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棋士 (将棋)

索引 棋士 (将棋)

棋士(きし)は、将棋用語としては俗に「将棋指し」・「プロ棋士」ともいい、本将棋を職業(専業)とする人のこと。現代では日本将棋連盟に所属し、棋戦に参加する者を指す(狭義)。女性限定の制度による「女流棋士」(女流のプロ)やアマチュアへの普及・指導を担当する「指導棋士」は(狭義の)棋士ではない。 また、日本将棋連盟は各種アマチュア大会に出場するアマチュア(愛棋家)のことを「アマチュア棋士」ではなく「選手」と呼んでいる。.

134 関係: 加古川青流戦加藤一二三加藤治郎十段升田幸三叡王戦名人名人 (将棋)塚田正夫大山康晴大橋家大橋宗古 (2代)大橋宗与 (3代)大橋宗英 (6代)大橋宗桂 (5代)大橋宗桂 (9代)大橋宗桂 (初代)大橋分家大正天野宗歩女流棋士 (将棋)学齢定石小菅剣之助小阪昇小野五平小林東伯斎小池重明将棋将棋のタイトル在位者一覧将棋のタイトル戦結果一覧将棋の手合割将棋界将棋電王戦将棋棋士一覧将棋指し将棋所中原誠丸山忠久世界コンピュータ将棋選手権三浦弘行九段幕末久保利明今泉健司伊藤宗印 (2代)伊藤宗印 (8代)伊藤宗看 (3代)伊藤宗看 (6代)伊藤宗看 (初代)...伊藤看寿佐瀬勇次佐藤康光佐藤慎一 (棋士)徳川家康保木邦仁土居市太郎内藤國雄Bonanza王将王将戦王座王座戦 (将棋)王位王位戦 (将棋)稲葉聡竜王竜王戦米長邦雄羽生世代羽生善治真剣師産経新聞番勝負瀬川晶司百番指し花村元司芸人銀河戦職業順位戦飯田弘之詰将棋高柳敏夫谷川浩司阪田三吉関根金次郎藤井聡太金易二郎雁木囲いGPS将棋NHK杯テレビ将棋トーナメントPonanzaTACOSYAMADAチャレンジ杯森けい二森内俊之棋王戦 (将棋)棋聖棋聖戦 (将棋)棋譜棋戦 (将棋)橋本崇載檜垣是安毎日新聞永作芳也江戸時代淡路仁茂渡辺東一渡辺明渡辺明 (棋士)清水市代朝日杯将棋オープン戦木村義雄指導棋士有吉道夫戦後戦国時代 (日本)昭和新人王戦 (将棋)新聞新進棋士奨励会日本将棋大系日本将棋連盟懸賞金11月12日1924年1927年1936年1944年1947年2006年2010年9月8日 インデックスを展開 (84 もっと) »

加古川青流戦

加古川青流戦(かこがわせいりゅうせん)は、加古川市、加古川市ウェルネス協会主催で行われる将棋の棋戦。2011年創設。名称は一般公募より選考にて決定された。.

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加藤一二三

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士。 実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。 戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「の天才」「神武以来(じんむこのかた)」とは「(初代天皇神武天皇が即位して)我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味で、神武景気に沸く1955年の流行語。 ・「1分将棋の神様」「interview 信念を貫き通した棋士人生60年」『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.36-49の異名を持つ。.

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加藤治郎

加藤治郎(かとう じろう).

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十段

十段(じゅうだん)・十段戦(じゅうだんせん).

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升田幸三

升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 - 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。広島県双三郡三良坂町(現三次市)生まれ。名前は正しくは「こうそう」と読むが、将棋界では「こうぞう」で通した。木見金治郎九段門下。棋士番号18。.

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叡王戦

叡王戦(えいおうせん)は、ドワンゴ主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。2015年度に一般棋戦として第1期が開始され、2017年度の第3期からタイトル戦に昇格した一番新しいタイトル戦である。七番勝負の勝者は叡王のタイトル称号を得る。.

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名人

名人(めいじん).

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名人 (将棋)

将棋における名人(めいじん)は、棋士の称号の一つである。江戸時代(1612年)から昭和初期(1937年)までは将棋界の最高権威者に与えられた終身位であり、棋界の近代化にあたって短期実力制へ移行した1937年(昭和12年)以降は名人戦におけるタイトル称号となっている。女流名人、アマチュア棋戦の「名人」はそれぞれを参照。.

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塚田正夫

塚田 正夫(つかだ まさお、1914年(大正3年)8月2日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、将棋棋士。名誉十段。実力制第二代名人。日本将棋連盟会長(1974年 - 1976年)。勲四等旭日小綬章(追贈、1978年)。紫綬褒章(1975年)。花田長太郎九段門下。棋士番号は11。東京都文京区出身。.

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大山康晴

大山 康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。 主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等がある。十五世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。 順位戦A級に在籍しながら、1977年(昭和52年)から1988年(昭和63年)まで日本将棋連盟会長を務めた。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。正四位勲二等瑞宝章。岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県上北郡おいらせ町の名誉市民・名誉町民。.

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大橋家

大橋家(おおはしけ)は江戸時代の将棋家元(将棋三家)の一家。初代大橋宗桂が祖。将棋三家には分家である大橋分家があり、それとの区別で特に大橋本家とも呼ばれる。身分は御用達町人。.

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大橋宗古 (2代)

二代大橋宗古(にだいおおはしそうこ、1576年(天正4年) - 1654年8月27日(承応3年7月15日))は将棋指し、二世名人。父は一世名人初代宗桂。弟に初代大橋宗与。子に三代大橋宗桂、初代伊藤宗看妻。孫に四代大橋宗伝、五代大橋宗桂。.

