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院号

索引 院号

院号(いんごう)は、下に「院」の字が付く称号である。院(邸宅・寺院)に関係する、もしくは、歴史的には院に関係した。.

54 関係: 側室即位大名天皇太上天皇太皇太后女院室町時代家臣団尊号将軍家居士崩御一条天皇平安時代仏教弘仁御所徳川将軍家信士嵯峨天皇冷泉天皇円融天皇准太上天皇公卿皇后皇太后皇太子皇子皇位皇族鎌倉時代親王譲位足利将軍家身位関白門跡藤原彰子藤原兼家藤原詮子院殿号檀家制度正室武士法名 (浄土真宗)朝廷戒名...浄土真宗摂家敦明親王823年 インデックスを展開 (4 もっと) »

側室

側室(そくしつ)とは、一夫多妻制の下の身分の高い階層における夫婦関係において、夫たる男性の本妻である正室に対する概念で、本妻以外の公的に認められた側妻や妾にあたる女性を指す。.

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即位

即位(そくい)とは、亡くなったり、譲位した君主(皇帝、国王など)の跡を継いで、その君主位に就くことである。君主の第一子や弟が皇太子(王太子)や皇太弟(王太弟)に就任し、先代君主が亡くなった後に継ぐことがある。最大の式典という意味の「大典(たいてん)」の語を以て即位を指す(反対語は君主の死と葬儀を指す「大喪」)。 即位に際して儀式を執り行うことも多く、戴冠式(即位式)と呼ばれる。一般的に即位時期に合わせて行われるが、国内の政情不安や先代君主への服喪、財政難などを理由に数年後に実施されることもある。.

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大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

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太皇太后

太皇太后(たいこうたいごう、Grand Empress Dowager)は、先々代の帝王の正妻(皇后)もしくは、当代の帝王の祖母に対して用いる尊称である。.

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女院

女院(にょいん/にょういん)とは、三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度である。「院」はすなわち太上天皇、「女院」とはそれに準ずる待遇を受けた女性のことである。上皇に倣って院庁を置き、別当・判官代・主典代その他諸司を任じ、殿上を定め、蔵人を補した。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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家臣団

家臣団(かしんだん)とは、将軍や大名など武家に仕える家臣層・家臣の集団である。特に主君のそば近くに仕えるものは近臣と呼んだ。.

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尊号

尊号(そんごう)とは、君主およびその祖先とその一族、貴族や高僧など、その国家や社会においてその遺徳の顕彰や哀悼の祈念を込めて贈られる尊称のこと。.

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将軍家

将軍家(しょうぐんけ)は、日本の中世において、征夷大将軍または近衛府大将に叙任された武家の棟梁が、政権を樹立する際に公家の家政制度に倣って創始したものである。自身及び、世襲を確立した際には嫡子を始めとする家族と、家政機関である政所を含んだ。 最初にこの概念が導入されたのは、源頼朝が右近衛大将に叙任されたことにより、従来自身の主従関係をこれに当てはめたものである。彼とその家臣団である御家人が朝廷からの自治の確立のために称された。後に、頼朝自身が征夷大将軍に就任し、彼の子である源頼家および実朝へと征夷大将軍の世襲がおこなわれるようになった。そして、頼朝の職名である「征夷大将軍家」・「前右大将家」の略である「将軍家」の称が確立される。 また、源実朝が征夷大将軍兼帯で右大臣に就任したことにより、征夷大将軍が大臣に就任することが可能となった。鎌倉時代においては、摂家将軍・皇族将軍らは将軍職を辞した後も大臣には就任しなかった。再び将軍が大臣に就任したのは、室町時代に入り右近衛大将を任じられた足利義満の、内大臣就任からである。 室町時代には、征夷大将軍に対しては将軍家という言い方より公方(くぼう)と言う言い方が用いられる。江戸時代には御三家・御三卿や将軍庶子に対する将軍の嫡子に対して用いられた。 将軍家は武家政権の時代を通じて日本の統治者の一族としての役割を担った。勅令により任命されたが、武家政権の確立期には天皇家を凌ぐ威勢を誇った。形式上は朝廷の臣下であったが、実際には諸外国からも王家としての待遇を受けるのが通例であった。.

