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レトヴィザン (戦艦)

索引 レトヴィザン (戦艦)

レトヴヰザン#達明治38年9月p.13『達第百三十七號 戰利軍艦「レトヴヰザン」ヲ肥前ト命名セラル 明治三十八年九月二十四日 海軍大臣男爵山本権兵衛』、レトヴィザン、レトヴィザーン(ロシア語:Ретвизанリトヴィザーン)は、ロシア帝国海軍の戦艦。 日露戦争の旅順攻囲戦で沈没。 引揚げ後、修理されて日本海軍の戦艦「肥前」となった#帝国軍艦帖コマ38-39『戰艦肥前(舊名レトウヰザン) 一、進水年月日 明治三十三年(月日不明)/一、排水量 一萬二千七百二十五噸/一、馬力 一萬六千馬力/一、速力 十九節七/一、主砲 四十口經露式十二吋砲四門、六吋砲十二門/一、建造地及建造所 米國費府クラムブ造船所/一、日清戰爭に参加したる際重要なる事項 /一、日露戰爭に参加したる際需要なる事項 露國太平洋第一艦隊に属し、旅順口にありて皇國海軍に對抗すること数月、終に明治三十七年十二月六日旅順西港内に於て我軍の爲め撃沈せられ、三十八年九月二十二日浮揚同二十四日肥前と命名せられ、帝國軍艦に列せらる/一、日獨戰爭に参加したる際重要なる事項 大正三年十月八日艦長川浪海軍大佐式下に横須賀軍港出發布哇「ホノルヽ」沖に至り獨砲艦「ガイヱル」を監視し同十一月八日之が武装解除を行はしめ爾後森田遣米枝對司令官の指揮下に入り南北米西海岸に遊弋索敵行動を取り四年二月十四日横須賀軍港に凱旋す/一、其他特に重要なる事項 明治四十四年艦長依田海軍大佐指揮下に第一艦隊に属し海軍戰技に於て第一等の集合成蹟を擧げ戰技優勝旗を授けられ御下賜品(銀盛花鉢一個)を辱ふす 以上』。 艦名は旧国名の肥前国に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ72(原本110頁)『肥前(ひぜん) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、肥前國に採る。艦歴米國費府造船所に於て建造、明治33年進水、舊露國軍艦、原名「レトヴヰザン」。日露戰役中露國太平洋艦隊に属し明治37年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港内に於て破壊沈没、同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年9月24日帝國軍艦と定め「肥前」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正3乃至9年戰役(日獨)從軍:同3年10月遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面の警備(艦長大佐川浪安勝)、同7年7月第三艦隊に属し露領沿岸警備(艦長大佐生野太郎八)、同8年9月同前の任務に就く(艦長大佐匝瑳胤次)、同10年一等海防艦に編入、同12年9月20日除籍、廢棄(華府條約による)。―要目― 長372呎/幅72呎/吃水24.9呎/排水量12,700噸/機關 三汽筩聯成汽機2基、ニクローズ式/馬力16,000/速力18/乗組人員750/船材 鋼(甲帶225粍)/兵装 12吋砲 4/6吋砲 12/12听砲 14/5听砲 4/機砲 4/發射管 2/起工 明治31-12/進水 同33-10-23/竣工 同35-3-25/建造所 米國費府』。.

140 関係: 加賀型戦艦名取 (軽巡洋艦)多摩 (軽巡洋艦)大日本帝国陸軍大日本帝国海軍大日本帝国海軍艦艇一覧大日本帝国海軍艦艇類別変遷天龍 (軽巡洋艦)夕張 (軽巡洋艦)官報安芸 (戦艦)富士 (戦艦)尼港事件山城 (戦艦)山川出版社川内 (軽巡洋艦)丹後 (戦艦)三笠 (戦艦)乃木希典二十八糎砲五十鈴 (軽巡洋艦)佐世保鎮守府佐世保海軍工廠土佐国匝瑳胤次北上 (軽巡洋艦)ペレスヴェート級戦艦ノットマストハワイ州ハイラム・マキシムバルト海バーベットポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)メートルメキシコロシア語ロシア海軍ワシントン海軍軍縮条約ヴィリゲリム・ヴィトゲフトヴィッカース重機関銃ボイラートン数パルラーダ (防護巡洋艦)ツェサレーヴィチ (戦艦)フランスホッチキス QF 3ポンド砲周防 (戦艦)アメリカ合衆国アジア歴史資料センター...イギリスウィリアム・クランプ・アンド・サンズオチキスガトリング砲クレーンシェルブール=オクトヴィルスエズ運河ソ連・ロシア海軍艦艇一覧タリン内地八島 (戦艦)囲い堰国立国会図書館石見 (戦艦)砲塔神風 (2代神風型駆逐艦)福井静夫稲子恒夫第3軍 (日本軍)第一次世界大戦由良 (軽巡洋艦)煙突相模 (戦艦)鎮遠 (戦艦)衝角装載艇複式機関馬力魚雷発射管豊後水道黄海海戦 (日露戦争)船体薩摩 (戦艦)肥前 (戦艦)肥前国野風 (駆逐艦)釜屋忠道金剛 (戦艦)長門 (戦艦)長良 (軽巡洋艦)艦砲艦橋速射砲連合艦隊陸奥 (戦艦)排水量東洋書店標的艦比叡 (戦艦)水雷艇沼風 (駆逐艦)波風 (駆逐艦)潮書房光人新社朝日 (戦艦)戦艦戦艦一覧明治天皇春日 (装甲巡洋艦)海防艦海里日露戦争日進 (装甲巡洋艦)旅順口区旅順口攻撃旅順要塞旅順港閉塞作戦旅順攻囲戦摂津 (標的艦)敷島 (戦艦)10月23日1898年1900年1901年1902年1905年1908年1914年1915年1921年1923年1924年1997年2007年2月14日3月25日4月30日5月25日7月17日7月25日9月20日 インデックスを展開 (90 もっと) »

加賀型戦艦

加賀型戦艦(かががたせんかん)は日本海軍が八八艦隊計画で考案した戦艦#海軍制度沿革(巻8、1940)p.201『◎戰艦加賀及土佐命名ノ件 大正七年五月十五日(達七六)軍備補充費ヲ以テ大正七年度製造ニ着手スヘキ戰艦二隻左ノ通命名セラル 大正七年度着手戰艦二隻 第一隻 加カ賀ガ 第二隻 土ト佐サ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.58『大正七年五月十五日(達七七)艦艇類別等級表中戰艦ノ欄「陸奥」ノ次ニ「、加賀、土佐」ヲ加フ』。長門型戦艦の拡大改良型である。 同型艦2隻(加賀、土佐)ともワシントン海軍軍縮条約により建造中止となったが、「加賀」は航空母艦に改装された。2番艦「土佐」は進水後に標的艦として使用され、1925年(大正14年)2月9日に自沈処分となった.

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名取 (軽巡洋艦)

名取(なとり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の3番艦である。その艦名は、宮城県を流れる名取川より名づけられた。.

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多摩 (軽巡洋艦)

多摩(たま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦 (軽巡洋艦)。 球磨型の2番艦。 その艦名は、多摩川に因んで命名された#艦船名考(1928)pp.236-237。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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大日本帝国海軍艦艇一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん、List of Japanese Imperial Navy Naval ship)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。この一覧はウィキペディア内に記事があるかを確認する便宜のためにあり、新規記事が到着したときにはここに追加される。 なお、陸軍船舶兵が保有していた船舶は大日本帝国陸軍兵器一覧#船舶を参照 なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷、大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦には斜線で表記する。.

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大日本帝国海軍艦艇類別変遷

大日本帝国海軍艦艇類別変遷(だいにっぽんていこくかいぐんかんているいべつへんせん)は、日本海軍の艦艇類別の変遷。.

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天龍 (軽巡洋艦)

天龍(てんりゅう#銘銘伝2014pp.142-143、天竜(てんりゅう)/てんりう)は、日本海軍の二等巡洋艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』(軽巡洋艦)で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である。艦名は遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた#日本海軍艦船名考pp.51-52、天龍(てんりゆう)。帝国海軍の軍艦としては初代天龍(木造巡洋艦)に続き2隻目となる。 戦後、海上自衛隊の訓練支援艦「てんりゅう」が就役した。.

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夕張 (軽巡洋艦)

夕張(ゆうばり / ゆふばり#海軍制度沿革8(1971)p.364『 大正十年十二月二十三日(達二二二) 軍備補充費ヲ以テ大正十年度佐世保海軍工廠ニ於テ建造ニ著手スヘキ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 夕(ユウ) 張(バリ) 』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 艦名は、夕張川(石狩川の支流)に由来する#日本海軍艦船名考pp.264-265幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ135(原本216頁)『夕張(ゆふばり) 艦種二等巡洋艦 艦名考川名に採る、夕張川は北海道石狩國夕張山勇拂境の山中に發する諸川の集合に名づく、下流は石狩川に會す。艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長齋藤二郎)。本艦は輕巡洋艦として最小の艦型にて最大の武力を有する艦である、球磨級以後の輕巡洋艦14隻が何れも排水量5,000噸以上で速力30節を有するのに對し、本艦は3,000噸に充たざる排水量を以て同一速力38節を出だし、武力は14糎砲1門を減じて6門を装備す、これら主砲は凡て艦首尾線上にありて兩舷に發射し得るのみならず、二聯装砲塔2基を備ふるなど、世界海軍國を驚かしたる艦にて實に造艦上劃期的のものである。―要目― 長132.59米/幅12.04米/喫水3.58米/排水量2,890噸/機關タルビン3基 艦本式罐8臺/馬力57,000/速力33/兵装 14糎砲6/8糎高角砲1/發射管4 起工 大正11-6-5/進水 同12-3-5/竣工 同12-7-31/建造所 佐世保工廠』。 同型艦はない軽巡二十五隻335-336頁『夕張型(一隻)夕張(ゆうばり)』。 主砲、発射管を全て中心線上に配置し、2890トンの船体に5500トン型の軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備え、速力も同等だったポケット海軍年鑑(1935)コマ38(原本58-59頁)『二等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目 由良又は鬼怒などの輕巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ輕快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』。 当時、世界の海軍から注目され、設計者の平賀譲大佐(当時のち将官)の名を一躍有名にした。.