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大橋宗与 (3代)

三代大橋宗与(さんだいおおはしそうよ、1648年(慶安元年)-1728年5月13日(享保13年4月5日))は江戸時代の将棋指し。六世名人。将棋家元三家の一つ大橋分家三代当主。初代大橋宗桂の曾孫。初代大橋宗与の孫。二代大橋道仙の子。四代大橋宗与(大橋宗民)の父。本来の表記は大橋宗與。.

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大橋宗英 (6代)

六代大橋宗英(ろくだい おおはし そうえい、宝暦6年(1756年) - 文化6年11月17日(1809年12月23日))は江戸時代の将棋指し。九世名人。将棋三家の一つ大橋分家当主。大橋分家出身者としては2人目の名人。五代大橋宗順の子。七代大橋宗与の父。.

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大橋宗桂 (5代)

五代大橋宗桂(ごだい おおはしそうけい、1636年(寛永13年) - 1713年5月29日(正徳3年5月6日))は江戸時代の将棋指し。将棋家元大橋本家当主、四世名人。初名は宗銀。二世名人大橋宗古の外孫。三世名人伊藤宗看の子。六代大橋宗銀の養父。.

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大橋宗桂 (9代)

九代大橋宗桂(くだい おおはし そうけい、1744年(寛保4年) - 1799年9月13日(寛政11年8月14日))は、江戸時代の人物。日本の将棋指し。八世名人。将棋家元三家の一つである大橋本家当主。五世名人二代伊藤宗印の孫。七世名人三代伊藤宗看、贈名人初代伊藤看寿の甥。父は八代大橋宗桂。養子に十代大橋宗桂。初名は印寿。.

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大橋宗桂 (初代)

初代 大橋 宗桂(しょだい おおはし そうけい、弘治元年(1555年) - 寛永11年3月9日(1634年4月6日))は、将棋指し、一世名人。子に、二世名人・大橋宗古、初代大橋宗与がいる。近年の研究によると、初代宗桂の生前にはまだ大橋姓はなかったともいわれている。.

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大橋分家

大橋分家(おおはしぶんけ)は、江戸時代の将棋の家元三家(将棋三家)の一つである。名人を2名出した。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天野宗歩

天野 宗歩(あまの そうほ(「そうふ」とも)、文化13年(1816年) - 安政6年5月13日(1859年6月13日))は、江戸時代末期の将棋指し。正字表記では天野宗步。七段。十一代大橋宗桂門下。 大橋家、伊藤家といった将棋三家の出ではないため、当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、「実力十三段」と言われ、後に棋聖と呼ばれるようになる。十三世名人関根金次郎によって棋聖の称号が公式に認められた。現在のタイトルのひとつである「棋聖戦」は、ここに由来する。.

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女流棋士 (将棋)

女流棋士(じょりゅうきし)は、将棋を職業とし、女流棋戦に参加する女性のことを指す(引退者も含む。退会者は含まない)。女流棋士には、日本将棋連盟所属の者、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の者、フリー(無所属)の者がいる。.

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学齢

学齢(がくれい)とは学校に就学して教育を受けることが適切とされる年齢のことである。日本では、満6歳の誕生日以後の最初の4月1日から9年間(満15歳に達した日以後の最初の3月31日まで)が該当する。第二次世界大戦後の日本においては義務教育の対象年齢にあたる者のことを「学齢○○」と称するため、日本国籍者についての学齢期と義務教育期は同一のものを指している。このため、あえて義務教育と学齢の概念を区別して解説する意味は薄いが、かつては学齢期と義務教育期間は明確に異なる概念であった。学齢は、義務教育と関係が深い概念なので、より深く理解するには「義務教育」の記事も参照。.

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定石

定石、定跡(じょうせき)とは、アブストラクトゲームにおける用語である。お互いが最善と考えられる手を行った場合の一連の手のこと。チェスでは、「オープニング」とも。石を用いる囲碁、オセロ、連珠などでは「定石」が、駒を用いる将棋、チェスなどでは「定跡」が用いられる。.

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小菅剣之助

小菅 剣之助(こすげ けんのすけ/こすが けんのすけ、常用漢字制定前は小菅剱之助、元治2年1月24日(1865年2月19日) - 昭和19年(1944年)3月6日)は、将棋棋士(名誉名人)、実業家、国会議員。八代 伊藤宗印門下。愛知県名古屋市出身。.

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小阪昇

小阪 昇(こさか のぼる、1950年2月18日 - ) は、将棋棋士。2010年、引退。藤内金吾八段門下。棋士番号は112。兵庫県神戸市出身。.

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小野五平

小野 五平(おの ごへい、天保2年10月6日(1831年11月9日) - 大正10年(1921年)1月29日)は、江戸時代から明治・大正時代にかけての将棋指し・将棋棋士、十二世名人。通説では天野宗歩門下とされるが、日本将棋連盟の見解では十一代大橋宗桂の門下である。.

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小林東伯斎

小林 東伯斎(こばやし とうはくさい、生年不詳 - 明治31年(1898年))は、江戸時代末期から明治時代にかけての将棋指し。天野宗歩門下。八段。紀伊国(和歌山県)出身。小林定楠(諱)、小林東四郎(字)とも名乗る。養子に小林岩次郎。.

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小池重明

小池 重明(こいけ じゅうめい、本名・こいけ しげあき、1947年12月24日 - 1992年5月1日)は、愛知県名古屋市出身の将棋アマチュア選手。アマ最強と呼ばれ、その強さは花村元司も評価。賭け将棋で生計を立てる真剣師としても伝説的な強さだったとされる。「新宿の殺し屋」「プロ殺し」など数多くの異名と独特の棋風で知られる。.

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将棋

将棋(しょうぎ)は、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種で、一般に「将棋」というときは特に本項で述べる本将棋(ほんしょうぎ、古将棋や現代の変形将棋類、変則将棋などと区別するための名称)を指す。 チェスなどと同じく、古代インドのチャトランガが起源と考えられている。 以下、本項では主に本将棋について解説する(本将棋以外の将棋及び将棋に関連する遊戯については将棋類の一覧を参照)。.

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将棋のタイトル在位者一覧

将棋のタイトル在位者一覧(しょうぎのタイトルざいいしゃいちらん)は、将棋の棋戦タイトル在位者の一覧であり、1937年度(昭和12年度)に実力名人制が発足してから現在までのタイトル在位者を網羅する。 5期以上のタイトルを獲得した棋士の名前には着色している。タイトル在位期間は次期タイトル戦の番勝負終了までとなる。.

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将棋のタイトル戦結果一覧

将棋のタイトル戦 結果一覧(しょうぎのタイトルせん けっかいちらん)では、初めて将棋の実力制タイトル保持者を決めた第1期名人戦(1935 - 1937年)以降のすべてのタイトル戦の結果を記す(女流タイトル戦は除く)。 本記事では、タイトル戦登場者の姓(または略名)と番勝負のスコアのみ記す。.

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将棋の手合割

将棋の手合割(しょうぎのてあいわり)とは、将棋におけるハンデキャップのことを言う。.

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将棋界

将棋界(しょうぎかい)、棋界(きかい)は、将棋をめぐって、プロの棋士やアマチュア選手、将棋ファン(愛棋家)、業界関係者などで構成する社会領域。日本将棋連盟がその総本山である。.

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将棋電王戦

将棋電王戦(しょうぎでんおうせん)とは、ドワンゴが主催するプロ棋士とコンピュータ将棋ソフトウェアとの非公式棋戦である。映像メディアが主催する棋戦としてニコニコ生放送による中継と、対局者やソフトウェア開発者などをフィーチャーした事前PVが特徴。 開催までの経緯についてはコンピュータ将棋#人間との対局の歴史を参照のこと。.

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将棋棋士一覧

将棋棋士一覧(しょうぎきしいちらん)は、日本将棋連盟の将棋の棋士の一覧である。現役・引退・物故を問わず、棋士のすべてを棋士番号順に記す。 ただし、棋士番号制定以前(棋士番号制度が始まったのは1977年4月1日)や日本将棋連盟発足以前の棋士も本記事の後半に記す。 江戸時代の棋士については、将棋の家元(大橋家、大橋分家、伊藤家)の記事を参照。 下記も参照。.

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将棋指し

将棋指し(しょうぎさし)とは、将棋を指す芸人のこと。日本の前近代的な職業を示す言葉ではあるが、現代のプロ棋士・女流棋士・アマチュア選手なども俗に「将棋指し」と呼ばれることが少なくない。しかし現代とはちがって、前近代の将棋指しは、プロとアマチュアがおおむね未分化な状態であったと思われる。棋客・将棋師などと呼ばれた時代もあった。.

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将棋所

将棋所(しょうぎどころ)は、江戸時代の将棋の家元(名人を世襲し、大橋家・大橋分家・伊藤家が襲位していた)が名乗っていた称号。名人家は寺社奉行の管轄下にあった。かつては将棋所という公式な役職が存在したと考えられていたが、近年の研究では公職ではなく家元の自称にすぎなかったとされている。.

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中原誠

中原 誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、将棋棋士。2009年3月、引退。十六世名人、および永世十段・永世王位・名誉王座・永世棋聖という5つの永世称号を保持し、かつ、いずれも引退前から名乗る1994年4月1日に「永世十段」、2007年9月2日に「名誉王座」、同年11月17日に「十六世名人」を、2008年4月1日に「永世棋聖」および「永世王位」を名乗る。参考リンクは以下に列挙(いずれも日本将棋連盟の「お知らせ」より)。.

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丸山忠久

丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は、将棋棋士、九段。実力制11人目の名人。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は194。千葉県木更津市出身。いわゆる「羽生世代」の一人。.

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世界コンピュータ将棋選手権

世界コンピュータ将棋選手権(せかいコンピュータしょうぎせんしゅけん、 )は、コンピュータ将棋プログラムの世界選手権。主催はコンピュータ将棋協会。 第10回までの名称は「コンピュータ将棋選手権」だったが、海外からの参加者も出場する様になったため、第11回から現在の名称に変更された。.

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三浦弘行

三浦 弘行(みうら ひろゆき、1974年2月13日 - )は、日本の将棋棋士。棋士番号204。 群馬県高崎市出身。西村一義九段門下。既婚。.

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九段

九段(くだん)は、東京都千代田区にかつて存在した町名、及び坂の名称。本項目では九段坂(くだんざか)についても述べる。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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久保利明

久保 利明(くぼ としあき、1975年8月27日 - )は、将棋棋士。棋士番号は207。淡路仁茂九段門下。兵庫県加古川市出身。県立加古川南高校中退。日本将棋連盟棋士会副会長(2015年6月 - )。.

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今泉健司

今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は299。愛知県豊橋市生まれ、広島県福山市出身。桐谷広人門下(奨励会時代は小林健二門下)。 2014年のプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付けでプロ棋士四段となった - スポーツニッポン 2014年12月8日 - 日本将棋連盟。奨励会所属時は三段で退会、アマチュアでは七段であった。.

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伊藤宗印 (2代)

二代伊藤宗印(にだい いとう そういん、1655年(承応4年) - 1723年12月28日(享保8年12月2日))は江戸時代の将棋指し。将棋家元三家の一家である伊藤家二代当主、五世名人。前名は鶴田幻庵(文献によっては玄蔵)。 伊藤家初代当主初代伊藤宗看の養子。伊藤印達(五段)、七世名人三代伊藤宗看、八代大橋宗桂(伊藤宗寿)(八段)、伊藤看恕(七段)、初代伊藤看寿(贈名人)の父。伊藤得寿(三代宗看の子、早世)、九代大橋宗桂、伊藤寿三(二代伊藤看寿)の祖父。七代伊藤宗寿の曽祖父。.

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伊藤宗印 (8代)

八代伊藤宗印(はちだいいとうそういん、1826年(文政9年7月) - 1893年(明治26年)1月6日)は、江戸時代の将棋指し。十一世名人。将棋三家の一家伊藤家当主。最後の家元出身の名人である。 実子に伊藤印嘉(早世)。弟子に小菅剣之助名誉名人、関根金次郎十三世名人がいる。.

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伊藤宗看 (3代)

三代伊藤宗看(さんだいいとうそうかん、1706年(宝永3年)-1761年6月2日(宝暦11年4月29日))は江戸時代の将棋指し。七世名人。将棋三家の一つである伊藤家当主。別名に政長、印寿。 父は五世名人二代伊藤宗印(次男)。兄に伊藤印達(五段)。弟に八代大橋宗桂(八段)、伊藤看恕(七段)、初代伊藤看寿(八段、贈名人)。子に四代伊藤得寿(五段)。養子に弟の初代看寿。 指し将棋、詰将棋ともに優れ、「鬼宗看」とも呼ばれる。御城将棋では、18勝6敗1持将棋と圧倒的な強さを誇った(名人就位前の戦績は10勝1敗)。.

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伊藤宗看 (6代)

六代伊藤宗看(ろくだいいとうそうかん、1768年(明和5年) - 1843年10月9日(天保14年9月16日))は、日本の江戸時代の将棋指し。十世名人。将棋家元三家の一伊藤家当主。前名は松田印嘉。子に伊藤看理(六段)、伊藤看佐(七段)、伊藤金五郎(六段)。養子に七代伊藤宗寿。.

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伊藤宗看 (初代)

初代伊藤宗看(しょだい いとう そうかん、1618年(元和4年) - 1694年12月22日(元禄7年11月6日))は将棋指し、三世名人。.

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伊藤看寿

伊藤看寿(いとうかんじゅ、初代;享保4年(1719年) - 宝暦10年8月23日(1760年10月1日))は、江戸時代の将棋指し。将棋家元三家の一家である伊藤家出身。八段。死後に名人位を追贈。別名は政富。 二代伊藤宗印(五世名人)の五男。兄に伊藤印達(五段)、三代伊藤宗看(七世名人、養親でもある)、八代大橋宗桂(八段・八世名人九代大橋宗桂の父)、伊藤看恕(七段)。子に二代伊藤看寿(後に伊藤寿三と改名)(五段)。孫に七代伊藤宗寿。.

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佐瀬勇次

佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。.

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佐藤康光

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代7位)。永世棋聖の資格を保持する。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府八幡市出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会長、2017年2月から日本将棋連盟会長。.

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佐藤慎一 (棋士)

佐藤 慎一(さとう しんいち、1982年8月16日 - )は、将棋棋士。東京都練馬区出身。剱持松二門下。棋士番号は271。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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保木邦仁

保木 邦仁(ほき くにひと、1975年12月22日-)は、日本の物理化学者、知能情報学者。電気通信大学大学院情報理工学研究科准教授。コンピュータ将棋 Bonanzaの開発者。.

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土居市太郎

土居 市太郎(どい いちたろう、1887年(明治20年)11月20日 - 1973年(昭和48年)2月28日)は、将棋棋士。名誉名人。1932年から1934年に日本将棋連盟会長を務めた。関根金次郎十三世名人門下。弟弟子に金易二郎、花田長太郎、木村義雄、渡辺東一らがいる。愛媛県松山市出身。.

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内藤國雄

内藤 國雄(ないとう くにお、1939年11月15日-)は、将棋棋士。棋士番号77。兵庫県神戸市出身。藤内金吾八段門下。演歌歌手、詰将棋作家としても活動。レコードジャケット、音楽配信での氏名の表記は「内藤国雄」。棋聖、王位のタイトルを通算4期(各2期)獲得。竜王戦1組通算3期。順位戦A級通算17期。.

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Bonanza

Bonanza(ボナンザ)は、コンピュータ将棋のプログラム。Windows用のフリーウェアとして公開されており、誰でも無償でダウンロードして利用できる。ソースコードも公開されている。.

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王将

王将(王將、おうしょう).

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王将戦

王将戦(おうしょうせん)は、スポーツニッポン新聞社及び毎日新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。その名の通り、駒の「王将」から命名された。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年(1期)にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。.

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王座

王座(おうざ).

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王座戦 (将棋)

王座戦(おうざせん)は、日本経済新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1953年に一般棋戦として創設され(同年、囲碁の王座戦も開始)、1983年(31期)にタイトル戦に格上げされた。前身は「世代別対抗将棋戦」。五番勝負の勝者は王座のタイトル称号を得る。.

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王位

王位(おうい).

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王位戦 (将棋)

王位戦(おういせん)は、ブロック紙3社連合(北海道新聞社、中日新聞社、西日本新聞社と神戸新聞社、徳島新聞社)主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1960年に「三社杯B級選抜トーナメント」が発展解消されて4番目のタイトル戦となった。創設時は三社連合と産経新聞の主催であり、「王位戦」の名称は、産経新聞がそれまで主催していた「早指し王位決定戦」の名前を継承したもの。産経新聞は1962年から棋聖戦を単独開催することになり、王位戦の主催から離脱した『将棋八大棋戦秘話』(河出書房新社)P.104。七番勝負の勝者は王位のタイトル称号を得る。.

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稲葉聡

葉 聡(いなば さとし、1985年(昭和60年)10月14日 - )は、日本の将棋のアマチュア選手。アマチュアとしては史上初めて、プロ公式棋戦(加古川青流戦)で優勝した。棋士の稲葉陽は実弟。男性。.

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竜王

北京頤和園にて。 龍王(りゅうおう)は、仏教における蛇形の鬼類であるナーガの王(ナーガラージャ)、または中国の想像上の神獣である龍が人格化した神格。.

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竜王戦

王戦(りゅうおうせん)は、読売新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。第1期は1987年であるが、前身の十段戦、さらにその前身の九段戦(第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で名人戦(第1期は1935 - 1937年)に次いで2番目に長い歴史を有している。七番勝負の勝者は竜王のタイトル称号を得る。 竜王位は名人位とともに、プロ将棋界の頂点とされている。.

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米長邦雄

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、将棋棋士。タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し、引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。趣味は囲碁で囲碁八段(日本棋院から追贈)。 2003年(平成15年)12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年(平成17年) - 2012年(平成24年))。 2003年(平成15年)11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)1月、旭日小綬章受章(没後叙勲)。 北陸先端科学技術大学院大学特任教授(2011年(平成23年)10月1日 - 2012年(平成24年)9月30日)。 日本財団評議員(2011年(平成23年)4月 - 2012年(平成24年)12月)。財団法人JKA評議員(本来の任期満了予定日は2013年(平成25年)3月31日であったが、死去により死去日をもって自動的に退任した)。日本テレビ番組審議会委員。ニッポン放送番組審議会委員。東京都教育委員(1999年(平成11年)12月 - 2007年(平成19年)12月)などを歴任。 山梨県南巨摩郡増穂町(現・富士川町)出身。中野区立第八中学校、東京都立鷺宮高等学校卒業。中央大学経済学部4年次3月(年度末)退学。.

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羽生世代

羽生世代(はぶせだい)は、羽生善治と年齢が近い強豪将棋棋士を指す呼称。.

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羽生善治

羽生 善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、日本の将棋棋士。十九世名人、永世竜王、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の称号資格保持者、及び名誉NHK杯選手権者の称号保持者襲位(就位)は原則引退後。名誉NHK杯選手権者のみ即日就位。。二上達也九段門下。棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。.

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真剣師

真剣師(しんけんし)とは、賭け将棋、賭け麻雀といったテーブルゲームの賭博によって生計を立てている者のことである。この手の賭け事を「真剣」と呼ぶことに由来し、大会やタイトル戦に出場して賞金を得るプロ棋士などとは異なり、主に個人的な賭博を行う者を指す。麻雀の真剣師は裏プロともいう。.

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産経新聞

旧題字の看板を掲示する販売店も存在する 産経新聞(さんけいしんぶん、題字は産經新聞、英称:THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社が発行する日本の新聞。 産業経済新聞社はフジテレビジョンやニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループに属する。 大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年(昭和8年)6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」。.

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番勝負

勝負(ばんしょうぶ)は、主として、囲碁や将棋の棋戦などにおいて、同じ2名の対局者が複数回の対局を行い、勝数が多い方を優勝者等とする仕組みを指す言葉である。「番」は対局の局数(回数)を意味する助数詞であり、本来は「七番勝負」のように漢数字を冠して表記するが、様々な番数の勝負の総称として「番勝負」と言う。囲碁では「番碁」(ばんご)という言葉を使うことも多い。.

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瀬川晶司

川 晶司(せがわ しょうじ、1970年3月23日 - )は、将棋棋士。安恵照剛門下。棋士番号は259。サラリーマンから史上初めてプロ編入試験によってプロ入りを果たした人物である。 神奈川県横浜市出身。横浜市立日限山(ひぎりやま)中学校、神奈川県立舞岡高等学校、神奈川大学第二法学部法律学科卒業。.

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百番指し

指し(ひゃくばんさし)は、プロの将棋において、ある二人の棋士同士あるいは女流棋士同士の公式棋戦での対局数が100局に達することである。.

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花村元司

花村 元司(はなむら もとじ、1917年11月18日 - 1985年5月25日)は、将棋棋士。棋士番号39。静岡県浜松市出身。木村義雄十四世名人門下。.

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芸人

記載なし。

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銀河戦

銀河戦(ぎんがせん)は、囲碁将棋チャンネル主催の将棋のテレビ棋戦。双方の持ち時間が少ない早指し戦である。毎年8月から9月にかけて、決勝トーナメントが行われる。1991年度創設で、2000年から公式戦となった。最多優勝は、羽生善治の7回である。 銀河戦は同社のCS放送『囲碁・将棋チャンネル』で毎週火曜と木曜に放映されているほか、ネット配信も行われている。(詳しくはテレビ放送の項を参照).

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職業

職業(しょくぎょう)は、日常的に従事する業務や労働など、技能、知識、能力などをまとめた一群の職務のこと。職(しょく)、生業(すぎわい、せいぎょう、なりわい)、仕事(しごと)とも呼ばれ、。生計を立てるための仕事も職業とされる厚生労働省職業分類定義:「職業とは、職務の内容である仕事や課せられた責任を遂行するために要求されている技能、知識、能力などの共通性または類似性によってまとめられた一群の職務をいう。」広辞苑:職業「日常従事する業務。生計を立てるための仕事」。 職業の目的は人それぞれではあるが、ほとんどの場合、生計を立てるため、つまり生活するのに必要な(衣食住などの)物資やサービスを得るため、現代であれば主としてそれを得るために必要な金銭を得るためになされている。被雇用者の場合は、主としてそれを給与の形で、個人事業主(自営業)の場合は利益 の形で得ている。 被雇用形態は正社員、アルバイト、パートタイムなど様々。通常の意味での職業ではないが、主婦、学生さらには無職を、便宜上、職業の1つとみなすこともある。.

