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内藤國雄

索引 内藤國雄

内藤 國雄(ないとう くにお、1939年11月15日-)は、将棋棋士。棋士番号77。兵庫県神戸市出身。藤内金吾八段門下。演歌歌手、詰将棋作家としても活動。レコードジャケット、音楽配信での氏名の表記は「内藤国雄」。棋聖、王位のタイトルを通算4期(各2期)獲得。竜王戦1組通算3期。順位戦A級通算17期。.

134 関係: 加藤一二三原田泰夫おゆき (内藤国雄の曲)ふたりっ子千日手升田幸三名将戦名人戦 (将棋)坂口允彦大山康晴大内延介天王戦天野宗歩将棋のタイトル在位者一覧将棋の戦法一覧将棋大賞将棋会館将棋図巧将棋界将棋棋士一覧中原誠中田功丸山忠久丸田祐三三宮三枚堂達也二日酔い井上慶太伊藤看寿弦哲也佐瀬勇次佐藤康光マイナビブレンド茶テレビドラマディスクジャケットファミリーコンピュータインターネットアーカイブオールスター勝ち抜き戦コマーシャルメッセージセタ (企業)ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)内藤九段将棋秘伝兵庫県囲碁・将棋ジャーナル矢倉囲い石田芳夫王将戦王座戦 (将棋)...王位戦 (将棋)神吉宏充神戸市竜王戦米長邦雄織田作之助羽生善治田中寅彦牧野光則特別将棋栄誉賞花村元司芹沢博文音楽番組音楽配信順位戦詰将棋高島弘光高橋道雄谷川浩司辰巳出版阪田三吉藤内金吾金園社若松政和NHKラジオ第1放送NHK杯テレビ将棋トーナメントNHK歌謡コンサートNHK教育テレビジョン梧桐書院森内俊之棋士 (将棋)棋王戦棋王戦 (将棋)棋聖戦 (将棋)棋風棋戦 (将棋)横歩取り横歩取り3三角横歩取り8五飛毎日新聞社永岡書店淡路仁茂渡辺正和 (棋士)渡辺明 (棋士)演歌歌手朝日新聞社指導棋士有吉道夫最強者決定戦成美堂出版流し新・座頭市新進棋士奨励会日本将棋連盟旭日章10月1日11月15日1939年1954年1956年1958年1961年1962年1963年1967年1974年1976年1977年1月26日1月2日2000年2005年2009年2010年2012年2015年2017年2月4日3月12日3月31日4月1日5月24日6月20日9月21日 インデックスを展開 (84 もっと) »

加藤一二三

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士。 実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。 戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「の天才」「神武以来(じんむこのかた)」とは「(初代天皇神武天皇が即位して)我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味で、神武景気に沸く1955年の流行語。 ・「1分将棋の神様」「interview 信念を貫き通した棋士人生60年」『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.36-49の異名を持つ。.

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原田泰夫

原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004年7月11日)は、将棋棋士。棋士番号35。新潟県西蒲原郡(現在の燕市)出身。分水町名誉町民。加藤治郎名誉九段門下。1961年から6年間、日本将棋連盟の会長を務めた。.

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おゆき (内藤国雄の曲)

おゆき」は、将棋棋士・内藤國雄が「内藤国雄」名義で1976年5月1日に発売したシングルである。レコード品番はオリジナル盤がSOLB-409、価格改訂版が06SH-606。 1991年に再発(SRDL-3310 / SRSL-3282)。1992年にカップリングを「ああ雪列車」に変更して再発(SRDL-3493 / SRSL-3351)。.

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ふたりっ子

『ふたりっ子』(ふたりっこ)は、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)4月5日まで放送されたNHK連続テレビ小説の第55作。作・脚本の大石静は、この作品で第15回向田邦子賞を受賞した。.

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千日手

千日手(せんにちて)とは、将棋において駒の配置と手番が全く同じ状態が1局中に何回か現れること。 本項目では、将棋と同類のボードゲームにおける千日手に相当する規定についても述べる。.

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升田幸三

升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 - 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。広島県双三郡三良坂町(現三次市)生まれ。名前は正しくは「こうそう」と読むが、将棋界では「こうぞう」で通した。木見金治郎九段門下。棋士番号18。.

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名将戦

名将戦(めいしょうせん)とは1973年(第1回)~1987年(第14回)まで開催されていた週刊文春主催のプロ将棋の公式棋戦。大山時代から中原時代に差し掛かった頃に始まった棋戦であり、この棋戦でも、第1~2回は共に中原誠が決勝で大山康晴を破り優勝している。.

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名人戦 (将棋)

名人戦(めいじんせん)は、毎日新聞社と朝日新聞社共催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。将棋界の近代化にあたり、江戸時代以来の終身位名人制を廃し、短期実力制によって名人を選ぶべく、1935年に第1期が開始された(第1期リーグ戦は1935年から1937年にかけての二年間)。タイトル戦の中で一番長い歴史を有し、七番勝負の勝者は名人のタイトル称号を得る。名人位は竜王位とともにプロ将棋界の頂点とされている。.

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坂口允彦

坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、1908年(明治41年)12月10日 - 1990年(平成2年)1月18日)は、将棋棋士。九段。棋士番号10。日本将棋連盟会長。花田長太郎九段門下。北海道沙流郡日高町出身『勝負師の門』、195頁。。.

