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金剛流

索引 金剛流

金剛能楽堂、京都市上京区 金剛流(こんごうりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派の一つである。現在の宗家は金剛永謹。.

28 関係: 宝生流安永 (元号)上杉重定上杉治憲幕末京都土蜘蛛喜多流石高米沢藩猿楽芝 (東京都港区)飯倉 (東京都港区)観世流謡曲豊嶋弥左衛門能楽金剛右京金剛巌 (2世)金剛巌 (初世)金剛唯一金剛謹之輔金剛永謹金春流法隆寺日本伝統芸能1778年

宝生流

宝生流(ほうしょう-りゅう)は能楽の流派の一。現在、シテ方とワキ方(下掛宝生流)とがあり、それぞれ別の流儀である。単に「宝生流」というときはシテ方の宝生流をいうことが多い。 また、かつて大鼓方にも「宝生流」「宝生錬三郎派」と呼ばれる流儀があったが、1986年に観世流の名に復した。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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上杉重定

上杉 重定(うえすぎ しげさだ)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩8代藩主。.

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上杉治憲

上杉神社に立つ銅像 江戸時代中期から昭和時代までの上杉氏系図。 上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。 領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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土蜘蛛

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」 蜘蛛の形状の妖怪として描かれている。 土蜘蛛、(つちぐも)は、上古の日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。土雲とも表記される。また同様の存在は国栖(くず)八握脛、八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)とも呼ばれる。「つか」は長さを示す単位であり、八束脛はすねが長いという意味である。 近世以後は、蜘蛛のすがたの妖怪であると広くみなされるようになった。 土蜘蛛は古代、大和朝廷側から異族視されていており、『日本書紀』や各国の風土記などでは「狼の性、梟の情」を持ち強暴であり、山野に石窟(いわむろ)・土窟・堡塁を築いて住み、朝命に従わず誅滅される存在として表現されている瀧音能之、松枝到(編)「土蜘蛛の原義について」『象徴図像研究:動物と象徴』 言叢社 2006 ISBN 4862090079 pp.79-100.

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喜多流

喜多流(きたりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派である。.

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石高

石高(こくだか)とは、近世の日本において、土地の生産性を石という単位で表したもの。太閤検地以降、地租改正まで、大名・旗本の収入および知行や軍役等諸役負担の基準とされ、所領の規模は面積ではなく石高で表記された。また農民に対する年貢も石高を元にして徴収された。.

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米沢藩

戦国時代から江戸時代初期にかけての上杉氏系図。米沢藩の初代藩主・上杉景勝から第3代藩主・上杉綱勝まで。 江戸時代中期から昭和時代までの上杉氏系図。4代藩主・上杉綱憲から現当主まで。 米沢藩(よねざわはん)は、出羽国(明治維新以降の羽前国)置賜郡(現在の山形県東南部置賜地方)を治めた藩。藩庁は米沢城(米沢市)。藩主は上杉氏。家格は外様で国主、石高は30万石、のち15万石から18万7千石。.

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猿楽

猿楽(さるがく、猿樂)は、平安時代に成立した日本の伝統芸能。能は江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治以降のことである。.

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芝 (東京都港区)

芝(しば、中国語:芝/zhī)は、東京都港区の町名。または旧東京市芝区の範囲を指す地域名である。.

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飯倉 (東京都港区)

飯倉(いいぐら、いいくら)は東京都港区麻布地域東部の歴史的地名。その指し示す範囲は時代によって異なるが、現在では主に旧飯倉町、飯倉片町を指す。凡そ飯倉町は東麻布一~三丁目、麻布台一・二丁目、飯倉片町は麻布台三丁目、六本木五丁目東北角に当たる。.

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観世流

観世流(かんぜ-りゅう)は能楽における能の流派の一。シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。.

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謡曲

謡曲(ようきょく)とは、能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する。本来、「謡」と言われていたものが、大正・昭和初期から「謡曲」とも称するようになった。謡曲は「謡の曲」という意味であり、この項目では便宜上能の声楽部分に当たる謡については措き、テキストとしての能の詞章やそれを収めた書籍について取り上げる。謡については謡の項参照。.

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豊嶋弥左衛門

豊嶋 弥左衛門(てしま やざえもん、旧字体:豐嶋 彌左衞門、1899年(明治32年)5月1日 - 1978年(昭和53年)1月3日 )は、シテ方金剛流能楽師。重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は豊嶋 弥平(てしま やへい)、前名は豊嶋 一(てしま はじめ)。 ワキ方高安流豊嶋一松の長男として広島市上幟町に生れ宮島町に育つ。豊嶋家は旧広島藩浅野家お抱えの能楽師で、兄弟6人はみな能楽師となった。1904年(明治34年)『鞍馬天狗』の子方で初舞台。1913年(大正2年)正式にシテ方に転向するため、京都金剛家の内弟子となる。金剛謹之輔、初世金剛巌、金剛右京に師事。1948年(昭和23年)父と弟の追善能で家名の弥左衛門を襲名。芸風は華麗かつ重厚で、渋みを湛えていた。昭和47年(1972年)度文化庁芸術祭大賞。1977年(昭和52年)重要無形文化財保持者(人間国宝)に各個認定。京都市文化功労者。死去後勲四等旭日小綬章が追贈された。  子に豊嶋三千春と豊嶋訓三がいる。   Category:能の役者 Category:広島市出身の人物 Category:勲四等旭日小綬章受章者 Category:1899年生 Category:1978年没.

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能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことである。 能(翁奉納 春日神社 (篠山市)).

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能楽

中尊寺鎮守 白山神社の能舞台(重要文化財) 日牟禮八幡宮の能舞台 日牟禮八幡宮能舞台の橋がかり 能楽(のうがく)は、日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。.

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金剛右京

金剛 右京(こんごう うきょう、明治5年(1872年)10月 - 昭和11年(1936年)3月27日)は、シテ方金剛流能楽師。.

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金剛巌 (2世)

二世金剛 巌(にせい こんごう いわお、1924年(大正13年)12月23日 - 1998年(平成10年)8月1日)は、シテ方金剛流能楽師。二十五世金剛流宗家。 初世の3男として京都に生まれる。父に師事。父の死後、長男、次男と相次いで亡くなり、二十五世宗家を嗣ぐ。二十六世金剛流宗家金剛永謹を子に、孫に金剛龍謹をもつ。1991年紫綬褒章受章。.

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金剛巌 (初世)

金剛 巌(こんごう いわお、1886年(明治19年)3月25日 - 1951年(昭和26年)3月21日)は、シテ方金剛流能楽師。二十四世金剛流宗家。 京都・野村金剛家の金剛謹之輔の子。1937年、金剛右京の死去により坂戸金剛家が断絶したのを受け、翌1937年、他の四流の家元の推薦により金剛流家元となり、宗家継承。 子に二世金剛巌。.

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金剛唯一

金剛 唯一(こんごう ただいち、文化12年(1815年)- 明治17年)(1884年)は、シテ方金剛流猿楽師。二十一世金剛宗家。前名、右近氏成。幕末は石高は100石で芝飯倉5丁目に住していた。 江戸期から明治時代にかけて活躍、能楽復興に尽力する。『土蜘蛛』の千筋の糸を考案したことで有名。子に金剛兵衛氏善。.

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金剛謹之輔

金剛 謹之助(こんごう きんのすけ、1854年10月6日(嘉永7年8月15日) - 1923年(大正12年)8月2日)は、シテ方金剛流能楽師。 金剛流の弟子家である、京都・野村金剛家に生まれる。西の名人として名高く、関西を中心に活躍。東の宝生九郎と並び称される。明治期の名人の一人。 子に二十四世金剛流宗家・初世金剛巌。 Category:能の役者 Category:1854年生 Category:1923年没.

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金剛永謹

金剛 永謹(こんごう ひさのり、1951年(昭和26年)6月24日 - )は、シテ方金剛流能楽師。金剛流二十六世宗家。当代。京都在住。 二世金剛巌の長男として京都市に生れる。父に師事。1956年仕舞「猩々」で初舞台、1958年『猩々』で初シテ。1991年重要無形文化財「能楽」保持者に認定(総合認定)。1998年金剛流二十六世宗家を継承。 現在、公益財団法人金剛能楽堂財団理事長、社団法人日本能楽会常務理事、金剛会理事長を務める。また、団長としてアメリカ、カナダ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル等海外公演多数。 1984年「京都市芸術新人賞」、1986年「京都府文化賞新人賞」、2004年京都府文化賞功労賞受賞。2010年京都市文化功労者表彰を受賞。2017年第67回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『金剛家の面』がある。 1983年に夫人がライオンのママ・ローヤルのCMに出演している。.

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金春流

金春流(こんぱる-りゅう)は能楽の流派の一。古い文献には「今春」とも。シテ方と太鼓方がある。また、かつては大鼓方にも金春流があったが明治期に廃絶した。.

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法隆寺

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。.

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日本伝統芸能

日本伝統芸能(にほんでんとうげいのう)は、日本に古くからあった芸術と技能の汎称。特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事化したものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された、有形無形のものを言う。詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。.

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1778年

記載なし。

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