ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

覚鑁

索引 覚鑁

覚鑁(かくばん、嘉保2年6月17日(1095年7月21日) - 康治2年12月12日(1144年1月18日))は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。 諡号興教大師(こうぎょうだいし)。肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分2011 新義真言宗大本山誕生院)生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。幼名は弥千歳。 平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏・浄土思想を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した。即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊(全ての仏徳を備えた仏)から派生した、別徳の尊であるとした。 空思想を表した『月輪観(がちりんかん)』の編者として著名。また、日本に五輪塔が普及する切っ掛けとなった『五輪九字明秘密釈』の著者でもあった。.

90 関係: 司馬遼太郎吉川弘文館大正大治 (日本)大日如来天台宗奈良宣明暦宮坂宥勝密厳院密厳院発露懺悔文寛助岩出市不動堂不動明王平安時代座主京都康治五輪塔仁和寺佐賀県佐賀県出身の人物一覧佐賀藩得度保延信心応永念仏北向山不動院ユリウス暦嘉保和歌山県出家勝又俊教灌頂空海紀州徳川家真言宗真言宗豊山派真言宗智山派荘園鍋島直彬頼瑜須弥壇読売新聞社誕生院高野山...豊臣秀吉鳥羽天皇鹿島市阿字観阿弥陀如来開山肥前国金剛峯寺長谷寺長承院宣東大寺根来寺橘氏正応江戸時代法然津本陽本尊戦国時代 (日本)戒壇院春秋社浄土教新義真言宗新潮社新潮文庫日本智積院1095年1130年1132年1134年1140年1143年1144年1288年12月12日 (旧暦)1月18日6月17日 (旧暦)7月21日 インデックスを展開 (40 もっと) »

司馬遼太郎

司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。.

新しい!!: 覚鑁と司馬遼太郎 · 続きを見る »

吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

新しい!!: 覚鑁と吉川弘文館 · 続きを見る »

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

新しい!!: 覚鑁と大正 · 続きを見る »

大治 (日本)

大治(だいじ)は、日本の元号の一つ。天治の後、天承の前。1126年から1130年までの期間を指す。この時代の天皇は崇徳天皇。.

新しい!!: 覚鑁と大治 (日本) · 続きを見る »

大日如来

胎蔵曼荼羅の胎蔵大日如来(中央) 胎蔵曼荼羅 金剛界曼荼羅 大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。.

新しい!!: 覚鑁と大日如来 · 続きを見る »

天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

新しい!!: 覚鑁と天台宗 · 続きを見る »

奈良

奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.

新しい!!: 覚鑁と奈良 · 続きを見る »

宣明暦

宣明暦(せんみょうれき)は中国暦の一つで、かつて中国や日本などで使われていた太陰太陽暦の暦法である。正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)と言う。特に日本においては中世を通じて823年間継続して使用され、史上最も長く採用された暦となった。 以下、和暦の日付は旧暦表示である。また、西暦の日付は1582年10月4日まではユリウス暦表示、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦表示となっている。.

新しい!!: 覚鑁と宣明暦 · 続きを見る »

宮坂宥勝

宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - 2011年1月11日)は、日本の仏教学者・インド哲学研究者、名古屋大学名誉教授、真言宗智山派管長。.

新しい!!: 覚鑁と宮坂宥勝 · 続きを見る »

密厳院

密厳院(みつごんいん)は、和歌山県高野町の金剛峯寺の塔頭寺院の一つ。新義真言宗の教学の祖である興教大師覚鑁の自所だった寺院。 覚鑁が、腐敗した金剛峯寺の内紛に憂いを持ち、密厳院において3余年に及ぶ無言行を敢行した直後に書き上げたと言われる「密厳院発露懺悔文」は有名である。 高野山一の橋から奥の院に向かう途中に位置し、保延6年(1140年)の金剛峯寺の内紛により焼き討ちにあい(錐もみの乱)、住職の覚鑁はやむなく山を降り、新義真言宗根来寺を開創した。現在の寺院はその後再建されたものである。また、本堂には覚鑁の像が祀られているが、これは高野山では唯一である。 境内に刈萱堂(東海近畿地蔵霊場第34番札所)がある。 覚鑁が密厳院にて本尊とした不動明王は、運慶作である平常眼の不動明王であった。.

新しい!!: 覚鑁と密厳院 · 続きを見る »

密厳院発露懺悔文

密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)は、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁が、腐敗した真言宗総本山金剛峯寺の内紛に深い憂いを持ち、金剛峯寺内の自所「密厳院」において3余年に及ぶ無言行を敢行、その直後、一筆のもとに書き上げたと言われる偈文。 宗教家としての自覚自戒の源として真言宗系寺門に広く護られる。 興教大師の作といわれていたが、桑原康年の研究論文により新義系二派(真言宗豊山派、真言宗智山派)では作者不詳が通説となっている。.

新しい!!: 覚鑁と密厳院発露懺悔文 · 続きを見る »

寛助

寛助(かんじょ、天喜5年(1057年)- 天治2年1月15日(1125年2月19日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は右大弁源師賢。成就院大僧正・弁大僧正・法関白とも称される。.

新しい!!: 覚鑁と寛助 · 続きを見る »

岩出市

岩出市(いわでし、英語表記:Iwade-City)は、和歌山県の北部(紀北地域)に位置する市。2006年(平成18年)4月1日に那賀郡岩出町が市制を施行し発足した。 前身である岩出町は1956年(昭和31年)9月30日に新設合併により発足した。市制施行により、町時代に属していた那賀郡は住所から姿を消した。 隣接する紀の川市よりも人口は少ないものの、官公庁施設(警察署・振興局など)を有し、那賀地域の中心の都市でもある。人口は、1994年(平成6年)の関西国際空港開港に伴う開発で、大幅に増加している。.

新しい!!: 覚鑁と岩出市 · 続きを見る »

不動堂

不動堂(ふどうどう).

新しい!!: 覚鑁と不動堂 · 続きを見る »

不動明王

不動明王 (ふどうみょうおう)、梵名アチャラナータ (अचलनाथ)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。 五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。.

新しい!!: 覚鑁と不動明王 · 続きを見る »

平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

新しい!!: 覚鑁と平安時代 · 続きを見る »

座主

座主(ざす).

新しい!!: 覚鑁と座主 · 続きを見る »

京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

新しい!!: 覚鑁と京都 · 続きを見る »

康治

康治(こうじ)は、日本の元号の一つ。永治の後、天養の前。1142年から1143年までの期間を指す。この時代の天皇は近衛天皇。.

新しい!!: 覚鑁と康治 · 続きを見る »

五輪塔

西大寺奥の院) 五輪塔(ごりんとう)は、主に供養塔・墓として使われる塔の一種。五輪卒塔婆とも呼ばれる。 一説に五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれるが、インドや中国、朝鮮に遺物は存在しない。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになる。このため現在では経典の記述に基づき日本で考案されたものとの考えが有力である。 教理の上では、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表すものとする。石造では平安後期以来日本石塔の主流として流行した。五輪塔の形式は、石造では、下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型によって表される。密教系の塔で、各輪四方に四門の梵字を表したものが多い。しかし早くから宗派を超えて用いられた。 石造のものは石造美術の一分野として重要な位置を占める。.

新しい!!: 覚鑁と五輪塔 · 続きを見る »

仁和寺

双ヶ岡より仁和寺を望む 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の仏教寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。.

新しい!!: 覚鑁と仁和寺 · 続きを見る »

佐賀県

佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方の北西部にある県である。県庁所在地は佐賀市。 唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名。玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。.

新しい!!: 覚鑁と佐賀県 · 続きを見る »

佐賀県出身の人物一覧

佐賀県出身の人物一覧(さがけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する佐賀県出身の人物の一覧表である。.

新しい!!: 覚鑁と佐賀県出身の人物一覧 · 続きを見る »

佐賀藩

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.

新しい!!: 覚鑁と佐賀藩 · 続きを見る »

得度

得度(とくど)は仏教における僧侶となるための出家の儀式。 本来、僧侶になるには、仏教教団の10名の先輩構成員(三師七証)の承認があり、戒律を護る事を誓えば誰にでもなれるものであったが、中国や日本に於いては、労働、納税、兵役を免除されていたため、僧侶になる者が続出し、国家の財政を脅かす事態となった。そこで国家は年度や地域毎に僧侶になる人数を制限するために、得度を国家の許可制とした。.

新しい!!: 覚鑁と得度 · 続きを見る »

保延

保延(ほうえん)は、日本の元号の一つ。長承の後、永治の前。1135年から1141年までの期間を指す。この時代の天皇は崇徳天皇。.

新しい!!: 覚鑁と保延 · 続きを見る »

信心

信心(しんじん)とは、神や仏を信じる心。また、神や仏を信じて祈ることをいう。.

新しい!!: 覚鑁と信心 · 続きを見る »

応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

新しい!!: 覚鑁と応永 · 続きを見る »

念仏

念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"buddha-anusmRti"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。日本では一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称える「称名念仏」を指すことが多い。.

新しい!!: 覚鑁と念仏 · 続きを見る »

北向山不動院

北向山不動院(きたむきざんふどういん)は、京都市伏見区にある天台宗系の単立寺院。.

新しい!!: 覚鑁と北向山不動院 · 続きを見る »

ユリウス暦

ユリウス暦(ユリウスれき、、、)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。 ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年、ユリウス暦に換えて、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施したが、今でもグレゴリオ暦を採用せずユリウス暦を使用している教会・地域が存在する。グレゴリオ暦を導入した地域では、これを新暦(ラテン語: Ornatus)と呼び、対比してユリウス暦を旧暦と呼ぶことがある。 なお、天文学などで日数計算に用いられるユリウス通日があるが、これはユリウス暦とは全く異なるものである。.

新しい!!: 覚鑁とユリウス暦 · 続きを見る »

僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

新しい!!: 覚鑁と僧 · 続きを見る »

嘉保

嘉保(かほう)は、日本の元号の一つ。寛治の後、永長の前。1095年から1096年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。.

新しい!!: 覚鑁と嘉保 · 続きを見る »

和歌山県

和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.

新しい!!: 覚鑁と和歌山県 · 続きを見る »

出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

新しい!!: 覚鑁と出家 · 続きを見る »

勝又俊教

勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 - 1994年2月18日)は、新潟県出身の学僧、仏教学者、文学博士、大正大学名誉教授。.

新しい!!: 覚鑁と勝又俊教 · 続きを見る »

灌頂

頂(かんじょう, abhiṣeka, abhiṣecana)とは、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明すること。密教においては、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことをいう。本項では密教における潅頂について述べる。.

新しい!!: 覚鑁と灌頂 · 続きを見る »

昼間の晴天時の空 曇りの空 星空 高高度を飛ぶ飛行機から見た空。地上から見る通常の空とは色が異なっている。 空(そら)とは、地上から見上げたときに頭上にひろがる空間のこと。天。.

新しい!!: 覚鑁と空 · 続きを見る »

空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

新しい!!: 覚鑁と空海 · 続きを見る »

紀州徳川家

紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)は、江戸時代に紀伊国・伊勢国を治めた徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。紀伊徳川家、紀伊中納言家ともいい、単に紀州家、紀伊家ともいう。また、初代頼宣が常陸国に封じられて常陸介に叙任された故事にちなみ、紀伊国へ移封された後も、頼宣の子孫は代々常陸介に叙任された。このため、徳川常陸介家(とくがわひたちのすけけ)という。.

新しい!!: 覚鑁と紀州徳川家 · 続きを見る »

真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

新しい!!: 覚鑁と真言宗 · 続きを見る »

真言宗豊山派

総本山長谷寺 本堂(大悲閣) 長谷寺の登廊 大本山護国寺 本堂 總持寺(西新井大師)本堂 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)は日本の仏教宗派の一つで、新義真言宗の一派。総本山は奈良県桜井市の長谷寺。包括宗教法人名は、眞言宗豊山派で、東京都文京区大塚五丁目に本部を置く。同派の公称は、全国に約3,000寺、僧侶(教師)数は約5,000人、檀信徒数は200万人。源氏物語や枕草子などにも登場し長谷詣として知られる総本山長谷寺や、東京の大本山護国寺・西新井大師(総持寺)は豊山派の象徴である。 真言宗智山派とは、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派であった。豊山派は徳川家との縁も深く、幕府の庇護を受けると共に、大本山護国寺は関東における布教の拠点となった。関東では多くの信者を獲得する一方、真言宗の離合集散の歴史的経緯から中国・九州地方では末寺が1か寺ずつしか存在しない。.

新しい!!: 覚鑁と真言宗豊山派 · 続きを見る »

真言宗智山派

真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)は、日本における仏教の宗派の一つ。弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。天正5年(1577年)に根来山の能化職となった玄宥(1529年-1605年)が、天正13年(1585年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。.

新しい!!: 覚鑁と真言宗智山派 · 続きを見る »

荘園

荘園(しょうえん)は、公的支配を受けない(あるいは公的支配を極力制限した)一定規模以上の私的所有・経営の土地である。なお、中世の西ヨーロッパ・中央ヨーロッパに見られたmanor(英語)、Grundherrschaft(ドイツ語)の訳語としても用いられている。.

新しい!!: 覚鑁と荘園 · 続きを見る »

鍋島直彬

鍋島 直彬(なべしま なおよし)は、肥前鹿島藩の第13代(最後の)藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の甥。.

新しい!!: 覚鑁と鍋島直彬 · 続きを見る »

頼瑜

(らいゆ、嘉禄2年(1226年)- 嘉元2年1月1日(1304年2月7日))は、鎌倉時代中期から後期にかけての真言宗の僧。俗姓は土生川氏。字は俊音。号は俊音房。紀伊国那賀郡の出身。.

新しい!!: 覚鑁と頼瑜 · 続きを見る »

須弥壇

弥壇(しゅみだん)とは、仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のこと。須弥山に由来する。 須弥壇の上は仏の領域とされ、壇上に直接諸仏を安置する場合と、厨子や宮殿(くうでん)を置いて、その中に仏像等を安置する場合がある。和様、禅宗様、折衷様がある。形態として床に直接置く背丈の高いものと、上置式の背丈の低いものがあるが、前者が圧倒的に多く、後者は日蓮正宗以外では殆ど用いられていない。 元来仏壇といえば、須弥壇のことであったが、中世になって寺院仏堂の仏壇を「須弥壇」と呼び、家の中に仏を祀る厨子のことを「仏壇」というようになった。現在も仏壇内の仏を祀る壇は「須弥壇」と呼ばれる。.

新しい!!: 覚鑁と須弥壇 · 続きを見る »

読売新聞社

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。.

新しい!!: 覚鑁と読売新聞社 · 続きを見る »

誕生院

誕生院(たんじょういん)は、佐賀県鹿島市にある新義真言宗大本山の寺院。山号を密厳山(みつごんざん)と称する。本尊は錐鑽身代不動明王。.

新しい!!: 覚鑁と誕生院 · 続きを見る »

高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

新しい!!: 覚鑁と高野山 · 続きを見る »

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

新しい!!: 覚鑁と豊臣秀吉 · 続きを見る »

鳥羽天皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。.

新しい!!: 覚鑁と鳥羽天皇 · 続きを見る »

鹿島市

鹿島市(かしまし)は、佐賀県の南部にある市である。旧藤津郡。.

新しい!!: 覚鑁と鹿島市 · 続きを見る »

阿字観

阿字観(あじかん)は、密教の根本経典の一つである『大日経』(大正蔵:№848)において初出し、主に密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。.

新しい!!: 覚鑁と阿字観 · 続きを見る »

阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

新しい!!: 覚鑁と阿弥陀如来 · 続きを見る »

開山

; 仏教用語; 神道・山岳用語; 比喩的用法; 相撲用語; 山岳名; 地名; 姓.

新しい!!: 覚鑁と開山 · 続きを見る »

肥前国

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

新しい!!: 覚鑁と肥前国 · 続きを見る »

金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部、pp.39,75。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。.

新しい!!: 覚鑁と金剛峯寺 · 続きを見る »

長谷寺

二本の杉 長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山、院号を神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。 大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。 大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。.

新しい!!: 覚鑁と長谷寺 · 続きを見る »

長承

長承(ちょうしょう)は、日本の元号の一つ。天承の後、保延の前。1132年から1134年までの期間を指す。この時代の天皇は崇徳天皇。.

新しい!!: 覚鑁と長承 · 続きを見る »

院宣

院宣(いんぜん)とは、上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発する宣旨に相当する。院庁下文よりも私的な形式。 『法曹至要抄』によれば、養老律詐偽律の解釈を巡る明法家の先例の学説として「太上天皇宣」の偽造は詔書と同一の罪に当たるとする説を挙げており早くから知られていた可能性があるが、院宣に関する記録の初見は延長7年(927年)の宇多上皇が伊勢神宮に宣旨を下されたことを受けて神宮側がその指示を神郡に向けて発した「延長七年大神宮勘注」(『大日本史料』一之六)である。院宣の重要度は、天皇の宣旨と同等、またはそれ以上とされていた。平安時代後期に院政が始まると、治天の君(院政を行う上皇)は、院宣や院庁下文を発給することで、自らの政治意思を明示・具現化していった。 院庁下文が、詔勅や太政官符などの政府として最終決定意思を表示する文書と、同等の効力が認められていたのに対し、院宣は形式の面でも効力の面でも、簡易なものとして発給されていた。すなわち、政府の重要事項については院庁下文で対応し、より即効的または柔軟な対応が必要なときは院宣を発給していたのである。.

新しい!!: 覚鑁と院宣 · 続きを見る »

東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

新しい!!: 覚鑁と東大寺 · 続きを見る »

根来寺

根来寺(根來寺)(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、詳しくは一乗山大伝法院根来寺と号する。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。.

新しい!!: 覚鑁と根来寺 · 続きを見る »

橘氏

橘氏(たちばなうじ)は、「橘」を氏の名とする氏族。 県犬養三千代(橘三千代)・葛城王(橘諸兄)を祖とする皇別氏族で、飛鳥時代末から橘宿禰(のち朝臣)姓を称した。.

新しい!!: 覚鑁と橘氏 · 続きを見る »

正応

正応(しょうおう)は、日本の元号の一つ。弘安の後、永仁の前。1288年から1292年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、久明親王、執権は北条貞時。.

新しい!!: 覚鑁と正応 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 覚鑁と江戸時代 · 続きを見る »

法然

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然は房号で、諱は源空(げんくう)。幼名を勢至丸。通称は黒谷上人・吉水上人とも。 謚号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である.

新しい!!: 覚鑁と法然 · 続きを見る »

津本陽

津本 陽(つもと よう、1929年(昭和4年)3月23日 - 2018年5月26日)は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。 .

新しい!!: 覚鑁と津本陽 · 続きを見る »

本尊

本尊(ほんぞん)とは、仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置される仏像・経典・仏塔、お守りとして身辺に常時携帯されるもの、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などをいう。 また比喩として派生した用法として、.

新しい!!: 覚鑁と本尊 · 続きを見る »

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

新しい!!: 覚鑁と戦国時代 (日本) · 続きを見る »

戒壇院

戒壇院(かいだんいん)は、福岡県太宰府市にある臨済宗の寺院。奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも称される。 古くは観世音寺の一部であった。西戒壇(さいかいだん)として、中央戒壇(奈良の東大寺)・東戒壇(栃木の下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」の1つである。.

新しい!!: 覚鑁と戒壇院 · 続きを見る »

春秋社

春秋社(しゅんじゅうしゃ)は、日本の出版社。仏教を主とした宗教書を軸に哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門・入門書を刊行している。ほかに音楽書の『世界音楽全集 ピアノ篇』シリーズで、井口基成編集による校訂版は1949年に初出版されて以来、現在もピアノの学習者にとって好評である。.

新しい!!: 覚鑁と春秋社 · 続きを見る »

浄土教

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.

新しい!!: 覚鑁と浄土教 · 続きを見る »

新義真言宗

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を始祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖覚鑁(興教大師)の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なる。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。広義では、根来寺を本山とする新義真言宗、智積院を本山とする真言宗智山派、長谷寺を本山とする真言宗豊山派、室生寺を本山とする真言宗室生寺派などを含むが、狭義では真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする【新義真言宗】を指す。 従来の真言宗(いわゆる古義真言宗)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)を説くのに対して、新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の違いである。.

新しい!!: 覚鑁と新義真言宗 · 続きを見る »

新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.

新しい!!: 覚鑁と新潮社 · 続きを見る »

新潮文庫

新潮文庫(しんちょうぶんこ、SHINCHO BUNKO)は、株式会社新潮社が発行している文庫レーベル。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。岩波文庫と並ぶ、文庫レーベルの老舗である。世界文学の名作を収め、また日本文学作品も数多く収めている。 2014年8月28日、新潮文庫nex(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。.

新しい!!: 覚鑁と新潮文庫 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 覚鑁と日本 · 続きを見る »

智積院

名勝庭園 智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥である。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。寺紋は桔梗紋。.

新しい!!: 覚鑁と智積院 · 続きを見る »

1095年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1095年 · 続きを見る »

1130年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1130年 · 続きを見る »

1132年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1132年 · 続きを見る »

1134年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1134年 · 続きを見る »

1140年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1140年 · 続きを見る »

1143年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1143年 · 続きを見る »

1144年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1144年 · 続きを見る »

1288年

記載なし。

新しい!!: 覚鑁と1288年 · 続きを見る »

12月12日 (旧暦)

旧暦12月12日(きゅうれきじゅうにがつじゅうににち)は、旧暦12月の12日目である。六曜は大安である。.

新しい!!: 覚鑁と12月12日 (旧暦) · 続きを見る »

1月18日

1月18日(いちがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から18日目に当たり、年末まであと347日(閏年では348日)ある。.

新しい!!: 覚鑁と1月18日 · 続きを見る »

6月17日 (旧暦)

旧暦6月17日は旧暦6月の17日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 覚鑁と6月17日 (旧暦) · 続きを見る »

7月21日

7月21日(しちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から202日目(閏年では203日目)にあたり、年末まであと163日ある。誕生花はヤマユリ、アサガオ。.

新しい!!: 覚鑁と7月21日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

興教大師

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »