ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

甲陽軍鑑

索引 甲陽軍鑑

『甲陽軍鑑』(こうようぐんかん)は、甲斐国の戦国大名である武田氏の戦略・戦術を記した軍学書である。本編20巻全59品(59章)、末書2巻。武田信玄・勝頼期の合戦記事を中心に、軍法、刑法などを記している。.

94 関係: ちくま学芸文庫古川哲史史料批判吉留路樹天正太平記太閤記奥野高廣実証主義小幡光盛小幡昌盛小幡景憲小和田哲男山本勘助岩波文庫岩波書店常山紀談丸島和洋三笠書房平山優 (歴史学者)平戸藩今福友清伊藤玄蕃佐渡島徳川家康徳間書店信長公記土橋治重ニュートン (雑誌)刑法ジャック・メディア・キャピタル元禄兵学勝山記勉誠出版国史大辞典 (昭和時代)国立国会図書館知的生きかた文庫磯貝正義笹本正治筑摩書房織田信長田中義成甲州流軍学甲乱記甲斐国角川学芸出版角川文庫語彙高白斎記...高柳光寿跡部勝資軍法黒井城の戦い黒田日出男鈴村進肥前国長坂光堅長篠の戦いPortable Document Format柴辻俊六松浦重信武功雑記武士道武家名目抄武田信勝武田信玄武田信虎武田勝頼武田氏歴史学汲古書院湯浅常山服部治則本阿弥光悦戦国大名戦国遺文戦略戦術戦闘明暦春日虎綱新人物往来社日本国語大辞典懐刀教育社歴史新書1575年1577年1582年1586年1621年1696年1960年2009年 インデックスを展開 (44 もっと) »

ちくま学芸文庫

ちくま学芸文庫(ちくまがくげいぶんこ)は、筑摩書房による学術部門・文庫判レーベル。.

新しい!!: 甲陽軍鑑とちくま学芸文庫 · 続きを見る »

古川哲史

古川 哲史(ふるかわ てつし、1912年5月8日 - 2011年8月22日)は、日本の倫理学者。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と古川哲史 · 続きを見る »

史料批判

史料批判(しりょうひはん、Quellenkritik)とは、歴史学を研究する上で史料を用いる際、様々な面からその正当性、妥当性を検討することである。19世紀ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケの提唱による歴史学研究法を指す。その著『近世歴史家批判』は史料批判をとおして近代歴史学の基礎を確立した画期的な著作だとされている。 日本で「史料批判」の訳語を用いた早い例としては、原勝郎が1898年(明治31年)の「」において「史料の批評に二樣の別あり」とその訳語を用いている。 さらに20世紀に入って1935年に、西洋史学者今井登志喜が『歴史学研究法』を著し「史料批判」を詳細に紹介する。ここでの史料とは「文献口碑伝説、碑銘、遺物遺跡、風俗習慣等、過去の人間の事実に証明を与えうるものすべて」今井(1953)。であるが、以下文献史料を中心に述べる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と史料批判 · 続きを見る »

吉留路樹

吉留 路樹(よしとめ ろじゅ/みちき、1925年7月21日 - 1997年6月24日)は、ルポライター、ノンフィクション作家、小説家、評論家。 長崎県生まれ。新聞記者をへて文筆家となり、左翼的な立場から政治、鉄道業界、労働運動、自動車、朝鮮人問題、日本史などはば広い分野で著述を行った。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と吉留路樹 · 続きを見る »

天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と天正 · 続きを見る »

太平記

『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。今川家本、古活字本、西源院本などの諸種がある。「太平」とは平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。 第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と太平記 · 続きを見る »

太閤記

『太閤記』(たいこうき)は、広義には太閤・豊臣秀吉の生涯を綴った伝記の総称。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と太閤記 · 続きを見る »

奥野高廣

奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。文学博士。現在でも織田信長研究の権威と評されている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と奥野高廣 · 続きを見る »

実証主義

実証主義(じっしょうしゅぎ、positivism、positivisme、Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。 英語の「positive」は、もともと「(神によって)置かれた」を意味するラテン語「positivus」に由来する。この原義から転じて、実証主義における「positive」とは、経験的に裏付けられたものを意味する。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と実証主義 · 続きを見る »

小幡光盛

小幡 光盛(おばた みつもり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で、足軽大将。武田家の足軽大将・小畠日浄(盛次)の子、兄に小畠虎盛がいる。通称は弥左衛門尉、山城守、晩年には下野守を称している。諱は光盛だが、他に貞長、虎昌、昌虎ともいう。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と小幡光盛 · 続きを見る »

小幡昌盛

小幡 昌盛(おばた まさもり)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏家臣で足軽大将。武田信玄、武田勝頼の2代に仕える。父は小畠虎盛(小幡虎盛)で次男。叔父に小幡光盛がいる。仮名は孫十郎だが、『甲陽軍鑑』や『軍鑑』に基づいた『甲斐国志』では孫次郎としている。武田二十四将の一人に数えられる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と小幡昌盛 · 続きを見る »

小幡景憲

小幡 景憲(おばた かげのり、1572年(元亀3年)- 1663年4月3日(寛文3年2月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・軍学者。小幡昌盛の三男。養子に小幡景松(かげとし)。幼名は熊千代、別名を孫七郎、勘兵衛。法名は道牛。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と小幡景憲 · 続きを見る »

小和田哲男

小和田 哲男(おわだ てつお、1944年(昭和19年)2月1日 - )は、日本の歴史学者、文学博士。静岡大学名誉教授。日本の戦国時代(特に今川氏)に関する研究で知られる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と小和田哲男 · 続きを見る »

山本勘助

山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代の武将。 『甲陽軍鑑』においては名を勘助、諱を晴幸、出家後道鬼を称したという。勘助の諱・出家号については文書上からは確認されていなかったが、近年、沼津山本家文書「御証文之覚」「道鬼ヨリ某迄四代相続仕候覚」により、江戸時代段階で山本菅助子孫が諱を「晴幸」、出家号を「道鬼」と認識していたことは確認された。ただし「晴幸」の諱については、明治25年(1892年)に星野恒が「武田晴信(信玄)が家臣に対し室町将軍足利義晴の偏諱である「晴」字を与えることは社会通念上ありえなかった」とも指摘している。 『甲陽軍鑑』巻九では天文16年に武田晴信が『甲州法度之次第』を定めた際に勘助の年齢を55歳としており、これに従うと生年は明応2年(1493年)となる平山(2006)、p.44。一方、『甲陽軍鑑』末書下巻下の「山本勘介うハさ。五ヶ条之事」によれば、勘助の生年を明応9年(1500年)としている。「五ヶ条之事」では勘助が本国を出て武者修行を行い、駿河で滞在し今川家に仕官を望み、甲斐へ移り武田家に仕官し、出家し川中島の戦いで戦死する一連の履歴の年齢を記しているが、これには矛盾が存在していることが指摘される。生年には、文亀元年(1501年)説もある。『甲陽軍鑑』によれば、没年は永禄4年( 1561年)9月10日の川中島の戦いで討死したとされる。 近世には武田二十四将に含められ、武田の五名臣の一人にも数えられて、武田信玄の伝説的軍師としての人物像が講談などで一般的となっているが、「山本勘助」という人物は『甲陽軍鑑』やその影響下を受けた近世の編纂物以外の確実性の高い史料では一切存在が確認されていないために、その実在について長年疑問視されていた。しかし近年は「山本勘助」と比定できると指摘される「山本菅助」の存在が複数の史料で確認されている「山本菅助」文書については後述。。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と山本勘助 · 続きを見る »

岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と岩波文庫 · 続きを見る »

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と岩波書店 · 続きを見る »

常山紀談

『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。簡潔な和文で書かれており、本文25巻、拾遺4巻、それと同じ内容を持った付録というべき「雨夜燈」1巻よりなっている。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と常山紀談 · 続きを見る »

丸島和洋

丸島 和洋(まるしま かずひろ、1977年 - )は、日本の歴史学者。専門は戦国大名論。慶應義塾大学文学部非常勤講師、立教大学文学部兼任講師、早稲田大学エクステンションセンター講師、戦国史研究会事務局長。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と丸島和洋 · 続きを見る »

