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覚猷

索引 覚猷

覚猷(かくゆう、天喜元年(1053年) - 保延6年9月15日(1140年10月27日))は、平安時代後期の天台僧。鳥羽僧正(とばそうじょう)と世に呼ばれ、日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられている。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。.

34 関係: まつやまふみお古今著聞集天台宗天喜宇治拾遺物語密教平安時代座主徒弟保延園城寺ユーモア僧正四天王寺烏滸遺言鳥獣人物戯画鳥羽天皇鳥羽絵鳥羽離宮逸話池大雅法成寺源隆国漫画春画放屁合戦1053年10月27日1132年1134年1138年1140年9月15日 (旧暦)

まつやまふみお

松山 文雄(まつやま ふみお、1902年5月18日 - 1982年3月3日)は、日本の洋画家、漫画家、童画家、美術評論家。小県大門、尾山大助などのペンネームも用いた。.

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古今著聞集

古今著聞集(ここんちょもんじゅう)は鎌倉時代、13世紀前半の人、伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集。単に『著聞集』ともいう。事実に基づいた古今の説話を集成することで、懐古的な思想を今に伝えようとするものである。20巻30篇726話からなり、『今昔物語集』に次ぐ大部の説話集である。建長六年(1254)10月頃に一旦成立し、後年増補がなされた。今昔物語集・宇治拾遺物語とともに日本三大説話集とされる。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天喜

天喜(てんぎ)は、日本の元号のひとつで永承の後、康平の前。1053年〜1058年の期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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宇治拾遺物語

『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり)は、13世紀前半頃に成立した、中世日本の説話物語集である。『今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。編著者は未詳。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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座主

座主(ざす).

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徒弟

徒弟(とてい、apprenticeship)、見習いとは、商人や職人の職業教育制度であり、若い世代を業務に従事させて(現任訓練、OJT)、時には座学(学校教育や読書など)を行う制度。いわゆる「弟子」も含め、キャリアを構築することが可能であり、公的な技能認定を取得することが可能である。雇用主と契約した期間、継続的な労働に従事することで、それと引き換えに商売や技能を学ぶことができ、一般的な期間としては3-6年間であり、修了した者は一人前の職人として扱われる。 見習い、職人、達人のそれぞれレベル境界線の定義は、ギルドや労働組合といった組織の内部に留まっている。.

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保延

保延(ほうえん)は、日本の元号の一つ。長承の後、永治の前。1135年から1141年までの期間を指す。この時代の天皇は崇徳天皇。.

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園城寺

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。 なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。.

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ユーモア

ユーモア(humour、Humor, )とは、人を和ませるような《おかしみ》のこと。日本語ではこうした表現を諧謔(かいぎゃく)とも呼ばれ、「有情滑稽」と訳されることもある。.

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僧正

僧正(そうじょう)は、中国の南朝と日本で仏教の僧と尼を統括するために僧侶が任命された官職(僧官)の一つである。.

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四天王寺

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。 宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。.

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烏滸

烏滸(おこ)とは、馬鹿げていてあるいは滑稽で人の笑いを買う様な有様を指す。.

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遺言

遺言(ゆいごん、いごん、いげん)とは、日常用語としては形式や内容にかかわらず広く故人が自らの死後のために遺した言葉や文章をいう。日常用語としてはゆいごんと読まれることが多い。このうち民法上の法制度における遺言は、死後の法律関係を定めるための最終意思の表示をいい、法律上の効力を生じせしめるためには、民法に定める方式に従わなければならないとされている(民法960条)。法律用語としてはいごんと読まれることが多い。.

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鳥獣人物戯画

鳥獣人物戯画(甲巻、部分) 鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物。国宝。鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、嗚呼絵(おこえ)に始まる戯画の集大成といえる。特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される。 成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うため、12世紀 - 13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の幅のある年代に複数の作者によって、別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。 作者には戯画の名手として伝えられる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)が擬されてきたが、それを示す資料はなく、前述の通り各巻の成立は年代・作者が異なるとみられることからも、実際に一部でも鳥羽僧正の筆が加わっているかどうかは疑わしい。おそらく歴史上無名の僧侶などが、動物などに仮託して、世相を憂いつつ、ときには微笑ましく風刺したものであろう。 現在は甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託保管されている。.

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鳥羽天皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。.

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鳥羽絵

歌川国芳による寄せ絵 鳥羽絵(とばえ)とは、江戸時代から明治時代にかけて描かれた浮世絵の様式のひとつで、「江戸の漫画」とも言われる略画体の戯画のことである。この呼び名は鳥羽僧正覚猷作とされる「鳥獣人物戯画」絵巻によっている。.

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鳥羽離宮

鳥羽離宮(とばりきゅう)は、12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されていた院御所。鳥羽殿(とばどの)・城南離宮(じょうなんりきゅう)とも呼ばれる。 場所は、京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・竹田・中島の付近で、朱雀大路の延長線上にあった。敷地面積は180万平方メートル。平安京の羅城門から南に約3kmのあたりにある。.

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逸話

逸話(いつわ、anecdote)とは、世間や世人にあまり知られていない興味深い話、世人の目から逸した(逃れた)話のこと。.

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池大雅

福原五岳筆 池大雅像 楼閣山水図 左隻 十便十宜図のうち、釣便図 Fishing in Springtime クリーブランド美術館 池 大雅(いけの たいが、 享保8年5月4日(1723年6月6日) - 安永5年4月13日(1776年5月30日))は、日本の江戸時代の文人画家、書家。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな)、字は公敏(こうびん)、貨成(かせい)。日常生活には池野 秋平(いけの しゅうへい)の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂(たいがどう)、待賈堂(たいかどう)、三岳道者(さんがくどうしゃ)、霞樵(かしょう)などが知られている。 妻の玉瀾(ぎょくらん)も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の文人画(南画)の大成者とされる。.

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法成寺

法成寺址、京都市上京区 荒神口通寺町通東入ㇽ北側 荒神町 法成寺(ほうじょうじ)は、平安時代中期に藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸(東京極大路の東)に建てられ、京極御堂とも称され、道長の異称「御堂殿」「御堂関白」やその子孫御堂流の由来ともなった。現在の京都市上京区東端にあった。荒神口通寺町東入の路傍、京都府立鴨沂高等学校校庭の塀際に法成寺跡を示す石標が立てられている。.

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源隆国

源 隆国(みなもと の たかくに)は、平安時代後期の公卿。醍醐源氏、大納言源俊賢の子。幼名は宗国。官位は正二位権大納言。宇治大納言と称された。.

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漫画

漫画(まんが、(コミック)、cartoon、manga)とは、狭い定義では笑いを企図した絵をいい、「戯画(カリカチュア)」の概念と近い。広い定義では、必ずしも笑いを目的としない「劇画」「ストーリー漫画」「落書き」「アニメ」なども含み、幅広い意味を持つ。 日本では明治時代に輸入された"comic"、"cartoon"日本漫画家協会の英称はTHE JAPAN CARTOONISTS ASSOCIATIONであり、マンガ大賞の英称もCartoon grand prizeである。の日本語訳として「漫画」という言葉を北澤楽天や今泉一瓢が使用したことに始まって以後、漫画はcomicと同義として扱われる様になり、その意味での「漫画」が昭和初期に普及し、現代における漫画という語へ定着するようになった。本項では、日本の漫画のみではなく、漫画全般について説明する。.

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春画

春画(しゅんが)とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画。浮世絵の一種でもあり、笑い絵や枕絵、枕草紙、秘画、ワ印とも呼ばれる。また、それほど露骨な描写でない絵は危絵(あぶなえ)とも呼ばれた。淫画や淫絵、猥画や猥絵といった呼称も在るが一般的ではない。現在のエロ本に当たる。 その描写は必ずしも写実的でなく、性器がデフォルメされ大きく描かれることが多い。 中国の春画「春宮画」 トルコの春画.

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放屁合戦

放屁合戦(ほうひがっせん)は、日本の絵巻物で時おり見られる、放屁を題材とした画題である。.

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1053年

記載なし。

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10月27日

10月27日(じゅうがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から300日目(閏年では301日目)にあたり、年末まであと65日ある。.

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1132年

記載なし。

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1134年

記載なし。

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1138年

記載なし。

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1140年

記載なし。

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9月15日 (旧暦)

旧暦9月15日は旧暦9月の15日目である。六曜は大安である。.

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