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親王

索引 親王

親王(しんのう)は、東アジアにおいて、嫡出の皇子や最高位の皇族男子に与えられる称号。もともと中国諸王朝(晋以後)において用いられ、日本や、朝鮮(大韓帝国期)、ベトナムにおいても採用された。 これらに倣って、非漢字圏の君主の親族男子を親王と呼ぶことや、プリンスの訳語として用いることもままある。.

99 関係: 君主君主号大宰帥大勲位菊花大綬章大韓帝国大辞林天皇太上天皇女王 (皇族)嫡出嫡男宝冠章宮将軍家司岩波書店中務省中国常陸宮正仁親王世襲親王家三省堂一品親王平安時代広辞苑以仁王式部省弾正尹位階御称号御息所律令制ラーマ9世ロシア大公一覧プリンスドルゴンホーゲベトナム呉三桂オーストリア大公品位 (位階)内親王出家入道親王兼明親王勲一等旭日桐花大綬章勲等皇太子皇太子徳仁親王皇女皇子...皇室令皇室典範皇帝皇族王 (皇族)王朝称号秋篠宮文仁親王粛親王続柄編集猶子給田西晋親王妃親王宣下親王任国親族諸侯王魏 (三国)践祚醇親王恭親王李垠李コウ (義親王)李載冕李氏朝鮮東アジア松村明桓武天皇江戸時代法親王淳仁天皇漢字文化圏朝鮮昭和天皇新村出日本悠仁親王愛新覚羅奕キョウ愛新覚羅奕キン愛新覚羅奕ケン愛新覚羅氏慶親王2006年2011年 インデックスを展開 (49 もっと) »

卿(きょう、けい)は中国・日本の官位制における高位の官職。それに由来する呼称も指す。;官職.

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君主

フランス国王ルイ14世 君主(くんしゅ)とは、一般に、世襲により国家を治める最高位の人。伝統的に、国家で特定の一人が主権を持つ場合、その主権者が君主であり、王・帝王・天子・皇帝・きみ等ともいう。.

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君主号

君主号(くんしゅごう)とは、君主の称号のこと。そもそもは、その文明や国家、民族特有の尊称により呼ばれていたが、中華文明のように、「皇帝」を称して近隣諸国の王を臣従させ、国王の封号と官爵を与え、さらに臣従の見返りとして文明や交易の利潤を与えるなど、君主の称号にも優劣が生ずるようになった。西欧においても、神聖ローマ皇帝が近隣諸国の国王よりも優位に立つなど、君主号はたんなる名称の域を超えて、その国の由緒や国力を誇示する重要な意味を持っていた。また、君主号を国内における表記・呼称と対外的呼称とで使い分ける場合、対外的に称する君主号を外交称号という。.

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大宰帥

大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)は、大宰府の長官。唐名は都督、和名は「おほみこともちのかみ」。律令制において西海道の9国2島を管轄し、九州における外交・防衛の責任者となった。9世紀以降は親王の任官で、大宰府に赴任しないことが慣例となり、実権は次官の大宰権帥(だざいのごんのそち)及び大宰大弐(だざいのだいに)に移った。.

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大勲位菊花大綬章

大勲位菊花大綬章(だいくんい きっか だいじゅしょう、英訳名: Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章の一つ。1876年(明治9年)12月27日に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章である。.

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大韓帝国

純宗 勲章を纏っている高宗 大日本帝国の大礼服と大勲位菊花章頸飾など様々な勲章を纏った純宗 大日本帝国の大礼服と勲章を纏って座っている純宗 『大韓全図』(1899、玄采『大韓地誌』附図) 大韓帝国(だいかんていこく、대한제국〈テハンジェグク〉)は、1897年から1910年までの間李氏朝鮮が使用していた国号。大韓国(だいかんこく、대한국〈テハングク〉)、韓国(かんこく、한국〈ハングク〉)とも言った。また、現在の大韓民国(韓国)と区別するため、「旧韓国(きゅうかんこく)」と呼ばれることもある。 朝鮮半島最後の専制君主国であるが、日露戦争後は日本の保護国となり、1910年8月の韓国併合によって滅亡した。 現在の韓国政府はこの「大韓帝国」の領土に竹島(韓国名: 独島〈독도; 獨島〉)も含まれていたと主張する。.

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大辞林

『大辞林』(だいじりん)は三省堂が発行する中型国語辞典。中型国語辞典としては、岩波書店の『広辞苑』と並ぶ双璧。2006年に11年ぶりの改訂を行い、Web上でも使えるデュアル・ディクショナリーとして発表され、新たな動きがみられる。書籍版は23万8000語、Web版は約26万5千語。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。元々は譲位した天皇が自動的に称する尊号であったが、嵯峨天皇の譲位以降は新天皇から贈られる尊号に変化した。 略称は「上皇」である。また、出家した太上天皇を、「太上法皇(法皇)」と称する。ただし、これは法的な根拠のある身位ではなく、太上法皇も太上天皇に含まれる。また、太上法皇の称号が用いられた初例は宇多法皇とされており、聖武上皇や清和上皇などそれ以前の退位後に出家した太上天皇には太上法皇(法皇)を用いるのは正確な表現ではない。 「院」とも称され、太上天皇が治天の君として政務を執った場合、その政治を院政という(太上天皇がみな院政をしいた訳ではない)。三宮(后位)と合わせて「院宮」といい、更に、皇族や有力貴族を含めた総称を「院宮王臣家」といった。院の御所が仙洞御所と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。.

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女王 (皇族)

女王(じょおう / にょおう)は、皇族女子の身位または称号の一つ。 現行の皇室典範では天皇からみて嫡男系嫡出で三親等以遠の者に与えられる。皇室典範で定められた敬称は殿下。 2015年現在、寬仁親王の娘である彬子女王・瑶子女王、高円宮憲仁親王の娘である承子女王・絢子女王の合計4人がその地位にある。これら4女王は直系尊属である大正天皇からみて三親等、即ち曾孫にあたる。.

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嫡出

嫡出(ちゃくしゅつ)とは、婚姻関係にある男女(夫婦)から生まれること。対義語は「庶出」である。 実子の嫡出子には、出生と同時に嫡出の身分を取得する「生来嫡出子」のほか、準正によって嫡出子となる「準正嫡出子」がある(準正嫡出子を参照)。なお、法定親子関係である養子は法律上の血縁関係が擬制され縁組の日から嫡出子の身分を取得する(民法第809条。養親子関係については養子を参照)。 「嫡出」という語は「正統」という意味を持ち、「庶出」という語は「異端」という意味を持っている。子は生まれの正統や異端を選べないのに、子を「庶出」「異端」呼ばわりして蔑むのは誤った行為だという批判もあり、近年では「嫡出子」を「婚内子」、「非嫡出子」を「婚外子」と称する場合もある。 日本の法制においては婚姻の有無とは関係なく血族関係は発生するが、ただし、後に述べられるように非嫡出子において父子関係が発生するためには認知を要する(779条、784条)。.

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嫡男

嫡男(ちゃくなん)とは、嫡子(嫡嗣、ちゃくし)とも呼ばれ、一般に正室(正嫡)の生んだ男子のうち最も年長の子を指す。女子の場合は嫡女となる。長男と同一視されることもあるが、たとえ長男であっても側室の生んだ子である場合、正室の生んだ弟が嫡男となることもあることから、嫡男と長男は必ずしも同一ではない。特に嫡男ではない長男は庶長子、長庶子、庶子とも称される。嫡男の嫡男は嫡孫(ちゃくそん)と呼ばれる。また、代々嫡男の家系である血筋を嫡流という。また、内孫(うちまご)とも称される。 ただし、正室が生んだ男子全員を指す場合もある。日本における現行の皇室典範の「嫡男」の語はこの意である。更に明治以後の民法では、かつての正室に相当する妻が生んだ子供を女子を含めて嫡出子と呼称している。.

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宝冠章

宝冠章(ほうかんしょう、Order of the Precious Crown)は、日本に於ける勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に勲一等から勲五等までを制定、後の1896年(明治29年)4月13日に勲六等から勲八等までが追加制定された。以後長らく八等級での運用が行われていたが、2003年(平成15年)11月3日の栄典制度改正により勲七等と勲八等が廃止、漢数字による勲等の表示がなくなり、現在では六つの級での運用である。 宝冠章は制定以来、その授与対象を女性に限定した唯一の勲章で、勲章制度の男女均等を図った栄典制度改訂後の現在でも女性のみに授与されるものとなっている。栄典制度改訂により旭日章、桐花章、菊花章が女性にも与えられるようになったため、一般の叙勲に於いては宝冠章は運用されておらず、現在では日本の女性皇族に対する叙勲と、国家元首や皇族・王族などの公式訪問の際に行われる、外国人に対する儀礼叙勲に限定して運用されている。.

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宮将軍

宮将軍(みやしょうぐん)は、鎌倉時代後期に征夷大将軍に任じられた宗尊親王・惟康親王・久明親王・守邦親王の4親王を指す歴史用語。現代では皇族将軍(こうぞくしょうぐん)、親王将軍(しんのうしょうぐん)とも呼ぶ。また彼らを総称して鎌倉宮家(かまくらのみやけ)と表現することもある。 なお、建武の新政期に後醍醐天皇より任じられた護良親王と成良親王も宮将軍と呼ぶことがある。しかし前者の4親王は鎌倉政権の形式上の長で実権を持たないのに対し、後者の2親王は建武政権において短期間ではありながら重要なその一翼を担った実務者だったことが根本的に異なる。.

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家司

家司(けいし、いえのつかさ)とは、親王・内親王家および職事三位以上の公卿・将軍家などの家に設置され、家政を掌る職員。 本来は律令制で定められた職員であったが、平安時代中期以後は公卿・官人・地下の中から私的に任用され、国政機関の職員が権門の私的な家政職員である家司を兼ねる仕組が形成された。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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中務省

中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名はナカノマツリゴトノツカサ。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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常陸宮正仁親王

常陸宮 正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年(昭和10年)11月28日 - )は、日本の皇族。昭和天皇と香淳皇后の第二皇男子。第125代今上天皇の弟宮にあたる。御称号は義宮(よしのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は黄心樹(おがたま)。勲等は大勲位。皇位継承順位第4位、最年長皇位継承資格者である。 名誉学位はジョージ・ワシントン大学名誉博士、ミネソタ大学名誉博士。その他、ドイツがん学会名誉会員。.

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世襲親王家

世襲親王家(せしゅうしんのうけ)は、江戸時代において、当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続けた四つの宮家をいう。定親王家ともいう。.

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三省堂

株式会社三省堂(さんせいどう)は、日本の出版社である。辞典・事典・六法・教科書などの出版で知られる。 本社はJR水道橋駅と神田川に挟まれたエリアにある。この場所は、かつて自社印刷工場の倉庫として使われていた場所であった。.

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一品親王

一品親王(いっぽんしんのう)とは、律令制において皇親に対して与えられた最も高い品位である一品を与えられた親王のこと。広義では一品を与えられた内親王(一品内親王)も含まれる。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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広辞苑

『広辞苑』(こうじえん)とは、岩波書店が発行している中型の日本語国語辞典である。編著者・新村出、新村猛。.

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以仁王

以仁王(もちひとおう、仁平元年(1151年) - 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代末期の皇族。後白河天皇の第三皇子。「以仁王の令旨」を出して源氏に平氏打倒の挙兵を促した事で知られる。邸宅が三条高倉にあったことから、三条宮、高倉宮と称された。.

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式部省

式部省(しきぶしょう)は、日本の律令制における八省のひとつ。和名は「のりのつかさ」。天平宝字2年(758年)から同8年(764年)の間のみ文部省(ぶんぶしょう)に改称された。大学寮・散位寮の二寮を管掌していた。.

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弾正尹

弾正尹(だんじょうのかみあるいはだんじょういん)は、律令制度における弾正台の長官(かみ)である。従三位相当。職務として、非違の糾弾、弾劾を司る。二官八省から独立して監察を行う。太政大臣を除くすべての役人の不正を摘発するのが主な任務である。 平安時代の9世紀初頭に令外官の検非違使が設置された後は、皇族に与えられる名誉職のようになり実権は余りなかった。しかし1879年、太政官制のなかで官庁としての弾正台が復活すると、長官である弾正尹には九条道孝が就任した。.

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位階

位階(いかい)とは、国家の制度に基づく個人の序列の標示である。位(くらい)ともいう。「位階」という語は、基本的には地位、身分の序列、等級といった意味広辞苑 第五版 p.121「位階」である。制度としての「位階」は、元は古代中国の政治行政制度である律令制や、それを継受した国における官僚・官吏の序列の標示(身分制度)である。後には、位階は、長く官職にあった者や特に功績のあった者などに与えられる栄典の一となった。位階を授与することを「位階に叙する」または叙位(じょい)という日本においては平安時代以後、宮中で例年正月5日頃に行われる五位以上の位階を授ける儀式のことも叙位(例の叙位)と言った。。.

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御称号

御称号(ごしょうごう)とは、名詞「称号」に接頭辞「御」がついたもので、日本の皇室の、一部の皇族に与えられる幼少時の呼び名。 近現代の皇室では「~宮」(~のみや)とすることが慣例だが、これは宮号・宮家としての「宮」とは別のものである。(例:文仁親王の御称号は礼宮で、宮号は秋篠宮).

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御息所

御息所(みやすんどころ、みやすどころ).

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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ラーマ9世

ラーマ9世(、1927年12月5日 - 2016年10月13日)とは、チャクリー王朝第9代のタイ王国の国王(在位:1946年6月9日 - 2016年10月13日)。 通称はプーミポン・アドゥンヤデート(、「大地の力・並ぶ事なき権威」の意)。英語や日本語では一般に長母音を無視し、プミポン国王とも通称されるが、本来はタイ語においては(称号なども含めて)後ろのアドゥンヤデートと不可分一体であり、プーミポンだけで呼ばれることはほとんどない。.

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ロシア大公一覧

アレクサンドル3世は、ロシア大公の称号に関する規定に重要な修正を加えた 以下はロシア帝室の成員のうち、ヴェリーキー・クニャージ(ロシア語:Великий князь)の称号を許された人物の一覧である。ヴェリーキー・クニャージは日本語では「大公」に相当する。その他、英語では「Grand Duke」と訳されることが多いものの、「Grand Prince」の方がより正確な訳語といえる。この儀礼称号はロシア皇帝の男系子孫のみに許される称号であり、殿下(His Imperial Highness)の称号と一緒に授けられた。ロシア大公は主権者ではないが、ロシア帝国を統べる一族に属し、帝国の支配者の一員とみなされていた。.

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プリンス

プリンス(prince)は、.

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ドルゴン

ドルゴン(満洲語:, ラテン文字転写: dorgon、多爾袞、万暦40年10月25日(1612年11月17日) - 順治7年12月9日(1650年12月31日))は、後金から清初の皇族。。甥にあたる順治帝の摂政となり、清が中華王朝となるにあたって指導力を発揮し、大きな役割を果たした。養子にがいる。.

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ホーゲ

ホーゲ(豪格、ᡥᠣᠣᡤᡝ 、転写:hooge、1609年 - 1648年)、清の太宗ホンタイジ(皇太極)の長男。母は継妃ウラナラ(烏喇那拉)氏(即位前に離縁された)。.

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ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称 ベトナム()は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。 国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと相対する。.

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呉三桂

呉三桂が佩用したと伝わる大刀 呉 三桂(ご さんけい、)は、明末清初の軍人、周の初代皇帝。遼東で清軍に対峙していたが李自成の北京占領に際して清に味方し、清の中国平定に尽力した。平西王として勢力を揮うが後に清に背き、三藩の乱を引き起こした。子に呉応熊ら、孫に呉世璠。.

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オーストリア大公

ーストリア大公(Erzherzog von Österreich)は、ハプスブルク家(ハプスブルク=ロートリンゲン家を含む)により用いられたオーストリア(オーストリア大公国)の領主としての称号(男性形)。16世紀以降は君主以外の一族の成員も用いた。.

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品位 (位階)

品位(ほんい)とは、日本の律令制において定められていた親王・内親王の位階のことをいう。奈良時代から江戸時代にかけて存在した。 「品位」は、中国の王朝における分類法(九品)に由来する。中国では位階を一品以下九品までに分類し、これを正位と従位にわけていた。この品位は朝鮮の歴代王朝でも用いられ、特に新羅以降については骨品制という独自の位階制が存在した。 しかし、日本の律令制では、臣下の位は「位」で分類し、これとは別体系の親王・内親王の位階に「品」(ほん)を用いた。品位には一品から四品があり、正位と従位にわけない。品位に叙せられていない親王は「無品」(むぼん、むほん)と称した。なお、諸王は臣下と同じ位階体系において、正一位から従五位までに叙せられた。 品位を授けられた親王は、品位に応じて品田が支給され、品封(封戸)を賜る 。 明治時代以降は親王の品位および諸王の位階は廃止され、皇族には勲等と功級のみが授与されることとなった。.

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内親王

内親王(ないしんのう、うちのみこ、ひめみこ、Princess)は、皇族女子の身位または称号の一つ。現行の皇室典範では天皇からみて直系で2親等以内の者に与えられる。かつては、親王宣下を受けた皇族女子に与えられた。.

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出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

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入道親王

入道親王(にゅうどう しんのう)とは、すでに親王宣下を受けている親王が出家(入道)した後の身位と称号。入道宮(にゅうどうの みや)、優婆塞宮(うばそくの みや)ともいった。 これに対して、王が出家した後に親王宣下を受けると、これを法親王といった。.

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兼明親王

兼明親王(かねあきらしんのう)は、平安時代中期の公卿、皇族。 醍醐天皇の第十六皇子。朱雀天皇・村上天皇・源高明の異母兄弟にあたる。一時期臣籍降下して源 兼明(みなもと の かねあきら)と名乗ったが、晩年になって皇籍に復帰し中務卿となったことから中書王(ちゅうしょおう)あるいは前中書王(さきの ちゅうしょおう)と呼ばれる。「後中書王」と呼ばれた甥の具平親王と共に並び称される博学多才の主で、藤原佐理・藤原行成と共に三蹟の一人に数えられる場合もある。.

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勲一等旭日桐花大綬章

勲一等旭日桐花大綬章(くんいっとうきょくじつとうかだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された。日本に於ける高位勲章の一つで、2003年(平成15年)11月3日の栄典制度改正まで旭日章の最上位勲章として運用されていた。ここでは旧制度に於ける「勲一等旭日桐花大綬章」について解説する。新制度の勲章については桐花章を参照。.

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勲等

勲等(くんとう)とは勲功に対して授与されたものである。日本においては律令制度が出来た当時は勲位と称し、勲一等以下勲十二等までの12等級あった。また、位階勲等という様に叙勲は位階に応じて行われた。 以下、日本の勲等について詳述する。.

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皇太子

皇太子(こうたいし、Crown Prince)は、皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号。一般的には皇室ならびに海外の王室における君主位の法定推定相続人の敬称として使われる。.

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皇太子徳仁親王

皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年(昭和35年)2月23日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第一皇男子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子(法定推定相続人)、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲等は大勲位。学位は人文科学修士(学習院大学)1988年(昭和63年)。その他、名誉学位・称号として名誉法学博士(ケンブリッジ大学)などがある。皇位継承順位第1位。 住居は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある東宮御所。.

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皇女

皇女(ひめみこ/こうじょ/おうじょ)とは、天皇または皇帝の女子(娘)を指す。日本においては、内親王号が成立する以前に存在した女性皇族の身位でもある。これに対して男子(息子)を皇子という。.

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皇子

皇子(みこ、おうじ)は、皇帝または天皇の男子。広義には男女を問わない(皇室典範第6条参照)が、かかる用法はまれである。国によって「親王」「郡王」「王」「大公」などの称号が与えられることがある。これに対して女子を皇女(おうじょ)という。.