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官報

官報を販売していた霞が関政府刊行物サービス・センター 『官報』(かんぽう)は、日本国の機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。.

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安芸 (戦艦)

安芸(あき)は#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.87『安藝(あき) 艦種一等戰艦 二檣(信號用)姉妹艦に薩摩あり。 艦名考國名なり、安藝國に採る。 艦歴明治39年3月15日起工、同40年4月15日進水、同44年3月11日竣工、右の如く竣工の遅延したるは本艦より1ヶ月後に進水した巡洋戰艦伊吹の完成を先きにしたるに由る。/大正3年乃至大正9年戰役(日獨)從軍:同3年8月第一艦隊第一戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐野村房次郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。―要目― 長492呎/幅83.66呎/喫水2.75呎/排水量19,800噸/機關 カーチス式タービン2 宮原式罐15臺/馬力21,600/速力20/乗組人員930/船材 鋼(装甲9吋)/兵装 12吋砲4 10吋砲12 6吋砲8 12听砲12 機關砲4 發射管5/起工 明治39-3-15/進水 同40-4-15/竣工 同44-3-11/建造所 呉工廠』、日本海軍の戦艦#達明治40年4月(1)p.13『達第三十九號 呉海軍工廠ニ於テ製造ノ甲號戰艦ヲ安藝ト命名セラル 明治四十年四月十五日 海軍大臣 斎藤實』。 艦名は安芸国に由来する。日本海軍の法令上は旧字体の安藝だが、本記事では「安芸」とする。日露戦争中に臨時軍事費(明治37年度)で計画され、薩摩とともに建造された2番目の戦艦。.

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富士 (戦艦)

富士(ふじ)は日本海軍の戦艦#達明治28年8月p.12『達第七十八號 英國ニ於テ製造中ノ甲號及乙號甲鐡戰艦並ニ呉鎮守府ニ於テ製造中ノ甲號報知艦左ノ通命名セラル 明治二十八年八月十六日 海軍大臣 侯爵西郷從道|甲號甲鐡戰艦 富フ士ジ|乙號甲鐡戰艦 八ヤ島シマ|甲號報知艦 宮ミヤ古コ』。 富士型戦艦の1番艦。日本海軍が初めて保有した近代的戦艦の1隻。 日本海軍の軍艦で最高厚の装甲を持つ(最高457mm)。 旧式化により海防艦へ類別変更。その後、練習艦として使用された。 艦名は日本の最高峰富士山にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ54(原本74頁)『富士(ふじ) 艦種戰艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考初代「富士山」の項(p.8)参照。艦歴戰艦富士は姉妹艦八島及び通報艦宮古と共に明治26年度に計畫せられたる艦なり。此三艦建造費は第二帝國議會に於て否決せられたるを以て、皇室費の内より支出し給へる年額30萬圓及び官吏俸給の10分の1を此軍艦製造に充て、實際は同25年より其の製造に着手し、次の議會に之が協賛を得て中途より國庫の支辨となりたる由來あり。明治30年6月14日領収、英國女皇陛下御即位60年祝典観艦式に日本代表艦として参加、同年8月17日竣工、同日英國出發、同10月31日横須賀到着。同31年3月一等戰艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第一艦隊第一戰隊、艦長大佐松本和):同37年8月黄海々戰参加、同38年5月日本海々戰参加、同38年12月戰艦の等級を廢せられる。大正元年8月一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役に從軍:同11年9月1日軍艦籍より除き、特務艦とし、同年12月1日運用術練習特務艦とし、現在に至る。―要目― 長374呎/幅73呎/吃水26呎/排水量12,300噸/機關 四汽笛直立三聯成汽機2基、圓罐/馬力13,500/速力18.25/乗組人員600/船材 ハーベイ鋼(甲鐡帶457粍)/兵装 12吋安式砲4/6吋安式砲10/12听安式砲16/2.5听安安砲4/發射管5/起工 明治27-8-1/進水 同29-3-31/竣工 同30-8-17/建造所 英國テームス』。 艦名としては明治初期の軍艦「富士山」に続いて2代目#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ16(原本8頁)『富士山(ふじやま) 艦種三檣「シップリグ」型「スループ」艦名考山名に採る。富士山は駿河國富士・駿東の二郡甲斐國南都留西八代の二郡に跨る。富士郡大宮町より7里30町駿東郡須走村より5里18町、南都留郡上吉田より3里餘にして其山頂に達す。標高12,467尺なり、富士山は別稱36あり、其の中、不二山・芙蓉峰・八葉嶽・四面山等は最も人口に膾炙する所なり。艦歴元治元年(1864)米國「ニュヨーク」にて製造、徳川幕府の軍艦、「富士山」と命名す、慶應元年横濱到着。明治元年4月徳川幕府より朝廷に納む、同9年10月機關を撤去す、同13年1月繋留練習艦とし、同18年12月運用術練習船とす。同22年5月軍艦籍より除き、船體を呉鎮守府海兵團に属し、後ち呉水雷隊敷設部に充て、同29年8月該船體を賣却す。(要目略)』。.

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尼港事件

廃墟となったニコラエフスク(尼港) ニーナ・レペデワ(レベジェワ)・キャシコ。その隣、左端の椅子に座った人物が副司令のラプタ。背後には日本人から略奪した屏風が見え、撮影時期は1920年4月と推定されている。 尼港事件(にこうじけん、Николаевский инцидент Nikoláyevskiy Intsidyént, Nikolayevsk Massacre『尼港事件と日本社会、一九二〇年』p.

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山城 (戦艦)

山城(やましろ)は、大日本帝国海軍(日本海軍)の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。.

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山川出版社

山川出版社(やまかわしゅっぱんしゃ)は、高校教科書(地歴公民科)・参考書・歴史関係の一般書などを刊行する日本の出版社である。.

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川内 (軽巡洋艦)

川内 (せんだい)は#達大正10年3月p.14『達第四十三號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ニ左ノ通命名セラル|大正十年三月十九日 海軍大臣 男爵 加藤友三郎|加古カコ 那珂ナカ 川内センダイ 神通ジンツウ』、14隻建造された日本海軍の5500トン型軽巡洋艦の最終型(3番目)である川内型軽巡洋艦の1番艦。.

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丹後 (戦艦)

丹後(たんご)は、大日本帝国海軍に所属した戦艦#達明治38年8月p.8『達第百十一號 戰利軍艦「ペレスウエート」外四隻左ノ通命名セラル 明治三十八年八月二十二日 海軍大臣男爵山本権兵衛|戰艦「ペレスウエート」 相摸/戰艦「ポルタワ」 丹後/一等巡洋艦「バヤーン」 阿蘇/二等巡洋艦「ワリヤーグ」 宗谷/二等巡洋艦「パルラダ」 津輕』。 元は、ロシア帝国海軍が建造したペトロパブロフスク級戦艦(ポルタヴァ級艦隊装甲艦)の1隻ポルタワ#福井戦艦物語壱108頁『◇丹後―ポルタワ』、ポルタヴァ(Полтава)である#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ67(原本101頁)『丹後(たんご) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、丹後國に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ボルタワ」。明治31年進水、露國聖彼得堡造船所にて建造。日露戰役中露國太平洋艦隊として明治39年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港打ちに於て破壊沈没。同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「丹後」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正元年一等海防艦に編入、同年3年乃至9年戰役(日獨)從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐秋澤芳馬)、同5年4月5日露國政府へ譲渡す。―要目― 長367呎/幅69呎/吃水25.6呎/排水量10,960噸/機關 直立三汽筩三聯成汽機2基、宮原式罐/馬力11,000/速力16/乗組人員750/船材 鋼(甲帶406粍)/兵装 12吋砲 4/6吋砲 12/3吋砲 10/47粍砲 4/發射管 4/起工 明治25/進水 同27-11-6/竣工 同31/建造所 露國セント・ピータースブルグ』。 姉妹艦にペトロパブロフスクとセヴァストポリがあるが、ともに日露戦争において沈没。本艦も旅順攻囲戦で大破、着底した。 その後、旅順要塞降伏時に日本海軍によって鹵獲され、戦利艦として「丹後」と改名してから再就役した。艦名は丹後国に由来する。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「讃岐」があった。.

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三笠 (戦艦)

三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存している。.

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乃木希典

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。 階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。.

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二十八糎砲

二十八糎榴弾砲(にじゅうはちせんちりゅうだんほう)は、1880年代に大日本帝国陸軍が開発・採用した榴弾砲。旧称は二十八珊米榴弾砲(にじゅうはちさんちめーとるりゅうだんほう)および二十八珊榴弾砲(にじゅうはちさんちりゅうだんほう)。 主に日露戦争に実戦投入された本砲はその火力を発揮し、日露戦争勝利の大きな立役者として活躍した。.

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五十鈴 (軽巡洋艦)

五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。完成時は高速軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、松永貞市、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出した。.

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佐世保鎮守府

佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)は、長崎県佐世保市にあった日本海軍の鎮守府である。通称は佐鎮(さちん)。.

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佐世保海軍工廠

1930年代の佐世保海軍工廠 佐世保海軍工廠(させぼかいぐんこうしょう)は、長崎県佐世保市にあった日本の海軍工廠。現在は佐世保重工業佐世保造船所、一部はアメリカ海軍の施設(通称佐世保ベース)になっている。.

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土佐国

土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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匝瑳胤次

| 氏名.

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北上 (軽巡洋艦)

北上(きたかみ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の3番艦。その艦名は、岩手県・宮城県を流れる北上川より名づけられた。.

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ペレスヴェート級戦艦

ペレスヴェート級戦艦(ロシア語:Эскадренные броненосцы типа "Пересвет"エスカードリェンヌィイェ・ブラニノースツィ・チーパ・ピリスヴィェート)は、ロシア帝国の建造した戦艦である。ロシア海軍では艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)に分類された。装甲巡洋艦の本質的な拡大型であり、のちに装甲巡洋艦に類別を変更されている。.

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ノット

ノット(knot, 記号 kn,kt)は速さの単位であり、1時間に1海里(1.852km)進む速さである。.

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マスト

マスト(mast)とは、帆船の甲板に帆を張るために立てられた垂直棒のことである。日本語ではそのままマスト、あるいは帆柱と訳す。「檣」の漢字で表記することもある。軍艦で、マストが発展した檣楼や、上構(セイル)と区別するため"信号檣"という呼称が使われる場合もある。.

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ハワイ州

ハワイ州(State of Hawaii 、Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州である。漢字では「布哇」と書く。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル (2,400 km) にわたっている。州全体が島だけで構成されることではアメリカ合衆国で唯一の州である。アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。130万人を超える人口の他に常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。.

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ハイラム・マキシム

ハイラム・マキシム ハイラム・マキシム(Hiram Maxim、1840年2月5日 以下の百科事典ではこの生没年月日となっている。.

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バルト海

3月のバルト海北部のボスニア湾は一部氷結している(衛星写真)。 バルト海(バルトかい、Baltic Sea)は、北ヨーロッパに位置する地中海。ヨーロッパ大陸とスカンディナビア半島に囲まれた海域である。ユーラシア大陸に囲まれた海域と説明されることもある「バルト海」『新版 地学事典』p.1046。 西岸にスウェーデン、東岸は、北から順にフィンランド、ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、南岸は、東から西にポーランド、ドイツ、デンマークが位置する。.

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バーベット

バーベット (barbette) とは、主に軍艦搭載用の砲台構造の一種で、上甲板に突き出した円筒形の装甲部を指す。その頂部に火砲が設置される。主砲や一部の副砲で用いられた。 近代的な砲塔式の軍艦では、バーベット部の上に砲塔の旋回部分が設置される。 バーベットの内部には、エレベーター状の揚弾筒など、弾薬庫から砲弾・装薬を揚荷するための設備が保護されている。バーベットは、内部に弾薬がある関係で被弾した場合の危険度が高いため、舷側の垂直装甲、甲板の水平装甲とならんで戦艦の装甲では重要視される。.

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ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公(ロシア語:Князь Потёмкин-Таврическийクニャースィ・パチョームキン・タヴリーチェスキイ)は、ロシア帝国で建造された戦艦である。艦名は「ポチョムキン=タヴリーチェスキー公爵」という意味。ロシア帝国海軍では当初は艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)、のち戦列艦(Линейный корабль)に分類された。ロシア第一革命の時期に水兵による叛乱が起こったことで世界にその名を知られた。特に、ポチョムキンという略称で有名である。艦名の日本語文献における表記は、次のような状況。; ポチョムキン・タヴリーチェスキー公; ポチョムキン・タヴリーチェスキー公爵; ポチョムキン・タヴリチェスキー公爵; ポチョムキン・タヴリチェスキー公; ポチョムキン公; ポチョムキン公爵; ポチョムキン・タヴリーチェスキー; クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー; クニャージ・ポチョムキン; クニャージ・ポチョムキン・タブリチャスキー; クニャーズ・ポチョムキン・タブリチャスキー; ポチョムキン ここまで、いずれの書籍においても略称である「ポチョムキン」は見られる。; ポチョームキン=タヴリチェスキー公爵; ポチョームキン.

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メートル

メートル(mètre、metre念のためであるが、ここでの「英」は英語(English language)による綴りを表しており、英国における綴りという意味ではない。詳細は「英語表記」の項及びノートの「英語での綴り」を参照。、記号: m)は、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの物理単位である。他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。 元々は、地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 倍した長さを意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は1秒の 分の1の時間に光が真空中を伝わる距離として定義されている。.

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メキシコ

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。首都はメキシコシティ。メキシコの総人口は約1億3千万人(2016年時点)で、スペイン語圏においては最も人口の多い国で、GDPは中南米2位である。しかし、人口の40%が貧困層である。.

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ロシア語

ア語(ロシアご、русский язык )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語。露語とも略される。ロシア連邦の公用語。ロシア連邦の国語表記には、キリル文字を使用する。近縁の言語にウクライナ語とベラルーシ語がある。.

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ロシア海軍

ア海軍(ロシアかいぐん、Военно-Морской Флот、略称:ВМФ)は、ロシア連邦が保有する海軍。旧ソ連海軍とは密接な関係があるので、ここでは一括して扱う。正式名称を直訳するとロシア連邦軍事海上艦隊となる。.

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ワシントン海軍軍縮条約

ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が取り決められた。華府条約(ワシントン条約)とも表記される。.

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ヴィリゲリム・ヴィトゲフト

ヴィリゲリム・カールロヴィチ・ヴィトゲフト(ロシア語:Вильгельм Карлович Витгефтヴィリギェーリム・カールラヴィチュ・ヴィードギフト;ドイツ語:Wilhelm Karlowitsch Withöftヴィルヘルム・カルロヴィッチ・ヴィートヘフト、1847年10月14日‐1904年8月10日)は、帝政ロシアの海軍軍人。日露戦争では旅順艦隊を率いて黄海海戦を戦ったが、戦死した。.

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ヴィッカース重機関銃

ヴィッカース重機関銃(ヴィッカースじゅうきかんじゅう、英:Vickers machine gun または Vickers gun)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の両大戦を通じて運用されたイギリス軍の制式重機関銃(ここでは便宜上重機関銃と呼ぶが、イギリス軍ではこの機関銃を中量級機関銃(Medium Machinegun)に分類している)である。.

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ボイラー

ボイラー(boiler)は、燃料を燃焼させる燃焼室(火室)と、その燃焼で得た熱を水に伝えて水蒸気や温水(=湯)に換える熱交換装置を持つ、水蒸気や湯、及びそれらの形で熱を、発生する機器である。 日本工業規格(JIS)や学術用語集ではボイラと表記されるほか、汽缶(きかん、汽罐)、あるいは単に缶やカマともいう。主に工場、建築物等で利用される熱や水蒸気をつくることや、蒸気機関車等の動力源として、古くから利用されており、現在でも火力発電所などの発電設備ならびに大型船舶では、蒸気タービンと並んで主要な設備である。 原子力発電所は加熱源としてボイラを原子炉に置き換えたもの。一般にボイラとは燃料の燃焼熱を加熱源とするものを指す。原子炉はボイラと比べて特異な点が多く、別の専門分野として扱われている。 給湯や温水暖房などでの利用のみを目的とし、高圧蒸気を発生させない物を、特に無圧ボイラーと呼んで区別する場合がある。.

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トン数

トン数(トンすう、噸数)とは、船の大きさをトンを単位として表したものである。大別して容積によって表すものと重量によって表すものがある。 日本の計量法体系は「トン数」の語は用いず、「トン」を特殊な計量である「船舶の体積の計量」に限定して用いる体積の計量単位、と認めており、後述の国際総トン数を採用して1000/353m3と定義している。計量法は単位「トン」の記号は「T」と定めている。.

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パルラーダ (防護巡洋艦)

パルラーダ、パルヲーダ#津軽引揚及回航pp.1-2『第九章津輕(元「パルヲーダ」)引揚及ヒ回航 第一節 損害程度及ヒ沈没原因』、パルラダ、パラーダ(ロシア語:Палладаパルラーダまたはパラーダ)は、ロシア帝国海軍のヂアーナ級防護巡洋艦である。 旅順攻囲戦で日本海軍に鹵獲(戦利艦)、二等巡洋艦「津軽」として再就役した#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.71『津輕(つがる) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用) 艦名考海峡名なり、津輕海峡に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「パルラダ」、明治32年露國「グレルヌイ」島海軍工廠にて進水。同37年2月日露戰役の劈頭、我が驅逐隊襲撃に於て先づ傷き、後ち8月10日の海戰に参加、其の後旅順港内に破壊沈没、同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「津輕」と命名。大正9年敷設艦に編入。同11年4月1日除籍。 ―要目― 長 416呎/幅 55呎/喫水 21.0呎/排水量 6,630噸/機關 横置三汽筒三聯成汽罐3基、ベルビル罐24臺/馬力 11,600/速力 20/乗組人員 532/船材 鋼(シーズド式)/兵装 15栂砲8 8栂砲12 機砲2 發射管3|起工 明治29/進水 同32-8-28/竣工 同35|建造所 露國グレルヌイ海軍工廠』。.

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ツェサレーヴィチ (戦艦)

ツェサレーヴィチ(Цесаревичツィサリェーヴィチュ)は、フランスで建造されたロシア帝国の前弩級戦艦である。艦名「ツェサレーヴィチ」は、ロシア皇帝の世襲皇太子の称号。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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ホッチキス QF 3ポンド砲

ホッチキス QF 3ポンド砲(QF 3 pounder Hotchkiss)とは水雷艇に対する防御のために1886年に開発された軽量で発射速度の速い47mm砲である。艦載速射砲だけでなく海岸防御や陸上でも使用された。 また、台に乗せたりして臨時の高射砲としても使用された。.