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居士

居士(こじ).

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崩御

崩御(ほうぎょ)は、天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、君主等の死亡を表す敬語。.

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一条天皇

一条天皇(いちじょう てんのう、天元3年6月1日(980年7月15日) - 寛弘8年6月22日(1011年7月25日))は、平安時代中期の第66代天皇(在位:寛和2年6月23日(986年8月1日) - 寛弘8年6月13日(1011年7月16日))。諱は懐仁(やすひと)。 円融天皇の第1皇子。母は藤原兼家の娘、詮子。兄弟姉妹はない。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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弘仁

弘仁(こうにん)は、日本の元号の一つ。大同の後、天長の前。810年から824年までの期間を指す。この時代の天皇は嵯峨天皇、淳和天皇。.

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御所

御所(ごしょ)とは、主に天皇など特に位の高い貴人の邸宅、またはその人を指す、歴史上の称号のひとつ。そのいくつかは現代にも名称を残している。.

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徳川将軍家

徳川将軍家の略系図 徳川将軍家(德川將軍家、とくがわしょうぐんけ)は、江戸幕府の征夷大将軍を世襲した徳川氏の宗家(徳川宗家、とくがわそうけ)。明治維新後の1884年(明治17年)には公爵の爵位を授けられて徳川公爵家となった。華族制度廃止後は、単に徳川宗家と呼ばれる。.

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信士

信士(しんじ)とは、仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つである。女性の場合は信女(しんにょ)とされる。 位号の中では大居士、居士に準ずるものであり、江戸時代には大名が院殿号・大居士号、上級武士が院号・居士号、下級武士が軒号(庵号・斎号)・信士号、庶民が善男号を贈られることが多かったが、寺によっては下級武士や庶民にも一貫して居士号を贈る例もあり絶対的な条件ではない。但し、何もかも自由というわけではなく当時の幕藩体制では度々、下級身分の者への上位戒名の付与を禁ずる布令が出されており、一定の統制が敷かれていた。現在も院号・居士号が一般的な戒名になってきたとはいえ、信士号も依然顕在である。.

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嵯峨天皇

嵯峨天皇(さがてんのう、延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))は、日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月18日) - 弘仁14年4月16日(823年5月29日))。 諱は神野(賀美能・かみの)。 桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。 嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り.

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冷泉天皇

冷泉天皇(れいぜいてんのう、天暦4年5月24日(950年6月12日)- 寛弘8年10月24日(1011年11月21日)、在位:康保4年10月11日(967年11月15日) - 安和2年8月13日(969年9月27日))は、日本(平安時代中期)の第63代天皇。村上天皇の第二皇子で、諱は憲平(のりひら)。母は藤原師輔の娘・中宮安子。円融天皇の同母兄。.

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円融天皇

円融天皇(えんゆうてんのう、天徳3年旧3月2日(959年4月12日) - 正暦2年旧2月12日(991年3月1日); 在位:安和2年旧9月23日(969年11月5日) - 永観2年旧8月27日(984年9月24日))は、第64代天皇。諱は守平(もりひら)。 村上天皇の第五皇子で、母は右大臣藤原師輔の娘・中宮安子。冷泉天皇の同母弟。.

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准太上天皇

准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)とは、太上天皇に准じた待遇のこと。 『源氏物語』に、主人公光源氏が「太上天皇になずらふ御位」に就いた旨の記述がなされていることから、しばしばあたかもそのような具体的な地位や称号が存在したかのように誤解されるが、准太上天皇は、地位や称号ではなくあくまでも待遇である。「じゅんだいじょうてんのう」という名詞はもともと存在せず、本来は「太上天皇に准ず」「太上天皇になずらふ」と文として読み下すのが正しい。 歴史上、准太上天皇の実例は、寛仁元年(1017年)に敦明親王が皇太子の地位を辞退する見返りとして、小一条院の院号と年官年爵を与えられ、上皇同様に院庁を設置されたのが唯一である。これも「准太上天皇」という具体的な称号が与えられたわけではない。院号の授与や院庁の設置、年爵の賦与により上皇に准じた待遇を与えられたにとどまる。 なお、女院も、院号の授与、年官年爵の賦与、院庁の設置などにより、ある意味で上皇に准じた立場と言うことができる。正暦2年(991年)に最初の女院となった東三条院藤原詮子の待遇を定めるについては、まったく前例がない新儀であったことと、一条天皇の生母ではあるが、皇后の経歴がないために権威において一段劣る彼女をあえて三宮よりも上位に位置づける必要があったことから、上皇の待遇が参考とされ、これがその後の女院の待遇の先例となった。もっとも、本来、天皇の生母への優遇措置であった女院の地位に至る要件が時代がくだるとともに次第に多様化したことから、すべての女院が上皇と同じ待遇を受けることができたわけではない。.

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公卿

公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.

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皇后

皇后(こうごう、Empress)は、天皇や皇帝の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号。 一夫多妻制のもとでは、天皇や皇帝の複数の妻のうち最上位の者となる。.

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皇太后

皇太后(こうたいごう、Empress Dowager)は、先代の天皇・皇帝の皇后であった者、およびその称号。ただし必ずしもこの定義にあてはまらない事例もある。.

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皇太子

皇太子(こうたいし、Crown Prince)は、皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号。一般的には皇室ならびに海外の王室における君主位の法定推定相続人の敬称として使われる。.

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皇子

皇子(みこ、おうじ)は、皇帝または天皇の男子。広義には男女を問わない(皇室典範第6条参照)が、かかる用法はまれである。国によって「親王」「郡王」「王」「大公」などの称号が与えられることがある。これに対して女子を皇女(おうじょ)という。.

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皇位

皇位(こうい)は、日本で天皇の位を意味する概念。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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親王

親王(しんのう)は、東アジアにおいて、嫡出の皇子や最高位の皇族男子に与えられる称号。もともと中国諸王朝(晋以後)において用いられ、日本や、朝鮮(大韓帝国期)、ベトナムにおいても採用された。 これらに倣って、非漢字圏の君主の親族男子を親王と呼ぶことや、プリンスの訳語として用いることもままある。.

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諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。.

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譲位

譲位(じょうい)は、君主が生きている間に、その地位を後継者へ譲り渡す行為である。.

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足利将軍家

足利将軍家(あしかがしょうぐんけ)は、足利氏の惣領家(宗家)のうち、とくに足利尊氏以来の、代々室町幕府の将軍職を世襲した一家(軍事貴族)。初代尊氏の後は2代として嫡男義詮が継ぎ、3代足利義満を経て、15代義昭まで続く。2代義詮以降、歴代将軍は諱において義の字を通字とした。.

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身位

身位(しんい)とは、日本の皇族の皇室内部での身分及び地位の差異を表現するためのことば。 日本の皇室において、皇族の身位とは、皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王をいう。 「皇族身位令」(明治43年皇室令第2号)では、皇族はそれぞれの身位に応じ、下記のとおり叙勲されることとされていた。.

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関白

関白(かんぱく)は、成人の天皇を補佐する官職である。令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。敬称は殿下。.

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門跡

跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。 浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書き、いずれも親鸞の子孫の大谷家から出ている。.

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藤原彰子

藤原 彰子(ふじわら の しょうし/あきこ、永延2年(988年) - 承保元年10月3日(1074年10月25日)は、第66代一条天皇の皇后(号は中宮)。第68代後一条天皇・第69代後朱雀天皇の生母(国母)、女院。院号を上東門院(じょうとうもんいん)といい、のちには大女院(おおにょいん)とも呼ばれた。 女房に『源氏物語』作者の紫式部、王朝有数の歌人として知られた和泉式部、歌人で『栄花物語』正編の作者と伝えられる赤染衛門、続編の作者と伝えられる出羽弁、そして「古の奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬる哉」の一句が有名な歌人の伊勢大輔などを従え、華麗な文芸サロンを形成していた。.

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藤原兼家

東三条院跡、藤原兼家邸、京都市中京区押小路通釜座西北角 藤原 兼家(ふじわら の かねいえ)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、右大臣・藤原師輔の三男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。 策略によって花山天皇を退位させて、娘が生んだ一条天皇を即位させて摂政となった。その後右大臣を辞して摂政のみを官職として、摂関の地位を飛躍的に高め、また子・道隆にその地位を譲って世襲を固める。以後、摂関は兼家の子孫が独占し、兼家は東三条大入道殿と呼ばれて尊重された。 兄・兼通との激しい確執や、室の一人に『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母がいる事でも知られている。.