三笠書房

株式会社三笠書房(みかさしょぼう、MIKASA SHOBO CO., LTD.)は、東京都千代田区に本社を置く日本の出版社。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と三笠書房 · 続きを見る »

平山優 (歴史学者)

平山 優(ひらやま まさる/ゆう、1964年1月10日 - )は、日本の教員・歴史学者。専門は日本中世史・近世史。現在は山梨県立中央高等学校教諭(定時制)、元山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨大学非常勤講師、山梨県史編さん室主査、山梨県教育庁学術文化財課主査、山梨県立博物館副主幹。武田氏研究会、中世史研究会、戦国史研究会、織豊期研究会、山梨郷土研究会会員。武田氏研究会副会長。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と平山優 (歴史学者) · 続きを見る »

平戸藩

平戸藩(ひらどはん)は、肥前国松浦郡と彼杵郡の一部、および壱岐国を領した藩。藩庁は平戸城(現在の長崎県平戸市)。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と平戸藩 · 続きを見る »

今福友清

今福 友清(いまふく ともきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣。譜代家老衆。駿河国久能城主。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と今福友清 · 続きを見る »

伊藤玄蕃

伊藤 玄蕃(いとう げんば、生没年不詳)は、戦国時代の武士。武田信玄に仕えた「二十人頭」の1人。甲陽軍鑑に記載されている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と伊藤玄蕃 · 続きを見る »

佐渡島

佐渡島(さどしま、さどがしま)国土地理院 「」、「」平成26年10月1日時点。「」は、新潟県西部に位置する周囲262.7kmの島で、その全域が新潟県佐渡市である。人口は58,047人(2014年12月1日現在)。 面積は854.76km。これは、島嶼部を除いた東京都(東京23区・多摩地域)の面積1791.47kmの約48%にあたり、大阪府の面積1897.86kmの約45%に相当する。本州などの主要4島と北方領土を除く日本の島の中で沖縄本島に次ぐ面積を持つ。 また周囲262.7kmの距離は概ね本州を横断する上越新幹線(大宮駅-新潟駅約100分)の路線距離269.5kmに相当する。最高標高は金北山の1,172mで、その西隣の妙見山(標高1,042m)山頂には日本海の一定空域を監視する自衛隊のレーダーサイトがある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と佐渡島 · 続きを見る »

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と徳川家康 · 続きを見る »

徳間書店

株式会社徳間書店(とくましょてん、Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd.)は、日本の出版社。エンタテインメント分野が中心。 カルチュア・コンビニエンス・クラブの連結子会社。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と徳間書店 · 続きを見る »

信長公記

信長公記/陽明文庫所蔵 『信長公記』(しんちょうこうき / のぶながこうき)は、戦国大名である織田信長の一代記で、戦国時代から安土桃山時代にかけての史料。著者は信長旧臣の太田牛一。原本は江戸時代初期に成立した。 信長の幼少時代から信長が足利義昭を奉じて上洛する前までを首巻とし、上洛(永禄11年(1568年))から本能寺の変(天正10年(1582年))まで15年の記録を1年1巻とし、全16巻(16冊)にまとめている。 読みに関しては米沢藩上杉氏旧蔵本である個人蔵十冊本の内題に「しんちやうき」とあることから、音読みで「しんちょうき」と読まれていたと考えられている。また、森銑三は江戸時代にはその人に敬意を表する意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し(有職読み)、同様の事例に『義経記(ぎけいき)』を挙げている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と信長公記 · 続きを見る »

土橋治重

土橋 治重(どばし じじゅう、1909年4月25日 - 1993年6月20日)は、日本の詩人・作家。 山梨県出身。本名・はるしげ。サンフランシスコのハミルトン高等学校卒業。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と土橋治重 · 続きを見る »

ニュートン (雑誌)

『ニュートン』(Newton)は、ニュートンプレスから刊行されている日本の月刊科学雑誌。 2015年6月現在、発売日は毎月26日(26日が日曜日の場合は25日)、定価は本体1,111円+税。.

新しい!!: 甲陽軍鑑とニュートン (雑誌) · 続きを見る »

刑法

刑法(けいほう)とは、犯罪とそれに対する刑罰の関係を規定する法である。 「刑法」という語は、前記のような意味(実質的意義)で用いられるほか、そのような内容を定めた法典(刑法典)の題名としても用いられる(形式的意義における刑法)。刑法典は、一般的な犯罪に関わるものとして「普通刑法」ないし「一般刑法」ともよばれる。実質的意義における刑法は、刑法典の内容に限らず、犯罪の成立要件とその犯罪に対して科せられる法律効果としての刑罰の内容を規定した国家的法規範の全てを指し、また、刑罰を補充する制度である保安処分に関する法をも含むこともある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と刑法 · 続きを見る »

ジャック・メディア・キャピタル

株式会社ジャック・メディア・キャピタル(Jacke-media-capital)は、雑誌「KERA」と連動した通販事業や直営ショップ「KERA SHOP」を展開している日本の企業。 かつては若者向けファッション誌やライフスタイル誌、料理レシピ誌などの各種雑誌・ムック、ビジネス書、自己啓発書、雑学・教養書、実用書などを発行していたが、モール・オブ・ティーヴィー(後のジェイ・インターナショナル)に出版事業を譲渡している。.

新しい!!: 甲陽軍鑑とジャック・メディア・キャピタル · 続きを見る »

元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と元禄 · 続きを見る »

兵学

兵学(へいがく)とは軍事や国防、特に近世以降、近代以前の日本における戦略や戦術などの用兵を研究する学問を言うことが多かった。軍事学とその内容を厳密に区別して使われることはあまりない。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と兵学 · 続きを見る »

勝山記

河口湖と富士山 勝山記・妙法寺記(かつやまき・みょうほうじき)は、戦国時代の年代記。甲斐国(山梨県)の河口湖地方を中心とした富士山北麓地域の年代記。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と勝山記 · 続きを見る »

勉誠出版

勉誠出版(べんせいしゅっぱん)は日本の出版社。1967年(昭和42年)設立。主に文学、時事・社会問題の分野の出版を手掛けている。当初は勉誠社と呼称していた。 文学の分野では、事・辞典や研究書その他の一般書を出版している。代表的な出版物は世界児童・青少年文学情報大事典、宮沢賢治事典、太宰治事典、菅原道真事典、太平記、チェスター・ビーティー・ライブラリーなど。 また、時事、社会問題の分野では、通説的な視点とは別の視点で問題を取り扱う出版物が多い。代表的な出版物は、精神医療の静かな革命-向精神薬の光と影、図書館経営論、グローバル化時代の日本人など。 2004年(平成16年)4月10日には、季刊誌「GYROS(ジャイロス)」が創刊され、「一神教の功罪」(第1号)、「子どもの反乱」(第2号)、「国文学の死と再生」(第3号)、「沖縄の苦悩」(第5号)、「今に続く明治の光と影」(第11号)、「治安崩壊」(第12号)といった問題が取り上げられている。 1999年2月新免康編「越境する新疆・ウイグル」より刊行が始まった『アジア遊学』は、2015年現在180号以上まで続き、アジアの文化・歴史・社会その他に関するユニークな論文集のシリーズとなっている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と勉誠出版 · 続きを見る »

国史大辞典 (昭和時代)

國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と国史大辞典 (昭和時代) · 続きを見る »

国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と国立国会図書館 · 続きを見る »

知的生きかた文庫

知的生きかた文庫(ちてきいきかたぶんこ)とは三笠書房から出版されている文庫本のレーベル。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と知的生きかた文庫 · 続きを見る »

磯貝正義

磯貝 正義(いそがい まさよし、1912年5月25日 - 2008年7月25日)は、日本の歴史学者。山梨大学名誉教授。山梨県立考古博物館初代館長、武田氏研究会会長、山梨県史編さん委員会委員長。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と磯貝正義 · 続きを見る »

笹本正治

笹本 正治(ささもと しょうじ、1951年(昭和26年)12月19日 - )は、日本の歴史学者。前信州大学人文学部教授・副学長。2016年4月1日から長野県立歴史館長。専攻は日本の中世史・近世史。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と笹本正治 · 続きを見る »

筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と筑摩書房 · 続きを見る »

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と織田信長 · 続きを見る »

田中義成

中 義成(たなか よしなり、安政7年3月15日(1860年4月5日) - 大正8年(1919年)11月5日)は、国史学者。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と田中義成 · 続きを見る »

甲州流軍学

州流軍学(こうしゅうりゅうぐんがく)は甲斐・武田氏の戦術が理想化され、江戸時代に大成された兵学(軍学)の一つ。武田流軍学、甲州流兵法、信玄流兵法とも呼ばれる。 加賀藩では前田綱紀に仕えた有沢永貞により教えられたことから、有澤流と呼ばれている。『武教全書』を著した山鹿素行も甲州流及び北条流軍学を学んだ。八戸藩の武芸に取り入れられている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と甲州流軍学 · 続きを見る »

甲乱記

『甲乱記』(こうらんき)は、日本の歴史書。著者・成立年代は不詳だが、天正10年(1582年)8月とする説がある。全一巻。 内容は天正10年(1582年)の甲斐武田氏の滅亡を記した軍記物語。武田勝頼に対する木曾義昌の謀反から筆を起こし、恵林寺の焼失・織田信長の入甲を持って筆を収めている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と甲乱記 · 続きを見る »

甲斐国

斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と甲斐国 · 続きを見る »

角川学芸出版

角川学芸出版(かどかわがくげいしゅっぱん)は、日本の出版社・KADOKAWAと角川文化振興財団の共通ブランド。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川学芸出版についても解説する。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と角川学芸出版 · 続きを見る »

角川文庫

角川文庫(かどかわぶんこ)は、株式会社KADOKAWAが発行している文庫レーベル(角川書店ブランド)。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と角川文庫 · 続きを見る »

語彙

語彙(ごい)とは、ある特定の範囲(例えば、一つの文学作品や、一個人の発言記録など)において使われる単語の総体(「彙」は「集まり」の意味)。したがって、通例「語彙」を個々の語を示す表現として用いることはできない。たとえば、「あの人は語彙が豊富だ。」という文は容認できるが、「『もったいない』という語彙」と述べることには不自然さが伴う。語彙を体系的に記述研究する言語学の分野を語彙論という。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と語彙 · 続きを見る »

高白斎記

白斎記(こうはくさいき)は、戦国時代の記録史料。甲斐武田氏の用務日誌などを基に成立したと考えられている日記。「高白斎」は、原筆者と考えられている武田家臣駒井政武の号。別称に『甲陽日記』、『高白斎日記』。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と高白斎記 · 続きを見る »

高柳光寿

柳 光寿(たかやなぎ みつとし、高柳光壽とも。1892年3月11日 - 1969年12月1日)は、日本の歴史学者。自身で「柳」と署名しているものもある。國學院大學教授。大正大学教授。静岡県出身。 専門は日本中世史、特に戦国時代史。足利尊氏研究、戦国史研究の権威。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と高柳光寿 · 続きを見る »

跡部勝資

跡部 勝資(あとべ かつすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣。跡部信秋の子。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と跡部勝資 · 続きを見る »

軍法

軍法(ぐんぽう、英語:military law)とは軍隊の構成員に対して適用される特別な法体系であり、成文法と慣習法により構成されているが、国によってその内容は大きく異なる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と軍法 · 続きを見る »

黒井城の戦い

黒井城の戦い(くろいじょうのたたかい)は、安土桃山時代に織田信長の命をうけた明智光秀などが丹波国征討を目的に行われた、赤井氏の堅城黒井城への攻城戦。天正3年(1575年)と天正7年(1579年)の2度に渡って行われた。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と黒井城の戦い · 続きを見る »

黒田日出男

黒田 日出男(くろだ ひでお、1943年1月 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史(絵画史料論、歴史図像学)。東京大学史料編纂所所長、立正大学文学部史学科教授、群馬県立歴史博物館館長を歴任。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と黒田日出男 · 続きを見る »

鈴村進

鈴村 進(すずむら すすむ、1930年 - )は、日本の作家、評論家。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と鈴村進 · 続きを見る »

肥前国

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と肥前国 · 続きを見る »

長坂光堅

長坂 光堅(ながさか みつかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐国武田氏の家臣で譜代家老衆。小笠原氏の庶流にあたる。 出家名は釣閑斎(ちょうかんさい)。別名に虎房(とらふさ)、頼広(頼弘)(よりひろ)があるとされる。「釣閑斎光堅」。「釣閑斎」は「長閑斎」ともされるが、「長閑斎」は別人の今福長閑斎を指すことが指摘される。尚、出家してこうけんと名乗った。 嫡男に奥近習六人衆に数えられる昌国(源五郎)、次男に今福昌常(今福浄閑斎養子)がある。武田晴信の乳兄弟ともいわれる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と長坂光堅 · 続きを見る »

長篠の戦い

長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。 決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしの したらがはら の たたかい)と記す場合もある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と長篠の戦い · 続きを見る »

Portable Document Format

Portable Document Format(ポータブル・ドキュメント・フォーマット、略称:PDF)は、アドビシステムズが開発および提唱する、電子上の文書に関するファイルフォーマットである。1993年に発売されたAdobe Acrobatで採用された。 特定の環境に左右されずに全ての環境でほぼ同様の状態で文章や画像等を閲覧できる特性を持っている。 アドビシステムズはPDF仕様を1993年より無償で公開していたが、それでもPDF規格はAdobeが策定するプロプライエタリなフォーマットであった。2008年7月には国際標準化機構によってISO 32000-1として標準化された。アドビはISO 32000-1 についての特許を無償で利用できるようにしたが、XFA (Adobe XML Forms Architecture) やAdobe JavaScriptなどはアドビのプロプライエタリな部分として残っている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑とPortable Document Format · 続きを見る »

柴辻俊六

柴辻 俊六(しばつじ しゅんろく、1941年9月10日 - )は、日本の歴史学者・古文書学者・図書館員。元早稲田大学図書館司書。専門は日本の戦国時代史。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と柴辻俊六 · 続きを見る »

松浦重信

松浦 重信(まつら しげのぶ、元和8年3月13日(1622年4月23日) - 元禄16年10月6日(1703年11月14日))は、江戸時代前期の大名。肥前平戸藩の第4代藩主。平戸松浦氏第29代当主。隠居の後に諱を曾祖父と同じ鎮信(しげのぶ)へと改めており、その漢字表記でよく知られている。 第3代藩主・松浦隆信の長男。母は牧野康成の娘・充。正室は明石藩主松平忠国の娘。幼名は千代鶴、通称が源三郎。官位は従五位下、肥前守。 宋の文人文天祥を尊敬して天祥庵を結び、天祥と号する。後年、退静爺や、徳祐とも称した。法名は圓惠(円恵)。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と松浦重信 · 続きを見る »

武功雑記

『武功雑記』(ぶこうざっき)は、肥前平戸藩4代藩主、松浦鎮信の著で、元禄9年(1696年)ごろの成立の書物。天正から元和期に活躍した諸将について記されている。全17巻。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に関連する諸将についての逸話が多く、特に関ヶ原の合戦、大坂の陣について詳しい。記事の多くは、松浦家で召し抱えた武士からの聞き書きによる。寛文の初期から執筆が始められ、約30年間にわたって書き続けられ、鎮信が75歳であった元禄9年(1696年)ごろに完成した。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武功雑記 · 続きを見る »

武士道

武州忍藩士・吉田庸徳(慶応4年(1868年)、下岡蓮杖撮影) 武士道(ぶしどう)は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武士道 · 続きを見る »

武家名目抄

武家名目抄(ぶけみょうもくしょう)とは、江戸時代後期に江戸幕府の命を受けた和学講学所によって編纂された武家故実書。全381冊。 文化3年(1806年)、大学頭林述斎より和学講学所塙保己一に対して、六国史以後(仁和3年(887年))より江戸幕府成立(慶長8年(1603年))までの実録編纂が命じられ、その史料として武家勃興期よりの職名・武具・文書類についての記録の蒐集と編纂が命じられた。2年後より必要経費として毎年50両が江戸幕府より和学講学所に支給されている。文政5年(1822年)に武家故実に関する草稿18冊が提出されたが、同年に保己一が病没、やむなく和学講学所の中山信名・松岡辰方らによって校訂が行われた。 武家勃興期以来の故実を部門別に排列し、その典拠を明示して考証を加えている。部門は職名・称呼・居所・衣服・公事・文書・歳時・儀式・弓箭・甲冑・刀剣・旗幟・輿馬・術芸・軍陣・雑の16部門と付録で構成されている。武家故実の研究においては基本的な資料として後世まで重んじられた。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武家名目抄 · 続きを見る »

武田信勝

武田 信勝(たけだ のぶかつ)は、安土桃山時代の人物。甲斐武田氏の第21代当主。父は武田勝頼、母は美濃国衆・遠山直廉の娘で織田信長の養女である龍勝院。戦国大名としての甲斐武田家の最後の当主であると考えられている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武田信勝 · 続きを見る »

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武田信玄 · 続きを見る »

武田信虎

武田 信虎(たけだ のぶとら)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。武田信玄の父。甲斐源氏の宗家・武田氏第18代当主。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武田信虎 · 続きを見る »

武田勝頼

武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪 勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。 通称は四郎。当初は諏訪氏(高遠諏訪氏)を継いだため、諏訪四郎勝頼、あるいは信濃国伊那谷の高遠城主であったため、伊奈四郎勝頼ともいう。または、武田四郎、武田四郎勝頼とも言う。「頼」は諏訪氏の通字で、「勝」は信玄の幼名「勝千代」に由来する偏諱であると考えられている。父・信玄は足利義昭に官位と偏諱の授与を願ったが、織田信長の圧力によって果たせなかった。そのため正式な官位はない。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武田勝頼 · 続きを見る »

武田氏

武田氏(たけだし)は、平安時代末から戦国時代の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家である。安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国などにも庶流があったが、いずれも通字として「信」(のぶ)が使用されている。古代の国造である武田臣(皇別)の後裔が河内源氏義光流の棟梁と婚姻したという説も伝わっている。 河内源氏の名族の一つとして戦国時代には戦国大名化し、武田晴信(信玄)の頃には領国拡大し中央の織田・徳川勢力に対抗するが勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代には庶家だけがわずかに残った。 家宝は御旗(後冷泉天皇から下賜された日章旗)・楯無(楯無の鎧、源頼義が御旗とともに授けられたという)。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と武田氏 · 続きを見る »

歴史学

歴史学(れきしがく)とは、過去の史料を評価・検証する過程を通して歴史の事実、及びそれらの関連を追究する学問である。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と歴史学 · 続きを見る »

汲古書院

株式会社汲古書院(きゅうこしょいん)は、日本の学術出版社である。主に日本古典・古典中国文学の学術研究に加え、文献学・書誌学の出版・販売を手掛ける。発足に大きく関わった長沢規矩也の「著作集」を始め、2001年から約15年かけ『後漢書』全訳書(全19冊)を刊行した。 中国からの古典・学術図書の輸入をしていた大安の活動を引き継いでいる。 同じ性格を持つ出版社に研文出版がある。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と汲古書院 · 続きを見る »

湯浅常山

湯浅 常山(ゆあさ じょうざん)は、江戸時代中期の岡山藩士・儒学者。常山は雅号で、諱は元禎。字は之祥(士祥)。通称は新兵衛。『常山紀談』で著名。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と湯浅常山 · 続きを見る »

服部治則

服部 治則(はっとり はるのり、1920年7月18日- 2015年(平成27年)2月28日)は、日本の歴史学者・民俗学者である。山梨大学名誉教授。山梨郷土研究会常任理事。正四位。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と服部治則 · 続きを見る »

本阿弥光悦

本阿弥光悦 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と本阿弥光悦 · 続きを見る »

戦国大名

戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と戦国大名 · 続きを見る »

戦国遺文

戦国遺文(せんごくいぶん)は、東京堂出版から発行されている戦国時代の古文書を集めた史料集。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と戦国遺文 · 続きを見る »

戦略

戦略(せんりゃく、Strategy)は、一般的には特定の目的を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術・科学である。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と戦略 · 続きを見る »

戦術

戦術(せんじゅつ、Tactics)は、作戦・戦闘において任務達成のために部隊・物資を効果的に配置・移動して戦闘力を運用する術である。そこから派生して言葉としては競技や経済・経営、討論・交渉などの競争における戦い方をも意味するようになる。理論的・学問的な側面を強調する場合は戦術学とも言う。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と戦術 · 続きを見る »

戦闘

戦闘(せんとう、、proeliumプロエリウム)とは、相互に敵対する二つの勢力による暴力の相互作用である。戦斗、戰闘とも。 戦闘が行われている場所を戦場(せんじょう)、戦地といい、歴史的に戦闘(合戦など)が行われた場所は古戦場(こせんじょう)と呼ぶことがある。歴史的な慣習によって、「―の戦い」、「―の合戦」、「―の会戦」という用語も用いられる。 ここでは戦闘一般に関する軍事学の研究を概説する。 戦闘とは一般的に、敵対している部隊が特定の目的を達成するために戦闘力を行使する行動、またはその行動によって引き起こされる一連の交戦状況であり、具体的には発見(索敵)、機動、攻撃・防御、追撃・後退行動と段階的に進展する。戦闘において部隊を指導するのは戦術であり、戦闘の目的や投入される戦力の装備、規模は作戦計画によって決定される。戦闘では敵と敵施設に対して武器、兵器を使用して殺傷することによって抵抗行動を排除、破壊し、作戦目標を達成することが主要な作業となる。戦闘当事者である兵士たちは非常に強い肉体的・精神的なストレスを受けながら戦闘行動をとることになるため、被弾や被爆で死傷するだけでなく、衝撃的な経験からPTSDなどの精神疾患を患う場合もある。また戦闘は戦闘当事者双方ともに生死の狭間という極限状況において活動するため、戦場心理と呼ばれる特別な心理状態になることもある。そのため、戦闘力の要素として火力や機動力などのほかに軍事的リーダーシップが含まれると考えられている。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と戦闘 · 続きを見る »

明暦

明暦(めいれき)は日本の元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1658年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と明暦 · 続きを見る »

春日虎綱

春日 虎綱 / 高坂(香坂) 昌信(かすが とらつな / こうさか まさのぶ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣で譜代家老衆。幼名は春日源五郎(かすがげんごろう)。武田晴信 (信玄)・勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と春日虎綱 · 続きを見る »

新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と新人物往来社 · 続きを見る »

日本国語大辞典

日本国語大辞典(にほんこくごだいじてん)は、小学館が発行する日本で最大規模の国語辞典である。初版は日本大辞典刊行会編。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と日本国語大辞典 · 続きを見る »

懐刀

懐刀(ふところがたな)とは、日本の慣用句、比喩表現の一つ。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と懐刀 · 続きを見る »

教育社歴史新書

教育社歴史新書(きょういくしゃ れきし しんしょ)とは、教育社(現キョーイクソフト)が発行していた新書シリーズ。日本史シリーズと東洋史シリーズと西洋史シリーズの三つがあった。1977年から1991年まで、初期は毎月刊行されていた。 すべて書下ろしであり、一つ一つのテーマごとで一冊の本にし、大掴みできることができるようにした入門書、教養書である。時代ごとに区切られてはいるが、通史ではないので、それぞれ独立して読めるようになっている。 Category:新書レーベル Category:日本の歴史系叢書 Category:戦後日本の歴史書.

新しい!!: 甲陽軍鑑と教育社歴史新書 · 続きを見る »

1575年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1575年 · 続きを見る »

1577年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1577年 · 続きを見る »

1582年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1582年 · 続きを見る »

1586年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1586年 · 続きを見る »

1621年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1621年 · 続きを見る »

1696年

記載なし。

新しい!!: 甲陽軍鑑と1696年 · 続きを見る »

1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と1960年 · 続きを見る »

2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

新しい!!: 甲陽軍鑑と2009年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »