ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

烏丸資任

索引 烏丸資任

烏丸 資任(からすまる すけとう、応永24年(1417年) - 文明14年12月15日(1483年1月23日))は室町時代の公家。室町幕府8代将軍足利義政の寵臣。烏丸豊光の子。号は蓮光院。子に烏丸益光、養子に烏丸冬光がいる。従姉は日野重子。 足利義教の三男で次期将軍を継承する可能性が低かった義政は、幼少時には母方の一族である資任の屋敷(烏丸殿)にて育てられた石原比位呂「義政期の将軍家と天皇家」『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版、2015年) ISBN 978-4-585-22129-6。ところが、嘉吉3年(1443年)、義政が兄の急死で急遽将軍を継ぐことになったために資任の烏丸殿がそのまま将軍の御所として用いられる事になり、長禄3年(1459年)に義政が室町殿に移るまでこの状態が続いた。このため、将軍の育ての親的存在になった資任の発言力が高まることになった。 文安元年(1444年)に参議、長禄2年(1458年)には従一位・准大臣に任じられた。応仁元年(1467年)に出家し、西誉と号する。応仁の乱を避けて三河国伊良湖御厨(愛知県田原市)に下向し、文明14年(1482年)に同地にて66歳で薨去。 今参局(御今)や有馬持家とともに一時幕政に深く関与したが、3人とも「おいま」「ありま」「からすま(る)」と「ま」がつくことから「三魔」と呼ばれた。.

32 関係: 参議室町幕府室町時代三河国今参局伊良湖岬従一位応仁応仁の乱応永嘉吉准大臣公家烏丸家田原市足利義政足利義教長禄有馬持家文安文明 (日本)日野重子愛知県12月15日 (旧暦)1417年1443年1444年1458年1459年1467年1483年1月23日

参議

参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.

新しい!!: 烏丸資任と参議 · 続きを見る »

室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

新しい!!: 烏丸資任と室町幕府 · 続きを見る »

室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

新しい!!: 烏丸資任と室町時代 · 続きを見る »

三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

新しい!!: 烏丸資任と三河国 · 続きを見る »

今参局

今参局(いままいりのつぼね、生年不詳 - 長禄3年1月19日(1459年2月22日))は、室町時代の女性。通称お今。室町幕府第8代将軍・足利義政の乳母。大舘満冬(みつふゆ)の娘、兄に大舘教氏(のりうじ)がいる。父と兄はそれぞれ、義政の祖父・義満(3代将軍)、父・義教(6代将軍)から偏諱の授与を受けている。今参局自身の本名は不明。義政側近の有力者として烏丸資任、有馬持家(有馬元家とも)と共に三魔(おいま、からすま、ありま)と称された。.

新しい!!: 烏丸資任と今参局 · 続きを見る »

伊良湖岬

伊良湖岬 (いらごみさき)は、愛知県田原市にあり、太平洋と三河湾を望む渥美半島先端の岬である。.

新しい!!: 烏丸資任と伊良湖岬 · 続きを見る »

従一位

従一位(じゅいちい)は、日本の位階及び神階の位の一つ。正一位の下に位し、正二位の上位にあたる。.

新しい!!: 烏丸資任と従一位 · 続きを見る »

応仁

応仁(おうにん)は、日本の元号の一つ。文正の後、文明の前。1467年から1468年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

新しい!!: 烏丸資任と応仁 · 続きを見る »

応仁の乱

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。十数年に亘る戦乱は和睦の結果、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。 応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。.

新しい!!: 烏丸資任と応仁の乱 · 続きを見る »

応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

新しい!!: 烏丸資任と応永 · 続きを見る »

嘉吉

嘉吉(かきつ)は、日本の元号の一つ。永享の後、文安の前。1441年から1444年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義教、足利義勝。.

新しい!!: 烏丸資任と嘉吉 · 続きを見る »

准大臣

准大臣(じゅんだいじん)とは、日本の朝廷において、大臣に准ずる待遇のこと。またその称号、およびその称号を与えられた者。唐名は儀同三司(ぎどうさんし)。 准大臣という官職は存在しない。三位以上の公卿に大臣の下・大納言の上の席次を与えて朝議に参加させる待遇を意味し、本来は「大臣に准ず」と文として読むのが正しかった。これが後代になると准大臣宣下が昇進過程に加えられ、更に時代が下ると実質上の極官として扱われるようになることから、制度上は待遇に過ぎない准大臣が実際には官職と同様に扱われるようになっていった。.

新しい!!: 烏丸資任と准大臣 · 続きを見る »

公家

公家(くげ)とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。天皇に近侍し、または御所に出仕していた、主に三位以上の位階を世襲する家。 公家の称の由来として、元来は天皇または朝廷を指し、「こうけ」「おおやけ」と読んだ。鎌倉時代以降、藤原氏・源氏・平氏などの貴族の内で、武力で天皇に奉仕する幕府を武家(軍事貴族、武家貴族)と称するようになると、それに対比して、儀式と文治をもって天皇に奉仕する宮廷貴族一般を公家(公家貴族)と呼ぶようになった。.

新しい!!: 烏丸資任と公家 · 続きを見る »

烏丸家

烏丸家(からすまるけ)は、藤原北家日野氏流の公家である。家格は名家。室町時代の権大納言日野資康(裏松資康)の三男・贈内大臣豊光を祖とする。家業は歌道。江戸時代の石高は1153石。 豊光の子・資任は准大臣。室町幕府8代将軍足利義政の生母日野重子の従弟にあたり、義政の養育に努めて成長後はその寵臣となる(義政が成長するまで、資任の屋敷である烏丸殿が将軍の御所として用いられた)。今参局、有馬持家とともに権勢を振るい、「おいま・ありま・からすま」の3人で「三魔」と呼ばれ恐れられた。 江戸時代初期の光広は、歌人、能書家として知られた文化人であり、細川幽斎から古今伝授を受けている。 幕末・明治維新では、光徳が尊皇攘夷派として活躍し、明治維新後は参与、初代東京府知事等を務めた。光徳の二男・光亨は、華族令施行により伯爵に叙せられた。光徳の三男・光臣は、大審院長を務めた南部甕男の養子となり男爵。内務官僚となり群馬県知事、貴族院議員、宮中顧問官等を務めた。.