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藤原詮子

東三条殿跡・藤原詮子居住地、京都市中京区押小路通釜座西北角 藤原 詮子(ふじわら の せんし/あきこ、応和2年(962年) - 長保3年閏12月22日(1002年2月7日))は、平安時代、第64代円融天皇女御。第66代一条天皇生母(国母)。院号は東三条院(ひがしさんじょういん)。 摂政関白・太政大臣藤原兼家の次女で、母は摂津守藤原中正の娘時姫。先後して摂関に在職した道隆・道兼・道長、また冷泉天皇女御超子は同母の兄弟。.

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院(いん)は、元の意味は高い垣に囲まれた大きな建築物のことで、そこから以下のような意味を表す。.

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院殿号

院殿号(いんでんごう)は、戒名のひとつ。本来は院号の下位だが、江戸時代以降、実質上の権力者が院殿号を用いたため、事実上の最高位の諡号とされている。.

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檀家制度

檀家制度(だんかせいど)とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係をいう国史大辞典「檀家制度」。寺請制度(てらうけせいど)、あるいは寺檀制度(じだんせいど)ともいう。 江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度であり、家や祖先崇拝の側面を強く持つ。.

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正室

正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。正妻、本妻とも言う。律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。.

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武士

武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については大伴氏や物部氏の名に求めるなど諸説がある。 同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などさらには、「影武者」のように、本義のほかに一般用語としても使われるようになった語もある。)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士とは言え、呼ぶことが間違いというわけではない。はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする「女武士」や「姫武士」などという呼称は見られない。。 武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめ、古代を終焉させたとする理解が通常されている。旧来の政権を傀儡として維持したまま自らが実質的に主導する中世社会を構築した後は、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が参画する近代政府(明治政府)であった。.

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法名 (浄土真宗)

浄土真宗における「法名」(ほうみょう)とは、仏弟子釈尊の弟子のこと。となった名告りである。故人に対して贈られる名前と誤解されることも多いが、正しくは生きている間に三宝に帰依し、仏弟子として生きていくことを誓い授かる名である。 「戒名」と混同して用いられる場合があるが、浄土真宗における仏弟子としての名は「戒名」ではなく「法名」である。その理由は、「戒を守り抜くことはできない凡夫たる一切衆生は、阿弥陀如来(法蔵菩薩)の誓願によってのみ救われる」という教義に基づいて受戒を行わないためである。 また浄土真宗は在家仏教であり、僧侶も在家であり出家の立場をとらない。.

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朝廷

朝廷(ちょうてい)とは、君主制下で官僚組織をともなった政府および政権で、とりわけ中国と日本におけるものを指す。また、君主が政治執務を行う場所や建物(朝堂院:朝政と朝儀を行う廟堂)。.

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戒名

戒名(かいみょう)は、仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。 上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。 また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)ともいった。 また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。寺に支払った金額によって戒名のランクが変化する。とは言うものの、故人の社会的地位始め社会貢献度、またお寺への貢献度などによるため、高額を払ったからといって、高い位の戒名をもらえるわけではない。 一般にカナ文字を用いないため、転じて、「漢字のみの縦書き文字列」の俗的表現として用いられることがあり、特に新聞・雑誌編集においてカナ文字を含まない見出しをこう称し、読者に不快感を催しかねない表現とされる。; 戒名を用いない宗旨.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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摂家

摂家(せっけ)とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のこと。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できた。摂関家(せっかんけ)、五摂家(ごせっけ)、執柄家(しっぺいけ)ともいう。この5家の中から藤氏長者も選出された。.

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敦明親王

敦明親王(あつあきらしんのう、正暦5年5月9日(994年6月20日) - 永承6年1月8日(1051年2月21日))は、平安時代中期の皇族。第67代三条天皇の第一皇子。母は皇后・藤原娍子(大納言・藤原済時の女)。尊号は小一条院(こいちじょういん)。藤原道長の圧力の前に自ら皇太子の身位を辞退し、その見返りに准太上天皇としての待遇を得たことで知られる。.

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823年

記載なし。

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