少ない)、3月から数えて10番目という意味である。 グレゴリオ暦の12月1日はその年の9月1日と同じ曜日になる(→365日)。 明治時代に日本が太陰暦から太陽暦に変更した際に、政府が年末の給料を削減するために12月の日数を2日とした(明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とした)。.

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1606年

記載なし。

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1615年

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1636年

記載なし。

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1709年

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1738年

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1768年

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1835年

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1860年

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1863年

記載なし。

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1873年

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1891年

記載なし。

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1897年

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1953年

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708年

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753年

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