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周防 (戦艦)

周防(すはう/すおう)は日本海軍の戦艦#達明治38年10月p.9『達第百五十六號 戰利軍艦「ポピエダ」ヲ周防ト命名セラル 明治三十八年十月二十五日 海軍大臣男爵山本権兵衛』。 元はロシア帝国の前弩級戦艦ポベーダ(ロシア語:Победа、日本海軍の法令上はポピエダ、ペレスヴェート級)で、日露戦争の旅順攻囲戦で沈没。 その後、日本海軍に鹵獲されたものである帝国軍艦帖コマ95-96『一等海防艦 周防(舊名ポピエダ) 一、進水年月日 明治三十三年(月日不明)/一、排水量 一萬二千九百七十噸/一、馬力 一萬五千馬力/一、速力 十八節六/一、主砲 十吋砲四門 六吋砲十門/一、建造地及建造所 露國バルチック工廠/一、日清戰爭に参加したる際重要なる事項  /一、日露戰爭に参加したる際重要なる事項 開戰時露國太平洋第一艦隊の主力として旅順方面に在り三十七年八月十日黄海々戰に参加す同年十二月我攻圍軍の爲めに旅順西港内に於て撃沈せられ三十八年一月旅順開城と共に我有に歸す/一、日獨戰爭に参加したる際重要なる事項 第二艦隊司令長官海軍中将加藤定吉の旗艦として青島攻圍戰に参加し「イルチス」湛山並に海岸の諸砲臺に於ける十吋砲の効果は當時日英艦隊中其右に出づるものなく殊功を奏す青島開城後は太平洋の殘敵殲滅に從事す/一、其他特に重要なる事項 三十八年十二月旅順に於て浮揚し佐世保に廻航四十年十月横須賀に於て修理に着手し四十一年十月竣成完成す 以上』。 艦名は旧国名「周防国」にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ73(原本112頁)『周防(すはう) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、周防國に採る。 艦歴舊露國軍艦、原名「ポピエダ」、露國「ニュー・アドミラルチー」造船所建造、明治33年進水。日露戰役中に露國太平洋艦隊として明治37年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港内に於て破壊沈没、同39年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年10月25日帝國軍艦と定め「周防」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正元年一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(第二艦隊司令長官中将加藤定吉旗艦、艦長大佐丸橋彦三郎)、同11年4月1日除籍。―要目― 長435呎/幅71.5呎/吃水26.0呎/排水量12,674噸/機關 直立聯成汽機3基、ベルビル罐30臺/馬力14,500/速力19/乗組人員732/船材 鋼(シーズト式)/兵装 25拇砲 4/15拇砲 10/8拇砲 18/機砲 2/發射管 2/起工 明治31-8-1/進水 同33-5-24/竣工 同34/建造所 露國ニュー・アドミラルチー造船所』。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「伊豫」があった。 旧式化により一等海防艦に類別。その後、ワシントン海軍軍縮条約により廃棄される。本艦は解体中に転覆、自沈処分となった#福井戦艦物語壱109-110頁『◇周防―ポピエダ』#福井世界戦艦306頁『▽ポビエダ(Pobieda のちの周防)』。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アジア歴史資料センター

アジア歴史資料センター(アジアれきししりょうセンター、)は、日本の国の機関が保管するアジア近隣諸国との関係に関わる歴史資料を提供する電子資料センター。インターネットを通じ明治期から第二次世界大戦終結までの期間に関する情報提供を行っており、日本の国立公文書館によって運営されている。略称は「アジ歴」。アジア諸国との相互理解と相互信頼の構築、および他国と比べて遅れている歴史記録保存・公開を進める、といった目的を有している。これらの歴史記録は、例えば日本の近現代史に関する研究資料、近隣諸国との対話材料などに利用することが可能である。 2006年10月時点の公開画像は約1,270万画像であり、目録として85万3,000件のデータベースが公開されていた。アジア歴史資料センターによれば、毎年約15万件から20万件、画像数にして200万~300万画像ほどの資料が毎年追加公開されており、2011年4月の時点では、約2,246万画像、162万件の目録データを提供している。2016年3月末時点では、2,985万画像、206万件のデータを公開している。またデータ更新は四半期ごとを目処としている。 収録対象となっているのは、それぞれ日本の国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所戦史研究センターが保管するアジア歴史資料であり、デジタル化に応じて順次公開されている。センターでは、これらの公的機関が所蔵する資料は2,800万画像を越えると予測している。 アジア歴史資料センターの公開資料へのアクセスは、インターネットを利用して誰でも可能である。旧センター内では閲覧室で端末を用いた閲覧も可能だったが、事務所移転にともない、インターネット公開という特殊性から閲覧室は廃止された。画像はDjVu、JPEG 2000の2形式により保存・公開されていたが、PDF・JPEG方式へと移行した。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ

ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ造船 (William Cramp & Sons Shipbuilding Company)は、アメリカ合衆国の造船会社。1825年にウィリアム・クランプによって設立され、19世紀における主要な造船所であった。 アメリカン・シップ・アンド・コマース社 (American Ship & Commerce Corporation) が1919年に造船所を買収したが、1923年の海軍力制限条約に伴ってアメリカ海軍からの受注が減少し、1927年に閉鎖している。1940年に海軍は巡洋艦と潜水艦を建造するため2,200万ドルを費やし造船所を再開した。 主な艦艇にはバラオ級潜水艦などがある。しかしクランプ社製のバラオ級潜水艦は同社の技術力不足のためか工期延長を発生させることが多く、一部の艦では工作不良も生じた。こうしたことから海軍の評価は高くなく、工作不良が原因ではないものの、ランセットフィッシュの海没事故を契機として発注されていたバラオ級潜水艦は多くがキャンセルとなった。クランプ造船所は1947年に閉鎖され、デラウェア川に面する同造船所の敷地は工業団地となった。.

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オチキス

チキス(Hotchkiss )は1904年から1954年まで武器・兵器、自動車を製造したフランスのメーカー。アメリカ合衆国出身の技術者であるベンジャミン・ホチキス(Benjamin B. Hotchkiss)が1867年に設立した工場が母体である。.

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ガトリング砲

トリング砲(ガトリングほう)、ガトリング銃(ガトリングじゅう)またはガトリングガンは、1861年にアメリカ合衆国の発明家リチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品化された最初期の機関銃。日本に輸入されていた幕末・明治期にはガツトリング砲(または奇環砲、ガツトリングゴン連発砲)と呼ばれていた。 外部動力・多銃身式に分類される構造を持ち、複数の銃身を外部動力(人力やモーターなど)で回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返して連続的に発射する。 固有名詞としての「ガトリング砲」はガトリングが発明してアメリカで製造され、20世紀初頭まで使用された機関銃を、広義には同時代に他国でそのレプリカとして製作された多銃身の機関銃を指す。また、より広義にはそれと同様の連射構造を持ったガトリング形式の機関砲(機関銃)(Gatling type gun)の総称として「ガトリング砲」という呼称が用いられている。英語ではrotary canon、rotary autocannonとも呼ばれる。 以降は機関銃(砲)の形式としての「ガトリング砲」についても記述する。.

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クレーン

港湾用コンテナクレーン タワークレーン(クライミング式ジブクレーン) タワークレーン(フランス・パリ) クレーン(crane)あるいは起重機(きじゅうき)とは、巨大なものや重いものを吊り上げて運ぶ機械。.

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シェルブール=オクトヴィル

ェルブール=オクトヴィル(Cherbourg-Octeville)は、フランス北西部、イギリス海峡に突き出すコタンタン半島先端に位置する港湾都市である。バス・ノルマンディー地域圏マンシュ県に属する。2000年にシェルブールとオクトヴィルが合併し、現在の名称となった。 2016年1月1日、シェルブール=オクトヴィルおよびエクルドルヴィル=アンヌヴィル、ラ・グラスリー、クルクヴィル、トゥールラヴィルの合併により、シェルブール=アン=コタンタン(Cherbourg-en-Cotentin)となった。.

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スエズ運河

運河(スエズうんが、アラビア語:قناة السويس)は、エジプトのスエズ地峡(スエズちきょう)に位置し、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ、海面と水平な人工運河である。船だけではなく、大東電信会社の電信ケーブルも運河を通った。.

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ソ連・ロシア海軍艦艇一覧

連・ロシア海軍艦艇一覧は、ロシア帝国海軍、南ロシア軍、ロシア軍、赤色海軍、ソビエト社会主義共和国連邦海軍並びにロシア連邦海軍などが過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。国境軍の所属艦艇についてはソ連・ロシア国境軍艦艇一覧参照のこと。 なお、ロシア語では「級」と「型」を区別なく「тип」(「タイプ」に相当する語)で表すため、場合によっては「級」と「型」の訳語は入れ替わる場合がある。この他、「класс」(「クラス」に相当する語)や「серия」(「シリーズ」に相当する語)についても日本語では訳し分けが難しく、結局区別せずに「級」と訳す場合が多い。一方、英語で付けられたNATOコードネームは通常は「級」と訳される「class」という単語を用いているが、。計画番号・名称については原語では「型」に相当する単語は含まれていないが、日本語としての便宜上「проект xxx "ABCDE"」については「xxx号計画「ABCDE」型」のように意訳する。 こうした翻訳に関する諸事情があるが、日本語においては日本以外の艦船については一般にネームシップを旨とする類別には「艦級」、計画名(プロジェクト名)やコードネームなどネームシップを旨としない類別には「艦型」を用いているので、この一覧ではその日本語側の基準に順ずることとする。ただし、潜水艦についてはページが統一的に「級」で立てられているため、そちらに順ずる。 '凡例.

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タリン

タリン(Tallinn )は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国の首都。旧称はレバル(ドイツ語・デンマーク語: )、ロシア帝国時代の名はレーヴェリ()、ソビエト連邦時代の名はタリン()である。人口約42万人。旧市街は世界遺産『タリン歴史地区』に指定されている。 タリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つであり、2011年の欧州文化首都である。また、中世ハンザ都市の一つとして栄えた港湾都市で、現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つである。2008年にはNATOのサイバーテロ対策機関の本部が置かれた。 フィンランド湾南岸のタリンから、同湾北岸のヘルシンキまでは85km、同湾東奥のサンクトペテルブルクまでは350kmの距離である。.

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内地

内地(ないち).

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八島 (戦艦)

八島(やしま)は日本海軍の戦艦#達明治28年8月p.12『達第七十八號 英國ニ於テ製造中ノ甲號及乙號甲鐡戰艦並ニ呉鎮守府ニ於テ製造中ノ甲號報知艦左ノ通命名セラル 明治二十八年八月十六日 海軍大臣 侯爵西郷從道|甲號甲鐡戰艦 富フ士ジ|乙號甲鐡戰艦 八ヤ島シマ|甲號報知艦 宮ミヤ古コ』。 富士型戦艦の2番艦。 艦名は日本(日本列島)の美称の一つ#幕末以降帝国軍艦写真と史実第54コマ(原本75頁)『八島(やしま) 艦種戰艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考八島は日本國の總稱なり、古事記に伊弉諾命、伊邪那美命御合、生子御淡あは道ぢ之穂之狭さわ別けの島しま(今の淡路島)次生伊豫之二ふた名な(今の四國)次生隠岐之三子島、次生筑紫島(今の九州)次生伊岐之島、次生津島、次生佐渡島、次生大おほ倭やまと豊とよ秋津洲あきつしま(今の本州)故因此八島先所生、謂大おほ八島やしまの國くにとあり。艦歴明治30年9月9日英國にて竣工、同年同月15日英國出發、同年11月30日横須賀到着、前記「富士」と姉妹艦なり。同31年3月一等戰艦に列す、第一艦隊第一戰隊として日露戰役に從軍中、同37年5月15日旅順港外に於て敵の機械水雷に觸れ沈没、乗員無事(艦長大佐坂本一)。―要目― 長372呎/幅74呎/吃水26呎/排水量12,517噸/機關 直立三段膨張2基、圓罐/馬力13,600/速力18/乗組人員741/船材 ハーベイ鋼(甲鐡帶457粍)/兵装 12吋安式砲4/15拇砲10/47粍(速)砲24/發射管5/起工 明治27-12-28/進水 同29-2-28/竣工 同30-9-9/建造所 英國安社』。 日露戦争における旅順港閉塞作戦に従事中の1904年(明治37年)5月15日、ロシア海軍が敷設した機雷により戦没。.

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囲い堰

Olmsted Locks and Dam) を建設するためにイリノイ州オルムステッドに設けられた囲い堰 モントゴメリー・ポイント閘門の建設に際して設けられた囲い堰 「ラ・ベル」の修理に用いられた囲い堰 囲い堰(かこいぜき)あるいはコッファーダム/コファーダム()は、水のない環境で作業を行えるようにするために、水の中に囲いを建設してその中の水をポンプでくみ出せるようにした構造物である。一般的に石油プラットフォームや橋、ダムなどの建設と修理に用いられる。囲い堰は通常鋼鉄を溶接して造られた一時的な構造で、典型的には作業終了後に撤去される。シートパイル、外部の厚板、交差ブレースといったもので構成される。 造船の分野でも船を修理あるいは改造するにあたって、乾ドックに船を収容することが現実的でない場合には囲い堰を使うことがある。この例としては、船の延長工事といったものが挙げられる。この場合、船は水上に浮かべたままの状態で船体を2つに分割する作業を行って、その間に船を延長するための新しい部分を挿入する。船体自体に直接囲い堰を取り付けて、その中の水を抜き、そこに人間が入って船体のトーチ切断が行われる。その後船体の前後を引き離して間に新しい船体の部分を挿入する際には、一旦囲い堰が取り払われる。船体の前後と新しい部分を溶接してつなぎあわせる際に囲い堰が再び設置される。これを行うのは高くつくことがあるが、乾ドックを使ってやるともっと高くつくことがある。 囲い堰は、浅い水域で沈んだ船の修理に用いられることもある。たとえばアメリカ海軍の戦艦メインや、ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールの探検に使われたラ・ベル (La Belle) などの例がある。 2010年メキシコ湾原油流出事故において、石油流出を止めるために下部が開放された構造の100 トンのケーソンを深さ1 マイル以上の海底に沈めたが、これも囲い堰と呼ばれていた。メタンが冷たい海水でメタンハイドレートを形成して原油の吸入口を塞いでしまったため、この作戦は失敗に終わった。.

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国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

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石見 (戦艦)

石見(いはみ/いわみ)は、かつて大日本帝国海軍に所属した前弩級戦艦#海軍制度沿革(巻8、1940)第199コマ『◎戰利軍艦石見壹岐沖島見島命名ノ件 明治三十八年六月六日(達七三) 戰利軍艦「アリヨール」外三隻左ノ通命名セラル|戰艦「アリヨール」 石イハ見ミ|戰艦「インペラートルニコライ」第一世 壹イ岐キ|海防艦「ゲネラルアドミラル、アプラキシン」 沖オキノ島シマ|海防艦「アドミラル、セニヤーウヰン」 見ミ島シマ』。 日本海軍の類別は戦艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ69(原本105頁)『石見(いはみ) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、山陰道石見國に採る。艦歴舊露國軍艦、艦名「アリヨール」、明治35年進水、明治37・8年戰役中「バルチック」艦隊の一艦として、日本海々戰に参加、同38年5月28日日本海中の孤島竹島の南南西約18海浬の地點に於て我が艦隊之を捕獲す、同年6月6日帝國軍艦と定め「石見」と命名、同12月戰艦の等級を廢止せらる。 大正元年一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役に從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐小林惠吉郎)、同9年堪奈加方面警備(艦長大佐白根熊三)、同10年11年西比利亞方面警備、同11年9月1日除籍。― 要目 ― 長397呎/幅76呎/吃水26呎/排水量13,516噸/機關 直立四汽筩三聯成汽機2基、ベルビル25臺/馬力16,500/速力18/乗組人員730/船材 鋼(甲帶227粍)/兵装 30拇砲 4/20拇砲 6/8拇 16/5拇 2/機砲 4/發射管2/起工 明治33-6-11/進水 同35-7-19/竣工 同37-9/建造所 露國ガラーニイ』。 艦名は現島根県の西部にあった日本の旧国名「石見国」に由来する。 本艦の守護神として同県の大田市にある物部神社 (大田市)から宇摩志麻遅命の神像が奉られていた。この神像は後に物部神社へ奉納された。.

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砲塔

アイオワ(BB-61) 砲塔(ほうとう、Gun Turret)は、火砲の操作員や機構を保護すると同時に、さまざまな方向に照準し発射できるようにする装置である。ここでは砲塔の前段階的装置である砲郭も併せて解説する。 砲塔は通常、兵器を搭載する回転式のプラットフォームであり、対艦用の陸上砲台など要塞化された建造物・構造物のほか、装甲戦闘車両、水上艦艇、軍用機にも取り付けることができる。 砲塔には、単数または複数の機関銃、機関砲、大口径砲、ミサイル・ランチャーを装備することができる。また、有人操作のものも、遠隔制御のものもあり、装甲が施されていることが多い。小型の砲塔や、大型の砲塔に付属する副砲塔はキューポラと呼ばれる。ただしキューポラという用語は、武器を搭載せず、戦車長などが観測のために用いる回転塔を意味する場合もある。 砲塔による防護の目的は、兵器とその操作員を戦闘による損害、天候、周囲の状況、自然環境などから守ることである。 砲塔(ターレット)の語源は、要塞において建物や城壁の上に建てられた防御用構造物、「小塔(ターレット、Turret)」に基づいている。これに対して地面に直接建っている構造物は塔(タワー、tower)と呼ばれる。.

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神風 (2代神風型駆逐艦)

本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする(かみかぜ)は日本海軍の2代目神風型駆逐艦の1番艦#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪」。1922年(大正11年)に竣工した日本軍艦集2600年版p.47「一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。」。日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の初代神風型駆逐艦・神風に続いて2隻目。太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で輸送や護衛に従事した。ペナン沖海戦、米潜水艦ホークビルとの死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。.

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福井静夫

福井 静夫(ふくい しずお、1913年(大正2年) - 1993年(平成5年)11月4日)は、大日本帝国海軍の技術科士官(最終階級は少佐)、艦艇研究家。専攻は造船。 三男・威夫は本田技術研究所社長、本田技研工業代表取締役社長などを歴任した。.

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稲子恒夫

子 恒夫(いなこ つねお、1927年2月7日 - 2011年8月23日)は、ソビエト法・社会主義法研究者。 1948年東京大学法学部卒業。名古屋大学で法学部長を務めた。1990年名古屋大学名誉教授。日中友好協会愛知県連合会顧問。.

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第3軍 (日本軍)

3軍(だいさんぐん)は大日本帝国陸軍における軍の一つ。 第3軍は日露戦争に当って1904年(明治37年)5月に編成されたものと、日中戦争期の1938年(昭和13年)1月に編成されたものとに分かれる。前者は乃木希典大将が指揮した部隊で、満州軍に所属し日露戦争の終結とともに解隊された。後者は関東軍の指揮下にあって太平洋戦争(大東亜戦争)後解隊された。.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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由良 (軽巡洋艦)

由良(ゆら)は、日本海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦)ポケット海軍年鑑(1935)コマ33(原本48-49頁)『二等巡洋艦"由良 ゆら" 全要目 由良は昭和10年度は第二潜水戰隊に編入されその旗艦である。二等巡洋艦は俗に輕巡とも云はれ、ロンドン條約以來は又乙級巡洋艦と稱せられるやうになつた。即ち排水量1,850噸以上10,000噸以下の艦で備砲口徑が5.1吋を超え6.1吋(15.5糎)以下のものがこれである。この艦は全長152.40米、幅は14.40米で平均吃水4.84米。この寫眞で目新しいのは前部の飛行機滑走臺を撤去してこれを後部の5、6番14糎砲の中間にカタパルトとして移してゐることゝ、後檣を三脚式に改造されてゐる點である。煙突の白線は同型艦の多い戰隊では見分がつきがたいためそれを補ふためのマークである。』日本軍艦集(2600年版)コマ34(原本38頁)『―二等巡洋艦― 由良(ゆら) 基準排水量5,170噸、長さ152.4米、幅14.4米、平均吃水4.84米、速力33節、備砲14糎砲7門、8糎高角砲2門、魚雷發射管8門、起工大正10年5月21日、進水大正11年2月5日、竣工大正12年3月20日、建造所佐世保海軍工廠―名取と同型。なほこれらの同型艦として鬼怒(大正11年11月10日竣工)がある。』。 その艦名は、若狭湾に注ぐ由良川に因んで名付けられた幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ134(原本215頁)『由良(ゆら) 艦種二等巡洋艦 球磨型 艦名考川名に採る、由良川は丹後國にあり、音無瀬川 一名 大雲川 又は福地川の下流にして其の海口を由良港とす。 艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長大佐谷本馬太郎)。/―要目― 長152.40米/幅14.40米/喫水4.84米/排水量5,170噸/機關タルビン4臺 艦本式罐12臺/馬力90,000/速力33/兵装 14糎砲7/8糎高角砲2/發射管8 起工 大正10-5-21/進水 同11-2-15/竣工 同12-3-20/建造所 佐世保工廠』。.

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煙突

煙突(えんとつ)とは、燃焼の過程で排出されるガスが持つ上昇気流を風による外乱から守り、燃焼を促進させる筒状の構造物である。人体に不快・有害な煙などの屋内での拡散を防ぐ効果もある。.

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相模 (戦艦)

模(さがみ)は、日本海軍に所属した戦艦#達明治38年8月p.8『達第百十一號 戰利軍艦「ペレスウエート」外四隻左ノ通命名セラル 明治三十八年八月二十二日 海軍大臣男爵山本権兵衛|戰艦「ペレスウエート」 相摸/戰艦「ポルタワ」 丹後/一等巡洋艦「バヤーン」 阿蘇/二等巡洋艦「ワリヤーグ」 宗谷/二等巡洋艦「パルラダ」 津輕』。 元は、帝政時代のロシア海軍の戦艦ペレスヴェート(ロシア語:Пересвет)、日本海軍の法令上はペレスウェート、日露戦争(旅順攻囲戦)において沈没。その後、日本海軍に鹵獲されたものである。 艦名は旧国名「相模国」にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ70(原本106頁)『相模(さがみ) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、東海道相模國に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ペレスウェート」。露國「ニュー・アドミラルチー」造船所建造、明治31年進水、日露戰役中露國太平洋艦隊として明治37年8月10日黄海々戰に於て(公爵「ウフトムスキー」少将坐乗)我が軍と交戰、後ち旅順港内に於て破壊沈没。明治38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「相模」と命名す。同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正5年一等海防艦に編入、同年4月4日露國政府へ譲渡す。―要目― 長435呎/幅750呎/吃水27.25呎/排水量12,674噸/機關 直立三汽筩三聯成汽機3基、ベルビル罐30臺/馬力14,500/速力19/乗組人員732/船材 鋼(シーズト式)/兵装 25拇砲 4/15拇砲 10/8拇砲 16/2.5听砲 4/發射管 2/起工 明治28-11-21/進水 同31-5-19/竣工 同34-6/建造所 露國ニュー・アドミラルチー造船所』。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「阿波」があった。.

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鎮遠 (戦艦)

鎮遠(ちんえん, Zhen Yuen)は、清国海軍がドイツのフルカン・シュテッティンに発注して建造した甲鉄砲塔艦「定遠級」の1隻。建造当時東洋一の堅艦と呼ばれた。日清戦争において日本海軍に鹵獲され、戦後に戦利艦として日本海軍に編入された。.

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衝角

衝角が敵艦の船腹を突き破る様子を描いた模式図。水線付近の舷側装甲帯を避け、その下を突いている。 衝角(しょうかく)は、軍船の船首水線下に取り付けられる体当たり攻撃用の固定武装である。 英語では ram と呼ばれる。.

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装載艇

装載艇(そうさいてい)は、日本海軍の艦艇(軍艦)に搭載する小型ボート。一般には艦載艇(かんさいてい)と言われる。要目簿では装載短艇(そうさいたんてい)と表記された。 港湾設備が不十分な時代では艦艇の接岸できる岸壁の数も足りなかった。そのため入港した艦艇の多くは沖合に停泊し自艦搭載の装載艇で陸上との交通や物資の輸送を行った。その他泊地での警戒や舷外塗装での足場、艦艇同士の交通などの雑用にも使われた。また航行中はカッターを救命艇として準備した。.

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複式機関

複式機関(ふくしききかん、compound engine)は、蒸気機関の種類の1つで、蒸気を2段階またはそれ以上の多段階に分けて膨張させるものである。.

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馬力

力(ばりき)は工率の単位である。今日では、ヤード・ポンド法に基づく英馬力、メートル法に基づく仏馬力を始めとして、馬力の定義はいくつかある。日本の計量法では、仏馬力を特例的に当分の間のみ認めており、 正確に 735.5 ワットと定義している。 国際単位系 (SI) における仕事率、工率の単位はワット (W) であり、馬力は併用単位にもなっていない。.

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魚雷発射管

魚雷発射管(ぎょらいはっしゃかん)は艦艇から魚雷を発射させる装置である。発射口が水面上にあるものを水上発射管(すいじょうはっしゃかん)、水面下にあるもの(および潜水艦に装備したもの)は水中発射管(すいちゅうはっしゃかん)という。 管状の構造をしており、管内に魚雷を装填、艦外へ向けた一方の口から発射する。.

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豊後水道

豊後水道(画面中央の豊予海峡より南の海域) 高島 豊後水道(ぶんごすいどう)は、九州の大分県と四国の愛媛県に挟まれた水道である。北で瀬戸内海(伊予灘)、南で太平洋(フィリピン海(日向灘))に接する。ただし、豊後水道北部を瀬戸内海に含めることもある。また、愛媛県に近い水域を宇和海(うわかい)と呼ぶ。 豊後水道が最も狭くなった部分が、大分県大分市(旧佐賀関町)の関崎と、愛媛県伊方町(旧三崎町)の佐田岬の間の豊予海峡であり、その海峡の幅は約14kmである。 かつてはニタリクジラまたはカツオクジラ(現在でも土佐湾に定住する)を始め多くのクジラが見られたとされ、現在でもハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、ハセイルカの3種類のイルカが定住する。.

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黄海海戦 (日露戦争)

海海戦(こうかいかいせん)は1904年(明治37年)8月10日に大日本帝国海軍連合艦隊とロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)との間で戦われた海戦。この海戦でロシア太平洋艦隊の艦船は激しく損傷し、以後大規模な海戦を行うことはなかった。.

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船体

船体(せんたい)とは、船の中で、櫓・帆・エンジンなどの動力部分や、軍艦での銃砲などの装備を除いた、これだけあれば水に浮くことができる部分。 船体には古くから木材など舟形にせずとも水に浮くもの(水より比重が小さいもの)を使用することが多かったが、鋼板や繊維強化プラスチック製のものが増えてきた。この原因には、木材自体が鋼板などに比べ高価になってきたことや、耐腐食性や強度に問題があることが挙げられる。 構造上、一つの船体のみをもつ通常の船舶のことを単胴船(たんどうせん)といい、船体を複数個平行に繋いだ船を多胴船(たどうせん)といい、以下のものが挙げられる。.

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薩摩 (戦艦)

薩摩(さつま)は#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.85『薩摩(さつま) 艦種一等戰艦 二檣(信號用)安藝と姉妹艦。 艦名考國名なり、薩摩國に採る。 艦歴本艦は日露戰役の教訓により副砲を始めて10吋砲とし、所謂弩級戰艦の先驅をなしたるもの、大正3年乃至大正9年戰役(日獨)從軍:同3年9月第蓋南遣支隊に属し西「カロリン」群島の警戒及占領に任ず(司令官中将松村龍雄旗艦、艦長大佐吉島重太郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。 ―要目― 長482呎/幅83.5呎/喫水2.75呎/排水量19,370噸/機關 直立三聯成汽罐2基 宮原式20臺/馬力17,300/速力18.25/乗組人員930/船材 鋼(甲帶9吋)/兵装 12吋砲4 10吋砲12 4.7吋砲12 12听砲12 機關砲4 發射管5/起工 明治38-5-15/進水 同39-11-15/竣工 同42-3-25/建造所 横須賀工廠』、日本海軍の戦艦#達明治39年11月p.6『達第百四十九號 横須賀海軍工廠ニ於テ製造ノ乙號戰艦ヲ薩摩ト命名セラル 明治三十九年十一月十五日 海軍大臣 斎藤實』。 艦名は薩摩国に由来する。 日本が初めて自国で建造した戦艦である。日露戦争中の明治37年度の臨時軍事費で建造された。準同型艦に「安芸」がある。.

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肥前 (戦艦)

肥前(ひぜん)は、かつて大日本帝国海軍に所属した前弩級戦艦である。艦名は現佐賀県、長崎県(対馬市・壱岐市除く)にあった日本の旧国名「肥前国」に由来する。.

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肥前国

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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野風 (駆逐艦)

野風(のかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の13番艦(野風型1番艦)である。「野風」以降の3隻は兵装の配置を変更したため、「野風型」或いは「峯風改型」と呼ばれることがある。.

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釜屋忠道

釜屋 忠道(かまや ちゅうどう、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1939年(昭和14年1月19日)は日本の海軍軍人。手旗信号の改良で功績があり、日清戦争では第一遊撃隊参謀、日露戦争では「龍田」、「佐渡丸」の艦長として歴戦した海軍中将である。旧名は源五郎。.

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金剛 (戦艦)

金剛(こんごう/こんかう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦#達明治45年5月p.6『達第五十八號 英國ニ於テ建造ノ伊號装甲巡洋艦ヲ金剛ト命名セラル 明治四十五年五月十八日 海軍大臣 男爵 齋藤實』#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|戦艦|金剛型|金剛、榛名、霧島』。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、大東亜戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が大東亜戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあったただし、前弩級戦艦であった敷島型戦艦朝日が工作艦として太平洋戦争に実戦参加。。.

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長門 (戦艦)

長門(ながと)は、旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』。長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。.

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長良 (軽巡洋艦)

長良(ながら)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の1番艦。その艦名は、長良川から因んで名付けられた。.

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艦砲

艦砲(かんぽう)は艦船に武装として搭載された砲のこと。艦載砲とも呼ばれる。 歴史上においては軍艦の飛び道具としてカタパルトや大型の弩弓(バリスタ)を艦船に搭載した例がある。.

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艦橋

武蔵」の艦橋が置かれた檣楼 艦橋(かんきょう)は、軍艦の上甲板上の檣楼内など高所に設けられた指揮所。船橋(せんきょう、ふなばし)と同様。英語のままブリッジ(bridge)ともいう。檣楼、上構(セイル)などと混同されがちである。.

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速射砲

速射砲(そくしゃほう)とは発射速度の早い砲のことを言う。砲の口径や発射速度などにはっきりした定義はない。通常中口径の砲で、毎分10 - 40発以上を発射可能なものを指すことが多い。装填作業が人間の操作を介さずに全自動で行われる小口径のもの(40mmないし57mm程度まで)は速射砲とは呼ばれず機関砲と呼ばれる。艦載砲のほか、陸上部隊の対戦車砲なども速射砲と呼ばれることがある。.

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連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。.

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陸奥 (戦艦)

奥(むつ)は、大日本帝国海軍の戦艦#達大正6年8月p.7『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戦艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正六年八月二十日 海軍大臣 加藤友三郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 陸奥 ムツ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 球磨 クマ|三菱合資會社長崎造船所ニ於テ建造 二等巡洋艦 多摩 タマ』。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名・陸奥国を名前の由来に持つ。帝国海軍の象徴として日本国民から親しまれたものの、1943年(昭和18年)6月8日に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。.

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排水量

排水量(はいすいりょう、)とは、艦船の重量を示す数値。主として艦艇について用いられる。トン数の一種であり、排水トン数とも称される。.

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東洋書店

株式会社東洋書店(とうようしょてん、英称:Toyo Shoten Co., Ltd.)は理工・医薬・語学・人文書などを手がけていた日本の出版社。.

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標的艦

標的艦(ひょうてきかん)は海軍の艦種の一つである。名前のとおり、爆撃訓練や砲撃訓練、新型砲弾・ミサイルの実験などで標的として使うことを目的とする軍艦である。(分類上は艦船とされる場合も多くあいまいである。詳しくは軍艦の項目を参照。)標的艦は実艦的とも呼ばれる。 無線操縦式標的艦となった「摂津」 廃艦(廃船)となった艦船の船体をそのまま実弾の標的として処分することもよくある。すでに艦船ではなく単なる標的なので艦と呼ぶのは不適切な表現だが、こちらもしばしば標的艦と呼ばれる。.

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比叡 (戦艦)

比叡 (ひえい)は、大日本帝国海軍(以下日本海軍)の巡洋戦艦、戦艦、練習戦艦。.

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水雷艇

水雷艇(すいらいてい、torpedo boat)とは、各国海軍で使用されていた水雷装備で敵を攻撃する小型艦艇である。日本では通常、魚雷を主兵装とする魚雷艇とは区別されるが、水雷艇を魚雷艇ということもある。.

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沼風 (駆逐艦)

沼風(ぬまかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の15番艦(野風型3番艦)である。.

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波風 (駆逐艦)

波風(なみかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の14番艦(野風型2番艦)である。.

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潮書房光人新社

株式会社潮書房光人新社(うしおしょぼうこうじんしんしゃ)は、日本の出版社。月刊誌『丸』および書籍の出版・販売を行う。.

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朝日 (戦艦)

朝日(あさひ)は、日本海軍の戦艦日本補助艦艇物語217頁『工作艦(1)朝日』。.

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戦艦

アイオワ」1958年に現役を退いた本艦であったが、ロナルド・レーガンの掲げる「力による平和」戦略の一環として生まれた600隻艦隊構想のもと、同型艦とともにミサイル艦として近代化改装を受け、1984年に現役復帰を果たした(2006年除籍)。 戦艦(せんかん、battleship)とは、軍艦の艦種の一つである。強大な艦砲と堅牢な装甲を備え、海戦が主に砲撃戦に頼った時代に、海上決戦の主力となることに特化していた。第二次世界大戦頃までは、各国家の軍事力の象徴的存在であり、世界のパワーバランスを左右する戦略兵器ともされていた。しかし第二次世界大戦において航空戦力の威力が高まり、艦隊主力の地位を航空母艦に譲った。 第二次世界大戦後は、戦艦は運用機会や存在意義自体が失われ、現在では戦艦と呼ばれる艦種を運用する国はない。.

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戦艦一覧

戦艦一覧(せんかんいちらん)では、世界各国の戦艦を一覧表にする。基準として20センチメートル(cm) を超える艦砲(主砲)を有し、装甲を持ち、各国海軍の主力として建造された艦をまとめた。 この記事では世界で最初に蒸気機関のみで航行する装甲艦を発明したフランス海軍から順に、装甲艦を導入した順から各国の戦艦を竣工順に並べる。.

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明治天皇

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。.

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春日 (装甲巡洋艦)

春日(かすが)は、日本海軍の軍艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ64(原本95頁)『春日(かすが)【二代】 艦種一等巡洋艦 一檣(信號用)日進と姉妹艦なり 艦名考初代「春日」の項(p.7)参照。艦歴此艦は元亞爾然丁國の軍艦「リヴァダヴヰア」なり、伊太利に於て建造中、明治36年12月30日帝國政府之を購入す、同37年1月1日「春日」と命名、同月7日領収、同年2月16日横須賀着(回航委員長中佐鈴木貫太郎)、同37・8年戰役に從軍(第一戰隊):同37年10月黄海々戰に参加(艦長大佐大井上久麿)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐加藤定吉)、大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年10月第三艦隊に属し中南支方面の航路警戒通商保護に任ず(艦長大佐奥田貞基地、同坂本重國)、同5年7月特別任務の爲め日進と共に浦鹽に回航、特殊貨物搭載、加奈陀「エスカイモルト」に回航(艦長大佐中里重次)、同6年4月第一特務艦隊に属し支那海・印度洋方面の作戰及び通商保護任務に服す(艦長大佐大谷幸四郎、同宇佐川知義)、同9年5月北米合衆國「メーン」州合併百年祭々典参加の爲め「ポートランド」に回航(艦長大佐寺岡平吾)、同12月第二遣外艦隊に属し南洋方面警備(艦長大佐高橋宗三郎)、同10年一等海防艦に編入。同10年9月東亞露領沿岸警備の爲め派遣さる、此の任務中三笠救難作業に從事(艦長同前)、同14年12月1日運用術練習艦と定めらる。昭和6・7年事變(日支)從軍、同9年1月内外日蝕観測隊57名を南洋「ローソップ」島に輸送するの任務に從事、同年10月1日海軍航海學校設立に依り運用術練習艦の任務を解かれ、同校附属練習艦となる。―要目― 長357呎/幅61.5呎/吃水25.25呎/排水量7,750噸/機關 汽筩直立三聯成汽機3基 艦政式罐12臺/馬力13,500/速力20/乗組人員525/船材 |兵装 10吋砲 1/8吋砲 2/6吋砲 14/12听砲 20/3听砲 6/マキシム機砲 2/發射管 4/起工 明治35-3-10/進水 同35-10-12/竣工 同37-1-7/建造所伊國アンサルド社』。 日本海軍の類別は一等巡洋艦(装甲巡洋艦)#達明治37年1月p.1『達第二號 軍艦及水雷艇類別等級別表中巡洋艦一等ノ欄内ニ「春日」「日進」ヲ追加ス 明治三十七年一月一日 海軍大臣 男爵山本権兵衛』。 春日型装甲巡洋艦の1番艦。同型艦は日進。 「春日」は日露戦争で活躍。旧式化により1921年(大正10年)9月1日附で海防艦に類別変更される#達大正10年9月p.1『達第百六十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 大正十年九月一日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|戰艦ノ欄内「敷島、朝日、三笠、肥前、」ヲ、巡洋艦一等ノ欄内「淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「千歳、須磨、明石、新高、對馬、」ヲ削ル|海防艦一等ノ欄内「周防」ノ次ニ「、敷島、朝日、三笠、肥前、淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「武藏」ノ次ニ「、千歳、須磨、明石、新高、對馬」ヲ加フ』#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ149(原本237頁)『春日(かすが)〔再出〕 艦種海防艦 艦名考 艦歴}既に「日清戰役後、日露戰役迄の艦艇」の部に出づ(p.95)。對島(つしま)〔再出〕 艦種海防艦〔註】寫眞・要目共「日清戰役後、日露戰役迄の艦艇の部参照(p.94) ―要目―(略)』。 その後は練習艦(運用術練習艦)として運用された日本補助艦艇物語240-242頁『運用術練習艦』。太平洋戦争終結直前の1945年(昭和20年)7月18日、横須賀で空襲を受け沈没した。 艦名は春日山に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ15(原本7頁)『春日(かすが)【初代】 艦種通報艦 三檣「トップスル・スクーナー」 艦名考山名に採る、春日山は大和國添上郡春日郷(今奈良市)の東に聳ち、一邑の主山なり、古より神霊の宅と爲す。北は若草山、南は高圓山、左右に脇侍するものの如し、山下に春日神社あり。艦歴文久3年(1863)英國に於て竣工、元来鹿兒島藩の軍艦、明治3年同藩より献納、明治10年西南戰役從軍、明治27年2月除籍。(要目略)』。 日本海軍艦艇の艦名としては2代目(初代は、江戸時代末期から明治初期の春日艦)。.

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海防艦

海防艦(かいぼうかん)は、戦闘用艦艇の一種コマ55(原本58頁)『海コースト防デフェンス艦シップ 海防艦ハ海岸防禦ニ必要ナル軍艦ニシテ戰艦ト等シク攻撃防禦ノ兩力ヲ完全ニ備フルヲ要ス然レモ遠ク外國ニ派遣セラレザル爲メ石炭積載量及ビ速力ハ多キヲ要セズ而シテ喫水ヲ成ルベク淺ク製造スルハ之レヲ淺水中ニ利用シテ敵艦ニ當ラシムニアリ實ニ此艦ハ水雷艇、布設水雷及ビ海岸砲臺等ノ如キ防港機關ノ補助ヲ得テ自國ノ海岸ヲ防禦スルノ任務ヲ盡スベキモノトス』。.

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海里

海里(かいり、浬、nautical mile)は、長さの計量単位であり、国際海里 (international nautical mile) の場合、正確に 1852 m である。元々は、地球上の緯度1分に相当する長さなので、海面上の長さや航海・航空距離などを表すのに便利であるために使われている。英語では、sea mile とも呼ばれる。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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日進 (装甲巡洋艦)

日進(にっしん)は、日露戦争で活躍した旧日本海軍の春日型装甲巡洋艦の2番艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は春日。.

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旅順口区

旅順口区(りょじゅんこうく)は中華人民共和国遼寧省大連市に位置する市轄区。遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られて、かつては旅順軍港の軍港都市であり、現在は大連市に編入されている。区人民政府の所在地は新城大街1号にある。大連市内からは45kmの距離で、国家級風景名勝区、国家級自然保護区に指定されている。陸地面積506.8平方km、海岸線の長さは169.7km。沿海では真珠の養殖が盛んである。 旅順口区政府は2009年3月20日付の招待会で、旅順口区を外国人にも開放し、軍事禁区以外は外国人も訪問できるようになったと発表した。しかし、この発表は大連市や国家レベルの承認も得たものでない旨、日本領事館大連事務所から注意喚起されている。市および国家からの正式文書を得た段階で、下の「現状」にある訪問制限の記述も変更される。.

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旅順口攻撃

旅順口攻撃(りょじゅんこうこうげき)は日露戦争の開戦した1904年(明治37年)2月から5月にかけて行われた大日本帝国海軍連合艦隊によるロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)に対する攻撃。 日本海軍は、日本本土から大陸への海上輸送を脅かすロシア艦隊を無力化するため、旅順口攻撃を計画した。日本海軍は水雷夜襲等による八次にわたる攻撃と三回の閉塞作戦を実施した。 この攻撃でロシア太平洋艦隊は旅順に封じ込まれ、本土から大陸までの陸軍の揚陸や補給が容易になった他、第一次日韓協約が締結されるなど戦地に連なる韓国との外交関係を有利なものとした。しかし、旅順港に籠るロシア艦隊に決定的な打撃を与えることには成功せず、艦隊が温存されたことにより日本から満州に到る制海権が脅かされたため、陸上側からの旅順要塞の攻略が必要となった。.

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旅順要塞

清の時代の沿岸砲台であるとされるもの 1906年に描かれた旅順の地図。要塞の拠点が地図上に示されている。 要塞遺構の内部 旅順要塞(りょじゅんようさい)とは、遼東半島先端部の旅順にあった要塞。近代において旅順軍港は清帝国、ロシア帝国、大日本帝国、中華人民共和国に利用され、その軍港を防衛するための拠点として旅順要塞は建設・運用された。.

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旅順港閉塞作戦

旅順港閉塞作戦(りょじゅんこうへいそくさくせん)とは、1904年(明治37年)2月からの日露戦争における旅順口攻撃において、大日本帝国海軍が行ったロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦(閉塞作戦)である。三次にわたって行われたがいずれも旅順港を十分封鎖するに至らなかった。.

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旅順攻囲戦

3軍の旅順への前進 第3軍による旅順包囲 攻撃準備中の日本軍 砲撃によって生じた黄金山麓石油庫の火災 旅順攻囲戦(りょじゅんこういせん、Siege of Port Arthur, 1904年(明治37年)8月19日 - 1905年(明治38年)1月1日)とは、日露戦争において、ロシア帝国の旅順要塞を、日本軍が攻略し陥落させた戦いである。.

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摂津 (標的艦)

摂津(せっつ)は、日本海軍の戦艦#達明治44年3月p.10「達第三十三號 呉海軍工廠ニ於テ製造ノ呂號戰艦ヲ攝津ト命名セラル 明治四十四年三月三十日 海軍大臣男爵 齋藤實」#達明治44年3月p.10「達第三十四號 艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「河内」ノ次ニ「攝津」ヲ加フ 明治四十四年三月三十日 海軍大臣男爵 齋藤實」。日本海軍の法令上は旧字体の攝津であるが、本項目では摂津とする。 姉妹艦は「河内」幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ89(原本140頁)「攝津(せっつ)【二代】艦種戰艦 二檣(三脚式)(信號用)河内と姉妹艦なり艦名考初代「攝津」の項(p.10)参照艦歴明治42年1月18日起工、同45年7月1日竣工。大正3年乃至9年戰役(日獨)從軍(第一艦隊第一戰隊司令長官中将加藤友三郎旗艦、艦長大佐木村剛)、同8年特別大演習中御召艦となる(艦長大佐古川弘)、同13年大演習、14年、15年小演習統監艦となる。同12年10月1日軍艦籍より除き、特務艦(標的艦)と定む。(備考)本艦は海軍々備制限に關する華府條約に由り、同條約第二章第二節中、軍艦を専ら標的用に變更することの規定に循ひ其處分を了し、戰闘任務に堪へざるものと爲したる上、茲に標的艦に編入せられたるものなり。―要目― 長500呎/幅84呎/吃水28呎/排水量20,800噸/機關 パーソンスタルビン4軸 宮原罐16/馬力25,500/速力20.5/乗組人員960/船材 鋼(クルップ甲鐡12吋)|兵装 12吋12/6吋10/4.7吋8/3吋16/機砲4/發射九だ5/竣工 明治42-1-18/進水 同44-3-30/竣工 同45-7-1/建造所 呉工廠」。 後に標的艦(特務艦)となった幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ189(原本284頁)「攝津(せっつ)【再出】 艦種特務艦 艦名考 艦歴}「日清戰役以降、日露戰役迄の艦艇」の部参照(p.140) ―要目― 長152.40米/幅25.60米/吃水7.09米/排水量16,130噸/速力21/竣工 明治42-1-18/進水 同44-3-30/竣工 同45-7-1/建造所 呉工廠」。駆逐艦「矢風」によって遠隔操作される無人艦というのが一般的に知られている。 艦名は旧国名「摂津国」にちなんで命名された幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ17(原本10頁)「攝津(せっつ)【初代】 艦種砲艦 三檣「シップリグ」型艦名考國名(畿内五箇國の一)に採る。艦歴明治元年(1864)3月外國人より購入(製造所米國、竣工年月日及び原不名詳「攝津」と命名す。明治2年9月廣島藩に管せしむ、同4年4月同藩より返納、同9月「一番貯蓄船」と改稱す、同5年7月機關を撤去し、同7月再び「攝津」と改名す。同11年12月兵學校所属練習艦と爲る。同19年2月除籍、船體を兵學校に属し、術業練習の用に供し同10月授業船と稱す。同22年9月船體を賣却せり。(要目略)」。 日本海軍の艦船としては「摂津艦」に続いて2代目。.

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敷島 (戦艦)

敷島(しきしま)は、大日本帝国海軍の戦艦#達明治30年3月(4)p.3『達第三十三號 英國ニ於テ製造ノ第一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造ノ第一號及第二號ニ等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|明治三十年三月二十六日 海軍大臣侯爵 西郷從道|第一甲鐡戰艦 敷シキ島シマ|第一號二等巡洋艦 笠カサ置キ|第二號二等巡洋艦 千チ歳トセ|第三號二等巡洋艦 高タカ砂サゴ』。 敷島型戦艦の1番艦でもある。 艦名は日本全体の美称の一つにちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ58(原本83頁)『敷島(しきしま) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考日本の別稱なり、敷島は亦磯城島しきしま、師木島に造る、夜麻登磯幾の皇居の名より出づ、後ち總日本國號にも轉用せらるるに至れること秋津洲の例に同じ。艦歴明治33年1月英國にて竣工、同月27日英國出發、4月17日呉到着。同37・8年戰役に從軍(第一艦隊第一戰隊):同37年8月黄海々戰に参加(艦長大佐寺垣猪三)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐同前)、同38年12月戰艦の等級を廢せらる、大正3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備、同8年12月第三艦隊に属し、同12年4月1日帝國軍艦籍より除かれ練習特務艦と定めらる、同13年3月15日華府條約により武装解除。―要目― 長400呎/幅76呎/吃水27呎/排水量15,088噸/機關 直立三聯成汽機2基 ベルビル罐25臺/馬力14,500/速力18/乗組人員741/船材 鋼(甲鐡ハーベイニッケル鋼229-600粍)|兵装 12吋砲 4/6吋砲 14/12听砲 20/3听砲 3/2.5听砲 6/發射管 5/起工 明治30-3-29/進水 同31-11-1/竣工 同33-1-26/建造所 英國テームス・アイアンウォーク社』。.

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10月23日

10月23日(じゅうがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から296日目(閏年では297日目)にあたり、年末まであと69日ある。.

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1898年

記載なし。

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1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1902年

記載なし。

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1905年

記載なし。

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1908年

記載なし。

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1914年

記載なし。

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1915年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

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2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。.

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2月14日

2月14日(にがつじゅうよっか、にがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から45日目にあたり、年末まであと320日(閏年では321日)ある。.

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3月25日

3月25日(さんがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から84日目(閏年では85日目)にあたり、年末まであと281日ある。.

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4月30日

4月30日(しがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から120日目(閏年では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。誕生花はナシ、ムラサキハナナ。.

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5月25日

5月25日(ごがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から145日目(閏年では146日目)にあたる。年末まで220日ある。誕生花はアスパラガス。.

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7月17日

7月17日(しちがつじゅうななにち、しちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から198日目(閏年では199日目)にあたり、年末まであと167日ある。誕生花はハマユウ、アメリカデイゴ。.

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7月25日

7月25日(しちがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から206日目(閏年では207日目)にあたり、年末まであと159日ある。誕生花はインパチェンス、スイセンノウ。.

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9月20日

9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。.

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