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順位戦

順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社・朝日新聞社主催の将棋の棋戦。タイトル戦である名人戦の予選にあたる。順位戦A級の1位が名人への挑戦者となる。.

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飯田弘之

飯田 弘之(いいだ ひろゆき、1962年1月17日 -)は、将棋棋士、人工知能学者。山形県西村山郡西川町出身。 棋士としては大内延介九段門下で、棋士番号は159。2014年3月31日に現役を引退。.

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詰将棋

詰将棋(つめしょうぎ)とは、将棋のルールを用いたパズル。詰め将棋と表記されることもある。 駒が配置された将棋の局面から王手の連続で相手の玉将を詰めるパズルで、元は指し将棋(詰将棋と区別する上でこう呼称する)の終盤力を磨くための練習問題という位置づけであったと思われるが、現在ではパズルとして、指し将棋から独立した一つの分野となっている。造物、詰物、図式ともいう。.

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高柳敏夫

柳 敏夫(たかやなぎ としお、1920年2月20日 - 2006年9月5日)は将棋棋士。名誉九段。棋士番号31。東京都出身。金易二郎名誉九段門下。.

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谷川浩司

谷川 浩司(たにがわ こうじ、1962年4月6日 - )は、将棋棋士。若松政和七段門下。棋士番号は131。兵庫県神戸市須磨区出身。 タイトル通算獲得数は歴代4位。十七世名人の資格永世名人を襲位するのは原則として引退後である。ただし、先々代の大山康晴十五世名人と先代の中原誠十六世名人は、現役の途中で襲位している。他の永世称号まで含めても、引退後初めて襲位した例は名人陥落直後に引退・襲位した木村義雄十四世名人しかいない。を保持。 日本将棋連盟棋士会会長(初代、2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2011年5月 - 2012年12月)を務め、日本将棋連盟会長(2012年12月 - 2017年1月)を務めた。.

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阪田三吉

阪田 三吉(さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、明治から昭和初期の将棋棋士。贈名人・王将。堺県大鳥郡舳松村字塩穴(現在の大阪府堺市堺区協和町)出身。姓については「坂田」との表記もあり、一定しない(後述、読みは同じ)。「吉」の正確な表記は「𠮷」)。.

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関根金次郎

関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日(慶応4年4月1日) - 1946年(昭和21年)3月12日)は、明治から昭和初期の将棋棋士、十三世名人。本来の表記は關根金次郞。八代伊藤宗印及び十二代大橋宗金門下。将棋連盟や実力名人制を創始した。「近代将棋の父」とも称される「」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』2014年。 下総国葛飾郡東宝珠花村(後の千葉県東葛飾郡二川村東宝珠花、さらに関宿町、現在の千葉県野田市東宝珠花)の生れ。.

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藤井聡太

藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は将棋棋士。杉本昌隆七段門下。棋士番号は307。愛知県瀬戸市出身。名古屋大学教育学部附属高等学校在学中(2018年4月 - )。.

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金易二郎

金 易二郎(こん やすじろう、1890年10月10日 - 1980年6月23日)は、大正時代から昭和時代初期に活動した将棋棋士。名誉九段。棋士番号1。秋田県雄勝郡羽後町出身。従五位勲四等瑞宝章。 金(こん)は東北地方、特に旧羽後国に古くから伝わる名字である。.

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雁木囲い

雁木囲い(がんぎがこい)は将棋の囲いのひとつ。単に雁木(がんぎ)ともいう。英語名称はSnowroof。.

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GPS将棋

GPS将棋は、コンピュータ将棋のプログラム。東京大学大学院総合文化研究科の教員・学生が中心となって開発している。ソースコードとデータはオープンソースとして公開されている。.

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NHK杯テレビ将棋トーナメント

NHK杯テレビ将棋トーナメント(えぬえいちけいはいテレビしょうぎトーナメント)は日本放送協会(NHK)が主催する将棋の棋戦であり、NHK Eテレで放送されているテレビ番組である。かつては「NHK杯争奪 将棋トーナメント」と称した。 対局者双方の持ち時間が少ない早指し戦であり、トーナメント方式で争われる。創設は1951年で、当時はラジオ番組(『室内遊戯の時間』)であった。テレビ放送は第12回(1962年度)から行われている。 優勝者には「NHK杯選手権者」(あるいは略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの将棋番組内や将棋講座テキスト(NHK出版)誌上で呼称される本番組や「将棋フォーカス」などでは、たとえタイトル保持者であっても、名前の後ろにNHK杯とのみ付けて呼ばれることが多い。他の番組では、2002年度後期の「将棋講座」で講師の森内俊之が「名人・NHK杯」と称されたように、タイトル称号と併記されることもある。また、第30回優勝の有吉道夫までは称号が「NHK杯選手権者」ではなく「NHK杯保持者」とされていた。かつて司会を務めていた永井英明は番組内で「NHKチャンピオン」と紹介することがあった(「選手権者」は"Champion"の意訳である)。。.

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Ponanza

Ponanza(ポナンザ)は、コンピュータ将棋のソフトウェアである。なお、2016年頃までは1文字目のPも小文字にしてponanzaと表記していた。.

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TACOS

TACOS は、コンピュータ将棋のプログラム。.

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YAMADAチャレンジ杯

YAMADAチャレンジ杯(やまだチャレンジはい)は、日本将棋連盟が主催、ヤマダ電機が特別協賛する将棋の棋戦。2016年に新設され、2017年の第2回までは「上州YAMADAチャレンジ杯」の名称で開催された。.

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森けい二

森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号100。高知県中村市(現:四万十市)出身。大友昇門下。元大相撲幕内力士玉海力は甥。棋聖、王位のタイトルを獲得。竜王戦1組通算5期。名人戦A級通算10期。2017年に引退。.

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森内俊之

森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士。十八世名人資格保持者。 棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市出身。 日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)。 2017年5月より日本将棋連盟専務理事。.

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棋王戦 (将棋)

棋王戦(きおうせん)は、共同通信社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1974年に一般棋戦として創設され、翌1975年(1期)にタイトル戦に格上げされた。前身は最強者決定戦。五番勝負の勝者は棋王のタイトル称号を得る。.

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棋聖

棋聖(きせい)は、囲碁・将棋において優れた才能を示した者を尊ぶ呼称で、囲碁では本因坊道策・本因坊丈和・本因坊秀策の三人を指し、将棋では天野宗歩を指す。 現在では、囲碁・将棋それぞれの棋戦優勝者の称号(タイトル)の一つになっている。.

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棋聖戦 (将棋)

棋聖戦(きせいせん)は、産業経済新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。前身の棋戦は早指し王位決定戦である。三社連合と共同開催の王位戦を経由して、1962年より棋聖戦開始。1994年までは年2回(前期・後期)行われていた。五番勝負の勝者は棋聖のタイトル称号を得る。2018年4月からはヒューリックが特別協賛に入り、正式名称をヒューリック杯棋聖戦とすることとなった。 「棋聖」は、本来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多い。.

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棋譜

パブランカ)Eisenberg vs Capablanca 1909 棋譜(きふ)とは囲碁・将棋・チェスなどのボードゲームにおいて、互いの対局者が行った手を順番に記入した記録を指す。また同時に、棋譜が記入された用紙(つまり棋譜用紙)を意味する場合もある。.

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棋戦 (将棋)

棋戦(きせん)は将棋のタイトルや優勝を争う争奪戦のこと。プロ(棋士、女流棋士)のものを指すことが多く、女流棋士のものは特に「女流棋戦」という。 プロ棋戦のうち対局結果が記録(棋士や女流棋士の成績等)として残るものを「公式戦」あるいは「公式棋戦」と言う。公式戦はタイトル戦と一般棋戦とに分かれていて、現在プロ将棋界には8つのタイトル戦と6つの女流タイトル戦がある。他に記録として残らないプロ棋戦を「非公式戦」と言う。達人戦が主な例である。 タイトル戦は将棋界では非常に重んじられていて、一般棋戦とは明確に差別化がされている。タイトル戦と一般棋戦とを分ける基準は公表されていないが、特徴として、前回のタイトル獲得者(現在のタイトル在位者)に挑戦者が挑戦する挑戦手合制と言う形式で行われ、またその勝負が番勝負タイトル戦以外でも、たとえば竜王戦の挑戦者決定戦では三番勝負、新人王戦の決勝戦では三番勝負が行われる。(「シリーズ」と表現する)である。しかし、王座戦はこれらの特徴を満たしていながら1982年まではタイトル戦ではなかった。2006年まで行われていた「朝日オープン将棋選手権」もこれらを満たしていながらタイトル戦ではなかった。 タイトル在位者は、在位中は段位ではなくタイトルを付して(例:佐藤天彦名人、名人 佐藤天彦)、あるいはタイトルそのもの(例:名人)で呼称される。 アマチュアのものは「将棋大会」「アマチュア大会」と呼ばれ、規模の大きいものは「アマチュア棋戦」と呼ばれることがある。.

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橋本崇載

橋本 崇載(はしもと たかのり、1983年3月3日 - )は、将棋棋士(八段)。棋士番号239。石川県小松市出身。剱持松二九段門下。愛称は「ハッシー」。所属事務所は、エイジアプロモーション - スポーツニッポン・2015年4月16日。.

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檜垣是安

檜垣 是安(ひがき これやす)は、江戸時代の棋客である。京の人。 雁木囲いの創設者と伝わっている。ただし、江戸から昭和初期にかけては、「対振飛車の引角棒銀」戦法が、「桧垣是安が考案した雁木戦法」とされてきた『将棋世界』2018年5月号・P.106 鈴木宏彦「雁木コラムの訂正」。大正初期から昭和戦前期に、現在で呼ぶところの「相雁木囲い」の戦法が大流行し、「流行した戦法に名前がないのはおかしい」とされ、一部の棋士の間違いの記述で、「桧垣是安が考案した雁木囲い」との誤認識が定着してしまった『将棋世界』2018年5月号・P.107 鈴木宏彦「雁木コラムの訂正」。また、現在いうところの雁木囲いは桧垣是安以前からあるもので、彼の創案ではない『将棋世界』2018年5月号・P.107 鈴木宏彦「雁木コラムの訂正」。 また、初代伊藤宗看との是安吐血の局(吐血の戦いや一戦とも)が有名であり、悲劇の人として知られている。この対局で是安は吐血して死んだとされるが、実際にはこの対局の七年後に是安の棋譜が残っている。 また、この対局以前にも対局しており、吐血の局が初対局でないとされる。.

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毎日新聞

毎日新聞大阪本社(大阪市北区) 毎日新聞北海道支社(札幌市中央区) 毎日新聞(まいにちしんぶん、)は、日本の新聞のひとつ。2017年9月期の販売部数(日本ABC協会調べ)は朝刊が約294万部、夕刊が73万部である 。毎日新聞社(毎日新聞グループホールディングス傘下)が発行している。 戦前から朝日新聞と共に2強に数えられていたが、拡販競争と西山事件による経営危機で後れを取り、1960年代後半から1970年代前半に掛けての読売新聞の発行部数増加などで販売不振が続いた。2008年には毎日デイリーニューズWaiWai問題が発覚し、再度経営問題が発生した。 現在のスローガンは、「報道に近道はない」。新聞販売店の愛称は「毎日ニュースポート」であるが、近年は呼称される機会が少ない。.

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永作芳也

永作 芳也(ながさく よしなり、1955年9月27日『現代日本人名録』1987年、中(け-な) p1611- )は、元将棋棋士、加藤恵三八段門下。棋士番号は139であった。茨城県行方郡麻生町(現・行方市)出身。未婚。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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淡路仁茂

淡路 仁茂(あわじ ひとしげ、1950年3月21日 - )は、将棋棋士。棋士番号は113。兵庫県神戸市出身。藤内金吾八段門下。名人戦A級通算1期。.

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渡辺東一

渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12月25日 - 1985年(昭和60年)5月27日)は、将棋棋士。棋士番号4。名誉九段。日本将棋連盟会長。関根金次郎十三世名人門下。千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)出身。.

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渡辺明

渡辺 明、渡邊 明(わたなべ あきら).

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渡辺明 (棋士)

渡辺 明(わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は歴代5位で、永世竜王・永世棋王の資格を保持。 所司和晴門下。棋士番号235。東京都葛飾区出身。聖学院中学校・高等学校出身。.

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清水市代

清水 市代(しみず いちよ、1969年1月9日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。高柳敏夫名誉九段門下。女流棋士番号は7。通算女流タイトル保持は43期で歴代1位であり、2016年2月現在、通算獲得数2位の里見香奈以下を大きく引き離している。 日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 -2011年3月)、日本将棋連盟女流棋士会会長(2015年6月 - 2017年6月)、日本将棋連盟常務理事(2017年5月 - )。 東京都東村山市出身 。東京都立清瀬高等学校卒業『天辺―将棋・女流トッププロの生き方』p.218 - 223。.

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朝日杯将棋オープン戦

朝日杯将棋オープン戦(あさひはいしょうぎオープンせん)は朝日新聞社主催の将棋の棋戦。2006年度で終了した朝日オープン将棋選手権の後継棋戦として2007年に創設され、回次も第1回と改められた。優勝賞金は750万円。.

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木村義雄

木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1986年(昭和61年)11月17日)は、将棋棋士。十四世名人。棋士番号は2。東京都墨田区(当時は東京市本所区)表町出身。 最初の実力制による名人、かつ最初の永世名人である。.

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指導棋士

指導棋士(しどうきし)は、日本将棋連盟によるプロになれなかった奨励会退会者の救済制度のひとつである。別名準棋士。1993年までは準棋士が正式名称であった。.

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有吉道夫

有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - )は、将棋棋士、九段。2010年、引退。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は66。岡山県備前市出身。 棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝9回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現。 現役55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。過去に7人しかいない『六十歳代A級棋士』の一人でもあった。順位戦A級在籍21期。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、共に関西棋界を長年にわたって牽引した。.

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戦後

戦後(せんご)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行われるため、戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いをもつ。しかし終わりを設けず現在までを含めることもある韓国人慰安婦問題や沖縄の米軍基地問題など、第二次世界大戦によって生じた問題が解決を見ていないため、右翼、左翼問わず現在を戦後に含めることがある。。一時は流行語となった。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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新人王戦 (将棋)

新人王戦(しんじんおうせん)は、しんぶん赤旗(日本共産党機関紙)主催の将棋の棋戦(日本将棋連盟公式戦)。26歳・六段以下(タイトル戦経験者は除く)の棋士などが参加する優勝棋戦(非タイトル戦の公式棋戦)である。決勝は三番勝負で、例年10月から11月にかけて行われる。優勝者(新人王)はタイトル保持者と記念対局を行う。新人王が後にタイトルホルダーやA級棋士などの強豪になったケースは多く、若手プロ棋士の登龍門であるとされている。.

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新聞

新聞(しんぶん)は、事件、事故や政治や経済や芸能やスポーツや国際情勢などの動向などのニュースを報じるためのメディアで、記事文章や写真、図面などが紙(新聞紙)に印刷され綴じていないものである。 「ポスト」を名に冠する新聞が存在しているのは、帝国郵便が自前の新聞を発行していたことに由来する。.

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新進棋士奨励会

新進棋士奨励会(しんしんきししょうれいかい)は、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である。一般には単に奨励会(しょうれいかい)と呼ばれることが多い(本項においても以下「奨励会」と記述する)。 また、奨励会の下部組織に相当する研修会(けんしゅうかい)についても本項で解説する。.

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日本将棋大系

『日本将棋大系』(にほんしょうぎたいけい)は、1978年から1980年に筑摩書房から刊行された、天野宗歩や阪田三吉(坂田三吉)、木村義雄をはじめとする将棋の古典的棋士の棋譜を解説する叢書である。全18巻。別巻3巻は古典詰将棋集となっている。 編集に携わった山本亨介(天狗太郎)によると、従来は天野宗歩以前の将棋の技は幼稚とされ、省みられることは少なかったが、解説担当の高段者はすでに現代将棋の原型が江戸時代にあることを発見して驚いていたことを著書で記している。なお、江戸時代の棋譜の原本(『御城将棋留』など)はいろは記号で書かれているが、本書では数字記号に書き改められている。.

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日本将棋連盟

公益社団法人日本将棋連盟(にほんしょうぎれんめい)は、将棋の棋士活動を運営する公益社団法人である。 四段以上の棋士、女流棋士および指導棋士によって組織される。ただし、全国各地に存在する日本将棋連盟支部は、連盟に認められた一般の将棋愛好家によって組織される。 通常、棋士総会で2年ごとに選出された役員、及び職員によって運営される。 目的として「将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与すること」を謳っている。.

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懸賞金

懸賞金(けんしょうきん)、賞金(しょうきん).

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11月12日

11月12日(じゅういちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から316日目(閏年では317日目)にあたり、年末まであと49日ある。.

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1924年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1936年

記載なし。

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1944年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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9月8日

9月8日(くがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から251日目(閏年では252日目)にあたり、年末まであと114日ある。.

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