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池大雅

索引 池大雅

福原五岳筆 池大雅像 楼閣山水図 左隻 十便十宜図のうち、釣便図 Fishing in Springtime クリーブランド美術館 池 大雅(いけの たいが、 享保8年5月4日(1723年6月6日) - 安永5年4月13日(1776年5月30日))は、日本の江戸時代の文人画家、書家。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな)、字は公敏(こうびん)、貨成(かせい)。日常生活には池野 秋平(いけの しゅうへい)の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂(たいがどう)、待賈堂(たいかどう)、三岳道者(さんがくどうしゃ)、霞樵(かしょう)などが知られている。 妻の玉瀾(ぎょくらん)も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の文人画(南画)の大成者とされる。.

46 関係: 十便十宜南画吉沢忠大岡信安永 (元号)小学館小林忠川端康成与謝蕪村中国九州国立博物館享保京都国立博物館京都文化博物館出光美術館琳派細合半斎相国寺瀟湘八景萬福寺静岡県立美術館高芙蓉高野山講談社藤田伝三郎董其昌雅号柳沢淇園東京国立博物館江戸時代求龍堂木村蒹葭堂文人画文化庁日本承天閣美術館書家1723年1776年4月13日 (旧暦)5月30日5月4日 (旧暦)6月6日

十便十宜

『十便十宜』(じゅうべんじゅうぎ)は、清の劇作家李漁(李笠翁)が、別荘伊園での生活をうたった詩『十便十二宜詩』のうちの十便十宜(2つの宜の詩は見つかっていない)のこと。『十便十二宜詩』は、草蘆を山麓にむすんで、門をとじて閑居したところ、客の訪問を受け、静は静であろうが、不便なことが多いであろうといったのに対して、便(便利なこと)と宜(よいこと)の詩をつくってこたえたというもの。これに基づいて1771年に池大雅が「十便帖」、与謝蕪村が「十宜帖」を描き、合作した画帖が「十便十宜帖」である。慣用的に「十便十宜図」とも。大雅作の「釣便」は名高い。 「紙本淡彩十宜図〈与謝蕪村筆〉」・「紙本淡彩十便図〈池大雅筆〉」として、1935年4月30日に重要文化財、1951年6月9日に国宝に指定されている。 両者に制作を依頼したのは、鳴海宿の豪農・下郷学海である。学海は大雅の弟子で、大雅が尾張に逗留した際には学海宅に宿泊するなど交流があり、大雅が蕪村に呼びかけてこの共作が実現したという。志賀直哉は、大正時代に所有者だった松本枩蔵宅でこの実物を見て感動し、『座右宝』(自薦の美術図録。大正15年刊)のひとつに池大雅の「十便帖」を選んでいる。川端康成が家を買うのをあきらめてこれを蒐集しており、現在は川端康成記念館蔵。.

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南画

南画(なんが)は、中国の南宗画に由来する 日本的解釈の江戸時代中期以降の画派・画様の用語である。文人画ともいう。.

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吉沢忠

吉沢 忠(よしざわ ちゅう、1909年6月15日 - 1988年1月12日)は、日本の美術史学者。東京藝術大学名誉教授。日本南画研究が専門。.

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大岡信

大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。.

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字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。 昔、中国で成人男子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれをまねて用いた。 また、実名以外に呼び習わされた名。あだな。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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小学館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.

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小林忠

小林 忠(こばやし ただし、1941年4月11日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.479 - )は、日本の美術史学者。日本美術史専攻。『國華』主幹。国際浮世絵学会会長。岡田美術館館長。江戸時代絵画史の研究家だが、とくに浮世絵に詳しい。.

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川端康成

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った原善「川端康成」()。その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた羽鳥徹哉「作家が愛した美、作家に愛された美―絶望を希望に転じ、生命の輝きを見出す」()羽鳥徹哉「川端文学の世界――美についての十章」()。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。 代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()。 川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる「新感覚――『文芸時代』の出発」()「第一編 評伝・川端康成――非情」()「第二部第五章 新人才華」()。また、その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い。 多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した(なお、遺書はなかった)「『美しい日本の私』――ノーベル賞受賞」()「第三部第八章 末期」()。.

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与謝蕪村

与謝 蕪村(よさ ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数ある。 鳶鴉図(重要文化財) 紙本着色.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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九州国立博物館

九州国立博物館(きゅうしゅうこくりつはくぶつかん)は、福岡県太宰府市石坂にある歴史系の博物館。独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館の1つで、2005年10月16日に開館。太宰府天満宮裏で、同宮所有の丘陵地に建設された。通称「九博」(きゅうはく)。館長は島谷弘幸。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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京都国立博物館

京都国立博物館(きょうとこくりつはくぶつかん)は、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館。1897年(明治30年)5月に開館した。2018年時点の館長は佐々木丞平。 主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究、普及活動を行っている。平常展示のほかに特別展が1年に2~4回行われている。.

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京都文化博物館

別館 南西側 別館 南東側(夜景) 京都文化博物館(きょうとぶんかはくぶつかん、The Museum of Kyoto、通称ぶんぱく)は、京都市中京区にある博物館で京都の歴史と文化の紹介を目的とし平安建都1200年記念事業として創立された。建物は京都府が建設し、運営は公益財団法人京都文化財団が行っている。1988年(昭和63年)10月1日開館。正式名称は「京都府京都文化博物館」。 前身は平安博物館と称し財団法人古代学協会の施設として1968年(昭和43年)に作られた私立博物館であった。平安博物館の建物は旧日本銀行京都支店(重要文化財)であったが、京都文化博物館を創設するにあたり財団法人古代学協会から京都府に寄贈された。旧日本銀行京都支店の建物は現在は京都文化博物館の別館として使用されている。 別館の北側に鉄筋コンクリート造地上7階地下1階の建物が新たに建てられ、これが京都文化博物館の本館として使用されている。 京都文化博物館が創設されるとともに、京都府立総合資料館が所蔵する博物館資料の管理が、公益財団法人京都文化財団(京都文化博物館の運営団体)に委託された。したがって、これらの資料は「京都府立総合資料館所蔵・京都文化博物館管理」として表示されることがある。 「国民文化祭・京都2011」の開催を控えた2011年(平成23年)7月、全面リニューアルされた。.

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出光美術館

出光美術館(いでみつびじゅつかん)は、東京都千代田区丸の内及び福岡県北九州市門司区の門司港レトロ地区にある、東洋古美術を中心とした美術館である。運営は、東京の「出光美術館」が公益財団法人出光美術館、門司の「出光美術館(門司)」が公益財団法人出光佐三記念美術館。.

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琳派

俵屋宗達 風神雷神図 琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。.

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細合半斎

細合半斎像 桑山玉洲筆 細合 半斎(ほそあい はんさい、享保12年(1727年) - 享和3年11月6日(1803年12月19日))は、江戸時代中期の儒学者・書家・漢詩人である。 名を離または方明、字を麗王、号は半斎の他に、学半斎・斗南・白雲山樵・太乙・武庫居士、通称は八郎右衛門または次郎三郎。伊勢の人。.

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相国寺

法堂(側面) 相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺。京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。山号を萬年山(万年山)と称し、正式名称を萬年山相國承天禅寺(万年山相国承天禅寺、まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)という。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。 足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。.

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瀟湘八景

瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪はこの地に赴任したときにこの景色を山水図として画いた。後にこの画題が流行し、やがては日本にも及んだ。.

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萬福寺

萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来である。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。 「万福寺」と表記されることもあるが、宗教法人としての名称は「萬福寺」であるため、本項でも「萬福寺」と表記する。.

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静岡県立美術館

静岡県立美術館(しずおかけんりつびじゅつかん Shizuoka Prefectural Museum of Art)は静岡県静岡市駿河区にある静岡県立の美術館である。静岡市の南部、日本平の小高い丘の北側の麓にあり、敷地は県文化センター(約120,000㎡)内にある。県立美術館前駅からアプローチすると、第1、第2駐車場から美術館正門までの約300mの緑に包まれた彫刻プロムナード(作品14点)がある。丘の上からは静岡市街、富士山、南アルプスの眺望を楽しめる。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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高芙蓉

芙蓉(こう ふよう、享保7年3月15日(1722年4月30日) - 天明4年4月26日(1784年6月13日))は、江戸時代中期の儒学者、篆刻家、画家である。日本における印章制度を確立して印聖と讚えられる。 苗字の高は出身地の甲斐国「高梨郡」(後述)に因んで自ら名乗ったもので、本来は大嶋である。名は孟彪(もうひゅう)、字を孺皮(じゅひ)、号は芙蓉、その他に三嶽道者、中嶽画史、氷壑山人、富岻山房など。室名は菡萏居(かんたんきょ)。本姓が源であることから、源孟彪と称することもあった。通称を大嶋逸記(いつき)、近藤斎宮(いつき)と称した。.

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高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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藤田伝三郎

藤田傳三郎(ふじた でんざぶろう、1841年7月3日(天保12年5月15日) - 1912年3月30日)は、日本の実業家。明治時代の大阪財界の重鎮で、藤田財閥の創立者である。建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞、などの経営を手がけ、今日の多くの名門企業の前身を築いた。また有能な経営者を多数育て、美術品の収集家、慈善事業家、数寄者としても名高い。号を香雪と称す。藤田組の創始者。男爵(民間人で初めての男爵)。現在の山口県萩市出身。元奇兵隊士。 長男は藤田平太郎、次男は藤田徳次郎、三男は藤田彦三郎。甥に田村市郎、久原房之助。.

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董其昌

董其昌(とう きしょう、嘉靖34年1月19日(1555年2月10日) - 崇禎9年11月11日(1636年12月8日))は、中国明代末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残した。清朝の康煕帝が董の書を敬慕したことは有名である。その影響で清朝において正統の書とされた。また独自の画論は、文人画(南宗画)の根拠を示しその隆盛の契機をつくった。董が後世へ及ぼした影響は大きく、芸林百世の師と尊ばれた。 字を玄宰。号は思白・思翁・香光と称し、斎室の戯鴻堂・玄賞斎・画禅室も号として用いている。禅に帰依していたため香光居士ともいった。華亭県(現在の上海市閔行区馬橋鎮)の人。.

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雅号

雅号(がごう)とは、文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。.

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柳沢淇園

柳沢 淇園(やなぎさわ きえん、元禄16年7月18日(1703年8月30日) - 宝暦8年9月5日(1758年10月6日))は、江戸時代中期の武士、文人画家、漢詩人。服部南郭、祇園南海、彭城百川らとともに日本文人画の先駆とされる。 幼名は権之助、名ははじめ貞貴、元服後は里恭(さととも)と名乗る。後に中国風に修して柳里恭(りゅうりきょう)と名乗ることを好んだ。代々権太夫と称し、字は広美(こうび)もしくは公美、淇園と号し、ほかに竹渓、玉桂の別号がある。よく知られた淇園の号は、40歳頃から使用したと推測される。.

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東京国立博物館

東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)は、日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館である。館長は銭谷真美。 1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館である。東京都台東区の上野恩賜公園内にある。本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。2017年3月31日時点で、国宝88件、重要文化財636件を含む収蔵品の総数は117,190件(2017年11月時点では国宝89件、重文640件)。これとは別に、国宝55件、重要文化財258件を含む総数3,075件の寄託品を収蔵している。2017年度の陳列総件数は約7,200件。2016年度の来館者数は約191万人である。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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求龍堂

求龍堂(きゅうりゅうどう、Kyuryudo)は、東京都千代田区紀尾井町にある、老舗芸術出版社。1923年石原龍一(本名:足立隆一)が、絵画の売買および美術書籍の出版を目的に東京都神田連雀町に創立した。 社名の求龍(きゅうりゅう)は仏語の「CURIEUX」からとったものである。「芸術的あるいは知的好奇心を求める」「常に新しきを求める」ことを意味する。東洋の「龍」に理想を求め、洋の東西を問わず、優れた芸術書を出版することを標榜しており、制作技術の粋を尽くした出版により「芸術書の求龍堂」と認められるまでになった。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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木村蒹葭堂

『山水図』 紙本淡彩 木村 蒹葭堂(きむら けんかどう、元文元年11月28日(1736年12月29日) - 享和2年1月25日(1802年2月27日))は、江戸時代中期の日本の文人、文人画家、本草学者、蔵書家、コレクター。大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と仕舞多屋(しもたや、家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家の長子として生まれる。名は孔恭(孔龔)、幼名は太吉郎(多吉郎)、字を世肅、号は蒹葭堂の他に、巽斎(遜斎)、通称 坪井屋(壺井屋)吉右衛門。 蒹葭とは葦のことであり、「蒹葭堂」とはもともとは彼の書斎のことである。庭に井戸を掘ったときに葦が出て来たことを愛でてそのように名付けたもので、後にこの書斎の名をもって彼を呼ぶようになった。.

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文人画

文人画(ぶんじんが)とは、中国において職業画家の画(院体画)に対し、文人が余技として描いた絵画のことをいう。.

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文化庁

文化庁(ぶんかちょう、Agency for Cultural Affairs、略称:ACA)は、日本の文部科学省の外局の一つで、文化の振興及び国際文化交流の振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする(文部科学省設置法第18条)。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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承天閣美術館

承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)は、京都府京都市上京区の相国寺境内にある美術館。 相国寺創建600年記念事業の一環として1984年に開館した。相国寺および臨済宗相国寺派に属する鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)などが所有する墨蹟・絵画・工芸品等の文化財(国宝 2件(5点)と国の重要文化財多数を含む)を収蔵・展示している。2004年には同年閉館した萬野美術館(大阪市)から国宝・重要文化財を含む約200点の美術品が寄贈された。 館名の「承天閣」は、相国寺の詳名である「相国承天禅寺」にちなむものである。なお「承天閣美術館」は法人格を有せず、国宝、重要文化財をはじめとする作品の所蔵者は相国寺および関連寺院である。 開基足利義満600年忌の記念事業として増改築を行って2007年5月13日に全館オープンし、展示室の面積は従来の倍以上となった。.

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書家

『蘭亭序』(部分)神龍半印本 王羲之 宸筆 書譜』(部分)孫過庭書 書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。.

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1723年

記載なし。

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1776年

記載なし。

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4月13日 (旧暦)

旧暦4月13日は旧暦4月の13日目である。六曜は仏滅である。.

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5月30日

5月30日(ごがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から150日目(閏年では151日目)にあたり、年末まではあと215日ある。誕生花はオリーブ。.

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5月4日 (旧暦)

旧暦5月4日(きゅうれきごがつよっか)は、旧暦5月の4日目である。六曜は友引である。.

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6月6日

6月6日(ろくがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から157日目(閏年では158日目)にあたり、年末まであと208日ある。誕生花はジギタリス、スターチス。.

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大雅堂池野大雅

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