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皇室令

皇室令(こうしつれい)とは、旧皇室典範を根拠として、皇室典範に属する法体系いわゆる「宮務法」のもとで制定されていた、皇室に関係する一連の天皇の命令を指す。これは大日本帝国憲法に属する法体系いわゆる「国務法」とは異なり、皇室典範と同様、制定・改定には帝国議会は関与しない。 日本国憲法施行に伴い、1947年(昭和22年)5月2日を最後に廃止された。.

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皇室典範

皇室典範(こうしつてんぱん、昭和22年法律第3号)は、日本国憲法第2条及び第5条に基づき、皇位継承及び摂政に関する事項を中心に規律した皇室に関する法律である。 1947年(昭和22年)に、日本国憲法第100条及び第2条、第5条に基づき、日本国憲法施行前に、憲法に附属する法律の制定手続によって、枢密院の諮詢及び帝国議会(衆議院・貴族院)の協賛を経て、現在の「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が制定された。.

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皇帝

皇帝(こうてい、中国語: 皇帝、imperator、emperor; king of kings、Kaiser、Βασιλευς、император、İmparator)は、帝国の世襲の君主。諸王に超越する王(諸王の王)、君主国の君主の称号。皇帝という君主号には唯一神の意や、模倣・僭称も存在する。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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王(おう)は、おおむね国の君主(国王)を指し、その君主号である。また、特定の領土を持たずとも、ある部族や種族の長たる者を王と呼ぶ。転じて、ある特定の分野での頂点あるいは頂点に近い位置にある者、または物を指すこともある。 または、主に東アジア地域において用いられた爵位の一つ。.

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王 (皇族)

王(おう、みこ、古くはおおきみ)は、皇族の身位または称号の一つ。または、王の身位を授けられた皇族のこと。現行の皇室典範では天皇からみて直系で嫡男系嫡出の三親等以遠の男性に与えられる。皇室典範で定められた敬称は殿下。.

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王朝

王朝(おうちょう、Dynasty)とは歴史の分類方法の一つで、君主の系列あるいはその系列が支配した時代を分類するための歴史用語である。「朝」は朝儀 に由来する。歴史家は歴史研究の都合上、君主の系列を各々の時代や文化圏にあわせて王朝として便宜的に分割してきた。そのため、王朝の定義や分類方法に世界共通の規則はなく、王朝の範囲は歴史家によって異なることがある。すなわち、現君主国が自ら王朝名を名乗ることはない。.

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称号

号(しょうごう、英語:Title)とは、主に個人または団体の公的な身分や資格、地位などを表す呼び名。.

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秋篠宮文仁親王

秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう、1965年〈昭和40年〉11月30日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第二皇男子。秋篠宮の家祖。母は皇后美智子。身位は親王、皇室典範における敬称は殿下。お印は栂。皇位継承順位は兄・皇太子徳仁親王に次ぐ第2位。 勲等は大勲位菊花大綬章。学位は博士(理学)(総合研究大学院大学・1996年)。そのほか、タイ王国複数の大学より、名誉博士の名誉学位・称号を授与されている。 住居(秋篠宮・宮邸)は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内。1997年(平成9年)3月からは旧秩父宮・宮邸を使用している。 2007年9月5日から現在まで皇室会議の議員を務めている。.

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粛親王

粛親王(しゅくしんのう、満州語:、転写:fafungga cin wang)は、清の皇族。粛親王家は太宗ホンタイジの長子ホーゲに始まり、清朝八大世襲家の筆頭といわれた満州鑲白旗の名家である。 初代粛親王ホーゲは清朝建国時期の征戦で活躍したが、異母弟順治帝の摂政となった叔父ドルゴンによって罪に落とされ獄死した。順治帝はドルゴン死後にホーゲの名誉を回復し、廃されていた粛親王の爵位も復活した。 第10代粛親王善耆は、清末に立憲君主制による近代化改革を推進し、辛亥革命後に清朝復辟運動を行った。善耆の第14王女愛新覚羅顯㺭(㺭は王偏に子)は、川島浪速の養女となって川島芳子を名乗った。.

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続柄

続柄の関係図 続柄(つづきがら)とは、血縁関係あるいは婚姻関係を指す語である。俗に「ぞくがら」と読まれることもある。 血族と姻族、直系と傍系、尊属と卑属の意味や親等については「親族」を参照。 本項目において「親族」とは、民法第725条「親族の範囲」で定める「法定親族」を指す。.

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編集

編集(へんしゅう)とは、書物(書籍や雑誌)・文章・映画・ラジオ番組・テレビ番組・動画などの仕分け素材を、取捨選択、構成、配置、関連づけ、調整、などすることである。 古くから「編集」「編輯」「編緝」などの表記があり、特に戦前は「編輯」の表記が多かったが、当用漢字制定後に「編集」に統一された。当用漢字に「輯」の字がなく、似たような意味で同音の字である「集」(「輯」の新字体ではなく、全く別の字)に置き換えたためである(これを「俗用書換え」という)。なお書物の編集においては、全集や辞典・百科事典など大部なものを対象とするときは「編纂(へんさん)」、また歴史書・教科書などを対象とするときは「編修(へんしゅう)」の表記を使うことがある。 転じて、編集をやり直すことや、既存のものに変更を加える(改訂)ことをも編集ということもある。特にコンピュータ関連では、既存のファイルの一部(あるいは全部)を変更することを「ファイルを編集する」と言い表す。ウィキペディア内で散見される「記事(あるいはページ)を編集」という表現も、多くはこの意味である。.

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猶子

子(ゆうし)とは、兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶ制度。漢文訓読では「なほ子のごとし」(訳:あたかも実子のようである)という意味。 中国における本義は兄弟の子の意味。養子との違いは、家督や財産などの相続を必ずしも目的の第一義とはせず、実力や「徳」に優れた仮親の権勢を借りたり、一家・同族内の結束を強化するために行われた。具体的には、官位などの昇進上の便宜、婚姻上の便宜、他の氏族との関係強化が図られる場合に組まれるようである。そのため、子供の姓は変わらない場合があったり、単なる後見人としての関係であるなど、養子縁組と比べて単純かつ緩やかで擬制的な側面が大きい。 ただし、相続に関しての実際は明確な区別はなく、猶子であっても相続がなされる場合も多い。ときに両者をまったく同義で使用している場合がある。.

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給田

給田(きゅうでん)・給畠(きゅうはく)・給田畠(きゅうでんぱく)は、日本の中世において、荘園領主や国衙が、荘官、地頭、年貢運輸者・手工業者などに対して給与した田地または田畠地をいう。近世においては、庄屋などの村役人へ給与された田地を給田と呼んだ。.

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西晋

西晋(せいしん、)は、司馬炎によって建てられた中国の王朝(265年 - 316年)。成立期は中国北部と西南部を領する王朝であったが、呉を滅ぼして中国全土を統一し、後漢末期以降分裂していた中国を100年振りに統一した。国号は単に晋だが、建康に遷都した後の政権(東晋)に対して西晋と呼ばれる。.

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親王妃

親王妃(しんのうひ/みこのみめ、Princess)は、親王の妃、またはその身位にある人をいう。日本における親王妃は皇室典範第5条により皇族(女性皇族)と規定される。なお、皇太子妃も、親王妃に含まれる。敬称は「殿下」である(同法第23条第2項)。江戸時代までは御息所ともいわれた。 現在、親王妃は皇太子妃を含めて、皇太子徳仁親王妃雅子(皇太子妃)、文仁親王妃紀子(秋篠宮妃)、正仁親王妃華子(常陸宮妃)、崇仁親王妃百合子(三笠宮妃)、寛仁親王妃信子、憲仁親王妃久子(高円宮妃)の6名である。.

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親王宣下

親王宣下(しんのうせんげ)、または内親王宣下(ないしんのうせんげ)とは、皇族の子女に親王および内親王の地位を与えることである。ここでは、主に日本の皇室について記載する。 明治時代以前には、たとえ天皇の子女であっても親王宣下を受けない限り、親王および内親王を名乗ることはできなかった(参考:良岑安世・源高明・以仁王)。逆に、世襲親王家の当主など天皇の孫以下の世代に相当する皇族であっても、親王宣下を受けて親王および内親王となることもあった。 親王宣下が始まったのは淳仁天皇以後である。 たとえば、以仁王、後西天皇の皇女貞宮、後世の比丘尼御所は宣下がなかったので、諸王である。 これに対して、孫王であっても宣下を賜れば親王であり、その最初は小一条院の子敦貞、敦元の2王および儇子、嘉子の2王女である。2王は三条天皇の皇子に準じて親王であり、2王女は天皇の養女として内親王の宣下があった。 この制度によって親王宣下を受けた者で、最後の生存者は1945年(昭和20年)5月に薨去した閑院宮載仁親王である。最後に親王宣下を受けた人物は1886年(明治19年)5月に宣下を受けた東伏見宮依仁親王、親王宣下を受けた最も若い人物は1875年(明治8年)1月生の華頂宮博厚親王である。 現代では皇室典範により、嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫が親王及び内親王であると定められており、皇族は生まれながらにして地位が決まっているため、親王宣下という形で王などの皇族に親王位を与える制度はなくなっている。ただし、王が天皇に即位した場合、その天皇の兄弟姉妹たる王及び女王に親王及び内親王の地位を与えるものとすることが皇室典範第7条に定められている。 Category:身位 *しんのうせんけ.

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親王任国

親王任国(しんのうにんごく)は、親王が国守に任じられた国及びその制度を指す。常陸国、上総国、上野国の3国。親王任国の守である親王は太守という。 天長3年9月6日(826年10月10日)、清原夏野の奏上に基づき制定された(『類聚三代格』:親王任国太政官符)。.

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親族

親族(しんぞく)とは、血縁関係または婚姻関係で繋がりを有する者の総称である。.

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諸侯王

諸侯王(しょこうおう)は、中国において皇帝によって封じられた王号を持つ諸侯・貴族を指す歴史用語である。.

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魏 (三国)

魏の系図 魏(ぎ、、220年 - 265年)は、中国の三国時代に華北を支配した王朝。首都は洛陽。曹氏の王朝であることから曹魏、あるいは北魏に対して前魏とも(この場合は北魏を後魏と呼ぶ)いう。 45年間しか続かなかった王朝だが、魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志(『三国志』・『三国志演義』など)などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。また、昭和に吉川英治が著した『三国志』を始め、この時代を描いた小説は今なお日本で人気があり、そのため知名度も高い王朝である。.

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践祚

践祚(せんそ)とは、天子の位を受け継ぐことであり、それは先帝の崩御あるいは譲位によって行われる。古くは「践阼」と書き、「践」とは位に就くこと、「阼」は天子の位を意味する。これに続いて位に就いたことを内外に明らかにすることを即位という。.

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醇親王

醇親王(じゅんしんのう、満州語:、転写:gulu cin wang)は、清の皇族(世襲王家)。道光帝の第7子である奕譞を初代とする。醇親王家からは光緒帝・宣統帝(溥儀)の2代の皇帝を輩出した。.

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恭親王

恭親王(きょうしんのう、満州語:、転写:gungnecuke cin wang)は、清の皇族。道光帝の子である奕訢を初代とする。.

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李垠

李 垠(り ぎん、イ・ウン、、光武元年(1897年)10月20日 - 1970年5月1日)は、大韓帝国最後の皇太子で、日本の王族、李王(李家当主)。大韓帝国時代の称号は英親王。.

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李コウ (義親王)

李 堈(り こう(日本語読み)、イ・ガン(朝鮮語読み)、1877年3月30日 - 1955年8月17日)は、大韓帝国の皇族(親王)、のち大日本帝国の公族。朝鮮第26代国王・大韓帝国初代皇帝高宗の五男。.

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李載冕

李 載冕(イ・チェミョン、1845年8月22日(道光25年7月20日) - 1912年9月9日)は、李氏朝鮮の王族。高宗の兄。興宣大院君の長男。.

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李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

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東アジア

東アジア(ひがしアジア)は、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部を指す地理学的な名称である。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、琉球諸島、日本列島などを含む。北東アジア(東北アジア)、極東、東亜などと呼ぶ場合もある。.

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松村明

松村 明(まつむら あきら、1916年9月3日 - 2001年11月22日)は、日本の国語学者。位階勲等は正四位勲三等瑞宝章。称号は文学士、東京大学名誉教授。『大辞林』の編纂者として知られる。.

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桓武天皇

桓武天皇(かんむてんのう、天平9年(737年) - 延暦25年3月17日(806年4月9日))は、日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日) - 延暦25年3月17日(806年4月9日))。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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法親王

法親王(ほうしんのう、ほっしんのう)とは、日本の男子皇族が出家して僧籍に入った後に親王宣下を受けた場合の身位・称号。 これに対して、すでに親王宣下を受けている親王が出家(入道)した場合は入道親王と呼んで区別した。.

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淳仁天皇

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、天平5年(733年) - 天平神護元年10月23日(765年11月10日))は、日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日) - 天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれる。諱は大炊(おおい)であり、践祚前は大炊王(おおいおう)と称された。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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漢(かん、)は、中国の王朝である。通例、前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)の二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、ここから転じて中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。以下の記事では王朝について記述する。 中国初の統一王朝だった秦王朝が紀元前206年に滅亡すると、中国は秦を討った各軍の将帥による群雄割拠の状態に戻っていた。こうした中、漢中及び巴蜀に封じられていた劉邦が紀元前202年に垓下の戦いで項羽を討って中国を再統一した。中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。初の統一王朝だった秦王朝が統一王朝としては実質的に一代で滅びたこともあり、漢王朝は中国の統一状態を実質的に確定した王朝となり、これから中国全土や中国の主要民族を指す名称として「漢」が用いられるようになった。 漢王朝の歴史の詳細については、前漢・後漢をそれぞれ参照。.

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漢字文化圏

漢字文化圏(かんじぶんかけん)とは、「文化圏」概念の一つ。漢字に代表される漢文化(中国文化)を使用しているか、過去に使用していた地域のことであり、漢字の他に漢文や儒教などに由来する文化を共有している。.

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朝鮮

統一旗 朝鮮(ちょうせん、チョソン、조선)は、朝鮮半島および済州島、巨文島、鬱陵島など周囲の島嶼・海域を併せた地域を表す呼称。ユーラシア大陸の東端に位置し、北西に中華人民共和国、北東にロシア、南東に対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を隔てて日本と隣接する。 この地の全域を、大韓民国(韓国)も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も共に自国の領土に定めており、両国の領土は完全に一致重複している。しかし現実は朝鮮戦争以降、軍事境界線(38度線)を境に北半部は北朝鮮が、南半部は韓国が実効支配している。.

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昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。 幼少時の称号は迪宮(みちのみや)・諱は裕仁(ひろひと)。お印は若竹(わかたけ)。.

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新村出

新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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悠仁親王

天皇一族と諸王 悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子。今上天皇(第125代天皇・明仁)初の男子の皇孫。身位は親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は高野槇(こうやまき)。皇位継承順位は第3位で、1966年以降の生まれでは2018年現在唯一の継承資格者。姉に眞子内親王と佳子内親王がいる。 皇室において父・秋篠宮文仁親王の誕生以来40年9か月振りの皇統男子。21世紀に生まれた皇族としては敬宮愛子内親王に次いで2人目、平成生まれでは唯一の男性皇族であり、2018年現在最年少皇族である。 御所は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮・宮邸。1997年(平成9年)3月からは旧秩父宮邸を使用している。.

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愛新覚羅奕キョウ

愛新覚羅 奕(あいしんかくら えききょう、アイシンギョロ・イクワン、満州語:、転写:aisin-gioro i-kuwang、道光18年2月29日(1838年3月24日) - 1917年(民国6年)1月28日)は、清末期から中華民国初期の皇族。乾隆帝の曾孫で咸豊帝は又従兄に当たる。.

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愛新覚羅奕キン

愛新覚羅 奕訢(あいしんかくら えききん、アイシンギョロ・イヒン、満州語:、転写:aisin-gioro i-hin、1833年1月11日 - 1898年5月29日)は、清の皇族。道光帝の第6子で母は静皇貴妃(のちの孝静成皇后)。兄に咸豊帝、惇親王奕誴、弟に醇親王奕譞。妃は桂良の娘ほか。子に載澂、載瀅。爵位は恭親王。諡は忠。.

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愛新覚羅奕ケン

愛新覚羅 奕譞(あいしんかくら えきけん、アイシンギョロ・イフワン、満州語:、転写:aisin-gioro i-huwan、1840年10月16日 - 1891年1月1日)は、清の皇族。道光帝の第7子で、初代醇親王。母は荘順皇貴妃。咸豊帝、惇親王奕誴、恭親王奕訢の弟。正室は西太后の妹。息子は載湉(光緒帝)、載灃(第2代醇親王、宣統帝の実父)、載洵、載濤など。諡は賢。 道光30年(1850年)、兄の咸豊帝が即位すると醇郡王に封ぜられた。咸豊11年(1861年)に咸豊帝が崩御すると東太后・西太后ともう1人の兄・恭親王奕訢に協力してクーデターを起こし、怡親王載垣、鄭親王端華、粛順らを排斥(辛酉政変)、甥の同治帝が即位すると都統、御前大臣、領侍を命ぜられ、親王に上った。西太后から謙虚な姿勢を気に入られ様々な特典を与えられたが、政争に巻き込まれないよう慎重に日々を過ごした。 光緒元年(1875年)、同治帝が子を残さずに死去すると、西太后は自身の妹を母とする奕譞の第2子載湉を同治帝の子として即位させた(光緒帝)。奕譞は実子の即位と共に官職を退いたが、光緒10年(1884年)の清仏戦争の処理をめぐって恭親王が軍機大臣を罷免されると代わって起用され、総理海軍事務衙門大臣にも任じられ海軍を統括、李鴻章と慶親王奕劻を補佐役として活動に当たった。 以後も西太后や周囲と良好な関係を保ち、光緒17年(1891年)に50歳で死去。5男で光緒帝の異母弟載灃が爵位を継ぎ醇親王となった。 海軍衙門大臣時代に海軍費用を頤和園の建設費に流用したことは悪名高く、清の主力海軍だった北洋艦隊は10年間武器の更新が出来ず艦隊の追加購入も不可能になり、日清戦争における敗北の遠因になった。一方で謙虚に振る舞い西太后や栄禄ら保守派(后党)だけでなく、光緒帝の側近翁同龢ら革新派(帝党)とも親交を結んでいたことは緩衝地帯として両派の衝突を防いでいたが、奕譞の死により対立は避けられなくなり、日清戦争の敗北で両派の対立は決定的となり以後の政争に繋がった。.

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愛新覚羅氏

愛新覚羅(アイシンギョロ、あいしんかくら)氏は、満洲(中国東北部)に存在した建州女真族(満洲民族)の姓氏で、中国を統一し清朝を打ち立てた家系。清の国姓である。アイシン(ᠠᡳᠰᡳᠨ)は「金」という意味の、かつて女真族が興した王朝名であり、そして後にヌルハチが興した王朝からとった族名(ムクン)、ギョロ(ᡤᡳᠣᡵᠣ)はヌルハチの祖先が最初に定住した土地(現在の黒竜江省依蘭県一帯)の名を戴いた姓氏(ハラ)で、全体で「金の覚羅一族」を表す。漢字は満洲語読みに対する当て字であり意味は持っていない。清朝滅亡後、愛新覚羅氏の多くが漢語に翻訳した「金」姓に取り替えた。なお、愛親覚羅は誤字。.

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慶親王

慶親王(けいしんのう、満州語:、転写:fengšen cin wang)は、清の皇族。乾隆帝第17子永璘が、1799年(嘉慶4年)に慶郡王に、後1820年(嘉慶25年)に慶親王に封ぜられたのを初代とする。以来、郡王として受け継がれたが、1894年(光緖20年)、永璘の孫奕劻は西太后によって慶親王に封ぜられ、その後1898年(光緖24年)には世襲が認められ、清朝第十二位の鉄帽子王とされた。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

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