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大山康晴

大山 康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。 主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等がある。十五世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。 順位戦A級に在籍しながら、1977年(昭和52年)から1988年(昭和63年)まで日本将棋連盟会長を務めた。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。正四位勲二等瑞宝章。岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県上北郡おいらせ町の名誉市民・名誉町民。.

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大内延介

大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日)は、将棋棋士。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京都港区出身。中央大学卒業。.

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天王戦

天王戦(てんのうせん)は、1985年から1992年まで行われていたプロ将棋の公式棋戦。1993年から棋王戦と統合された。.

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天野宗歩

天野 宗歩(あまの そうほ(「そうふ」とも)、文化13年(1816年) - 安政6年5月13日(1859年6月13日))は、江戸時代末期の将棋指し。正字表記では天野宗步。七段。十一代大橋宗桂門下。 大橋家、伊藤家といった将棋三家の出ではないため、当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、「実力十三段」と言われ、後に棋聖と呼ばれるようになる。十三世名人関根金次郎によって棋聖の称号が公式に認められた。現在のタイトルのひとつである「棋聖戦」は、ここに由来する。.

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姓(せい)とは、東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称。その範囲は地域や時代によって変動し、氏や名字といった他の血縁集団名と様々な階層関係にあった。近代以降、ヨーロッパなどの他の文化圏の血縁集団名、家系名の訳語としても用いられている。.

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将棋のタイトル在位者一覧

将棋のタイトル在位者一覧(しょうぎのタイトルざいいしゃいちらん)は、将棋の棋戦タイトル在位者の一覧であり、1937年度(昭和12年度)に実力名人制が発足してから現在までのタイトル在位者を網羅する。 5期以上のタイトルを獲得した棋士の名前には着色している。タイトル在位期間は次期タイトル戦の番勝負終了までとなる。.

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将棋の戦法一覧

将棋の戦法一覧(しょうぎのせんぽういちらん) 将棋の戦法は、「居飛車」と「振り飛車」の2つに大別される。また「急戦」か「持久戦」かによっても大きく異なる。 攻めによる分類と守り(囲い)による分類がある。居飛車の場合は、囲いによって大きく分かれ、攻めによって細かく分かれる。振り飛車の場合は、攻め(飛車の位置)と囲いはかなり独立している。.

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将棋大賞

将棋大賞(しょうぎたいしょう)は、毎年度功績を残した将棋棋士などに日本将棋連盟から与えられる賞である。第1回の表彰は1974年に行われた。 記録に関する賞以外は選考委員によって決定され、その模様は『将棋世界』誌に掲載される。 将棋大賞における受賞年は「前年度の記録・活躍」が対象となる。.

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将棋会館

将棋会館(しょうぎかいかん)は、日本将棋連盟の本部のある建物。同様の施設を持つ関西将棋会館(かんさいしょうぎかいかん)、2015年に連盟所有となった北海道将棋会館(ほっかいどうしょうぎかいかん)についても紹介する。.

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将棋図巧

将棋図巧(しょうぎずこう)は、江戸時代の将棋指し伊藤看寿により、宝暦五年(1755年)3月に江戸幕府に献上された詰将棋の作品集である。原書名は「象棋百番奇巧図式」という。兄の七世名人三代伊藤宗看が著した「将棋無双(象戯作物)」と並んで、江戸時代における詰将棋の最高峰といわれている。 全100題からなり、手数は9手詰(第50番)から611手詰(第100番)に亘る。中でも、特に超難解と言われる第8番や、詰め上がり図から『襷詰』と呼ばれる炙り出しの第94番、玉方一段目実戦初形の第97番、その美しさから神局と賞される最後の3題(第98番『裸玉』、第99番『煙詰』、第100番『寿』)が有名である。また、第73番は後に不詰めとなる変化が見つかっており、不完全作となっている。 その作風の多彩さから複数人物が筆者であるとする説もあり、近年の詰将棋の第一人者である上田吉一も「少なくとも3人の作者がいるのではないか」と述べている。 詰将棋作家としても知られる棋士の内藤國雄は、小学生時代に将棋図巧第1番を見て詰将棋を作り始めたと語り、自分の作品集にも「図式百番」というタイトルをつけている。 米長邦雄は、「将棋図巧と将棋無双の200題を全問解ければ四段(プロ棋士)になれる」との持論を展開していた。それは、ただ難問を解いて棋力が付くというだけでなく、不詰を含む難解な問題を延々解く忍耐力や、将棋に対する情熱が必要であるからとしている。.

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将棋界

将棋界(しょうぎかい)、棋界(きかい)は、将棋をめぐって、プロの棋士やアマチュア選手、将棋ファン(愛棋家)、業界関係者などで構成する社会領域。日本将棋連盟がその総本山である。.

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将棋棋士一覧

将棋棋士一覧(しょうぎきしいちらん)は、日本将棋連盟の将棋の棋士の一覧である。現役・引退・物故を問わず、棋士のすべてを棋士番号順に記す。 ただし、棋士番号制定以前(棋士番号制度が始まったのは1977年4月1日)や日本将棋連盟発足以前の棋士も本記事の後半に記す。 江戸時代の棋士については、将棋の家元(大橋家、大橋分家、伊藤家)の記事を参照。 下記も参照。.

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中原誠

中原 誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、将棋棋士。2009年3月、引退。十六世名人、および永世十段・永世王位・名誉王座・永世棋聖という5つの永世称号を保持し、かつ、いずれも引退前から名乗る1994年4月1日に「永世十段」、2007年9月2日に「名誉王座」、同年11月17日に「十六世名人」を、2008年4月1日に「永世棋聖」および「永世王位」を名乗る。参考リンクは以下に列挙(いずれも日本将棋連盟の「お知らせ」より)。.

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中田功

中田 功(なかた いさお、1967年7月27日 - )は、将棋棋士。福岡県福岡市中央区出身。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は176。.

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丸山忠久

丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は、将棋棋士、九段。実力制11人目の名人。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は194。千葉県木更津市出身。いわゆる「羽生世代」の一人。.

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丸田祐三

丸田 祐三(まるた ゆうぞう、1919年3月30日 - 2015年2月17日)は、将棋棋士。九段。平野信助七段門下。棋士番号43。長野県長野市出身。日本将棋連盟会長を務めた。.

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三宮

新神戸から望む三宮 神戸市役所から望む三宮 三宮(さんのみや)は、兵庫県神戸市中央区にある第二次世界大戦後神戸市の中心街となった地域。JR・阪神電鉄・阪急電鉄・神戸市営地下鉄・ポートライナーが乗り入れる三宮駅を中心に、商業施設が立ち並ぶ繁華街である。JRの駅名は三ノ宮、また、阪急と阪神の駅名は神戸三宮と称する。「三宮」という地名は、トアロードと花時計線の交差点北東にある三宮神社(生田神社の三の宮)の所在地に由来する。 町名としては三宮町(1~3丁目)がJR三ノ宮駅の南西にあり、北は新神戸駅、東は生田川右岸、南は新港、西は兵庫区の新開地を越えて福原、湊川駅近辺に及ぶ神戸市中心部を含んだ商業地域の一部をなす。.

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三枚堂達也

三枚堂 達也(さんまいどう たつや、1993年7月14日 - )は、日本将棋連盟所属の棋士。内藤國雄九段門下。棋士番号は294。千葉県浦安市出身。都立白鴎高等学校卒業。関東所属。.

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二日酔い

二日酔い、宿酔(ふつかよい)とは、酒などのアルコール飲料(エタノール)を、自身の代謝能力以上に摂取することにより引き起こされる、不快な身体的状態。エタノールがアセトアルデヒドに代謝され、体内にまだ残ったそれが二日酔いの症状を引き起こす。基本的には、夜間に酒を飲み、翌朝の起床後、顕著に現れる現象を指す。また、宿酔(しゅくすい)とも云われる。急性アルコール中毒とは異なり、生命に直接の危険はないが、しばしば頭痛や吐き気などの著しい不快感を伴う。なお飲酒後、短時間に現れるものは悪酔い(わるよい)という。一般的に二日酔いは悪酔いが翌日になって現れる状態を指す。.

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井上慶太

井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日 - )は、将棋棋士、九段。若松政和門下。棋士番号は157。兵庫県芦屋市出身。順位戦A級通算3期。 日本将棋連盟棋士会副会長(2011年4月 - 2015年6月)、日本将棋連盟非常勤理事(2015年6月 - )、同連盟常務理事(2017年2月 - )。.

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伊藤看寿

伊藤看寿(いとうかんじゅ、初代;享保4年(1719年) - 宝暦10年8月23日(1760年10月1日))は、江戸時代の将棋指し。将棋家元三家の一家である伊藤家出身。八段。死後に名人位を追贈。別名は政富。 二代伊藤宗印(五世名人)の五男。兄に伊藤印達(五段)、三代伊藤宗看(七世名人、養親でもある)、八代大橋宗桂(八段・八世名人九代大橋宗桂の父)、伊藤看恕(七段)。子に二代伊藤看寿(後に伊藤寿三と改名)(五段)。孫に七代伊藤宗寿。.

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弦哲也

弦 哲也(げん てつや、1947年9月25日 - )は、日本の作曲家。作曲した作品数は2000曲を超える。日本作曲家協会会長。千葉県銚子市出身。本名、田村正稔(たむら まさとし)。.

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佐瀬勇次

佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。.

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佐藤康光

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代7位)。永世棋聖の資格を保持する。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府八幡市出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会長、2017年2月から日本将棋連盟会長。.

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マイナビ

株式会社マイナビ(Mynavi Corporation)は、就職・転職・進学情報の提供や人材派遣・人材紹介などを主業務とする日本の大手人材広告企業である。また、同名のブランドで人材情報サービスのポータルサイトを運営している。 1973年に株式会社毎日コミュニケーションズ(まいにちコミュニケーションズ、Mainichi Communications Inc.)として創業。2011年10月1日より現在の社名となった。.

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ブレンド茶

ブレンド茶(ブレンドちゃ)とは、複数の原料を使用した茶のこと。.

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テレビドラマ

テレビドラマとは、テレビ番組の一種で、ドラマ形式のもののこと。.

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ディスクジャケット

ディスクジャケット (disc jacket) とは、レコード、CD、DVD、BDなどのディスクメディアを収容する紙の外装のこと。 単にジャケット、もしくはメディアに応じてレコードジャケット、CDジャケットなどと呼ばれることが多い。袋状・筒状などになっているときはスリーヴ (sleeve) ともいう。表面を表ジャケット、裏面を裏ジャケットと言うこともある。 ジャケットという語は基本的には包装を指しており、そこに描かれたグラフィックスの中身はカバーアート (cover art) などと言う。ジャケットに印刷された写真のことをジャケット写真(略してジャケ写)と呼ぶことがある。なお「ジャケット」は本来は上着を意味する言葉である。.

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ファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータ(Family Computer)は、任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。任天堂の公式表記では「コンピュータ」と末尾の長音を伸ばしていない。当時の発売価格は14,800円。 日本国外では、主要部分の仕様が同一の“Nintendo Entertainment System”(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)として発売されている。ただし、カセットや周辺機器は接続部分の機械的な仕様の違いでお互いの互換性はない。また、ファミリーコンピュータには搭載されてない「海賊版対策回路」が組み込まれている。 また、2016年(平成28年)に30本のソフトウェアを内蔵し、オリジナルの筐体を小型化したデザインで復刻したニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ(後述)が発売された。日本国外では同様のコンセプトでNES Classic Editionが販売された。.

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インターネットアーカイブ

旧インターネットアーカイブ本部(1996年 - 2009年11月) インターネットアーカイブ (The Internet Archive) は、WWW・マルチメディア資料のアーカイブ閲覧サービスとして有名なウェイバックマシン (Wayback Machine)を運営している団体である。本部はカリフォルニア州サンフランシスコのリッチモンド地区に置かれている。 アーカイブにはプログラムが自動で、または利用者が手動で収集したウェブページのコピー(ウェブアーカイブ)が混在しており、これは「WWWのスナップショット」と呼ばれる。ほか、ソフトウェア・映画・本・録音データ(音楽バンドなどの許可によるライブ公演の録音も含む)などがある。アーカイブは、それらの資料を無償で提供している。.

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オールスター勝ち抜き戦

ールスター勝ち抜き戦(オールスターかちぬきせん)とは1978年(第1回)~2003年(第22回)7月まで開催されていた日刊ゲンダイ主催の将棋の棋戦。.

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コマーシャルメッセージ

CMの日(8月28日)のCMをする電通本社ビル コマーシャルメッセージ (commercial message) は、本来は「商業用の伝言」全般を指す。.

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セタ (企業)

株式会社セタ(Seta Corporation)は、2009年まで存在した日本の企業である。旧社名は世田企画。パチンコ機周辺機器・情報機器・ゲームソフトなどの開発・販売を行っていた。.

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ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)

株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(Sony Music Entertainment (Japan) Inc.、略称:SME)は、ソニーの100%子会社であり、ソニーグループの音楽系事業統括会社(中間持株会社)。.

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内藤九段将棋秘伝

『本将棋 内藤九段将棋秘伝』(ほんしょうぎ ないとうくだんしょうぎひでん)は、1985年8月10日にセタが発売したファミリーコンピュータ用ソフト。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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囲碁・将棋ジャーナル

囲碁・将棋ジャーナル(いご・しょうぎジャーナル)は、NHK衛星第2テレビジョンで2011年3月19日まで放送された囲碁界・将棋界の最新情報を伝えていた情報番組。前身の番組名は「囲碁・将棋ウィークリー」であり、本記事でも触れる。 2011年4月から地上波の教育テレビで放送の「囲碁・将棋フォーカス」(毎週日曜日11:45 - 12:15)に引き継がれる。.

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矢倉囲い

倉囲い(やぐらがこい)は、将棋において主に相居飛車戦法・相振り飛車戦法で使われる囲い。単に矢倉と呼ばれることが多く、美濃囲い、穴熊囲いと並んで代表的な囲いの1つ。居飛車で互いに矢倉囲いに組んで戦う戦型のことを相矢倉(あいやぐら)と言い、これも矢倉と略されることが多い。.

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石田芳夫

二十四世本因坊秀芳 (にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう、1948年8月15日 -)、本名:石田芳夫( いしだ よしお )は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。タイトル獲得数は24。 史上3人目の七大タイトル名誉称号資格者。本因坊の史上最年少獲得者。史上3人目の名人本因坊。大手合30連勝達成。 正確な計算と形勢判断により「コンピュータ」のニックネームがある。.

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王将戦

王将戦(おうしょうせん)は、スポーツニッポン新聞社及び毎日新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。その名の通り、駒の「王将」から命名された。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年(1期)にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。.

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王座戦 (将棋)

王座戦(おうざせん)は、日本経済新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1953年に一般棋戦として創設され(同年、囲碁の王座戦も開始)、1983年(31期)にタイトル戦に格上げされた。前身は「世代別対抗将棋戦」。五番勝負の勝者は王座のタイトル称号を得る。.

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王位戦 (将棋)

王位戦(おういせん)は、ブロック紙3社連合(北海道新聞社、中日新聞社、西日本新聞社と神戸新聞社、徳島新聞社)主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1960年に「三社杯B級選抜トーナメント」が発展解消されて4番目のタイトル戦となった。創設時は三社連合と産経新聞の主催であり、「王位戦」の名称は、産経新聞がそれまで主催していた「早指し王位決定戦」の名前を継承したもの。産経新聞は1962年から棋聖戦を単独開催することになり、王位戦の主催から離脱した『将棋八大棋戦秘話』(河出書房新社)P.104。七番勝負の勝者は王位のタイトル称号を得る。.

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神吉宏充

吉 宏充(かんき ひろみつ、1959年3月1日 - )は、将棋棋士。2011年、引退。内藤國雄九段門下。棋士番号は160。兵庫県加古川市出身。 将棋界きってのエンターテイナー「将棋世界」2000年1月号付録。現在の所属事務所は昭和プロダクション。.

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神戸市

戸市(こうべし)は、兵庫県南部に位置する兵庫県の県庁所在地である。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市である。日本の市で6番目の人口を有する。.

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竜王戦

王戦(りゅうおうせん)は、読売新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。第1期は1987年であるが、前身の十段戦、さらにその前身の九段戦(第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で名人戦(第1期は1935 - 1937年)に次いで2番目に長い歴史を有している。七番勝負の勝者は竜王のタイトル称号を得る。 竜王位は名人位とともに、プロ将棋界の頂点とされている。.

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米長邦雄

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、将棋棋士。タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し、引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。趣味は囲碁で囲碁八段(日本棋院から追贈)。 2003年(平成15年)12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年(平成17年) - 2012年(平成24年))。 2003年(平成15年)11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)1月、旭日小綬章受章(没後叙勲)。 北陸先端科学技術大学院大学特任教授(2011年(平成23年)10月1日 - 2012年(平成24年)9月30日)。 日本財団評議員(2011年(平成23年)4月 - 2012年(平成24年)12月)。財団法人JKA評議員(本来の任期満了予定日は2013年(平成25年)3月31日であったが、死去により死去日をもって自動的に退任した)。日本テレビ番組審議会委員。ニッポン放送番組審議会委員。東京都教育委員(1999年(平成11年)12月 - 2007年(平成19年)12月)などを歴任。 山梨県南巨摩郡増穂町(現・富士川町)出身。中野区立第八中学校、東京都立鷺宮高等学校卒業。中央大学経済学部4年次3月(年度末)退学。.

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織田作之助

織田作之助の像(大阪市、生國魂神社) 織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。終戦後太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。.

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羽生善治

羽生 善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、日本の将棋棋士。十九世名人、永世竜王、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の称号資格保持者、及び名誉NHK杯選手権者の称号保持者襲位(就位)は原則引退後。名誉NHK杯選手権者のみ即日就位。。二上達也九段門下。棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。.

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田中寅彦

中 寅彦(たなか とらひこ、1957年4月29日 - )は、将棋棋士。高柳敏夫名誉九段門下。大阪府豊中市出身。棋士番号127。棋聖のタイトルを獲得。竜王戦1組通算9期。順位戦A級通算6期。日本将棋連盟理事(2005年5月 - 2009年5月、2011年5月 - 2013年6月)。2012年12月に当時専務理事であった谷川浩司の会長就任に伴い、日本将棋連盟専務理事となった。.

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牧野光則

牧野 光則(まきの みつのり、1988年4月16日 - ) は、将棋棋士。木下晃七段門下。棋士番号は279。和歌山県和歌山市出身。.

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特別将棋栄誉賞

特別将棋栄誉賞(とくべつしょうぎえいよしょう)は、日本将棋連盟に所属する将棋棋士がプロ入り後、すなわち四段昇段後に公式戦で通算1000勝を挙げた時に贈られる賞である。対局数の多くなった現代でも1年間に30勝すればベストテンに入るほどであり、通算1000勝を挙げる棋士は極めて少ない。.

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花村元司

花村 元司(はなむら もとじ、1917年11月18日 - 1985年5月25日)は、将棋棋士。棋士番号39。静岡県浜松市出身。木村義雄十四世名人門下。.

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芹沢博文

芹沢 博文(せりざわ ひろぶみ、1936年10月23日 - 1987年12月9日)は、将棋棋士。棋士番号68。旧字体の芹澤 博文表記も使われている。 静岡県沼津市出身。高柳敏夫名誉九段門下。タレントとしても活動した(盤外での活動を参照)。.

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音楽番組

音楽番組(おんがくばんぐみ)とは、歌手、ミュージシャン、音楽家などが出演し、楽曲の演奏を披露することを主体とした放送番組(テレビ番組、ラジオ番組)である。 ジャンルは歌謡曲、ポップス、J-POP、アニメソング、洋楽、K-POP、ロック、ジャズ、クラシックなど多種多様である。 楽曲の歌唱を主体としたものは、歌番組(うたばんぐみ)とも呼ばれる。このほか、1990年代後半以降は歌手・ミュージシャン等をゲストに招くことを前提としたトーク主体で1〜2曲程度の楽曲の歌唱を伴う番組も音楽番組の一種に分類される傾向にある。.

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音楽配信

音楽配信(おんがくはいしん)は、インターネットを通じて楽曲を配信することである。「デジタル音楽販売」「オンライン(音楽)配信」なども同じ意味に使われる。一曲・アルバム毎にダウンロードする形式や、定額制のストリーミングによる聴き放題の形式がある。.

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順位戦

順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社・朝日新聞社主催の将棋の棋戦。タイトル戦である名人戦の予選にあたる。順位戦A級の1位が名人への挑戦者となる。.

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詰将棋

詰将棋(つめしょうぎ)とは、将棋のルールを用いたパズル。詰め将棋と表記されることもある。 駒が配置された将棋の局面から王手の連続で相手の玉将を詰めるパズルで、元は指し将棋(詰将棋と区別する上でこう呼称する)の終盤力を磨くための練習問題という位置づけであったと思われるが、現在ではパズルとして、指し将棋から独立した一つの分野となっている。造物、詰物、図式ともいう。.

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高島弘光

島 弘光(たかしま ひろみつ、1941年9月15日 - 1996年12月27日)は、将棋棋士、八段。高島一岐代九段門下。棋士番号は83。大阪府八尾市出身。.

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高橋道雄

橋 道雄(たかはし みちお、1960年4月23日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は142。東京都出身。 1980年度(昭和55年度)にプロ入りした、いわゆる「55年組」の一人で、タイトルを5期獲得。五段でのタイトル獲得(王位)は当時までの最低段記録。十段戦が竜王戦に移行したときの、最後の十段在位者。.

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谷川浩司

谷川 浩司(たにがわ こうじ、1962年4月6日 - )は、将棋棋士。若松政和七段門下。棋士番号は131。兵庫県神戸市須磨区出身。 タイトル通算獲得数は歴代4位。十七世名人の資格永世名人を襲位するのは原則として引退後である。ただし、先々代の大山康晴十五世名人と先代の中原誠十六世名人は、現役の途中で襲位している。他の永世称号まで含めても、引退後初めて襲位した例は名人陥落直後に引退・襲位した木村義雄十四世名人しかいない。を保持。 日本将棋連盟棋士会会長(初代、2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2011年5月 - 2012年12月)を務め、日本将棋連盟会長(2012年12月 - 2017年1月)を務めた。.

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辰巳出版

辰巳出版株式会社(たつみしゅっぱん)は、日本の出版社。雑誌やムック、単行本の発行を行う。 関連会社に綜合図書、富士美出版、スコラマガジン、日東書院本社があり、いずれも辰巳出版の本社を置く東京都新宿区にある辰巳ビルに入っている。 大阪、名古屋に支社を持つ。.

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阪田三吉

阪田 三吉(さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、明治から昭和初期の将棋棋士。贈名人・王将。堺県大鳥郡舳松村字塩穴(現在の大阪府堺市堺区協和町)出身。姓については「坂田」との表記もあり、一定しない(後述、読みは同じ)。「吉」の正確な表記は「𠮷」)。.

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藤内金吾

藤内 金吾(ふじうち きんご、1893年3月20日 - 1968年2月11日)は、将棋棋士。八段。阪田三吉門下。愛媛県松山市出身。.

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金園社

金園社(きんえんしゃ)は、東京都中央区銀座にある出版社。1948年創業。この会社は、趣味、実用、資格、法律、美術など、幅広い分野の書籍を出版している。.

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若松政和

若松 政和(わかまつ まさかず、1939年8月10日 - )は将棋棋士。2000年、引退。棋士番号は98。藤内金吾八段門下。兵庫県神戸市長田区出身。.

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NHKラジオ第1放送

NHKラジオ第1放送(エヌエイチケイラジオだいいちほうそう)とは、日本放送協会(NHK)による地上基幹放送の一種別の中波放送(AM放送)で国内放送でもある。 通称は「ラジオ第1」「R1」など。またキャッチコピーは、「24時間安心ラジオ」「ラジオはミミとも、NHK」など。2011年4月、「あ、ラジオ聞こ。」が新たなキャッチフレーズとして発表された。これは、NHKラジオ第2放送、NHK-FM放送を含むNHKラジオ放送全体のキャッチフレーズである。.

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NHK杯テレビ将棋トーナメント

NHK杯テレビ将棋トーナメント(えぬえいちけいはいテレビしょうぎトーナメント)は日本放送協会(NHK)が主催する将棋の棋戦であり、NHK Eテレで放送されているテレビ番組である。かつては「NHK杯争奪 将棋トーナメント」と称した。 対局者双方の持ち時間が少ない早指し戦であり、トーナメント方式で争われる。創設は1951年で、当時はラジオ番組(『室内遊戯の時間』)であった。テレビ放送は第12回(1962年度)から行われている。 優勝者には「NHK杯選手権者」(あるいは略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの将棋番組内や将棋講座テキスト(NHK出版)誌上で呼称される本番組や「将棋フォーカス」などでは、たとえタイトル保持者であっても、名前の後ろにNHK杯とのみ付けて呼ばれることが多い。他の番組では、2002年度後期の「将棋講座」で講師の森内俊之が「名人・NHK杯」と称されたように、タイトル称号と併記されることもある。また、第30回優勝の有吉道夫までは称号が「NHK杯選手権者」ではなく「NHK杯保持者」とされていた。かつて司会を務めていた永井英明は番組内で「NHKチャンピオン」と紹介することがあった(「選手権者」は"Champion"の意訳である)。。.

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NHK歌謡コンサート

『NHK歌謡コンサート』(エヌエイチケイかようコンサート)は、NHKテレビジョンで1993年4月17日から2016年3月15日まで23年間・948回に渡り放送された生の公開放送形式の音楽番組(字幕放送)。通称歌コン(うたこん。2006年4月に新設された公式サイト・公式ブログにも使われていた)。.

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NHK教育テレビジョン

NHK教育テレビジョン(エヌエイチケイきょういくテレビジョン)は、日本放送協会(NHK)による地上基幹放送の一種別のテレビジョン放送で国内放送でもある。 教育番組を中心とした編成で全国放送を行う。 2011年6月1日より対外的名称としてNHK Eテレ(エヌエイチケイ イーテレ)が用いられている。 キャッチコピーは、「みつかる Eテレ」。.

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梧桐書院

株式会社 梧桐書院(ごとうしょいん)は、東京都千代田区神田和泉町1-6-2神田ビル203に本社を置く日本の出版社。.

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森内俊之

森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士。十八世名人資格保持者。 棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市出身。 日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)。 2017年5月より日本将棋連盟専務理事。.

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棋士 (将棋)

棋士(きし)は、将棋用語としては俗に「将棋指し」・「プロ棋士」ともいい、本将棋を職業(専業)とする人のこと。現代では日本将棋連盟に所属し、棋戦に参加する者を指す(狭義)。女性限定の制度による「女流棋士」(女流のプロ)やアマチュアへの普及・指導を担当する「指導棋士」は(狭義の)棋士ではない。 また、日本将棋連盟は各種アマチュア大会に出場するアマチュア(愛棋家)のことを「アマチュア棋士」ではなく「選手」と呼んでいる。.

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棋王戦

棋王戦(きおうせん).

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棋王戦 (将棋)

棋王戦(きおうせん)は、共同通信社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。1974年に一般棋戦として創設され、翌1975年(1期)にタイトル戦に格上げされた。前身は最強者決定戦。五番勝負の勝者は棋王のタイトル称号を得る。.

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棋聖戦 (将棋)

棋聖戦(きせいせん)は、産業経済新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。前身の棋戦は早指し王位決定戦である。三社連合と共同開催の王位戦を経由して、1962年より棋聖戦開始。1994年までは年2回(前期・後期)行われていた。五番勝負の勝者は棋聖のタイトル称号を得る。2018年4月からはヒューリックが特別協賛に入り、正式名称をヒューリック杯棋聖戦とすることとなった。 「棋聖」は、本来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多い。.

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棋風

棋風(きふう)とは、将棋や囲碁、チェスなどのボードゲームにおけるその人の着手の特徴のことである。.

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棋戦 (将棋)

棋戦(きせん)は将棋のタイトルや優勝を争う争奪戦のこと。プロ(棋士、女流棋士)のものを指すことが多く、女流棋士のものは特に「女流棋戦」という。 プロ棋戦のうち対局結果が記録(棋士や女流棋士の成績等)として残るものを「公式戦」あるいは「公式棋戦」と言う。公式戦はタイトル戦と一般棋戦とに分かれていて、現在プロ将棋界には8つのタイトル戦と6つの女流タイトル戦がある。他に記録として残らないプロ棋戦を「非公式戦」と言う。達人戦が主な例である。 タイトル戦は将棋界では非常に重んじられていて、一般棋戦とは明確に差別化がされている。タイトル戦と一般棋戦とを分ける基準は公表されていないが、特徴として、前回のタイトル獲得者(現在のタイトル在位者)に挑戦者が挑戦する挑戦手合制と言う形式で行われ、またその勝負が番勝負タイトル戦以外でも、たとえば竜王戦の挑戦者決定戦では三番勝負、新人王戦の決勝戦では三番勝負が行われる。(「シリーズ」と表現する)である。しかし、王座戦はこれらの特徴を満たしていながら1982年まではタイトル戦ではなかった。2006年まで行われていた「朝日オープン将棋選手権」もこれらを満たしていながらタイトル戦ではなかった。 タイトル在位者は、在位中は段位ではなくタイトルを付して(例:佐藤天彦名人、名人 佐藤天彦)、あるいはタイトルそのもの(例:名人)で呼称される。 アマチュアのものは「将棋大会」「アマチュア大会」と呼ばれ、規模の大きいものは「アマチュア棋戦」と呼ばれることがある。.

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横歩取り

横歩取り(よこふどり、よこふとり)は、将棋の代表的な戦法の一つである。15手目に先手が△3四歩(角道を開けるために突き出した、後手から見て左から3列目の歩)を飛車で取ってからの一連の変化を指す。大駒を交換するような激しい急戦となる可能性が高い。アマチュア同士の勝負においては変化に富んだ面白い戦法であるが、一手の過ちがすぐ敗北へ繋がる怖れがあるため、プロ棋士がこの戦法を採用するにあたっては非常に深い研究が必要とされる。そのため、現在では対局開始から詰みまで研究が進んでいる形もある。英語名称はSide Pawn Capture。.

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横歩取り3三角

横歩取り3三角(よこふどりさんさんかく)は将棋の戦法の一つ。横歩取りの戦型における後手番の一手法。内藤国雄が考案したことから内藤流とも呼ばれる。.

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横歩取り8五飛

横歩取り△8五飛(よこふどり はちご ひ)は将棋の戦法。横歩取り戦法の変化の一つである。中座飛車とも呼ばれる。 横歩取りの中でも、後手が主導権を握ることが多い戦法。飛車先の歩を交換したあと、▲8七歩に対して飛車を8五に引く。金銀4枚を自陣に置き、飛車・角と左右の桂で攻めることが多い。ほとんどの場合、囲いは中原囲いを用いる。中原囲いの優秀性もあり、8五飛戦法は一時期、後手番としては異常な高勝率を見せた。 この戦法は△8五飛を咎められないことが前提条件である。先手が角交換から▲9六角と打つなど、いくつか対抗手が試みられたが、△8五飛という手自体を咎めることは不可能という結論になっている。.

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毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.

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永岡書店

株式会社永岡書店(ながおかしょてん)は、東京都練馬区に本社を置く日本の出版社。.

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淡路仁茂

淡路 仁茂(あわじ ひとしげ、1950年3月21日 - )は、将棋棋士。棋士番号は113。兵庫県神戸市出身。藤内金吾八段門下。名人戦A級通算1期。.

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渡辺正和 (棋士)

渡辺 正和(わたなべ まさかず、昭和61年(1986年)1月23日 - )は、将棋棋士。神吉宏充七段門下。棋士番号は273。埼玉県入間郡大井町(現ふじみ野市)出身。旧姓は吉田。.

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渡辺明 (棋士)

渡辺 明(わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は歴代5位で、永世竜王・永世棋王の資格を保持。 所司和晴門下。棋士番号235。東京都葛飾区出身。聖学院中学校・高等学校出身。.

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演歌歌手

演歌歌手(えんかかしゅ)は、日本の演歌を歌う歌手である。本項では演歌歌手の一覧を記す。演歌を歌唱した他ジャンルの歌手、初期の昭和歌謡、ムード歌謡やニューアダルトミュージック等、歌謡曲の一部歌手についてもここに記すこととする。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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指導棋士

指導棋士(しどうきし)は、日本将棋連盟によるプロになれなかった奨励会退会者の救済制度のひとつである。別名準棋士。1993年までは準棋士が正式名称であった。.

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有吉道夫

有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - )は、将棋棋士、九段。2010年、引退。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は66。岡山県備前市出身。 棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝9回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現。 現役55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。過去に7人しかいない『六十歳代A級棋士』の一人でもあった。順位戦A級在籍21期。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、共に関西棋界を長年にわたって牽引した。.

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最強者決定戦

最強者決定戦(さいきょうしゃけっていせん)とは1961年(第1回)-1973年(第13回)まで開催されていた、共同通信社主催のプロ将棋の公式棋戦。1975年に棋王戦に移行した。前身は、1957年(第1回)から1960年(第4回)まで行われた日本一杯争奪戦で、これらにはB級2以上の棋士が参加した。さらにその前身は1954年(第1回)から1956年(第3回)まで行われた九、八、七段戦である。優勝者は名人と対局が組まれた。準優勝者は、大山康晴が名人時代は升田幸三と記念対局を、中原誠が名人になってからは大山と記念対局が行われた。.

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成美堂出版

成美堂出版(せいびどうしゅっぱん)は、日本の出版社。所在地は東京都新宿区新小川町。.

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流し

流し(ながし)は、ギター、アコーディオンなどの楽器を持って酒場などを回り、客のリクエストに応えて客の歌の伴奏をしたり、ときには客のリクエストになど答えて自らの歌を歌う者のことである。流しのレパートリーは演歌ばかりではないが、その中でも演歌専門で歌っている者は演歌師とも云うことがある。 昭和初期に入り、演歌師は場末の夜店や縁日を借りて細々と余命を保っていたが、街頭でヴァイオリンを切々と弾きながら歌うやり方を改めて、カフェなどで流すようになった。当初、唄本は売られていたが、演奏と歌が主流となり、ギター、アコーディオンなどが使われ、2、3人組で演奏するようになった。夜の町酒場で店を移動する楽師になったので、「流し」と呼ばれる。.

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新・座頭市

『新・座頭市』(しんざとういち)は1976年から1979年までフジテレビで放送されたテレビ時代劇である。.

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新進棋士奨励会

新進棋士奨励会(しんしんきししょうれいかい)は、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である。一般には単に奨励会(しょうれいかい)と呼ばれることが多い(本項においても以下「奨励会」と記述する)。 また、奨励会の下部組織に相当する研修会(けんしゅうかい)についても本項で解説する。.

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日本将棋連盟

公益社団法人日本将棋連盟(にほんしょうぎれんめい)は、将棋の棋士活動を運営する公益社団法人である。 四段以上の棋士、女流棋士および指導棋士によって組織される。ただし、全国各地に存在する日本将棋連盟支部は、連盟に認められた一般の将棋愛好家によって組織される。 通常、棋士総会で2年ごとに選出された役員、及び職員によって運営される。 目的として「将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与すること」を謳っている。.

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旭日章

旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。.

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10月1日

10月1日(じゅうがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から274日目(閏年では275日目)にあたり、年末まであと91日ある。.

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11月15日

11月15日(じゅういちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から319日目(閏年では320日目)にあたり、年末まであと46日ある。.

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1939年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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1956年

記載なし。

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1958年

記載なし。

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1961年

記載なし。

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1962年

記載なし。

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1963年

記載なし。

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1967年

記載なし。

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1974年

記載なし。

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1976年

記載なし。

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1977年

記載なし。

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1月26日

1月26日(いちがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から26日目に当たり、年末まであと339日(閏年では340日)ある。.

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1月2日

1月2日(いちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から2日目に当たり、年末まであと363日(閏年では364日)ある。誕生花は孟宗竹、または蝋梅。.

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2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

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2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

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2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.

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2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

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2017年

この項目では国際的な視点に基づいた2017年について記載する。.

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2月4日

2月4日(にがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から35日目に当たり、年末まであと330日(閏年では331日)ある。.

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3月12日

3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.

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3月31日

3月31日(さんがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から90日目(閏年では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の最終日。 日本では前年4月始まりの年度最終日とされている。.

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4月1日

4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。誕生花はカスミソウ、クロッカス。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日である。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学など大きな変化が起こる日である。.

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5月24日

5月24日(ごがつにじゅうよっか、ごがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から144日目(閏年では145日目)にあたり、年末まではあと221日ある。誕生花はムギワラギク。.

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6月20日

6月20日(ろくがつはつか、ろくがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から171日目(閏年では172日目)にあたり、年末まであと194日ある。誕生花はオトメギキョウ、クリ。.

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9月21日

9月21日(くがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から264日目(閏年では265日目)にあたり、年末まであと101日ある。.

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