新しい!!: 烏丸資任と烏丸家 · 続きを見る »

田原市

原市(たはらし)は、愛知県南端、渥美半島にある市。.

新しい!!: 烏丸資任と田原市 · 続きを見る »

足利義政

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。.

新しい!!: 烏丸資任と足利義政 · 続きを見る »

足利義教

足利 義教(あしかが よしのり、義)は、室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 - 1441年)。第3代将軍・足利義満の五男。母は側室の藤原慶子で、第4代将軍・足利義持の同母弟。僧侶時代は義円(ぎえん、義圓)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。.

新しい!!: 烏丸資任と足利義教 · 続きを見る »

長禄

長禄(ちょうろく)は、日本の元号の一つ。康正の後、寛正の前。1457年から1461年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

新しい!!: 烏丸資任と長禄 · 続きを見る »

有馬持家

有馬 持家(ありま もちいえ、応永3年(1396年)? - 宝徳2年(1450年)?)は、室町時代中期の武将。摂津有馬氏の当主。通称は兵部少輔。有馬義祐の子。子に元家。赤松満祐、満政とは従兄弟。 有馬氏は摂津国有馬郡を領して将軍の近習を務め、本家の赤松氏とは別に室町幕府に直勤していた。 初名は教実(のりざね)、のち第4代将軍足利義持より偏諱を受けて持家と改名。前述の通り赤松氏の分家であることから、姓は赤松とも。 永享元年(1429年)頃から6代将軍足利義教(義持の弟)の御伴衆となる。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱直後も本家である赤松満祐方には与せず、山名宗全率いる幕府側の赤松追討軍に加わったとみられる。その後、新たに播磨守護を兼ねた宗全が持家の従兄弟・赤松満政の領する播磨東3郡を侵食すると、満政は怒り挙兵するが敗北。逃亡した満政は持家を頼る。持家は一度は満政に呼応し挙兵するが敗れ、満政父子を討ち取り幕府へ帰順するが、態度を咎められ隠居した。 8代将軍足利義成(後の義政)に近侍し、その寵臣となったと言われ、義政の乳母今参局(御今)および義政の母日野重子の従弟烏丸資任と共に義政側近の有力者として知られ、「三魔」と並び称されたという(おいま、からすま、ありまと、「ま」がつく3人)。相国寺の瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』康正元年1月6日(1455年1月23日)条には「政は三魔より出づ」と記されている。 ただし、他の2人と異なり、持家に関しては特に専横の振る舞いは記録されておらず、義政側近中の「ま」がつく人ということで数合わせとして挙げられたとも考えられる(一説に持家が死去したのは宝徳2年(1450年)といい、そうなると義政将軍期としては時期が合わない)。その事から近年では子の元家が三魔の一人であると言われている。 もちいえ Category:室町・安土桃山時代の武士 Category:摂津国の人物 Category:1390年代生 Category:1450年代没.

新しい!!: 烏丸資任と有馬持家 · 続きを見る »

文安

文安(ぶんあん、ぶんなん)は、日本の元号の一つ。嘉吉の後、宝徳の前。1444年から1449年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は空位。.

新しい!!: 烏丸資任と文安 · 続きを見る »

文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

新しい!!: 烏丸資任と文明 (日本) · 続きを見る »

日野重子

日野 重子(ひの しげこ、応永18年(1411年) - 寛正4年8月8日(1463年9月20日))は、室町時代中期の女性。日野家出身。室町幕府6代将軍・足利義教の側室。日野重光の子。7代将軍・足利義勝、8代将軍・足利義政の生母。兄は日野義資で、その孫が日野勝光、日野富子。義教の正室宗子は姉で、烏丸資任は従弟にあたる。 永享6年(1434年)に義勝、永享8年(1436年)に義政を産む。嘉吉の乱で夫・義教が殺害された後、幼年の義勝や義政を補佐して幕政に関与し、義政の寵愛を受けた乳母・今参局と対立した。今参局は義政正室富子の産んだ子が早世したのが彼女の呪詛のためとされて流刑にされ、長禄3年(1459年)、自害させられるが、これは富子の指示とも重子の指示とも言われる。 寛正4年8月8日(1463年9月20日)に死去。それに伴い、斯波義敏、畠山義就が赦免された。.

新しい!!: 烏丸資任と日野重子 · 続きを見る »

愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

新しい!!: 烏丸資任と愛知県 · 続きを見る »

12月15日 (旧暦)

旧暦12月15日は旧暦12月の15日目である。六曜は友引である。.

新しい!!: 烏丸資任と12月15日 (旧暦) · 続きを見る »

1417年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1417年 · 続きを見る »

1443年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1443年 · 続きを見る »

1444年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1444年 · 続きを見る »

1458年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1458年 · 続きを見る »

1459年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1459年 · 続きを見る »

1467年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1467年 · 続きを見る »

1483年

記載なし。

新しい!!: 烏丸資任と1483年 · 続きを見る »

1月23日

1月23日(いちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から23日目に当たり、年末まであと342日(閏年では343日)ある。誕生花は、スノーフレークなど。.

新しい!!: 烏丸資任と1月23日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

日野資任

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »